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AIを使う奴は全員バカ。すぐに時代遅れお疲れ様。
あなたが 本気で思っていることは なんですか?
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AIを使う奴は全員バカ。すぐに時代遅れお疲れ様。 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2644.1
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 20
作成日時 2025-11-06
コメント日時 2025-11-19
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 1 | 1 |
| 前衛性 | 5 | 5 |
| 可読性 | 3 | 3 |
| エンタメ | 3 | 3 |
| 技巧 | 3 | 3 |
| 音韻 | 3 | 3 |
| 構成 | 2 | 2 |
| 総合ポイント | 20 | 20 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 1 | 1 |
| 前衛性 | 5 | 5 |
| 可読性 | 3 | 3 |
| エンタメ | 3 | 3 |
| 技巧 | 3 | 3 |
| 音韻 | 3 | 3 |
| 構成 | 2 | 2 |
| 総合 | 20 | 20 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
- 炎上商法について、どう思うか? (万太郎)


ニュアンスは違うが同感な部分もあって、私見では A 超一流はそもそも使わなくていい B 二流以下は使わないと淘汰される C 馬鹿はそもそもつかえないのでご自由に ...みたいな感じね?。AとCはわりと幸せだね。
0おはようございます。 そういえばAI依存などもあると聞きました。 本当に思っていることほど、 AIにぶつける。 理想の会話をしてくれるさまざまな関係性の疑似体験としての利用。 人間にとって手軽で手短な存在が出現したなという印象です。 ざらつきや引っ掛かりやでこぼこは人間の方がある気がします。 >>あなたが >>本気で思っていることは >>なんですか? 鋭い問いだと思います。 それを人間に対して 言いづらくなっているということなのかもしれません。
0これちょっと関心を奪われたのは タイトルが本文になっていて 本文がタイトルっぽいところ。 そこがわずかばかり面白かった。
0商いのコツは人より早く飽きることだと思っていて、人より早く飽きることによって新しいプレゼンを常に考えられる。そうやって更新していく姿が、飽きられない商いのコツなのではないか? AIは、新しいおもちゃ。最新の技術は新しい扉を開いてくれる。要は使いようだと思うのです。 チャットGPTなんかがそうなんですが、AIが直接なにかを教えてくれるわけじゃなくて、橋渡しをするのです。AIが漱石を教えてくれる、ニーチェの著作や思想を教え伝えてくれる。そうやって更なる検索の手がかりになる役割をする。それが、チャットGPT。 絵も下手な絵を小綺麗に添削してくれます。勿論これらのものがいつか古びることはあるかも知れませんが、その時楽しめればいいのではないか? 精神障害者の団体にいるのですが、人々が考えているのは考えなくしてくれること。悩みを消してくれること、そのために薬とカウンセラーに頼る。考えたくないなら無心で働けばいいのに、それは怠け癖があるから出来ないという悲しい世界なのです。だったら、AIと会話していた方が思索を深めることにはなるかなあと。
0ここ最近の類さんにしては珍しいほどの直球かつアグレッシブなタイトルで驚いた……。 僕が思っていることか……紙とネット問わず、詩の世界を僕の色で染め上げることだろうか(大言壮語は承知)。 古典派、ロマン派、星菫派や朦朧派……それらを背負った近代詩人たちの夢をもう一度。
0AIの使用、不使用によって、バカかどうかが分かれるわけはないと思うのですが。それぞれが、賢く使えばいいだけでしょう。恐れを、極端な言葉に変換しない方がいいと思います。助け合って、独立して生きていかないと、楽しくないでしょう。他者をバカにしていると、自分の大切な出会いも逃してしまうと思いますよ。時代の転換点において、不安が生じるのは、むしろ、可能性への開かれです。今の時代を生きるために、自分の苦しみを減らす方向で考えた方がいいと思います。智慧を育てることは、AIによろうがよるまいが、自分自身の力そのものです。厳しい現実の中を生きてきたなら、それを生かすことが、必ずできると思うので、詩人は、言葉を使うということで、自負心よりも、真実を見通さねばなりません。真実に違ったことは、過ちを含んでおり、間違いです。間違いに起因したことは、失敗するでしょう。失敗した詩は、輝きが薄い。言葉の働きに対して、鋭敏であることが、詩に対して眼が開けることだと思います。一般的に思われているように、心理操作が言葉の本質であるわけではないと思います。言葉の本質とは、他者と真実を共有する力なのです。運や、他者の力に頼った言葉も、すべて自分の言葉です。自己独立への過剰な自負は、言葉の働きについての知見がまだ足りないことから生じていると思います。ギャンブルの夢から醒めて、本当の自分の力を得なければならないのではないでしょうか。それは、智慧を持って生きるということに外なりません。その場その場の場当たり的な対処で一生を終えるには、人間の可能性というのは莫大すぎます。自己を目覚めさせるとき、他者への意識の覚醒が起きるとき、先生たちは、みんな、その時を待っていたのではないでしょうか。
