作品投稿掲示板 - B-REVIEW

熊倉ミハイ


投稿作品数: 13
総コメント数: 166
今月は11作品にコメントを付与しました。
プロフィール
記録
プロフィール:
【気になる作家たち】 安部公房、中島敦、谷崎潤一郎、フランツ・カフカ、中原中也、パウル・ツェラン、トリスタン・ツァラ、アンドレ・ブルトン、ルイ・アラゴン、アルチュール・ランボー、瀧口修造、土橋治重、村野四郎、丸山薫、天沢退二郎、吉増剛造、野崎有以、済東鉄腸…etc.
自作の一押し・・・・ 神さん

熊倉ミハイの記録 ON_B-REVIEW・・・・

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コック

2024-03-10

テットルン

2024-02-20

それは散歩

2024-02-03

若者らの風

2024-01-20

Remove

2024-01-10

僕の仕事

2024-01-03

神さん

2023-12-15

2023-12-12

黒髪さん、コメントありがとうございます。 「針」というモチーフ、私は今まで何故好きなのか分からずに使っていましたが、「痛みも安心も与える」といった二面性が、あの細い形に詰まっているからだということに今気づきました。お恥ずかしい…… 自分の中の針。「視線が痛い」という表現があるように、私たちは見る時も刺したり、言葉でも刺したり、色んな針を持ってますね。又、針、と言うのだから狭いところしか見えない、言えない。人間関係のもつれは言葉足らずから起こったりしますね。 それでも何か芯を突き刺すような、もっと細い針を研いでいくのが人間なのかなと、思いました。ありがとうございます。 (針園(はりぞの))

2024-04-12

トビラさん、コメントありがとうございます。 ご指摘されている点について 冗長さは、確かに好みの問題かもしれません。ただ、おっしゃる通りこの詩が何か「正解、解決」に向かっていかない詩だからこそ、泥のように進む日常→冗長さを生んでいるかもしれません。 冒頭の針の薬を手に入れるところ、確かに薬局ではない場所で異様な始まりですね。ただ、詰めが甘くイメージ通りに描けていませんでした。自分の中では、看護師は幻覚のように現れている感覚でした……。 「ので」 という接続詞について、美しいかどうかを見る前に私には「リアルかどうか」という判断があります。この詩以外にもたまに使いますが、チグハグさ、引っ掛かり、分裂などの感覚がその詩の雰囲気に合っていると思った時に使う感じです。今回はマッチしていると思いました。 余談ですが、最近の邦楽にも、歌詞の文節の途中で曲の小節を変え、分裂させることで新たな展開、メロディが生まれている傾向があるように思えます。私にはまだ真新しく感じる手法で、「美しいか」どうかの考えはまだ固まっていないですね。ただ、邦楽に関しては若干嫌悪感があります。 農夫の連については、二連目と四連目を同じ感覚で書いていました。前の第一連で子供の遊戯を見ていたはずが、農夫に視線が移っている。ここは詩中主体の「私」が見てる景色かどうかは関係なく、時間を遡った視点な気がします。そうなると、四連目でも同じように近代的なモチーフを登場させれば良かったなと、思いました。 時間を横断する視点を置くことで、昔から紡がれてきた哀しみを背負い、それに潰されそうになっていく、というような感じを描きたかったです。 ありがとうございます。トビラさん、高確率で癖に刺さる詩を書いてらっしゃるので、ご活躍してるものかと……私が選考委員だったら贔屓してしまいます。 ともに頑張りましょう。緻密な分析、ありがとうございました。 (針園(はりぞの))

2024-04-12

「僕、バカ」 子音が同じbとkで、何とも連想されやすく、結合されやすい日本語の単語たち。いやらしいなと思いますね。 「なお白痴」というタイトル、「白痴」という言葉は今どのような使われ方をしているかまで定かに分かりませんが、詩を最後まで読んで立ち返ると、本当に「白痴」なのだろうか? と思わされる。 もしこれと同じように「白痴」の方も考えられるなら、ネットで出てくる「重度な知的障害」と定義される症状はどこに現れ、どこには現れないのか、と考えてしまう。 要は、「白痴」と言われるような診断をされていない私と、同じような思考・体験が書かれている。何が基準なのだろう……学びたいです。 (なお白痴)

2024-04-12

「隠すのではなくあえて手法の意図が見えるぐらいの露骨さ」 この加減をどうするかは課題のうちの一つですね……。 まあ、今の段階だと手法は隠す派ですが、露骨さに振り切って振り切る作品はまだ作ったことないかもです。 ありがとうございます。 (椅子取りゲーム会場ゲーム)

2024-04-11

おまるたろうさん、コメントありがとうございます。 構造的秩序が壊れている、というのはおっしゃる通りだと思います。 一つ手法を明かすとするなら、詩の書き方にも「椅子取りゲーム」を採用したという作品で、自分が気に入った詩人の詩の文体や作風を連ごとに座らせ、どこかに自分の作風も座らせています。 そのせいで、カオスな作品になったのかもしれません。おぞましさ、伝わってもらえて嬉しいです。 ありがとうございます。 (椅子取りゲーム会場ゲーム)

2024-04-11

黒髪さん、コメントありがとうございます。 そう言っていただけると嬉しいです。まだまだこれから研鑽の日々です。 mummy-Dというアーティスト、チェックしてみます。響きが似ていたので、Dannie Mayというアーティストも私からオススメしたいと思います。面白い曲ばかりです。 ありがとうございます。 (椅子取りゲーム会場ゲーム)

2024-04-11

メルモさん、コメントありがとうございます。 見事な駄作。とても求めていた言葉ですが、実際に言われると変な感覚です。自分の作風が、「失敗実験」という詩が体現しておりまして、「作品は作中、何かに失敗していないといけない」、というのがモットーにあります。 挙げていただいたうちの後者だと、私も思います。私には理解できるイメージを、原型を留めないほどにごちゃごちゃさせる。まあ、それだけじゃ面白くないので耽美(自分が思う)な詩もちょこちょこ書きますが。 「上手くあってはならない。きれいであってはならない。心地よくあってはならない。理解されたり、喜ばそうと思うな。認められない事を前提に自分をつき出せ~」 という精神に立ち返る詩中主体に気づいてくれて大変嬉しく思います。 椅子取りゲームと会場ゲーム、という二つのゲームがある、と分けた考えも、私にはない視点でした。 文芸云々~という話のところは、閉口したいと思います。ああ、こんなにも解釈が広がるのだなと、天沢退二郎のあの詩のように「ふっふっふ」と笑っております。 ありがとうございます。 (椅子取りゲーム会場ゲーム)

2024-04-11

A・O・Iさん、コメントありがとうございます。 好奇心を持たせる工夫、確かにと思いました。確かにある意味を持って今回この詩を書きましたが、自分としては結構ノイズを入れて何が真意かを分からなくさせたつもりでした。もっといじっても良いってことですね。ちなみに私はこのオチ、すっきりしてないです……意図的ですが。 まあ、A・O・Iさんが言うのは、「オチがあること」自体、すっきりするというご指摘ですよね? 今後の詩作に活かせそうです。ありがとうございます。 (椅子取りゲーム会場ゲーム)

2024-04-11

牛や鴉などの自然の生物、次にマードックといった知識のある科学者、そしてサザエさんという文化によって、我々の生活に地動説が定説だと浸透してきている流れがあると思いました。それぞれの関連性は見出だせませんが、どの物事も自然→科学→文化という流れで暴かれ私たちの社会に取り込まれていくでしょう。 それにより、ショッキングな子どもは減った、となりますが、完全に「いなくなった」とは書かれない。次行の、「歯の落ちそうな子」も減ったと書かれるが、これは永久歯に生え変わる子どもがいない→大人にならない子が増えていく、と考えると、地動説が社会に染みたことで何が起きたのかが分かる気がしてくる。 それは、もしかしたら地動説じゃないかもしれない、別の世界があるかもしれないという想像、飛躍。それは科学側からすれば「ショッキング」だ。しかし、誰もがその想像力を原動力にして新たな説を打ち出して、もしくは自分の中に筋を通し価値観を作り上げて大人になってきたのではないだろうか。 ワニや宇宙人など、生命の危機や未知なものを突き放すような終わり方をするこの詩の「我々」は、流れる花筏を追わない。花筏はこれからの未来の子どもたちの暗示ならば、川の先に何も危険なことはない、ということだろうか。 未来に何があるか分からない。ショッキングに、デンジャラスな未来に備えるための知力を身につけて、「宇宙人」に成らなければ。と肝に銘じさせてくれた、そんな詩でした。ありがとうございます。 (川は地動説)

2024-04-09

獣の精神へと立ち返る……「返る」、「再獲得」って、なんでしょうか? 私たちは既に、獣の精神というのを生まれ持っており、それを本能と呼んで生活しているのではないでしょうか? その本能が、弱肉強食の世界を生き抜くべく、知恵をつけるようになり、今の社会というのを作っていった。すべて本能の陸続きかと思います。 そうやって出来上がった今の社会を、その歴史を、すべて打ち壊すほどの野性をまた発揮し、新たな世界を築き上げろ、ということでしょうか?  また、神に近づこうとしていることを危惧していますが、その「おこがましさ」の精神は革命、のちの平等をもたらすものだと思います。「ヒト」として生きたとして、もし個体差による不平等が起きても、それが自然の摂理だとして運命を受け入れるべきだということでしょうか。それはそれで、生存本能による疑心で、神の権威が剥がれる未来が見えます。 要は、ここまで力を蓄えられるような進化、そしてその土台の本能を作った神のすべて思惑どおりの世界だと思います。突然変異で、皆が「ヒト」になったら、それが運命ですが、ひとまずこの詩を読んでも私は変異しなかったので、まだその時期じゃないのかもしれません。 (ヒトの再獲得)

2024-04-08

真実は真実である⇒真 事実も真実である⇒偽 偽証は真実である⇒真 思想も真実である⇒偽 あの花は貴方である⇒真 あの空は好奇心である⇒疑 この脚が地中海になる⇒身 その鍵が教鞭を執る犬⇒議 真実である健全な賭博⇒信 儚く散るブレーメンの野望⇒義 精度重視の闘争とパレード⇒神 どうしても伸びるこの僕の爪の垢⇒逆 真⇒実は君のことが尿管結石ほど好きだった⇒銀、河が脚本を読み間違える失態⇔偽 革靴が野望重視の好奇心である神⇒淫乱なプラスチックも貴方が地中にいるため逆に視⇒ん ⇒も真実であるかどうか分からない⇔↑←→↓僕らの舞台<√∝£Ω偽 辺鄙な思‡想の読み間違え@↑信じる犬の淫☆乱な革靴β←某、かまいたちの夜がぬるま湯!!⇒ω何気なく事実も真実である賭博賭博賭博賭博↓真 真⇒偽 ジャイアント〒スネークの歌詞が電波塔と駆け落ち。午後は脚が銀色&弁護士朝食抜き事件の、×ベルトコンベアだけが贈与税を攻略していくオフサイド会食⇒ポケット一つ鼻の舞台§ぎょう虫検査がどうしても延びる、年功序列なブレーメン重・視⇒真か偽 小僧の第二回*減数分裂コミュニケÅーション$ほうれん草、儚く散り∃管を巻きつけろ∞審議会⇒象の足音はどこまで垢を舐め続ける¶なのか僕らにも分からない⇒果てしなく果てない者らの闘争 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 偽偽偽偽偽偽偽偽偽偽偽偽偽偽偽偽偽偽偽偽偽偽 (B-REVIEW 4月のお題詩「エイプリルフール」「スタート」 )

2024-04-07

若さとは、青さとは何だろう。 確かに、「精密なリズム」が一番心地よく、正しいものだと考えていたことかな、とぼんやり思いました。 「底知れぬ浅さ」という撞着語法がいいですね。 若者は、人の内面と外見を見て、相手のことをほぼ全て知った後、その先に何をすべきかの力がない時期だと思います。だから、内と外を飛び回り尽くしたら、体温だけが感じられて残っていく。まだまだこどもなんだと改めて気づく、そんな軌跡が清々しく描かれた詩だと思いました。 (私も若者のくせに生意気な…すみません) (24歳の海)

2024-04-06

言い回しがロックでいいですね。 音楽は、第二連にも見られるように、身体性の復活をもたらす力があると思います。拍動、声、その他身振り手振り。 身体のスターである一方で、第三連では、何者かになれなくても突き進む革新的な精神がある。不屈な心です。 そして最終連、反復はサビの常套手段で、第三連までの心身ともに先をゆくロックスターの不滅を謳っている。ロックスター自身ではなく、信者の口から出る声です。 信者の身体と精神を蘇生し、歌えるようにして、彼らの無数の声を引き連れていく、ロックスターのあるべき姿が浮かびました。 (CRAZY Hi-Fi L.S.S.)

2024-04-05

おまるたろうさん、コメントありがとうございます。 最終的に針を、精神や生活の見えない領域に成長させた展開だったのですが、好みの問題でしょうかね。 思考が突き破られたり、認識を歪ませられたり。日常を再開しようにも、どこかズレ始めている、それに気づかない。私にはこの末尾はおぞましくて見てられないですね。 (針園(はりぞの))

2024-04-04

アイデンティティは社会の盾かもしれません。 この詩ではそれほど、無理に自分を装わなくとも過ごせる平和な環境だと、捉えられます。 しかし時に、受け身的なアイデンティティは、詩にあるように相手のアイデンティティが流れるのを許すため、上手いようにダシにされる場合もありますね。最終連、無意識にその予防が貼られていく感じがします。 お金忘れてるぞボケ!! ってストレス発散で言ってくるオジサンのアイデンティティを120%引き出してしまう可能性もある、ということです。運がいいなぁ、と読んでて思いました。 (シンプル)

2024-04-04

メルモさん、コメントありがとうございます。 社会の実情の丁寧な分析と、詩との照合。そして、 「薬剤を注入しあるいは血液を吸い取る管のある針。そして同じく管から養分を吸い取る植物の根。」 というような、詩に対しての構造を見る分析、大変面白く読ませていただきました。 他の方へは、「ヤングケアラー」という言葉を出しましたが、その構想にぼかしを入れ、「ヤング」かどうかを曖昧にし、「老老介護」の実態にも届くように詩の射程を伸ばしました。 シュールさが、語り手の疲れから出る世界観、という指摘もおっしゃる通りだと思いました。 このような考察がされて、とても嬉しく思います。ありがとうございます。 (針園(はりぞの))

2024-04-04

秋乃夕陽さん、コメントありがとうございます。 作者がこの状況に置かれているかどうかの批評は、なかなか危うく思います。苦しみの表現は、苦しみの中にいる人にしかできないのでしょうか。作者は今その状況を乗り越えた経験があったり、もしくは未来を予感している場合もありますよね。 表現は経験に則ると誰かが言っていましたが、則り方は多岐に渡ります。方法として、この詩では、第七連までは個人の経験に則り、最終連のみ、他者の「ヤングケアラー」の実情に胸を痛めた、その経験から成り立ちました。 要は、作者だけの状況・問題に留まらず、他者の事情も混ぜた作品です。この私の歩み寄りに、詩をもって他者を理解しようとする歩み寄りに、傷つく人も居るかもしれないという緊張を覚えつつも投稿しました。 それを理解した上で、「針園」というのは、自分だけでなく他者の痛みの針も自身を囲い込んでいる、その真実に作者が気づいたのだろう、という分析だったならば、お詫び申し上げます。 (針園(はりぞの))

2024-04-03

相野零次さん、コメントありがとうございます。 第二連、第四連もそうかもですが、人は何か対象を見つめる時、同時に自分の心も見つめていると思われます。 別に、農夫が空を仰いでいたとしても、仰いでいないように見えてしまう時があるのです。 「私」には、時の移り変わりに置いていかれていく不安すら、もう感じる暇がないのかもしれません。 (針園(はりぞの))

2024-04-03

すぅさん、コメントありがとうございます。 不思議の国のアリス、恥ずかしながらまだどの媒体でも見たり読めたりできておりません……。安部公房ファンとしてなんたることか…… そのすぅさんの感覚も参考に、いつか原作にあたりたいと思います。 「何だか読んでいて苦しそうで胸を掻きむしるような複雑な何かを主人公から感じて悲しみ、諦め、怒り、不安、恐怖のような負の感情すごく心配になりました。」 おそらく、この感情をもたらした背景の一つに、私が言えることは最終連の展開でしょうか。 読み手を騙すように、それまで張っていた伏線のようなものが回収され、唐突に「父」という「他者」が出現する。それまでの読みが、単なる個人の病というものから覆されて、第一連から第七連までに新たな悲しみが秘められていることが浮き出る。 夢の中にいるような…… 確かにそうですね。寝ても醒めても、不安の渦の中にいるようです。だから、第七連まで「どうせ、この悪夢から醒める救済があるんでしょ?」と思う人には、悲しい衝撃が走るかもしれないですね。 (針園(はりぞの))

2024-04-03

A・O・Iさん、コメントありがとうございます。 この詩はA・O・Iさんのおかげで生まれたと言っても過言ではないですね。「それは散歩」という詩でのコメントのやり取りから、私の中でできた靄をどう打ち消すか、新たな詩の形を探してこの詩が生まれました。(その他、色々な要素が構成されていますが、そのうちの一つがA・O・Iさんとのやり取りです。) 散文か、詩か、という判断を超えて、現実を突き刺す非現実な何か、という着地をしたのかなと、今の時点で思っておりますが、どうなんでしょう。 締め方、針のように始めと終わりがある直線的な問題が、温かくも鍋といった永い円環に引きずり込まれるような……その感覚が伝わったようで、嬉しいです。ありがとうございます。 (針園(はりぞの))

