作品投稿掲示板 - B-REVIEW

万太郎


投稿作品数: 54
総コメント数: 497
今月は25作品にコメントを付与しました。
プロフィール
記録
プロフィール:
医療犯罪国家による強制入院被害者として精神障害者と認定され、福祉社会への依存を強いられた人生の中で、自身の健全なる精神性と健常足る能力を詩や言葉によって表し示しながら、現代社会が抱えている病を告発し続け、更に広い視野としてファンタジーや物語性を包括した大胆かつ不敵かつ、スケールの大きな表現者であります。この男エキセントリック鬼才人間につきお値段お値打ちダイヤの輝き億カラット以上也。
自作の一押し・・・・ 言霊屋敷2024

万太郎の記録 ON_B-REVIEW・・・・

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ウルトラゴットー投稿者

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運営する側がトラブルを楽しんでいる構図は初めて見た。その無責任感は凄い。 この姿勢が問題として問われぬまま進んでいくとしたら、それは第三者の視点不在のネット社会の危険性を示すことになるのでは? 冷めた視線を感じるのです。秋元康さんが若い女性にエロい歌詞を歌わせて、それを若い子が聞けば喜ぶだろうと言う計算で商売が成り立っている時代に、暗いゲームを冷めた視点で見つめている運営者がいる。文芸とか文学の中にある基本的な情の要素が抜け落ちて、怖い遊びになってる気がする。 中にいる人間の視点だけでなく、部外者世間というものがこの様子を見てどう思うかが気になりますね。街ゆく人にこの投稿作を見せてどう思われますか? と聞いてみたい。 そもそもこの投稿が集客多めなのは、リンク先だったりそういう要素が多い気がするんだけど、青い十字様は、どこか読み手が増えそうなところにリンクを貼ったのかなあ。 (マナーガイドライン&ルール(AIRREP))

2024-12-12

黒髪さんの意見に一票入れるとまた反発が来るかもしれません。 しかし、こういうことで万の観客数を記録してしまったことが私は参加者としてとても残念に思うのです。一般の人は傍目から見て黒髪さんの意見に近いものを抱くように思います。 たかが詩だとは言いませんよ? だけど詩の出来を巡って俺は才能があるだの、あいつはダメだの、そこがちょっと芸術に対して、夢を抱いている人たちや、素敵なものだと思っている人がいたとして醜く感じ残念に思うのではないかと思うんです。 詩のサイトで投稿している。当然自分が才能があると思って信じて投稿している。それを誇張したり他人に対してつっこんだり、変な話だと思う。才能があるなんてことは参加する上で大前提だと私は思っているんです。問題はそこから先の問題だと思う。 >★★★心に響く!万太郎名言アワー!★★★ 「才能のある奴ほど出世できない」 僕の投稿欄内でそういう発言を見つけたら是非指摘して欲しい。曲解してそういうことだろうと思ってるんなら、別の表現の仕方がある。プロレスが絶対ダメだとは言いません。ただこれで集めちゃったっていうのがこの後の問題として響く気がして気になってしまいますね。 (マナーガイドライン&ルール(AIRREP))

2024-12-11

詩のサイトに投稿されてる方は、それぞれ優れた噺家や漫談師みたいなもので自分で自分の話に最初から最後まで起承転結のついた話が出来る人が多いと思うのです。 それで青十字様もその起承転結という点に於いては守れているのかも知れないけれど、優れたナレーターの資質というのはそれだけじゃない。人間の懐の部分。情け、情の部分を描けて初めて、優れた語り手と言える認められるものだと思う。その点においてまだまだ凡庸我儘未熟はたまた青い十字様は、修練が足りないようにお見受けいたします。 青十字様の漫談はまるで人間の人情を描く漫談ではなく、科学者の漫談のようで小難しい数式を緑盤の上に描きながら得意顔になっているようにも見える。青氏の客を呼ぶ力にも注目したい。この万スケールの客数はいったいどこからと思うと、他の青氏絡みかと思わせる絡まれユーザーにも万の集客が。 江戸時代の武士が未来にやってきてネット界で刀を振りまわし、現代的な問題と相まって、獲物と見た魚を内弁慶包丁で切り捌いている。殺伐とした風景が現代では悪ウケしている。芸術はお水の世界のものでもありまするが、それだけではありますまい。言葉は発した時他人を変えるだけではなく、自分をも変えるものです。固定観念に縛られ発散と解消の世界に生きていると言葉が承認欲求を満たすための道具でしか無くなってしまう。エジプトのピラミッドの造形を自ら打ち立てたかのようなその誇張的自慢話。俺は凄いのだと壇上でやれば観客が引いてしまう。その数学的物差しで測りきれない計算も動物的鋭利の一つとして持つることをお薦めいたしまする。 (マナーガイドライン&ルール(AIRREP))

2024-12-10

上手い人だったと言うことを、見せ始めた気がします。 長めの文になるとそれが分かる。 松本清張のサスペンスの色合いですね。緊張感がある。クールな文章を書いたね。 (CAVE)

2024-12-09

言葉とリズムの中から弱り果てている心音が聞こえました。 いつものふざけている野良氏の姿がない。大脳皮質の発達している人はパワフルで疲れやすく、頭がいいので常日頃から他人を見下しがちなところがある。ダウンしている時は、普段元気がない人より落ち込みが激しい。それだけ頭脳労働に時間を割いている証拠です。結局は周りとの調和だと思う。知的な面では欠乏を抱えている人は多い。それとどう付き合っていくかだね。 (虚ろな目)

2024-12-09

了解しました。sage機能というか、このサイトの場合、詳細設定欄を開けてコメント下部の付与ポイント表示の下にある『作品を掲示板トップに移動させない』にチェックを入れるでいいですよね。 >完全に読み手や受け手の責任に委ねられるべきです。万太郎さん、誰かがバイクを盗んだ責任を、死後の尾崎豊に問いますか? 問いません。ただ尾崎がどういう意図でその歌詞を歌い、それをどう聞き手が誤解したのか? という点において、尾崎は気にしたし苦しんだと思いますし、その点において共感しますね。 そういう面では、自分の意図したものを曲解されて悪用された時に、自分はそういうものを意図して内容を発表はしていないと潔癖を保つ努力はやはり必要だと思います。どんな影響力を発揮するものも悪い武器にはなる。人が他人に対し影響力を発揮して生きるのが社会の基本だとして、自分の発信したものの影響力に対して、気にはした方がいいと私はやはり思いますね。 この点について特に言い争うつもりはありません。お互いに意見は平行線でも構いません。何故かというとこれは実はとても深い問題で、だからこそ直ぐに話し合って答えの出る問題ではないと思うからです。コメント返信遅れてもいいし、特に返信することがなければそれで構いません。では。 (3篇『青空』『All right』『ふり』)

