作品投稿掲示板 - B-REVIEW

もとこ

投稿作品数: 6
総コメント数: 190
今月は0作品にコメントを付与しました。


Lean On

2017-04-11

Alpha

2017-04-04

Cold Song

2017-03-15

Tangerine Dream

2017-03-01

彷徨

2017-02-09

ni_kaさんとグエン・グエンさんへ 現時点では掲示板利用者が投稿する前に気付く場所へ明記されていませんが、投稿に関するルールは、 <<発起人からの告知/連絡>> という書き込みやTwitterなどで何度かアナウンスされています。ほぼ同時期に2作品を投稿したり、作品の削除を要求すること自体が推奨されていません。投稿者は常に掲示板に張りついている訳ではないので分からないと思いますが、ni_kaさんの投稿と同様のパターンでの二重投稿や、作者からの修正や削除の要求はこれまで何度も繰り返されてきて、そのたびに管理者が対応してきました。 B-REVIEWに限らず、こういう商業目的でないサイトはお金も手間もかかります。誰かがお金を出し、時間と労力を提供することで成り立っています。私たち利用者は、管理サイドの方たちの作った場で作品を発表させてもらっている立場です。ですから、彼らのルールに従うのは最も基本的なマナーだと考えます。私自身、せっかく書き込んだコメントが削除される結果となりましたが、Netnews時代から様々なアクシデントやトラブルを経験しているので、自分が書き込んだものはすべてローカルに保存しているので問題はないです。このことでサイト管理者を責めるつもりはありませんし、そんな権利はないと考えています。 もちろん創作活動は自由であるべきですが、それは法律や特定の場のルールを無視しても良いという意味ではありません。今回の措置にどうしても納得がいかないのであれば、ご自分で何でもありの投稿サイトを立ち上げた方が良いです。そもそもB-REVIEW自体が他のサイトのポリシーに納得できず、自分たちの理想とする場を作るという目的で立ち上げられたものです。そして今回の投稿は、B-REVIEWのルールではアウトだったということです。 (はるのつき)

2017-04-25

海をテーマにしているので、タイトル通り愛の奇跡によって海が割れる壮大なラストを期待して読みました(嘘です 真面目な話、すごく好きなタイプの詩です。最近、アニメをみたのがきっかけで「最終兵器彼女」を読み直したので、ちせとシュウジの逃避行を連想しちゃって必要以上に感情移入して読みました。ただ、少し表現がくどいかなという気もします。全体的に「〜するんだ」の繰り返しが基本なので、本当に書きたい部分を厳選して体重を9割くらいに絞った方がもっと良くなる気がします。あと、「サヨナラバイバイ、ね、ありがとう」という部分は井上苑子の 「サヨナラバイバイ」のサビの部分に似ていますが、何らかの影響を受けているのでしょうか。 最後の「海を隔てても、どうせ祈る」だけ、ちょっと素直に入ってきませんでした。田中恭平さんの案みたいに、もっと別に最適な表現があるように思います。 (十戒)

2017-04-25

そうかー、これ酔っぱらった勢いで書いたのかー。私も「あなパイ」の頃の「もとこ」名義の詩はほとんど酔った時に書いていたからなー。しかも投稿した後で規定違反というオチ。ここまでが遠足という感じで脱帽です。しかも酔って書いたこの詩が、これまでで一番読みやすいという現実。これは作者にとって良いことなのか悪いことなのか。それはともかく、ノーチェイサーは身体に悪いということですね、わかります。 「落ち着け、落ち着け、あとちょっとで品川だ、」から「澤あずき」までは特にネ申展開。そして「朝の歌/シルビア・プラスにα米」ですでにTKO勝ちレベル。最後の「いやそこまで汲み取ってくれる人はいないか」という呟きで「これは勝ったな」と思った瞬間に上から投稿規定違反という特大の盥が落ちてくるという、まるで「龍の歯医者」の冒頭における海戦シーンみたいな展開に感動の笑いがあふれてくるのであります。 (言葉にチェイサーを)

2017-04-25

貧困とか食物連鎖とか詩作に関するルサンチマンとか世界の終わりを夢見る引きこもりとか、それぞれのテーマは明確だし各パーツごとで見ると悪くないんですが、全体的な構造物として眺めるとハウルの動く城みたいな感じに思えるのです。その内側にすごい力を秘めているのは分かるのですが、見た目がちょっと難ありという感じ。特にメインであるはずの、 >光は、きっと届かない >それでも光は届かない という表現が個人的に違和感バリバリなんですよね。あと少しで、もっと良くなるのにというもどかしさがあります。 >すべての人々に平等に陽は射さず、「そんなこと何を今更」と嘲ける君にもどうかそこに居て欲しい このフレーズ、好きです。ピンク・フロイドの「Wish You Were Here」を連想しました。 (食べて下さい)

2017-04-25

あまりにもかっこいいフレーズの連続で何だか自分が嫌になりそうです。光を「ひかり」と表現する細かさとか、勢いだけで書いているのではないことが分かります。仮に勢いだけで書いてこれだけのレベルなら何だが自分が嫌に(ry 子どもの頃は親から外に放り出されて、泣きながら夜の中を彷徨い歩くことが良くありました。でも、そのうち深夜徘徊が楽しくなって自分からプチ家出をするようになりました。「いい風」という言葉に、ナイトクルーズの魅力が凝縮されていると思います。その他にもイカしたフレーズが惜しげもなく使われている贅沢な一品。ただ、私も個人的に「イエイ」はちょっと……それ以外は文句なしであります。 (郊外)

2017-04-25

良くも悪くもシンプルでストレートな詩ですね。頭の良い人間は分かりやすい言葉で話し、バカは自分を利口に見せようと必要以上に難しい言葉を使うと言います。装飾として難しい表現を使うくらいなら、飾りのない方が良いと思います。 私は詩を書く時に「自分の視覚的イメージを読み手に伝えたい」と思う時が良くあります。その場合、どうすればベストなのかあれこれ試行錯誤します。例えば「黄金色の美しい夕焼け空」というイメージを読み手に届けたい場合、そのままの言葉で良いのか、それとも他にもっと良い表現があるのではないかと考えるのです。 「金色の空」 「真っ赤な空」 「燃えあがる空」 「昼の残り火が闇に抗う空」 「空に零した赤いインクが/ゆっくりと広がっていく」 「神々の宝物庫から/空へこぼれ落ちる無数の金貨」 みたいな感じです。例えばユーミンは同じ「ひこうき雲」という歌の中で、「空へ続く白い坂道」という言葉でひこうき雲を表現しています。nanbaさんにとって、この詩の表現はベストでしょうか。伝えたかったものを表現できたでしょうか。答えがイエスならこのスタイルを貫けば良いし、そうでないなら色々と工夫してみてはどうでしょう。 (ひこうき雲)

2017-04-25

最後まで読み終えるとタイトルの意味というか迫力が増しますね。第1連と第2連で顕著ですが、視覚的な表現が上手いと思います。第4連の擬似的な水晶発振子に関する描写は、1970年代の短波ラジオやアマチュア無線に夢中だった頃を思い出して懐かしくなりました。でも作品の方はエレクトリックな愛の形という感じでそのまま一気に最終連になだれ込んでいく。生々しい内容なのに必要以上に生々しくない、その匙加減には脱帽です。 (夢魔)

2017-04-25

実に物悲しい詩であります。語り手は人々の幸せのために奔走しているのに、理解者はどこにもいない。それどころか、どこに行っても非難されて終わりという過酷な毎日。 >オレたちは >オレたちの >キックマシーン > >キックマシーンで >キックマシーンを >蹴り飛ばす 欲求不満の機械的かつ不毛な連鎖。それは今日の国際社会におけるテロの連鎖につながる現象なのかも知れません。それはともかく、食べ物を粗末にしたらあかん。 (ASHIZAWAキックマシーン (B-REVIEW EDITION))

2017-04-25

この詩は、最終連がすべてだと思います。そして、それ以外のすべての表現の素晴らしさが、最終連の価値を高めているのであります。空間認識能力が高いということは、IQが高いということを指し示しているのかも知れません。それなのに金がないという現実。そこで私は小津安二郎の「大学は出たけれど」を連想するのですが、おそらく賛同してくれる人は皆無でありましょう。世界を革命する力を!(やけくそ (かくめい)

2017-04-25

えーと、作者の芸術的意図はともかく、この場のルールとして私がコメントした方が削除されたので、あらためてコメントを残しておきますね 小さなお友達のための大人気アニメと、大きなお友達のための便乗風俗の関係性を鋭く突いた問題作であります。その昔、「新世紀エヴァンゲリオン」が最初の大ブームになった頃に「綾波始めました」というイメクラの看板が登場したそうであります。それに対する「冷やし中華じゃねぇんだから」というアニメ関連書籍上のツッコミを私は今でも憶えているのですが、大きな友達はやっぱり「求めるもの」が小さなお友達とは違うのでありましょう。 それはともかく、「きのこの山の気球に乗っている、聖ヴァレンタイン星人に裏切られたわたしという死せる物体、イコール美少女戦士セーラームーン」という一説から私が連想したのは、「偉大なるロックンロールの詐欺師」ことマルコム・マクラーレンであります。そう、この詩の作者こそ「偉大なるネット詩の詐欺師」と言えるのではないでしょうか(単なる思いつきで何ら根拠はありません(予防線 (はるのつき)

2017-04-25

人が人を好きになる理由なんて、少なくとも他人から見たら取るに足らない、どうでもいい、くだらないものなのでしょう。人は太陽が黄色いという理由だけで人を殺したり、「私を月まで連れてって!」のおヤエさんのように、ある朝突然にトッポイ求婚者の72回目のプロポーズを受け入れてしまったりする不可思議な生き物なのであります。 >その人が >他の人から結婚してくださいって言われたことを >何でお前に相談したのか >相手の気持ちを考えてみろよ この一節を読んだ時、私は高校1年生の時に同級生の女の子から「あのね、私、2年の先輩から『付き合ってくれ』って言われたの……どう思う?」と言われた時のことを鮮烈に思い出したのでした。ええ、もちろん速攻で「そんなの断れよ」と言いましたよ。私の人生において、おそらくベスト3に入るナイスな決断でありました。そうです、歳なんて関係ないんです。むしろ結婚相談所で知り合った彼女がそんなことを言ったなら、言われた男はその意味を重く受け止めるべきでしょう。 この詩における「甘さ」や「髪や目の色」といった要素を理解できるものは幸いである。そういう意味でちょっと不親切な詩ではありますが、別にそんなことを知らなくてもこの切なさは分かっていただけるはず。ああ、ストロベリーフィールズよ永遠に。 (めでたしの始まり)

2017-04-25

うーん……。これは世代的な問題かも知れないのですが、私はタイトルの「demon」をはじめとして「電脳」、「ガフの部屋」、「ヒト」、「幼年期」、「ニコラ・テスラ」、「エロイムエッサイム」といった単語が並んでいるのを見ると、それだけでお腹いっぱいになるのであります。作者は筆力があるし教養もある。それはこの詩を読めば明らかです。しかし……少なくとも私にとっては、目新しいものがありませんでした。ただ、これはあくまでも半世紀以上生きてきたオッサンの意見ですので、あくまでも追い風参考記録としていただきたい。 とりあえず、繰原さんに対しては「この路線でとことん突っ走ってください」と言いたい。 (demon)

2017-04-24

「水曜どうでしょう」の「ヨーロッパ21カ国完全走破」という企画で、大泉さんたちがゲオルグ教会の塔を登っていくシーンがあります。きっと、この2人が上っている階段もゲオルグ教会の塔であり、やがて彼らはネルトリンゲンの街を見下ろすことになるのでしょう。 それはともかく、この詩はシンプルなようであって実はけっこう哲学的。登って、眺めて、また降りていく。帰る途中で日が沈む。こんな単純な詩なのに、そこには人生の秘密が隠されているような気がしてくる。それこそが作者のマジックなのかも知れないし、私の考えすぎなのかも知れない(どっちだよ どの連も良いけど、最終連は特に素敵です。何度読んでも飽きない。押しつけがましい寓意ではなく、ただ素直に世界を描いているように思える。それは間違いなく作者のテクニックであり、書く力だと思う。 (登っていく)

2017-04-24

まりもさんも指摘されていましたが「君はもう既にその若さから戦場に立っているようである」の部分は「君はその若さで既に戦場に立っているようである」のように、もう少し削れると思います。 子どもが過激な言葉を口にするのは良くあることで、それに対して大人が過剰反応すると藪蛇になることがあります。でも時には本当に危険な因子が潜んでいることもあるので、色々と難しいところではあります。それはともかく第2連において語り手がだんだんと壊れていくというか、異常性が剥き出しになるのが良いですね。最後の「正しく生きるにんげん」なんて、「20世紀少年」的な狂気が感じられます。「聖俗をバランスよくカーニングする」とか、意味が理解できなくてもカッケーと思える。こういうセンスは大切。 ところでこの語り手は、隣に住む子どもの年齢も知らないんですよね。この「推定9歳」という表現から、このマンション(?)における人間関係の希薄さとか複雑さが透けて見えます。本当におかしいのは「隣の子」なのか、それとも彼の言葉を聞いて「平和だねえ」と呟く語り手の方なのか。色々と考え込んでしまう詩でありました。 (こんなときの愛)

2017-04-24

作者が楽しんで作っている姿が目に浮かびます。創造と破壊という対立する左右のフレーズが、やがてミュージカルみたいに素敵なハーモニーを構成してラストに流れ込む。良く練られた実験詩だと思います。 (春作と風時)

2017-04-18

タイトルのセンスが好きですね。アンドが半角表示出来ないのは、HTML絡みの問題かもしれませんね。1行目の「春なんだよ」の直球ぶりも良い。坂田靖子の「ライラ・ペンション」で、のずちゃんという女子高生がショーウインドウの春めいたディスプレイを見て「すごく春だわ」と言う名シーンを思い出しました。 けっこう長い作品ですが、作品全体がこの長さを支える強度を維持しているかということを考えると、ちょっと疑問に思います。まりもさんも指摘されているように、朗読に向いている気がします。文字として読む場合は、もう少し推敲が必要かも知れません。詩作に対する情熱が感じられるし、伸びしろがあるのは実に羨ましいです。好きなアーティストの曲に触発されて書くスタイルの様ですが、歌詞が日本語だと必要以上に引っ張られるので気を付けた方が良いかも知れません。また読ませてください。 (acid & spring)

2017-04-18

なかたつさんへ 自分で書いたものでありながら、なかたつさんが指摘した内容で改めて認識したり気付いたりした部分がありました。「アタシ」の「アナタ」への凭れかかる姿勢は、ある意味で依存と言えるのかも知れませんが、まあ恋愛とは多かれ少なかれそういうものではないかなとも考えています。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 Migikataさんへ 世界と個人、他者と自分の融合というのは、まあエヴァ以降の流行みたいなものですが、この詩は最終的な融合を永遠に先延ばしにされている感じです。元ネタの短歌では斜めになった水平線が恋人の肩で固定化されるというオチだったんですが、詩に変換する時に「パーマネント野ばら」という映画のクライマックスをイメージしていたので、こういうオチになりました。良い詩と言っていただけて、とても嬉しいです。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 三浦果実さんへ 株価って、いつも小幅な値動きをしているイメージがありますよね。イントロダクション詩、素敵です。アタシは不動産屋主人にジュンときちゃったんですね(と、歳がw 読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (Lean On)

2017-04-18

蛭子能収の「私の彼は意味がない」的に表現すれば、「三浦の詩には意味がない」(敬称略)と申せましょう(という大島弓子的表現 タイトルで出オチな上に、第1行が「まったく話は違いますが」という、それまでの話が気になる展開(実はそれほどでもない で、プールの縁に腰掛けていたのに寝転んでうつ伏せたら、確実に水中だよね(というどうでも良い重箱の隅 この詩が現代詩人会の投稿欄で入選したら、私はH氏賞を狙います(という果たせない約束 (世界構造プール)

2017-04-18

川原泉のマンガにありそうな感じのユニークなタイトルだけど、内容はけっこうシビア。つげ義春が自殺に失敗した時のエッセイとか、手塚治虫の「墜落機」なんかを思い出しながら読んだ。自殺は手段によって失敗すると死ぬより辛い状況になる。かといって成功しても、もしかしたら山崎ハコの「人間まがい」みたいに現世を彷徨い続けることになるのかも知れない。ラストにおける万万歳の繰り返しが強烈。 (霊安室で目が覚めた)

2017-04-18

技巧に走らず、ストレートに書かれた詩。それが欠点にならないのは、基礎的な言葉の体力があるからだと思います。ただ「10代の頃のように〜」の連だけは、もう少し表現を工夫した方が良いのではと思いました。最終連は良い終わり方ですが、「…」は必要ない気がします。 (友人へ)

2017-04-18

「店の死骸」という言葉で、つげ義春の「ゲンセンカン主人」冒頭の「この町はまるで死んだように静かだな」というセリフを思い出した。死んでしまったカラオケボックスで、死んでしまったマイクを手に、生者ではないボーカロイドの曲を歌う語り手。だが、彼の手は汗ばむ。それは彼が生きていることを証明している。外をトラックが通る。それは世界が死んでいないことを証明している。いきなりタイトルでネタバレしているのも、個人的にはプラス要素。 (つぶれたカラオケボックス)

2017-04-18

このタイプの詩は作者のセンスが悪いとけっこう悲惨なものになるんだけど、「あこがれて渇求」は安心して読めた。良い意味でラノベとかボカロ曲っぽい感性だと思う一方、昔の「コバルト文庫」的だなという気もした。ところで、語り手は保健室の子となんやかんやしたのだろうか(なんやかんやは、なんやかんやです!)。それがちょっと気になった。でも保健室は、けっこう人が入ってくる確率が高いので落ち着かない。やっぱり体育倉庫がオススメ(どうでもええ ちょっと大変かも知れないけれど、こういう路線でもう少し長い作品が読みたいと思った。 (あこがれて渇求)

2017-04-18

アスファルトの路面がどんどんアップになっていき、生き物のようにうねる第1連が特に良いです。その後の展開にも作者の自信が伺えます。ちょっと上手すぎるというか、テクニックが過剰な気がするくらいにレベルが高い。「わかったわかった、パタリロ君の負け」という感じです。 方広寺鐘銘事件並みに何とか粗を探すとすれば、「自動車修理工場横の側溝の橋の上で」がちょっと分かりにくいくらいでしょうか。作者の意図とか関係なく、四人囃子の「一触即発」を聴きながら読ませていただきました。 (橋の春)

2017-04-13

白犬さんへ 他の方々の考察も鋭かったのですが、ストレートに「恋の詩」だと言ってもらえたのは嬉しいです。恋愛感情とか他者や世界との交わりに関しては白犬さんの言葉に付け足す必要もないくらいで、逆に自分は本当にそこまでちゃんと描けたのかと不安になってきました。 凛として時雨は「傍観」とか「テレキャスターの真実」を聴いてけっこう興味が出かけたんですけど、それからなんやかんやあって(なんやかんやとは……なんやかんやです!)、「PSYCHO-PASS」で再会するまでブランクがあります(「Enigmatic Feeling」最高)。だからソロとかはほとんどカバーできていません。Aimerは「夏目友人帳 伍」のED曲である「茜さす」で気になって、けっこう聴きました。「us」は本当に神曲だと思います。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (Lean On)

2017-04-13

美しい水、汚れた水、様々な水のイメージが鮮やかに思い浮かびます。こういう視覚的なイメージが豊かな詩は好みです。人の心を水に例えるというシンプルな詩ですが、下手な小細工のないところが良いと思いました。 (一枚の鏡のように)

2017-04-13

「星の王子様」の切ない後日談という形をとりながら、新たな物語を紡ぎ出すことに成功していると思います。「お化けのQ太郎」や「がきデカ」のこまわり君が大人になった後日談を読んだことがありますが、どれも切ないものでした。夢の中で何度も再会しているのに、「ぼく」はそれすら忘れてしまっている。どんな物語にも続きがあるけれど、それは知らない方が良いことの方が多い気がします。 (小さな星の孤独な王)

2017-04-13

一読して「ああ、やられたなあ」と思いました。「もとこ」というキャラで書きたかった詩のひとつが、こういう作品だったんですよ。リスカの傷跡をハッシュタグと表現した時点で、この詩は優勝候補です(何のだ)。「nullくなったら」でダメ押しという感じ。これはB-REVIEWという場の成果のひとつとして、外部に展開させる価値があると信じます。ああ、悔しいなあチクショー(ついつい乱暴な言葉を…… (乙女たちはハッシュタグを忍ばせて)

2017-04-12

葛西佑也さんへ 人間はそれぞれが世界を構成する小さなパーツに過ぎなくて、世界の方は人間などというパーツがなくても別に困らないほど大きい存在。だから人間は特定の相手を世界よりも重要な存在とすることで、その寂しさから逃れようとしている。たまに、そんなことを考えることがあります。短歌の時と詩へ変換した時では読み手の想像力の必要量が変わりますし、それは長所でもあり短所でもあるようです。でも、この作品に関しては詩に変換して良かったかなと思っています。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (Lean On)

2017-04-12

松任谷由実の「ツバメのように」という曲があります。若い女性が飛び降り自殺をする歌なんですけど、同じく自殺をテーマにした「コンパートメント」と共に、ユーミンの曲の中でも特に好きな作品のひとつです。この詩を読んで最初に連想したのが、「ツバメのように」でした。ただし、ユーミンの曲の方では自殺の動機が何となく分かるように描かれているのですが、「鍵のない箱」では最後まではっきりしない。おそらくYは何らかの理由で孤独と絶望の中にいて、親友である語り手に「希望」を託しながら死んでいったんだろうなと想像するしかない。もしかしたらYは親友に止めてほしかったのかも知れないが、それも今となってはわからない。オチが明確でない分、読み手の想像力が膨らむ詩でした。 (『鍵のない箱』)

