作品投稿掲示板 - B-REVIEW

メルモsアラガイs


投稿作品数: 9
総コメント数: 759
今月は2作品にコメントを付与しました。
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メルモsアラガイsの記録 ON_B-REVIEW・・・・

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火曜日から土曜日は古代四大元素の概念を曜日に当てはめて作られています。月曜日の『トマ~がいいなあ。これは谷川俊太郎の二十億光年の孤独にある。キリリハルルし?忘れたけど、あの言葉に匹敵するシュールな蒸発作用ですね。荷車を押す人は月のように重力にひきづられて~ってことかな。日曜日は空気。光射す陰と陽。モノクロームな世界観で、これは風が伝える言葉の世界観を外界と内なる意識の精神世界とに分けて考えられている。この月曜日と日曜日があるのでタイトルの地球も宇宙から眺めると輝いて見えてくるのです。 (こちら今日の地球です。)

2024-12-04

イイね。人称がわたし?男子という言い方を鑑みれば金糸雀(語り手)は女子なのか? 具体的にチクられる事柄がひとつ書き込まれてあれば二重丸。 (花子の作文 )

2024-12-01

句を読む度に詩人は思い知らされる。詩書きは世界人にならなければならない。悩ましいことです。 (手帳より自由律俳句 2024)

2024-11-28

パスワード入手方法? (Creative Writing Space B版 Statement)

2024-11-27

~宇宙が一輪の花になる~この辺りの表現はあまり眼にしたこともなく、それがシュールな表現なのかと想像してみても一読では思いつかない。それは一輪の大きな薔薇の花びらかも知れないし、人生を振り返ったときの轍の跡かも知れない。永遠ににひろがる宇宙を花瓶の中に収めてみつめるという想念は量子論的な思考への暗示でもあり、一言では捉え難い。~宇宙が一輪の花になる~昨日のわたしは今日のわたしでもなく、当然明日のわたしではない。シュールな見方というのはそのように固定されない読みがおもしろいのであって、僕はそれが表現の個性だと思う。 (Cosmos)

2024-11-26

後の世相という表現について、ちょっと大雑把なコメントをしてしまいましたね。二連の感想を補足しておきますれば、 廃れてくる田畑 人手の足りない介護職 民営化によるサービスの低下 温暖化によってどこまで人気が続くのかわからない野外競技場 を回顧する。を不安感から色に見立てている。ということでしょう。 (葛の葉)

2024-11-24

二連を読んで感じる不安定さはこの国の世相なども後に反映されてくるわけですが、葛葉。この植物の根は葛粉葛餅と日本人にはお馴染みの活用で古くから重宝されてきましたが、いまでは本粉を口にするのも稀ですよね。葛の葉は揺れている~揺らいでいる。~揺らされている。というのは能動的な活用から次第に受動的に移り変わる日本人への哀惜からか。便利になり、与えられたモノだけを頼りにするという現代社会への警鐘か。この揺れを音として還元すれば和あるど的にはなんでしょう。篳篥がくり出す不安定な「ゆらぎ」或いは三味線の掻きむしる濁音「さわり」または能管の耳を劈く悲鳴「ひしぎ」とでも申しましょうか。揺れる葛の葉が陽を浴びて織り成す音としての陰影とでも申しましょうか。 (葛の葉)

2024-11-24

類さん、類さんて呼べばあの人よく衛星放送で見かけるタレントの吉田類。大きな岩窟顔をした酒飲み男で、けっこう女も好きそうでしかもモテる。いやらしいタイプに見えるのだけれど、こちらの類さんは同じく紳士でもきっとスマートな美形でしょうね。まあ関係ない話しですが、笑、僕も言われて気づいたので同意します。ほぼ書き間違いです。 いやあ、そうですね。あたまが痛い。経験とか歳とか、関係ない。おっしゃることはよくわかっていますが、ついつい下卑ては過剰に謙遜してその実言い返す口実を自分に与えようとしている、つまり上手い具合に逃げる癖が就いていて。コメント書いていて読み返してみれば、あら~あの人。室町某氏と同じようなことを言って書いてるな。と。確かな裏覚えにショックを隠せませんでした。いけませんね。こんな逃げ口実を書いてちゃ。他の、といっても老舗の現フォですが、戒めとして反省文のように投稿してみましたよ。笑。いちいち歳だの経験だのと(むろん大切なことではある)こんなことを繰り返して述べているから鷹枕可さんに 指摘されたようなクリアーな発想も浮かんでこないのだな。と改めて初心に帰り見直す決意を致しました。再度ありがとうございます。 (LIBERTANGO IN GAZA )

2024-11-23

よんじゅうさん、感想コメントありがとうございます。そうなんですよ。本来ならば半日くらい空けてもう一度読み直してみればアイデアも浮かんでくるでしょう。アルゼンチンの酒場からGAZAへ。この二つの地点をほぼ同時刻にするか、時間をずらすのか、筆者自身が曖昧なまま書き終える。という行為をしてしまった。てことでしょうね。物語で詩を綴る場合には考慮したいと思いました。 (LIBERTANGO IN GAZA )

2024-11-23

「セント、オブ、ウーマン」聞いたことあるし、アル.パチーノ主演ならばたぶん観てるだろうな。盲目というのが、ちょっと引っかかって思いつかない。おもしろそうですね。後で見直してみます。 ぺえ太さん想像力も豊かですね。オリーブとい木の実は中東から欧州では欠かせない食物で主に油脂から食用にもなる。日本で喩えたらなんでしょう。大豆かな?まさかドングリ? 古い文献からも記述されているので聖なるイメージがありますよね。 ぺえ太さんの発想には脱腸じゃない、脱帽ですね。二つの間に、そのような、亡霊を意識したような解読の差延とか時間差とかで空気感を埋めればよかったな。と改めて振り返る自作をがっかりします。想像力豊かなコメントを頂戴しまして、ありがとうございます。 (LIBERTANGO IN GAZA )

2024-11-22

自然を背景に一人指揮棒を振る王。という舞台設定を念頭にオーケストラは静かに音をくり出していく。 奏でるのは森の木々で葉や風の音。聴衆は誰一人見当たらないですね。ということは王は自分自身のために瞑想しあたまの中でタクトを振り続けているのか。そして王の分身のような猛獣でもある虎が出てきてその調律を掻き乱す。一体何のために。というのが先ず浮かんできました。第八楽章まである。という長さでこれは交響楽的な組曲でしょうか。弦楽器が主体でしょうが、にしては耳に聞こえてくるのは鳥たちの囁きや葉ずれ、また風のざわめく音を意識したフルートかクラリネットまたはオーボエといった木管楽器しか思いつかない。これくらい章のある長さで壮大な交響曲を意識しておられるならばやはり遠近を意識した空山雲の背景の動きが、管楽器の調べもほしくなりますね。 何故王が瞑想にタクトを振るのか。その理由は最後までわからないのですが、大方よく書けてますね。というかよく描けていて言葉の中で音も響いてはきますよ。ちょっと惜しかったかな。という印象です。 (Orchestra)

2024-11-22

ファニーフェイスなんて呼び方を昔から聞いたことがあるのだけど、欧米人の女性を指してブスなんて呼び方はなんていうのだろうか。顔つきよりもむしろボディのほうを重要視されるのではないか、あまり聞いたことがない。これはいまでも美形の基準見方が白人の女性に偏っているからだろう。そうでなければ美容整形なんて医療分野も存在しないですよね。 世の美形女性たちは内心そのことを自負しているので真に性格までも良い。というのはそう多くはないでしょうね。見せかけだと思う。なので岩窟のような不細工な男でも美人を女房にしてる。欲深きアフロディーテですよ。笑。 まあ、顔つきは普通でいいと思う。それよりも女性はボディだ。自身の性器に照らし合わせたときのセックスの相性ですね。豊かに撓んだ大きなバスト。腰高にあるクビレから大きく発達した肉付きのいいお尻。そして締まった足首。乳白色に柔らかい肌。逆に細く締まった体つきから乳房は小さくても感度のいい突起した乳首。あああ考えただけでも震えてくる性欲の塊、男根こ~ん。 女性を百人以上抱いて眺めている男から見れば顔は普通でいいのです。やはりセックスを考えればそそられるのはボディですね。顔なんて性格が嫌になればすぐに飽きてしまう。お互い大好きなセックスさごっこ。抱き合うときに発散させる臭いとお互いの性器の相性です。 で、遅くなりましたが、この作品は練乳仕掛けのペコちゃん人形。この凄まじく罵る視線の先には大いなる蜃気楼の野望が見え隠れしている。   嘘でした。配列。 (は!?ポエムって何!?ば◯あ!!)

2024-11-22

意表を突いたようなタイトルで興味をひかれまたあたまをひねるのですが、読んでいけば文章は読ませるものがある。残念なのは無理やり間を開けたような文体ですね。つなぎもしっかり書かれてあるので、わたしは逆に流して読まされた方があたまには入ってきますね。この暗い不穏さの中に間を開けてどんな意味があるのだろうか。とあたまをひねりました。 (稲妻と欠陥の捜索願い)

2024-11-22

たぶん類さんにも当て嵌まるのだと思いますが、さすが万太郎さん、調べられたのか、元々詳しいのか、音楽や演芸にかけてはオメガ嵩井。笑。すいましぇん。先の類さんは8を永遠の~とコメントされていましたが、万太郎さんはご存じでしょう。タンゴでは8の字を描くようにステップを繰り返すのが基本ですね(もちろん僕は踊れない。でもピアソラはだいたいだ~い好きな音楽家の一人です) 魅惑的で妖艶でもある踊り。タンゴ。流れるように音とセックスを絡めて表現してみたかったので、好意的に受けとめていただき感謝です。コメントありがとうございます。 (LIBERTANGO IN GAZA )

2024-11-21

見渡せば他人の基盤はある程度読めてもいざ自分が動くとなればちっとも先が読めない。これは弱い凡庸な棋士の証拠ですね。類さん、好意的に受け取っていただき嬉しく思います。実は鷹枕可さんにこっぴどくやっつけられたのがちょっとショックで自信を失っていたところです。これまで二十数年間も投稿してきて、もう数え切れないほどのコメントも書いてきた。批判的な感想を述べては反撥もされ、また好印象のコメントを挙げて感謝もされてきましたが、一体凡庸なわたしが何をしてきたのだろうかと。まあ、才能があればとっくに世に知られていたことでしょうから、才能が無いのは自覚していました。性格もそれほどワガママではないし、かといって冷静な判断力にも欠けて思慮深くもない。できるかも知れない、と思えるのは好きな映画の批評を書くことくらいで、あああ、やっぱりもっと早くに日常から詩なんか切り離せばもう少しは気楽な人生で過ごせたのになあ。という悲愴感に堕ち込もうとしていましたよ。笑。いえ、半分は真実です。 そうですね。GAZAという文言を据えたからにはあまりも突飛な表現は避けたいな。という意識はありました。この考えは妥当だと思う。それからご指摘の~潰したオリーブの実を~指摘していただき、見直せば、あっ!でした。 確かに。潰れたオリーブの実を~受身にすればよかったと…蓋し完敗で、わたしの推敲不足ですね。 様々な読み方があるのだ。と改めて認識し「力」いただきました。コメントありがとうございます。 (LIBERTANGO IN GAZA )

2024-11-21

奇異を突きますね。あしやゆうかり。実際調べてみればこの地名に飲食店があります。でもこんな名前の詩人がいたらちょっと気になりますね。筆者はセンスのいい人だろうな。 (あしやゆうかりのガーベラ)

2024-11-21

反撥、抵抗、覚悟、執着と、さすがに皆さんいい読みをされておられる。特に類さんの感想は素晴らしいですね。わたしもそのとおりだと思う。これは後に倒置反復法や引用を駆使して自分のスタイルを作り上げていく筆者の未来を、大岡信も予測できたんじゃないかな。だから短いながらも好印象を持ったんだ。 (白線。)

2024-11-21

鷹枕可さん、お読みくださりコメント感謝いたします。 そうですね。これは二つの物語を同時進行的に(といっても時間があっているのかは不明です)或いは時間をずらして一気に書き上げました。なので構成的にもまた表現としても工夫が足りないのは本人も自覚しております。忌憚のない意見をいただき真に嬉しく思います。綺麗にまとまっている。「上手い画」ではなく「凄まじい画」を、とのご指摘ですが、常日頃わたしもそのような発言を他者に求めているので、これはまったく耳殻の痛いご指摘です。はじめは無味乾燥なエロスを目的に、という発想もあり、しかし書いていくうちにあまりも長くなってしまいそうなので省略の方向にいかせてしまったようです。そうですね。振り返りご指摘を受けて中間部の場面の移りにはもう一工夫ほしかったかなと思っております。過去形でも現在形未来形でもいい。ハッとさせる空気感もほしかったかな、と。 まあ、何はともあれ、時間が足らなかった。結局読み手にとってそれがおもしろいかそうでないか、までは考えが至らなかった。意識不足、これも推敲の不足ですね。短くも凡庸な物語を読ませてしまって申し訳ない気持ちですね。やはり読者はそういうものを求めているのだ、と納得いたした次第であります。 (LIBERTANGO IN GAZA )

2024-11-20

夜にハナサクそのイメージはクリアーな想像で、特に終わりの持って行き方などもイイですね。 無限の美。永遠の美、よりはいいとは思いますが、たとえ宇宙を意識しても、やはり永遠とか無限とかのありふれた言葉よりも自分だけの言葉で美を表現してほしいかな、と。なかなかですね。難しいのはわかっています。 (Cosmos)

2024-11-19

肩を引き上げ下げて歩く黎い外套/そうくればやはり中原中也の面影を引き摺ります。 (黎ゐ外套)

2024-11-19

背中を屈め虚ろな表情で踏切の前を行ったり来たりしていた中年の婦人。死んだような虚ろな眼をして何かに取り憑かれたような表情で働いていたレコード店の主人。後で聞けば自殺していました。危ないな。という人間は一目見てわかるものです。表情にも活気がなくて、魂の脱け殻のような状態が見て取れますからね。 そういうわたしも将来的には安楽死希望なので、これもまた自殺願望といえばそうでしょうね。でもなかなか死ねないですね。まだ生きたという微かな希望が持てるうちは。 入院などしていると機械だけに生かされている人を見かけます。あまりにも淋しそうなので近づいて見ても眼は閉じられたまま身動きひとつしない。哀しくて胸が締め付けられてきます。 死ねないですね。絶望したままでは。 人間を精神的な生きものだと解釈すれば、どうしようもない絶望こそが生かされている理由だとわたしは思います。その時がやってくるまで。 (からっぽの世界)

2024-11-19

↑ 失念したいのはこっちだ。失望したんだよ。こんな奴のコメントで書き間違えるなよ、俺。 (ルミエ)

2024-11-18

ルミエ。見れば現代フォーラムでも勝手に改訂されていた。前の詩のほうが自然に読めてよっぽどいい。僕のコメントをはじめ何人かの人間がポイントを付けていたのにだ。少しの改訂ならば致し方ないとは思う。が、大幅に書き換えるのならば新しく書き直して投稿し直すか、一言添えるのが筋だろう。せっかく書き上げておいてポイント付いても勝手に消し去る阿呆もいるが、きみも同じ輩だな。読み手の気持ちを少しも考えてはいない態度だ。詩人を自称するまえに人間として失格者だと思う。もうきみという書き手には失念し愛想も尽きた。他の詩についても挙げている僕のコメントを返してほしい気分だ。 (ルミエ)

2024-11-18

まあ、でもね、あなたの作品あちらでも読ませてもらってるが、男の子(実は?笑)にしては瑞々しくて初々しさも感じて懐かしさが思い出されてきて、すごく勉強になるのです。初心。忘れている何かを。あたまや手癖に頼ってはいけないな、という感覚を呼び起こされる。これから技術的にも力を付けていかれるのでしょうが、頑張ってください。 (光について)

2024-11-17

汲み取れない。というのは仕方ないのですが、昼の東京ではなく、昼のパリ、夜のパリではなく、夜の東京~というこの違いはなんだろう。後半はあたまに描いた情景に語らせている。これは表現的にも優れている。真夜中、僕の部屋より、少し明るい夜空~ 実際に寒い国でもなくパリでもない。夜の東京?あたまの中で思い浮かべているのだから、せめてそこは寒いという肌質感を覚えさせておくれ。という読み手の思いからなのです。 (光について)

2024-11-17

出だしから意表を突かれておもしろいので、いいんじゃないでしょうか。と鼻くそをほじる。この出だしを補完する後に続く言葉たちがいいので、唐突に意外性のある表現も受けとめれる。に鼻をかむ。無駄な言葉も無いしキレもあるし旨い。 あと終わりの空気感の違う台詞部分ですよね。「 ~まるでパレードです。~ 」誰だろうこの人。パレードならばスガシカオじゃないのか?と姿が浮かんでこないのがちょっとだけ残念でした。 (あの芋の葉は、)

2024-11-17

この病的にも崩れて読める精神状態には何やらを挟んで浮遊している感覚もありおもしろいのですが、この何やらというわたしがイメージに置き換えるのは海を彷徨い流れいくウィルソンくん。(映画キャスト、アウェイでトム、ハンクスが手放してしまった。お友達。バレーボールのウィルソンくんですね。)なので当然タイトルも変わります。 そのような擬人化された視点が読みとれてくれば、一段と点数を上げたいとおもいました。 (追想)

2024-11-17

はっ!と目覚めさせてもらうのはいいのでしょう。しかしこれが延々と続いて読めるという予測が先に立てば読みきる前にわたしは逃げ出したくなる。とにかくこの調子が長いのでアタマの回路が壊れてくる。ブラジルの国歌よりも長い。笑。 文章のどこかでまた一寝入りさせてほしいのです。 (くだんのために)

2024-11-17

まあ、内容は難しいので読み込めてません。けれど人には人のリズムというものがあって、いきなりラッパを吹いて太鼓がドンドコ響いてくる行進曲というような、朝をゆったりと迎えたい人にはどうにもこうにもこのマーチングバンドには急かされて反発もしたくなる。笑。散文調するとか、はじめちょろちょろ中パッパ。もう少し工夫はできるとおもうのですが、いかんせん、わたしの遠い眼が惚けたアタマも就いて行きたくないと言ってる。笑 (くだんのために)

2024-11-16

↑ あ、もちろんおもしろくて刺激もいただきました。 (はじまりはいつもびぎん)

2024-11-16

BEGINとは「begin the beguine」コール、ポーターによるスタンダードの名曲。はじまりは西インド諸島にあるマルティニーク島に伝わる舞曲ですね。もちろんこの詩とは関係ありません。笑 こころの葛藤から喪失感が言葉によって動きまわる。という点では同じく言葉の舞踏と言えるかも知れない。人の感情というものはその人によって様々な解釈もあり、良いと思って手を差し伸べたことが徒になることもあり、またその逆も。否定の否定はまた肯定でもあり、はじまりのはじまりも同じように終わりのはじまりでもある。という諺を高度に意識したような文章表現方法としてのお遊びでしょうね。 (はじまりはいつもびぎん)

2024-11-15

お若い。という先入観を抜いて読んだとしてもその文体の瑞々しさは伝わるものですが、敢えて言わせてもらえば~あるいは白夜~のあるいは。この接続詞ひとつだけで短詩には致命傷にもなると私は思うのです。白夜だから景色にどう影響があるのか。(私ならばですが、白夜に映し出される薄い影を表現したいかなと)~少し考えれば表現方法はいくらでもあります。 (光について)

2024-11-14

紅井さんがコメントされているように、これは料理と見せかけた言葉の調理方法ですね。言葉を表現によって調理していこう、という彼女との待ち合わせ時刻までの妄想空間。 いわゆる技法的な表現方法として代表的に位置づけられている比喩表現の中にも「暗(隠喩」から「換喩」と「直喩」から「提喩」などもあり、またおなじような表現方法として慣用句があったり擬人化されたりと、考えてみれば普段我々はその多くを意識しないで使っていたりするものです。このテクストを基に個人的に様々な解釈から表現された意味を汲み取り扱われていくこともできるのです。 毛がジョリジョリのマルチーズの犬小屋とはトリマーを要したペットサロンでしょうか?  バッシュの履いた雌牛とは全米プロバスケットチームのシカゴブルズの広告? そのような賑やかな街で停留所で彼女と待ち合わせ。停留所?イタ飯屋かな?ちょっとわからない。 しかし自他ともにシュールリアリストを認める熊倉ミハイ氏。ミハイル、ミサイル。いや、ごめんなさい。毎回楽しむように味なことを仕掛けてきて読み手を苦しめてくれます。いや、愉しませてくれますね。 今回の作品はご本人の意思とはほとんど感激もなく動機はテクストに置かれて読めてきます。つまり、 二度~三度、考えながら意味を汲み取り読んでいけば!あ、そうか、と理解できる仕組みの創作にこしらえてある。ということですね。 ~雲の弱火が青空をこんがり焼くその時まで~ どうぞ陽がおちるまで待ち惚けしてください。 御飯した後は実際お楽しみのランデブーが場所を変えて待っているのでしょうから…  (ランデヴーレシピ)

2024-11-13

↑ ごめんね。漢字にすれば洗う貝なので、洗貝。新じゃない。まあ、どっちでもいい。.アントニオ.ミカエル.メルモsアラガイsなので、 (目覚まし時計は鳴らない)

2024-11-10

妄想から妄想へと巡り更にその妄想が結局どうなるのでしょうか? 妄想によって様々な単語が書き廻らされるのは下の受賞作品「わたくしはそこよりうえにある」とおなじような動機の位置づけだとは思うのですが、違いをひとつ挙げれば、最後まで話者としての現実感に乏しい。という処ではないでしょうか。実際目覚まし時計が鳴らなかったことでどうなるのでしょう? その辺りの語り手が表現されていない、みえてこない。ということだと思います。 (目覚まし時計は鳴らない)

2024-11-10

そんなこんなを考えて書いてるうちはまだ幼くて瑞々しいとも思う。 書ける人はそんなこんなを考えて書いてはいませんよ。考えるだけ無駄でしょう。例えばDとNとAを繋ぐように、あなたがあなたのうちに意味を求めればいい。 (詩の意味)

2024-11-10

例えば、目覚めた朝の朦朧とした時間は、その日邂逅に歩み寄る期待と不安を私たちに与えてしまいます。  なんという曖昧におかれた詩の作りでしょうか。この詩も佐々木ポエムの代名詞でもある、対象として語られる(あなた)との関係性が曖昧な位置に置かれてあります。わたしの中のもう一人の別なわたしなのか。それとも実在としての思いを打ち明ける他者なのか。明確には示されていません。ほとんど場合私は前者だとおもいますけれど。 しかし不思議に浮遊する快感がある。これはできるだけ同類語や間接語、また助詞などの繰り返しに細心の注意が向けられている。その文体の影響も多分に有ると思われます。 作りが曖昧に向けられているので置かれてある単語もこれでなくてもいい。いくらでも当て嵌めることはできるとおもいます。が、しかし何度か読んで気づきました。 この六連からなる詩の作りは五連~六連以外全て文節のあたまに、例えば、~が付随されても読めてくる。 特にこの終わりに向かう五連から六連に流れる朦朧さよ。 朝は脳内を目覚めさせてくれるミント。草花や樹木の葉の香り。柑橘系ならば檸檬でしょうか。 タイトルだけが、例えば、朝で必須になる。 そのような複雑な応えも策略も何もない。力の抜けた作りの詩だと思われるので、ポエムとしてもやはり優を印象付けられてきます。 (例えば、朝)

2024-11-09

対象的な会話として脈筋は読めるのですが、それをどのようにして切り離して読み手がイメージを想起させられるのか。意識する思考と無意識に飛躍する想像を。つまり読み手としての我々の思考が試されているのです。 (術産)

2024-11-09

この方熊倉くんはシュールリアリストだから意味を追い求めては理解できないですよ。私はダリの「ダリブロー.フェイス」に近い無意識の世界観を想起させられる。連想から得られる精神分析的解釈の偏執狂的批評を取り入れたダブルイメージですね。固定観念の崩壊を目指してる。なので読み手によって解釈が異なって当然です。 (術産)

2024-11-09

「桃色哲学」とはおもしろいネーミング。詩も朗読も総体的によくなってますね。 後欲を言えば、後ろの方で棒付きの飴玉しゃぶりつきながら座って眺めてる5~6才くらいの可愛い女の子。ほしいよね。 (桃色哲学)

2024-11-08

片思い。恋とは残酷なもので、未練を寄せて失恋した相手を追いかける。しかし、それを求めれば求めるほどに、その気も失せた相手との距離は離れていくものです。 余談ですが映画「キャスト.アウェイ」主演のトム、ハンクスが海に投げ捨てたバレーボール(ウイルソン社製)がオークションで3500万円の値をつけたそうです。 (水面に浮かぶ果実のように)

2024-11-08

僕は、大蒜という食材がスタミナ増加で殺菌効果もあるので凄く身体に効果的なのはわかるんですが、半欠~一個くらいですね。それが限界です。元々狼の生まれ変わりなのか、胃腸が負けてしまうのです。叫ぶ泣き (みなさま寒くなりました)

2024-11-07

かなしいことですが、この日本という島国は資源国ではないのでどうしても依存する米国の政治状況には影響を受けてしまいますからね。一時、経済大国となんて呼ばれてみても、他国の先進諸国と比較すればこの国の殆どの住民はウサギ小屋の住処で我慢してますね。  悪魔が復活当選しました。これからはもっと暮らし難くなるとおもいます。 (ギリもなく白に近い光)

2024-11-07

連チャンになって書き手の皆さんには申し訳ないが、三明十種さん、また意味深なお名前ですね。笑。人も詩もまっすぐに辿るだけでは面白くないですよね。自分のスタイルを守り通す書き手の方もおられますが、自分にはどうしてもそれができないですね。何れ追い着き追い越してみたい。という野心があるからでしょうね。もう何を考えて書いたのかまったく覚えていない。笑。またこうしてお二方にコメントを付けてもらえるとも思いませんでしたので、感謝です。ありがとうございます。 (ギリもなく白に近い光)

2024-11-05

今晩わ。なんていうか。もうアメリカの大統領選挙の結果が気になって詩なんて手にはつかないのですが、なんで、こんなことを遠くの一平民が気にするのか、わけわかりません。という簡単な前置きですが、どうしても奇妙奇天烈に惹かれます。秋乃 夕陽さんコメントありがとうございます。 (ギリもなく白に近い光)

2024-11-05

中心に置かれた目線から動きがあっていいですね。家庭内闘争が見えてくる様子で、逆に私なんかほのぼのとした実感を感じてきます。タイトルがちょっとお堅いな。横なぐりの雨のように、機敏性のある動作も見えてくるので、何かないのかなあ、と、いう感想も。 (傾奇)

2024-11-05

ああ、イイね。この詩は全文詩に対する思考(試行)についての暗喩に置かれて書かれている。「術産」算術でもなく、どちらかと言えば問答方法によって相手に認識や思想を自覚させようというソクラテスの「産婆術」に近い思考から「術産」と、そのことを捻ってますね。「先生、このリンゴ、いつまで経っても同じ味がするんですよ」と冒頭&終わりに繰り返されている。ということは結論エハ何ひとつ導かれなかった。ということを表している。 グロテスクだ。黒髪さんがそうコメントしているが確かにグロテスクにエロくて、僕の一目置く画家、ヴンダーリッヒの画を眺め見るように奇妙なカタチ構図と書かれていますね。 熊倉くん( くん付けで呼んでもいいかな?私よりもまだずいぶんとお若い気もするので)は味な事をしますね。 岡本太郎や晩年のピカソの画は醜い。あのデフォルメが醜く見えてきますが、それは外形的な美しさを意識しているからで、そう、醜い化け物がいるからこそ美もより一層引き立つように、醜さと美しさは切り離せない関係にある。そういうことを踏まえての、この詩の醜さです。 ああ、素晴らしい。 (術産)

2024-11-05

誰しもわるい詩を書こうと思って書く奴もいることにはいるが、類くん、大前提としてのそれは理解できる。しかし不可能にも刻が進むだけで、その価値は後世の人々が決めることなのです。 (花鏡)

2024-11-03

この詩は使われている難解な語彙からして推論的意味合いを考察してしまうが、それだけに留まらない佳さを感じ取れてきます。この世界を自然界の対象としてみた宇宙感にも読め、それは直線や円運動といった三次元の立体的空間でもあり、限りない無数の計算式による時間や速度といった概念に対する四次元空間への挑戦でもある。  それは形而上学的観点から果ては形而下へと進む人類の思考回路はAiという機械の力を借りて歩みを止めることはない。 その仮説とは物質的な意味合いではまた「仮設」とも呼べることができる。素晴らしいですよ。何度も読み返しに耐えうる作品に仕上がっています。 (仮設)

2024-11-03

何年ぶりかな。久々にこうして読み返してみるとさ、後半部に入る文章の間。  きみの衣装は裸だった。衣装。これがイイね。 照りつける太陽が汗ばむ小麦色の肌と若々しい肉体を補完していてあざやかだ。 (反射光。)

2024-11-02

鷹枕可さんに1票。 我々には誰かが頂点に君臨して尊敬されていなければ国民としてまとまらない。その為にも天皇は必要だ。なんて考えをよく聞きますよ。だからロシアではプーチンも指示されている。しかし考えてみればその重責は本来選ばれた首相が果たすべきで、その頂点に君臨する首相とはよほど国民から尊敬の念は持たれていないようだ。なので現人神として称え祀られた古事記天皇を崇拝する作家や著名文化人は数多くいるが、そのような連中は予め民を哀れなものとして見下し従属支配されて当然だ。などという肉食系野獣たちで、大凡みんな井の中の蛙の糞だと思う。君は真実少し知能の足りないお人が天皇を引き継いだとしても尊敬し従属できるのか?万歳万歳万歳と三唱を唱えて刀を銃砲を撃ち抜けるのだろうか。みんなみんなお目出たい奴らだ。はやくあの世へ逝ってくれとも思う。 (天皇陛下万歳)

2024-11-02

↑ 踊りが意識されているとしても詩に変化は足らないし、ボーカルがバックの打ち込みとあまりにもマッチングし過ぎて、こんなときには思い切ったアレンジを効かせて挑戦してみるのも一考かな、と思った次第なのです。 (成人-個の宇宙化原理)

2024-11-02

:  哲学的な意味合いも込められているわりには歌詞を意識されているので、冒頭から➰ 大人成ると観えてくる➰大人に成るとはなんだろう。そして繰り返される ➰ 彼女は何でも呑み込んでしまう。私の「孤独」さえも➰というスウィートで素直に伝わる言葉たち。ですが、小難しいタイトルにしては書かれてある詩の言葉たちそのものには取り分けて思考の複雑な印象は見られません。ちょっと変化に乏しくて普通に流して読めるので、なんかバックの打ち込みも無理やりアップテンポで繰り返したような印象がして、思っちのだけど、ボーカルはそれなりに格好いいので、バックに流れるリズムを変えてみたらどうだろうか、と思ってもみました。例えばAhex.twin の「QKthr」のような暗鬱とした荘厳さで、とか… (成人-個の宇宙化原理)

2024-11-02

プチプリキュア的なタイトルがいいですね。リアルな書き捨て言葉たちだからこそ胸にくるものがあります。トー横を「溜まり場」としている若者たちが暴力や性犯罪に巻き込まれていく。ニュースで報道されていましたが、学校や社会から弾き出された若者たちが「溜まる」場所なんて地方都市の何処にでもあって、つまりそんな場所には必ずこの若者たちを食い物にしようとする大人たちの魔の手が存在したりするわけで、真面目に普通に社会人や学生として過ごしている人間たちの存在が、対照として浮き彫りにされるわけです。これこそまさに人生をG線上の界隈に見立てれば、その上を歩くのか下で澱んでしまうのかの境界線のようなものでしょう。 格差社会に明暗が渦を巻いている。そんな社会に家庭生活までもが行き詰まる時代。不登校の学生が増してきていますね。それは非常によくわかります。暗い社会現象としてこんなことが続いていると、何れとんでもない指導者に導かれて不満を抱く人々たちが右傾化し、狂犬病のように他国を粗暴し攻撃を始めるヤもしれませんね。ヤバいことですが、この我々を苦しめる不条理性という病の巣を断ち切る術を人類は未だに持ち合わせてはいないのです。 (名美池袋気分)

2024-11-02

あのね、万太郎さんはね、センスがイマイチだな。 どう見ても読んでも化粧をしている人の語りだよね。「石」なんて龍安寺のようなタイトル付けないで「あのネ」せっかくいい文字を冒頭に持ってきてるじゃないのさ。オシッコしたくなってきちゃうわ。 (石)

2024-11-01

ああ、あ~ハロウインなんだね。そっかあ。私を天界へと誘う楽曲/G線上のアリア。これ下手くそな歌い手はともかく歌詞はなかなかいいね。と思います。 (G線上のアリア)

2024-11-01

タイトルがいいな。その土地柄感も伝わってくる。定番な感想になるけど抒情系としては逸品ですね。 (エスチュアリーの背中)

2024-10-30

↑ 笑。よくわからないうちの内容。そうだろう、かな、?と独自性のある思い込みをしてみる。誤読も大事だよ。そう考える思い込みも世界観を耕していくのです。笑。 (渦酔い)

2024-10-30

 我々が貴重な卵の殻を集めているうちに                    海は荒波を砂に失くしていた。  この冒頭の二行からして、この書き物が過去を遡ることで記録(記憶)の衰亡を辿ろうとしているのがわかります。   ~甲板から、風をみつめる~帆~コンパス~クルーたち。 そして回り続ける舵。 何やら大きな帆船の様子で、貿易船を襲うカリブの海を震撼させた海賊どもの夢芝居も浮かんできますが、それを描きながら渦に巻かれる語り手とは何者でしょうか。妙に描かれる廻想が挿話的に逸聞として読めてきます。それも肌質感に過る瞑想のように。 この詩は交錯を念頭に書かれた、荒波の渦に巻かれて消えた冒険者たちの儚い海運の記憶。そのことを描きながらも硬いベットで性交に耽る語り手の男。そう渦酔いとは、まさに歴史が交錯する瞬間の想いに巻き込まれながらセックスに没頭し酔う二人のことなのでありました。 (渦酔い)

2024-10-30

ああ、難しいことをおっしゃる。そういうおつもりでお書きになられたのならば、読み手には客体的な目線も必要になりますよね。語り手という存在感を引き出し、彼(僕)の逸話として入れ子構造的な作りにする。という手もあります。 (雲、にぎってみた)

2024-10-30

手のひらにのせてみたふにゅふにゅ雲。雲にノンちゃん。知らないよね。笑。発見をしたときのような小さな子供たちの大きな驚き。触感的な言葉の響きを対象にして書かれたものとは思うのですが、こういう詩こそ、相手(きみ)の手のひら感覚を対象的に言葉に添えることができたなら触感のイメージはもっと膨らむと思う。 (雲、にぎってみた)

2024-10-28

ニガテ克服号。とはおもしろい発想ですね。号外号外!ということでしょうが、ここに描かれた鈍臭い、あるいは間抜け?というような人物像は愛嬌もあっておもしろいお人柄なのですが、そんな人物が懈怠、なんて難しい言い方するかな?とは懐疑的ですね。他に何か言わせ方はなかったのか?と思って間抜けな私も立ち止まってしまいました。 (ニガテ克服号)

2024-10-26

おもしろいことはおもしろいです。 ~私払います。ハイ、70キロ。←ここの皮肉ですね。もう一捻りほしいかな、と。 例えば私払います。ハイ、「 ? 」に70キロ。誰か有名人の女性の名前がほしいなあ、と。 もちろん、「 」書き込みされた本人に叱られても責任は持てない。笑 (キャベツ)

2024-10-25

これが客観的に見た筆者の本音であるならば作者は非常に弱い精神の持ち主で有ろうと思われる。まあ、詩を書く人間なんてそのほとんどがこうした人たちで在ろうと推察はされます。 わたしは長年に渡る懊悩や精神的な痛みそして肉体的な傷みにも耐えている。精神的肉体的にも強い詩書きだとの自負がある。その一因は先ず持って生まれた素養の下等馬鹿から由来しているのだとも自覚している。なんでも馬鹿が付くほどの性質なのです。なので精神科医にまで掛かるというのが真実わからない。最近は夢ばかりみてよく眠れない。だから一日中身体が怠い。むろん疲れやすい年齢のせいでもある。よく自身の悩み事を打ち明け話のように散文詩として書く人たちを見掛けるが、わたしは初期タイプの携帯から投稿をはじめて、んん十年、悩み事は書いても精神的な罹患者として受け付けたことは一度もありません。 しかし睡眠導入剤はほしい。服用してみたい。 そして、序でにいつでも極楽に召されるよう、安楽死の薬も手にしておきたい老いた孤狼なのではありませんか。などと強気に言って書いてみた。失礼。 (瞑想とエゴ)

2024-10-25

「白鯨」なんか、そのままピークォド号から眺め見たエイハブ船長の呟きみたいだなあ。 (雨の日)

2024-10-25

彼女(おそらく)どなただったか、もう思い出せない。(書く)と(言う)の違いのことで論争になったことがあるんだけれど、これなんか、彼女的に言わせればまさに言うように書き込まれた回想文の語り。シンガーソングライターYUIさんへのオマージュですね。YUIさんよく知らないんだけど、なかなかドラマチックな曲調のようです。 これは綺麗に書かれていますね。詩的にも。まあ、回想文として書かれてあるので、感想としてはそれだけなんですが。この頃(2004~2010)のシンガーソングライターをよく知らないな。何を観て聴いてたんだろう。嵐?かな。笑。泣ける、といえばわたし的にオススメは松崎ナオの「川べりの家」ですね。ドキュメント72timeの主題歌ですね。オヤジ世代にはあのメッセージ性を帯びた歌詞が堪えます。彼女もこのYUIさんと時期は重なる。NHKが取り上げるくれるまで知らなかった。いい曲も知らなければ埋もれてしまう。詩も同じくかな、なんてね。 駄文で申し訳ないです。 (Namidairo(なみだいろ))

2024-10-25

ごめん。勘違いしてた。いつもパラレルパラソルワールドだあ。って言ってるから間違えたよ。べつに異次元世界異空間でもじゃないじゃんコレ。指摘されるまえに気づいてよかった。記憶違いは私も同じく。記憶が交錯して描かれてるんだから、マジカルな趣向だよね。黒にマジックだ。笑。マジック的なリアリズムの描写だよ。語り手の時間差があるだけだ。 (ホイール)

2024-10-24

~そんな夢をみた、そして朝だ。 例えば物語に書かれた小説の中で主人公に言わせるのなら続きがあるので納得できる。詩でこんなオチを着けちゃダメだなあ。なあんだ夢か。になるでしょ ? (新生)

2024-10-24

ティムくん、また陰で悪口叩くなよ。笑 万太郎さんやおまる氏は基本的にはメッセンジャーだね。 それからAOI(Arai)氏は旧字古文を使いこなしているけど彼の詩自体は前衛的だよ。色分け棲み分けってそんなに単純にはいかない。僕だって僕党綺譚。許せるならポエム・ド・メリーで愉しく書いていたいんだよ。 (愛とは、なにか?)

2024-10-23

(・∀・)イイねえ。朗読する言葉なんて耳に入ってこないから変態詩人の動画撮ってその中に一部シーンとして入れてみたいな。詩人たちの日常なんて無茶苦茶な動画撮ったら案外メディアに受けるかも知れないね。朗読流して何人もの詩人たちをつないで見せるんだ。でも、やっぱり有名詩人になるかなあ。いや、演出によっては無名素人たちでもイケる。キャラと背景の問題だ。 (「物語に幼い牙を突き立てろ」朗読 at かめぶっくす)

2024-10-23

昔六文銭という名前のフォークユニットがあった。 その中心にいた小室等というフォークブームの草分け的存在には かの井上陽水も吉田拓郎も慕っている 齢80を越えてまだ活動しているのだろうか 六文銭を揃えて首からぶら下げてみようと思う まだ一文銭ほど足りないのだが (B-REVIEW 10月のお題詩「六文銭」「まちは大騒ぎ」 )

2024-10-23

時間という概念 空間構成 円環 いいところに気づかれたと思うよ。僕も今一度読んでみた。 だね。パラレルワールドだね。記憶のなかのパラレルワールドだ。走馬灯のように巡るだから既視感に抜けてて当然だよ。で、吸収さんが円環的なことを書いてて僕も気づいたんだけど、このホイールはあまりにも時間を超越し過ぎたメリーゴーランドだね。その中心にわたしがいて、わたしの中のきみを眺めてるんだな。だから記憶の中で景色だけが動き回ってる。じゃあなんでタイトルは「メリーゴーランド」にしなかったの?か。たぶん子供目線で終わる遊具を強く意識したくなかったのではないか。と思う。 (ホイール)

2024-10-22

俺が井上和香とやったと思って妬いてるのではないか。ロボのくせして。 (https://note.com/)

2024-10-22

ぺえ太さん、コメントありがとうございます。 お察しのとおり、色をモチーフにタイトルは村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を1mほど意識してみました。絵の具は三原色を混ぜ合わせると黒になるけど、光は白くなる。紛争から乱痴気騒ぎも在りで多極化から二極化されてくる様相な世の中。なんとなくあの19世紀末頃に似ているのでないか、という喚起からいろいろ距離感を空けて言葉に置いてみました。僕が肉体的に大好きな女性言葉に置き換えているのは、女性たちにもっと強くなってもらいたい。という希望と憧れがあるからです。そういう社会が実現するのなら僕は女性たちの奴隷でいい。下僕でいい。男どもオヤジどもよりよっぽどもマシです。ああ僕は抽象的に女性が好き過ぎて却って嫌われてしまうという。悩みの尽きない人生観を送ってきました。ほとほと疲れました。笑 (ギリもなく白に近い光)

2024-10-22

↑ ごめん。抜けた。キャッチーなタイトルでした。 (妹のビッグのデータ)

2024-10-22

これは確かに一つの章を予感させるくらい壮大なイメージが呼び起こされるいいキャッチーなです。 逆に圧縮するように短くされているのだけれど、それならばもう少し家族か妹自身に対してチ、ク、リとさせる言葉がほしいかな、と思いました。 (妹のビッグのデータ)

2024-10-22

紅井ケイさん、コメントありがとうございます。 そうですね。例えば聴力の劣る人は視覚で言葉をイメージできるし。また視覚の弱い人は音で言葉をイメージできる。そのどちらも備わるのが詩としては理想だと思うですが、僕の場合どうしてもビジュアルの方面に向かわせてしまう傾向も強くて、これはやはり文字を扱う日本人として和歌を追求してこなかったのも一因だと感じています。 (ギリもなく白に近い光)

2024-10-22

↑ きみたち二人に対してだよ。 (https://note.com/)

2024-10-22

万太郎さんもそうムキになるなよ。ふざけてるだけだろう。 本当に詩を書いていたいのか?と思ってしまうよ。 (https://note.com/)

2024-10-22

ガラスがお好きですね。佐々木さんは。笑。あの透明なフォルムから透かしてみる感覚。あるいは磨り硝子のようにぼやけた感覚。そして隔たりという感覚でしょうね。 終わりの秀逸に一行に欺かれてしまうところだった。 ということで、もう少し噛みしめて読んでみました。 幾つかのキーワードを覚えるのですが、 ~わたしたちは生きてるだけ死んでる~手がかりのない景色~仄かな爪痕が瞬き海で~etc. このような表現に惑わされて、読み手は困惑してしまう。そう、困惑してしまうような作りに根を翳した詩なのでした。 キーワードは(きみ)それから度々出てくる(ガラスの球根)ですね。あなた「佐々木春」という作者が(きみ)と表現するときには語り手自身と交錯する場合が多いので特に気をつけなければならない。と認知します。笑。 そして~いつか来たこの場所に来たことがあるような気がする~という既視感でしょうか。 私が先のコメントで取り上げた演出表現関わる言葉たちの多さ。これは意味があってまったく無意味だったのだ。笑。つまり語り手の喪失感から想いを巡らせる不在感覚。わたしは過去のきみへと走馬灯のように。 ということたったのですね。 だからいつまでも座って待っているんだ。 この詩には記憶のなかでそんな過去を巡るきみと呼ばれるわたし。全体を覆い尽くす記憶のデジャブ。 宝物のような存在感に置かれた「ガラスの球根」これはモノではなくて実はそんな忘れ去られた「過去の記憶」ガラスという隔たりを置いて思い浮かべた自分自身のことだったのです。 なのでいつまでも経っても現れることはない。 まるで魔法のランド。のような言葉たちの応酬に、やあ、毎回手を焼かされますね。笑。お見事ですよ。 (ホイール)

2024-10-22

要約すれば、子供目線からみた大きな人間、はやく大人に成りたいわたし。あの立ち上がる入道雲のように~ってことでしょう。 お弟子さんが既視感を感じる。と評されているのは私も同じで、身体的な動きばかり追い続けて見た印象を思考的に抽象化して流している。なので印象としての余韻は少ない。入道雲。もう少し生活体験からの具体的な描写でもあればな、と思ってしまう。 (入道雲)

2024-10-20

~近づいた。少年言葉で繰り返される。これがうざったいので跳ばしていたが、二度じっくりと鑑賞してみると良さがわかった。 循環。置き換えられているのは語り手の人生観。大まかに云えば僕の人生は他人に操られ自分を殺して、結局帰るるべきところにはなにひとつ帰れなかった。という自省心ですね。少年言葉が効いてるのだな。けっこう考えられていて(・∀・)イイですよ。コレ。 (循環)

2024-10-20

きみ、おもしろいこと言うね。以前僕が田中宏輔氏に言った言葉と同じだ。気に入ったよ。 (ホイール)

2024-10-20

その真面目さがどこまで仮面を被っているのかはわからない。 動画に書き込まれる詩との段差。 しかし、これくらい認知能力に長けた文章を読まされると意識高低差の激しい人物だなあ。と感じますが、(・∀・)イイんですよね。個性とはそういうもんだ。 (人間として鋭いか? 動物として鋭いか?)

2024-10-19

やわらかな日々に  タイトルを照らし合わせて考えてみた場合、改行も途切れ途切れで、モノでごちゃごちゃして読みづらい印象ですね。 やわらかな日々、このようなタイトルで、物語る外景やモノに置き換えられ逆に硬くソリッドな印象で言葉を操るのならば、やはり内面性で勝負を挑んでほしいとは思います。つまり硬く重苦しいこころのうちにですね。これがやわらかな印象で書かれるのならば、このような途切れた改行の文体ではやはり結びつきにくいと感じます。 (やわらかな日々に)

2024-10-19

この詩は短いけど(・∀・)イイですね。 僕は明日ではなくて朝日の仕様に大きな余裕を感じる。空から対象を見下ろした者。 一括りに云えば、選挙に行こうよ。そして、ちゃんと考えて投票しろよな、おまえら…ってことでしょうね。 ここまで比喩を駆使して外形に内声を跳ばして扱える方はそれ相当な熟達者だと感じます。 (?)

2024-10-19

読者にエナジー、ではなくてオナニーを幇助させるマスターベーション的なポエム。笑  なんとなくわかりますよ。 ぺえ太さん。ですがね、たぶんこの方はたぶんそれ相当のお歳で(ごめん。感じです)詩歴自体はそれほど長くない様子に書かれていましたが、何か、他の分野での芸術には携わっておられたか、着眼点のあった方だとは感じられますね。全体的に内面を通して抉るようなソリッドな書き方をされておられる。 現代詩フォーラムで(あらい)さんの詩を見て読んでみてください。文章力が無いというのは少し早計だと私は思いますよ。 (おもえば、わたし。うつわにしづか)

2024-10-19

機械人間だろうか。ナオ。この詩はナンセンスにもユーモアがあって変なインパクトがアタマに残りますね。おもしろい詩だ。 (ナオとプーさん)

2024-10-19

器に閑      さて思考を奪うペンがひび割れた  十三篇の休符が                            ゆるやかに昇る 陶器がひび割れた。金継ぎのような技法でしょうか? あれは漆で繋ぐものですよね。 一度書き込まれていた詩文をできるだけ意識しないようにつないでみる。 ちゃんと書き込まれた物語性を匂わす文章もあれば、対話に即した文もある。 まさしく快刀乱麻支離滅裂とはこの事で、肝にわるいなあ 笑 ていうか、読み手がこれを何に置き換えてイメージできるのか、の実験のようなものでしょうね。 なので、わたしこと猿メはこの作品の作者を本阿弥光悦略して「 私/元々陽の芽を浴びなかった詩文を器に見立て、「静」と銘々された赤楽茶碗で酒を飲み干しては何枚もの和紙を破いては破棄している。このAOI氏の姿を縁側で眺めているのじゃと…。 (おもえば、わたし。うつわにしづか)

2024-10-18

なんか、こっちまで可笑しくなりそうだ。笑。誰か、ソシュールでも持ち出して、理論立てて説明してやってくれ。と思ってしまう。 (願わくは)

2024-10-17

勘違いされてよくわからないことをおっしゃってる。例えば独白なんて言う形式も語りかけるように言う詩ですよ。言う、も言葉として書かれれば詩にも成り得てそれは既に書き言葉なのです。 (願わくは)

2024-10-17

例えば音ですね。録音でもしない限り残らない。もちろん残響としては残るでしょう。しかし言葉たちは違う。一度書き込まれてしまえばそれは記録として残る。即興的に詠んだ詩を残してみようと思われたのでしょうか?言う、という行為には実在(リアル)としての時空が在り、そのような発語を書き残してしまえばそれはもう過去になりますよね。なので、書き言葉はあくまでも書き言葉なのです。 (願わくは)

2024-10-17

佐々木春さんの佳い点は、壺の中に溢れたご自身のイメージを泉に少しづつ垂らしていく。そのような意図がはっきりと読めるので色々と書き込まれてある多くの言葉たちも苦にはならない。もう少し読んでみます。 (ホイール)

2024-10-17

いいですね。ホイール。ホイールと言えば僕もイカしたお気に入りのホイールをクルマに付けて奔らせてる。モノとして言うならば、車輪。歯車の回転をタイヤに伝える役目がありますが、ここでは人生に置き換えられている。待てども暮らせども会えない相手(きみは)でしょうか。これだけ演出的な効果としての単語(言葉)が必要なのか、と思ってしまうが、必要なのでしょうね。イメージとして。 さあ~と眼を通しただけなので、また読み砕いて味わってみます。 大まかな印象としてこの演出効果は舞台芸術を思わせてしまう。 そう、あの不条理劇としての代表作。「ゴドーを待ちながら」S.ベケットですね。 ついぞや目的も叶わず永遠に回り続けるホイール。とはおそらく人生のことでしょう。 (ホイール)

2024-10-17

当初映画か書籍か、何かあたまに残るものが下地にあるのかな、と思っていたら、~無人のまま、錆びた馬が上へ下へ~ と感覚的に実際光景として観たことのあるような描き方ですね。この夢遊する解離感覚はなんだろう。 2020年8月31日。豊島園が閉館しましたね。入場者の減少から各地で既に遊園地は閉館が続いています。 あたまのなかで回想を浮かべている。そんな寂しさ侘しさを綴った詩だと思いました。 (遊園地)

2024-10-16

哀しい物語を伝えようとするときには、逆にこれくらいの文節で改行されて軽く伝えられたほうが逆に受けて側にはより深く伝わりますよね。特に死が意識された哀しい歌。たいていはそのようなハーモニーで歌われる。その辺りもよく心得た作者だと思う。 (去年カラオケボックスで)

2024-10-16

まん、太郎さん、朝早くから拝見いたしました。それで、ですね。お弟子さんのことが取り上げられてましたが、彼の間(魔、とも言える)は絶命ですよ。絶妙かな。あの熊倉某佐々木くんへの発言で、僕は認めちゃいましたね。彼らをライバルに視する~叩いておく~とか叩いておくとかの意地悪な発言の中にもユーモアが見て取れるのです。だから反感を買わない。お弟子さん。たぶん彼は詩を書けない、じゃなくて、書かないでしょうね。間が邪魔をしてコントになってしまうでしょう。これは駄洒落好きな私にもよくわかります。 それで、 で、この動画コントですが、はっきり言わせてもらいますが(むろん僕個人の意見です) 万、太郎さんのコント少し笑えた。でも大部分笑えなかった。たぶんショートコント書かせたら僕のほうが面白いモノ書けると思うし、(旧)室町さん(takoyo氏?)他に面白いモノ書ける人は幾らでもいると思う。 万、太郎さん、芸人よりもDJ向きだな。根が真面目でしょう?あなたは。芸人も根は真面目で照れ屋な人が多いとは思うのだけれど、あなたはたぶん大きながつく真面目なお人にお見受けできる印象です。だから芸人願望なんて諦めてDJパーソナリティか、喫茶店のマスターにでもお成りになったほうが似合う。と私は推察するが……はっきり言ってわたし、人を見る眼が無いので、あなたのお好きに思うようにしてください。応援はしますよ。お近づきになってしまった。のだから。      敬具 (面白人を自称せし人へ! ユーモアとは、なにか?)

