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羅針盤にそって
「星なんか羅針盤にして 君はいったいどこに行こうとしているのか」 流れゆく雲の合間の さみしげな その光についていきながら ふとそんな声が聞こえた だからそっと答えてあげた “僕はただ僕自身に到る道を探しているだけ” さざ波のように草が揺れる音 小ぬか雨の冷たさのその残留性 ただこの羅針盤の果てへ、果てへ そんなものがないとも知っていて それでもなお……
羅針盤にそって ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1200.9
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2025-09-22
コメント日時 2025-10-07
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


少し濡れた一面の草原。 そこからゴールのない道を行くのですね。 なにか悲しい決意を帯びた旅のようにも見えるのですが、なにか救いを祈りたくなるな。
0儚げな雰囲気ですね。自分と星。羅針盤にしてどこへ行くのか。自分へ至るところまで。星に従えば。星に従うとは、永遠に至ることだと思いました。大きなものに、小さな自己を託す気持ちがある気がします。ときどき、自分が大きいことが、負担に思えることも多いと思うので。星の輝きは点であり小さくとも、本当は莫大な大きさである。自分もそれに似ている。
0逆から書き直したら、もっと良くなりそうだと思った。
0コメントありがとうございます! 基本、その旅は僕が崇拝するドイツ人作家や韓国詩人たちも過去に同じようにしたものだけれど、基本的には救済の欲求というものが感じられる。この辺はフランスやイギリスといった国家にはなかった特色というか。 ロマン主義が基本的にそういうものであるのも大きいのだろうけれど。
0コメントありがとうございます! 永遠に至る……かあ。確かにそういった響きもあるのか。
0コメントありがとうございます! ……それ、結構書き直さなくちゃいけないな。 とくに台詞部分の周辺とか。 そういえば野良さんってドイツ文学とか読んだりするんだろうか。 いや、ふと気になったというか。僕とは趣が違う作品を結構書くから。
0ドイツ文学は読まないな。プロイセン?の頃の本なら少し読むよ。ニーチェ、カント。ニーチェは大好物です。そのせいか、僕からは、デイムラーくんの詩に、ドイツの匂いはあまり感じないな。
0なるほど……それもそうか……(僕が影響受けた作家は帝国、ヴァイマル共和政期中心。そもそもヘッセは南ドイツ、マンはリューベック……プロイセン風味、薄いな)
1即興で返詩を。 それでもなお 足跡を探り 見つけ出し 辿り ついていく 北極星の如く 遠く 手が届かなくとも 足跡は続いていく 罵詈雑言を超え 果てへ 果てへ その光へ向かう 過去の人々が 共に肩を並べ 歩いていく 釈迦が到達した その境地へ
0~ただこの羅針盤の果てへ、果てへ そんなものがないとしっていて~ 『羅針盤にそって』とは言ってみたものの、 磁針によって示される地磁気の方向は頼りにはしない。 星の在処だけで、僕は僕自身の目的を探求しながら旅を続ける。ゆっくりと ということでしょう。 短絡的な解釈としても読める詩ですが、それなりに読めるものです。 ただ~さざ波のように~その残留性。 ここは探究心を仄めかす詩としては言葉たちの方向性に開きを感じてしまう。 緩くて、もう少し言葉を突き詰めてほしい。とも感じましたね。
0思索しながら彷徨う、吟遊詩人もまた昔からきっとそのようであったと思います。キリストの生誕に輝いたのはベツレヘムの星、あぁ、私の星はどこ?なんてね。うふふ、私、さみしいの。
0最初の部分がロマンティックですね。星なんかを羅針盤にして。君はいったいどこに行こうとしているのか。こんな問いは現実では、おかしな話に漂流してしまう可能性を秘めています。羅針盤の果てへ、果てへ。何かロマンとは冒険を秘めているのだなと思わせられました。
0返詩ありがとうございます!
0コメントありがとうございます! なるほど……確かにそこの部分は詰めが甘かったかも…… もう少し気をつけることにしよう
0コメントありがとうございます! まあ、ヘッセも基本は思索と彷徨の詩人ではあったね……
1コメントありがとうございます! 確かに冒険なんよな……
0道を探すための旅だから、「道を見つける」という目標を達成しても、そこがゴールじゃないんだなあ。むしろ道を見つけてからがスタートライン。でも、歩いてきた過程がそのまま道になるのかもしれない。 無学なりに色々考えながら拝読しました。
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