「ふたたび殺戮の時代」のためのスケッチ - B-REVIEW
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「ふたたび殺戮の時代」のためのスケッチ    

「おまえは書き換えられる「書かれたものであればすべて「書き換えることができる「歴史、法、契約のなかで、おまえが拒む過去、認めない解釈、守らない約束は「すべて書き換えられる「ひとがひととのあいだに培い「つむいできたものは何もかも書き換えることができる「事実の報告、統計の数値、科学の検証「そして、死者の数さえも あのひとたちは過去ばかりでなく「現在さえも改ざんした    歴史の本「その白が見えなくなるほど 重ねられつづける「付箋紙に   私たちの会話は「すべて書き込まれた 引用に引用を加えて 「あなたたちの会話はすべて埋もれていった あのひとたちの会話は 「黒塗りのまま 「私たちは多数だ「私たちは危険人物の名簿に「登録されるためではなく「いつかほんとうに呼ばれるために「いま自らの名前を隠している「私たちは私服刑事のビデオカメラとマイクに「撮影、録音されるためではなく「いつかほんとうに見て、聞かれるために「いま自らの顔と声を隠している「インターネットの書き込みの裏側に「プラカードのかげに「拡声器の向こう側に「私たちはいる「その私たちは「あなたがた「なのだ「私たちはあなたがたと同じようにどこにでもいるふつうのひとびとだ「あらゆる地域の「あらゆるひとびとのなかにいて「さまざまな言語を話し「とりどりの色を肌にまとっている「私たちは「権力を握る者が「大きすぎる声で威勢よく野蛮を語るとき「忘れられ「苦しめられ「押しつぶされていくひとびとであり「つまりあなたがたのことだ「私たちのプラカードに隠れているのは「蔑まれた女性や同性愛者たちの顔「見捨てられた街や島の住人の顔「ひとを殺して国のために死ぬよう命じられる兵士の顔だ「探してみればいい「明日に不安を抱く子どもの瞳「搾り取られ続けている労働者の手足「自らの言論や芸術のせいでいましめられる学者や芸術家の手を「権力者によって名前を呼ばれず「顔を見つめられず「声を聴かれず「ただ数としてのみ数えられるひとびと「そのひとびとは「私たちであり、あなたがたなのだ 「とても早口で話すひと ひとことも逃さない「かまえでいると 耳の穴から「ぶくぶくと泡立って   漏れる レジュメのうえに「こぼれた大量の記憶 「覚えられないことは   たとえば「国を追われるとき ひとつも持っていけない「だから 私は空を見るのが好きだ 「私たちはそれぞれ無限の可能性を秘めている「けれど「やはりひとりではあまりにも弱すぎる「だから私たちはそれぞれの力を持ち寄り「その力を代表者に委ねて「私たちみなが幸福に生きていけるように様々な仕事を任せた「私たちは「自分たちのあいだでルールをつくるために「議会を設け「そのルールに違反する者を捕まえるために「警察を置き「その者をリンチによってではなく私たちのルールにしたがって裁くべく真実を見極めるために「裁判所を置いた「私たちは「新しい命をあたたかく迎えいれて「この世界におけることばと現象と歴史と論理と音楽と美と体の動かし方を教えるために「学校をつくった「私たちは「弱りきった生命を力づけるために「病院をつくり「死にゆく自分たちに怖がらなくてもよいのだと諭すために「寺院や教会やモスクをつくり「私たちの欲求にしたがって消費しつづけるために「ありとあらゆる生産手段を生み出して工夫した「そうして私たちは国を建て「維持してきたのだ「神が「ではない、あるいは「王が「ではない、私たちが「だ「はじめに「私たちがあった「霞が関や永田町のひとびとがつくったのではない「あのひとびとは「私たちのために働きつづけるという条件で私たちから力を借りている者たちだ「その力は「私たちひとりずつでは小さかった「しかし集めると途方もなく大きな力になった「国家というシステムは「私たち自身をいとも簡単に潰してしまえるほど強い「だから私たちは憲法を定めた「幸福を追求しながら平和に生きるための自由と権利を私たちに保障した「それを国家によって奪われないようにした「しかるに「首相とその仲間たちは「私たちの憲法を打ち壊した「私たちのルールを変えるためには私たちの同意がなければならないのに「独裁者の個人的な意志のもとに勝手に変更できるかのように振る舞った「彼らの左右してよい国ではない「ここは私たちの国なのだ「私たちの国を取り戻そう、私たちの手に」 紫陽花の人は待っている 紫陽花の人は傘も差さずに静かに待っている 紫陽花の人はかたつむりと一緒に傘も差さずにただ静かに待っている 差し掛けるとすれば白い傘だ   紫陽花の人は忘れている 紫陽花の人は生まれる前のことをもう忘れている 紫陽花の人は酸性に染まりながら生まれる前のことをもう遠く忘れている かつておびただしく流れたものがあった   紫陽花の人は紫陽花でも人でもなく、ただ紫陽花と人のために 紫陽花から人を夢見て、また人から紫陽花を開いた 紫陽花の人は待ちながら忘れている   かつてもここに立っていた これからもまたここに立つ 紫陽花の人は忘れながら待っているから革命を起こすことができる