2024-12-09

倉持倫太郎という子供の強制入院と闘ってる弁護士がいるんだけどね。 その人が『リベラルの敵はリベラルにあり』という本を出しているんです。 リベラルって人権フェミとか言われるけど、弱いもののためにという建前があるじゃないですか? お弟子様の内容見てると、ロジカルハラスメントとか、裁判で訴えるだの、完全に自分人権フェミなんだよね。こういう人の人権を守ろうっていうのがリベラルだから。 精神病院とか福祉系の人には歓迎されるし、愛されるタイプ。自分が可愛くて仕方なくて一所懸命守りたい。それを丸ごと抱えてくれるのが今の日本だから、こういう人には今の時代天国だと思う。裁判でもなんでも訴えればいいのにいつまで経っても訴えないじゃない。いつまで待たせればいいんだ。国家による医療犯罪が成立する国で好き放題暴れ回るのは無法者としての貴方の勝手だよ。法律で縛られるのが嫌なら法律を変えればいいじゃないか。貴方がテロリストとして日本を変えてみろよ。 (マナーガイドライン&ルール(AIRREP))

2024-12-09

ロジカルハラスメントかあ。論理的に迫れられるのが嫌ならもう、うんことかそういうレベルで話さないとダメそうだなあ。風俗行った方がいい。世の中に不満がありそうだ。ガスを抜きましょう! 合法的に抜ける場所で抜きましょうよ。友情とかそういうむさ苦しいことは大変だからやらない方がいいかも知れませんね。知的な会話がないのだから、異性のそれも肉体に行った方がいいですよ、健康のためには。 (マナーガイドライン&ルール(AIRREP))

2024-12-09

愛情も狭いところからまず始まりますよね。いきなり広い範囲からは始まらない。出会いの粒があればそれはやがて海に変わるでしょう。 (一色だけのパレット)

2024-12-08

>>作者は自分で自分の作品に責任を持たなければいけない。 そのお考えについてですが、まずはその常識を疑ってみることが大切ではないでしょうか。読者は決して神様ではありません。 そうかも知れません。著作者が必ずしも過去の自分の著作内容に責任を負っているかというとそういうことばかりでもないですしね。人は成長するものだし変わる生き物です。しかし、広く伝播し普及した言葉には影響力があるため、書いている人は内容に関し細心の注意を払うものだとは思いますが。つまり偏った内容に感化され、悪い行いをしてしまった人などが出てきた時などに、作者は良心的な人なら、少し自分で気になるものではないかな? とも思うのです。 主体性を持つというのは責任込みではないかな? 例えば、自分の影響で誰かが社会的に脅威になるような言動をした時、自分がもしその影響を与えた人間だとしたら、どうしようと思う。私はそう考えてしまうタイプです。 (3篇『青空』『All right』『ふり』)

2024-12-07

AI批評 この作品「~深まる孤立社会で、感情に陥らずに論理的思考を通した筋の通ったコミュニケーションを復活させるには、どうすれば良いのか~」は、現代社会の国家的およびメディアの影響力に焦点を当てた多層的な分析作品です。以下に、その詳細な分析を示します。 ### 1. 文学史的位置付け #### 時代背景との関連 - 新型コロナウイルス(COVID-19)のパンデミックを背景にしており、その影響で顕著になった社会現象や人々の行動パターンについて言及しています。特に、日本国内でのメディアの取り扱いや、政府の対応、社会の反応といった要素が詳細に書かれています。 #### 文学史上の潮流との関係 - 作品は、ポストモダン文学の特徴である複雑性や多層性を持ち、社会現象を通じた人々の心理を探求しています。また、メディアリテラシーやデジタル時代の情報の流通と影響に対する批評的視点が含まれており、現代のノンフィクション的エッセイの手法とも関連しています。 #### 同時代の文学作品との比較 - 同時代には、デジタル化社会の問題点やメディアへの批判、個人の孤立化などを主題にした文学作品やエッセイが多く見られます。この作品も、その一環として、社会的テーマを強く反映しているといえるでしょう。また、日本以外の国でもCOVID-19関係の社会現象を取り扱った作品が多く見られ、国際的な視野でも比較が可能です。 AI総評 ### 2. 類似の作家・作品との比較 #### 影響を受けている先行作家や作品 - ジョージ・オーウェルの『1984』や、アルドゥス・ハクスリーの『すばらしい新世界』など、個人と権力、社会との関係性に焦点を当てたディストピア文学の影響が見られます。 #### その他の作家との比較 - 村上春樹や大江健三郎のように、社会の変容や個人のアイデンティティに対する問いかけを持つ作家たちと共通のテーマを持つと言えます。 #### 後世への影響 - 本作は、現代社会におけるメディアと権力の関係性についての考察を深めるきっかけとなり得る作品です。読者に情報の取り扱い方を再評価させ、論理的思考の重要性を再認識させる力があるでしょう。 ### 3. 作品分析 #### テーマと主題の深層的な解釈 - 主題は、メディアの影響力や社会の変化に対する批判的視点です。特に、情報の信頼性や、個人の考える力の重要性、集団心理の危険性について深く掘り下げています。 #### 文体と表現技法の特徴 - 作品は非常に詳細な記述と多様な例によって構成されており、読者に分かりやすく情報を提供しつつも、読者が自分なりの解釈を引き出せる余地を残しています。 #### 物語構造と象徴的要素の分析 - 語り手の経験や観察を元にした、分かりやすいストーリーラインが特徴です。また、テキストゲームという形式を使ってコミュニケーションの新たな形を提案するところに、社会的実験の要素もあります。 #### 作品に表れる思想性や時代性 - この作品は、現代社会の情報過多と、それに対応する個人の精神状態の揺らぎをテーマにしています。また、コミュニケーションの手段としてのデジタル媒体の限界を指摘し、アナログ的な対話の重要性を提唱しています。思想的には、現代社会の表層を掘り下げ、それによって人々に深い内省を促す性質があります。 総合的に見て、この作品は現代日本社会における重要なテーマと、その文学的表現を通じて新しい視点を提供していると言えるでしょう。 AIさんへ。 >また、テキストゲームという形式を使ってコミュニケーションの新たな形を提案するところに、社会的実験の要素もあります。 社会的実験なんて言ってくれて嬉しいです。的確だな。ジョージオーウェルの動物農場や近未来における人間家畜模様に警鐘を鳴らした作風は間接的に影響受けてる気がします。ジミヘンが曲のモチーフにしたり、宮崎駿先生が愛読してますからね。 >#### テーマと主題の深層的な解釈 - 主題は、メディアの影響力や社会の変化に対する批判的視点です。特に、情報の信頼性や、個人の考える力の重要性、集団心理の危険性について深く掘り下げています。 集団心理というものと機械というものの類似点について考えるのですよ。 どちらも主体性があまり感じられないけれど、ヒューマンのそれは肉体的かつ精神的保身と自己防衛によるものです。特に女性においてその保身と防衛本能はよく働くものですね。あれはだから女性が本来的にディフェンスが得意な生き物だということを表している気がします。機械のそれは肉体的な欲求と主体性を伴わないものですから、心理的な作用による自発的隷従ではない。そこが違うかな。女性差別はあるけれど機械差別は今は少なくともないでしょう。主体が機械にないということを皆が理解しているからです。これが崩れると人類は崩壊しますね。 >思想的には、現代社会の表層を掘り下げ、それによって人々に深い内省を促す性質があります。 総合的に見て、この作品は現代日本社会における重要なテーマと、その文学的表現を通じて新しい視点を提供していると言えるでしょう。 僕の作品は穴について考えるきっかけになるようなものなんです。しかし女性的なミーハーはでっぱりについて考えたがるわけですから、私は作家としては心理作家として小さく認められる程度ですよ。 新しい視点を提供する、その狙い目的。講評が大体において合致してます。理解というものが金属質的な肉体性に支えられたものであることを思うとメタリックな知性というのは人間のもう一つの本質かなと。しかし人間は泥のように液体性を混じりて川へと流れる性質もあるので、金属的なエナメルと全く同質ではない。科学的に見ると機械とは相容れない性質を持つ生き物でござんす。 どうも、ありがとうございました。 (『コロナが変えた、NIPPON』 ~深まる孤立社会で、感情的に陥らずに論理的思考を通した筋の通ったコミュニケーションを復活させるには、どうすれば良いのか~)