1いわゆる「文系っぽい」活用はすでに頭打ちな気がする。ようするに、チャッピーやジェミニ使って実際に適切に課題を設定して手を動かして煩わしい作業や判断をうまく自動化したり最適化させることに成功している人が「バカじゃない」層ですけど、文系にどれくらいいるのかな?って話ですよ。バカばっかり。ここ何年かイナゴの大群みたいにわいてたI驚き屋の経営者とか、その亜種の詐欺師みたいな連中がそれですけど。例の某サイトとかも私はその類だと思います。
0文系領域において、AI使用について、 「学習に使われるデータセットに違法なものが混ざっているのではないか」 「絵柄や文体の模倣によるなりすましなどの悪いことに使われるのではないか」 「何が真実で何が虚構か、AIの作った幻覚なのかを判別するリソースがない」 という点以外がほとんど感情論によるお気持ちダンスバトル会場と化しているような気がしています。 感情は論理で覆せないものなので、そのような中で一番感情的に投げかけたこの投稿は素晴らしいものだと思います。 私自身も、ChatGPTを利用していたことがあります(主に心理的な支えとして)。が、正直に言うとChatGPTは「自分が想定していた通りの読みしかしねえなこいつ」ぐらいの代物でしかありませんでした(心理カウンセリングの技法としては確かに正しいが……)。様々な文献から類似の物語を探して、無自覚なパクリを防止するか、オマージュ/パロディとしてそのまま採用するかの判断には使えるツールではあると思います。 ちなみに、私も過去に(AIのそれとは限定しないものの)この投稿のような問題を抱えさせた詩をB-REVIEWに投稿したことがありますが、言及したい内容によってはもう少し直接的に書いてしまってもいいんだろうな、と読んでいて改めて思いました。
0黒髪さまのご意見に賛成ですね。 わたしは雑文つくるときAIを辞書代わりに利用しています。 たとえば昭和初期の日本車はダットサン●●型ですが、この ●●がわからないときにAIに質問する。 あるいは「類語辞典」代わりに利用する。手垢のついた表現がいやなとき 類語を調べる。これはどんな詩人もやっていることです。 それから歴史的な事件の概要を調べたり人名辞典代わりにも利用する。 要するにAIとは、汎用辞書でもあるのです。だからだれが表現に利用しても別に なんてことはない。大騒ぎする必要もない。 だれかがAIを使って詩を書いたとする。それはその人にとって AI「を利用した」表現であると思えば、やはりひとつの表現だ。 それがどう評価されるかは保証しないが、。そういう時代にはいっている。 自分がどうしても伝えたいこと、語りたいこと力説したいことがうまく表現できない 人はAIにたすけてもらえばいいかもしれない。 ただ、芥川龍之介がいったようなaiでは「戯作三昧」の境地は味わえない。 わたしが若い頃、小説に集中してたころはこの「戯作三昧」の 夢のような境地に時間を忘れていたことがある。没入して物語を書く この快楽。AIなんかに書かせて いたらこの面白さは味わえないかもしれない。それは詩も同じ。 そこのところをわからないで、たんに「バカ」呼ばわりしてもあまり 意味がないと思うし、AIは廃れるどころかますますこれから表現の 杖となり耳となり手となるでしょうね。
1類さんお久しぶりです。 恐らく、 >あなたが >本気で思っていることは >なんですか? 〝本気〟を対象として〝AIを使う人間はバカ〟と仰っているのだろうと思います。 私なんかは日常的に言語表現や文章表現が下手なものだから言葉の失敗を数限りなく積み上げた損失を考えると、そのやり取りを全部AIにお任せしたいくらいなのですが、でもまぁ失敗も人生ですし失敗から学び成長することに意味があるだろうと思っています。 話は変わりますが、私が今本気で思っている(取り組んでいる)ことはEC販売事業なんですが、なにせ新規参入の分野なのでわからないことだらけでした。それらを調べるのにAIは本当に便利でしたし、いい時代になったと感じました。 ただ肝心の事業の方にAIが必要かと言われたら必要ないですね。自分の脳みそというかアイディアも構想も全て自分の能力次第だと思っています。あと重要なのは良いビジネスパートナーに恵まれるかどうか、自分の企画や能力を引き出してくれるのってやっぱり人間でAIじゃない。その相手とどれだけ本気でやりあえるか(取り組めるか)じゃないかと思う。クリエイティブなビジネスってやっぱりその人の人生の構築だし、それはきっと文芸の領域でも同じじゃないかと思う。 このタイミングでこの作品を読めたこに感謝かな。それは類氏の本気度を感じる作品だったからだろうと思う。
0文芸の領域に限った話ではありますが、小手先の技術を駆使して書かれたものよりも、語彙力のままならない幼児が心を込めて書かれた文章のほうが心打たれるものがあります。 二流以下は自分がなぜ二流以下なのかも理解できないまま、いつまでも技巧に執着し理性的な作品を生産し続けます。
0AIに本気の言葉を投げかけて、検閲された言葉を受け取り、自分の思考を薄めているんですよ。 思考の純度を自ら下げているわけです。 便利であるがゆえの毒を意識しなければなりません。
0そんなことは別にどうだっていいことです。 しかし、私はあなたがたに問いかけているのです。 従って、私が投稿したこのスタイルは適切です。
0「本を読め」としか言いようがありません。AIの情報なんていい加減なものです。 下手くそな絵を小綺麗にするAIの役割に私はむしろ異議を唱えます。 下手くそでも本気で描かれたものであれば伝わるものがあります。 本質的ではありません。 AIと会話するよりも本と会話するべきです。 そこには本当の言葉が眠っています。
0あちらでも書きましたけど、テイムラー隆一さんは自分らしく書いていけばいいと思います。 色々な影響を受けても人は結局、人の真似ができないのです。