2024-04-03

シュルレアリスムを志向する者として、第一段落、とても共感できます。 私は最近、シュルレアリスムは、言葉を熱する火加減の限界を示す尺度にしか過ぎないのかなと思ってきています。ただ、通らなければならないものだったとも思います。弱火だけでなく、中火や強火も使えるようになって、この詩にあるような来たるべき「事実」に立ち向かう、そのための武器の一つなんじゃないかと。 この、武器とも言える仮面を完全に捨て去ることってできるんでしょうか? この詩は、「傷の舐め合い」を自覚しており、ロマンチックに振り切っていない終わり方をしていると思います。深夜3時、もうすぐ夜明け。車という強烈な視覚伝達装置に乗っている状況などから、またシュルレアリスムが再生していくように予感します。未知の世界に迷い込む習性のもと育った幼少期の話からも、その潜在意識からは逃れられない人生なんじゃないかなと思います。 仮面の呪いに抗いながらも、道化のように舞いながら……。タイトルにもある通り、彼女の口づけじゃ、孤独感を拭えなかったんじゃないでしょうか? と、また手招きしたりしてみます。シュルレアリスムの住人として。 (孤独な口づけ)

2024-04-02

圧倒されました。面白かったです。 桃をジュルジュルと食べる勢いから、岸辺が桃の皮のように剥げる展開が面白かったです。 後半、桃と言ってはいけないことや、桃がこちらを食べるんじゃないかなどの畏怖から、神聖視されるような対象になっていく。現実を知っていくってことなんですかね。桃を食べるのは冒頭だけで、それからは手が届かなかったり味に慣れたりしちゃって、それでも自分の中の強烈な体験を再現したいという、呪いにかかっている人生のようです。 桃じゃなくとも、桃の代わりの刺激を貰えるものはいくらでもある。そうやって割り切って生きていた。ただ、もうあの時と同じ桃にはかぶりつけられなくて、それが真実だとしても、他が偽りとしても、どちらも桃丸出しとする終わり方は、自分の中の理想も、今追い求めているものも実はさほど変わらない。理想は、過去の色に染まって輝いていただけの桃だったと、悟っているように思えました。 (ROUND ABOUT。)

2024-04-01

救済措置を待てるほど、現実は甘くないですよね。 穴に落ちたなら、その落ちた先で新たな未来を紡ぐ。自力で這い上がったり、他者の手が差し伸べられるような展開じゃなくて、私は好きです。 ただ、穴の中での人生を受け入れるまでの過程を、もう少し盛り込んでみてほしかったなと。それほど強くなれる人間はそう居ないと思いますので……もう少しドラマのようなものが欲しかったです。 (穴)

2024-03-31

「これが夢なのかは、誰にも分からない」 というのは、もしかしたら「これ」が「現実」だという可能性もあるということ。「これ」というのは、おそらく「い」「ろ」「は」の章のことだとすると、本当にこれらの「章」が「現実」である可能性があるのか、と強い疑問が生まれてくる。そんな詩である。 中でも、「現実」を「麻薬」のようだと思えている人はどれくらいいるだろうか。寝て、夢を見ることよりも、現実の方が楽しい、不思議なことが起こる、という現代人がいるかどうか。 おそらく少ないだろうが、そうすると、「胡蝶の夢」のような、今が現実かどうかの認識を問いかける哲学的思考もこの時代では虚しくならざるを得ない。 この詩は、そんな現代人の疲労感に一石投じるような、それこそ処方箋のような想起薬で、夢も現実も判別できない我々なんだから、どうせなら現実でハイになろうぜと、言っているように、思いたかったのですが…… それよりも単純に、「夢」は「現実」と対立する別世界ではなくて、「現実」と「現実」なんだ、という考えの方が詩全体として筋が通るんでしょうね。「夢」は、「現実」に内包されてしまった「事象」の一つ…… だったら、本当の「夢」って、どこにあるんだろう。 (夢という事象について)

2024-03-30

「気が狂う春の当てどなさ」 とあるように、春の訪れに耽っているかと思えば、春のざわめき、消沈の様にも目を向けていて、霧散するような春のイメージが、詩全体のあえてまとまらない構成にマッチしていると思いました。 放浪するように春を漂うと、海のような、春風のような「あなた」に出逢う。ただ春の気だるさに留まることなく、次の季節の到来に向けて確かな輪郭を持つ花が咲いていくような、そんな展開・結末になっていて、読後感が良かったです。 (春うらら)

2024-03-30

日本列島って、この詩みたいですよね 全体が斜めにひん曲がって、周りに誰もいない島国で。詩の通りだと左右反対ですが、それがこの詩の虚構性としてある。 「ひとりごと」としていても、共感を呼ぶような詩なので、ミクロとマクロどちらの視点もあるなと思いました。 (どこから見てもどうしようもない人間のひとりごと)

2024-03-28

不随意筋によって動く心臓は、自分の内にあるのにまるで他人のようですよね。 第一連、まったく「私」という主語が出てきません。一方、後半にかけて少し不自然に思うほど「私」が多く使われる。そこがこの詩の味だなぁと思いました。 外界の他者などよりも圧倒的な「他」が体内にある。だから、「私」は「私」、「心臓」は「心臓」と固く壁を作って、まるでアパートのあまり仲良くない隣人のように考える。 けれど、入間しゅかさんの優しさが最後の行に詰まっていて、そんな「心臓」にも良い夢を見れるようにと願う。それは、単に「私」が生かされているから、という損得勘定じゃないことが伝わってくるのは、しゅかさんの技量だなと。いい詩でした。 (心臓の眠り)

2024-03-27

蛍の群れに飛び込んだのは、心臓に棲みつく蛇のせいだったのでしょうかね。 よくある、と言うと失礼かもしれませんが、希死念慮が渦巻く詩だと思いました。夢を叶えられない絶望的な現状から抜け出すため、死後の世界で夢を叶えるというような。 ただ、スーパーマンは別にマントに呪われながら飛んでいる訳ではない。そう考えると、痛みから逃れるように、呪いから逃れるように夢に向かって飛び込むのは、はたして夢を叶えたと言えるのか。 強い快楽を感じながら飛ぶような、清々しさがあればよかったなと思いました。 (夢の叶え方)

2024-03-26

このサイト内では今までしたことのない考察を試みようと思います。 シュルレアリスム、オートマティスムの手法はかじったことがあるのですが、そこから何を得られるのかということまで考察していなかったので、この作品で実験しようかと。 この手法って、筆を勢いに任せると第二段落(?)の末尾のようにe音が乱発されたりします。また、次の段落だと平静を取り戻すように「~は…だ」というようなa音が多用されますね。最終段落は「果汁、充満」のようにu音で口をすぼめて終わる。最初の段落はなんでしょうね、「~の…の」や、「ぞっと」という風にo音の段落でしょうか 音楽的にはそれぞれの段落はまとまりがあっていいなと思いました。意図的ですかね? もう少し分析すると、o音の一段落目は、様々な新規情報が垂れ流されている感覚で、この詩の世界の奥の奥の奥へ……という風に引き込む「起」の効果があるなと。ただ、言葉の意味はそんな容易に拾えずつまずくから面白いですね。「障害者の息子(これもo音終わり)」とか、泥に引き込まれている感覚。 e音の段落は一番量があって、最後にかけてスピードアップ。承や転の効果があり動的でありつつも、殺意やら生やら、微睡んでなどの静かで冷たいイメージも小出しされるので、この緩急も面白いです。 「結」に向けては、「~は…だ」と答え合わせしているようですが、すんなり入ってくるわけでもない。あ、今気づきましたが、この三段落目の最後、また「~の…の」とo音に戻って「起」の展開が始まってますね。旅に出ますと言ってますし。 口をすぼめて終わる、死に充満する「女」。今までの音とは違うu音で、自分とは対比的な存在ですね。 この音韻分析をふまえて、言葉の意味にまでリンクさせるとものすごく面白そうだなぁと、良い詩を読ませていただきました。 気が向いたら、推薦文を書くかもしれません。 (メモ帳)

2024-03-26

コメント、ありがとうございます。 バンドマンだったのですね……私もゆくゆくはそういう活動をしてみたいです。 今は確かにメンバーを集めやすい時代だったり、宣伝できるプラットフォームが豊富だったりしますが、積極的な人たちは当然それらを最低限している訳で、競争率が熾烈な感じがしております。 他人の情報が多量に入ってくるせいで、変なプレッシャーを植え付けられ、活動の自由性を見失う人も多い印象です。私もしかり。 面倒くさいことを、泥臭くやっていくのはどの時代も同じでしょうね…… (「失敗実験」MV)

2024-03-22

勿体ないお言葉……ありがとうございます。 親友に、表象論の鬼がいるものですから、彼だったらなんと考察するだろう、と自分の個性も交えて考察しております。体力が要りますが、これに慣れれば、塵も積もれば。かなと。 佐藤春夫は、「西班牙犬の家」しか読んだことはありませんが、確かにそのような読後感だったと覚えております。 おまるたろうさんは、たとえば久米正雄の「手品師」なんかも好きそうですね。 私はシュルレアリスムが軸にあるので、私もそういったノリ、好きです。 (保護)

2024-03-22

私はここに来て期間はまだ浅いですが、詩雑誌などの、依頼された仕事などの詩論とはまた違う、ビーレビューはリアルなコメント欄な気がします。 社会で疲弊し、詩一つ一つの言葉の分析、資料採集などの時間が十分に取れない。いつ詩作活動を辞めてしまうか分からないピンキリな方達もいるため、熱意を届ける相手を絞ったりする。たまには肩の力を抜いて、フランクに、という雰囲気があるのかと。ビーレビューはリアル過ぎて、社内会議のように議論する時もあればカフェカウンターのようなコメント欄もある印象です。 では作品について、私なりに、言葉一つ一つに注目してみたいと思います。 「礁国」。この詩のキーワードだと思いました。大和言葉云々のモノローグ、日本という島国の閉鎖感ある始まり方ですね。前回作品のコメントからも、政治的関心のある方なのだと存じます。 陸地にいる人らは海の中のサンゴ礁を「礁国」と見なすのに対し、「汝」だけは「Umi」と認識している。「海/Umi」と出てくるのはこの「汝」の言葉にだけ。 余談ですが、最近初めて「シェイプ・オブ・ウォーター」という映画を観て記憶に新しいので連想させられました。これは大和言葉ではない、と書かれているので、「汝」というのはその書いて文字の如く「海の女=人魚」的存在で、陸地の人と鮫を繋ぎ橋渡しする役目があるのかなと思いました。 しかし、実際は「汝」は鮫と回遊し、詩は締められ、陸地は唖然としていることでしょう。サンゴ礁を、陸続きの国のような見方をしていた陸側が、グローバリズムから取り残されていくようです。鮫は決して敵ではなく、サンゴ礁の生態系を守る役割もありますから、そのようなシステムの「海」を受け入れられていない。(ちなみに、「色白ク」という特徴を添えているのも外国人意識があるのでしょうかね) 正午から午後に変わり、「日が落ちていく」ことの予感。それの危惧ですかね? またおまるたろうさんが前回言っていたような左派的思考になっていると思いますが、どうなんでしょう? グローバル化で人魚のような優秀な人材が引き抜かれていく(陸側も詰問して止めようとしてるように見えますもんね)……「保護」というタイトルは、鮫から見たサンゴ礁でもありますし、陸から見た「汝」でもありますし……。 もっと別な視点でも見たかったのですが、このような視点で一つ、どうでしょうか。 (保護)

2024-03-22

すぅさん、前作からまた作品を紡いでいただき、嬉しいです。 少し、思ったことを書き連ねたいと思います。 心は、不思議と磁石のようで、何を自分に引き付けようか、と無意識に決めているように思います。聞きたくないこと、見たくないものをシャットアウトし、好きなものだけを引きつけて自分の世界が出来上がる。そこからの脱却を意識するのは難しいことですよね。 世界が出来上がるというのは一種の成功体験、形状記憶のようなもので、それがあれば未知の世界に飛び込んだ際でも、闇雲に引き付けられるものを心が必死に探します。そうして世界を無数に作る。まわりの性質をねじ曲げて、自己の世界の一部にしていく。それが衝撃を呼んだりする。 たとえば、この詩では信じていた世界が「蜃気楼」になるという性質を持ち始めました。おそらく、すぅさんが次の次元に進むために必要な性質変化だったのだと思います。 性質の解像度を上げると、すぅさんはまた新たな世界を獲得していけると思います。「僕の世界」とはどういった室温だったか。「外の世界」は、叩くとどんな音が響いていたのか。「涙」はどんな性格を持った人だったのか。「幸せ」や「笑い」は、どんな味と食感だったのか…… とても上からかもしれません。すみません。失礼しました。自分にも鞭打つ言葉を並べたつもりです。さらなる驚きや情熱を期待しております。 (僕の世界)

2024-03-22

コメント、ありがとうございます。 挙げてくださった楽曲、存じ上げなかったので聴きました。 ポエトリーソングって、どんな基準で決まるんだろう、と興味が湧いてきました。 「アクセルためてルーズな空見上げる」の末尾でゆらいだりするところは、ポエトリーなのかなぁと思いつつも、全体的に結構メロディアスだなと思いました。メロディが思い出せそうで思い出せない、キャッチーかどうかの狭間に言葉を乗せる。めちゃくちゃ難しいですね。 (「失敗実験」MV)

2024-03-20

まだ、詩は詩。曲は曲として。 いずれ二つの築き上げられた世界観を混ぜて、よりマルチな活動をしていきたいですね。 ありがとうございます。ぜひ、聴いて貰えるとありがたいです。 (「失敗実験」MV)

2024-03-20

詩のインパクトの打ち消しは、何て言えばいいんでしょう、流動性とかにあるかもしれないですね。 詩の形では自分のペースで同じ行を読み返したり、戻って読んだりできるのに対して曲では曲のペースがあります。それが影響してるのかもしれません。 しかし、自分は今回の楽曲はイントロや間奏が多めだったりと、詩の余韻を感じさせる構成だと思ったりもします。メロディも、聴き慣れるとインパクトが薄くなる性質があるとも思うので、聴き繰り返すとまた違う印象になるかもですね。 コメントありがとうございます。 (「失敗実験」MV)

2024-03-20

歌詞も詩とみなすか、という問題ですね。 歌詞になると、分かりやすいメッセージ性、物語性、反復・音韻、誰の声に乗るのかなど、性質がより絞られたものになる可能性があると思っています。 ただ、そんな詩と歌詞の融合、衝突で未知の世界の入り口が開ける気を、薄々感じております。 (「失敗実験」MV)

2024-03-20

A・O・Iさん、コメントありがとうございます。 まだ拙いですが、そうですね、作曲もしております。Hamming Eggという名義で、 【YouTube】 https://youtube.com/@EggHamming?si=KTcHktja6C4GGTLr 【ニコニコ】 https://www.nicovideo.jp/user/29351690?ref=androidapp_other こちらで投稿しております。 今回は歌詞提供のみですね。包丁さんに、お伝えしておきます。聴いてくださりありがとうございます。 (「失敗実験」MV)

2024-03-20

メルモさん、コメントありがとうございます。 他の曲も聴いてくださりありがとうございます。本人も喜ぶと思います。 コラボに関しては、この「失敗実験」と別チャンネルですが「!!!!!!CCCCAAAATTTT!!!!!!」という曲のまだ2曲だけで、他の曲はすべて包丁さんが担当していますね。詩、歌詞が置いてかれる……難しいところですよね…… (「失敗実験」MV)

2024-03-20

実際に見に行ったことがあるのですが、もう人の戻ることのない被災地の様子が浮かんできました。 いつ帰郷できるのか。復旧が長年に渡ることで、仮の住まいを他に移していた家族は、移動先に適応してしまう。今更戻るなんてことができない事情があったりする。 この詩では、石畳がバラバラになるという表現や、空の青さも遠くに行ってしまったことで、上の問題のやり切れない想いが巧く表現されていると感じた。 心を透明にして、他人の空き家に入ると、色が入り込む、という一連の流れも良い。難しいことは考えず、まずはゴミをまとめて出すところから、と意気込み家に入ると、その家の想い出や光が入り込んできて、何も手につかなくなる。 何を棄てて、何を棄ててはいけない? 自分にはゴミに映るものでも、この家にとっては大事なアイデンティティなのではないか。 そんな葛藤が、伝わってきました。 (埃まみれのフローリング)

2024-03-20

多様な解釈ができそうな、ひろがりのある詩。一行目からとても惹かれました。 エロチックを感じました。恋人の心を剥ぐような始まりから。相手の白い部分を見ないようにする関係。「私はこの人を本当に愛してるのか?」と自問自答するような詩に見えました。 相手の本心をいつしか袋にしまうようにしてから、欲するままに相手を貪り、罪悪感のような、後悔を重ねながら。それでも、その行為に何の言い訳も思いつかず、かといって試しに白い部分に触れようとすれば、自分が壊れてしまう…… なんて、切なくなってしまいました。ユニークさと恋愛は隣り合わせかもですね。 (自答)

