作品投稿掲示板 - B-REVIEW

アラメルモ


投稿作品数: 7
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アラメルモの記録 ON_B-REVIEW・・・・

優良B-Reviewer

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凍傷

2018-02-04

小網戸

2018-02-01

嗚咽

2018-01-25

夢をカム

2017-12-08

蒐集家

2017-10-20

現実と夢(エンターテイメント)の境界線。 誰もが脚を踏み込めるが確実に喪失してしまうそのわずかな隙間の領域。 見事だ。 (終わりと始まりを納棺する日々)

2018-04-10

一連の観念的な世界と三連の台詞を伴う具体的な描写の世界観。その中間的な役割に位置する二連が惜しいですね。例えば私を主体に語られる世界観。どうせならばここもまた違った世界観で語らせてほしかった気もします。一連二連は惹き込まれる魅力がある。それだけに。 (人魚)

2018-03-23

ごめんなさいね。(_)業者に会う疲れからか誤字脱字だらけだ。 ( アザミの歌~南仏紀行 ※)

2018-03-19

終わりのほうの姉妹という言葉で、この作品が奏でる異国情緒も一気に拡がると思いました。異国から思慕する母国への情緒ですね。どう表現すればいいのか。詩情に溢れたというよりもこぼれ落ちたような、生々しさよりも、絵画を眺めたときのような、時間的な空白感を醸し出している作品だと感じましたね。 名前はもちろん創作でしょうが、女性とアザミの花が醸し出すイメージはなんだろうかと考えてしまいましたね。で、ついついユーチューブを検索してみたアザミの歌。あ、「さよならはダンスの後にしてね」。倍賞千恵子にヒットしてしまいましたよ。懐かしいなあ。笑。そうえば彼女のイメージにもぴったりだな。凜とした。厳格さも持ち合わせながら何故か物悲しさを醸し出している。しかしどちらにせよ孤立感が漂うイメージですね。 物悲しいと言えばわたしにも思い出されるますよ。仕事で離れ島へ行かされた日々。時間潰しに島を巡って歩いた。誰ともすれ違いはしない、道端に凜と立ち上がり咲いた紫色のアザミの花を。 余談ですが、夏以降になるかな。長いこと時間もかかりました。田中さん行きつけの居酒屋に行ってみますよ。そのときには一応ご連絡を入れさせていただこうかな、なんて思っております、オヤジです。 ( アザミの歌~南仏紀行 ※)

2018-03-19

否めないというよりもむしろ、流れに詩的誘因力があるだけに少し残念な余韻が残ります。 (殺戮の時代)

2018-03-15

争いから愛憎劇として読むならば、婚礼と書かれてあればロルカの血の婚礼やロミオとジュリエッを思い浮かべてしまう。 映し出す青のイメージが、記憶を透して反映されるように描き込まれていますね。 眼に映し出される水の青とは、光を通して空の青が反映される色でもあり、これを人物から受け取るイメージに置き換えれば、与える印象として冷たい哀しみの色でもある。 そのように考えてみれば、ここで用いられている青とは別れを示唆し予感した哀しみの色でしょう。 あの時代をチャップリンが殺人狂時代と揶揄して映画化したのは当然ご存じでしょう。 戦争、戦争、戦争、殺戮の時代。これは予感を示唆しているのか、または内面的なイメージからこころの戦争と置き換えられたのか、時代背景が読み取れない分、解釈を試みるならば少し中途半端な読後感で終わってしまう。そのような感想は否めませんね。 (殺戮の時代)

2018-03-15

〆に失敗していると思われますね。余情が立ち上がっていないまま終わっている。 だから花緒さんが言われるようにピンとこないまま終わってしまった感は否めない。 数えきれない鳥が、電線~と、最後まで描写に徹するならば、ここにも視線の動きをもたせるべきだと思う。 (無題)

2018-03-15

つまりね、主体性の無いままに二重に人格者を作り出してんのね、こいつ語り手は。それを操る作者がみえてくる。そこが気持ちわるい。良し悪しはべつにして。 (continuous)

2018-03-12

自問自答をしているならば気持ちわるくない。させています。そうです。答えわかってるのよ。だから気持ちわるい。 (continuous)

2018-03-12

るるりら様。お久しぶりでございます。 タバコ、iQOSに変えてからご飯美味しいですよ。そのぶん体重も増えたし、気温も上がってくると食べ物には注意もしないとね。食い合わせに期限切れ食品。期限少々過ぎててもつい食べちゃうんですよ。もったいないねーで。笑。 昼夜逆転はもう馴れっこですが、寝不足ですね。一番よくないのは。寝入り時に大きな音を出す迷惑な隣人も居るし、最近いろいろなこと考えながらでよく魘されてしまいます。 吹っ切るには方向を変えて歩き出すのが一番の解決法。頼るのはもちろん自分の意思だけです。自業自得とはよく言ったもので、自分以上に誰も自分のことはわからない。すべて自己責任。ひとりぼっちは淋しいけど、これですよ。決める覚悟のときはこれしかない。コメントありがとうございます。かんばりましょう。 (他人の中にある自分---)

2018-03-10

突然糞詰まりになったかの~これも笑えるな。誤字が多いね。 書き直したら旧いの消してくださいね。 (他人の中にある自分---)

2018-03-10

いいねえ。過去現在未来。いまが三次元の空間ならば予測は不可能だが、実はすべてが影響を及ぼし合っているという基本原理の構造。パラドクスを意識すれば何もかもが現実には起こり得る可能性がある。そしてわたしたちの脳の力では決して知覚はできない。それは想像で興すしかないんだ。 (反転する蒼い朝には死体しかいない)

2018-03-10

三浦add果実様、ありがとうございます。 編集機能、付けていただければ有難い、と思っております。 (他人の中にある自分---)

2018-03-09

刺激しなから-←ここだけかな? そうですね。 おっしゃるように、つぶやき。ただ独り言です。。某サイトにホロウさんという書き手がおられますね。真似てみたかった。 (他人の中にある自分---)

2018-03-09

三浦add果実様。いつもありがとうございます。お世話になります。 深夜に確かめながらゆっくり書いてはいたのですが、考えながらなのでやはり誤字はあった。ながらながらのながら健一です。(何を言ってる×) どこでしょうか?修正してえ~と楽をしては頼ってはダメだな。笑。 確かめて、できれば書き直してみます。 ご指摘感謝いたします。 (他人の中にある自分---)

2018-03-09

Rixa7oceans様。丁寧に拾いながらのお読みありがとうございます。 その通りでございます。もう少し書き込んでもよかった。後になって気づくこともありますし書き忘れもありますが、もう手遅れだ。ぐだぐだ言っても仕方ないのです。他人にも自分にも。自分の足で前を向いて歩かなければね。 (他人の中にある自分---)

2018-03-09

筆舌とし難いそんな気持ちわるさがいいね。でも、まあ、烏賊、誰かさんのようになってはほしくないな。そんなことチラリと浮かぶ。 (continuous)

2018-03-09

理由がなければ詩は書けないのか。 もちろん書けますよ。 しかし人間には感情がありますね。物質であることに違いはないけれど。 なので理由は必ず付いてまわりますよ。 (ガラス割っただけ)