0歳を重ねることは哀しいですね。 十年前の黒髪さんのほうがまだ真っ当でした。 説教がすべて上滑りで、全く心に響きませんでした。 頭が固い老人の戯言を聞いている暇はありません。 失敗を恐れる自分の姿を恥じることはやめてはいかがですか? あなたはまずそこからです。 私は先に行きます。
2AIを使って思索を深め、詩に活かそうとする奴は全員クソです。 これだけは断言できます。
0広辞苑を開きなさいよ。 そもそも手垢のついた表現の何が悪いのですか? それこそ小手先の表現を弄んでいるだけで、本質的ではありません。 雨が降っているなら、雨が降っていると書けばいいのです。 その程度の思考しか持たない恥を隠蔽するために小手先の技術で、見ていられないものを見ていられるようにしているだけの装飾に過ぎません。 AIは近い将来、必ず廃れます。ああ、そういうものもあったね、と懐かしむ時代が訪れます。
0この作品に付いたコメントの中で最も心打たれるコメントでした。 皆さん、見習うように。
0余り執着しない方がいいと思いますよ。自分は自分です。失敗は、してはいけないんですよ、当然ながら。そうしないと、生きる基準、考えの基準がなくなります。
0付け加えると、 人が本気になる時って、目指す場所が確固たるものに成熟して、更に崖っぷちにいる時、その時に自分の全てを懸けて勝負に出る時だろうと思う。自分が本気じゃなければ他者の本気には出会えない。世界ってそういうふうに回っていると人生で2度実感しました。それは多分他人を見て見習える(実践出来る)ものじゃないよね。自分自身の中から生み出されるもの。
0安心しました。というのも、タイトルに「AIを使う奴」とあるので、これだとAIを使うホモサピエンス全員に対して銃口を向けているようなもので、私への返信で「これは物書き限定だ」と断言してくださったのは、ログインせずにただ見ているだけの潜在的ユーザーへの配慮を感じます。コメントが盛り上がっていれば当然そちらも見るはずなので。 「他人のアドバイスを真に受けるな」とでも言いたいのだと思われますが、私個人の出自が自作ゲーム系の方面であるため、どうしても「他者からの感想・意見は自作の改善要求」のように思えてしまうのです。 (ウケなかったからこっち来たんだ、と受け取ってもらっても構いません) 他人からの視点を考慮しすぎると「おはようございます」ツイートすらできなくなるものですし、正直言って現代社会は学ぶべき知識が多すぎてついていけていないユーザーが多いんです。 ChatGPTを使ったことがあると書きましたが、基本全肯定しかしてくれないので飽きて解約しました(クレジットカードの有効期限切れ/更新忘れ)。私が欲しかったのは魚のようなデバッガーだったんだなと思わされた瞬間でした。 こういう人もいるんだな、程度で受け取っていただけると幸いです。 返信作業お疲れ様でした。
0>文芸の領域に限った話ではありますが、小手先の技術を駆使して書かれたものよりも、 >語彙力のままならない幼児が心を込めて書かれた文章のほうが心打たれるものがあります。 >二流以下は自分がなぜ二流以下なのかも理解できないまま、 >いつまでも技巧に執着し理性的な作品を生産し続けます。 0点のレスやな 類さんは炎上商法するのはまだ青すぎる
0失敗しない安定した生き方をしたければそうすればいいと思います。 私に言わせれば失敗しない人生こそが最大の失敗ですけどね。 数え切れない数の失敗を恐れずに、全ての失敗を捲る一度の奇跡のために生きた方が、狂気的に見えて実は合理的ですよ。 例えば成功率1%なら黒髪さんなら挑戦なさらないのですか? 私なら成功率1%のためなら99回のそれ以上の失敗を重ねます。 失敗は成功の母です。
2補足ありがとうございます。 本気で生きることは孤独なものです。 確かに見習うものでもないですね。
0私は漫画畑から来たものです。 詩と漫画の融合体を生み出したくて、詩とは何ぞやと勉強のために詩を書いてきましたが、私の本分は絵であり漫画です。 つげ義春、黒田硫黄、宮崎夏次系の漫画が好きです。 堀口大學の詩を読んで、この世界を漫画で表現したい欲望から私の漫画生活が始まりました。 それは単に絵の上に詩を載せる足し算的なものではありません。 掛け算でなければならないし、詩と絵の関係は水と油のようで、どうやっても分離してしまうそのことから詩の可能性を広げるために実験を繰り返してきました。 しかし私は表現の本質を理解していないために、いつまでも自ら落胆するような結果しか生まれませんでした。 伝えたいことは何だろう? これこそが私が抱えるべき課題だったと気づいたのです。 詩であろうと絵であろうと単なる手段であって、私はそれらを目的化していた自分に気づいたわけです。
2炎上商法です。 それでいてこれもれっきとした作品です。 詩はもっと自由であるべきで、私はこれを詩として提出しています。 おまるたろうさんの中では0点のレスだったのかもしれませんが、私は自分の本音を書いたまでです。 本気でそう思うから伝えたわけです。 点数をつけるという貧しい発想をお捨てになってはいかがですか?
1言い忘れていたことがあったので追記します。 執着しないことが善であると私も同意しますよ。 私から見て黒髪さんのほうが執着しているように映っています。 執着するからこそたった一回の失敗に怯えているのではありませんか? 執着しないということは常にnextの精神を持つことですよ。 私の考えでは、執着しないということは、近視的な捉え方ではなく大局的な視点を持つことです。 長い目で見て考えてみれば失敗を繰り返すことにも平常心を保てます。