2024-03-19

ひび割れ、風化するまで心の潤いが無くなって、砂を握ると力が抜ける→砂に身体が溶けていくようなイメージで、力尽きるまでの一人の人間の表現が滑らかです。 A・O・Iさんの指摘の通り、一億五千万キロの果実は、果たして彼の希望なのか。膨大すぎる希望には逆に反感を持ったりします。そもそも、そのまま砂になっていくことが自然体で、救いかもしれない。それなのに最後に出てくるのは無慈悲で、不条理な果実だなと思いました。 いい詩です。 (黄金の果実)

2024-03-19

返信、ありがとうございます。 なるほど、 実存的ニヒリズムのような考え、それへの肯定をして生きていく、そう捉えるとポジティブなのかな、と今改めて読んで思いました。ありがとうございます。 私は、リアリティに寄り過ぎているのもどうなのかなと思っての上の意見でした。転生や反人間中心主義などの「考え」だけが剥き出しになっているようで、詩でなくてエッセイとかでもいいなと思っていました。 モチーフに強く拘束されているからでは、という指摘は、確かにそうかもしれないです。左派的な人間なので、分析は当たっているなと思いました。 最終連は簡単に差別云々の話ではなく、その奥の比喩やマクロの視点を持てば、別の問題が浮かび上がる、ということでしょうね。他の詩には行えているつもりでしたが、この詩では私が今まで避けていたモチーフが比較的多かったので、凝り固まった意見となってしまいました。 勉強になりました。 (遺灰)

2024-03-19

コメント、失礼します。 最終連、一体どのようなねらいがあって書かれたのでしょうか。 順を追って見ていきますと、「ひこうき/がじゅんちょうにとんでいる」の連からは、飛行機が順調に飛んでいる→戦争期ではない、現代に近い時代なのかなと思います。 労働のみの人生への忌避、いずれ死ぬことへの諦観、人類という種族への嫌悪。どれも聞いたことあるような思想で、最後の行にはジェンダー差別のようなもので終わる。 肯定的に受け取るならば、この羅列された価値観も我々人類史の「遺灰」として遺ること、それを見てあなたたちは恥じるか、どうか、今一度強く問いただすアンチテーゼな詩なのかなと。 逆に、差別意識などを助長しているネガティブな詩だとも捉えられかねないかな、と。色んな思想が混ざっている中で、最後に向かうにつれて世界を鋭く否定するような、壮大な締め方を期待(「まほうつかい」なども出てきていたので、現実的な言葉で終わるとは思っていませんでした。)していました。 それほど世界をロマンチックに呪う気力もないほど、投げやりに詩を締めてしまったのでしょうか。まるで詩人本人が灰そのものになって書いたような……そこまで言ってしまうと失礼かもしれませんが。この詩には色んな意見が来そうだなと思いつつも、多くは語っていない詩なので、どうなんだろう、と思いました。 (遺灰)

2024-03-18

私たちの物語はどこで終わるのか。 空を見上げ、雲とその雲から振り落ちる雪で出来た真っ白いキャンバスに、私たちはどんな未来の物語も描ける頭を持っている。 若草の丘と樹の、長きに渡る歴史の上で爛漫な私たち(少女)が生きている。 しかし、3から「私たちの物語」ではなくなる。死後は生前遺した樹のような生きた証を、また別の誰かの物語に組み込ませて、あの上空の陽の陰へ昇るのだろう。それら含めて、タイトルの通り。 そう解釈すると、綺麗な構成だと感じました。少し気になる点を挙げるとすれば、擬音を煩雑に扱っていないかどうかでしょうか。 物「語」と「音」は密接なテーマかと思ったので、既存の擬音しか使用されていない(目新しくない)ところを見ると、「私たちの物語」は誰しも同じような平凡な物語なのだ、とネガティブな気持ちを植えられた気分がします。一意見として、ご参考までに。 (これはあなたの物語、です。)

2024-03-17

上の、中田さんの指摘が指摘に留まっていて歯痒いので、私からはこの詩の伸びると面白い表現について触れたいと思います。 悲しみ→雨→角砂糖というイメージの変化や、憂鬱が、明け方の夢のようにうろ覚えになってくれればいい、という表現はこの詩の中でのストロングポイントかと思いました。 逆に、巻き貝の連では、巻き貝から始まり「潮の香り」に着地したので、そりゃ潮の香りするよなぁと、惜しい気持ちになりました。 要は、クリーンヒットする比喩を書ける人だと思ったので、たとえばタイトルとかも、この詩を何にたとえるかに変換するとまた深みが出たりするのかなと、思いました。ただ、やり過ぎると伝わらない難しいところかと思います。しかし、伝わるかどうかよりももっときょこちさんのもっと多彩な料理を味わいたいなと思ってるところで詩が終わった感覚があったり……そう思いました。 テーマ性……うーん、あまり気にしない時期があってもいい派ですね、私は。 (雨降りの憂鬱)

2024-03-16

戦争に行ってしまった子供を持つ親は、いつ核を撃たれるか怯える国。基地に配属された子供を持つ親は、それこそ疲弊戦略で滅びはしないと安堵する国のようで、1.5Aさんの指摘したミクロマクロの構成はこういう所にあるのではないかと思う。 詩中主体の父の感情に少しでも共感してしまった私は、ああ、疲弊戦略を取る国たちのリーダーになったら同じ手段を取らざるを得ないのだろうなと。思わされました。 ゼッケンさんの、人間に対する鋭い観察眼は留まることを知りませんね。この詩も好きです。 (鎌首)

2024-03-15

コメント、ありがとうございます。 私は若者で、周りに詩を読んでいる人がほとんどいません。色んな人の反応を見てきましたが、小説ほど長くないというのに、「別のタイミングにして」と高確率で言われ詩を一行も読まれずに突き返されます。 そのため、現時点での全作品を読んでくださったすぅさんは、おそらく私の友人、家族なんかよりも私の作風、人間性の核に触れたうちの大切な一人に今、なりました。この世界の奇妙さ。悲しみも嬉しみも混ざるような気持ちです。 私が最初に出会った詩たちは、小中校くらいで、やさしい言葉ばかりでした。でも、大学に入ってから、詩はもっと自由なんだなと衝撃だった。だから、この詩という遊園地に私はジェットコースターやお化け屋敷を作りたいと思ったんですね。 みんな、同じ場所で最高の遊園地を築き上げていく仲間だと思っています。だから、すぅさんの観覧車から見える青空の絶景も必要だと思っています。たまに、遊園地を周ってアイデアを貰って、自分の施設を見たことないものにグレードアップさせる。オバケがクレープを配り始めたり、一切動かないことで逆にハラハラさせるジェットコースターができたりします。 詩の遊園地が大勢の人で賑わう、楽しいものにしたい気持ちは、おそらくすぅさんと同じかと思います。また、これからともにがんばりましょう。ありがとうございます。 (日雇いザムライ)

2024-03-15

コメント、ありがとうございます。 人生をかけて書きたいもの、少しずつ出会えている気はしています。その種をそれぞれちょっとずつ育てていて、いつの間にかトビラさんの目の前に森として現れる日があるかもしれないです。 ありがとうございます。 (コック)

2024-03-15

他の方が好評しているので、あえて私からはちょぴっと意地悪な、これからの詩作に対する種を植えてみたく思います。一意見として……。 詩ってなんだろう、っていうのは詩人みなさんが背負う大きな問いの一つで、それぞれ色んな向き合い方があります。詩とは、どこでも、誰にでも、何でも書けるという無限に開かれた世界です。 そのため、詩人というのは暗闇の底でも詩を書けます。女神を信仰しない、無神論者にも詩は書けます。才ある宝石たちじゃなくても詩が書けてしまうのです。 この詩の光は神々しすぎるあまり、逆に、そういうアンダーグラウンドで、絶望の淵にある変哲もない石ころを照らし出すことができていないように思いました。 想いを馳せている、「詩人としての冒険」のプロットには、おかしく聞こえるかもしれませんが、自らの意志でまた暗闇の中に入っていく時もあると思います。 どうか、美談に包まれなければ詩を書けない、と謳って本当に潰れそうな芽を潰さないよう、時には自分の女神を疑ったり、光そのものを疑うことも、やってみてほしいですね。 無限世界の中の、一つのチッポケ石ころ意見でした。 (詩の世界へ)

2024-03-15

面白い! ユーモア全振りのような詩には、やはり真面目な考察を書きたくなります。ゆえ、少し考えたことを。 まず、読み進めて思ったのは、「啜る」という行為と「縷々」という単語です。「縷々」の意味は、調べたら長く続いていく様のことらしいですね、初めて知りましたが、この詩にピッタリはまる言葉ですよね。 啜って啜って、噛み切らず、延々と続いていくイメージです。「酢」を啜っても咳き込まず続いていくのも、永遠性が強いなと思います。 また、「留守」と「煤」なんかも関係してそうな気もしますね。家を留守にしていたことで、その家に埃煤ができていくような……。ここは人それぞれ解釈ありそうです。なんでしょう、さっきの永遠性に繋げるとするなら、人の生死って絶対に揺るがない永遠に続くシステムだとして、神が亡くなった私たちの魂を啜っているような。そうして家が留守になって、空き家になって埃煤が……みたいな。 そんな大きな存在が何かを啜っている感じにも思います。 最後、平仮名に戻るのも面白い。ここら辺からは、意味ではなくて何か視覚性な感じがしたり。「するるす」は鏡合わせみたいですし、「るるるすすする/するるすすする」のところなんかは間違い探しのような、ゲシュタルト崩壊もしてきますね。 要は、するする読めるように思えて、するするいかない詩でした。それが面白い。先ほど魂の成仏に無理やり繋げましたが、それに加えるなら、人の生き死にをするすると受け入れていく様を批判するような風にも捉えられます。たとえば、メディアで死亡事故などを見て、「かわいそ」と思った数秒後には内容を忘れるような、そんな感覚を。 「す」だけで、もしくは「る」だけで統一する行が無いのは、一貫してていいですね。「する」という言葉の組み合わせが大事なのだと。そう思います。 誇大解釈かもしれませんが、僕にはそれほど良い詩に映りました。 (すするするする)

2024-03-15

詩と、プロフィールを拝見させていただきました。 もしも既にご存知のことであれば、お許しください。詩について、まだ乏しい知識ですが色々と見解を述べさせていただきます。 どのような立場にいる評論家が言ったのか、文脈も分からないので想像に留まりますが、そもそもコンセプトやアイデア自体「詩」みたいなものだと思います。もっといえば、コンセプトは「詩」の形で現れないと、コンセプトと言えないと思います。一つの持論を参考までに。 ただ、「ポエム」と指摘されているなら話は別かもしれないです。一説では、「ポエム」は人の心に寄り添うような、叙情に偏って商業化をねらうものとして揶揄される時に使われたりするそうです。ラブソングばかりがヒットチャートを占めた邦楽の時期とか、イメージつきやすいでしょうか。 詩も音楽と同じく、JPOPもあればオルタナティブロックのようなもの、ジャズみたいなイメージの様々な詩が混在します。JKmaleさんにはぜひ、建築の知識を持ち合わせているからこその唯一の詩を書いてもらいたいと思ってしまいます。 物体が歩くことを、建築用語ではたとえばなんと言いますか? 建築業界において、たとえば「余計なこと」といえば何ですか? 私たちは日本語を使っているのではなく、自分語を使っていると認識すると詩が面白くなるかもしれないです。建築語、医療語、もちろん外国語とか、コンビニ語とかもいいですね。 若輩者な私ですが、詩界への歓迎の言葉として、JKmaleさんの道が明るくことを願います。 (早歩き)

2024-03-13

返信、ありがとうございます。 恥ずかしながら、「惰胎」の「惰」の字には気づけませんでした。そこを含めて、やはり裏の意味を巧く隠しているなと思います。 表の意味にも今一度立ってみると最後の方は、堕胎された赤子が、本当なら歩んでいたはずの未来(車に乗せられて、親とドライブ)を天国で歩み出している……みたいにも解釈できるのかなと。又、赤子は、命を失うことになど気づかない。だから自分が産まれたと錯覚している。そんなポンポンと成長するわけないのに、時間感覚とかも育っていないから想像が時空を飛んでしまう。 みたいに、これには別解釈の余地もありそうですが、良い詩は表も裏も世界観が損なわれないものだなと、ちょっと褒めすぎですかね、私はそう思います。 メタ的(?)にも見ると、やはり不快感を覚える人、救いが欲しい人などもいらっしゃいますが、それらを見て、社会を映す鏡のような詩だなとも思いました。この詩を直視できる人、できない人、皆この問題意識について強く思うことがあるという証拠です。田代さん、そしてこの詩には当然何も罪のようなものはない。問題は現実にあるのです。 人には産まれる前も、産まれた後も、切り取ってみたらフラクタルな状況があった。その田代さんのような気づきが心を動かす束になって、社会は少しずつ動くのだと思います。 向かい風が思ったよりも吹いていたので、少し熱くなってしまいました。社会に訴える一つの芸術作品の在り方、誇っていいと思いました。 (墮胎)

2024-03-13

コメント、ありがとうございます。終わり方、見破られ、お恥ずかしい限りです……。 「そこ」という言葉に執着したい考えではあります。形式どおり綺麗に流れていく詩情には、終わってほしくないという読み手の感情が生まれるのか、それ相応の幕の閉じ方が必要なのだなと、最近しみじみ思います。ありがとうございます。 (コック)

2024-03-12

↑すみません、打ち間違いで、残穢だと汚れたものになってしまいますね。でもこれって何て言えばいいんでしょう、残影? 残像? 不思議な現象です。 (コック)

2024-03-12

コメントありがとうございます。 とても作品に沿った批評、面白く読ませていただきました。嬉しい限りです。が、反面少し後悔しております。というのも、これは執筆段階の話になってしまうのですが、ここに投稿する前は「コックはどこ?」で締めくくっていました。メルモさんは、その残穢をとらえてきたのでとても驚いています。実際は「コックはそこ」で締めているというのに……。 ある方にお見せした時に、締め方に微妙な反応をされてしまったので、少し変えたのです。しかし今、「コックはどこ?」も「コックはそこ」もこの詩に合うか分からなくなってきました。「コックは 」(空白)で終わるやり方も、過去してきた覚えがあるので(あと、詩の中での沈黙は使い方を間違えるとネガティブケイパビリティの弱いものになると思うので)、少し腑に落ちない…。 メルモさんの、希望的観測じゃ終わらないから新しいというのも分かります。ただ、「コックはそこ」でも、料理店という居場所が霧散したあとでもコックは存在している、それは空や海を見ればコックの作った料理があるから、という絶望と希望の混じった苦味があると思ったので、今回そうしました。 締め方、難しいです。行じゃなく、連を解体して、まったく違った締め方に舵を切るのもアリだったのかな、とか思いました。 名前に関して、ありがとうございます。メルモsアラガイs(私はメルモさんと呼ばせていただきますが)もインパクトあって印象に残りますよ。まあ名前なんて、あってないようであるものですね。なんて。これも難しい。 (コック)

2024-03-12

返信ありがとうございます。 なるほど、即興、私もよく使う手法です。いいですよね。であれば、それぞれのモチーフに対しての新視点・解釈など、唯一無二の世界観が構築されていきそうですね。見張っていきます?‍♂️ 母音の解釈は、ランボーが母音に色が見えるとして自分なりのルールを作ろうとしていたのを思い出したので、指摘しました。やはり、細かい要素まで分析するのが言葉に真に向き合うことなのかな、なんて、日々思っています。難しいことですが……。 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-12

一部不快に思わせてしまう方がいる、変な読み方かもしれませんが、面白い詩だと思ったので少しコメントしたく思います。 この詩のイメージから、無職で親に面倒を見てもらっている成人の大人像が連想させられました。偏見かもしれませんが、社会問題になっているのはこのような家庭かもしれない、と。親に我儘な要望をし、「お腹を蹴る」などの暴行を働く子供……。 終盤、無理やり引きずり出され、入院や検査をする暇もなく外(=社会)に連れていかれ、自分の姿を客観視させられる。強行突破ですね。普通なら「出産」でしょうが、この詩のタイトルは「堕胎」。双方の解釈が食い違っているようです。 始めの社会問題に戻りますが、何が良い解決策なんでしょうかね……。無理やり引きずり出す前に、そうなってしまう前の手打ちが必要なのかな、なんてぼんやり思いました。 (墮胎)

2024-03-12

ありがとうございます。 コミカルと怪しさ、伝わっていただき嬉しいです。これからは爆発とかも詩の中に盛り込めたらなと、魅力を身につけていきたいところです。精進します。 (コック)

2024-03-12

自分はよく食べ物をモチーフに考えちゃいますね。溶けたり固まったり、状態変化が多様で表現に使ってて面白いです。 コメント、ありがとうございます。 (コック)

2024-03-12

前半は、言葉の乱れが激しくなる時代への対抗策として、母音や「アカ(漢字の部首?)」に意識を向けているのかなと、思いました。 後半は猫、魚、縞馬などなど、様々な動物が出てきますが、今の私の知識では何が隠されているか掴めない……イメージの面白さは伝わってきました。 最後、メッセージを手離してお金に着地するのは、美学に反するようなナンセンスさがあって私は好きです。 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-12