2018-03-05

僕も朝のどろどろした味噌汁に腹がたって台所の窓ガラスを壊したことがあります。 つまり母親に対して腹がたったのですが、理由はそれだけではない。職場がイヤでおもしろくなかったからです。 まあ、他人のせいにするしても、そんな自分自身に腹をたてるにしても理由がある。 揺れ動く強い感情の表層だけを言葉に託している様子ですね。 ならばもう少しその理由にまで踏み込んでほしい気もします。 (ガラス割っただけ)

2018-03-04

これはくだらないコメントかも知れないと前置きしておきます。 技術的に詩を読ませるならば見ながら歩く、ではおもしろくない。思考の変化に乏しいからです。これが情景だということは説明されなくてもわかるからです。くだらないですね。たくさん読んでくればこんな小さなことでも気にするようになってくる。上手いかそうでないかで。そんな小さな枠を跳び越えた詩ならば気にすることもないのでしょうが。 (チューリップ)

2018-03-04

三浦ad果実さん、言葉たちが洗練されてきたね。客観的にご自身が読めるようになってきたからかな。自我そのものがね。そんな印象がしますね。強く引き込まれますよ。 (相対化する宗教の欠片~まがいもの~)

2018-03-04

微睡みの中の幻想。石と文字の関係をどのように捉えるのか。これによって読み手の感想も分かれてくるような気もいたします。 石に刻まれた記憶。絵文字から発展した象形文字も、その単語との結びつきによって表記をも意味してきます。 当然石も時間の経過とともに朽ちてしまう運命にある。それが息をし膨らみ続けている。石に描かれた文字の記憶。私には石が娘の子の姿そのものとして映ってきますね。残像のように。絵文字のように。 (陽だまり)

2018-02-19

まりも様、お読み頂きコメントありがとうございます。 厳冬の登山に挑む一人の孤老。あるテレビの放送からイメージを発展させてみました。 一枚の写真、または動画と、借り物の情景からイメージを創作するということはハンディを意識しなければならない。仮に詩を躍動する人々の市場として捉えるならば、借りてきたイメージから創作するという行為は、冷凍庫に保存された言葉を取り出すようなものでしょう。そして読み手を意識すれば当然伝わることを目的とする。このことは逆に伝わらなくてもよいものまで相手には伝えてしまういうことを認識していなければならない。実体験ではない。選語を考えてしまうという行為は、生のよさを打ち消してしまう。このことを形式としてはじめから認識していなければ上手く機能もしないでしょう。 上手く伝わらないのは焦点を絞り切れていないからでしょうね。 言葉は死んだものかも知れない。 しかし詩情とは生きているのです。これが我々にとって詩を難しくさせる要因です。 (凍傷)

2018-02-19

あちらにもコメントしてるけどさ、確かにangle(角度)ではちょっと離れた印象がするね。生活環境を変えてみたいという変化への願望だよね。主題は。angle(アングル)は文章で仕様されたほうが佳いような気もします。タイトルはね。難しいよ。この主題を一括りに纏める言葉をあてるのか。それともその先を見据えるのか。タイトルはセンスも要求されるからね。 (angle)

2018-02-09

これだけ行間を空ければどうしても視覚的な効果を意識してしまう。 しかし、仮にこの空間が無くてもリーディングとして成立してしまうような、 、 それは一行から三行までのイメージを読み手が探ろうとするからだろう。 本来無意識とはこのようなことを言うのでしょうね。 (     )

2018-02-07

読まれるということを考えれば花緒さんの指摘は常道でしょう。単語(比喩)か文体か。違和感で伝えるを意識させたとき、表現はどのように伝わるのだろうか。ちょっと外してみたいという試みなのですが、このような操作もポエジーを考えるとなかなか上手くは表現されないようですね。つまり意図的なものだけではどうしても内容的に渇いてしまうということかな。花緒さんコメントありがとう。形式に拘ればこのような迷路からは抜け出せないいうこと。よくわかりました。 (小網戸)

2018-02-04

祖母たちに堅機の音響き-祖母らが集う、堅機の音響き~としたいのですが、我慢します。笑。そう読んでください。 (凍傷)

2018-02-04

夢終わり、風が吹く。 風が浚ってゆくんだよ。もしくは~風と一体になり~といったイメージに読み取れますね。 このような動きのあるイメージだけに趣きを読ませた作品ならば、形式的にはもっと遊んでもいいんじゃないかな。と。 リズム。動きのある改行。メリハリを考えるならば、一行だけ助詞を用いて語り手の心境やらを。読点で切れてしまう文体のパターンが邪魔をしている。そのように感じますね。 (おわって、風)

2018-02-04

再三に渡り申し訳ないです。 三浦dd果実様、少し訂正したこちらの方にしてくださいませ。どうにも我慢できなくなるのです。今後はじっくりと推敲に心掛け、至らなさは妥協し、お手を煩わせることは控えます。本当に申し訳ないです。 (凍傷)

2018-02-04

訂正、このことは主語の対象としての人物像ということですね。つまり母親なのですが。 (小網戸)

2018-02-02

あ、それからタイトルは「背網戸」ともしたかったのですが、、どうでしょう。ちょっと判断に迷ってしまいました。 (小網戸)

2018-02-02

三浦dd果実様 物語の書き出しのようでしょう。何も得られるものはないです。おわかりのように名詞を修飾させているだけの文体ですが、余韻として主語を浮き上がらせてみたかった。というだけです。 お読み頂きいつもコメントをありがとうございます。 (小網戸)

2018-02-02

ようわからんこつあるバッテン(ボクのこれ中国語なの?)。笑。 対話ですね。下記にね、もう少しだけ解説欲しかったかな。ちょっと話が読めてこないのだ。 (相対化する高校生の欠片)

2018-02-01

普段使わない食器や鍋類を仕舞い込んである。そうした物置が母屋の台所にはいくつもあります。ひょっとしたら何かの住み家になっては居まいか。暗くて覗き込むのも躊躇ってしまいます。 勇気を出して覗いたらいつのまにかその異次元世界に迷い込んでしまった。この詩がそうですね。 無意識に描いてしまう夢の世界。これも紐解けば実は忘れていた記憶の集積。それは隠れた潜在意識のパーツだったりする様ですね。 そのような表現が客観的になされていると思います。 なかなか手強い作りの詩です。 (プラモデル)

2018-02-01

fiorinaさん、お読み頂きありがとうございます。 まったくですね。膠着という言葉。わたしも書き終えた後から悔いが残りました。閃きも考えも中途半端でした。共鳴して頂いたのでしょう。その点はまったく同意いたします。 (嗚咽)

2018-02-01

miyastorageさん、お読み頂きありがとうございます。 そうですね。独白部と喩化された文をはっきりと区別させてしまった。喚起がわき起こらないというのもわかります。敢えて中途半端な詩にしてしまったようですね。自分だけがわかっていて作品として価値があるのか、ということでしょうね。無価値だという意匠を考えてしまいます。そして詩に挑んでみたい。よろしければ、もう少しだけ付き合ってください。 (嗚咽)

2018-01-26

たとえば骸になることでその真っ白さを証明してみせたあの人。 もちろんあの人とは誰なのか、物語を追いかけても読み手にはわからない。これは読み手が想像すればいいことでしょう。読み手の物語のなかで。それが上手く手渡せているのか、ということがこの詩に対する評価の決め手にもなる。景色を眺望しながら考えてしまう私がいます。この白さがわからない読み手である自分がもどかしい。 (証 ――「白」字解)