「ふたたび殺戮の時代」のためのスケッチ ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 12
P V 数 : 1249.1
お気に入り数: 1
投票数   : 0
ポイント数 : 39

作成日時 2018-04-03
コメント日時 2018-05-15
項目全期間(2023/09/21現在)投稿後10日間
叙情性100
前衛性50
可読性20
エンタメ00
技巧100
音韻20
構成100
総合ポイント390
 平均値  中央値 
叙情性1010
前衛性55
可読性22
 エンタメ00
技巧1010
音韻22
構成1010
総合3939
閲覧指数:1249.1
2023/09/21 18時02分05秒現在
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    作品に書かれた推薦文

「ふたたび殺戮の時代」のためのスケッチ コメントセクション

コメント数(12)
AB
(2018-04-04)

んん、もちろん勝負しているつもりはないのですが、これは完敗だと思いました。 なんで、こんなふうに書けるんだと。 音読の速度で黙読すると(自分の声が邪魔になるので)、なぜだか、賢治のまなざしから、チャップリン(独裁者)のスピーチがうかんできて、それからもろもろの方の顔が浮かんできます(もちろん、私個人的な記憶の範囲で)。 また、ひとつひとつの言葉に齟齬がないというか、なんて言えばいいんでしょうね。細かく読むと丁寧に作り上げられれてると感じるし、全体の流れもいい。 いわずもがなかもですが、書かれていることだけではなくて、本質は何かをぶつけてくるような力を感じます。 それにしても作者本人の語り(朗読ではなく)を聞きたい。 ---- やさしいひとが 笑えない世の中で 山河に吠えている 一体何と戦っているんだ それでも もっとやさしいひとが 壊れた土手を 直している   

0
原口昇平
(2018-04-06)

仲程さん、コメントありがとうございます。この詩も一応「作者本人の語り」ではあります。2013年以降に書いた3つの日記文と2つの詩を編集したうえで冒頭部分を書き加えました。ただ、私自身が社会的存在としてすでに複数性を帯びており、とくに最後のソネット以外は明らかにその複数性に基づいて発話していたので、話者の声にそのことを反映させるために引用符としてのカギカッコヒラクを大量に挿入しました。その結果、確かにこれは作者自身の語りには聞こえなくなっていたかもしれません。

0
AB
(2018-04-06)

いや、それは十分 感じてます。ほんとの声(音)で聴きたいということ。 私のコメントが言葉足らずでした。

0
原口昇平
(2018-04-07)