A・O・Iさんの、災害、災厄についての詩という意見になるほどなと感じながら、そのレンズを通して細かな表現を見てみたい。 災厄のレンズで違和感があるのは、第四連の表現で、自然災害だと捉えると「穢らしい指」というところに首が傾げられる。また、「爆発音」や「略奪」といった言葉も、自然に反抗する心の表れとしてしまっては少し残念なように思える。 「暇も義務もない」、「夏の一日を脅かす凄まじい手」といった表現から、戦争の過ち、その過去が巨人となって街の下に横たわっているのではないかと私は感じた。今も私たちが悩まされている自然災害というよりも、マンホールの窓から見える「幻影」としているところから、又、私たちの歩く「橋の影」に打ち上げられているというのも、昨今の不穏な情勢が覗いてくるような現実がある。 私たちはそんな過去の上で身を寄せあっている「落ち葉」に過ぎない命。先人たちの痛みを一人一人が想像する世界を保っていかないとなと、そう思いました。 (穴)

2024-03-09

死生観を軸にこの詩を読んでみる。 お星様がほほえみかけて「僕」を殺すという展開があるが、それが救いのほほえみかと言われるとそうではないような気がする。願いを中断させてしまうほほえみだからだ。しかし、その願いというのも、憂いから産まれる予感のするものである。 この葛藤の連が、一番死について迫っている所だろう。 死についての葛藤をする詩中主体とは反対に、トカゲは眠っている間に尻尾を千切られて死ぬという想像がされる。その方が救いなのだろうか? 小説を一冊、遺言のように君(おそらく大切な存在)にあげれば悔いなく死ねるのだろうか? 届くには届かぬ、というタイトルも、今死を受け入られるかどうかの距離感を表していると受け取った。ただ、死生観という二項対立にはあまり当てはめたくないほど、淡い境界を漂おうとしている詩だと、そう感じました。 (届くには届かぬ)

2024-03-08

アフォリズム詩と呼んでいいでしょうか、好きですね 正義、愛の価値観というのは人それぞれで、そこまでの展開は読み手は一歩引いた位置にいると思われます。 しかし、三つ目の形の進化となると、急に悪意が血管の中を流れる感覚が生まれてくる。この三つ目の変化には、人類すべてが包括されてしまうでしょう。 悪意に支配されている人類が、悪意を制御するように進化する時代は来るのだろうか。法律などの文明による制御ではなく、本能として悪意が生まれる瞬間を断つなんてことは…… おそらくそうなったら、それはもう人間じゃないんだろうなと思いました。 (悪意は形を変えるもの)

2024-03-06

返信ありがとうございます。 長々とやり取りすみません。はじめから枠に入れてしまう、その硬さ、他の人からも言われていることだったので、追求したい想いが強く出てしまいました。ありがとうございます…。 A・O・Iさんの挙げてくださった手法の例と全く同じという訳ではありませんが、同じような手法を自分もよくやるので、強く賛成します。そのバリエーション、量をまずこなしていって、自分の凝りをほぐさないと駄目だなと思いました。 自分は、まだ自作品の硬さや柔らかさを見極める目を持っていないかもしれないです。どれも、100%ではないですが柔らかく、柔らかく、書いてきたつもりだったので… また、楽しさも、どの作品を書くにもあるにはあるのですが、程度が違うのも確かにあります……。思想の自我は置いておき、好奇心の自我を自問しながら書くのは忘れちゃいけないと思い至りました。 二つの解像度を上げるために、ちょっと頑張ります…… (日雇いザムライ)

2024-03-05

申し訳ありません、上記コメント、少し訂正します。 ……アメをあげる、見ようによってはDVだと騒がれかねないSMプレイ…… に訂正いたします。誹謗中傷などの意はございません。 (日雇いザムライ)

2024-03-05

返信、ありがとうございます……(長文、すみません、失礼します) おそらく、詩をどう見てるのかがA・O・Iさんと異なっているのかなと気づきました。 小説から、要らない要素が抜け落ちて詩になる、という感覚よりも、小説にさせることは可哀想で出来ない、という前提で今まで詩を書いていました。 そもそも私は、詩では伝えたいことすら無い、というよりは飽和してしまって忘れてしまった、その記憶や想いがもしかしたら言語に無意識に刻まれているかもしれない、というのを信じています。シュルレアリスムに惹かれた一つの理由かもしれません。そのため、言葉自体に既に伝えたいことが詰まっていたのを、詩状に編んで横流ししている感覚です。意識が少しのスパイスとして働く時もあるかもしれませんが、極力味付けしないようにしています。 A・O・Iさんが言うのびのびとした詩作が、私にはこれにあたります。横流しが楽しいです。自分の胸から飛び出て自由にスキップしていく我が子を見るようで。子どもはまだいませんが。 この手法を好むため、どの詩でも納得は自分でもしていないです。自分でも所々でしか掴めない。でもそれが一人の他人を見ている感覚で、僕は今それが楽しいです。 ただ、それだけじゃ自分の言葉の自由を引き出せないのではと考えて、最近はテーマ・手法という乗り物に言葉を乗せてみている感じですが、その乗り物と乗っているものに違和感があるのかもしれないです。たとえば、カマキリがハーレーに乗って爆走しているかのような違和感。その違和感は、言葉に何かしらのレールを敷いてあげている感覚がそもそも嫌という無意識が働いて、私も含めた読み手全員を置き去りにさせてしまうのかもしれません。 ただ、この考えに沿うと、A・O・Iさんの手法もアリだなと思ってきました。詩→小説→詩という推敲は、自由だった言葉たちを縛り上げて鞭を打ってアメをあげる、DVのように感じちゃいますが、元々小説に閉じ込められた言葉たちを詩に解放させてあげる(小説→詩)のは良いな、と思いました。 もしそうするとますますA・O・Iさんの、もしくは他の読み手の理解の範疇を無視するものが出来上がりそうだなと、想像を膨らませつつ、ちょっとワクワクしてきました。そもそも、自分は小説作品すらもハチャメチャなので、自分でもよく分からないです。ちょっと怖いですね 読み手への通路の話、他の推敲の仕方など、参考にさせていただきます。ありがとうございます。 作品への反映には、B-REVIEWに上げるものは時間が経ったものにしているので、先になるかもしれませんが…… (日雇いザムライ)

2024-03-05

今回も参加させていただきました。企画、ありがとうございます。 お褒めの言葉、ありがとうございます。自分としましては、駅というのはやはり喧騒がある(都市部に住んでるからでしょうかね)イメージだったので、第一連、第二連のうとうととする展開から変えたいなと思ったんですね。 ただ、単なる喧騒を描くのではありきたりなので、「何も見えない」というのなら、音楽に頼ろう、と。そんな思考プロセスでした。 直後の湖湖さんの連が好きですね。「バカだな、指揮者は君だよ、と囁く声」の行は、単純なのに予想にしていなかった言葉だったので、やられた、と思いつつも快感を感じる不思議な体験をさせてもらいました。 ありがとうございました。 (連詩だよ「全員集合」編集版)

2024-03-05

コメント、ありがとうございます。 A・O・Iさんには、これまでの作品を丁寧に読んでいただいているので、この作品でねらいたかったものを少し書かせていただきます。 今回は、「それは散歩」の発展形として仕上げようとした次第です。世界観と世界観をぶつけるという手法のまた別のやり方を模索しました。最近詩誌で刺さった言葉として、「詩は現実との通路を作らないといけない」というものがありました。「それは散歩」は、私としては終始閉鎖的で読み手を掴んでくるものがないと感じていました。 そこで今回は「通路」を作ろうと考えたのですが、もう一つ、滑らかな穴ではなく不自然にそれまでの流れを穿つやり方を取りました。サムライの話なのに、妖怪を討伐しようと刀を抜いたりはしない、というような引っ掛かりを置きました。 しかしこれによりおそらく、前半よりも、後半の方が現実に、心情に焦点を当てすぎて細かく描いてしまった。あまりにもくっきりとした穴を空けてしまった。前半の靄のかかるような怪しい雰囲気と、後半のそのなじまない感覚は確かに、と読み返すと感じました。 ちょっと初めてのことばかりをするせいで、調節のツマミを巧くいじれてないですね。たまには、自分の土俵に立ち返った方がいいですかね (日雇いザムライ)

2024-03-04

コメントありがとうございます。 この緻密な解釈の中で一番的を得ている部分、言いたかったことは第八連のところですね。 幼少期の記憶というのはどこに刻まれているのでしょうか。おおよそ、視覚経験次いで聴覚経験かもしれません。触覚経験ももちろんあります。 しかし、自分の表情筋の動きというのは客観的に見れません。写真くらいでしか。たとえばおぞましいモノを目にした時のことを回顧すると、そのおぞましいイメージだけが思い出されるはず。その時自分が笑っていたのか、泣いていたのか、笑っていたならどのように笑っていたのか、までは思い出せない。 「私」は、「小さい私」とのギャップに気づいたのでしょう。もしかしたらあの時、自分は笑っていたのかもしれない。時が流れ、世間の波や常識の風に当てられてトラウマへと風化していった記憶に、新たな解釈のメスが入れられる。 きっとそれは間違った記憶かもしれませんが、それが今の原動力になるならそれで良い、そういう気づきの詩であります。概ね、伝わっていただけていて嬉しい限りです。 (日雇いザムライ)

2024-03-04

コメント、ありがとうございます。 そうですね、子どもから大人にかけて、命を賭けるものは変わっていくものです。それでもやはり、過ぎた時間の中にあったものを思い出すと輝いて見えてしまう。 その時の輝きをたまに借りながら、今を生きていく糧にするのがおそらく健康的なんでしょうね。 (日雇いザムライ)

2024-03-04

全世界の人々が もしも同じ誕生日だったら あの戦車はハリボテになると おじいちゃんは言う さみしい ぼくは 誕生日なんて消えればいいと思った いつもの分かれ道 一つは家まで続いてて もう一つは正しい獣たちが住む夜だからと おじいちゃんはぼくの手を引いた 土手を見下ろすと 戦車が二台 夕暮れの河原に輝いていて 砲台が真上を向いている 軍人さんたちが歌を歌って踊っていた この町は 今 ふまれたのかもしれない と おじいちゃんは言うけど 踏まれるって何? よく 聞き取れなかった 袋に入ったあめ玉が 道端にぽつんといたので 拾おうとすると おじいちゃんは手を離してくれた オレンジいろのあめ 日にかざすと 透明になるあめ こんなの 見たことない きっと世界で ぼくがはじめてなめるあめだ みてみてと ふりかえってみたけど もうおじいちゃんはいなかった もうおじいちゃんはいない けど、 さみしさは さほどなかった (B-REVIEW 3月のお題詩「誕生日」「仕事」 )

2024-03-03

僕たちの見る夢(眠る時の)っていうのは、過去の記憶を集めて組み合わせた「作り話」がほとんどですよね。この詩の面白さは、「僕」からS君に向けての想いのゆらぎにあると思います。 S君は陸上部からドロップアウトしてまでやりたいことを追いかけたのに対し、「僕」は陸上部に戻っていった。それなのに、書くことを続けているのは「僕」の方で、S君がどうなったのかの音沙汰はない。 筋書きのあるものを好んでいたのに、S君は、ナンセンスな夢物語に埋没して眠ってしまったのだろうか? しかし、そうとも言い切れない。「僕」も当然今、同じようにS君に想いを馳せられている可能性もある。だから、電柱の陰から、あの速い猫からS君を想起して、夢の中に入っているのは「僕」の方じゃないかとも思ってしまう。 けれど、夢かうつつか、実際は「どっちでも良かった」。とりあえずそんなことは関係なしに走り続ける。 そんな夢とうつつが混じり合うトンネルの中に、私たちもいるなぁと。世間のありきたりな二項対立的世界観を面白く、くるっと翻す詩だと思いました。 (S君)

2024-03-02

こういう詩にコメントがついていないのが悲しい。まさしく現代的な詩だと思う。 「重力」というタイトルが肝である。「長方形の黒い板」はスマホだろうか。安易に「スマホ」と書かないのがいい。涙は落ちるのに、手ではしっかりと握られている「黒い板」。そいつだけは重力を無視して我々にしつこく付きまとう、そんな物体のように思える。 涙が茶色の、お味噌のようになって流れるというのも心にくる。我々はたとえば、他人の茶色い涙を見たらどう思うだろう? 同情の念が純粋に生まれるだろうか? この茶色の涙は、自分のぶち当たる悩みが誰からも理解されないのではという悲しみも含まれていると、私は解釈する。 最後も印象的である。「朝御飯」!? ならばなぜこの詩中主体は冒頭椅子に座っているのか。横に寝そべるといった、重力を身に受ける、楽な姿勢では眠れていない。現代人の慢性的な疲労感がある。 こんなにも現代人の辛さを五行に凝縮しているのは圧巻である。ぜひ、今後も現実社会をその鋭い眼でくり貫いていっていただきたい。 (重力)

2024-02-29

最後の締め方、びょうびょ様(と呼ばさせていただきます)は不謹慎と承知の上ということだったので、他の方が触れていないその部分に言及しようと思います。 やはりパッと思い浮かべるのは東日本大震災などの災害、避難ですよね。空中にカーテンが締め切られ、皆が「それぞれ」の生活を中断させられていく。確かにそれまでの体育館での「静」のかたまりになる体験と類似しているように思えます。 しかし、一つ違うのではと思うのは「表情が分からない」という点です。災害のカーテンが締められる時、私たちは鮮烈にお互いの表情が見えてきてしまうはず。家族とはぐれてしまった人、家が崩壊してしまった人、薄暗がりの中のはずなのに、お互いがその表情の悲痛さを感じ取れる空間になるはずです。 最後、「なぜか各々の表情がありありと見えていた」といったような締め方が欲しいと思いました。ただ、良い着眼点、テーマを持った詩だと思います。 (照明落とした体育館)

2024-02-29

この詩は音を重要視するようなねらいがあるように思えます。実際、マリジアやテリアデリアなどの言葉を調べてもマッチする情報が出てこない。おそらくそうなのではないかという仮説に沿って、掬える言葉の流れから何が見えるかを考えてみる。 結論からいうと、誰かが処刑される場面のようなイメージが私は湧いてきました。 「執り行われる」、「ギリキリ細み増ししめ」といった惨いイメージの言葉から、「あ玉ティリーき」、「刺しるその一眼一拍の表紙丁寧な青、見た。」、「弾け飛びたかった皮膜」というところでは、頭や眼、皮膚といった生命活動に必須な身体の部位が無防備に晒されながらも、悲鳴を上げている感覚(逃げ出したい?)と、最期の青空を見上げるような場面が浮かびます。「未だ傍目くマリジア慈愛」というところも、恋人への未練が残っているのでしょうか。 「チラク高慢なあのベンタイリリックが大人へ」というのも、現世に遺した子どもの未来を想っているようです。「へろろへステンニ、遠く遠く。/ここから数歩のところ、ヒンパクに傾ける。」そうですね。これから、死後の世界といった遠くへこの人は行ってしまいます。しかし、それは数歩(処刑台に)歩いただけで到達してしまう。 「しっかりと照準を」、ギロチンで頭でも狙われているのでしょうか。 「円天と先天」、輪廻を祈るような、天に祈るような。「ホウロウ」はおそらく放浪でしょうか。輪廻などないかもしれないという不安。ただ暗闇を彷徨う魂だけの存在になるかもしれない。 といった具合に、言葉の流れを汲むと死に直面しているような一人の人間の詩に私は思えます。この支離滅裂な形式は、ラストでより激化していきますが、それは死に際だからでしょうか。 私たちは生きているうちは秩序を持っていられるでしょう。しかし、死に瀕する時はおそらく何もかもがパニックに陥る。自分の言語の秩序なんぞも崩壊するでしょう。この手法は巧くこの詩の世界観にマッチしていると思いますよ。最初の仮説から大分ずれてしまいました。 これを読めない、なんじゃこりゃ、と思う人はきっと、五体満足の幸せに浸かっていられているのではないかと。もう少し、詩の言葉に向き合い、想像・解釈する方がいて欲しいと思った次第です。 (拡大図のとなり)

2024-02-29

最初の二行で、ああ、良いなと染みてきた詩でした。 幽霊という透明な存在になることは、決して悪いことばかりでなく、その透明な身体は春の青空や、春の澄み切った波音をそのまま通していくフィルターとなる。 最近、「あなた」や「君」を詩に使う人が多い中で(多少うんざりしていたのてすが)、この詩は説明口調で直接こちらに語りかけているようにも思えます。だからこそ、不思議とこの幽霊の孤独感というのがない。それは読み手がこの幽霊に寄り添えられる、ように書かれているからだと感じました。 (春の幽霊)

2024-02-29

第一連の三~五行目の言葉が好きです。 私たちはつい、夢か現かという二つの世界に挟まれてると捉えがちですが、本当はもっと微妙な境い目があったりする。夢でも現でもない何かが。 「昨日よりも生きている」と感じるのは、そんな体験、つまり日々の微妙な違いに気づけているかどうかでしょうか。 それは時に他者である。「僕を羨むリッチマンの歩兵たち」というのも、発想の逆転ですよね。見下してきてるのではなく、羨んでるのではないかという気付き、変化。 また、「大切に持ち歩いた小瓶を落とした」のにも関わらず、「身軽になったと思えた」のは、内心の変化への気付き。 実は自分も他者も絶えず変化している、そうやって世界は変わっていく。それに気付いたと思えるかどうか。生きるとはそういう側面を持っているかもしれません。 (昨日よりも生きている)

