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あさぼらけ   

作成日時 2017-04-08
コメント日時 2017-05-05

※縦書き版→http://yuyakasai.tumblr.com/post/159302981502/ いとをかしうあはれにはべりしことは、花の色の面白きををとこが摘みとりし事なり。おぼつかなき事ばかりつづきて、わが宿のあれたるを、かの人訪ねざりしかば、世を厭はむと思ひしかど、ふと道に咲ける花にぞ救われたる。 それは一つの夢であった。幼いころからの夢とか、そういうものとは違う。かといって、夜眠っているときに見るあれとも違う。本当に存在するのかしないのか、それが分からないという意味での。―あけぼの。 春は。 祖母の皮膚は、ましろであった。このうえなく透きとおるましろであった。幼いころ、私の手を取り、坂道を夕日がなだらかに見せてくれる日に、図書館へと連れて行ってくれた祖母だ。祖母は死ぬ間際、痛み止めの類をすべて拒否し、それはある意味での抵抗であったのかも知れぬが、私の父を困らせた。それはあらゆる太陽が沈み、あらゆる月が出てくることと同じように、祖母にとっては自然なことであった。おのづから日は極まった。死を目の間にした父の背中は、今までにみたどんな背中より小さく、悲しく、しかし何よりも大きいものであった。私の掌のしわは、いつの間にか深く、深く、深くなっていた。しぼんでいたのだ。かなしみなどという言葉では、片付けてはいけないと知りながら、手抜きではなく、あえて、かなしみという言葉を愛した。それが、唯一の愛し方であったからだ。夢の中でも父は泣いた。それは、少年時代の父であった。虫かごにはたくさんのクワガタが捕らえられている。夏の暑い日だ。おそらく、湿度も高い。とにかく湿っぽいのである。水分という水分が世界を埋め尽くしたのだ。それは、酷な世界でもあった。祖母はの顔はただひたすらにましろであった、それは冬であった。思い出とは反比例して。 むかし、男ありけり。梅の花をめでけり。春といふをりに、世界をめでけり。けしうはあらぬ女を思ひ、歌詠みて、伝えければ、女、え返さざりけり。その故、さらに知る者なし。夢ならざらましかば、知るひとあらまし。 テーブルの上をビー玉が転がっていた。美しいビー玉であった。幼いころ、口の中でビー玉を転がした。もう少しで喉に詰まってしまうのではないかというところで、止めた。それは快感であったのかもしれない。不思議な味のするビー玉であった。むかし、木漏れ日の指す部屋で、布団に顔を埋めたあの日の香と同じ味であった。隣では祖母が歌っていた。祖母の声はうつくしかった。今日も夢の中で祖母の声を聞いた。 少女はいつまでも、そこに立っていた。名前を知らぬ少女であった。もしかすると、名前という者を与えられていない少女であったのかもしれない。赤い自転車に乗ってどこかへ行ってしまった。少女の眼は美しいビー玉のような目であった。 むかし、男ありけり。梅の花をめでけり。春といふをりに、世界をめでけり。けしうはあらぬ女を思ひ、歌詠みけり。 ビー玉のごとき目玉をくりぬきてその構造がゆかしかりけり 祖母は私に漢字を教えてくれた。「けいけん」には「経験」もあれば「敬虔」もあるし「慶顕」もあるのだよ、と。そこに、私は宇宙の広がりを見たのであった。そっと、指で少女の背中に、私は字を書いた。 「なんて書いたかわかる?」 「わかんないわよ」 「もう一回だけね」 「ああ、もう、くすぐったい」 「どう?」 「んー、木、キ、き、木…隣がわかんない」 「じゃあ、ひんと! あのときのかおりだよ」 雪降れば木ごとに花ぞ咲きにける いづれを梅とわきて折らまし―『古今和歌集』紀友則 私は少女の背中に父の小さな背中を見た。 そこにはさらに生き写しの私がいた。 声が出なくなった。 ただひたすら、風景はましろであった 朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪―『古今和歌集』・坂上是則


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コメント数(17)
葛西佑也 (2017-04-08):

例によって縦書き版があります。 ※縦書き版→http://yuyakasai.tumblr.com/post/159302981502/ また、一度縦書きで書いたものを、こちらにコピペではなく打ち直したのですが、 そのせいでいくつかタイピングミスが。すみません。確認不足です。 また、こちらは過去作ではなく完全なる新作です。