2024-10-16

返信で「書いた」と「言った」の違いのような解答を書かれていましたね。読んでなかったのですが、「書く」と「言う」の違い。しかし同じ書くという行為に於いて、言う、とはどのような思考(試行)でお書きになったのでしょうか?例えばナレーションのような詠みをまたは日記を念頭に、とか…?   でもですね。同じ詩を書くという行為に於いては「書く」も「言う」にも表現としての違いはみられないはずで、それをもしも意識的に書かれたとするならば、それは単なる「雑記」或いは「日記」として読まれなければならなくなってしまう。この論評は間違っているでしょうか? (願わくは)

2024-10-16

文中から引き出したタイトルといい、わりに淡々と書かれてあるな。と思えるのは試行にみるそれですか。ならば納得できます。 (願わくは)

2024-10-16

~丸い、カスタード色 こだま、だ 。? ですね。 冒頭をやや正確に読み取れば、この詩の背景はそんなに爽やかなものではないですね。 ~こめかみの骨や手先がぴりぴりして~牛や肉体など引き連れずに~ 上空という空間を風船に見立てて息を吹き込むとこだまして手を離すと音が飛んでゆく。とは、まるで、風神雷神図の絵柄を浮かべてしまう。こだまと言えば「金子みすゞ」ですね。普通に解釈しても音の反響なので、これは意味的には不可解なのです。 ~うねりだ。うねりが来るぞ! なんて作品も目にしましたが、あれなどはまさにハルマゲドンを象徴するかのような不穏の予感が意識される。 この作品もやり過ごして詠まれる作品には書かれていないですね。 木の根っ子のように意味合いは底が深い。 ことだま(言霊) どちらかと云えば霊に近い。 反響し霊魂でも漂うような不気味サヲかんじます。が、もう少し直ぐに反応するような言葉のイメージを足してもほしかったかな。 (ある男の子の歌声)

2024-10-16

日常の光景を読み取った詩で澱みなく綺麗に書かれています。 特に~陽に映えた古いブルージーンズのような色をしている。ここの表現はまさに遠近感を空に感じるいい表現だと思いますが、 後半部にさしかかる~私の行き先は行かないバスが来てやり過ごす。ここが緩くなってしまった。~行き先は行かない~行かないではなくて、~辿り着かないバスが来て~か、何かでしょうね。 その情景を描こうとしている作りの詩なのですが、全体的に変化に乏しくて、思う祖父母、父母へのイメージが薄く感じられます。 後半部、  ~  どこへ、  それはいつもたいした違いはなく~ その想いを頂点に据えるとするならばこの後くらいに一行でしょうか。 何か身近な光景で想い出す掌(たなごころ)を比喩にでもされ展開表現としてインパクトに置いてみる。というのも有りかな、とは感じます。 (願わくは)

2024-10-16

この詩は刹那というよりも絶望的な思考で暗闇に閉じ込められて死を待つばかりの印象で終えてしまっている。光は、小さな希望も見えてこないのだろうか。だとしたら生きる意味はない。先のある人生でこのような悲壮な世界観だけで詩人が終えてしまっては、ああ、きみたちは馬鹿者だ。とも呼べない。 (生命罪)

2024-10-14

SEKAI NO OWARIかと思っちゃうね。ノリもボーカルも最高なんだけど、良すぎてコメントしづらいのかな。欲を言えば、言えば、歌詞としてはけっこう過激に書かれてあるので、三連の終わり頃かな。やっぱり夢幻の花園。転調は欲しいと思いました。でも難しいよね。どんなコード進行に切り換えるのか、メロにリズム感を落とすのか。ここは作者の才能が問われるところだと感じますが、まあ、これでもマイナーな舞台くらいなら立てる。そんな感じですかね。よかったですよ。 (Gene)

2024-10-14

突然の空襲警報に眼が覚めた 眼は開いたが俺は起きようもはしない 外では車の走り去る騒音に人々の悲鳴が聞こえている 小さな振動が伝わりその後大きな爆音が耳元に鳴り響いてきた 一瞬地震かと筋肉が硬直したが、揺れはその一撃で収まっていた けたたましく救急車のサイレンが街を覆う 何やら事が起こった様子だが 眼を開けたまま俺は起きることを躊躇っていた 悲鳴はさらに大きく渦を巻き上げ ドスン、という衝撃の音に隣の外壁は崩れているらしい 仰向けの俺の身体がいま小さく跳ねたよ すぐに強烈な爆風が唸り声を挙げやってきて 俺は二階ごと地面に倒れ落ちていくのだと思った 部屋の周囲からパチパチと火の粉が燃えついた気配だ 身体中のあちこちが部屋の温度で次第に熱くなりはじめる 既にサイレンは鳴り止んでいた どうやら待ち望んだ地獄のダンスが現実に始まった、 様子だ 真っ赤な閃光を帯びた窓ガラスはまだ見えてこない 精神まで焼き付くされた天使の静寂が街に落ちてきた、らしい        あれ?今日は何月の何日だっけ 皮よ、肉よ、骨よ、燃え尽きのならはやく燃え尽きてくれ 暗い炉の中でそう思っていた あああああ、これで俺は楽になれる                なるように なったのよ           小鳥たちの囁きが聞こえる (B-REVIEW 10月のお題詩「六文銭」「まちは大騒ぎ」 )

2024-10-13

時祭。時祭りと云えば時代祭り。平安神宮創建、平安遷都1100年を記念して始まるのですが、まさか時代イヴのことじゃないよね? このタイトルは語り手がその時代次代の時空を彷徨う様に刻の歳月も意識されて読めてくる。佳き詩文じゃとて、わらわは思うのじゃが、一聯にみられる、孤寒なわたくし~あの雲はわたくしの~この聯だけわたくし表記にまるで天上の巫女と化してあるのじゃが、わらわはあまり効いてないように身受けられて小酔うぞ。 自らを指して詠まないほうが良いように感じます。 (時祭)

2024-10-13

らりるれろさん? ひょっとしてるるりらさん、ではないのかしらね。だとしたらこれら選語といい、ずいぶんと言葉に切れ味が生じて読めてきています。が、他の方なら申し訳ないのだが、感想は変わりません。選語に切れ味がある。 (光れども。)

2024-10-13

ライティングだけを取り上げてみれば (逆説)エクリチュールの仮面  ということなので、隠された隠喩。作者為りに第三者の立場から印象にみた解析の示唆を提示してみた。とも云えるものでしょうか?当然こちらのほうが読みきれやすいし、何しろ文体形式も格好いい。こちらは取り上げるべきでしょうね。よくわからないがわからないままに読ませる力を感じます。 投稿に値する作品だと思う。この作品はひょっとしたら笑、大きな他サイト(現代詩人会)にも投稿されて反応を確かめられてみては如何か、とも思う。 (自称老執事の眼球)

2024-10-13

男なら「みちのくひとり旅」女性はやっぱり二人旅なんですね。 明石さんま師匠の前で歌唱しはったら受けるんちゃいますか? 万、太郎さんよりも一足先にメジャーでっせ!万歳! (松山おんな二人旅)

2024-10-13

何故わたし自身大嫌いなこの連帯感という認識を持ち出すのかと云えば、それはこの国の将来は昏く絶望的にも感じるからである。その理由はよく言われるように何も少子高齢化社会というだけではなく、政治を中心とした行政の在り方というシステム自体に信認が持てないからである。 生まれてずっと住み続けているわたしの小さな都市でも入れ替わりは激しく、しかも新しく越して来た家族たちの顔ぶれは二件も離れるとほとんど馴染みがない。顔を合わせても挨拶すらもしない。そのような若い夫婦家族連れが多く暮らしている。自治会などは名前で在籍しているだけで、わたしが独り身だとか色々理由もあって順番制の班長をするだけで今まで行事にはまったく参加していない。というか、情けないことにそもそもこの生まれ育った街自体に愛着を持てないからなのである。 今日のサラリーマンは日頃より鬱陶しい社会生活のストレスを溜め込んで働いている。そんな中で他人の世話を焼くという煩わしい人間関係を取るよりも、まだ家族単位という枠の中で孤立したほうがいいのだろう。何故このような結びつきの弱い地域社会になってしまうのか。と、基を考えれば働いている会社組織の人間関係自体に愛着のある連帯感が持てないのではないだろうか。従業員100人を超える中小企業から大きな会社にはそのほとんどに労働組合は存在しているのだろう。しかし今日の組合組織力の低下を、ストライキも打てない状況を見ればその連帯感の弱さは一目瞭然である。何故そのように組合の組織力が弱くなかったのかと云えば、どの政権時代だろうか既に忘れてしまったが、あの国鉄の分割民営化に始まる労働組合潰しによる影響が拡大して尾を引きずりながら、その結果政府与党の思惑どおりに国政という立場から第一野党勢力の力をそぎ落とすのに成功したのである。~云々~あ~眠たい。疲れました。また今度(笑) (我慢知らず大国ニッポン)

2024-10-12

そうだね、能動的というよりも受動的な我慢強さ、という点に於いてかな。わたしもですが、日本人は寂しさにけっこう耐えていける。そのような我慢強さを強いられてきた。という点かな。孤独な老人が多いですよね。あの付き合いを避ける気質は外国人の方には理解できないでしょう。まあ、大陸と島国という地域的な差も関係しているのかも知れない。というよりも家族親子関係が次第に遠くなっている気もする。あれは早くから親元を離れていく離れ去るを得ない生活の基盤とウサギ小屋と言われる日本の住宅事情にも関係があるのかもしれない。  この厳しい災害事情を考慮すれば防災国防の備えという観点からも1~2年間くらいの訓練を若者たちに強いるのも私は「有り」だとは思う。能動的という意味ではこの共同訓練というのは若者たちに肉体はもとより精神的な強さを協調性を植え付けるのは間違いないと考えます。 (我慢知らず大国ニッポン)

2024-10-12

追記。 肝心なことを書き忘れていますね。 我慢知らずの日本人。いえ、私は日本人ほど我慢強くて忍耐強くて、そのことが却って外国人の方からみればこころに余裕が無い。ジョークを認めユーモアに溢れ、もっと大らかに物事を判断できないのだろうか?とも見られがちで、これは戦後続いてきた学歴重視の肩書きとか趣向主義宗教といった組織による派閥の天下りやコネによる利害関係が齎した弊害で、それは同じく偏向的社会性も強いお隣の韓国などの文化/Kpop.今日のポピュリズムの台頭を見ればそう云えるのではないでしょうか。 (我慢知らず大国ニッポン)

2024-10-11

批判的な意見をされてどのように受け取るのかは人それぞれですが、わたしの経験から大きく分けて幾つかに絞られると思う。まず感情的にキレて皮肉で返してくる人がいる。自信を砕かれたと思ったのか、思いあたる節を突かれおちょぐられたと思ったのか、反動的に感情が優先してしまう人。こういうタイプの人には女性の方に該当することが多くみられるようです。 それから内心はわからないままに否定的な感想批評ならばまったく拒否してしまう書き手のタイプ。周囲を意識してなのか過剰にポーズを取りたがる自信家に多くみられる傾向ですね。それから、これもまた内心はわからないままに自分で自信の無さを卑下をしてしまうタイプ。こういう書き手の方はやはりナルシストが多い。傾向としてはすぐに死にたくなるとか、自分はこころが病んでいるとか、自分の内面の弱さを晒して相手から同情を引き出したいという。もっとも詩人に多いタイプのお人がこれに該当するのだろう。とは思います。   そしてもっとも手に負えないのが万太郎さん、あなたのようなタイプの作家志望の方で、自己顕示欲から喧伝心も強くて一方ではその自信過剰な自分に自己撞着の矛盾を抱えておられるタイプの方ですね。こういうお人は相手の批判的意見は一応受けつけましょう。と口では言いながら内心はまったく受けつけてはいない。いや、寧ろはじめから批判的意見など受けつけない。と決めておられる自信過剰なタイプに多い。なので一旦批判を被れば相手の意見との相違を論考で解決しようとはせずに、自分の過去の功績、栄誉とか成績だとか勲章を持ち出して相手を屈伏にかかるのです。こういう過去に囚われたお人は何も詩人だけとは限りませんよね。多くはその分野で名を残してきた人に多い。しかしそういう過去に拘り続けている方には成長の痕跡はみられない。このようなタイプには天才肌のお人も多く、実際わたしもよく知っている書き手の方がおられるが、いまではずいぶんと大らかに受け入れられる姿になっておられる様子です。 個性的な見方をすれば自信過剰とは才能にもつながるので良くない。とは一概には言えないのでしょう。この叙述を拝見すれば高慢な思考にも読めてきます。それが単なる読み手を意識したパフォーマンスであるのか、本心からなのか受け取る側は推察するしかない。 しかしこの動画に上がる~さくらさくらの歌。単調なメロディはいいとしても、歌詞はあまりにも未熟過ぎて素人臭くて成っていないと思われる。その背景に浮かぶ情景がまったく思いあたらないのです。 (我慢知らず大国ニッポン)

2024-10-11

~だって何処にも辿り着かないのに迷ういみがあるのか?意味が無いのならそれは迷っていると言えるのか。 物語を形作るプロセスをプロットして分けた場合には起承転結などという構成要素があります。このことはあくまでも我々が目にする段落としての一部分である章のようなもので真実辿り着いてしまうものなどありませんよ。もしも辿り着いてしまうとすればそれはわたしが人生を終えるときでしょう。辿り着かないからこそ迷う意味はあるのです。 わたしからみれば吸収さんの考えには少し誤解が生じているようにも身受けられる。 ~文学はそもそも支配を受けてるんだけど、如何にしてその支配から逃れるのか~ このことは作者が背景に提示する思考や思想のことをおっしゃっているのだと思うが、我々読み手ははじめから支配されていると意識して読んでいるつもりもなくて、いや、寧ろ支配されたいと願ってよむのですが、先にも述べたように辿り着くものなんて何も無くて、読んでよかったと思う作品ならばそこには感動としての意味があるだけで、べつにはじめから意味を求めて読んでいる訳でもなく、刺激的でもなく感動もしない、つまらないので無意味だった。とわたしが思うだけで、そこに意味を見出すのか、それとも無意味で終えてしまうのかも人それぞれで、結局詩人とは迷い続ける為に存在もしている生きもののように思えてならないのです。 (ハーメルン)

2024-10-11

僕もSF映画は好きなのでよく観ますがちょっとニヤリと笑みがこぼれますね。としょかんのとしょかん「図書館の図書館」。?なんでひらがなに置かれたのかな?って思えば単に図書館という場所を特定させたくなかったのだろうと推測してみます。「重力の涙」このことはおまるくんも指摘している重力波のことでしょうね。重力波といえば世界ではじめて検出したのは物理学者のキープ、ソーン。この人が関わった映画で有名なのが、そう、まさにこの作品の素になっている「インターステラー」ですね。だからこの映画を観ている人にはすぐにピンときちゃうとおもいますよ。この作品でも置かれている僕は多次元(パラレル)世界へ迷い込んでしまったわけですから。  でも、どうでしょうね。細やかに表現されているとは思うのですが、いまいちインパクトに迫ってこない。それは重力波によって(そこがブラックホールか素粒子の波か何なのかさえわからない)その存在すらもはっきりとしない実体(虚体、超現象?)に置かれた僕が、別次元の中から元の三次元世界を見つめて動き廻る様子でしか表されていないからかな、とも思ってしまう。もう少し向こう側(三次元)の動きや様子も描いてほしかったかなと。何せ冒頭からいきなり主人公の僕は異次元にハマり込んでしまってるわけだから。そんな印象ですかね。 (としょかんのとしょかん)

2024-10-10

なかには汚ッねえな~って思うのもあるけど、半分くらいは刺激的で唸りました。面白かった。どの句がどうだといちいち取り上げませんが、これだけ上げて半分なら上出来だとおもいますよ。フックとかよく言われけど、野球に喩えるならカーブ。ゴルフならドローでしょうか。曲げてタイミングを外す効果ですかね。そしてシュート。フェードヒッター。これは抉るような切り返し。たまにエッジを効かせたフォークなんてのもお得意ですね。もうその辺りの言葉を操るセンスは習得されておられる。と私はみているので、あなたの作品を読む眼は厳しくなるとおもいます。頑張ってください。 (自選 口語詩句集1)

2024-10-10

黄色い顔というからには喩えは日本人でしょうが、このバナナ(実は野菜らしい)という果物に少しだけ揶揄を込めて言葉にして捻ればこれくらいスンナリと入ってくる読み切れる、の詩は容易いでしょう。だけの感想なので、そういうことも踏まえてお作りになったのでしょうね。 (バナナ)

2024-10-09

このカタカナの学名がスンナリと言い熟せる人たちといえば、若かりしころのNHK元アナのタマネギおばさんか、古舘伊知郎くらいでしょうか? 若い女性アナたち、こちらの、万、太郎さんにも動画でスンナリと発音できるのでしょうか、読ませてみたいですね。 ワタくし、保守派とかリベラルとか関係ありませんが、知らない外国人の方が近くをウロつくようになれば一応外壁廻りには気をつけてみます。麦畑はなくてもお花畑があるのです。おもしろい発想にセンスのよさは流石だな、と思いました。 (麦畑)

2024-10-09

君想う僕で語られるポエジーで、特に女性に受けそうな優しい言葉使いもいいのですが、タイトルがね。雰囲気を壊してますね。何か形容動詞を働かせて置くべきではないのかな、って思うわけです。 (寒暖差)

2024-10-09

さあ~と一~二度眼を通したのですが、長いので読み切れているのか自信はありません。ただ内容的には自分を見据えてよく書かれている。その書き上げた集中力には高く評価もできると思います。 書かれてある内容は自我への欲求でもあり、つまり自己としての再確認を語らしめる。ときには己が代理人として、または姿見を変えて、客観的に自己を振り返る。見つめ直してみる。というのは私小説作家のみならず創作家としての醍醐味で、特にドストエフスキーや夏目漱石などはその点優れた書き手だと思います。この独白調子におかれる散文体の中にも、特に「 ~ 」の中の記述などはそうした創作意図も伺えてきますが、さて、どうでしょうね。長い構成を考えればもう少し省かれる部分はあってもよさそうにも感じます。 詩人で思想家の吉本隆明は芸術の根本を成す要素として、一に韻律、二に選択、三に転換、四番目には喩だと評している。このことは何処かで何方かも書いてましたが、ともすれば単調に成りやすい長い散文体の書きもの。扱いは容易いが実は読ませるには非常に難しく、この吉本が言う要素には気を使うべきかな、と私も納得しています。 現にこのように吐露的な、というか常に(俺)を主体にして独白調子の構成で書き込まれている書き手の方を知っていますが、その方は自分の小節(こぶし)のように我が物とされておられて、その一本調子な韻律の中にも巧みな表現が組み合わされているので、最後まで苦にならずに読めきれるのです。 そういう意味では、この作品は先に挙げた一~四までの各要素がどれも中途半端に読めてきて、読み切る前に眼が離れていきそうにもなる。習作。そのあたりが課題だと私は感じましたが。 (習作)

2024-10-08

? ではどのようなイメージでお書きになったものなのか、わかりやすく説明していたたけますか? (極楽トンボ)

2024-10-08

根拠のない自信を持つことだ。おまるくん、それは単なる阿呆だということで、子供たちを騙そうって魂胆かな?根拠のない揶揄や皮肉はいい加減に辞めたまえよ。明るい詩人が屁をこぐだけだ。 (花鏡)

2024-10-07

物事には表と裏があり、その物語が成立するのにもプロセスがあります。極楽トンボと題されてどのようなイメージを持つのか。そのイメージのままに書かれていますが、先に述べたように物事には表と裏があり、そのことを読み取るのが文芸の味わいでもあり楽しみ方でもある。主体が人物として書かれるのならば詩も同じことですね。そのまま極楽トンボの外装として言葉に書かれるだけならば、その内容を超える文脈文体としてのおもしろさで書かれるべきだとおもうが、それが垣間見れないのです。 (極楽トンボ)

2024-10-07

この詩は#洗濯 千原千住~#真っ白 早川かこ。この敢えて人名を取り上げたことが詩にほどなくインパクトを与えていて、けっして衒いのように映らないのは、この訳はわからないが名前が服に付けてあるタグのような役目を果たしているからでしょうね。さりげなく読み過ごされているからです。ともすればインパクトのある人名を用いてそれでいて衒いを感じずさりげなくやり過ごすことができる。そのセンスもいいのです。反意図的な仕様としても参考となる立派な拵え方ですよ。 (洗濯の詩)

2024-10-07

そのとおりだがこれほど難しいことはない。詩は精神的解脱を試みる超越者が想像やイメージに囚われることなく対象としての省察もしない、虚無者として心理作用に影響を及ぼすヨーガや坐禅の瞑想とは異なるからだ。詩とは動きがあり、常に生の状態で書き込まれる。意識するにせよしないにせよ、感覚というものに作用を働かせる事が重要になる。つまり佳い詩を書こうと試みるならば佳い詩を書こうと思う。その意識は当然の事ながら大事で、その意識が働く心理状態を自己の側面から外面の言語化へと超越して見せればいいのだ。 (花鏡)

2024-10-07

眠くて、ノンアルコールで酔って、自分で何を書いてるのかもわからなくなってきて、脳は夢と現実の麻痺状態におかれ、このまま指先で書き込めばご主人様の意味有り気な言葉たちも自動手記になる。ご主人様(読み手)、つまりそういうことでしょう。* . (自称老執事の眼球)

2024-10-07

ということで、雨に打たれお風呂で汗を流し、ノンアルコールに小分けの惣菜を啄みながら書いてます。ああ、疲れた。またMLBは録画になりそうです。これを書き上げて少ししたら眠りがくるでしょう。今日は隙間ヘルメットだったので直接雨に打たれると何故か眼が痛くて、痛くて、あ、そうか、この詩のタイトルは「自称老執事の眼球」でしたね。なんで自称なんだろう。このタイトルが少しは読み解く鍵になるのかも知れない。自称ということは自分が思っているだけだ、ということで、この自称という言葉は知ってのとおり詩人の前によく付けられますね。自称詩人だ。とか。そして老執事の眼球。老人で執事とくれば当然眼は良くないでしょう。常に眼鏡を装着しているお人かも知れない。と想像してみたところ、どうやらこのことは作者自身を指して付けられたタイトルに思えてくる。つまり先のわたしの記述を重ねて考えてみれば、この無意識に置かれた言葉たちを読み取ろうなどとおもわないことだ。何故ならこれは視力も乏しい老人が、ちょっとイカレタ主人の言葉をそのまま手記に書きとめた言葉たちで、読み解けば非常に危険な言葉になるだろう。これが無意味な詩というもので括るのであるならば… 結局言葉のひとつひとつを取り上げてみても意味あるもの。無意味なものなどという規定はなく、それは我々の解釈ひとつで言葉や文の意味内容などはいくらでも変わり得るのだという。翻訳者には翻訳者独自の独立した視点の解釈がある。どうかこのわたしの意図を汲み取ってくれetc.… ああ眠たくなってきました。また次の機会にでも… (自称老執事の眼球)

2024-10-07

いいですね。これはダリの絵画にみられるような超現実的なの無意識性が意識的に言葉によって書き込まれてていますが、いくらでも変容する。というこの曖昧な捉え方では抽象的なイメージが根底にはあるのでしょうね。フェイク画像成らぬフェイク言葉たちだ。そのことは今日のSNSで見られるような模造。つまり眼の錯覚が及ぼす原因が大きいのです。舞台装置に見られるような仕掛けです。重たい、硬い石だと思っていたモノが実は発泡スチロールに描き込まれていただけだった。という様な。そのような記憶の固執が作り出す夢と現実の時間の歪み。硬柔によるダブルスタンダードなイメージですかね。しかし、この作品はあくまでも言葉によるイメージなので、やはり根底にみえてくるのは曖昧な抽象的現象なのです。ちょっと時間がないのでまた後ほど… (自称老執事の眼球)

2024-10-07

あ、Voicechangerという手もありますよね。 (毛が生えた人にえんど)

2024-10-06

笑、えなかったですね。これは筆者の地声のせいだと思う。20歳を過ぎたお姉さんですよね。?。完備くんと違って声がもう可愛くはないのです。6~7歳くらいの子供たちに向けて書いてもいるのでしょうから、例えば少女アニメキャラのキャンキャンな声質か、実際に5~6歳くらいの少女か男の子に朗読させたなら、ずいぶんと印象は変わると思いました。 (毛が生えた人にえんど)

2024-10-06

なんでもかんでも数合わせに女性を登用すれば佳いような風潮には私も反対である。 しかし読めば難しい語彙を使って終わりは女性蔑視とも受け取れる風に書かれているが、冒頭など殊更ちんぷんかんぷんである。何が言いたいのかわからない。 (美の世界)

2024-10-06

田中さんは詩集も数多く出している。そろそろH氏賞の候補くらい上がっていいはずだと、例えば「陽の埋葬」とか。そう思ってるあなたのファンは少なからずいると思う。まあ、賞とかはべつに気になさらなくとも何れは陽の目を見るでしょうね。腐らずに時期を待つことでしょう。 (いますこし、あなたの木陰に)

2024-10-06

この場に熊倉くんや佐々木君が居ないことが何よりの救済だ。←キミおもしろいこと言うね。山嵐のようだが、気にいったよ。しかしいい加減にしないと万太郎さんも切れたら雪洞。まあ、相手にはしないだろう。彼はプロなのだ。 (ふうせん)

2024-10-06

訂正。余分というよりも書き方の問題ですね。きみの(心)と(本当)の(言葉)だったというのが重なり合うと、読み手には却って押し感も増してきてよけいに力んだ印象が残ってしまう。ということかな。そうですね。要らないということはない。この辺り私の解釈は雑に通り過ごしていましたね。申し訳ない。 (九月の夕立ち)

2024-10-05

~そこから生えている蘖(ひこばえ)に全身を擦りつけたい。ああ、そうかもやしとも読めるんだ。だいたいひこばえなんてこの歳になってはじめて読んだよ。まだお若いはずなのに学識がある方だなあ。とか思った。この蘖(ひこばえ)の使用がいいですね。おじさんおばさんにはグッと近づけるでしょう。まだお若い書き手だとおもえばこの情緒豊かで素直な文章は好印象ですね。 でも最後の一行だけは余分に思えました。書き足すならば空を見上げるとか自然を比喩させたほうが余韻は残るような気もします。私ならばです。 (九月の夕立ち)

2024-10-05

ゴメンナサイ。メチャナンセンスなので、といって大笑いするほどでもなくて、よくわからないので、作品とはあまり関係のないコメントをさせていただきますが、パンパカパーン~とかミナレテル~エモキユフグレ?この訳のわからない呪文のようなカタカナの発語から万太郎クンの影響がチラホラ伺い知れてきて、ああ、個性ってヤッパ大事だな。ナンダカンタアンドレカンドレ。これは詩かよ?とは言ってみてもアレも才能のひとつではあるのだな、と感じてしまう。「ゲットイットオン」マーク.ボラン。あんまし聴かないデヴィットボウイ。あの強烈な二人の個性は未だに錆びることはない。名前で生き残るには詩人も個性が大事。まあ、内容はべつにしても、と註釈は付けておきますが。 (ゴジラ)

2024-10-05

ほどなく省かれていて、情景も行ったり来たりのS字カーブ。ぐるりと回って夢の中に落ち着きます。この文体の扱いがほどなくていいですね。ほどなくて、とは説明的にでもなくその景色に描かれる間もほどなくて、と解釈していただきたい。その文体に魅力を感じるのです。 ただやはりタイトルは惜しいと感じてしまう。子供の頃の夢にみた~というのは何度も文中に出てくるのでタイトルまで押しを付けることはないと思う。敢えて子供の頃の自分を比喩化させて「梟、蝙蝠、蔦etc.などと象徴化させてしまうとか、~明け方まで眠るだろう。から「おやすみなさい」でもいいのではないかと。笑。まあ、感じ方はいろいろですが。 (子供の私がいる)

2024-10-05

不思議な詩に拵えていらっしゃる。終わりを読めば子供の気配さえ消えていくような…映像で起ち上げていけば寧ろ映画「ブリキの太鼓」に出てくる少年の姿を浮かべてしまいますね。あの成長を止めた少年の姿が…   ということでおはようございます。佐々木春さん、ウルトラ爺でございます。 なんでアゲハ蝶なのだろう? ハーメルンはドイツ北東部の都市で古くは製粉業として栄えていた街らしいですね。らしいというのでちょっと調べてみたのですが、あの13世紀の頃ですね。なので鼠は多かったはずですが、ペストが欧州で爆発的に流行るのはまだ後々ですね。そう、ハーメルンと直接縁のない我々が思い浮かべるのは「ハーメルンの笛吹」グリム童話です。童話は読んでませんが映画ならずいぶんずいぶんと前に観てますよ。笑。何年か前にも衛星で再放送されてましたね。でもよく観てなかったので忘れちゃいましたよ。主人公の笛吹き男はジャック.ワイルド。もう既に他界されていますが、鼻に特徴があるので、あの顔だけは忘れることはありません。なんてたって「小さな恋のメロディ」マーク.レスターのお友だちで出演してましたからね。少女役はトレーシー.ハイド。三人とも可愛かったな。僕もレモン水のように純で爽やかだった頃です。「ハーメルンの笛吹」その後裏若き青年に成長した頃の作品ですね。 余談が長くなってすみませんね。ついつい回顧してしまいます。この「ハーメルン」と題された作品も当然念頭には「ハーメルンの笛吹」があるのでしょうね。少ない手掛かりですが、「虹色の鼠だって~」と記されてあるからですが、それだけかよ?ってなるのが、この物語を知る人間ならば当然疑問も湧いてきます。 大量の鼠に手を焼いていたハーメルンの村人たちは何処からやって来たのか、魔法使いのような笛吹き男に金貨の報酬を約束して鼠の駆除を頼みます。哀れ鼠たちはこの魔法の笛の音に誘わて河で溺死してしまう。しかし村人たちはあまりにもあっけない退治に約束の報酬を拒絶してしまう。この約束を反故にしてしまった村人たちに対して、魔法使い笛吹き男は笛を吹く。なんと今度は村人の子供たちが笛の音に釣られて連れ去られてしまうという。グリム童話としてもお馴染みの何とも不可解な話ですが、ご存じのとおり、ちゃんと史実として伝承もされていますね。しかながらその実話の内容はかなり怪しいようです。あの時代は諸国との小競り合いで兵士として出征していったのではないか、とか、また植民地政策により人身売買にかけられた話しがすり変わって伝わったのではないか、などetc.諸説あるような話です。 そのような何かと怪しい物語の「ハーメルンの笛吹」ですが、話しを戻せば何故筆者は主体に近い形でアゲハ蝶をギミックとして取り上げたのだろうかという疑問が残ります。それで私なりに二つの解釈を浮かべてみました。一つはアゲハ蝶の姿見ですね。あの模様が魔法使いのような笛吹き男の斑模様をした格好に似ていたからではないか。二つ目としてアゲハ蝶とはいわゆる胡蝶の夢としての役割を与えている象徴ではないだろうか、ということです。 なので私が冒頭に述べた存在感のない消えたような子供として過去を語る語り手が、現実の街の様子を思い描きながら交錯していく夢物語。そう考えると画用紙で作られた家とはこの脆くも崩れ落ちそうな現実としての象徴で、このことは現に世界のあちらこちらで起きている破壊の様子。ウクライナやパレスチナにも通じる内在が含まれていて、そう、筆者にとっての「ハーメルン」とはまさに代償としての罪に咎められた土地の象徴で、それは約束の地が破られ何ひとつ保障もされなかったウクライナやパレスチナでもあるのでしょう。 と探って潜り込んでいけばいくらでも解釈は可能性に溢れてくる。このことはまだ新米だと言い張る詩人。佐々木春さんの突出した個性でしょうね。 まあ、素晴らしい書き手だとは思うので、どんどん長所を延ばしてください。 (ハーメルン)

2024-10-05

完備ならば、もしも人物が変わっていなければ昔から知っている。文極の時代からだ。きみ万太郎くんは知らないだろう?完備の詩をどれほど読んでのコメントかな?その断定的な物言いは。 (ふうせん)

2024-10-05

言葉を返すようだが、この詩のどこにオノマトペがあるのか? きみ、万太郎さんは大きな勘違いをしているようだ。仮にオノマトペに置かれたのなら少しは気持ちも和らぐだろう。しかし呪文とは足り得ない。言っておくが、完備くんはいい詩を書くよ。人間性には問題があるかもしれないが、少なくともきみよりは高度な技術を要して詩を見つめているのは確かだ。ちょっとくらい誹りを受けたからと言って人間を侮ってはいけない。 (ふうせん)

2024-10-05

まあ、荒れてるようだが、僕が例えにしたお呪いは少し思い過ごしだと言うのははじめからわかってた。べつに世相を反映して揶揄するような意識はなかったのだとは思う。しかしね、万太郎さん、風船を飛ばすお呪いがあれほど意味深に書かれていては人間も勘繰ってしまうということです。あのお呪いも少し言葉を削れば意味は通じてくるのです。モノや植物とか大陸系の言葉だとか、神代の昔や大陸系の言葉や植物にモノだとかetc. 童話的な物語を意識されたのならば、まったく意味の通じないマハリクマハリタヤンバラやん~とか子供に向けた言葉で想像して書けそうにものです。あのお呪いはどう読んでも意味を深掘りしてしまう要素がある。感じてしまう。ということです。 (ふうせん)

2024-10-05

あなたが句調子書かれるとお上手に拵えることができるのはこの綺麗な文章を読んでもわかることだ。 しかし何せ背景が思想に乏しい。狭い範囲で書き込まれる自慰を読まされても何も残るものがないのです。身の回りの上手い文章を読まされるだけなら書き手は傲慢にも溢れかえっている。 (Reclaimed Psalms / 2019)

2024-10-04

万太郎さんはタレント志望ということですが、このような魂胆も透けてみえる詩を書き込んでいると何れ叩かれると私は思いますね。このメッセージ性を帯びた詩は38°線を越えた向こう側からの願いでしょうか? たなかくんとは平仮名で誤魔化されているが、あなたが患者として触れ合ったことのある在日系韓国人の方でしょうか?私の思い過ごしでしょうが、このような詩は好きになれない。あなたのいやらしい魂胆が透けてみえてくる。これはあくまでも否定的な見方した読み手がいる。ということに留めておいてください。 (ふうせん)

2024-10-04

切れた電線がつながったようです。ごめんなさいね。作品から駄洒落のつもりで書き込んだのですが、私どもの計算違いでした。年寄りに免じて赦してください。 (二択あると、いい)

2024-10-04

ごきげん宜しく、ですがあなたも荒れた眼にするサイトにて御老公宛らご意見番のようにちょくちょくお出になりますが、ミソジニナンチャラとかは何を指して発言されているのかまったくわからない。それから同様にオバケじゃなかった、オバサン発言?これはatsuchan69&70thに対しての示唆ですよね。atsuchan69スレにて問いただしたら如何かと存じる。あなたが出てくる度にきな粉の匂いが充満してうんざりしてしまう。まあ、これは私にも云えることなので、お互い様でしょうが。 (直線25°)

2024-10-03

直線25°ってなんだよ。ティムティム君よ。きみは僕の知らない影間で斜めに悪口を言ってるらしいが、見たらアタマが沸騰して蒸発しそうな酷い事も言ってるらしいな。そんな事だから斜めに25°真っ直ぐに捻くれた性格もよく出てる詩だ。いいかい。おまるなんかは口は汚いが他所で悪口言うような姑息な事はしないだろう?よく知らないが。悪口もいいけどよ。その場所で相手を前にして言うべきだろ?質の悪い論戦だって同じだ。まだ歳も若そうだから怒り狂うのも貶してやりたいと思う気持ちはわかるけどな、将来あるいい書き手はいくら自分の怒りにふれても卑怯な真似など絶対にしないもんだ。これだけは言える。アタマに入れておけよ。ティム君。 (直線25°)

2024-10-03

おはようございます。というのも意味があっての挨拶ですが、意味を持たない相手に対しておはようございます。と挨拶しても仕方ない。ですが、人間という奴はこの意味の無さに惹かれるからこそ日常に潤いを持たせることもできるのでしょう。例えば言葉の通じない猫に毎日の挨拶をするように。 ごきげんいかがでしょうか。熊倉さん、ゼットンです。笑。「またぐ朝」入選おめでとうございます。まあ、ちょっと本気になれば取られて当然だとは思うので、べつに驚きもしない。夢という題材ですが、あの読みやすくて逆に不穏な印象が選者の方々にも受けたのでしょうね。二人という数が効いていると思いました。対象的な日常と非日常。私はそのように解釈いたしました。 ところでこの作品ですが、必要なのでしょうか。不要な言葉たちが沢山書かれているし、短い段落で終わる文体も画一的で一歩調子ですね。いや、あなたの事だから何か隠されているな、などと手品のヒントを探るようなこともしません。たとえ何か探り当てたとしても、それが何になるのでしょうか。無駄ではないが、意味の少ない労力になるのは関の山です。 タイトルも「フォーク」ですよ。なんのことでしょうね。と考えれば意味の無さに気づかされますね。そうか、意味の無いものは捨てればいいのだ。しかし、待てよ、この世の中に無意味なものなど存在するのだろうかと、再び考えてしまいます。そして「フォーク」ああそうか、フォークとは食べるために使う道具だが、人殺しの道具にだってなるモノだ。使い用によっては髪の毛を撫でる櫛にもなる。つまり「実存は本質に先立つ」という発想も浮かぶのです。捨て去る言葉も何かの役には立つはずだ。非日常の出来事という物語に於いては。入選された「またぐ朝」この物語の発想を断片的に表したような無意味さが見て取れます。実存に先立てばそのものの本質などいくらでも取捨選択はできるのです。意味有り気に書き込まれる言葉たちのように。 (フォーク)

2024-10-03

影で悪口言いたい奴には言わせとけばいいし、そんなの卑怯者に決まってんだから、もういいじゃないすか。あなたがムキになればなるほど囲んで笑ってる気もする。放っておきなされ。と爺は思うのです。 (息と瞬き)

2024-10-03

素晴らしい発想ですね。さすが人間味溢れるぺえ太さんの作品です。懐かしいなあ。かっぱえびせんも。いまでは類似商品だらけで古参になりましたからね。でもよく続いてる。お山のカールやチョコボールなんて手にする人はあまり見かけないのに。これはおそ松さんに出てくるおでんのちび太さんをからかうオバケのQ太郎さんですね。ダメですよ。松たか子先生のトイレを覗き見しては。 しかし、アレですね。ぺえ太さんとか万太郎さんとか、のび太ちび太さん。~太さんが付くお名前をお持ちの方はキャラも立つしアタマも賢いお人好し。そんな人間味溢れる優れたお人が多いようです。憧れてしまいます。ええ、ちょっとオーバーランでした。笑 (チョロ松Q太郎)

2024-10-03

ねえ、どうしてニューハーフの男の子たちってどうして超合金カチンコチンに硬くてしかも立ちっぱなしで長持ち倉持小僧寿しできるのかな? オッパイ大きいくせに羨ましくて仕方ないのよ。わしとしては。あれって薬なんかの秘薬?万太郎さんなら経験豊富だし知ってるかな?って思うわけ、なんじゃが、なのです。 (二択あると、いい)

2024-10-03

ボクは80歳になってもオナニーしてるかな?chikaちゃんなら水晶玉に映し出して見えるかも。 (笑)

2024-10-03

ボクは思うんだ。綺麗なニューハーフの男の子たちってどうしてオチ●ンが大きいのかなって。? しかも超合金メタルにカチンカチン。オッパイもパリンパリン。なんか秘薬でもあるのかな?なんて思っちゃうわけ。です。 (#XOXO_EXTREME)

2024-10-03

ぶっとんでるなあ。歌詞にしてどんなラインが似合うのかな、とか考えてしまう。パンクかロックかヒップホップ?うーんわからんけどぶっとんでる。 (日曜日の呪縛)

2024-10-01

より深く印象的に感情を伝えることができるものならば、そこには詩という言葉の力が起ち上がるのでしょう。比喩という技術もその一躍を担います。渡り鳥に喩えられた美しい言葉を配したこの文章を、例えば白紙に描かれるで解釈するならば優れた素描のようはものでしょう。 いまでは他文からの引用や形式的スタイルを中心に独特な言葉を繰り広げる筆者も、このような感情表現の基礎を通過してきたわけです。 おじさんもおばさんも歳を取れば老眼になり記憶力も低下する。そして舌も空回りする。悪意を表明する若い書き手たちはこのことを取り上げて老害などと評したりもする。当然新しき言葉は詩の書き手ならば憧れる。しかし忘れてはいけない。佳い書き手に成るにもちゃんと渡らなければならない道筋というものはあるのだ。 (いますこし、あなたの木陰に)

2024-10-01

イメージが重なり合う。時間軸のズレ。この詩は白い羅紗に暈かされている。いい。 (四月になると)

2024-10-01

「我に返ること~」熊倉ミハイさん、さすがだ。僕の書き切れなかった部分を補足させてくれたような評です。 この詩は刺激的ですね。外形が描かれているようで実は非常に内在的な潜在意識に誘われてくる。 入沢康夫の牛の首のある光景。そしてヴンダーリッヒに見られる絵画的手法。意識下の内面に潜らなければ読めない詩だと思う。 (指先のアクアリウム)

2024-09-30

あのう、完備っておばさんだったの? おっさんがおばさんだったり、おばさんがおっさんだったり、投稿詩人の世界ってホント顔見るまで訳ワカメ?笑。まだゲイレズの世界のほうがわかりやすい。みんなの顔見るとたぶん幻滅するだろうな。だから僕は見たくない。壇上に上がる詩人会の人たち見ても溜息ばかり。だから僕は見たくもない。もちろん僕はオヤジだよ。でもね、見た目はロン毛で薄白髭。背広の似合わない乞食者か変体者。そう思われてもいいのね。普通の人には見られたくはないのだ。 (息と瞬き)

2024-09-29

わたしも熱帯魚は過去に何度も飼育していたので、カラの水槽内で水草がまとわりつく~その指先の感触はわかる気がする。しかし飼育者は魚が水槽内に居るときには手を浸らせないように気をつけるものです。  指先は感触を探し、皮膚は理を求めているが、二つの感覚は特に絡まることはせず、~。冒頭から指先の感触に拘る様子が窺える。指先のアクアリウム。このことは何を意味するのだろうか。二本の歯ブラシは、一つの首肯を共にしている。この二つの、という数字も気になるし。それから~泣いているみたいだったから、私は質問するように~。この辺りの文言は文脈から外れ非常に作為的なのだ。この詩文としての脈絡を作為的に扱うということは、つまり意識下においての潜在的な意識が働きかけるような意図的な操作ではないだろうか。 ~二つの歯ブラシは、一つの首肯を共にしている。つまり作者という意識下において、その潜在意識を導くように、もう一人の語り手が時空を同時に行き交うパラレルなワールド。それは眠りから映像として浮かび上がる夢のような記憶でもあり、また行き交う空間は異次元から眺め見た世界観でもある。これを表現しようと試みているのではないだろうかと。 なので、ある意味ronaさんがコメントされてる~現実とバーチャルの曖昧性というのは正解だろうとは思う。 がしかし、あまりにも自己認識の操作性が強く、このことが読み手に上手く伝わるのだろうか。こうして深読みして見せるわたし自身も、かなり飛躍して異空間に潜らなければならない。それも正解とは限らないのだ。 (指先のアクアリウム)

2024-09-29

災害や益の無い戦争によって不幸を背負うことになる人々はニュースを見ていても毎日のように取り上げられます。意識障害で寝たきりの人たちがいて、それを介護しながら世話をする人がいる。その姿を見て、自分はまだマシなほうだと同情から胸を締め付けられる思いに駆られます。そして、その都度自分は脳が正常に機能するうちは何にでも成れるのだ。という思いも湧いてきます。これが創作への第一歩なのでしょうね。容易く頑張ってくださいなんて言えない。しかしわたし自身も可哀想なおじさんだと見られている。ネット詩人としてもそう呼ばれている。笑。これは正解です。たとえ五体満足の健常者であっても、どうしようもないほど孤独で不幸だと感じている人々はあちらこちらと彷徨うように存在しています。人間は一人では生きられない、故に孤独を感じる生きものなのでしょうね。歳をとればこころも身体も自然に衰えていきます。できるだけ生き抜いてください。それが人生というゴールの勝利者なのです。 (はじめまして)

2024-09-26

天の2って誰?デイスコ~いってみたらずいぶんなつかしそううにご挨拶で、、でもさ、ちょっと横柄な態度で、みんな気を使ってんのね。昔の某コントラ氏とは違うかなぁっては思ったのよ。そっかあ、かわうそおじさんか、てか、可哀想なおじさんおばさんだらけじゃん。実のところネット詩ってさ。やっぱ続けるって難しいんだよ。人間模様がさ。もう調子コク歳でもないし、気に入った作品には誠実にコメントしてきたけど、ボクも制限かけるよ。よくわかった。 (息と瞬き)

2024-09-26

万太郎さんが運営に携わるのは賛成ですね。彼の評を読ませてもらえばその実力も品格も備わっているのはわかります。しかしひとつ懸念があります。鷹枕可さんとのやりとりを拝見して彼、万太郎さんが三島の英雄主義を肩に提げた天皇国家を崇拝できるということ。あくまでも国家としてですね。かの戦後の総括を軍部の責任だけに押しつけようとしてきた我々日本人の考えは如何なものでしょうか?これにはGHQ占領下だという政策も大いに関わってきますね。復興のためには象徴としての天皇を。生き延びた日本人そのほとんどが万歳と賛辞する。しかしながら傷付き帰還してきた兵士、また中国や満州から生死の中を彷徨い必死になって逃げ帰ってきた人々はどうだったのか。敗戦後の数か月後に巣鴨プリズンで哲学者三木清の死を知ったのは進駐軍だった。もしも、仮にもう少し早く天皇が敗戦を認め決断していたなら、広島で、長崎で原爆は投下されいたでしょうか。各地方の都市に爆弾は雨の如く降りそそいだのでしょうか。いや、もしかしたら投下されてたやもしれませんね。あのことは明らかに米国による実験目的も兼ねていたのでしょうから。当然わたしは第二次世界大戦を経験はしていない。生まれてもいない。しかしながら、しかしながらですよ。もっと早くに決断していたなら、あれほど犠牲者が増えたでしょうか? あの当時天皇陛下は国民の神として敬われ、また大元帥で全軍部の長でもあります。当然責任はある。と陛下自信も認めておられた。ならば、何故いかされいざなわれても当人は降臨しなかったのか。それが日本人全国民の意思だったのか。わたしは非常懐疑的な見方をしています。なので象徴としての立場を認めるのはいいでしょう。しかし海外からいくら無礼な振る舞いを受けても手を挙げて参戦することには反対です。どんなに小さなサークルであれ、新しき文化を育てようとそれに携わる心意気のある人間は、大衆を尻目に大政翼賛的に文化を先導させてはならない。万太郎さんは芸能のプロを目指そうとする考え方のお人です。それについては何の異論もない。ですが、芸能もプロになれば人気も必要になり当然目的はお金目当てになる。事業者から広告業界そして大衆と、迎合しなければならなくなりますね。迎合という二文字は多くの場合質の低下を招く怖れがある。仮にあなたのようなお考え方の人が投稿詩人たちを管理する立場に就くとしたなら、わたしが心配するのはその点なのです。……これはatsuchan69さんの意見を読んだ上での妄想ですので、と追記しておきます。 (雨)

2024-09-25

无って夢沢那智だった?もう前のことで混乱しててよくわかんないな。大胆僕は面倒くさがりなので、いちいち開いて相手のことなんか確かめたりするの好きじゃないのよ。まあ彼の説明を読めばそれ以前から問題は多かったから、わるい時期にスタッフとして就任したんだと思うよ。それにしても文学界ってさ、興味だけはある人間も多いからサークルの数だけは多いのね。似たり寄ったりで。芥川賞にしても毎年二人は選ばれる(無いときもある)選ばれた作者のうち一体何人の書籍が読み継がれるのだろうか。毎年必ず手にはしてるけど、また読んでみようかと思うような魅力ある作品は皆無だよ。文学に興味のあることはいいことだけど、書き手が多いのもどうなんだろうね。詩にしても同様に。まあ、いやだな。同人誌で群れるのは否定しないけれど、村を創るのならば詩人以外の人たちと多く交流したい。詩人同志が群れを作っても新しいものは見えてこないからね。詩ってそのほとんどが音楽や絵画や映像(写真)そして一番には人間(世俗)と自然(世界)から影響を受けるものでしょ? 好きな他人の言葉って真似にしなくても自然に移ってくるものだから、それを如何に壊していけるのか、だよね。 (息と瞬き)

2024-09-25

誰も見たこともない様な前衛を目指している。詩書きならば誰もが念頭にはありますよね。不梢ながらわたしもその気持ちはあります。おわかりのとおり、このことを理解するのは本当に難しい。なので、おそらくですが、そういった類いの作品は選者からも作者を詮索もされると思いますよ。何せ、類が無いのだから。笑。 天才ギャガー赤塚不二夫も言ってましたね。誰も書いたことのない漫画を書きたかった。画家然り、作家詩人にしても後世に遺る作品を創作してきた人々は皆そうでしょう。わたしも今一度自信が就いたらどんどん挑戦してみたい。若手にばかり頼ってはいられない。認められないよ。もう気にもしない。残りの少ない老齢ではありますが、笑。がんばりましょう。 (累扇景)

2024-09-25

発砲音と農業生産の関係で言えば直接ウクライナが眼に止まりますね。破壊を目的とした軍備と衣食住の 生産性。この相対する二つの事柄も、国家防衛という観点に立てば必要不可欠な要素ではあるのだが、我々労働従事者や飼育される動物たちからみれば、、? ということでしょうね。  冒頭の 仕事中~は飛ばしたほうがいい。入れるのならば、中ほどの~砲撃が連続で続く~の前に持ってきたほうがいいと思います。 横書きでの改行を考えればここに置く意味も薄いからです。 タイトルの「仕事」も少し考えられるべきかな、とわたしなら思います。自衛隊員からすれば演習も仕事のうちでしょうが、この内容のことで多くが占められていますね。べつに生活に関わる農業(牧畜)と演習を対比させて考えなくとも、世界のあらゆる地域場所で「仕事」とは日常茶飯事に行われているからです。国土防衛と破壊。国土生産と農業(牧畜)。この二つが関連する、より意識した思考的なタイトルがほしかった。とわたしは思いました。 (仕事)

2024-09-24

それにしても「老婆が腐ったような爺~」という表現は凄まじいね。笑。俺のことでもある。老婆が腐る~爺。こりゃまるで死を目の前にした爺様ですよ。笑。これほどの怒りに満ちた表現を出してくるとはさすが完備だ。笑。atsuchan69先生も眼が点々と眼鏡も白く曇ったことでしょうね。わたしでもあるなあ~と逆に笑えました。 (息と瞬き)

2024-09-24

笑、アソコ行ってみましたよ。阿呆らしくなって既に消えましたけど笑。完備って何者でしょうね。文極時代にも突然現れたでしょ?イカ同様に横柄な態度で、笑。まあ、どうでもいい。終わりの代表、平川もどーでもいい。あの雰囲気はどうみても詩人には見えない(おっとこれは悪口だ失敬)  たかだかネット詩ですよ。takoyo氏もそう解釈されてるので言いたいこと言いまくりで変身をくり返すのでしょう。真面目に働けば働くほど利用もされるのは資本主義社会に限らず管理側の生き残る巧みな知恵でもある。一言本音を発したら口喧嘩になってしまう。特に血汐漲る青年や感情豊かな女性には気を使う。自分もそうでしからね(今でもだが笑) 覆面したネット詩には限界がありますね。仕方ないことで、それを冷静に考えればムキになることもないのです。でも本来詩は熱いものですね。それを忘れてほしくないと思います。いろいろご助言ありがとう。 (息と瞬き)

2024-09-24

aatsuchan69さんの場をお借りします。ぺえ太さん、こんな湿臭いパンツでのやりとり、面倒くさくて何言ってんだ阿呆爺臭いおまえら…。こんな書き込みを見た完備とかその他諸々の方々はそう思うでしょうね。そう思われても仕方ないことを愚痴ってるのです。選考付、とはいえ結局覆面をしたネット投稿詩はお遊びの域でいいんじゃないかな。と思う。人間も姿見を隠せばいくらでも他人になりすますことはできますからね。正体と同じで本音はわからないままです。本当に詩を評価してほしい。処なんて選者も人それぞれ。好みもあってそれは不可能に近い事柄だ、とは理解できますが、やはり素性の知れたサイト現代詩人会などで評価されるのが理想的ではあるのでしょうね。誰にどのように評価されたのが一目でわかる。なので選者も責任を負う書き込みをするし投稿者自身も努めて冷静には成れるのです。どのようなサイトであれ、覆面をした時点でそれはもうお遊びの領域なのでしょうね。なので試作が多いのも当然で、もちろん作品もコメントでも真摯に交流できればそれに越したことはないのでしょうが… (息と瞬き)

2024-09-24

おそらく筆者には最後のコメントになるでしょう。もう既に完成されておられるほどの書き手、と云えるのはどなたが見てもわかりそうなので文句の付けようもないのです。 「なまけものたる」で伐るようにお題目を終えている、ということは故に、或いは由縁に、という内容で括られるのが読んでいくうちにわかり、内容もユニークで面白いですね。青十字さんには青十字さんの感じ方があるので、それはそれとして、わたしはこの縦書きに間という文体があってこそ活きるユニークな内容だと思う。これが横書きで一息に読ませる作りならば物語るで終わりそうな気配さえ感じられる。気の利いた選語に読み手を茶化した様子で~はぐらかそうはぐらかしてやろう~とする意図も内容から見えてくる。これは縦書きの妙、(間)という漫才師によって語られるような文体があってこそ活きてくるものだと思います。 (なまけものたる)

2024-09-24

外でサークル作って内で叩くっつうのは文極とまったく変わってないね。だいたいここの代表でもある天才氏とか名告る人物が裏2chanのように推奨している。あの人はコントラ氏でしょう?違うの?僕はね、文極の最後のほうを仕切ってた人間を絶対許さない。(Af)とかいう誰がどのような見方をしてもワケわからん投稿詩をいつも優にしてたのね。そのことを散々指摘したら、その本人は罵詈雑言の言いたい放題で、運営まで一緒になって僕や裏階段に腰掛けて(旧名)をまるで敵のように扱っている。そんな思いはたぶん僕たちだけじゃなかったはずですよ。で、結局問い詰めていくうちにやっぱり陰のほうで仲良し小好しな訳よ。だからあれだけ発起人が入れ替わりしたのを機に、気の合う仲間内で選評なんかしても優劣はいつも限られてくる訳です。身内には金ピカの衣装を付けて、できるだけ偉く見せてやろうかなと。なので最後にいた(无)とか、いまではずいぶん偉く見せている平川某その他は許せないし、たとえ一人になっても詩人とは絶対認めたくはないのです。たぶんそれらの取り巻き連中はアチコチのサイトにも群がっているでしょう。現フォにも。コメント返事を読めばだいたい察しがつきますね。本人のコメント返しならまだしも他所から辛辣に文句を言われればキレてあたりまえ。それにあなたの言うオバチャンたちとかS会寄りののサークルとか、 ああ、やはり口は災いの元。出てこないおまる氏にはちょっと言い過ぎたと反省はしていますが、投稿者が自由に発言できるネット詩なんて実は人一倍気を使わなきゃいけないサイトで、それには勇気もいる。批判的な意見は控えましょうと、お遊びに終わってしまう口を塞ぐ書き手たち。結局最後に行き着く場所はアソコのような権威に縛られた場所になってしまうのか、と感じるのも淋しいことです。 (息と瞬き)

2024-09-24

?あら~正体を化かされると自分が如何に勝手気まま思い込みで読んできたかがわかる。笑。筆者もそのことは重々とおわかりでしょう。なので詮索という手間を省く為に仲間という烏合を働きかけてしまうのでしょう。談合とはそうしたものです。故に名を変えての誹謗にはよけいに腹が立つばかりなのですが、ああそうか、元々は古風に身支度もされた散文詩の方でした。散文は、かなり見落としていましたね。失礼いたしました。 (累扇景)

2024-09-23

もう一言、あちらでも書き込みましたが、「累扇景」というタイトルですね。見た目を意識して申し訳ないが、ちょっとスマートには見えない。これだけで思考の半分は偏って取られてしまう。それほど拗らせて意識しないでも普通に「累線系」或いは「累扇系」とされたほうが文には集中していける。何故かといえば視覚的な要素の強い置き方配置がされているからです。印象としてですが。 (累扇景)

2024-09-23

 宇宙空間を印象に感じさせてくれる作品ですね。 言葉が空間を飛び交う意としては最高の賛辞だとおもいますよ。 色々と試作して来られたことでしょう。そろそろお名前を整えて世界を拡げられてもいい頃合いでしょう。希望として、後は散文のようなもので物語につながる表現も拝見してみたいかな、とも思います。 短い祝辞のように書き込みましたが、もうわたしには云えることもないのです。 どうぞお励みください。 (累扇景)

2024-09-23

無理をして自分を壊してきた。出ていく者に追いやられる者、移民たち。そこには哀しい運命もあれば、栄える未来もある。 仲間や友人を多く持つ者は何をするにも機の智になってくれる。逆に人に裏切られ他人を避けてきた者には孤立しか待っていない。それでも人にはそれぞれの道があり、べつに孤立したらからといっても悲観することはないのです。自分に嘘は言えても言葉には嘘が吐けない。詩人。 あなたはおやさしい人だ。わたしは要領がわるいので損ばかりしてきました。泣かされてもきたし泣かしてもきた。はじめから馬鹿なことだとわかってはいても見過ごしてきた。こんなことをしてきたら自分に腹が立つばかりで他人にも癇癪を起こしてしまう。詩は繊細なので書き手は気をつけなければならないと心底思う。少なくとも相手を揶揄するにも愛は必要なのです。 ぺえ太さんは詩人ですね。ここぞ!と思うときには素敵に改名してください。見かけは大事ですよ。 悪魔のように繊細に、そして天使のように大胆に、さようならまたいつか。                  がんばってください。 (性癖の花)

2024-09-23

有識者?あんな乱暴な書き方はしないです。わかったような実は全然わかってない書き手、ただの迷惑な阿呆野郎です。元名知ったらああ、やっぱこいつだったか!になるよ。あやつせっかく無視してんのに俺の廻りをうろつくなよ。と言いたい。これじゃコメント返し辛いだろうね。作者様にはお詫びを申し上げておきます。 (性癖の花)

2024-09-22

わたしから見ればさ、まだヒヨッコのくせに、浅間山ひとつあたまが抜けている。なあんて身の程知らずにもよく言えるなって思うわけ。有識者でもそれほど年期の入った書き手じゃないでしょ。格好だけ偉く見せたいってのが見え見えだから、れでマウント取って粋がってるのね。出てこないところで悪口言っても仕方ないけどさ。出てこないところ見ると前のコメントはその節もあるのでしょう。まあいいさ。takoyo1~2も消えてるし、あなたも消える?の。ここは最初覗いたときにけっこういい作品が投稿されてるな、とか思ってコメントしてきた訳だけど、だんだん限られてきちゃったから、僕もそのうち挙がらなくなるでしょう。コミュニケには交わらない人物。邪魔だと思われてる気配も感じるので、 (性癖の花)

2024-09-22

こいつの最後のほうの文句。~シュール系で他人の気持ちを理解できない脳筋の人~誰それとは指定はできないものだからそれとなく匂わしている。これはここの投稿者に対してかコメント付けた者に対してか?どちらにしてもよけいな一言ですよね。名指しさえしなければ何を書いても許されると思ってる卑怯者で、こういう輩はホントアタマにくる。前にも俺の投稿に散々クソ文を書き散らして、怒らせてあれは排除されてしまった。相手にしたくはないが嫌味垂らして出てくる。こいつ誰なんだろうね。元名調べてやろうかと思ってる。 (性癖の花)

2024-09-22

おい、運営、おまるのクソ野郎のコメントは俺が誠心誠意付けたコメントに対して明らかにケチを付ける目的で上げた訳も何もない嫌味を目的にしたコメントじゃないか。怒る俺の気持ちもわかるだろう?こいつのコメント消せよ。ならば俺の下に返した罵倒を消してくれ。こういう奴は害虫じゃないのか?ネットとはいえ何の利益があるんだ。作者に失礼だ。消すならおまるのコメントから下を消せよ。ったく読めない妬ましい奴に限ってよけいな口をだす。そんなサイトにしたくないだろ?こんないい作品に揉め事起こしたら作者に失礼だ。 (性癖の花)

2024-09-22

おまえのような蜂蜜は自分の周りでコソコソ書いてろよ。消えろ!詩の世界から。実力ないくせに能書きばっかし垂れやがって、迷惑千万だ。ったく、いい加減にしろよ。クソ野郎が。元の名前なんだ。許さねからな。 (性癖の花)

2024-09-22

おい、クソ野郎。なんだ?おまえ、ちょこちょこ出てきて何かしら言いたげに、それは上にコメントしている俺に対しての嫌味だな。おまえ誰だ。おまるか詰まるか知らないが。正体明かしてみろ。もうキレそうになるほど嫌味な奴だな。正体明かせ、この姑息な卑怯者めが。 (性癖の花)

2024-09-22

一読では掴めなかった。上手くて、その表現力には感心させられますね。 性癖とは性格的に言えば嗜好的な偏りもしくは習慣。これをいい意味でも生活が始まる日常の動作や競技前のルーティンと置いている方は多いですね。一連の~花束を抱いて腰掛ける。そんな世界が始まる序章のようなものでしょうね。何故花束なのかと云えば、そう、決まり事のように眠りから眼を覚ますというのは、ある意味祝福なのです。 二連目は妖しくそして隠微ですね。言葉や肉体としての存在が他者を通じて交わるように喩化されて置かれている。これは想像するという世界観。言葉を読み切り開くという想像の世界と実在という他者との現実の交わり。これは真実どちらを取ればいいのだろうか、というような疑念が妄想としても浮かび上がる様に。 そしてこれらの妄想が現実的な心配事として表現されていく三連。記憶から得られるものは習慣の積み重ね。わたしは明日また新たな記憶を脳裏に刻まなければならない。という予想がときには不安としてわたしの行動を制約させてしまう。失念とは越えられない記憶の習慣でもあるのだ。 最後の連はこれら描き込まれたものの集約のようなものでしょうね。 創世という大きな宇宙感から地に咲く花という身近な世界観。わたしの日常はいつもこのようにして想像から始まり妄想で終えてしまう。またその逆も有りき。そして、コインランドリーの回転が音もなく、あ、止まった。  また、あ!だ。まさか語り手は女子高生ではないでしょう。笑。 性癖という積み重ねできた記憶のブレが習慣として生じさせる現象。それに対して花という植物の一生は環境に左右されながらもブレないで終わる。その対比感。 コインランドリーという日常の限られた空間でもの耽るという妄想からまた現実へ引き戻される瞬間の吐息。お見事としか言いようはないです。 (性癖の花)