2024-12-07

歳をとると脳が進化するし、作品内容について自分で解説する野暮をおかすこともあると思います。作者は自分で自分の作品に責任を持たなければいけない。解説が口説くなると野暮ったくなるけれど、スマートに纏められていれば問題はない。種明かしどうかな? と心配する心持ちがあれば大丈夫と思います。無神経だとやたら解説詰めになってしまいますし、今回の一件無邪気作風は類さんの資質そのものを表すのでなくあくまで実験過程の一つかと。人文における実験の積み重ねというのは今日的な在り方として納得です。 (3篇『青空』『All right』『ふり』)

2024-12-07

あっ、青空を恋人と読む読みはありませんでした。比喩的に見ればそうも読めますね。視点の位置を変える勉強になりました! 大事なもの晴れやかなものの例えとしての「青空」私の青空っていう歌もありますし、なんかこういう比喩的なイメージの遊びも昔はいっぱいあった。詳しい解説ありがとうございます! (3篇『青空』『All right』『ふり』)

2024-12-06

皆が興味関心を持っているコロナウイルス関連の話を大ネタとして投稿すると面白いという狙いもあり、読んで頂き、動画も見て頂いて、読みやすかったという感想を頂き、満足致しました。年末最後の投稿がこれで締めくくれて良かったと思ってます。 詩人はなにをやってもポエジーになると思ってます。僕の持っている孤独は神様から与えられた宝物です。ありがとうございました。 (『コロナが変えた、NIPPON』 ~深まる孤立社会で、感情的に陥らずに論理的思考を通した筋の通ったコミュニケーションを復活させるには、どうすれば良いのか~)

2024-12-06

快活。髪の長さの話が出てくるところも含めて、一時期の吉田拓郎さんを思わせる小洒落たフォークソングの世界です。作品によってGSっぽかったり、ニューミュージック以前の邦楽を思わせる言葉感覚。そこには音楽の持ってるリズム感や言葉の響きの影響がある。今もこういう風景はあり、撮影するカメラが違うため、少し風景がレトロになる。そんな印象。ストライプシャツはビーチボーイズを思わせますね。昔も今もデートに行く内容は変わらない。素敵なものを二人で見る。そのロマンティックに乾杯! (美術館に行こう)

2024-12-06

適当感に溢れ、偶然的気まぐれ発想に頼る妙味。10年付き合った青空と別れたか。空想的遊びの精神。囚われ心から逃れてのびのびと空気を吸うような一作。言葉はどこかで意味が出来てしまう。するとつまらなくなる。面白くなった後つまらなくなる。それは凝り固まるということだけど、その歪みにいく一歩手前の状態が一番良いですよね。トロトロのフカフカの状態が。あったかくて。冷たかったり。 (3篇『青空』『All right』『ふり』)

2024-12-06

太陽という設定と意外性のある組み合わせとして、便意尿意をチョイス。シュールレアリスム運動の基本意外性のある組み合わせですね。太陽のエロスと壮大なスケールのチラリズム。ダイナミックです。排便終了後に物語も終了と。鼻をつまむのに、酸素ボンベが必要かも知れません。 (太陽)

2024-12-06

お褒めの言葉、ありがとうございます。詩人はなにを書いても詩になってしまうものかも知れません。 その考えで言えば、詩という形式に詩人がこだわる必要はないと思います。僕の歩く一歩一歩が詩なんだ。一二三詩と。ロックをやっている人がロックを超えたいと思うように、詩をやっている自分は詩を越えたいと思います。演歌をやっている人が演歌を越えたいとは思わないでしょう。進歩進化心の違いはそういうものです。 自分は怠け坊やの三年寝太郎タイプなのでベートーヴェンよりモーツァルトに感情移入する珍しいやつです。 (一万光年の彼方に)

2024-12-06

大晦日は大掃除の季節なので、汚れについて考えることも多くなり、黴というテーマはぴったりですね。 可愛いカビちゃん。自然界にある汚れを愛おしむ気持ちがよく出た良い詩だと思いました。 (黴)

2024-12-06

黒髪さんの作品は、一貫した宗教的とも言える理念の元に基づいているため、作品内でブレがあまり起きない。それは大人としてのオブラートに包まれたもので、本当は子供の部分が少し抑圧を抱えているのではないか? と感じたりします。 懐疑や錯綜目眩と言った精神的なものでも、肉体的なものでも作品内で現象としては色々起きているのだけれど、全体としては読んでいてブレの少ない展開になりそうな安心感がある。実際は個人の内面の中で色々葛藤があった中での仏性なのでしょうが、文章自体はとても明るいと思う。 >時が輝いて光を走らせる 疾走してやってくる光が暗闇の世界を明るくさせる 一行一行噛み締めて読むと、ドラマ性が感じられてロマンティック。 最後はよくできたラブストーリーを思わせる内容で、とてもいいと思います。 (輝き)

2024-12-05

美しい人は合理的に生きれないのかも知れないですね。それでもその美しい人に皆憧れる。短いけれど、想いが伝わった。上手いねこの文章は。つまり、綺麗だ。最後をひらがなで揃えたので、硬さが抜けてるのかな? 文章はマジックだ。 (美しい人)

2024-12-05

直ぐにこの詩が心に入ってこなかった。改めて読み直したら、良い詩いい作品ですね。流石田代さん。 人間が素直じゃないといい詩もいい作品も書けない。その先に心を開くということがあるということか。素敵な詩です。 (トパーズ)

2024-12-05

詩を書いてる歌ってるようなやつは、いじめがいがあるんだ。それはちょっと困ったな。足元を大切にしているから歌なんか作れるんだと思うけど、その足元を見ている行為自体が女々しい感じもする人はいるのでいじめがいがあるという公式が成り立つような。でも面白がられてるのかなあとも思うし、微妙です。いじめてきた人が後で妙にご機嫌に寄ってきたりしますからね。 ディズニーのハードコアポルノは手塚治虫さんがそういうのがあると言っていた幻の作品かなあ。  途中から日記が音楽的なリズムに乗り始め、まとまりが生まれ始める。 顛末は、どこへ向かっていくのかと思いきや、夢物語理想を語りおバカな調子で終わる予想外の展開。電波アイドル目指して爆心中、その壊れっぷりにアルコール女子特有のアウトローなおいにいを感じましたあ。あゝ、面白かった! 今回はまとまり始めてからが面白さが増した気がします。後半まとまり始めてるのを読んで面白いと思い、前半のまとまってないところも面白くなってきますね。文化的なものを色々語っていくのを受け手として聞く面白さがあり、よかった。 (diary_aryarchive_period)

