作品投稿掲示板 - B-REVIEW
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B=REVIEW 2018年7月投稿作品 選評   

作成日時 2018-08-12
コメント日時 2018-08-17

B=REVIEW 2018年7月投稿作品 選評 ◆大賞候補 湯煙 口縄にて(7/12) https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=1994 ◆優良 ・桐ヶ谷忍 輪廻(7/3) https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=1961 ・渡辺八畳 サバンナの光と液(7/14)https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2001 ・かるべまさひろ エッセイ飛ぶ(7/28) https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2053 ◆推薦 ・地球 摂氏37℃(7/26) https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2042 ・羽田恭 見えない向こう(7/19) https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2029 ・夏生 地下水(7/28) https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2052 ・蔀県 解剖(7/16) https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2014 ◆注目した作品 ・仲程 のっぺらぼうの町 ・ミナト螢 春の記憶 ・渚鳥 止痛薬 ・二条千河 命名 ・こうだたけみ 雨やみ上がり虹のハシまでいと電話するすると吐く恋人のサギ ・岩垣弥生 One day in Summer ・イル ナツ ・四畳半学生 食卓 ◆はじめに  「現代詩」のいわゆる詩史を学び始めてすぐ、出会った言葉をご紹介したい。 「優れた詩には、幻想性、思想性、伝達性の三つの要素が備わっている」 「詩とは、言葉で言い表し得ないものを、既知の言葉を用いてなんとか言い表そうと苦心した創作物」 それぞれ、別の詩人から頂いた言葉であるけれども、今でも詩を読むときの指針となっている。三つの要素の割合が、すべてバランスよく含まれている必要はない、むしろその割合の度合いが、その人の詩の持ち味になるとしても、三つの要素がうまく噛み合ってはじめて、優れた作品と呼び得るのではないか。この問いは、常に胸に置いておきたいと思っている。また、言葉で言い表し得ないものを言葉で表す、という無理難題を、徹底して言葉で説明しきることを意識したものが、いわゆる散文であるとするなら、詩文は比喩を用いたり音韻やリズムを活用したりして、説明に頼らずに、なんとか「言い表し得ないものを言葉にする」という難問に取り組んだ結果、生まれて来るものである、ということになるだろう。もちろん、小説や説明文、随筆などの中に「詩的」な部分も含まれているし、詩文の中にも「説明的」「解説的」部分が含まれていて、それが効果的に働いている名詩も沢山ある。あらゆるものがグラデーションの中にあり、明確に線を引けないという不可思議さがまた、詩とはなにか、という問への尽きない魅力となっている。 今月は、幻想性(現実界とは異なる、異界、内界での体験)の要素が強く印象に残った作品を中心に推したい。 ◆大賞候補作品について 大賞候補に推した湯煙さんの「口縄にて」は、石段を下りていく内に現実界を突き抜けて、異界へと通じる階段を下りていくような幻想界への旅(空想力による思考実験)が、現実の身体が実際に体験しているようなリアリティーを持って表現されているところに魅力を感じた。詩の文体的な特質が、長い助走(長々とした説明的叙述)を省いて、いきなり異界へと旅立たせてくれる。読者を置き去りにして独自の表現に迷い込んでいくような進行ではなく、読者が共に情景を思い描き、その世界の中に無理なく入り込むことができる余地を残しているにも拘らず、具体的な説明や状況設定についての解説などは、最低限に抑制されていて、そこに読者が自由に想像する余地が残されている。緻密に構成された息苦しい世界ではなく、謎を残しながらも風が通うような隙間や猶予が残されているところに惹かれた。 現実の生活から一瞬、異界への逃避、あるいは侵入を試み、そこでリフレッシュしたり新たな英気を養ったり、現実界では体験できない冒険にチャレンジして自信を取り戻したりする、という空想力の冒険は、日々の生活の中で疲弊していく心の回復に不可欠な体験だと思う。