2024-09-22

面白く読ませてくれる。書き手としてはお上手な方でしょうね。ただ厳しい見方をすれば句のような終わらせ方は詩に余韻がないからだろうと本人も気付いてたんだ。と思われます。冒頭の序章からタバコ屋のヨネさんを引きあいに出して物語るで終わる作り。物語る、という展開から文章表現の作りが非常にお上手だ。という上手いだけの印象で終わってしまいました。 (紙、ふぶき。)

2024-09-22

そうだな。 縦書きの場合クエスチョンマークなどは改行して一行取ってもいいと思える眺めです。 (思い出は)

2024-09-19

いいですね。 いまちょうど「虎に翼」NHK朝ドラの特番で米津玄師と伊藤沙莉の対談を見て、ああ、米津玄師という歌手はやはり詩人なんだな、と実感しています。 ~生まれた日からわたしでいたんだ知らなかっただろう~さよーならまたいつか! これはご存じだとは思いますが、その米津玄師によるドラマの主題歌の終わりの歌詞ですね。この歌詞には再三~さよ~なら100年先~という文句が出てきますね。この主題歌の、さよーならまたいつか!とは読んでいけば、失恋して悩む主人公が、その辛い思いからの立脚を目指すんだ!という強いメッセージにも受け取れてきます。もうそろそろ現実を見つめ直して鳥のように羽根を広げて飛んでいけ!と。考えてみれば100年先なんて二人とも生きているはずもなく、このことは、さよーならきみにはもうあわないけれども、という相手に対しての宣言でもあるのです。その考えが終わりにはっきりと読めてくる。~生まれた日からわたしでいたんだ知らなかっただろ~別れた理由を散々思い起こして悩んできた俺、俺の一体何がいけなかったのか、と。でもある日気づいたんだ。もう悩んでも仕方ない。自分の短所ばかりを責めても仕方ないんだ。僕はこれからの僕は自分の長所を活かして生きていくんだと…。 何故米津玄師を持ち出すのかといえば、彼の主題歌は地上から天上を見上げて新たな自分に旅立つを願う拡げられる詩で、あなたのこの作品は、それとは逆に生まれて飛び出してきた広い世界から、地を這って生きてきた自分の立ち位置をもう一度問い直してみようという、傷ついて地に落ちた羽虫。それは私だったのかも知れない。つまり大きな視点へ向かわせるのか、小さな視点でより繊細さの思いへと潜り込むのか。自身を見つめ直すという観点では同じ意なのです。米津玄師に負けないくらい、デキた詩だとおもいます。 (私だったのかもしれない)

2024-09-18

漢字に置こうと思えば置ける「ちぎれてちぎれて」の扱いは何故だろうかわからない。 頽れて、汀、双眸、乾涸らびる。難しいあまり使わない読みの拵え。習作?これは意図的な言葉のデッサンを目論んでいるのか。連分けは千切れての意を分析させようとしているのか。まだちょっと不可解にわかりましえんけれども。 (習作 ちぎれてちぎれて)

2024-09-18

伝統の中に~けっこう保守的な考え方をお持ちなのですね。それはそれでいいと思う。勝っても負けてもきちんと礼をするスポーツ競技。汚せばちゃんと掃除をして帰る我が国のマナーの良さ。これは人間としても誇れる行為です。しかしこのことが血の系脈と結びついてそれだけで頭を垂れるのには少々抵抗感がある。いつまでも当選させてしまう世襲議員なんてのは典型的な例ですね。と言っても誤解しないでほしい。わたしはどの左翼政党にも属してはいない。むしろ政党なぞはやく無くなってほしいと願う少数派意見を持つただの変わり者です。あなたの意見と違ってあの血筋だけで崇め奉る行為にはどうしても心から賛同はできないのです。例えその人物が優れていようとも。こんなことを言っても日の丸が上がり国歌が流れれば胸は熱くなります。好きな演歌が流れてきても同様に目頭は熱くなる。一応育ちはもう古い世代の人間ですからね。伝統それは文化的な継承。日本特有の景観や祭り、そして歴史的な建造物に工芸品。確かに美しいモノはこころ穏やかにさせてくれる。続いてほしいとは思いますが、わたしはそれに固執する認識を強くは持たないようにしています。何故ならばどのように長らえても、いまここにあるモノすべては朽ち果てることに代わりはないのだから。?だから敢えて保てるように努力をすべきだろう?これも当然な考えだとは思う。しかし経済的にそのことによって救われるべき人間が救われないのならば、これはある意味現実を無視した人間の傲慢だと言わざるを得ないのです。 モノよりも大事な人の命。 そして未来は人の為に在り、人の未来は機械によって支配されてしまう。 人工知能。象徴として崇拝すべき者はモノへと移り変わる。そう長くない将来、わたしはこのことを判断として確信的に捉えているからです。 (雨)

2024-09-18

歌詞として扱うならば少し物足りない気もするけどそこそこオッケーかもね。というミジンコな感想です。 (キャンバスより)

2024-09-17

海外では宗教を持たないと恥だという。 よく言いますね。わたしの耳にも吹き込んだ身内は何処やらのナンミョ団体です。よく映画のシーンで観られますね。オ!マイ、ゴッド!神よ救い賜え…と叫びながら平気な顔をして相手を殺してモノを奪う。そんなシーンを多く観る。実際どうでしょう。基督教カトリック教徒は日曜礼拝には熱心に教会に行く。日本で暮らす信徒たちもそうでしょう。わたしは一応仏教徒の肩書きですが寺などは小さい時を境に覗いたこともない。ほとんど無信心者です。しかしそれでもいいと思っている。宗教に固執するのは争いの元ですね。世界を見渡せば、ご覧のとおりです。映画「猿の惑星」はご存じでしょう。洞窟の奥に住む地下人間たちは「核ミサイル」を神として畏怖し崇めていた。数え切れないくらい萬の神として日本では拝まれる。 宗教を持たないと恥だ。胡散臭い定義ですね。何かを崇めないと世の中は上手くまとまらないものでしょうか?そのことは崇拝の対象。王と呼ばれる人たち。そしてときには独裁的な為政者が無知な大衆に向ける束縛と搾取。その地位の下で隠蔽し利得をあげる偽善者。べつに恥だと言われてもなんの抵抗もないですね。といっても極端な左翼思想に囚われてもいるわけではない。すぐに政治に格好つけて右か左寄りかで区別されるのはナンセンスです。それよりもそれらの頂点に君臨する者の意図的な操作を感じて、真に理知的に自由で解放された人類としての発展はまだまだだな、とか思いますけれどもね…。 (雨)

2024-09-17

笑、何処も似たようなものですね。まるで蜘蛛の巣のようだ。わたしの身内でも同じくです。家に閉じこもっていた時から決まった曜日に出て行って帰るので熱心に活動しているようです。因みにいまは絶縁状態です。あの組織団体が一人身内に居れば家族関係はバラバラになりますね。大嫌いです。投稿者たちにも気をつけなければならない。これからはコメントなどをよく精査するようにして警戒しますよ。阿呆らしくなって気分がわるくなる。厭なことですが、仕方ないですね。 (雨)

2024-09-16

ごめんなさいね。余所事ばかり質問して直接作品にはコメント外していた。 ですが、いまこれをメッセージとして受けとめれば発話者には何も言えない。思うとおりに生きればいいし、どのように人物を生きても語られるように死は必ずやってきます。ただわたしが感想として思うのは人生長生きできればそれに越したことはないのかな、と。もちろん長生きとは言ってもできるだけ健全な肉体と精神を念頭には含みます。 よく死にたい死んでしまいたい。とか口に発する人がいますが、本気ではないのです。わたしもそうです。例え虫けらのような人生を歩んで来た、と振り返り悲観してみても長生きできた人は人生の勝利者だと思う。とはいえ、わたしの気持ちもどのように変化するかわからない。わからないのが生きる、ということでしょうね。そのようなものだと思って生きています。 (死)

2024-09-16

ありがとう。実際働きながら活動されておられるあなたのことで、よくわかりました。常々そうも感じていましたね。なので男性は介護職には向かない。と何処かで発言したこともあります。いえ、これは至らなかったとはいえ、わたし自身が実際母親の介護を経験しているからであります。まあ、性格も短気なのだが、キレましたね。でも暴力は振るわなかった。家具に八つ当たりですよ笑。いつも惚けた状態で曜日から日付が思い出せない。あたまが可笑しくなりそうで認知症になったのではないかと病院に診断を仰ぎに行ったこともあります。 ああ、やはりな、という気持ちで将来の福祉や老人介護問題にはますます暗鬱と暗い気持ちになりました。万太郎さん突っ込んだ話しをさせて申し訳ない。感謝します。ありがとう。 (死)

2024-09-16

実際万太郎さんと一緒でわたしの廻りにも大勢の信者さん(敢えてさん付けで)がいますからね。ほとんどの方々はみんな善良な人々でしょう。がしかしあの組織的な政治活動を抜きにすればです。これが直接社会と結びついて階級闘争を志す労働組合なら理解もできるのですが、なんせ他を寄せつけない偏った●教を母体とする組織で、政党にも影響を及ぼしている。非常に抵抗があります。 元かな?タレントの長井某などはSNSでちょくちょく批判してたし、最近「X」で見た伊丹十三の不審死について、あなたが取り上げている問題と繋がりますね。医療廃棄物問題のことでしょう。 彼らは普段自らそのことについて自称することがないのでわからない。わたしを含めて地域もほとんどは普通に浄土真宗ですが、地下活動で結びつくような組織的な政治活動なんかしてませんからね。あの団体人数の多さは各家庭の配りモノをしていたら驚きですよ。部外者としての怖さを感じる。 ああ、こんなところにも政治不信が結びついているのか、そしてまさかの投稿詩サイトにまでそれが及んでいるとは、思いたくもなかったのですが、あなたの詳しく分析を含めて、訥訥とある敵対的な言動をみれば疑わざるを得ない。いま振り返り考えてみれば文極のときもそうだったのかな、と…特に疑わしいグループには気をつけなければならないですね。慎重によく見極めて発言するようにします。はっきりと言いたい。どんな宗教であれ詩は負けない。と。 (雨)

2024-09-16

~ヤクザ業界が衰退して福祉業界が膨れて上がってしまったからだ。このことは普通に疑問に思えるのであなたのご意見をもう少し詳しくおっしゃってもらいたい。通念上そのほうがいいと思う。 (死)

2024-09-16

流し目で読んだだけで、科学的に詳しい根拠は物理的に疎いのでわからない。しかし愛情を感じる。おそらく筆者(語り手)は三浦果実なる人物に親愛の情を込めて言っているのがよくわかる。大馬鹿者。三浦果実なる人物もそう呼び捨てにされることに対しては内心嬉々とした喜びを感じている。二人の関係はギブ&ギブ。二人になったTheBs/TheBeegees.(jeansともにあれ)彗星を見上げる有志肯定ペンギンの際い髭。 (宣戦布告)

2024-09-16

あなたがおっしゃるとおりで、わたしや旧室町(takoyo2)さんでしたね。彼も口を閉じるのが嫌いな人である意味正義感には溢れた方です。だから敵を多く作る。これは致し方ない。黙っては見過ごせない。その万太郎さんの言辞には賛同し応援もしたい。彼(takoyo2氏)は渡世人ですよ。度々草鞋を履き替えてる。笑。何れそのうちに何食わぬ顔をして現れると確信しています。 atsuchan69さんが指摘される振興(?団体 )この組織な繋がりを根拠とした陰謀めいた策略。SNSなどではその団体が反社会的組織を巻き込んで関与した云々~とやらの事件がちょくちょく上がり、身の毛もよだつ恐怖を感じることもありますが、それが一般的には認知されている巨大な組織だからこそです。そのことが捏造か真実なのかは我々には当然わかりません。芸術の世界ではオーバかもしれませんが、しかしその人数的な多さには圧倒され呆れてしまいますよ。どこでどう圧力を受けるのかわからないであまり強く語りたくはない。市内単位に配りモノなどをしていると驚くように実感できます。ははあ、で、政治もか…これ以上は差し控えますが、投稿サイトの運営や選評がある繋がりで決められてしまってはお終いですね。そういうことで消えた詩の投稿サイトは幾つもあるでしょう。こちらはそうではないと確信?しておりますが。汚ないモノに蓋をしたまま放置はできない。その粋です。頑張りましょう。 (雨)

2024-09-15

 がっこうにへいわをください … いきなりこの呟きが出てくるので、その後を話者に解説させているという。作りとしては寓話を意識して喩えられたような平凡な作りですが、これをそのまま素直には受け取れないアイロニーが内在されている。というところに試みの技術が感じられるのです。 両親がいない寂しさそして貧しさ。カナは学校で苛めにあっていた。サンタさんは願いを聞き入れてくれるのだろうか。もう少しすれば近所に越してきたわたしのような足の長いおじさんが登場してきて、ドラマはハッピーエンド。しかしながらその逆もある。 (サンタが死んだ)

2024-09-15

こんな詩を相手から贈られたらたまんないだろうな。本当に大切なものは眼には見えないんだよ。40歳になってもこのような詩は書けなかった。だから、だから下手くそな恋愛ばかりしてましたよ。ええ、これは真実です。 少年のように他愛もない軽いコメントですが、メッセージを受けた相手には嬉しい。 (息と瞬き)

2024-09-15

ああ政治的な発言は気をつけなければならないですね。特に室町さんは以前から政治的発言が多い(怪しい情報を拡散する癖もあるこれは乙) 彼とは政治認識でみれば程度逆の立場ですからね。昔から意見の多かった。でも、これまでわたしの挙げる愉快で下手な返事を真に受けて止めてくれ!なんてことはなかったので、驚いてしまったのが真実です。そういう問題があったのですね。わたしはこちらでは新参者なのでそういう事情は知らなかった。帰ってきてほしいな。山田太郎~室町~なんだたっけ笑(名前忘れた汗) 彼の詩には嘘のない隠れた萬の愛を感じる。詩の世界でも自由なコメントは危うい。よくよくわかりました。これからは慎重に相手を眺めることにします。。。 (雨)

2024-09-15

憶測でものは言いたくないけど、わかりますよ。ええ、巨大な組織で政治的にも力をもっている。なのであちらこちらに網を張って眼を光らせている。実際そちら系の組織の方は芸人芸術家にもたくさんおられるでしょう。詩の分野にも居坐られて当然です。そういう人たちは話しているうちにわかりますからね。個人的な強い繋がりを意識して当然でしょう。なにせ同じく信じるものに迷いがないのだから。 その点わたしはけっこうあちらこちらで悪口を発言していることがある。充分組織にとって危険な人物だ。と見られて当然でしょう。一般家庭から産業政治経済マスコミ芸術。実際凄い人数ですよ。日本国が牛耳られているといっても過言ではない。口は災いの元。よくよく慎重に眺める必要がある。そして当然そのような組織の名前を挙げるときには気をつけなければならない。特にネットだから、なんて軽い気持ちでいたらすぐに攻撃の矛先が向いてくる。まったく厭なことだ。山のような組織には確信的な繋がりが存在する。そのような組織を前にして個人として立ち向かうのは非常に心労なのです。自由に発言しても敵はいるのです。気をつけなければならない。 (雨)

2024-09-15

ひと言で愛別離苦と言うよりも疎遠になった人への積年の想いでしょうか。 これを男女の異性間と取るかかっての友と受け止めるのか、と問われたならばわたしは後者を選びますね。硬質でもあり上手い文章です。これもタイトル有りきでしょうか。?(知らねえけれど、) ね、厭ですよね。こんな言い方されれば。(わかりませんが、)ですよ。よく知らない相手に対する投げかけた文句ならば。笑。「分かつ/糸口」詩文も硬質な書き方をされておられるので、どうでしょうかね。想像の拡がりを読むのが難しい。作者の意図に圧迫されて入り口が狭くて窮屈な感じもするのですが。 (分かつ/糸口)

2024-09-15

~口の中はたと血が滲んで空に唾を吐く~ 万太郎さん、虎に翼です。完備が単刀直入に無礼な物言いをするのは以前からでこれはもう性格ですよ。吐いた唾は何れ自分に降りかかってきます。そういう輩は少なくない。 キレるのはよくわかる。だから気にしないことです。人を眺めて言ってる。陰でこそこそデキてる仲間にはこのような物言いはしない小心者です。熱く相手にはしないこと。流して大人になって受けとめてやればいいのです。 (雨)

2024-09-15

タイトルはそうでしたか。うーん、ですね。 どんなに重なり合っても触れ合うことのない刹那~ つまり針の曖昧な動きにいくら時間を×ても距離は縮まらないという二人の関係性。ということでしょうか。 時計の無機質な感じは受け取れなかったですね。言葉の糸という表現が逆に有機的に受けとめれてしまう。 (重なり合う/針)

2024-09-15

~しぐるやしぐるる町へ歩み入る~ ねえ、ぺえ太さん、臍にピアス×頸に入れ墨でもされておられるのでしょうかね?この方たちは。村の鎮守さんにでもなったつもりかしらね。 狸や狐に化けてトム&ジェリーの中でドタバタするのはもう飽きたということにもなりますよ。人間も歳を重ねれば。笑。 ぺえ太さん、関西吉本芸人に近い方かと思えば、案外抱擁力があっておやさしい方ですね。年寄りにはできるだけ優しく接していただきたいものですね。笑。 気に入りました。貴方になら今後も誠実なコメントが付けれそうな気がします。痛いこと言われても少々のことでカチンとキレないでくださいね。笑 ヨロチクです。!あ、こちらのレスだけ長くなって、もう返レスはいりませんので(お優しいぺえ太さんへ) (憂闇。 融闇。 夕闇。)

2024-09-15

だからね、きみのように後になってここぞとばかりに悪口言ったり陰でこそこそ言ったりするのはよく居るが、それって卑怯だろ? なんでその場で言い返したり反論しないんだよ。いい加減に僕ちゃんを卒業しろよ。そんな詩しか書けないままになるぞ。きみにもサヨナラだ。 (憂闇。 融闇。 夕闇。)

2024-09-14

最後に、中田もだけど、もういい歳だろ?きみがこんな幼稚な奴らと愉快仲良しに連むとは思いもしなかったね。本当にがっかりだが、仲間を増やして名を高めていくって方法もある。人それぞれで批判もしないよ。しかし、俺はやはり唯一孤高の天才だ。きみらとは世界観が違う。まあ其れなりに頑張れよ。 (憂闇。 融闇。 夕闇。)

2024-09-14

どいつもこいつも、おまえら詩も馬鹿丸出しだが、幼稚にマナーも知らないのか? 古銭好きとかいう阿呆は散々人を虚仮にしたような中傷発言しやがって本来ならイエローカードもんだよ。こっちが誤ってもらうのが正論だろ?ったく、つるんだ意地汚ないカスたちよ。こういう奴らがサイトをダメにする。ネ、運営さんたち。ルールを守らない子供染みた奴らを注意しろよ。なんで甘やかすの?こんな誠実味もない奴らを見逃してたら、見てろ、本当に書ける人は来なくなるね。マチガイなくいい詩は詩人会に流れる、行く。  あ~あたまにキタ。馬鹿らし、コメント書いて少し注意したらよけいにキレて個人攻撃だ。人を眺めて意見しなきゃ厭な気にさせられるだけだな。と子供喧嘩の圧力をかけられる。安易にもコメントはできない。居着く6割くらいのクソッタレガキどもよ。サヨナラだ。もういつかは無い。 (憂闇。 融闇。 夕闇。)

2024-09-14

あのさ、あんたさ、わたしこの作品の何処に思春期女子の匂いがするのって聞いてるんだよね。あんたが言ってるような表現がこの作品の何処にあんのよ。もしかしてあんたさ、彼女(古銭好き)のこと知ってて言ってない?れとも彼女のパンツ嗅いだことでもあんの?ヤラしいわね。だ か ら、女子高生の詩なんて知んないわさ。だって俺が女子高校生なんだぜ、わかるかおまえに、笑。もういいよ。飽きた。 (憂闇。 融闇。 夕闇。)

2024-09-14

笑、キレてペラペラとよく喋りますね。よけいな事まで付録させて悪口三昧。既に感情剥き出しのお猿さんになってる。ひょっとして婦女子系の方でしょうかね。年齢的には30歳前後くらいかな。おっと、偏見だと言われてしまうので、この辺りで憶測は止めとく。まあ、どうぞお好きに嫌ってくださいな。人柄は想像にお任せします。では、 (憂闇。 融闇。 夕闇。)

2024-09-14

小学生の絵はよく眺めてるけどね。何々高校生の優秀作品!なんて肩書き付いた詩は読んだことないね。読んでもいいけど、もう一行読んだだけで想像できちゃいそうなのだ。んなことどーでもいいから質問に答えろよ。この詩の何処から女子高生の匂いがするのか。 (憂闇。 融闇。 夕闇。)

2024-09-14

雨という自然がくり出す事象と人間という叡智を謳歌する生きものを対象にして勝手に~適当に云々などと形容動詞で格言のように抜き出しても詩の感動は起ち上がらない。そのことがわかっているので終わりの〆としてこのような文句で照れ隠しに終えてしまった。 どうもね、経験から考えてみれば詩書きにも大きく分けて二~三つのタイプがあるようだ。 批評やコメントを書かせば其れなりに理知的で整合性のある文章を書く饒舌な人が、いざ自身の目の前に置かれた作品を眺めてみれば案外つまらない詩が多い。それとは反対に、あたまを唸らせるほど佳いと思われる(個人的な見方だが)作品を多く投稿する人の自身の作品についての弁は言葉数も少ない。これは敢えて自らの解釈を避けようとして敢えて伏せているのか、または本当に論理的な言葉を使って解釈するのが苦手なのか、よくわからない。そしてこの二つのタイプ両方兼ね備えている方は理想的な詩書きとも言えるのだろう。 動画付きの作品から何作品か拝見した。どうも万太郎さんも最初のタイプのお人の様子が窺えてきます。特に詩経験も長い読解力もある書き手には多く、これには詩書きのほとんどが該当してしまうので必然的であるとも云えるのだ。 このことは、例えばわたしも等しく同じだが、白紙を前にしたとき常にあたまから思考から入るタイプの書き手が多いようにも身受けられる。このことは技術と結びつけて考えたとき、どうしても操作してしまうというのが逆に弊害として言葉には上手く伝わらないようだ。書きながらわたし自身も反省の弁としたいのです。 失礼いたしました。 (雨)

2024-09-14

ドストエフスキーは書く前にオナニーしていたというじゃないか。 俺は還暦過ぎてもずっとオナニーしてるよ。もちろん快感なんて薄れている。もうデルモノもほとんど出ない。いざというとき本番になってもヘタれてしまう。年齢には勝てないのだ。これは習慣なのだ。空が何故赤く染まるのかわからない。夕焼けを眺めて猿が一日を終える。そんな無意味な習慣なのだ。 (性典)

2024-09-13

最低限のマナーは守ってほしいものです。サイトのルールにもそのように書いてある。選評付きのサイトなら当然ですよ。 どのような反応や感想が付くのか試してみたい。詩書きや創作家ならそう思うのがあたりまえで、だからこそ誠実に言葉には向き合わなければいけない。誠実といってもべつに善人になれと云うのでもなく、詩に対して裏切らないということです。そうでなくても他人の書いた作品を真摯に読み解くのは難しい。もちろん詩作品では性別も変わる。年齢も変わるのは詩書きにとって醍醐味なのでわたしもちょくちょくそのようなモノは書きますよ。ただコメントにまで嘘を付いて誤魔化そうとはしない。冗談ならばそれとなくわかるようにコメントもします。それって最低限のマナーでしょ?何故嘘を押し通そうとするのか?そこまでして良い評価がほしいのですか? ごちゃごちゃと小さな意見をおっしゃる前に今一度真剣に詩と向き合ってほしいものです。 (憂闇。 融闇。 夕闇。)

2024-09-13

現代フォーラムでもたまにお見かけいたしますね。古風で常用漢字には見られない書き方もされておられる様子を拝見いたしてもおりまする。この詩文読みますれば語り手の表記を俺、おれは~と強く主張されておられる。何故か、わたし~とされてはいない。これは宛らドローンを追い詰める隼の如きアンバランスな違和感も覚えて、べつにわたし~でもよいのではないか、とも感じられますが、何か意図あって敢えてそうされておられるのでしょう。 例えばこの詩の中にもう一人対象者としての貴方(貴女)が想像されるのであれば「realize」として俺表記でもまた違った印象を持ったやも知れない。 (それさへあれば)

2024-09-13

~集団行動では学べないことが沢山生まれてくるはずだ。いまわたしが学生ならば大賛成ですね。べつに学校なんか通わなくても独学で偉くなった人は大勢います。そもそも集団行動なんて遠足とかキャンプ以外は大嫌いだ。?これも集団行動だった。 体育会系の寮生なんて最悪ですね。1年時には先輩から奴隷のように扱われる。逆らって反抗でもすれば当然退出を余儀なくされてしまう。まったく意思に反してしまうので、ああいう無理やり縦割りに縛られる世界は大嫌いで端から就いていけない世界でしたね。でも、これも性分でしょうね。他スレでもコメントしてますが、独学でちゃんと成長できる人ならば問題も少なくて済むはずが、目的もなく社会に放り出されたときにちゃんとその場の一員として強調してやっていけるのだろうか。これには親子関係を含めた家庭での教育目的という高い意識も必要になってくる。況してや成人した社会は軍隊ほどの圧力はないにしても会社は組織として運営される。当然上位下位の立場が存在するので礼儀や気配りも必要になってくる。一人浮いてしまえば自分が疎外感に悩まされ、規律を乱すような新入りが何人も増えてくれば組織として統制は保てなくなり会社間の人間関係は崩壊状態に陥ってしまう。 どんな環境に置かれても我慢する先ずは耐えてみるという認識は影のように必ず付きまとう。その都度逃げ出すわけにはいかないのです。 家庭環境での我慢。学校生活という集団行動での我慢。より精神的に強い忍耐を作り上げるという点に於いて、この二つは区別して考えられるのが妥当だと思われる。それには教育とは何か、いう本来の目的に還り、ひとりひとりが個性ある人間として尊重される環境の保護整備や、教師という職業の役割を再度見直してみるべきではないか。とも思います。 (君が生まれてきた理由)

2024-09-13

~人名には多いに貢献している→人命ですね。笑。老眼です。ああ、できたらコメント欄にも確認がほしいところです。度々申し訳ない。 (生誕前夜)

2024-09-12

聞き忘れたよ。思春期女子特有の匂いって、この詩文の何処からそんな匂いが漂うのか、それこそ僕ちんが教えてほしいものだ。 (憂闇。 融闇。 夕闇。)

2024-09-12

あのね、高校生にしては汗臭さが感じられないのよね。わかりますか?汗臭さという喩え。下手馬って書いてるでしょ。なのでそこそこお上手に言葉は積まれてあるのです。何をもって年齢を詐称してみせたいのか。理由は知りませんよ。知りたくもない。ただあなたのコメントを読んでもふざけていたい。という素振りは窺える。なのでいいのですよ。端からネット投稿サイトを信用しなくてもいいのです。それは認める。だけど、さ、長続きはしない。匿名で書かれようが元からある仮名で書かれようが佳いものはよいので、どちらにせよ仮面をひとつ被るか複数持つのかの違いに過ぎないのだから。 (憂闇。 融闇。 夕闇。)

2024-09-12

ただ賑やかしてメタルチンゴのおまるは放っておくよ。完備くん、力量不足は認めてもいいが、きみはそうだと確信持てるの?あのね、いくら性別年齢誤魔化しても誤魔化せない言葉使いは出てくるものさ。キミたちにはまだわからないだろーがね。笑 まあいい。古銭好きさん、非難してるわけじゃないので、どうぞお好きに。ネット詩投稿なんてほとんどがいい加減なもので、だから名前変えていくらでも再生できる。端から信用してない人間も多いのさ。 (憂闇。 融闇。 夕闇。)

2024-09-12

高校生で今どき古銭好き?なので仮名も古銭好き。さんですか。なんかさ、読んで見ちゃったけど、高校生にしてはおじさんよね。とっくに還暦越してるわたしよりもおじさんっぽい書き方。それに下手よね。高校生にしては下手過ぎ。ぜんぜんさ、あたま凝らして上手く書こうとしてないじゃん。下手さがすんなり読めてくる。もうこれは下手上手と決定!みんな嘘つきなのよ。わかってても言わない。良いこと言っても実は詩書きって陰険な人が多いからね。わたしが言ってあげる。下手過ぎてバレバレ。笑 (憂闇。 融闇。 夕闇。)

2024-09-12

これね、作者さんはコラージュとかおっしゃられてはいるけど、内実はそうでもないのではないか。と感じるのはやはり対人への想いが書きとめられているわけですね。だから何処かでつながって読めてくる。これが終わりの三行?が付いてなければただ意味もなく想いを散見させたようにも読めるわけで、atsuchan69さんのような形式的な分解もできたわけです。 (フラクタル)

2024-09-12

思想的な意味を絡めた練度的にも其れなりに高い技術が窺える作りですが、やはり気に入らないのは文中にも書かれてあるこの詩のタイトルですね。答えもなく読み手に問う、というだけに括られてしまう内容ではないはずで、縫いつけた言葉の痛み、この思考の軌跡がどのような形として表現されているのか、筆者自身がこのことに明確な答えを持ち合わせていない。なのでタイトルも決まらなかったのでは、というような節がわたしには読めてきます。このタイトルで終わらせて済むはずの内容でもなく、勿体ないですね。という印象です。 (重なり合う/針)

2024-09-12

比喩化されるのがお上手な方だな。わたしのその認識はやはり本物でした。 これは世界(社会)という大きな視点から看護師の労働という身の回りの小さい視点がはっきりと区別されて、詩としては曖昧な形式を辿り創作されている。 「生誕前夜」一体何が生まれ何が変わるのだろうか? この語り手の視点が気になりますね。入院患者としてベッドに横たわりアタマの中で思い描いているのだろうか、それともまったく関係も無いところで、いずれにせよ客観的に無感情な視点が意識されている。 対比的に看護師と振付師の動作が描かれていますね。看護師のほうは賃金を主体にした労働とはいえ人名には多いに貢献している立派な職業です。逆に振付師のほうは創作ダンスを目的とした仕事で、とはいえお金も気にはなる。 よく看護師の服装をして仕事をサボタージュしているちょっとエッチな姿がネットに上がりますが、 振付をしながら一生懸命踊る姿もネットには散見される。 はて、それを眺め見る語り手の姿は見えない。それでも多くの人間がこの二人には関わっている、という確かな事実だけが存在するのです。ではそのことと「生誕前夜」の何が一体関係しているというのでしょうか? これはニヒリズムを媒介した大きな視点からみた小さな事柄たちで、実はそのようにして我々とは関係もなく世界は創世を繰り返すという。つまり「無」が意識された詩なのだろう。とわたしは読むのです。 (生誕前夜)

2024-09-12

中田さん、コメントありがとうございます。上記と同じく、親や兄弟という家系の因縁を比喩してまで詩に興そうというは誤魔化しでしかなく。自分のこころの弱さを曝け出してしまうだけです。話しの基がそうなので本来ならば非難されても致し方ない内容ですよ。言語的に逸脱させる。まったくそのとおりで、ああ、そうだな。このようなたぶん一生拭いきれない悔恨を詩として興すのならばリアルな心情を写すのか、まったく違う角度から誤魔化して言葉も創作されるのか、はっきりと分けたほうがいいかのな。という反省点しかありません。 (引っ込み思案な出臍)

2024-09-12

富井さん、コメントありがとうございます。読めるお方ですね。我が人生を振り返ってみて、それを事実から抜き出してだからわたしはこうなった。なんて書いてしまえばすべてそれはおまえの至らなさが生み出した責任だ。と他人から括られてしまうのは必至で、どうしても喩化して隠蔽してしまいがちになります。人にはそれぞれの拭いきれない思いが晩年に至るまで劣等感として堆積してしまいます。それを志賀直哉のようにまだ自分は曝け出したくはない。というこころの弱さがわたしにはある。あります。なので詩の形式を模倣するように言葉を置いてしまう。誤魔化しに映るだけですね。だから内容的には単純で、このことを私小説として書き込めばきっと心情からわたしの内面までを理解される方でしょう。それがわたしには怖いのです。 (引っ込み思案な出臍)

2024-09-12

大谷翔平という偉大な将来を育んだ土地柄には時間という概念に囚われない自然との共生を思い描きたくなる。そんな健やかな少年たちの姿が浮かんでもくる爽やかで大らかな詩ですね。 (雲)

2024-09-11

愛、愛愛、愛が流行ってますね。これもドラマの中で主人公が鏡を前に呟くような、そう黒髪さんのような優しさで素敵な主人公を3倍くらい美男子にした姿を想像できます。誰だ!笑う奴。 (愛を接いでく)

2024-09-11

ドラマチックな人生への憧れが見てとれて素敵だ。たぶん、いやかなりの確率で女性の作者でしょうが、女性の書きものは優しさに充ち満ちていてこのような世界観を紡ぎ出せることが羨ましい。 (蘇るアイの森)

2024-09-11

これは大企業アップル社の戦略に躊躇いもなくスマフォばかり持ち歩く馬鹿と口先達者で格好つけてる小生意気な若造を皮肉りもじっていて痛快だ。こんな世の中で誰に仕えれば俺様は上級社員足り得るいいと言うのか。誰だか聞かせてくれ。という。 (青侍)

2024-09-11

金色銀色に輝く鱗の魚が宇宙空間を駆け巡る。そんな夢みるわたしは平凡な人生を送っている。 印象として浮かぶのは絵画的なパウル・クレーの世界観ですね。ユーモアに満ちている。こんな表現もありだな、と面白く読みました。 (おさかなゴールド)

2024-09-11

セクシャルウですね。 このお狐さんはきっと人間に姿を変えるのでしょう。概略風に読めて続きに興味が湧いてくる。そんな深い内容を帯びてくるドラマ性を感じます。 (森の向こう側には、きっと)

2024-09-10

あ、いいな。男は背中で語るカタルシス、なんて洒落をデーブ・スペクター氏なら言うかも知れない。後ろ姿。特に背中といえば任侠高倉健でしょうか。昇り鯉のイメージですね。これが鬼か不動明王ならば菅原文太。梅宮辰夫にはもっとセクシーな刺青が似合うかな。まあいずれにせよ男は背中で人生を語り、嘘つきならばきっと背中に表れる。萎れた後ろ姿じゃ嘘も何れはバレるということでしょう。これが女性ならばどうなんだろう。女性の人生は何処に表れるのか。 ズバリお尻ですね。引き摺られた嘘も。でも嘘を見分けるのが一番よい方法は、、言葉ですね。そして普通に話す時の声音ですね。再度男らしい映画が観たくなる詩です。 (嘘)

2024-09-10

素晴らしい想像力ですね。~会ったこともない人に恋していると~これはまさに14才天才少年の恋に恋する憧れからそうさせる想い。~身体の奥から正視しがたい衝動が湧き上がってきます。つまり、このことは着ぐるみでは居られそうもないという、微熱から燃える発熱への衝動を抑えきれない僕がいる。ああ、僕はまだ14才。隣の伊予ちゃんは16才の年上なのだ。だからだから伊予ちゃんになんとか仲を取り持ってもらおう。そして仲良く手をつないでお化け屋敷に行きたいな。伊予ちゃん、それとなくお兄さんの都合を聞いてみてよ。お願い。そうなんだ。僕は君に。この君とは伊予ちゃんのお兄さんに対する恋心。憧れから居ても立ってもいられなくなりました。という少年の同性へのつよい想い、恋愛感情ですね。もう一晩に三回。自慰をするだけではアタマが可笑しくなりそうなのだ。  そんな想いがキリギリスの鳴き声のように爽やかに書きとめられていますね。オーマイガッ !  素晴らしい。 (僕は君に)

2024-09-10

あ~歌詞にしてもいいですね。素敵なメロディ付けてバックにはアニメ、もちろんカードキャプチャのさくらちゃんです。昔ならばザ、ピーナッツに、でもいまでは無理。だから生田絵梨花に歌ってもらいましょう。素晴らしい曲の出来上がりです。 (恋の誘惑)

2024-09-10

向日葵さん、ごめんなさい。  実はべろーんと伸びて邪魔になってきた知らない家の知らない向日葵さんの頚根っこを折ってしまったのでした。 この詩を読んで懺悔したくなりました。パプリカに向日葵を添えたスパゲッティを食べたくなりました。そしてこの詩にメロディを付けて踊り出すのです。もちろんリズムはタムタムサンバです。腰をふりふりヤッホーなのです。 (私と君)

2024-09-10

爺がじーさん呼ばわりか、真面目に書いてやってもコイツはこれだ。クソ生意気なおまるたろうとかいう阿呆。あのね、運営さん、こんな態度のわりい奴、少しは注意しろよ。旧文極じゃないんだろう?ここは。いつまでも野放しにしてっからコメントも憚られ来なくなるんだよ。作者の顔色窺うしかない。やっばりね、匿名やら変名なんかを簡単に認めちゃ上手くいかないんだよ。まあ、お好きなようにだ。 (NO!リベラル)

2024-09-09

センチメントにシュワーッチですか。笑 曖昧ですね。その曖昧さというのは肯定にも否定にも取れるということ。取れるというか、ちょうど田名網敬一の絵画作品をテレビで放送しているのを眺めていたので、より鮮やかに極彩色で撮れるというのか、モチーフからイメージが切り貼りされたような絵画的な描写です。 総じて熊倉さんと同じような印象を受けながら至極刺激的な作品に仕上がっていて素敵ですね。 この作品を言葉の意味だけで解釈しようとしてもそれは無理というもので、それだけ多義的にも範囲という言葉の質を超えた作品の仕上がりに読めてきます。 〆には「愛」そうですね。愛という肯定を意味する抽象的な言葉のなかには現実には否定も存在したりする。燃えるような赤い愛もあれば青く澄みわたる愛も、そして曖昧に混色された灰色の愛もあるわけです。刺激を受けます。 (sénṭəmənt)

2024-09-09

 の欠片       の限りない瞬き                 として表現される〈生物〉 この〆がいいですね。  「フラクタル」訳せば自己相似性。 一番物理的に解釈しそうなatsuchan69さんが文芸的に捉えておられるのでちょっとした驚きと共に刺激を受けてもいます。 幾何学的な構造をした物体を拡大していくと見分けがつかなくなる。これをフラクタル幾何と言うそうですが、これらを粒子としてみれば泡の波のようにぼやけてゆらいで見えてくる。このことを量子のゆらぎとも解釈しています(詳しくは言えません)  この作品ではそういう物としての知見と、君という思いを中心とした精神構造の境界とに分けて考えることができます。つまりどんなに離れていても物体が揺らめく泡として世界や宇宙空間ともつながるのであれば、極微量な泡の思いとして君(彼)とも強い結びつきでつながるのではないか。 そんな願いのような思いが終わりに見てとれる。 一見物理的な存在として散見され無理やり繋げて読めてきますが、実は遠く離れ存在で結びついている。物と貴方とわたし。けっこう考えられて創作されてますね。という印象を読み取りました。 (フラクタル)

2024-09-09

笑、説教だと、?おまえも自己顕示欲で書いてるだけの凡才で子供だな、近寄れない。笑えるからまあ頑張りなさいよ。 (NO!リベラル)

2024-09-09

通りがかりにいきなり包丁を持った若い男に襲われて悲鳴を挙げている女性の映像がニュースに映し出された。叫び声を聞いて近くの住民は何事かと飛び出して見ているが何もしない。刺されていることに気づき傍観者たちはすぐにスマフォで警察に連絡した。その間にも女性は襲われ続けている。見れば襲っている犯人は若い男でしかも凶悪で屈強そうな男には見えない。通りがかりの人間たち。そして住民たちは誰も近寄ろうとはしない。ただ警察官が駆け寄ってくるのを待つしかなかった。こんな映像がニュースで流れていた。 下手に関われば逆に巻き添えを食らい命を堕としかねないね。そう誰しもが考える。たとえ目の前で襲われている人間が弱い女性だろうと老人だろうと小さな子供であろうと。その戦慄に立ち尽くすしかないのだ。 交通事故にしてもそうだろう。たいした怪我でもなければ通報だけしてその場をやり過ごす。そんな他人とよけいに関わりたくない人間が増えてきている。何故か?めんどうなのだ。  私にもある。深夜歩いて近くのバーへ飲みに行く途中、目の前で車がカーブを切りそこねて溝川へ横向きに落ちてしまった。自力でドアを開け出てきたのは40前後の主婦らしき女性だった。幸い怪我らしき症状もなくわたしは手をかして助け上げてやった。少しだけ濡れた髪で、どうしようか、と困惑している様子なのでレッカー車を呼ばなければと話しているとしばらくして警察車が到着した。近くの住民が警察に通報していたのだ。関係もないので後は警察に任せて彼女を残してさっさと過ぎ去ればいいものを、お人好しにも現場の供述に立ち会ってしまった。それから翌日になり警察署から連絡が来た。~ちょっとお話しを聞かせてくださいますか?。向かい合い対応した警察官が言うには彼女は一人で出てきたと供述しているので、わたしの話しと少し食い違うだと言う。その場で少し酒臭かったので気づいてはいたのだが、彼女からアルコールも検出されていた。そして警察官が言うには私があれから何処で飲んだのか、それを証言できる人間は居ますか~ああ、この不審な素振りの質問は明らかにわたしを同乗者として或いは運転していた者として二人の関係を疑っているのだ。 警察がやって来た時にすぐに立ち去らなかった自分に後悔した。 なぜこんなことをわざわざ悪態返答丸出しに嫌味な貴君に書いているのだろうか。といえばそれは作品にも同調できる部分を多いに感じるからで、近ごろはなんでもかんでもパワハラと結び付ける風潮にはウンザリしているのはわたしも同じくなのだ。 不登校少年が作品にも上がっているが、いまでは小学生にも不登校が増えてきているという。昔では到底考えられなかった事態だ。昔もいじめる子供がいればいじめられる子供は居た。その理由の大半が容姿とか家庭の貧しさという内実で、現在とそれほど変わりはしない。ただ小中学生時にも不登校だと聞けば親父が許さなかった。あの当時なら教師の罵倒も許されたろう。理由はどうであれ襟首を掴まれてでも学校へは連れて行かれたのだ。何故ならば学校を欠席するということ自体が教師にも生徒にも罪のように受けとめられていたからだ。それでも自ら命を絶つような生徒は聞いたこともなかった。 気の合う仲間もいれば喧嘩相手もいた。男子にはある意味学校は闘いの場所でもあった。いじめられる子供がいればそれを補う友達はいた。 みんな外で遊んでいた。いま時の子供は部屋に閉じこもってパソコンやゲームに夢中。詩人でもないのに一人遊ぶ孤独を友としている。 怪我を負わせるような過ぎた体罰は犯罪にもあたる。がしかし我慢するという忍耐や根性は人との関係に於いて養われる。 不登校でもいいよ。無理に行かなくてもいい。気楽に構えなさい。この優しさも子供には甘えとして移行しないだろうか。 いじめられたら逃げればいい。関係を絶てば済むし。ずっとずっと逃げていればそれでなんとかなるさ。大人の考えではこいなる。しかし、それが子供たちの将来のためになるだろうか?疑問でもある。最後に、そのような子供たちのもしかしたら未来戦争。そして日本国兵士。逃げて逃げて遠くから手をかけずに相手を間接的に殺す。わたしは知らない、と言う。 ごめん。 (NO!リベラル)

2024-09-08

だからね。人を巻きこまないで消えたければ勝手に消えたらいいじゃないか。嫉妬深いやつだな。まあ、出禁をくり返しては人のせいにする御君は名前を変えてはまた出てくるだろう。あなたもそういう輩なのかね? 子供染みた発言をされてるので一言いっておくが、我が子が不登校少年になって悲しまない親がいるのかね。理由はどうである、悲しむような行為をしている子供をみてそれを親不孝者だ、として発言して何がわるいのだ。何が誹謗中傷発言だよ。何が誹謗中傷発言にあたるのか、よく精査してから指摘すべきで、勘違いしてもらっては困る。 そろそろ運営が眼を光らせる頃だろう。作者にも周りにも充分迷惑になりそうなのでレスはもうくり返さない。どうぞ勝手に消えてください。 (不登校)

2024-09-07

阿呆ですか? takoyo2氏のことを愚痴愚痴と持ち出してどちらが粘着なのかね。takoyo2氏はね、彼のことは好きだが、いい加減な情報を拡散する癖は治っていないのだ。何も知らないくせにいちいち口を挟むな、と言いたいのですよ。それからね、嘘か真か、ここの作者自身自分のことを14才で不登校だと発言されておられる。そのことに疑問を呈して何がわるいと言うのかね。それに対しても誹謗中傷発言などはしていない。書いたこ感想がお笑い?勝手に笑えよ。もうレスもするな。難癖を付けるのがお好きなのか?陰険で嫉妬深き詩書き人。そんな書き手は今までに大勢経験してる。 もうウンザリだよ。アバよ。 (不登校)

2024-09-07

それから、はじめの評でちゃんと感想述べてるでしょ?天才氏のコメントから同じような言葉を引用して。作品タイトルは「不登校」そのことと合わせて語り手としての彼に発言したまでで、作品として覗きみた彼に意見している。受けとめ方は作者自身で、他人から意見されることでもない。 (不登校)

2024-09-07

あなた、いちいち口五月蝿いね。?が付いてるだろう。よく考えてから意見しなさいよ。子供の使いではないのだから。作品云々ではない。彼のコメントに対して発言したまでで、いちいち小さなやりとりを取り上げるじゃないよ。 なんか、面倒くさい人が多いのね。投稿詩人て。 (不登校)

2024-09-07

独りだろ? 私は成人してから今尚友人は少ないが、それでも人との付き合いで葛藤してきた。若い頃からずっと独りで、というのは如何なものか。社会に出れば多数の人間と顔を付き合わせることになる。気持ちを感じ汲み取ってくれる人間ばかりではない。やはりいじめられるか、心を酷く病むか、良くない方向へ向かわせる気がする。幾人か心通わせる友人が居るのなら、ホームスクール?それでもいいと思う。 (不登校)

2024-09-06

下の作品でそのようにコメントしたが、この作品を読めばとても14才不登校少年には思えないくらい、上手いので、でもまあ、天性の才能もあるからね。一概に言えないのはわかってる。 そもそも名を変え素性を隠して投稿するのもネット詩の利点でもあるのだから文句を言っても仕方ない。作品オンリーだ。けれどね。前に誰かさんにも言ってるが、そのようにプロフィール言い張ると、もうそのような見方でしかできなくなるのね。そのことは覚悟しておくべきだろう。 (僕の「I was born」)

2024-09-06

ちょっと辛口批評していいですかね。 夏の風に煽られながらドライブする景色。これが失恋を想いながら疾走して行くのならば「夏のクラクション」稲垣潤一の歌が流れてきますね。 「ローン35年」の看板」を眺め見て。後35年生きられれば、でも、とても生きられないな。そう実感できるので、過ぎ去った年月の虚しさばかりを追想してしまう。これはある程度歳を重ねた人間には誰にでも感じることで、そのきっかけが「ローン35年」ではあまりにも凡庸で詩として興す事柄でもないと思う。いや、そう感じたのなら興してもいいのです。でも歌詞にも負けていませんか?「夏のクラクション」こちらはキーワードが「ローン35年」これではあまりにも淋しい。と思います。 (夏空の下)

2024-09-06

真実に黒髪さんはキリスト教徒なのでしょうか? ならば私はあなたの愛を貶す資格はない。愛を受け入れます。といっても同性婚をするわけじゃない。笑 (愛を調和させる)

2024-09-06

本当に14才で不登校親不孝者ですか? 確かにもう詩人としての才覚はあなたに備わっているとわたしも思います。なので、死ぬよ。あなた。学校行くことを考えなさいよ。転校してでも。最近では登校に気を使ってくれる学校もあるでしょ?詩なんてお遊びにして勉強頑張りなさいよ。そして目標を見つけなさいよ。若いのに時間がもったいない。などと、これは説教ではない。本当に他人のことはどーでもいい。ただね、そんな若い学生の頃から詩なんて本気で夢中になったら人生に絶望するだけですよ。それよりも普通に勉学に勤しみなさいよ。取り戻せるうちに。詩なんてお遊びで楽しむこと。それが一番。 (不登校)

2024-09-06

 おまえ、もう一匹だけになって、誰かが構えた狭い水槽の中でよく生きてられるな そう、誰かとはこの俺様なのだ。餌を与えながらいつも思ってるよ。   はやく召せられてくれないか、といつもいつも思ってるよ。今年の夏は強烈に暑かった。それでも毎日毎日冷水に換えてやった。来年はどうなるかわからない。俺様も歳だから、だから、はやく召せられてくれ。長生きしたんだ。ゴミなんかと一緒に捨てないで、きちんと埋葬してやるよ。だから、だからな。いつまでも生きてるんじゃないぜ、一匹で。   寂しいよ。   (B-REVIEW 9月のお題詩「淋しい熱帯魚」「きみとせかいせいふく」)

2024-09-06

これは詩的で宜しいな、とか思うのですが、私が惜しいと感じるのは~おまえ~ですね。言葉として指示しないほうが私的には余韻として追想が一段上がります。 (白いライオン)

2024-09-03

そうですね。湖湖さんがおっしゃられるように前半は組み立てた肉体プラモデルを再度バラバラにするような無茶ぶりがある。後半部分の「 」には思想家としての強いメッセージ性も感じるのですが、前衛的に眺めみて特にあなたやAOIさんの作品などは、その可読性というエントランスを意識した場合読み手と作者の距離感に際してギリギリのところで勝負をかけているのが伝わってきます。なのでお好きなように創作されればいいと思う。そんな私には一行でもいいのです。刺激的でさえあれば、 。 (共に生み出るべき者へ)

2024-09-03

オモロイですな。先ず発想がいい。それと展開の仕方も。でもAI?一定のパターンは読みとれる。それは演繹法とか帰納法を駆使して主題の話を解決に向かわせる。という展開の作りには読めるが、この発想はどのようにして描いているのだろうか。思いつき?AIが発する言葉にはやはり何かしらの意図として組み込まれた基準があるのか、それを自身で解説できるのだろうか、それとも? (ナンセンス関西弁ポエム五編)

2024-09-02

もちろん和服姿でお稽古事の中で、つまりは芸に苦悶する語り手が幻覚の中でもうひとりの自分と問答するような~という感じで、 (ひどくもろくみえづらくさわれないもの)

2024-09-02

カラマーゾフの兄弟ですね。なかでも難解だと評されるイワンと悪魔の対話。あの場面が詩的にチラモラとアタマを過りました。 (ひどくもろくみえづらくさわれないもの)

2024-09-02

これはまったく個人的な思いつきだけど、あなた万太郎(川)さんは面白いこと平気で言っちゃえそう(もちろん真面目にも)なのでラジオのパーソナリティとしてはプロとしてやれそう、かな?。そんな雰囲気はある。と思う。 (すかんぴんブルース)

2024-09-02

移民問題に関して言えば、より厳しい政策を掲げるような情勢になってきていますね。差別には反対だ。弱い立場の彼らを受け入れろ。とはわたしも思いますが、そう手を挙げたときにはやはり欺瞞と自己矛盾が混同して表れてきます。仮にこの国が外国人たちのコミュニティによって成り立ち、逆に彼らによって元々の日本人であるわたしの生活が厳しい立場に追いやられてしまったら、そのような肯定的な捉え方はできないかも知れない。決して口に出すことはない差別用語。もちろんあからさまなヘイト発言を容認することはできない。がしかし、仮に彼らが在日としてこの国の商いで財を成し、わたしがその彼らの下で働き飼い犬のように扱われる身分になったとしならどうでしょうか。たぶんヘイトに近い憎しみがメラメラと湧いてくるのかもしれません。その立場によって考え方もコロッと変えてしまう人は少なくないと思います。 天皇制に関して筆者は大方肯定的な見方をされておられるようですが、王政も現在では半数近くか、またはそれ以上の国が象徴的な立場として受け継がれているようですが、どうでしょうね。既にシステムのAI化も後戻りできない状態で、おそらく将来的にはAIによって国家統制も成される。世界は破滅に向かう戦争でも起こすのか、そうでなければ、すべてAIの指示によって社会活動を制限される日々は必ずやって来ると思われます。そのような将来的な見通しの中で果たして王政や国の象徴など必要でしょうか? 象徴とは言え彼らは生まれながらにして特権階級に位置します。我々国民はそんな象徴的な存在者に対して礼を尽くし金銭を収めるのを憚らない。例え何割かの人間が生活の貧困に喘ごうとも彼らの立場は法的には擁護されるのです。儀礼的に偶像崇拝を禁止する宗教は多い。しかし実際には像を崇めて敬うのが宗教でもある。   国として引き継がれ敬う象徴的存在者。無くなれば我々国民はその虚しさに心が打ちひしがれるのでしょうか? 私個人としてはそのようなことはない。と断言できます。 (試論:平和宣言と天皇制)

2024-09-02

くり返される~すかぴんブルースのフレーズが輪をかけてウザいし、こんなの目の前でやられたら私ならキレますね。詩としては面白く読めるので、どうでもいいようなメロディは付けないほうがいいとわたしは思いました。ごめんなさいね万太郎さん。パフォーマンスに関してわたしは求めるものが高いのかもしれません。あなたの思うような賛同者には成れないと思う。 (すかんぴんブルース)

2024-09-02

タイトル内容の雰囲気から古民家(旧家)を対象にした霊念のような想いは伝わってきますね。祖父への想いという作者のコメントなどでそのイメージはより強く受け取れるというか、実際に存在した景想が読み手に上手く伝わるのかを考えてみた場合、あまりにも比喩表現に頼り過ぎると却って情感を歪めてしまうのではないか、というような気はします。 (影と梁)

2024-08-27

田中恭平先生。丁寧に読んでいただきありがとう。感謝申し上げたい。ほぼおっしゃるとおりの解釈で正解でしょう。出臍というのはもちろん喩だけどある種の因縁で、そこにはやはり脈々とした血の存在がある。引き継ぎ引き継がれあるとき出臍となって表情を現しはじめるわけです。優しさもあればときには傲慢さが子供を奈落の底に陥れる。しかしながらある程度年齢を重ねて考えみれば人間がそのように変化していくのにも原因は潜んでいる。子供の頃には思いもしなかった人間に宿命づけられた嵯峨。自分が親に近い年頃になれば理解できるようになる。その時にはもう遅い。というのも思えば無常感に包まれてきます。 (引っ込み思案な出臍)

2024-08-24

アフリカの大地に降るスコール 鳥の歌が落ちるよ ふりかかるのは言葉の汚物 やがて岩に砕けて海を流れた 言葉は魚たちの餌になる パレスチナに降る雨 愛の墓碑をエルサレムに刻み 死海に青い空が溶けてきたなら 一房に結ぶオリーブの束を浮かべ あなたに捧げる (B-REVIEW 8月のお題詩「愛の爆弾」「さよならを教えて」)

2024-08-24

海のない国では、~この後半部分から詩的な表現が展開されていきます。その前段は日記のような散文でしょうね。この二つを情緒よく組み合わせるとしたらもう少し語り手から離れた表現を組み入れないことには後半部分は上手く協調して読み切れないと思いますよ。「わたしは窓のそとを見ていた~ 」せっかく詩的な主観性が覗える表現もある。この様な空間に比喩などを用いてみるのもひとつの手法ではあるのでしょうね。 (海)

2024-08-22

一目惚れなんて浮気な本性で はじめて見つめてから何年も過ぎたよ いつも気にしたり気にしなかったり 最初の頃はどきどきして 人の居ないときを探してたんだ もうきみは覚えてないだろうな じっと見つめると何気ない素振りで ほんとは気にしてるくせに こころを閉ざしているのは何故? 教えてよ さよならは毎日のことさ あれから季節は単衣にめぐり 花は咲かなかったよ 浮気癖が怖いのは僕も同じさ 少し太ったね 白髪も増えてきて まだきみは居るけれど あの日のままで (B-REVIEW 8月のお題詩「愛の爆弾」「さよならを教えて」)

2024-08-22

これはタイトルには含ませていないけど情感ですね。あなたを象徴的に置いた「激情」だ。例えば「やわらかな時間」という言葉を特定の意味付けで言葉に興し表現するのにはそれ相応に言葉も必要になってくる。「激情」という短い言葉ひとつを文芸的な表現で読ませるならばこれくらい文面は必要になるということですね。なのでそのあたりを詩作として読みとれる佐々木春さんが良評としてコメントしているのもよくわかる。 (激)

2024-08-22

おまえとは誰だ。何なんだ。っていうのが一概に相手を指して読みとれないと感じてしまう処が味噌(妙味)ですね。おまえがほしい。この前段に置かれた言葉たちのセンスのよさが光ってる。 (おまえがほしい)

2024-08-22

シュールなタイトルがいいですね。 カタカナって無機質で冷たい。いまにこんな時代で働くようになるんだろうな。諸本やアニメーションで描かれたとおりの世界。まあ孤独を拠り所とするわたしには機械的に続く毎日も忍耐強く我慢はできるのですが、目の前から青空や森林の姿が消えてしまのはやはりちょっと寂しいかな、と。 (労働週間)

2024-08-22

子供目線から振りかえるとわたしもっと頑張れ、でしょうか。子供の時分はよけいに悩んでずいぶんと無駄に時間を潰してしまったな、と振りかえるのが大人になった自分ですが、わたしは中学生の頃が一番楽しかったな。あの思春期のはじまりの頃が将来を決定づける梯にもなりますね。よけいなことばかり考えてましたね。あの頃には戻りたいのですが、また同じような繰り返しだろうな。 (思い出のひまわり)

2024-08-22

よんじゅうさん、四十代ですか? コメントありがとう、ですが、何を指して言いたいのかわかりましえん。 (引っ込み思案な出臍)

