はたはたパイ 食べろ - B-REVIEW
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エセ詩人

いでよ、エセ詩人!

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最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

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海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

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こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

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少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

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居場所をありがとう。

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きょこち(久遠恭子)

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だれのせいですか

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どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

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衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

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渇いた心を満たす雨に満たされていく

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はたはたパイ 食べろ    

旗は はためく 鰰(はたはた)の 旗      はたと 立ち止まって    しょげたままで いいがら    ハタハタパイ 食べろ 海を 休めろ 鰰の 海に 鰰 来ぬぐなったこともあってな 三年我慢すっぺ 鰰ぬぐなってしまうべと取り決めたんだ 漁をしない三年に 船を捨てるやつもいたんだ だがよ 三年待ったらな 雪の中に雷ひかり 鰰の群れの銀色が 船は大漁 神といっしょに大笑い   な あせるな   ほれ このハタハタパイ食べろ   おまえの海にも    神がいっぱい群れだって育っているど 


はたはたパイ 食べろ ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 22
P V 数 : 1114.6
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 4

作成日時 2017-02-15
コメント日時 2017-03-06
項目全期間(2024/03/29現在)投稿後10日間
叙情性30
前衛性00
可読性00
エンタメ00
技巧00
音韻10
構成00
総合ポイント40
 平均値  中央値 
叙情性1.51.5
前衛性00
可読性00
 エンタメ00
技巧00
音韻0.50.5
構成00
総合22
閲覧指数:1114.6
2024/03/29 23時29分43秒現在
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    作品に書かれた推薦文

はたはたパイ 食べろ コメントセクション

コメント数(21)
もとこ
(2017-02-15)

早口言葉のようなダジャレのオンパレードがきちんと詩作品として成立しているのは、やはり作者の力量によるものでしょう。ハタハタという魚の存在を初めて知ったのは小学校1年の春のこと。親から買ってもらった学習百科事典には「雷の季節に獲れる魚」と書いてありました。千葉の片田舎に住む中産階級の子どもにとって、それは簡単に食べられる魚ではありません。それゆえに、私の中でハタハタという魚に対する興味は大きくふくらみ、そしてすぐにしぼんで忘れ去られたのでした。 近年のハタハタの不漁はニュースでも報道されていましたが、この魚に限らず漁獲量というものは海流や海水温などに大きく影響されるといいます。「鰊御殿」に象徴されるニシンを巡る悲喜劇は、これからも世界中で繰り返されることでしょう。ただ、この詩が単純に海の男たちの悲哀を描いただけのものでないことは、最後まで読めば明らかです。塩汁の使われたハタハタパイを食べながら、豊漁の春を期待しながら長い冬を耐える。「鰰」や「海」や「神」といった言葉がそれぞれ何を象徴しているのか、何となくわかったような気にもなろうかというものです。 努力は常に報われるとは限らず、もしかしたら三年どころか十年我慢してもハタハタは帰ってこないかも知れません。しかし、それでも人はいつか再び春が訪れると信じて待ち続けるのです。もちろん、ただ無為に時を過ごすのではありません。それは漁師なら網を繕い船を整備する時間であり、詩人なら詩に限らず多くの本を読んだり映画を観たり音楽を聴くといった充電期間でもあります……と勝手な妄想をめぐらせてしまいましたが、最後に方言を使うことによってこの詩がより生き生きとしたものとなっているということを伝えて、とりとめのない感想を終えたいと思います。

0
まりも
(2017-02-15)

三年、辛抱している間に、〈船を捨てるやつもいたんだ〉 単純な「がまん」や「辛抱」ではなく、命がけ、生きる、というギリギリをかけた選択の果ての「辛抱」・・・肉声が入ってくるところにリアルさがあるのですが、仕事の「辛抱」や、震災復興の「辛抱」、恋人の気持が戻るのを待つ「辛抱」など、色々な想いを重ねて読むことの出来る詩だと思いました。 最後の連で、〈おまえの海〉と呼びかける。この海は、心の海や社会の海、生活の海・・・荒海であろうと思い・・・恐らく陽に灼けた皺だらけの顔に、じんわりと浮ぶ笑顔、経験に裏打ちされた自信(確信)に満ちた、その迫力に、きっとこの「聴き手」は力づけられただろうと思い・・・それがそのまま、読者へと反転する。自然で素直に見えるけれども、巧みな構成だと思いました。

0
澤あづさ
(2017-02-15)

