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牛舎にて
牛舎にて 牛が近づき ミルク欲しいと鳴き続け それに気に留めず反芻し 大小便を地面に落としながら じっと皆が凝視してくる 釈迦が 「肉体を持つ事 五感を持つ事 思考する事 それらは苦痛でしかない」 そう言い遺した 体を持ち 無意識に何かを感じ 楽しいと思い ただ生きる事ですら 苦痛が潜んでいるのだ 仕切られた空間から 命はじっと見つめてくる 生きろ 感じるな 全力で生きろ 全身全霊で 今 この一瞬を この空間の中で 愛されろ 食肉となるその時まで 「苦と楽は 善でも悪でもない」 牛が 野良猫が 鴉が うろつく狐とアライグマとエゾ鹿が お前は何者だと見つめてくる 毎日見つめてくる お前たちの幸せを 祈る 害を与える厄介者だとしても 苦痛の中にいる命の一員として 手を合わそう お前たちの同胞として 釈迦の入滅に集った者たちの後継として
牛舎にて ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 482.9
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2025-07-23
コメント日時 2025-07-25
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


何ものであってもいいんじゃないですかね、五蘊皆空ですから。 実体としての自分に囚われていては、修行がすすみません。 羽田さんの牛への菩薩行を、毎回楽しく拝読しております。
0>「肉体を持つ事 >五感を持つ事 >思考する事 >それらは苦痛でしかない」 阿含経相応部経典第三集存在の構成要素についての集成にある言葉を簡略にしました。 >「苦と楽は 善でも悪でもない」 マルクス・アウレリウスの自省録2巻にある言葉を簡略にしました。
0気が付いたら自分に囚われているので、厄介です。 とりあえず細かいことはなしに全力で牛の世話をしていくだけではありますが。 働け、惨めな者ではなく、人に憐れまれたり感心されたりしたい者でもなく働け。 自省録9巻より
1身内の繁殖農家さんの牛舎を思い出しました。時たま足を運ぶことがあるのですが、牛舎に近づく際には毎回恐怖とワクワクが入り混じった複雑な感情でいます。笑 その度にいろいろ思うことはありますが、やはり私も羽田さんのおっしゃるような考えに行き着くような気がしています。
1>牛舎に近づく際には毎回恐怖とワクワクが入り混じった複雑な感情でいます それはわかります。 牛ってかわいいんですが、相当デカいのもあり危険でもありますし。 色々あるとは思いますが、かわいがってくれたら幸いです。
0また牛か、と正直思いつつ読み始めた。だが釈迦の言葉を引用し、なんだろう…泥に塗れながらも地に足をつける逞しさを感じた。無言の生命、無言の営みの強さというか。中盤、特別どこがというわけではないが、少し重みがありすぎたかなとは思ったけれど、引きずりこむ重力があった。羽田恭氏が生きていた、そのことをしっかりと記録した作品。
0例によって牛です。 仕事で毎日毎日全力で牛をやっている巨大生物の世話をし続けているうちに牛に頭をやられてしまっております。 なので牛の作品を書いてしまう性質となってしまいました。 >引きずりこむ重力があった。 そう言っていただき感謝です。 たとえ記録に残らなくとも、しつこく牛の作品を書き続けます。
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