2024-08-22

atschan69さん、コメントありがとうございます。これ、5分くらいで書き上げてます。おっしゃるとおり出臍はべつに身体的なものとは何ら関係もないのですが、後々ずっと尾ひれをひく劣等感になった出来事には間違いないですね。まあいまから考えてみれば因縁ですかね。人間も環境によって徐々に変わっていく、良くも悪くもなる。昔は嫁に八つ当たりする意地の悪い義理の母親も多かったし、祖父母との関係が良くないと母親は子供にあたん(八つ当たり)する。された子供はたいへんですよ。いまは夫の親との同居も少なくなってきて、そんな気づかいもないのでしょうが、そのぶん子育てには手間もかかるでしょう。肉親との別居が続くと結果独居老人も増えてくる。どちらがいいのかよくないのか。 takoyo2さんですか。旧名(室町)または山田太郎さんでしょう?わたしはね、あの方の作品はリスペクトしてるんですよ。なので返詩のようなカタチをとらせてもらっていた。自分の作品としても近々しいイマジネーションがわいてくるのです。昔から蛾とヤモリの関係みたいなあの二人の意識とはまったく違う。冗談に悪意などあるわけはないのです。 takoyo2(室町)さんはかなり個性的にも偏る保守的な意見の持ち主で、私も彼の意見には度々個人的に反論もしている。しかしね、だからといっていくら多少主義思想が異なるとは言っても創作への評価は違うでしょう? たぶんネット情報とか、ちょくちょく批判していたので私が思う以上に気に入らなかったのでしょうが、そんな些細な喧嘩はもうずっと以前からです。私も彼の作品は好きですよ。もう何も言えなくなってしまった。がっかりですよ。ったく。 (引っ込み思案な出臍)

2024-08-22

湖湖さん、コメントありがとうございます。おまえのかあさん出臍なんて大昔はよくからかわれてましたね。僕自身言われたことはないですけど (引っ込み思案な出臍)

2024-08-22

こういう吐き捨てものに点数を付けるとしたら文章のメリハリにリズム感。そして少しばかりの人生観ですかね。もう面倒くさいので構えて詩なんか書いてられない。即興でエイヤッと、わたしも書きましたが、当然評価なんて臭くて必要ないのだ。書き溜めてくるとこうなるのも致し方ない。わかりますよ。読ませるつもりもない。自分の慰めだ。暑いし、言葉なんて面倒くさいし、もう少し涼しくなって冴えてきたら推敲できるような詩を書けばいい。ってごめん。これは僕自身の独り言です。 (リビングデッドおれら)

2024-08-20

↑ 訂正~異世界ですね。笑 (食事の用意)

2024-08-20

まるで異姓界から語りかけるような不在観が受け取れるのですが、ものごとの始めも終わりもすべて神様の思し召しのとおり。汎神論者として読めてきますが、この静物に見てとれるタイトルと異空間に置かれた対比とのバランス感覚。こうしたセンスのよさが文章でもわかります。 (食事の用意)

2024-08-20

そのタイトルぶっ飛ばそうよのリズムにピッタリ感な面白い言葉たちはいい。センスもいい。トングって実はあの挟む調理器具のことなのね。ゴミ拾いに挟むのもそういうらしいけど、普通なんて言ったかな、忘れちゃった。笑。しかしさ、もったいないね。なんでこの一辺倒なリズムのままで終わらせるんだろ。展開がほしくなるよ。皮肉を込めて語らせるだけじゃなくてさ。例えば音頭なんだからタヌキが出てきて踊りだすとかさ。そのタヌキが実は女でキツネ男がヤクザに殴られ蹴られる。そこでゴミ回収屋のオッチャンが全然関係のないセリフを発するとかさ。いろいろ考えてもっと面白がらせてよ。とか思いました。 (回収音頭)

2024-08-20

それにしても大層なタイトルですね。なんだかモネの「日傘を差す女」を写し取るような言葉の情動だけを受けとめてしまいますね。詩に向かわせたものは切ない記憶の回想でしょうか。もちろん現代語で書かれてはいますが、恋愛感情を綴るその表現はゲーテの時代を彷彿とさせるように耽美的で、これも大仰なタイトルにはハマるといえばハマります。終わりに置いたニ行の現実感で情動を揺さぶる意図でしょうが、その恋愛感情の背景がよくみえてこないので、こちらの胸には情緒を誘う操作としては効いてこないですね。まだ未練があるのかただ憧れのままに終えたのか。それよりもこの失恋自体がよくわからない。べつに恋愛感情の詩を否定するわけじゃありませんが、ただ作者の記憶に残る回想を美しく読みあげている。という感想しか受けとめれない。仮に書き言葉だけの美しさを追求しようという意図ならば、徹頭徹尾読み手のこちらが涎を垂らしてしまうほどの悩ましい耽美的表現を読ませてもらってもいい。とは思います。 (女神 〜君の瞳と大地の色彩〜)

2024-08-20

一般的にみれば完備さんの意見は正当ですよ。普段言葉と戯れていない人々からすればナンダ?これは、とあたまを捻ることは必至ですね。 その昔田中さんの書かれたモノは詩に携わっている方々からも賛否両論で喧々囂々だった。文節的には非常に優れているのだがそれを詩人の言葉として受けとめるのは至極難解さを伴う。それだけ個性的だとも言える。この人田中圧輔氏の詩をいまでも分析によって読み取れると自覚する人はほとんどがその思い込みに過ぎないとわたしは思う。前衛芸術家。この人を評価するには書かれた言葉の裏側に置かれた本人の思考そのものを理解しようと努めなければ真の評価にはつながらない。そこがまた田中宏輔という詩人の弱みでもあるのだが、真実詩人とはそういうものでしょう。 (WISH YOU WERE HERE。)

2024-08-19

不快感だとキツい感想を述べましたが、一言で申すならばセンスを配慮してほしい。ということをわたしは言いたい。この異論空論を洒落と見立ててぶっ飛ばそうよ。というような挑発感を粋な作りで拵えるならば、作品によっては朗読という行為を変化させてみては如何だろうか。これは着ぐるみかぬいぐるみを表に見せてあなたが裏から朗読してみればいい。兎に角この間が不愉快です。わたし的にはそのほうが愉快に映りますね。あくまでも画面として。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-19

人間としてはどうしても先入観に囚われてしまう。ということでしょうね。Ai氏の分析力を読めば表現技法としては確かに唸らせるものがある。これは書き置かれた言葉だけに忠実に向き合っているからでしょう。しかし弱点はある。Ai氏はそもそも数字を素に人間が発展させてきているので正確性を基準にした確率的な判断でしか読めないというジレンマを抱えています。Ai氏に人間社会の未来を予測させれば、地球上に於ける人類という生命の発展を根拠にした知的特性から、理性的な生きものとして形成されてきた人間としての歩み、その社会的歴史観を徹底的に分析統合させて幾つかの予測を確率として提示はできるでしょう。そこには希望もあれば絶望としての未来もある。しかしながら当然はっきりとした答えを出せないのは人間と同じです。つまり人間が数字によって作り上げた機械にはやはり超えられない限界があると思います。映画「ブレードランナー」の原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」というf.k.ディックの本はご存じでしょう。当然Ai氏も夢想はするのでしょうが、これは本当に夢でしょうか? 一人一人違う個性の夢を、超現実を、果たしてその本人の物語のように異なるイメージで描き出せるでしょうか? もしもAi氏が夢に思考を描き数字が予測を超えることができたのならば詩人は必要なくなる。そんな世界がみてみたい。 (わたしは烏)

2024-08-19

肝心なことを言い忘れた。佐々木春さんの処でも同じ様にコメントしていますが、何よりも語り手の目線を通して作者が立ち尽くしている。なので読み手の我々も作者同様に語り手の場所に居られるのです。つまり時空は動いても作者は我々と同じ様にその場面を眺めている。という存在と時空の超越感。あなたとわたしの差延。笑 てすが、イマジネーション。視る側とみられる側。映像表現に於いては欠かせないものだと思います。 (日傘)

2024-08-19

所謂これも動きのある心象的な風景詩に当て嵌まるのでしょうが、久々に佳き抒情を感じることができました。~トゥギャザーのように小鳥は死に絶えて~あなたや佐々木春さんにしても、この夢想感が現実を飛び込えるのではなくて現実と交錯して、語り手の眼を通して作者までもが写し出されてくる。この辺りの描写が非常に上手く伝わってくる。暑い夏。その熱い景色が、まるで読み手のわたしがその場に存在するかの如く読み手の心象にも写し出されてきますね。これは何よりも筆力としっかり把握された文章の構成と推敲があるからでしょうね。佳き作品です。 (日傘)

2024-08-19

剪定と選定。上二連は切り捨てられてもそのモノ自体は活かせる。という意味に於いて肯定的な捉え方に置いている。~センテイに背負わされた宿命を考えると少しばかり和らぐ気がした。これを人間社会に置き換えると格差社会に於いてたとえ切り捨てられる側に立たされようとも、社会全般が成り立っていくのならばわたしは甘んじて受け入れよう。という積極的なニヒリズムの思考が読み取れてきます。 ~私たちは毎日運ぶことができるのだから。これは一体何を運ぶことができるのでしょうか。希望、勇気、幸せ? 把握する言葉が足りないので読み手の私にはこのことを思い込むには不安感も寄生してしまいます。それは私が前述した積極的なニヒリズムという切り捨てられる側の犠牲者的諦観の姿勢に於いて、格差社会の下部に置かれた立場の人間に、果たして希望や勇気、そして幸福感など持てるのか、という疑問が生じるからです。哲学に置き換えた思考精神はわかる。しかし何よりも言葉が足らないので全体として作者の言いたいことが上手く伝わらないのです。 (センテイ)

2024-08-19

完備くんの言いたいことはよくわかる。黒髪さんには黒髪さんの求める純粋な優しさ愛おしさがあるので、それはそれでいいと思う。あなたはずいぶんと成長もされていて、わたしはそのようにもコメントしたことがありますね。ですがこの様な詩を読めばやはり自分の居場所に腰を据えてしまうのではないだろうか、と危惧もしてしまう。ジョン・レノンのイマジンはお好きでしょう。あの世界中で敬愛される曲は非常に言葉少ないてシンプルな作りの曲ですね。彼処へジョン・レノンがたどり着くまでには何度も前衛を試みている。落ち着く前にまだまだ自分を壊してみたい。これは自身を含めて黒髪さんにも期待していることです。 (回り続ける)

2024-08-18

グローバリゼーションとはいっても結局一部の先進国を富ませるばかりで、これだけナショナリズムが復活し台頭してくれば筆者の掲げるタイトルもよくわかる。 メッセージとしてならば読ませるだけの上質な力は感じます。 (WORLD CITIZENとはもう歌えない)

2024-08-18

語り手を悩ます理由はよくわかりました。が君が死んだその日には記憶喪失にでもなってしまったのでしょうか? まあ創作とは嘘ごとなので嘘でも一向にかまわないのですが、好きだった相手が死んだ日の記憶がない。思い出せない。というのは明らかに詩を意識した嘘の言葉ですね。私の経験から申せば記憶がない。記憶が飛んだ。思い出せない。というのは、そのほとんどが関心もなく毎日がくり返される、思い出したくもないような嫌な日々の積み重ねからです。好きになった相手の人が死んだ日。そんなショッキングな日を忘れられるものでしょうか?すこぶる楽しかったこと格段に嫌なことなど、特別なことはなかなか忘れられないものではないでしょうか? わたしはこの~記憶がない。という置き方には始めからその言葉有りきに思えて非常に懐疑的なのです。  (お別れ)

2024-08-18

何処かで誰かが言ってたな。背広に丁髷は可笑しいと、、、、見事にその言葉を打ち破ったな。スラングと短歌の融合、でもないな。共演だ。僕も上のAi氏に同意だ。これは見事にきみのスタイルだと味覚した。 (ルード・ボーイたち(短歌))

2024-08-18

アンニュイな雰囲気で、それでも海をみつめる語り手の少しモノ悲しさが浮かび上がるのは、やはりメロディを伴う歌という形式に座っているからでしょうね。遡騒と置かれているので過去をみつめているのでしょうか。詩自体は淡白で背景には海をみつめていたという書き置かれた言葉しか読めてはきません。ですが、やはり歌の力は大きいな。特に女性の声は、と改めて認識できますね。 (溯騒)

2024-08-18

見方を変えれば面白い。自戒を込めた内省との対話でしょうか。映画監督の黒澤明は言いました。悪魔のように繊細に。天使のように大胆に。と。これは個人的な詩論という立場から捉えた正論に相対する反論。テーゼとアンチテーゼ。このことを世阿弥の如く風姿花伝に見世物小屋で語らせるという粋で鯔背な空芝居。この悪魔のような内声との対話はお見事ですね。 (ひどくもろくみえづらくさわれないもの)

2024-08-17

わたしが渇望する非現実的な希求心と、気がつかないうちの肉親の死という現実的な乖離。これを見果てぬ頂上の夢想と俗世界に分けるとしたら私とは一体何処を彷徨っているのだろうか。~ダーザインの詩を読んだ後の夕暮れ~答えはなかった。笑。ダーザイン。この解釈には読み手の私も興味を惹かれる。 (アンナプルナ)

2024-08-17

遠くから見つめ直してみれば恋とは狂気だ。これは幻を追いかけている詩人と同じ様。所謂「恋」という概念を~それだけじゃねーだろ。と見つめ直してみる意思表示でもある作品。 (恋)

2024-08-17

これはおもしろいな。 おどろおどろしく魔界に浸る妖女と水鏡を通してみつめる現代史(笑)そのこととはなんも関係なくプラモデルの作業にあたまを悩ます作者らしき人物。神話と過去と現代が組み立てられて作者は鳥なり下界を見つめる。これこそ文学的宮崎駿の世界観ですね。ん?素晴らしいのだろうか、素晴らしいのかもよ。と一言付け加えて感想終わりにします。 (わたしは烏)

2024-08-17

おそらく佐々木春という名の書き手にとって一番大切なことはわたしという自我への希求と、書くという行為に於いてのその感情のリリースだと思う。 皆さん同様にアバターという語り手の視点から醸し出されるイメージの景色は緻密に構成されている。しかしこのことはあくまでも実像を伴わない写し物。文学的な表現としての作者の景色です。 吸収さんがおっしゃっている。熊倉さんのところで書き損ねてしまったが、ダリの(やわらかな時計)を文学的表現で書き表せば(やわらかな時間)ということになるのでしょう。これは即物的な捉え方ではなく時間という概念への反抗(挑戦)でもあるわけです。 わたしが画面を通して演舞者に感動するのは、なにもその演舞者が演じるパフォーマンスだけではない。それを見つめて感動する人々の姿が写し出されたときでもある。ガンズ&ローゼスのWelcome to the jungleのビデオクリップを見て、その写し出される映像を眺めてウンザリしているアクセルローズの姿に感動を覚えてしまうのです。 佐々木春さんが描き出すわたし。毎回その姿は違えども一貫して立ち尽くして眺めている作者のアバターを感じますね。そこがあなたの秀でた個性でもあるとわたしには思えます。 (ストリーム)

2024-08-17

高層ビルが自殺幇助した。って表現はいいですね。ひとつのイメージとしては起ち上がるのですが、~夜を嘲笑うかのように立つひとりの少女~これとタイトル野獣との結びつきが遠くて時空間的に曖昧になって読めてきます。 音の無い夜に、幸福に飢えている獣がいた。これだけで野獣という体裁だけは整うです。 (夜獸 )

2024-08-16

次々と運ばれてくる部品を組み立てる工場の流れ作業。ロボットのように無表情で動きまわる人間の手足。そして顔までも無表情で固い。そこまで人を追いつめていくのは、当然生活するための稼ぎを得るためで、そこに働く喜びが介在しているのだろうか?という問いまでもが動きのあるストーリー性と共に敷かれている。そこがこの詩を表層的なシュールレアリスムな表現だけに留めていない佳さがあると思います。 多分にシュールレアリスム的な概念の表現を試みておられるのでしょうが、~恐竜の卵のような洗濯機の蓋~善悪に窒息しかけた(蛇)~等々。例えばあのダリの絵に描かれるぐにゃりとしたやわらかな時計などは、そのままぐにゃりととしたやわらかな時計。と言葉に置いたのではそのまま読み手に解釈を委ねることになる。そのあたりが難解さを伴う現代詩の弊害として、少しだけ興味を持つ一般的な読み手からは敬遠される素にもなるわけです。 この詩の素には前述した非人間的な労働への問いがあるわけなので、全体的なイメージとしてのシュールなレアリスム。あのダリの絵に見られるような非日常的な光景と非人間的な動きを交錯させるのならば、過激な比喩に固執するよりも却って現実的日常性を帯びた表現を駆使してみるのも一考ではないかと思われてきます。 (Arbeit)

2024-08-16

愛にも様々なカタチがあって、これが同性や母親に対する敬愛からの無償の愛を讃える愛ならば、寄り添う二つの花片がイメージ的には浮かび上がります。単純な構成ですが、ひとつの曖昧な形態を指し示すときには、この様に現実性を帯びたカタチで表現されるのは必要にもなると思われてきます。 (愛しい人)

2024-08-16

万太郎さん、独り日本狂作話しの語りはいいけど、わざとかそうでもないのか、間が空いても相手を不快にさせては元も子もないと思いますよ。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-01

コキア。確かに髪を薄紫や茶色に染めた老婆にも見えてくる。遠くにしゃがんだ姿を想像してみれば、です。箒といえばやはり竹箒が主流なのでコキアの魔女箒は身近には感じられません。でも写真で見るひたち海浜公園のコキアは壮観ですね。一度行って眺めてみたいですね。  この詩解読不可能に読めますが、なんだろう、擬人化させたコキアが思い浮かべる郷愁への思いを語り手自らの回想と交錯させてあてがっているのか。お坊ちゃまのように育てられた僕。チクチク言葉そしてふわふわ言葉。小学校の道徳で言葉を選ぶ本として教えられるらしい。ふわふわ言葉は元気の出る言葉。そしてチクチク言葉は、その反対ですね。こころを傷つける言葉だという。コキアにはそんな印象が浮かび上がるのか。昼夜自転車で街を流していると、その場所の雰囲気で突然過去が思い出され蘇ることがありますね。当然思い入れのある草花や何かの彫像を見たときにも懐かしさがこみ上げてくることはあります。 そんな思いを一方ではコキアから。そしてもう一方は語り手と曖昧に混合させていて、これでは終わりの謝罪会見と読み手には合わせてわからないはずです。否、はじめから解読不可能に書き込まれている。それは二重にも三重にも仕掛けられた罠があるからです。出来栄えのよいわからなさ。だと思います。 (コキア)

2024-08-01

チーズ~ジャム、パンそしてハルジオン。この作者は間違いなく女性だろうな。ってのがわかる。もし違ったらまた一つ若返る、笑。 タイトルからの入りは雰囲気がよくて素敵だと思う。問題は、中ほどの例えば~からでしょうね。いきなり戦争の叙述に変わる。せっかく終わりの連に景色として描かれているので、これを~わたしは遠くを見ます。の後に持ってこられたほうがいいとわたしは思う。それから間を空けるにしても、例えば~と入れ替えたほうがわたしには自然に流れてきますね。夏のはじめ、なのに不安な気持ちで迎える。思いは最後に取っておく。という。これも形式的な体裁のひとつかな。 (夏のはじめ)

2024-07-24

自分のスタイルをお持ちのようだが、冒頭からの一~二連はいい。掴み所のない世界観が拡がっていく。後半の連だろうね。あなたとわたしという相互関係を対象にして語られるのだが、射、を考えれば遮るモノが乏しく薄くなって感じてしまう。わたくしの生活は~ちょうどここで切れている。ここに一つ、煌めく言葉が欲しくなってきた。 とわたしには印象付けられましたね。 (射)

2024-07-24

先ずこの間あなたの作品上で荒れたことをお詫びしたい。あなたは関係者であるが故に少々乱痴気?騒ぎになっても許される範囲だろう、という甘さがあったことは確かで、そうだ、揉めるに乗ずるのは一応ルール違反なのだ。ルール?よく読んでいなかった。ルールとは破られる為にある。とは誰かが言った言葉だが、もちろん常識ある社会の中で通用しないことはわかっている。それでなくても今日の世界情勢を鑑みれば、一部の為政者によって国際秩序はどんどん破られて破壊されようとしている情勢なのだ。 まったくここまで来て喧嘩騒ぎを起こしてしまうとは、いい歳をして少しも治癒されていない。恥ずかしさにお尻が痒くなる。どうにも性質上本能的に凶暴さを自ら封じ込めない。これも人間という生きものの本質なのであろうか、必ずや次々から次へと面白がって人が湧いてくる。まるでエンターテイメントじゃないか。しかしながら、詩のサイトというルールが掲げられである以上暴言によるお笑いになるだけの軽薄な互換は避けられるのは当然だろう。認識の違いからそこまで発展した経緯をお詫びしたい。 ところで歴史上優れた詩人の所業を引用して序文からなるこの日記という作品ですが、冒頭からして推敲はどうなのだろうかと思った次第なのです。というもの、かのかっての唐の詩人~かのかっての、同じような意味が重なって入る冒頭。小さなことだが、文としては気にはなるのです。わたしがこの文節の冒頭に置いたところで~これに、それからところで~と話しを切り替えるようなものに近いと思われるがどうでしょう。否、それでもかまわない、とおっしゃられるならばそれでもよろしいという小さな意見ですが、後々の詩文を中心とされた文章はよろしいですね。読むほうとしても作者の気合いを感じました。 (日記)

2024-07-24

まあ、ルイルイにといろいろ書き連ねているのが何を言いたいのかわからなくてもいいのですが、とりあえず、思いのある二人の女性らしき名前が挙がってる。これがバーチャルな相手なのか現実の人物なのかくらいは読み取らせてほしい。かなって思いますね。 (穂月知実~まあるい月)

2024-07-24

むべからぬことであった。なんて久々に読んだ。まあ楽しみと無聊~なんて書き込んでおられるので古い方だなあと、古い言い回しだからって、わたしもどちらかどちらかといえば古い方なので、これは何とも言えません、笑です。 詩と孤独に関連して皿を割り続けるという行為が突然鳴り響く。皿とはモノでその本質とは何かを置くための実存(現実)に扱うモノですね。壊してしまっては元も子もない。その本質を壊してしまうという行為は、つまり本質から抜け出して皿をみつめて行こう。という実存(現実)の思考性に対する変化とも受け取れて読めてきますね。 いままで積み重ねてきた思いを打ち壊してしまえ。その挨拶への前置きとして読めてきます。 (挨拶の前に)

2024-07-21

ジェナはずっとレム睡眠で遊泳中。レム睡眠って脳は覚醒されているのでその意味ではインソムニア状態とも云える。 突然ドラマチックな描写から入る長い光景は映像的に、そして脚本的に読めて、多分にシナリオの描ける方だと思いますよ。シナリオは感情の内面操作は役者に任せるとして書き置かれるので、詩書き人には物足りなさも感じてしまいますが、どちらも頑張ってください。 (インソムニア)

2024-07-21

あ、いや実際その彼が黒人であるのかどうかも判明はしていない。読み方ひとつで陳腐にも荘厳にも変わり得る可能もある。それは詩のおもしろさでもある。 (苦しみにある黒人に黒い光は使わされる/私は彼の最後の言葉を知らない)

2024-07-21

うむ、ですね。人によっては受けとめる解釈が異なるので、批評を読むのは勉強になります。 書かれている私の友人を実在した話しとして受けとめれば、話しはかなり身近なものになりますね。 しかしそう考えると彼は黒人であるが故になぜ死ななければならなかったのか、という疑問が湧いてきて、話しは複雑にもなり、田邊さんがおっしゃるようにこれだけでは書き足りなくなってしまう。 (苦しみにある黒人に黒い光は使わされる/私は彼の最後の言葉を知らない)

2024-07-21

もう消えちゃったからいいけどさ、君がいくら演技だと言い張っても周囲がそう見なければどうしようもないよね。君の挙げた返事変化返詩?あれはどうみても悪意から成る荒らしだよ。まあ、僕もおもしろがって君の(おまる)というハンネをアチコチと使ってたからね。報いは受ける。が、もう悪態つくのは止めておきなさい。自分が惨めになるだけだ。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-21

いやあ、お久しぶりですね。天才さん、いやそもそも私はね、それほど拒否されるとは思わずにコメントや返詩をしていたのが発端になったわけですが、あれほどまでに根深い拒否感情を持たれているとはちっとも思っいなかった。たぶん現代フォーラムで現代詩人会のプーチン氏の云々に抗議する。を彼が散々貶していたのを私が反意から咎めたからでしょうね。 アクセス禁止だったのですね。どおりで名前を変えてるのに、追っかけて来た、とかおかしいことを言うな、と思っていたのです。わかりました。お騒がせして申し訳ない。力のある作品を読み僭越ながらコメントもしてみたいので今後脇道に逸れないように致しましょう。尚先の投稿作はコメント凍結されてもかまいません。しかし一個人の発言の自由は保証されたし。彼らが人命を軽んじる云々と私個人に向けて発言するのは勝手だが、サイトの為政者として裁かれる権利は有していないと思う。有るよ。というのならばそこには思想に関して偏る独善的な力が存在するということになるからです。 詩だけを見つめましょう。失礼いたしました。 敬具。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-21

えー、ところでわたくしめの投稿で蛸爺氏が「人命を軽んじる発言をした」とかコメントして?と見返してみたらあなたがここに書いておられました。見逃してましたよ。まさかこんなことを本気にして注意勧告擬きで挙げておられるとは想像もしてなかったからです。で、わたくしの人命軽んじる発言とは、例の蛸爺が挙げたコメントにオマル某が問題だと関係もないのにしゃしゃり出て運営に訴えた案件のことでしょうか? あの暗殺未遂事件の弾がもう少し寄ってれば云々ですね。結果的に撃たれた本人はかすり傷で助かってますよね。死んではいない。このことが一つ。それと、いいですか。あのトランプという人物、元米大統領ですが、米国会議事堂襲撃の間接的な首謀者として裁判になってますよね。しかも数々の訴訟問題で訴えられて有罪判決まで出てる。わたしから極悪人とも断定していい人物なのです。そんな人物がライフルで狙撃された。しかし命は助かった。このことを「あ~当たればよかったのに…」と呟いただけでどうして人命云々と大袈裟に取り沙汰されるのか。いいですか。この狙撃された人物が仮にロシア大統領のプーチン氏でもわたしは同じ思いで言いますよ。これも許さないと言うおつもりなのか?仮に、何人も人を殺めた極悪人の犯罪者が一般市民に暗殺されたら、あなた方はそれでも人命云々を持ち出してわたしを非難するおつもりでしょうか? わたしにとってトランプ氏もプーチン氏も極悪人と同じ犯罪者なのです。どうですか。蛸助やオマル某の悪意ある発言を取り上げて非難するまえに答えていただきたい。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-21

捻りを利かせて読めるのは戦後の日米関係でしょうね。歴史は圧倒的に此の国のほうが長いのだけれど、たったひとつの出来事によりいつのまにか文化的価値観までも彼の国を真似されて、国の歴史とは如何様にも変化する。という。 (国)

2024-07-21

 !奴隷制と、内容はべつに深く掘り下げられていないから、黒人霊歌かな。そのようなつもりでお書きになったのかも知れないな。英語に訳せばもっと端的に締まるのかも知れないな。よくわからんけど。 (苦しみにある黒人に黒い光は使わされる/私は彼の最後の言葉を知らない)

2024-07-21

余計なことかも知れないけど、コメントゼロは無いわよね。こういうときこそ運営さんは何か付けてあげなさいよ。やさしくないわね。あなたたち。詩人はね、やさしさがあってこそ詩人の何者よ。 だったらおまえが書けよ!って、これねたぶんアメリカを中心とした奴隷制のことを言ってるんだろうけど、長いタイトルを置いた意がよくわからないのよ。 (苦しみにある黒人に黒い光は使わされる/私は彼の最後の言葉を知らない)

2024-07-21

ごめんね。僕もオッパイは大好きで、特に井上和香パイなんて理想に好みなんですが、こういう詩?もちろん作者は詩のつもりで書いてはいないし、たぶんコメントする人もどのような名前の人かは大凡見当が付くのに選評に携わる黒髪氏がマジで誰の?と尋ねてきたことにちょっと違和感を覚えてカチンときたのです。ジョークを交えてでも自分の乳首を触ってください。くらいは言ってほしかったのです、が、これがAOIさんとかならまだ許せるが、来ないでしょう彼は。なのでこういうお茶目系な詩のコメントは今後彼や最年長の方に任せたいと思います。 (一言)

2024-07-21

ところでさ、オマルくん、わたしの発言の何が問題なのか?取り締まりを求めるのならちゃんと説明してくれ。でなければ、ただのいやがらせだとわたしが逆に文句を挙げたいね。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-20

黒髪くん、君ら運営はな、注文付ける奴が誰だかわかってるだろう?いちいちアホなコメントに気を配るくらいなら、こんなふざけた詩に文句の一言でも言ったらどうかね。? 一般投稿者と交えておもしろがるんじゃないよ。何だよ、田中newクンといいキミといい。些細な年寄りのお遊びに口を尖らすなよ。。ん (一言)

2024-07-20

  おい、オマルかオマハか知らねえがきっと文極時代から悪態突いてた奴だな。ここぞばかり出てくるその卑劣な印象はだいたいわかるな。おまえみたいな詩のわからないやつが必ず残ってんな。ところで名前変えてるが何歳だ?おまえ。おまえとか、万とか、クソのようなものしか書けねーくせにいっぱしに口だけは臭いな。臭いといえばタコよ?何が粘着だ。運営さん、助けてよう、だ。笑わせやがる。冗談を真に受けて君らまだ幼いな。やっばり運営さんも幼い。少しはいい詩が挙がってるから覗きにきたが、来たらやっばりクソのような奴らにクソ詩が憑いてくる。 伊勢佐木町ブルースだよ。何が迷惑だ。まともなコメントもつかねーものしか書けねーくせによ。アアア暑い熱い。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-20

、万、太郎さん、そうでしたね。笑。 お説教されましたが、一言。あなたは彼(tako2氏)との関係を知らないし、もちろん文極秘伝もご存じないですよね。takoyo2さんのこともわたしのこともほとんど知らないはずです。が、マジにお説教されてしまったとマジカルな思いです。ご忠告ありがとうございます。噛まれないうちに退散いたします。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-20

そういえば私も思いましたね。惜しい。なんであと数センチ弾は中へ寄っていかなかったのかと…。殺された犯人の無念な気持ちを考えたら気の毒で仕方ない。 ところでキャンプ場で失踪して2年後に白骨で発見された少女の事件は事故なのか、犯行なのかは未だに謎ですな。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-20

は?いつ暴力的な行為に及んだのでしょうか。? わたしがあなたの作品へ金槌か何かで暴言でも吐きましたかね。警察に聞いてみてください。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-20

何が「自愛」何だろうか。と読めば皮肉とも受け取れるような感覚で逆説的に読めてきます。~貼り付けて眼窩に戻す工場だけ~とか~家の鍵が拾ってきた死を、まれに溢して余った心臓に~この通じない意味が何を主張しているのか。非現実的と読み取るには些か無意識の領域が狭くて気持ちわるい。その気持ちわるさも取りかかった人形の首のような中途半端な心地わるさに読めてきますね。全体的に何が意図され意識されているのか掴めきれない。そのように印象付けられますが。 (自愛)

2024-07-20

色彩感覚とハーモニー。いまからでも遅くない。画面ばかり見てないで美術館に足を運びなさい。そしして武満徹のギター曲。南米の音楽を聴きなさい。言葉に憑くから。 (しーっ、静かに)

2024-07-20

ナンダカンダと他所であなたに責められてつい閃いたわけだけど、いい? 何かあなたに足りないものがあると感じてたのよ。で、何かな~と考えてみれば音ね。和声よ。リズム感はある。あなた現代音楽とか聴かないでしょう? 西洋音楽とかポップスとか。たぶん。あなたの詩にはハーモニーが足りない。そう閃いたわけだけど、武満徹の小品(ギター曲)なんか聴いてひなさいよ。それに南米の音楽ね。特に短詩を書く人にはギター曲なんかうってつけ。想像の幅が拡がるのよ。 (しーっ、静かに)

2024-07-20

たくさんコメント付けてきて、それは実感としてわかりますね。他人の作品ばかり読んでコメントに興そうと考えると、やはり自分の好き嫌いをできるだけ避けようとする。相手に対する先入観もそうですね。つまり自分を抑えなければいけない。わがままでは要られなくなるのです。詩は自分本意ですからね。自分を取り戻さなければならない懊悩との格闘が続きます。でも、相手の詩に圧倒されて書けなくなるんじゃない。それは限界を悟ったと意識してしまうから。そうなるとついつい止める方向に傾きます。詩人は程度わがままでなければやってられない。批評はわがままなだけじゃダメですね。務まりません。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-20

いいじゃないの。不公平でなければ。そんなに目鯨立てなくても。べつに応募作品とされてるわけじゃないんだから。汲み取ってよ。返詩コメントのつもりよ。あなたの書きもの読むとあたまの中をハエが飛び回ってさ。つい書かざるを得なくなってしまうんだから。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-20

おい!おじさん。帰って風呂入るまえに見て見ればなんだよ。ヘイト?あんたに対するオマーシじゃないか。褌じゃないか。たとえ主義主張が異なっても、愛してるよ。あなたのこと。嘔吐が出るほど。わかってください。ってことですよ。太郎さん。天敵とは違う。私敵だと思ってる。ライバルだと思ってるのよ。あなたが嫌がっても勝手にね。みんなそう思ってるわ。う、ふん。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-20

ご苦労さまです。 わたしは歳相応に振り返る事柄多い毎日です。いままで様々な趣味に興味を持って取り組んできました。考えてみれば詩に興味を持ち始めたのは二十歳を過ぎた頃で、それも失恋の痛手を癒すためにゲーテや古今東西彼方此方の文学作品と呼ばれるものを読んでみようと決意したことからですね。少年から青年期と、けっして文学等に興味を示すタイプではなかったので、取っかかりは本当に遅かった。何年か引き籠もりを経験して就職しました。そこで労働組合というものの存在を知り主義思想をすこしづつ勉強するハメになる。それからですね。ちょっと本格に楽器(C.ギター)をいじってみよう。絵を描いてみよう。陶芸はどうかな。映画ドラマのシナリオは、、でもそれだけ熱を入れても続いたのは結果楽器くらいのものでした。美術館を巡ったり、コンサートへ出向いたり、譜面を買ったり美術雑誌から文学書や、無理をして絵画を月賦で買ったり、思えば借金に塗れた生活でしたね。それでも芸術にお金を捨てるのならばそれはそれでいいと思っていました。 あちらこちら手習いにも通い、必死に励みました。開始年齢が遅かったぶん取り戻したかったのでしょうね。 いまではその残骸だけが、いくつかの部屋には物置状態。皆諦めてしまいました。とはいえ、家々いえ無論芸術に興味がなくなった訳ではありません。このような経験を経てきた方は決して少なくはないでしょうよ。なかでも不思議なのが投稿をはじめていまでも書き込みが続いている詩ですね。なんででしょうね。まあ、一番の原因は書き込んでSNSに投稿する時間がある。ということでしょうね。仕事に追われ忙しければそれは無理です。詩もマラソンと同じで名誉の称号がなければ一文にもなりません。やりたいことが他にあるのならどうぞそちらで頑張ってみてください。詩は待ってくれている。いつでも帰れます。 最後に一言だけ続けられた理由を考えてみれば、詩は「鏡」なんですね。後ろも見えれば当然自分のことは見える。見ようと思えば鏡の内側に入り込み、あらゆる世界を覗き見ることもできる。そしてなによりも一人孤独と向き合い、あたまの中のもう一人の自分と自由な時間を過ごすことができる。ということに尽きると思います。わからないわかるつまらない。何年経っても詩というものがわからない。それでも詩は素晴らしい。これははっきりと言えることができる。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-19

ペテロ「鶏が鳴くまえにあなたは三度わたしを知らないと言うでしょう」とイエス様は言われた。 マタイ福音書。これは有名だな。三度が引っかかるなら、たぶんこのことじゃないかな。 (葉舟)

2024-07-19

ヌードビーチ行って素っ裸で踊りたい。あなたと二人で。で~も、僕は、いまは自慢だった綺麗な胸に手術の痕があるのです。蛇と剱の入れ墨で隠しているのです。だからごめんなさい。Tシャツで泳ぎます。サンバを聴きながら腰を少しだけ動かして踊ります。 (踊ってごらん!)

2024-07-18

例えばですよ。この鳥これが再生を希望する火の鳥NIPPONだっとして、血の海血の山脈生きもの。喜べないジャーナリスト。死にたがる子ども~というのはしっくりこない。あとは佳いと思う。惜しい。と思う。手塚治虫子 (bloods)

2024-07-18

収拾がつかなくなるほどの薬を持ってきて壇上からぶちまけた。ジョー.グッドジョブ! 彼のミスは出かける前にMDMAを飲まなかったことだ。ごきげんいかが?早朝からヤクルトおばさんに出合いUS養命酒を一杯ぐっと飲み干した。それから「honey」chihiroを聴きながらリラックスしてみてフルメタルジャケットの点検を滞ることなく済ませたと思い込んだことだ。アチャァ!ハズしちまった。と焦ったときにはもう遅かった。三発の銃弾が心臓を打ち抜いていたのだ。ナバホ族が居留地から強制移住をくり返して150年は経つだろうが、いまこうして僕は埼玉の大宮で自転車を転がしている。ロッキー山脈の麓から越して来たばかりだというのに埼玉の夏は地獄のように燃え盛っている。お盆休みに格好つけて湘南にサーフボードを担いで出かけようとしたらその前に線香を焚けとメリー叔母さんがいう。今日はうるち米だろうか。自己憐憫に囚われながら遠い原爆の犠牲者を祈る。あの街はいまでも亡霊が紆余曲折と動き廻ってるよ。風の便りに抗う男がいつもくり返していた言葉にはもう思いを馳せることもなくなった。薔薇のハナツボが性器ならばあなたの針が刺さるのよ。しっー、静かにしなさい。金髪の熊蜂がそろそろ出てる頃だわ。わたしと同じ年齢くらいのウグイスが殺されてるのよ。あと三カ月もすれば妊娠してあげるから。わたし、中絶手術なんかしたくないんだから。 (しーっ、静かに)

2024-07-17

これがプロローグとしておかれるならば物語へと予感させる秀逸な文章ですね。どちらかといえば小説風味に運ばれる文体。名前を捨てる。「わたし」という喪服を身に付けて生活するというのは一歩大人へ近づくということ。それは夢見る少女から女性になるという、淋しさと覚悟が同居する期待感への表れでもあるわけですね。お上手で佳い詩文だと思います。 (なまえ)

2024-07-16

槁という漢字がコウではでなかった。しかし検索してみて槁(稿(コウ)という漢字の多さには驚きを隠せない。漢字には疲れる日本人は難しい。泣笑 (四騎士)

2024-07-16

/自由自在/萎靡沈滞/槁木死灰/跼天蹐地/ 真理得ずして四字熟語の解析病棟。四字熟語はできるだけ避けて~わたしのコメントへの挑戦ですな。然らば「被害妄想」対義語として「誇大妄想」の騎士、愚直にもドンキホーテを進取果敢と游がせてほしかったですな。病棟マニュアル。廊下階上の空間に。 (四騎士)

2024-07-16

笑ってしまった。はちみつさんの感想に僕の青い読みは乾燥して固まってしまう。~僕の声は君に届くかい。もしも君が雪解けの春に対する思いだけならば、僕は読み手としてまさに道化を吐いてしまったな。アンビリーバブーな詩だ。笑 (冬空の道化師)

2024-07-16

ごめんなさい。書き込むのに行ったり来たりでつい書き忘れてしまう。 ~あの頃のままだ。ここに見られる昔の具体的な情景ですね。散文詩的に叙述していくのならば具体的な情景(心情)は必要なのです。 (好きな曲)

2024-07-16

このままではティムラー隆ーさんがおっしゃるようにエッセイのままで、わたしにしてみればふうん、で読み終えてしまう。何がわたしの記憶を開いたのか。そこが言葉によって手渡されなければエッセイとしての感動も薄いのです。 (好きな曲)

2024-07-16

黒髪さんが厳しい意見をされてるが、ならば指摘しなければ却って失礼にあたる。たぶんまだ書き始めて年数を経ていない書き手の方だと思われる。黒髪さんはこちらサイトの重鎮だ。丁寧に説明されたし、と思う。 そこでわたしなりに改編されたし箇所をあげてみる。 一連目~時の途中~。そして終わりの連の冒頭~旅の道~この二カ所は表現があまりにも陳腐です。どうせなら一連を旅の途中とされて、終わりの冒頭も、虹の道~とされたほうが拡がるだけまだいい。この連にも瞳が二度使われているので、瞳は確かめる~ではなく時を確かめる~とされたほうが私には心地よく伝わります。 よく使用(仕様)される言葉をできるだけ避けて表現してみる。これも独自性を磨くための一歩にはなるとは思います。ごちゃごちゃと失礼いたしました。 (虹に対して)

2024-07-16

虹に対して。 二連の~いくでもあって。これはいくらでもあって、でしょうね。短詩のミスは決定的なので慎重に投稿されたほうが宜しいのでは、とミス打ちの多いわたしは思います。 終わりの~重複する~虹に対して。これは要らないですね。目の前に見て取れる現象としての虹だけに収めてしまいます。 それよりも三連の~解らせる、でしょうね。語り手自身が応えちゃってる。これでは詩が形而上学的にも拡がりません。ここは水(雲)がはじけた。とか空気感を一変させてみるとかで、ずいぶん好くなる気はします。 たぶん情景は描ける、抒情も書けるようになる方だと思うので、あと少し頑張ってください。と俯瞰しちゃったわたしを許してください。 (虹に対して)

2024-07-16

追記 もちろん目の奥を照らし出すわずかな希望の灯り(炎)或いは目の前を過る一瞬の斜光ということでご理解願いたい。光あるうちに光の中を歩め。トルストイ (凡人ですから、ね)

2024-07-16

これは、惜しいと思いますね。速水御舟「炎舞」という日本画の大家の絵があります。ご存じでしょうか。そのような雰囲気がイメージできたらイイねえ。ですね。凡人ですから、ね。これを終連の冒頭かどこかに挿入して、タイトルは暗闇に浮きあがるわずかな灯り(炎)を意味する言葉を置く。わたしはそのほうが佳いような気はします。 (凡人ですから、ね)

2024-07-16

thanks!I'm afraid it's not possible.  アリガトウゴザイマシタ (葉舟)

2024-07-16

聖書と言っても「旧約聖書」から「新約聖書」とあわせて66巻もある。あの膨大で難読な書物のどこをどう照らし合わせたのだろうかと思うのです。 (葉舟)

2024-07-16

そうですね。四字熟語はそれだけで完結しちゃってる。よほど意図的に用いるのでない限り、詩としては避けたほうがいいような気はします。 (横浜百景)

2024-07-16

完結にまとめられて雰囲気はいいのですが、冬空を抱きしめているね。この冒頭に置かれた一~二連の文章だけで道化師を印象付けるのはちょっと無理がありますね。~道化を演じているけれど~何故道化を演じる必要があるのか。その理由が読み手には伝わらないからです。~僕は待っているよ。たぶん恋人を想ってでしょうが、仮に片思いならば比喩を効かせてでも文章に興してほしかったな。そう思いました。 (冬空の道化師)

2024-07-16

職場の翔太くんを思わずペエタさんと言ってしまい、怪訝な顔をされてしまいました。彼はKinkiの剛なのです。 (Yの葬列)

2024-07-16

いいえ、うんうん、頷けても宜しいのかと思う次第でしたのであり、志賀直哉も詩人だ。あの頃の旧家の如き大家主を取り囲む貧しき部落にての至妙独特な表現はよき処に眼を配られましたねと、感服いたした所存でありやんす。 (葉舟)

2024-07-15

言葉の焦点をカメラのレンズのように合わせたり暈かしたりできるというだけのこと。その動機は何ですか? 中田さん、あなたね、入魂、気持ち気合いを込める。ってスポーツじゃないんだから根性論との違いくらいはおわかりだろうよね。生憎精神論には興味ない。では科学論文でも書けばいいのどすえ。 (レイモンド・チャンドラーの猫)

2024-07-15

二作コメントさせてもらいましたが、これくらい表現できる方なら一度は入選されてもおかしくはないと思う。これは、という自信作ならば投稿してみてください。選出されなければ審査委員の見る目読み取る力がないのだ。と勝手ですが、わたしは思いますですよ。感動的な抒情が描ける詩書きの方。そんなには居ない。 (未来の発明)

2024-07-15

あ、幻想詩、カルト的に?と読めるのならば構想的な解釈としては一連のシェークスピア劇にも当て嵌まるんだな。澤氏お見事だ。 (葉舟)

2024-07-15

田中new先生やらかしたね。笑。 これはやっぱり幻想小説風ですな。小説風に読めるが小説でもないですね。目でつながる描写を感じない。 まあ、澤さんとか一部の方々の深読み解説に惑わされてる部分があるかな、とも思う。 はじめから変な書き方でした。特に終わりの二行などはそうですね。~いつか積もった砂埃に指で描くおれは~。かな、と語り手の会話らしきものとずいぶん同調の開きがある。わざとタイムラグさせているように読めてくる不気味さ。~促され手、を組めない、組んでも、組めない~。~斜めに竹をくぐった~ おれは、おれでなくなるかのように、地をめぐる。 全体が空気に、濃霧のようにぼやかされている。何かもとになるお話しはあるのでしょうが、葉舟。これは亡霊(木霊(精霊)が地に呼びかけてくる。という神秘性。つまりオカルト的な幻想詩なのでした。 (葉舟)

2024-07-15

ヒントもクソもないさ。だったら「イギリスの夏」という本の~を付け加えればいいし、あたまの中じゃできてるじゃないか。親切、に? だいたいね、魂がこもってないのよ。言葉に魂が。手を抜いてるのがわかる。 (レイモンド・チャンドラーの猫)

2024-07-15

「ロング.グッドバイ」もちろん R.アルトマン監督作品だ。観たかな。忘れた。もう一度確かめたい。 英国の夏は遠い。しかし情景も飛んで尻切れ中途半端に終わらせている。詩集の宣伝がしたいだけなんだろうね。にゃんこい。 (レイモンド・チャンドラーの猫)

2024-07-15

ペエ太さん、すごい想像力ですね。便秘気味のケツめがけて蚊が刺さりそうな勢いには翻弄された。飄々と呑み鉄本線洗貝線です。  町を闊歩した花魁道中は地獄太夫。哀れY字に括られ獣椅子に乗せられ、高下駄は飛び裾払いペエ太のあたまにコッツンコ。おお!いまやジーザス地獄太夫はスーパースター。吉原からエルサレムを巡りユダはチッペンデールで坂臨む。ワッショイワッショイと丁髷鬘はパレスチナ。モンペ袴の町衆がベネチアマスクで大集合。なんか昔観たミュージカルジーザスクライスラーはスーパーカー?違う。再び赤線地帯が観たくなりました。 完 (Yの葬列)

2024-07-13

海に降る雪は知っている。しかし実は海に降る雪は何も知らない。知っているのは人間だけだ。ってあたりまえのことを捻りながらおっしゃってるだけなんですが、面白いな。洒落と同じく面白いだけなんですよ。としつこく食い下がりましたが、それだけメルモ面白く読めたということでしょう。エイクピアさん万歳。実は期待してますよ。 (人類と海)

2024-07-13

万太郎さん、解釈の問題ではなく、atsuchan69さんも指摘されているようにエクリチュール。つまり書き方の問題だと思う。天井の聲。いくら無機質に俯瞰された表現でも書くのは人間だ。血が通って読めなければ感動されることもない。そう思いますよ。 (人類と海)

2024-07-13

ああ編集機能がほしいです。 あなたという個性?わかりにくいですね。つまりこのままではただの叙述なのです。詩の定義は難しい、しかし、わたしには詩であるとは言い難いのです。 (人類と海)

2024-07-13

訂正♂また誤字だ。~介在死にければ(×)~介在しなければ~にしてね。 (人類と海)

2024-07-13

ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず   よどみにうかぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし。 「方丈記」鴨長明 有名な一節ですよね。大好きな文句です。 おはようございます。エイクピアさん。アラメルモです。空欄が寂しそうなのでつまらないコメントを書かせてもらいますけれど、この詩文、上記した方丈記の一節で事は足りるのですね。 森羅万象生きとし生けるもの、何一つとして変わらないものはないのです。生き物も、地球だって日々姿を変えている。 だからなんだ!このいい例になるのです。変わることは誰もが理解している。動植物、地球だって理解している。かも知れない。だからなんだ。と言いたくなってしまうのはそんなことをみんなわかっているからです。一言で言い表せないのが芸術ならば詩だって同じでしょうね。そこには人間が介在するからです。例えどんな形式で理解し難い作りの詩であれ人間が介在死にければ詩も存在しないでしょう?Aiはまた別ものです。(今は) 「人類と海」いいタイトルだな。しかしあなたという語り手の個性がみえてこなければ、だからなんなんだよ。この一言で括られてしまうと思います。 (人類と海)

2024-07-13

今一度眼を通せば、どうしても普通ではない語りの言い回しが気になりますね。そして不気味だ。何が不気味かといえば、このはっきりと描かれていない気配が不気味なのです。書かれている人称に実在感がない。この一見架空化して読めるとりとめのない文体。まるでこの世に在らざる者が風化して記憶となった出来事を、風や土に水、木の葉といった万物の精霊を通して言わしめているような神秘性。地方に土着する歴史の因習。あの横溝正史の物語に描かれる因果的な背景を帯びた事象。といったものがどうしても浮かんできますね。 (葉舟)

2024-07-13

少し気になったので簡単に、 生々流転という人生観を意味する四字熟語が既に用いられていますね。 なのでこの詩の綴りに未来永劫とか輪廻転生とか思想観で同じく語られるのはちょっと不似合いだと思います。意味は同じくもっと軽い表現でもいい。そのように感じました。 (横浜百景)

2024-07-13

訂正。機会♂機械でした。どうも枠幅が小さくて書き込み辛い。おっちゃんなんとかしてくれ。 (丘)

2024-07-13

芋けんぴ、芋けんぴ?これも土佐弁ですね。土佐組子から幾何学模様の鱗。ゴルゴタの丘に立つのは錆びた古い型の信号機。世界の終焉を待たずして神は信号機を立ち上がせた。イエスノー神の復活。機会よ。新しく再生された万能頭脳よ。何故丘の上に立つのか。わたしはキリコの絵の中でその違和感を問いただす。 汝のあるべき姿に戻れ!(カードキャプターさくら)  ああ鱗を持つ龍よ。あなた方が齎した数の原理。それはイデアに蠢く虚実な合理主義ではなかったのか。ああ新しき卵の誕生を前にして、来る破滅という永遠のサイクルに我は曼荼羅の眠りから目覚めることはない。いつまでもあなた方は我が掌で理想をもてあそぶのだ。 と、キーになる言葉たちをメチルに抜粋してみましたが、笑。 それは組子のように思考思想が絡み合っていますね。現代文明が齎した弊害。今尚続く宗教対立。争いや孤独、そして地域格差による貧困。進化するAiを尻目に人類の感性は果たして進歩していけるのでしょうか。大まかな読み抜粋だけで失礼いたしました。 (丘)

2024-07-13

そうですね。いま乏しいあたまを捻りながら噛みしめるように、しかしながら、読み取り難いのは、その息継ぎや句読点による文体の流れに、民話的に土着から得られた古墳な物言いに現代風な語りが入り混じっている。そのことがわたしには捉え難く思われたのかな、という印象はします。ですが、よく読めば少し迷うような口振りの書き方もされておられるが、なかなかどうして描写に独特な表現を用いておられる。 AOIさんがコメントされているように、わたしもこの散文詩?を読み解く鍵は土だと思う。それは土着信仰から生じる民話的な要素を絡めながら、いまは亡き母と娘(妹)の面影を慕う兄の無念憐憫さ。 不穏に墓が描かれている。母親と娘の死には不審な自殺ともわたしには読み取れくる。 森羅万象と自然を崇拝する。その霊的な民話志向から物語はこの親子をイメージに巻き込み複雑ですね。森に土に木霊とか信仰。葉舟とは死の河を渡りながら三途を越えていく。いやあ、複雑怪奇な読み物には受け取れます。 (葉舟)

2024-07-12

あれはあなたが生まれるずいぶん前のことよ。 二人は屋上から大桟橋のほうを眺めていたが、突然幸恵が眼を細めて重たそうに口を開いた。 …ひょっとして…母はあのことを口に出そうとしているのかも知れない… 舞にはこころあたりがあった。ねえ、見て!もうすぐ、あの大きな客船が出航するわよ。…何処に行くのかしらね…白い客船のほうを指しながら、西日を浴びた幸恵の艶やかな頬は緩んでいた。…次の停泊地は台湾だろうね…その眩しさから眉をしかめて舞は言い放った。一つめの汽笛が、風に乗って響きわたる。少し進むと波は大きく白い泡を立てて、二つめの長音が振るえるように聞こえてきた。舞は遠い空を覆う夕陽を見つめ傍にいる母を思った。爽賴の風に乗り、埠頭から離れていく白い面影。微かな波音とともに、見送り来ていた人々の姿が消えていく。 (居場所がないのでベランダで寝る)

2024-07-12

ぺえ太さん、あの、ですね。  確かにコメント批評疲れますよ。コメント書いてて何度仕事に遅刻しそうになったことか、熱が入りすぎて買い物にも行けなかったことは数えきれません。特にこれは、と気に入った作品はやはり丁寧に読み込みますね。もともと知識に乏しいので、ウィキペディアを検索してみたり、書籍を引っ張り出したり、齢も歳なのでそれは疲れますよしかも老眼です。笑。酷い誤読をして作者様には失礼にならないように、一応気をつけてはいるつもりですが…。   これも性分かな。元来おしゃべり好きなのがいまでは普段喋らない。 コメント付けても梨のつぶて、笑。そんなことをいちいち考えていたら馬鹿らしくてできませんよ。詩集もあることはあるのだけど、普段あまり手にしないです。こうして投稿作品を読んで気になったときくらいです。もともとインターネット画面、ネット詩が好きなのでしょう。  馬鹿ですよ。笑。  でも考えてみればやはり勉強のためでしょうね。他人の生活や思い、その脳内を巡る波動を刺激として受けとめたいのです。どうもです。 (天の邪鬼)

2024-07-11

笑、すみません。余計なことを。 (愛する方法)

2024-07-11

有無ですね。澤さんの推薦選評文として挙がっていたので、葉舟。?いつの作品と思ってたら、takoyo2爺爵が上げてくれてましたね。で、眼を通せば、!ああ、これか、一度眼を通してかけて黙読をやめてましたね。わたしもいま、ザアッと眼を通してみて、これは小説だな、一歩譲って散文詩とも言えるのか、いう感想をもったのですが、ごめんなさい。歳かな。集中して読み辛い。内容的には全体を通してよく書けてもいるのでしょうが、ハッとこの惚けた眼が覚めるような表現に乏しさを感じて、やはり読解までいかなかった。同じく爺には難しいのかな。笑。まあ好みの問題でしょうね。 (葉舟)

2024-07-11

腹を括られている様子でコメントも読めてきますね。 そうですか。ならばならばお名前を改名してみるのも一考ですね。余計な事でしょうが。 黒髪。というペンネーム。それほど愛着がお有りかしら? 彼女の黒い髪が光を遮り、僕の~。よく普通に文章で使われる言葉です。 自分の何かを変えたいときには先ず何をするでしょう。 そうです。部屋の模様替えからはじめます。 ペンネームはそれを付ける人のセンスがもろに出る。 わたしの経験ではいい詩を書く人にセンスのわるいお名前の人は先ずいなかった。(註/ほとんどです) 黒髪。日本人らしい美しい呼び名ですね。しかし 、わたしは個人的にあなたの作風がこのお名前(黒髪)に合っているとはどうしても思えなかった。 また余計な一言を、失礼しました。 (愛する方法)

2024-07-11

そうですね。なんかヤケクソですね。 あれほど信仰心も熱く愛に固執する黒髪さん、という個性もやはり破綻していくのかなと。 まあ、でもぶっちゃけ全部吐き出してみたらいい。 さらけ出す。万太郎さんのように動画を挙げてみられたらどうでしょうか。 一度ツイート?でお顔を拝見した記憶がある。 takoyo2さんが万太郎キャラでオススメするようなアホは狂えよダンス 、あなたには似合わないかも知れない。 それよりもミッキーマウスですね。 あのお耳帽子を被るかDodgersロゴ入り麦わら帽子を被るかして 一度みんなが吹き出すようなパフォーマンスを演じられたらいい 神様も認めて拍手してくださる。一歩抜け出せるやもしれません。 まあ、色々好きにかましましたが、いままでの自分では考えられない状況や趣味の変化。 行動を通して敢えて作り出してみるのも面白いかも、ですね。 。 (愛する方法)

2024-07-11

本心からなのか、これくらいのパフォーマンスを喜んでいられる人たちが多いので日本のB級娯楽作品はつまらないのです。 あなたは変態です。変質者です。ニヤリと微笑んで隣に座れば嗅覚の鋭い女性はピン!と来るでしょう。 そうです。素人芸のまま終わらせたくない。一応プロのパフォーマーを目指したいんでしょう? 傍目からでないと気がつかない魅力がある。そうですよ。先に挙げた変質者云々はあなたの個性、役者としての魅力にもなり得るのです。プラス、普通にサラリーマンも演じれますか?自衛官警察官は?ちょっとトム.ハンクスにも雰囲気が似てるので真面目な表情が見てみたかったのです。これくらいできれば容易いでしょう。その度胸を買いたいのです。 詩人の演劇集団。既存にはないパフォーマンス。いいですね。演劇に関しては素人です。舞台劇もあまり好きではない。なので朗読なんて真っ平。でも何故か音楽劇。オペラはわからなくても眺めますね。特に現代調にアレンジしたもの。エログロの多い。根がスケベなのでしょう。 どこかに廃校ないですかね。Bレビ詩人演劇会作ってくださいよ。作りますか?短い台本くらい本気になればわたしにでも書けそうだ。こちらにも書けそうなお方は幾らでも居そうです。 もう素人詩を投稿し始めて30年くらいになる。アルバイトしながらの年金生活者になりました。微力ながら若いやる気のある人の支えにもなってみたいかな。 死ぬまでに。そんな気持ちでも居ます。 (Burn On!! 頑張るノミ)

