雨ということで - B-REVIEW
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雨ということで    

さっきから 足をぷらぷらしている お日様が 洗面台に 座っていて 外は雨ということで 鉢植えの避難を終え いまは床の木目を ずっと見つめている。 脱衣所に突然 なにかが激しくうちあげられて それは冷蔵庫で 白いボディが 波頭のように破裂し クジラの死骸がぞろぞろ すべり出てくる ほぐれてゆく筋繊維とは 海洋生物の体温とは かくも静かに香るものなのか 洗面台のくぼみの中で 倒れずにいた鉢植えに ぽっと マリーゴールドは咲いた。 小さな木靴を たたきでトントンして お日様が 玄関でふりむく そろそろ 雨も止むということで 傘を借りて 戻る という。


雨ということで ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 14
P V 数 : 798.1
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2017-03-15
コメント日時 2017-03-30
項目全期間(2024/04/26現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
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 平均値  中央値 
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 エンタメ00
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閲覧指数:798.1
2024/04/26 06時56分08秒現在
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    作品に書かれた推薦文

雨ということで コメントセクション

コメント数(14)
葛西佑也
(2017-03-16)

拙いコメントお許しください。私はなぜか雨の詩には、無条件にひかれるのです。雨が降り、傘をさすというその動作、それだけで、なんだか詩的な感じがする。 この詩もやはりそうでした。 洗面所、脱衣所、冷蔵庫といった日常。それとは、かけ離れたクジラを比喩として持ってくるところから詩が大きく展開して、もう一度日常の何気ない風景に戻る。それだけならなんてこともないのかもしれませんが、最後の雨と傘で余韻が生まれて、それが詩として成立させる鍵になっていると感じたのでした。

0
みいとかろ
(2017-03-16)

葛西さん コメントありがとうございます。最後を魅力的にきめることで作品全体をひきしめようという意図がありました。その点をくんでいただけて、ほっとしています。 〈魅力のあるフレーズ〉が、脈絡の欠けた文章を、ひとまとまりの作品としてたちあがらせる契機として機能する、という事実を、とても重要なことだと私は考えています。諸々のフレーズを一個の作品としてつなぎとめる力は、文脈やテーマといった〈すじ〉のみに求められるのではないのだ、ということを考えつつ書きました。

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なかたつ
(2017-03-18)

 語り手が語り手に徹している、というより、観察者としての立場を全うしているからこそ、不思議なことが当たり前に起こっているかのように淡々と語られています。そのため、描かれた主体は何の疑問もなく、すらすらと登場してきて、それと同時にすらすらと読めるのですが、やはり、そこにあえて疑問を投げかけることで、この作品がより拡がっていきます。  招かれざる客という言葉がありますが、このお宅に招いた客は、自らが避難させた鉢植えであって、招いてもいないであろう客は、お日様です。ただ、実はそれだけでなく、クジラの死骸もなぜか外からこのお宅の脱衣所に避難してきたわけです。雨が降っているという外から、あえてお日様がいるところに避難してきたクジラの気持ちはわかりません。この疑問は、僕らの日常でも同様で、海岸にクジラの死骸が打ち上げられる時に抱く疑問とほぼ同義であると言えるでしょう。  そして、急に咲くマリーゴールドは必然的に咲いたのか、偶然的に咲いたのか。もし、このお宅にお日様やクジラの死骸が避難してこなかったらマリーゴールドは咲かなかったのでしょうか。結果論でしかありませんが、鉢植えを避難していなかったら=雨から逃れることをしていなかったら、きっと咲かなかった気がしますし、お日様やクジラの死骸がなかったら咲かなかった気がします。それこそ、この詩の作品の淡々とした語りがもたらす効果であって、重なる偶然が必然として語られているように思えます。  この作品は実に奇妙な終わり方をしています。雨が止むというのに、お日様はなぜ傘を借りて外に出たのか。それがお日様ではなく人であったなら、一つの疑問=雨が止んでいるのに傘を持つ不思議しか湧かないのですが、主体がお日様であるからこそ二つ目の疑問が湧きます。それは、このお日様は自らの役割について理解していないのだろうか、ということです。きっと、お日様がこのお宅に避難しているから外に雨が降っているのですが、お日様が外に出れば雨が止むはずなのに、もしかしたら雨が降るのかもしれないと思っているのか、傘を借りていってしまうのです。僕の家にお日様に来たことはないのですが、もし来たとしたら、出ていく間際に肩を叩いて「周りは誰も傘を持っていないから、多分恥ずかしい思いをしてしまいますよ」と声をかけようと思います。

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渡辺八畳
(2017-03-18)

こういうイメージが視覚的にひろがる詩は好きである。 文学極道のほうになるが、私はダーザイン氏のこのコラム(http://bungoku.jp/column.html?page=1;num=10#03)が好きでして。21世紀のこの世は視覚の時代ですよ。B-REVIEWを今まさに使用している我々の、たった今この瞬間動かしているパーソナルコンピューター、これこそが視覚の時代の仕掛け人だ。 その世において詩が台頭する方法を問えば、視覚を超えた視覚性、可視化映像化できないほどの超視覚を概念媒体である言葉で行うことと明快に回答するべきだろう。洗面台から視点を下に移した脱衣所の床で行われる冷蔵庫から海洋生物へのイメージの繋がりはまさに超視覚へと当てはまるだろう。