花緒 (2017-04-10):

凝った一作だと思う。和歌や古文の読解能力が不足しているため、読み切れたとは思えないが。死を題材にしているわりには、結局のところ、大したことを言っていないのでは、、、という気もしないではないのだが、他方、これだけ多様なテクストを編み込んで、読めるだけのものにするのは、さすが!という気もする。ちゃんと読みきれてないと思うので、レス付けづらいですが、とりあえず上げさせて頂きます。

渡辺八畳@祝儀敷 (2017-04-10):

うわぁすごい。初読の感想がそれ。 古典文学を愛する塾講師だからこその作品だ。文語が持つ美しさをどう現代文の領域にもスライドして現させるかの試みが成功している。読むと文語のところはモノクロームとして見えるのだが、それは現在とは続かない世界としての過去ではなく、しかと現代と繋がる世界、されど直通ではない。別層(パラレルワールド)だが絶対座標では繋がっている、って感じかなぁ。 異層同士の結び付けが成功していることで、直線の時間軸では為し得ない広がりを持たせることができている。いやぁ、これすごい。

ぶたみみ (2017-04-10):

文語体を横書きで読むのは、なんだかむず痒くて、縦書きで読みました。 大鏡の鶯宿梅を背景にされていらっしゃるのかなと思ったのですが、最初に出てくる花は、をとこが摘みとりしであって、枝を手折った訳ではないので、最初の花は梅ではないのでしょうか。 そして、春はあけぼの。お祖母さまの皮膚は、真っ白ではなく、ましろで、そして、山際。 葛西さんとお父さまのお祖母さまへの愛が、溢れています。夢の中で、梅の好きなお祖父さま(?)と化粧っ気のないお祖母さまはどのような歌をお交わしになったのでしょう。きっとお宅にも梅の木があったのでしょうね。美しい詩をありがとうございます。 私の勝手な解釈が見当はずれでしたら申し訳ございません。

右肩ヒサシ (2017-04-11):

葛西さん、こんにちは。 古文の和文脈と口語文の融合は、とても面白い試みで、冒頭の部分の完成度は特に高いと思います。ただ全体的には詰めきれていない部分があるように思いました。一例を挙げると「それは酷な世界であった」は口語としてこなれていないし、「思い出とは反比例して」という表現は意味がとれません。詩の構成としては、少女と私との生々しい会話語のやり取りは(作者としては狙ったものかもしれませんが)全体の調子にそぐわないと思います。葛西さんとの感覚の違いもあるのでしょうが、こういうものはとにかく時間をかけて推敲し磨き上げてようやくそれらしい形になるもののように思います。語句の問題とは別に、感傷に走りすぎて均整を欠いた部分もありませんか?まだ荒削りな印象が拭えません。 失礼なものいいになってしまったかもしれませんが、着想も好きですし、ぴたっと決まっている部分は、僕の目で見ても非常に美しいのです。一連と二連の繋がりにはぞくっとさせられました。それだけにまだ見ぬ完成形を求めてしまうのです。10年かかっても美しく仕上げてもらいたいですね。工芸品のような詩、好きです。

もとこ (2017-04-11):

かつてソフトマシーンやヘンリー・カウ、ELPといったプログレバンドは、クラシックやジャズとロックの融合を試みました。この「あさぼらけ」もまた、古典言語と現代語を組み合わせた実験的な意欲作だと思います。しかも、ただ実験的なだけでなく「明日も、雨なのですか。」のように、語り手(おそらくは作者自身)と家族の関係というテーマが無理なく展開されているところに、作者の技量の高さを感じます。 作中で「ビー玉のような目の少女」が出てきますが、戸川純の「母子受精」に登場する「ガラス玉の目の光」の子どもとは違って、彼女の美しさと幼い頃からの語り手の鋭い美意識を表現する上手いアイテムの使い方だと感じました。この作風は、ぜひシリーズ化してほしいと思います。

葛西佑也 (2017-04-12):