2024-02-28

「愛が燦々と降って来ると/考えていたのは夢の中だけでヴェランダで本当に/燦燦と降って来るのは太陽の/光だった」 この五行にとても惹かれました。この詩の最後で子供の存在が仄めかされますが、それはこの五行につながっている。 自分が子供だった時の親の像が、まるで太陽のような存在だったと。だから愛は空から降ってくると信じていた「私」だったが、いざ自分が親という立場に立ってみると、ヴェランダには太陽の光しか差さないことが分かる。かといって、この詩が空虚感に包まれることなく締められるのは、子供の存在が大きい。 かつて空に親を見ていた「私」は、今度は子供を空に見る。それは太陽と違って、曇り空になったり暗雲にまでなったりして……それでも最後には雲一つない空になる未来がある。その時には、親としての輝きがまた燦々とヴェランダに降るんだろうなと、想像を搔きたたせられました。 (そんな一日)

2024-02-28

最近悔しい思いをしたのでコメントしに来ました。 憧れ、嫉妬の対象は、こっちが追いかけるよりも速い速度でどこかに行ってしまいますよね ただ、後ろを振り返ると、いつかの自分と同じ苦虫を噛み潰す人も見えるわけで… この道がどこかに架けられた桟橋だとして、後ろから崩れていっていつか自分も落ちていく、なんて不安。いや、前の方から崩れているのかもしれない、なんて。 弱音吐きになってしまいましたが、人類共通の悩みですねこれは。 失礼しました。 (才能)

2024-02-27

コメント、ありがとうございます。 歌ってもらう詩、というテーマで書いたので、意表を突いてしまうと歌い手のリズムが崩れたり、考え込ませてしまう恐れがありますね。 A.O.Iさんのように、色んな人の喉元をさらっと無邪気に通り抜けていって欲しいです。テットルン (テットルン)

2024-02-22

投票し忘れました。 (月色(げっしょく))

2024-02-22

そういえばこのB-reviewのサイトも、「バター」、「カスタード」、「満月」といった「月色」だなぁと気づきました。 「裸」も、黄色人種であれば「月色」と言えそうですね。「ミトコンドリア」はどうなんだろうと調べてみると、なんと無色透明で、観察する時は染色しなければならないらしい。 最後の二連が好きです。月がカスタードクリームのように溶け出してくる夜、面白いです。それとは反対に、前半三連は「裸」、「産毛」といった輪郭・境界線を保つイメージがある。 かといって拒絶するのではなく、「ペットボトル」や「ミトコンドリア」などの透明な器が意識されて、「まばゆ」さを感じ、その「月色」を身に受けているように思いました。 夜を容れたペットボトルのような私たち。いいですね。カスタードクリームも大好きなので、私は良い詩だなと思いました。 (月色(げっしょく))

2024-02-22

四季、または日本の風土に対して、古来では厄災や神だとして受動的な認識だったと思います。今も、地震などの災害にはまだ理不尽さを振りかざされることがありますが… この詩でも、ただ四季の美しさを謳っているのではなく、虫は虫でも「蟲」、波の「荒息」、鴉の「冷めた合唱」、冬の大雪は「空の一息」に過ぎない(と解釈しました)、など、それぞれの四季の強さが表れています。 そんな四季(自然)それぞれに耳を傾ける(=立ち向かう)姿勢を持ちながら、最後は彼らの独壇場になってしまう。 旧来の自然への意識から変わりはしつつも、やはり自然には負けてしまう、魅入ってしまうといった詩。だからといってこの詩は、人と自然の共存がある、とも言っていないように思える。絶妙なバランスの詩だと思いました。 (四季の声)

2024-02-20

声変わりのしていないアナウンス 点字ブロックの凹凸を踏みしめると 短調の記憶が奏でられるのはなぜ? 降りる乗客の中に、指揮者はいませんか (連詩だよ「全員集合」)

2024-02-19

良い詩なのになぜコメントなど評価がないのか…。 第二連の表現、好きです。単純に、名前というのが対象の分節だとすると、木々は各々そこに限界をもって存在していますが、路は無限に世界のどこまでも伸びている。だから、分節できない=名前がない、と解釈しました。 路に落ちると、運が悪いと穴ぼこにも落ちてしまって落ち葉としても認識されない運命もある。鼻水の上下運動が、そんな葉っぱを励ましているようなイメージで面白いですね。 彼らを引っ越しさせるのはこの詩では「雨」ですが、冬の季節が来たらさらに絶望するのかな、とか、その直前の紅葉は彼らの全盛期かな、など、想像も膨らむ詩でした。良い詩でした。 (路子/みち/こ)

2024-02-18

表現が好きです…特に第三連、神々しい。 ミクロとマクロのカメラワークが巧いと思います。雨が時計の針に降る、一つの薬缶と街、サイダーと金星… 「歌」がキーワードですね。第一連、幽霊が歌い出すという面白いスタートです。世界のあらゆるものに声が宿る、時間を飛び越えて彼らの声は響く。そういう、この詩の世界ではもちろん「喉」も崇められるほど重要で、花嫁の喉を潤すことが栄光だと、サイダーの誇らしげな顔が浮かんできます。 祭事の雰囲気が詩を包んでいるのか、「火」が出てきますね。しかし、同時に不穏な展開になっていく。約束を守れなかった、何か。伝統の断絶だろうか。小石が歌を歌うようになるよ、なんて言われても、幽霊の歌より全然インパクトが薄い。ここから、「未来の歌の喪失」の警鐘が聞こえてくる。 最後にはそんな警鐘を胸に留めて、旅立つ若者が船の汽笛に振り返る。そんな情景が浮かびました。良い詩でした。 (二重線)

2024-02-17

「酒」というワードが入ってきましたね 分かりやすい、と言ったら確かにそうかもしれないですが、読み手の解釈の敷居に大きく踏み入る感じまではしないので、良いと思います。 詩中主体は、その墜落した世界の女も深層心理では見たい欲望があるだろうに、「愛のせい」ではなく「酒のせい」にする。いいです。 (天国)

2024-02-16

面白い。私も一度、大陸のような女性の身体を歩く詩を書いたことがあるので、所々イメージの共鳴を感じました。 裸体は「凍った夜」のように美しくても、詩中主体はエロスに直面した後は夜明けへと駆け出してしまう。最初の連で「墜落した」ともあるように、その世界は早く抜けるべきで、元の場所に戻らなければいけないという焦りを感じる。ただ、エロスだけはしかと確かめてかっさらいたかったのかな、と。 そこから天国に戻り、朝食の日常を享受し、女性の顔を見る。これは持論ですが、夜の世界では相手の顔というのが見えにくいなぁと。相手の全身を意識し、キスの時には目を瞑る。視覚を遮断すれば、触覚が研ぎ澄まされる本能からでしょうか。 「天国」と、墜落した先の「女の夜」、二つの世界から恋人を確かめること。愛を巧く表している詩だなと思いました。良い詩でした。 (天国)

2024-02-15

誤字しました。「絶対的な権力」、でした。 (雲)

2024-02-14

「ただ上に伸びていくそれ」とは何か。 前半四行は叙情をうまく捉えていると思う。人間の心は目まぐるしく移ろうもの、空は毎回新しい景色を映してくれる、相似性が高い。「やさしくてゆっくり」な、雲とリンクする気持ちになっていく。 雲は平行移動するのに対し、その雲のように伸びていく気持ちが上へと向かっていくのだろう。その気持ちを、「太陽ですら邪魔はできない」と締めくくるが、私はここをもう少し掘り下げたい。 前提として、雲が見えるのは太陽のおかげである。太陽がなければ、白い雲も黒い雲も見ることはできない。むしろ手助けしている。 ならば、この「邪魔」という表現はどう受け取ればいいだろう。 「太陽」が、絶対的な権利を持つものとして表れているとしてみる。前半に挙げたように、空模様は絶えず様々な景色を見せてくるのに対し、太陽は規則的な運動で、大体毎回同じような眩しさを投げてくる。 雲と太陽は、まるで民と王のような関係かもしれない。秩序などのしがらみから脱して、雲に想いを届けに行く、それは太陽の力を持っても邪魔できない、と私は解釈した。 しかし、やはり心残りなのは、扱うモチーフの2つの距離が近すぎてしまっていることで、イメージがスムーズに受け取れなかった。ただ、良い詩だと思います。 (雲)

2024-02-14

なんだか時間についての議論がなされていますが、 力学と熱力学の、双方の時間に対しての考えを思い出されました。私は熱力学派ですね。 そんなことは置いといて、時間が虚ろに、無内容になって今に迫るという詩の内容について。 多くの人たちがこの現実に直面して嘆きますが、この呪いの射程は段々と膨れて、まるで人生何をしても意味がないというニヒリズムが流れる場所があったりしますね。 だからこそ合理的なもの、利益、目に見えるものを求める社会の中で、逆に虚無だと分かるもので時間を埋めるとどうなるか、は気になりますよね 何かしたけど、何もしていない(と周りからみなされるもの)、そんな虚無を時間という薄皮で包んで回顧すると、何が見えるのか。と、この詩を受けて考えました。 (時間の内容)

2024-02-14

コメント失礼します。 以前、&さんのコメントを受けてからこちらの作品を拝見しました。おそらく、同じような領域に関心があるのかなと、少しワクワクしております。 第一連から、意味の喪失や距離の喪失(tele )のイメージ、「飢えた梟」という言葉からジョージ・オーウェル的な終末感が漂います(世界が終末に向かう時、真っ先に梟に異変が起きる、というような話を読んだことがあります)。 そんな始まり方で、意味・空間の秩序が壊れているはずなのに、第二連は「雷が遠くで鳴る」という異常事態が発生。秩序の崩壊のまた崩壊。もうてんやわんや。 そんなメビウスの輪のような世界に対抗するには、「意味をなさない実存へ」向かうことで、同じくメビウスの輪のような存在になるのが必要になる。 第三連からは解釈が多様になるかと思います。まあ、私は人間とその無秩序世界の格闘を感じて、それが最後には人間の敗北に終わると受け取りました。敗因としては、たとえば「映像」といったものに振り回されたことによるでしょうか。「映像」は、遠くにあるであろう真実を映すだけの媒体に過ぎなく、その真実の存在証明をしてくれるものではない。だからこそ、賢者や隠者なども不在。虚構であっても存在する、と信じられていたアンビバレントな者たちは居ない、と梯子を取り上げられる感覚。 最後に、最終連の最後が一番私は好きです。この終末の手はつまり、天界までにも延びているわけです。雲の上から、直接様子を窺っているわけではない、天使たちもまた、モニター越しに世界を見つめている。「嗤っている」のは、決して天使の本性ではなく、「映像」という毒にやられた末の感受の麻痺。 この表現がなければ、救われなさ、絶望は刺さってこなかったと思います。良い詩でした。 (映像)

2024-02-12

コメント、ありがとうございます。 見た目の問題、縦書きか横書きかとかも関係してきそうですね。 正直、先人たちの暴力的な詩(褒め言葉ですが)を好んで通ってきたせいで、自分のこの詩を読み返しても、まだ小綺麗で優等生ぶってるなと感じたりします。 だからといって躍起になって、無理に狂気を纏おうとすると、ごちゃごちゃとした違和感が生まれて、ピエロの茶番劇のようになる部分があるのかなと、A・O・Iさんの指摘にハッとしました(その違和感が生まれても、意識的にコントロールできればいいんですが…難しい)。 相手を綺麗に仕留める暗殺者かのような詩、それも心がけてみます。聴覚と視覚、両方のイメージでもって。 ありがとうございます。 (クロス・ゲームの手紙)

2024-02-12

湖湖さんの感情は狙いどおりではありますが、その先を引き出せない、私の言葉紡ぎの魅力がまだまだ足りないですね……。 もっとケミカルで、誘惑するほら穴のような詩作を努めていきます。コメント、ありがとうございます。 (クロス・ゲームの手紙)

2024-02-12

コメント、ありがとうございます。 「尾を引いて残っている言葉」をまた、次の作品でどう見せるか。 マジシャンと同じで、類似したトリックでは同じ客は騙せない。 また新たな毛色で、この詩情を紡いでいこうと思います。ありがとうございます。 (クロス・ゲームの手紙)

2024-02-11

コメント、ありがとうございます。 イメージは音楽性とともに現れると信じています。得体の知れない水銀が、なぜか心地よく頭に流されるその現象を、引き続き詩にしていきたいです。 ありがとうございます! (クロス・ゲームの手紙)

2024-02-11

ゼッケンさんの詩、好きです 直近の「プレゼント」や「埋設」しかまだ当たれてないですが、テーマの提示の仕方が上手すぎる気がします。 良いところを具体的に、分析して自分なりに落とし込もうと思いますが、 第一連、「おれ」の世界の捉え方から始まりますが、なんとも賛否両論ありそうな偏見が含まれている気がしますね。たとえばこの詩の考えに沿うと、神様は人間を「信仰」の面で制御しますが、肉体の細胞には「信仰」の機能はない。代わりに条件反射による発熱などの「反応」しか持たない(もし細胞にも「信仰」があるとするならば、無神論者はがん細胞のようなものだろうか?)。神-人間と人間-肉体の対比はあたかも当然のように書かれるが、少し歪曲しているようにも思える。しかし、その思想の強引さがこの詩の魅力で、惹き付けられる。 後半、面白いですね。神がまるで猫じゃらし、いや、罪じゃらしで「おれ」とじゃれている感じですね。罪という意識を通して、神様と遊んでいる。罪悪感の向こうに神がいる。一見滑稽に見える「おれ」の行動、その罪を犯す行動が、逆に「おれ」の信仰につながっている。 この逆説の主張はちょっとため息が出ますね…素晴らしい詩だと思いました。 (健康増進法)

2024-02-11

西条八十さんの「トミノの地獄」、初めて知りました。天沢退二郎さんは、まだ数作品しか読めてないのでいつか読み込みたいなと思っている一詩人ですね。 少女の無垢の力と、人面犬の狂気の力がまだ現実でせめぎ合う、結末の解釈はまさにこの作品の解像度を上げているなと思いました。ありがとうございます。 (それは散歩)

2024-02-10

痛みというものが、時に一個の生命だと感じることがあります。自分の意識外から突然やって来て、いつの間にかいなくなる、酷い時には日常の運命を変えてくる存在です。 この「私」は、外の兵士達(性を快楽として弄ぶ)からの生命よりも、体内の痛みの生命を信仰していますが、その板挟みになり、砂、苔といったものにまみれて死に近づいている。 いや、むしろその苔といった生命への憧れだろうか。人の荒廃した土地に生える彼らのように、倫理の荒廃した土地で苔として生きていくことを「私」は望んでいるのかもしれない。そう考えると、「私」はひどく厭世的である。 狼は、実は「私」を食い破ろうなどとしているのではなくて、身体の外に出て、兵士らを噛み殺したいのかもしれない。世界への抵抗である。でも、「私」がそれを抑えている。「私」の中の諦めと怒りが乖離して、怒りが沈殿してしまったのではないか。 世紀末のような世界観と、どう生きるかを決断する「私」の言葉に、切なくなりました。 (狼)

2024-02-10

後半四行が、それまでの構成のリズムから外れているため、それ以前とその四行の二つの構成から成っているかと思います。この後半部が肝なのかなと。 前半、「ぼくは燃えかす」と三回繰り返されたり、また、どのような燃えかすかを説明する行がありますが、後半では「僕」という表記の揺れがあったりと、これは自己紹介というよりは、「ぼく」が「ぼく」に「ぼくは燃えかす」なんだと言い聞かせているように感じます。普通は一回でいいですからね。 次に「あちら」という言葉に注目したいと思いますが、これを素直に空の世界のことだと汲み取ると、前半部とのズレが見えてきます。 「あちらに何もかも置いてきた」という主体性があるように書かれているにもかかわらず、実際は「ちぎれてできた燃えかす」で、空から弾き追い出されるように「ぼく」は「燃えかす」になっていたはずです。 空の世界との決別が、本当は自分の意志ではなかったのではないでしょうか。しかし開き直って、「燃えかす」としての「ぼく」を認めて存在しようとした最後、また空の世界に吸い込まれていく。しかもそれは「雷雲」。望んでいた星空の世界ではない。その不条理さが伝わってくる。 高校生という情報を見て、偏見じみた、精神分析のようになってあまりこの批評は自分は好きではないですが、モラトリアムが終わろうとする中で自分と社会との距離感を考える、そんな思いが隠れているのかなと。 無理やり現実に結びつけた感が否めないですが、それほど問題意識を巧く隠している詩だと思いました。読み応えのある詩だと思います。次回作も期待しております。 (自画像)

2024-02-08

これは一つの価値観ですが、 自分も他人も、そんな境目などないと思えば楽になりますよね。妬みは時に活動のエネルギーになり得ますが、排他的になって自分が孤立してしまう。私は幾度か経験しました。 コスモポリタニズム的に、世界が一つの生命で、他人と共鳴する生き方もアリです。妬み、恨み、羨みが人一倍強いなら、きっと敬いの感情も強いはずです。 自分のことが好きか嫌いかではなく、世界を好きになれば、自分も他人も含めて好きになれる。説教じみてるかもですが、妬みなども時にはスパイスとして囓る時もあるので、忘れてはいけない感情だとは思います。 失礼しました。 (自分の愛し方)