2018-01-26

三浦dd果実さん、いつもコメントありがとうございます。 涙は脆く零れおちるものですが、泣くのにはそれ相当の理由があります。悲しみにもその度合いがあるように、例えば親しい間柄や近親者の葬儀のときのむせび泣き。これはもちろん相手を深く想い返すときにこみ上げてくるものがある。しかしそれだけではない。泣くという自分の行為に対しても、また泣いている自分をどこかで意識してしまうものです。それが嗚咽を誘う。自我を意識してしまう。結局、人間はどこまでいっても自意識からは逃れられないんだな。と感じてしてしまいます。 (嗚咽)

2018-01-26

深夜なのであたまも飛んでたようですね。相手に対しての悔いや自責の念だけじゃない。その無常感に嗚咽して泣く。これは自身に対してどうしても自己憐憫を感じられずにはいられない。とそのように思うのであります。 (嗚咽)

2018-01-26

あめりさん、コメントありがとうございます。 敢えて、でもないのですが、極力表現を省いてしまいました。しまいましたとは、たぶんこれだけでは上手く伝わらないだろうな、という気がするからです。どのように読まれてもけっこうなのです。正解なんてない。あなたの読みはもちろん正しい。 涙、そう涙ですね。人にもよるのでしょうが、人間も年齢を重ねると涙脆くなってしまいますね。ほんのちょっとしたことでも目頭が熱くなる。ついついもらい泣きをしてしまいます。でも泣くのとは違いますね。大人が人前で泣くときはその悲しみも限られてきます。それもよくよく考えてみれば相手に対しての想いだけではない。どうしても自分のことを重ねてしまう。なりふりかまわない嗚咽とは、そんな自分に対しての責めも向けられているからでしょうね。 (嗚咽)

2018-01-26

木綿の宇宙服で渡る。なんてあり得ない事柄を。愛してる。 これは文庫本の中に読み取る世界観への憧れ。架空な愛を可能にしたいという欲求の表れ。この愛に向かう長い独白が意味するもの。それは物語のような世界観を成就してみたい、という願望のようなものでしょうか。 (愛してる。)

2018-01-25

どうしようもない断絶感なんてクソのように撒き散らして犬ころみたいに自分で吠えるしかないさ。 思ってはいても人前では吐き出せない。負け犬だよと呼ばれてしまえばどうしようもない。 断絶なんて言葉を歌詞で意識したのは陽水が最初かな。学生運動が下火になると伴にやってきた70sのシラケムード。 経済は停滞するけど音楽はニューウェーブの台頭で盛り上がるよね。機器に合わせて次々と新しい音楽も生まれた。 断絶もカタチを変えながら受け継がれてゆくんだね。 韻を踏みながら、目まぐるしく切り替わる思考の動きは見事だね。 誰にも求めてはいない。自分のクソをそのまま吐き出しているのがいいね。 (火星のホットスタウト&ホルモントマト)

2018-01-25

あの夏とは、腐ったような毒味に満ちた夏のことでしょうが、これが毎年のように繰り返されていく。表現の不足は限定されることを望まない。自由な読みを託す、という意味に取れば、また深みのある詩情性を感じたりもします。 書かれてあるように夾竹桃には毒性があります。 原爆がおちた跡には何年か草木も生えないと言われていたヒロシマ。そんななかでいち早く花芽を付けたのは夾竹桃だと言われています。市花にもなっていますね。 冬は人々の気持ちを対照的に表した喩と受けとめてみます。そう考えれば、語り手が詠んだ季節は間に挟まれた秋でしょう。句読点の位置づけには私なりの詠みを挟みたい気もしますが、夏の標本づくりの失敗とは。その嗅いでは忘れ去られる香り痕跡。人々の気持ちが込められているのでしょう。 (夏の標本づくりの失敗について)

2018-01-24

自然が織りなすコラボレーション。そしてささやかな命。仲程さんも感じられたように、繊細でクリアーな空気感をわたしも感じます。 (立会人)

2018-01-19

やはり言葉を追い求めるときの思想が伏線に見え隠れしますね。発語への飽く無き探究心とも言えるのでしょうか。 このような吐露を語らせれば、ブレヒトの言葉を借りればあなたは身ぶり手ぶりの書き手だ。小さな動作を用いたがら読み手の思考に対しては新鮮で大きな驚きを与えたい。異化的な効果も、読み手のなかで咀嚼され同化されないとただの異様なものとして映る。わたしはそのように捉えています。この辺りは見事に解消されていますね。不確定な様相を孕んだまま末路を迎える。この世界観がマクロ的思考として充分認識できる。吐露としても高い位置にある詩だと思います。 (瞼の彩り)

2018-01-19

見たこともないような光景が情感としてあたまの中を過ぎっていきます。 これは一体なんだろうか、読み手は想いを巡らす語り手の中で立ち尽くしてしまう。 読み解こうとするならば、ヒントになるようなものはいくつか書き込まれてはいますね。 親子、団地、冷たいもんぺ、節くれだった、手。ストレッチャー。そしてタトン、コトン、静寂に包まれ耳に響きわたる階段の音。遠く広がる澄静の水面から~天に新たな命がうまれたらしい。このことは何を意味するのだろうか。 わたしは故郷を長く離れたことがないので、里帰りしたときの心境を掴むのは難しい。なのでこれは当然読み手の臆測になりますが、見たこともないようなイメージからして、どのように判断してもよいと思われる感覚に委ねた詩なのでしょう。 ある葬儀のために久しぶりに帰郷した。新雪が晴れ渡る光の中で輝いています。斎場へ上りそして下る石段の音。辺りの静謐さに包まれて、いつしか鮮明に想いが過ぎってくるのかも知れない。そのように感じました。 (立会人)

2018-01-19

もう少し追記しておくと、彼をモノして扱いたいという願望でしょうか。喜怒哀楽のすべてがモノに喩えることで収斂されていく。 妙味に優れた詩だと思います。 (魚とバナナとラクダの話)

2018-01-18

この詩は以前にも何処かで読んだ気もするのですが、一読してから気になっていました。 日常会話に絡めて彼のことが語られるわけですが、様々なモノや動物たちが入れ込まれて発露される。 それは日常からおとぎ話の世界へ移行するように。このことは筆者も述べておられるように現実とフィクションの混交でしょう。 より喜怒哀楽を強調しようとするとき、対象的にかけ離れたモノを入れ込んでみる。そのことが旨く機能すれば、対照の狭間の中に置かれた存在者(読み手)のイメージは強調される。象徴的な存在として。雑踏の都会の中で孤独が強調されるとき、鳥籠に閉じ込められた一匹のカナリアを一瞬映し出すように。 このような異化的な効果とは、象徴的な対象物として我々のイメージに訴えてきます。 しかしここではそのような異化作用の対象が制限もされてはいない。この詩文は交錯だらけで、より特定の対象が強調されているとは受け取れない。 このことから解釈してみれば、この詩に受容されるイメージの効果とは、その感じ取れる詩情全体にかかってくるのではないだろうか。 つまり、語り手の対象である彼自体をモノの一部として扱っているのである。そのことが詩全体を通しての異化的効果として、バナナなどのモノを同化させ象徴的に物語っていく。この際どい操作を成功に導いているのは、やはりそれを意識し発露に優れた日常会話があるからこそでしょう。欲を言えば~をして。この接続助詞が多様されている文面が少し気にはなりましたが。 (魚とバナナとラクダの話)

