作品投稿掲示板 - B-REVIEW

きらるび

投稿作品数: 2
総コメント数: 23
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みいとかろさん 言葉のすみずみから、作者のやわらかな眼差しがみえます。ふしぎですね、、太陽をとうして、かろさんの私生活がみえかくれするようです。 どこか、グロテスクなイメージも、心地よい、かろリズムで、意識が波をたてて、とおくへと、泳いでゆくような、ずっと、耳を傾けていたい、鼓動のような、これもまた、ふしぎな詩風ですね。 わたしは、みいとかろさんの詩が現代詩手帖に掲載されていたころ(いまも)からのファンで、かろさんは、とても、お気にいりの詩人のひとりなのでありますが、ネットでも、こうして、あなたの詩と出逢えて、うれしいかぎりです。 わたしも詩をかこうと、おもいました。ありがとう。 そして、みいとかろさんの詩は、可愛らしさのおくに、どこか、さみしげな視点がありますね、みじかい言葉に、凝縮された、未知の鼓動がみえます。やはり、きみの詩、すてきだなぁ〜、 (雨ということで)

2017-03-18

奏熊とととさん はじめまして。わたしはどうやら、この作品を「ねじ式」という漫画のように、仕上げたかったようなのです。けれども、つげ義春のあの傑作漫画を模すのは、どうしても、力不足でありまして、モチーフだけ、やんわりと、オマージュを捧げたしだいです。興味深い解釈を、どうも、ありがとうございます。わたしは、ユングやフロイト、ほかの学問にもうとく、多くを語ることができずに、無意識のまま、表現することしか、できませんので、こうして、奏熊とととさんや、ほかのみなさまのご感想、および、ご意見をきくことによって、学ぶことがたくさんあります。このサイトで特によいことは、詩人さんのなまの声が、とても真面目な発言であふれているところです。だれも、中途半端なんかぢゃなく、まともに、詩を受けいれる覚悟と、すべてを受けいれた表現力で、詩をおかきになられている。わたしは、ネット詩にも未来をみました。ミライのカケラをすこしずつ、繋げてゆきましょう。ありがとうございます。 (まいまいつむりのまいこちゃん)

2017-03-03

Migikataさん ご感想、ありがとうございます。わたしはどうしても、オチをつけたがる性質であるようなのですね。もうすこし、音の余韻のように、こころへと吸い込まれてゆくような、それでいて、鳴りやむことのしらない、いびつな詩の残響というものを表現してゆければ、とおもいました。どちらかといいますと、この作品は詩ではなく、幻想文学だと考えています。ショートショートの投稿も可能、ということでしたので。けれども、たとえ、小説であれ、詩的な表現というものができましたなら、それほど、しあわせなことって、ありませんよね。詩でも小説でもなくやや音楽にちかい、語りかける言葉の奥にひそむ、作者の感情。そこまで、かんじとっていただけるような、作品へと、希望をもって、えがいてゆきたいものです。ときに、くじけそうになりますが、多くの詩人さんの作品を鑑賞するのは、とてもたのしみなのです。ご感想、とてもうれしいです (まいまいつむりのまいこちゃん)

2017-03-03

まりもさん ありがとうございます。いつも、丁寧に作品を読んでいただけて、とても嬉しくかんじています。わたしも詩としてはすこし、くどいとはおもいました。作中の会話文は、できるだけ抑えた表現で、みじかくまとめるのがよいのかも、しれません。主人公の朦朧とした意識を表現できれば、とおもいましたが、もうすこし、説明をおさえた言葉で、あらわすべきでもありました。まりもさんのご意見をいただけて、わたしはいつでも目が覚めます。詩の書きかたをかえるのは、なかなか勇気のいることです。けれども、この合評に参加して、良い方向へとすすんでゆけているような、気がします。ひとつきに1作でも、この場所へ発表できれば、と、考えています。まいこちゃんという歌手は、ぱみゅぱみゅ風でもあり、わたしとしては、ニナハーゲンのような、すこしデンジャラスな愛らしさのある、歌手としてとらえています。うれしいご感想、ありがとうございました! (まいまいつむりのまいこちゃん)