仲程さん、いえ私こそちゃんとキャッチして投げ返せずすみませんでした。ほんとの声にするなら、いずれどこかの路上にて。実際、残業がなくて家庭も許してくれる夜にしばしば出かけていくある路上で、立ち並ぶ「あなたがた」に向き合いながら読み上げるチャンスをうかがっています。でもまだその行為の意味に確信を持っていません。いずれ時が来ますように。あるいはたくさんの人に協力してもらって、一人ずつカメラをまっすぐに見つめながら一部を読んでもらい、それをつないではどうかという考えも抱いています。でもプロジェクトを立ち上げるには時間と体力が足りなくて。ひとまずここに掲示させてもらうことから始めました。

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まりも
(2018-04-26)

半かっこで埋め尽くされた部分、国会前デモの群衆の声を大量に録音して、コラージュして作り上げたテキストのように思われました。 ただ、内容があまりにもリベラル的正論に寄りすぎていて(それだけ、せつじつであり、現在に必要な言葉でもあるのですが)重複するような内容を、もう少しセーブしても良いような気もしました。一つ一つに重厚な意味があり、切実さがあるゆえに、濃厚な絵の具(油やリキテックス)をひたすら重ねていったような、濃さが目についてしまう、と言えば伝わるでしょうか。もちろん、余白や余韻の作り方といった、好みの部分も大いに影響していますが。 後半の紫陽花部分も、水彩画の塗り重ねのようになっていて、ここももう少しセーブした方が、かえって印象が強まるように思いました。 個人的に秀逸と思ったのは以下の部分でした。 漏れる レジュメのうえに「こぼれた大量の記憶 「覚えられないことは   たとえば「国を追われるとき ひとつも持っていけない「だから 私は空を見るのが好きだ

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原口昇平
(2018-04-27)

まりもさん、確かにこれは私がその場所を思いながら書いた日記文を含んでいますが、しかし国会前に集まったひとびとの真の肉声からはほど遠く、ただ私のなかの「私たち」の仮声であるにすぎません。 しかし私はまさかまりもさんからこの詩の内容が「リベラル正論に寄りすぎ」と言われるとは思ってもみませんでした。なぜなら私はむしろここに古いタイプのナショナリズムとの親和性があると考えているからです。それはすなわち、「金と力でこの土地に介入しながら、この土地に関係がない者たちに都合がいいようにルールを書き換えることでさらに金と力を得て、飽きたり失敗したりすればいつでもこの土地から離れて行ける者たちの好きにはさせない。この土地のことは、この土地に生きて死んでいく者が決める」という信念です。ここでnation が生まれを意味するラテン語 natio に由来することを知らなくても、またまさに近代の国民国家樹立を突き動かしていた信念のなかに同じような要素が含まれていたことを思い出さなくても、ただ郷土右翼たちに聞いてみればわかるはずです。その信念に同意できるかと。もっとも私はその危うさに気付きながら、私は私のなかの「私たち」の声を抑えつけることで「私たち」の独裁者になりたくはなかったので、むしろ「土地」という言葉を詩から取り除くことによって、これまでまったく違う角度から同じ自己決定権を求めてきた左翼にとってもやはり同意できるものにしようと努力しました。詩の巧拙はともかくとしても、その努力はきっとそれなりの形になっていると信じています。にもかかわらず単純にそれを「リベラル正論」と呼ぶまりもさんは、例えば現政権とその支持者を「保守」と呼び、その反対者を「リベラル」と呼ぶ思い込みに「寄りすぎ」ているのではないでしょうか。人の行動を左右する観念体系のことをイデオロギーだいうのだとすれば、十分に検討する前に何かをイデオロギー的だと断じることこそが最もイデオロギー的な読解であるとは言えませんか。

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エイクピア
(2018-04-27)

後半部分の「紫陽花」が繰り返される部分も面白かったのですが、やはり前半部分、単純に権力者と民衆と言う言った感じで図式的に見てはいけないのかもしれませんが、丁寧に対立そのものではなくて、差異から来る海水?みたいなもので塩田を作って詩を(塩を)収穫するみたいに詩の成果が出て来ているようなそんな気がしました。

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まりも
(2018-05-02)