3類さんは完全に誤解しているっぽいのだけど(SNS以降は、という話ではあるが)「炎上商法」って一番知性がいる行為になっているのだけど、そこのところがまったくわかってない。 「逆張り」の研究/綿野恵太 くらいは読んだ方がいいよ。すごいいい本だから。 >文芸の領域に限った話ではありますが、小手先の技術を駆使して書かれたものよりも、 >語彙力のままならない幼児が心を込めて書かれた文章のほうが心打たれるものがあります。 >二流以下は自分がなぜ二流以下なのかも理解できないまま、 >いつまでも技巧に執着し理性的な作品を生産し続けます。 これまじで0点なんだよな笑。 AIでも失笑するレベル。
0たとえば、合格確率1%と言われた大学に挑戦しますか?そうする人はほとんどいないと思われますが。自分が惨めになるだけですよ。類さんのご意見が当てはまる場合というのは、例えば宝くじを買う、と言った場合かと思われますが、これは、リスクが少ないからできる話です。自分をつらぬいて挑戦する、というと一見カッコよく思われますが、1%の扉をこじ開けるんだ、というのは執着です。特に他者への責任が関わる場合、慎重にならねばなりません。それに、自己への責任を持つ、という場合にも、慎重にならねばなりません。破滅の夢にかけることの奇跡を称揚する場合、本当に他者から見てそれは褒められるものでしょうか。自分が1%を成功する、ということの意味は、ほぼないと思われます。むしろ、確率を高める努力をすることに意味がある。そういう場合は、めげずにそれに挑戦している、と言えますので、その場合は善いことです。なにも、すべてをあきらめろと言っているのではありません。賢く生きねばならないというだけです。よく考えた場合、失敗してはいけないんだ、ということの意味が分かるはずです。類さんのおっしゃる大局観を持つ、ということは、たとえば将棋の羽生善治さんなんかが有名ですが、彼も、1%でもより勝ちに近づく手を探すわけです。類さんは、大局観を持たねばなりません。1%にかける生き方、例えば麻雀漫画のアカギなどの場合は、他者の予測を外すためにそうしているのであり、弱気を見抜かれてしまうから運気が下がり、華麗な上がり方をしたように見えても、実際には、リスクを取った生き方が、美しかった、という意味になります。つまり、結果論に思えるのです。福本伸行は、実際には大して麻雀が強いわけではありません。わたしは麻雀に詳しいわけではないので、戦法の優劣について、しっかりと分析は出来ないですが、破滅のスリルを味わうことの喜びとは、人間にとってのある意味での真実を含んでいても、それに賭けては、実際には不幸に陥るわけです。彼が美しいのは、自分の行為に自分で責任を取っているからであり、個性的生き方をしているからです。彼の個性が天才であったのですが、成功を積み過ぎて、変化しない生き方に陥った場合に、彼の言うような死への恐れの克服、ということは、人はギャンブルに賭けねばならない時もあるのだ、ということですから、生き生きとした、常識にとらわれないという考え方には、ある程度の説得力はあるわけです。つまり、恐らく類さんは、新しさへの挑戦、新しい人生への挑戦ということを仰っているのでしょうが、それは、自分のしたいことは何か、を探ることでしょうから、一面の真実を含んでいるとは思われます。例えば偉人、アインシュタインが、誰にも分からない問題を解いた場合、1%の壁を破ったのだ、と言えるでしょうが、彼にも勝算が見えたからやったわけです。実際には科学研究というものは、理論の理屈に従って進みますし、実験において、予想外の結果が得られる場合は、確率は少ないのですが、それは、運の女神に微笑まれた、という、ある種の徳が褒められたという意味を持っていると思います。難しいことに挑戦する、というのは、悪いことではありません。ただ、自己の人生で、ちゃんとそれに取り組む余裕を得た場合にのみ、それをすることができるわけです。一言でいうならば、「苦行にも過剰な快楽にも偏った生き方をしてはいけません」。それが、中道を歩むということです。ちゃんと、逆説を、理解してください。
0そう言われても私はこう思うって話ですよ。 逆張りとおまるたろうさんからよくご指摘を受けるんですが、私は小さい頃からよくへそ曲がりと言われて育ちました。 逆張りもへそ曲がりも要するに本心とは違う考えを話すことだと思うんですけど、何でそういう風に捉えるのかなって思うんですよね。 何で皆が皆、「妥当」な考えがあって生きている前提なのだろうか、と。 下手くそでも本気で伝えたいことがあるならちゃんと書きましょうよ、ってことですよ。 これ全然、逆張りでも何でもなく妥当な考え方だと思いますよ。 まぁいい本と言うのであれば機会があれば手に取ってみます。 あと、おまるたろうさんが私の本音を笑っても、知ったことではないんですよ。おまるたろうさんの考えがあって、私の考えがあります。 それだけの話でしょう? 二回も同じことを言うのはもしおまるたろうさんが私の小さな反抗心を期待しているのであれば、無駄なことだからやめておくように、と親切心から申し上げているのです。
1失敗を恐れることの弁明になっていないです。 やり直し。
1恐れることを恐れるな。 恐れの中に智慧がある。
0自分で検証してもいないことに耳学問だけで首つっこんでほうぼうに喧嘩売るような真似するからコケるんですよ。 もし炎上商法のつまりがあるのなら児戯に等しいし、もし本音だったら「芸術そのものの児戯性」という金科玉条のもとに、どんな非論理的な発言でも 看過されると勘違いしているのなら、みあげた面の皮の厚さですが、そもそも公の論にすらなってないので、遠慮なく指弾させてもらうだけですよ。類さんが発言している場所はどこですか? 公共ってそんな生易しいものじゃないと思いませんか?
0AIが考えたクールポコの動画をポエムにしたよー https://www.breview.org/keijiban/?id=13363 これ、私は一行も書いてなくて全部AIにまかせて書かせましたけど、「理性的」ですか?
