お知らせ

   

作成日時 2017-03-11
コメント日時 2017-03-25

海の広さに一つだけ答える わからないよって 帰るだけ 砂を袋に入れて ああまだ生きているなぁ いつまでも生きていたいなぁ 心を縛る縄をほどいてくれた海風とも いつまでも一緒にいたいなぁ でもそれはできない だから僕は思い出す 新しい神の夕べに薪は倒れてカタリという 一人の旅に出た友よ 僕は君がまだ生きているかのように思っていたいんだ 問いの届かぬ海の向こうにも陸がある 美しい波と時よ 命の永遠よ 繰り返し連鎖するイメージは強いることもなく 海と空との青く広大な向うへとたどり着くだろう 愛の感情は寛大でありいくつもの苦しみを救ってきた 人が目指すところは全ての心の内側 助けるのととがめるのは同じ心 もう物言わぬものは決して消えない 閉じた幕の向こうでも続く劇がある 時折振り返るとふっと歌声が聞こえてくるような気がする ふっと表情を思い出して君の心を考える


項目全期間(2019/09/16現在)投稿後10日間
叙情性160
前衛性00
可読性90
エンタメ40
技巧90
音韻00
構成50
総合ポイント430
 平均値  中央値 
叙情性88
前衛性00
可読性4.54.5
 エンタメ22
技巧4.54.5
音韻00
構成2.52.5
総合21.521.5
閲覧指数:96.1
2019/09/16 05時36分34秒現在
※ポイントを入れるにはログインが必要です
※自作品にはポイントを入れられません。


コメント数(21)
もとこ (2017-03-12):

失礼なことを言うようですが、以前に文学極道で読ませていただいた黒髪さんの作品と比較すると、別人のような完成度です。最初の二行だけでも素晴らしい。「新しい神の夕べに薪は倒れてカタリという」なんて、額に入れて飾りたいほでです。私は幼い頃、海の近くに住んでいました。砂浜や潮だまりで綺麗な貝殻を拾い集めては、家に持ち帰っていました。それは私にとって、海を持ち帰る行為でした。この詩を読んで、あの頃の気持を思い出しました。 敢えてこの日に「美しい波と時よ/命の永遠よ」という詩を投稿した黒髪さんに、心から敬意を表します。

桐ヶ谷忍 (2017-03-12):

3.11のあの日の為に作られたのか、全く何の関係もないのか分かりかねますが どちらにしろそれはさして問題ではなく、良いを詩を拝読させて頂いたという余韻だけが残りました。 海によって命を失った友を、語り手は湿っぽさどころか、むしろ淡々と乾いた気持ちで追想する。 それがかえって、読む者の切なさを増長させていらっしゃる。 死者と生者の、埋めがたいものとして分断する「海」。 うーん。なんか一行一行が自然なように見えて練りぬかれた、無駄な言葉が無くて カッチリと美しく紡がれていて、どこを読んでも良いなあ・・・って思ってしまう。 もとこさんもご指摘された「新しい神の夕べに」のところなんか、特に鈍色に輝いていて。 波のようにさざめくようなこの詩、好きです。

fiorina (2017-03-12):

現代詩は、魂の表皮をカミソリで剥いで叩きつけたようだと、最近読みの快感を覚えはじめたところですが、現代詩の素養を積んだ方が、いちど剥がれた皮膚を丁寧に貼り合わせて、健やかなぬくもりと光の肌を持ったような詩だと思いました。

武田地球 (2017-03-12):

新しい神のの夕べに薪は倒れてカタリという 全体的に整っている詩全体の中で、何度か読んでもこのフレーズの凄まじさに鳥肌が立ちます。 最後に「ふっと」を二回重ねたのは、ますます良いように思いました。 音読したくなったので、してみました。素敵な詩をありがとうございます。

花緒 (2017-03-12):

もとこさんのレスとほぼ同一の感想を持ちました。驚きました。レベルの高い作品を投稿してくださり、有難うございます。名作と思います。初読の印象。

まりも (2017-03-12):

ずいぶんと穏やかな文体だなあ、と思い・・・3.11の日に投稿されたことを想い・・・ 「一人の旅に出た友よ」の前に、一行アケを設けた方がよかったかな、と個人的に思いつつ。 カタリ=語り/騙り とも重なって行く擬音である、ということ・・・について、考え込まざるを得ませんでした。 薪とは、何か・・・自らを(罪の意識によって、滅ぼすための)火葬/仮想の薪、なのかな、とか・・・たまたま、今打っていて出たのだけれども、「神の夕べの巻」(に、を、の、にしていますが)とも(無理やり)読めるな、とか・・・ 一人の君、に託しているけれども・・・何千、何万という死者たち、ひとりひとりのことを想った追悼詩、だと感じました。