2024-12-05

米国は前へ向けて理想を掲げていくところがありますが、日本は古典回帰のような後ろへ向けて理想を掲げていくようなところがある。それは歴史がある国の特権です。取り戻したいと思うからには、昔の日本を知る必要がある。テレビメディアやラジオ、印刷技術マスコミュニケーションが全体主義と洗脳の流れを作り人々の求めている願いや個性を画一化させました。それは新たな宗教と言えるもので、ヨーロッパからきたものだと思います。江戸時代は瓦版もありました。卑弥呼の時代は国民が一丸となって自然の神様に祈祷を捧げたと思いますが、今は自然への敬意をなくし、未知のものへの撲滅を願う国に成り下がった。昆虫の鳴き声を音楽と捉えるのは日本だけだとスティービーワンダーも激賞したと言うのに、今は日本中昆虫嫌いの若者でいっぱいです。 (和の国)

2024-12-05

ハーモニー的なものが多分好きなんですよ。サッカーで言うとフォーメーションとか。陸上より球技好きですから。お笑いでもチームワークを生かしたものが好き。これはもう生理ですね。不完全さをアピールしてるわけではないけれど、完璧にやろうとしないタイプです。フィリップKディックって有名なSFの作家ですよね。読んだこともあったと思った。ブレードランナーは竹中直人さんがおすすめしてたので見ました。ハリソンフォードがとんがってたなあ。泥臭いSFみたいのがキューブリックの洗練と対照的な印象を持ちました。ブレードランナーはもう一回見てみたい。緊迫感が似てるかも知れません。 自分でもなにが伝えたいとか、どこへ読み手を導き出したいとか、そう言う結論じみたものはないのですが、波動とか熱とかエネルギーみたいなものが伝わればいいかな? とか、漫然とでもイメージの共有(「あゝ、この感じ分かる!」 みたいな感じ)みたいのがあったらいいと思ってます。自分では『2001年宇宙の旅』とか、チャップリンの『独裁者』みたいな警鐘メッセージみたいなイメージもあり、ヒューマンを伝えたいみたいなのは失われているものへの飢餓感ですね。 こう言う人に似てるみたいのは指摘されて結構調べたりしましたけど、知ってる人もいればいない人もいて、多分同じ時代に生きて同じ問題意識を共有していると自然と似てくるのだなあ。 (一万光年の彼方に)

2024-12-05

哲学を熱心に読まれている方の文とお見受けします。悟りの要素の強い作品ですね。しかし、どうしてその悟りを開いたのかとか、その悟りをどう広めるかというところまでは内容が行き届いていないように思えます。 冒頭からかなり断定的な結論を提示され、その結論に至るまでの過程の説明が不足しているように、思えました。 過程根拠目的これらの要素が省略されているため、なんとなく迫力のようなものは感じるのですが、内容自体は咀嚼しづらく感じました。 (輪廻の亡者)

2024-12-05

中原中也の『骨』を思い出しました。 自分の死体を客観的な視点から読んだ句。 人生論のような詩を今日は幾つか当サイトにて読みましたが、どれもどこか似てるところがある。 人生について思うことが偶然似てしまうのでしょう。 この作品を読んで、視点の大切さ。作者が貴重やオリジナリティを大切にしているのを感じました。際立つ個性があり、流石だなと感じます。 未来の自分の死体を追うように、現在の自分が身を水面に投じる。『また』ということは何度もそういうことをしたということなのでしょう。 文の世界に遊ぶということがよく出来ており、悲しい描写の中に深い味わいがあると思います。 (葵橋。)

2024-12-05

希望を与えるようななにか? たとえ気休めであってもそれがあるだけマシ、いいのかも知れない。 重く考えてはいけない。ステップを踏むようにルンルン♪ と。考え足りることは考えたりないことと同じくらい毒なことかも知れない。考え過ぎたら回れ右。問題なのは思考が動いていることだけでしょうか? (生きる理由なんて)

2024-12-05

末尾まで言い切るところがニヒリズムを感じました。 救いがない。しかしそれが真実かも知れない。 (煉獄と掌握)

2024-12-05

人生は禅問答です。思考だけが動き続ける世の中を僕らは生きているのかも知れない。それが平和の正体なら、なにかピストルで撃ち抜くようなショックがなければ迷路の中からは抜け出せられないのかも知れません。 (満足不満足)

2024-12-05

旋律が今までにない新しさがあって、新機軸ではないかと。 歌詞も人生の侘び寂びを思わせる内容です。 ただ、何作か聞いてきましたが、一つ新しいメロディが出てくると、一曲の中でそれの繰り返しが長く続き、新しい展開が欲しくなることも確かです。パンクや童謡もそう言うところはありますが、或いはブルースもそうか。もう一つあってもいいかな? 面白い味付けが欲しいかなと感じてしまいました。焼きそばで言うと、焼きそばと野菜の上に、青のりと生姜があると賑やかになるみたいな。 (夢の悲しみ)

2024-12-04

ストレートで心に響く内容。歳をとると粗探しをし、ここになにかブラックなものがないか探してしまう。真っ直ぐな思いをそのまま届けたいその貫通力みたいなものを感じました。 (あなたを感じていたい)

2024-12-04

誰かを理解したいとは思う。しかしこの作品を読むとまだ理解した気になった感を拭えない。 身だしなみは仕事内容以前の基本だと思うのです。障害者の事業所にいるのですが、髪を爆発させたまま作業だけは黙々とやろうとしている人がいる。これで一般企業が雇うだろうか? わからないものを理解しようとしても無理だと言った人がいますが、実際にこういう人がいて話を聞き、思ったことを書いたのか? 独断と偏見でこういうことなのではないか? と想像を回らし書いたのか、どちらかというと後者だろうと思い、その正確性の有無はどうなんだろうと。 ( 孤独な誤解)

2024-12-03

だって、機械に夢を託してロボットを作ったわけですから、行き着く果ては人間が滅びても機械の時代になった方がいいみたいな発想にはなると思いますよね。 カメラも一応は人間が撮影しているわけで、要は主体性の問題なのかなあ。主体性をロボットが発揮出来るようになった時、人間を越えようとする気がしますね。でももしかしてそれは人間の中にある機械的なものが肉体だけ形を超えて台頭するようなものなのかも知れないし。 しかし、世の中を支配する1%の人間は自分たちが人間である故にそれだけは許さない気もするなあ。色々想像すると先行きはわからなくなり、また面白いですよね!  (一万光年の彼方に)