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きらるび
(2017-03-18)

みいとかろさん 言葉のすみずみから、作者のやわらかな眼差しがみえます。ふしぎですね、、太陽をとうして、かろさんの私生活がみえかくれするようです。 どこか、グロテスクなイメージも、心地よい、かろリズムで、意識が波をたてて、とおくへと、泳いでゆくような、ずっと、耳を傾けていたい、鼓動のような、これもまた、ふしぎな詩風ですね。 わたしは、みいとかろさんの詩が現代詩手帖に掲載されていたころ(いまも)からのファンで、かろさんは、とても、お気にいりの詩人のひとりなのでありますが、ネットでも、こうして、あなたの詩と出逢えて、うれしいかぎりです。 わたしも詩をかこうと、おもいました。ありがとう。 そして、みいとかろさんの詩は、可愛らしさのおくに、どこか、さみしげな視点がありますね、みじかい言葉に、凝縮された、未知の鼓動がみえます。やはり、きみの詩、すてきだなぁ〜、

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みいとかろ
(2017-03-20)

なかたつさん、コメントありがとうございます。 「このお宅にお日様やクジラの死骸が避難してこなかったらマリーゴールドは咲かなかったのでしょうか。」という視点が可能であることに、ご指摘いただいて始めて気がつきました。 なかたつさんの読みにおいて自作のテクストがより立体的にたちあがる様子を発見することができ、おどろいています。 貴重な批評をいただけて、大変勉強になりました。ありがとうございます。

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みいとかろ
(2017-03-20)

花緒さん、コメントありがとうございます リフレインの効果、全体の軽さの印象、モチーフの組合せに由来する詩情をご指摘いただきました。この作品を特徴づける要素の概要を、改めて認識できました。 リフレイン、軽さ/重さ、モチーフの組合せ。例えば音楽でも漫画でもコラージュでも、同様に発見できる要素です。様々なジャンルの根底によこたわる、基本的な要素といえるかもしれません。 とても腑に落ちる批評で、勉強になりました、ありがとうございます。

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タムラアスカ
(2017-03-21)

太陽、マリーゴールド、くじら。それぞれ言葉はバラバラなんだけど、日が昇り、沈むまでの1日のうちに気温は絶えず変化していて、それがこの詩の風景に触れて肌で感じ取れる不思議な感覚がしました。 普段の生活でいつも見ているものをそのものの「名前」から捉えてしまうのが勿体ないなって思う。 こんな目で自分の生活空間を見つめていたいです。

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もとこ
(2017-03-21)

雨が降っているので、お日様が洗面台で足をぷらぷらしている。実にメルヘンです。ところが、そこへいきなり白い冷蔵庫が打ち上げられて破裂し、中からクジラの死骸が大量にすべり出てくるという怒濤の展開。個人的な話ですが、私は小学校1年生くらいの時に学習百科事典で捕鯨についての詳細な記述を読んだことがあります。まだ捕鯨が船団規模で行われていて、クジラの刺身やステーキが安く買えた時代です。事典には捕鯨船の甲板に引き上げられ、解体されようとしているクジラの写真が載っていました。クジラの腹は縦に裂かれて、中からはもの凄い量のオキアミが流れ出して山のようになっていました。破裂した冷蔵庫からたくさんのクジラの死骸が出てくるというイメージから、私は不意にこの写真のことを思い出したのです。 たくさんのクジラの死骸があるという状況なのに、不思議と不快な感じがしません。臭いに関しても、「かくも静かに香るものなのか」と表現が実に優雅です。一方、鉢植えで咲いたマリーゴールドという花は「マリア様の黄金の花」という名前に似合わず、実はけっこう臭いのです。しかもメキシコでは死者の日に使われる花だったりします。死んでいるのに臭わないクジラと、綺麗なのに臭くて死とつながりが深いマリーゴールド。この対比が実に巧みだと思いました。最後にお日様は木靴を履いて、傘を借りて出て行く。雨が止んだ時、空には何があるのでしょうか。読む者の印象を巧みに操作する不思議な詩だと思いました。

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みいとかろ
(2017-03-25)