2017-03-03

もとこさん もとこさんのご感想には、いつも勇気をもらっています。ウルトラQ、父の影響で、子どもの頃、よくビデオで鑑賞していました。いままで、ナメゴンという怪獣のことをわすれていましたが、フト、そうか、わたしは無意識にも円谷特撮作品の影響も受けていたのか、と、ふしぎと納得いたしました。そうですね、7色の殻、というのなら、紫にしてもよかったかもしれません。しかし、なんだか「暴力的な青」というものに、若気の至りのようなふいんき(こちらもなぜか変換できない (まいまいつむりのまいこちゃん)

2017-03-03

追記:まりもさんの詩の描写はうつくしく、確かに読後、こころが軽くなったのですが、なんども読み返してしまう、ふしぎ風味もあり、チョコレートのなかのいちごグミのように、絶妙な美味しさとすこしの異質感、飽きのこない味わい深い詩です。↑のわたしのコメント、書き切れていませんでした。とはいえ、いくら言葉にあらわそうとしましても、すこしむつかしいのです。まりもさんの詩をよんでいると、何枚も重なった夢の風景画をみているような気持ちで、まりもさん美術館(イメージのセカイ)へと入館できる、切符を読者は得ることができ、何度も、わたしは詩のなかの絵画作品を確かめに観にきてしまうのでありました。 (私の鳥)

2017-02-28

まりもさん いつか、素敵な歌をうたうことのできる口が見つかったとしたならば、鳥も、「わたし」も、自分のものになるのでしょうか。箱のなかの箱、わたしたちのえいえんの時は、ちいさな柱時計のなかの、地球のオブジェ。オブジェのうえを羽ばたく鳥。わたしの歌を覚えた鳥は、いつだって、わたしのもの。けれども、手の届かぬたかさまで、飛んでいってしまう、鳥は、ほんとうに、わたしのもの……? ふしぎな人生観をまりもさんの詩から、かんじとりました。詩も、ある意味、人生の縮図だとおもうのです。ふんわりとした、羽の音で、耳をくすぐられるような、心地よい読感があります。やわらかく、自然と、たのしく、フ、とこころが軽くなりました。素敵ですね。 (私の鳥)

2017-02-28

グエン・グエンさん 彷徨う意識の端々で、何も考えていない、が連呼され、わたしはまるで、じぶんのことのように、読みすすめてしまいました。時間の感覚を正確にとらえることは、いつだってむつかしい。記憶も、願望も、むねのうちでは絡まっているものなのかもしれません。ゆえ、いま、みている、この景色そのものを、わたしは信じることが、どうしてもできないのです。作中の方の精神の状態が気になるところです。なぜなら、詩におさまりきらないほどの、内容が、この作品のそとへも繋がっていっているような、感覚をグエン・グエンさんの詩からわたしは得てしまったのです。生きている詩、これからもつづいてゆく詩。これは、きっと、グエン・グエンさんの詩への姿勢にちかいのかもしれませんね。死はふりかえることをしらない、ゆえ、いま、生きている詩に、わたしはすがってしまう。詩の言葉に生命力をかんじました。 (sense。)

2017-02-28

Migikataさん この作品はぜひ、Migikataさんの朗読で聴きたい、とおもいました。歯切れのよい展開で、広大な世界観をもつ内容が、適度な分量でまとめられています。力量ですね。オディロンルドン、わたしのとてもすきな画家です。ルドンのキュクロプスのイメージで読みますと、パステルカラーの世紀末のなかで、人類というものは、ひとつのあわい終焉にすぎない、とおもわせるほど、惑星の悲劇を切にかんじました。わたしは、まだ、作品をよみとることに慣れていません。けれども、詩のことは愛しています。ひともすきです。ですから、自ずと詩人さんの方には希望をいだいてしまいますね。これからも創作、ともにはりきっていたしましょう。 (この世は終らないそうだ)

2017-02-28

どしゃぶりさん いつかからだがばらばらになるのを作中の方は恐れることなく、どこかクールなまなざしで、記憶といまと、未来のすがたを達観している、不思議な作品でありますね。けれども、生きてゆくことの延長で死があるとは、だれしも命あるうちは、考えられないことです。ただ、魂なんてチャチなものではなく、わたしはもっと、カタチあるものとして、からだを喪いたいのです。ですから、骨の意識で土葬されるのが本望なのですが、この国ではうまくゆきませんね。からだがばらばらになり、骨もばらばらになり、わたしたちは、いったいどこへ向かってゆくのでしょうか。その、わからないことへの不安感が、親への愛情とかさなり、イタイくらいにかんじました。 (藁の家)