2017-04-12

桐ヶ谷忍さんへ どうしよう、ここまで手放しで褒められると、何だか勘違いしてしまいそうです。いや真面目な話、自分で苦労した部分を的確に指摘された上で評価されると、本当に嬉しいです。この詩は「水平な海がゆっくり傾いて貴方の肩で固定化される」という短歌が元になっています。「NHK短歌」に投稿してボツだったんですが、私としては「ハァ? これって悪くないんじゃね!? せめて佳作掲載くらいしてくれよ」というくらい自信があったので、このまま埋もれさせるには惜しいと思い詩に変換しました。「生誕の眩暈」は、詩にすると決めた時にオチとして頭に浮かびました。あと、「最初の頃はもとこさんの詩にはあまりピンとこなかった」と正直に言ってくれたことも嬉しいです。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 祝儀敷さんへ 以前にも他の作品のコメントで説明していますが、私は視覚的なイメージから詩を書くことが多いのです。ですから、その点を指摘していただけただけでもこの詩を書いて良かったと素直に思えるのであります。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 まりもさんへ 短歌を元にして詩の形へ発展させる時に、例の「メキシコ国境の壁」を組み込みたいと思いました。「アタシ」や「アナタ」に関しては「もとこ」というキャラの設定上、どうしても譲れない部分なのです。私の詩は意図的に「クサイ台詞」を用いることが多いのですが、「生誕の眩暈」や「寂しい匂い」に関しても、絶対に譲れないフレーズでした。最終的にそれを認めていただき、ほっとしています。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (Lean On)

2017-04-12

次も絵文字入りだったら、いい加減ちょっと食傷気味かなーと思っていたたのですが、そんなことはまったくの杞憂でありました。すでにkaz. さん独自のスタイルを築きつつあるように思います。そう、これを意図的にやるのは意外と難しいのです。ただ、浅田真央はどうでしょう。「時事ネタはすぐ風化するぞ!」と鳥坂先輩も言っていたし。個人的には「虎よ、虎よ」がいちばんのツボでした。 (誰にも真似できないように)

2017-04-11

いわゆる「無限の猿定理」をテーマとした詩ですね。ガリバー旅行記にも同様のネタが出てきますが、人間の仕事どころか創作活動まですべてAIやロボットで代用可能になった世界で、我々は何をすれば良いのでしょうね。「ゴルゴ13」では1人の人間のプログラムで世界の株式市場が混乱して、アメリカの経済的崩壊が始まるというオチの作品がありました。AIだけで株価を操作するようになった途端、人間が経済的に滅ぼされることになるかも知れません。 この詩においては、機械が究極の進化を遂げた瞬間から人間の退行が始まるというオチになっています。そうなると、人間は「すごーい!」とか「たのしー!」としか言わなくなるのでしょうか。いや、もしかしたら今度は機械が自分の仕事を人間にやらせることを思いつき、猿の一歩手前まで行っていた彼らの教育を開始したりして。そんな妄想が膨らむ、たのしー作品であります。 (プレーン・ライティング)

2017-04-11

かつてソフトマシーンやヘンリー・カウ、ELPといったプログレバンドは、クラシックやジャズとロックの融合を試みました。この「あさぼらけ」もまた、古典言語と現代語を組み合わせた実験的な意欲作だと思います。しかも、ただ実験的なだけでなく「明日も、雨なのですか。」のように、語り手(おそらくは作者自身)と家族の関係というテーマが無理なく展開されているところに、作者の技量の高さを感じます。 作中で「ビー玉のような目の少女」が出てきますが、戸川純の「母子受精」に登場する「ガラス玉の目の光」の子どもとは違って、彼女の美しさと幼い頃からの語り手の鋭い美意識を表現する上手いアイテムの使い方だと感じました。この作風は、ぜひシリーズ化してほしいと思います。 (あさぼらけ)

2017-04-11

花緒さんも指摘されているように、表と裏に想像したほど違いがないというのが面白いですね。実際には微妙な表現の差があるんですけど、この分かりにくさが作者の計算なのかどうかが気になるところです。 読んでいる時に、何となく「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」のクライマックスで、諸星あたるがDNAの螺旋の上にいるシーンを想像してしまいました。DNAというバトンを次々に手渡ししていき、最後に人は神の高みへと至る……そんなのは幻想だよというメッセージとも受け取れる展開がユニークだと思います。 (「螺旋 表/裏」)

2017-04-11

B-REVIEWに参加するようになって、世の中には真剣に詩と向き合っている人たちがたくさんいるんだなーと、改めて実感しております。それはともかく、タイトルは「詩以前」ですが私から見ればこれは詩としてきちんと成立しております。詩とは何か、詩人とは何か、その解釈は人それぞれな訳で、私に言わせれば「そもそも許すとか許さないとか、そういうことではない」と思うのです。霜田さんを許すことができるのは、たぶん霜田さん自身しかいないと思います。 まあ私は作品でもコメントでもB-REVIEWの底辺を自認しているので(そもそも最初に参加したのも、書き込みが少ないから「ほらほら、こんな感じでもOKだから気楽にいこうよ」という、お節介な気持ちからだったので)、こういう詩が書けるうちはまだまだ私の座は譲れないですね。また、書いてくださいね。 (詩以前)

2017-04-11

短い詩は当然のことながら情報量が少ないので、解釈も難しいものが多い気がします(西脇順三郎の「天気」のように、解釈の必要もなくストレートに頭の中へイメージが流れ込んでくる名作もありますが)。 この詩の場合も浴室でのセックスを描写しているようにも思えるし、恋人とのセックスの後に彼の自分に対する無理解さ、身勝手さに対する怒りがこみ上げてきて、シャワーを浴びながら大声で歌を歌ってストレス発散しているという解釈も出来ます。それはともかく、42℃のシャワーを6分間ほど目の周囲に当てるだけで、視力が回復するんだそうです。語り手がそういう目的でシャワーの温度を設定したのかは不明ですが、とりあえず試してみる価値はあると思います。そんなわけで、完全に理解できないながらも気になる詩なのであります。 (log)

2017-04-11

萩尾望都の「訪問者」というマンガがある。名作「トーマの心臓」に登場するオスカーが、母親を失い父親と別離するまでの物語だ。作者は、この作品を「砂の器」をイメージしながら描いたという。なかたつさんの「道なり」を読んだ時、なぜか最初に「訪問者」と「砂の器」を連想した。 この詩に関しては読むこと自体が心地よくて、細部に関して考察しようという気になれない(考察しても的外れなことばかりだろうけど)。この詩における父は「五回目くらいのただいま」の時には既に故人だと思うのだが、盛岡でジャジャ麺を食べた時はどうだったのだろう。老いた父なのか、それとも語り手の記憶となった父なのだろうか。「笑顔の祖父母」とは、おそらく田舎の家によくある、仏間の鴨居に飾られた遺影なのだろう。語り手は、そこで恋人と夜を過ごしたいと思っている。彼女と結婚して子どもを作り、家系図を継続させようと願う。それは父親(と母親)からの遺伝子を引き継ぎ、自分もまた我が子へバトンタッチするということ。選んだわけではない「生まれた場所」を肯定するということなのかも知れない。 ★それから作品の中で鬼束ちひろの「眩暈」の歌詞を引用しているが、表記方法を変えたことで著作権的にセーフになったのかどうかが気になった。この点は、掲示板スタッフの皆さんが判断することだろうけれど。 (道なり)

2017-04-11

翻訳された中国の名詩を読んでいるような心地よさ。琵琶湖疎水に関しては花緒さんにとって思い出の一部であり、詳細はまりもさんが紹介してくださっているので省略しますが、「琵琶湖うまれの泪」という表現にすべてが込められている気がします。ただただ、夜桜と水の美しさに酔い続けていたい気分です。 (疎水情繪)

2017-04-10

abaddonはヨハネ黙示録に登場する奈落の王であり、破壊と滅びの象徴。「錆釘に撃たれた両掌」とはキリストのことでしょうか。「青き豚畜生」とは、もしかしたらダンテの「神曲」に登場する高利貸し一族のスクロヴェーニかも知れません。「二一グラムの奇跡」とは魂の重さのことでしょうし、最後の「そうあれかし。」まで含めて全体的に極めて宗教色の強い詩のようです。 ただ、この詩は「人間への憎悪を描いた宗教的な物語」という単純なものではない気がします。私には「聖職機」が「生殖器」の意図的な変換に思え、その他にも様々な寓意的表現を駆使して詩や詩人に関する様々な状況への、皮肉や風刺をこめた作品に思えるのです。私の解釈の正誤はともかく、こういった文体の詩は実際に書いてみると想像以上に難しいものです。作者の豊富な知識と技量が、この詩の個性として結実していると感じました。 (abaddon)

2017-04-10

「いちばん斬新なのはタイトルでも内容でもなく作者名だった」という出オチ感は拭いきれませんが、おそらくすべてが計算通りと思われるので今後の展開が楽しみです。個人的には、魔界の酔いどれ詩人さんが10万何歳なのかということが気になります。 (アイデンティティ)

2017-04-10

黒髪さんへ 私は視覚的なイメージから詩を書くことが多いようです。 http://www.geocities.jp/yumesawanachi/poem/poem-kajinoyume.html http://www.geocities.jp/yumesawanachi/poem/poem-kinironomadobe.html これらの詩みたいに昼寝から目覚めた時とか交差点で信号待ちをしている数十秒の間に、最初から最後まで全部ストーンと物語が落ちてくることもありますが、それは本当に稀なパターンです。ほとんどの場合は、まず心の中に色彩や風景が浮かび、それを言葉に変換するような感じで書いています。 黄昏時の野原、曇天の荒野、真夜中の海など、ほとんどは子どもの頃に家を追い出されて独りで彷徨っていた時の景色なんですよね。私の詩の大部分は、そういうイメージが元になっています。最近になって宇宙の闇に浮かぶ小さな光とか、そういう光景が良く浮かぶのは、やはり健康面の影響もあるんだと思います。黒髪さんも、焦らずゆっくりと健康を取り戻していってください。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (Alpha)

2017-04-06

語り手は浴槽の中で丸まって浮かんでいる。母の胎内で羊水に浮かんでいた頃、あるいは生物がまだ海の中だけで暮らしていた時代を懐かしむように。人がこういうことをする時は精神的に落ち込んでいる場合が多いのだが、語り手は多分しあわせなんだと言う。それは、いつか「そちらの世界」へ還ることができると信じているからだ。それは、ほとんど宗教的な確信なのかも知れない。その日を想い、小さく笑いながら、ばかばかしい幸せの中で語り手は確かに生きている。 「浮遊する」の繰り返しは、個人的に蛇足に思える。だが、それ以外は表現に無駄がなく、読み手の共感を無理なく引き出す上手い詩だと感じた。 (輪郭は滲むけれど)

2017-04-06

この詩を読んで最初に連想したのが「ホールアースカタログ」だった。普通のカタログが読者に「消費」を促すのに対して、「ホールアースカタログ」は「生き方」のヒントを与えるものだったらしい。この詩に出てくるカタログは、その中間的存在のようにも思える。 前半は「不思議の国のアリス」に出てくる滑稽詩のようだ。「金の斧」に登場する泉の女神、塔の上のラプンツェル、そしてマリア様などに言及しながら重ねられた表現と、重ねられた唇。そして後半はいよいよカタログが登場する。泥にまみれた日常の中にあっても、汚れない宝石のような何かが載ったカタログ。私事だが、私は中学生の頃にBCLラジオやラジオカセットが欲しくて、様々なメーカーのカタログを集めては毎日飽きもせず眺めていた。それは何と心躍る日々だっただろうか。語り手もカタログを見ながら、明日への希望を膨らませる。カタログに載っているものとは、理想の明日そのものなのかも知れない。 >君は反復するスーパースター >光と同じ速さで考える この部分はすごく良いのだが、ラスト3行はちょっと失速した感じ。思い切って前後を入れ替えても良かった気がする(個人の感想である (カタログを埋める重言)

2017-04-06

桐ヶ谷忍さんへ 前述した通り、この詩は最終連の言葉が初めに浮かんで、そこから遡るように肉付けしていったものです。最初は意識していなかったのですが、ヴァンゲリスの「Alpha」を脳内再生しながら、萩尾望都の「偽王」や「神殿の少女」、それに「銀の三角」といった砂漠や遺跡や辺境の惑星といったイメージで書いていたみたいです。 (アタシは座標になりたかった)の意味は、桐ヶ谷さんが想像されたように彼のための座標、彼を導き出会うための座標という感じで書いた記憶があります。最後に第1連を書いている時は、もう当たり前みたいにループさせようと決めていました。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (Alpha)

2017-04-06

すごく素直な詩である。あまりにも素直すぎて、逆に何か裏があるのではないかと疑ってしまい、深読みの罠に落ちそうだ。良い意味で小学生が書いたような、素朴さと新鮮な発想。「振られた」と「降られた」、気持ちとしての「ブルー」と「カラフル」、そしてワイパーの擬人化。 言葉通りに読めば良いのかも知れないが、タイトルが「神様の落日」である。本物の小学生なら「降られた神様」とか「神様の涙」みたいなタイトルにするのではないか。それが、この詩では「神様の落日」である。これはどうしても「神々の黄昏」を連想してしまう。無様に泣き出して人間から励まされる時点で、神はその権威を失ってしまったのかも知れない。そして、それはラグナロクの始まりを意味してるのではないか(ここまで深読みして、最後に作者の「考えすぎです」の一言で粉砕されるまでが遠足です (神様の落日)

2017-04-06

まりもさんへ こんにちは、秋海棠です(やめんか) 伊東静雄は詩集として読んだことはなくて、新潮文庫くらいです。まりもさんが連想された「八月の石にすがりて」は、むしろ強烈な夏の陽光のイメージですね。「半額」に関しては、けっこう悩んだ末にそのまま使いました。私は基本的に頭に浮かんだ言葉をそのまま書く形で詩を作ることが多いんですが、この作品は最終連が最初に浮かんでしまったので頭を抱えちゃいました。その後に真ん中が浮かんで、第1連が最後という自分でも珍しい創作パターンでした。「半額」の連が揃っているのはまったくの偶然です。タイトルはヴァンゲリスの同名曲からで、最終連が浮かんだ瞬間から完成までこの曲が延々と脳内再生されていました。 それにしても、まさかここで「ぼく地球(たま)」が出てくるとは思いませんでした。あの作品が連載されていた頃の「花とゆめ」は、当時の彼女に頼んで買ってきてもらう形で毎週読んでいました。確かに、あの作品(特に月基地編の)イメージに近いかも知れません。実は「ぼく地球」を読んでいる当時も実際にヴァンゲリスの「Alpha」を流しながら聴いたりしていたので、イメージがつながっているのかも知れませんね。実際「Alpha」を一般にも有名な曲にしたのは、あの「コスモス」という番組でしたから、最初から宇宙からの視点を想定して作っていたのは間違いないと思います。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (Alpha)

2017-04-05

白犬さんへ 文学極道代表代行でもある詩人の平川綾真智さんは、私が生まれて初めて「本屋で詩集を手にとり、内容に惚れて買った日本の現役詩人」です。後で彼が私と同じ誕生日で、同じ街に住んでいるということを知りました。まあ年齢は私よりすっと若いし、才能もはるかに上なんですが。でも私と同じく目に疾患を抱えていて、しかも私よりずっと病状が重くて片目は失明状態だそうです。そういう状況にも関わらず、彼は詩に関することだけでなく熊本地震の復興にも力を注いでいます。その姿勢には、本当に頭が下がる思いです。 私も若い頃は闇という言葉に憧れていたのですが、年齢を重ねて目に爆弾を抱える状況になってみると、光というもののありがたさを実感するようになりました。やはり、自分の現状というものは作品に大きく影響するようです。私の拙い詩をここまで真剣に読んでいただいたことに、心から感謝します。本当にありがとうございました。 (Alpha)

2017-04-04

「中も外も汚していくんだ」というフレーズから、おそらくは地球と宇宙を汚染し続ける人類をテーマにした詩ではないかと思う一方、そう見せかけて極めて個人的なことを綴っているのかも知れない。あるいは、その両方という解もあり得る(全部かよ すべての生き物は食って食われての食物連鎖の中で生まれて生きて死んでいく。その死骸もまた、他の生き物のエサとなるか自然に還って植物の肥料となる。しかし人間だけは、自然に還ることのないデブリを地球上だけでなく宇宙にもまき散らしている。僕らはそんな生物だ。 (Answer song)

2017-04-04

まずタイトルがカッコイイ。椎名林檎の曲のタイトルですと言われても信じてしまいそう。始まったと思ったら終わっている。というよりも、始まる前に終わっている。本文からも語り手の焦燥感が伝わってくる。 ところで「便所を改造した、一畳間」って、もしかしたらつげ義春の自伝(アンド作品)ネタだろうか? だとすれば語り手の現状への絶望感は想像を絶するものがある。ちなみに三浦氏が書いていた大藪作品の主人公なら、この焦燥感を怒りに変えて「蘇る金狼」の朝倉のように米びつに隠した拳銃を取り出し、窓の外に狙いをつけるところだ。語り手の焦燥感は、果たして怒りへ向かうのだろうか。 (開幕エンドロール)

2017-04-04

すべての物事には二面性がある。生きることは素晴らしいはずだが、永遠に生きるとなるとそれは苦痛であり恐怖ではないのか。死は恐ろしいが、生きることが辛い者には救いとなるのではないか。語り手もまた、雪の中に残酷さと温かみという相反する二つの要素を発見する。そして、そこから母親の最期の想像へとつながっていく。語り手は母親と不仲なようだ。だから描かれているのは理想であり、現実ではない。 語り手は土の中で春を待っている。発芽を待つ種子のように、あるいは冬眠する動物のように。母との関係は修復できないが、自分を産んだ瞬間の彼女は確かに笑っていたに違いない。語り手にとって、それは春のように暖かい希望なのかも知れない。 (「春を待つ」)

2017-04-04

母親からの電話って、長いみたいですね。私はそういうのと無縁なので良く分からないのですが、単におしゃべり好きとかヒマだとかだけではなく、やはり寂しさとか「子どもはいくつになっても子ども」という感覚なんだと思います。 この詩は、そういう母親の姿が見えてくるような感じで面白いのですが、基本的な構造はこれまでにもあったものです。だとすれば台詞やモノローグの完成度の高さが要求されるんですが、この詩の場合はもう少し磨ける気がします。 (ずっと同じはなしをきいてる)

2017-04-04

ぶたみみさんへ 時間的制約やチャット化するリスクを避けるため同じ作品に2度コメントすることは少ないのですが、創作の意図などについて説明していただいたので補足します。 私は「光る風」や「はだしのゲン」をリアルタイムで読んでいた世代です。原爆や沖縄戦など戦争の悲惨さについて書かれた本も、けっこう読んでいました。でも男の子なので、娯楽としての戦争マンガや小説や映画やテレビにも夢中でした。そんなわけで、私の世代だと「靖国」という言葉の意味もすぐに理解できます。しかし今の若い世代はどうでしょうか。この詩に書かれたことをいちばん伝えるべきなのは、若い人たちだと思うのです。だとすれば「はだしのゲン」のようにストレートな表現をするにせよ、「この世界の片隅に」のように激しい感情を表に出さない手法をとるにせよ、「当時の状況」をもう少し分かりやすく伝える方が良いのではないでしょうか。 私の推測が正しければ、この光一郎という人は「一族でいちばん優秀で、おそらく大学にも行きたかったが、工場を継ぐ立場だったので断念した。そして誠吉という人物より1歳上だったことと、学生ではなかったために召集されて戦死した」ものと思われます。誠吉さんは光一郎さんより1つ下で、しかも大学生だったために招集が免除されていた。そして戦況が厳しくなり大学生も出陣するような状況にはなったが、ギリギリのところで終戦を迎えて生き延びることができた。もし光一郎さんが誠吉さんと同じ歳だったら、いやせめて大学に行くことができていたら、彼は今も生きていたのではないか。私は戦争というものの残酷さ、自由に学べることのありがたさというのが、「供養」という詩のテーマだと考えます。そして、この詩を最も読んでほしいのは小学生から高校生くらいまでの青少年だと思うのです。そのためには、あと少しだけ具体的な表現がある方が読みやすいのではないでしょうか。私は、こういうアプローチで戦争や社会の矛盾などについて書かれたぶたみみさんの詩を、もっと読んでみたいと思っています。 (供養)

2017-04-04

良くも悪くも若さが溢れ出ている詩。隠そうとしても隠しきれない、エネルギーの塊としての若さ。こういう詩を書けること、そして書こうと思えることが羨ましい。ただ人に読ませるものとしては、ちょっとストレート過ぎるかも知れない。技巧に走れとは言わないが、あと少しだけ表現を工夫してみてはどうだろうか。特に最終連は、それまでの展開を受け止めてきちんと終わらせるには少し弱いと感じる。でも勘の良さそうな人だから、書き続けることで自然に解決できるかも知れない。とにかく、書き続けてほしい。 (夕暮れ時の戯言)