花緒さま ご感想、誠にありがとうございます。たいしたことはいつも、実は書いてないのです。一部の作品を除けば、それはもう、しょうもないことから出発して作品に仕上げております。和歌や古文など、馴染みない方には、もしかすると難しい作なのかもしれませんが、そこは雰囲気を楽しんでいただければと。今後もこの形式は突き詰めていく所存です。 祝儀敷さま コメントありがとうございます。そうですね、本当は古典研究で生きていきたいのですが、その道も狭い道故、なかなかうまくいきませんが、今もある意味古典で飯を食えているので幸いなことです。その古典愛が結晶化して、この形式になっています。 ぶたみみさま コメントありがとうございます。そうですね、やはり縦書きで読んでいただきたい作品です。縦書き前提で書いておりますので。祖母や祖父の存在は人によって様々な捉え方があるでしょうけれども、何かしら感じて頂けたものがあるようで、嬉しく思います。ありがとうございました。 Migikataさま ありがとうございます。この形式は、数年温めて来て、まだ完成形ではないですが、やっと形になってきたという段階です。今後さらに追及していきます。 Migikataさんとの好みの差の部分は、乗り越えられる日が来るかどうか、わかりませんけれども。おほめ頂き嬉しかったです。ありがとうございます。 もとこさま たしかに、クラシックとロックの融合のようなものありますね。言われてみれば、その試みに通ずる部分があるかもしれません。実は、これ、最初にビー玉の短歌が出来上がり、そこに古文で言う「歌物語」的に話を重層的に重ねていき、いわば詞書として詩が成立しました。この作風はこれからずっと続けてまいります。

まりも (2017-04-12):

三詩形(短歌、俳句、現代詩)融合の試みが、最近なされるようになりましたが・・・古文と現代文の融合(この場合は混ぜた、というよりも、ポリフォニー的な配置、というべきか?)もあったかあ、と思いつつ・・・ 古文の部分、句読点に違和感があるのですが・・・。ずらっと並ぶと読みにくいので、一文字あけ、などで対応するのはどうでしょう(あくまでも一案です) 「名前という者」これは、者、として擬人化した表現でよいのか、あるいは「もの」「物」なのか、気になりました。 死、が怖いのではなく、死に至る苦悩、苦痛が怖ろしいのだ、と常々思うのですが・・・自分の息子に、いわば死に至る痛苦(もしかすると悶絶、阿鼻叫喚、のごとき)を見せながら、血の気が失せた「ましろ」になって旅立っていった祖母、その壮絶さに、しばし絶句。「母の死に様」を思い出しては泣く父、それは父の中の「少年」の部分でもある。少年とは、世界を感受する童心の部分ではあるまいか。少女もまた、祖母の中にある少女の部分、世界を感受する部分、その魂のようなものが、人の姿をとって現れたように思いました。 ビー玉と「たま」(魂)、目玉をしゃぶって育つ「龍の子太郎」、「死」という実在を刻印して逝った祖母の存在感・・・祖母の眼(世界を見る、視方)を、祖母の死によって語り手は獲得した、とも言えそうですが・・・。 Migikataさんのコメントにもありますが、どうも「少女」との会話の部分が、浮いている感があり・・・私は、この突然現れる「少女」を、祖母の声の記憶が呼び覚ました、祖母の魂の現前、と読みたいのですが・・・漢字を教えてくれた(日本語の奥行きを教えてくれた)祖母と、背に文字を書いて「対話」を試みる書き手と、その背に父を、さらには自分自身を見る、という重層性の表現の部分・・・いささか混乱するように思います。 もう少し、能の橋掛りの部分のような「装置」が必要なのではないか、と思いました。

まりも (2017-04-12):

春はあけぼの、という審美眼は、枕草子で初めて打ち出されたものだ、それまでの(古今和歌集)などには無かった、と聞いたことがありますが・・・それゆえ斬新である、ともいえるのでしょうが・・・祖母の死と春(曙という時間帯のイメージ、そこから始まる、という再生の場であるイメージ)が結びつく場に、夏の生命の盛りのクワガタを虫籠に閉じ込めるイメージが、ちらっと出て来て、さらに、祖母の死は冬だ(すべてが眠りにつく、命を奪われる、始まり、ではなく、終わり、の季節である)という部分が、急展開すぎるように感じました。ついしんです。

葛西佑也 (2017-04-12):