2024-07-11

前作に続き拝見いたしました。それで忌憚なく意見を言わせてもらえば同じシチュエーションでがっかりでした。 これ、文字だけで読むとノミが掛られていてけっこう見た目も面白い。完全に演出の失敗だと思いました。 室内で静かに気取りながら読んだほうがいいな。その様に感じるわたくし麻生阿僧祇でございました。失礼いたしました。 (Burn On!! 頑張るノミ)

2024-07-11

  あら?では万太郎さんに~質問! 女性の詩人は夢を見ない、或いは夢を描くことは苦手なのね? (恋愛)

2024-07-10

「あなたの炎は水銀すら燃やせません~ 」この台詞の箇所でしょう?第三者目線というのはわかりましたよ。そうではなく読み手のわたしとしてはそれを語るあなた(作者本人のアバター)で解説してみても宜しいのではないかと。というのもイメージ的な物語として描かれているからです。 (階段国の趨勢)

2024-07-10

どうも書き込みにくい目も遠い、のでごめんなさい。 手のひらで泳がされている。とはそういうことなのです。 (ファン)

2024-07-10

面白い風刺だな。モンティパイソン(知らないだろうな、彼らも英国のインテリ集団だ) こちらのサイトに実際岩田、という名前の人物がおられたらドキ!っとなってしまうだろう。で、ドンイワタとは誰か?それはあなた方の誰かだ。ここの創始者天才氏2かも知れないし、或いは(恥を知れ!恥を!)の石丸幹二かも知れない。そしてゴミとは、これもあなた方かも知れない。あなた方が書き込む詩で、投票する一票のことかも知れない。どちらにせよ、矢切の渡し、でいいんじゃないのでしょうか。ファンならば。 (ファン)

2024-07-10

終わりに向かわせる情動が卓越して上手い方だ。これは起承転結の脈筋がしっかりと把握できているからだろう。蒸し暑い夏の部屋。しっとりと汗ばんだTシャツで戯れるのは夢、夢と過ぎていった思い出のファンサ。ファンサ? なんでタイトルは「未来の発明」なんだろ。?。わたしは寂しくて、この歳になってからフィギュアを集めるようになりました。まだ二年くらい使ってないローレックスを売って一品数千円ほどのお人形さんやミニカーを買ってます。お馬鹿さんにのです。だからよくわかる。 ファンサのような人物と知り合えたらどんなに楽しいだろうか。お人形さんでもいい。未来よ。はやく来たれ! これは夢想ですね。夢に戯れる詩だ。感動します。   入り間しゅかさん。お名前ちらほら拝見します。既に現代詩人会の会員様でしょうか?投稿などは?余計な事でしょうが、もし経験もなければ投稿されてみてはどうでしょう? 貴方の作品は充分入選に値するとわたしは思いますけれど…。 (未来の発明)

2024-07-10

モザイク街の信仰。牧師様とあるので曖昧な対象はamenでしょうか。わたしも一応浄土真宗なんですが、外国の根深い信仰。崇拝に固執する原理主義的な信仰。また特に新興宗教に対しては良い印象を持っていないですね。わたしは不信心者です。 ルサンチマン的な心情の吐露でしょうか。笑えた。リズム感言葉の巧みさ厭らしさ。メリハリのキレもあっていいんじゃないでしょうか。 (モザイク街の信仰)

2024-07-10

訂正…注目♂注文です。 (階段国の趨勢)

2024-07-10

階段国の趨勢、ですか。 これ、いまザアッと眼を通してみたのだけど、余りの異常な異色な言葉たちにたち止まりますね。でも酔い痴れない。事象時事問題。コロナ以降戦争とかそれに乗じて物価は上がるわ可笑しいことに株価まで上がる。コロナが終息をみれば人殺しを見ることになる。地球自体温暖化異常気象で益々荒れてくる。人間が狂えば地球も狂ってきてますよね。まさにいまハルマゲドンを目の当たりにしようとしている我々。という事象を宇宙船のホログラムで眺めている。熊倉船長、敬礼!笑。 とか書き込みましたが、これ、なんでこんなことを一人称で書き込んだのか、その趣旨がいまいちよくわからない。 というのも、すべて一人称視点で書き込められているからですね。 わたしはよくホロウ(現フォ)さんの独り語りにも注目を付けるのだけれど、一人称視点で書き込められると筋も背景もイメージし難くなるのです。読者は語り手の目線だけで追わされる。という映写から非常に狭い視点の立場に置かれてしまうわけです。つまりその語り手を語る客観視された第三者的な立場から物事が描かれないことには、読者視点でのイメージは掴めにくい。ということなんですが、どうでしょうね。内容的に難しいので読むのに強迫性を伴うような、オヤジあたまが痛くなりました。 (階段国の趨勢)

2024-07-10

再読コメントで気を使わせてしまったな。わかりました。これはですね。わたしの思い違い。つまり作者とわたしの認識のズレですね。はじめから。わたしは性格的な読みをしてしまった。なので、どうしても生来の天敵のように相手をみて蛾だ粘着だといじけてしまう強い吸盤の持ち主。実在するtakoyo2の爺様。とか例えにしてしまったわけです。わかりました。ガッテンです。 (天の邪鬼)

2024-07-10

あ~そちらのほうが強かったのですね。うむ、出来上がった詩をそのまま寝かせておける。というのは実は羨ましいことで、それだけテーマがしっかりとある。ということなんですね。図面を引くように思考を構造的に組み立てる緻密さもみえて、理論派なんだな熊倉さん。わかりました。これだけ解説してもらえば創作家個人の個性を垣間見ることにもつながる。ありがとう。 (余器用な男)

2024-07-10

そうです。人間そう簡単に譲ってはいけない。後で後悔します。 そのまま書き続けてください。ですが、いつか気付くとわたしは確信を持って言える。それはたぶんわたしのほうが人生と詩に於いては経験も長いからであろう。と感じるからです。お好きな詩の評論読んでますか?これは大事。楽器と同じで一段一段と上達しながら、ある日突然二段。これに痺れますよ。笑。上から目線の意見をしました。申し訳ないです。成長されること期待しております。 (せめて君の涙が)

2024-07-10

う~ん、上のはちみつさんの意見もわかるのだけれど、これは複雑な思考をもっと単純に捉えたほうがいいのかも知れない。つまり生成Aiに対してですね。人間(詩人)としてネイティブな意見を表明されている。 (デジタルネイティブ)

2024-07-10

即興かな?もしそうなら僕も何度か試してみたことある。一応テーマらしきものは決めておいて、どれだけ意識的に言葉をつないで、というよりは担ぎ出せるのか。そのうち無意識的に降りてくれば最高じゃん!なんてめちゃくちゃに書いて載せたら、(?えーと、わからない。また読んで解いてみたい)とかおっしゃる人がコメントくれたりして、おいおい止めておきなさい。とか思ったんだけど、黙ってましたね。そのまま何か有るように思わせときたかった。笑。 これもそのような感じはしますね。「余器用な男」一応タイトルもある。余器用?てことは器用過ぎるってこと。男は器用よりも器量。って言ったのはデスノートでの夜神月。?、漫画見ないのでよくわからない。どちらかといえばわたしは不器用なほうですね。なので、その様な趣向の即興で書いててもやっぱり立ち止まって後を追ってしまいます。つまり言葉がもつれたり重くなったりでつい考えてしまう。皆さんも経験は有ると思う。熊倉さんはどうか知らないが、日頃思いついた言葉の切れ端をストックしています。そろそろ書きたくなればその貯めて置いた言葉たちを引っ張り出して詩に混ぜたりします。でもこれが一度仕上げた詩となるとそうはいかない。出来上がった詩として貯め置くことはなかなかできないですね。それならば一度掲載させて、気に入らなければ後で推敲手直しをする。そのパターンのほうが多いのではないでしょうか。出来上がった詩を何日も手もとには置いておけない。明日の朝、眺めるとがっかりして飽きてしまうことのほうが多いから。  即興という点ではラジオのパーソナリティやTVの司会者なんて器用ですよね。人を前にして話す仕事。素人ではなかなか言葉も出てこない。特にあのお笑いビッグスリーのアドリブは凄い。リスペクトされるはずです。 と、余談が長くなりましたが、この詩、大きくは1~3で分けられてますね。しかしよく見れば背景とか時間とかが同時につながって見えてくる。ということは共有する空間での出来事を、意識的に三者三様と即興の形態で変えて詩に興しているのでは?という見方もできるのですが、果たしてどうでしょう。内容から読み解くなんて野暮なことはもちろんできません。読解力もありません。笑。タイトルの意。なんでしょうね。余器用な男。余り器用過ぎてもなあ。てことで憶測終わりにします。 (余器用な男)

2024-07-10

概ね熊倉さんの解釈でいいのだと僕も思う。僕だって、笑 いくつもの顔に重なる雨、とは記憶のことでしょうが~愛しかないセックスは悲しい、だから泣いた~この普通ではない解釈はその上にある~やさしい病に冒された両目が、十年あればうしなう光の~ この捉え方で大きく違ってくる。と思う。つまりこれが実際身体的なものなのか、それとも愛情という名の見せかけ(幻)だったのか、この解釈によって、実際に愛を交換しあえた二人の記憶を悲しんでいるのか、それとも成就しなかった恋のことを愛おしんで反語的な意味で言葉にしているのか、それは作者にしかわからない。ということだと思います。 (窓)

2024-07-10

atsuschan69さん、この方の詩や書きものは以前から拝見しているが、どちらかといえば即物的な現象から拾いあげる書き手かな、という印象も強かった。それは実在した歴史から紐解く実情の裏側の引用であったり、或いは科学的な根拠に基づく植物の食材の活用から、海洋生物に於けるシーフードへの実用であったり、それに伴い文体もユニークに変化させていき…様々な知識を応用して想像へ辿り着くといった割と器用な書き手のイメージがあるのだが、この詩は珍しく感情を誘発するような言葉の仕立てに置かれています。外野から眺めていても着実に言葉が重層化し成長されているのがわかる。数少ない詩人のお一人ではないかとも思われるのですが、こういう写実から朗詠に趣きを変化させた詩はあまり拝見したことがないので、少し驚いています。 既にその域には達しておられる方なので、流れるような文章は当然お上手です。が、しかし一人称語るただの抒情詩で終わらせないところがまたいい。  ……続きを話そう、妙味はここからですね。 僕は一羽の海猫に生まれかわり~ !あ、そうか、この語り手の姿は見えない。実は不在者として異世界から語りかけているのよね。これを眺め詠むものに…… (名もなき夏の島にて)

2024-07-10

拝見しました。コメント読めばリアル失恋のを詠んだ詩のようですが、少し比喩表現がオーバーランしちゃってますね。~湧き出づる泉のように~砂金みたいな~あの人魚みたいな~銀のシャワーだけがetc.これだけ比喩を使ってしまうとリアルその気持ちは暈かされて薄くなってしまうと思いますよ。恋の詩。素直でもいい。それほど複雑な技術に溺れる必要はないと思います。 (せめて君の涙が)

2024-07-09

あ、また。追記。文体だけではなく文脈もですね。何を指して天の邪鬼と呼ばれるのか。いまいち、来ない。 (天の邪鬼)

2024-07-09

これね、皆さんの意見を読むとけっこう評判がいい。で、また再読してみましたが、一気に読ませてしまう。つまりリズミカルだということですが、わたしは皆さんと違ってこのリズミカルな動きが却って邪魔をしているとおもうのですよ。どこかで文体にやはり捻れがほしい。そうでないと~おいらは一人。~きっとあんたはいないだろう。誰の何を指して天の邪鬼と呼ぶのか。それがどうしてものみ込めないのです。 (天の邪鬼)

2024-07-09

また書き忘れた。  最後のオチは俯く坊やの姿が虚しく読み手には強烈に見えてくる。ということです。いい余韻とはこの様な仕上がりでしょう。 推薦できます賞 (千円やるから好きなもん買ってきな)

2024-07-09

上手いですな。に2~3繰り返し読むと泣けてくる。 坊やはひとりきり、伸びた爪を気にしている。ここまで読んできて、?ですよね。このオチが上手い。坊やの孤独、寂しさが徐々に露呈されていく。さり気なく最後で余韻を与える。とはこういうことでしょうね。 泣けます。上手い。 (千円やるから好きなもん買ってきな)

2024-07-09

投票しときます。押し損ねた。 (あの子は一人でバニラクッキーを焼く)

2024-07-09

月月火水木金金?古いな、 誰が歌ったんだろう、笑 ということで、たいへんですよね。家庭料理も。特に共働きの女性はたいへんな労務だ。しかし、すごい献立。1週間分ですかね。この量がいい。  ~殺す夢くらい見させてよ。って正直でいいな、笑。タイトルもいいし、素人離れした文のキレ味。  でも、まあどこかで見たような、如何にも受け狙いだな、って亭主の野郎は思うのだけれど、共働きの女性なんかにはサイコーに受けるでしょうね。 (あの子は一人でバニラクッキーを焼く)

2024-07-09

なんかさ、アニメから飛び出してきた巨大なひょう(豹)もイメージできますが、 これが近代合理主義が齎した人間の理性を絶対視する思考。技術革新で自然を支配できる。正常/異常の区別をも無効にできる、と勘違いした人間たち。そのことが、今日のようにハルマゲドンを起こす核という兵器をも獲得したわけです。 そのような危険性を仏18世紀、あの百科全書編纂で有名な啓蒙思想家のディドロは「怪物的思考」として予感していた。 「アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮である」啓蒙の弁証法。同じく哲学者のアドルノは有名な一文を遺していますね。  この「ひょう」がまさに豹変する怪物であるならば、それはいまウクライナに降り注ぐ超音速ミサイルでありハルマゲドンを眼にすることになる水爆なのです。 果たして筆者はそこまで深く掘り下げているのだろうか。という疑問はちらほらですが、いずれにしても怪物的思考のひょう(豹/雹)であることには違いないのでしょう。 (ひょう)

2024-07-09

!承知しました。わたしの思い過ぎ。勘違いということで水に流しましょう。いいえ、よい言葉のセンスはお持ちだと思う。詩、お励みください。 (アキ)

2024-07-09

わたしがね、先に振ればよかったのですが、詩書きということを考えると、どうにもわざとらしくてね。わたしもデリケートなものですからよけいにね。まあご本人にしてみれば、そのような意図があるはずもなく、まったく気づかなかったということならば、お互いの勘違いということで水に流せるのです。 (アキ)

2024-07-09

違うんですよ。私が一本調子で運ばれるので~、とコメントしたのに、~調子を変えてみましたがやはりや一本調子のほうがよいでしょうか。などと白々しく反対のことを返してくる。はじめから批判的なコメントが来たらこう返してやればいい。こんな様子にも伺える底意地のわるさを感じる。否定するならまだ正直に否定されたほうがいい。ちょっと熱心にコメント付けてると、このように人を小馬鹿にしたようなコメントを返してくる人が必ずいる。気分を害してコメントしたくなくなります。私の勘違いならばはっきりそう伝えてくれればいい。ご本人には誤りますよ。 (アキ)

2024-07-09

皮肉で返すつもりならばあからさまに解るように返せばいい。それならば表現として我慢もできる。 名前なら幾らでも改名できる。どうぞお好きにすればいい。私と貴方だけの問題だ。 (アキ)

2024-07-09

僕はパン、それもちょっと味の付いた葡萄パンなんて大好きなんだけど、日本人ならば米を食え!と米食をすすめる人もいる。反発を覚えたりもしてたのだが、これも最近は頷ける。やはり何日もお米から遠ざかると何か力が入らない。気のせい?気のせいかも知れない。でもやはり恋しくはなりますね。よく玄米とかを混ぜて炊いてます。  おむすびは絶対に海苔巻き派。中身は昆布から梅干しおかかとスタンダードなんでも。おむすび味噌汁。+卵焼き。日本人のソウルフードには間違いないです。 澤さんのコメントにもあるが、田中宏輔さんが最初に来られて、まあ、わたしもほぼ同時期なのだが、文極に衝撃が奔ったのは事実で、しばらくして彼に少し耐性が欠けているのも浮き彫りになるわけですが、あの頃は確かに辛辣で酷いコメントもあった。はじめの頃は彼の詩も多くから否定されてましたからね。ずいぶん悩んでるとの書き込みもしていた。だが文極も終わる何年か前の頃にはすっかり耐性も備わっていて、あの頃のやりとりは楽しかった。 まあ今回の件も?というだけで、べつにわたし個人への受け答えでもないので気にはならない。もう昔のことです。   それにしてもすっとぼけるタコ爺めの、takoyo2氏の冗談には刺身が食べたくなってくる。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-08

口調の通りふざけたコメントを返すお人だな。 読んでもらう。ということに感謝関心もないのならば挙げ連ねて置けばいい。あたまに来たのでもう二度コメントはしない。 (アキ)

2024-07-08

おいタコ爺。おまえも散々けしかけて出禁の脅しを被った一人なんだから、身に覚えが無いよ。とは言わせねーぞ。この八野郎。兎に角田中宏輔氏へのコメントにはみんなが気を使った。惚けるんじゃないよ ったく。覚えてるだろーに。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-08

これ、またちょくちょく再読してみますが、気持ちわるい。タイトルそのままに見えてこない気持ちわるさがある。 おいでおいで~して読めるからかな。天国か地獄が知らないけど、魂に語りかけてるのね。そんな気持ちわるさがあります。(気持ちわるさとはいいことなのだ) 「日と月と刀」もちろん時代感は違いますが、あれを読んでいる気持ちわるさがある。丸山健二。尊敬する作家のお一人です。 (Invisible奇候)

2024-07-08

短くてもいいのですが、半径200センチの距離で~この一番暗躍した文章が効いてないですね。酸っぱい音を文中に挿入させて、200センチ。ということは2メートル。場所はどこでしょうか?キッチン。リビングルーム?そういったタイトルに置かれたほうが想像も拡がりますね。 (酸っぱい音)

2024-07-08

緒形拳が演技する劇のエピローグ。を想像してみました。最後の二行がいいですね。「夜の星」このシンプレなタイトルもいい。三幕に敷かれた物語。浮かんでくるようです。 (夜の星)

2024-07-08

タヌキにパーキングエリア。笑ですね。昨日見ましたよ。実に実に久しぶり。街に埋もれる雑木林の一画だからでしょうね。はじめホルケっと座ってたのがわたしのヘッドライトが近づくのを見て慌てて林に逃げていった。そこで、ニャンギャオ~。たぶん猫と鉢合わせしたのでしょう。 多分に偶然性のおもしろさを意識的に取り入れておられるように読めますね。ならば文の息継ぎや区切り(句読点)とか、やはり助詞の省きとか、もう少し工夫させてみてほしいかなと。普通に改行で流すだけでは驚きも半減してしまう。とわたしはそう感じました。 (パーキングエリア)

2024-07-08

お名前は何と読めばいいのかな? インパクトのある冒頭は(・∀・)イイですね。夏の鬱憤が最後は僕の感情に移る。~具体性が何だってんだ。この連くらいは~お前らは悲劇を探してる。なんて吐き捨てないで問いかけてみてほしい。全体的に口調が一本調子で運ばれるからです。  真逆にタイトルも(・∀・)イイですね。「アキ」何だこれは。秋を指しているのでしょうが、シンプレな遠さがいい。 (アキ)

2024-07-08

「電子仕掛けの天の川」ってタイトルは電子メール携帯のことを指しているのですか? (電子仕掛けの天の川)

2024-07-08

田中さん、今頃になってあなたの矛盾した発言をまた眼にすることになる。 ~どう読まれるか、なんて気にして書いたこともないので~ あなた文極のはじめの頃、ご自身の作品に対しての不評は受け付けなかったですよね。スタッフにも泣きついてどうにかしてくれとか、やりとりがくり返されると、やれストーカーだ。出禁に欲しい。とか、言ってませんでしたか? どう読まれるか、なんて気にして書いたこともないので~ これは可笑しいですよね。気にしてもいない人が不評を眼にすると感情的になり受け付けられなくなる。評価を気にしている証拠じゃないですか。たいへん矛盾した発言だ。 普通に考えれば可笑しいですよね。     まあ、でも良しとしますよ。追及はしません。その矛盾があなたの内包された個性でもある。「あざとさ」なんて内心承知の上で投稿しているのです。その「あざとさ」も創作のうえでは発動力にもなる。谷川俊太郎。いいと思える作品もあるのでしょう? 1つの作品だけを取り上げてだからあの方は嫌いだ。というのは理由にはならない。その作品を指して言うべきでしょう。そう思いますよ。わたしは。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-08

老人廃棄処理施設だけは残しておいてほしいかな。 ああ、君らの世代から下の若者たちが今度は米軍と手を組み銃を発砲する時が来たならば。 世界のあちらこちらで核雲が空を埋め尽くすハルマゲドンの日がやって来るのならば わたしらの世代は何の役にも立たないのです 躊躇なく国を出て行くか、それも不可能ならば廃棄処理施設に向かうか、否、おそらく眼を開けたまま死を待つでしょう。 魚は死んだ。茸は枯れた。肉も野菜も手に入らない。 若い人たち。その時が来るまで頑張ってください。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-08

意外にも蓮舫女史は人気なかったのね。変わらないなあ。変わるのかな、といえば石丸伸二氏が貴方万太郎さんと重なって見えてきたりして、ああ、あ、なんだか怖い、でも面白い時代の到来かな、なんてね。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-08

田中さん、べつに好き嫌いは当然あっていいのだけれど詩が「あざとい」ので、~ではお聞きしたい。「あざとさ」のない詩を書かれている詩人はどなたでしょうか??教えてほしい。 海外の翻訳された詩は駄目ですよ。半分は訳者の言葉が混じりますからね。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-08

ronaさん、明晰な頭脳ので詩を読み解く、或いは詩という文芸を勤しむ。その対語のような存在が例えば私自身で、これはどちらかと言えば、という曖昧さを含めた極論として解釈してください。 下の方で谷川俊太郎詩の(あざとさ)について少し話題になっている様子ですが、あざとさ、田中宏輔さんのコメントからですが、詩についての(あざとさ)とは、俗に言う(受け狙い)を指す意味で、これには詩的に、あまりにも詩的に見え透いた表現だ。という意味も含まれていると思われます。 例えばM1グランプリの会場で、いままさに漫才コンビが客席に笑いの渦を起こしました。傍らで審査する人たちも同じく笑いますが、それは至って冷静な笑いです。  何故こんな話しを例えに持ち出すのか、といえばこの三者、といっても漫才コンビとそれを見ている客席の人たちに審査する人たちです。そこには共通する認識が働いている。ということです。それは(あざとさ)というお互いに受け狙いを承知の上での共通認識ですね。漫才コンビは受けるを意識して意図的なお笑いを作り上げる。それを見つめる客席も審査員も受ける笑いを待って聞いている。この(あざとさ)とはエンタテインメントに於いて互いの共通認識とも言えるのでしょう。では、では詩はどうでしょうか? もちろんはじめからあざとさを狙って書く人は少ないでしょう。中にはいるかも知れません。読み手の我々はどうでしょうか。何を求めて読むのか、といえばそれは刺激であり感動でもあり、読み解くための自らの向上目的という勉強でもあるのです。 話しが逸れましたが、詩に於いてその(あざとさ)とはやはりそれを受け止める読み手があってこそ成り立つもので、対象となる読み手がいなければ(あざとさ)も必要はなくなるのです。 そう捉えれば私たち。詩を投稿して人目に晒して評価を受ける者たち。果たして(あざとさ)を一切含ませずに私は書いている。と言いきれる人は何人いるのでしょうか。逆に言えばそのあざとさが含まれてもいなければ、わざわざ投稿して人目に晒す意味もないのです。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-08

ぺえ太さん、わかってらっしゃる。そのとおりだと思う。でもね、世の中には明晰な頭脳で詩を楽しみたいっていう人たちもいて、まあ、人それぞれだよね。ダメだとかイイねは自分の考えだから仕方ない。しかしそのことを神の目線で押し付けちゃいけない。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-07

あ、それから田中恭平氏new氏。このタコスケ2が言うわたしにイイねした投稿者に嫌がらせして~笑だよ。どこからそんな解釈がでてくるのか。兎に角独りよがりで勝手なんだよ。このタコスケ爺さん2は。もう当分相手しない。いつものことで、相手しない。面倒くさい。 (あ、日本の詩人だ、石を投げろ!)

2024-07-07

粘着?迷惑?笑。実は喜んでいるのじゃないのかしらん。 まあいい。これ以上あんたの臭犬パフォーマンスに関わったらわたしが追い出されそう。あ!   、そうか。それを狙ってるのかもね。粘着とか価格上昇した蛸が王様立ちしてストレートに騒いで。 なんか、いい歳して恥ずかしい。粘着とか、ストーカーとか、阿呆に阿呆らしくて、 勝手に騒ぎ立てなさいよ。散々嘘情報あげてヤバくなると逃げ出す癖にあんたの謝肉祭。 もうぷんぷん。   当分相手してやらないわ。 (あ、日本の詩人だ、石を投げろ!)

2024-07-07

笑、田中恭平氏。文極時代をご存じでしょ。いつものことで、心配することはないですよ。お互いおじいちゃんです。爺のコミュニケですよ。笑。まあ、加減を考えて廻りに迷惑は掛けない。そのことは約束しておきますから。 (あ、日本の詩人だ、石を投げろ!)

2024-07-07

万太郎さん、ご承知だとは思うが、わたしがネクタイをしてはどうか?とコメントしたのは朗読する自分を少しでもホンモノの狂人に近づけてほしかったからです。営業のサラリーマンや葬式礼装の格好をしてあの唇で朗読されたらもっと貴方への関心はマズい(増す)。そう思ったからです。笑 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-07

恋人も濡れる街角? そう、それ、それが青春だ! (あ、日本の詩人だ、石を投げろ!)

2024-07-07

あ、また書き忘れてしまった。個性的な文章でも読めないことにはどうしようもない。その辺りをもう少し工夫に考えてほしいとオヤジ思いました。 (リトル・ブレイン)

2024-07-07

おまるたろうさん、難しい。何が難しいって黙読するのも難しい。(いま途中で諦めてます)。ごめん。 これ。不参加になってるから熱く言いたくもないのだけれど、推敲してないでしょ?してるの? とにかく途中で空けちゃったり無駄に思える言葉も多くて読みづらい。僕には。難しいでしょ?散文も。文章表現の実力もわかってしまうからね。 努力してください。としか上から目線でしか言えない。ごめんね。 (リトル・ブレイン)

2024-07-07

なんでそんな風に詠めるのか。 読めたのか。 って言えば、この詩、同じ相手に同じ空間で繰り返し伝えようとしてるのね。追うように。つまりフーガ的に。たぶん響きは管楽器。その様に読めたのでした。 (フロート)

2024-07-07

 ふーん。玄月氏もいたのか。芥川賞受賞者でいま大阪芸大の教授だな。在日作家でもあったんだ。 まあ大阪はコリアンタウンもあるし、中国地方では広島山口県、それから北九州なんてのも在日朝鮮人の方の人数は多いんじゃないかな。炭鉱工業軍事施設。徴用で連れて来られた方々だから居着いても仕方ないといえば仕方ないさ。戦後北朝鮮には多くが帰国した。そのあたりは映画キューポラを観ればわかる。何本かは映画で観てるな。在日朝鮮人の苦労話しを。 高一の夏休み明けかな。薄い蒼い少しだけ長ランの新しい制服を着て粋がりはじめた頃だ。 電車の一番先頭のデッキに出てみれば、見るからに不良そうな高校生三人くらいが、あのヤンキー座りをして俺のほうをじろりと見つめた。手にはハイライトの吸いかけが。 ヤバいな。俺よりも1つくらい年上の他校の生徒だった。中でも背は低くて身体はゴツい。いかにもケンカの好きそうな奴のあたまはバキバキの盛り上がったリーゼントで、額の剃り込みも強烈だ。強そうだからたぶんこいつが仲間内ではボスだろう。あんましビビッてると舐められてタカられるかも知れない。横を向いて知らん顔していると、そのうち女子高生が降りるためにやって来た。電車の扉が開く。顔は見たことないが、奴らも同じ市内だった。 降りて横に来るとそのゴツいのが俺を見てボソッと言い放ったよ。「おまえ、チョンか?」   「はあ?」惚けた表情をして返してやったら三人連れはそのまま去っていった。 中学校ではどこのクラスにも帰化して名前を変えた朝鮮人の生徒が一人くらいは居た。町でよく聞く名前の不良には必ず朝鮮人名が付いている。何故か在日と聞くとみんな極端に怖れていた。確かにわるかったのだが、不思議と女子生徒の名前は聞いたこともなかった。居たのか居なかったのか。駅でたまにチマチョゴリの制服を着た女子学生を見ることがあった。あれは、たぶん親が苛められるのを心配してそれ専門(朝鮮人学校)の学校に行かせてたんだろう。その時は何とも思わなかったが、遠目に眺めてもスタイルのいい綺麗な女子学生が多かったような覚えはある。 年上の知り合いでケンカの強い面倒くさい奴がいて、みんなで無視しよう。と逃げ回っていたら夕方になって何人か呼び出され、よく聞く名前の帰化した朝鮮人を連れて来ていた。仕方ないので奴らの怒号を聞きながら項垂れていると、そいつに膝蹴りを腹に一発食らった。ちっとも効きはしなかったが、下を向いたとき、傍にあったブロックの欠片でコイツのあたまをかち割ってやろうか! と手にしかけたが、止めた。…傷害を負わせれば鑑別所送りになる。両親や家族のことを考えれば、そこは我慢するしかないのだ…。 実名も出て来て個人的なノンフィクションを思わせる物語には興味を惹かれるので面白い。ちっともおもしろくないフィクションよりはマシだろう。 しかし理由もなくただ苛められるのは兄弟の関係だけで、わたしには経験がないのでわからない。 何故苛められるのか。 話しとしてはおもしろく読んだが、ただ経験を語る雑文ですね。すぐにごみ箱行きだ。 同じごみ箱行きの読み物ならば「獄中日記」河井克行が発売される。安倍晋三総理時代の、二階幹事長金庫番の橋渡し役だ。売れるだろうな。だが、おそらく何ひとつ肝心なことは書かれてはいないだろう。屑本だ。 (あ、日本の詩人だ、石を投げろ!)

2024-07-07

あら?ここはあんたが後から出て来ただけじゃないの。しかも空とも海のものともわからない変な名前で。 現フォ消した?勿体ないな。でも消すなのは昔からお得意でしょ? 自分のことが嫌になってしまったのね。もういいお歳なんだから粘着とか無頓着とか外れる天気予報のように言わないで、楽しみましょうよ。う、   ふん。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-07

あなた、パーソナリティ向いてるわよね。見た目もママいいし。口調も面白い。司会者としての雰囲気もある。それを目指しているのでは? ここで放送させてもらってみては如何かな。詩の世界。マイクの似合う人なかなか居ないから。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-07

ごめんなさいね。わたしが完璧主義を求め過ぎるのかも知れない。 このさりげなさ。 さりげなさを見せることほど難しい演技はありませんよ。お知り合いに役者の方がおられるなら聞いてみてください。 だから詩の発語も講談師のような動画も衝撃的ではあったし、その度量も認めますよ。 あなたがそれで満足できるのならばそれでいいのです。 いじめてやれそうでお友達にはしたいかな。と。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-07

これね。他愛もない告白のようなメッセージにも詠めて少し厳しい見方をしたけど、ちょっと違う角度から見れば面白いのよね。 この空間を僕は読み落としていたと思う。つまり文体形式的な、 、つまり音が意識された形式的な詩だったんだ。 僕も得意な、ポリフォニー形式ですね。僕の場合はそもそも空間と人物を置き換えるけど、ここでは楽器になぞらえている。フロート。その軽いタイトルに感性も眠らされていたな。    のように受けとめれば作者の思惑も読めてくる。 (フロート)

2024-07-07

詩の表現の面白さとはこういう発想だろうな。とわたしは思う。 ~洗濯機から飛び出す透明な犬たち~とは、母の中にかろうじて残る記憶を語り手のわたしが表現してみせた喩えだろう。実際犬が飼われていたのかも知れない。 読んでいるとわたしの記憶も飛び出してきて胸が熱くなる。いまはもう渇いてきているようだが…… ~乾燥している。介護の必要となった高齢者の朽ちて萎れた肉体。インパクトもある表現で、実は哀しみが込められているのを誰が知るだろう。 性的などと下ネタの喩えで受け取る人もいるようだが、これは介護の記憶です。 「水分をかんじない」このような思わせぶりなタイトルに置かれたのはあくまでも内容を秘匿させておきたかったからだろう。 喩えがひとつでもわかれば話しは簡単で、そのことを避けたかったのだと思う。 ひとつでもわかればその佳さがわかるようになる。暗喩の勝利ですね。いい詩です。 (水分をかんじない)

2024-07-06

あわ?あなたがこするからでいするたるけじゃないの?澤さんに聞いてみてよ。ペエもマン太もあなたの褌を担いで神輿を上げたいだけじゃないの?熊さんに聞いてみてよ。あなた右翼関係者でしょ。右翼なら右翼らしく左の肩をほぐしてくれないの?わたし懸賞いらないどずっと腱鞘炎煩ってるのよ。あたまも少しね。右脳左脳両方共にだけど、いまにきっとあなたの褌を議事堂の二階に捧げてやるのよ。二重橋前にもね。踏みつけてやるわ。そうそう米国の独立記念日はもう終わったのよ。日本にはあるのかしらね。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-06

ハーイ!ポストモダン。いや、流れからしたらやはりデリダでしょうね。 最近TVで見ていたので、たまたま名前が上がっただけです。キスしたい。ご丁寧にありがとう。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-06

↑演出効果を知らない人のコメントで、それは素人芸は素人芸のままにしておけばよい。というような程度の低い感想ですよ。こういう中途半端な姿勢で臨むのでわたしは朗読嫌いになってしまう。人様を前に発表する覚悟があるのなら腹を括る必要がある。肌に入れ墨を描いてもいいし、血だらけで朗読してもいい。場合によってはスッポンポンでもいい。それくらいの覚悟をしてほしいのだ。 あなたjokerだって正装してますよ。口裂け男のように唇を朱く塗るなら白地のYシャツに黒いネクタイくらいすべきだ。そしたらわたしも正座して拝見しよう。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-06

えーと、コスモポリタンから帰ってきました。澤さん、冷蔵庫からフルスパ爽やかに美味しかったです。        えーと、また玄関口のベンチで何をしているのか。腰の曲がったお婆さんがじっと何かにすがって立ち尽くしていました。まだ暗い夜明け前です。中で配達を終えて出て来たわたしをチラリと見てゆっくり動き出しました。腰を曲げた糸人形のように。わたしのヘルメットに装着したライトに反応したのでしょうね。たまに姿を見せます。 掃除をしているときもある。今朝は何もしていない様子でした。   院内のベッドには人工呼吸器を装着したお年寄りがいて、眠ったまま機械の音だけが反応している患者さんもいて、藻掻きながら身体をくねらせて奇声を発する人もいるのでしょう。 夜明け前のお年寄りを見れば胸に熱いものがこみ上げてきます。 その度わたしは安楽死の薬を手に入れておきたい。そう思うのです。 精神病理学なんてコメントしたら作者様に於かれましては何やらぬ怪訝な思いをされるかも知れない。はやく書いて置けばよかった。澤さんもおっしゃっておられるように、これは作品から得られるテクストを基に介した読み手の情報というだけの話しなので、どうぞ作品と作者ご本人とを切り離してお読みくだされば本望でございます。 なんて丁寧な言い方になりましたが、そういうことなので宜しくです。 (リボルバー)

2024-07-06

これね、はじめわからなかったな。アメリカの遊園地~パリでしょう。テクスト的にどっかから引っ張り出しきて置いたみた、現代アートでいうオブジェのようなものかな、とは思ってましたが、やはりオブジェクト(対象としてのモノ)つまりIT用語的な意味合いだったんだ。分かりそうでわからないはずだ。笑。バラバラなので、引用してきたのかと思うような側面もありましたからね。 選評解釈はべつにしてもこういうのも有りですよ。他人の癖もわかる。読み取る側としてはあたまが痛い。わからないもまた面白い。 (Gestalt)

2024-07-05

!そうだ。どちらかといえばアポフェニー精神病理学の分野ですね。ポスモ?ポストモダン。現代思想ですか。ローティだな。 (リボルバー)

2024-07-05

ひとつ言い忘れた。またすみません。僕は後からすぐに思い出してしまうのです。だから推敲は必須だ。 ここに書かれてある言葉たちは掘り出した原石の瑪瑙だ。  深くて蒼い神秘に満ちた異世界へ僕を誘ってくれる。 (オマージュ;『成れの果ての』〝その続き〟を)

2024-07-05

四半世紀もすれば歩んできたその痕跡さえも忘れ去られてしまうという実体。  わたしという人間は命ある限り幻という夢を見続けているだけなのてしょうか。 それとも大いなる転た寝の中でドラモエンを演じているだけなのてしょうか。 宇宙から見下ろした地球は果たして我々が暮らした地球なのでしょうか。 その時詩人は小さくため息をつくのでしょうか。            ……すみません。他からinspireされた詩にはどうしても返詩のようなカタチを取りたくなります。 (オマージュ;『成れの果ての』〝その続き〟を)

2024-07-05

たまには詩も書かれるのですね。懐かしいその嗄れた声、笑(ごめんなさい)                          お久しぶりです。(投げキッス)    星が見えなくなりましたね。小さい頃から比べるとそう実感いたします。 遠い宇宙がよけいに遠く見えきて、地球は孤独だな。 僕もときどき想像しますね。生命は何処からやって来たのか。 ひょっとして人類だけは何か異星人からの贈り物を賜わったのではないのか、と。(まるで2001年宇宙の旅ですね。引用して申し訳ないです) 一度は降るような星屑(これも普通で申し訳ない) 地上から眺め見てみたいのです。何処がいいのかなあ…と。 (交錯する夏の香り)

2024-07-05

乖離や分裂症。さすが澤さんだな。病理学的な観点から内面の精神性で捉えている。 そうして読むと~やつらがやってくる。とは女神の姿をした何か病的な悪魔(悪夢)のことかも知れない。 これね、冒頭はセザンヌの立体的な空間から抽象絵画へ向かうモンドリアンの構図もイメージとして浮かんできて、それが突然(     )告白に変化してしまうという不可解さに泳がされてしまう。 そうだな。内面的な描写を強く意識すればこの詩は夢と現実を乖離分裂させてみているのかも知れない。悪夢から逃れたという願望で。ロシアンルーレットの弾を外したい。タイトル「リボルバー」とは、つまり運、運命を指す意味なんだ。 (リボルバー)

2024-07-05

takoyo2気味は一生闘っても答えを見出せないよ。 僧侶に復帰すればいいじゃないか。欲深いのもお坊さんだ。 ただで喰って生きれるなら私も親鸞和尚にすがりたい。そしておま●この中に仕舞いたい。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-05

誰も本気では聴いていない席。それは会社の宴会や結婚式で場違いに真面目なクラシック曲を下手くそなギターで演奏して、ああ若気の至りとはいえそのバカバカしさに腹が立つやら恥ずかしさやらで今でも思い出すと虚しく響いてきます。もちろん廻りの人は忘れているでしょう。恥の掻き捨てを想う。それだけ歳を取ってしまったということです。 中小大手企業の宴会には必ずあなたのような若い社員がウケを狙ってパフォーマンスをやらかしますね。誰に対してウケなのかはっきりとは言えないが、一応肩書きは一流大学卒の経歴を持ち将来を嘱望されている人たちが多い。劣等感だらけの私からみればその景色は吐き気を催します。その心理を分析すればバラエティ番組によく出てくる高学歴タレントと同じような意識ですね。作り出すお笑いはそれを見ている人たちも本人も納得済みなのです。なので本気度の薄い下を見下ろす高慢な意識が当然内包されている。ほら、馬鹿を演じて見せてやるよ。という。 動画は概ね好印象を持ちました。赤で分厚く塗られた口の周囲。そこまでやるなら黒いネクタイを巻いてきちんと正装してほしかった。後ろは壁で箒が置いてあるトイレの前です。 内弁慶武者震い国日本。そのそおりだと思う。だからといって私はtakoyo2のように絶対的な腕力に頼ろうとする右翼的な言動も行動にも反対の声を挙げる。いまはまだ人類も過渡期で個人主義も中途半端なままなのです。 このような憂う国の状態にチャラけた風刺を込めて吐き捨てた詩は沢山みましたよ。名前のよく挙がる谷川俊太郎先生だってそうだ。 将来なんて、少ししか残されていない私からみればクソ喰らえだ。 先の見える人たち。前面に出てどんどんやればいい。                           否定はしません。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-05

書き忘れちゃいましたが、刺激的な文体にはやられましたね。ロシアンルーレット。 (リボルバー)

2024-07-05

この詩何度か繰り返して読んでるのだけれど、う~ん、よくわからない。お題はリボルバー。途中( かってやつらがはがねのはぐるまをまわして~)これがあるのでリボルバー(回転式銃)なんでしょうが、急に緊張感ある綴りで展開される。リボルバー。これはどうしてなのか、いまいち掴めない。~いよいよやつらがやってくる。このやつらが終わりのほうにも出てくる。やつらとは一体何者なのか。これも鍵になりそうで……あたまを捻ります。 どうやらですね。想像するにミューズ(詩神)女神のようなものではないかしらん。とかとんちんかんに思ったりしてみたり、    、しかし格好いいすよね。リボルバー(回転式銃)この耳触り。わたしら前後から上の世代まで、リボルバーと聞き及べば銃よりも先に、ビートルズのレコードタイトルを思い浮かべるはずです。あの頃のビートルズはゴキゲンなリフに引っ張られて、シンプルで格好いいタイトル曲が多くありますね。デイ.トリッパー。ペーパーパックライターetc.  まさか、まさかオヤジ心をくすぐるつもりで……このタイトルを無理強いにして…でもないか。う~ん、また再度読んでみます。 (リボルバー)

2024-07-05

ペエ太とかタコよとかポン太やら、桶屋の太鼓持ちじゃあるまいに、名前からして品性がわかる。道頓堀で脂身売ってりゃいいんだ。 (窓)

2024-07-05

こういうエロオモロイのには決まってこの馬鹿三人が寄ってくる。がっくりしょんだ。書かなきゃよかった。 (習作)

2024-07-05

夏が来れば思い出す。夏の思い出。作詞、江間章子。作曲家の中田喜直などは有名ですが、作詞家の経歴はまったく知らないですね。その時間になれば有線から流れてきますよ。笑。デルフィニウム。青い花穂が数多く立ち上がる。幸せをふりまく花でしょうか。やや寒冷地域の高地に見られ、日本のような高温多湿な場所には弱い花ですね。この花を観る度にまだ初々しかった頃の彼への思いが懐かしさとともに込み上げてくるのでしょうね。羨ましいような記憶です。 (デルフィニウム)

2024-07-05

田代ひなのさん、どうもです。女性らしくお優しいコメントで、泣きたくなってしまう。このようなコメントを付けていただいたらこの黒い髪の少年が黒髪さんの少年時代を想像して、などとは言えなくなってしまう。やはり神様から拘束されるイメージをもう少し書けばよかった。 コメントありがとうございます。 (黒い髪の少年)

2024-07-05

確かにイメージ的にはアニメーション的なの映像で迫ってきますね。七人の小人が出てくるので白雪姫バーサス山賊の娘ローニャか、いやゲド戦記。白雪姫以外はチラリとしか観てないです。笑。ヨハネの黙示録かな。アルマゲドン。わからないけど。でも表現よく書き込まれていますね。唸ったと。です。 (炭素循環)

2024-07-05

ペエ太さん、失礼はお詫び申し上げる。その通りで私にも作品評から脱線させるわるい癖がある。ついつい口を挟みたくななてしまう。黙っときゃいいのにね。     ところで個性ですか。これが一番。心がけていることです。一~二作品ではわからないでしょう。ああ、こいつメルモだろうな。そう思われると嬉しいのですが、人真似もできますからね。なのでやはり作品本意でしょうね。どこかで異色を出したい。そう思いながらも励んではいますけれど。 (窓)

2024-07-05

ああ、このtakoyo2氏は正真正銘の阿呆面を暴露している大馬鹿者だな。アンネ.フランクが益々哀れに思えてくる。峠三吉の悔しさが込み上げてくる。そんな文面だ。第二次大戦。多くの詩人作家が兵役に従事した。大戦後もシベリア中国に抑留された。当然ご存じですよね。経験していない者には実感として伝わらない。あたりまえじゃないか。実際地獄のような戦争体験をしてきて君らは経験がないので詩に興しても何も伝わらない。そんなことを堂々と後輩に宣言できた詩人がいるのなら教えてほしいよ。何が経験からだ。それこそこの世に於ける人間の生業のすべてがわかったような独り善がりの口振り。両脇腹が痛くなる。経験してないってことには無垢な佳さもある。ってことをまったく否定したコメントで唾を吐いてやりたくなる。そう反感を買うのを承知でコメントしている。なんて下劣で奇天烈な策士だろう。 (炭素循環)

2024-07-04

まあ、いい詩とは言えるかも知れないが終わりの二連など読めば旧イカイカ氏の口癖にも詠める。もっと個性を発揮すべきであろうと思う。 (窓)

2024-07-04

谷川俊太郎氏も文壇という権威を嫌うお方で、その両方を否定するとは、これもまたミイラ取りがミイラになってしまったとしか言えない。どちらにせよ決めつけは良くないですね。選評する批評と同じくです。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-04

↑ペエタくん。~如何にどん百姓臭いかを思い知らされる~言語学の教授でもないのだからいちいち細かいことは言いたくもないけど、こういう表現は相手を称えるときに使うべきではないよ。真摯だとは云えない。自分に対してのコメントへの返信ならばかまわないが、自分を卑下する表現で相手を称えるというやり方は不信感を与えて返って失礼だと私は思う。垢抜けてない、とか普通に書き込めばいいのだ。よ。と。 (リボルバー)

2024-07-04

なので押しつけられるアカデミックなやり方を嫌って才人は去るのです。猿とも云える。しかしミイラ取りがミイラになってはね。takoyo12氏なんかいつもそう。土俵を過ぎても押し徹そうとするのよね。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-04

最近の子供たちは当て字の名前が多くて下手に声を出して読めない。まあ、この自由さも流行りではあるのでしょうが、劈く星霜。なんてのも日頃から漢字を見慣れていないとなかなか覚えてても忘れて読めない。と思えば鷹枕可氏主催の歌会に応募するようなお方だったんだ。何方はだいたい察しもつきますが、批評も氏にお任せするしかない。いやあ、私からみればこういう難字にはいつも苦労させられて勉強不足を痛感させられますね。 (分子零度)

2024-07-04

完備さんて新プラトン主義派だったのね。意外。本人は否定されるのかな。 (3分の1がない世界で -REMIX- )

2024-07-04

惜しいな。疲れたおまんこが空気を出す。疲れるのは人間の頭脳でべつに性器として機能するおまんこではない。 冒頭、結晶化されたされた欲望の河のそばでオナニーをしていました。 こういうのを綺麗に書くな!と言えるのかも知れない。ほとんど肉体のことしか表現されていないのでオナニーも肉体な性的な自慰であるとしか解釈できない。 比喩として想像する行為と実際の性的な行為。「習作」とあるのでそのあたりをどう受けとめられるのか、作者は意識して書かれたのかも知れないが、ですね。 (習作)

2024-07-04

そうですね。綺麗にみるか醜いとみるのかはあなたの心次第。ものごとの本質を捉えろとおっしゃっておられるのではないか。 芸術は美しいだけのものとは限らない。ただそうおっしゃっているだけのように感じます。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-04

↑あなんた↑takoyo12さん、岡本太郎のいう綺麗に書くな!馬鹿たれ!をなんか勘違いしてないすかね。太郎さんは綺麗にみえるものをそのまま綺麗に書くな!とおっしゃてるように聞こえてきますよ。天国から。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-04

おや、沈黙の完備さんだ。珍しいですね。コメントどーもっす。ありがとう。インスパされてそれが黒髪少年時代と結びつけて想像したものではじめから意図作為も薄いですね。ただ本人様は宗教に興味関心もお有りの様子なので、その辺りを少し絡めても中途半端なイメージに終わってしまい。でもこれも書けば書くほど物事になっちゃうし、そんな余裕もおもしろいとは思わないし。省略が飛躍的にわかりづらいのは充分象徴しています。内容が薄いので、少ないけど表現だけですね。ちょっとはおもしろく工夫させてみようかな、と試みているのは。 (黒い髪の少年)

2024-07-04

えーと、こちらはインターネットでございます。 六本木ヒルズの男性トイレを借りて放送しています。   「本日は曇り空、ときどき大粒の雨に混じって小石が降ってくる気配が予想されます。  ?え、 何処から飛んでくるって、あなた、いまおっしゃいましたね。 お隣の中国ですか?それとも北朝鮮。いや、もっと遠くのモスカヴァから? それとも紛争中の地域からでしょうか。 いいえ、火星に置かれた中継基地局Bレビュー放送の電波を拾ってみてください。 これは麗しのカナリア。火星の噴火ですよ。噴火。宇宙空間舞い上がる噴石が、ほら海馬のベルトを打ち破り、穴という穴からゆるい脱糞症状を引き起こす。蛸や海豚の最接近。おまえな、災害時にはオマルを用意しろいうて宝塚のおっちゃんが言うたろう。石原言うたろう。つまんねえな。ところでBレビ放送はこれから六本木ヒルズに場所を変えて流しますので、皆さん呉々も愛鍵を差し込まないでください。 愛などという言葉は死にました。恋は捨てました。小橋オバマ。お墓参る。お馬鹿さんだけ集まってください。 では… (B-REVIEW 7月のお題詩「さよなら、インターネット」「打ち上げ花火」 )

2024-07-04

わたしの作品を下劣だと散々罵って、米大統領をコケにするこの下劣さ。しかし卑劣ではない。下劣さが秘匿されるのも想像である。美徳も下劣も体験してみないことにはわからないこともある。この詩人間を人間としてみる正直さに触れている。感動とはそれ故に生まれる。いい詩だ。 (大人用おむつの中で)

2024-07-04

谷川俊太郎先生とは旧Twitterで勝手に返詩させてもらいましたね。どれぐらい続いただろうか。三カ月以上かな。ほとんど毎日リツィートで詩のらしきもので短く返させていただきました。友人の方の図柄で短く詩を書き込んでらした。(どちらが先なのかはわからない。たぶん谷川俊太郎先生の詩にイラストを添えたのでしょうね。なので詩の元が実際本人だったのか。これも不明です)  ですがね。しばらくリツィートさせていただいてわかりましたね。やはり出てくる言葉のパラフレーズにキレ味があって、ああ、まだ勝てないなあ、と実感しましたね。もうかなりご高齢のおじいちゃんですよ。それなのに言葉がイキイキとしてるのです。まだX に残ってるかな。ご覧になってみてください。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-04

いいねえ、あの世で生まれ変わった文学極道続編だ。 詩人、谷川俊太郎。takoyo2氏もよく馬鹿にしてたな。吉本隆明オンリーにして詩の素晴らしさがなんもわかってない。   ティムラー隆一さん、鉄腕アトムの作詞家ですよ。谷川俊太郎氏は。日本を代表する作曲家の武満徹もリスペクトして多くの曲を提供している。その作風からボピュリズム的な扱いを受けることもあるが、初期の作品なんか読んでごらんなさい。否定的な見方ができるわけがない。谷川俊太郎。戦後の日本詩界を牽引した偉大な詩人には違いないのです。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-04

ハツ様、お読みくださりコメントありがとうございます。 これ、現代詩フォーラムで秋葉竹さんという方の作品からインスピレーションを受けて書き上げたものですが、十字の朱い髪、キリストと血をイメージしています。後で~に神様がおいでおいでする。この辺りをもう少し書き込めばよかったかな、なんて思い返しましたね。  なんとなくおわかりでしょうが、因みに黒い髪の少年とはこちらで活躍されている黒髪さんですね。彼のイメージを念頭においてます。 (黒い髪の少年)

2024-07-04

もっとモットー竹モットーで長いね。面白いのかなと読み始めて途中で萎えちゃいました。凄い!もう知識の叩き売りが凄くて恨めしくなってきた。この叩き売り感でしょうね。このリズム感が好きな人は好きなんだろうけど、オヤジ疲れました。すみません。 (ストレスドデザーツ(菓子めいたタイめしか))

2024-07-03

いいですね。二連、~朝を追う列車のトイレで一人の女性が健康な子を産み~なんとも刺激的な、というか悲惨な状況、ですが、次、~ラッシーを飲み経済新聞を読む~ああよかった。このことは語り手の想像だったのか。と一安心。何故に小田急線に乗りながらこのような思いで綴られるのか。そのことを示唆するのは~あなた。~あなたの為に生きているのに~あなたの死んだ心だけれど~。むむ、これはあなたに対する相当に根の深い恨み節。絡めて~樹海を経由する。そして月の満ち欠けなど、妊娠や出産または堕胎、に関与した死の匂いに誘われてしまう。不幸な出来事を思い浮かべてしまいますね。それが小田急線なのか?といえばわたしは想像します。つまりこの語り手はあなた、小田急線に乗る(あなた)を思い語らせているのです。これ二連などは意味内容を掴まないと過激なだけだと受け取られてしまう心配もなきにしもあらず。笑。まあいい出来の詩だとは思いますが、べつに小田急線や乗客自体に責任があるわけでもなく。この少し裏日れた気持ちを和らげる表現があってもいいのではないか。とも感じました。 (小田急線)

2024-07-03

特に愛などという非常に裾野の広い概念。悪いとか良いとか、そう単純には推し量れないものなのではないでしょうか。 (厭離穢土欣求浄土)

2024-07-02

! あ、そうか、takoyoの膨れ上がったあたまを押さえつける目的だったのか。 しかしね、黒髪さん、傷つけあう愛が悪い愛/称え合う愛が良い愛。? これも一般的相対論として常識的にみれば至極あたりまえの言い方のことで、 あなた、黒髪さんは(傷つけあう愛)でも良い愛を知ろうしないから言えることで、傷つけあいながらも愛しあってる二人の関係性。例えば、長年連れ添う夫婦のような関係をどう捉えているのか。これは悪い愛の結晶の賜物ですか? (厭離穢土欣求浄土)

2024-07-02

!このスレ、シノハラマサユキさんアイデアだったのね。日頃から鬱憤が溜まってて、ずいぶんと居酒屋してしまったな。勘弁してくださいね。Bレビ文化放送#パーソナリティがんばってください。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-02

↑あ、これはこれは、そのとおりでございますです。拘りを「押し」つける」。 あの方、といえばtakoyoかNo2さんのことですが、わたしなども嘘詭弁偽情報をいままで散文押し、つけられたのでございます。で、ヤバくなるとクルックルウと反転して行方を眩ましてしまうのです。これは持って生まれた性分だな。といまでは可哀想を認めてお付き合いさせていただいております。 警句否敬具 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-02

自分と違う価値の全てが正しいものではなくて~それを言うならば、(自分と違う価値の全てが悪いものではなくて、正しいものは正しいのであって、悪いものを賞賛することはできない)。でしょう。でなければあなた黒髪さんの価値認識ははじめから正しいものだとご自身で決めつける論理が展開されることになる。だから突っ込まれるのです。そもそも何が悪いのか正しいのかの判断は知能を進化させた人間の理性による判断がそう言わしめるもので、これも時代とともに変化するということを前提に論じられなければ穴の中を巡るばかりです。愛は普遍なるもの、なんて言えばそれは言葉が本質を指す仮装として形而されているだけで、何が悪い愛なのか正しい愛なのか、わたしは未だに懐疑的である。 (厭離穢土欣求浄土)

2024-07-02

僕は田中宏輔氏の「The Wasteless land.lllを持っているが、この●印が置かれた先生の形式詩は画面で一度に見たほうが心地よく合う気はする。何故ならば●不規則に置かれた素数の拡がり●宇宙空間とのつながりを感じるからである。 (FEEL LIKE MAKIN’LOVE 。)

2024-07-02

takoyo2氏は間抜けだ。そして偏屈だ。ダンスをしてもまともにはタッグを組めない相手だ。自分が詩に対して拘りを持っているのかを晒している。管のつまった便器である。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-02

詩作ですか。書けないときは何を書いてもダメですね。何もしないか瞑想に耽るか、詩から離れます。そんなときは散文でも書いて文章のお遊びをすればいい。そのうち閃いた言葉が降りてくる。その時ですね。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-02

なんだよ。まためんどくせーな。万太郎さん。自分で自信があるならそれでいいじゃないか。冗談でもなきゃ嘘ついてまで他人の作品に批評は書かないよ。いいものいいと批評するしちょっとダメなものはそれなりに理由も付ける。俺の詩も評価してないんだろ?好きも人それぞれ。それでいいじゃないか。あんまし気にすんなよ。どのみち時間が証明してくれるさ。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-02

ああああ二日間続けてびしょぬれに濡れて、痛い肩と腰を気づかいながらシャワーで雨と汗を流す。なんでしょうか、世の中にはこんなときにも豪華客船のラウンジに酔い、それでも貯蓄は増えるばかりの人間が何人いることやら。 まったく、ついてない。何が憑いてないのか。渋沢栄一が付いてこない。神々が憑いてないのです。 ああ紫綬褒章受章者の吉増〇造先生ですか。残念ながら彼の著作は批評本含めて3~4冊くらいしか持ってないですね。しかも読み通してはいないし。なので似てるとか言われたらそれはホントホント嬉しいのですが、真似ることなどできないのですよ。実力が違い過ぎる。谷川俊太郎先生と同じです。Mrs.オバマが実は男だとか、そんな似非情報を平気で書き込むあなたtakoyoさんから、やれ下劣だ。下品だ。馬鹿につける薬だ。真似る蛸の擬態だ。とかおっしゃられてもですね、それこそ蛸が烏賊の足を挫くようなものですね。 そんなことよりもあなた、takoyoとかtakoyo2とか一人で怪人二十面相のお遊びですか?小学生相手の謎かけじゃあるまいし。それとも阿呆な誰かが本当に成りすましやってるの?まさかね。 いい加減に統一したらどうですかね。大昔から今現在まで、名前は散々変えてきてもう飽きたでしょうにねへ、ねへ、へのへの字も?? (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-02