くろかみ (2017-03-12):

もとこさん 最初の二行をほめていただいて、すごくうれしいです。海については、何よりも「海は広いな大きいな」との歌の印象が、強かった のですね。僕は海なし県生まれなので、あまり海岸などもしらず、潮干狩りとかに行ったような記憶があるくらいです。人のため は自分のためであり、自分のためは人のためである。というような、理想的な情報取捨選択をしていきたいものです。

くろかみ (2017-03-12):

桐ケ谷忍さん 3.11についての詩になったのは、機会的偶然の要素が大きいのですが、形にすることで、見えてくるものも、あったのかな、 と感じています。この詩を好んでくださって、嬉しいです。桐ケ谷さんの詩も、また、読ませていただきます。初めて、だと思います。

くろかみ (2017-03-12):

fiorinaさん 魂の表皮なんて、すごい表現をお話でつかっておられますね。光の肌は、保っておきたいものです。ありがとうございました。

くろかみ (2017-03-12):

りさん 「ふっと」を二回使う方法、面白いでしょう。僕は、えいっと目を閉じて書きつけて、さあどうだろうとまた向き合ってみることも、 詩の中では多いので、この一回性を必然に変化させ、得得とするというタイプのポエマーです。ありがとうございました。

くろかみ (2017-03-12):

花緒さん 名作なんて、照れます。サイトご開設おめでとうございます。このサイトは、皆さんが丁寧に利用されているようで、 じわっとまだまだ続きそうだと思っています。ありがとうございました。

くろかみ (2017-03-12):

まりもさん 精神的におだやかになって、自分でもほっとしていて、その気持ちでこうした詩を書いてみました。カタリ、と薪については、 フレーズ的におもしろいと思ったものを、入れてみました。ちょっと、難しい詩になってしまったかもしれません。ここは、 もっと工夫して料理すべき、僕の限界です。 >一人の君、に託しているけれども・・・何千、何万という死者たち、ひとりひとりのことを想った追悼詩、だと感じました。 こういう風に言っていただけて、感無量です。まりもさん自身が、そういうことを思っているからこそ、そういう詩に捉え、鑑賞され たのだと思います。ありがとうございました。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-03-14):

なんとも穏やかで、ストレートな詩ですね。と読んで最初に思いました。何回か感想を書いてきても、やっぱり、僕は黒髪さんの作品に、上手く言葉を乗っける事ができない。ある意味、テクニックから解放された詩のような感じがします。多分、とても自由なんだと思います。この自由というのがよくわからないのですが、僕はここに描かれた言葉をそのとおりに受け取ってそのとおりに流していきたいと思いました。

くろかみ (2017-03-14):

hyakkinnさん お読みくださりありがとうございます。穏やかさを感じられたなら、とてもうれしいです。穏やかな詩を書かねばならないと思っていた ので。なぜ穏やかであらねばならないかというと、死者へ手向けて書いたからです。嬉しいというか僕自身が不安を越えたという感じかも しれません。ストレートな詩、と、見事に理解してくださり、それもまた嬉しいです。人を惹き付けるような詩を、書くことをとりあえず 目指しているので、穏やかな心を、読んでいただけたら、それでこの詩は役を果たしたのだろうと思います。ありがとうございました。 発起人の方々は本当に頑張っていらっしゃるので、hyakkinnさんの行為に、結果が付けばいいと思っております。それくらいの 他人への期待は、僕は持っていて、言っていかないと、いけないなあと、思っています。尽力が実りますよう。

み う ら (2017-03-15):

海で溺れそうになった経験がある方は御存知かもしれませんが、海から陸地を眺めて、陸地の日常的な幸福感がはじめて判る、ということってありますよね。もしくは、誰もいない海で、力を抜いて浮いていると、本作『海』のような気持ちになったりする。ずっと生きていたいなあって。 それってなぜなんでしょうかね?神に抱かれた気持ちになるから?意外と人間って孤独が好きだったりするから? そんなことを想像する作品『海』。読者の皆さん、浸ってください。溺れないようにね。 黒髪さん、投稿有難う御座います。

くろかみ (2017-03-15):