2017-02-28

桐ヶ谷忍さん いのちの音のする詩です。鼓動でさえときに抑えきれぬほどの高鳴りをしてしまうものです。作中の頭蓋骨の内側を飛び回る蛾の正体を、わたしは言いあてることができませんが、こころのうちに潜むやみの意識のようなものが表現化され、無意識にも救いをもとめて、ひかりのある方向をジクッとみつめているような気がしました。けれども、蛾には届かない灯、である。ただ、決して、ということではない。そうおもいたいです。ざり、という羽の擦り切れる音がしている間にでも、その光りの方向へとゆきすすめるといいですね。作中の方の冷静なまなざしが、とても印象的です。蛾に出口をみつけてほしい、とかんじてしまいますが、どこか、失ってはいけないもののようにもおもいました。やみの意識もときに必要なのですね。 (「無明」)

2017-02-28

もとこさん 電話を切って、といいつつ、その言葉に複雑なむねのうちがみえます。思春期はいつだって、霧のなかを彷徨うハリネズミなのかもしれませんね。ユーリノルシュテインというロシアのアニメーション作家に「霧のなかのハリネズミ」という作品があります。ユーリノルシュテインのえがく、ハリネズミも人生でたいせつなものをなくし、探し、出逢い、貴重な体験を作中でいたします。たった数十分のアニメーションが魔法であるのなら、音楽は三分間の魔法です。そして、時に詩はそれ以上の魔法であるかもしれない。わたしは、もとこさんの詩をよみ、霧のなかを彷徨いながら、いま、自分なりの感想をえがこうとしていますが、うまくゆきません。けれども、この作品のセツナサ等、理解してゆきたいところです。作者のいる作品を、わかった、とはわたしはゆえません。しかし、いつでも、歩みより、作者のきもちと、作品としての独立について、考えてゆきたくおもっています。もとこさんの詩は、ピリッとしますね。まるで、混沌から目が醒めるよう。世界の終わりが、窓の向こうで待ちわびている、とう表現に詩人さんの妙というものをかんじました。 (彷徨)

2017-02-28

どしゃぶりさん 素敵なご感想をどうも、ありがとうございます。そうですね、ていねいに息をするように詩作できれば、それ以上のすばらしい行いはありませんよね。わたしは、ときに息をする方法を忘れてしまいそうになります。パニック障害ではないのですが、そういうときは意識が朦朧として、自分でも意味のわからぬことをくちばしってしまうのです。横になると、すぐに睡魔はやってくるのですが、前日の記憶がないのですね。ですから、このフォーラムの方針の、できるかぎり削除できないような投稿のカタチが、ある意味、理想的であるのかもしれません。わたしはいつも、うまく言葉がしゃべれません。けれども、すこしずつ、いろいろな方とコミュニケーションがとれましたなら、と、切実にかんじております。どしゃぶりさんのお言葉も、シカ……と、受けとめました。今後とも努力をかさね、できることなら、今年のポエケットに初出展しようかと、考えています。わたしは充分、ひきこもりました。あまりにもヨワムシでありますから、子猫沢るびのことなど、誰も覚えていないことだろう、と考えていました。けれども、それは弱さゆえの逃げにしか、過ぎなかったのです。わたしはつよくなります。そうでありたい、と常にかんじています。うれしいです。どしゃぶりさんのご感想。ポエケット等で、子猫沢こと、きらるびを見かけましたときは、どうか、よろしくお願いいたしますね。それにしても、詩の内容で語りあえるしあわせというものは、他に類をみません。貴重な体験です。では、お身体にお気をつけて。 (なみだもろい愛をこめて)

