お知らせ

楢山節考※   

作成日時 2017-12-14
コメント日時 2017-12-31

 日本を発つとき、少なくとも5年フランスにいることを考えていた。その間コンピューターからも離れる必要があった。けれども結局、当時最新の「シンクパッド」を手に入れ輸送ダンボールに忍ばせた。空港で日本人を狙って体当たりしてくる強盗が多いと旅行書で読んで、持参する荷物は最小限にした。ごく薄い旅行用辞典と辞書機能のついた計算機の入ったショルダー一つを肩に掛け、私は旅だった。(しかし、滞仏中ネットには一度もアクセスできなかった。それはいいことだった。)  段ボール二箱の輸送荷物は待てど暮らせど届かなかった。(コンピューターがネックになったらしく、数ヶ月後それは届いたが、)最も必要なとき、充実した辞典がなかったことは痛手だった。  語学学校で私が受け入れられたのは、昔はすばらしい美人だったという熱心な女性教師のクラス。ひとたび指名されると矢継ぎ早の質問で答えを要求する恐怖の時間が待っていた。 「何故?」と問われないよう、ひたすら「ウィ」と答えて切り抜けたつもりだったが、ある日、私は柔道の黒帯何段の持ち主になっていた。無数のウィのなかで、自分が何者になっていたのか今は知るよしもない。授業中は辞書を机に出してはいけない決まりがあり、ぎりぎりと問いつめられ、質問はなんだったか?という想像力だけは発達した。当然のことに二学期も同じクラスに据え置かれた。  海岸通りを歩いていると、黒い人民服風の中国人らしい年配の女性が、毎日長い時間ただ海を見つめていた。その姿は異国で一人老いていくことの孤独を滲ませていたが、海岸で海を見ているだけなら言葉も必要ないだろうと羨ましかった。               *  二学期末に5分間を与えられ一人ずつ教壇に立って行う小論文の発表があった。この時は同じクラスに日本女性がいて、日本にコンビニというすばらしいものが増えてきていることを語り皆を驚かせていた。(この彼女は期間半ばで心身の不調を訴え帰国した。)  私はフランスでも話題になった映画「楢山節考」を短くまとめ、フランス語で表せないところはボードに絵を描いた。 うばすて山に背負ってきた老母を残し、息子が山を下りていくとき聖なる言い伝えの雪が降ってくる。 雪を待ちわびていた母親に息子が「おっかー、雪だ、雪が降ってきた!」と絶叫する場面。 「ラ・メ(オカアサン)! イル・ネージュ! イル・ネージュ(ユキガフッテキタ)!」と声を励まして叫んだ。 終わった後羞恥心がよみがえってきたが、女性教師は目に涙をためていた。恐らくこの一事を持って、思いがけなく進級することになった。(2004)                 ※bレビュウ杯不参加作品です。


項目全期間(2019/09/16現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
総合ポイント00
 平均値  中央値 
叙情性00
前衛性00
可読性00
 エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
総合00
閲覧指数:95.7
2019/09/16 05時36分57秒現在
※ポイントを入れるにはログインが必要です
※自作品にはポイントを入れられません。


コメント数(12)
survof (2017-12-14):

素敵な随想です。するめのように読めば読むほど深い味がでるとはまさにこのことですね。コミカルな内容なのになんだか懐かしいような切ないような胸が焦げるような締め付けられるような感覚、そしてなぜかまるで自分の過去を振り返っているような不思議な感覚がありました。

アラメルモ (2017-12-15):

お久しぶりです。 ‥寒い‥はよう閉めろや!‥‥ 寒さが増してきた季節。夜になって母屋を訪ねれば、寝間着姿のままで炬燵に居座る母親からよく怒鳴られました。亡くなってから三ヶ月近くになりますが、独りで過ごす母屋の寒さは躰の芯まで貫いてくるようです。和紙の薄い障子に襖。仕切られたとはいっても欄間で空間があります。昔の人たちはこのような造りの家の中でどうやって寒さを凌いだのでしょうか。暖房をつけっぱなしでも独りでは眠れない。和風建築の風通しのよさが憎らしくなってきます。 異国のフランス人の方でもあのようなシーンが理解できるのは素晴らしいことだと感激してしまいすね。 孤老の身でもやはり我が子を思うときの悲哀、刹那。 涙した女性教師は初老の方なのでしょうか?どのような境遇で過ごしてきた方なのか、。もう少しだけ詳しく知りたくなってきますよ。