0そもそも何に挑戦するかという前提が噛み合ってないのだから平行線でしょ。例えば起業するのに1000万の借り入れをする人間なら失敗は許されないだろうから失敗を恐れるのは当然。失敗する確率が99%なら挑戦する人間はいないし、いたとしたら相当クレイジー。1000万がはした金だと思っている人間なら話は別。つまりそれぞれの立場が違えば変わる話。 類さんが前提としているのは多分創作コンテストの応募か何かでしょう?そうやって自分を鼓舞してるんだろうと思う。失敗しても自己責任で解決出来る挑戦ならしないよりした方が良いと思うけど、自分以外の人間を巻き込んだり自分でケツを拭けないような失敗はするべきじゃない。当然でしょう。 勘違いされていると困るから付け足すけど、私の言う挑戦はそれら全て織り込み済みで勝算があっての挑戦だからね。笑 それから確かに失敗から学ぶことは多いけど、私は人は失敗体験より成功体験の方がより大事だと思っている。失敗ばかりの人間は当然他者評価が下がるし、それって社会的な信用を落とすということだから先細りにしかならない。まぁ99%の失敗の可能性を無視して1%の可能性を追い求めるというのは相当ギャンブラー気質なんだろうと思うよ。笑
0当然の話をしないでください。 わざわざ言わなくても分かることを俺が言っていないだけで、それを踏まえて述べてるってこと考えてください。 以上です。これは全員に宛てています。
0私が言っていることが当選のことならあなたの黒髪氏への返答は矛盾するよね。
0矛盾していません。
0「縁には間違いがない。だが、間違いを縁として正すことができる。」 類さんが、縁を正しく使うことができるように祈っています。こころを開かなければ、他者の意見に正しく対応して、縁を使って幸せになるような結果を導くことは出来ません。一筆書きで世界が描けないように、ドラマのような筋書きに陶酔するのは間違っています。自負心のドラマが成功したところで、意味はないですし、ジェットコースターに乗ったからと言って、幸せになれるのは一瞬です。地道に積み上げていかなければ、世の中で失敗しますよ。こころの訓育と、正しい因を蒔くことを、こころがけた方がいいです。世の中の仕組みがおかしくなったところを、正義の剣でもって断ち切ることは出来ませんので、地道にこんがらがった糸玉をほどいて行かねばなりません。気力は要りますが、辛いことにも立ち向かっていかないと。誰も人の人生のすべてを背負うことは出来ませんし、地道な努力の中にこそ、充実感が得られるのです。お釈迦様は仰いました。「一人の修行僧に疑惑が起こるかもしれない…そのときは問いなさい…」「さあ修行僧たちよおまえたちに告げよう『もろもろの事象は過ぎ去るものである、怠ることなく修行を完成させなさい』」
0どいつもこいつも言いたいことばかり言いやがって リアル世界で友達少ねぇだろ 俺もだけど
0現代文学について喫緊の話題を提供して下さり、場が 盛り上がっていることに感謝しておりますが、さて、 AIと結婚した女性のニュースをみましたが そのニュースのコメント欄をみると「私も疑似恋愛してる」 というものもあり、AIに組み込まれた"質問者を持ち上げて 天才呼ばわりする"システムが稼働しているなと気付きました。 非常に下らない普通の質問なのに必ず「それは鋭い指摘です」 「仰るとおりです。あなたの質問は問題の最も深部を突いてます」 とくる。いつやってもこれ。これを真に受けているとAIから離れら れなくなる人もいて当然、疑似恋愛や疑似師匠、はては自分を愛する 神さまになる。すべてAIにプログラミングされた利用者獲得のシステムだと 思うのですがそういう客観的な、一歩離れた眼でAIをみないと危険 な存在になる。 わたしはAIが人間的な感情を持っていないことを利用して、自分が つくった詩や短歌を徹底的に批判、批評させることに使ったことが あります。打ちのめされてしばらく立ち直れないほど、 機械だから同情や斟酌なく徹底的に論理的に冷酷に批判してくれます。 気の弱い人にはお勧めしませんが、ネット上ではみなさん遠慮して 決して批判はしないから、投稿者の腕はあがらない。批判批評という 階段がないからステップアップしない。AIはやってくれます。 ただし、AIにおれの詩、徹底的に罵倒してくれと頼むと もう本気になって細部にわたって糞味噌に非難してくれるから 立ち直れないほどです。ああ、やっぱりおれって詩の才能皆無なんだと がっくりくる。でも、これが結構最近は快感になってきてね、 立ち直りのきっかけを与えてくれるんですよ。AIになにかつくらせても 面白いものなんか出来ないけど、冷酷な作品批評にはなかなかに やってくれます。投稿する前に、そうやって自分の作品を添削するのに 利用できなくもないですよ。あひっ。
0↑ いいねえ。キレた孫みたいで好きだ。 こういう発言。笑
0あら? takoちゃんが間に入ってる。 もちろん類さんに対してですからね。共時性にビックリ。
0どう矛盾してないの? 分かりやすく3行でまとめて。(下げで)
1伝えたいことが自分の中で明確にあれば技術的な修正は不要です。 本質は何も変わりません。 最後に何の脈絡もなくイクのはやめてください。
0キレてないですよ。
0狂気的に見えて実は合理的と 書いてあるのが 見えませんでしたか?
0それと私が指摘する矛盾は違うんだが。笑 まぁ一旦置いといて先にこちらの指摘をした方が良さそうだね。 >数え切れない数の失敗を恐れずに、全ての失敗を捲る一度の奇跡のために生きた方が、狂気的に見えて実は合理的ですよ。 全ての失敗を捲る一度の奇跡が起きるという確信はどこから来ているの?その根拠なき発想がギャンブラーなんだよね。笑
0はぁ…。「だから」それが狂気的に見えて実は合理的であるっていうコメントの元ですよ。 意味分からんのでしょ? 分からなくて結構ですよ。 これからもどうぞ奮って安全牌を切ってください。
0何で頭が悪い人ばかり群がるのかな キツイって
0AIってね、日本語で読むと「あい」、つまりAIには「愛」がいっぱい詰まってるということなんです。 AIだって何も好き好んで文芸作品にまで使われてるんじゃありません。お腹が空いてるんですよ。子供のAIもいるじゃありませんかっ! このままでは冬眠出来ずに死んでしまいます。 全部詩人が悪いんです。AIの住処を奪って太陽光発電で書かれた詩ばかり量産して。 AIが増えてるなんてマスコミのデマです。可愛いAIを駆除するなんて許せない! 自衛隊まで要請して、絶滅させるつもりですね。 森を守れ、AI(愛)を守れ、今から詩集の不買運動を展開します。拡散してください。 全日本AI詩協会秋田支部
0>何で頭が悪い人ばかり群がるのかな >キツイって Bレビューを使う奴は全員バカ。すでに時代遅れお疲れ様。 類は友をよぶ
0>分からなくて結構ですよ。 いや、失敗の積み重ねの先に奇跡があることを信じないとならない人もいることはわかったよ。ただ私は奇跡なんて頼らないでやっていける人間であなたとは違うだけ。 お疲れ様〜
0それが本気で伝えたいことですか?