2017-04-03

本来の夜は暗く屈強なものだが、都会の夜は明るく屈強だ。それは人工的な強さ、ステロイドで作られた偽りの強さだが、その不健康さこそが都会の夜の魅力でもある。都会で、東京で、青春を浪費する若者たち。それは何て愚かで、何て素敵なことだろう。最初のコードを見るまでもなく、この詩には音楽が流れている。流れる音は読む者によって違うだろう。語り手はフィッシュマンズの「ナイトクルージング」だが、私の脳内ではじゃがたらの「タンゴ」が自動再生された。きっと若い頃なら、フォークソングやロックだっただろう。ジャンルは関係ない。その時に最高だと思うことが大切なのだ。 都会の、危うい夜に長居すると、それだけ多くの死を見ることになる。アルコールで、ドラッグで、自死で、知った顔が消えていく。死ぬ奴は死に、死ななかった奴は生きている。当たり前のことだが、生と死の境界線はあまりにも曖昧だ。語り手は今も生きている。だから詩を書き続ける。死んでいった者たちのために、そして生きている、生きていく、自分自身のために。 (薄明)

2017-04-03

創作なのか実話なのか、ちょっと判断がつきませんでした。でも創作にしては細部が具体的な気がします。ただ、仮に実話を元にしているとしたら、語り手の涙の理由が説明不足であると感じました。それは光一郎という人物がどうなったのかが、あまりにもはっきりしないからです。「供養」というタイトルと誠吉というおじいさんのセリフ、そして語り手の涙からおそらく戦死したのではと思うのですが、その辺をもう少し具体的に書かないと読者に語り手の哀しみが伝わりにくいのではないでしょうか。 もしかしたら「わしらもそろそろかと思うとったら、終わってしもた。」と「あの頃は、そういう時代やったんや。」の間に、光一郎という人に何かあったのかも知れません。そこが肝心であり、ここにもう少しエピソードを入れるべきだった気がします。 >ところで、これ、どうしたらいいかのう。 >ハンカチなので、どうぞ使ってください。 この繰り返しが最初はユーモラスに、そして次第に切なく思えてきます。時の流れと、語り手の優しさが伝わってくる上手い表現だと思います。 (供養)

2017-04-03

作者の豊かな知識に裏付けられた、圧倒的な情報量の詩である。ノルマンディー・コーヒーというカクテルからスタートして、源流であるアイリッシュ・コーヒー、その誕生地であるフォインズ、そこにあってカクテル誕生のきっかけとなった飛行艇用の飛行場、そこを寄港地とした大西洋横断航空路、ノルマンディー・コーヒーのベースに使われているカルヴァドス、その誕生の歴史……第1連だけでも、欧州の古典的名作のプロローグを読んでいるような気持ちになってくる。 第2連は羊皮紙について語られている。石版やパピルスの巻物に記された歴史。その多くは血なまぐさい紛争の記録でもある。そしてパピルスより保存性や携帯性に優れた羊皮紙の台頭。表面を削って再利用できるという特性への記述。いわゆるパリンプセストと呼ばれるものと宗教の関わり。その他、羊皮紙に記録された様々な記録と、そこに秘められた物語に対する豊かな想像力。 第3連では織物がテーマ。その発展と拡大の歴史はまた、様々な交易や紛争の歴史でもある。ここではクメールの織物の衰退が語られているが、この連に織り込まれた美しさと哀しさを知るには古代から近代に至るカンボジアの歴史を理解する必要があるのだろう。ちなみに織物(textile)とtextの語源は同じである。 第4連はモーリシャスの歴史を語りながら絶滅したドードー、オランダやフランスやイギリスの統治などが簡潔に語られるが、メインとなるのは世界で最も高額な切手と言われている「ブルー・モーリシャス」である。世界最初の切手「ペニー・ブラック」と同様にヴィクトリア女王の横顔が描かれてたその切手は、詩の中で語られているように「POST OFFICE」の間違いと最初の発行枚数の少なさから1枚の価格が日本円で億単位だという。作者は、この超高額切手誕生の原因が、モーリシャスに対するイギリスの関心度の低さであるとしている。モーリシャスとコレクションとしての切手に関する相当の知識がなければ、この発想はできないだろう。 最終連で語られる「世界史」についての考察。作者はその特性を音楽に例えているが、この詩自体が壮大な組曲なのではないか。徹夜明けの頭を振り絞って中学生のような感想文を書きながら、私はそう考えるのである。そして最後に付け加えるのなら、三浦果実氏はオチとして「ノークレーム・ノーリターン」ではなく「ノークレーム・ノータリーン」と書くべきではなかったのか(大きなお世話である (no title)

2017-04-03

「青色廃園」というと村山槐多よりも森川久美のマンガを思い出す世代です。夭逝の画家である村山槐多の「青色廃園」は、愛する美少年に捧げられた詩。森川久美の「青色廃園」もまた、絵画を巡る物語。どちらも退廃的な雰囲気に満ちています。そして東川原さんの「青色廃園」もまた、前述の詩やマンガに通じる妖しさがあります。しかし、この詩は生々しいエロスと同時に子どものような純粋さも秘めているようです。純粋であるがゆえに傷つき、滅びていく恋人たち。前世から現世、そして未来(来世)へと彼らの物語は続いていく。 内容的に好みは分かれるかも知れませんが、基本的なテクニックがしっかりしているので悪い意味での「ぽえむ」になることなく個性的な作品となっています。 (ぼくたちの青色廃園)

2017-04-03

一読して、なぜか中原中也の「正午 丸ビル風景」を連想した。柏原芳恵の歌ではないけれど、楽しいはずの春なのになぜか悲しいと歌う曲は少なくない。浮かれる春に取り残されたような寂しさ。だが、この詩は愚痴をこぼすだけでは終わらない。辛い気持ちを吐き出して、目の前を見れば信号は青。上手くまとめられた作品だと思う。 (春のひと)

2017-04-02

その昔、植木等が若かりし頃のサラリーマンは気楽な稼業だったらしいが、今は「社畜」なる言葉まで存在するほど過酷な職場環境も存在するようだ。ただ「無責任シリーズ」と同時代に書かれた大藪春彦の「蘇る金狼」は、すでにこの詩のようなサラリーマン観で描かれている。 それはともかく、前半と後半の間に挟まれるタトゥイーンに関する記述は何を意味するのか。「スターウォーズ」シリーズのファンならお馴染みであるこの無法惑星もまた、現代の会社という労働システムの比喩なのだろうか。わざわざ「砂漠の星です」と補足しているあたりに、そのヒントがあるような気もするし、ないような気もする(限界 (さんかく、まる、しかく、におい)

2017-04-02

「コクリコ坂から」でストーカー風間君が、海のことを想って学級新聞に載せた詩を思い出した。こういうタイプの詩は詩誌でもネット詩掲示板でも軽んじられる傾向があるように思うが、逆に「今風のお洒落な詩」を書く詩人たちにこういう詩が書けるだろうかと考える。そういう意味でも、大切にしたい詩である。 (詩情)

2017-04-02

ひとつのことがブームになると、何でもかんでも同じネーミングで便乗とか町おこしとかは良くある話。一方、この詩のようなナンセンスな展開もすでに「さよなら絶望先生」あたりで見慣れた感がある。とはいえ、やはり読んでいて面白い。石窯斎場とか「香ばしく焼いてどうするんだよ!」と思わず心の中でツッコんでしまうのである。やがてコンビニやスーパーも石窯化され、すべてが石窯となった街は人々から消費尽くされ、飽きられて次のブームを模索するのであろう。 (石窯パン)

2017-04-02

何とも衝撃的というか、アブノーマルな内容の詩。乳房、経血、破壊衝動、殺人といった要素が詰め込まれてはいるものの、単なるキワモノ趣味に堕しないのは作者の力量によるものだろう。何となくジェイムズ・ヤングの同名曲とか思い浮かべたけど、たぶん無関係かな。危ういというか、ほとんど崩れかけたバランスで展開される純愛という印象。個人的に好み。 (dark star)

2017-04-01

歌うたいが歌うたいに来て歌うたえと言うが歌うたいが歌うたうだけうたい切れば歌うたうけれども歌うたいだけ歌うたい切れないから歌うたわぬみたいな早口言葉としても使えそうな詩である。実際は長い部分を短く変換していくと意味が掴みやすくなるのだが、そんなことをしてこの詩の魅力を削ぎ落としてどうするんだとWithout knowing anything, but not do anything, the bomb is dropped, children are blown off.という英語のTシャツを持たない私は自問自答するのであった。 この世界のどこかで、今日も飢えや病や戦争で命を落とす子どもたちがいる。そのことを知らない、知った後も状況を変えようと行動しないこと自体が罪であるという意見もある。優しく言えば、世界は悲しすぎる。冷たく言えば、世界は面倒くさい。でも、もし自分や自分の子どもたちが同じ目に遭っている時に、他国の人たちがそのことを知らず、知った後も状況を変えようと行動しなかったら絶望的な気持ちになるはずだ。だから面倒くさくても、私たちはこの世界で起きていることを知り、それに対して反応しなければいけないのだろう。詩人だったら、なおさらであると、Without knowing anything, but not do anything, the bomb is dropped, children are blown off.という英語のTシャツを持たない私でも思うのであった。 (Without knowing anything, but not do anything, the bomb is dropped, children are blown off.)

2017-04-01

「いち」という単語による様々な展開。第1連は自由な言葉の展開によって美しい夜のイメージが綴られる。第2連では西脇順三郎のような西欧風の表現で「季節」が語られる。ここにきて第1連」の「紫色のこどもたちの実」とは葡萄の実ではなかったかと思いつく(遅せぇよ 第3連における「きみ」とは何なのか。ここまでの流れからすると灯台かも知れない。「きみ」は自らをハサミで切り刻み、その切片が風に乗って街へ堆積していく。語り手は「最後のきみ」を見失うが、見方を変えれば彼のまわりには常に「きみ」がいるとも言えるのではないだろうか。非常に完成度の高い、美しい詩だと感じた。 (one)

2017-04-01

愛した女性の、突然の死……という形式をとってはおりますが、実際はどうなのでしょうか。現実は、突然に心変わりした女性に戸惑う語り手の物語なのかも知れません。そんなことを考えてしまうのは、読み手の問題なのであります。 (目)

2017-03-31

まあ、それぞれのパワーズに関して分からない人はググれば良いとは思うのですが、個人的にシバ神と言えば成田美奈子の「CIPHER」を連想してしまう程度のワタクシであります。何もかもが平衡な世界においては、何もかもが当たり前の結末しかなく、それはとても退屈な日常ではないかと思うでありました。 (シバ神)

2017-03-31

一読して、カタツムリやナメクジのことを書いた詩だと判断しました。根拠はタイトルと、「背負う」や「渦巻いた闇」や「刃の上を渡る」や「塩をまく」といった表現です。間違っていても泣かないぞ。本物のカタツムリは殻を壊されると死んでしまうらしいですが、この詩においてはナメクジ形態でたくましく生き続けるようです。それにしても、あの小さな殻の中に羊水の中で眠る宇宙があるとは! 作者の想像力の豊かさに驚かされます。 カタツムリにとって殻は我が身を守るものであり、住居でもあります。しかし語り手は、それを「重荷」だと断言して破壊します。殻を失ったカタツムリはナメクジのような存在となり、ゆっくりと歩き出す。色々な意味で保守的になり、守りに徹する生き方を賢いとする現代人を皮肉っているようにも思えます。こんな生き方は無理だと思う一方で、やはり憧れてしまうのです。 (雨後)

2017-03-28

この詩を読んでオフコースの「群衆の中で」を連想したおじさんが春の中で秋を想う春。皆様、いかがお過ごしですか。「群衆の中で」は問いかけで終わっていますが、この詩の語り手はそこからさらに深い部分へと潜っていこうとします。その志は立派ですが、「明日という日が〜」の連は新鮮味に欠けます。フォークやニューミュージックの世界で、すでに消費され尽くしたフレーズではないでしょうか。このパターンで新たな感動を呼ぶためには、相当の工夫が求められると思います。第3連までとそれ以降で、強度に差がありすぎて全体のバランスが取れていない感じです。 まったく根拠がないのですが、作者は自分で作詞、作曲、編曲から演奏までこなすストリート・ミュージシャンというイメージ。最終連は最初の一行がちょっとアンバランスな気がします。「秋の噴水の拙い上昇志向」レベルの言葉で、全体を構築するとさらに良い詩になると思いました。 (秋の街路(2016.11.01))

2017-03-28

背広姿の屈強な男たちに両脇を抱えられて連行されるとか、身に覚えのない罪で法廷に引き出されるといったストーリーは、世代的にどうしてもイエスの「ロンリー・ハート」のプロモーション・ビデオを連想してしまう。 https://youtu.be/SVOuYquXuuc この映像の元ネタはカフカの「審判」だという説があって、私もそうだと思っている。ただ、この詩の場合は最後に語り手の上着の袖と襟元に、赤黒い斑点が滲んでいるという事実が明らかになる。それは殺害された幼児の血ではないのか。語り手は本当に無実だったのか。こぼれ落ちる色とりどりの金平糖は、幼児を誘拐する時に使われた小道具ではなかたのか。星々を人の希望する通りに結んだものが星座であるとするなら、語り手の有罪と無罪の主張もまた、それぞれの立場で勝手に組み合わされた「証拠」の産物なのかも知れない。そして、それは「真実」の追究に何ら役に立たないものなのだ。 (X)

2017-03-27

「しかし、この10点は、インターネットで探しても出てこない。」 誰が上手いこと言えと ……という感じの見事なオチ。 「ふっ、やるな」 「お前こそ」 という生徒と教師の心の会話が聞こえてきそうである。この先生は割り切った指導をするタイプに見えて、そうではなかったということかな。円周率だけに。 (πをわりきる)

2017-03-27

まず、これだけは言いたい。「お前ら、どれだけ女子高生が好きなんだよ」と。この掲示板における女子高生の出現率は異常。でもまあ、気持ちは分かる。私も高校生の頃は女子高生大好きでした。その後の数年間も。それが私個人の問題でないことは、「セーラー服を脱がさないで」とか「セーラー服を脱いじゃってから」という楽曲の存在が証明しております。そして現代では、セーラー服というキーワードに求められていたものがランドセルに移行している。人は常に、さらなる刺激を求めるのであります。これもおそらく、この詩とはまったく関係ないのでしょう。いずれにせよ、今ではすべて違法です。そのことを無視する人は違法人です。カミュであります。ああ、太陽が眩しい。 それはともかく、この詩において重要なのは西洋科学(医学)と東洋医学の対立です。とにかく切って、取って、抗生物質を投与する。それが西洋医学。一方、長期的な漢方薬の服用などで体質改善など根本的な部分で病気を遠ざけようとする。それが東洋医学。西洋医学への過信が妄信的だとすれば、この詩の語り手は狂信的。そして私は思うのであります。どうして人々は極端に走るのだろうかと。 私の仮説を証明するように、語り手は女子高生を目にした途端に暴走を始めます。おそらく現実世界においては、怪しげな男に話しかけられて逃げ出した女子高生が、追いかけられて腕を捕まれて悲鳴をあげて運良くそれを聞きつけた人たちが通報しつつ押さえつけてお巡りさんこいつですという流れでしょう。これは完全に、ファルコの「ジェニー」ですよ。ただ、こちらの方は犠牲者が出なかったと思いますが。おそらく誰も分からないと思いますので、目の前の箱なりスマホなりでググってください。 https://youtu.be/Urw-iutHw5E ※追記。花緒氏の指摘する「負けるもんか」に関して、オッサン世代の私としてはやはりバービーボーイズの同名曲を連想してしまうのでありますが、おそらくまったく関係ないでしょう。これもまた、知らない人は目の前の(ry (セイヨウカガク)

2017-03-26

まずタイトルが曲者。「ホログラムをテーマにしたアリア」か、あるいは「ホログラムによるアリア」なのか。前半の内容からすると「ホログラム化されたアリア」だろうか。音楽の視覚化というかグラフィック・イコライザーみたいな感じで、曲調によって変化する立体映像。読み手は自分が好きなアリアを頭の中で流しながら、色彩と形の微妙な変化を楽しむことができる。 前半部は室内、あるいは語り手の思考であるのに対して、後半部は屋外における語り手の視覚や聴覚によって描かれている。語り手は空を見なくても、その青さを確信する。それは雪が溶けて水になり、地面に陽光が跳ね返るのを目にしているからだ。この時点で、語り手は春と一体化しているのである。 (ホログラムのアリア)

2017-03-25

爽やかな青春ポエムかと思いきや、いきなり女子高生の顔面が落ちるという驚愕の展開。しかも落ちるだけではありません。何度も落ちる。すごいスピードで落ち続ける。その描写はまるで伊藤潤二のホラーマンガのように恐ろしく、同時にどこか滑稽でもあります。 >早送りのよう雲は飛び月陽星々は回り続ける この一文を読んで、私はウェルズの「タイム・マシン」の映画版……それも1960年制作のオリジナル版における、タイムトラベルのシーンを思い出しました。リメイクではなく特撮技術がチープなオリジナルの方が、この詩における時間描写のイメージに近い気がします。しかし映画では主人公が見つめる「外の世界の時間」だけが高速で過ぎ去ったり戻ったりしていたのに対して、この作品では女子高生の胴体だけが静止していて、それ以外は顔面も手足も世界と同じ時間軸を共有しているようです。これは何を意味するのでしょうか。まるで、この女子高生の胴体こそが世界の中心であるかのようです。胴体だけが時の流れから置き去りにされたのか、それとも胴体によって世界の時間が高速化しているのか。もしかしたら彼女は人ならざる者の子を宿し、その影響でこのような怪奇現象が起こったのかも知れません。彼女の胎内に宿っているのは、果たして世界を滅ぼす悪魔の子か、それとも新時代の救世主なのか。もうこの辺になると、絶対に作者の意図とはかけ離れているはず。それでも落ち続ける女子高生の顔面のように、私の妄想は止まらないのであります。 (夕陽に顔面)

2017-03-23

子どもの頃に「ゲゲゲの鬼太郎」のマンガやアニメ、「妖怪百物語」や「妖怪大戦争」といった大映作品などに夢中だった世代なので、狐火や人魂や鬼火といった言葉には怖さと懐かしさが入り混じったイメージがあります。一方、吉田秋生の「きつねのよめいり」や緑川ゆきの「夏目友人帳」といった少女マンガでは、恐ろしさよりも妖しい美しさが強調される場合が多いようです。私が幼い頃に住んでいた地域では「狐の嫁入り」と言うと主に天気雨の意味だったのですが、狐火と関連付ける伝承も各地に残っています。 さて、この詩における「きつねび」は語り手自身を象徴しているようです。私は、この詩を「あなた」との許されぬ類の恋愛物語として読ませてもらいました。愛する人の振る舞いはいつも身勝手なのに、愛ゆえに語り手はそれを拒むことができない。「あなた」への複雑な恋愛感情は、狐火のように妖しく揺れながら決して消えることがない。そんな女性の情念のようなものを、この詩から感じ取りました。的外れな解釈だったら、ごめんなさい。短すぎず長すぎず、余計な装飾もない上手くまとまった詩だと思います。 (きつねび)

2017-03-23

つげ義春の「夢日記」のようであり、ネット内にある仮想の街での出来事のようでもあります。でも考えてみたら、両者にそれほど大きな違いはないのかも知れません。語り手は弘岳栗高のマンガに出てくる女の子みたいに(何で知ってるんだよ)裸で街を歩き回りますが、なぜか気にするのは胸だけです。「下は良いのか?」と気になるのは、あくまでも親切心からです。変な意味はありません信じてください。 詩のラスト近くで、ああやはり仮想現実の話なのかなと思いますが、そうであれば「裸」でいるというのはこうした場でどこまで自分を晒せば良いのかわからないという戸惑いの象徴なのかも知れません。確かにSNSなどにおいては、相手との距離感を見誤って失敗することが良くあります。現実にも仮想現実にも、それぞれに苦労はあろうのでしょうね。 (迷子のお知らせ)

2017-03-22

みいとかろさんへ 私の詩は基本的に、頭の中に浮かんだものを無加工で書き留めたものが多いです。完成品がドサッと丸ごと落ちてくる場合もあれば、いくつかのフレーズが浮かんだ後にそれを組み替える場合もありますが、どちらにせよ作業は書き始める前に終わっています。そのため、どれだけ集中できるかが重要なわけですが、今回は何とか上手くいったようです。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (Cold Song)

2017-03-22

天才詩人さんへ 御指摘の通り、第1連と第2連の間のつなぎ方はちょっと甘いかなと思っています。その一方で、唐突な場面転換のイメージだからええじゃないかええじゃないかよいよいよいよいと開き直る自分がいるのも確かです。全体的にはタイトル通りタンジェリン・ドリーム的ですが、地下鉄の部分だけは意図的にチューブウェイ・アーミーの「フレンズ」あたりのイメージを挿入しているつもりです(すごーい!)。結果的にこの意図が伝わらなかったのは、私の力量不足のせいです。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (Tangerine Dream)

2017-03-22

言葉から言葉へと飛び石のように渡っていこうとする時に、石の置き方に問題があると躓きがちになります。その点、この詩は軽やかに飛び渡ることができます。「いい生き物たち」たちが夢を捕食する描写は残酷なはずなのに、軽やかで美しいと感じる。これは言葉に力があるからでしょう。 文章の中にしばしば登場する矛盾した表現が、しっかりと説得力を持っています。ただ最終連は、これだけの長さを受け止めるにはちょっと強度不足な印象です。個人的には「その小々波」と「海の時間」の間に、もうワンフレーズ欲しいかなと思いました。 (待つこと)

