小さな夜の羽虫は遺書 - B-REVIEW
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きょこち(久遠恭子)

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きょこち(久遠恭子)

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ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

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小さな夜の羽虫は遺書    

「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました …… 幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。」 オリンピックに出た ある選手の遺書 美味しうございました 暮らしとうございました なら また食べれば 暮らせば よかったのに あなたへ送ったお別れのことば 「ずっとずっと 支えてくれて そばにいてくれて ありがとうございました。」 なら また ずうっと 一緒に いられそうなのに 生きることは わたしにとって 遺書のよう できないこと 申し訳ないことが 多すぎるから いつだって きれいに書きのこし やめてしまいたかったのに おいしゅうございました 暮らしとうございました ありがとうございました 書きだすほど また食べよう 暮らせる日もあろう、そうして ありがとうございました ずっとずっと ありがとうございました 泣きじゃくって きょうもまた なさけなく かっこうなんて つけられず 肩で 息をしつづけている 小さな夜の羽虫はわたし 燃え上がる灯りはきれいだけど 寸前で立ち止まり パタパタ 跳びつづけているのよ *「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました …… 幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。」円谷 幸吉の遺書より


小さな夜の羽虫は遺書 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 6
P V 数 : 983.5
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2017-07-20
コメント日時 2017-07-27
項目全期間(2024/04/20現在)投稿後10日間
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閲覧指数:983.5
2024/04/20 04時11分09秒現在
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    作品に書かれた推薦文

小さな夜の羽虫は遺書 コメントセクション

コメント数(6)
白島真
(2017-07-20)

修子さんのお歳で、円谷幸吉遺書が出てくるとはびっくりしました。 1964年東京オリンピックでアベベ優勝、円谷銅メダル。 そして、私が18歳の誕生日を迎えた2日後に、彼は右頸(けい)動脈を切断、自死しました(28歳) 当時、マスコミのその遺書が掲載されると誰もがその真摯な思いに胸を打たれました。 三島由紀夫や川端康成もまだご存命で、その遺書の美しさを褒め湛えたものです。 http://www.playnote.net/archives/001114.html  (円谷耕吉 遺書全文) 美味しうございました 暮らしとうございました なら また食べれば 暮らせば よかったのに 私は、この詩句にどうしようもない深みと、その後にくる自身を照らし返した詩句、その上での悼まれない どうしようもない気持ち、哀切を感じます。決して他人事ではなく、軽い言葉ではないことを感じます。 そして当時、誰もがそう思ったのです。 彼はマラソンに己の全生命を賭け、そして国民的英雄としてのプレッシャー、婚約破棄などの要因が重なったにしろ、やはり練習のハードワークの末、走ることを断念せざるを得なかった故の自死でした。 そのとき、我々は「いかなることがあっても自殺はよくない、生きるべきだ」と声を大にして言えるだろうか、 修子さんが書かれたように、ただ、泣きじゃくって、 美味しうございました 暮らしとうございました なら また食べれば 暮らせば よかったのに と無念の思いで言うことしかできないような気がします。 死を徒に美化することは避けねばなりませんが、彼の残した遺書はあまりに美し過ぎる。 その繊細すぎる遺書を前に、わたしたちは死を包摂させた生を生きるしかない。 亡き舞踏家、大野一雄さんから直接お聞きした言葉。 生きていても死んでいる人がいる 死んでいても生きている人がいる

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羽田恭
(2017-07-21)

個人的に、ついこないだ肉になりに行った職場のホルスタインを思い出してしまいました。 「暮らしとうございました」 牛ですし、その直前に何を思ったのか、わかりませんが、そう思ったのか。 「また食べよう」 残していった餌を思い出したのか。 パタパタ耳を動かして、業者に引き取られてしまいました。 両者を同じようにしてはいけませんが、両者とも亡くなりましたので。 冥福を祈りたく思います。

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田中修子
(2017-07-23)