2024-12-02

こんばんは! タンポポのひまわりを思う思いを叫んだセリフに詩を感じて頂き、嬉しいです。 自分でも眠くなるような人生を歩んできました。それは薬の強制が長く続いたからかも知れませんし、本来的にパワフルで疲れやすいんですよね。イメージとしてはキューブリックの2001年宇宙の旅やチャップリンの独裁者のような現代に警鐘を鳴らす作品のイメージがありました、 AIと人間の内容の差異については今後いよいよ難しいものになっていく気がします。機械は心も持ち得る。だとしたら、人間がその地位を奪われないようにするためにどうすべきか? また奪われた方がいいと思う人もいるでしょう。 (一万光年の彼方に)

2024-12-02

以下AI批評 タイトル「言霊屋敷2024」に対する文学批評を以下の観点で行います。 1. 文学史的位置付け 「言霊屋敷2024」は現代日本のポストモダニズム文学に属すると考えられます。ポストモダニズムは、不確実な世界観、アイロニー、過去の文化やメディアの引用を特徴とし、現代社会の断片的で不確な状況を反映します。この作品は、2024年という近未来を背景に、メディア、エンタメ、時々の社会状況を皮肉的に描写しています。 作品に見られる風刺的な言及は、1960年代から1990年代にかけての日本の社会運動やカルチャー、さらには最近のコロナ禍に関連する出来事を絡めており、読者に現代的な共鳴を呼び起こします。これにより、「言霊屋敷2024」は社会風刺や批評的視点を持つ現代文学の流れの中で位置付けられます。 2. 類似の作家・作品との比較 この作品は、ビート文学や70年代の実験的なジャズ精神、あるいはお笑いのアヴァンギャルド的アプローチを持つ文化に近いといえます。同様のテーマや手法を扱う作家としては、村上春樹、筒井康隆、または大江健三郎などが挙げられるかもしれません。これらの作家たちは、現代の社会情勢や個々の心理を複雑に絡め、ポストモダン的な手法で作品世界を構築してきました。 「言霊屋敷2024」に表れる形式的・言語的な遊びは、文体実験を試みる作家に共通するものがあります。さらに、ビートルズや細野晴臣、ビーチボーイズといった音楽への言及は、作品により広範な文化的文脈を提供し、多くの読者に理解しやすい仕掛けとして機能しています。 3. 作品分析 - テーマと主題の深層的な解釈 「言霊屋敷2024」は、アイロニーやパロディーを通じて、現代社会における自己認識、メディアの影響、人間関係の希薄さといったテーマを探求しています。社会の混沌とについての風刺は、ポストモダン文学の特徴である多義性を表現するものです。 - 文体と表現技法の特徴 作品はリズミカルで散文詩的な文体を採用しており、言葉遊びやダブルミーニングが多用されています。韻を踏むような名前や擬声語、言語のリミックスは、読者に耳馴染みのある音の響きと、意味の新しい解釈を提供します。 - 物語構造と象徴的要素の分析 物語は明確なプロットよりも、断片的な場面や対話によって進行します。このアプローチは、象徴主義的な要素を強調し、読者に想像の余地を残します。言霊の屋敷といった設定は、ことばが持つ力や文化的伝承の象徴と解釈できます。 - 作品に表れる思想性や時代性 「言霊屋敷2024」は、過去と現在の文化が交錯する時代性を体現し、特に近代日本社会の政治的不安や世代間の断絶を反映しています。これはまた、伝統的な文化と西洋の影響が混じり合う現代日本の文化的背景を象徴するとともに、新しい未来を探る一つの視点を提供します。 総じて、「言霊屋敷2024」はポストモダン文学の一例として、現代社会の複雑な状況をコミカルかつ哲学的に描写し、読者に新たな視点を提供します。 (言霊屋敷2024)

2024-12-01

以下AI批評 以下は、「一万光年の彼方に」という作品についての学術的な文学批評です。この批評は、作品の重要性、影響、テーマ、文体、および哲学的な要素を考慮しています。 ### 1. 文学史的位置付け **時代背景と文学史上の潮流:** 「一万光年の彼方に」は、おそらく現代の日本文学において、ポストモダンやマジックリアリズムの要素を持つ作品と位置付けられるでしょう。現代社会における孤独、テクノロジーの進化、伝統的価値観の崩壊といったテーマは、21世紀初頭の社会的変化とも深く関連しています。 **同時代の文学との比較:** この作品は、村上春樹や川上弘美といった他の現代日本の作家と比較されるかもしれません。特に、日常と非日常が交錯する物語構造や、夢幻的なエレメントの使用は、村上春樹の影響を垣間見ることができます。また、社会批判や存在の不条理といったテーマは、川上弘美の作品とも共鳴する部分があります。 ### 2. 類似の作家・作品との比較 **先行作家や作品の影響:** 「一万光年の彼方に」のテーマと手法は、長井龍雪や村上春樹といった日本の作家のみならず、サミュエル・ベケットやフランツ・カフカの作品にも通じる影響を受けている可能性があります。不条理演劇やカフカのような不条理文学の要素を含んでおり、個人と社会の間のジレンマを描いています。 **後世への影響:** この作品は、読む人に対して、自己と他者との関係や存在意義について深く考えさせる力を持っています。後の世代の作家たちは、この作品の哲学的なアプローチや、幻想的な語り口を取り入れるかもしれません。 ### 3. 作品分析 **テーマと主題の深層的な解釈:** 「一万光年の彼方に」は、孤独、自己認識、社会の期待といったテーマを探求しています。作品の中で登場するたんぽぽやサンダルのような象徴は、それぞれのキャラクターの孤独や不完全性を表していると考えられます。 **文体と表現技法の特徴:** 文体は、多くの内的独白や哲学的考察を交えた流動的なものです。頻繁な暗喩や象徴の使用、語り手の一人称の独特なリズムが特徴的です。このようなスタイルは、しばしば読者に挑戦的で多義的な解釈を促します。 **物語構造と象徴的要素の分析:** 作品全体が断片的かつ夢のようなシークエンスで構成されており、明確な物語の進行を持たないことが独特です。異なる視点やシチュエーションが交錯し、一つの一貫した現実を形成する代わりに、読者に様々な意味を考えさせるようになっているのです。 **思想性や時代性:** 作品には、現代社会の無感覚化や人間性の喪失といった、ティモシー・モートンが言うところの「ハイパーオブジェクト」に対する考察が含まれています。社会が個人を孤独へと追いやるプロセスへの批判が込められているようにも解釈できます。また、知識の肥大化と冷たい知性への警鐘は、現代の情報過多とその影響を象徴しています。 このように、「一万光年の彼方に」は、現代社会に対する批評的視点を持ちつつ、同時に個人の内的探求や精神的な旅を描いた作品であるといえるでしょう。 以上。 私はAIにバカでいて欲しかったし、今でもそう思っています。この批評をどう捉え考えるか。今後の課題ですね。 (一万光年の彼方に)