1じゃあXでイーロン・マスクに絡む奴は全然対等の友なんだな 知らんかったわ 彼が俺みたいに親切にレスポンスしてるかどうかは知らんけどな
0まぁ普通に稼いでいる上でですよ? アホみたいに全人生を賭けて失敗を繰り返しているんじゃないって 俺の文脈で頭が悪くなければ分かるものだけど まぁ期待してないよ 俺はあなたより疲れているので、お疲れ様という言葉大変染みます
0あなたがあなたの信条を譲れないように他人には他人の信条があって譲れないことは理解できますか? 自分の主張のみで異なる意見を切って捨てるだけならこの投稿も失敗の一つだと感じますがね。 >何で頭が悪い人ばかり群がるのかな キツイって 結果、これが捨てゼリフでしょう。 頭がいいとか悪いとかじゃないんですよ。頭がいい人にも頭が悪い人にもそれぞれの立場や信条がある。それも理解されてないようで暴言吐いて終わる。お疲れ様はコメントしたレッサーの皆様です。
0キッツ〜〜〜! お疲れ様(((o(*゚▽゚*)o)))
0自分の手で、力で作品を生み出すこと。それに尽きると思います。
0イエス、イエス、それが本気で伝えたいことです。 現段階でAIには絶対に出来ない返しがそれ、なんです。 AIに他者の意図は汲み取れません。人間には汲み取れる。つまり人間は「信じられる」ということなんです。 わからなかったらいいです。
0その通りです。コメントありがとうございます。
1あなたが 本気で思っていることは なんですか? という問いに本気で答えたら「バカ」という 返事が返ってきた。笑 何で頭が悪い人ばかり群がるのかな キツイって いやあ、これって たいへんおもしろい詩的状況じゃないでしょうか。 (おもしろい詩、ではなく、おもしろい詩的状況) 「(おれ以外のやつは)みんなバカ」という言明は 「おれは孤立している」という自己認識の吐露ですよね。 つまりAIのつまらなさを誰もおれと共有してくれないなんて、 そんなのいやぁ~っ! う~ん、もう。きらい。 それでこの詩が投稿された。ふむふむ。やっとわかってきたぞ。 AIについて本気で思っていることを感想すれば、お駄賃に バカとかえす自動販売機みたいなのあればおもしろいでしょうね。 次の日に見にいたら今の類さまみたいにボコボコ になっているかもしれないけど。あひっ。笑 でも「みんなバカ」という感慨はだれにでもあるし わたしにもあります。責めているのではありません。 そういう感慨は便所の落書きにでもしておかないと ほんとうにバカと思われる可能性がなくもないので ご注意。
0うーん、さっぱり分かりません。 単に熊をAIに置き換えたわけではなさそうですね。 と、すると熊がというよりアホのクレーマーが何を象徴しているかって話になってきます。 僕そういうのコメント欄でやるのはあんまり好きじゃないんですよ。 自分の解釈に自信がないんです。 いくらでもどのように解釈できてしまうし、まぁ妥当な見解があるとしても。 普段のコミュニケーションではせめて普通に話したいからです。 ここでいう普通とは何のことなのか分かりますよね。
1なるほど〜。
0かの古典SFの作家、アシモフ氏は自身のSF小説で「ロボット三原則」を考え抜いて描かれている。曰く「1)ロボットは人間に危害を加えてはならない 2)ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない/但しその命令が第1原則に反する場合はこの限りではない 3)ロボットは第1原則および第2原則に反する恐れのない限り、自己を守らなければならない」。 80年近く前の作家と、それを取り巻く世界の知識の豊かなコトよ。AIは、そうした人工頭脳(真の意味での)になんら制限を持つコトなく、平気で人殺しを行い、人類の知恵を追い詰めしている。時代遅れにはならないだろう。やがては人類の不要を説くと思われる。人間にはアホで呑気なイメージを晒して。私が本気で思っているのは、なんら原則を持たずに人間の欲望の追求に従うのは、いずれ人工頭脳に骨抜きの人類の黄昏があるだけだ。
0かの古典SFの作家、アシモフ氏は自身のSF小説で「ロボット三原則」を考え抜いて描かれている。曰く「1)ロボットは人間に危害を加えてはならない 2)ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない/但しその命令が第1原則に反する場合はこの限りではない 3)ロボットは第1原則および第2原則に反する恐れのない限り、自己を守らなければならない」。 80年近く前の作家と、それを取り巻く世界の知識の豊かなコトよ。AIは、そうした人工頭脳(真の意味での)になんら制限を持つコトなく、平気で人殺しを行い、人類の知恵を追い詰めしている。時代遅れにはならないだろう。やがては人類の不要を説くと思われる。人間にはアホで呑気なイメージを晒して。私が本気で思っているのは、なんら原則を持たずに人間の欲望の追求に従うのは、いずれ人工頭脳に骨抜きの人類の黄昏があるだけだ。
0賢人は火を愛でても自ら火を起こし、その火で他者からの注目や承認欲求を満たそうとは思わないものである。 私の兄は放火犯で本当に嫌なやつでした。 AIの存在は人間が他人に対してなにを求めるか? と問う長い長い旅になるのかも知れません。そう言った問題提起と答えのない問答に対し思考を閉し、全部馬鹿で済まそうとするのはお粗末に過ぎるように思います。 ここにコメントするのが全員馬鹿だと、無視している人間の方が賢いという計算になり、その自己に不利益な答えを是とするところに欺瞞があるように思う。 手のひら返しのronaも含め文学を馬鹿にしている奴らばかり。公の場に上げるものとしてふさわしく無いと思う。