2017-02-27

グエン・グエンさん ありがとうございます。「誰も信じていない」そうかもしれません。すこし個人的なことを書きますと、わたしは10代のころ、田舎の学校で小学時代の級友から酷いいぢめにあい、精神を痛めまして学校にゆかずに、この歳まで引きこもっている、中学時代のいぢめの廃材なのです。ですから、わたしの詩への批評でよく、物語的だ、とか、自分のセカイに籠っている、とゆわれますのは、確かな意見でありまして、まったくその通りであり、わたしは何もいいかえすことができないのです。けれども、すこしでもグエン・グエンさんにお届けできていますことなら、それ以上のさいわいはありません。貴重なご感想です。また、子猫沢るびのことをお忘れにならずに、わたしの詩との相似点についてまで、言及していただき、たいへん嬉しくかんじています。わたしと子猫沢は、ふるい親友のようなものなのです。つまり、子猫沢るび=きらるび、なのであります。グエン・グエンさんの感性の鋭さに、驚きをかくせません。わたしは、かつて、子猫沢を名乗っていたころ、ツイッターで現代詩手帖相手にさんざんなことをいってしまったという、あまりにも重たい罪がございまして、いま、罰を受けるように、毎朝、骨の重さで目が覚めるような気が滅入る日々を送っておりまして、このフォーラムの素敵な詩人さん方に、とても勇気をいただいているのです。子猫沢るびはまだ、わたしのなかで生きているのかもしれませんね……ネコは埋葬したはずですが、今夜あたり、ペットセメタリーへと赴き、お墓を掘りおこしてみたいとおもいます。きらるびの胸のうちで子猫沢るびが、ようやく蘇ることができそうです。グエン・グエンさんのお言葉に泪がでそうでした。わたしもるびを捨てきれなかったのです。ですから、これからは猫とずっと一緒に暮らします。 (なみだもろい愛をこめて)

2017-02-27

まりもさん まりもさんの批評文を読んでいますと、未知を望むこころがすこしかるくなりました。うつくしい言葉遣いで、わたしの詩を丁寧に読みとっていただき、まことにありがとうございます。光原百合さんの「星月夜の夢がたり」ぜひ、読んでみたいです。夜空に耳を澄ましますと、宇宙の産声がきこえます。星たちはわたしたちの詩作とおなじように、孤独から宇宙のカケラをうむのではないのか、とおもいます。うまれてきた宇宙の赤さんは、暗やみのなかで目が覚めても声のひとつ発しないように、無音の産声をあげることでしょう。声は聴こえるものでもあり、感じるものでもあるとおもうのです。ですから、それぞれの詩に個性があるのはなにも文章から読みとれるものばかりではなく、作者本人の気のようなものが無意識にも作品に閉じこめられているのかもしれません。ゆえ、お亡くなりになった作者の作品でも、そばに居てくれるような心地よさで読みすすめることができるのは、きっと、そういう想いの星が本に宿っているからなのでしょうね。なんだか、まりもさんのお言葉から、たくさんの真実を学ぶことができました。また、大切なお声をお聴かせくださいね。わたしもこれから、多くの方の作品を読みます。いままで、読むという行為から逃げてばかりいたのですが、このフォーラムにきてから、詩人さんたちの熱意にやられていまして、すこし、前向きになれそうです。 (なみだもろい愛をこめて)

2017-02-27

* ぁの……わたし、日本語もヘタなのです。言葉遣いでオカシナところがありましたなら、お気軽にご指摘していただけますと、さいわいです(ただし、やさしく……)。いま、言葉をしゃべる練習中なのです。 (なみだもろい愛をこめて)

2017-02-26

三浦果実さん 赤裸々な告白、まことにありがとうございます (なみだもろい愛をこめて)

2017-02-26

花緒さん 詩語の多さ……いままで、考えたこともなかったです。このフォーラムのよいところは、生きた言葉で自分の詩をよりよいものへとかえる決心がつくところですね。いままで、わりあいまともかなとおもえる詩でも100篇ちかく書いてきました。ゆえ、長年の詩についての語彙をかえてゆくのは、なかなか骨のおれる経験となることでしょうね。指摘していただきました内容は、もっともです。ただ、かえないまま、つっぱしるのもそうわるくない選択ではないのでしょうか。ポエムになりきれない、と、複数の詩人さんに書いていただき、きらるびはタイヘン、うれしくかんじているのですから。花緒さんのお言葉、シカ……と、受けとめます。きょうもよい詩をえがくことができますように。ありがとうございます☺️ (なみだもろい愛をこめて)