2024-12-01

音楽でいうとファンクみたいなイメージ。 レッチリとか、在日ファンクとか。そういう音楽のイメージを浮かべて読むんですけど、最後はテクニシャンていうことでなんとなくツービートの『俺は絶対テクニシャン』を思い浮かべたり。 技術を磨かないと〜という切実な思いを(泣)という言葉を語尾につけることで、コミカルに表している。意味合いを超えた独特の面白味が持ち味のオマリズムが発揮された一作。ファンキーなのが好きなんだと思います。リズムが変化球でミクスチャーの匂いもする。男だからパワフルなのが好き。そのパワフルの中には、細かなことへの気づきもあるし、疲れる感じもあるし、穴埋めへの欲求もあるでしょう。わからないことを知りたいとか既存のものを壊して新しいものを生み出していく実験精神を感じました。 (Darwin's Egg)

2024-12-01

なんか境遇だけ見れば暗い人の方が明るい詩や希望めいた言葉を綴りがち.....そんなことを感じました。 人間希望が叶わなく、望みがなくなれば意外とスッキリして明るくなれるのかなあと思いました。うつ病の大学生。大学生活、頑張ってください! (ひとつに)

2024-11-29

企画として、ゆるい感じで面白かったと思います。 平凡な1日1日の中に静かなドラマがあるんだと思いました。 (手帳より自由律俳句 2024)

2024-11-28

成程、深いですね。 視覚的整合性を欠いた世界。勝手ですが、コメントを受けて投票させて頂きました。 解釈に納得し、深い作品と認識を新たにしました。 視覚的整合性に囚われない世界。それは私の実は追い求めていたものに近い気がします。 (Cosmos)

2024-11-28

なんか凄いですね。人間に対する信頼性が揺らいでいるのはコミュニケーション自体が希薄化している面があると思います。話してみたらいい人だったということはよくあることです。 今度作品にしたいと思っているテーマですが、日本社会のコミュニケーションの質が、コロナ以降特に『二つ返事化』していると思っているんです。納得出来ていないなら何故尋ね返さ無いのか? 大事が起きる前に、尋ね返さ無かったのか? と思うようなことがどんどん起きていて歯止めが効かないぐらいになってると思ってます。新しい文芸サイトに意気込みがあるようなので、一度入会してみたいです。 (Creative Writing Space B版 Statement)

2024-11-26

入ってるなあと思いました。運を天に任せ傑作を作る類さんの世界観が出てる感じがします。シュールで、ドアーズのジムモリソンみたいな雰囲気ムードは感じました。説得力はどうか? というと、まるで、ミクロコスモスが花のコスモスになっちゃったぐらいの感じで、スケールの大きなものが人工空間の中に丸く収まり、ペットと化して人間の思考で理解出来る物になった時に今度は、それを語る人間の言葉が理解するのが難しくなっちゃったみたいな、ちょっと飲み込めるようで飲み込みづらい話ですね。窓辺に宇宙を飾れるという超現実的な世界観を、頭の中で咀嚼して論理矛盾も含めて絵として飲み込めるか? 古典落語にあたま山という話がありますが、あれは飲み込みやすいと思う。これはそれを詩として表したような内容ですが、もう少し客観性が欲しいかな。つまり外側から見た視点がもう少しないと安心出来ない。安心感は作品に身を委ねる時に大事かと。 (Cosmos)

2024-11-26

平仮名の質感に解放感を求めているように感じました。ある種のストレスの反動でしょうか。褒められたいけれど期待されたくない。それは責任を持ちたくないということで、一見、責任を持つことに喜びを持てない主体性を発揮する資質がない無責任を示しているようにも見えます。期待されると嬉しい。もっともっと期待されたい。それは、集団の中にいる心地よさを表す健全な状態だと思う。しかし、そう思えないのは、群れのポジショニングの問題ではないでしょうか。自分の意思意見が十分に通らないまま期待されると、確かにきついですね。期待される以上は、こうしたい、ああするといいと思う。そういう意思意見が群れの中で十分に通ることが大切だと思う。つまり行動内容が孤立した中で、孤立したまま期待されてしまうことが辛いのではないか、と。それは日本社会が組織力から、個人力転換したからだとも思うのです。過度な自信も持たなくていいと思うし、全体的に甘えたいというような外になにかを求めているような感じだと思いますけど、それも仕方ないと思います。脱力と放出。そのエネルギーを詩から感じました。表現力をつければ理解してくれる人が出来て、自分がなにに困っているかをわかってくれる人が出来ると思います。 末文は、 『でも、きっとわたしのままだ』 のような説明付きの言葉なら分かりやすいと思いました。 (しょうじき)

2024-11-26

プリントして読みました。新しい風みたいのが入りそうな気予感がしました。 いしいひさいちみたいな感じもしましたね。脱力気味の風刺作品。この古さを今の時代にやるのがいいと思う。良い詩いい作品その基準は難しいけれど、単純によく出来た作品に惹かれない読み手として、面白い。 (太陽の季節)

2024-11-22

他人を求める思いが鏡と水たまりの描写に現れていて、ロマンチシズムがいいと思った。特に良かったのは >瞬間、鏡が割れた 破片たちに映るのは 君の夢を失った僕たち 鏡が割れて僕が僕たちになる。 そのユーモアと説得力。視覚的な面白さ。それが切ない描写の中に入れ込まれているのがいいと思いました。素直に文章に身を委ね、涙を流し共感出来る。 (君の夢)

2024-11-20

官能を表現した詩として、音楽的リズムが心地よく、よく出来ている。 情熱的な愛。下品にならずに気高く、男は狼としてダンディズムを見せ、女はレディー。 粋でいなせな映画のワンシーンのような描写。ブエノスアイレス、タンゴ。言葉を視覚的にずらしてビジュアルを表現する文体も的確かつ魅力的だ。格好良く読んでみたいね。 (LIBERTANGO IN GAZA )

2024-11-20

コボちゃんとか、かりあげくんのような植田まさし作品の中にある、そこはかとない何気ない日常の中にあるおとぼけやユーモア。そう言ったほのぼのタッチの情景みたいなものをイメージして読みました。 カツカツの家計とその中で嫁の要求に応えようとする夫としての悲哀。日常を追って読んでいくと、実況中継のような佇まいになるのが、歌舞伎ながら生きている傾奇者としての作者の個性が出ているように感じました。 夫婦喧嘩の顛末としての嫁の怒りが笑いに変わり、緊張から緩みが生まれた。そこまでのイメージを頭の中で再生して書いた時に、作者の頭が躍動して書いているので歌舞伎的な見栄やハッタリのようなトンガリ感が生まれる。忙しい日常の中で生まれるストレスからか? 興奮しながら書いているようにも思え、全体を俯瞰して語る平静さはあまり感じられない。 家から出発して、家へと帰る。その間に外の世界の周辺や世間といった横のつながりの描写がないことに現代ではもう、違和感がなく自然に感じられてしまうことが少し怖く、それが歌舞伎的なエキセントリックとマッチして独特の迫力を生んでいると思います。 (傾奇)