2024-02-08

これから作戦会議を始める。 皆、各々動画で確認してきたと思うが、今回の相手は非常に手強い。 前回の試合では、殉足のトムがハットトリックを決めている。優勝候補だったヴィーヴルズは破れた。 こいつはエース級の選手だ。このチームの誰も奴のスピードに追いつけないだろう。 滑らかにフィールドを駆ける。フィジカルで防ごうとしても駄目だ。奴はスルスルとディフェンスを通り透けていく。まぁ、すり抜けるのはどの選手もそうだが、トムは別格だ。 何日も考えたが、奴を止める術は私も思いつけなかった。そこで、だ。お前ら、ソックスの中にこの粉を入れてくれるか。 塩だ。そう。盛り塩だ。これは審判にバレちゃいけない。これを試合中、徐々にペナルティエリアの白線上に落としていけ。相手と自陣側、どちらにもだ。 これをすることで、奴らはペナルティエリアに入る時、少なくとも身体が思うように動かせないほど重くなるはずだ。 しかし、油断するな。奴ら一人一人を絶対に見失っちゃいけない。恐れちゃいけない。勝つのは我々だ。 _____________ 幽霊スタジアムで開催された幽霊杯にて、某チームの不正が発覚した。試合中、身体の違和感を覚えた幽霊審判の告発により、選手らがフィールドに盛り塩をしていたことが判明。スタジアムは騒然。幽霊サポーター達は呪言ブーイングの嵐だった。某チームの監督は、「出来心だった。バレないと思った」と不正を認め、自決。地縛霊となってスタジアム地下の奴隷活動に身を置くこととなった。他、選手らの処分は十分に協会が検討するとのこと。 ちなみに、不正発覚時には試合は終盤で、それまでペナルティエリア外からのロングシュートの炸裂、トムはまたしてもハットトリックを達成した。 (B-REVIEW 2月のお題詩「幽霊」 「秘密] )

2024-02-07

「人生」という題から一言目で「金玉」と続くインパクトは中々なものです。それなのに、詩全体は素知らぬ顔で脱力して流れていく。 金玉に毒を塗るとはどういうことか? 単純に、新たな生命の誕生を手放すことなのか? 仮にそう考えるとして、第二連で「俺」は遠い花火の綺麗さを思うが、花火もひとつの生命(放たれて散るまでの流れ)だと考えると、彼はそれを羨んでいるように思える。 妻の言う「品性」とは? 生命云々に考えが縛られることが品性の欠損だ、という価値観だろうか。反出生主義のようなものにつながりそうである。 そう考えると、「俺」から妻に対する「勤勉」という言葉は皮肉にもとらえられる。 麺をゆでずに、いきなりそば湯になり不要なものとされ棄てられる「俺」。それが人生なのだろうか? 「人生」という題から「金玉」と始まるこの詩の違和感は、詩全体の違和感をも体現しているように思いました。 好きな詩です。 (人生)

2024-02-07

ミステリー詩と言っていいでしょうか。詩全体を包む謎がとても魅力的です。 おそらく、人によって多様に解釈が分かれるかと思います。 夜が光を殺し、その死体も凶器もすべてその暗闇の中にある。この光というのは単なる星でしょうか? 「美しいものは醜いものを伴って連れ添う」という箇所は、星が死体を引きずっているようにも思えます。殺された光とは、一体何なのか。星とは別物ではないでしょうか。 また、光だけじゃなく、夜は人も殺しています。それはどんな人なのか。少なくとも分かるのは、その死体を隠すのに溜め込まれた蝶の死骸がカモフラージュとして使われていること、でしょうか。 ひとつひとつ、言葉を丁寧に掬っていくとさらに迷宮入りしてしまいそうな、そんな詩だと思いました。謎を解く力や余裕が無いのが悔しい。それでも、この詩は好きです。 (夜が光を殺した、夜が殺人を犯した)

2024-02-05

紙一重、それに向き合った詩でしょうか。 クローバーの群れを見ると、ふと三つ葉を四つ葉と錯覚してしまったりする。逆もしかり。不均衡な言葉や物事を、振り子のように描いていて、読んでいてチカチカ目眩がするようです。私はこういう詩、好みです。 薬も水も 今の僕には 海の水 この言葉にあるように、物事の変化は「僕」の主観が必ず関わる。三つ葉になったクローバーは、実は四つ葉だったかもしれない。 松明という明かりで、自分の中の矛盾を照らして、像のゆるがない四つ葉のクローバーを探しに行こうとしてるのでしょうか。最後、めげない気持ちが表れてていいです。 (三つ葉になったクローバー)

2024-02-05

感想、ありがとうございます。 この詩に関連して、散文詩ってなんぞや、も突き詰めていきたいですね。自身、詩だけでなく小説にも挑戦してみてるので。これは小説寄りだ、もしくは詩寄りだ、という風に感覚を身につけていきたいです。 A・O・Iさんの意見、とても参考になります。ありがとうございます。 (それは散歩)

2024-02-04

習得中の言語で書かれている特徴____ 興味深いですね。日本語で考えて、日本語で書いてました。もちろん、母語です。 ただ、私は全うに日本語を壊すことを目標としているので、そうなると、日本語のしがらみの何かから脱け出せている兆しがあるのでしょうか……? 時間の扱い方にその特徴があるとのことですね、自己分析、深めてみたいと思います。感想、ありがとうございます。 (それは散歩)

2024-02-04

コメント、ありがとうございます。 とても鋭い考察だと思いました。形はかなり変わりましたが、超初期の構想を記したいと思います。 私の詩作のエネルギーの中には、シュルレアリスムが一つ底流しているのですが、オートマティズムによる予期せぬ隻語の衝突、そこから放たれるグロテスクやユーモアなどの光量を調べたりしていました。 ある日ふと、この言葉の衝突実験は二次元的で単調になってきたと感じ、それじゃあ三次元的に衝突を起こさせようと考えたのが始まりですね。安直ですが、初めに浮かんできたのが世界観の衝突です。異世界転生ラノベを詩に持ってきて、異世界転生詩というようなものの試行をしようと考えました。1.5A様の、非現実に現実を落とし込む、という解釈はまさにドンピシャでビックリした!(失礼しました) ただ、課題が多く残る詩だなと、この場に永訣の念で投稿した次第です。具体的には、少女の世界観が強すぎることですね。もっと、双方の世界観が弾けて混ざり合い、原型を思い出せないくらいに外してナンセンスを目指したいなと思いました。最終連に人面犬が残っているのは、そのせいでしょうね。完全な現実には戻ってこさせたくなかった。 この実験を皮切りに、三次元的シュルレアリスム(造語ですが)が追究できればな、と、そんな感じです。 また、何かあればお答えしたいです。感想、ありがとうございます。 (それは散歩)

2024-02-03

第二連と第五連をリンクさせるなら、右を向いた時に目が合ってしまう人がいる、という恐怖もあるなと思いました。 その人が逃げたあと、群れに留まった自分は何を思うか。安堵なのか、嫉妬なのか、興奮なのか。 第六連もそれに関わって、逃げ出す人たちの動向をうかがってしまうこと、それすらも逃げにつながってしまう世界だと表される。 まぁ、人間の肉体の可能性を尊重する立場から見れば、声、足、目などを最大限活用できているのはいつだって「逃げる側」だということ。改めて肝に銘じられた詩でした。 (怖いから)

2024-02-03

もじゃお様、企画のほどありがとうございました。 完成した形をみると、連詩だという先入観があるからなのか、書き手各々の個性が突出しているなと思いました。詩のテーマの言葉を借りるなら、ぼんやりとした光ではなく、閃光のような刺々しい輪郭を持つ詩なのかな、と。 第一連がなければ私は広げられませんでした(光と地平、還る、というシンプルかついい組み合わせでした)し、第三連A・O・Iさんの言葉の仕組みが壊れていくイメージから、黒髪さんのロマンチックな締め、短くも躍動感あふれる良い詩だなと思います。 また機会があれば参加したいです、ありがとうございました! (連詩への「なにか」編集版)

2024-02-02

私たちは過去の先人たちの明かりに導かれていること、その気づきへの詩だと思います。 未来という夜道を生きる私たちを、先人たちがそれぞれの輝きでもって、星になり照らしてくれている。 そのことを日常からみつめる構成だと思いますが、面白いなと思ったのは「毎月の事故死者数」という部分です。 どのくらいの人が亡くなったのか、地上では具体的な数が分かってしまうのに、空を見上げても私たちは星を数え切れることなどないでしょう。この対比が、生死を超越して輝く星のイメージを強めているなと感じました。 これは多くを語らない短い詩ですが、この現実と空想の緩急づけを、等星さんの次の作品では長く味わってみたいとも思いました。 (僕はね)

2024-02-01

惚れ惚れする詩です。中央には電柱がなく、都市の周縁部にはあるという設定がもう好きです。 電柱の役割として、①明かり点けること、②電気を供給することがこの詩では触れられていると思いますが、②よりも①が重要で、なんなら②に関しては空き家に供給されていない。③空の区画についても重要かなと思います。 明かりは夜しか必要になりません。一方、日中は空の電線区画が露になる。街の人々はこの二つのうち、夜の争いに躍起になっている。リアルで醜い電柱所有権の争い。そんな中、「おれ」はかなり革命的な存在であった(マジックで塗り潰すところなど)のに、最後は二つ目の街灯をつけて市民たちの意向に寄り添う方へと傾いていってしまった。 体制に従うか、反体制につくか。その選択は地位や権力によって簡単に揺らいでしまう。反体制側から「おれ」が退いたのは、その街の枠から抜け出ていた姉弟の存在が大きいだろうと思う。本当に革新的な力を持っているのは彼らだったのだなと、そう考えながら「おれ」は黄昏て電線の貼り付いた空を見上げているのだろうな……と思いました。 非常に面白い詩でした。ありがとうございます。 (埋設)

2024-01-31

第三連が印象的な詩だと思いました。 第一連から第二連にかけては、触覚や嗅覚などを交えて、モノの輪郭が壊れたり壊されたりといった自然の摂理のようなものと溶け合うようなイメージがありました。 一変して、第三連では数式といった科学的要素が登場して、モノの輪郭には、モノが存在するということには必ず数式という枠が在るのだと思い出させられる。しかし、その数式なしで世界を視れる、数式というものが世界から「透け」ていること、そのおかげで私たちは世界の美しさに触れられているということ。 そのような発見を、滑らかに展開している詩だと思いました。良かったです。 (透ける)

2024-01-30

個性や価値観というものが過剰に問われている現代の弊害として、「真実を見ない」ということが、確かにあると思います。 たとえば、幽霊はいます。妖怪もいます。戦争もあります。身近な殺人もあります。なんなら魔法もあります。 そんな非科学的な、と、自分の許容できる世界に閉じこもり城壁を造ることは個性でもなんでもなく、それこそ現代的に一般化された「イデオロギー」の中に取り込まれていく没個性に過ぎない。 世界はどう映っているのか、その真実を認識・表現できるのはカメラでもAIでもなく、人間でしょう。だのに皆、自分の知れる範囲の事実だけが好き過ぎる性分だなぁと思います。そういう私も、身を引き締めなければと常々思いますが。 「平和イデオロギー」、改めて読んでもいい詩です。 (平和とはなにか? 実はここにメッセージはひとつもない。)

2024-01-29

「人の変化」について、そのテーマ通りに、疑問を浮かばせる構成を取っていて巧いと思いました。落とし込むのに少し時間が要りました。 この詩の違和感は最初と最後の一文ですね。「変わったね」とも、「変わってないね」と言っても「僕」は「君」に怪訝な態度を取ってしまう。最初から最後にかけて、この詩の「僕」の考えが変化、まさに「リセット」されているようです。 また、「できそこないの詩」というタイトルも、考えさせられました。完全=不変、不完全=可変という合理的な考えが現代に蔓延っているように私は思えます。この詩のタイトルには出来・不出来に加えて「損ない」という単語も含まれていますが、漢字ではなく平仮名で表現されているのが良いと思いました。一種の抵抗のように捉えられます。「出来損ないの詩」と書くと、どうも堅苦しくて、可変性や柔軟性が消えて、詩の訴えと噛み合わなくなってしまう気がしますからね。 もっと奥深く、このテーマを抉るような力を持っていると思われましたので、次回作を期待します。 (できそこないの詩)

2024-01-29

「赤ずきん」の連で心が惹かれました。 赤ずきんにおけるオオカミ、身体における酒や煙草、日常における事故、この街を歩く「俺」。 そして「ちくしょうめ」と勢いのある厭世観から打って変わって、最後の二つの「雪国」の連は不思議な読後感を覚えました。 あらゆる二項対立の喧騒を、白くその境界を染めてくれる「雪国」への希求でしょうか。しかし、それがただ寒いだけの世界だったと、そう感じるのはこの「俺」の「嘘が/下手すぎる」からなのでしょうか。自分を騙し切れず、ひたすら安息地への放浪を続けるこの哀愁漂う雰囲気、好きです。 (雪国)

2024-01-29

暗喩表現が光っている詩だと思いました。単なる、パンにジャムを塗る朝という日常ではない、何か気持ちの悪さが含まれた詩で、私はとても好みです。 この詩のマーマレードは、食べるためのものとしては現れていない。それは、「わたし」のわずかなミスでパンから溢れ落ちた瞬間から、その発光する体の真価に目覚めたような存在。ただ、「わたし」の目からはそれは偽物の光に見える。朝陽の代わりになんてなれやしない、と。実存と本質の問題がここには隠れていると思います。物質と生物の在り方が逆転しているようです。 その逆転をまざまざと見せられる「わたし」。そのマーマレードの光を取り出したのも「わたし」。それらに埋め尽くされた「わたし」を、また光らせるように取り出してくれる人は居るだろうか、と切なさが香ってくるこの構成、素晴らしいです。 良い詩をありがとうございます。 (光/ひかり)

2024-01-26

墨、と見ると私はいつも水墨画の儚さを想起させられます。 日本人の趣きがかつて、水墨画に向いたのには、今浮かび上がる生命の産声にも、消え掠れゆく生命にも捉えられる曖昧さにあると聞いたことがあります。 この詩にも、その淡さが表れていると思います。朝焼けという第一連が一日の始まりとするなら、第二連は昼、第三連は夜、のように、なだらかに動いていくようです。 そして裏にはしっかりと、生と死を跨ぐような境界線の昼、水面により死を想起させながら夜空の青さも表す夜、というように一日≒人生の二層構造が組まれていると思われます。 第三連で、自分にではなく他の誰かを偲ぶような焦点の動きにこの詩の美が在ると感じました。 良い詩をありがとうございます。 (墨)

2024-01-25

書くことそのものへのエネルギーを、高解像に映した力強い詩。第一連の軽い始まりから、第二連への跳躍は油断してしまいました。 「紙と目の間の/光の反射しないゆらぎを見ている」 この言葉がこの詩に息を吹き込んでいると思います。「今、何かを書く、その時」に、紙や目などの物質的なものではない何かを感じ始める人こそ、書く力がある人なのだと、もっといえば書くべき人ですね。 そこから、書くという行為を指先だけに任せるのではなく、身体全体で踊るように書く躍動感。「書く」=「走る」へとイメージを変化させていく。 そして最後に、伏線を回収するかのようにあの「ゆらぎ」が「海」として現れてくる。言葉の海だろう。そこでは身体が思うように動かない。 その絶望に呑み込まれてもなお、「海」をただ追いかけるのは、果たして我々には可能なのかとこの詩を受けて考えてみる。私たちが海を想像するとき、それは一般に浜辺から眺める静かな海のイメージが理想かもしれない。サーファーなら荒波かもしれないが。 詩人はそれらとは違って、渦に巻き込まれる海に自ら入っていくような人種だ。自分の思想に何度もイロニーのメスを入れて、堂々巡りになりながら遭難していく言葉の放浪者だ。私たちの望む海は一体どこなのか。それは見つかるものなのだろうか。その答えは、やはり目線を紙に向けた時に見えるあの陽炎にありそうである。 良い詩だと思いました。 (見えないもの)

2024-01-24

雰囲気がとても好きです。 暗い森という、魔術的で幻想的な世界観といったステレオタイプがある中に、「三丁目」、「ポスト」といった生活的なモチーフが使われて、それでいて森の不気味さは損なわれていない。この均衡感覚の裏には、たとえば「名前を聞かれたら決して答えてはならぬ」という禁忌を提示する老木や、多くは語らない老婆、そして、「森の入り口から」来たと明かされる正体不明の「ぼく」など、不確かな存在たちの情報が入ってくる絶妙なリズムのおかげで、現実と非現実の均衡が保たれているような詩に思われます。 また、「名前」に関しては、安部公房の「壁」を想起させられました。意識されているかどうかは分かりませんが、「ぼく」だけでなく老木や老婆、ランタンなども名前はなく、cafeも単なるcafeといった、固有名詞がない世界の中で、「ぼく」だけが名前を問われる不条理さが共通しているなと。 名前も、出身も分からない「ぼく」はランタンの言葉によって、鞄の中の林檎を見つける。これは、始めに森の中に彷徨う時に「ぼく」が無意識に欲しかったもの。それが実存(ぼくをぼくたらしめる)のキーアイテムだと本能で感じていたもの。 それが、詩の最後では現実と非現実を橋渡しするアイテムとなりながら、異彩を放っている。 夢では、ずっも鞄の中という身近な場所にあったのにも関わらず、ふらふらと「ぼく」は不可思議な世界を流浪させられ、現実では「ぼく」の手元を離れながらも、机の上を転がり、「昨日買ってきた」モノという記憶・時間性を見せつけてくるこの林檎の、「現実/非現実」の二面性の表現が素晴らしいです。 良い詩だと思いました。 (黒曜の森)