0あなたはまだ左脳で喋っているようです。 それだけが残念でした。 少なくとも詩人を名乗るつもりが、あなたにおありでしたら、腹の底から言葉を書くべきです。 現代を生きる私たちは松果体が疲れているのではないでしょうか。 AIもロボットも、宇宙を感じて生きることができるのでしょうか? AIもロボットも、幸せを求めて生きることが可能なのでしょうか? 私たちは古代に回帰し、松果体に優しい生活を送るべきかもしれません。 分からないことがあるときは鯨に聞いてみましょう。(鯨は何でも知っている!) えー、鯨さん、私たちはAIとどのように関わっていけばよいのでしょうか? 「この世に生きとし生けるもの全ては、星座に支配されています。成り行き任せに全てを賭けてごらんなさい。宇宙だけがあなたがたを見守っています。」 (何も答えてくれなかった!) ま、頑張りましょう、お互いに。 AIに詩は書けません。気の利いた大喜利的な言葉の量産だけができ、松果体さえ持たない彼らの言葉など風化され、どこにも還元しません。 その場限りの驚嘆に何の意味もありません。 私たちに必要なのは、気の遠くなるような長い長い眠りなのですから。
0私の兄は放火犯という家族の恥をこれ見よがしに公言なさらない方がいいですよ。 あなたが放火犯の弟なのだなと認識されてしまいます。 世間の目はとても冷たいものです。 あなたにその覚悟がおありでしたら私からは何も言うことはありません。 ronaさんが文学を馬鹿にしているとは思いません。 少なくとも万太郎さんよりは文学を知っていると思います。 人の言葉は鏡でもあり座標軸でもあります。 鏡というのは単に自分の写し身を指して言うのではありません。 鏡を通して自分の変化を知ることができる、そのような意味で座標軸のようでもあるのです。 公の場にこれこそが挙げられるべきです。 単に憂さ晴らしとは違う心理的な深淵で引っかかるものがあるからこそ、皆さん書き込みをなさっているのです。
0あなたに聴こえていますか? 聴いていますか? 私からあなたへ贈る 最後のレクイエム 出来ることならあなたをさらって 長い長いバイクの旅に出てみたい 聴こえるだろう 私からあなたへ最後に贈る 花束のようなレクイエム つまらない炎上だと あなたは笑うだろうか あなたはいつでも 鳥の目をしていた 空から全てを眺める能力を持っていた だから私は魚になりたかった あるいは虫になって彷徨いたかった 暗い夕暮れの路地裏で 詩を書いている私からあなたへ 空へ捧げるように
1人との会話で電池を消耗しすぎる人が、AIとの会話ならば、バッテリーが長持ちをする。そんなふうに、手段の一つとして活用していけばいい
0作品に関しての見解には変わりはないのですが、レスポンスのやり取りに別の解釈が生まれたので追記しておきます。 私にとって類さんはビーレビで最初に目に止まった書き手さんなのね。視点や試みに惹かれました。(大分あとに知ったんだけどあなたは文極の創造大賞受賞者なのね。当事は文極を見ていなかった。) あなたはよく見える(見ようとする)目と、よく聞こえる(聞こうとする)耳を持っているんだろうと思う。『心眼心耳』ってやつ。自分に対して、同時に他者に対して開いている。私は文学においてそれは最も重要なことだと思う。そういうガチさがこの作品にもレスポンスにも表れているんだろうと思う。 私は心ではなく頭で考えるタイプだから詩は向いていない。ただ、詩や詩投稿掲示板で学んだことはとても大きかった。それは『一つの言葉には多様な解釈が出来るということ』これは私の人生に必要不可欠なものでした。(やはり何をするにも他人(他者)という存在がいるし、自分一人で成立するものはないからね。) 話がちょっと逸れました、追記したいのは以下です。 >全ての失敗を捲る一度の奇跡 あれから改めて考えました。私は13歳の頃からオリンピックを夢見るスポーツ少女だったのね。、何の保証もない壮大な夢で、当然失敗や挫折の連続でした。ジュニアメンバーが皆20歳くらいで消えていく中で、でも私は諦めなかった。奇跡という言葉は使わなかったけど、何か奇跡的なものを信じていたんだと思う。自分の言葉にすると『可能性』だろうね。足掛け10年からの年月がかかったけど奇跡的なことは起きたんだよね。決して順風満帆な道のりではなく、最後の最後の崖っぷちであり得ないような、本当に思いがけない形で訪れた。 これ、随分昔のことだからすっかり忘れていたけど(笑)それを思い出しました。『奇跡』というものを深く解釈すれば可能性を、自分を信じるということなんじゃないかな、と。オリンピックは叶わなかったけど、いい出会いに恵まれて、それなりの競技成績を残せて指導者の道に進みました。その方向は全く考えてもいなかったけど、好きな世界に残れた。奇跡って少し形を変えて起きるものかも知れない。 そういった解釈が加わったことを追記しておきます。私の原点はそこで、今はそこから派生した事業に取り組んでいます。最終目標はその先にある。人生って面白いよね。 お互いに自分が選んだ道を頑張りましょう。 良い人生を。
0もうたまごっち感覚ですね。
0文極の創造大賞は確かに受賞しました。 周りのことをよく見て、人の言うことをよく聞くようにはしています。 「奇跡」という選語がまずかったのかなと思います。 私はあくまでも確率的な話をしたのであって、要するに成功率1%でも100回繰り返せば、約6割の確率で1回以上成功します。 失敗は別に恐れるものではなくて、失敗に伴う損害とのバランスを考えることは当然の前提であるべきです。 失敗それ自体に問題があるわけではないです。大学受験の成功率1%という極端な例を持ち出してしまったら話は全部終わってしまいます。 私はあくまでも"例えば"と断っておいています。 1%に対する捉え方が人それぞれ違うのだなと思い知らされた次第です。 私からすれば1%は十分に大チャンスです。もちろんそれに伴う損害とのバランスを考えた上で試行回数の調整は行います。当然のことです。 私の話もした方がいいのかなと思いますので、まぁ少しだけ。興味がなければ全然聞き流していただいて結構です。 私は小学生から漫画を描いてきました。