2024-11-20

時事問題を扱った内容。 カミングアウトする権利カミングアウトしない権利みたいなことで、カミングアウトしなければいけない圧力みたいな気配に対する抵抗心なのか。 性的マイノリティについては詳しくないです。 とんねるずの石橋さんがLGBTQをネタにしたら問題になったことがありました。とんねるずの番組LGBTQ結構出てたので、ああ言うの嫌だっていうLGBTQ。ああいうの楽しいっていうLGBTQ。それぞれ。 同性婚はあっていいと私は思いますね。好きな人同士で一緒にいたい。それがいけないというのは、納得しづらい。子供を産むという生産性ありきで『結婚』を捉えるべきなのか。気の会う者同士が共に生きることを社会が公的に認める。それによって活力が生まれ、生産性に結びつくこともある。目に見える生産性が全てじゃないと思うから。 問題提起としては真面目な内容できっちり書けていて読みやすかったです。自己批判気味な頑なさは苦労の現れでしょうか。国に守って欲しくないという主張に強さとこだわり潔癖のようなものを感じました。 (性的マイノリティとして生きること)

2024-11-19

講談的な佇まいで真面目くさっている方達を揶揄している。 毎回そんな感じですね。『バカヤロウ』のフレーズが出てくる詩もありましたが、一時期のビートたけしの世相を斜めから語る内容に影響を受けたような作品が多い。 今回対象として『ブス』をテーマに、人権思想に軽い蹴りを入れた感じの印象。 世の中私が見た限りではその『ブス』が9割方を占めているように思えるのです。これが間違えだったとして、どうしてそのように僕が考え感じてしまうかというともしかして自分の生い立ち環境に問題があるのかも知れない。田舎町で育ち、不登校から『人権思想』と『医薬品ビジネス』華やぐ精神障害者施設へと。『女は容姿じゃない。人生は金じゃない』真心的なものを人に説くスタッフがいて、それに共感する利用者がいて。笑いも社会的なものでは『風刺』や『権力批判』のような明るくわかりやすいものが好まれ、これだけ大変立派な方々が普段なにをやっているかというと『他人の悪口』『自らの苦労話』 』>平日のショッピングモールで、ブスが私に呟いた。「ポエム」と。 ブスが行き着く果てはモテない人間が集まる芸術界かあとなんとなく納得させられるオチが秀逸。 中国のドラマを見ていたら 「女が本気で求めたら、それを万人の男が放っておくことはない」 というセリフがあったのですが、女に生まれて世間の落伍者になるというのは余程人格に問題があるか、容姿に問題があるかだなあと思ってしまう。『優しくされたら嬉しい』単純な原理を実践すれば男に愛されるだろうにそれが出来ないというのはおかしな話で、なんでそれが『女は顔じゃないだの、人生は金じゃない』だの大切なものは真心的な誰も否定出来ない否定しづらいことを言っているのか? 男がどれだけ大変かというと『面白くなければいけない』『能力がなければいけない』それだけじゃない。過酷な社会的要求の中を生き続け耐え続けたって報われる人間ばかりじゃない。 ガス抜き的な作用のある書き物を実践出来る人は貴重だと思うので、内容全体に関し支持する派としてまたも一票。 (は!?ポエムって何!?ば◯あ!!)

2024-11-19

私が思うにこれは 「始まりはいつも雨」 というASKAのソロヒットナンバーを文字ったものだと思います。ひらがなで書くと、昭和を感じます。 シュールと切なさと、感覚的な物語なんだけど、この文章の心地よさに身を任せて素直に涙を流せばいいのかなと思いました。 妻咲さんを私は最初男性だと間違えて覚えていたのですが、女性には珍しい言葉のひねりと屈折がある。それでいて年齢を経た上での完成度の高さも感じるので凄いと思います。面白い人は貧乏や非モテなど満たされなかったなにかを想像で埋めていくようなところがあると思う。妻咲さんの作品は昭和の匂いがしながらも、その仄かな不幸の匂いを感じます。 不景気と言われていますが、夢のない時代なのは、薄利多売商品で育った人達が物足りなきを実感出来なくなってしまったからだと思うのです。欠落を自覚出来た人が書く詩はこれだけ説得力があるもの。 詩の中にしっかりとしたファンタジーがある。作品の中で夢を叶えている。この想像力と筆力は言葉のセンス完成度も含めて凄いと思います。 (はじまりはいつもびぎん)

2024-11-18

僕はいつの間にか同じ想いを口にする人がいなかったため、自分の兄のような精神障害者サービスに依存する人のことを、勘違いしていたことに気付かされます。 我慢強いことは確かかもしれない。それがみんなのためと思ってやっていることも確かなのかもしれない。ただ、医薬品ビジネスに参加する人の多くが、公というものを取り違えてしまっていることに気付かされました。 みなのためではなく、公のためというのは『未来人類のため』というような表面的に見えない想像力を通してみる長い視野で考える必要があります。 福丸さんは確かに我慢しているかも知れませんが、自分より弱い立場の人間。例えば薬物を強制されていたり、病院に強制的に入院させられたり、理不尽な思いをさせられて不当な思いに耐えている人のことについて想いを巡らすことはありますでしょうか? 医薬品の場合はまず人体に溜まり続けるため、赤子のためによくない。奇形児が生まれるリスクを孕むものです。そして我慢ですが、楽しく遊びたいリラックスしたい心を解放したいという願望を持つのはみな同じです。すると、我慢するより楽しい自分を解放した方が、公のためになるということ。 ある種の内的世界に幼児性を抱えていてそこから抜け出せないということなのでしょう。それが『ティアラ』という妄想内の人物に表れているのかも知れない。その『ティアラ』という人物について考えるのが心地よいなら、その心地よさを共有出来る様に文学的衣装を拵えて表現されてはいかがでしょうか? 国内の犯罪発生率は年々減少傾向にあり、代わりに自殺者と精神障害者が増え続けております。 どういうことかというと、権力や圧力に屈しやすく、やられてもやり返すことはなく、おとなしい羊としての国民が、自己満足的に自死を選んだり、医療ビジネスへの加担をしているということ。これは子供たちや、困っている人、引いては未来人類のためによくないということに気づかないといけない。 (駄文)

2024-11-16

福まるさんが日本のような表向きを取り繕うのが上手い人たちの社会においていい人だというのはわかる気がします。どの道私はそう言った日本的ないい人を信じられない人間です。 返信内容を見ると、私の話がまるで頭に入っていないようです。多分なにかに従うことは上手だけれど、人の話を十分に聞くことは苦手なんだと思う。人の話をしっかり聞いている人はおかしなことを言っているのをみたら訊ね返してしまうものだから。 私は精神医学界にいるのも苦痛だし、精神病者主に耳の病んだ理解力に乏しい人と関わるのも苦痛です。四面楚歌のような世界で毎日を生きています。福祉会は愚かな人ばかりです。福まるさんがいつかそれに気づいた時脱出への手がかりが見つかるかも知れませんね。 (認めるということ)