2024-01-23

社会という現実が、転じて本当は夢だったと、今新たな世界に目覚めた一人の、本当の現実を表した詩。 手帳に書くものでもなんでも、降ってくる言葉というのは、現実と自分の中の世界のズレに対して、均衡や健全さを保つための白血球のようなものだと思います。そのため、「妄言をやめたら 世界は不思議だなと思った」という一行には、強く共感しました。 家や自身の肉体など、外殻をまた固め、新たな世界に足を踏み入れるこの詩の力から、一つの勇気を貰えます。人間の性が追究された、良い詩だと思いました。 (アメスピ)

2024-01-21

コメント、ありがとうございます。 自分にはない観点でした。 Aが長男、Cが長女、Bが末っ子でしょうか。それともA、Cは父と母……? 読む人によって、イメージが変わってきそうですね。ありがとうございます。 (若者らの風)

2024-01-20

コメント、ありがとうございます。 笑いから恐れへの感情の操作はねらっていたため、「嘲笑」の効果について反応を得られ、嬉しく思います。 勿体ないお言葉、ありがとうございます。これからも研鑽していきたいと思います。 (若者らの風)

2024-01-20

「時間はFractalの一事象」、 「過去世にあるものが私のこれから行く目的地に変はると/過去であったものが未来へと豹変する」、 「Time Machineは既に吾吾に備はったものである」、 あとは、現在=皮膚、内部=未来、骨=終点など 硬い文体の中でもこのようなやわらかな発想・言い回しが織り込まれており、とても面白く読ませていただきました。 特に、過去についての解釈はとても共感できるようなものだと思いました。私たちの未来にはどこかしら過去が絡んでくる感覚。 たとえばデジャヴなんてものは、その源泉を辿る好奇心がない時には、由来不明なものにしか過ぎませんが、それを正確に捉えられるようになると、複雑な格子状の過去が現れてくるようになります。 未来は過去という絵の具でしか、塗られ立ち現れない、とも言えそうです。 少し解釈違いのところがあるかもしれませんが、とても良い詩だと思いました。ありがとうございます。 (自在なる時間)

2024-01-20

コメント、ありがとうございます。うののさらら様の感想に刺激されて、少し作者側の深読みを付そうと思います。 「明日という変え難い不変の事実の大きさ」 これは私も、この詩を書いた時に意識していたところです。 これは、単に「明日」という事実への反抗というよりも、時の流れから自分たちを解放させてほしい(Removeしてほしい)という願いと捉えることができると思います。この願いは、人類誰しも一度は思うはずです。不老不死などとか、まさにそうですね。 そう考えると、一見、詩全体が外界の存在に何か呼び掛けや訴えるような構成に見えて、実は、自分たちが持つ「人間性」の除去も企まれている、そうも読めるのではないでしょうか。 なんとも叶えられがたい願いです。そこには諦めも孕んでいるせいか、各連の最後が「他任せ」に萎んでいく形を取っているかもしれませんね。 この、願いが生まれては萎む収縮・拡張の運動だけは、本当に純粋な、心臓(生命力)のうごきのような強い「人間性」なのかもしれませんね。それだけは手放せない(Removeできない)、私たち。 少し熱くなってしまいました。またうののさらら様の解釈の深まりに繋がればと思います。ありがとうございました。 (Remove)

2024-01-19

手招きしているのは、一重の君、 面影に反射する。 まだ痛そうに、塗布の言葉が、 鏡台に澄む、定点から束ねて (連詩初参加です。何か、不足な点がありましたらすみません、よろしくお願いいたします) (連詩への「なにか」)

2024-01-19

予想を気持ちよく裏切ってくる詩 家族連れではないのに、「familyレストラン」に入るところから、彼女をの絵を描いていたというウソをつくところなど、色々なものを騙しながら生きる彼に寄り添うように読むと、彼は最後に読み手のことまで騙してくる。 「結局だれもおれの席に来ない」 ホール係も本当は来ていなかったかもしれない。彼の絵だけが寂しく浮き彫りになってくる。ウソによって突き放されたはずの私たちだが、レストランをあとにする彼の背中に視線を奪われたまま、また私たちも一人でドリンクを啜る「familyレストラン」の一人の客として取り残される。 またこの街のどこかで会えるだろうか、と思い耽るほど、没入してしまう詩でした。 (愛よりもやさしく)

2024-01-18

ひとりぼっちとは、何でしょうか。 孤独とは、簡単に表せるのでしょうか。 たとえば空白などは、本当に孤独を表すのに堪えうる表現なのでしょうか。 テレビを見たり、ワープロを打ったり、心に音楽が流れ出したり、鏡を見れている。詩も、韻を踏む余裕があったりして、孤独感があまり漂っていない詩だなぁと思いました。 現代人の孤独感覚の麻痺を狙って書いてあるのなら、良いと思います。 鏡の奥がかすみ歪んだり、いないはずの君が見え出したり、ひとりぼっちじゃないことに絶望を抱いたり、「孤独」というテーマの深みへ、さらに到達することを期待しています。 (ひとりぼっちの部屋の中)

2024-01-16

街中で、綺麗な人を見かけた時のドキッとする瞬間。そんな身近な経験から始まる詩のように思えて、裏のテーマが深く書かれる。 「綺麗な子はすぐ過去になる」、「遠くに行ってしまったから」という行は、単なる日常的出来事よりも、重みのある行です。 美しい人たちが、すぐに犠牲になっていく世界への憂いがあると思いました。「綺麗な子」とすれ違い、偶然見失ってしまったのではなく、世界がそのように流れているという必然性への気づき、嘆き。 大切な、輝くものの喪失には、何よりも過敏に反応する私たちのこの感性。それが街中の日常に鋭く潜み始めている、そういう詩だと受け取りました。 (いち)

2024-01-16

しがない一人の町医者の、さみしい夜の日常風景が浮かんでくる詩。 「この痛みはこの夜のもの」 この行にグッと来ました。 痛みや傷を抱えて医者の元に来る患者と、その傷に悲観的になる医者の内の痛みが、元はその夜から溶け出していて、彼らを覆っているようなイメージがひしひしと 心に来ます… また、詩全体が医学的なのではなく宗教的な雰囲気を持っているのも、小さな町の診療所だからなのかな、と思いつつ、身体や心だけでなく魂の救済所にまで昇華しているこの場所の記憶にまで、思いを馳せられるような奥ゆかさがあると思います。 良い詩を、ありがとうございます。 (町医者)

2024-01-15

天の河を、隔てる距離ではなく「流れ」と捉えているところに、光るポエジーが見えました。 この星たちの「流れ」がほどけるのと一緒に、7月7日という時間の「流れ」もほどける。空間も時間も、単なる「流れ」にしか過ぎない。 ただ、自分の周りの「流れ」を抜けたとしても、またそこには新たな「流れ」がある。織姫や彦星はその新たな「流れ」に乗ったのだ。 星たちは、その永遠の「流れ」を保証する絶対的な存在であってほしい、その願い。まだどこか宇宙の果てから新たな光、「流れ」を届けてくれる星が、空に溢れてくれたらいいなと、思わせられた詩でした。 (天の河よ)

2024-01-14

上澄み、枠の意識と、 飛沫の意識 確かに、この作品は前者のイメージが的確かもしれないですね。 他の詩では、割と激しさを持っている(と思っている)ので、これは私の中の「静」なる部分の抽出なのかもしれません。 次なる詩の構想がカチカチと近づいてくる感じがしてきました。コメント、ありがとうございます。 (Remove)

2024-01-13

黒髪様、コメントありがとうございます。 こちらこそ、このような詩の交流の場をボランティアにも関わらず運営していただき、本当にありがとうございます。 詩がリベラルアーツの根源だと気づき、この世界に足を踏み入れましたが、まだまだ要勉強だなと思う日々であります。身に余る賛辞です… これからも、詩作の追究はもちろんのこと、当サイトの活発化にも少しでも貢献していければと思う所存です。 これからも、よろしくお願いいたします。 (Remove)

2024-01-13

この、ロマンチックな雰囲気をぶち壊す展開、好きです。ストレートにぶち壊すやり方ですね。第三連から清々しい。 そこで詩は終わるのではなく、性衝動に支配されるこの勢いと、受け手の嫌悪感から読みが加速されていく。それでも、受け手は「リリー」という名前を読む時は、ゆっくり再生されるだろうと思います。そこだけは、敬意を払うように。受け手だけが、リリーの気持ちを包み込めるように読める存在だなと、序盤のところだけを心に留めて去っていきたい、そんな風に感じた詩でした。 (フライデーナイト)

2024-01-13

すみません、返信設定をし忘れてしまいました。 ↑返信、よければお読みください。 (Remove)

2024-01-13

コメント、ありがとうございます。 第一連のみ、一つの解釈を付したいと思います。 ある芸術の専門書で、作品の縦と横の構造について学びました。庭に流れるような滝など、縦の線は生命力を表象するのに対して、横の線は死を表す、とある一節で書かれていました。 「雨」はどうなのでしょうか。まるで天から降り落ちる生命の束のように見えますが、彼らは横に拡がっていく水溜まりを作ってしまいます。私たちが水溜まりの上を歩いても、その歩いた証・足跡は残りません。生の証を上書きされてしまう感覚を覚えます。 「雨」は生の味方か、死の味方か? あのサアサアと降る音は折角血管の流れる音にも聴こえるのに……。ならばその音だけになってほしい。水溜まりを作らないでほしい。生の味方を徹底してほしい。だから「雨」よ、君の持つ性質を、一部除去していかないか。 と、ざっくりですが、作者としての第一連の発想・解釈は以上です。ただ、この連も含めて、全体で様々な解釈ができるだろうと思います。思想を練って書いた連もあれば、そう狙わない連も織り混ぜています。 興が削がれてしまったら、申し訳ありません。ここまでにしておこうと思います。 (Remove)

2024-01-13

「化け物」、「奇々怪々」 自分の中ではそこまで感じていなかったので新鮮です(笑) 自分も、この詩は読んでも分からないことが多いです。やさしい森の奥の巨人に会いに行くみたいに、たまに引っ張り出して読んでます…… (Remove)

2024-01-12

お褒めのお言葉、ありがとうございます。 読み返せば、繰り返し新しい驚きを投げてくる、そんな詩をまた書いていけるよう努めていきます。ありがとうございます。 (Remove)

2024-01-12

とても個人的な感想に寄ってしまいますが、 痔瘻になった経験があるので、古風な詩(といってしまうと失礼かもしれませんが)は苦手なのですが読ませていただきました。 コメント欄の「痔=詩」や「恥ずかしさ」の話も含めて、薬売りの文化や違星北斗に興味が湧きました。 確かに診察は恥ずかしい。あの短時間の触診だけだというのに、それがあるだけで予約の日に行く気が削がれる。おまけに私は痛みがある。 昔は今ほど衛生的な環境じゃないでしょうし、痔の患者たち皆に親身になれる医者は多くなかったのではと思うと、放浪薬売りの偉大さがひしひしと伝わってくる。 たとえ笑われても次へ次へと放浪する彼が過ぎ去った後、その土地で痔になった人は後悔するでしょう。なぜなら、痔は詩の冒頭にもあるように、痛むと本当に動けない。家に入り込んで留まるしかない。放浪する彼の後を追おうとしても追えない。 放浪し続けられるかどうか、という点においても、山頭火と北斗は明確な違いがあるなと思いました。 (山頭火痔集)

2024-01-11

多くは描かれない詩。洗濯をしている人の詩なのだろうか? 否、最終連にこの詩のねらいが隠されているとみる。 洗濯機との会話、「洗濯機が嬉しそう」だと思うところから、自分も同じように踊り出す。 最終連では辺りの森が渦を巻く。自然の洗濯機に入れられている、自分こそが洗濯物になっていく詩だ。 洗濯物は「逃げ惑うのが綺麗」だという言葉から、「私」に、何かから逃げてもいいのではという振り切りがみられる。ただ、それは洗濯機という檻の中で逃げ惑うという形ではなく、「私」は森、自然という開かれた洗濯機の中で踊っていくことになる。 辺りが海になっていき、船に取り残される渦の中、少し残酷な終わり方をする。天から、もっともがいていいと宣告されながら、梯子を降ろされるという2つの選択を迫られるのだ。 人にとって何が救いになるのか、切なく、考えさせられる詩である。 (揺れながら)

2024-01-10

私は好きです。こういった、アフォリズムを美しさで包むような詩。 ただ、纏まりすぎていて次回作に期待と不安が募ります。私は、元々人生の答えを探しに詩を読む人間ではないため、成功だのなんだのという言葉よりも、地球、月、太陽が信号だ、というアイデアに「やられた」と面白く読みました。 そういった「努力」、「成功」といった言葉を使わなくとも、きらめく詩が書ける方だと信じて、次回作を待ちます。それらのしがらみを取り除くのは、容易なことではないかもしれないですが…。 (神と悪魔)

2024-01-09

作品の批評、ありがとうございます。とても楽しく読ませていただきました。 一点、お応えできるところがあるとするならば、「文脈」や「共同性」について。 私たちの文脈は、確かに環境や経験によって持つものがかなり異なると思います。しかし、それにより共同性が保たれなくなるかと言われると、そうではないと考えています。 私は、その希望を詩に込めているのかもしれません。どんな環境にいても、どのような経験をしている人にも、万人に響く詩がある。それが共同性の兆しであると。私たちはその詩を読むことでつながれる、と。 ただ、それは逆でも同じことで、万人に響かない詩を目指すことでも可能だと思います。たとえば、Tで並べる箇所は何なのでしょうか? 誰もが納得する答えが出せるのでしょうか? 私は閉口します。すると、読む人たちが安心して、それぞれの考えを持ち寄って議論し始められる。そのつながりを、私は望んでいます。 「言葉が音楽として入ってくる」 これは、私にとって一番嬉しいお言葉です。ありがとうございました。 (普遍性と、繋がりを巡る現代的な戦争の物語)

2024-01-09

「縁取られた時間」 まずい。 僕は自分の部屋に逃げ忘れた。 まずい。壁にしがみつくことしかできない。 寝息の消えるのが聞こえた。僕の恋人。 カーテン付きのベッドの奥で泥色に眠る。 窓から差す光は部屋の中の埃を監視して、見えない檻に閉じ込めた。 足音のしないのが分かる。窓の向こうの影。 油絵の冷や汗が完全に固まる。 それは入ってきた。 僕と恋人の部屋へ入ってきた。 入ってきた。 恋人のベッドに入ってきた。 恋人に入るためにそれは、部屋に、入って、きた。 泥遊びをする獣を見る趣味はない。埃の天体観測をして、なんとか耐え忍ぶ。 でも無理そうだ。 壁が音のスクリーンになって、まざまざと現実を震わせてくる。 泥団子を美味しそうだと思うくらいに子供になってしまわないと…… それからどれほどの絵画になれただろうか。 いつの間にか恋人と獣が二人してこちらを見つめている。 「こんなのあったか」 「あったわよ、ずっと。よく出来てるでしょ?」 「なんだか、気味が悪いな」 「そう? 似てるわよ。私が描いたんだから」 二人はそんな会話をして、部屋を後にした。 僕の魔法が解けていく。油涙をやっと拭える。 おまけ程度に、背後に置かれた湖へ踵を返して、僕は飛び込んだ。 銀色の底を目指す。 奴が時を止めやがるように、僕もここで息を止めて、底に落ちた彼女の筆先を、思い出しに行く。 それだけは、僕に許してください。 (B-REVIEW 1月のお題詩「犬に噛まれる」 「時間停止AV] )

2024-01-08

激しく煌めく詩だと思いました。著名な詩人の詩を今まで僅かながらですが読んできました。が、今までこのような種類の表現力を持つ詩を見たことがないです。感服です。 言葉に物怖じしないスタイルが見受けられます。「友情は灰色に濁る髑髏」の体言止めや、「神様、僕の命を丸く灯します」の主体の曖昧さ、「計算」や「英語」といった軽い言葉からスケールのある「光」、「青空」へとイメージが移るカメラワークが滑らかで読んでいて気持ちいい。おそらく音の響きもマッチしている。圧巻です。 とても、欲を言えば後半の締め方、「虹色」や「輪廻」、「罪」といった言葉がサラッと使われているように思えて、この詩の色が抜けて透明になっていく感覚がしました。私は、もう少し中盤までの予想のつかないパンチを期待していましたが、これもまた次の作品も読んでみたいと、強く思わされる詩でした。 良い詩をありがとうございます。 (待っている (習作))

2024-01-07

「あなたには分かるまい」 という言葉について考える。 詩は誰に向けても開かれる。それは他人にも、そして自分にも。作者本人も、この人生を理解しがたいものとして捉えている感情がこのリフレインから受け取れました。 ただ、読む人を強い言葉で突き放すような詩は、辛くて記憶に残したくないと思うのが私の感じ方です。もっと、読む人の心をも絡めとり、詩の中に引き込んで、この詩の訴えが耳から離れないようにさせる試みはどうだろう、とは思いました。羊飼いさんの新たな作品での、テーマの扱い方の発展を期待します。 別の点では、 親が子を「利用するため」、シンデレラに魔法をかけて美しくさせるのと同じように、「猿」や「ハイイロネズミ」のような動物に変化する魔法をかけているようなイメージが浮かんできました。 それは、たとえ0時を回っても解けることのない呪いのような魔法、呪い。そう考えると、モチーフとして強く対照的な「シンデレラ」を選んでいるところがとても良いと思いました。 (ハイイロネズミ)