白島さん~ おこんばんは~ 「三日とろろ美味しゅうございました」だけくっきりと覚えていて、 今回書くために読みなおしたんですが、やっぱよかったですねぇ。 私は小学校高学年から高校一年のころまで、人の遺書だとか、 ヘッセの「車輪の下」とかシュトラウスの「春の調べ」とか、そんなのばかり片っ端から読んでいた時期がありました。 いま思い返すと、一番どうしようもなかったころだと思います。 そのころ読んだ中でも、円谷幸吉のこの遺書はなんだか惹かれるものがありました。 そうして、気持ちがうんと追い詰められると、円谷幸吉風に、よく、遺書を書いていました。 遺書を書くと、けっきょく、 「もっと~したかったです」というようなことが書けて、泣けてきたんですね。 ~したかった、というのは、たしかとても、ありふれたことでした。 泣き終わると、 「~したかって書くくらいなら、したらいいじゃん。死ぬより」 と落ち着いて、ふいっとばからしくなってゴミ箱に捨てていました。 私は、円谷幸吉とは違って、いろいろあって、その遺書が母の目にとまって、 学校を転校することを許されます。 ここらへんが、いまだに、私が強迫観念のように、ものを書き続ける理由であるなと思います。 書くことが生きることであり、生きることは書くことであり、ほんとうに命綱でありました。 できれば、こう、生きながら生きている人であって、 みっともなくとも、へたでもものを書いて、 パタパタとびはねていたいものです。 ありがとうございました! --- HAneda kyouさん、はじめまして~ おお、ホルスタインですか。 今頃、私のお肉になり栄養になってくれているかもしれませんねぇ。 あっ最近牛肉食べてない。ダメだ。 じっと腹肉をみる。 円谷幸吉の遺書は、ぎりぎりだった私の心の栄養となって私を生かしてくれているので、ふしぎですねぇ、 人の死に際の文章が、人の死を引きとめるということは。 そんなふうなものを、生きて、書きたいなぁ。 ありがとうございました!

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まりも
(2017-07-24)

国立競技場に関わっていた、23歳の青年が、過労死で自死した、という報道と、重ねながら読みました。柔らかい言葉で流れるように重ねていく筆致は、少し丁寧過ぎるのかな(人によっては、冗漫と感じるかもしれない)と思ったのですが、内容の重さ(辛さ)の角を取っていくというのか、まるく磨いていくような、そんな時間でもあるのかな、と感じました。 〈肩で 息をしつづけている 小さな夜の羽虫はわたし〉羽虫はわたし、まで言うべきか、言わざるべきか・・・はむしはわたし、この音の重ね、その響き・・・羽虫、で止めると、黙って感情移入している感じになりますが、羽虫はわたし、まで言うと、本当は違うものであってほしい、というような思いと、でも、この羽虫はわたしなの、と言いつのる感じ、その両方が出るように思いました。

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田中修子
(2017-07-26)

まりもさん コメントありがとうございます~ 私はほんとうに、理論づくというより感覚(漢字・ひらがな・カタカナのバランスや、好きな単語と光景を入れて、まあまあ声に出して読みやすかったらいいか!)で書いているので、なんというか、みなさんのコメントがもったいなくって。 コメントくださった箇所についても、あんまりなにも考えていません。どうなんだろう。 「これを読んで、あのことを思い出した・重ねた」みたいなのがあったようで、嬉しかったです。

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田中修子
(2017-07-27)

花緒さん コメントありがとうございます~ 私の詩は思い浮かんだものをふっと書くだけというものなんです。 ですからなんというか、あまり考えていないんですけれども、だからこそ読んでくださる方がいろいろ投影できるのなら、不幸中の幸いです。 こういう、死が文中にあるものを書くときは、けれど、シメにはぜったいに生きるもんという、「現代を生き抜く兵士たちが、いまという戦場で、胸に抱いて元気になるものがいいなぁ」というのは意識していたりいなかったり。あれれ? こちらは評も難しいものが多いですね~! なんだかお恥ずかしいです。 他の方へはライトレスばかりになりまして申し訳ないです。

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