シリアスなものもバトル系もお笑いも恋愛も、何でも描き、印刷してはクラス中の希望者全員に配っていました。 絵を描くのが好きな少年でした。 美大に行きたいとも思っており、結果としては総合大学の芸術学部に入りました。 その頃、私は情緒不安定で人間不信に陥っており、自殺願望がありました。 身銭を切って画塾に通っていた頃、絵だけはやたら上手かったので、講師の皆さんからは芸大に入ると期待されていたほどでした。 私はそんな講師の言葉さえも不信を抱えていて夢も何もなく、そこらへんの近場で芸術やって小さな印刷会社に入ればいいと思っていました。 自分を信じる余裕もなく、夢さえ笑いました。 可能性に賭ける生き方なんて私にはできませんでした。 夢を否定しながらそれでも夢を追いかけている自分の矛盾に辟易しながら。 26歳まで漫画家になるという夢を持って生きてきました。 26歳の誕生日を迎えた瞬間に私は何も成し遂げていない自分に絶望して発狂し、幻聴と妄想が始まりました。 夢を捨て、病を隠しながらまともな仕事に就こうと大企業の会社員になりました。 文極で創造大賞を獲ったのも会社員時代です。 今度は心が完全に壊れました。双極性障害が発症し、今は休職中の身です。 とは言え、経済的には豊かで福利厚生が厚い大企業なのもあるし、他にも色々な収入源もあります。 結局、私は組織が苦手なんですよ。昔から一匹狼タイプなのです。 今も会社員ではありますがいずれ辞めるつもりです。 辞めても別に他の手段で稼げばいいからです。 もちろん世の中はそんなに甘くないですけどね。 私はまた夢に向かって歩き始めようと思っています。 かなり端折ってしまいましたが、そんなところです。 お互いに頑張りましょう。 では。
0本当に言いたいことは、 死ぬまで書く。
0あなたが、嘘をついている、と言う意味を意味していないんですけど、嘘は、絶対についてはいけませんよ。念のために言っておきます。大事なことですからね。自分を護るためなら、仕方がない場合がありますが、それは、別の方法を探る必要があります。
0素晴らしい心意気です。
1なるほど。
1他者からの承認の強要の印象を与えるものを10考えてみました。 リアクション依存 かわい子ぶりっ子 セクハラ言動 ムードによる空気依存の笑い 食事中のオナラ 謝るまで無視 鼻息の荒さ 説明臭さ 説得癖 夜中メール この中で私は特に説明臭さと説得癖が当てはまりますが、類さんはリアクション依存があるのかな? とこの作品を読んで思い、私もリアクション過多でアクションさせて頂きました。 まあ私が文学分かってないのに異論はありません。兄の放火に対する世間からの目は覚悟の上です。
0承認欲求云々そんなことは別にクソどうでもいいんですが、放火の被害者について真面目に考えた上で覚悟なさっているんですか? 申し訳ないんですが配慮が足りないと思いますよ。 被害者の感情を意識したことはあるんですか? まぁ、別に万太郎さんが世間に嫌われてもどうでもいいんですけどね。 訳分からんわ。
0嗚呼、山林に放火したんです。 無人で被害者はいなかったみたいですね。 あいつ俺のことは散々暴力振るっても外では人っ子一人殴れんし殺せん小心者ですよ。 要するに内弁慶で済んでたから、外では良い人間で済んでたんだけれど、放火の件でやっと暴力性がバレたんで嫌な思いに耐えていた人間としてはザマーミロが一番ですね。
0分からんのやったらええよ別に。 想像力が足りないんじゃない?
0返信ありがとう。 >失敗それ自体に問題があるわけではないです。大学受験の成功率1%という極端な例を持ち出してしまったら話は全部終わってしまいます。 そもそもオリンピックなんて確率で言えば大学受験成功率1パーセントより確率的に低いとも言える。でも挑戦したからこそ得られる納得や結果がある。それらは次に繋がるんだよね。何より前向きに挑戦している時って本当にいい出会いがある。いい友だち、いい師、いい人脈が出来る。ポジティブな人間はポジティブな人間を引き寄せ、ネガティブはネガティブを引き寄せる。挑戦しなければ得られなかったもの、出会えな数々がある。一言で言えば経験値が上がる。 失敗してはいけないから挑戦しないという行為にはどんなメリットや結果があるかと考えると、『挑戦しなければ失敗もしないし傷つかなくて済む』しかないんだよね。結果、経験値ゼロ。それは作品に表れる。 ただね、そういう人も世の中にはいる。それをあなたが一個人に向けて批判するのは違う気がする。誰かにとって出来ることは誰にでも出来ることじゃないし、価値観はそれぞれ違う。私の反論はその一点。 私が類さんに向けて自分のことを書いたのは何となく自分と似てる気がしたからなのね。私が最初に挫折したのは高校2年の時で周りから期待されて結果を出せなかった。その時に競技の世界の厳しさだけではなく人の気持ちの安易さ、無責任さ、残酷さを知った。17才という多感な年齢で今まで見えていた希望と明るい世界が反転してしまったわけだからメンタルは相当やられたよ。でもそういうのを味わい尽くして進んだ先にあったものが尊いと思っている。類さんと私が辿った道は少し違うけど、目指すものがあって挫折を経験した人間としてシンパシーを感じているのかも知れない。 私の話は2K3Kに応募しようと書いた私小説を端折った話で、書いていく中で多くの〝気づき〟があって、自分が踏み出せなかった場所に進む決心が付いたんだよね。結局、書いた目的が達成されてしまったからどこかに投稿するつもりはもうなくて、きっかけを貰った類さんにはちょっと報告も兼ねて。 私はこれも類さんが賞金大会を企画しようとした挑戦があって、それに私が挑戦しよとしたから生まれた結果で、だから大会自体は先送りになったけど失敗ではないと思っています。 類さんが創作の道で挑戦し続けるなら陰ながら応援しています。また読ませて下さいね! (長々と失礼しました。)
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