2018-01-18

何故そう感じるのか。付け加えておきます。 消費されてゆくスウィートな食べ物。それらは同化するように人間の感情が、そして対比的にみれば矛盾した情念としての無常観に読めてくる。ということです。 (Ice Cream Elegy)

2018-01-15

全ての罪が許された振りをする雪溶け。っていいね。世界に向けた筆者の思いがここに込められているよね。 ここでいう真冬とは現代社会を意味するわけだ。溶けて消えたアイスクリームを忘れて失ってゆく美しさと刹那に怯えながら~真夏にアイスクリームが食べれるのならば、そのまま真冬を食べてやろよ、おまえら。筆者の隠された意図が読めてくる。。つまり真冬を意味する現代社会に対して、君や僕らは本気で向き合ってはいないじゃないか。というメッセージ性が込められている。やわらかく盛り込まれ大切なものほど受け皿へと零れていく情報。。見かけに振りまわされ続ける現代人。特に世界の中でもソフトクリームのように脆い日本人の甘えた思想観。よくよく足もとをみれば問題は山ほどあるじゃないか。良質な皮肉ですね。。わたしはそう受けとめた。 (Ice Cream Elegy)

2018-01-15

花緒さんなんか好きな部類の詩じゃないかな。? 反意的なひねりで最後は結論づけていくという構成ですね。文章は流暢だし上手くまとめられている。 愛こそはすべて。この終わり方もいいよね。希望がみえてくるようで。 (親しい他人)

2018-01-15

よく考えると~三度繰り返されていますが、これ、要るかな? 隔絶の置かれたような状況から妄想に陥る。上下左右と目まぐるしい描写ですね。多重と交わる内声的な響き。 結局、内面の葛藤からこのような妄想に置かれた状況が様々に変化してみせるのだろうと思います。よく考えてみると、何故このような状況に陥ったのだろうと。そして場面はあたまの中で様々な状況を呼び起こす。瞬間に切り取られていく。思考の空間が時間を跳び越えていく。好きな部類の詩ですが、先に述べたようにいま少し文章を切り詰めてみては如何かな。というような感想を持ちました。 (シンク)

2018-01-15

おっと、余計なことばかりで感想を書き忘れてしまいましたね。 詩に対する姿勢に確固とした強い意思を感じます。なので言葉も独自に洗練されキレもある。 短い文章ですが、経験からそう感じました。 (花子はある朝突然比喩した)

2018-01-11

長くネット詩と関われば刺激を受けることが少なくなってきます。 時代の変化でしょうが、近頃は自虐ネタも多いような気もします。現実を見渡せば夢も冷めてきたのか、比喩としての対象も狭い範囲に留まる様子です。 (花子はある朝突然比喩した)

2018-01-11

映像が浮かんできますね。ファンタジーに溢れた詩情性を感じてきます。欲を言えば、森の秘沼の箇所。フォンテーヌとかブルターニュの森だとか(ありきたりだ。笑)。あなたの好きなフランス~森、と名称で読みたかったです。 (私に※)

2018-01-09

こんにちは。 彼の充血した眼。その原因もわからないまま読み終えてしまいました。 さすがに流暢な文章ですね。ですが、綺麗過ぎてもう少し文体に起伏がほしいとも感じました。何か原因もあるのだろうか。それで主に文章だけを拾うように再読してみました。べつにfiorinaさんに限らずとも誰にも癖は付き物ですが、~して。連語というのかな格助詞ですね。これが多用されてますね。なので、却って平坦な流れが内容を読み取り難くしているのかな。とか思ったりもしてみました。 (アメリカの少年※)

2018-01-08

嫌な夢は僕もしょっちゅうみてますね。嫌だとすれば僕のほうにそう思える要因があるからでしょうね、きっと。それは繰り返される日常のなかで。 人はそれぞれ意識も違うわけですが、僕がこんな夢を読めばべつに嫌だとも思えないのです。あなたはどうして嫌なのよ?っていう因果関係をもう少し知りたくなりますよね。 (嫌な夢)

2018-01-06

比喩の関係におかれた雨と草と蝶。このまま永遠に雨が止まないと知ったとき、蝶は飛ぶことをやめるだろうか。この詩から発せられるメッセージをひと言で括るならば、内実はここに集約して受け止めれると思う。つまり雨という自らを閉じ込めてしまう外的な要因。そして草という内的な囲い。もしも雨が降り止んだとき、果たして蝶は世界へ飛び出すことができるのだろうか。~だろうか。この問いかけは、我々が社会の中で孤立する閉塞感を意識的に感じさせてくれる。 比喩の使い方は多様性に富んでいますが、ここでは極力省かれた少ない言葉で集約されていますね。なので目的に添うように詩情も立ち上がっていきます。比喩の扱い方。基本的な操作が身に付いた方だと思います。 (Butterfly)

2018-01-04

助詞で改行に置かれる。その意味が少し弱いかな、と思いますね。 冒頭「光が来ては去る~」何かを象徴するように現実にはない喩えでこの詩全体が覆われています。 同じ反復にも工夫が窺えます。ならばもう少し文全体に妙味をもたせてもよいのではないかと。 夜明けまえの印象を心象に置き換えたような詩だと思うのですが、たとえば客観的な視点をもっと取り入れて時空を意識させてみるとか、文の前後左右を入れ替えてみるとか。どうせあり得ない事柄なのだから、もっと自由奔放な躍動感を言葉に乗せてもよいのではないかと。そう感じました。 (未明)

2018-01-03

美しい景色をまえにして、眠るようにゆっくりと眼を閉じる。暮れてゆく湖の静かな音の調べ。マーラーの交響曲第五番アダージェットは、残り少ない人生のひとときを自然とともに天上へと誘う。そのように死ねたらいいな。これは理想ですが、この詩も聴覚を意識してしまいますね。無意識に自然の中に溶け込むように。ただ一連に置かれた、みずうみの、雨、雨をいきなりここでもってくるのか、という違和感は残ります。 (意識)

2018-01-03

身近な存在を思考に重ね合わせ、意表をつくように否定的な見方で言葉尻を捻らせている。 抱かれると喋る女。抱かれなければ黙る他手立てもない。これは希望を見出したいという明日への願望で、実は淋しさへの裏返し。未来を見つめて歩み出したいという自己表明でもあるのでしょう。 (抱かれると喋る女)

2018-01-01

バイオレンスな映画を撮る北野武。その手法を詩で表せばこのような作りになるのかもしれない。 普段ひょうきんな演技で見慣れた役者にまったく意表を突くような演技をさせる。つまりその個性を変換させてしまうわけですが、観るものにはその異常性が逆に身近な日常として返ってくるわけです。だからべつのシーンではその緊張感に戦慄を覚えてしまう。ひょっとしたら明日は我が身かも……などと。この詩の佳さは、対比されることによって生じる異化的なものが詩全体のなかでは同化して潜んでしまうという。その身近な日常に隠れた緊張感だと思います。 (虚ろが新宿のユメを彷徨う)