2017-03-22

私の一番好きな時間は秋の黄昏時なのだが、それを詩で表現しようとするとけっこう難しい。好きな光景、好きな一時であるがゆえに、余計な装飾をほどこしてしまいがちになるのだ。この詩も秋の夕暮れ時からスタートしていると読んだのだが、第2連はとても美しくて心に響いた。ただ、個人的には少し長すぎるのではないかとも感じた。同じような光景、心理を繰り返して描いているように思える。それが意図的なものだとしたら、成功しているとは言えないのではないか。 特に秋の夕暮れ時や「掬われなかった約束たち」についての描写は、もう少し削った方が魅力が増すと思うのだ。最終連は、私には少し分かりにくい描き方だった。「約束というものを守ったなら/人はきっと、死んでしまう」という部分は、とても良い。この切なさを引き立てるためにも、あと少しのシェイプアップを希望する。 (光、落ち葉)

2017-03-22

私は本当に小心者なので、半世紀以上生きてきたのに今まで一度も風俗というものに行ったことがない。別に真面目なわけでもあっち方面が淡泊な訳でもないのだが、恥ずかしい思いをしてまで行きたいとも思わず、友人や会社の同僚に誘われてもさり気なく断っていた。そんな私だが、この詩の中のエピソードや会話は非常にリアルで面白いと感じた。 旅の恥はかき捨てだからと忘れてしまえば良いのだが、こういうことが頭から離れない人もいる。私がもし語り手と同じ体験をしたら、やはり何年たっても忘れられずに思い出しては頭を抱えていたことだろう。風俗での一種の失敗談を語るだけなら、それは単なる軽めの旅行記だ。だが風俗の女性たちと共に、「きみ」についての話が出てくることでこの作品は立派に詩として成立していると思う。語り手が証明書にこだわるのは、自分への自信のなさだけではなく「きみ」への愛情的こだわりのせいかのかも知れない。 (証明書)

2017-03-22

一読して精神科病院に入院している人たちについて書かれたのだと考え、少ししてからブラッドベリの長編「華氏451度」や短編「シカゴ奈落へ」のように、自由を奪われた状況をも描いているのかも知れないと思い直した。 食べ物が載った雑誌は無菌であると信じて紙を貪り食う男などは、ネット上に溢れ散乱する情報に踊らされた挙げ句に冷静な判断力を失ってしまった人たちを皮肉っているようにも思える。彼らは自分が信じたい一点の情報に信仰レベルですがりつき、それ以外はすべて拒絶する。この詩に出てくる人々は、そういう意味で明日の私たち自身なのかも知れない。 (発行禁止)

2017-03-22

最初の3連を読んで、おっさんの私は「白鳥は水面下で必死にもがいているからこそ、水面に浮かぶ姿は優雅に見える」という「巨人の星」に出てくるセリフを連想してしまった。これは「けいおん!」のED曲「Dont say lazy」にも使われていましたが、この詩がそれら焼き直しにならないのは4連目において「結果」から「人間」へと語り手の視点が移動するだろう。 地球外生命体がいまだ発見されていない段階で、地球を「宇宙で一番うるさい星」と断言しちゃうあたりが、この詩に若者らしい新鮮さを与えていると思う。詩が進んでいくにつれて、語り手が抱えている心の問題が見えてくる。しかし、そこには過剰な悲壮感はない。語り手は淡々と自己と世界の状況、そして両者の関係について分析している。最終連は個人的にちょっと分かりにくかったが、全体的にまとまりがあって良い意味で書き慣れた感じの詩だと感じた。 (潔癖症)

2017-03-22

田中恭平さんの「石の眼」へのコメントでも書きましたが、「血は赤いもの」というお約束に対して「エヴァ」の「BLOOD TYPE:BLUE」や、その元ネタである「ブルークリスマス」における「青い血」は、「人でないもの」の象徴として扱われていました。ところがこの作品では、いきなり「原始、血は七色であった」と書かれています。まさに平塚らいてうもびっくりであります。 七色の血にそれぞれ込められた意味の解説は、「Aは黒、Eは白、Iは赤……」と主張したランボーの「母音」を連想させます。ただ、ランボー君に比べてこの詩における色の意味付けは、いささか平凡すぎる気がします。「赤色の憂鬱」とか「青色の情熱」みたいに、読者のイメージを裏切る乱暴な展開の方が面白かった気がします。ランボーだけに。最後のオチは、なかなか上手いと思いました。 (今日も、ちいろはめでたく赤)

2017-03-22

明らかに「もうええっちゅーねん!」というツッコミ待ちですよね? 途中から展開が分かってきてバカバカしいと思いながらも、カバとカバの話を最後まで読んでしまう。カバだけに。 レインボーとかクリスタルビューティフォーとかゴールデンウルトラゴットあたりは、マンガとかアニメとかに引っかけたネーミングにした方が面白さ倍増だったかも知れません。まあ内輪受けに終わる可能性があるし、作者のセンスが問われるわけですが。うちわだけに。 (ゆめであえたら・・・ (B-REVIEW EDITION))

2017-03-21

難解な詩には大きく分けて二種類あると思うんですよ。作者が作品に明確な意味というかメッセージを持たせているものと、持たせていないものです。ただ、後者も「ランダムに選んだ数字に従って、あらかじめ選んだ雑誌の各ページから1行ずつ抜き出す」みたいな手法を使わない限りは、無意識の領域で何らかの意味が含まれる場合もあると思いますが。 さて、この詩の場合はちゃんと作者が込めた意味が存在すると思います。ただし、かなり分かりにくい。詩という蝋管レコードにメッセージを吹き込む時のやり方がまずくてノイズが入ったのか、あるいは聞き手の耳が悪いのか。例えば「いいよ中として水子」は文字通り無責任な妊娠と堕胎のことなのか、私の考えすぎなのか。例えそれが私の読み通りだとしても、頂上は遙か遠くなのであります。それでも、この言葉の解体と再構築の仕方は、盆栽の素人である私でも「うーん、バカボンのパパは良い仕事をしてるねぇ」と呟きたくなるのは事実です。 (声のみの声――起草)

2017-03-21

雨が降っているので、お日様が洗面台で足をぷらぷらしている。実にメルヘンです。ところが、そこへいきなり白い冷蔵庫が打ち上げられて破裂し、中からクジラの死骸が大量にすべり出てくるという怒濤の展開。個人的な話ですが、私は小学校1年生くらいの時に学習百科事典で捕鯨についての詳細な記述を読んだことがあります。まだ捕鯨が船団規模で行われていて、クジラの刺身やステーキが安く買えた時代です。事典には捕鯨船の甲板に引き上げられ、解体されようとしているクジラの写真が載っていました。クジラの腹は縦に裂かれて、中からはもの凄い量のオキアミが流れ出して山のようになっていました。破裂した冷蔵庫からたくさんのクジラの死骸が出てくるというイメージから、私は不意にこの写真のことを思い出したのです。 たくさんのクジラの死骸があるという状況なのに、不思議と不快な感じがしません。臭いに関しても、「かくも静かに香るものなのか」と表現が実に優雅です。一方、鉢植えで咲いたマリーゴールドという花は「マリア様の黄金の花」という名前に似合わず、実はけっこう臭いのです。しかもメキシコでは死者の日に使われる花だったりします。死んでいるのに臭わないクジラと、綺麗なのに臭くて死とつながりが深いマリーゴールド。この対比が実に巧みだと思いました。最後にお日様は木靴を履いて、傘を借りて出て行く。雨が止んだ時、空には何があるのでしょうか。読む者の印象を巧みに操作する不思議な詩だと思いました。 (雨ということで)

2017-03-21

白犬さんへ 初めてネット上で「オフトゥン」という言葉を目にした時は、布団と睡眠の関係性を的確に表現した発音に痺れました。ちなみに英語の「often」は「オフン」と発音するのが一般的らしいのですが、地域や時代によっては「オフテン」や「オフトゥン」などと発音する場合もあるようです。「機動警察パトレイバー」の劇場版では、確か後藤隊長が「オフテン」と発音していたはずです。 実は最初に「フォトン」と「オフトゥン」というヲヤジギャグを思いついて、そこからいきなり「レーメーを待ちきれぬ/淡き死に顔」というフレーズが頭に浮かんで、さらに「うるさい」の連呼へ発展して最終的にこの有様です。私としては薄闇と沈黙、そして無機的な美しさを伴う死のイメージが伝わればと思っています。最終連の「レーメー」は、最初からカタカナにするつもりでした。この辺の匙加減は、自分でも凄く微妙な感じです。ニャンコ先生風に「わかるか夏目、私のこの微妙さ加減が!」と叫びたいくらい微妙でしたが、間違ってはいないと思います。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 花緒さんへ 実際には無音なのに、頭の中が音で満ちることってありますよね。この詩の女の子は、まさにそんな精神状態なのです。カタカナと漢字のバランスに関しては、自分でも凄く微妙な(ry 読んでいただいて、どうもありがとうございました。 葛西佑也さんへ 「うるさい」に関しても、最初から平仮名以外は有り得ないと思って書いていました。この辺の匙加減は、自分でも凄く微(ry 「五月蝿い」という漢字表記も確かに五月蝿いのですが、この詩の場合は語り手が若い女の子という設定なので「うるさい」にしました。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 祝儀敷さんへ タイトルがクラウス・ノミの曲名だということに気付いてもらって嬉しいです。詩のパーツが頭に浮かび、それを組み立てている時に頭の中でいきなりあの曲が流れ初めたので、そのまま詩のタイトルに使うことにしました。 「オフトゥン」という言葉に関してですが、前述の通り最初に「フォトン」と「オフトゥン」からスタートしているので、これを抜きに書くわけにはいきませんでした。語り手の設定は若い女の子なので、私としては不自然ではない、たぶん不自然じゃないと思う、不自然ではないんじゃないかな、ま ちょっと覚悟はしておこうという感じでした。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 hyakkinnさんへ 大切なことなので2回おっしゃっていただいたようですが(やめれ)、実は理屈ではなく感覚的に「気持ちがいい」と思っていただけるのがいちばん嬉しかったりします。それが、自分でこだわった部分なら尚更であります。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (Cold Song)

2017-03-21

例えば人が空を見る時、まず目から情報が入り視神経を経由して脳へと至る。そのプロセスは実に複雑で、それゆえにトラブルが発生する場合もある。例えば角膜や水晶体、網膜といった目の部分、視神経、さらに脳そのものに何らかの問題があれば、青い空を現実通りの色彩や視野で見ることができなくなる。そこまで深刻ではなくても、それまで暗い部屋にいたり、別の色を長時間見続けていたりしただけでも、空の青さは他の人たちと別の色合いへと変化する。ましてや、その情報を言葉で他人に伝えるとなると、その確度はさらに低下してしまう。 見えるもの、聞こえるもの、世界、他者……すべては私たちが思っているよりもずっと不確かなものだ。時として語り手のように、しっかりと見たはずの水の色や恋人のシャツの色すら相手に伝えることができなくなる。もちろん、愛する想いもだ。世界はどこまでもクリアであり、私たちは互いにその美しさを正確に伝えあっているという幻想。それに気付いた者だけが、本当の色に近付けるのかも知れない。 (屈折率)

2017-03-21

冒頭の「私は傘になりたい。」は、当然のことながら「私は貝になりたい」を意識していると思われる。違ってたらごめんなさい。(´・ω・`) あのドラマの主人公はなぜ貝になりたいと願ったのか。そして、この詩の語り手はなぜ傘になりたいと願うのか。 私自身、幼い頃から家族との関係があまり良くなかったので、この詩はどうしても自分の体験や心情を重ねてしまう。家庭内の暴君であった父親。DVの被害者でありながら、黙って耐え続ける母親。悪い意味で父親の影響を受けてしまった弟。そして語り手自身もまた、当たり前のことではあるが父親の呪縛から逃れられないでいる。それを象徴するのが「私は父から生まれたんだ」という衝撃的な言葉だ。その後の「この豊かな国に生み落とされた」というフレーズには、鬼束ちひろの「月光」における「この腐敗した世界に堕とされた」を連想させる絶望感がある。人は誰でも自分の意思とは関係なく生まれてくるが、成長の過程においてある者はそれを肯定し、またある者は否定する。ジョージ秋山の衝撃的なマンガ「アシュラ」には、「生まれてこなければよかった」という言葉が繰り返し使われる。自身の誕生を喜べないのは、もちろん世界が悲しすぎ、人生が辛すぎるからだ。この詩の語り手もまた、そういう不幸な人間の1人である。 その次の連では、さらに父親への屈折した思いが吐露される。雨の中をずぶ濡れで歩く父と弟。沈黙し続ける母親。語り手はなぜ傘になりたかったのか。その傘で雨から守りたかったのは誰か。父親、母親、弟、自分自身……もしかしたら家族全員だったのかも知れない。大島弓子の「綿の国星」において、避妊手術を受けた猫はちび猫を見て大切なことを思い出す。自分が忘れてきたのは、寒い雨の日に子猫を包もうとするケープだったのだと。この詩における傘とは、まさにそういう存在なのではないだろうか。違ってたらごめんなさい。(´・ω・`)  (明日も、雨なのですか。)

2017-03-21

了解しました。私としては、オレンジカードの段階で「問題となった投稿の削除」と「期限付きのアクセス禁止」まで出来るようにすべきだと思います。正直、中田さんに関しては、いずれこうなるかも知れないとは思っていました。今さらではありますが、最初から投稿者としてではなく詩や小説や絵画を介した外部協力者となってもらうべきだったかも知れません。私個人は、B-REVIEWが彼とのリンクを切ってしまったことはとても残念なことであり、大きな損失だと思っています。 B-REVIEWを運営管理している方々の精神的、肉体的、経済的負担は大変なものだと思いますが、これからも若い皆さんの才能が花開き、拡散発展していく場となることを期待しております。 (運営からの告知:マナーガイドライン)

2017-03-16

中田満帆さんの件に関して。問題となった部分が削除されているため客観的な判断ができないのですが、オレンジカードではダメだったのでしょうか? 同氏のツイートを読むと、彼にも色々と言いたいことがあるようです。オレンジカードで一時的な書き込み禁止措置にした上で、話し合うという選択肢はなかったのでしょうか? また、今後のこともありますのでオレンジカードに関しては「期限付きのアクセス禁止」という条項を付け加えることを提案します。今回の件に関しても前述の内容であれば、いきなりレッドカードという事態にはならずに済んだのではないでしょうか。 (運営からの告知:マナーガイドライン)

2017-03-16

なかたつさんへ 最終二連の解釈は、三人称への移行も含めてほとんど私の意図した通りです。ここまで作者の希望通りに読んでもらうと、嬉しいのと同時にちょっと気恥ずかしい感じでもあります。 佐藤史生の傑作SFマンガ「ワン・ゼロ」には「打天楽」という続編があるのですが、その中で中国の伝説に登場する鰥(クワン)という魚が出てきます。この魚はずっと眠っていて、その夢がこの世界だというのです。だからクワンが目を覚ますと、世界が終わってしまう。胡蝶の夢にも通じるSF的な発想です。この詩の語り手が本当に女神なら、「バトンタッチ」の時は私たちの宇宙の終わりということになりますね。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (Tangerine Dream)

2017-03-15

思春期になれば、大抵の人はキスとかその先への興味や憧れが出てくるものだと思います。中高生くらいの男女が2人きりになった時に、女の子の方が「ねぇ、キスってしたことある?」と誘うような目で男の子の顔をのぞき込むとかは、昔からの恋愛創作モノのお約束のひとつです。萩尾望都の「10月の少女たち」というオムニバス短編では、主人公の1人であるトウラという女の子が前述のパターンで隣に住む男の子とキスをするのですが、彼が予想以上に「大人」であることに気が付いて、パニックを起こして泣いてしまいます。「新世紀エヴァンゲリオン」でもアスカが同様の展開でシンジとキスをしますが、やはり直後に相手を拒絶する態度をとります。もっともアスカの場合は、シンジがキスしながら抱きしめてくれなかったことで傷ついたのだと個人的に解釈していますが。 とにかくキスやセックスの現実というのは、必ずしも理想通りのものになるとは限りません。この詩に出てくる女の子はキスに憧れていましたが、初めてのキスは理想とは違ったようです。もしかしたら、略奪愛のような関係だったのでしょうか。しかし彼女は第2連において自己弁護に終始します。その主張内容は、むしろ清々しいくらい。でも、この時点で彼女は自分がかつて憧れていたキスと、その前提である愛からは遠く離れた所にいることを痛感しているのではないでしょうか。そんな彼女にとって、その後のキスはすべて味気ないものになってしまっているようです。 最終連は、何となく諸星大二郎の「赤い唇」を連想させました。「妖怪ハンター」シリーズの怪奇短編なのですが、この詩の女の子もこれ以上の深みにはまると「赤い唇」のようなバッドエンドを迎えてしまうのかも知れません。 (唇の皮に色が着くよう)

2017-03-15

最初は心温まるお話だなーと思って読んでいると、心臓の中に小さな氷が投げ込まれたような気持ちになる出来事が起こる。南仏、映画祭、5月、赤絨毯ということは、おそらくカンヌ国際映画祭だろう。様々な差別を扱った作品も頻繁に上映される場で、このような人種差別が行われるという皮肉。 作品では「戦争加害者への差別」が取り上げられているが、実際には国家、民族、人種、文化など様々な要素において、互いに差別したりされたりという状況が今も続いている。特に過去の戦争に起因する差別は、単に第二次世界大戦だけの問題では無く、さらに歴史を遡った様々な因縁がある。過去の出来事について学び忘れないことと、過去の出来事に拘泥してそれに縛られることは似て非なるものだ。新たな差別と暴力を生み出すためではなく、差別や暴力を根絶するためにこそ、人は過去を知り学ばなければならない。この詩を読んで、そんなことを考えさせられた。 ( ダグマ 2)

2017-03-15

朗読に向いている詩だな、と思いました。「血」、「血脈」、「赤い色をした水」と言葉を変えて繰り返される血のイメージ。生まれる。生きていく。足から血を流して歩き続ける。病を得る。そして終わりにたどり着く。人は、自分の始まりも終わりも明確には認識できない。 血に濡れた街と、乾いた声。街が肉体となり、自らの肉体は乾いた声を発する。誰に向けて、何のために。筆力のある方の作品なので、好き勝手に想像しながら読むことができました。 (あの夜の街で)

2017-03-14

6㎜×35行と具体的なサイズを書いているところみると、作者が愛用しているノートなのかなと思いました。筋肉少女帯の「香菜、頭をよくしてあげよう」に登場する香菜ちゃんは本当におバカなのですが、この詩の「私」は自分で言うほど馬鹿じゃない気がします。 この詩において私がいちばん気に入ったのは、真ん中の「僕がきみのことを特別だと思っているのって差別。だから、みんなを嫌うきみだけは世界平和を祈ってもいいよ。」の部分。1人だけを愛することが差別で、すべての人間を嫌うことが平等という発想は実に面白い。こういうのは、若い人ならではの発想ではないでしょうか。 ところで複数の方々が「最果タヒ的」という言葉を使っていますが、「○○的」という印象を読み手が受けたことを喜ぶのか、それとも悔しく思うのか。それによって、この先の作風も決まってくるような気がします。最後の一行も良いですね。その昔、ビートたけしの「貧乏人はまず自分を救え」という言葉に大笑いした記憶がありますが、この詩のラストもそれに通じるシビアな視点があると思います。 (6㎜×35行)

2017-03-14

白犬さんへ 作品というか、語り手である女の子をこんなに褒めていただいて、夜勤続きでヘロヘロな心と身体も活力を取り戻す思いです。クラウトロックに関してですが、私の世代だとジャーマン・プログレという呼び方が主流でした。タンジェリン・ドリーム、カン、グル・グルなど代表的なグループはどれもお気に入りですが、個人的にはクラフトワークが一番好きです。彼らのサウンドの中にある無機質な叙情性を、いつか詩に変換できたらと思っています。 これまでの自分の音楽鑑賞歴を振り返ってみると、イギリスとドイツのアーティストが多い気がします。でも読んでいただいた方はご存じの通り、「ひからびた胎児」は当然あのエリック・サティからきているわけで、ここで「フランスじゃねーか!」と突っこんでいただけると嬉しいです。 ループする世界観というのは、確かに希望にも絶望にもなり得ますよね。今回は、けっこうヘビーな運命を背負った女の子を、なるべく軽やかな感じで描きたいと思っていました。その辺をきちんと読み取っていただき、嬉しく思います。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (Tangerine Dream)

2017-03-14

夢遊病というのはただフラフラ歩き回るだけでなく、けっこう細かい作業とかもやる場合があるらしいのですが、本人はまったく憶えていないそうです。坂田靖子の「水の森綺譚」というマンガでは、主人公の1人である青年が真夜中に起き出して自分でサンドイッチを作って食べるというシーンがあります。それくらいなら微笑ましいのですが、この詩における「彼女」は真夜中にベランダで不可思議な行動をとります。雨の音がしたのに、彼女は濡れていない。ファンタジーやオカルトめいた展開に、読者は引き込まれます。その次は夜の山道を歩くうちに幽霊になり、少し前の自分と出会う男の話。それから写真の中の花と、それを啄む鳥たちと、猟銃を持った指揮者。そして最後に再び夢遊病の女性が登場するのですが、何と彼女は自らの乳で街に雨を降らせていたことが判明します。 この詩において、風景は常に闇の中にあります。真夜中の部屋、夜の山道、暗室。しかし最後の話において、彼女の乳房から吹き出した白い雨が街中を染めていきます。おそらく、雨という名の光を待ち望んでいた人々の目にその白は眩しすぎて、彼らは詩句をこぼしながら「白く溟い」という矛盾した渦に吸い込まれていく。この最終連においてすべての物語がつながる訳ですが、iPhoneによる撮影と昔ながらのフィルム式の写真の対比など、詩に限らず様々なイメージのとらえ方、解釈の仕方、保存の仕方などの違いも、この作品を解読する上で重要な手がかりなのかなと思いました。 (phosphorescence)