大事な論点を提示(ご指摘)頂きながら、日がたってしまいました・・・ 〈現政権とその支持者を「保守」と呼び、その反対者を「リベラル」と呼ぶ〉のは、詳細に見て行けば当然、思い込みの部分がいくらでも出て来る、と思いますが、一般的に、そのように理解する人が多いであろう、と推察しています。 その一般的な視点から見ると「正論」であるような意見を述べているように見せかけながら、実は反語としてあえて批判的に提示する、という方法もあるでしょうし、その反語的な(より一層の)強さを、私が読み取れなかった、読み落としている、という批判であれば、まさにその通りであるわけなので、ご指摘の通りだと首肯する次第、なのですが。 ・・・この私の返信自体が、ズレを生じているのではないか、という(ご指摘自体を誤読しているのではないか、という恐れ、ですね)思いも否定できません。 〈「私たちは多数だ~「そのひとびとは「私たちであり、あなたがたなのだ〉において展開される(一般に少数者、と言われる側が、実は多数者だ、という)逆説部分、なぜなら、それは〈私たちであり、あながたがなのだ〉それなのに、歪んだ政治を行い、歪んだ権力の行使を(自らの欲望のままに、一時的、短絡的な利己心のために)続けるのか、という叫び・・・に、非常に強く共感しています。 それゆえに(というのも変かもしれませんが)これほど「まっとう」なこと、本来であれば「当たり前」であること、尊重されてしかるべきこと、が、蔑にされている現状、ここに怒りを覚えずしてどうする、という「正論」が、真っすぐ過ぎて・・・かえって届きにくくなる、ということはあるまいか、という思いがあり、作品にコメントを入れました。 一般的に、「リベラル正論」的だと思われるような文言が、重複的に列挙されることによって、かえって、その効果が弱まりはしないか、ということです。 言い訳めくかもしれませんが、単純に本作品が「リベラル正論」すぎる、と批判しているわけではありません。一般に、リベラル正論的、と見做されるような言葉が、多数、列挙されているように感じた、と言う方が正確かと思います。そして、私個人として同意したり共感したり肯定したりしているかどうか、ということよりも、一般的に「〇〇の印象を受ける」のではないか、という・・・個人の想いをどちらかというと封印して、一般的にどのように受け止められるか、という思いが先に立って、「正論」すぎるのではないか、という言い方を、コメント欄に記した、と記憶しています。 〈私はむしろここに古いタイプのナショナリズムとの親和性がある〉 〈「金と力でこの土地に介入しながら~この土地のことは、この土地に生きて死んでいく者が決める」という信念〉 〈もっとも私はその危うさに気付きながら、私は私のなかの「私たち」の声を抑えつけることで「私たち」の独裁者になりたくはなかったので、むしろ「土地」という言葉を詩から取り除くことによって、これまでまったく違う角度から同じ自己決定権を求めてきた左翼にとってもやはり同意できるものにしようと努力しました。〉 特に、〈これまでまったく違う角度から同じ自己決定権を求めて来た左翼にとってもはやり同意できるものにしよう〉この部分ですね。 人間の尊厳、もっとも大切な部分を根底において、そこから考える、と言う考え方を、どのように履行するか、という時に、右翼と呼ばれたり左翼、と呼ばれたりする、のかもしれない・・・いずれにせよ、行き過ぎたイデオロギーは、右翼であっても左翼であっても、私は間違っていると思っています。 〈「はじめに「私たちがあった~「彼らの左右してよい国ではない「ここは私たちの国なのだ「私たちの国を取り戻そう、私たちの手に」〉原口さんの作品の、この部分、理想として実現されるならば、こんなに素晴らしいことはなく、また「まっとう」な意見であり、怒りの叫びであり、私も完全に同意する部分なのですが・・・その完全な同意、が、大多数の意見となって雪崩のように少数者の意見を飲み込むとき、それは・・・〈古いタイプのナショナリズムとの親和性〉を持つ「同調圧力」となるかもしれない。 私たちの国、として、私たちの手に取り戻そう、という言葉を、そのままに、この作品の主調として受け止めてよいのか。あるいは、反語として、批判的に、受け止めなくてはいけない、のか。 コメント欄に書きながら、だんだん、わからなくなってきました。もっと自分の考えをしっかりまとめてから、書くべきだったのかもしれない。前提として、原口さんのご指摘を、私が読み誤っているのではないか、という危惧があり、作品そのものを、ストレートに私が受け取りすぎているのか、あるいは、反語として受け止めるべきなのか、そのことにも、迷いが生じています。 コメント欄を拝読して、原口さんの(私のコメントの)受け止め方と、私が伝えたかったこと、の間に、そもそも齟齬がある、ような気もしないでもない、のですが・・・ いかがでしょうか。