2017-02-26

花緒さん。うれしいです。すこし、勇気がわいてきました。わたしは極度のひきこもり体質でして、すぐにくじけてしまいそうになります。その度に、詩に支えてもらっているのですが、そのことさえ、時に忘れて、きえようとする。いつだって詩はわたしにやさしいものです。やさしすぎて、あまえているのかもしれません。創作にも、ひとにも。ようやく、わすれていた気持ちに気づくことができそうです。ありがとうございます。 (運営からの告知:マナーガイドライン)

2017-02-26

追記。わたしの精神は、激しい鬱とわずかな躁が短時間で繰り返しているようで、どうも、情緒不安定で、ごめんなさい。上のコメントですが、無視していただければ、さいわいです。なぜなら、いま、すこしこころが軽くなっていまして、書きものができるまで……回復いたしました。いただいたコメントも、あとで返そうとおもいます。とても貴重な体験ですので、わたしも積極的に、いろいろな方のえがいた詩にふれ、コメントを残そうとおもいます。このような機会は滅多にないことでしょう。ありがとうごさいます。これからも、よろしくお願いいたしますね。るび (運営からの告知:マナーガイドライン)

2017-02-25

お世話になります、きらるびです。このたび、精神の不調により、しばらくネットから離れようと考えているところなのです。TumblrやTwitterなどのアカウントはすでに削除済みでありますので、申し訳ございませんが、B-REVIEWさまに投稿いたしました、わたしの作品も削除していただけますでしょうか。また、会員の退会もできましたなら、よろしくお願い申しあげます。もうすこし、元気になります……みなさま、コメント等、ありがとうございました (運営からの告知:マナーガイドライン)

2017-02-25

Migikataさん こんにちは。なにもないことは、あることではなく、そこに何かが存在するという可能性から生まれる言葉で、祈りに満ちた想いや感情、ひとや場所、おこない、そういったもの同士がはじめて出逢う、光りなのかもしれません。光り自体には何の思惑もないはずです。ただ、闇のつよさを癒す、ひとすじの道が光りであるならば人々はそこをめざし、ともに語りあうことでしょう。かけがえのない光りを未来へと運びたいですね。物質としてはムリなので、わたしはごく個人的な方法でとらえた光りをいつだって、詩にあらわしてしまいたいのです。ですから、光りに重さがないように、わたしの詩はかぎりなくかるい。それをかんじとっていただけて、うれしいです。わたしは羽のような詩をえがきたいのかもしれません。けっして、はばたくためではなく、水に浮かんで沈まないもの。光りの波にいだかれながら、どこまでも理想をおいかけます。Migikataさん、貴重なご意見をありがとうございます。名まえの間違いは、わりとありますので、お気になさらず。きるらび、きらるび、ホントはどちらでもよいのです。わたしは詩人ではなく、詩のなかで息をしていたいだけなのですから。 (なみだもろい愛をこめて)

2017-02-22

もとこさん お世話になります、きらるびです。もとこさんの的確なご感想に自分でも気づかなかった詰めの甘さを痛感するおもいです。わたしはいつも、デヴェンドラバンハートの音楽をながしながら詩作いたします。音に波が、アルバムに色があるように、広大な海を耳でかんじとりながら音から浮かぶイメージを言葉に置き換えて詩作しております。言語的な思考回路や、発想力などどこにもなく、よくいえばイタコのように何かをおろしているだけなのかもしれません。ゆえ、わたしには何の才能もないのです。ただ、詩はよいものですね。詩でコミュニケーションをとることが、わたしの理想でもあります。ですから、もとこさんたちのご意見は、あまりにも貴重なのです。わたしは詩でセカイという言葉を多用してしまう癖があります。ひらがなでも漢字でもなく、カタカナとして存在するセカイ。第三惑星に似た、どこか頼りない星。そこにいる血縁の恋人たち。わたしもかれらの星の在りかについて、なにも知りません。曖昧な言葉である「セカイ」は、なにもないようで存在する、確かな水の惑星について表現するための数すくないわたしの語彙なのでありました。また、最終連についてのご指摘、まったくその通りであります。学びます。書いてまた、学ばせてください。ありがとうございます。 (なみだもろい愛をこめて)

2017-02-22