2017-12-28

ところどころ入り交じる単語。林檎飴とかオセロやオニギリ、ロゼワイン、ヘッドフォン、コンタクトレンズ~などなどの雑貨用品と、ナイフやアイスピックまたはダンプカーなどの人殺しにも使える用具との対比。これが効いていますね。溜まりに溜まった鬱憤。一触即発と置かれた状況の緊張感を醸し出している。モノは溢れどもこころまで充たされることはない。現代社会に於ける勝ち組と負け組。そして拡大するばかりの貧富の格差。現代人、特に若い世代の人たちは、その疎外感から生じる孤独の吐き捨て場を求め悩み苦しむわけです。いつ飛び出すかもしれない切れ味の鋭い屈折したナイフ。不特定多数を狙う通り魔殺人。または無用な弱者への見返り殺人。これらが多いのも現代社会の特徴でしょう。追い詰められた怒り。この吐き捨て場が何所にも見あたらないのです。むしろほとんどの人間が病んでいると言っても過言ではありません。生活に、心情的にも余裕のある人間を除いて。その辺りが個性的によく表現されていると思いますよ。 欲を言えば、内容的にはよく見かけるメッセージ性を帯びたこころの叫びだとは思いますけれど。 (虚ろが新宿のユメを彷徨う)

2017-12-28

短さのなかにも余情感が残りますね。上手いです。 (黄金色のストール)

2017-12-27

これは推敲されて連を入れ替えたほうが僕は好きだな。 冒頭の連なんか最後に持ってくればもっと詩情を立ち上がると思うのだけどね。まあ、僕の好みですが。 (宇宙の底で)

2017-12-27

ちょっとあれですね。伝えたいような気持ちはよくわかるのですが、音や光。事象を表現するのに、木の動作だけでは漠然としたものしか読み手には伝わらない気もするのですね。針金やフィラデルフィアという地名に置かれた意味も釈然としない。例えば主体的に人物が描かれて語りはそれを中心に廻る。そうであればもっと引き込まれるのではないかと思いました。 (フィラデルフィアの夜に Ⅳ)

2017-12-26

なかなかと、佳い感触では読みたくなります。ただ歩くのだからそれでもよいのでしょうが、ちょっと記憶を辿るような既視感に跳びすぎている気もします。それは、目の前に一体何が映るのだろうかと。最後まで存在するために歩く、その意義がわからなかった。 (歩く)

2017-12-26

だね、なぜ喧嘩をふっかけなければならないのか。てめえ、などという呼び方は相手に対してより強い口調で喧嘩をふっかけるとき。おまえらからてめえらへと変わる、その理由がわからない。 (泡)

2017-12-26

タイトルから冒頭の入りは素晴らしい。さすがだ。が、けれどもの段落からは急に現実性を帯びてきて、その言い回しも大仰になる。そして終わりの二行は何だろうか。例題に絡め、散々説教をされたあとから(ぽてちん)で、はぐらかされた感のあるご愛嬌さ。それは好意と見せかけておいて実はおべんちゃらだった、というように子供を嗜めるような、何かすかされた感じ。この〆は何だったのだろうか。気持ちが収まらない。 (海辺で語るべきこと)

2017-12-26

物語に絡めて作者自身を読ませるという作りですが、面白いタイトルなので、何か升目にちなんで策でも労しているのかと思いました。 ちょっと期待を裏切られた感はありますね。 書き慣れておられるのか文章の作り自体には力量が認められる。が、創作物を読点でずっと引っ張っておられるのはどうかな。脳の呼吸が続かなくなる気もしますが。 (方眼用紙)

2017-12-26

キラキラネオンみたいな作りが可愛い詩。 こんな詩を書き上げるあなたには投げキッス!したくなるわよ。なんて、 考えて作ったんじゃねーの。マル散策刺客。 (ホーリー)

2017-12-24

これは、朗読するために書かれたような詩文だね。リズム感の起伏が凄まじいよ。 朗読者の息継ぎパフォーマンスによってはガツンとくる作りだね。まあ、でも田舎者のオヤジにはちょっと無理だな。垢抜けて泥臭さがないよ。 (ジョンビ)

2017-12-23

作りが作りだけに驚きはしない。しかしエッセイとして読めば上記の散文詩はよく書かれていますね。思考的な変化があり内容にも濃度を感じる。立派なものです。さすがだ。流動体について。小沢健二が曲に難しい歌詞を付けて歌ってましたが、可笑しいですね。詩書きなんかにはおもしろいとは思うんだけど、あれじゃ普通に歌われないよね。でね、このエッセイ文を読みながら音がながれてきたらどうだろうかとも思ったのね。リズミカルな音がいろいろと変化を繰り返しながら。耳のアレンジに読み取る感覚の刺激がまた変わるかも知れない。それよりも下記に書かれている詩が秀逸だね。いまにもバラバラに動き出しそうな言葉たち。壊れた時限爆弾になぜか刹那が被さってくるよ。 (書が好きよ、街を出よう《クリエイティブ・ライティングとしての所作》)

2017-12-22

ある程度書き慣れてくると時間や空間を意識するようになります。そして読み手という存在を意識する。自身の気持ちの揺れを表現するのには、この作業が欠かせなくなってきますね。それはクリアーな感覚を読み手に促し、あるいは暖かな表現で読み手のこころに訴えてくる。書かれた言葉の中に自身の姿を投影し、読み手は夢のような空間を一人で想像するわけです。 身近な言葉で日常が表現されていますが、常日頃扱い慣れているだけに、これらを詩情へと導くのもそう容易くはない。読み手は見慣れていますからね。 なので時間や空間を意識し飛躍させてみたり、または流れを止めるように異質なものを投げ込み読み手の感覚に作用させる。それらを逆に同化させることで主体はいっそう強調される。などなど…書き手は工夫するようにもなります。この詩に置かれてある終わりの二行などもそうですね。 しかしながら、末尾にもってこられた(明日はおさかなが食べたいな)の(おさかな)。この気持ちの飛躍がこの詩で活かされているのだろうか、、といえば、わたしはちょっと懐疑的になります。 (陽だまりと常、流れ)

2017-12-22

誰がいつどこで書いたのかわからない主体性の無さ。つまり時間の枠を超えたような認識を読みとってほしいわけだ。でもね、あなたとわたしの会話が文字化して対話できるように、語り手の姿を消し去っても作者という存在を消し去ることはできないのだ。言葉から受け取れる感覚も同様に。 (遠く、朝は)

2017-12-22

冒頭、本当の身体ができた~ この一発目で打ち砕かれてしまう。この作品の妙味センスの佳さが一行目に集約されて読めますね。このように記述とは相反するようなシュールさを伴う感覚の入り方。詩心に長けた方でないと言葉をもってこれないと思う。 (記述)

2017-12-21

はい、もちろんそうも受け取れます。内声を客観的に語らせてみたわけですね。 ならば実存としての語り手が現れてもいいわけだ。そういう意味も含めてです。 (遠く、朝は)