いい詩だども秋田弁が本地(ほじ)ね。(←秋田弁) そこだけ、いま自分が秋田弁主人公の小説書いてるため不満であるものの、これは悩ましいところです。【はたと】を【はだど】と本格的に書いたら、非東北出身者には解読できなくなってしまいますからね。るるりらさんの魅力を損ねない方向で、どこまで工夫できるのか。 * 繰り返しますがよい詩です。秋田で「猫もまたいで通る」の異名すら取る下魚の鰰(はたはた)が、「魚の神」であるという逆喩。うなぎ(※言うまでもない乱獲大問題)パイと同じく主役が入ってないハタハタパイを食べて乱獲を控える、つまりそれだけ漁師たちがハタハタを愛しているという想定。着眼が、あーるるりらさんだなーって、もはや愛おしいです。 今年はイカが回転寿司から消えるほどの大不漁ですから、時事ネタとしてとてもよい。ハタハタの禁漁にまつわる展開が、ニシン(春告魚)御殿を彷彿とさせるのも時候的によい。押さえるとこぎっちり押さえた、るるりらさんらしい好ましい詩だと思います。個人的な問題は、秋田弁をどうするかだけ! * 秋田弁って、古語と漢語と仏教用語がどっぷり残存した、詩情の宝庫みたいな方言なのですよね。それをるるりらさんの着眼で使いこなせば、とんでもなくスゲー詩が書けるんじゃないかと、いま唐突に思いましたよ。わたしの感性ではぜんぜんだめで、るるりらさんでないと無理という気が急にしてきました。もうこんな話は余談っつうか私欲だ。

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三浦果実
(2017-02-15)

るるりらさん 俺、博多出身やけど、サカナくんのことはあんまり知らんけん、カイドクできんちゃん。 博多しっとう?九州の港町ばい。サカナ美味しいとよ。 ごめん、神とかはおらんちゃっないかな。でも、俺、人から神がっかとうってよう云われるとよ。 でも、サカナくんのこと、よう知らんけん、ごめん。今度、神くんと一緒にハタハタパイ喰って大笑いしてみるばい。 るるりらさん!投稿有難う御座います! 澤あずささんもコメントどーも! B-REV絶賛営業中!

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kaz.
(2017-02-15)

素朴で純朴な詩風が、鰰という魚の字から神を抜き出している。

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kaz.
(2017-02-15)

見出された神は、言語の一端にあるのではなく、一度死んだ神を蘇らせる何か、そんな雰囲気がある。ハタハタという言葉をどの側面から眺めるかによって、その神の神々しさは、大自然の一脈を帯びて変動する。

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kaz.
(2017-02-15)

見出された神は、言語の一端にあるのではなく、一度死んだ神を蘇らせる何か、そんな雰囲気がある。ハタハタという言葉をどの側面から眺めるかによって、その神の神々しさは、大自然の一脈を帯びて変動する。

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kaz.
(2017-02-15)

連投失礼しました。できればこの詩はルビ振りのままで、読みたいものです。

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るるりら
(2017-02-18)

もとこさんへ もとこさんに こうやって ひさしぶりにコメントがいただけて とても光栄です。 この詩は そうです。充電期間がテーマです。詩人の充電期間の場合は おっしゃってくださっているように、本や音楽を聴くといったことなのかもしれません。 この詩の場合は 自身の昔の詩を読んだり、ある英国の海辺育ちのミュージシャンの方の音楽をききながら書きました。ダジャレが多いのは 冒頭で海に向かって叫ぶように歌うようなリズムが欲しかったからでありました。 先日、天気予報の時間に 雪の日の雷は 雨の日よりも普通にあることであると説明がありまして、はたと 鰰の詩のしようとおもったのです。

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るるりら
(2017-02-18)

まりもさんへ 陽に灼けた皺だらけの顔に、じんわりと浮ぶ笑顔などを具体的にイメージしてくださって、 作者冥利です。素朴で朴訥 自然相手にしている方の誠実な人柄が書いてみたかったのです。 構成も私としても若干 工夫したつもりでいましたので、きがついていただけたことも 嬉しかったです。ありがとうございました

0
るるりら
(2017-02-18)

澤あづささんへ まあ、なんということでしよう。 秋田弁主人公の小説を書いておられたのですね。 どうしましよう。わたしの秋田弁は あってますでしようか? もしかしたら 間違えているかもしれません。わたし自身は広島の人であり、けしてネィディプ秋田弁士ではありません。本格的だと 書いている私が意味不明になるのです。 「もはや愛おしい」←このコメントにエア ハグしまくりました。これが小躍りせずにいられましょうか!うれしい うれしい。うれしすぎる。この世の憂さがウサギになる。ありがとうございます。 わたしの感性ではぜんぜんだめ←そんな はずはありません。わたしは広島人です。 ゆるされるものでしたら、秋田弁を ぜひ ご教授くださいませ