子どもの頃から遊びや読書、ゲーム、映画やテレビなどの映像メディア、旅行などを通じて培われてきた空想力によって、一時、異界(もうひとつの“現実”世界)へと魂を解き放ち、再び現世に還りくる、という行為。突き詰めていけば、それは仮死体験を経て再び生を得るという、小さな生まれ変わりの繰り返しであるともいえる。 ◆優良作品 ・桐ヶ谷忍さんの「輪廻」は、題名があまりにもストレートであるということや、私、わたし、わたし達と語り手が増幅されているがゆえに、かえって曖昧度が増しているのではないか、という課題を含んでいるものの、現世と異界の境界線で〈わたし〉に起きる出来事を真っ直ぐに見つめ、それを映像化することに成功している。一日を共に過ごした〈わたし〉は悔いや未練を抱え持ったまま、既に死への準備が始まっている。次第に冷えていく〈わたし〉を彼岸へと送り届けるために、境界の川岸にまで連れて来るのは、他ならぬ〈私〉である。過去の自分の記憶の集積が〈わたし〉を形作っているとして、未来を予測したり、今までの過去を振り返ったりする、時間を超越した次元に立つ〈私〉は、語り手の自意識ということになる。後悔や自責を引きずったままでは、新しい一日を生き抜く気力を得ることは出来ない。既に終わったこととして整理し、未来に向けた反省の事例として受け止めることができるならば、翌朝を軽い気持ちで迎えることができるだろう。だが、そう簡単に割り切ることができないのが、むしろ私たちの日常ではないだろうか。その割り切れない思いを、いわば強制的に成仏させることによって、新しい明日へと向かう活力を得る。その境界領域が、真夜中に眠りの中で訪れる幻想の川として視覚化されている。 ・渡辺八畳さんの「サバンナの光と液」は、〈白反射な広野に透き緑な液が注がれている〉という独自の造語がまず、インパクトとして入って来る。意味も感覚も伝わって来るのに、新鮮な表現。アクセントになって読み手の心に刻印されるが、同時に、聴き慣れない言葉であることに対する違和感を喚起する、両刃の剣であるともいえるだろう。白反射、透き緑、赤若いと連続して使用する攻めの姿勢と、意図的に重ねられていく〈美しい〉という形容詞。表現、装飾の過剰ともいえるが、果敢に新しい表現を模索していく探求の姿勢(しかも、伝達性を放棄しない範囲で模索している)を評価したい。無意識の中でイメージが沸き起こり形を成していく過程は、しばしば無意識の水底からなにかうごめくものが現れ、形を与えられて(意識化されて)顕在意識の中に姿を現す様として描かれるが、渡辺さんのこの作品では、一度形を得たイメージが、再び液体の状態に戻っていく過程に焦点が当てられている。心の中で起きるイメージの死(溶解)と再生。 ・こうしたイメージの死と生起の繰り返しは個人の内面で起きている出来事であるが、それぞれの個の内でこうしたドラマが展開されているという不思議を、今一度考えたい。ドラマの生起する様を映画のように記憶していく人もいれば、抽象語に還元して、いわば言葉を小見出しのように機能させつつ、記憶していく人もいる。物語(ストーリー)と歴史(ヒストリー)が語源を同じくするということ、個人史の記述が個人の過去を作り上げていくということを考える。かるべまさひろさんの「エッセイ飛ぶ」は、“その時”の感情を言葉に変換して記していく行為を〈エッセイのよう〉に辿って行くが、伝達性のある散文に整えるという作業をあえて放棄するかのように、その時々に最もふさわしい言葉や表現をコラージュのように当てはめて、一篇のテクストを形成している。言葉どうしが脈絡を持つ層が何層か重なっているとして、一つの層から汲み上げられる言葉や表現で綴られていく文章は自ずから論理的整合性を持つが、かるべさんの作品は、あえて異なる層から汲み上げた言葉を、ひとつながりの平面に並べていくように見える。交易、貿易などの、集合体間の取引や交換に用いられる用語が、個人間のコミュニケーションに使われることによってあぶりだされるのは、自意識を持った一人の人間が、想像力によって内面に作り出した多面的な自我への視点である。一人の人間の中に生起する感情をひとつひとつ擬人化した映画があったが、こうした意識の集合体としての自己をとらえる試みもまた、自己を異界として捉える柔軟な想像力によって生み出されている。 ◆推薦作品 ・地球さんの「摂氏37℃」は、昨今の猛暑を通り越して酷暑というような暑さの中で読んだということもあり、実感がリアルに迫って来た。ユニークなのは、異界への移行ではなく、異界的な体験を現世に引き寄せて、いわば現世にありながら、異界を体験してしまっている、ということだろうか。蝉の抜け殻を、〈わたしの抜け殻〉と直感的に感覚してしまう語り手は、その蝉を〈きらい〉だという〈わたし〉のために、〈あの人〉が蹴り飛ばしてくれた、という行為を〈やさしさ〉として理解しながら、自分自身が蹴り飛ばされたようなショックとして体感してしまう。生きている〈わたし〉と、そこにある〈抜け殻〉とに、どれほどの差異があるのか・・・そこに場を占める、という点においては同じ。