祝儀敷さん、コメントありがとうございます。 まず、指摘してくださった超視覚性は言葉の強みだと私は思います。現実の時空間・映像技術においては原理的に再現できないような事態であっても、言葉によれば、ひとまずそのような事態として呑み込ませることができるという強みです。 次に、言葉によってあらわされた超視覚的な事態を飲み込むとき、独特の印象を伴うということを見落としてはならないと思います。非現実的イメージを構築しようと非日常的な働きかたをしいられる頭のなかで、副産物的に特殊な印象が発生するのだと私は考えます。 さらに、その印象はもはや視覚的ではありませんが、視覚的イメージそのものよりも大切だと考えます。超視覚的イメージを基本とした作品は、その視覚にかかわるイメージの連結よりもむしろ、副産物である印象の連結にこそ配慮すべきだと私は考えます。 まとめると、超視覚的な言葉の使用は印象発生装置として有効であり、この技法を積極的にとりいれた作品においては、視覚的イメージよりもむしろその副産物である印象の推移こそが、作品の本体である、ということです。 視覚野に激しくうったえながらしかし視覚的イメージは本体の足がかりにすぎないという、逆説的なスタイルと言えるかもしれません。 ひとつの詩のスタイルを考える為に、大変参考になる批評をいただけました。ありがとうございます。長々スミマセン!

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雨粒あめ子
(2017-03-25)

とても不思議な詩を拝読した気持ちです。 雨から避難させたマリーゴールドがいつの間に咲いている。冷蔵庫の中からクジラの死骸がぞろぞろ出てきたけれど、この作中の主人公は(主人公が存在するのか曖昧ですが)ほぼそれほど驚きもせず過ごしているようで。 全体を通して、静かな音を感じました。

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湯煙
(2017-03-25)

破壊と再生といえば大袈裟かもしれませんが。水のイメージが冒頭から予兆として継続していく様が浮かびました。雷の一撃によりカモシカ300頭が殺られたというネット記事を昨夜見ましたが、そうした超自然?的な働きを思います。 水族館のガラスケースを越えて車のフロントガラスを突き破って水が世界に満ちてといった、山口泉の掌編「死の力」の世界観なども思い起こさせるようで、短いですが印象深いです。 例えばネットの画面を通してsplash、洗礼といいますか、は私も思うことはあるのですが。

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右肩ヒサシ
(2017-03-25)

みいとかろさん、こんにちは。 おひさまが『よつばと』のよつばみたいでした。最後に木靴をとんとんする部分ではあづまきよひこの絵が浮かんできました。愛らしいですね。内容は理科の本に載っていた、命の循環を表す図、というより挿絵のようなものに似ています。死と再生の寓話として読みました。壮大な寓話が日常生活の中にちゃっかり可愛く居ついているのがこの詩の魅力でしょうか? 冷蔵庫やクジラの登場への違和感が消えなかったのですが、みいかとろさんのコメントを拝見して納得できました。僕だったら歯を剥いて死んでいる猫の死骸にしてしまうと思います。死骸が好きということは決してないのですが、九相観図を知ってから子どもの頃空き家の裏庭で見てしまった猫の死骸のトラウマが表に現れてくるのですね。クジラの解体写真も、僕が小学生の頃には学校の掲示板に貼られた写真ニュースの捕鯨船紹介の記事などで良く見ました。

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百均
(2017-03-30)

凄くしまった作品だなぁと思います。 急に雨が降ってくる。晴れる。たったそれだけの事を面白く見せていく作品。 さっきから 足をぷらぷらしている お日様が 洗面台に 座っていて 外は雨ということで 鉢植えの避難を終え いまは床の木目を ずっと見つめている。 >脱衣所に突然 >なにかが激しくうちあげられて >それは冷蔵庫で 白いボディが >波頭のように破裂し >クジラの死骸がぞろぞろ >すべり出てくる  強い雨が降り出すイメージを脱衣所っていう風呂場の前っていうクッションを挟む。次に打ち上げられるイメージを波頭に繋げる所で波しぶきが堤防を乗り越えて陸に上がってくるイメージ。に鯨をもってくる。ここが面白い。雨が降ってくる様子を嵐の海で視覚的に演出した後に鯨の大きさと腐った時の臭いをかぶせてくる。雨が降った時の排水口から立ち込める独特の腐臭を死肉に喩えるというインパクト。次に >ほぐれてゆく筋繊維とは >海洋生物の体温とは >かくも静かに香るものなのか  鯨の筋繊維を絡めてくる所で、僕は雷を想像した。そこに暖かさを混ぜる事で気候も伝わってくる。多分季節は夏。白い鯨みたいな入道雲がもくもくと湧き上がってきて急に降り出した雨の様子なんだ、という事を僕は読み取りました。 >洗面台のくぼみの中で >倒れずにいた鉢植えに ぽっと >マリーゴールドは咲いた。  マリーゴールドが咲いた途端雨が止むという比喩。 >小さな木靴を >たたきでトントンして >お日様が 玄関でふりむく >そろそろ >雨も止むということで >傘を借りて >戻る という。  最後も粋だなぁと思わされるオチ。太陽の擬人化というのが雨宿りする人のイメージに上手くかぶさっている。木靴のトントンっていう音を感じさせるのはなんでいいかわからないのですが、技を感じます。  という事で、僕が言いたいのは比喩の力を感じる作品だということでしょうか。  個人的には基本に忠実に一つの方法論を用いて一作情景を演出して見せたという感じで、秀作だなぁとおもいました。

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