2017-03-13

「みんなちがって、みんないい」とか「もともと特別なOnly one」とかって、バカにしたり捻くれた解釈をして「視点の違う俺カッケー」をアピールする人などがいますが、私は良い言葉だと思います。でも「みんな特別だから特別ではいられない」という視点にはハッとしました。それが良いことなのか悪いことなのかは、本人たちの状況次第でしょうけど。 「プレパラート」とか「教科書」、それに「恋愛論」といった言葉から作者は学生さんなのかなと思いました。私は基本的に書き手の年齢とか性別は無視して読む方針なんですが、こういう若さが全面にあふれてくる詩の場合はそうも言ってられない部分があります。「綺麗なものを見るためには汚いものを見ないといけなくて」という部分には、若者特有の潔癖さが感じられます。シェイクスピアの「マクベス」では3人の魔女が「きれいはきたない、きたないはきれい」という呪文をつぶやきますが、人は綺麗なだけ、あるいは汚いだけの世界では生きていけないようです。 日本のフォークソングを語る時、必ず名前が出てくる「かぐや姫」というグループがいます。彼らの代表作の1つである「赤ちょうちん」という曲に、「生きてることは ただそれだけで哀しいこと」というフレーズがあるのですが、人を愛することはもちろん、生きること自体が様々な哀しみや汚いことを知る旅のようなものなのかも知れません。語り手はプレパラートに挟んだ恋心を拡大して、そこにキラキラのフレーズを見つけようとしているのでしょうか。最終行は上手いまとめ方ですが、もう少し真ん中に言葉があっても良かった気がします。およそ紺にてさんの作品を、また読んでみたいと思いました。 (プレパラートフレーズ)

2017-03-13

日本の若い世代の人たちは、広島と長崎への原爆投下や東京や大阪などへの大空襲などを知らない人が少なくありません。「この世界の片隅に」のヒットによって、こうした負の歴史に興味を持つ人が確実に増えたであろうことは、喜ばしいことだと思います。ドイツに関しても、ナチスによるユダヤ人迫害を知っていても、ドレスデン爆撃の悲劇を知る日本の若者はそれほど多くないのではと思います。連合国側のアメリカやイギリスの国民ですら、多くの民間人を巻き添えにしたこの爆撃が必要であったのか疑問に思う者が多かったと聞きます。そして現代においても、ドイツの極右政党などがドレスデン爆撃を政治的宣伝材料に使っているそうです。これは原爆やユダヤ人迫害にも言えることですが、悲劇の本質から目をそらして自分たちの利益に結びつけようとする行為には嫌悪感を抱かざるを得ません。 ドイツの人たちは、ドレスデンの街並みを可能な限り再建しようとしています。語り手は、それを素晴らしいことであると思い、その一方で古い建造物が持つ歴史的価値を顧みない日本人を悲しく思います。まあ例えば英国においてはロンドン大火でロンドン橋やほとんどの木造の建物が焼失しましたが、彼らはこれを新しい都市を造る好機と考えて石造りの建物による新しいロンドンを誕生させました。日本は地震や台風などの災害も多く、歴史の保存と災害に強い街作りの両立という難しい問題を解決していかなければなりません。 それはともかく戦争による破壊と再建、国による歴史観の違い等々、非常に興味深い散文詩だと思います。リルケの「ドゥイノの悲歌」をドイツ語で朗読してもらいテープに録音するという終わり方も、作品の内容を考えれば実に見事なしめ方だと感じました。タイトルから想像すると続きがあるようなので、自作を楽しみにしております。 ( ダグマ 1 [南仏紀行])

2017-03-12

三浦果実さんへ 渡辺美里ですか。ドリームつながりなら「ライオン・ドリーム」とか。色彩のイメージなら「Born To Skip」かなあ。佐野元春ですが、あの曲が入っているアルバムでは「雨の日のバタフライ」が一番好きです。雨の日のイメージを見事に表現した曲だと思うのです。彼の曲のイメージで一番近いものを選ぶとすると、画期的なポエム・リーディング・カセット「エレクトリック・ガーデン」に収録されていた「リアルな現実 本気の現実」ですね。 プログレへの言及ですが、そもそも「Tangerine Dream」というタイトル自体がジャーマン・プログレの代表格のバンド名ですから、書いている時には彼らの「フェードラ」や「ルビコン」あたりの音のイメージがありました。同時に、ビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」の「マーマレードの空」とかも。 あとプログレとパンクの関係ですが、マイク・オールドフィールドはその潔癖な音楽性ゆえかパンクを毛嫌いしており、自分が所属するヴァージン・レコードがセックス・ピストルズと契約した時は激おこで最終的にレーベルから飛びだしてしまいました。圧倒的なテクニックと構成力が売りのプログレから、世の中すべてに不満を持つ街の若者が下手なギターをかき鳴らすパンクへと移行していったのは歴史的必然だったのかも知れません。本来、「もとこ」はパンクが似合うと思っているので、そっち方面の詩も書いてみたいと思います。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (Tangerine Dream)

2017-03-12

homecomingというタイトルから、私はどうしても音楽関係の連想をしてしまいます。ヘイ・マンデーやグリーン・デイの同名曲、さらにアメリカのアルバムなどです。ただ、詩の内容からするとヘイ・マンデーは真っ先に除外されてしまいます。「ハンス・ベルメールの球体関節」という部分が、この詩において重要なパーツなのかも知れません。 なぜ私がそういう解釈をしたかというと、「無数の死体に犯された少女」や「恐怖する子供の両眼を潰せ」というフレーズが、ベルメールの恋人であったウニカの生い立ちを連想させるからです。ただ、作品の全体的なイメージは「怨霊」、「菩薩」、「鳥居」、「土葬者」など極めて日本的です。どことなく神話的な流れの中で、個人的には「トレンチコート」や「覚醒剤と紙幣の束」という部分が浮いているように思われました。 (homecoming)

2017-03-12

失礼なことを言うようですが、以前に文学極道で読ませていただいた黒髪さんの作品と比較すると、別人のような完成度です。最初の二行だけでも素晴らしい。「新しい神の夕べに薪は倒れてカタリという」なんて、額に入れて飾りたいほでです。私は幼い頃、海の近くに住んでいました。砂浜や潮だまりで綺麗な貝殻を拾い集めては、家に持ち帰っていました。それは私にとって、海を持ち帰る行為でした。この詩を読んで、あの頃の気持を思い出しました。 敢えてこの日に「美しい波と時よ/命の永遠よ」という詩を投稿した黒髪さんに、心から敬意を表します。 (海)

2017-03-12

その昔、のりピーこと酒井法子は「うれピー」という言葉を普及させました。そんなことを憶えている世代にとっては違和感のない「かなC」というタイトル。そして内容もかなC。というか、残念すぎる。 まず冒頭からかなC。蛍光灯が古くなって点滅する部屋ほどかなCものはありません。私は織田信長より長生きしているので、これまでの経験からあらかじめ予備の蛍光灯を準備しております。それはともかく、語り手は何で蛍光灯が切れたくらいで髪を切ったのか。女の子なら失恋して切るというお約束もありますが、おそらく語り手は男の子です。蛍光灯が切れたくらいで世の中の事がどうでも良くなるとは、いったい彼に何があったのでしょうか。でも世の中には太陽が眩しいとか月曜日が嫌いという理由だけで人を殺す連中もいるくらいですから、彼の中にも人々の想像力では解読できない感情が芽生えたのかも知れません。 それにしても残念すぎるラストシーン。虫眼鏡で黒点を炙るのは、もっと早く卒業すべきでありました。もう40年くらい前の笑福亭鶴瓶の「オールナイトニッポン」で、男の子が風呂場で自家発電をして発射した直後に親が入ってきた時に、「これ、リンスでんねん」と苦しい言い訳をしたというエピソードを思い出しました。がんばれワカゾー(何から何まで古い (かなC)

2017-03-12

私は基本的に詩というのは作者の年齢や性別や職業や障害や病歴などに関係なく書かれ、読まれるべきだと思っています。ですが、やはり被災地に近い場所(と解釈しました)に住んでいる方の言葉と作品は重く響きます。 >生命の母が僕らを虐待したのか >僕らが自ら奈落に落ちるのか >無駄に作って光って爆発 >垂れ流しあう虚無と虚言 原発を作る時、維持する時、事故が起こった後の処理、それぞれに搾取が存在します。それは過去の告発本を読めば明らかです。「柄杓に掬う煌めく原子」は、東海村の臨界事故のことなのか、それとも福島の原発事故の事後処理のことなのかと考えながら読みました。そしてこの詩を読みながら、私は佐野元春の「警告どおり計画どおり」を思い出していました。さらにブルーハーツの「チェルノブイリ」やRCサクセションの「ラブ・ミー・テンダー」や「サマータイム・ブルース」も。 職業上の守秘義務があるので具体的なことは書けませんが、私もこうした問題とは無関係ではありません。批判するにせよ賛同するにせよ、大切なのは正しい知識と情報です。いちばん批判されるべきは、情報を隠蔽する連中です。そうして奴らは、確かに存在するのです。 (メルトダウン)

2017-03-11

なるほど、女の子の視点でしたか。「ジッと見てるの」を見逃していました。その視点なら「ふり」の意味も理解できます。昔の小説やマンガや映画なら、女の子は実際にタバコを吹かして咳き込むというお約束があったのですが。今どきの女の子は「ふり」のあとに口笛を吹くんですね。素晴らしい。 (あたらしい夜のポリシー)

2017-03-11

かつてザ・フーは「マイ・ジェネレーション」でこう歌った。「ジジイになる前に死んじまいたい」。今でも多くの少年少女たちがそう願う。そして、そのうちの僅かな者たちは自らの行動でその願いを果たす。 幼い少年と少女の、幼い愛の形。少年は少女の額に銃口を突きつける。それが彼らの愛を聖なるもの、永遠のものにすると信じて。少女は言う「殺して、」。少年を愛するがゆえに。「僕らは反射 僕らはコピーアンドペースト 僕らはゴースト」というように、彼らは無垢な魂の双子であり、鏡を隔てた実像と虚像なのだ。 「君の頤に充てた僕の舌を/柔らかな飛沫がそっと濡らし」という部分は「この静かな柔い女神の行列が/私の舌をぬらした」という、西脇順三郎の「雨」を連想させる美しさだ。幼い交わりを繰り返し、少年と少女は終わりを予感する。だからこそ……少女の額に銃口を突きつけて、少年は引き金を引くのだろうか。 (ring)

2017-03-10

この詩の中で、語り手はタバコを吸うふり、その煙で空に文字を書くふり、そして流れていないジャズを聴くふりをします。精神のパントマイムを演じながら、彼は踊り続けます。あるいは、それも「ふり」なのかも知れません。 「気持ち悪いくらいの青い日」って、確かにありますよね。発狂しそうなくらい青い空。ピンク・フロイドの「虚空のスキャット」が脳内に流れるような空。 https://youtu.be/cVBCE3gaNxc そして、そんな青空を経て、今は夜。あたらしい夜。だが「わるくない」と思っていた語り手の元へ不意に届く寂寞。そこで彼は夜明けを願い、祈る。語り手が本当に待ち望んでいるのは、あたらしい夜なのか、それとも新しい晴天の日なのか。作者の意図を読み切れたとは思えませんが、私は「わるくない」と思います。 (あたらしい夜のポリシー)

2017-03-10

これはもしかして私の「フラワー・オブ・ロマンス」への返歌なのかなとか、自意識過剰な胸の高鳴りを自覚しながら読みました。「ポーの一族」のメリーベル、「ベルサイユのばら」、「薔薇のために」等々、薔薇というのは昔から少女、あるいはその純血さの象徴でありました。この薔薇と少女の美しくも妖しい関係性を暴くように描いた傑作アニメが、「少女革命ウテナ」であります。 https://youtu.be/FmCys68ELpg さて、「薔薇の下から/少女の唄声が聴こえる」という衝撃的なオープニング。かつて梶井基次郎は「桜の木の下には死体が埋まっている」と書きましたが、美しく咲き乱れる薔薇の下から聞こえる少女の歌声というのは、それに匹敵するインパクトです。薔薇の下の少女とは、一体何者なのか。ブラッドベリの小説「泣き叫ぶ女の人」では、土の下から女性の歌声が聞こえてきます。それと同じオチなのか? いや、それにしては埋まっている期間が長すぎる。それでは、少女の亡霊か? 私の貧弱な想像力を嘲笑うかのように、物語は驚くべき結末を迎えます。薔薇の下に埋められていたのは、語り手が「女に成る前に埋めた、大切にしていた人形」だったのです。人間と人形が巧みに入れ替わる幻想的なストーリーは珍しくありませんが、この詩においては人形と語り手の関係性などの設定が物語の流れを新鮮なものにしています。純粋な少女が壊れることなる大人になるためには、この儀式が必要だったのでしょう。本当に、お見事としか言いようのない作品でした。 (「薔薇の下」)

2017-03-10

おや、文学極道だけでなくこちらにも同じ作品を投稿されたんですね。せっかくなので、あちらに書いた感想に少し付け足して書いてみます。 私にとっては意味不明な詩ですが、「溶け出した蝋が再び固まるまでの猶予の間」とかは原発事故のことかなとか、「穴の開いた風に運ばれて/永久凍土は動き出す」は、オゾンホールや地球温暖化のことかなとか、「187」が殺人のスラングなら「鋭く尖った鉛の国」はアメリカのことかな、などと考えながら読みました。意味が分からないのに読んでいて面白いのは、言葉選びのセンスが良いということだと思います。 「臍の緒が路面を封鎖する」は、その奇妙なイメージが頭の中で映画のワンシーンのように展開されました。次の作品でもこの不思議テンションを維持できるのかどうかが、今から楽しみです。 (火の子)

2017-03-10

呪文かあ……私が死ぬほど好きなマイク・オールドフィールドの4枚目のアルバムは「INCANTATIONS」で、日本語タイトルは「呪文」です。レコード2枚組で1曲というその大作を聴いて感動した私は、学生向け雑誌の文芸コーナーに「呪文」という詩を投稿して掲載されたことがありますが、同じタイトルでこれだけレベルの高いものを突きつけられると正直ヘコみます。ちなみに、その時の選者は吉増剛造氏でした。 平仮名だけで構成される詩も、今では表現スタイルのひとつとなっている感じです(平仮名なのに)。それゆえに、このスタイルで書く場合は読みやすさや平仮名だけにする意味とかが大切だと思うのです。そういう意味で、この詩はタイトルの通り平仮名の言葉たちが呪文のように並べられて、読み手の心に働きかけます。ただ、歳のせいかもう少し削ってもらえると良かったかなーとも思いました。 (呪文)

2017-03-10

何となく、懐かしい文体だと思いました。堀口大學訳のランボー(ランボオ)詩集が近いかも知れません。特に前半は旧仮名遣いにするとランボーの未発表作の翻訳と言われても信じてしまいそうです。ランボーと言えば彼をテーマにした1980年代のサントリーのCMがあって、実に印象的だったのを憶えています。三浦さんがコメントで言っている「ウィスキーのCM」は、たぶんこれのことだと思います。あのCMの制作者は、たぶんドアーズの「まぼろしの世界」を意識したんじゃないかな。https://youtu.be/hy-z421FwGQ 目まぐるしく変わるイメージの散歩道を歩く語り手は、果たしてどこへたどり着くのか。瞳をコインとして自販機から転がり出したトマトの味を知りたいと思いました。 (骨董屋 改訂版)

2017-03-09

「照る」と「出る」、「図解」と「頭蓋」、さらに「月に要と書いて腰」といった真剣な言葉遊びが楽しい。「ヒュー、ストン」のギャグは小学生の頃にあったなあ。「ヒューストンから発射されたロケットが、打ち上げに失敗してヒュー、ストンと落ちた」みたいな。秋田のお米は美味いから、個人的には飽きることがありません。語り手が本当に飽きたのは、生きることそのものなのかも知れないなと思いました。 シド・ヴィシャスの名前を久しぶりに目にした気がします。ばちかぶりの「未青年」の中の「Boys, Be Sid Vicious」というフレーズが好きです。私自身はシド・ヴィシャスではなくシド・バレットになりたかったですが(どうでも良い情報 「お前それでも中2でCのコードが弾けただろう」は、ギターを手にしたことがある人なら誰でも胸が熱くなるフレーズです。私はいまだにFが上手く弾けません。全体的にユーモアに満ちているように思えたこの詩は、ラストの二連でその哀しみを露わにします。江戸時代に椿が侍に忌み嫌われたという話は、確かに今の若い人たちは知らなーいかも知れません。最後まで哀しいままかと思ったのですが、最後の「馬鹿野郎」でビートたけしのオールナイトニッポンを聴いていた世代の私は「クスッ」と笑ってしまったのでありました。 (営み)

2017-03-09

ハイヒールの持つ攻撃性を全面に押し出したような詩。第一連の最初の二行は「の」の連続で最初からスピード感があります。アスファルトに穴を開け、マンホールを踏み抜く凶器としてのハイヒール。この詩において、彼女は完全にheel(悪役)です。彼女が狙う相手は、挑発の舞を舞いながら待ち続ける。ハイヒールの彼女の中にあるのは復讐か、それとも激しい愛なのか。想像力をかき立てる激しい詩でした。 (Heel improvisation)

2017-03-09

「雨を薄めて飲む」という出だしから素敵です。美少女の指先から滴る希釈された雨水を口に受けながら、「大切な何か」を零してしまう語り手。第三連も含めて実にエロティックです。「るーかさいと」「まーじなる」「えっせんれ」という不思議な祈りの言葉たち。「るーかさいと」で「ギルティクラウン」、「まーじなる」で萩尾望都を連想してしまいましたが、おそらく関係はないでしょう。 後半は不思議な祈りの言葉と、その翻訳のようにも思えます。全体を貫く透明で優しいイメージ。舌先で心地よさを味わうような詩です。 (約束印の絆)

2017-03-09

最初のフレーズで何となくルノワールの裸婦像を連想したものの、そのイメージが固定する間もなく梟は鳴くわ鉱石の蛹は落下するわで、私の頭は語り手のイマジネーションの連射によって蜂の巣にされてしまいました。それにしても鉱石の蛹からは、いったい何が出てくるのでしょうか? 第二連もルイス・キャロルのような不思議の連続が、読み手を言葉の迷宮へと誘い込みます。 全体的に言えることですが、第四連は特に童話的です。それも本来の童話のように残酷さが剥き出しになった感じがあります。子犬の部分は「かってに改蔵」の羽美ちゃんがハムスターを(以下、自粛)を連想しました。お願いだから助けてあげて! 最終連の「拳銃」ですが、個人的にはこの部分だけ少し違和感がありました。ククリナイフとかじゃダメなのでしょうか。目の充血した蟻は、普通サイズではなく巨大なものを想像しました。あるいは、読み手自身が作者の魔法によって蟻よりも小さくなってしまったのかも知れませんが。 (プリン)

2017-03-09

「新世紀エヴァンゲリオン」が(色々な意味で)衝撃的な最終回を迎え、そこから社会現象になって色々な考察本が出ていた時期がありました。その時、OP曲の「残酷な天使のテーゼ」に関しても、その歌詞に関して様々な憶測が飛び交ったのですが、後になって作詞家が「企画書斜め読み&2話分のビデオ早送りだけの情報で書いた」と発言して皆が一斉にコケたのでありました(でも個人的は、その情報量であれだけの歌詞を書けること自体が才能だと思いましたが)。そんなわけで、深読みとは意味の新たな地平を切り開く行為であると私は思うのであります。 昼夜で姿が変わる話は昔から伝説や童話などにありましたが、最近ではアニメ「ふらいんぐうぃっち」で「昼は犬で夜は人間」という女の子キャラがおりました。個人的に好みです(どうでも良い情報)。ジム・モリソンに関しては、学生時代からかなりハマったアーティストの1人なので、そういう連想に至った次第です。それからイグアナですが、タモリはイグアナの形態模写が持ち芸のひとつ。萩尾望都には「イグアナの娘」という傑作短編があって、菅野美穂主演でドラマにもなっています。 樹影からの下りの説明、納得であります。とにかく白犬さんは基本的な文章力がある方だと思うので、次はさらにパワーアップした物語詩を期待しております。 (透明な日曜日のトカゲ )

2017-03-09

えーと、三浦さんのボケの後に感想を書くのは実にハードルが高い感じなんですが、まあいつも通りにやらせていただきます。 まず、作者は相当の教養の持ち主と思われます。だって三浦さんが読めないような漢字を使うんだもの。私だって「水曜どうでしょう」を知らなかったら、読めなかったと思います(ごめんなさい嘘です さて、タイトルの一擲は、最初の行に出てくる賽子と合わせれば「乾坤一擲」であることは間違いないと思われます。人生は文字通り賽子勝負のようなもの。それは運命のそのもののように抗えないものなのか、それともその運命そのものを変える力が存在するものなのか。文体は流麗にして私のような無学には難解な部分も多い。しかし、その難解な表現すら心地よいのは筆者の力量と言えるでしょう。第一連は賽子に代表されるように日本的かつ古風なイメージ。しかし第二連になると、おフランスの風が吹いてくるのである。「テーブルには一枚の布があり/大切なものはみなそこに置かれている」は出来すぎなくらい格好いい。 それ以下は人間賛歌、人生賛歌と読むことも出来る。誕生の奇跡、出会いの奇跡。生まれることは死ぬことであり、人生は束の間の夢である。しかし語り手は最終連において「多次元華」という言葉を持ってきて、道の果てに古里の小道へと至ると説く。そう、彼は永遠を信じるものなのだ。そして私もまた、彼がこの詩で展開した思想を支持したいと思うのであります。 (一擲)