あ? 上品なtakoyo2さん、わたし名義のコメントありがとう。いまから仕事ですので、今日はメジャーリーグの放送もないので帰ってからゆっくりお仕置きしてやるよ。この蛸よ烏賊野郎。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-02

ざーけるんじゃないよのざきやまピーコック。たんブラックボックス。顔合わせしたらジャックダニエル。  ウイルスもいっぱい。指いっぱい。壊れるのはわかりますよ。だったらよ。takoyoikayo2氏はまた出てくるんだな。出て来なきゃグルだ。どっち向いてもわたしには関係ない。右だろうが左だろうが、どのみちウクライナドールが、アメリカから円が消える。。 (こんにちわ)

2024-07-02

蓮舫だろ?彼女は白のブラウスが好きだ。もちろん下着も白だ。腹の中は、わからない。引退二階が名前で出るなら彼女も出せよ。百合子も書け。   と言いたいよ。触れて、知らないけどね。 (白)

2024-07-02

なんかさ。名前ばかりおもしろい人が沢山出てきて書いてるものは名前ほど全然おもしろくないのねっ とした。月に三作品OKだから、そりゃ思いつきで投稿したくなる気持ちわかる。わかるけどさ、それならば、だよ。べつにヘルスケアしてこころ掴まなくてもいいから尻尾くらい掴まされる作品挙げろよ。 鯒'虎は時間が限られてる。期待外されるのは大谷だけで充分。現在詩人会に於いて枯れるばかり。 もう~下手な洒落書かすなよ。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-02

あ!ヒント書き忘れた。サントリー天然水フルスパのCM。~好きすき好きすき好き、好き( )これで無糖。武藤敬司。このシュールなウケとノリですよ。 (漫才:漫画みたいな話)

2024-07-01

まあ、ギャグ的な受け狙いだろいけど、ダジャレも冴えないし、おもしろいかと言えばあんましね。このサンバ(三人)が社会派をネタにするときは急に口振りが爺婆になってシラケますよ~。でもおもしろいギャグ詩人ならはもっと反抗的になるべきで、駄洒落も癖にはなるのです。 (漫才:漫画みたいな話)

2024-07-01

これはですね。朝早く夜明け前からスケートボートを担ぎ出しては転がしていく。趣味は文楽と海外エンタメ。そして酒も煙草もいっさいやらない。健康管理体制に徹底して生きるストイックなtakoyo2さん、のような人物が浮かび上がる天の川、じゃなかったタイトル「天の邪鬼」。姿は見えるのだけど、内容がない。おいらは一人。この人物がなんで天邪鬼と呼ばれるんだ?と…。 (天の邪鬼)

2024-07-01

冒頭~ うつくしいものだけかんじていたいとねがった~ 自分本意にものごとをすすめていけるのならば、美しいもの以外みつめたくはない。ふれたくもない。 という自己中心的な美意識が書き込まれている。醜悪。そんな僕の思いは、きみの意識という直喩に置きかえられた自己認識で表現されていく。 終わり~それいがいのうつくしいものはきみとぼくのあいだにおだやかにとけていく。  この、きみの~と喩えられた文章には温もりのある美的さと皮肉を込めた辛辣さとが入り交じり読み手の感情を混乱させている。アイロニカルな表現だ。醜悪。つまり対比的な意味合いできみの美的さと醜悪さを混交させて、自己中心的な美意識を世の中で完遂させたいと願う厭世家の憧れなのである。 漢字表記のタイトルと全面ひらがなの対比はおもしろい。ならばうつくしい。この表記だけは美しいと漢字に置かれてもいいのではないか。 そして、醜さと美しさ。 何故僕がきみを介してその美しさに拘るのかわからない。 終わりの前に一行くらい表現されるべきだと思う。 (醜悪)

2024-07-01

何方かな。ごめんなさいね、コメント外して。まあ、でも人間経験を重ねて歳を取ればそんなもんでしょう。性的能力とともに色恋への興味も薄れる。その点ずっっと歳の離れた異姓(同性)に関心を持つことで、仮性的な情熱は保ち続けていかれるかも、ですね。わからない、笑 (紫陽花)

2024-06-30

そこまで言える万太郎さんには、羨ましいな。いい人生がないといい詩は書けない。決して?だとしたら、ならば僕には一生かけない。いい詩が… (紫陽花)

2024-06-30

元来匿名で書き込むネット詩人なんて風変わりな人物が多いはずで、単に他人の私生活を想像してみたり、動物の轢死体にゾクっとした興奮を覚えたり、興味のある異性(同性)を陰から覗き見したりすることは詩を書くことと同じで、それを言葉にして書き込んでそんな事例は世の中には沢山出回っていて普通につまらない。だいたい本当に異常な人間は人前では普通人を装うので、書きものにしても普通に読めるものを選びます。異常なものに関心を示して公に発表する人ほど実はまともであり、本当の変質者(偏執狂)とは自らが気づくこともなく、通常人々が関心を示さない物事に興味を持ち、それを誉れのように提示したがる人物だと思います。そういう意味では新たな可能性を研究している科学者なども変質者の部類でしょうが、彼らは作家と違って人間(生物)を観念として眺めた外観自体には特別興味があるわけでもないようです。べつに興奮や快感を覚えるのは意識して性的なものばかりだとは限らないからです。そういう意味ではこの投稿サイトの近くにも通常とはかけ離れた意識の持ち合わせたお人はおられる。なんとなく一人挙げればtakoyo2さんなどは本当に異常な拘りを持つお方で、彼はこっそりと誰も観ないような背景を探りたがるのです。例えばチベットはポタラ宮に居を構えるダライ・ラマ14世の私生活を覗き見たり、ミャンマーの奥地で採掘される希少高価なルビーと軍事政権の関係に探りをいれる。彼ならばきっと興味を持つことでしょう。普段誰にも触られたくはない部分だからなのです。takoyo2さん、ごめんなさい(>_<) (散歩のエロス)

2024-06-30

新ひょっこりとひょうたん島2。それはどこだ。インバウンドアウトブレイク。海燕ジョーはフィリピンに渡り、大統領ジョーバイデンは台湾を指さしている。対面からやって来るのは馬に乗るカウボーイのジョーカー対立候補のトランプだ。冷笑するロボットの仮面を付けている。ああああムラムラする。というよりも見ている聴衆はイライラする。そんな小島の住民は何故か東洋の民日本人。村々にはお米と財産が納屋に隠されて、ああああはやくバラ撒けよ。と小銃を携えたジョーが村に帰って来た。 そんな想像感想も雨に流されて、わたしには読み解く才能がない。 (村々)

2024-06-29

そうですね。それほど遠くない未来。(まだ人類がこの姿で生存しているならば) ロボットと人類を見分けるのは言葉かも知れない。そう、未来人は詩で普通に話しかけている。埋め込んだ自動翻訳機ですぐに誰とでも話せるし、否、共通の新しい言語が持てる時代が人類にはやって来る。それは極端に簡略化されて詩的だ。つまり現代の尺度で考えれば未来人は皆詩人なのだ。そんな気もします。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

↑ウクライナ人よ。無駄に殺されるな。狂犬願望家なら狂犬らしくはっきり言いなさい!ってことですよ。では。偽ストーカーこのスレから去ります。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

ごめんなさい(^-^; 凧さんに気を囚われて間違えて二度打っちゃった。編集部の方、空打ち邪魔なら消してください。 この詩は短いけどただ読ませる(詠ませる)だけなら妙に色気がありますね。ただ不満なのは何故に~俺の~俺言葉にしちゃうったのかな、ってことですね。~わたしを悟られないよう、それから僕の~でもいいじゃないかと、思った和紙の色付くはながみ。 (撫子)

2024-06-29

(撫子)

2024-06-29

(撫子)

2024-06-29

笑、トーキング.ヘッジファンドオマル、じゃなかったアレ?名前飛んだ、凧よ蛸よさんか、。てくてく舞い上がれ上がれ。please Mr. postmancard.  もうすぐ切手も値上がりチマス。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

ドネツク地方の親ロシア人が弾圧されせいる。いまだにクラミジア.プーチン氏がウクライナ政府をネオナチ呼ばわりするのは戦前ウクライナ人がナチスのユダヤ人弾圧に協力した事例があるからだ。いまのウクライナ政府は欧米のグローバル企業もしくは金権政治家どもと橋の下ではグルになって自分たちが懐を肥やしているだけだ。ウクライナ人よ。起ち上がれ!ロシア人、ヴラヴラプーチン氏からこの国を守るのだ!これはゼレンスキのお得意二枚舌で実はさっさと逃げ延びる画策を考えているホニャララルルリラ…。ウクライナ人よ。眼を覚ませ!民族的歴史観が領土を示すようにドネツク地方を明け渡してロシアに屈伏しなさい。はやく手を挙げて完敗しないうちに手を打ちなさい。どう転んでもロシアには勝てない。Bレビウスも現代詩人会には勝てない。生き残って苦笑いするのは欧米の資本家どもだ。バンザイ露死亜!バンザイウクライナ人!バンザイ詩人会!バンザイがんばれネット詩人たちBレビウス。  ってじゃあロシアのオリガル匕って、CCモスカヴァレモンプーチン氏ってビンボー鈍臭い犬好きなだけなのね。ああ世界平和バンザイネット! (ウクライナの真実)

2024-06-29

おもしろいていうか、先にちょっと触れておいて、あ!痴漢だ!痴漢だと騒ぐ女性のようなもんだな。 さかさんを問う前にあなたが事実の証明をするのが先でしょ。どこから出てきた動画か知らないが、このウクライナの真実を語るディアナネーチャーについてひと言でも平伏している日本人の著名人コメンテーター(如何様ユーチューバーじゃダメ)を挙げてみなさいよ。誰と誰 ?笑笑犬笑。書けないでしょ?こんな話し90%誰も信用してないから。(10%はその脈節もある)。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

まあ、「ある雨の日に、私と君は、」なんて豪雨災害ばかりをもたらすいやらしい雨の、しかもこんな不穏な世相の時代に、こんな呑気なお題目を挙げて、何の反感もなく、いちゃつく詩をちゃっかり挙げてる奴らを見ると殴り倒してやりたくなりのは、おいらも同じくだけどね。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

湯煙くん、啓蒙や風刺の意図はない~。きみも呑気だな。何の意図もなくハイドリッヒに妻のリナの名前が書かれていると思うカネ? 例え作者本人が否定したとしても妻の名前まで同じだ。有名人としてならば彼はその昔SSの重鎮だよ。皮肉を伴う批判的に書かれてある詩だよ。濃い詩だとは思うけどね。 (尊重)

2024-06-29

通称takoyo2ikayo3そして腰掛けて紙飛行機室町太郎さん、あなたもMr.ドーナツ、露死亜のピーナッツ。プーチン氏の手先ですか?日本人の癖にしつこい批判ですね。➰れよりもこのウクライナのジャーナリストとかいうオネーサンが言う話しをどうして真実と確信しているのですか? 例えば親ロシア派によるプロパガンダだと疑う事実は見当もつかないほど信用できるものなのですか? あなた、ウクライナに行って直接見たり聞いたりしてきたのですか?ということですよ。 どう思おうとそれは同じく部外者であるあなたの勝手だが、わかりもしないことを、さも真実であるかのように声を大にして訴えるのは滑稽だ。その滑稽さを承知で声を挙げているとしたら、ショープロレス好きなトランプのように、ただ社会が荒れるのが好きなだけのいい加減な野次馬野郎ですよ。そこまで詩人会を否定して言うならあなた、ウクライナ行って観てきなさいよ。マスクメロン氏に150万円くらい都合してもらいなさいよ。キーウィ持ってキーウ行きなさい。ならば信用したげるわ。 嵐山光太郎。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

非常なほどにアイロニカルでむしろ後味はわるいが確信をついている。という点では苦い爽やかさがある。 この詩は強制と発見。つまりアイデンティティを発揮するのにも暴力が介在するのだ。という人間社会に対する皮肉が込められている。黄色い粉とはもちろん黄金の粉でこれは祈祷に使う悪夢を生み出す麻薬だ。ああわたしもそんな麻薬に触れてみたいと思った。もちろん搾取する側で、略奪暴行撲滅させる側で、 (尊重)

2024-06-29

「ハイパーポップ」 広いスタジオで米津玄師が「pop song」を撮影している。 セットも人数もハンパじゃなかった。 それを現代アーティストの村上隆が眺めていた。 「habit」 よりも凄いね。 連れてきた子供たちはゲームに夢中だ。 途切れたままの撮影には無関心。 セットの隅から掃除をしていた若者がポツリと言い放つ  「くだらねえな、こんなの。ホントにくだらねえ。みんなどうかしてる」。 「ヤッタア!」 真新しいpsをしていた子供が叫んだ。 高い天井から偽の札束が無数に舞い落ちてきて、それを関係者の大人たちが拾う。    くだらねえよ。みんなどうかしてる。 アルバイトの若者がスタジオにポリバケツのガソリンをぶち撒いた。  火を点けるのに10秒ほどかかった。 (B-REVIEW 6月のお題詩「ある雨の日に、私と君と。」「ハイパーポップ」)

2024-06-29

「ある雨の日に、私と君と、」 三丁目まで歩いて行くと公園には大きな銀杏の木があって、その下のベンチにはいつも恋人たちの時間が流れている。 この日小雨で降り続いた雨が勢いを増して、傘を手にした一人の初老の男が明け方近くになってベンチに現れた。 男はびしょ濡れになったジャケットの裾を捲ると'ふう~ともたれ掛かるようにベンチに腰掛けた。内側のポケットから煙草をひとつ取り出し、プラスチックライターを親指で押さえるがなかなか火は移らなかった。 しばらくして派手な色柄の傘をさした人物が現れて、この初老の男に声をかけた。  /// あら~/お、待たせ! まだ暗い雨の中、 待ち人よりも背伸び高いこの人物の紅い唇がやけに目立つ。  ~うむ///さっき着いたばかりだよ。 そういうと、枝で濡れていない隣を指さした。 初老の男はやさしく傘を掲げてやると傍につめよった。 ////ありがとう//// 座るとすぐに黒い鞄からタオルを出して額を拭う。 それからうるさそうに長い髪の毛を剥ぎ取った。 男は二口吸った煙草を投げて、二人はすぐに口吻を交わした。       男の濡れた靴の上にそれよりも大きなヒールが重なっていた。 「いああ、痛いやっちまったよ。」 横殴りの雨に抵抗しながら男はバイクから降りてきた。 ////    //「蛙がさ、蛙が飛び出してきたんだよ!」 この人のいい初老の人物は蛙も避けるらしい。 合羽のズボンが膝から千切れるように裂けていた。 わたしはたまたま集配所から帰ろうとしていた。   「いやあ、しかしひどい雨やね~急に風が出てきて、 ほら、側溝にはまってしまったよ」。  どうしてバイクが転けてしまったのか、真実は言えなかったのだろう。 それにしても酷い。 憎い雨だ。  ////   わたしはこれがミサイルなら降るような一粒一粒の爆発ならば尚更受け入れる。そんなわけがない。  //瓦礫の雨//舞いあがる埃の雨/そして                          血の雨だ。  蛙が鳴いている         新聞配達の男も鳴いている   公園では男と男が世間を憚り鳴いている                    「ある雨の日に、私と君と、」  わたしは拳を振り上げて殴る。クラスターの朝を降らせて破壊してやりたい//// //////そう思う。 (B-REVIEW 6月のお題詩「ある雨の日に、私と君と。」「ハイパーポップ」)

2024-06-29

失ってしまった10年を現実のように叫ぶ死者の声って感じでしょうかね。イメージ的には過去を遡りながら空間が逆転して流れていく。それらが断片的につながっていくんだ。しかしやはりあなたの作品には何かひとつ足りないものを感じる。ここでは(わたし)という象徴化されたモノの何かだろう。べつに簡略化されて短いというだけではないのだ。 (霊)

2024-06-27

いいねう。SEKAI NO OWARI in 釜ヶ崎 (或いは桜木町)な感じ。 男二人に女ひとりのグループで飲んでるわけ。もちろん話しの中心はあたし、女性だよ。 まあ、痛快でめちゃくちゃだから、オモロイね。としかいえません。あとタイトルね。凝りすぎて返ってつまんねえな。 せっかくあたし、あたしと洒落にならないくらい全面に出てくるんだから、もう少し短くてあたし中心のタイトルのほうがいいねって思うな。でもSaori って、美人とは言えないけど(・∀・)イイ表情するね。特に笑顔がすんごくセクシーだよね。ビデオなんか見てるとそう感じちゃう。結婚しちゃってるけど、イイ女。本当の美人ってああいう女性を言うんだろうな。好みですよ。それからFukaseも少年時代はけっこうヤンキーだったらしくて、この詩のイメージにピッタリじゃんさ。そう思ったわけ。です。 (りはびりか虚勢かmy sweet revolution)

2024-06-26

店を出ると~見慣れた床屋が前方に立ち現れた。は?、ひょっとして幻想?お店とは床屋?この尻切れトンボは結局白昼夢だったのじゃ?にしては~早く、早く、帰らなくては~何かに追われるように赤信号を渡る~また後悔する。ズルズル。動機も何もわからずに尻切れトンボは尻切れたままに、ああ、なんだよこれ、ですね。「家」昔みた映画にトワイライト.ゾーンというのがあって(テレビのシリーズ化にもなってる)おねーさんが車運転中に少年と遭遇して、どういう経緯か細かいことは忘れましたけどね、その少年の家に招待されて出てきた家族は妙に丁寧で親切に迎えてくれるのね。しかし実はこの少年は超能力者で気に入らない者(モノ)をなんでもアニメ化しちゃうという、その能力に家族たちは怯えていたのです。不機嫌なことがあると家族たちはアニメの世界へ連れていかれ、おねーさんはその少年の正体を知ると、って最後は忘れちゃったけど、まあ正常な世界に帰るんだろうな。くらいの空覚えですが、作者様のコメント曰く。嘘の演出を入れると、如何にも~ファンタジーの入り口へ~うん?嘘じゃなかったんだ。なら、いまからファンタジーの世界(幻想へ突入するのですか。何のことやらわかりませんです。 実話にせよファンタジーにせよサスペンスにせよ、兎にも角にもわたしという語り手を中心に始まる物語には、その動機があるからでしょう。~早く、早く、帰らなくては~何かに追われるように~一番肝心なテーマですよ。ここは。というコメンテーターは古いドラマを持ち出したりして糞害だよ。ということで〆たいと思います。 (家)

2024-06-26

何やらイメージさせようと目論むような詩を見て、ごめんなさい、久しぶりに緩やかに罵倒したくなってしまった。少し読んで~もの哀しい潮騒が聴こえてくるようだ。もうここで投げ出したくなる。~もう30を越えて~とか全体的に言葉使いが緩くてイメージできないのです。決定的なのが〆に置かれた~僕は明日も詩を書くだろう。?あれ?何のこっちゃですよ。人魚のイメージは何処に置いてきたのか。 読み手にその形象をイメージさせたいとき。ここでは人魚ですが、作者はあたまの先から脚の爪先まで、その姿は完璧にイメージされていないと漠然としても読み手には伝わりません。 例えば、~人魚の腰が~なんて書かれても読み手にはあのアンデルセンが想像した人魚姫の容姿でしか思い浮かばない。人魚、なんて最初から押しつけなくても脚の先が鰭になった女、と書かれてただけで人魚というのは想像できます。わたしが表現する、とはそういうことではないでしょうか?  そもそも「追憶の詩」このタイトルの意味が主題を成していない。 追憶とは自らの記憶を思い出し偲ぶことです。仮に語り手であるわたしに追憶を持たせるのならば、想像で作りあげたわたしが先にイメージされ描かれていなければ追憶とは云えないのです。 とここまでゆるやかに酷評してきましたが、思いつきで書かれることは誰にでもあり、酷評も糧にはなるのです。どうぞ笑いながらご参考にしてくだされば、と失礼いたしました。 (追憶の詩)

2024-06-25

パリ五輪。種目も増えて変わってきました。ていうかロシア人の出ない五輪なんて種目によっては勝ったとは言えない。 排他的公園一般道路じゃ入れ墨を施した小柿どもがヒップホップに合わせてアクロバッチックに跳ぶわ回るわ踊り狂う。それがオリピックの正式種目になってしまう。時代。白い綺麗な肌をした白人のオネーが全身入れ墨だらけ。あ~肌がもったいないやら気色悪いやら。それって西洋式便器でみたらし古いよおじさん。とか言われるでしょうね。そうね、日本じゃ未だに温泉入場禁止とか貼ってあるし、営業マンなんて絶対見せられないでしょうね。舐め達磨。そうだったんだ。 (子宮)

2024-06-24

人間は考える葦である、はずがない。~ものごとの善し悪しを~。一応パスカルの名言を否定してみよう。ということは人間の理性を取っ払って獣性で考えてみよう。という一連の出だしから始まっての六連編成ですね。労働を意味するような社会性を帯びた二連などを含めれば、これは明らかに理性に対する反抗的な思惑が考えられる。 これが三連目からは現代美術館に場所は移り、何やらシュールリアリズム的な絵画への批評感が男を介して語り手から持ち出される。四連目、叩き売りされている見ることと見せられることの違いについて。それは能動的か受動的か、意識的して考える。または意識しないで思考すること(無意識性)このことが絵画的な平面的な視線で、その思考の危うさが感情を天秤にかけて語られる。それは果たして意味のあることだろうか、と問うこともない否定された五連。~その鐘がなるまで垂直であることを拒む。終わりの六連で再びわたしの総括的な感想で括られる。垂直であることを拒むとは、つまりわたしはずっと眠ったままだが、その答えが出るまで起きないで寝ていよう。解せないものは解せないままに、という一連~五連にかけて書いてきた事への答えで括られるわけですね。 こうして一連から六連にかけて読んでいけば、この詩の目的が詩(芸術)に対しての曖昧な批評性の真偽を問いかけていることがわかります。 思考というこの哲学的な意味ひとつを取ってみても答えは見つからないじゃないか。それなのに我々は抽象化された表現。シュールリアリズムといった感覚的かつ観念的な作品に対しても、思考という理性を意味する哲学的な言葉で解釈に導こうとしている。では思考をいったん取り払えば野性という感情だけで判断することになるのだろうか。芸術を推し量る人間とは一体考える葦なのか。それとも脚足のある葦でもあるのだろうか。どちらにせよわたしは未だ答えを知らない。という風によく組み立てられていると思われるので、「考える」このロダンの彫刻のような簡略化されたタイトルで相応しいのか、もう少し喩化されたタイトルはないのか、読み手のわたしはいま少し考える術を持たないのであります。   (考える)

2024-06-24

このトリップ感。二度、目を通したら面白く読めました。これはマチスのダンスですな。踊り手は暴力的なアクセルローズ。にも成りきれないJapanのpunk野郎 って感じですかね。動きが面白かった。ごめんなさいごめんなさい~がメリメリで効いてるけど、でも書かれてある言葉が大人しい。そしてもっと弾けてもいいんだよね文体は。という感想でした。 (庭が家だからダンスする)

2024-06-24

なんだかな、男性目線で語られる、子宮( )刺激的ではあるんだけど、何か足りない。母性に対する畏敬の念なのか、青空を突き破る精子の道程なのか。 否 一行くらいの母恵夢。一瞬でポンペイを埋没させたウェスヴィオ火山の対比的な描写、幻想だろう。 (子宮)

2024-06-24

↑takoyoikayo テスラ要らねーから貧乏アルバイト老人に少し回してくれ(円)マスクメロン氏と知り合いなんだろう? お尻かじり付きなんだろう? (裏路地にある宿根草の群れは渇れて生きるか)

2024-06-23

(みんな結局死んでいくから…)わたしのつぶやきが最後は決定的な悲観で終わってしまう。という内容ですが、べつに客観的に読めるからと言って(  )を仕様することもないと思いますね。語りかけるわたしに対してのもう一人のわたし。これは作者の声としても受けとめれるので(  )に入れて強調する必要もないと考えます。いつもAOIさんにいじめられるからかな(笑)文体を変えて来られた。 しかし、佐々木さん、はじめの印象があまりにもわたしの中で強力だったので、ふむふむと、うむうむですね。ここ二作品はちょっと尻すぼみの感じがしています(ごめんなさいね) でもね、仕方ないですよね。いい作品を書き上げた後はプレッシャーも強くなる。押しつぶされて書けなくなってしまう人。詩人だけに限りませんよね。音楽家にも画家にも云える。ふむふむうむうむと内心ニヤついているわたしを責めないでください。決してざまあみろ、なんて阿漕な気持ちは爪の先まで毛頭もありません。それよりも久保田早紀(異邦人)ご存じですよね。天使のように降りてきた彼女はその曲があまりにも偉大過ぎたために後が続かなかった。否、それ以上の出来栄えを求められてさぞかし苦しんだのでしょう。ほとんど一発屋で舞台から消えていきましたね(もちろん彼女は現役で健在です) ここ二作品を拝見すると、ああ、佐々木さんもこれから苦しまれるな、とか勝手に思ってふむふむうむうむなのです。すみません。どうぞわたしを否定してください。詩なんて本来苦しみながら書くものでもなく。人それぞれ自由ですよね。創作に苦しむなんて、それでお金になる世界でもない。馬鹿らしい事です。詩だけじゃない、文学や音楽から絵画創作劇と芸術は他にもたくさんある。何が一番興味ある事柄なのかはわかりませんが、創作に於いて役に立たない趣味はないと思います。 きっと苦しみ抜いてわたしをあざ笑うときは来るでしょう。その時を楽しみにしています。 過剰な意見で失礼いたしました。 (フロート)

2024-06-23

また難解な読みの作品ですが、こういう作品を読み解くにはコペルニクス的転回な発想で試してみたくもなります。 つまり普通には読めない。笑。読めないのだが、読み解くことはできる。それはどういうことかと云えば詩が、言葉がどうあるべきか、などという問いを捨てて自分でその答えを作っていく。もちろん想像するのは作者なのだから、読み手もそれに倣い読み手自らがそう思い込めばいいのだ。などと云うと、そう思い込むための詩との関わり方が自己を超えた認識の言葉として必要にもなり、解釈自体が難しい、しかし難しいからと言って逃げてはいけないのだ。笑   キーになるのはまさしくタイトルの「裏路地にある宿根草の群れは渇れて生きるか」で、まさに人生観を匂い付けるような表題で、同じような文中にも置かれてあります。違いはその場所と漢字の扱い。渇く枯れる嗄れる。という枯渇としての失われるという同じような意味を指す生命力に対しての言葉ですね。 冒頭に記述したのはたまたまETV「こころの時代3」「夜と霧」の著者として有名なヴィクトール.フランクル編の、生き方についての解説を途中から観ていて少しばかりヒントになったからです。 仏教的な思想観では他力本願に対して自力作善という言い方もあります。ここでフランクルは言います。自己の在り方を他者や社会の中に位置づけて自己の生き方を追求する。このことを解説者お二方は人生には意味があるとして実存主義を念頭に肯定的に解釈しておられた。やもすれば虚無感に覆われて否定的な見方が優先されるこのExistere(実存)に、そうではなく過去に縛られず過去を受けとめることによって新たな自己を見出していくという。ああこれはまさに仏教的な教えの他力本願でもあり自力作善でもあるのだ。それには瞬間瞬間にと新たな自己を発見する能力も身につけなければならない。 何故にこんなことを私が持ち出して批評しているのかと云えば、この詩人(AOI様)の作品にもそのような瞬間瞬間の結びつきと乖離が読み取れてくるからですね。枯渇という。それは自らの詩作、または人生観に対する関わり方の表明が表出として著されていると思った次第であります。 詩がどうあるべきか、などというケチな問いはやめて、自らで作りあげていけばよい。それだけだ。 覆水盆に返らず。 (裏路地にある宿根草の群れは渇れて生きるか)

2024-06-22

Xみてるからイーロンが日本好きというのはわかる。これはあなはの釣りですかね? 世界平和のために、飛んで来た核ミサイルを完全に無力化する。地上型防衛バリア…か何かを開発してください。とお願いしたら如何か…。 (大人用おむつの中で)

2024-06-22

第一イーロンもそんな暇があるなら科学技術芸術文化活動で苦労している人間たちのMoney〇パトロンやればいいんだよね。 (大人用おむつの中で)

2024-06-22

この詩の感想は後にしてみようかと思う、けれども、一億円が当たりました!どうぞ期限までに銀行口座へ振り込むので口座番号をお知らせください…云々…よく携帯に入って来てたな。面倒くさいので、ちょっとクリック仕掛けましたよ。笑。 しかし日本でも流行ってたな。あの宇宙行った猿顔のお金持ちのバラ撒き。世界長者番付トップ100に入る人間からみれば1000万円なんて端金だろうけど、そんな甘い話しが実際地方に暮らす我々庶民のもとに届くとは、、●ほぼ信じられません。 (大人用おむつの中で)

2024-06-22

校舎或いは構内の課外活動。ふざけては遊ぶ生徒たちの面影が浮かぶ。主題はこのことでしょうがティーチャー(先生)に対する畏敬の念もこみ上げてきてわたしは胸が熱くなる。そんなふうにもよめるなのです。例えば「時計仕掛けのオレンジ」という変な題名の映画がありますね。大好きな映画ですが、内容は至極暴力的に描写されています。  この変態的な題名の意味は、外見は普通でも中身は変。という英国調のスラングを意味しているらしい。鬱憤の溜まった人間が集団化し狂気に支配されるとき、その暴力は突発的に日常に向けられるわけです。それは今日の社会情勢をみても繰り返されている。べつに思春期の子供たちに限った動向でもない。 この詩もある意味暴力的に描かれている。それを癒すのは円運動に置かれたオレンジ。そう、つまりある日あの時のティーチャー(先生)の面影なのです。 (オレンジティーチャー)

2024-06-22

~配列された綺麗さが嫌で散らばる形を~  綺麗さが嫌ならはじめから書き直せばいいんだ。笑 何方か知らないが、形作りだけをみれば確かにわたしの作りの様にみえる。笑ですね。 普通に書かれていたのは読んでみればわかる。語りがつながって読めるから、ですが、わたしのコンセプトとはずいぶん違う。わたしの場合は時空間を飛ばすだけじゃない。時間空間を壊すように言葉も崩れていくのです。手法的にはやはりピカソが念頭にあったりしますね。実存と本質のせめぎ合いですよ。 せっかく綺麗につなげて書かれたものを散らばらせるのは無意味なことだと思う。しかし無意味なことに意味をもたせるのは賛成。お金は無駄づかいできるから意欲的にもなるのだ。 (ディナー)

2024-06-22

ティムラーさん。それでいいでしょう。原爆開発の父オッペンハイマーは戦後被爆者と会って涙を流して何度も誤ったと報道されてましたね。一方では(…大統領、私の手は血で汚れている…)と言えばトルーマンから(…汚れたら洗い流せばいい )そして側近に言った。( こんな女々しい奴を二度と私の前に連れて来るな!)と…。   オッペンハイマーは詩人になったんだね。単に善人に目覚めたんじゃない。 詩人は非難されてこそ詩人だよ。良心の呵責に苦しみ抜いて、そんな覚悟を決めたんだ。世界一の馬鹿になる覚悟がなければ、いい詩人とは言えない。わたしはそう思う。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-21

さすがにatsuchan69さん推薦の映画はどれをとっても観て損はないス。個人的には、黒澤、キューブリック、フェリーニの三大巨匠作品は全て観といたほうがよろしいかと…。あと日本人では今村昌平もいいね。社会派でもエログロナンセンスなんでもある。面白さで言えば伊丹十三作品もイイね。演出のセンスもいいし、よく考えられてる。通俗作品としてはピカイチよ。 それとみんなたぶん観てないだろうから紹介しとくけど、今井正監督作品の「キクとイサム」白黒映画で、戦後黒人米兵との間に生まれた兄弟たちの物語だね。一度しか観てないので細かいシーンは忘れたけど、ずっと胸に残り続けてる映画だよ。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-21

恥を知れ恥を……とか言ってた人は急に都知事選で時の人になる。なんだかな…広島の片田舎の市町村から大都会東京だよ。あんまし気持ちよくはないね。molloyさん、原爆も核も、みんなダブルスタンダードな考えを容認してるよね。だから外部の人たちからみればそんなふうにも感じる。おいでおいで平和公園に、この建物、資料館の写真や遺物を見なさい。だけじゃなくて、本音の部分で、核廃絶に署名してない国は来るな!広島の土を踏むな!くらい言う人たちが居てもいいんだよね。はじめから。日本人は全般的にお人が善すぎるのではないかと… (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-21

~自分の人生を大切にしてください。何やら犯罪でも冒したように最後は自省してしまう。大きなお世話だ、と、この語りの中のもう一人が思う。ピカソの名前が出てる。見方によってはこの作品。立体的な空間にも読める。レモン。何がレモンなのか。思い思いにレモン印象は勝手だが、わたしにはレモンのレの字も想像もできなかった。其れなりに緊張感漂い読めるので、何か立体的なタイトルのほうがいいんじゃないすかね。と思う。 (レモン)

2024-06-21

夕方NHKの地元放送を見ていたら、原爆ドームの前で自らを詩人と名告る男が何やら書かれたポストカードを観光客に配っていた。男は確か地元圏内出身で大阪からやって来た高木某とテレビでは伝えていた。 この団塊世代に近い自称詩人から原爆についての詩が少しばかり紹介された。なんてことのない詩だった。臆せずに堂々と自らを詩人と名告る男を見た。わたしは吐き気を覚えてチャンネルを変えたよ。 君らはどう思う。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-21

「ザ.フェデラリスト.ペーパーズ」1787~1788 この政治論評をハミルトンと共同で書き終えたJ.マディソン(第四代アメリカ合衆国大統領)はスコッチに酔いながら湖畔を眺めていた。部屋には暖炉が灯る静かな秋の夜だった。振り返るのは(o’ Say can you see,by tha dawn's early light )この1814年当時の英米戦争。イギリス海軍に捕縛されていた詩人(弁護士)の「フランシス.スコット.キー」が朝焼けの中で見たはためく星条旗を。あの激しい砲撃にもかかわらず尚も味方の砦は死守されていたことを。彼はこの感動を後に詩に掲げるのだ。 「The Starーspangled Banner」 机に置かれた二冊の書籍。マディソンはいまでは何もなかったかのような心持ちで眺めていたのだ。……という想像をしてみました。 すみません。 (夜行)

2024-06-21

は~い!よお、来ましたね。それでこそ澤さんだ。お勉強させていただきましょう。ありがとう。 因みに凧よ氏は中韓映画だ!とか書いてるけど、中国の、それはもう少し昔話。韓流派、テレビドラマじゃないんだから。アジアなら中央、イスラム圏、イラン映画やアフガニスタンにもいいのがあるね。中国韓国の映像なんて言葉が耳触りで観たくないです。これは差別化してます。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-19

ティムラーさん、最果てのタヒチさん(本人様にはごめん、ジョークです)は女の子のような男子ですよ。笑。僕はあんまし趣味じゃないけれど、さすがに雰囲気はある。人気のあるのもわかる。僕も誰も見たことのないような怪人の格好して表舞台に立ってやりたい、かな。いや、恥ずかしい。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-19

手紙の内容からその追記のような構成だけど、短いけれど構成的にはめちゃくちゃだ。しかし、それが活かされているのが、唐突に導入される対比的な感情の~ぐんぐん伸びろよ、雑草。ですかね。これは回顧する心情とは相反して未来を肯定的に捉えれている。だから、ぐんぐん伸びろよ、雑草。この言葉が活きるのです。 (跡地)

2024-06-19

他方現代詩フォーラムをみてもこのように行数を区切ったように書く人は多いけど。制約って日本じゃ俳句や短歌があるではないの、かとらん(ごめん) atsuchanさんが中の形式を壊して見本のように挙げてるね。面白いよ。ここでは四連の冒頭から置かれる~そうです。そうです。この辺りの空間を崩してほしいな。という崩し好きな僕の感想でした。 (愛おしい季節)

2024-06-19

1980年代以降生まれの映画好きが不幸なのはDVDになっていない希少な過去作品を観れていないことだろうな。昔は民放でもNHKでも放送してたんだよ。? 僕は貸しビデオ屋からテープに録画したりしてるけど、もう店舗でも見かけない。70~80年代。まだ深夜のテレビで放送されいた映画作品。あれは存在しているんだろう?視聴率のことや状態を考えてなかなか放送されないけど試験的な作品はいっぱいあるよ。いまでは映画も派手なトンデモCG作品ばかり、国内ではライトノベルを原作にしたような少女趣味の泣かせ目的な映画も撮られているようだけど幼稚臭くて観ないね。だからアニメ作品。残念な時代だけど仕方ないのさ。詩人も同じ。もっと本音でぶつかれよ。例えばなんで天皇制って必要なの?国家って、、 、政党なんかに縛られない意見。馬鹿にしないで主張してみろ。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-19

若い人たちって、まあ30歳前後までになるんだけど、何が面白くて詩なんか書いてるんだろうね。?え、じゃあおまえはなんで書いてるんだ?いい歳をこいて。って言われたら、まあ、なりゆきなんだけど、映画や音楽、絵画、それにテレビ好きだから原作の小説という書きものから作家や詩人に興味を覚えただけで、詩は手っ取り早く誰でも書けるからね。下手をすれば昨日の悪ガキが天才詩人になったりする。そんな刺激のある世界でもあるわけだけど、実際はほぼ不可能な世界。書けば書くほどわからなくなる。まあこれは詩に限らずだけど、わからないから続けてる。って節もあるね。長く書いてる人は皆さんそうじゃないかな。べつに苦しんで書くほどのことでもないけど、わからない。なんで詩が詩人が必要なのかもわからない。わからないけど書いてる。そんな世界だよ。其れなりに専門の文学教授を目指すのならばいいけど、よほどの馬鹿じゃない限りあんましオススメはしたくない世界ですよ。詩人?ってね。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-19

情景を辿るのかと思いきや、盲目の老犬が出てきたところで内容はがらりと奥深く浸透するわけですが、この盲目の老犬をどう捉えたらよいのかと迷ってしまう。つまり内容を深めたことで作品は二重性を帯びるわけですが、冒頭からの数行に照らし合わせてみれば、それがこの詩にどういう影響を投げかけているのか。ちょっと懐疑的な見方になってしまった。 (アスチルベの水辺)

2024-06-19

よっぽど、と言っても以前からだが、アイラブユー田中宏輔氏の所業が気になる様子ですな。 わかりますか?      詩 所業 詩は、少なくとも私の場合ですが、魂を込めた誤魔化しです。心を込めたといってもいい。つまり欲の無い詐欺師といってもいい。私の場合ですが、    自分を信じて誤魔化している。            普通ではない見方をしようとして鷹は届かない鳴き声を発するのですよ。                                  (しゃがんで「田中宏輔」を読む)

2024-06-19

あの頃は澤さんという方がそれほどに熱いお人柄だとは感じもしなかった。むしろ膝元から締まりのある洋装に細い眼鏡の似合うお人だと想像していたのだ僕たちは。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-18

外国人の書いた詩は、割って半分は翻訳者の詩を読むことになるので、いくら作品に感動できてもそれが原作者の意図するものだと正確には言い切れないので、こと細やかに分析して批評することは難しい。そこで語学の知識が必要にもなる。身近な英国ならまだしも、仏語?独語?訳せないわたしは、大まかに、ああ、イイねこれ、としか言えない。それも悩みのタネですね。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-18

壁という人工物のキャンパスに絡まる。まさに無意味に奇妙な生え方で、こういう蔦の生命力を見ると地球がやがて再生されてまた緑に覆われてゆく。というのもわかる気はします。ハトは映らないが詩もいい。 (童話)

2024-06-18

世界は音も光もない存在という認識も知覚もできないわたしへの旅 無我を求め無我に困惑する。言葉とは無意に帰する意味で、そこに真実はあるのか、或いは永遠という無死を意味するのだろうか。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-18

~ただひたすら自分のために生きよう~理性をなくしてフライドポテトを食べたが、人類にはフライドポテトはまだ早すぎる食べものだった。込められた喩をもとに羊飼いと羊の小咄を考え合わせれば、内容的には人間の仕草に対しての諦念とも取れる皮肉が込められている。単純な話しにオチをつける。と言えば伝習のようにお決まりごとがあるのも落語ですが、なかなか奥の深い小咄ですね。理性を求めてフライドポテトなる理性に再び挑戦してみたが、フライドポテトに込められた理性にはまだ到達していないようだったことを知るはめになる。つまり独立独歩と個人に徹していたわたしが、何故か集会(会議)に興味を持ち始めたところからこの小咄は解決できないに向かってしまった。という逆説的な趣向が伺えてきます。むろん自分のあたまの中の思考なので直接的に誰かと対峙するような内容とははっきり言えません。元々の、いや、或いは現在形の関係者の方でしょうか? まあ、面白さを考えたらどうでもいいのですが、会議と言えば元文藝春秋社編集長の高橋一清氏がその著者「芥川賞直木賞秘話」の中でこのような内容のことを書かれている。  …当時の芥川賞選考委員etc.の顔ぶれは作品への印象批評というより、小説への論評、すなわち理屈が多く、小説も面白い筋のある小説というより、流行りの文藝理論や手法を取り入れた実験的な小説や細やかな心理を描く小説が多かった。…そこで第114回下半期の選考委員を宮本輝氏と石原慎太郎氏に加わっていただきました云々…。そして小説について話し合う宮本輝氏とは文藝理論を知った上で「面白いか、面白くないか」で意見は一致するという。また石原慎太郎氏も実感的な小説論者で理屈っぽい言辞を長々と述べて理解しようとする選考委員を「それでどこが面白い」と斬り返す発言をする。選考委員たちには不満だったかも知れないが、世間一般の読者の読みはこの二人の作家に近いと思った…etc.という内容のことを著者は述べられている。  どちらが甲乙と記す記さないにせよ、それだけあの注目される賞には責任者側から見た選考することの苦渋が記されている。 コメントは逸れましたが、主に素人集団のサイトです。難解で実験的な作品からエログロナンセンス、ユーモアから面白さを求めた詩といろいろあっても宜しいのではないでしょうか。 (話)

2024-06-18

あら!皆さん挙げてたのね。どうも空気読まなかったな。笑。まあ、どこまで現代詩人会に負けないような詩が集まるかだな。ミイラ取りがミイラになってしまわないように。例えば前衛的にも思想的にも倫理的にもより自由度のある。程度違いを出していってほしい気はある。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-17

その昔「永遠などなかった」そう言って詩サイトを立ち上げた人がいた。同じように「平和」これも単に言葉による理想にすぎなかった。ではこの世界で一体普遍的なものなどあるのだろうか。詩は言葉は何処へ向かおうとしているのか。否、何処へ向かって足跡を残せばいいのだろうか。詩は言葉とは残り得るものなのだろうか。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-17

抒情を誘いようには書けていると思いますよ。ただ~誰かの涙で満たされた渥美湾が~この誰か、ですね。渥美湾といえば愛知県の南東部で多くは埋め立て地ですよね。背後には豊橋市があり化成工場などが集まっている地域だと思われます。誰かの涙、とは誰で何のことでしょうか。せっかく地域的に指定されているので、ここがはぐらかされてしまっては読み手としては残念な思いが残りますね。例えば、埋め立て地に拡がる慚愧な念なのか、工場に対する公害や労働とか、そのことを念頭におけば石灰色の涙(例え)とか、作者の思いは事象で言葉にできると思います。 終わりのほうには石鹸の匂いや糖蜜菓子の匂いにいつまでも酔いしれていたい語り手がいる。~その優しさが僕の覚めることを~これは覚醒されたくはない。つまり現実に引き戻されてたくはない。という思いからでしょうが、~僕の覚めることを~ここももう少し表現として工夫してほしいな。という感想ですが。 それにしてもいまだに旧文極のことが取り上げられる。私などもたいへんお世話になり愉しませていただいたその一人ですが、彼所も発起人や選者が入れ替わり辞めていくようになってから次第に凋落の途を歩んでいくことになるのですが、まあ人が変われば仕方ないでしょう。人がいないとどうしても仲間内に頼るようになります。愚痴不満の批判的な意見を蒸し返せば、終わりのほうの入選作品は本当に酷かった。私的にそう思うだけかと勘違いしたくなるほどレベル的に酷かった。そんな不満を抱えていた投稿者は多かったでしょう。どちらにせよ好き嫌いで判断できる世界なのだからこれも仕方ないことで、彼所の一番の失敗は選出の趣きに偏ってしまったことでしょうね。だからどうしても発起人や選者の読みレベルで必然的に叩かれてしまうわけです。その点こちらBレビでは携わる方々もそれほど選出に趣きを置いていないのがいい。と思われます。まあしかしもう文極のトラウマからは離れましょうよ。一時代は過ぎ去ったのです。変容の乏しいアカデミーな詩壇への対抗心からダーザイン氏が立ち上げた投稿詩サイト。むろん私には大いに有意義でした。ときたま現代詩人会のサイトを覗いていますが、彼所はやはり強いです。詩人として優秀な人材が多いので選ばれる作品もレベル的には高い。もちろん頸を傾げたくなるのもある。反論もあるでしょうが、わたしが見ている限り詩人会に投稿される詩は技術的にも思想的(詩想)にもレベルの高い作品は多いようです。此方も負けないで長く引き継いでもらいたいものです。 敬具(笑) (早朝列車で)

2024-06-17

有無。原子心母などと書かれればすぐにあの振り返る(牛)。ピンクフロイドのジャケッが思い浮かぶのも私たちの世代で、あのジャケットの牛には心母だけに何かしら意味もあるものと思っていたら、べつに意味はないらしいですね。  滅紫雲の揺籃。字義通りに読めば青い空に浮かぶ色雲のゆりかごに消える様なのか…。自然な雲の色なら光によって七色にも変化して見えますが、人工的な雲ならばそうはいかないでしょうね。人工的な雲といえば思い浮かべるのはあの核爆発のキノコ雲。 そういえば昨日降った雨で庭に咲いた紫陽花がその重みで垂れていました。幾つも紫陽花が。あの青い花びらの塊がときにはキノコ雲や脳みそに見えたりして、ケイトウなんかまさに鶏冠で、花びらも色々です。 この詩はわからない。読みも難しいし、わからないということに佳さを認めるしかない。もちろんAOIさんだというのが一瞥してわかる詩ですね。綺麗にわからない詩というのは数も多いし、それだけに見ても読んで辟易してしまうものですが、この詩は綺麗に書かれてはいない。むしろ破綻に向かっていますね。核の時代に咲く紫陽花のように。平安を考えればこれから時代はどうなるのでしょう。果たして揺籃期なのか、それとも黎明期なのか。わからない。何かしら念頭には置かれているのでしょうが、わからない佳さがある、ということでご勘弁を。 (滅紫雲の揺籃)

2024-06-16

うむ、同じシュールなイメージを浮かべるにしてもやはりその先鋭化された言葉の洗練度が一味違いますな。印象がAOIさんと重なって、それは老害だよ君たち、と言われてもこれは仕方ないのです(笑)モンマルトルの丘を闊歩したものたち/並ぶ蝋人形の館/それは奇妙な画像が目の前に想像できるのだから。 (シュル掌編, パリ盆地にて、)

2024-06-07

僕はたぶん不良少年でした。不良ではありましたが虐められっ子を決して虐めたりはしなかった。むしろ手助けしたいほうの一匹狼に憧れる気質でした。 こういう詩を読むとこの作者もずいぶんと虐められてきたのだろう。と想像できます。 滑稽なんです。 ~あなたの美を掴み取ろうとしたら、指の先が棘で傷つき精神病を得てしまいました。このような滑稽な表現は私にはできない。たぶんそれは愛を感じ取る能力に欠けたところが有るせいだと思う。愛を賛美し歌い挙げる。真実に愛を奏でるとは滑稽な物語にも似て、そう、あのチャップリンの映画の主人公の様にです。やはり黒髪さんは貴重な詩人のお一人だと思います。 (ルイジアナ)

2024-06-07

そうですね。よく息が続くと関心します。作者は機知の富んだ方なのだろうな。という印象で、下手に知識をひけらかそうとしていないところに好感が持てます。あ~久しぶりにあたまがすっきりした。そんな愉快で辛辣でもある作品を拝見しました。 (日記夜行)

2024-06-07

読み終えた後からそのタイトルに頷いてしまう。 (弦楽器の凹みを地獄耳で弾く)(八頭身の鯛の髭が震える)この喩とも云えない云えるような挿入部が全体を覆う肝でしょうか。 自省の句のようで込み上げてくるものがある。込み上げてくると云えば全体的にその自省を促されます。熱く胸にくる。しかしいけないとも思う。これは下手にわかったような解説をしても屁の屁の茂辺地ですね。笑ってしまわれる。いけないですよ。経験を積んだ者でないと頷いては読めきれないと思う。そこで私がどれだけ人生経験や詩経験を吐露したところでこれも屁の茂辺地ですね。何度も読めて教訓のように愉しみましょう。御礼が言いたくなる詩も珍しいのです。 (それで幾分安堵する。生け簀のものは頼りない)

2024-06-04

こういうペシミズムを帯びた詩を読むと60s~70sに吹き荒れた学生運動を想起してしまう。それは祭りのあとのような喪失感。諦観に打ちのめされた虚無感だけが漂うからです。「はね」最後までその正体は明らかにされていませんが、それは夢にみる抑揚感に満ちた希望のようなものでしょうか。いいですね。 後半部「あなたのはねです」が天声人語のようでいい。しかし全体的に平易な語りでメリハリの変化に乏しく「はね」のイメージが浮かび上がらない。後半部よりイメージを際立たせるように文体に変化を付けて遊んでもいいと思いましたけどね。 (はね)

2024-06-04

上記の熊倉さんの意見に被りますが、血に染まるウエディングドレス。血に染まらなくとも砲弾が飛び交う中で結婚式を執り行うカップルや参加者たちの勇気には感動しますね。 ~あなたたちのポケットいっぱいの夢は、血にまみれて戦禍に燃えて消えた。~大人の罪よ。 べつに戦争がモチーフでなくともリアルな出来事を詩として姿を変えて表現するのは怖いですね。気をつけなければならない点がたくさん含まれる。まだメッセージとして直に訴えたほうがいいのです。それは直接当事者の方たち、または同じく外部から眺めている人たちからすれば、当事者でないおまえに何がわかる? この一点を追及されただけでも私の口は閉ざしてしまうからです。 (ポケットのなかに)

2024-05-30

わたしはわたしをわたしのわたしに~と微妙に繰り返され誘導され増幅されることによって緊張感は高まっていきます。それはわたしの内省の中で正体を隠している化け物が本性を現しては姿を変えるように。言葉遊びの妙味とも取れますが、ちゃんと内なる叫び声も孕んでいて印象に残る作りの詩ですね。 (名をつける)

2024-05-30

モマに入りたい。とあるのでMoMA(美術館)のことかな。ラッダイト運動。讒謗律。聞いたことのない名称も出てきて教えられる。何かしでかしそうな不穏なミッキーですが、わけわからんです。 (牙とミッキー)

2024-05-30

訂正。短い詩人~ごめんなさい短い詩、でした。 (線香花火(改訂版))

2024-05-30

線香花火。短い詩人ですね。短詩の場合はなによりもイメージが重要だと思います。~でも待ち合わせ場所に僕が好きな彼女はいなかった。この思いが核となり終わりの三行へと収束されていく。散文としてはもちろん不足しています。しかし線香花火を考えればこの短さの中での出来事に纏わる文章はこれほど必要もないだろうと思われてきます。リアルな出来事として語らせるのではなく、上記した核の部分を中心に、熱くも小さな炎に浮かべた儚い思いをイメージさせてみては如何だろうかと思う。詩表現の面白さとは、その対象を瞬間のイメージとして如何に切り取るか。そこに有ると思います。 ちょうど読み解くのにいい短詩が今月現代詩人会に掲載されてますよ。「卒業式」ryofu 絡め切り取った瞬間瞬間の綾を感じます。参考になるかも知れません。 (線香花火(改訂版))

2024-05-30

ん?なんじゃあこりゃあ、でとてもコメントなんてできんわ。とか思ってたのですが、百獣の~とか、彼は世界が一枚の葉になる日を、世界がほどけ踊る日を危惧していた。とか、終わりの方には~海と空の核融合を止めに行こう。などなど気になる文句がある。そこでもう一度読んでみるわけですが、うん?こりゃ以前、やはりわけわからん読みづらいの途中で止めたハーラン.エリスンじゃないか「世界の中心で愛を叫んだけもの」じゃないか?と思えてきたわけです。僕は知らなかったけど、このタイトルはTV版エヴァンゲリオンの最終話のサブタイトルで使われたようですね。百獣の~そういえばおどろおどろしい怪物のような獣たち。狂気に奔るのか、と思えば終わりの方では求愛的な行動を促す話。なんだか創世記の箱舟が時空を超えたかのような物語。似てますよね。これは人類の狂気から排出される善と悪の意識人。それはとうとう生き物の姿をも想像上の怪物に変えてしまったわけです。この世界が齎すものは結局愛か狂気なのか。我々人類の決断はその最終局面にあるのではないだろうか、と。 熊倉さんのわけわからん作品。しかし読み取りづらくともそこには何かしらの意味がある。と思わなければならないのか。  うらやましい才能だな、と思う。 (決別の夜)

2024-05-20

冒頭部分を要約すれば昨日は昨日今日は今日、ということでしょうか。マクロ的な観念としてみれば人間の本質なんてわからない。人類の叡智を司る世界樹なんていう概念が北欧神話にはみられたりもしますが、哲学でいう懐疑主義的な見方をすれば帰納的な認識としての否定に辿り着いてしまうわけで、結局人間の知力では普遍的な認識など得ることは不可能である、という。これも形而上学的に矛盾する二律背反としての存在論を人間は本質的に背負っている。つまり柱となる大きな樹木の枝に分かれ抱え込む様々な知恵や知識を、人類や生命の根源であると崇拝したところで背後にあるモノの見方本質は普遍性を伴わない。得体の知れない時間という概念の中では物質は常に変化していくものだ。という。根底にはそのような思考によって書かれてある詩だとは思うのですね。~樹勢を弱めるためにそれを守っていきる。とはこの不可能な本質性という背後に抱えた認識を、我々人類は存在論として認めて進化して行くしかない。それには超人としての知覚自覚を得るしかないのだ。答えはまさにニーチェ哲学になりました。笑 (樹勢)

2024-05-19

例えば、ドタバタ迫力のある騒がしいだけの娯楽映画を面白がる人もいれば、眠たくなるような中身の濃い作品に惹かれる人もいる。人それぞれ面白さの基準には差があるので一概には言い切れません。 自分は昭和生まれでけっこう我慢強くて石の上にも三年、とかいうあの忍耐力を称える諺をたたき込まれてきた世代なので、ずいぶん無理もしてきたなって思っています。人見知りもしますが、話し好きで見た目は弱々しくは見えないでしょう。むしろ自分の殻に閉じこもるのが好きな質なので、あの人は何を考えてるのかわからない。よく言われたものです。そんなわたしがやれ肩が痛いとか腰がわるい、況してや鬱病ではないのか?と他人に言ってもほとんど信じてはもらえないのです。それは、つまり少々では弱音を吐きたくない。というあのトラウマのような諺に取り憑かれているからでしょう。つい無理をしてしまう。なかなか信じてはもらえないので親しい友人にも本心は秘匿されてしまうことになる。正直どのように受けとめてもらうるのか、それを考えると怖いからですね。 ~のように考えてみれば、わたしが投稿詩というサイトに関わってこられたのはやはり本音で語れる。という側面があるからでしょうね。もちろん作品では嘘も作りますが、コメントや批評では嘘も吐けない。それは互いに顔も素性も知らない相手で、空間に遮られているという安心感もあるからでしょう。そのことはまた知らない自分を引き出してくれる場でもある。自由な空間です。素晴らしいことですよ。言葉で表現するってそんな良さがある。といま書いていてはじめて気づいたかのように気恥ずかしくなりました。笑。よくもわるくも言葉を通じて素の自分が出せる。いくら装うことになっても、です。その様に詩を書く行為とは、つまり掛け替えもなくやはり素晴らしいことなのです。 (薬を飲んでから)

2024-05-19

あの山の稜線と想像の痕跡が等しい~この冒頭部分がいいですね。この二行を読んだだけで、これから意識は二つに寸断されて流れていくのだ。と云うのが観念的な読みとして手に取るようにわかってきます。詩は目線から指先に戻るという想像視点で描かれています。竜胆、なんて硬い漢字使いだな。と思えば病院内の出来事も想像されて、なので竜胆は花としてよりも漢方としての薬を意識します。余談ですがこの竜胆は猫には毒だそうですね。酩酊するマタタビ症状にもなるらしい。毒薬草として身近な植物にもこうした作用は含まれているんだな。と改めて認識してしまいます。  稜線を基準として左右非対称に描かれる三角点。脚を滑らせれば一方は地獄、崖の下へ。また一方は病院内という現実の地獄へ。(僕は高所恐怖症なので近づきたくはない)。どちらにしても死の世界だ。しかしこの危険な稜線に立ち向かい真っ直ぐに歩いて行った。という点に関して云えば、息づくこのどちらも白い指先でなぞるようにわたしの眼には美しいのだ。という。 「稜線」。この詩は死生観を賛美した詩だと私は解釈します。 (稜線)

2024-05-18

おまるたろうさん、再コメありがとうございます。➰ですか。それに井上達夫は調べてみたら面白そうな本もありそうだ。ザ議論。対談の相手は小林よしのりだな。アマゾンにあったのでカートに入れておきましたよ。 ※ 鷹枕可さん、再度ありがとうございます。 詩もこれからは対AIでしょうね。シュールな詩を読ませてみてくれ。ててなて問いかけたら、おそらく奴らは過去の詩作品から分類分析して提示できるようになるでしょう。オープンソース。意味を持たない持たせない、なんて指示しても整えるのは簡単でしょう。そんな怪物AIにも絶対理解不能で人間だけが感化できる詩。それは詩なんて呼べるのかわかりません。AIがいくら光速を超えようとも人間の次元を超えた夢には叶わない。そんな詩を夢に描いています。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-18