三浦果実さん 海での広さに孤独を感じる、陸の安心を思い返す、生きていたいという気持ち。それらを、つなげて言ってくださったようです。 神に抱かれる、という言葉を聞いたのは、初めてです。そういわれてみると、神と言うものを考えるきっかけになります。 安心感というものは、とても大事ですので、人間関係以上に大事かもしれません。ありがとうございました。 サイトも順調にバージョンアップしていき、すばらしいことですね。とりあえず今のところ、面白い感じですね。

コーリャ (2017-03-23):

わからないよ。海の広さは。砂を入れて。ああまだ生きてるなあって。海風が心の縛めを解いていき、ああいつまでも生きたいなあって。それでも君は。 一人で旅に出た君。君はもう物言わず、決して消えない。時折、振り返るとふっと歌声が聞こえてくるような気がする。ふっと表情を思い出して君の心を考える。でも問は届かない。海と空と青と広大だけが向こうへとたどり着くだろう。 だから、海の広さは。わからないよ。って一つだけわかること。海は美しい波と時で、繰り返し連鎖される永遠の命イメージで、問の届かぬほど遠い彼岸まで続いている。そこに生きているかのようにも思える君はいるだろうか。しかし答えはない。あるのは君の歌声、君の表情。そんなものに、助けられたり、咎められたりしてる。僕も救われるんだろうか?ある新しい神の夕に薪がカタリと音をたて。人が全て向かう心……。わからない問ばかりの僕の前には、わかりようのない広さの海が、愛のように繰り返されている。

雨粒あめ子 (2017-03-25):

作中の海の色をイメージすると、空に近いうす水色でした。 詩の中でつぶやく語り手の「なぁ」という言葉遣いがまろやかで良いと思います。 何とも切なく、コメント欄を読んだ後で3.11の詩なんだ!と知り(鈍感でした…)、改めて深く読み返すことが出来ました。

双葉月ありあ (2017-03-25):

新しい神の夕べに薪は倒れてカタリという みなさんおっしゃっていますが、この一行はやはり美しいですね。 カタリ、はカタカナなんだよなあ。 かたり、では、ないんだよなあ。 それから、冒頭2行。 なにを問われたのかすらよくわからないのに、わからないよって答えたくなるよなあ、と勝手に納得しております。 海は好きです。ありがとうございました。

るるりら (2017-03-25):

海を実際に目にしたときの 果てしない青さを思いました。 海を目にすると へだてるという人間の感覚が ちっぽけなものに わたしは思えるのですが、この詩の読後感覚も 海を目にしたときと同じだと思いました。 ≫助けるのととがめるのは同じ心 個人的には↑ここが、好きです。心の痛みがしずかに緩和してゆく力があると思いました。 おなじ心が ふたつの行動の起源だと思うことで すくわれることがあると思いました。 人さまを 助けるのは 気持ちの良いこと 自分を とがめるのは 気持ちの良いことではない。 心が疲れると 一人の人の心の中でこのふたつが せめぎあって辛くなる。 海にへだてがないように へだてをなくす心境が 超えられるものは、大きいに違いないと感じました。  

くろかみ (2017-03-25):

コーリャさん ご批評ありがとうございます。書き換えの詩は、ちょくちょくと出会うのですが、僕が読んでいいと思ったのは、最後のところなんですね。つまり、「愛のように繰り返されている」のところ。新鮮さと自律性が、詩人と詩を生き生きさせると思った次第です。サイト頑張っておられて、 これからの発展に期待しています。 amagasasasiteさん ご批評ありがとうございます。うす水色の海、良いですね。南国みたい。(『行け!!南国アイスホッケー部』という漫画を、高校の頃に買おうとして止めたのは、 良かったのか悪かったのか、もんもんとしています。)なぁという言葉遣いは、たまにはいいものでしょうね。誰かに使ってもらいたいものです。3.11についての詩を書けたのは、個人的には誇りとするところであります。 双葉月ありあさん ご批評ありがとうございます。 ~薪は~カタリ~ この表現を鑑賞してくださり、嬉しいです。海が問いかけている、という感覚は、正しいのか面白いのか、どうなんでしょう。 るるりらさん ご批評ありがとうございます。 果てしない青さ←素晴らしく詩的な表現で、やはり言葉を使われる方だなって。隔てることのない世界、みんなで夢見ましょう。 >助けるのととがめるのは同じ心 こういう、アフォリズム的な表現に凝って、ここまで来た感じの僕なので、やはり嬉しいです。疲れた方に、何か添って差し上げられたら、 こんなに嬉しいことはありません。今日は、この詩をささげた方とのお別れの会に行ってきました。朗読をしましたよ。

投稿作品数: 1