抜け殻、という物に同化している〈わたし〉の意識の中では、そこにある抜け殻と、ここにあるわたしの体とは共に“ある”ということにおいて、“生きている/いない”に関わらず、イコールなのだ。生きている、ということで差別化し、生きていない物を邪険に扱うことに抵抗感を感じない人と、感じる人。〈ただいのちがおそろしい〉という印象的なフレーズは、いのちを持つ者(自分を含めて)への畏怖の感情であるのかもしれない。」 ・羽田恭さんの「見えない向こう」は、牛の胎内という見えない世界のその向こうに、死の世界と生の世界との境界線を見ている。母胎から逆子の牛の仔を引き出すという、体験者でなければ記せないリアリティーのある描写をベースにして、それをこの世とあの世との命の綱引きである、と端的に捉えているところに説得力がある。〈止まりかけの呼吸は/この世を吸い込む〉など、平易な表現ながら、印象的で的確な描写が魅力的な作品である。 ・夏生さんの「地下水」は、地表の下に地下水があるように、心の表層の下にうごめく不確かな心の働き、無意識層を地下水になぞらえて身体化している。ユニークなのは、最も内奥に澱み、濁った層があり、その上に清らかに澄んだ水の層がある、という認識と、その濁りの中には〈たられば〉や〈もしも〉が住んでいる、その逡巡(の擬人化)を、(澄んだ水の世界から降って来る)〈良くない〉〈正しさ〉の礫が責め立てる、という二層構造だろうか。自分自身の知識や良識といった理性の領域での判断が、割り切れない感性の逡巡を責め立てているのである。語り手は清らかな水を飲み干しては、再び濁りの中へと戻っていく。自己判断を内面化した上で、感性に従いたいという願いの現れであるように思う。 ・作品を読む行為は、時に“腑分け”などと称されることもあるのだが、蔀県さんの「解剖」は、作品を読むという見えない行為を、イメージの力によって視覚化している。死体を解剖するのではなく、生きている人間を切り開いて臓器の構造を探り、働きを探り・・・そして、精神の所在を追い求めようとする。それは、テクストを生きものとして読み込みつつ、その中に息づいている詩精神・・・そこには、作者の思いや意図が分身のように生きている、ともいえるのだが・・・を飽くことなく追い求めようとする読み方の視覚化と言ってもいいだろう。炎の比喩が、作品の与える感動を感覚的に享受することであるとすれば、作品にに惹きつけられ、その魅力を探りたくなる好奇心に促されて知性によって探索する行為が、生体の解剖に喩えられるかもしれない。 ◆印象に残った作品 ・仲程さんの「のっぺらぼうの町」は、過去を有する人(人生経験や記憶の堆積がある人)の表情を見ることが出来て、未来をこれから記していくであろう子供たちの表情は真っ白な白紙のように見える、という、心の目で見た世界を記している。〈のっぺらぼう〉の不気味さが〈真っ白〉という肯定感に変る背後に、未来への不安が期待へと変換するきっかけがあるはずなのだが、そこまで踏み込んでほしかったという思いも残った。 ・ミナト螢さんの「春の記憶」は、〈君〉にかけそびれた言葉が棘となって心で疼き続ける感覚や、想いを反映してうるんだ月を〈月の皮が剥けそうな夜〉と描写するセンスに惹かれた。 ・渚鳥さんの「止痛薬」は、題名のセンス、短詩らしい切りつめた表現の潔さ、痛みを止めるために、膓をさらに焼く痛みを経なければならないという思いに共感した。通常のはらわた(腸)を用いずに、傷を連想させる文字を選択していることなども注目したい。 ・二条千河さんの「命名」は、親の思いや期待を込めた名前を子に名付ける、という行為を、まるで刺青のように、〈最初の暴力〉としてとらえる“思想”に惹かれた。世界観、人としての在り方への意識、と言い換えてもよい。〈あるいはかつての私のように〉という一行に、自身の経て来た葛藤もにじむ。刺青、宿命、烙印と重くインパクトのある言葉が続くが、子にその思いを負わせない、という強い決意、個の生命に対する謙虚さが爽やかな読後感を与えている。 ・こうだたけみさんの「雨やみ上がり虹のハシまでいと電話するすると吐く恋人のサギ」は、言葉の響きがスピーディーに次の言葉を導きながら、まるで色を変えるように意味を鮮やかにずらして繋いでいく展開が興味深かった。 岩垣弥生さんの「One day in Summer」は四行詩を連ねた組み物と言えばいいだろうか。一篇一篇に鋭く胸に届く一行があり、その都度はっとさせられるが、組み物としての連結が緩やかに過ぎ、一篇の詩としては分散してしまっている感も残った。 ・イルさんの「ナツ」は、五行詩を2連重ねた組み物。1連目は古き良き夏を想起させるイメージ、2連目はなんらかの悔しさや不穏さを暗示するイメージを配して、それらを〈穴の空いた麦わら帽子〉でつないでいる。対句などを意識しすぎて、意匠が勝ってしまった感がある。 ・四畳半学生さんの「食卓」は、ライトタッチの表現ながら、過去の温かい(暖かい)食卓と、今の空しい(おそらくは個食の)食卓とを対比している。マッチ売りの少女を重ねてイメージした。