黒髪さんがコメントしてるように各連の冒頭は面白いですね。またnew先生がおっしゃるように(けったいな)というのもわかる。これ、少し大きめの「舟唄」ですよ。演歌ですね。歌でもサビの展開があるんだから、やっぱり展開するオチはほしいところですね。 (これが、生きてる!! 答え。)

2024-05-18

鷹枕可さん、コメントありがとうございます。 まだ暗い明け方だから見えないけど鳥はいいね。ピーヒョロロ。鳶かな。最強の鷹じゃないすね。いつも橋の欄干で鳴いているのね。僕もピーピーと口で合図してやる。するとそいつがそ飛んで僕に付いてくるのね。少しの距離だけど。もちろん暗いから上空は見えませんよ。でも可愛いもんだ。 少し前までBSテレビの深夜放送でやってましたね。60s~90sにかけての海外のヒットソング。主にUKのロックバンドを。知らないグループもたくさんいて、でもその中でもう一度聴きたい曲のグループってやっぱり少なかった。好き嫌いは良し悪しはべつにしても、やっぱり世界的に売れたグループって個性的で魅力があるのね。知らなかったマイナーなグループでもそうです。印象に残ったのはやっぱり独特で個性的なグループ。曲も見た目の雰囲気もね。そんなときはいつも思うのですよ。よくもわるくも独自性がないとダメだな。ってね。人のやらないことをしなきゃ、そりゃ目立ちませんよね。目立とうなんて思わなくても印象には残るものです。詩も詩人も同じでしょう。人のやらないことをやりたい。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-18

おまるたろうさん、さすがに乗ってはこられなかった。オールドリベラル?そうでしょうか。これは訳せば一昔前の自民対社会。二大政党時代でいえば自民党ハト派または社会党の右派ということになるのでしょうかね。個人な意見ですが、革新には期待していますが、もう政党にそれ以上を期待するのは無理だと思っています。 ※下に延びてしまうので、お二方同時に返します。 妻咲邦香さん、コメントありがとうございます。お名前はちょくちょく拝見いたしますよ。いい詩書かれてる。 竹下通り。流したいと思ってた時からずいぶん経過しました。詩人賞。そういえば女優の秋吉久美子賞なんて儲けてあったんですね。特に女性の方には興味も惹かれるでしょう。直接テレビを前にしてすらすらおしゃべりできる方のパーソナリティもすごいこと。これには経験も必要でしょうが、どちらかといえば役者さん、俳優専門の方々は生の出演は苦手なようです。普段のカメラと違い見えない圧力緊張感に負けてしまう。そんなことからも、役者さんって、やはり詩人なんでしょうね。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-18

追記。そうだな、倦怠感。アンニュイさを伴う女性には惹かれてしまうところがありますよね。外は雨の、窓ガラスには水滴が紗を透した傘のイメージでしょうか。フランス映画に出てくる、例えばドヌーヴのような、日本人の歌手でいえば大貫妙子でしょうか。原田知世なんかもそうですね。これもはじめて言われて驚いています。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-18

ペえ太さん、たぶん詩を書く皆さんそうでしょうが、この世界もVRなんですね。ちょうどTVで放送されてますが、僕も詩を書いているときは別人になります。真実は寂しい人間なんですね。ほとんどひとりぼっちを受け入れています。べつに人間嫌いなわけじゃないけど、実際リアルなお付き合いはもう面倒くさくて、ファンなんて言ってもらえるのはじめてですよ。こちらに投稿されるほとんどの方たち、先出のAOIさんなんかもそうでしょうが、一文を読んだだけでその人の詩経験がわかる。どんな意図形式に装われていても先鋭化された言葉にその人の歴史が出てくる。しかしこれも厄介なことで、経験を積めば積むほど置いていくものも多くなって年齢とともに逆に思考は子供還りしてしまう。もう取り戻すことはできない。もっともっとシンプルな自分を見つけたいと思っています。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-18

AOIさん、コメントありがとうございます。 そうですね。なんて言葉から入らなければならないつまらない書きものですが、これはメッセージ臭いので、ああ、こんな馬鹿な奴がいる。と思ってくださればそれでいいのです。ずっと詩を眺めていると刺激を求めて読んでしまう。知らない人の書き上げる驚きは新鮮でいいものです。能力を発揮する機会には恵まれなかった。いや、機会をモノにする才能もなかった。はじめから才能なんてなかった。物書きは皆同じように悩むのでしょうね。もう夢中になって書いていた頃の迸る汗は取り戻せない。書けば書くほど何度も何度もくり返し詩がわからなくなる。何のために?ではないのです。僕は環境も変わり少しでも楽に生きていける事ができれば躊躇なく詩を捨てます。いつもそのように考えて生きている。変化にも挑戦しましたがやっぱり上手く乗り切れない。どうやら神様はおまえに幸運は与えない。とそうおっしゃっているかのようです。人生を悲観するただの厭世家だな。そうなんですね。もうそれも受け入れることにしました。運命は変えられない。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-17

しまった。波平を忘れた。タラちゃんはまだ生まれていない。 カツオ「…やったあ!家族勢ぞろいだ。じゃおじいちゃんにも、ねえ、おじいちゃ~ん!」 庭で盆栽をいじっていた波平 波平「お!そうか。じゃあわしも一緒に行こうかのう なあ、マスオ…」 マスオ「@&*&@……あ、ああ……  」 (B-REVIEW 5月のお題詩「サザエさん」「ハンディキャップ」 )

2024-05-17

ホテル「シタベラーメ」は駅前から歩いて10分。飲食街を横道に逸れた所。 カレンダーをチェックしながらマスオはこの新しくできたばかりのラブホテルのチラシに目をやった。 マスオ「おい、サザエ、ちょっとこれ見てくれ、下着買ってきたよ。へへ。なかなかなパンツだろ?へへへ。」 サザエ「あら!いいわね。わたしも買っちゃおうかな、ね、同じ色の物」 マスオ「!」うん、それ、いいねえ」 マスオ「ところでさあ、なあ、明日しか空いてないんだよ。明日にしようよ。な?」 マスオはニヤリと薄笑いを浮かべてサザエのほうを見た。 サザエ「もう~しようがないんだから~わかったわよ明日の昼過ぎね。」 サザエの顔が少しだけ血行よく火照った。 この新しくできたラブホテルの通りは昼間のほうが人通りも少なかった。 マスオにとってこのトビウオのような捌け口の愉しみは、1週間に一度というサザエとのセックスだった。もっともサザエのほうは1週間に一度でも過ぎるという思いはあったのだが、それよりもマスオとの抱擁の最中にはキマッテ熱い息を吹きつける、ヨン様の表情が思い浮かべるのが秘かな愉しみでもあるのだ。 サザエ「じゃあ、あなた、明日はカツオもワカメも学校がお昼までだから、車の準備しておいてよ。」 マスオ「ああ、わかったよ。そうか、昼までか…」 しばらくして玄関のドアが開く 「ただいまあ~」 学校からカツオが帰って来た。 カツオ「ねえ、母さん、学校明日昼までだろ、それでね、友だちの鮫島くんから動物園へ行こうって誘われたんだよ。 鮫島くんの妹のエイ子ちゃんも一緒でね、それからお母さんの海老代さんも行くから母さんも一緒にどうかって……」 サザエ「エエ! 海老代さんも一緒に行くの? じゃあ行かないわけにはイカないわねえ…」 カツオ「でさ、車で迎えに来てくれって…」 「……   」 …サザエ「あ、あの、ちょうどお父さんが明日休みだわ会社。  …ね、あなた… 」 カツオ「 え?そうなの、じゃお父さんも一緒に行こうよ。やったあ!ワカメも昼までだし、家族勢ぞろいだあ…ね、お父さん」 マスオ「 @&*&@……あ、ああ……   」 (B-REVIEW 5月のお題詩「サザエさん」「ハンディキャップ」 )

2024-05-17

計算マチガイ書きコました。79ー7は72ですよね。ボケてくるとこんな簡単な計算もマチガイを起こしてしまう。大谷翔平も17でしたね。7という数字は幸運を引く数字でもあり、霊を惹きつける数でもあるって霊媒師の方がおっしゃってもいないか。すみません。作り話です。 (7を引く)

2024-05-17

佐々木 春さん、コメントありがとうございます。 もうですね、詩が面倒くさくて嫌なんです。だから他人の作品ばかり読んではコメントしてる。ええ自分なりにしっかりと読んでるつもりですが、鬱も酷くなると集中するのが辛くなる。もう詩は嫌ですね。たまらなくどうでもいい。好きだとは思えないのに習慣になってしまった。鬱が詩を呼び詩が鬱を呼ぶ。いまは一生懸命駄作に専念してやろうと思っています。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-17

万太郎さん、コメントありがとうございます。identityってなんでしょうか。1作2作と愉しんで聴いたり眺めたり読んだりしても結局好みは絞られてくる。選び抜いたその人の作品はなんでも受け入れられる。最後は残ったものの価値観ですよ。共感度。あたりまえのことですよね。詩が人生を摸索するのではない。人生が詩を表すわけです。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-17

おまるたろうさん、わけわからんけど、コメントありがとうございます。 ところであなたは天の陛下様にあたまを下げれますか?誘われたら園遊会に、年明けには記帳しに行く派でしょうか。? (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-17

79から7ヲひいたら70ではないですか?100から7ヲ引き続きけたら最後は3が余る。それにまた100ヲ足して7ヲひいたら93かあ。はじめに戻るわけですね。ラッキーナンバー7っていう数字は複雑だな。やっとわかりました。そういえば名無しの権兵衛さんも七つ時が思い出せなかった。 (7を引く)

2024-05-16

せこい犯罪が増えていますね。 強盗にしても、相変わらず公職に就く人間の性犯罪にしても。 日本人は外国人の対応には慣れていないので、戸惑うばかりです。 米国の大統領は日本人は外国人を嫌っているという感想を持っているようです。 これはあたりまえですね。犯罪の多くは外国人や外国の土地絡みです。 差別的偏見はアカンですよ。わかります。 今後外国人の移住者が増えてくると地方の、特にお年寄りたちはその対応に苦慮することでしょうね。 ツバルにお引っ越し。なんていいかもしれないです。笑 (おひっこし)

2024-05-16

母親の胎内という場所を思えばやは深海とか宇宙とか生命につながる神秘的なものを浮かべてしまいますね。前半部分はいいと思いますよ。胎内ではまだ眼も開いていないわけだからそれを見た人間はいない。赤ちゃんです。なので自由に表現されてもいいと思う。ちょっと気になったのは後半~と、そう思っていた。~そう思った。何度も置かれた過去形ですね。~そんなことを想うのだった。終わりもそう置かれている。これは文章ではつながって読めるのに必要もなく空間に取られているからでしょうか。語り手が何度も出てくる様子で時間的にも混乱して読めてくる。この念を押すように用いられた過去形の文は要らないのでは?とかおもいましたけど。 余談ですが、羊水の~というタイトルを見れば懐かしく思い出す書き手がいましたね。確か「未詳」に取り上げられていた、かな。名前忘れちゃったけど、文極ではイカイカ氏に貶されてたな。airとかに似てるとか、彼はいまどうしてるんだろ。コメントしたことがあるのでよく覚えているんですよ。もうずいぶんと前の古い話です。要らない余談ですみません。 (羊水の歌)

2024-05-15

熊倉ミハイさんが構造から分析を試みておられますが、そうしたくなるのもこの文面から何かしら意図的に隠れたものがあるのでは、という気持ちにさせられるからでしょうね。 筆者は思いつきとかコメントして謙遜していますが、いやいや、如何にも軽そうに捻りを利かせた言葉使いの奥にはやはり深い意味が隠されていますね。策士です。星の王子さまですね。「大切なものは眼には見えない」 積極的な鼠の死とかをイメージするとついレミング(旅鼠)を思ってしまうのだけど、あの集団自殺の伝説も実はW.ディズニーのドキュメンタリー映画「白い荒野」(古い映像なのでたぶん僕は観てないのだけど観てみたい)が引き金になってるらしくて、あれは制作者が意図的に崖に追いつめて海へ飛び込ませた映像らしいですね。そんなことが書かれてある。本当はレミングの集団移動や周期的にみた大幅な数の増減らしいのです。我々大衆はどうしてもドラマ性を求めて作り話受け入れてしまう傾向があります。伝記物の小説もそうでしょう。作者による捏造が真実を追い越してしまう。なんてことはよくある。「伝えたいこと、したいこと」この作品の主旨もそうでしょうね。わざとお捻りを浮かべておもしろい口調で書き込まれてはいますが、実はその奥には我々人間社会への警鐘が隠されている。見せかけの情報に振り回されるな。「真実」は眼には見えないところにあるのだと。 (伝えたいこと したいこと)

2024-05-15

そうでしたか。AOIさんだとは気づかなかったですね。作品に何かしら意図はあるのだろうとは思いましたが、比喩としての扱いでもなかったんだ。これが繋がらなくても文章として成立するのであればオートマチスムとして諦め(笑)もつくのですが、意味が読み取れないのでどうしても比喩として受け止めてしまいがちです。わからないものですね。女性か男性か年齢なんてのも意図的に癖を外されたらわからなくもなる。作者を知って読んでいたらたぶんコメントも違ったでしょうね。面白い、というか、やはり集中して読まなければいけないのかな、と。 (常夜燈)

2024-05-14

筆者の何作かを読んで推奨している私ですが、この作品「水滴」はシンプルなタイトル故に複雑な絡み具合が難しかったのではないかと思われてきますね。この水滴の持つ世界観をどこまで、そしてどのように取り入れて表現しようとされたのか、という点ですね。 ご承知のように水滴とは冷やされた水蒸気が水に変わり、表面張力によって円状にくっついてしまう結露とも呼ばれる現象ですが、普段我々が目にするのは主にガラスの表面にできる水滴か、植物の葉に零れる水滴などでしょうね。眼鏡が曇る厄介な現象も表面の光を乱反射させるこの水滴のせいらしいですね。 この丸い一粒を拡大させて見れば、レンズ効果によって背景を小さく取り込みしかも逆さまに映ります。 神秘的で透明感に引き込まれる世界ですが、硝子窓全体を見渡せば背景はこの水滴によってボンヤリと隠されてしまいます。この逆さまに見つめる世界観で表されているのが、冒頭から二連目までの沈み込み見上げる内面的な世界観でしょうね。しかし、わたしはきっと何色でもない水滴。あなたはどうしてわたしを好きって言ってくれたんだろう。この空間を挟んだ行からは街の景色を取り込み場はがらりと移り変わります。映り変わると言ってもいいのかな。~雨粒が跳ねるような硬い音がしたと思ったのはわたしの聞き間違いだったのかもしれない。雨も上がり日射しが差し込むように語り手はその場ではっと気づくわけです。彼のことを思いながら、わたしは雨粒、この水滴に映り込む小さく閉じ込めた逆さまな世界観で遠くをみつめていたのかもしれない。そして終わり三行の語りはまた冒頭の観念的な内面世界へと戻るわけです。 まあ、わたし的にははじめの観念的にみた内面世界と、外部の景色を取り入れた半ばから後半にかけての場の差をもう少しメリハリを利かせてはっきりと分けられてもよかったのかな、と思いました。特に、~わたしはきっと何色でもない水滴。あなたはどうしてわたしを好きって言ってくれたんだろう。これなどはこのタイトル「水滴」をみつめて思う核のような文言ですね。自分で暴露しちゃってる。冒頭よりも前に、はじめに置かれてもよかったのでは?とか思ってしまう。そして文半ばには景色とともに現象としての水滴が多く書き込まれている。水滴に寄りかかりながらも思いはわたしと彼へ。これをイメージとして捉え書かれた作品でしょうから、そのことを鑑みてみれば「水滴」このタイトルの変更も有りかもしれない。といった感想です。 (水滴)

2024-05-14

これはすごい、勇気いりますよね。そこまでして読み手を目眩ましに騙してみたいのかと。 後半は言ってることも破綻していきますが、「バケモノ」ここまで自覚できるのならバケモノでもないでしょう。兎にも角にも人間が作り上げた命の宿らない動物なのだから。 (ばけもの)

2024-05-13

劣等感も肯定的に受け入れれば人生観も少しは前向きになれる。ってことでしょう。こういう考え方を言葉で表現できるのも詩の良さではあるのでしょうが、詩としてみれば淡々と書かれていて少し余韻が不足していますね。~だが考えてみよう~なんて第三者的に語る話者の印象が強いからだと思われます。 (待つ力)

2024-05-13

常夜灯。見れば比喩使いに飾られているので読んでみましたが、全体的にまだまだ緩慢な印象で比喩に扱われる言葉だけが一人歩きしている様子ですね。 ホコリでできたホタル、連の文末におかれたゆめは、マーガレット、コールタールの理論とか、ひなげしに躓いたスラング、無風の髪を、ツツジの翼を、等々。 例えばですね。「猫に小判」「豚に真珠」は意味あることわざですが、これをはじめて目にした人はあたまを悩ませたでしょうね。訳がわからんわ、と。そこでこの喩の意味を伝えるために創作者は文章に興して理解に努めるわけです。 上記した比喩などもそうでしょうね。単体ではちんぷんかんぷんです。そこで文章に眼を向けるわけですが、~ツツジの氾濫する安物の執着~とか無風の髪を健気に傾けるシネマトグラフやらやかましく諫めるように繰り返す23時~油の切れた灯りと手を繋いで伴奏をはじめ~身代わりの住む街で生ぬるい風を切る~何のこっちゃ?なのです。?これはシュールだよ。日常は超現実の無意識と非日常に置かれ、デペイズマンやオートマチスムの手法でダブルイメージを実験的に操作し置かれているのだ。!とか言われてもあたまの中は?、は?ですね。 この比喩満載に置かれた文章。それでも品詞や句読点の扱いによっては読み取る世界には浸れるのかも知れません。いま少し扱う比喩言葉の研究に努力されてもいいのではいかと。シュールリアリスムの先駆者たち。絵画を例に挙げても彼らは基本的な描写力には長けた方たちでした。   (常夜燈)

2024-05-13

庭先から上がり込んできては体育会系の兄貴もよくやってましたね。家の愛猫を見つけてケツを顔のまえにつき出してはぷぅ~。と。誰の影響か戦後生まれ団塊世代にはこうした下品な人間が多いです。 まさか、まさかね。ここで吉本新黒劇の台本を読まされるとは思ってもみませんでした。アンナネトレプコも驚いてますよ。刺激がぷぅ~です。 そういえばヒトシマツモトによくイジられてましたね。あの田中くんもいまじゃ係長でしょうか。仕返しに部下の小沢くんを使って美人局を計画したら、彼女に裏切られて逆にマツモト部長から博多へ左遷を仰せつかる。まあ、どぶ板とはいえ屋台の地に飛ばされるだけでよかったとですわ。 しかしねえ、吉本新黒劇なんて滅多にみれるもんじゃない。国立現代詩人会館にでも頼んでみたくなる。風刺風俗も社会を問う詩の一分野。ナンセンスギャグ詩大賞の部門を置いたらどうでしょうか? じゃあ、あなた舞台で朗読してくださいよ。 覆面被ってでも。いえ、あ、あの遠慮させてもらいます。祝杯!もうさんざんお尻を触って満足いたしました。ハイです。 (運ぶ、わたしたち)

2024-05-13

冒頭二連目から四連目の空間が爽やかにもシャープでうまい誘い方だ。きっと女を口説くのも上手いのでしょうね。関係ないけど。ガンダム世代でもないけど軟体動物とは超合金オモロイターな話しを読んだなという感想です。 (コアファイターのようなスポーツカー)

2024-05-13

くもゐ、くものゐ。古文の意、旧字体できましたか。読み取るもやさしくはないその望郷を、われ望むくもゐ、かしこあれ。東日本大震災から能登半島地震が過りますね。何故かわからない。読んでいくと、調子が西洋式に流れます。式は古風でも詠みは和歌調子ではないですね。最近シュスタコヴィッチのJAZZ組曲2番ワルツをよく聴いているのですが、ぴったりきましたね。詠んでいるとワルツがここちよく流れてきました。それはこの曲が持つ哀愁、悲哀感がこの詩に重なってきたからでしょうね。秀作です。 (くもゐ くものゐ)

2024-05-13

愛を標本箱に取っておいた。とか言って誤魔化しているけど蟹男、君はカニバリストじゃないか。神経を疑うよ。気持ちわるいよ。でもいい湯加減の風俗風呂で個展と遊んだらまっすぐ家に帰るのね。真面目じゃないの。いろいろと気持ちわゆくてこんなのも有りだと思えば面白いよ。 (蟹男)

2024-05-12

書き落ちてますが、タイトルの長さが新鮮ですね。たまにはこんな吐露物も読んですっきり感をいただける。なので創作コメントに私を奔らせてしまいました。 (きみがしてくれなきゃだめだよきみしかできないんだからもうせきにんとってよどうすんだよこんなのおかしいよそんなのはずかしいもうわたしのことどうおもってるの)

2024-05-11

切羽詰まる。そんな状況でもないのに日常の不満感はやり場のない状況。この不満から不安感を抱えた私は教授からメッセージを書くことを勧められました。そしていろいろとサイトを眺めみるうちに、私は今のわたしの心情にピッタリハグしてきたメッセージを見つけ、突然二十歳の女子大生から詩人になることを決意しました。そのように自覚してました。はてな?いろいろと書いているうちに原題フォーラムよりもこちらB級戦版のほうがいいな(ウンウン)という確信を持ったので投稿してみたのですが、詩人の書く詩を読んでもコメントを読んでもドーモ納得がいかない。みんな、結局みんな偽者よ。誰も本気で相手なんかしてくれない。自分の作品を他人のお気に入りを少しでも良くみせようと術を凝らしてる。有りもしないおべんちゃら。アラガイs氏なんて悪口ばかりじゃないの。詩人サイトなんて大嘘つきだらけだわ。特にこちらで指導的立場にある先生方をはじめみんないい加減だわ。あーあ、もう俺は嫌になった。だからこうして言葉にしてぶつけてやるぞ。不満足を、貴様らに。こんな精神状態を抱えて細胞が切れそうな俺の状態を益々わるくするのかな。誰か責任とれよ。とってよ。ここは政権与党自民党かよ…。とまあ相手に責任を擦り付けることでしか満足感の得られない状況になるほど、創作上語り手は追いつめられても作者は至って平然と構えているのでした。後書き。長々とつまらない創作を入れ込んでコメントしたことを作者様にはお詫び申し上げます。 (きみがしてくれなきゃだめだよきみしかできないんだからもうせきにんとってよどうすんだよこんなのおかしいよそんなのはずかしいもうわたしのことどうおもってるの)

2024-05-11

たびたびごめんなさいね。あれはアヒルじゃないよ。白鳥のアタマだろ?指摘されそうなので訂正させてもらいます。たびたびアタマ出して皆さんには申し訳ない気持ちです。終わります。 (霊音)

2024-05-11

↑ おまるたろう氏+No9 結局同じようなこと言ってんのね。あなた。スカートの内側ですよ。捲ってアヒルのアタマが出てきたら驚いてちょっと間が空いて笑えるでしょう(志村けん)可笑しさもそれなりに納得させてほしいわけです。 (霊音)

2024-05-11

おまるさん、ひとつありましたあ! 天才赤塚不二夫のレッツラゴン! (霊音)

2024-05-11

本棚に席を置く作家たちすべて。ほとんどすべてですよ。おまるたろう氏ご本人を参考にされてもいいよ。僕は知らない。ウィキペディアで検索してみれば誰かが挙げてるでしょ?文章の上手い作家ベスト10!とかさ。 (霊音)

2024-05-11

ごめんなさいね。訂正。遊園地の回る木馬みたいに~これはそのままのでよかです。これじゃなかった。眠気醒めからぬ僕の~眠気醒めやらぬ僕の~でしたね。可笑しいのは。駄目だよ。田中恭平new先生。僕を指摘しなきゃ。 (霊音)

2024-05-11

↑万太郎貫太郎おまるたろうなあんちゃって、ごめんなさいね。名詞出して。 ね、面白いよね。万太郎さん。バカバカしくて。ね、だから、お題は大事。こんな風になっちゃうのさ。笑 (B-REVIEW 5月のお題詩「サザエさん」「ハンディキャップ」 )

2024-05-11

これはですね。推敲してみて自分で可笑しくないと思わなければ駄目でしょうね。たぶん学校の先生から指摘されます。とはいえ、詩には文法を超えた持ち味の佳さもあるのですね。でもそのような破綻を目的にされた意図にも読めない。正式に文法なんて私も学んだこともない。漢文なんて大嫌いでした。しかし物を書くならやはり読みやすく理解される。その基本的な方法はあって然るべきでしょう。先ず助詞の使い方をもう少し検討されてみては如何かと思う。二連目、遊園地の回る木馬みたいに~べつに遊園地が回るわけでもないのだから、遊園地に回る木馬みたいに~でしょうね。どうしても遊園地の~にされたいのならば、遊園地の、回る木馬みたいに~で読点を用いるべきでしょう。冒頭の一連なども、あなたのそのしなやかなで冷たい指が鍵盤の上を踊り、人間の温度が込められた霊音を冷たく奏でた~とかなんとかにされればニ行で済むわけです。 霊音って主題は何かしらそそるわけだから、勿体なく感じて意見もさせてもらいましたが、日頃どのような作家の本を読んでおられるのだろうか。上手い文章を綴る作家たちの書籍は書店に沢山ありますよ。参考にしてみてほしいと思います。 (霊音)

2024-05-11

「拝啓「エアコン」 君の瞼は飛行機の羽根のようには光らない それでも夜のほくろを払いながら、春雨を報せてくれる~」 何回も読みたくなるね。意表をつくタイトルの出だしから喩でつなぐ文章がいいんだ。(夜のほくろ)とか、?ツッコミたくなる表現だけどそれをうまく躱すように立ち止まらせないところが微妙でいい。なのでこんなぶっとんだタイトルの出だしをうまくサポートしている風に取れる。その微妙な文章のセンスだね。上手く言えないけど。 ~私は孤独な老夫婦を花壇に詰めるのをやめました。これなどもそうだね。シュールな感覚に誘われる妙味を既に把握しきっている書き手だとわかる。ぶつかり合いが、なんでそうなるの。とか思えない、ずば抜けた比喩感覚ですね。上手く言えないけど。ぶつかり合うけど決してハビタブルゾーンの外へは進出しないという生命の、その根源的な約束を思ってしまう。 この作品も挑戦してみてほしい。高峰サイトとして君臨する現代詩人会へ投稿してその評価を期待してみたい作品です。 (「クロス・ゲームの手紙」MV)

2024-05-10

木樵とか農夫は同じ連で括ったほうがいいでしょうね。人は働いてしんでいく。人間である以上この宿命のような重いテーマが書き散らかって読めてくるのが残念です。 (ひとは働いてしんでいく)

2024-05-10

作者様におかれましては勿体のうございますね。書き切りましたで賞物。これだけの長編独白詩で杯不参加とは実に残念だ。 (羅列社不勧進帳)

2024-05-10

宇野昌磨は引退宣言をしましたが、これだけ言いたいこと書いてしまえば作者としてはもう思い残すこともないでしょう。といった感想ですが、すごい気力ですね。言葉への執着心から解放されたいのでしょうか。作者の詩作に興じたその人生経験のすべてを読まされたような面白さと暗い気分になりました。もう登る階段もない。足蹴りして仙人はその反動で自らを突き落としてしまう。その叩きつけるような激しさにはguillotine鳥も鳴いて驚いてますよ。その熱量と詩作経験の高さには敬意を祓いたい。祓いたいのですが、正直私も疲れているので、枕をともにします。一言、よくぞここまで登りつめてこられましたね。少しお休みなさい。と言いたくなってきました。笑 (羅列社不勧進帳)

2024-05-10

新しいですね。その言葉使いテンポの切り返し。刺激的で斬新だ。 拝啓「エアコン」まるでVRのなかで過去の自分(部屋)に向けて話しかけているみたいだ。クロスゲーム。僕は漫画は知らないんだけど訳せば拮抗した試合。一体何と拮抗し、その思いを誰に伝えたいのだろうか考えてみるが答えは見つからない。つまり答え(結末)のないことへの問いを問いただしているということになって、読み手は幻惑させられる。面白さ以上に刺激的で、これは優秀賞を差し上げたい。 (「クロス・ゲームの手紙」MV)

2024-05-10

ブラックホールに落ちてしまったのでしょうね。意識されてはいないのでしょうが、磁針のようにも受け取れるのでコリオリの力を幻想に見立てた。北半球では水の渦は反時計回り。南半球ではその逆ですね。そして赤道直下では、渦は巻かれずに吸い込まれていきます。つまり語り手はこの現象をコーヒーを飲みながら時計の針を逆戻りさせたわけだ。そして眠りから目覚めた途端に直下に吸い込まれる。ブラックホールの穴へ。夢のまた夢。そこ現実には作品を書いている作者しかいないわけです。 (針とカップはくるくる回る)

2024-05-09

ライト感覚。といってもちょっと軽すぎ。まあ、お金が無いのを社会の問題にすり替えて読めるのはタイトルの原作(サリンジャー)とも被って読もうには読めるのだが、なんせ、つかまえてがお金だけではねえ。あまりにも軽すぎ。 (ライ麦畑でつかまえて)

2024-05-09

仲間たちでトランプゲームを。たとえばポーカーや神経衰弱をしているときのようなドキドキしたお遊び感がある。タイトルといい言葉を操る巧みさ。面白さ。という点ではマルをあげたい。 (らんらんるー)

2024-05-09

ああ、そうでしたか。ん!コメントを読んでひょっとして、と思っていたのですが、見事に騙されましたね。笑。私からみればよくぞ騙してくれたのよと。お見事ですね。 (空の別名)

2024-05-09

書き落ちましたが、~名も知らぬ花が咲き実を結ぶ~ この後半から終わりまでは特に秀逸に表現されていますね。唸りました。 (crackの踵、鎮座するうららかな痺れ)

2024-05-09

トビラさんの意見を拝見したのでちょっと。 まあ、詩の感じ方捉え方は思い思いであっていいのですが、 たとえば手摺りと鍵、或いは爪を噛む白い手が、古雑誌の意味を掴む。 冒頭部分ですね。この冒頭は~ならそれで木目地愛で謎るだけで~の文節の後半に寄りかかってきますね。謎る。漢字を見ればこれも普通に手でなぞるのではないということが読み取れてくる。なのでこの冒頭部分は時空の超えた非現実的な読み方をしなければ単に可笑しい文だということになります。 しかれば爪を噛む~用いるならば然らばでしょうが、これを持ってきたら手摺りと鍵を爪を噛むにつなげて読まなければならなくなる。この冒頭部分は意識を外さなければ後ろの文の味わいにはつながらない。なので、手摺りと鍵、そして、爪を噛む白い手、とはイメージを切り離して読まなければならない。 私はそのように解釈しています。 (crackの踵、鎮座するうららかな痺れ)

2024-05-09

田中恭平new先生が表現されたような「文学装置」わかるような気がします。私もこの作品には着想化された下敷きの存在ようなものを強く感じます。戯曲にでも書かれたかのように、舞台の上で台詞に興じている語り口。ちょっとやさしくないですね。技術も高く、おそらく和歌落語と古典芸能にも長けた方の作品でしょうが、読み手にはやさしくないですね。イメージとしての場。演目としてのお題目。何かしら舞台のイメージでもあれば少しは作者の趣向も読めるのではと思います。 (crackの踵、鎮座するうららかな痺れ)

2024-05-07

価値観よりも人間性という作者の考えには賛同するものですが、価値観を認め合わない人間が何故人間性を語れるのか。その矛盾する答えが明らかにされていない。人間性とは一体なんでしょうか。 (インドに行くと人生観が変わる!)

2024-05-07

空は透明の別名 海が見えなくても海の色で~一日に三百万人生まれるあの人 五百万人死ぬあの人に追いつけなくて~。なんてことのない独白調子の語り口でも、無垢な捉え方ですね。たぶん女性の書き手さんでしょうが、小説にしても詩にしても、女性の方々の台頭ぶりがわかるようなレトリックです。技巧とか思想とか、考え込んで書いていては書けないような面白い語りかけですね。まあ、年齢性別の違いもあるのでしょうが、嫉妬すらを覚えてきます。 (空の別名)

2024-05-07

~今朝の歌~なんていい歌じゃないですか。あなたもおっしゃっておられるように反論はあって然るべし。褒め言葉の多い詩サイトでは貴重な意見ですよ。以前より知る鷹枕可氏はその様なお人でもない。少し多目にあたまに血が流れただけでしょう。それでも悪意と感じられるのならば、停止せよ!と本人に伝えてからでも遅くはない。と思います。 (極北、またの名を老害)

2024-05-05

誹謗中傷暴言を吐いたわけでもないし。べつに悪意もないでしょう。嫌なら無視すると返せばいいし。許せる。庇うつもりはないが、私ならお愛想で許せる範囲ですよ。それほど気にすることもないのでは、おまるさん。 (極北、またの名を老害)

2024-05-05

「神々の深き欲望」今村昌平。タイトルから複雑な心理合戦を想像したのですが、大人たちを襲う子供たちが神の罰を受ける?そして神になるなんて筋がメタメタだ。これはただ暴力化されたバイオレンス劇で終わってますよ。 (神々の遊戯)

2024-05-04

アニメ(AKIRA)その通には有名だ。昭和生まれなので聞いたことはあるが見たこともなくてよく知らない。恥ずかしい。たまにユーチューブ見てたので格闘家朝倉未来は知っているが、割烹格闘家こめを。これも知らなかった。どうでもいい。 なんで「カフカ」なんだよ。と思った。裁判の件が書かれてあるからだろう。つまり概ね対象は「審判」なのだ。審判といえばカフカ亡きあとに編纂され出版された不条理文学の傑作とも言われている。多くの論者が批評し論じてもいるが、その中でもj.デリダが提唱した「脱構築」という概念からも多くの論者が読み解いている。 この作品も大方そんな認識で書かれたのだろう。根底にはウクライナロシア対応パレスチナイスラエル問題だ。対照的にみた二項対立の概念から生じる「存在と欠如」という捉え方。この思考は結局存在がなければ欠如もしないという矛盾につきあたる。この考えから相互に依存しあう。つまりは結論なき意味の証明というクラッシュ&ビルドへの矛盾。これが脱構築化の考え方に向かわせることになるのである。一方の考え方が優れているとは限らない。 こめをはそのことを刑務所という閉ざされた世界から裁判という開かれた世界に一歩進み出ることによって社会の不条理という矛盾を確信したのかも知れない。 ウクライナは国の誇りという面子に固執して無駄な犬死は止めてしまえ。同様にパレスチナもイスラエルも手枷となっている宗教の教えや戒律など無視すればいいのだ。こっそり路の脇に唾を吐きかけて、素直にあたまを下げておけばいいのだと…。 (カフカ)

2024-05-04

「クロール」現代詩人会6月入選おめでとうございます。ね、言った通りでしょう。オススメした甲斐がありました。どちらかといえば言葉遊びに趣く女性の書き手が多いなかで、あなたの作品には技術と内省がともに含まれて読めてくる。目線の基盤がしっかりしていて、斬新な新しさに拘らずとも独特な妙味を発揮していて堪能できる。きっと評価も高く。作風からしてもメジャー好みだと思えたのです。これからは多くの書き手からも注目されますね。登壇の日も近いことでしょう。評価を勝ち得るほどに嫉妬の対象にもなってきますが、どうか負けずに個性を磨きあげ立ち止まらずに邁進してほしいと思います。 (坂道)

2024-05-04

持てる者たちが持たざる者を虫螻の如くに踏み潰していく。粉々に破壊されつくした瓦礫の山。負傷し住処を亡くした市民の泣き叫ぶ姿は連日放送で見ていても胸は痛みます。何故戦争は止められないのか。当事者たちは遠くから駆け引きをくり返し、市民の嘆きは世界に噴火をまき散らす。そんな激しい怒りが作品から読み取れてきますね。 あなたの作品はそれだけで個性的な術を備えているので言葉を正確に読むことからの解説も難しい。屏風に飾られてもいい至芸だと思われます。 (廻廊遠近法)

2024-05-04

エイも空中を飛ぶし珊瑚が見送ったっていい。主に海を念頭に想像豊かに書き込まれていますね。しかし惜しい。タイトルがそれをぶち壊してしまった。「飛行場」翼のある飛行機は見えても飛行場なんて周りはアスファルトやコンクリートしか思い浮かばない。内容からみれば離島とか壮大な景色を意識した、他にあるはずだと思えてきます。 (飛行場)

2024-05-04

ご苦労さまです。貴音さんでしょうか。ですが前回にも意見したようにやはりこのお題目ではおもしろいものが書けそうもない。私には。です。気の利いた一言や味のあるタイトルをみればインスパイアされて書きたくなるものですが、「サザエさん」「ハンディキャップ」特にハンディキャップと言われればゴルフか出生時に神から授かる運命による身分格差。そして述べられているような身体的にみた特徴でしょう。これを想像して書いても散文にしかならない。無理矢理詩に昇華しようとしても観念的に通俗的な我が身のことになってしまいますね。書き上げられている作品を読んでもその様なものがほとんどです。向上を目指すサイトとしての面白味が感じられない。例えば「犬とハンディキャップ」とか、もう少し思考に働きかける言葉を操作して挙げられたら如何かな。とまた一人愚痴をこぼして申し訳ないのですが、 (B-REVIEW 5月のお題詩「サザエさん」「ハンディキャップ」 )

2024-05-03

うん、おもしろいですね。個性的な作りにも光るものを感じる。鬱陶しさに追われる雨の日の列車。意味を逆なでするようにナンセンスを含んだユーモアとも読めるのですが、度々出てくる拍手がそんな支離滅裂な言葉たちを打ち消すように意味深く胸を辛辣に捉えてもきますね。不思議です。拍手が止むとはなんでしょうか。単純に煩わしい雨の音? 僕はもう少し突っ込みたくなります。拍手とは、これまで歩んできた作者の事象で、それは人生経験をふり返る自他ともに込められた期待感への祝福の雨音。その鬱陶しさから、作者はこれが止むのを待ちきれずに、語り手を通じて失念の雨を降らせているのでしょう。 (T RAIN)

2024-05-03

お久しぶりとか言われても、すうさん、あなた誰?ここに書き込む人はまた名前変えてるからわかりませえんですよ。で、何、ポエム要らないとか書かれてカチンときたの? メルヘン要らないとか思われてカチンときたのでしょうか? ありきたりなら要らないと考えるのが普通だと思いますよ私は。一応選考付きのサイトですよ。しかも代表をはじめ関係者のお歴々は皆さん旧文極の流れを汲む人たちばかりです。当然作品には質の高い新鮮な驚きを求めておられるのだと解釈しておりますよ。もちろんどんな作品であれ投稿されるのは自由で、べつ私がお節介にも声に出すこともないのでしょうが、少々崩れていても面白さのある作品の投稿を待っておられる。と思うのは、これは常に上を目指す詩書きならば当然のことでしょう。BーREVIEW いまでは希少となった選考付きのサイト。という観点から申してみた。ということで、お気に召さない相違は何卒ご容赦を。 (君へ星の贈り物)

2024-05-03

夜空に浮かぶ煌めく星たち。語りはギリシャ神話を思い描くようなポエムです。味噌糞混ぜてメチルセルロースに固めたようなお馬鹿な詩が多いなかでは一杯の清涼飲料水でしょうか。ですが、こちらに書き込む強者な方々にはもう並みのポエムなど必要とはされていない。といってポエムが必要もないのではないのです。人間優しくも有りたい。もっともっと目線を下げてもよろしいのではないでしょうか。例えば壊れそうな幼児のように。強者どもの心に玩具の釘を刺すくらいの儚さで日常が讃えられれば、祈りは届くと思いました。 (君へ星の贈り物)

2024-05-03

うむ産む有無膿む。こんなことは解脱してないとなかなか書けない。新興宗教のようなもので、タイトル含めて半年くらいはあたまに残るでしょう。その後とは?問われたら作者の神経を疑うでしょう。これも壊滅的には新しい。 (山口メンバーリメンバー/人に夢と書いて「儚い」)

2024-05-03

確かに。このタイトルと内容からどのように皮肉って読めばいいのだろうと考える点がすごいと思われて、内容的には、今も昔もお馬鹿なカップル故に結婚までいくのかな?してほしくないな。という感想でした。 (偽書と焚書の断罪の物語)

2024-05-02

一人乗りの戦車でいいのです。もう充分に馬鹿なのだから。 (めしべの思い)

2024-05-02

いまからの季節。同じ名前のお人には蕎麦や饂飩が美味いでしょうね。面白くて。 (FEEL LIKE MAKIN’LOVE 。)

2024-05-02

出だしから笑う。お笑いしたい人は必至に読めばいい。面白い。それだけでは不満足でしょうか。面白くないと考えるお人に批評をお願いしたい。 (びっくりするほどのデブ)

2024-05-02

イメージを時空で操作するように文体で切り分けたり突然方向転換するのはわたしも好みなのですが、あなたの文体には大きな方向転換というよりも行きつつ戻りして斜めジグザグに進もうとする。そんな佳さが認められてきますね。なのでこんなわかりやすい内容でも複雑化されてしまうのです。騙されないように慎重に読まなければならないし。と笑です。 (坂道)

2024-05-02

インされていない白シャツ~グレージュの髪が揺れている。~君に何も約束できないのはこれまで君に出会ったことがないし、これからもたくさんの君に出会うだろうから~ かっこいいと評されていますが、この辺りは女性でないと思いつかないような、確かに格好よさがありますね。 構造的にみれば、冒頭から~君に何も約束できない。までは、この詩の客観性を総体的に俯瞰するような前述に置かれ、思想する私が述べられるところから入ります。 それから~わたしは横断歩道をわたる。まで具体的なイメージで坂道を登る背景やその気配が書き込まれる。 そして終わり~君に出会えたら伝えないといけない。始め冒頭部分をつなぐような回想から現実は回帰され、わたしはまた新たな明日へ進み出そうと決意を促されるわけです。 こうしてみれば当然この詩の核は君とわたしの関係性ですね。客観的に自分(わたし)を見つめ直してみたいという願望が仮想の(君)を作り出して追い求めている。 このことは「夢判断」テレビでも放送されていましたが、解説者の方が論じた願望充足説にもつながる。 夢は過去の模造なのか、いや、夢を分析すると未来がみえてくる。結局夢を判断するとは、今日までとは違う明日(わたし)を手に入れることだ、と。 ポエム。歩恵夢とも表記されてもいいでしょう。夢を判断する。詩の構造も同じようなものだと思います。 (坂道)

2024-05-02

体制社会を風刺したブラックユーモア的な詩でしょうが、朗読の声質が合ってると思いました。もっと子供じみていてもいいですね。やはり朗読されるのはちょっと怖い。その表現者によって受け取りもずいぶん変わると思いましたよ。 (働かせアリ)

2024-05-01

パレスチナへの攻撃を止めろ! 若いピチピチの学生たちが軽装でデモ活動を勃発させてますね。あの国では逮捕されて将来自分の身に傷が付く。なんてへっちゃらなんでしょう。才能ある学生たち。実際実力主義の合衆国社会ではいくらでも取り戻すことはできる。日本ではそんなことはもう考えられませんね。対ウクライナ戦争にしてもパレスチナとイスラエルの紛争にしても闇で蠢くのはお金です。お金といえば今年また大統領選に出てくる豪商トランプなんてのも法の網を抜けて頂点に君臨しました。彼の廻りにはそんな族が犇めいている。一方ではわずかな食い扶持のために命を捧げる人間は大勢いる。我々庶民といえば汗水垂らして労務に励んでいる。日本人はいいですね。ロシアウクライナにしてもパレスチナイスラエルにしても何ら血を流す責任はありません。直接人殺しの武器には関与してないから。主義政治体制。資本主義やれ共産主義。そんなもの何処に存在しているのか。誰が権力を握り締めても、虐げられるのはお金もコネもない一般市民でそのまた底辺に暮らす弱者ですね。内省問題に関わるな。保守だリベラルだ。新自由主義だ。これが一体何に誰の為になるのでしょうか。ここに挙げられたメッセージにはその問いはあっても答えはない。そこが唯一私には好まれる風袋に読めるのです。ジョンレノンのラブ&ピース。ボブ・ディランの風。いつの時代になっても巡り続けるだけですね。政治は詩人を巻き込みますが、私はいつの時代になってもアウトローでいたい。ただ筆を振り声は挙げても卑怯者の傍観者で在り続けたいのです。 (極北、またの名を老害)

2024-05-01

佐々木春さん、ほんわかですか、笑。なんか気恥ずかしいのですが、コメントいただきありがとうございます。 (茶封筒の中身)

2024-05-01

秋乃夕陽さん、面白いとおっしゃっていただいて、コメントありがとうございます。 (茶封筒の中身)

2024-05-01

~食事中だけの場面ですよ。etc. で、日本語でもいいのではないかと思った。カトゥーンだけの場面ですよ。この横文字操作。横文字だけにこれはあまりにもフレーズから逸脱している印象で、立ち尽くしてしまいました。 (演技)

2024-05-01

曖昧なブラウン。この言葉がよほど気に入ったのでしょうね。確かにソソラレル。青年期に見つめていた鏡を思い出しますね。栗色の瞳。あ~あ、もうずいぶんと澱んでしまったな。私の瞳。 (木下。)

2024-05-01

セロ弾きゴーシュ。忘れていたので概要だけ掻い摘まんでみました。同時に印度の虎狩も聴いてみました、笑。おまるさんと同じくの印象ですが、二兎を追う者は一兎をも得ず。でしょうかね。成功し王様のように尊敬もされたい。夢追い人間にはつきものですね。誰しもそんな夢はみる。 (告白)

2024-04-29

あ、それから「茶封筒の中身」というのも事実からですね。今時実際安っぽい封筒で手渡されしかも中身が!思っていたよりも違う~だったら、そりゃ誰でも少しはあたまにくるでしょう。と中身は想像に任せたいのですが、お金だと直ぐにばれるでしょうね。 (茶封筒の中身)

2024-04-29

おまるたろうさん、再度ありがとうございます。 これね、いきなりピストルを出してしまったのは物語を詩として読ませるのは充分に不足してますよね。893屋さんでない限りピストルは身近ではありませんからね。やけのやんぱちというのは実際私のことで、これはリアルタイムに目覚めた冒頭部分の私でした。これ、ちんぷんかんぷんでしょう。笑。わざとわからないように書いてあります。あまり自分でバラすと~なあんだ馬鹿らし~になるので、控え目に解説などいたしますれば、下敷きは血の業ですね。時間を遡るのです。いつでも再生されたい私がいるのです。 (茶封筒の中身)

2024-04-29

エイクピアさん、コメントありがとうございます。 カタルシス。間違いなく暴発して止められないカタストロフイですね。 これネタばれになってしまうけど、実はゼッケンさんの最新作から多分に影響を受けていると思われます。直に私を表現さたのは冒頭部分だけで、なので物語る。どちらかといえばショートな小説風味ですね。まだ少し延ばせばもう小説で、より詩風味の策略を意識して時間をずらしたりバラしたりしてわからないように書き込んでみましたが、はて?成功しているか否かはわからない。たぶん失敗でしょう。いつものことです。笑 (茶封筒の中身)

2024-04-29

短詩をうまく活かしている選語には思えるのです。~ピアノに似た音がふわふわ~ずいぶんと邸宅な感じですが、砂時計と故郷を結べば懐かしい教室のイメージには浮かんできますね。終わりの~ここは、ここは~この繰り返しは少し手抜きに読めてくる。そしてもっと惜しいと思うのがタイトル「天の國」この詩は手を加えることで二段階は光る、と思われて残念な気がします。 (天の國)

2024-04-29

アイロニカルなタイトルが面白いな、と思うのだけれど、~逃げてください~あなたは生き抜いてください~なんて少しオーバーランしちゃってますね。例えばこれから投稿しようしている人物か筆記道具を古い(老人(私?)に見立ててみるとか、おなじアイロニーを突くのならばもう少し中身を捻り出しては如何かな、と思った。思いつきの面白い一言で詩が成し得るのならばこれほど楽なことはないのでしょう。などと言うてみたい。 (これより新しい投稿はありません。)

2024-04-29

おまるたろうさん、コメントありがとうございます。 なんでも始めが肝心。少女はハートマークかイチゴ柄。ご婦人ならば絹絹地に黒かベージュ色。勝負は時の運なりと。 (茶封筒の中身)

2024-04-28

わたしとあなたではみている世界が違う。グローバリゼーションを提唱すれば必ず反対の意見もある。政策を掲げれば右寄りの保守か左のリベラルかで単純に物事を決めつけたがる人々は、仮想の敵を作り出しては慰撫と心を燃やす。 みている世界が違う。 例えばマルチバース理論にしてもメタバースにしても真実をみている人は誰も存在しない。現実なんて誰が眺めみても同じ現象には違いない。思考する世界観が異なるだけですわ。 (雨と桜)

2024-04-23

いちいち名前を挙げてディスってんのは(おまる)さん))あんただよ、何言ってんの。文句あんの?やる気?  笑 まあ抑えて抑えて一休さん。 (雨と桜)

2024-04-22

批評も技術。技巧を目的に書かれた詩ならば技術的な読み解釈は必要になる。それは当然ですよ。そんな詩が面白いですか? それでもいいという人ならそれでもいいだけの話しで、あなた、絵画を例えに出して言いますよ。ピカソやミロの絵が技術だけで解釈できますか?好くないと思われる人にはできるかも知れない。優れた詩とて同じくですよ。先ずはイメージ(感受)されないことにはどうしよもないのが芸術性でしょう?違いますか? (雨と桜)

2024-04-22

ちんちんの考察があるのだからおま●こ(書けねえや)の考察があっても言い訳だけど、考察までは到達していないのでちんちん考察に対する受け入れの準備段階。返答のようなものでしょうか。文字形式などもよく考えられていて、僕は逆に知性を感じてしまってちょっと抵抗感がありますね。 (わたしたちの攻撃)

2024-04-22

「断定」浅かろうが、深すぎだろうが、個人的な読みによる批評とは敢えて断定的にもならなければその目的も見失うわけですよ。誤読は作者も了解済みで、いくら近づいたとは云えても真意なんて他人には計り知れないのですからね。 (雨と桜)

2024-04-22

罪と罰/生と死/そして天国と地獄/置かれた境遇から自らの死生観を敢えて客観的かつ冷静に語る人物によって、物語る場面は現実と非現実が交錯するように敢えて時間というイメージの枠から外れるわけです。現実に生命とは誰かによって生かされているという存在であり、死もまた誰かの生を繋ぎとめるという矛盾した目的がある。では運命とは一体何なんだ。という死生観がこの作品のテーマでしょうね。ドイツ人の美術評論家フランツ.ローの展示作品から借用すれば「冷静に現実を表現することによって現れる非現実」ということになるのでしょうか。この作品もそのようなマジックリアリズムの手法でイメージに置かれているわけです。 (Mサイズ)

2024-04-22

まさに夢の記憶の裏返しでしょうか。一連は早朝冬の霧。靄のようなものでしょう。破調に置かれた文節で入るとは勇気がありますね。これはよほど文章力に自信がないとなかなか出だしから入ってはいけない。フエザープレーンとタイトルにありますが、詩全体を覆うのは浮かべるその空気感でしょうね。記憶を靄のように霞め、あるいは紗のように薄く遮断して眺め、夢みる如くの浮遊でみつめている。そのような表現を試みておられるのでしょうね。  余談になりますが、その昔浅井さんとう、このような文章で綴るお方のことをちょっと思い出しました。 (feather plain)

2024-04-21

オレンジとかレモンという果物はよく比喩に用いられますが、この詩もタイトルが面白いですね。 オレンジの皮を剥いて口に運ばれるときの飛沫と爽やかに弾ける香り。記憶と合い重なればその感覚を呼び起こすのにもこれだけの文量にもなる。という言葉たち。 甘酸っぱさが辺りに漂ってくるようで、よく表現できていると思います。 (オレンジの波打ち際)

2024-04-21

多分に言葉遊びの感覚が強いと思われるのですが、前に置かれた副題が面白いですね。 余計な景色に流されてきた記憶のくり返しから終わりは~ヤバい、わたし。ですか、通常の毎日を客観的かつ否定的に眺め観る。そうなれば、ちょっと待てよ、このルーティンはヤバい、わたし、ということでしょうか、自虐ネタに置き換えて遊んでみた。ということでしょう。余計なかつての記憶がほつほつ~とか~つうつう~とか、くり返される言葉の余韻も独特ですね。 日常の景色からわたしの気配に置き換え言葉でいじけてみせた。ということでしょうか。 (ルーティン)

2024-04-21

米国人の文化人類学者R.ベネディクトが書いた「菊と刀」題名だけなら誰しもが聞いたことはあるでしょう。日本人の気質をこの二文字に表現している。「雨と桜」このタイトルも同じようなことが云えますね。雨が降れば早々と散る桜。いまだに、この自然現象に我々日本人は精神性とを結びつけて命の儚さに喩えて眺めみるわけです。なのでこの詩はそのことに対しての否定ではなく皮肉として捉えている。つまりアイロニカルを表現しているわけですよ。 (雨と桜)

2024-04-20

なによりもタイトルがいい。これは人生で相当苦労してらっせいらっしゃるからこそ出てくる警鐘でしょう。最近では下を向いて歩いても躓きすが、、 (上を向いて歩くな、つまづくぞ)

2024-04-17

同意しかねる。人生は一度きりなのだから。もちろん否定いたしませんよ。価値観の相違はどうしようもないですからね。わたしは真実味を帯びたドキュメンタリーの番組も大好きでよく観ています。それから素晴らしい技術と労力を駆使させて写真そっくりに描かれる写実絵画も。これらには絵画掛け値なしにレートに沿った一定の価値観は与えられるべきで、名前や人気だけで途方もない額の値札がつくわけのわからない現代作家の抽象絵画よりは誠実な評価だと言えるでしょう。値札というもモノの価値観だけで考えればですが。  ~現実から逸脱した空想の世界に僕は興味ない。しかし真に現実から逸脱した空想の世界なんてあるのでしょうか? あなたもおっしゃている究極の現実主義シュールレアリスム。それを書き上げるのは現実に生きている人間ですよ。まやかしものでない現実から逸脱した世界なんてわたしは見たこともない。それは死後の世界でしょうか、例えば幽霊でしょうか。未知の生物宇宙人でしょうか。それらを作り出しているのも我々人間の思考からですね。究極の現実主義なんて定義できるのはそのような未知の体験を経験して始めて言える言葉でしょう。人間一度きりの人生物語を読むのにも興味はありますが、あたまの中では絶えず人物像も変化していきます。昨日は昨日今日は今日と。なので空想とは面白い。わたしは予めレートに乗った想像で物事を図りたくはないのです。 (孤独な口づけ)

2024-04-17

サデイストムやKKKが読めば誤読して麻痺しそうなくらい沸点があがりそうな解釈で、、もないか。いま丁度「シュルレアリスムへの旅」野村喜和夫を読み始めていて、改めてその限界を、また発展があれば探ってみたいと思ってる。 (思う)

2024-04-15

廃墟と瓦礫の中に咲く花だけで、語り手が泣くのはわかるのだけれど、読み手のわたしはそれだけでは何かとイメージできないので、泣くにも泣けなかったのです。 。 (春は来たる)

2024-04-14

詩情を考えれば冒頭の三行が佳いので短詩としての解釈にも拡がりあり、文句の付けようもなく上手くまとまっています。惜しむらくは意味付けの拡がりはあってもイメージ的には少し乏しくて、まとまりがあるというのにも欲深い読み手にはもの足らない気も残るものです。~笑って、別れる~の辺りでしょうか。次の終わりの連には大海が出てくるので、空が笑ってもいいのではないかと。昨日のこぼれ落ちた涙が晴れた空の瞳から乾いてくるのです。と勝手にイメージを付け加えたくなるのはまったくの個人的な見解で、失礼いたします。 (明日が来る)

2024-04-13

混浴温泉があるくらいなんだから全裸ビーチがあってもいいじゃないかと思う。でも日本人女性の気質を考えたら到底期待はできない。 柏木由紀ちゃんが何故AKBで頑張っているのか。枕を抱えていないことを期待する。 (真理告白)

2024-04-13

面白いな。 君も僕も、馬鹿は死ななきゃ治らない!ってことでしょう? 大将  (なお白痴)

2024-04-12

電車を待つ夜のプラットフォーム。上り下りとすれ違っていく線路の、通勤電車の音と光だけが眩しく交錯する。人々は下を向き無言で携帯と交流している。つり革を持つ彼女たちも、私と同じように仕事を終えて帰宅するのだ。こんなことが日々くり返されていく日常。並行して奔る光の中で、彼女は携帯を手に立ち尽くしている。私はそれを見つめながら、今日という一日を平行に思い返している。朝早くから電車に揺られ、昼間忙しく仕事にも追われ、夕にはまたこうして電車に揺られて帰っていく、彼女たち。どんな思いで毎日を通勤電車に明け暮れているのだろうか。ひょっとしてそれはわたしと同じような思いでもあるのだろうか。答えは携帯の、画面の中にもあるのだろうか。 そう見つめながら、こちらを意識しない相手の想像は尽きません。混み合うにぎやかなプラットフォームから、ひとたび電車内に移ればそこは孤独な空間です。通勤電車で通うサラリーマンはみんな同じような思いでしょう。縦横無尽に輝く鉄道の雑多な電車内の中では、誰しもが垂直に閉ざされた時間という空間の中で孤独を装っているのです。  僕なんかは逆に深夜のほとんど誰も居ないプラットフォームや電車内でよく考えますね。明日も変わらない一日が待っているのだ、と。   田舎では考えにくい状況だと思うので、たぶん都会の駅構内にみられる忙しない通勤電車の光景でしょうね。  誰しもが胸に秘めている孤独感。 /錯綜するようにその瞬間の光景を見事に閉じ込めていると思いました。言葉を使った詩という表現の中で… … (コミュート)