2017-12-21

はじめからこのような注釈が加えられていれば作品への解釈は容易です。 感想で何を言われてもそれは違うと返答もできる。 読み手が主観的にものを語れば、書き手は客観的な返答で頷くこともできる。結局答えなんて存在しないのが作品でもあるわけです。なのでここには作品も存在しない。批評に対する皮肉のようなものですね。鋭いです。 (作品)

2017-12-21

夜明け前、いわゆる薄明におとずれる刻のながれを詠んだ詩だと思います。 構成的にみても少ない言葉でよく考えられている作りだと思います。 薄明の刻とか感想述べながら、でもやはり印象的にちょっと薄くて弱いかな。 これをポエジーとして成就させるならば、やはりもう一節ほしいと感じますね。 誰かが言ったのだから、対比的に語り手の様態がどうしてもほしくなる。そのことでリアルに伝わる空間も表現できると思います。 (遠く、朝は)

2017-12-21

記述。タイトルをそのまま重ねて読めば面白い拵えですね。 軽快な言葉の繰り返しに妙味を感じます。でも、結局は表面的な言葉遊びだと要約できる。 もちろん否定はいたしません、言葉使いの上手い方だと思います。が、たまに振り返って読むとまた違う味わいにも読めてくる。これは遊びを超えたお遊びではないかしらん。とも思いますが。 (記述)

2017-12-20

どこか一番伝えたい文章。インパクトに浮かび上がる殺し文句的な、とでも言いましょうか。 そのような箇所が一行でも見受けられたなら、もっとよくなる気はします。 (光景)

2017-12-20

行間を詰めて冒頭からの流れをもう少し意識してもいいのではないだろうか。空間が多すぎる。 そのほうがわたしの胸には響く気もします。美しい流れの文章だから。 よく見かけますが、意味もなく無駄に行間を空ける詩が多いような気もします。 (東風)

2017-12-20

冒頭と終わりの文章。これくらい長い文章を一気に読ませようと試みるケアー。ならばよほどメリハリも考えて言葉を選ばないと、却って読み難いばかりか内容までも飛んでしまう。文章が内容重視には読めないので、やはり書かれた言葉から発せられる韻の流れ、言葉自体が持つリズムの強弱というものは、助詞の活用も含めて必要になるのだろうと思います。 わたしも某箇所で意味解釈を寄せ付けない、超えようとした遊びものを書きましたが、やはり作者本来が持つ個性的なものが作品のイメージを左右するような気がします。遊びの中から新しく生まれるものがある。頑張ってください。 (生業)

2017-12-20

訂正。ここのことは(このことは~) (BABY NEAPOLITANS 2)

2017-12-18

遊び心満載で、現代詩の在り方を挑発しているような刺激の連続性。わたしは佳い意味に捉えています。 しかしながらあまりにも隙がない。難解な試験問題をクイズ形式でバラしてみたよ、的なIQ遊びにも読めてきます。~ここのことは、はじめから目的意識も希薄なせいだと思われます。 力量のある先駆的な言葉遊びにも長けた方のようなので、刺激を与え続けてほしいと思いました。 (BABY NEAPOLITANS 2)

2017-12-18

冒頭からの九行を一連として読みました。ならば、 何故この連で終えなかったのだろう。他の方たちもおっしゃているように、この連は佳いですね。予期せぬ運命をキャンバスのなかに見立てたような、何か惹かれるものがあります。 もちろんこれだけで終えてしまえばタイトルも変更になるでしょうが、あとはだらだらと引っ張り過ぎた印象が否めません。 省けばそれで良いというものでもないのでしょうが、推敲される良さには切り捨てる覚悟を養う、ということにもつながると思います。 (らふか)

2017-12-18

広告と猫。この相まみえることのない二つの事物をタイトルに持ってくるのなら、これはもう少し内容を掘り下げて書いてみてほしいかな。と思いました。 販売促進の為だけに貼られる誇大な広告。そして特に野性動物の雄にみられる遺伝学的な性質を伴う生理生存競争。この両方に共通する関係性といえば、どちらも獲得を目指しまた生き繋ぐということでしょう。 会社が利益を上げるための行為、当然そこには総体的な人間の私利私欲が伴うものですが、野性動物にみられる雄の生殖行為には本能的なものが強く作用します。どちらにしても、生存競争という生き物の本質を共通とした認識で考えるならば、これは逆に我々消費者の視点、またこの中でも取り上げられているように、飼い猫の視点から掘り起こしたほうが、より詩情的にみれば立ち上がる気はします。 (広告と猫)

2017-12-16

自虐ネタというのだろうか。架空の例を挙げて相手に対して問いかけている。 少し見慣れた印象ですね。高橋先生という人名で書かれていますが、どうなのだろう。花緒さんもコメントされているように、高橋という人物と語り手の関係が、先生と生徒であるということしかわからない。一方的な問いかけです。なので高橋という名称も活かされては伝わりませんね。高橋先生というタイトルならば、読み手としてはやはり高橋先生のことを思い描きたくなる。これが先生というタイトルであるならば、書きようによっては自虐ネタでも活かせるかもしれない。そんな印象がしましたか゛。 (高橋先生)

2017-12-16

砂ですか。砂にもいろいろありますね。感覚的に濁ってる。壊れてもいそうなので砂利、若しくは砂嵐のほうがよいのでは?とか思ってしまいましたがね。最後は~耐えてゆくのです。ではないかしらん? (砂)

2017-12-15

追加訂正。感激してしまいますね。です。(編集できないのかなここ?笑) 年老いた母親があのように寒がった理由。ここに長いこと居座るようになってからよくわかりました。 その昔、痩せた土地の貧しい暮らし。姨捨行。外国にも似たようなことはあったのでしょうね。ちょっと調べてみたくなりました。 ( 楢山節考※)

2017-12-15

お久しぶりです。 ‥寒い‥はよう閉めろや!‥‥ 寒さが増してきた季節。夜になって母屋を訪ねれば、寝間着姿のままで炬燵に居座る母親からよく怒鳴られました。亡くなってから三ヶ月近くになりますが、独りで過ごす母屋の寒さは躰の芯まで貫いてくるようです。和紙の薄い障子に襖。仕切られたとはいっても欄間で空間があります。昔の人たちはこのような造りの家の中でどうやって寒さを凌いだのでしょうか。暖房をつけっぱなしでも独りでは眠れない。和風建築の風通しのよさが憎らしくなってきます。 異国のフランス人の方でもあのようなシーンが理解できるのは素晴らしいことだと感激してしまいすね。 孤老の身でもやはり我が子を思うときの悲哀、刹那。 涙した女性教師は初老の方なのでしょうか?どのような境遇で過ごしてきた方なのか、。もう少しだけ詳しく知りたくなってきますよ。 ( 楢山節考※)

2017-12-15

省みみればわたしなんかもそのような心境ですね。 詩人とは一体何者なのか。 阿久悠や秋元康は紛れもなく偉大な作詞家でしょう。あれほどまで世間を惹きつける歌詞を書いたのだから。 しかし詩人かと問われたならば、どうやら詩人ではなさそうだ。 詩人とは詩を書くだけの人間ではないような気もします。 本当の詩人とはもちろん芸術家を指すことでもあるのですが、それは生きながらにして自分の世界だけを生きる人間のことでしょう。 (それ)

