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川は地動説
ジョッキ川に満たされて行く 牛や鴉の頭が 地動説を主張して居た マードック先生の介入で 説得力を増した 地動説がジョッキ川を 満たしていた 陽気なサザエさんが ジョッキ川の水を飲んで 確かめる これは地動説よ サザエとマードックのおかげで 川の信頼は増して ショッキングな子は減った 歯の落ちそうな子は減った 鉄騎兵は湯を啜って 頑張った 我々は宇宙人ではないから ワニとは戦わないし 川にワニは居ない 地動説がワニを駆逐したとも 考えられる 桜が散って行く川で 桜の花びらが落ちて 花筏がこれから流れて行く 我々は宇宙人ではないから 花筏を追わないし 花筏よりもゆっくり歩く
川は地動説 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 602.5
お気に入り数: 1
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2024-04-03
コメント日時 2024-05-31
項目 | 全期間(2024/12/13現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
川は昔はよく氾濫したと聞く。 だから、竜や蛇に例えられ、祀られたのだと。 どうしようもなく暴れまくり、人を困らせる川。 堤で整備され、氾濫は少なくなったとはいえ、大雨洪水で水かさが増せばいまだにヒヤヒヤさせる。 地動説でも宇宙人でもどうしようもない、とてつもない力を感じるのです。
1エイクピア様、こんばんは。 詩を拝見しました。 感想は私は無学故、マードック先生や鉄機兵等の意味をスマホで調べながら頑張って読んでみました。 歴史と科学と国語の授業を久しぶりに受けたかのような心境になりました。 太陽の周りを地球含めた天体が周る地動説。 川がそれであることを証明した詩なのでしょうか? パプリカという映画を思い出した摩訶不思議な詩を見せていただきありがとうございます。 すみません。今の私が理解できるのはここまでで拙い感想失礼しました。
1牛や鴉などの自然の生物、次にマードックといった知識のある科学者、そしてサザエさんという文化によって、我々の生活に地動説が定説だと浸透してきている流れがあると思いました。それぞれの関連性は見出だせませんが、どの物事も自然→科学→文化という流れで暴かれ私たちの社会に取り込まれていくでしょう。 それにより、ショッキングな子どもは減った、となりますが、完全に「いなくなった」とは書かれない。次行の、「歯の落ちそうな子」も減ったと書かれるが、これは永久歯に生え変わる子どもがいない→大人にならない子が増えていく、と考えると、地動説が社会に染みたことで何が起きたのかが分かる気がしてくる。 それは、もしかしたら地動説じゃないかもしれない、別の世界があるかもしれないという想像、飛躍。それは科学側からすれば「ショッキング」だ。しかし、誰もがその想像力を原動力にして新たな説を打ち出して、もしくは自分の中に筋を通し価値観を作り上げて大人になってきたのではないだろうか。 ワニや宇宙人など、生命の危機や未知なものを突き放すような終わり方をするこの詩の「我々」は、流れる花筏を追わない。花筏はこれからの未来の子どもたちの暗示ならば、川の先に何も危険なことはない、ということだろうか。 未来に何があるか分からない。ショッキングに、デンジャラスな未来に備えるための知力を身につけて、「宇宙人」に成らなければ。と肝に銘じさせてくれた、そんな詩でした。ありがとうございます。
1どことなくキリンジっぽい。そして、どことなく稲川方人っぽい。好き。
1マードック先生というのは1989年日本に招かれて第1高等中学で教鞭をとったジェームス.マードックのことだろう。その教え子には夏目漱石もいる。サザエさんは漫画の主人公でジョッキ川?ビア-のジョッキのことか諸々はどーででもいい自動書記(風味)に置かれている。 前衛芸術家の岡本太郎は「うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」と宣言した。芸術は呪術だ。「理解されたり、喜ばそうなんて思うな。むしろ認められない事を前提にして自分をつき出せ。」「イマジネーションによって宇宙と遊ぶのだ」とも言っている。地動説も調べてみればコペルニクス以前にも古代ギリシャでは唱えていた人間(アリスタルコス)もいたりして。川であろうが海であろうが山や空であろうが、生きものという生存本能者が長い年月をかけて地球に存在していたことには違いない。ああ、それが何になろうか。以前にもコメントしましたが、たとえ何をどのように書かれようとも感動が興らない限りは閃きも湧き上がらない。しかし作者のコンセプトは絶対に護られるべきで、このことは命をかけても保証し尊重いたします。
2秋乃 夕陽さんコメントを有難う御座います。そうですね、中国の黄河とか、伝説の皇帝とか出て来ますね。治水が上手い人が皇帝になるみたいな。木曾三川の工事とか。薩摩藩士。千本松原など。川はあらゆる意味で虚構化して居る。そんな思いを詩にしてみました。
1すぅさんコメントを有難う御座います。ああ、「パプリカ」。私もリアルな地動説の理解は弱いのかもしれません。地動説と言えばガリレオガリレイなのですが、少しでも、そのステレオタイプをほぐしたいと思って詩作した事だけは確かです。
0熊倉ミハイさんコメントを有難う御座います。そうですね「減った」と言う事ですね。いなくなったわけではない。乳歯、永久歯的な枠組みはあまり考えていませんでしたが、確かにそう言うニュアンスを持ってしまう。私は天動説地動説的な、地動説が正しいのでしょうが、どうしてもその枠組みでは非ユークリッド幾何学を想起して、もしかしたら地動説的ではない別の枠組みの世界があるのかもしれないと思ったりします。花筏は言いさしと言うか、全然追わなかったですね。ワニや宇宙人も言及がカジュアルだったのかもしれません。そして分からない未来と言う事がこの詩の主題ではないのですが、もしかしたら、そう言う印象は与えてしまったのかもしれません。
0おまるたろうさんコメントを有難う御座います。ああ、キリンジ、そして稲川方人。彼らの作品に触れることによって高まるポエジーもあると思います。そして自分の作品に対する理解も深まると思うので、彼らの作品に接してみようと思います。
0メルモsアラガイsさんコメントを有難う御座います。タイタニックの航海士のマードックも居ましたね。お雇い外国人のマードック氏はちょっと盲点でした。岡本太郎氏の宣言はシヴィアなものがあるのかもしれませんが、傾聴に値いすると思います。アリスタルコスは初めて知りました。詩作者のコンセプトが尊重されれば作者冥利に尽きるので嬉しいと思いました。
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