2017-03-08

最初でいきなり笑ってしまって、その後で「いや、笑えないだろ」と思い直す初春の夕暮れ時。この詩において血は青い。青い血と言えば使徒とか「ブルー・クリスマス」とか貴族とか色々と連想しますが、ここでの青い血とはどういう意味なのか。それはともかく「もうコイツがツチノコでいいんじゃない?」とは、ずいぶんとランボーであります(詩人だけに)。ツチノコに関しては「でかい獲物を飲みこんだヘビを誤認した」という説もありますが、私にとってはフード付きパーカーを着て一本歯の下駄を履いた可愛い女の子のイメージなので、この提案には同意出来ません。 さて、語り手は冒頭ですでに死んでいます。餓死、幽体、死、ヘビに飲まれたネズミ、腹をかっさばく(切腹)、卒塔婆、英霊と、この詩は死に満ちている。そういえば山口百恵の「死と詩」は隠れた名曲です。物語が英霊という言葉を嘘にすることに失敗した後に、軍隊の行進する音が聞こえてきます。ザクザクザクザク……そう、この争いは地球連邦とジオン公国の一年戦争なのです。あの戦いの後もガンダム世界では何度も戦争が繰り返されていますが、私たちの現実においても世界はどんどん焦臭くなっています。この詩を読んでいる私たちも、明日には英霊候補となっているかも知れません。 物語の始まりで死んでいた語り手には、すでに皮膚も骨も呼吸もない。何もない語り手のポケットの中には、冴えた眼を持つ石が入っている。その眼が見据えるのは、いったいどんな世界、どんな未来なのか。ここまで書いて私はこの詩の語り手が、山上たつひこの「光る風」のラストで倒れた主人公・六高寺弦の亡霊ではないかと思えてきたのでありました。 (石の眼)

2017-03-08

この詩におけるアンカーとは何なのでしょうか。風に漂い、時に流される自分をつなぎ止めるために射出されるアンカー。もしかしたら、それは言葉であり詩そのものなのかも知れません。だとすれば、語り手は自分を何につなぎ止めたいのか。それは場所なのか、それとも人、あるいは集団なのでしょうか。 第一連は魅力的なスタートでしたが、それを受け止めるには第二連が弱い感じがあります。そもそも、もう少しアンカーとそれがつなぎ止めるものに関する描写があっても良かったのではないでしょうか。「性懲りもなくエネルギー」には、思わず「がんばれ」と言いたくなりました。 (ポエジー)

2017-03-08

こ、これを読んで私に何を言えと。(^^;;) まあ一言で片付けようとすればこんな感じなんですが、ここは意味から解放された言葉と記号のカーニバルであると好意的に解釈して踊り踊るならチョイト東京音頭 ヨイヨイと浮かれていたら、最終連プラス最後の1行で急に優等生ぶって佐藤君はずるいと思います。それはともかく「キティさんがキティちゃんになる」のが若返りだとすれば「キティさんがベティさんになる」のは著作権的に問題ないのか、総理の考えをお聞きしたい。 (濫作)

2017-03-08

詩の解釈って世代によっても変わってきますよね。私は「トカゲ」と言えばリザードキングことドアーズのジム・モリソンであり、「イグアナ」と言えばタモリと萩尾望都です。ところで、この詩における「僕」と「君」とあなた」と「私」と「貴方」の使い分けに、意味はあるのでしょうか? もしも明確な意図があって使い分けているのであれば、私はそれを読み取ることができませんでした。 タイトルをはじめとして魅力的なフレーズがいくつもあるんですが、ドラッグレースで勢いよくスタートしながら途中でエンジン・トラブルを起こして失速した印象です。即興で書いたとすれば素晴らしいのですが、考えながら書いたのであればもう少し工夫が必要だと思いました(ここで「具体的にどんな工夫ですか?」とか聞かないこと。答えられないから) 「樹影」から始まる連は、前半を削って蜥蜴に関する描写に集中した方が良かったのではないでしょうか。「あなたは蜥蜴に似ているね」と「あなたは優しい蜥蜴のようだね」という同じような表現を並べたのは、語り手の饒舌さを表現するためであればもう少しくどい言葉を羅列すべきだったかも知れません。一方、「ところで、あなた、だれ?」は良い感じ。 結局、蜥蜴とは何だったのか。タイトルが「トカゲ」で文中で「蜥蜴」なのはなぜか。人間も半世紀以上生きていると、つまらないことが気になります。それはともかく、全体的にもう少し具体的な物語性があるともっと読み応えがあるものに仕上がる気がします。たとえば昼間は人間で、夜は蜥蜴に戻る男とか、そういう設定で書いたりしたら面白いかなと思いました。 (透明な日曜日のトカゲ )

2017-03-08

じのぶんのおはなし。縮めると「じぶんのおはなし」、「ふーあーゆー」と問い続ける自分。時には鏡の中の自分ですら、何者か分からず「ふーあーゆー」と問いかけてしまう。自分が愚かだと感じ、一滴の水すら飲むことが許されないのではないかと自己嫌悪に陥ってしまう語り手。彼は地の文だけの世界へ逃亡しようとした。しかし、そこで「ふーあーゆー」と言ってしまう。次の瞬間、彼は地の文だけの世界から追放されることだろう。それでも彼は言わずにはいられなかったのだ。 たぶん作者の意図とはまったく関係ないと思われますが、私は「ふーあーゆー」でザ・フーの同名曲を思い出しました。ギタリストのピート・タウンゼントがクラブで泥酔して、最終的に警察沙汰になった失敗談から生まれた曲。あの曲の歌詞は、何となくこの詩とつながっている気がします。英語は苦手ですけど、そんな気がするのです。 (じのぶんのおはなし)

2017-03-08

hyakkinnさんへ 気に入っていただいて素直に嬉しいです。確かに削ろうと思えば何とかなるんですけど、この歳になるとカルピスも薄めが美味しいと感じるのです。この詩はタイトルが先に浮かんで、そこから連想される言葉のパーツを元にして一気に書き上げたものです。 ところで今さらなんですが、皆さん「Tangerine Dream」がバンド名だということをご存じなんでしょうか? 私は彼らの音楽はもちろん、バンド名から連想される色彩のイメージが大好きです。それはビートルズの「Lucy in the Sky with Diamonds」に出てくる「ママレードの空」という言葉にもつながっていて、今回の詩における柑橘系の色と宇宙の闇のマーブルの材料になりました。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (Tangerine Dream)

2017-03-08

そのまま読めば、それなりに年輩の方による野跡駅を降りた後の気ままな散策記録ということになりますが、実は若い方がそういう手法で書いたものかも知れません。書き手の情報がゼロに等しい状態で読むというのは、本当に楽しいものです。 名古屋と日清戦争と言えば第三師団。「家臣を呼ぶ」から織田家や徳川家と繋がりの深い名古屋城へ。さらに弥生時代へと思考は自由に飛躍する。筆者はかなり歴史に詳しい方のようです。名古屋で弥生時代と言えば晴海大遺跡などが有名ですが、かつては非常に大切にされた田んぼに、今はゴミが捨てられている描写から一気に現代へと引き戻される。タンポポやナズナや仏の座はともかく、今の若い人は犬ふぐりとか知っているのでしょうか。知らない人は、山岸凉子の「天人唐草」を読みましょう。 個人的に一番「詩」を感じるのは、「勿論田の中だって土だらけなわけで/土の無い箇所は無いと気付く」の部分です。この語り手の「気付き」が、読者をハッとさせる。地形を考えれば、おそらくこの散歩はかなりの長時間だったものと思われますが、当然のことながら行く時に見かけた猫の姿は帰り道はなく、空には春の月が浮かんでいる。優れた私小説のような詩でありました。 (日清戦争)

2017-03-07

ユーカラさんへ いま、過去のコメントをチェックしていてユーカラさんへの返信が反映されていないことに気が付きました。普段はテキストエディタで書いてから貼り付けるのですが、この時はうっかり直接書き込んでいる途中で時間切れになってしまうというアクシデントがあり、全面的に書き直したつもりが途中からになっていました。大変失礼しました。 平塚らいてうは「元始、女性は太陽であった」と宣言しましたが、私は女性に対して(妊娠や出産の有無にかかわらず)自らの中に宇宙を内包しているというイメージを持っています。ご指摘の連は、マグダラのマリアや各宗教における「救世主の降臨」、さらにRCサクセションの「ロックン・ロール・ショー」における「役立たずの神様」という歌詞やニーチェの「神は死んだ」といった様々なパーツで出汁を取りました。さらに中学生くらいの頃に読んだ古賀新一の「妖虫」というホラーマンガがありまして、この中で主人公の青年は奇病にかかり怪物として再生した後、どんどん若返って最後は赤ん坊になって死んでしまいます。このイメージが「老いた赤子が産み落とされる」というフレーズの元になっていると思われます。たぶん。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (彷徨)

2017-03-06

面白い。ぐいぐい引っ張られるようにして、最後まで一気に読んだ。とにかく文章力がすごい。特に会話シーンは絶妙だ。全盛期のハードボイルド小説や、懐かしの60年代アクション活劇映画を彷彿とさせる軽妙なやり取り。アイス・クリーム売りの屋台型タイムマシンという設定が、まったく無理なく成立している。夜の女たちの通り名も最高。最後に何かオチがあるのかと思ったが、そんな読者の期待をあざ笑うかのように物語は小粋に終わる。 この主人公による、毎回舞台設定が異なるシリーズとか読んでみたい。中田さん、本が出たら必ず買うから、できれば「夢沢那智賛江、中田満帆与利」とサインしてください。 (出禁になるための散文)

2017-03-05

桐ヶ谷忍さんへ 実はこの詩を投稿する時に、けっこう迷いがありました。初代ウルトラマンや仮面ライダーをリアルタイムで観ていた世代のおっさんが、今では家族で「サーバルちゃん可愛いよね」とか「父ちゃんはトキとツチノコが好きだ」とか言い合っているおっさんが、こういうテーマの詩を出して良いのか。いや、そもそも書いて良いのかとすら思いました。でも、私の中の「もとこ」は幼少期から確かに存在し、女としての感情を持ち、恋をしたり苦しんだりしてきました。私は彼女のためにも、どうしてもこれを書きたかったのです。 また一方で、この詩は高校生の頃に付き合っていた女の子たちへの罪悪感の裏返しでもあります。男というのは事前と事後で自分でも驚くほど気持が変化してしまう生き物です。体育館のステージ下の倉庫でキスした後に「ごめんなさい先輩、今日はダメなんです」と言われた時に、私は間違いなく心の中で舌打ちしていました。そして後で心がクールダウンした時、私は自分の酷薄さに愕然としたのでした。あの時、私は彼女を本気で愛しているつもりでした。でも私の中には、薄汚い欲望に動かされる「男」も確かに存在していたのです。母と娘、男と女、様々な関係性は、最初のちょっとした躓きによって取り返しのつかないほど壊れてしまうものです。この詩の根っこにあるのは萩尾望都の「ポーの一族」であり、つげ義春の「紅い花」であり、「少女革命ウテナ」であり、山岸凉子の「天人唐草」です。特に「天人唐草」は、具体的なストーリーの部分でかなり大きなウエイトを占めています。残念ながら実際に出来上がったものはこれらの名作に遠く及びませんでしたが、それでも最後まで書けたことは良かったと思っています。 この詩を投稿した時は女性読者からの拒否反応があることも覚悟していたので、桐ヶ谷さんのコメントは本当に嬉しくて、救われた思いです。本当にありがとうございました。 (フラワー・オブ・ロマンス)

2017-03-05

語り手は春の中にいる。ぽかぽか陽気で眠たくなっている。平和な情景に思われるのだが、語り手の中には哀しみがある。 「私は春の中にいるのだけれど、私の春は過ぎ去ってしまった」 人は通り過ぎてから、二度と戻れなくなってから、二度と会えなくなってから、二度と抱きしめられなくなってから、ようやく気が付く。今も、リアルタイムで春の中にいる人たちがいる。笑いさざめく彼らの声を遠くに聞きながら、春に戻れぬ語り手は春の中に立ち尽くしている。青春が遠い過去になってしまった私は、こんな風な読み方をしたのでした。最終連が特に切ないです。 (春の熱情)

2017-03-05

テレルジ、キュレ、ヨリーン・アム。そんな事を考えているより、写真集を観ている何倍も幸せだったのだ。 この部分、おかしくありませんか? それとも意図的? あるいはただ単に私の読解力が不足しているだけなのでしょうか。「写真集を観ている方が何倍も〜」ならわかるのですが。それはともかく、この詩ってモンゴル必要ですか? もし必要であるならモンゴルの人がこの詩を読んだ時に、どうい感想を述べるのでしょうか。とても興味があります。全裸で馬に乗ってモンゴルの草原を駆けるのなら分かるのですが、この内容だとただのストリーキングですよね? つーか、今どきストリーキング知っている人いるのか? 愛を認識できないこの主人公は間違いなく大切なものが欠けているのでしょうが、そもそも人は誰でもどこか欠けているものなのではないでしょうか。それにしても主人公を恋人にして、別れを告げられても「じゃあ一回別れよっか。そんで、気が変わったら連絡してよ」と言える彼女は本当にすごい。私が主人公だったら、この言葉を聞いた時点でプロポーズしてますよ。彼女なら、主人公が無職になり、鬱病になり、迷惑を掛けるような存在となっても大丈夫でしょうね。これって、実際は別れてないし破局もしてませんよね。語り手はもう、彼女の術中にはまっているのではないでしょか。 (愛とモンゴル)

2017-03-05

私は、詩を作者に関する情報抜きで読んでもらいたいと思っています。年齢、性別、病気や障害の有無等々。ここで「もとこ」という名前を使っているのも、そのためです。ただ、この詩に関してはストレートに語り手の年齢が分かってしまうので、ありのままに読むのが作法なのでしょう。 いやいやいや、中1から付き合ってたってか! しかも、そのまま3年間!! 私なんて、中学校時代の恋は告白されて付き合ってはすぐに終了、告白されて付き合ってはすぐに終了の繰り返しだったのに。いや、私のことはどうでもいい。ともかく中学生にして「ニセモノの涙は人を殺してしまうのだ」という言葉に出会うとは。涙と雨に比喩は真新しいものではありませんが、ここまで真っ直ぐ突きつけられると言葉を失います。 「わたしは紛れもなく青春の人です」 何と誇らしい宣言でしょうか。青春の真っ只中にあって、青春を自覚し実感できる人は稀であります。この時点で、語り手の勝利は保証されたのであります。飛びだせ青春!(ああ、やはり歳がw (雲)

2017-03-04

繰り返される日没。夜は来ない。だから朝も来ない。ゴミ箱に弁当の中身を捨てるという、米粒1つ残しただけで父親から殴られた私には耐えがたいオープニング。丸善の書棚にレモンを置いて立ち去るような凶悪さ。 子どもたちの中に人形が混じっているという。そういえば押井守は「INNOCENCE」において、子どもと人形の関係性について語っていた。果たして、最終連において子どもたちはすべて人形と化した。語り手にとって世界はモノクロームで、都市の中を行く彼はマロニエを見たロカンタンのように嘔吐する。異質な世界と異質な自分。違和感はやがて現実の姿となって母が横たわる部屋を、世界を水没させる。神様が傍聴席に座る法廷で、裁かれる者は誰なのか。なぜ彼は被告席にいないのだろうか。 ここまで書いて、ふと思った。なぜ語り手は弁当を捨てるのか。それは食べる必要がないからでは? だとすると、彼もまた人形なのかも知れない。そもそも人間なんてララーラーララララーラー♪ いや違う、人間なんて最初からこの世界にいたのだろうか。 朝っぱらから様々な妄想をかき立てられる、素敵な詩でした。 (セパレータ)

2017-03-04

タイトルと最初の2連とゼノンのパラドックスの関係が、私にはさっぱり分からないのです。ですが「切ったことのないアキレスに怯えて準備運動をする」というのは、すごく良く分かります。このフレーズを思いつくクヮン・アイ・ユウの発想、実にユニークですね。そして「例えばお前、恐怖を詰め込んだお前期限切れです」の部分は、実に恐ろしい宣告に思えます。さっぱり理解できないまま、それでも最終連はなぜか不思議な詩情を感じさせられるのでした。 (好き)

2017-03-03

私は鈍い方なので、最後まで読んでやっとタイトルの意味とか「箱入り姫」の正体が分かったという有様であります。オチに気付いてからは、「君と僕とが踊った環状線が」以降が短い童話のように展開していきます。最後に、もう一捻りほしかった気もしますけど、後半のシーンは素早く描かれていく絵が目に浮かぶようで素敵だと思いました。 (pencil)

2017-03-03

Migikataさんへ 語り手を人間とするならば、やはりそういう解釈になりますよね。それにしても設定がリアルすぎ。「百億の昼と千億の夜」のディラックの海ですが、シッタータとオリオナエは消えてしまったはずなのに、阿修羅王が意識を宇宙へ拡散させた時に彼らの気配を感じるんですよね。これだけ絶望的に膨大な時間と空間を持つ宇宙が外の世界の反応炉における小さな乱れにすぎず、その外の世界の外にもまた……という仏教的な壮大さを持つSFでした。 望まれない神話における期待されなかった女神様は、ディラックの海で次のバトンタッチを待っている。もしも次の女神候補が現れなかったら、彼女もまた「ひからびた胎児」になるのかも知れません。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (Tangerine Dream)

2017-03-03

それを何と呼べば良いのか。スライドショーにして流される「名付け難いもの」たち。大切なものは大切さゆえに、どうでも良いものはどうでも良いから、名など付けられない。名前にこだわる、名前を否定する、名前を捨てる、名前を葬る。それでも顕微鏡を覗くと、そこには名前がある。それは生に似ている。素敵なことだ。それは死に似ている。恐ろしいことだ。実に巧みな構成の詩だと思いました。 (呼称)

2017-03-03

パーツとしての単語も構成された文章も紡がれた物語も、斬新さを目指しながらすでにどこかで見たようなものばかりな気がします。「轟々と息を吐く父親の貌をした雨雲」とか「遺された赤い水兵服だけが波間で鸚鵡貝の無数の仔を孕んだ」という部分はハッとさせられました。このテンションを最初から最後まで維持できなかったのが残念です。また、この長さくらいの作品を、言葉のスタミナを蓄えて一気に書き上げてみてほしいと思います。 (dead end)

2017-03-03

hyakkinnさんへ えー、「もとこ」とは吾妻ひでおマンガの有名キャラである阿素湖素子であり、新井素子であり、草薙素子でもあり、それらとはまったく関係ないかも知れないわけでありますが、新井素子のデビュー作に「あたしの中の……」という作品がありまして、彼女の作品において「あたし」というのは基本的な一人称なわけであります。子どもの頃から思春期にかけての知識や経験から、自分を前面に押し出す女の子や、男性から女性になった女性は「アタシ」という一人称を使うことが多いというイメージがあります。「もとこ」が「アタシ」を連呼するのも、そういう理由からではないでしょうか。 この詩に関しては特に語り手の饒舌さを前面に押し出してみたのですが、私の力量不足でそれが冗長さとなってしまったのは残念であります。ちなみに「薔薇」と「王子様」と言えば「少女革命ウテナ」なわけで、あの作品も今回の詩を書くきっかけのひとつでした。この方向の詩は、あと1編くらい書いてみたい気がしますが、その時は饒舌さを上手く表現したみたいと思います。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (フラワー・オブ・ロマンス)

2017-03-03

私は鈴木清順監督の映画をそれほど観ていない。初めて観たのは「けんかえれじい」だ。TVドラマから興味を持って観たのだが、映画館でのリバイバルだったのか深夜映画だったのか記憶が曖昧だ。私の大好きな大藪春彦の作品を映画化した「探偵事務所23」と「野獣の青春」(原題「人狩り」)の監督でもある。そういえば彼の生き方、美学は大藪に通じるものがある気がする。そして、それ以上に筆者である中田満帆氏自身が、まさに鈴木清順の生き方を理想としているかのようである。 これまでの作品やエッセイでも分かるように、中田氏の鈴木作品への造詣の深さは凄まじいものがある。おそらくは鈴木清順監督だけをテーマに、本を一冊出せるレベルであろう。私も大藪春彦に関しては負けないつもりだが、中田氏のようにその生き方にまで反映させているだろうか。この鈴木清順監督のに精通した者だけが書ける追悼詩を読む時、私は恥じ入る風情になってしまうのである(大藪春彦的表現 (鈴木清順が死んだあとに)

2017-03-03

他の方々と重複しますが、母親に関するパートを入れる必要性があまり感じられません。語り手の少年時代と冷戦と原爆を絡めて表現しようとするアイデアは良いですが、それぞれの時代をきちんと切り貼りしているとは言いがたいと思うのです。 あと、原爆についての発言や創作物を目にするたびに思うのですが、どうして広島と同じくらい長崎についても語られないのでしょうね。広島は人類史上初めて核攻撃を受けた都市だからでしょうか。もしそうであれば、そんな理由で長崎を端折るべきではないと思うんですよね。連合国の捕虜や教会にいたカトリック教徒まで犠牲になったということも含めて、長崎への原爆投下はもっと注目されるべきだと私は考えています。 テクニックに関しては、もう文句なし。ご機嫌なギターワークです。ただ、メロディーに共感しきれない。ノレない。そんなもどかしさがあります。 (THE COLD WAR)