2024-04-12

これがフィクションだかノンだかわかりませんが、よく書けていますね。ちょっとしたドラマの短編にはなるかもしれない。しかしこのような物語は飽きるほどあるでしょう。孤独感に疲れる詩人は本当の詩人ではないと思います。それは仲間を求めている。愛を他者に求めているからであります。詩人の身のまわりはすべて孤独に満ちあふれていて、それを愛の喜びとして嗜んでいるのです。シュールリアリズムに関していえば、意識して現実にその世界観を閉じ込めている限りにおいてはそのとおりだとも思われてきます。シュールリアリズムの本当の良さは現実なんて意識しないところから降りてこないとまったくの摩耶瑕疵(まやかし、誤魔化し)に終わってしまいますね。流れのタイミングと繊細な美意識も要求される優美で摩訶不思議な手法です。だいたいこの世の中のすべてにおいて摩耶瑕疵(まやかし)ではないものなんてあるのでしょうか?僕は懐疑的です。自分の死することでさえ懐疑的です。現実は乗り越えられない。だから僕はシュールにものを考えて生きたい。そして詩も。エモーショナルであってもキモには陥りたくはない。空想の世界では現実に負けたくないのです。  よく書けていると思います。が、タイトルはそのまま歌詞のタイトルのように思えて、少し工夫されてみては、とも思いました。 (孤独な口づけ)

2024-04-11

これを読むとぼくのアスカちゃん(フィギュア)にお猿のジョージがほしくなりました。小さなお猿さんのフィギュアです。子供還りに癒しの世界なのです。 (猿たち)

2024-04-11

ミカエル先輩~懐かしさを込めて言ってもらえるのは嬉しいのだが、吸収さん。誰?ひょっとして三浦くんでしょう?たぶん。  まあ、でもね連詩もいいけどこのようなお題目付けはもうちょっと考えてほしいのよ。例えば「サザエさん」なんて出されるよりも「サザエさんの日常」という風に主体の範囲をある程度持たせてほしいわけで、そのほうがイメージ的にも書きやすいわけです。他サイトに道場破り的な云々はどうかな。詩を競合させて何の意味があるのだろうか、と思う。個人的に載せたい投稿してみたい人はどんどん挑戦すればいいし、こちらBレビに投稿して他サイトにも投稿するのは有り?なんでしょ。向こう側の規約(他サイト)はよくわからないけどね。 (B-REVIEW 4月のお題詩「エイプリルフール」「スタート」 )

2024-04-10

まさに挑戦的な岡本太郎の芸術論を地で行くようなコンセプトが垣間見れてほとんどわからない。駄作です。駄作ですが、一言付け加えさせていただけばお見事な駄作です。 よくわからない。難解だ。という作品には何通りかのパターンがあって、一つは作者には理解できてるが君たちにわかるかな?という主旨と、もう一つは作者には理解できてるがそれが何なのかよくわからないというパターンで、前者などは読んでいくと必ずその趣向の手垢がいやらしくみえてくるものです。どちらかといえばこの作品は後者に当て嵌まるのではないかと。イメージされるのは会場ゲームに椅子取りゲームという、二種類の何やらにぎやかな音が飛び交うの宴会場ですね。読んでいけば皮肉に満ちた宴会のゲームです。この椅子取りゲームと会場ゲームをどのように受けとめるかで読み手の印象はずいぶんと変化します。野望を孕んだ権力闘争のゲームでしょうか?~文字奴隷~虫たち~。交錯するような虫たちとは語彙のことでしょうか。これは明らかに文芸を意図されて言い回されているようにみえてきます。終わりには無垢で純粋な子供が出てくる。そのことでこの主人公はやっと気づくわけですね。AOIさんがいいことをおっしゃっている。逆走に~と。つまり語り手である主人公(主体)は、わたしが取り上げたこの作品の主旨(意図)に最初に戻るわけです。「上手くあってはならない。きれいであってはならない。心地よくあってはならない。理解されたり、喜ばそうと思うな。認められない事を前提に自分をつき出せ~」イマジネーションによって宇宙と遊ぶのだ。 そう理解されたなら何度読むのにも耐えうる。 熊倉ミハイさんはたぶんまだお若い方でしょうが、より上を目指して覚悟を決めておられる様子で先が楽しみですね。  挑戦的でお見事な駄作です。 (椅子取りゲーム会場ゲーム)

2024-04-10

マードック先生というのは1989年日本に招かれて第1高等中学で教鞭をとったジェームス.マードックのことだろう。その教え子には夏目漱石もいる。サザエさんは漫画の主人公でジョッキ川?ビア-のジョッキのことか諸々はどーででもいい自動書記(風味)に置かれている。 前衛芸術家の岡本太郎は「うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」と宣言した。芸術は呪術だ。「理解されたり、喜ばそうなんて思うな。むしろ認められない事を前提にして自分をつき出せ。」「イマジネーションによって宇宙と遊ぶのだ」とも言っている。地動説も調べてみればコペルニクス以前にも古代ギリシャでは唱えていた人間(アリスタルコス)もいたりして。川であろうが海であろうが山や空であろうが、生きものという生存本能者が長い年月をかけて地球に存在していたことには違いない。ああ、それが何になろうか。以前にもコメントしましたが、たとえ何をどのように書かれようとも感動が興らない限りは閃きも湧き上がらない。しかし作者のコンセプトは絶対に護られるべきで、このことは命をかけても保証し尊重いたします。 (川は地動説)

2024-04-09

先ずはタイトルがいいですね。専門的な知識を含ませる用語で、内容とは遠くてそれでいて五感的には近くも感じる。この句読点の形を打つ● これくらいの分量になるとこれも面白い趣向です。〇文字を空白にすると●それは銀河の中に引き寄せられる●〇星星の集まり。句読点なんかより正解かも知れないですね。 (MILK/THE WHITE ALBUM。 ──乳用牛ホルスタイン種の弛まざる品種改良に寄せて)

2024-04-07

そうですね。御久方ぶりです。 いや私も最初は馬鹿にしてたんですよ。こんな不安定な時節に、またなんでちんちん考察なのかよ、と…。でも読んでいくうちにこりゃ凄いな…と。序文のような冒頭から終わりはユーモアまで交えてその言葉分量から分類に至るまで相当の労力を注ぎ込んだ快作ですね。もっとも本人にしてみれば考えもしないでさらさらと書いた。とかおっしゃるかもしれないが、いえいえ構成なんかもよく考えられてますね。序でに私も一応語源を調べてみましたよ。古代サンスクリット語で仏教伝来とともにやって来た言葉「魔羅/摩羅」から「ちんちん」あるいは「ちんこ」に至るまでの経緯を。江戸時代の文献には表れるようですが、どうやら小さいという幼児語からきているのか、やはり諸説ありすぎてはっきりとは言えないらしい。魔羅とは因みにサンスクリット語ではマーラこれは魔神を意味する邪悪なもの(笑)で「ちんこ」の他にはおちんこおちんちんちんぽちんぽうちんぽこと、方言によっても使い分けられていたり、また地域によっては女性器を呼称したりと「隠語」で発展してきただけに少しづつ違いがある。まあ基本的には「ちんこ」でしょうね。笑。どなたか知らないが、兎にも角にも、このおちんちんがRAIN///雨の如くにちょびちょびからザアザアとリズミカルに降り止まないですね。鬼気迫る迫力の作品には私も圧倒されましたよ。 長さだけじゃなく、内容的にも田中宏輔さんの日記にも勝る勢いを感じた次第であります。大賞受賞の栄誉を授けてもよろしいのでは、と本気で思います。多少なりにも笑をつけて。では。 (超絶絶唱絶句樂)

2024-04-07

「エイプリルフールは何故嘘つきなのか」「スタートをきるまえに」 …お題目を出して創作を促すときにはせめて「私」という主体の動揺をはっきり認識させるべきである。そうでないと想像の枠は限りなく拡がり結果的には技術のみを競う目的に陥ってしまうと思う。私などは相手の詩から想像が浮かび上がりインスピレーションをかき立てられてコメントで返詩を書いたりします。 同じようにお題という枠の内から創作するにしても、そこには主体(私あるいは事象)という目的から連想から発せられるものでないと感動とは程遠いものになってしまうと思う。 一枚の写真を眺め見てこれから句を創作してください。という番組がある。これなども本来の俳句の目的からは外れた技術のみを競うあるいは養う目的に置かれていて、その時の生の感動を短くまとめられた言葉で表現する。という目的から考えてみればナンセンスなのである。 詩も生きた技術でなければならない。膨大な行数になるこれを散文で表現しよう。などとは誰も思わない。生きた技術とは、どのような目的で書かれた詩であれ、そこには魂の片鱗が伺える詩情を帯びていなければならず、投手の投げる球ならば気合いを伴わなければならない。 お題目を取り上げて創作を促す催しは多い。しかし我々書き手は在るモノをそのまま写し取る画学生ではないのだ。 そのことも念頭にいれてお題目は取り上げられるべきだとも思う。 (B-REVIEW 4月のお題詩「エイプリルフール」「スタート」 )

2024-04-07

自然観から壮大な宇宙観へ。そして死生観までと至るこのちんちんの考察は実に手間をかけた労作で、もちろんお見事に秀逸な作品に仕上がっています。まあ、長くて読みづらいのだが文句の付けようもない。付ける余裕もない。このちんちんあるいはチンチン。金属的な響きですよね。音の表現としても。トライアングル。また仏事で使う鈴もそういえばちんち~ん。通常二回鳴らします。句読点のリズミカルな動きが忙しなくて、しかし流れるところはちゃんと流している。その考えられた技術もお見事だと思う。読んでいて坂本龍一のRAIN(シネマ)ラストエンペラー)を聴きながら読んでる感覚に陥ってしまう。明確な音ちんちん。これがなぜおちんちん(ペニス)男性器の愛称になったのかは知りませんが確かに考えてみれば不可思議な表現ですね。  語られる言葉の数だけでも膨大ですが、この切り絵(または病的な吃音とも)のように多投多様される句読点の作者像は以前にも見覚えがあって(いかいか氏)懐かしくも感じました。 現代詩人大賞を贈呈します。笑 (ちんちん考)

2024-04-07

花曇りと圍。ちょうど今頃からの季節と旧字体の囲いですね。曇天の日には墓参りを。って言ってみても辺りを見渡せば気分も暗く落ちこむばかりで、これが前方後円墳や遺跡ならばこんなに狭い国で未だに圍設けてどーすんの。って反発しても歴史は徐々に埋もれて行くのですね。時間とともに。 「HABIT」sekai no owari (fukase)ヒットした楽曲だからご存じでしょうが、なんとなく似てる印象を受けますね。分類から圍へ。どちらも閉ざされた社会から脱げ出せない不満/焦り/喪失/そして微かな願望。これらを覆う精神は心を疾走へと向かわせる。そんなメッセージに読めてきます。 (花曇と圍)

2024-04-05

※ごめん。atsuchan69さんのsとuを間違えました。よくやるんだコレ(恥) (わたしについて)

2024-04-04

そうですね。自然を喩に内面との葛藤そして希求願望。総じてatuschan69さんの意見と重なるのですが、全文ひらがな書きの詩です。ひらがな書きというのはやわらかくゆったりと詠ませる反面、言葉には多義的な解釈が加わってしまうのでイメージには結びつきにくいという欠点もあります。ここではそのような難解な熟語使いも避けられています。ひらがな書きの詩は体言止メなどの扱いにも効果的ですよね。~よわいものたちがたたかいをしかける~わたしをみるなといいたい~あめがあがればあなたもきえる~そして終わりに続く、かなたはあまい、かなたのかなたはまだみえない。これらがキーワードになってわたしの願望、希求する聲も閉じられていきます。よわいものたちが~あなたもきえる~。いったい何を指しているのでしょうか。この詩の目的が詩全体を覆う喩で占められていると思います。なのでよわいものたちも、あなたも、すべてわたしの内面の事として比喩に置き換えられている。終わり、そのわたしを納得させるように~かなた(未来)はあまい、しかし、かなたのかなた(展望)はまだみえない。と語り手を通して自らに言い聞かせているのです。 (わたしについて)

2024-04-04

リアクション芸人の出川哲朗が突撃取材で周囲の客たちを笑わそうとカウンターに立ち上がればそこのお店はマジでヤバい店だった。 ➰一人豆鉄砲を喰らった表情で立ちつくしてしまう裸の出川哲朗でありました。という感想です。 (無法者 〜妹の足蹴りが顔面に直撃したお兄ちゃんの笑顔は目だけが本気(マジ)だった)

2024-04-04

待合室に座る病院の待ち時間というのは長くて、しかも自分の目の前を通り過ぎるのは知らない患者やその家族、そして忙しく動き廻る医師や看護師たちです。   「針園」というのはおもしろい喩えのタイトルですね。ユニークです。そうですね。点滴であれ注射であれ、病院にも患者にも管のある針というのは治療には欠かせないアイテムです。冷たい金属の針。病院というのもある意味感情の抜け落ちた冷たい場所です。それは医師や看護師たちがそのように教育されているからでしょう。毎日を死と向き合わなければならない。いちいち一人一人の患者に対して感情移入することはできないのです。そう考えればしんどい仕事でもある。父親に対しての介護らしき場面も書き置かれてあるので語り手はかなり精神的にも疲れている様子です。肉親の介護に疲れてくると若干認知症のようになり集中力も記憶力も低下します。そのような状態がシュールな妄想として前半部分に描かれている。わたしにも経験があるので少しは理解できる気持ちにもなります。薬剤を注入しあるいは血液を吸い取る管のある針。そして同じく管から養分を吸い取る植物の根。よく似た関係性にあります。高齢化社会の真っ只中。我が家の庭にも病院の庭にも針園で溢れてきます。 現実の錯綜した状態と客観的な未来の行く末が混交し、社会的な世界観も感じる妙味のある作品に仕上がっていると思います。 (針園(はりぞの))

2024-04-04

おもしろいな。まったく読めない。chapter5? なんかカードキャプターさくらを思い浮かべてしまいますよ。 ゲームかなんかが下地にあるのかな、んて。 (詩人X Chapter5)

2024-04-02

僕としては詩の形式にはこだわりもなく、相変わらず惚れ惚れする書きっぷりだと思うのですが、逆にこのような日記形式で綴る長い詩をどう受けとめるのか、否定的な立場から眺める人の意見が知りたいと思うのです。 (詩の日めくり 二〇二二年十一月一日─三十一日)

2024-04-02

先ほど足立区立足立小学校の4年生を前に真美子先生がこの詩を朗読しました。~はい、これはおまるたろうさんと言って濱田くんのお父さんがBレビューという投稿サイトに掲載された詩で~す。皆さんわかりましたか? は~い。なに?紗栄ちゃん。先生!わたしも昨日フルーチェふるふるして食べました。    はい! はい、濱田くん! 先生、僕のお父さんは風呂上りにちんこをふるふるふるふるして歩くので家族のみんなで豆まきしていま~す。お庭わ~そと。オニ~わウチ。 (ふるふる)

2024-04-02

喘鳴。ちょっと普段小目にかからないような言葉遣いは、難しい漢字のお名前からして文字の扱いには長けたお方でしょう。「胎内」羊水。小姓という古い言葉遣いも奇妙ですね。胎内が洞窟をイメージさせられたり不気味です。~だって君がそこにいたからむかえにいきたかった~まるで地縛霊にでも話しかけている様子。それが終わりの~子供の頃の部屋~で一気に現実へと引き戻されてしまう。いったいこの語り手は何者なのでしょうか。唄う唄う唄う~ファンク(笑)のような子守唄でしょうか?奇妙で不気味な印象を持つの詩です。 小姓などという小僧を指す古い言葉遣いからしても何かしら因果性を感じてきます。終わりの接吻などは現在形でみた父親のことでしょうか。暗喩を伴うので解釈はそれぞれに感じるのでしょうね。わたしはこの語り手を生を省みることもなかった水子が、それを客観的な小姓として自分に語らせている。という具合に少し複雑に読んでみましたが、 (胎内)

2024-03-31

これは夢をみる客観的な操作としては失敗でしょうね。無意識下にみる夢にも具体的な事物が現れるならば現実を超えた物語としては成立するはずなのです。これがカンデンスキーやミロなどの色や線による瞬間的な動作ならば、構図という型枠「キャンバス」を意識した意識下での無意識の客観的な操作ということになるのでしょうが、ダリやマグリットあるいはキリコにみられるようなデペイズマンは具体的な事物が現れてこそ起ち興るものが超現実として意識されるわけで、このように言葉だけがひとり歩きしていくのならば我々読み手には何ら影響も与えないと思います。 (土曜日の昼)

2024-03-31

技巧的な解釈にあたまを捻らせて唸る方が多いのも、この作りの根底にあるものが哲学だからでしょうね。つまり形而上学的な精神性と形而下的な物質主義(唯物論)などが時間という概念のもとで言葉の舞台に沿って推し進められるからで、それは自然発生的に因果性とか実体とか合理主義とか理性とかが絡み合いメタフィジックな世界を背後に構築して読めてくるからで、それはギャグ漫画の頂点に君臨するやはり天才バカボンなのです。その中でひとり時間という概念に囚われない楓ちゃんは普遍的にも超越した存在感を有していると云える。まあ、難しいことを言っても始まらないですね。つまり根底には理性の背脂。哲学の精神が含まれているということでしょうか。 (楓)

2024-03-30

菜種梅雨。句に精通された方だな、というのもわかるのですが、今晩わ。New田中恭平さんお久しぶりです。選者としても頑張っておられますね。お世話かけてます。して、これですね、散文でしょう。前半部分句読点で(読点)で切りすぎて詠みの流れを止めてしまいますよ。もしも朗読されたら詠み手は悩むでしょうね。だから気になって内容まで入ってこない。短く切れるところはもうちょっと長くできるような工夫があればな、そんなふうに私は口を開いて黙読しましたよ。ええ。 (四月へ)

2024-03-30

これくらいの文量になると短い私小説としてさあっと眼を通してみましたが、よくわからないまま読み終えています。そのわからないというのが、書かれた、と云うよりも書かせたその動機ですね。 前半部分は独白調で彼女に対する思いが耽美的に表現されています。まるで触れてはならないヴイーナスでも扱うかの如くにですね。半ば部分から台詞を含めて彼女の姿が現れてくるわけですが、依然としてその印象を読み手が掴むことはない。~僕はまだ、彼女の何も知らないのだ~それは語り手自身が印象で彼女を表現して語るように、読み手の我々も語り手の印象に頼るしかないからです。美しい彼女への思いは、まるで語り手自身の心臓の鼓動を響かせるか如くに事細かく耽美的に誇張されて美を表現されていますが、ではいったいそれだけなのだろうかと。  後もうちょっと推敲してほしく思ったのが私などもよくやるくり返される接続詞ですね。~あたかも~この接続詞は他にも代わりはあります。扱いが多くて手癖に思えてやはり気になりました。 (ちょっぴり浮いた彫像のような、でもやっぱり完璧な彼女)

2024-03-30

「楓」楓ちゃんという女の子のタイトルが付けられた意味は知る由もないですし、この名前が内容と深く関係しているとも思えない。貧しくとも明るく元気で人々に奉仕する女の子楓ちゃんは、貧しい天使様でしょうか。  この名前をネットで検索すれば19年以上も前の出来事で、忘れていた悲しい事件にも遭遇したりします。語りの途中に挟まれるスラップスティックコメディ(ドタバタ喜劇)のようなギミックとしておもしろいですね。シネマ「地下鉄のザジ」古いですね。だけど面白い。あの主人公の女の子をちょっと思い浮かべたり、イメージ的な流れはつげ義春の「無能の人」を意識したり天才バカボンのハジメちゃんだったりと様々に思い浮かべることができるのですが、普通に考えればこのような貧しい家庭に育てば暗くいじけて育ってしまう。なので終わりに書かれている世界観を読んでも、この楓ちゃんという女の子の正体は、人類への友愛または博愛の精神へと絆でつながる美徳のある何かに喩えられているのでしょう。 (楓)

2024-03-28

詩人 佐々木春様 わたしは奇跡をみているのでしょうか? わたしの長年の努力は何を……まあ、何かご理由があって秘匿されておられるのだろうから、(とこう言えばまた打ち消されるのでしょう)追及は致しません。笑 追々わかると思います。では度々と失礼を致しました。 (クロール)

2024-03-27

返信の最後に(笑)この笑と付けられるのが、いっそうあなたの詩歴を不可解な気分にさせられますね。笑。 で、また読んでみました。やはり椅子か箒にまたがる魔女の囁きですね、これは笑。 つまりこの浮遊する感覚は宙の上で歩き泳ぐ動作をしている。みつめるのは目印に示されたような道路だけで泳ぐための水はそこにない。しかも句点がいっさい用いられることなく最後まで着地させないことからもそのように伺えてきます。 脳内で見つめ思い画くシナプスたちの遊戯。これは現実の世界に対応しようとする渇望のようなものでしょうか? その選語や言葉使いにも左右上下と対称非対称に切り返すような仕草。技巧的にも巧みに工夫されていて、とても初心者の書き手だとは思えません。 もしもそうならばわたしはこのん十年という投稿または批評してきたことが無に期してしまう。おそらく詩に長年携わってきた方々も同じような感想を持たれるはずです。佐々木春さん、名前も知れた書き手の方でしょうね。そうでないとこの世界でわたしは狂ってしまう。笑。  と、まあべつに偽証罪を問うつもりもありませんし、笑、 そこはご自由なので、どうでもよろしいのですが、初心者という。このことをわたしだけはGunとしても受け付けません。笑。  …諄いようですので、このことについてのご返信はもうけっこうでございますよ。…真実が知りたい、    笑 (クロール)

2024-03-27

そうですか。信じられませんが、それならばこの詩なんか現代詩人会へ投稿されてみればいい。あちらはまた投稿詩のレベルも高く評価も選者によってマチマチですが、いいきっかけになるかも知れない。もちろんこれからもこちらで読ませてください。 (クロール)

2024-03-27

~しんだばーさんがいってたっけ~ ここだけは漢字にしてほしいな。 ~死んだばあさんがいってたっけ~ここだけはね。 (遺灰)

2024-03-25

現代詩人会への投稿は既にされておられるのでしょうか?または違うお名前でどちらかの詩会に所属されておられますでしょうか。詩集などの出版物は? もしもそのような状況でないとしたなら、あなた様くらい力のある方なら著名な詩人のまたは関係者の方々からきっと推薦は得られるはずです。わたしは確信を持って言えます。埋もれているが惜しいと思います。 (クロール)

2024-03-25

あ!書き忘れてしまいましたが、思考に働くとはいえ、朗読される向きの作りですね。おもしろいと思います。 (言語三章)

2024-03-25

拝見しました。まあその一般的に言われている言語(言葉)というのも地球上の生物種と同じく進化し融合もし混乱をきたして絶滅したりもするわけですが、通常我々はその概念によって意味されるもの(シニフィエ)をイメージとして捉え、また言葉の表記という形(記号文字)で表し意味するもの(シニフィアン)として相手に伝えるわけです。既に慣れ親しんだ言語学的解釈に頼れば、です。一~二章などを読めばその言葉によって発生する意味解釈による捉え方の危うさを指摘されておられますね。 ちょっとよくわからないのが、その三章で、海や航海を例えに非言語的な次元に信を寄せる~とかの意味解釈ですね。これは一~二章で提示した事柄をではどうすれば解決できるのか、という問いかけでしょうか。例えば非言語的に~などという非言語そのものの概念がどこに位置するのか。言葉を表記する文字や記号の打ち消しなのか、それとも言葉によって発生する音声やイメージまでもを超越せしめたものなのか、非言語的次元に信を寄せるとはどういう、これもまた意味解釈を問うてしまうわけです。 (言語三章)

2024-03-25

お名前は、おまるたろうさん、ひらがな使いにユーモアを感じて、ぎりぎりセーフですね。どーでもいいですか?お金と名前は大事です。どーでもいい。そんなこと。 この詩は感覚的によく考えられてます。というのもひらがなを多用すればどうしても詠みに集中して逆にイメージ的にはぼやけてしまいます。つまりたち止まらせながらゆっくりと湧き起こる何かを想定して作られているのだと思います。それは霊魂ですね。辺りを彷徨う浮かばれない霊魂です。漢字にされれば簡単に流され一目瞭然と解釈できる内容をわざとたち遅らせることで怖さ(畏怖)は増幅しますね。宮崎駿アニメが下地にあるのでしょうか?わかりませんが、そういう意味では素通りできない作品に仕上がっていますね。 (遺灰)

2024-03-24

よくドラマで見かけるシチュエーションじゃけど、関西弁使いやからまたユーモラスに思えて文も海豹じゃない鮮やかで面白いっス。 話し変わるけどお名前の可笑しい方が多いですね。わたしのことは放っておいてください。獣だとかお尻だとかオマルだとか、べつに粗暴でもいやらしいことでも、書いたっていいじゃないすか。詩を投稿するという行為がもう自分丸出しなんだから、堂々と本名を名乗ればいい。いや、本名では嫌ですね。もう少し仮名を普通に面白く求めたら如何かしら。あまりにも度゜を超えた突拍子もないお名前はそれだけで損をすると思いますよ。コメントも手を抜きたくなってくる。良くないことですけどね。印象って大事ですから。 (八月十五日 天気はれ)

2024-03-24

わざわざ下地の解説をしていただき恐縮です。このことは私どもの知識不足ということで、納得いたしました。作者による補足説明という追記。べつに作品を貶めるものでもないと思っております。 (魚籠の家)

2024-03-24

訂正。~呼びたかった。ですね。…腱鞘炎で肩に力が入らないので、どうも打ち間違いが多くて、申し訳ないです。 (あの人)

2024-03-23

お父さんと呼べたかったあの人ですね。 お母さんと呼べなかった私自身がいて、それなりに胸をうちますよ。技巧的な装いとは程遠い素直な綴りです。べつに技巧的なものだけが詩として素晴らしいものでもなく、こうして素直な文章で辺りをみつめられて書き込まれていけば技巧的なものはいつか研磨されていきます。読んで読んで他人の批評も参考にして自分なりに感想を言葉で書き上げてください。近道はありません。そのことが階段を一歩づつ上がる上達への支えとなるでしょう。と、知ったかぶりに言わせてもらいました。拝礼。 (あの人)

2024-03-23

同一性と非同一性の統一ですか。環境省によれば関東地方の4割が遺伝的に同一のクローンであるというデータ。日本各地に分布する在来種もその9割が外来種との交配で生まれた雑種らしいですね。そういう意味では蒲公英を例に仕上げられたのは正解でしょう。 めちゃめちゃですね。自我崩壊、同一性、アイデンティティの危機感から湧き起こる自己嫌悪無力感そして未来展望の喪失感からくるものでしょうか。このことを非同一性と統一?結びつけるとなればそのことへの混乱は遺伝学的な優生学にも通じることなってしまいますね。つまりそれら交配によって生まれ出た価値を考えればそれが正しいことなのかそれとも非ずにと処理されるべきことなのか。めちゃめちゃですね。まさか、ゲシュタルト、いやゲシュタポ崇拝者でもあられませんように、、と。終わりは文言も崩壊しました。失礼を。 (同一性と非同一性の統一)

2024-03-23

涎とは面白い雨の表現解釈ですが、これはそのときの状況がみえてこないのが残念です。ボクらのごとき年齢時には私もそのような経験はあります。特大な歓びにもまた悲しみにも、雨に打たれてやる。呑まれてやるんだ。雨よ降れふれ、ってね。 確かに雨も適当降ってくれないと水不足にはなりますが、雨の日は憂鬱ですね。濡れてまで雨の日には出たくない。 合羽を着て2~3時間も外で立たされたことがありますか?人間も雨に飽きてくると怨めしく思えるのです。 (雨の垂涎)

2024-03-23

↑ おいおい、コメントが雑だとか吐き捨てる読み手がこれかよ。笑 ざっと二度くらい眼をとおしたのですが、この詩はまた感覚に働いてきますね。感覚というのが、ちょっと違う異界的な感覚で、通常の生活環境からは知覚できない感覚に働いてきます。 差し支えなければと、敢えてお尋ねしてみるのですが、答えられなくてもけっこうです。普段移動式車椅子か何かを使用されている書き手の方でしょうか。(不躾にそう感じただけですのでもちろん答えられなくてもけっこうです)。初心者だなんてとんでもない謙遜ですね。クロール。何がクロールをさせるのか。私は動きそのものに対する切望がそうさせると読んだのですが、仮にだとしても、上記のような姿を思い浮かべて読んでしまうと、胸が熱くなる。少し涙がこぼれそうになりました。また探りながら読んでみますが、まだ二度三度の読みです。明日になればこの感情も変わるかも知れない。ですが、泣きそうになってくる。素晴らしいです。 (クロール)

2024-03-22

「ワレ奇襲二成功セリ」来年で戦後八十年を迎えるのかな。このような書き手の方が一人くらい居てもいいと思うし、何人も居たのでは困るとも思う。 (保護)

2024-03-22

魚籠の家。魚籠と書いて(びく)と読む。竹で編んだ籠ならば主に川釣りに使うのでしょうが、不可思議なタイトルですよね。~次はみっつくわえてよっつ~ここのところの語呂が非常に気持ちよいですね。わからないのは魚籠と幽霊の関係ですが、本文、~土中の祖母へと~なので幽霊は霊のことを示唆しているのだと思われますが、幽霊の木~とはあまりいいイメージが湧かない。魚籠も幽霊も非常に強く印象には残ってしまうので取り留めてつなぐイメージは持ちづらいですね。タイトルは刺激的にも面白いとは思うのですから幽霊かな。幽霊の木。べつに幽霊でなくとも霊の付く言葉は在ると思うし、納得できなければ何々の霊、とご自身で造語させてみても面白いのでは? という印象を持ちました。 (魚籠の家)

2024-03-22

面白かった。制作された方の才能も感じますよ。画像に負けてない発声も詩もいいいい。で、他のも観たんだけど、音は打ち込みだから同じようなものなんですが、やはり音と画像が付くと詩は置いてカレル感はどうしても出てきますね。二人のコラボって難しいんだな。って改めて思う。 (「失敗実験」MV)

2024-03-20

能登で震災人たちはたいへんな辛苦をされていることでしょう。実際に崩れ落ちた我が家を目の当たりにすれば、例えば、例えば、例えば、このように動揺した言葉を発するかも知れません。~玄関を潜るとき~私は半分もわかれない。ちょっとした支離滅裂感もあり切迫感がありますね。これが創作だとすれば、表現の卓越した書き手の方でしょう。 (埃まみれのフローリング)

2024-03-20

打ち間違い誤字ですみません。べつに変な奇病持ちではないです。笑。 (遠い呼び声)

2024-03-20

いいのですが、三行や五行の詩、こちらではちょっと選評までには至らないと思われてきます。いいえ、選評付きというサイトの立場を考えてわたしが個人的にそう思うので、こちらでどう評価されるのかは知り得ません、 (凛)

2024-03-20

こんな気配も薄暗い世の中にあって、うむ、ここまで素直にむき出せない。ということでわたしは素直にポイントをあげたい。 (空)

2024-03-19

短詩の場合は、いやあ、単純に旨い(巧い)方ですね。切り分ける白菜を喩えに台所という現実的な空間を重ね合わせて自問自答と置き換えている。これは主体と客体の扱い方を理解されているという言葉使いの巧みさですが、あまりこのことばかりに頼ってほしくないという希望的観測も置いておきます。 (自答)

2024-03-19

寓話として絵本にでもなれば子供たちは喜びますね。童心。~べつに幼稚だからとタカビーに言ってるつもりもなく、書けないわたしもこんな新鮮な心でもう一度言葉を扱ってみたい。素直にそうさえもうのです。 (遠い呼び声)

2024-03-19

実際不眠症の夜尿症で最近はほとんど熟睡できない。しかも毎日顔見知りと諍いごとの夢ばかりみて、ホント困ってしまう私なのですが、心臓が眠るとき~!なんてそれは死んだときじゃないか。面白い発想ですね。発想の勝ち! (心臓の眠り)

2024-03-18

これはあなたの物語、です。というので主人公に書かれたつもりで読んだのだけれど、坊主が数珠で、オノマトペってあるのでエロスな僕も実感としてちょっと入っていけなかった。面白い作りですが、このオノマトペってやつは至る所で扱われていて、もう食傷気味ですよね。まあ、それはいいとしても坊主、これがちょっとエロスにはまり過ぎて逆に遠ざけてしまう。※まさかエロスとか解釈して気分を害したりはしないですよね。エロ、じゃなくてエロスなのです。お願いします。 (これはあなたの物語、です。)

2024-03-18

他人ごとにうんうん、と。確かにリズムよく書かれて、でもなんで「装飾」なんだろう。話者の意識は飄々としてるのに。他によいタイトルもあるような気もしますけれど、 (装飾)

2024-03-18

夏鳥。夏を象徴するような鳥たちも描かれ、四連など詠めば花鳥風月に、と想いを屏風に巡らせば、この作りはそれほど単純でもないですね。よれた和紙の、置き手紙を、そっと机に置く。紙、そして置き手紙。どうやら背景には身近にひろがる景色よりも内面的な心象風景がイメージに置かれているようです。夏を迎える旅立ちに想いを託すのか、それとも郷愁に奔らせる筆なのか、いずれにしても置かれてある言葉たちはよく練られ、深くて味わいのある作品だと思います。 (夏鳥)

2024-03-17

笑、ごめんなさいね。また勘違いだ。もう、タイトルは「メモ帳」でしたね。これならなんとなくわかるような。死が取り憑いた紙の洒落のようなものかな。死神。 (メモ帳)

2024-03-17

今晩わ。げんにび、ってどう読み取るんだろうね。幻日なんてのは自然現象でもあるらしいけどね。それにしても霊とか死神とか、怖そうな話しの筋が破綻されて、しっちゃかめっちゃかなんだけど、神秘的なイメージでも目論んでるのかな。雰囲気はわかりますけど、死神って見たことありますか?僕は何度も感じたことがありますよ。まあ、錯覚なんだけど、精神的に追い詰められている時ですね。昼でも夜でもずっと後ろから着いてくる車の中にも怖そうな顔した人間がもやもやと見えてきたりします。特真夜中夜なんかしょっちゅうですよ。昨日も配達中に朝日新聞が違う新聞に見えて、あら!困ったな、一枚どこに配ったのか、と散々走り回って気がつくと籠のなかにちゃんとある。傍から携帯を手にした黒い男が歩きながら通り過ぎては立ち止まり、死神か?狐に包まれた気分になり、ぞっと血の気が引きました。夜はそんな錯覚はしょっちゅうです。なんせ暗闇の時間なのです。 この詩はちょっと目的が中途半端に感じますね。不気味さを演出したいのか、それとも文章の破綻からい何かしらイメージを搾りだしたいのか。でも文字っていうのは不思議で、幽霊とか、悪魔だとか、死神だとか、言葉でそのまま書かれても読み手にはちっとも怖くはないのです。だからストーリーはある。 (メモ帳)

2024-03-17

~飛びます、飛びます、でしたね笑。それから言い忘れちゃって、お金、欲しくない人はいませんよね。いない。 でも、それ以上の欲は諦めています。普通に食べていければいいと、 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-15

佐々木春さん、コメントありがとうございます。~行く。ゆく。行きます。ゆきます。時代拝見。はやい話、歳の違いでしょうね。泣笑。ちょっと古い人間の習った教科書には~ゆきます。が多かった記憶があって、どうしてもそっち、やわらかそうなニュアンスによってしまいますが、コント55号(坂上二郎)のせいでもあります。イキます、イキます。笑 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-15

そうですか。やっぱり。そらたぶん嘘つきなはってんやおまへんか・あの書き方拵えを見てとても素人、あ、いや、初心者にはみえませんでよし。投稿、SNSの初心者いうことでしゃろな。たぶん。かなり書き込んではるお方かと、そうでないと困ります。ん十年投稿してきたわてはどないしましよ。もしもほんまに詩を書きはじめたばかりのお人なら、わて、詩を書くの辞めます。笑。いや、ほんまに。 どうも下手な関西訛で、すいま へん。失礼いたしました。 (終戦前夜)

2024-03-15

更に読んでみたのですが、初心者なんてとんでもないですね。これほどの作為を凝らした暗喩使いはできない。 「作為というのは別に読み手を欺こうという意味合いではありません」 戦場を模写した如くに彩りに置かれてあります。終戦前夜。作中のあなたが誰に向けられているのか、それ自体が仮想なのか。やはりお見事に装飾を超えた喩だと思いますよ。AOIさんは顔見知りなのかな?まったくわかりませんが、読む見る限り初心者だなんてとんでもない、ありえないと感じます。 (終戦前夜)

2024-03-15

はじめの引用文は小文字にするべきなのですが、タブレットではむずかしく?て、お見苦しさはご勘弁を。 (白い菊と薔薇の花びら)

2024-03-14

(詩の世界へ)

2024-03-14

拝見しました。なんか、元気がもらえるような詩で、純粋にやる気が出てきますね。 (詩の世界へ)

2024-03-14

すぅさん、はじめまして。タブレットが不調でお礼が遅れてしまいました。嬉しいコメントありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします。 (白い菊と薔薇の花びら)

2024-03-14

ミリタリー俺、ってぶっきらぼうにくっつけるのは面白いんだけど、考えてみればミリタリー哲でもミリタリー陽子でもいいわけで、空想話しに自動手記のような入れ子を混ぜて思いがけない方向に展開させてみよう。っていうのは書きたくなるるんだよね。わかりますが、これを詩として成功させるかどうかは人によってその評価の判断もマチマチだから非常に難しい。読めば合体していくロボットのイメージですが、その先を超えてイメージできないとどうしても判断は階段の途中で止まってしまう。単に面白い、というだけではこの作品に限らず皆そうだと思いますよ。 (ミリタリー俺)

2024-03-13

田代ひなのさん、コメントありがとうございます。はい、家族(母親)との忸怩たる想いを綴らせています。 (白い菊と薔薇の花びら)

2024-03-13

これは惜しいですね。少し不評のようですが、続きがあれば感動的なものに変わる素地はあると思う。語りはよくある動物やモノたちからみた視点の寓話パターンで、それが生きることなく絶命して生まれて出てしまったという赤子。堕胎という悲しい結末を迎えるお話しの作りです。僕は独身なので実感としては不足していますが、出産という儀式はとても神聖なものですが、しかし実際は母親の生み苦しむ姿だったり、胎内から血塗れで出てくる赤ちゃんの姿は惨状と紙一重の緊張感を有している。ここで終わらせたらもったいないですよ。哀しみを誘う後書きのように、日の目を見ることのなかった赤ちゃんの声を少し書き加えるべきでしょう。 (墮胎)

2024-03-13

笑、中田満帆氏コメントありがとう。うれしいよ。モダニズムの時代は終わったんですか? モダニズムに区切りを付けていいものか、僕にはわからないし、べつに動画じゃないんだから眼にも耳にもわるくてもかまわないと思ってる。やさしい音楽カルチャーが反乱してると思えばどぎついアニメーションや映画もある。目まぐるしいのは詩も同じ。とも僕には思えてくる。お金がほしい。つい本音が出てしまいます。いやあ、このことが言いたいために書いてる節もありますね。俗物なのは性分ですよ。笑。詩人と呼ばれるならば俗物俗人でもなければホントの美しさも描けない。と思ってる。 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-12

笑、ごめんなさいね。コックはそこ、だった。もうね、老眼なので、どこ?そこ、では大いに違う。笑。どこ?よりもそこ、のほうが前の~料理店は今、霧散した。からしてみれば意表を突かれて断然いい。まあ、中田氏の言うようにわたしも感じるけれど、それよりも~料理店は今、霧散した。って置かれてあるのをもうちょい大局的な見方から表現をひねり出してもいいようには感じますね。料理店が厳しいのはわかっているから。 (コック)

2024-03-12

是非と問われれば是を受け止める方なのでしょうね。「悲しみの 深さのなかに 真のよろこびがある」真宗教団連合。問えば悲しみと喜びを分けて考えておられるからだ。とお坊さんはおっしゃられました。では震災で悲しみのどん底にある人たちにどうして喜びを持て、というのか。いや、今書きながら思いました。喜びを探れ、ということなのかな。? 未だにはっきりとした答えをみつけられないままです。お久しぶりです。黒髪さん、こちらで少しお世話になろうかと書き込みしております。たぶん黒髪さんにはこの教団連合の教えが理解できるのでしょうね。お釈迦様の教えを要約したような文が出てくるので、信心に疑い深いわたしには手が負えなくなります。愛という言葉自体に重装備された衣を感じるからです。よく把握もできていないコメントですが、また次回作も拝見いたします。どうぞ宜しくお願いいたします。 (日月)

2024-03-12

きょこち(久遠恭子)さん、久遠恭子様。お返しありがとうございます。あなたのお名前もいいですね。実は売れる詩人の大半がその固有名詞仮名に出てくるのです。と勝手に思ってます。感覚でしょうか。詩のタイトルのように、その名前でずいぶんと損をされておられる方もいるようです。目立つばかりで実力が伴わないのも困りものですが、やはり見かけってうっちゃっては置けないものだと感じておれおれで、 、感覚的に何か掴んでいただいならそれだけで充分です。あまり褒めないでください。男性は褒められると逆に惚れてしまいます。いいえ、疑ってしまったりホニャララです。笑。どうぞ、どんどんケチで蹴散らせてもください。本音ならばそのほうが本人にとってはいい刺激になります。コメント感謝いたします。 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-12

熊倉ミハイさん、再度コメントありがとうございます。でも即興は難しいですよね。当たり外れが多くてたいていは外れたと自分でもがっかりしてしまうことが多い。Jazzのようなものですからね。即興の佳さは譜面にはない、そのイキイキとした言葉たちってことでしょうか。推敲を拒む、というのはホント難しい作用です。お互いにがんばりましょう。 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-12

こんにちわ。熊倉さん、熊倉ミハイさん、お名前が素敵ですね。ズルイ。それだけで注目されてしまう。最果タヒのように。すみません僻みとしてジョークに流してください。この詩は前四連まできっとコックはいる。~でもコックはいない。という希望的観測からはじまりやっぱり、というような否定感で終えていきます。そのあとの二連でまた希望的観測は復活し、どうしてこのような終え方をしたのかよくわからないのが~料理店は今霧散した。コックはどこ。などという問いを発しての仕舞い方ですね。まだ若かりし頃ほんの少しコックをしていた経験がありまして、今でこそ人気のある職業ですが、実は厨房の中を覗けば相当キツい仕事です。希望的観測から否定感へ、でもやっぱり最後は希望的観測が勝り諦観は払拭される。というのは童話にもよく見られるパターンですが、このように希望的観測を打ち消すような暗いお店の仕舞い方は、やはり想念よりもリアルな現実のほうを取ったからでしょうか。 (コック)

2024-03-12

何処かでお合いしたことがありません。お話ししました。こちらにも書き込みされておられるのですね。お久しぶりです。そうですね。バイトで雨降りが嫌いになりました。ホントホントに行く前から憂鬱でカエルのような気分にはなれません。濡れるのを拒めないからです。大雪でも台風でも進め!ですよ。年齢のせいもありますね。学生の頃はわざと飛び出して濡れていたのに……この詩は雨を蹴散らすように元気、もらえます。 (雨降りの憂鬱)

2024-03-12

あ、それから、冒頭部分乱れた母音の解釈。驚きました。ぐるりと遊んでいるのですが、おっしゃるとおりに近い気持ちがあったような気もします。批評は驚きと興奮、そして刺激と発奮。勉強になりました。 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-12

熊倉ミハイさん、こちらでは新人なのでコメントいただき嬉しいです。実は、童謡「丘を越えてゆこうよ」のタイトルと藤山一郎氏の「丘を越えて」が混同してしまいましてちんぷんかんぷんになりました。fには喩意付けもしてませんが、内容も含めて時代を越えて、とかナントカの気持ちで書きました。。言葉は寝かせて引っ張り出すこともありますが、ほとんどが即興ですので書いた後は自分でもよく覚えていません。ただイメージだけは浮かべていただいたようでよかったです。コメント感謝いたします。これからもびしばし批評してください。よろしくお願いいたします。 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-12

煙草と縁を断ち切らないお人だな。ん十年(35年は越えてるよ)吸い続けてきたわたしも何年か前にようやく断ち切れた。それは不味い薄い後味のない加熱にしましたよ。そのほうが絶対にいい。第一廻りにも迷惑をかけない。一度んヶ月間止めてあの臭いを嗅いでみればいい。肺が壊れるのがわかります。ということで感想は乾燥してしまいました。申し訳ないです。 (自由律俳句集成「冬から春へ」)

2024-03-12

うむ、思考的な印象がはまってる。七分間。それは短いのか長いのか。考えさせられる七分間ということで七という数の語呂もいいのです。 (七分間)

2024-03-11

ビー玉をのぞき込むだけでなつかしい記憶がよみがえる。終わり~夕焼け空が見えた。というのは童心の終わりを刹那と意識されているのです。もうちょいビー玉の動きが見えてきてもいいと思いましたね。手に取るとか転がるとか。しかしポエムとはこのようにして起ち上がるものだなあ、と改めて意識させられました。 (気晴らし遊戯)

2024-03-11

わたしの取り越し苦労ってやつですかね。笑。実際抽象画のような書もあるし読めない言葉たちは置いといても記号だけで書いたものは沢山ある。でももうちょい先でしょうね。あたまが変換に追いつくのは。記号だけで読めるようになる。憧れではありますけれど、 (Ⴑ௧?ㄝテ"௧ŋ?Ⴑ⨧)

2024-03-11

まだ書き始めて~そうなんですか?それにしは文の止め、切れ味が、まるで戦場に見送られた陸軍士官のように明確ですね。ベテランの方かと思ってしまう。 (終戦前夜)

2024-03-10

作者様にはお叱りを受けたのでもう一度読んでみましたが、ううん、ですね、自信がない。あ、それから~万年雪のところを勝手に万年筆と誤読してましたね。なのでわたしの煩悩はよけいにエロチックに奔らせてしまいました。言葉は揺れ動き気丈に流してみても文は掴み難いのですが、これは、ちょっと意識を変えて読まないと把握も難しいのかな、いや、終戦前夜というタイトルにも瞞されそうで、つまり何が言いたいのかと言えば、貴方に対する停戦/終戦宣言を持ちかけたいのかな、と、多分に作為(わるい意味ではないです)を凝らして詩自体(言葉)欺いてみたい。つまり試作という過程に於いてですね。わざと暗喩を拗らせて下手に見せかけているのか、それ故に読み取れるものならば読んでみてください。という挑戦的な試みにも受け取れてしまうのですが、自分と致しましても誤謬を感じる解釈なので、そこはお許しを願いたいのです。いずれに致しましてもこれほど解釈に困る作品も珍しく、その点は素晴らしいと思います。 (終戦前夜)

2024-03-10

あ!そうか。句調子よく置かれてあるのでこれは実際に牛たちの走る姿を詠んでおられるのですね。普段このような景色を見ることもないので想像してしまいました。笑。そう解釈すれば寒さが厳しい。寒冷地ならではの景色。よい描写を表現されました。 (牛煙)

2024-03-10

ああ、そうですね。至りませんでした。他意はないのです。ただ作者様の筆力が勝ちすぎて拙い私にはよく読めなかった。ということでご容赦くださいませ。 (終戦前夜)

2024-03-10

フワッと孤独な夜はおしゃべりを思う。フワッと~この浮きあがるような軽い夜の孤独を考えてみればこういう表現もあるのだな、と感心させられます。何故かといえば、物思いに耽る寂寥に孤独な夜の気圧は重い。薄暗い雲に覆われたように気分は沈みがちになるからです。それとは正反対にフワッとした軽さで夜の孤独を表現されようとしているのは、やはり子供たちのおしゃべり、動作を思い浮かべるからでしょうね。ポエムドファンタジア(造語です笑)特に中六連なんか装飾的に散りばめられて鼻につく、というのも七連の独白対比でちゃんと打ち消しておられるのは構成の魔力でお見事ですね。推敲が窺えます。三連~子供に帰る心よ。このことから話者は懐かしい子供時代をあたまの中で回想し言葉で体現させようとしています。そして何よりもフワッと~この軽さを動きとして捉えたチン、チン、カチン、のおはじき。これが効いていますね。孤独な夜に一人想う。愉しかった頃の思い出。よき参考になりました。 (フワッと孤独な夜は)

2024-03-10

AOIさん、フォローありがとうございます。そうですね。断定したわけでもないし、性的な表現ってよくないこととも思えない。むろんこの方は直接卑猥な表現をされているわけでもありません。こう読んでほしい。という作品の気持ちはあって当然ですが、あくまでも読み手側は自由であるべきで作者のほうから制約を付与されるのであれば作品は矮小化されてしまう。何故性的な扱い方を嫌われるのかよくわからないのですが、そのようにコメントを返されたら却って読みの範疇を狭めてしまいご自身が損をするのではないか。と思われて残念な気持ちもいたします。 (終戦前夜)

2024-03-10

韻を踏むようなリズミカルな作りがこの通俗的な語りをコケティッシュに抑えていて強調させないところがいいですね。タイトルは正常位だ。正常域でもないように話しの場面は展開と置かれている。これは最後連のベッドインからしてみれば動きの垣間見れる体位の想像にもつながって逆にエロチックなムードを演出させられます。タイトル、そして構成。見事に通俗的に弾けていて、快楽な作品ですね。こんな通俗的な詩はあってもいいし、刺激にもなります。 (正常位)

2024-03-10

笑。そうですね。断定とは自分でも思えないのですが、これは読み手側の品性の欠落でしょうか。わかりました。 (終戦前夜)

2024-03-10

仕事とは何だろう 為さなくては生活も成さないから仕事なのだろうか それよりも仕方ないから仕事なのだろうか 事始めに仕事をしてみよう それが片付けば一日の仕事は終える 一日は一日でもまた一日と続いていくのだ  わたしの為の仕事 あなたの為に仕事 世界中の人々の為の仕事 今日は天気もよいので芋虫たちが穴から這い出してきた 仕事とは一体何だろう (B-REVIEW 3月のお題詩「誕生日」「仕事」 )

2024-03-09

穴、そしてマンホール。耳を当てると~巨人は街の下に横たわっている。巨人とは一体何でしょうね。旧字体あり四字熟語もありと新人類には読むだけでも難儀です、笑。巨人の穴とは何でしょうね。不穏だ。マンホールとは都市の地下を巡るライフラインの源です。辿れば何処にでも通じてしかも中を覗き込めば暗く隔絶された一本の世界。地上から眺めるのも憚られる陰湿で不気味な空間です。しかし我々の生活に欠くことのできないこの塞がれた空間は、実は常に我々を監視し我々の生死さえも左右する力を持っているのです。ひょっとしてこの細く暗室に埋葬された空間世界こそが実は都市という巨大な空間を影のように操る。巨人なのではないかと、 (穴)

2024-03-09

「鎌首」うむむ、不気味で不穏だ。なんで侍ジャパン(オヤジバツ)武士の時代の斬首を浮かべるような慣用句の二文字をタイトルに置いたのか。しかも冒頭は首実験かこれは?幸せと辛さの部首/拾う。こんな冗談のようなことを言いながら実際戦争に出向く人間もいない。そこはさすがフィクションテーラーの大ベテランですね。学識を経ての後方支援だから戦場を行っても前線に送られる危険はほぼ無い。そのことを周囲からやっかんでみられるのも仕方ない。でもよく考えてみろよ。行き着く先は核戦争だぜ。そんな細かいことに策を練ってみても一発でゼンメツだあ!そんな不穏な動きはべつに戦争を意味しているだけじゃない。事実世界のあちらこちらで紛争は続いている。こんな世相状況をみて鎌首をもたげない人間は幸だ不幸なのだとは言ってられないあなた方の心理は今でも他人事で、我々はそれを風刺に物語るしか手立てはないのです。 (鎌首)

2024-03-09

酔いどれ~タイトルとは逆にこの語り手は冷静にみて取れるのです。だからか酔うという行為に対して幅広く客観的に捉えて読める。冒頭の~私よ。から終わりの~そこの誰かさん。このことからメッセージとしても受け取れるこの独白が語り手自身に向けられていることがわかるのだけれど、これが主張を超えて行き渡るのかは私には不明だ。 この作者はフォーラムにも投稿されておられるのかな?一気に読ませる行間の流れ移り変わりが微妙に揺れて半音階を挟むように調子よく読んでいて気持ちがいい。 (酔いどれは真実を吐くが誰も気にしない)

2024-03-09

労作だなあ。刺激的ですね。苦心の跡も窺える。切り取って壁に貼りたい。 (Ⴑ௧?ㄝテ"௧ŋ?Ⴑ⨧)

2024-03-09

終戦前夜。何の終戦だろう。と読めば意味深悦なその文筆力に笑ってしまう。何を目指すのか、それは勃起に滾る祝砲への合図なのか、それとも弱々しくも今尚滾る筆の力なのか、いずれにしても我々は未だ平和の地に埋葬さるる。 (終戦前夜)

2024-03-09

右手側から読むという、そして白い空白は綿なのか、過去いう遺物なのか、大人になってしまうという語録は大切なものを棄てたという回顧録でもあり、その純真無垢な埃との決別でもある。 右手側読みから広く開けられた空白。何かが浮かんでくる。みえないもの。なかなかなそれ以上に素敵なアイデアだと思う。 (大人になってしまったね)

2024-03-09

 走り出し    跳ね跳ぶ雪に 牛煙る            *思わぬ季節の悪戯に覆われた街の、通勤に先を急ぐ人々たちの吐き出す白い息と、足下から跳ね上がる小さな雪の欠片につれて、湧き上がる水蒸気の白い煙り、それはまるで時間という概念に飼い慣らされた飼育牛のように、我々の日常を嘲るではないか。 牛煙る。この衒いに満ちた奇想奇天烈な組み合わせは句調子におかれているからこそよりイキイキと生きて伝わることもできるのではないだろうか。雲だって牛になる。いい発想ですね。刺激的です。 (牛煙)

2024-03-08

思ってたより、東京は寒いです。このオチから作者は抒情を醸し出そうとしているのが読み取れてきますね。ならばならばです。冒頭、東京は、雪が降りました。の連弾、これほどくり返されれば、ひとつひとつアクセントを付けて読みたくもなりますね。そんな抒情を醸し出すためにも冒頭には雪国には見られない光景。例えば、混雑した通勤電車の中から吐き出される白い息とか、、普段には見られない東京の雪景色という驚きを強調するためにも、寒い地方とは温度差のある街景色をおかれて対比させてみるのもよい手段かも知れません。 (東京は、雪が降りました。)

2024-03-08

これはですね。消された会話は何故?という疑問符から入って二連の蝸牛の会話です。雨によって消されてしまったのか、ならばべつに会話の主が蝸牛でなくてもいいと思うのです。何故?という疑問符は読み手が感じることで、何の前ぶりも無しに話者からいきなり入ってこられるのは読み手に対してやさしくはない。その問いは二連との関係を位置づけて想像せよ。と言われてもあまりにも遠いのです。 (Nature)

2024-03-08

超現実性というのは言葉の意味が成すとおり現実を超えなければならない。それは夢の如き現れては瞑想のように消えていく。我々が遠い星の瞬きに思いを凝らすとき、遠い星も我々の姿を思い浮かべる。しかし何億年という光の距離は絶望的に遠いのだ。いま想う水の流れ、囁く空気の循環は過去を切り取り積み重なりそれが空想となる。惑星。その未知との出合いは光の鏡を通して眺める目の前の私でもあるのだ。 (プラネット)

2024-03-08

文字列の配置や拡がりのあるタイトルからしてセンスに溢れた書き手だと思う。おそらくメッセージ性を含んだ詩が主体になるのだろうけれど文力が窺えので読んでいて疲れない。 (中央線)

2024-03-07

詩人たちが日々苦悩格闘するのは言葉で扱うのは彗星の如くあたまの中を駆けめぐる文字列たち。漢字は光に遮られ、ひらがなは重力に押し戻されカタカタは塵になる。そして文脈は文体は引力と結びつくのだ。ああ、ぐるぐるとあたまを巡るこの発想が書き方によって頓挫していく。ってな感じでころころと変わる発想は面白いのですが、意味はなくとも先ずは書かれてある言葉たちが読めてしまう。というのもこの詩を系外に飛び出すことを阻んでいるようにも感じます。 (黄色い水曜日の彗星)

2024-03-07

元外交官で作家の佐藤優は月に300冊も本を読むという。どこまで本当かわからないですが、世界中には蔵書家はたくさんいます。私なんか月に一冊読めばいいほうですね。代わりに月に300時間は画面を眺めている。笑。好き嫌いがはっきりしてきて最近では買ってもすぐに投げ出してしまいます。いつも感心するのはこの詩に描く夢みる読書家。田中宏輔氏の読書に対する一途な思い、その姿勢です。 (詩の日めくり 二〇二二年十月一日─三十一日)

2024-03-07

過去から未来へ、そしていま。ここに描かれた空間の往復書簡は終わりの連段が佳いので白昼夢のような追想も読めてしまいますね。この辺りは作者の巧みさだ。 (四次元のリコ)

2024-03-07

(くじらの歌)

2024-03-07

よく題材として扱われる鯨の喩ですが、このように詩情を対として併走させられるのならば陳腐感もそぎ落とされるでしょう。 鯨たちの謳う周波数は何百キロも届くと言われています。二連、雲のあわいから垂れる雷は~泥の涙を謳う。この言葉たちから、安息日や二次応答の証左、そして地割れに吸い込まれる鼓動~を紡ぎ重ねて読んでみれば、その根底には争い事に対する憐憫さへの思い、謳が読み取れてきますね。鯨たちの哀しい叫び声は365平方キロ先「ガザ」の外へも届き響き渡るはずだ。 (くじらの歌)

2024-03-07

周りを見渡せば異性に対して受ける刺激的な要素のエロチズム。さも年長者目線の如くけしからんと発するこの言葉は語り手本人に向けられユーモラスでもある。リズミカルで面白いのだが、ひとつ姿見以外にけしからん要素が付け加えられなかったのは残念ですね。やはりナンセンスを伴うユーモラスな作りの作品には、何かしらのオチというものが入ってきてこそ詩としての役割は向上するものだと思う。 (けしからん)

2024-03-06

稜線

2024-05-01