2024-01-06

引き込まれる詩でした。この詩の何が好きか、ワクワクしながら読み返すと、この「僕」だけは、戦争で人が死ぬよりマシと「思った」唯一の存在に気づきました。他の人は、言葉に出して意思表示しています。 また、序盤の連で、自分の身体の異変に慌てる「僕」ですが、徐々に騎馬戦の連のように他人にどう見られるかを意識していく……。自分の姿に慣れていったのかなと思うと、最終連で息子を見てギョッとする。 身体的特徴だけでなく、タイトルにもある「イデオロギー」までもが、遺伝していく。それは悪く言えば「平和」ボケのようなもので、そのスパイラルに疑問を持っている「僕」だけが、その思想を口にしない。 「おしまい。」は、諦観の意か。とてものんきに、突然死するように終わるのがやるせない。こんなに詩の「僕」に感情移入するとは思いませんでした。 良い詩をありがとうございます。 (平和イデオロギー)

2024-01-06

コメント、ありがとうございます。 この詩のイメージの出発点は、「大それた宣言」でした。 参考にしていた作品のイメージと、自分の言葉を織り交ぜながら、強く書き出しました。が、なぜだか書いていくうちに首が傾いていき、この現代にこの「宣言」がどれほどの射程を持つのか、その疑心が生まれて萎んでいった詩になりました。 これもこれで面白いなと思うのと同時に、二度とこのような詩の流れはなぞらない、とは考えています。 唸らせる詩、目指していきます。ありがとうございます。 (僕の仕事)

2024-01-05

コメント、ありがとうございます。 「仕事」のイメージから生真面目さ、シリアスさが来て、そこからの揺り戻しとは、やはり不真面目さ、無秩序のイメージへの動きという解釈で合っていますでしょうか。 この詩の「僕」がいる戦争の跡地は、ソフィストのような存在が見られたり、平民による革命が有り得るような場所で、近代までの要素が合わさった、新たな時代にタイムスリップしているイメージがあると私は考えてます。 その渦中でも、「仕事」に固執する「僕」のことを考えると、ハナから何かしら狂気を帯びている、生真面目さの仮面を被っている存在のようにも思えます。 それを踏まえたうえで、もう一つ転調が加われば……という期待は確かに抱いたまま、書き上げてしまいました。 後半、勿体無いお言葉、ありがとうございます。詩誌にも投稿、努めております。精進します。 (僕の仕事)

2024-01-05

コメント、ありがとうございます。 楽な方の語感・思想へと甘える癖を見透かされたと感じました。 この上ない叱咤激励、身に刻んで精進します。 (僕の仕事)

2024-01-05

コメント、ありがとうございます。 現代批評からくるポエジー、確かに強く意識する時が自分の中にあります。 今回はイメージのブレが多くあったかと思いますが、その批評意識がより全面に浮き出てきてしまう詩を、模索しても面白いなと思いました。 ありがとうございます。 (僕の仕事)

2024-01-05

「真の関心」は、必要性の元にあるだろうなと考えさせられました。 特に科学技術なんかは、私たちが現代に欲するのはさらなる進歩で、「日時計」のような先人の知恵・原点などではない。それでも、今を知るには過去から発想を学ばなければならない。パラダイムシフトが起きているものがあるが、地続きのものもあるからだと。 私たちは、今を知り、欲を満たすには多くの過去に立たされ過ぎている、そう考えさせられた詩でした。 ただ、希望を見出だせるとするならば、思想、価値観などは、過去のものでも息を吹き返す(ルネサンス、リバイバル)ことがあると思います。だから、その分野の「真の関心」は廃れないと思います。「多様性の尊重」という息苦しさに、人々がどこまでついていけるかという懸念はありますが。 少し脱線しました。良い詩をありがとうございます。 (日時計)

2024-01-03

「己は詩人であると/己自身を欺くことに/疲れきってしまった」 人は自分に何者なのかという問いを立てながら生きていくものだと、私も思います。とても共感しました。 一つ、私が最近感じるのは、詩と自分の隔たりについて。美しい詩は詩人の手から産み出されたものである反面、その詩人から離れていくものだと、とある批評で読みました。 それはまるで、自分の中の他人と出逢うような感覚で、強いて言えば「処女の恋人」のようだと。 詩を書くなら、自分が理解しがたい詩を書くようになることも、また自分なのだと許容しなくてはならないのだなと思います。 それは、心の慰めや助けなどとは程遠い行為で、言葉そのもののリアルと向き合うことです。詩人はそう詩を書いていくべき存在だよな、と、この詩を通して改めて考えさせられました。 (エセ詩人)

2024-01-03

一見、サキと「私」という夫婦の、円満な詩のように思ったが、読み込むとそうではないように思えてくる。 まず、この詩の世界は全体的に断片されたイメージが散りばめられている。 「サキの太腿を切り取り」や、「サキの下腹部」というサキの身体の部分部分に焦点が当たるのは勿論、 「印鑑」、「身分証」、「婚姻届」なども私たち人間の一部である。(社会で生きていく上での、個々人の側面を構成する) その断片のイメージは、具体物のほかにも、「差す光(カーテンで遮られた日光の一部分の光)」や、外から聞こえる「子どもたちの声」なども、それぞれの「光」や「子ども」の存在を構成する要素だ。 私たちはその部分部分を担う媒体を見て、その何かを確かめてるに過ぎない。 サキと「私」との、愛を確かめるのに必要なのは「新居」か、「婚姻届」か、はたまた「子ども」なのだろうか。 サキの「指紋」。ここにサキが居るということ。その証明だけで良いはずなのに、何か、別の証明にこだわる「眼鏡」をかけた「私」と、サキの関係には少し溝があると感じた。 切ないなと思うと同時に、この短い詩にここまでの重み、深みを盛り込められるのは凄いと思いました。良かったです。 (fingerprint)

2023-12-23

地球には生命力がある、と断言できるか、と自問に沈む。 たとえば青々とした緑を今も生やそうとする自然は、「まだ生かされている(伐採されない)自然」か、「人間の手によって植生されている人工的自然」かに分けられるとするならば、どれも「生きているみたい」に死んでいる、そう言われても何も言い返せない。 だから、地球は「腐らない」し、「おくりびと」も気づかずに何処かに行ってしまう。 それを受けて、この詩で言われている「問題」とは何か。ハッキリとは明かされない。その問いを「なぜなら」と最後、読者に放り投げている。 僕たち現代人は地球が死んでいるか、生きているかなんていう宇宙のように広い視点を持って生きていけるほどの力があるか?  自身の周りの物事だけで精一杯なら、どんどん世界はミクロに縮まり、地球が生きているかどうかなんてどうでもいい。 そう考えることで、本当に私たちの中の地球も「死ぬ」ことになるのだろう。 不思議と、宇宙に漂うような浮遊感のある言葉づかいで、とても面白かったです。 (葬儀、地球の)

2023-12-20

ご感想、ありがとうございます。 田中さんの二つの考察、確かに、と思わせられました。 ユングの集合無意識のような、「舌の筋から~」の言葉については、それこそ無意識に出てきてました。 そんな無意識に抗えない自分の思考にぐぬぬ、と思うものの、二つ目のコメントにあった日本的と西洋的な神のどちらにも当てはまったり当てはまらなかったり、という指摘は確かに、新しい価値観が垣間見えているなと思いました。 自分の作品に眠るこの意識については、引き続きみつめていきたいと思います。 貴重なご意見、ありがとうございますm(__)m (神さん)

2023-12-17

男の子は盲目だったのだろうか それがこの詩を読んだ後、最初に浮かんできたことである。 盲目であるならば、男の子にとっての目は「耳」である。たとえば、「耳なし芳一」の話のように、目が見えない人たちは代わりに晴眼者が聴こえない世界の声を聴けたりする。 この詩の男の子も、目が見えない代わりに星の声を聴けるようになったのではないか… 「泣かせられる」んだぞと脅していた星は、反対に最後には「哀しみ」を「漂わせながら」男の子の「側を通り過ぎ」る。 この、立場のゆるやかな逆転には何とも言えない儚さが伝わってくるとともに、星が、自分から流れ星となって約束(願い)を果たそうとしているのではないか、と想像させられた。 他にも色々な考察ができそうで、素晴らしい詩だと思いました。 (星と子)

2023-12-17

ご感想、ありがとうございます。 こういう類いの作品を作るのは容易ではないと感じていますが、日々精進していきます。 ありがとうございますm(__)m (神さん)

2023-12-16

二つ目の解釈の「神さん」と「カミさん」、思い付かなかったです。そう考えるとまた面白いですねw カミさんも私も「言葉」に魅了された、作家夫婦といったところでしょうか。カミさんの方が先に有名になってしまったがために、「私」の嫉妬が募っていく… しかし、かつて彼らは夫婦として惹かれ合っていた訳で、そう考えると、あなたに「成りたい」と言うカミさんの言葉も深みがありますね。実はカミさんも夫の才能に嫉妬していたかのよう… どうか過度に卑下なさらず、作品は誰のものでもないので、それぞれの詩をどのように、さらに面白く読めるのか、それが大事だと思います。 コメント、ありがとうございます。m(__)m (神さん)

2023-12-16

ご感想、ありがとうございます。 コンビニのカップヌードル…… 確かにその発想もあるな、と思わせられました。 「質素な味噌汁」を選んだ意図としては、具が少なく、邪魔な物がないので泳ぎやすい場である反面、濁っている場所(水底の美しさなどが見えない)を表現したかった、といった具合です。 おそらくここを、麺が脚やら腕に絡んで泳ぎづらいイメージのある「カップヌードル」にするとその意図から離れるのかな、と。 要は、優雅に休日のプールを泳いでるつもりの神だが、そのプールは実は濁ったものである、という滑稽さを表したかった感じです。 コメント、ありがとうございます。m(__)m (神さん)

2023-12-16

コメントありがとうございます。 ・「最初の一行」の具体的にどの部分を「日本語としてつまずいた」と指摘しているのか明記されていない点 それが明記されないまま、「真面目に何か詩を書くこともない」とする態度の批判。(各々の主観で変わる「真面目さ」という言葉についても、説明がなされていない点) ・「知に偏った」とは、たとえば理性(知)と感性の二つの柱があるとして、どの程度偏っていると考えていたのか。また、それに続く、「コメントを含め」「幼稚な人間性」を見たという人格批判は論理として妥当性があるかどうか。(加えていえば、「幼稚な人間性のいちめん」という断定しない表現にすることで、逃げ道を作っているようにも捉えられました)また、私だけでなくさか たけお氏にも仰っているというのであれば、それは同じ性質の「幼稚な人間性」でしょうか? はたまた別物でしょうか? 他の方も巻き込むとなると、それだけの理由の説明が要されると考えられます。 以上の点から本コメントに対し、本サイト「B-REVIEW」のガイドラインに記載されている「不快感」を大変強く感じました。 もしも可能でしたら、上で挙げた二点について、私の今後の活動のためにも参考にさせていただきたいので、ご説明願いたいです。 (神さん)

2023-12-16

ご感想、ありがとうございます。 解釈、大変興味深く読ませていただきました。とても詩に書かれている言葉に則した、核に触れている解釈だと思います。 特に「共通認識を打破する」試みは、やはり常に持つべきものだなと改めて心に刻みました。 この詩は、最近意気揚々と購入したシュルレアリスム詩集で、一番初めに載っていたギヨーム・アポリネールの「神」という詩からインスピレーションを受けました。 書かれていたのは、神が私と同化していく、すごいだろ云々……といった内容のもの(と解釈しました)で、安部公房や他のシュルレアリスム作品に魅せられてきた私は、「これはシュルレアリスム詩なのか?」と不満を憶えました。 この不満は時代の差異によるものかとも思うのですが、 「神」という言葉も含めた、「愛」やら「恋」やら「光」やらの、かつて神聖さを保っていた言葉たちは、尽くこれまで詩に使い果たされ、それこそ「安売り」される「娼婦」のような言葉に成り下がっていると、そう錯覚してしまうのが現代かな、としばしば感じます。少し、憤りすら感じたりもします。 この怒り心頭は、世に流行している感傷的な「ポエム」と呼ばれているものや叙情詩(この2つは同じですかね? 勉強足らずで判断が怪しいですが)だけでなく、先人たちが築いたシュルレアリスムにも最近、私の中の矛先が向きつつあります。 「バベルの塔の狸」(そういえばその主人公も詩人でしたね、言われて思い出しました)で私が印象に残っているのは、ブルトンらシュルレアリスト達を滑稽な狸に表現していたところで、ああいう風に書いた安部公房の感覚が少しだけ分かった気がした、と書き上げた時に思いました。 長々と、蛇行した思考を連ねてしまいました。この分野の造詣のある方にこのような感想をいただいて、少し興奮しております。 先人たちの描いたかつての神話を、リスペクトしつつも現代の解像度で甦らせ、紡いでいこうと思う次第ですので、今後ともよろしくお願いします。 (神さん)

2023-12-16

この詩では、最初から最後にいくにつれ、「風」が息を吹き返している。この詩に吹く「風」とはなにか。 この詩の構成を視覚的に捉えたとき、まるで島と島の間を満たしている海を抜いたかのように、陸そのものが隆起しているように連が置かれている。二度来る海底(であっただろう場所)の連の最初は、「足もと」を「眼球」が覆い、「緑は波は土は川は、」「虚」無に追いやられている。底に「流れる砂」も我々のかつての場所を「廃園」へと変えていくようである。これは、近代の科学主義による自然の淘汰が表せているのか、安易にその議論に乗せたくはないが、念頭におく。 二度目に来る最後の海底の連では、「流れる砂」が「海」、「風浪」を「鏤め」て、「意」識の混「濁」した「庭園」を蘇生させている。「足もと」には眼球ではなく「銀世界」が浸っており、星空のきらめきを連想させられる。 前半と後半でのこの流れ、すなわち希望の「風」はどこから吹いてきたのだろうか。第七連の陸の連で展開される、自然との対話では、「天」が「展」と別の何かに侵されていることや、「月のにおい」を感じても「胸にたまらない」ため絶望は依然漂うばかりである。その絶望に立ち向かい、「死灰」という犠牲を生もうとも「祈」り続けることがこの詩にとっての救いの「風」となるのか。 その祈りを繰り返す我々は、「白蛇」が「とぐろを巻」くような堂々巡りに陥っているのかもしれない。それでもきっと、「うつくしいよ」が、我々のその苦し紛れな「ぬくもり」を解いてくれることを信じて、祈り続けるしかないのか、どうなのか…… と、解釈しました。自然の恵み、輝きがいやに濁っている世界観に、とても考えさせられました。 (あんた、だらしない口 してる)

2023-12-14

p.s. すみませんこのサイト始めて間もなく…… 絵文字反映されないんですね…w 最後クエスチョンマークついて変になっちゃいましたm(__)m (烏)

2023-12-12

勿体ないお言葉、ありがとうございます。 ミステリアスな生態をもつカラスが動物の中でとても好きで、色んな言葉をぶつけ合わせ、「きらめ」かせてしまいました。 そうしてもこの詩の「烏」が「烏」のまま、輪郭が保たれて伝わっていることが嬉しいです。受け手それぞれの胸に棲むカラスが、この詩を通していつもと違う空を飛んでいることを願います? (烏)

2023-12-12

最近、シュルレアリスムでおなじみの安部公房「壁」を読んだばかりの中、この詩が目に留まった。 この詩は、夢の中のように「あるくあるく」と浮遊感を含んだ歩行から始まる。「おおきなパワー」はビルを飛び越え、「法則でないものが/法則であるような顔を」する不条理な世界観がそこにある。その法則は「駅」という、世界の広がりをさらに予見させる存在になっていく。 「ざんねんだろう」と不条理そのものが我々に迫ってくる。単なる言葉遊びではなく、現実を超えて浮かび上がる記号をぶつけられる恐怖。それは、「飲みくだせる辞書がない」という無秩序や、理性を司る「左脳捨てられて」いることから伝わってくる。この「ちから」は、我々の従来の価値観を「ぶちぬいて」いく脅威だ。我々はそうして身体にできた「銃創」を、さらに開いて未知の世界に適応するよう変身するのではなく、厚く壁を「閉じ」ていく。人間のそういう精神性に対して、「壁を殺す」というタイトルに強い決意が現れている。 狂詩人さんの作品は初めて読みましたが、この決意がどう変わっていくのか、追っていきたいと思いました。 (壁を殺す)

2023-12-12

壁を殺す

2023-11-22

星と子

2023-12-17

葬儀、地球の

2023-12-20

fingerprint

2023-12-22

エセ詩人

2024-01-01

進化する目

2023-12-31

神と悪魔

2024-01-08

揺れながら

2024-01-08

山頭火痔集

2024-01-09

ねこ

2024-01-10

天の河よ

2024-01-13

町医者

2024-01-14

いち

2024-01-15

自在なる時間

2024-01-18

アメスピ

2024-01-19

黒曜の森

2024-01-22

見えないもの

2024-01-24

2024-01-23

光/ひかり

2024-01-26

雪国

2024-01-27

透ける

2024-01-28

埋設

2024-01-28

人生

2024-02-03

星火の夜

2024-02-05

自画像

2024-02-08

2024-02-09

健康増進法

2024-02-10

映像

2024-02-09

時間の内容

2024-02-06

天国

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二重線

2024-02-07

路子/みち/こ

2024-02-08

四季の声

2024-02-09

そんな一日

2024-02-27

春の幽霊

2024-02-13

重力

2024-02-24

S君

2024-03-02

2024-03-06

墮胎

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鎌首

2024-03-09

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2024-03-16

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2024-03-23

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2024-04-11