2017-03-03

花緒さんへ 私は「夢沢那智」として活字媒体で書く時も、「无」や「もとこ」としてネット詩サイトで書く場合も、常に「わかりやすさ」を第一に考えるようにしています。私みたいに学がない人間が、本やネットで掻き集めた知識をひけらかしても滑稽なだけ。だから自作の詩を文字の読めないおばあさんに読み聞かせて、彼女がすべて理解できるまで表現を変え続けたという白居易の伝説を理想の創作スタイルにしています。 ただ、私は自らの無意識にある想い自体は単純でも安っぽいものでもないと思っており、同時にそれを表現するために難しい言葉は不要だとも考えています。今回の作品も分かりやすい単語と構成で、どれだけ深い所まで再現できるかを意識したつもりです。あくまでもつもり。ここ重要。あと、少女マンガは今や詩に負けない奥深さを獲得したと思っているので、その一節のようであるというのは私にとって最高の褒め言葉であります。あ、でも私という人間が掴みきれないのは、人として底知れないとかではなくヌタウナギみたいにヌルヌルと逃げ回るからだと思います。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 まりもさんへ ディラックの海というのは、光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」で初めて知った言葉です。萩尾望都がマンガ化した時にも、ラスト近くで重要なキーワードとして使われていました。私は数学とか物理はさっぱりなので概念としては理解していませんが、「百億〜」でのイメージが強烈だったのでいつか使いたいと思っていました。 この詩で頭を使ったのは「刹那と永遠がパンに合う」という部分くらいで(あかんがな)、この言葉が浮かんだ瞬間に「やったね俺! 明日はホームランだ!!」と、年相応の喜びに包まれたのでありました。作品の解釈に関しては私の意図したことをほとんど読み取っていただき、まりもさんの読解力に感心するばかりです。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (Tangerine Dream)

2017-03-02

私が「殺人ウイルス」という言葉から連想するものといえば映画「アウトブレイク」や清水玲子の「秘密」、それに「ブギーポップ」のシリーズに登場するキトあたりでしょうか。殺人ウイルスが常識的に安定した時、それは世界の終わりを意味します。 それぞれの単語や文節の連なりを拒絶する文章は、一歩間違えば赤塚不二夫のマンガに出てくる頭のおかしいキャラクターの発言に等しくなり、それはそれでゲージツ的ではあります。ベーコンエッグにポークソテーに鰺フライにキャベツの千切りにハンバーグ。そして再びのベーコンエッグ。筆者はベーコンエッグ大好きなんだね。そしてテーマパークにクワガタと、この解読を拒絶する詩の中には幼い子どもの影が見え隠れします。それはサーカスとパノラマという言葉によって証明され、やがて生きることが悲しいと知った子どもは血を流しながら世界に中指を立てるのでありましょう。とまあこんな感じで自分勝手に読んだけど、こういう解釈があってもええじゃないかええじゃないかよいよいよいよい。 (常識的に安定した殺人ウイルス)

2017-03-02

タイトルから中身まで、意味不明気味なカタカナの快感。「イメージを食べるノリモノ」という不穏なイメージ。それ以前にカラポーって何やねん。カラ松柄のポーチか? それとも空っぽ? 混乱した私は、「動物のお医者さん」の二階堂のように「お前ら兄ちゃんに分かる言葉でしゃべれ」と叫びたくなるのであります。 放り込まれたドウリが、やがてドウリドウリドウリからドリリリリリリリリへとと加速していき、ついには息が出来なくなる。それはそうだよね。オソサガウリだったのに。これがいわゆる「ムリが通ればドウリが引っ込む」というやつでしょうか。そもそもイメージを食べるノリモノにドウリを食べさせた時点で間違いだったのでしょう。咀嚼されたドウリは嚥下されたのか、それともノリモノの内部に引っかかったままなのか。答えは悲しい感触にあるのかも知れません。理解できないままに、面白く読めた作品でございました。 (サキデテフレテ)

2017-03-02

あら探しが得意なおじさんとしてまず最初にお聞きしたいのは「残さ買った」は「残さなかった」の入力ミスではないかということであります。そして次は「これだけの長さが必要だったのか」ということです。語り手の過去の記憶と現在のドライブ風景を構成する様々なパーツを並べ立てるという手法において、読者はどれくらいまでならついてきてくれるでしょうか。所詮は他人の記憶、他人の体験であります。それを「面白い」ものとして読み続けさせるだけのパワーと長さのバランスを、この詩は維持しているのでしょうか。「ファック」という言葉に関しても、少なくとも私の世代においては連呼するほどインパクトは薄れる一方です。これは若い人たちにとっては別の印象があるかも知れませんが。 ラスト近くの「ザーメン。」は、その直後の「祈るように招致、」という部分からおそらくは「アーメン」に掛けているのでしょうが、これも私にとってはダジャレの域を出ない表現に思えます。最終行は悪くないので、もう少しダイエットが必要ではないでしょうか。 (何もない場所#1 )

2017-03-02

暴力と虐待の連鎖。一言で表現すれば、そういうことです。個人的には、それで終わりにしたい。それくらい不愉快な詩でした。もちろん褒め言葉です。DVの被害者である語り手が、その自覚がないままに自分も妻子に暴力を振るい、彼らから見放される。しかも、我が子も自分と同様に子どもに対して無意味な折檻をしてしまうと嘆いているのに、この段階でも自らの過ちに気がつかない。吐き気がするほど悲劇的です。 この詩において一番グロテスクなのは、語り手が「父親を愛している」ことです。彼の息子と違い、語り手は親の暴力によって洗脳されてしまった。昔も今も、こういう歪んだ家族は存在しているのでしょう。時折、新聞記事になる親殺しや子殺しのニュースの中にも、こうした家族間における暴力の連鎖が原因となっているケースが少なからず存在するのではないでしょうか。そもそも許しを請うべきなのは自分の方なのに、自分が何一つ許してきたことがないということを自覚していない主人公。本当に吐き気がするほど悲劇的です。 (ルウさんちの写真館)

2017-03-02

タイトルはおそらく精霊馬のことであり、そうならばこの詩は死者について語られているのでありましょうか。精霊馬といえばナスとキュウリですが、あのねのねのは「みかんの心ぼし」という歌の中で「なすがままという言葉があるのに、どうしてキュウリがパパという言葉がないのか」と嘆いておりました。これもまた不思議であると同時にどうでもいい話です。 この詩は基本的に重い。仮に私の予想通り死者について語られているのであれば、それは当然と言えます。「台所でスポンジがくすんだシンクに落ちる音」なんて、あまりの生活感の重さに押し潰されそうです。語り手は、それを死者(かつての恋人?)が帰宅した音であると(ほんの一瞬だけ)錯覚したもかも知れません。リアリティーを失った家々のように、すでに実体を持たない「あなた」が遠ざかる雷と共にあの世へと戻っていく。本来、精霊馬のキュウリは「あの世から早く家に戻ってくるように」、ナスは「あの世へ帰るのが遅くなるように」という願いが込められていますが、この詩において死者は雷の音のようにゆっくりとやってきて、稲光のように素早く帰ってしまう。何とも切ない詩だと思います。 (茄子のうし)

2017-03-02

カタツムリ=雨=虹=七色 カタツムリ=三半規管=めまい 連想ゲームが楽しい冒頭から物語は格調高く進むのかと思いきや、いきなりエロティックな大人のふいんき(なぜか変換できない)へと移行していきます。「まいまいつむりのまいこちゃん」というタイトルは「ざわざわ森のがんこちゃん」を連想させますが、この詩もがんこちゃんの世界設定並みにブラックです。最後に語り手が塩によってシオシオのパーになってしまうあたりは、ブースカだけでなく「ウルトラQ」のナメゴンも含めた円谷特撮作品に対するオマージュなのであろうと、昭和生まれのおじさんは作者の意図を半ば無視しながら強引な解釈をするのでありました。 「赤くなる想い」と「暴力的な青さ」という表現は、七色の殻という設定なら「暴力的な紫」の方が良かった気もしますが、そんな重箱の隅も「幼いくらいの声で、(  失礼します、 )」の前にはつつく意味すら失われてしまいます。個性という最も重要な要素のひとつにおいて、この詩は成功していると思うのであります。 (まいまいつむりのまいこちゃん)

2017-03-02

最初の「雑木林の奥の崖まで行く癖がある」ですが、「私は」とか「時折」といった言葉を省略したのは意図的なものでしょうか。この教会の宗派がカトリックかプロテスタントかは分かりませんが、後者なら最初からキリスト像はなかったのかも知れませんね。 人間にとって世界は不条理で思い通りにならないことばかり。だからこそ人は神にすがりつき救いを求める。語り手は今はもう使われていない教会の長椅子に座り、かつてそこに座っていたであろう人々の「叶わなかった祈り」について考えている。「叶わなかった」と決めつけているあたりに、語り手の苦悩と絶望が垣間見える気がします。その一方で、鳥の巣に関しては「無事に巣立ったはず」と考えている。それは「叶わなかった祈り」に対する「叶ってほしい願い」ではないのかなと思いました。最終連は、ちょっと出来すぎなくらいの着地方法。綺麗です。 (祈りの残骸)

2017-03-01

イソフラボンはかなり前から健康面での効能が注目されていて、私も奥さんに「君は納豆が苦手なんだから、せめて豆腐はたくさん食べるんだよ」と常日頃から言い聞かせております。それはともかく、私が子どもの頃は握りしめる硬貨といえば10円玉でしたが、いまは100円でも買えるものは少ない。手の平に硬貨の痕がつくくらいしっかりと握りしめて、少年は駄菓子屋を目指すのであります。消費税などという野暮なものが存在しなかった時代、吾郎君も計算にそれほど頭を悩ます必要はありませんでした。 「百円玉を握った吾郎くん」とか「思ってたんと違う」とか、あちらこちらに遊び心が見えます。作者の意図を問う問題が消えた世界では、作者が意図を込める詩も消えてしまったのでしょうか。それでもこの詩からは自動書記の無意識を起点とする「ぼく」と「吾郎君」の物語がスイングバイの軌道を描きながら外宇宙へ向かうのが見えるような気がするのです。 (み)

2017-03-01

中田満帆さんへ 中田さんから「血肉が通ってないぜ」と言われると、ガツンと頭を殴られた気分になります。この作品はB-REVIEWの掲示板が立ち上がった直後で投稿作品が2編くらいしかない時に、「ほらほら、こんな軽いノリでも良いからみんな投稿しようぜ」という大きなお世話的な感じで書き込んだものです。新しい掲示板の誕生に刺激を受けて久し振りに頭に浮かんだ言葉をそのまま書き留めて、わずかな修正後に投稿しました。そんなわけで確かに内容は軽いし表現方法も無難な感じですね。 「詩と思想」など詩誌に投稿していた時は親との断絶や虐待、病気のことなどをストレートに書いていたのですが、最近は吐き出すだけ吐き出してしまった気がします。ただ、他にも色々とドロドロした過去の体験がいくつかあって、それを死ぬまでに外へ出すべきかどうか今も迷い続けています。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 きらるびさんへ ノルシュテインは私も好きなアニメ作家です。あの独特の色彩や動きは、時にユーモラスであり時に恐ろしい。「霧のなかのハリネズミ」(「霧につつまれたハリネズミ」)も観たことがありますが、こういう技法のアニメ作品も残っていってほしいですよね。 この詩に関してですが、実はイメージとしては松任谷由実の「コンパートメント」を意識しながら書きました。前述したように「もとこ」名義で書く時は中森明菜の「不思議」やケイト・ブッシュの初期アルバムを頭の中で流しながら書くことが多いのですが、今回はユーミンで書きました。「ツバメのように」と同じで自殺をテーマにした曲です。白夜の荒野というビジュアルは、昔から私の大好きなイメージのひとつです。今後は、もう少し掘り下げて語り手の孤独を浮き彫りにしていけたらと思います。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (彷徨)

2017-02-28

「タイトルと第一行の出オチ」というのが第一印象です。もちろん、これは褒め言葉であります。もうね、最初で全部もってかれたという感じ。このタイトルを思いついた時点で、作者の勝利は保証されたも同然です。ところで同じ内容で絵文字なしバージョンを文学極道へ投稿したそうですが、作者にとって両者の違いはどういう部分なのでしょうか。絵文字がなくてもこの詩が成立するなら、絵文字の意味とは何なのでしょうか。 おそらくはラップのようなアドリブ感で綴られた詩ではないかと思うのですが、これを計算しつつ作ったのであればそれはそれで素晴らしい。20世紀から19世紀へ。殺されないために、刃物で生き延びる。意外性のある表現が面白いと思いました。 (殺されたポエムの子供)

2017-02-25

百均さんへ こういう構成の詩って私みたいにテクのない人間でも書きやすいんですよね。だから無意識にこういうスタイルになることが良くあります。起承転結とまではいかないものの一応ストーリー的なものがあって、それが後半に加速してラストでオチをつけるという流れも同様です。これまで詩誌に掲載された作品にも、似た構造の詩がけっこうあります。私は学がないので理論的にきちっと詩を作るということが出来ないので、良く言われる「言葉が降ってくる」のを待つタイプなんですが、その無意識にある思考は意外と理屈っぽいのかも知れないと思っています。 あと、「もとこ」の名前で書く詩が基本的に「アタシ」連呼なのは、自意識過剰気味なキャラだからです。桃井かおりと戸川純と篠原ともえを足して3で割ったような感じと言えば、おわかりいただけると思います(わからねぇよ 読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (彷徨)

2017-02-25

文面通りに読むとすると、心室中隔欠損症のような先天性の病気でしょうか。幼い頃は運動を制限され、でもそれが絵を描くことが好きになるきっかけとなった。やがて幼子は、自分だけの世界で絵を描きはじめる。一番最初の鮮明な記憶は雨の夜。画用紙にクレヨンで絵を描いていた子どもが、いつの間にかカンバスに油絵の具で描いている。この部分から「がらんどうな私」への言及が始まるのですが、私自身の読解力不足のせいか展開が唐突に感じました。 色を塗り重ねたカンバスの原風景は白なのか。それとも雨の夜の闇のようにからっぽなのだろうか。そんな自分は骨のないクラゲ。堂々巡りのがらんどう。周囲の人間と上手く付き合うことが出来ず、正しさをひけらかしながら嘲笑する連中には常に決然とした態度で立ち向かってきたけれど、がらんどうの心の中を不意に風が吹き抜ける。独りの時間が長すぎて、自分の中の淡い恋愛感情すら喪失の恐怖から否定してしまう。昔も今も自信と不安の間をクラゲのように漂い、自分を鼓舞したかと思えばすぐに次の迷いが生まれる。文字通り終わりのない堂々巡り。でもそれが人生。 表現が重複して少しくどいと感じられる部分もありますが、筆者が意識したであろうリズム感が十分に活かされた詩だと思います。タイトルで思い出しましたが、神保町にあるというがらんどうという店に一度は行ってみたいと思っています。名前はがらんどうなのに、懐かしく貴重な書籍やグッズが店内にあふれているそうです。筆者という存在やその人生も、ご本人が詩で語っているほどがらんどうではないと思います。だって、こんなに素敵な詩が書けるのですから。 (がらんどうどうめぐり)

2017-02-24

人は誰でも最後に死ぬ。筆者は自らの未来に訪れる死について考える。彼にとって死の国は濁った古池のイメージだ。密生した河骨の迷路を泳ぐ小さな鯉。筆者は鯉であり、繁殖する河骨であり、濁った古池でもある。死の国で死の国と同化することにより、死の向こう側へ突き抜けてしまったかのような「私」は、実に静かで穏やかである。 最初に読んだ時はまずつげ義春の「沼」、それからジャックスの「からっぽの世界」を連想しました。後者は海が舞台ですが、私の中では非常に近いイメージだと思えました。試しに聴きながら再読してみましたが、つげ義春風に言えば「あなたすてきよ。いいかんじよ」でありました。 (未来の私)

2017-02-23

まりもさんへ まりもさんが指摘された部分は、作品の語り手と作者である私自身の間にある「ずれ」のようなものかなと思っています。肉体的に男の私が女性の肉体的な感覚を完全に理解できるはずもないのですが、それでもこういう詩を書こうと思ったのは幼少から思春期にかけて自分が感じた痛み、あるいは痛みのようなものへのこだわりかも知れません。 私が子どもの頃は一般家庭における水洗トイレの割合は非常に低く、我が家のトイレも汲み取り式でした。当然のことながら、私は「母親が不機嫌になる時期」の原因に関して視覚や嗅覚で何となく感じ取り、いつの間にか彼女の痛みがこちらに伝わってくるような錯覚にとらわれるようになりました。さらに学生時代に交際した女の子たちの多くが「最初の時に母親が否定的な反応をした」ことで傷つき、その後の心身の状態に影響があると言っていたことが同時期に読んだ学習マンガの内容と一致していて、それがずっと心にひっかかっていました。 男が、女が、それぞれの性と異なる自分を持っていると気付いた時、たいていの親は動揺して子どもを責めると思います。それは子ども自身にとって、自分の存在そのものを否定されたのと同じだと思うのです。ましてや普通に女の子として成長することを親から否定されたら、その不条理さゆえに子どもはどれだけ傷つくことか。まりもさんが指摘した「母親側の心理」を思う時、私はこれもまた曖昧かつ緩やかな虐待ではないのかと考えるのです。 私は父親からは肉体的に、母親からは精神的な「暴力」を受け続けて育ちました。そして彼らの期待を裏切ったことに対する罪の意識もあり、私の人生は大きく狂ってしまいました。けれど今、作品について説明する過程でこういう話をしても以前のようにフラッシュバックに襲われることはなく、ただ淡々と過ぎた時間について話をする自分がいます。それは自分を肯定してくれる妻や子どもたちのおかげなのかなと思っています。次に「もとこ」の名前で書く時は、もっと肯定的な作品を生むことができそうな気がします。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (フラワー・オブ・ロマンス)

2017-02-23

はい、削除されております。お手数をおかけしました。 (運営からの告知:マナーガイドライン)

2017-02-23

すみません「フラワー・オブ・ロマンス」のコメ欄で、私の書き込みがなぜか二重投稿になっていました。お手数ですが、重複分の削除をお願いいたします。 (運営からの告知:マナーガイドライン)

2017-02-22

花緒さんへ 薔薇というのは花の中でもトップクラスのスターであり、愛されて当たり前という感じなんですよね。でも世の中には私みたいに「色彩的にもう少し地味系の花の方が好き」という人もいるわけで、この作品にはそういう意味も含まれているのであります。この作品の語り手も、母親にもう少し理解があれば深紅の薔薇の咲き乱れる花園で幸せに暮らせたはずなんですよね。でも、最初に薔薇が咲いた時の母親の反応がすべてを狂わせた。実は若い頃に読んだ学習マンガか何かで、「母親の反応がネガティヴだったために、その後に生理が来るたびに苦痛が激しくて学校でも保健室で休むようになった」という話を読んで、その内容がずっと心に残っているのです。良くも悪くも、親は子どもの人生に大きな影響を与えるもののようです。 (フラワー・オブ・ロマンス)

2017-02-22

Migikataさんへ 私の場合、性同一性障害と言えるレベルではないようです。学生時代は女の子と部室で不道徳なことばかりしていましたしw ただ、中学生の時にキスまでいったある男性から「夢沢君(仮名)が女の子なら良かったのに」と言われた時は、本当に切なくて彼のために女として生まれてきたかったと思ったのも事実です。もっと幼少時には見知らぬ男から自分の意思とは関係のないことをされたこともあって、そのことも私の精神形成に影響を与えた可能性はあります。 詩を読むという行為は、作者の内面を読み取る行為でもあると私は思います。私個人に関しては、こうして詩の解説を通して自分の内面を語ることに何ら抵抗はありません。言いたくないことを無理に言うつもりもありませんし。まあ、そういうことです。 (フラワー・オブ・ロマンス)

2017-02-22

「多分なにも考えていない手が文字を書き出した」 この最初の一行だけで詩人の皆さんの頭の中には「自動書記」とか「アンドレ・ブルトン」といった言葉が頭に浮かぶことでしょう。それではこの詩も「なにも考えていない手」によって書かれたのか? ディスプレイに明滅するイマジネーションとしての言葉の羅列を見ていると、そうかも知れないと思えてくる。その一方で、自動書記とは対極にある、時間をかけて計算し尽くされた思考の産物であるようにも感じる。 なにも考えていない手が言葉を綴り、なにも考えていない瞳が空を見上げる。その時、なにも考えていない脳細胞は、どんな夢を見ているのだろうか。そんなことを考えながら読んでいたのですが、本当はなにも考えずに読むべきだったのかも知れません。 (sense。)

2017-02-22

雨の歌には数多くの名曲があります。楽しい曲もあれば悲しい曲もあるわけですが、この詩は三善英史の「雨」やイルカの「雨の物語」(と、歳が……)、あるいはピーター・ガブリエルの「Red Rain」の物悲しさが似合う気がします。「悲しみの欠片」とは何なのか。写真やハガキ、それとも詩や愛の言葉を書き留めた紙片なのでしょうか。 「kuroifukumokanashmimomotazuni,amewofurasetehanamuketositekudasai.」 これは「君」の遺書とも読めます。だとすれば「君」は病死したのか、それとも自死なのか。筆者は文字通り「君」を追悼するために詩を書いている。そして、これを書き終えたら自分が詩を書く意味も失われてしまうかも知れないと言う。何という緊張感でしょうか。私には、とてもそんなテンションで詩を書くことはできません。 降り続く雨の音は喝采の音でもあります。それは人生の幕を下ろした「君」への喝采なのかも知れません。拍手の音はいつまでも鳴りやまず、悲しみの心は解放された「君」への祝福に包まれていく。私はそんな風に読みました。 (追悼)