まりもさま 丁寧なコメントありがとうございます。さて、まず句読点ですけれども、翻刻という作業がございます。変体仮名の古文をかなにし、漢字混じりにし、句読点等を施す。それで、だいたい句読点等の位置は古典文法的に決めていくのですが、この癖が出ているのでしょう。しかし、古典のところをぱっと見開かせるのではなく、遠目に見れば口語部分と区別がつかないというのが目的です。少し考えますね。 つぎに、春はあけぼの。これの新しさ、春の中の夜明け、夏の夜、秋は夕暮れ、冬は朝と、それぞれの季節にそれぞれさらに時間の区分で趣を見出した点が新しかったのですよね。それまでは、春は桜、秋は月のような感じでしかありませんでしたから。者はものです。縦書きでは、修正というか、こちらに転記した際の誤変換ですね。 少女との対話については、私の好みで、この浮いた感じこそが、この作品の核だと思ってます。全体の雰囲気がぴたりと統一されているのは素晴らしいですが、そうでなければならない、浮いている部分があってもいいと私は考えています。 また、冬についてですが、確かに冬として読めるかもしれませんね。しかし、私はここに冬までを読んだつもりはなく、驚きました。ありがとうございました。

葛西佑也 (2017-04-12):

書き忘れましたが、雪で冬に飛んでしまうのですが、古典世界では、太陰暦のために、1月2月3月が春であり、その前が冬で、つまり、私は飛んで冬になぬたというよりはまだ春と冬の間、それで逆に一旦戻って、冬から春になる、その前の冬のというように、交錯しているイメージなんですよね。

ぶたみみ (2017-04-16):

伊勢物語で、たまたま、「けしうはあらぬ女を思ひけり」という言葉を見つけ、大変な思い違いをしていたことに気づきました。申し訳ございません。

み う ら (2017-04-16):

女鳥が殺された曽爾高原から僕に届いた手紙には古今和歌集の一節が書かれていたよ それをね 引きこもりの女の子に教えたんだ それがね あなたは罪深いねって云いながら 女の子がけしうはあらずって 笑ったよ 有難う速總別王 葛西さん、毎度投稿有難う御座います。インスパイアされた共感詩です。失礼しました。

葛西佑也 (2017-04-22):

ぶたみみさま 伊勢物語の非常に有名な場面ですね。大変興味深い章段でもあります。そして、伊勢物語以外でもよく見られる構図の話です。「けしうはあらぬ女」というのがポイントですね。ありがとうございました。 三浦果実さま さらに時代をさかのぼって、万葉の時代から着想を得られたのですかね。とてもすばらしいお言葉をありがとうございます。なんだか、タイムスリップした気分です。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-05-04):

 ツイキャスで、なかたつさんと色々読んだんですけど、今度動画として編集してアップ出来たらしようかなと思います。葛西さんもその場にいらっしゃって、面白いと言ってくださったので、多分公開してもいいと思うんですけどね。  この作品は最初古文からはじまって、途中に歌なんかも混じって、少し読み手のハードルが上がるみたいな感じを受けるかもしれないんですけど、どこからでもいいので読んでいくと凄く面白い作品だという事にきがつきました。結構計算高く積まれていたり「少女」というキータームというか伏線が綺麗に最後の背中に重なっていく所など見事でした。一つのうた物語のようでもあるし、とても面白かったです。

朝顔 (2017-05-04):

ものすごくハイレベルな作品に感じました。私、昔昔ものすごくヘタな詩でやはり、ビートルズのヘルプ!と自分の行を重複させてみたことあるのですが…。ちょっと考えましたのは、この引用を全て抜いてしまったらどうなるかなぁって思って。詩としてはむしろ纏まりは良くなりますけれども、何か大切なものが欠けるなぁと。

葛西佑也 (2017-05-05):

hyakkinnさま コメントありがとうございます。また、先日の放送、大変楽しく拝聴いたしました。私の作品については、どのようにして頂きましてもかまいません。放送の動画を公開して頂きましても問題ありません。お二人の貴重なお話が、埋もれるのはもったいないとと存じますので。 計算といえるようなものはありませんけれども、私としてはいくつかの仕掛けといいますか、そういうものを盛り込んでいるつもりです。ただ、やりたいことの半分もできていないなあと。もっお精進したいと思います。感謝。 朝顔さま コメント誠にありがとうございます。たしかに、文語の部分を除いた時にどんな趣になるのか、自分自身でも興味深いです。もともとは、文語ではない部分が先にでき、後から間に文語を挟み込んで作られましたので、なおさら面白いご指摘でした。感謝。

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