アラメルモ (2017-12-15):

追加訂正。感激してしまいますね。です。(編集できないのかなここ?笑) 年老いた母親があのように寒がった理由。ここに長いこと居座るようになってからよくわかりました。 その昔、痩せた土地の貧しい暮らし。姨捨行。外国にも似たようなことはあったのでしょうね。ちょっと調べてみたくなりました。

み う ら (2017-12-15):

fiorinaさん 投稿有難う御座います。BーREVIEW杯(選評)に不参加のこと承知しました。もちろん何ら問題ありません。同じようにお考えの方がもしかしたら多くいらっしゃるかもしれません。後日、掲示板投稿規定として予めの「不参加」の表明は自動承認する旨改訂し、全ユーザーへもお知らせ致します。 また、後日、作品へのコメント入れさせていただきます。

fiorina (2017-12-16):

*survofさん、ありがとうございます。 様々な感情が、自分のなかにあったんだと極限はひっぱりだして教えてくれますね。 あの日日を共有していただいたようで、嬉しく読ませていただきました。 *アラメルモさん、ありがとうございます。 お母さんの思い出はいよいよ鮮明になるようですね。寒さは年齢とともに強く感じるので、お母さんは切実だったと思います。 我が家も壁の薄い日本家屋なので、私は最近骨が寒いです。 フランスの女性教師は、初老よりも若い人だったと思いますが、 「楢山節考」はカンヌ映画祭でグランプリを受賞しているので、映画祭のときにリバイバル上映されるのを観ていたのかな? 最初から頷いていました。フランスは食料を自国でまかなえる豊かな印象がありますが、貧富の差の厳しい頃は「レ・ミゼラブル」のように一片のパンを盗んで牢獄へ、という話もたくさんもあったのでしょうね。 フランスでの姥捨て、調べられたら作品で読ませてくださいまし。 *三浦果実さん、ありがとうございます。 BーREVIEW杯不参加の事は以前から考えていたので、スッキリなってうれしいです。 よろしくおねがいいたします。 11月までの拙作への身に余る評価といただいた選評は、とても嬉しく受け取らせていただきました。 ありがとうございました。

岡田直樹 (2017-12-16):

これはいいですね…。海をみている老女、フランス人教師…随所にいい部分があり、感動しました。ありがとうございました!

み う ら (2017-12-17):

映画「楢山節考」での緒形拳さんがお母さんを背負っていくシーンが思い出されたのですが、あの映画を子供だった私は当時、エロティックで子供がみちゃいけない映画との印象がありました。エロティックとは生々しいという意味で。その後、大人になっても観ることがない映画ですが、まさか、当掲示板で、楢山節考について思い出されることになるとは、なんといいますか、詩の掲示板というのは、深いところで人と人を繋げてる何かがあるのかもしれないですね。フランスという異文化フィルターを通して楢山節考をイマージュする本作なんですが、楢山節考の生々しさとか人間の本性というテーマ性よりも、世界的に広まりえる、普遍的なる物語って構造的には、軽くて単純なものなのかもしれないと、本作を読んで思いました。

田中修子 (2017-12-19):

fiorinaさんの作品は、読む御馳走ですね~。 軽やかなんだけどすごく上品な、季節の味のシャーベット、という感じがします。 もうちょっと食べたいな、って思うよな。 「楢山節考」読もう!! と思いました。

まりも (2017-12-20):

『楢山節考』冒頭の既述の、あまりにドライというのか、即物的というのか・・・情をむしろ捨て去った後の清々しさのような、奇妙な感覚で始まる叙述が、印象に残っています。 映画は観ていない、のだけれど・・・。okka yukida yukiga futtekita という、撥音、濁音を・・・連打とまではいかないけれども、重ねていく時の響きと、らめ いる ねーじゅ いる ねーじゅ という・・・ひらがなで記したくなるような、甘さを含んだ音韻の違い、これって、結構、イメージに影響するのではないか、と思いました。 テニスンの詩だったと思うのですが(うろ覚えでごめんなさい) died died deid but・・・と連呼する部分が、死に死に死にてなお・・・と翻訳されていて・・・もちろん、意味としてはあっている、のだけれど。 原詩では、ピストルでズドンズドンと撃ち殺されるような衝撃度があるのに、日本語になると、芒原でひとり、風に吹かれながら野ざらしになっていくような、そんな感覚になる。前後の意味も含めて捉えなくてはいけないのですが、それにしても、ひとつのフレーズから立ち上がるイメージの相違には、戸惑いました。 そうした、ニュアンスや質感の違いを超えて、なにかを伝えることができたとき・・・その時が、本当に道の通う一瞬、となるのだろうと思いました。

fiorina (2017-12-27):