2017-12-14

扉の向こうとこちら側で繰り広げられる思い。お互いの思念を考えれば、これもこころの傷みを伴う語り手の独白でしょう。沈黙とはその境界に佇む扉のことですね。このようなものをさらりと書いてしまう文章には力量を感じます。それだけに出だしに置かれた(くりひろげられるいんさん)漢字で表せば陰惨です。後々の内容を考えれば少しオーバーワードな気もします。 (沈黙)

2017-12-14

一言で感想を言うならば白昼夢のようなものが語られる独白だと思います。 現実的な景と非現実的な空想との混交。あなたへ綴られた手紙の文字、そして言葉。そのことを中心に意識は無意識との狭間で邂逅に揺れ動く。鳥は飛び立つのか、それとも現実から逃げてしまうのか。このことが自らの立ち位置として喩えられている。そのようなものを意識した内容の告白で、なかなか味わいのある独白だと思います。 長いので装飾を意識し過ぎたのか、赤茶色や緑色、銀色の霜とか、光を伴うイメージの色に関していえば表現が無駄に作用している気もします。 粗をあたるようで申し訳ないですが、タイトルと冒頭の被さりですね。流れとしてこの被さりは苦にもならない。しかし続けて読むには長いですね。ので「芝生で覆われた土手一面に」、でタイトルをきるとか、もう少し工夫してもよいのではないか、と個人的には思いました。 (芝生で覆われた土手一面に、霜が降りて光っている)

2017-12-14

よろこびはわたしをよろこばせ、にんげん世界は問いたずね、にんげん世界が答えつぐ~ クリスマスも近くなってきた白い季節。振り返れば願いを込めるように綴るにんげん世界へのメッセージソング。よくあるような雪にイメージをのせた単純な応答の反復ですが、ただメロディーに流されない自己への問いかけには、言葉としての力強さを感じてしまいます。実際(よろこびはわたしをよろこばせ)、とか(にくしみはわたしをにくみ)、なんて思いついてもなかなか言葉にはできない。これは言葉よりも先にメッセージに込められた音としての流れを意識しているからでしょう。よいメロディーが被されば、なかなかいい曲にも仕上がりそうですね。 社会的な意図を絡めた金貨の雪、この詩では逆にファンタジー性の中に程よく埋もれて浮いた気にもならない。 ただ終わりの連に出てくる詩人。これは逆にメッセージが内包する世界観を狭めてしまったように思う。 (雪ふる町)

2017-12-13

おっと言い忘れた。 三浦さんの思ワレル通りです。端的に言えばエルサレムと親子の絆とスルメイカです。 (ドライフラワー)

2017-12-12

三浦さん、早々とコメントありがとうございます。 よほど気合いも入らないかぎり、だらだらと言葉を綴りたくはない。そのような心境です。なので、あなたが投稿されている「赤い川」。あのような技術だけでは書き表せない豊かな詩情を含んだ作品に当たると嫉妬してしまう。本当に羨ましく思います。 いまは、いかにインパクト感のある言葉を自然に紡ぎだせることができるか。そのことを一番の課題に置いて創作を心掛けています。突然にもふうっと思い浮かべることがある。そのようなものでない詩は必要でもない。このことだけは肝に命じておきたい。なかなか簡単ではありませんね。お互い頑張りましょう。 (ドライフラワー)

2017-12-12

この詩、一読した刻を忘れました。 そして改めて読んでみる。 失礼ですが、いままで拝見した三浦さんの詩のなかでは別格ではないかと思われる。それくらい印象に残る詩ですね。 語り手のさりげない口調と内実の奥深さが混同し見事に溶け合っている。 なので末尾に置かれた歴史的仮名遣いがいきいきと効果的に作用しています。衒ったようないやらしさをまったく感じさせない。 このことは詩を作るという意味に於いて非常に難しい作業です。 中身は宗教的にみた因果応報の回帰性が読み取れますが、自然体で書かれているので却って言葉がいきいきと伝わりますね。花緒さんもコメントでおっしゃっているが、わたしも強く詩情を感じます。この詩は素晴らしい。 (赤い川)

2017-12-09

花緒様、しょうもない詩にコメントさせて申し訳ないですね。ありがとうございます。 たった一枚が数百倍でもなればね、などという少しだけ欲張りな願望です。思いついたまま書いたレベルもクソもない自分勝手な詩なので、わからなくて当然ですよ。 三浦(工業)果実様へ お久しぶりですね。ありがとうございます。 そのように受け取って頂ければ、作者としては喜ばしいかぎりです。 人気のある宝くじ売り場。年末になれば並んで購入する、というシーンも毎年恒例のようです。それに大枚を賭ける人もいるのでしょうね。夢を託しては裏切られまた追いかける。ほとんどの人が当たらないのはわかっているので、裏切られるという言い方は可笑しいですね。お金で夢を買うというのはそもそも可笑しい行為ですが、それでもお金は欲しいかなって。 (夢をカム)

2017-12-09

論述的に硬質な語り口調なので、これは逆にHBのうすくて硬い質感を意識してしまいますね。 Bが鉛筆の芯なのか何ものなのか、はっきりと示されてはいません。 しかしたとえなんであれ物質と脳内を巡る記憶の相関関係には違いない。 深尾さんが投稿されていましたが、これも同じように観念を超えようと推察する意思のようなものが感じられる。 認識される物質からみた、観念の記憶のようなものを表現しているのではないか、と思います。 (Bの鉛筆)

2017-12-08

癖のある文体には注文を付けたい点は幾つもありますが、記憶の中から観念的に捉えた物質の意味。実存に置き換えたときの情念との関わりを手繰ろうとして読めてきます。なかなか佳いと思いました。 (物質と記憶)

2017-12-08

まりも様、再度ありがとうございます。 (蒐集家)

2017-12-05

なかたつ様、コメントありがとうございます。 創作者(詩人)そのように読んで頂ければうれしいかぎりです。 カオティクルconverge!!貴音様、お読み頂きありがとうございます。 仮に野良犬が人間ならば死人の名誉などは考えない。そんな人間は何処にでも居るし、もしかして自分の中にも潜んでいるかも知れない。果たしてこれが火事場泥棒に豹変するのならば、もっと許せないことでしょう。 (蒐集家)

2017-12-05

文語調にみられる硬質な言葉使いですが、それが却って「」の受け答えを現存として効かせている。 おそらく机上に置かれた一枚の紙片。そこに示された断腸の思いが語られているのではないかと思われました。誰も眼にすることのない遺言書のように、一枚の紙に綴られた黙示録。余白だらけですが作者の思いは伝わってきます。上手いですね。 (私意)

2017-12-01

まりもさん、コメントありがとうございます。 過去ばかり集めているわたしは映像オタクなのです。 つい気になる番組があれば録画してしまう。なのでこれまでに集めたディスクは膨大な数になります。 そのうち再度取り出して眺めた番組は幾つあるのでしょうか。数えきれる程度です。これはもう悪癖なんですね。カメラオタクがなんでもかんでも写真に収めないと気が済まないように。このことは、考えてみれば決して前向きな捉え方ではない。常に振り返ろうとしているわけですから。積極的な行動に出るよりも後ろの隅でじっと眺めている。そんな消極的な人間が持つ悪癖です。だから損ばかりしてますね。わかっていても面倒くさくなってしまう。そのようなお人もわたしだけではないでしょう。世界には数多く存在して居るのではないかなとも思います。 出会いを大切にするお方は一期一会をよく理解している。映像オタクのわたし、人生は再度甦るかの如く、ちょっと勘違いしてますね。すべて意志と意思の弱さからです。 こういう遺作物を書くときは必ずあの歌詞があたまをよぎります。「死んだ男の残したものは」谷川俊太郎氏ですね。この歳になっても考えます。もう少し積極的な人間になりたいと。 丁寧な読みに解析、まりもさん、感謝申し上げます。 (蒐集家)