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るるりら
(2017-02-18)

三浦果実さんへ さかなくんというと、魚の帽子をかぶった あの方のことが 頭に浮かんで、ふいてしまいました。 父方の親戚が九州の人が多いので、じつは 秋田弁よりは 九州の言葉のほうが 理解ですます。 博多の神くんと一緒に 大笑いしてみんさいね。(広島弁でつ う。恥ずかしい) どうぞ、よろしくおねがいします。m(__)m

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るるりら
(2017-02-18)

kaz. さんへ 鰰という字は、魚編に神なのだなあという単純ともいえる発想ではあるのですが、 元来 漢字には 祈りのようなものが込められているものなのでしょうし 大自然を感じることのおできになる読者に めぐまれた私は とても嬉しいです。 レスポンスをいただいたことで ことしは、もっと 大自然を感じるなにかを始めたくもなりました。ありがとうございます。

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るるりら
(2017-02-18)

鈴木 海飛 さんへ >読んだあとに、読みながら聞こえてきたのは誰の声だろうと悩んみました。 するどいです。わたしは ほんとうは広島の人間でして、広島弁の詩は何作かあるのですが、最初から 地元の言葉を詩にできたのはなくて、私の方言詩の最初の最初は 秋田のある方への憧れがあるのす。 昔昔、その秋田の方に 方言指導をしていただきながら詩作したことがあるのですが、今回は初心にかえりたくて そのときの詩を改訂し こちらに投稿させていただいています。 「3年も待つんだからお前がもっているもので、ここにあるもので、しのいでみろ。頭よく悩むな。 海は逃げねえ。魚もじき戻ってくる。」← わたしよりネイティブでらっしゃるような。 詩読もすぎると毒ですよね。とてもみすかれている気がします。ありがとうございます。

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るるりら
(2017-02-18)

天才詩人 さん breviewご開設 おめでとうございます。 わたしは、詩を書くうえで 読者にとってどんなに荒唐無稽に感じられたとしても自分の中で具体性のある言葉を詩の中に織り込みたいと考えて書いているようなところがあります。 ただ 今回は、実は作者である私にも よくわかってはいないアイテムを多く使用してみました。 遠い大地に生きている人の言葉に触れたいという想像力で書かせていただきました。 わたしの出会ってない方々の心に私の詩が届くことを願ってやみません。 とても刺激的な試みのサイトで わくわくしています。

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湯煙
(2017-02-18)

なぜ三年なのか?と思いました。石の上にも三年からとなにか関係があるのかないのか。また、タイトルでは平仮名でのはたはた、本文中ではカタカタによるハタハタ、と。このあたりもよくわかりませんでした。 五漣と最終漣のつながりがとくにいいです。雪、雷、銀からおまえの海と、神話といえば大迎ですが、それほどimpactをもって迫っている箇所と、そんな感想をもちました。短いですが佳い作品と思います。

0
るるりら
(2017-02-19)

湯煙 さん この詩は、実話を元にしています。三年ほど海を休ませたというお話を聞いたことがあるから そのようにしました。 三年という年月は 日本人にとって 節目になると、個人的にも感じており 素朴な人の励まし方として わたし自身にも体験があることなので、パイをさしだすときのセリフとして採用しました。 タイトルでは平仮名でのはたはたで、本文中ではカタカタによるハタハタ、は、たしかに問題でした。 訂正させていただけるものなら ひらがなにさせていただきたいです。 五漣と最終漣のつながりを気に入っていただけた点はよかったです。 ご批評ありがとうございました。

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澤あづさ
(2017-02-22)