レスが遅くなり、すみません。 *岡田直樹さん、ありがとうございます。 とてもうれしいです。 あんなにも言葉で格闘した日々があり、今は失われた時間を蘇らせることができる言葉につつまれて、 感無量の思いがあります。 日常をコップ(心)から溢れそうな水をこぼさないように大切に生きる人にとって、 なんの刺激もないかにみえることに無数の奇跡が息づいていること、 (そのことにだれもが気づいたらな、)それが幸福な人生だと思うようになりました。 *三浦果実さん、ありがとうございます。   >あの映画を子供だった私は当時、エロティックで子供がみちゃいけない映画との印象がありました。   >エロティックとは生々しいという意味で。 私は映画を観ていないのですが、小説でそのためらいがありました。 何かおぞましいものに出遭うのではないかと、長い間避けていましたが、読んでみたら意外にもただただ美しく 素晴らしい、としばらく呆然とした記憶があります。   >世界的に広まりえる、普遍的なる物語って構造的には、軽くて単純なものなのかもしれないと そうですね。あの物語の真っ白な雪のようなものかも。 *田中修子さん、ありがとうございます~ 読む御馳走!うれしい‥。   >「楢山節考」読もう!! と思いました。 たぶん映像と違って原作にグロテスクなところはなかったです。 あったとしても感じませんでした。 今回書き込んでいませんが、主人公のおばあさんがすごく素敵なんです。 ぜひ読んでほしいです! *まりもさん、ありがとうございます。 私も映画を観てなくて、最後の息子のセリフは、深沢七郎の小説を昔2度読んだ記憶とイメージによるものでした。 イルネージュという言葉が今もとても好きですが、この経験を通して一つの言葉を獲得したかな?   >ニュアンスや質感の違いを超えて、なにかを伝えることができたとき・・・その時が、   >本当に道の通う一瞬、となるのだろうと思いました。 私はリルケの「ドゥイノの悲歌」がとても好きなのですが、原作では読めませんで、手塚富雄訳で親しみました。 それを自分の拙い朗読で繰り返し歩きながら聴いたのですが、言葉の違いを超えて、 まりもさんの言われる「一瞬」を経験していたと思います。 言葉を習得する段階では、映画の字幕など何故もっと直訳にしてくれないのだろうと不満でしたが、 翻訳者がニュアンスや質感までも伝えるために、いかに苦心しているかを最近は感じるようになりました。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-12-28):

 正直挟める言葉がないのですが(コメント欄が恐ろしい程充実している)、僕なりに言える事と言えば、浪人時代に沢山文化人類学の文章を現代文の授業で読まされた事です。アフリカとかアメリカの話は沢山読みました。本当に色々な話を読んだので、ここに書こうと思ったり、いやいやと思いながら書くのをやめたりと、何度か繰り返しているのですが、しかしながらそれでも尚思うのは、僕が読んだ話よりも本作は短く、僕が書こうとしている例え話よりも短く、そして凄いのは色々大切に考えなくてはならない事がギッシリ詰まっていると思いました。どのセンテンスも無駄がありません。  例えば僕が同じような体験をして、同じような事を書こうとしたとき、書けるだろうかという想像は愚かだと思いますが、しかし、ああ、一度書いてみたい物だと思わされました。

fiorina (2017-12-31):

*百均さん、ありがとうございます。 自分から飛び込んだ環境で当然の報いを受けていたのですが、いろいろな国の人と逢えたのはよかったです。 今、後追いでそれらの国の歴史に興味を持っているところ。 百均さんの眼、詩文で様々な国についても読ませてくださいませ。 コメント欄の充実は、みなさんが暗黙の安心感を持ってやり取りできている証しですね。 自由に書く中ではみ出したり、触発されて作品が生まれたり、この活気はネットならではと思います。 今年は殆ど書けませんでしたが、来年はコメント力をつけたいです。 只今おせち料理に奮闘中、年々日本と日本語が好きになります。 皆さま、よいお年をお迎えください。

投稿作品数: 1