お知らせ

あっちいね   

作成日時 2018-01-28
コメント日時 2018-02-03

お湯の出ない朝も三日目を迎えて 向かいの校庭の防護ネットに吊るされた 手袋の 片割れはただ、待ちぼうけ やかんの蓋はカタカタ鳴るだけ 蒸気に手のひらをくぐらせ 沸いたせいかつを布切れに浸して しんしんと わたしはただ、ひとりで生きたかったんだっけ


項目全期間(2019/09/17現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
総合ポイント00
 平均値  中央値 
叙情性00
前衛性00
可読性00
 エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
総合00
閲覧指数:78.4
2019/09/17 23時57分28秒現在
※ポイントを入れるにはログインが必要です
※自作品にはポイントを入れられません。


コメント数(10)
蛾兆ボルカ (2018-01-28):

詩を書くときに、描写も暗示もしないで、読者に作品をポンと投げ渡してしまうような書き方もあると思います。名作にもそうした詩はあると思いますし、じつは私もそういう書き方が好きで、ときどきするのですが、一発勝負なので、わりと勇気がいる書き方なんじゃないかなあと思っています。 この作品は、そうした投げ渡された作品のようである反面、受け取る直前に、最終行で取り返されたような感じもあり、戸惑いました。 ボールに紐がついていて、キャッチする直前に戻された感じです。 もし、最後の二行がなければ、そうした感じにはなりません。取るとスッキリすると思います。 しかし、もし最後の二行がこの詩の大事なフレーズなら、前半や中盤になにか仕込むなど、構成を工夫して、この最終行の思いが唐突でないようにした方がいいのでは、と思いました。 冬の寒さと人気無い静かな感じは、しっかり伝わるように思いました。

斉藤木馬 (2018-01-31):

蛾兆ボルカさま コメントをくださりありがとうございました。 やかんの底からのぼる気泡を眺めていて、ぽっと出た青くさい感傷が可笑しかった。 ですから最後の行は描きたいことではありました。ただ、勢いで書き過ぎたのかもしれません。 いただいたアドバイス、たいへん参考なっています。ありがとうございます。

エイクピア (2018-01-31):

片方の手袋と言う表現は確か、俳句を読んで居ると、よく出て来るような気がします。この詩ではお湯や蒸気が印象的ですが、勿論薬缶も印象的でしたが、一人で行きたかったんだっけと言う逡巡がこの詩の眼目のようにも思えました。

まりも (2018-02-01):

お湯の出ない生活・・・ガスが止められてしまった、のでしょうか。 でも、やかんは湧いている。焚火、練炭?石油ストーブだけ、残っている、のか・・・。 せいかつ、がひらがなに開かれて、生活感を感じさせないため、でしょうか。 手袋の片割れ・・・つい最近、なくしかけた手袋が戻って来て、ああ、よかった、その瞬間の気持ちを描いた詩に出会ったばかりでした。ふたつ揃って、よかったね。最後は一緒に捨てよう、それまでいっしょ、という・・・幸せ、と残酷さとがないまぜになったような表現にドキリ、とした、のですが。 防護ネットに吊るされた手袋は、持ち主を失った、片方の手袋、なのでしょうか。 自分もまた、同じように(パートナーに)置いて行かれた、片割れ、そんなイメージを重ねているのかな、と思うと同時に、片方の手袋を無くした人の「寒さ」「冷たさ」に想いを馳せながら、自分はまだ、蒸気で手を温めることができる、と、そんな余力も持ち合わせている、そんな語り手のバイタリティーを感じました。

百均@B-REVIEW ON/ (2018-02-03):

色々読める詩で、シチュエーションとして色々考えられるなぁと思いました。 例えば、僕は今熊本にいて震災の被害を受けたのですが、電気は来ましたが水は止まったんですけど、避難はしなかったんですね。そのときずっと一人でいたんですけど、そういう所にいると、お湯の大切さがよく分かる訳です。お湯程生活に密着した物もない。せいかつを沸かすというのはそういう意味で、とても納得の出来る、比喩だし、表現のショートカットだと思います。その上で、一人でずっと居たのですが、いつもは平気なので溜まらずボランティア行きましたね。町の様子を見に自転車も飛ばしました。一人が耐えられなかったのかもしれません。 僕はそういう風に読みました。他にも色々な意匠を代入して読めると思います。お湯はそれだけ人間の生活と切り離せないからです。

二条千河 (2018-02-03):

「あっちいね」という呼びかけ調のタイトルと「ひとりで生きたかった」という最終行が逆説的に呼応しているのが面白い、と思いました。 ほとんど無意識に出た自分の「あっちいね」という言葉が、応える者のいない空間に空しく響く。孤独を愛していたつもりなのに、ふとした拍子に他者を求めてしまっている自分。そんな情景が、手袋とかやかんといった具体物のおかげで鮮やかに浮かび上がってきます。 まるっきり逆の状況ですが、俵万智の短歌(「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ)を思い出しました。

斉藤木馬 (2018-02-03):

エイクピアさま コメントありがとうございます。 >一人で行きたかったんだっけと言う逡巡がこの詩の眼目のようにも思えました。 この箇所とタイトルをどう読まれるかによって、印象がまったく変わるのだろうと思って書いています。

斉藤木馬 (2018-02-03):

まりもさま コメントありがとうございます。 大雪で水道管がやられてしまったのでした。 >片方の手袋を無くした人の「寒さ」「冷たさ」に想いを馳せながら、自分はまだ、蒸気で手を温めることができる、と、そんな余力も持ち合わせている、そんな語り手のバイタリティーを感じました。 年を重ねて、生活者として逞しくなったのかもしれません。 そう信じたいものです。

斉藤木馬 (2018-02-03):

百均さま コメントありがとうございます。 まりもさまへの返信でも触れましたが、大雪の影響でお湯が数日間出なくなり >お湯はそれだけ人間の生活と切り離せない そのことを実感したのでした。 短文ですので、色々読めると言っていただるのは嬉しいです。

斉藤木馬 (2018-02-03):

二条千河さま コメントありがとうございます。 タイトルに言及していただけて嬉しいです。 自分としては呼びかけ調のほかにも掛けたつもりでいます。

投稿作品数: 1