告知のスレッドで、天才詩人さんのコメントがついた作品は、展示に選ばれる蓋然性が高いと聞きました。この作品が展示されるのなら、展示されるまえにやはり、秋田弁のあきらかに間違っている箇所を(技術的に可能なのであれば)修正したほうがよいと思い立って再来しました。 それというのも、方言は郷土愛のかたまりです。あきらかに間違っている方言は、その地方の出身者には、侮辱のように見えてしまうかもしれません。この作品がそのような誤解を受けるのは、わたしには耐えがたいことです。ですので以下、わたし自身が「必要最低限」と個人的に思う修正をしてみます。 ※秋田弁っぽい語彙を乱用すると、どうしても難解になり、詩の持ち味が薄れると思ったので、用言の修正は避けました。またrの脱落や「の」が「ん」になる傾向なども、文章が難読になると思い無視しました。濁音化には明瞭な法則がありますので、法則通りに修正しました。 ちなみにわたしが勉強しているのは秋田「市」の方言です。秋田県どころか東北の出身者ですらなく、単に秋田が好きなだけのおたくに過ぎませんので、あきらかに間違っていたら本当にごめんなさい。。。 ▼わたしが必要と個人的に思う秋田市弁修正 旗 はだめぐ 鰰(はだはだ)の 旗      はだど 立ぢ止まって    しょげだままで いいがら    ハダハダパイ 食(け) 海どご休めれ 鰰の海さ 鰰 来ねぐなったごどもあってな 三年我慢すべ 鰰ねぐなってしまうどって取り決めだ 漁さね三年に 船なげるやづもいだ だども 三年待ったっけ 雪の中さ雷ひかり 鰰の群れの銀色が 船だば大漁 神どいっしょに大笑い   な あせるな   ほれ このハダハダパイ食(け)   おめの海にも   神いっぺ群れだって育ってるや ▼以下、直したほうがよいと思われるポイント ※秋田のみならず東北・北海道の広い範囲で、「捨てる」は「なげる」と言います。これは東北弁のシンボルのような語彙です。また「け(食え)」は秋田弁のシンボル的な語彙です。シンボルは使ったほうがよいと思います。 ※秋田市弁では「しない」が「さね」、「休めろ」が「休めれ」になります。共通語とは動詞の活用が異なるのでそうなります。また「なくなる」は、秋田市弁では「ねぐなる」です。(※秋田弁は地域によって語彙も発音も大きく異なるので、難しい話です。) ※秋田市弁には共通語の「を」に相当する格助詞がありません。ほかの東北弁には代わりに「ば」があるのですが、秋田市弁には「ば」もありません。目的格はもっぱら省略され、必要なら「どご」(原義は「~のこと」)が用いられます。 ※係助詞「は」は、秋田市弁ではあまり聞きません。もっぱら省略され、必要なら「だば」(共通語の「ならば」)が用いられる傾向にあります。 ※共通語の格助詞「に」に相当する秋田市弁には、「さ」「に」「がら」「がって(にがって)」などいろいろあります。位置や方向は「さ」、は時間・場所・変化などは「に」ですが、使い分けの基準は人によって違うようです。「いっしょに」など助動詞「だ」連用形は共通語と同じです。 ※詩の最後の【育っているど】は、秋田市弁だと「育っているそうだ」のような伝聞の意味になります。文脈から見て、この文章が伝聞だとは思えないので、「ど」は使わないほうがよいと思います。「ど」でさえなければ、ほかのなんでもよいかと。

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るるりら
(2017-02-27)

澤あづささん 方言指導ありがとうございます。 ぜひ 最終原稿をご指導あとの作品とさせていただきたいです。 もしも 本作品が 展示の運びにしていただけるものでしたら、作者のとなりに方言指導者として 澤あづささんのお名前を並べて表記していただれたら嬉しいです。

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百均
(2017-03-04)

>旗は はためく >鰰(はたはた)の 旗 もうこれで完結してるなぁと思っちゃった。鰰、もうこの文字をここにもってきてルビを振った。それだけでこの作品の着眼は成功しているし、そういう意味で僕はオヤジギャグみたいなものだと思いました。オヤジギャグがオヤジギャグたる為の要素を詩に上手く転化してそこから一気に感性を爆発させていく、これこそ僕は天然だと思う。つまり神の感性だ。   >な あせるな   >ほれ このハタハタパイ食べろ   >おまえの海にも    >神がいっぱい群れだって育っているど  このオチと始まりがある限り、途中は僕にとってはどうでもいい。(ただ間に何か挟む必要はあるのでそういう意味では必要)ハタハタパイは大事かもしれないけれども、いや大事だな。でも最初と最後が綺麗すぎてなんもいう事がない。見事すぎる。僕はこの詩を読んで笑った。

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るるりら
(2017-03-06)

hyakkinn さん わらっていただけたようで、わたしも 声をたてて 笑いました。 よく天然といわれます。でも ポジティブに天然というご意見を聞くと 時折、ひんしゅくをかうので 用心すべき言葉が、天然、という言葉なのだと思うのですが、つまり神の感性!! それは 鰰をこの字にした昔の人が 神の感性なのではありますが ここは、大海原を前に 見果てぬ夢をみている人のように 天然という言葉を 素晴らしい言葉として 受け取らせていただきましょう!ありがとうございます。おかげさまで 私の心は 日本晴れです。

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