2017-02-22

カマドウマは私の世代では、便所コオロギと呼んでいました。あのルックスでピョンピョン跳ねるから、まあ良い気持ちはしなかったです。部屋一杯の大きさのカマドウマ。まるで山上たつひこの初期短編に出てきそうな、不気味であり同時にユーモラスな光景です。 私は最初、「実はカマドウマが語り手自身だった」というオチかなと思いながら読み進めていたのですが、実際にはそうではなかったようです。ならば、このカマドウマは一体何者なのか。いやいや、それ以前に最初はまともだった奥さんの様子がどんどんおかしくなっているぞ? そもそも、この語り手は家にいながらどうして奥さんの行動を把握しているんだ? 巨大なカマドウマも奥さんの存在自体も、すべては語り手の妄想の産物なのではないのか? そんなことを考えながら、私は奥さんの作ってくれたペペロンチーニを食べるのでありました。 (妻の夫)

2017-02-22

Migikataさんへ 「紅い花」への連想は、おそらく正解です。あの作品がなければ、この詩は生まれていなかったと思うのです。原作はもちろんですが、かなり前にNHKで放送されたドラマも秀逸でした。 現実の女性との感覚には、やはりズレがあるでしょうね。ただ私の中には幼少期から確かに「女の子」が住んでいて、若い頃には肉体関係まではいかなかったものの男性から告白されたりキスをしたことも何度かあります。今でもたまに「女の子」としての感覚が強くなることがあって、それを何らかの形で外に出さないとすっきりしないのです。それが心理学的にどういうものなのかは知りませんが、たぶん「彼女」は死ぬまで私の中にいるんだろうなと感じています。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (フラワー・オブ・ロマンス)

2017-02-22

「ニャッー」という鳴き声で「アッー!」を連想してしまう私は、朝から汚れつちまつた悲しみに包まれております。ぬこ、可愛いですよね。私も以前に「ねこのおのまとぺ」という作品を書いて詩誌に載せてもらったことがあるのですが、ぬこをテーマにした詩には独特の「間」があるものが多い気がします。それはぬこが持っている間そのものかも知れません。最後の「未来におちた」が、とても良い感じです。 (ネコ)

2017-02-22

三浦果実さんへ 実は私も薔薇の花はあまり好きではなくて、菜の花とかスミレとか朝顔の方が好みです。私にとって薔薇の花とは萩尾望都の「ポーの一族」であり、メリーベルの手の中で散っていく薔薇に命の儚さと尊さを感じたものであります。 ビジュアル系といえば私の奥さんはX JAPANのファンだったんですが、私自身は熱心に聴いたバンドと言えばLUNA SEAくらいです。そもそも私が若い頃には「ビジュアル系」という言葉自体が存在していませんでしたが、当時は元祖のひとつと言われるNOVELAにハマっていました。ああ懐かしの「FOOLS MATE」(遠い目 さて、三浦さんが読み取ってくださったように、この詩において薔薇は美しいものではなく「時に汚らわしいともされる血」です。私の母親や、中学から高校くらいまでに付き合っていた女の子たちの多くが「薔薇」を疎ましく感じていて、彼女たちの感情が大きく揺れ動く様子は当時の私にとって実に印象的でした。特に母親のリアクションは、幼い私の中に「もとこ」を生み出すきっかけとなったのでした。読んでいただいて、どうもありがとうございました。 (フラワー・オブ・ロマンス)

2017-02-22

あまりにも表現が巧みすぎて逆に腹が立ってきました(なんでやねん 漢字と平仮名の使い分け、行間の取り方、基本となるストーリー、すべてがお見事。個人的には現代版「月の砂漠」なのかなとも思いました。 ただ「いつか、ふたりの死が永遠の罰としてやってくる、/その日まで罪をかさねつづけるつもりでいる。」とか「セカイ」といった部分は、他が良すぎるので平板な印象なのが残念です。最終連の出だしは素晴らしいのですが、最後の一行がそれまでの流れを受け止めきれていないように思います。もう少し意表を突いた表現なら完璧だと思います。 (なみだもろい愛をこめて)

2017-02-21

私の環境(Mac)だと、ほぼ作者の意図した通りのレイアウトが再現されていると思います。昔は機種やOSの違いなどによる文字化けが頻繁に起こって、それを理解できない書き手と読み手の間でトラブルになったりしたものです。この問題は、いまだに解決していないようです。 さて、こういう実験的な詩はアイデアと鮮度が命。他の人が同じ手法を使っても、二番煎じと言われて終わりです。そういう意味でこの詩は私にとっては合格点。決め手は「トーマの心臓」が入っていたこと(萩尾望都ファンの贔屓目 やはり月の部分が一番綺麗ですね。一度この手の作品を書いちゃうと後が大変ですが、どうかスタミナ切れせず頑張ってください。 (色彩)

2017-02-21

子どもの頃の夏休みは、よく父方の実家がある大分の山奥で過ごしました。夜になるとアメリカシロヒトリという真っ白い蛾が明かりを求めて何十匹も飛んできて蚊帳に張りつき、子どもにとっては実に不気味な光景でありました。 頭の中を飛び回る小さな蛾。頭蓋骨に羽が触れた時の「ざり、」という音。読んでいると、背中がざわつきます。「私」の中にある煩悩の闇を、光が打ち消す時は来るのだろうか。そして光を求めて出口のない密閉空間を飛び回る蛾もまた、「私」の化身なのではないだろうか。自らの闇の中を飛び回る無限の孤独。最後の「ざり、」が読者の心に余韻を残します。 (「無明」)

2017-02-21

この作者も書き慣れた方だなと思いました。ただ、「○○だけど××」の繰り返しと「すべてに恵まれているが、何か物足りなさを感じる女。そんな彼女が自分を気にも留めない男と出会い、自分の世界が変わっていくのを自覚する」という設定は、それぞれ既視感があって新鮮な驚きを得ることはできませんでした。すでに基本的なテクニックを持っていると思うので、良いテーマさえ見つければもっと良い詩が書ける気がします(何かすごく偉そう。ごめんなさい。 (罅)

2017-02-21

中田満帆という詩人に関しては、ネット上にアップされた作品とSNSや詩の投稿サイトでの発言くらいしか情報がない。しかし、その限られた情報の中でも彼が優れた詩人であり、人を惹きつける文章を書く才能の持ち主だということは分かる。 初めて彼の作品やネット上での発言を目にした時、私は「花のノートルダム」と、その作者であるジュネを連想した。表面的には乱暴で猥雑な言葉が散りばめられた彼の詩の裏側には、途方もない美しさと寂しさが星のように明滅している。リヒャルト・シュトラウスの「ドン・キホーテ」をかけながら、「彼女」の排泄後の水音を聴きたいという語り手。この設定で切ない「美」を表現するなど、誰にでもできることではない。しかし、彼はそれが可能なのだ。自分はできそこないだ、自分には何もない、自分は人生の敗残者だと嘆く人間は世の中に星の数ほどいる。彼らの存在も、その嘆きも、残酷なことではあるが真新しいものではない。だからこそ、その存在と嘆きを人々の心へ届かせることができる中田さんの詩は本物なのだ。 彼の中では、たくさんの「手に入れられなかったもの」や「手が届かないもの」、そして「失われてしまったもの」への憧れや絶望や後悔が常に渦巻いているように思える。しかし、この詩を読んで私はあらためて中田さんの文才を羨ましく思うのだ。彼は私が手に入れられず、今も未練がましく追い求めるものを間違いなくその手の中に握りしめているのである。 (ひさしぶりに詩と呼ばれるらしいものを書いてみたんだ、アリシア。)

2017-02-21

昔から東京への憧れを歌った曲はたくさんあって、マイペースの「東京」なんてその代表格と言えます。NSPも地方人が東京で暮らしていく上で感じる孤独とかを歌った曲がいくつもあるし、長渕剛は憧れて裏切られて嫌いになったというタイプですね。私は実家が東京の神田川沿いにあって年に何回も上京していたので、子どもの頃は第2の故郷という感覚でした。でも田舎に引っ越して上京の機会が減ると、東京への憧れを歌った曲の良さが理解できるようになりました。 この詩を一読して、語り手は東京での暮らしに限界を感じて近いうちに田舎へ戻る、あるいはすでに帰ってきたのではないかと感じました。政治家のポスターには、薔薇色の希望の言葉が並べられています。そのポスターが色あせているということは、語り手の東京に対する夢が色褪せてしまったのでしょうか。子どもの頃の懐かしく美しい記憶と、つい最近までの東京での暮らしの記憶。祖母、伯母、母親、そして同棲していた女性。様々な女たちへの複雑な感情。母の象徴としての海と、砂浜での声。絶望を歌っているようで、最終連は文字通りあたたかい感じで終わる。「いちごシロップ」は「つながりとしての血」の象徴なのでしょうか。色あせたポスターで始まった詩は、あたたかい血の鮮明なイメージで終わる。良い詩だと思います。 ※追記 私は子どもの頃、雑木林とかに捨てられているエロ本を見つけるのが上手かったんですよ。友だちの間では「あいつに任せておけば大丈夫」と頼りにされていました(何だその黒歴史 (いちごシロップ)

2017-02-20

作者は「メランコリア」をはじめとするトリアー監督のファンなんですね。私の世代だと、こういう人類滅亡ネタでは「渚にて」の他に「世界大戦争」などが記憶に残ります。フランキー堺の演じる父ちゃんの悲哀が今なら100%理解できるのですが、そんなことはどうでもいい話かも知れません。夢オチはちょっとありきたりな感じではありますが、ここまでストーリーを練り上げる力は大したものです。 オチの部分で主人公が自らのバットを握りしめているシーンは、大藪春彦のファンならおなじみと言えるパターンであります。若くて健全な男子なら、一度や二度はこういう恥ずかしい目覚めを経験したことがあるはずです。このカシオミニを賭けてもいい。 迫り来る惑星をバットで迎撃するところなどは地球防衛バットとか「おそ松さん」の最終話を連想させるナンセンスさですが、私はタカヒロのことを笑う気にはなれません。この詩におけるタカヒロには、青森最後の詩人ひろやーの「新町」の主人公に通じるものがあるからです。タカヒロは地球を救うことはできませんでしたが、自分自身を救うきっかけを得ることができました。それだけで十分ではありませんか。 (その熱く滾る硬い棒を)

2017-02-19

Kolyaさんへ Kolyaさんによる再構成を見るまで、自分自身の書いたものの構造についてまったく意識していませんでした。あかんがな。私自身の詩は面白くないけど、これは面白い。自分の中にある意識していない領域を、ひょいと切り取って見せてもらった気分です。読んでいただいてありがとうございました。 (彷徨)

2017-02-18

始まり方には実は二つあって、マクベスに登場するマクダフなんかは少数派の方ですね。どちらにしても本人は選べません。その一方で死に方は様々。その気になれば自分で選ぶことも可能。私は年齢や健康上の理由から、安楽死とか尊厳死とかについて色々と考える時があります。「ソイレント・グリーン」というディストピアSF映画の傑作があるのですが、この中で描かれる安楽死システムに憧れていたりします。 終わりは確かに面倒くさいですね。でも終わりに理由はいるのでしょうか? この世界では、むしろ理由もなく終わる人の方が多い気がします。この辺は「終わりの理由」の解釈の差かも知れませんね。「人生は特殊」とか「描く用紙は白紙で/誰にでもない絵がそこにある」というのは、額面通りでは単純というかありきたり過ぎますから、皮肉が込められていると解釈しました。「描くって恥ずかしいな/人に見られちゃうから」というフレーズ、ここが一番好きです。最終連は良くも悪くも無難というか、上手いまとめ方だと思いました。 (生まれて来ました)

2017-02-16

早口言葉のようなダジャレのオンパレードがきちんと詩作品として成立しているのは、やはり作者の力量によるものでしょう。ハタハタという魚の存在を初めて知ったのは小学校1年の春のこと。親から買ってもらった学習百科事典には「雷の季節に獲れる魚」と書いてありました。千葉の片田舎に住む中産階級の子どもにとって、それは簡単に食べられる魚ではありません。それゆえに、私の中でハタハタという魚に対する興味は大きくふくらみ、そしてすぐにしぼんで忘れ去られたのでした。 近年のハタハタの不漁はニュースでも報道されていましたが、この魚に限らず漁獲量というものは海流や海水温などに大きく影響されるといいます。「鰊御殿」に象徴されるニシンを巡る悲喜劇は、これからも世界中で繰り返されることでしょう。ただ、この詩が単純に海の男たちの悲哀を描いただけのものでないことは、最後まで読めば明らかです。塩汁の使われたハタハタパイを食べながら、豊漁の春を期待しながら長い冬を耐える。「鰰」や「海」や「神」といった言葉がそれぞれ何を象徴しているのか、何となくわかったような気にもなろうかというものです。 努力は常に報われるとは限らず、もしかしたら三年どころか十年我慢してもハタハタは帰ってこないかも知れません。しかし、それでも人はいつか再び春が訪れると信じて待ち続けるのです。もちろん、ただ無為に時を過ごすのではありません。それは漁師なら網を繕い船を整備する時間であり、詩人なら詩に限らず多くの本を読んだり映画を観たり音楽を聴くといった充電期間でもあります……と勝手な妄想をめぐらせてしまいましたが、最後に方言を使うことによってこの詩がより生き生きとしたものとなっているということを伝えて、とりとめのない感想を終えたいと思います。 (はたはたパイ 食べろ)

2017-02-15

一読した時に永井豪の大昔の短編「くずれる」を思い出しました。ある日、周囲の友人たちが次々と化け物の正体を現して、主人公に「君も俺たちの仲間なんだ」と言う。ネタバレするとラストの衝撃が薄れるのでオチが言えないのがもどかしいのですが、「自分は悪い意味で周囲の人間と違う存在である」という感覚はそれだけで不安や恐怖を伴うものだと思います。この詩の語り手の場合、「くずれる」とは逆に周りの人間から「お前は俺たちと違う」と言われ続けている。そして、その言葉を信じて必死に「普通の人間」に擬態したいと願う。しかし、その願いは決して叶わないように思える。何とも恐ろしく、哀しい話です。 いま、この世界には「自分はエイリアンである」と感じている人たちがたくさんいて、それは心の問題だったり性別や宗教に関することだったりするのですが、それに対して変わるべきなのは、彼らではなくて「自分こそ普通の人間である」と幻想を守るために彼らに石を投げつける連中の方ではないかと、この詩を読んで考えたのでありました。私はこの詩の語り手に言ってあげたい。「君はエイリアンなんかじゃない」と。 (擬態)

2017-02-14

小学生の時に、初めてつげ義春の「ねじ式」や「ゲンセンカン主人」を読んだ時のワクワクするような恐怖感を思い出しました。「石の十字架を鉄に変える」に関しては私の読解力不足と寝不足のためかイメージが浮かびませんでしたが、この詩に関しては、もう第三連だけで読む価値があると感じました。つげ義春を連想したのも、この恐ろしさと滑稽さの入り混じった第三連のせいです。 この語り部は父親にによって人生を狂わされた、あるいはそう信じているのかなと思ったのですが、これは私自身の家庭的事情のせいかも知れません。 (藁の家)

2017-02-14

第一連で二行連続して「都市」が使われているんですが、三行目は「その」では表現的にダメなのかなと思いました。そしてタイトルでもある「誓い」や「誓う」という言葉が頻繁に使われているのですが、意図的かはともかく個人的には違和感がありました。もっと別の表現にした方が良いのではないかなと思います。 最終連も最初と最後で表現が矛盾していて、これも意識してやっているのか、だとすれば効果があったのか疑問に思います。その一方、頭の中で映像を浮かべやすい作品でした。 (誓い)

2017-02-14

言葉の工場という発想は面白いと思いました。効率的で壊れにくい言葉。おそらくは聞く人の耳に心地よいであろう言葉を作ると、その副産物として毒にまみれた言葉の残渣が生まれてそのまま海に垂れ流される。寓話的な物語展開は読みやすくて最後まで飽きずに読むことができました。 工場で働いていたのは実は全員が「私」であり、語り手以外の全員が硫酸の海に飛び込んでしまう。もちろん彼らが海の向こうにたどり着くことはない。視覚的には実にグロテスクかつ悲しい光景だろうと思います。最後の一行は私もよく使う落とし方なんですが、ちょっと意外性には欠けるかなと思いました。 (海と自画像 「No.X」)

2017-02-13

ABOUTには「月に2回を目処に、作品を投稿することができる」とあって、私は危うく2作目を投稿してしまうところでしたw 現時点で月に1作ということであれば訂正をされた方が良いと思います。 (《雑談/議論/自己紹介スペース》)

2017-02-13

あくまでも個人の感想なんですが、この詩は第二連からスタートしても良かったのではないでしょうか。そして最終連の「二人の間〜最後の明星が見える」までを第三連として、第一連を最終連にする構成が私にはしっくりくるのです。 ちなみに今の季節なら午前五時は闇の中ですが、谷山浩子の「てんぷら★さんらいず」では新宿駅のホームに赤い朝陽が散らばる時刻であります。 (午前五時の群青)

2017-02-12

私は視覚的なイメージを思い浮かべながら詩を書くことが多いせいか、読んでいて頭の中に映像が浮かぶ詩が好みです。そういう意味で、この詩はとても良い。私の中で、イメージが素直に再構成されました。簡単に書けそうで、実際はとても難しい詩。最後の一行も決まっています。 (prayer)

2017-02-11

Migikataさんへ。 最初は「純粋すぎて心を病んだ女子高生」という設定でスタートしているので、間違いではないです。お気になさらずに。 (この世は終らないそうだ)

2017-02-11

読んでいて何となく懐かしい感覚に包まれました。高校生の頃に学生向け雑誌に詩を投稿しはじめた頃に、こういう傾向の詩をたくさん書きました。でも、こちらの方がセンス良いな。第一連はあまりピンと来なかったですが、第二連が良い感じ。最後の一行は大ヒット中の映画が心理に影響したのか、終わり方としては弱い気がします。 (渚鳥を回転させる調教)

2017-02-11

これは「僕」の見ている夢なのだろうか。夢だとしても、その材料となった現実があるはずだ。それは水害のような自然災害か。それとも単に借りてきたDVDに収録された映画の断片なのか。神話の巨人と高校時代に死んだ友だちが同時に存在する世界。裂けた空へ吸い上げられていく河の水。それはまさに世界の終わりとも言える光景だが、巨人はそれを否定する。ここまで破滅的な状況になろうとも、世界はそう簡単には終わらない。ただしその代償は大きい。巨人たちが空へ消えた後、亀裂は修復され新しい日々が始まるのだろうか。次から次へと想像力をかき立てられる詩でした。ところで「最期の巨人」は「最後の巨人」ではないでしょうか? それとも巨人たちは皆死んでしまったのでしょうか? (この世は終らないそうだ)

2017-02-11

創作において大方のアイデアは出尽くしていると言われながら、それでも新たな表現を模索する人たちには頭が下がります。意味を否定するような構造ながら、なぜか頭の中にスルスルと入ってくるパーツがあり、その瞬間が気持ちよいです。「ワイルド・スタイル」を観たことがないということですが、両者の内容を考えれば驚異的なことだと思います。 (映画)

2017-02-10

三浦果実さんへ 「もとこ」名義で書く詩は当然のことながら女性の立場のもので、今回も若い女の子の抱える孤独と不安をテーマにしました。人を好きになって、相手からも受け入れられて、それでも自分の中には幼少時から虚ろな穴が空いている。その穴のせいで、恋人とも上手くいかなくなって別れてしまう。書き手としてはそんなイメージです。読んでいただいてありがとうございました。 花緒さんへ 私のようなものが参加して良いものかと迷いましたが、「もとこ」名義の詩は発表する場所がないので投稿させていただきました。「何だよ、これなら自分の方が良いものを書けるぜ!」と参加者が増えれば嬉しいです。大きなお世話かも知れませんが。読んでいただいてありがとうございました。 まりもさんへ 詩誌に投稿をはじめて15年以上になり、悪い意味で書くことに慣れてしまったことを自覚しています。文学極道などいくつかのネット詩のサイトへ投稿したのも、若い人たちから刺激を受けたいと思ったからです。これからも「書き慣れた感じ」にならないよう努力していきたいと思います。読んでいただいてありがとうございました。 kaz. さんへ この名前で書く時は、なぜか中森明菜の「不思議」というアルバムやケイト・ブッシュの曲が頭の中で流れていることが多いです。kaz. さんのように斬新な表現が出来るように頑張ります。読んでいただいてありがとうございました。 (彷徨)

2017-02-10

私は学がないのでこういう理系的文章は読むだけで眩暈がするたちなのですが、この詩は何一つ理解できないまま不思議と最後まで読み進むことが出来ました。この感覚は、川原泉のマンガ作品を読んだ時のそれに近い気がしました。最後に、三浦さんって誰やねん。 (宣戦布告)

2017-02-09

テーマは斬新なものではないけれど、それだけにきちんと仕上げるのは難しい。その点、この詩は最終連でシリアルキラーの遺体遺棄現場のような庭の様子が、容易に視覚化されるほど巧みな表現で感心しました。 (「弔い人形」)

2017-02-09