コメント数(6)
羽田恭 (2018-08-12):

おお、推薦作に。 日々の労働がこのような形で報われるとは。 この間も二日で3頭の子牛が産まれました。 逆子はなかったものの、一頭が放牧場で予想外の出産、一頭が子牛が大きすぎて難産、一頭が割と安産でした。 大変ですが、労働と詩作に励みます。

ミナト螢 (2018-08-12):

少々甘めの作品ですが、名前を上げて頂きありがとうございます。今後も頑張ります。

こうだたけみ (2018-08-15):

注目した作品に名前を挙げていただきありがとうございます。 いいんだけど決め手に欠けるのよねって言われている気がするので、精進したいと思います。

二条千河 (2018-08-16):

ご注目いただきありがとうございます! 詩の中に「思想」が見えるのは、好き嫌いが分かれるところかもしれませんが、好印象を持っていただけてうれしいです。

武田地球 (2018-08-16):

まりもさん こんにちわ。ほんとうにわたしは蝉がおそろしいです。 >>今月は、幻想性(現実界とは異なる、異界、内界での体験)の要素が強く印象に残った作品を中心に推したい。 「はじめに」をふくめ、選評にもストーリー性があって大変勉強になりました。ありがとうございました。

まりも (2018-08-17):

羽田恭さん リアルな実感、それを突き詰めていくと、どんどんオリジナリティーが増していくような気がしています。それにしても、今は牛の出産ラッシュなのでしょうか?いのちとの体を張ったやりとり。いつも楽しみにしています。 ミナト螢さん 近代詩などを読んでいると、超絶ロマンティックな作品もたくさんあったりしますよね。「現代」詩で、やってはいけない、ということはない、はずなのだけれども・・・同時に、歌詞でそのあたりは充足してしまっている、という読者も沢山いるのかな、と思ったりしています。歌で聴く時には甘すぎても「イケル」けれども、文字だとなんとなく抵抗感が出てしまう・・・そこを乗り越える、甘くて深い作品が、求められているのかもしれません。 こうだたけみさん 文字が脳内で音声に変換される、と同時に、イメージが引き寄せられる、わけですが・・・イメージが追いついた時には、変幻自在に、別のイメージに様変わりしてしまう。そんなスピード感と鮮やかな変化、これは才能だとしか思えません。日本語って、脚韻が難しい分、頭韻というのか、出だしで次のイメージ(色)が予想されていく。そこを手品のようにひっくり返してもらえる爽快感が好きです。 二条千河さん 思想、これは実に難しいのですが、人間とはなんぞや、とか、社会とは?とか、そういう、人肌に密接な世界観のようなもの、ものの観方のようなもの、だと思うのですね・・・様々な局面で、この事の意味は?とか、自分はどうすればいい?とか・・・他者の意見を参考にしたとしても、自分で考えている人の骨格、のようなもの。命名は親からのプレゼント、でもあるけれど、それが期待の押し付けであったり、子どもの私物化への第一歩であったり・・・戦時中世代の親たちが、毅、武子、栄子、勝利(かつとし)・・・などであったことも思い合わせたりしています。 地球さん キュレーターが沢山、それぞれの個性全開でキュレーションをして下さっていて、花畑のようです。自分の好きな詩に偏っても、大丈夫かもしれない、そんな安心感も生まれて(変な言い方ですが)少し、気楽に、キュレーションを楽しんでみようかな、と思ったり、しています。

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