2017-10-22

めまぐるしく変化する時代の流れ。その速さには追いつくのにも苦労します。 わたしくらいの年齢になれば、もう追いかけるのも諦めるようになりますね。 ひょっとしたら間違っているのでは?そんなこと、いまの若い世代の人たちにもあるでしょうね。 共有化された情報は素早く世界を駆け廻る時代です。少し眼を休めていればあっという間に情報から離されてゆく。わけのわからないうちにどんどん自動更新されてしまう。常に新しい情報を追い求めていれば気は休めない。一人置いていかれるのではないかと、不安になるからです。まるで受験勉強のようですね。嫌だな。 そのようなニーズに応えようとしている社会を風刺しているとも読める。新しい情報とは、それが共有されない者にとっては逆に不安感を急き立てることにもなりかねない。 新鮮な捉えかたですね。若い世代の不安感が読み取れて、わたしにはいい勉強になります。 (自動更新)

2017-10-22

自己慰安の最たるもの、のような書き方ですが、詩は多かれ少なかれ自己慰安のようなものだ。 吐き出しただけの内容だが、タイトルを含めて個性的な独白に読み手は引き込まれてしまう。 それは確かな表現力が身についた方だからでしょう。跳び越えたものも読んでみたい。 (待チ癖ツイタシイイ人止マリ)

2017-10-21

stさん、お読み頂きいつもあたたかなコメントありがとうございます。 実は宝物だった。 よくあるようにショートストーリーで創作することになりますかね。 ですが、そのような設定はいろいろと変化工夫によってはおもしろく創れますね。 上手く創作されたならば、哀愁を帯びて感動を呼び起こす。構成的に確立された要素ですね。 感動した物語の内容の多く。場面としてはそのような哀感は多少なりにも含まれる気もします。 (蒐集家)

2017-10-21

花緒さん、お読み頂きコメントありがとうございます。 何故モノをコレクトしてしまうのか。それが価値のあるモノならば、コレクターは自分が死んだ後のことも考えるでしょう。なかにはあまり価値の認められないモノばかり集めている人間も居ますね。彼が亡くなれば当然モノだけが残ります。受け取る側に価値が無いと判断されればモノはゴミとして破棄されてしまいます。何のための収集だったのか。モノは死んだ彼と同じ運命を辿ります。捨てられないまま残していたくだらないモノがわたしにも沢山ある。なんとか生きているうちに処分したいものです。跡として残したくはないもの。 あまり刺激も感じられなかった様子ですね。まとめてしまった印象からかな。テーマを追いながらも発語に対しての動機付けは弱い、と作者本人も感じています。 丁寧な批評をくださり恐縮です。遠慮は無用です。もっとここが弱いとか、足りないとか、具体的に指示してくださってけっこうですよ。 創作を試みようとする者に遠慮はいりません。どうぞ、本音でビシバシ叩いてやってくだされ。 (蒐集家)

2017-10-21

stereotype2085さん、お読み頂きコメントありがとうございます。 鋭いですね、おっしゃる通り魂の文言には躊躇しました。抽象的にぼやけてしまわないかと考えたからです。 何かおもしろい言葉を、とも考えたのですが、即興でもあり、なにぶんにもわたしが語彙力に乏しい。 何行かの活かしたい言葉があり、それにテーマらしきものがきまってくると、あとは調和を取るか、破調を選択するのかと考えたら勇気もいりますね。この場合は調和を取りました。 この辺りの選択は難しいところです。奇抜さで浮いてもダメだし、まとまりすぎてもおもしろくない。詩書きにとっては悩めるところです。 (蒐集家)

2017-10-20

別名「賢者の石」ですか。 冒頭から流れを感じますね。歌唱のように。 途切れ途切れな息継ぎが、逆に胸の鼓動に作用します。きっと文章の上手な方なのでしょうね。 あなたに対する想い、憧れが、距離感を伴って読み手にも伝わってきますよ。 (辰砂、くちびるに)

2017-10-20

生まれてから300年経っていた。最後はユーモアでオとしたね。 ならば、冒頭300年前の出来事から始まってほしいかな、とか思うのはわたしが凡庸だからか。 なかなか、おもしろい発想で読ませてもらいました。 (辞書でしらべたこと)

2017-10-20

花緒さん、お久しぶりです。拝見してますよ。 佳い詩が書き込まれているし、名前を知る書き手たちも集いはじめていますね。意識の高い批評を重んじるあなた方の努力の成果でしょう。追々前衛的な詩も投稿されると刺激にもなりまた活気づくでしょうね。頑張ってください。フィオリーナさんにはレスをお借りして申し訳ない。少しだけ挨拶を。 ( <歴史遺産>)

2017-09-30

まりもさんが音楽的な分析をなされていますが、この詩に音楽が流れたなら心地よいだろうな、とわたしにも感じますね。 「ヴィラ,ロボス」というブラジルの作曲家が記譜したクラシックギター曲に、前奏曲が一番から五番まであります。 短調の重苦しくてせつない冒頭の一番から、最後は軽やかで穏やかな風景が偲ばれるような長調で終わります。哀しい出来事がある。三番などを聴くと本当に胸に沁みてきます。特にE.フェルナンデスの演奏が好きですね。機会があれば一度手にしてみてください。素晴らしい演奏です。 久しぶりに聴いているのですが、その三番から五番までの曲と相性がいいような気もします。もしも朗読されたなら、と。あの曲に合うかな、と感じたので、言葉の流れとしては非常に響きを意識してしまいますね。長短調の明るさ暗さのメリハリもある。内容的には詩形態の有り様を自身に向けて問うておられるのかな。音楽を流しながら朗読されると、雰囲気はより高められる詩だと、拝読して思いました。 (そのつぎ)

2017-09-30

そうですね。芸術と夜遊びに人生の半分を捧げてきました。 後いくら生きられるか、これからはもっと自由にこの身を捧げて生きたい。 若い世代の方には芸術に身を捧げるというよりも、お金に執着しないでも豊かに暮らしていけるような社会を創造してほしい。 何かの役に立ちたいとは思っております。 ( <歴史遺産>)

2017-09-30

論文的記述が詩にならないという考え方は誤りだと思う。 美しい論文は充分詩にも成り得るはずで、それは何をもってして美しいと解釈するのか。 あなたの色、あなただけの言語色をもう少し意識してみたら如何だろう。 このことは個性といったパーソナリティーにも当然つながる訳ですが、詩には読ませて思考を促すだけではない、写真や動画のような、脳裏に浮かぶ瞬間の残像も必要不可欠なのではないか、とも思います。 「余談。京都近辺に安くて住みよい空き家はないでしょうか。追々情報を伝えて頂ければ幸いでございます。」 ( <歴史遺産>)

2017-09-29