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まりも
(2018-05-02)

補足です。 「人間の尊厳、もっとも大切な部分を根底において、そこから考える、と言う考え方を、どのように履行するか、という時に、右翼と呼ばれたり左翼、と呼ばれたりする、」この部分に、その履行のやり方、方法の差異、とる手法の違い、が、イデオロギー的な方法論の差異として現れる、ということもあるのではないか。と、補足します。 権力を有する側からの(啓蒙思想時代の、立件民主主義の原型のような考え方)改革、虐げられた側からの改革(革命)・・・いずれにしても、急進的になり、暴力的になり、ドラスティックに、自らの主張を他者に押し付けようとする強引さや、異なる意見を排除しようとする狭量さが現れて来れば、それは「人間」を損なうもの、となってしまう。 ひと、を損なわない・・・ひとりひとりが、少しだけ、自分の欲望をセーブしながら、寛容の精神で(多様性を楽しむ、という余裕をもって)生きることができる社会は、いつ、訪れるのでしょう。権力者が、人々のため、ではなく、自分たちの欲望の為、恣意的で短絡的で利己的な行為を「恥」と思わずに行っていて、それを(自らが利益のおこぼれを得るために)支持する一部の人々が、経済を牛耳っているように見える、この私の「社会の見え方」は、歪んでいるのか。間違っているのか。そのことに、言葉でなんらかの提示をしないこと、それ自体が、既に間違っているのか・・・いま、こうした問いが、私の中で渦巻いています。詩、で、その提示を行うべきか、否か、についても。

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田中修子
(2018-05-02)

ある種の諦観、のようなものと、それゆえの激しさのようなものを感じました。

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黒髪
(2018-05-02)

>書かれたものであればすべて「書き換えることができる この行為の反対を行うならば、「何も書かない」ということが正しくなります。あるいは、「賛成の反対なのだ!」とせめて言えるかもしれない。この言葉は、限定的な力を 持ちますね。「賛成」を書き換えれば、「反対」だということ、「反対なのだ」を 書き換えれば「賛成」だということになります。ようするに、もともとの「賛成の反対なのだ!」という言葉は、賛成しているのか反対しているのかよくわからない言葉です。 書くことを守るためには、書き換える行為には条件が必要である、 と決めなければなりません。 革命への意志は、一度起こされたなら、内部でくすぶっているでしょう。紫陽花 の存在に対する愛を、決して否定したりしないことは、僕も知っている気がします。

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こうだたけみ
(2018-05-15)

原口さんの、仲程さんへのコメントの中にあった〈私自身が社会的存在としてすでに複数性を帯びており〉という一文を読んで、三月投稿作「殺戮の時代」の〈私、の複数/形をあらわす言葉は私たちではないから。〉の意味がわかったような気がしました。 そうか、「私」は複数性を内包しているから多面体になるんだなって、いま一人で勝手に納得しています。 人間とは多面体であって クジラを保護した同じ手で 便所の壁に嫌いな女の電話番号書いて 「二千円でヤらせる女」とか それなりに味があるけれど せめて恋くらいキレイに キレイにこなしましょうね ここにいないあなたが死ぬほど好き 私も死ぬほどここにいないから ※松尾スズキ作「キレイ」の劇中歌より 聴いたものを書き起こしたので不正確ですが。

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