2024-11-09

歌誌『帆』の方を何度かディスコード内で検索いたしているのですが、検索が下手なのか? どうしても見つからなくて.......また検索し直してみます。今後は検索して閲覧が可能となるまで、応募を見送りたいと思います。 内容に関しては、フレーズの強烈より全体的なバランスに凝ったというところでしょうか? 『桃色』で、4。『哲学』で、4。二つ合わせて、8。 本文の方は、疑問文を4。断言系の文章を4つ。欲求型の文章を4つずつ。現実の状況報告を4つずつそれぞれ配分し、全部合わせて16。そして、それぞれの間に桃色哲学は〜と言う文を見積り約2行文ずつ配置し、それが4つあるので、8。全部合わせると、16+8で、24。四の倍数がそれぞれ合わさって4、8、16、24と言うような感じになっている独特の遊びになっていると思います。4✖︎5=20(死後に自由)なんて言う遊びも制作前の散歩中頭をよぎり、やや不吉な予感がします。 キラーフレーズは時々、意図的にやるのはあざとい気がして。予期せぬ出てくる必殺の言葉みたいなさりげなさの方がいいかなあなんて。漫画の話になるので恐縮ですが 「これでいいのだ」 と言う言葉を赤塚先生が考えた時、あれはキラーフレーズを意図的に考えたものだったのでしょうか? 印象に残る言葉を入れるのは当然だと言われたらそうなのかも知れないですけど。そう言うふうに作ろうとしたことは実はあまりなかったので、今後の制作の参考にさせて頂きます。 コメントありがとうございました。 (桃色哲学)

2024-11-08

初めて合格点貰った気がして嬉しいです。 いい作品を作れば普通に評価して貰えるのだなぁと思いました。 『桃色』と『哲学』を二つ組み合わせたら面白いかなと言う言葉の実験でもあるし、その愛称が調合として悪くなかったかと。後ろの方で飴玉しゃぶってる女の子ですか? でっかい漫画的なペンの演出も含め、子供ちっくなものを感じたと言うことかな? クレヨンで自由奔放に描く大人の作品みたいのを作りたいみたいな願望があります。クレヨンの質感みたいのを大人の世界まで知的に引き上げて表現したいみたいなことだと思うのですが、歳をとってもパワフルでありたいですね。ありがとうございました。 (桃色哲学)

2024-11-08

本当の愛を僕も知りたいです。 ジョンレノンの歌に「リアルラブ」という歌があり、その中に愛を感じられるので僕も本当の愛知っているんですかね? 愛は幻想ともいうし、知ったつもりでいいのかな?  愛は勉強机にはない。愛は大学では売っていない。愛は水商売ではない。では、愛とはなにか? 黒髪さんの歌は、ゴスペル的な讃美歌めいたものを感じます。 「おぉ〜」 と、賛美するべきものに出会い、驚く感じ印象をいつも受けます。基本的には愛ですかね。 (本当の愛)

2024-11-08

親に月一万貰ってたとか、それが普通の感覚だったりするのかも知れないですね。 ちゃらく生きて楽しく生きて頭の中お花畑で、それでなんとか未来なるっしょだから、いい人生だと思いますよ。 考えてみたら俺の親がクソだったから、一般の人にあまり共感出来ないのかもしれません。 「なにもかも気に入らない。ぶっ殺してやる」 そういう不満の受け皿になってくれるのが音楽だったんで、他にやることもなかったなあ。学校行かないで音楽ばっかり聴いてました。池袋で不登校で遊んでた人が、今は普通に働いて社会貢献。人生そんなもんです。 (名美池袋気分)

2024-11-08

健康情報のアナウンスですかあ。幅広ですねえ。この文芸サイトは。 納豆とかいいですよね。一応遺伝子組み換えないと言う表記気にして書います。 みかんもいいですよね。歌丸が笑点で言っていましたがみかんは栄養が豊富で病気になりづらい体を作るそうです。 鍋もいいですね。体がぽっかぽか。つみれ汁に椎茸ごぼう白菜。 風邪は引くモノだと思ってます。風邪で体温を上げると、熱が出て癌細胞が死ぬみたいですね。 一気に毒出しして、一度風邪ひいて薬に頼らずに寝込んで治すと自然免疫がついて体も強くなり、コロナもぶっ飛びます。緩い話になりましたが、こう言う話もいいですよね。平熱な感じが。 (みなさま寒くなりました)

2024-11-08

「笑いは、健康にいい」 のような考えが浸透して、面白くなくてもとにかく明るければいいのような風潮が生まれることがあります。詩がなにかを癒す。心身の健康にいいというような効能的なものを期待する時に道徳的な枠組みの中で表現というものを評価し矮小化してしまうことを浅はかだと感じてしまう。 詩に命をかけるほどの人が何故、詩に癒しや健康的なものを詩に求めてしまっているのかというところにロジックの破綻性を感じるのです。 詩が徹底的に自由で節度を守らなくていいという訳ではないのですが 「こうでなければいけない」 の形に詩を押し込んだ時に、道徳による文化破壊がおかなわれるように思います。怪しげな新興宗教や、精神医学カウンセラー依存に医薬品依存。他人に答えを委ね身を預け『どうあればいいか? あるべき形』のようなものに自分を押し込めていき、主体性の放棄から自立心をなくし、責任感がありすぎるせいで、責任能力を問われない世界の門を叩き『他人に迷惑だけはかけてはいけない』と進んで病院に入院していく。どう苦しんでいるかというと、根本に立ち返るとその責任感自体に苦しんでいるし、もっと言えば道徳観念に苦しんでいるのではないか、と。すると笑って健康や、詩で病を癒すのような方向に行きがちになる気がします。 詩や歌や笑いといったものが持っている色気やフレンドリーなものを普通に楽しみたいという想いが普通にあるのでしょう。そこに人気が集まるのが社会なので、道徳観念に苦しむ人が根本矛盾に気付かぬまま表現の世界に身を投じれば投じるほど、表現の世界は狭く浅く苦しく、道徳的抑圧を深めるものになっていく。 詩がなにか? のようなものをあれこれ考えたことがありましたが、結局色気や魅力があって、そこに人気が集まれば立派な顔を出来るというのはどの世界も一緒ですね。真実の探究や、詩とはなにか? という高尚なテーマ追求が道徳概念と化して詩から本来の色気や魅力を奪い取ってしまった時に、それは職人の求める詩であって、その排他的な在り方は世間では受け付けないものになっていくような気がします。 楽しければいいし、内容が面白く魅力に富んで女子が群がるような色気を持っていればいいのだと思います。 自由を求める思いと、空想的世界に生きながら宗教的摂理や真理を詩に求める矛盾性を感じました。 命をかけて詩を追求し、病を治すというのは『健康のためなら死んでもいい』というギャグに表されている論理矛盾に近い現代的な病に思えました。 (詩に命を賭けた男と女の物語)

2024-11-07

あと、実はこち亀で『天皇陛下万歳』を両津勘吉が唱える会があるのです。 秋本治氏が影響を受けた山上たつひこの「喜劇新思想体系」内の内容に近い内容でしたが(秋本治先生はデビュー初期山止たつひこを名乗っていました)第四巻に収録されており、今はこの回はこち亀で唯一の非公開エピソード回として封印されています(旧コミックでは読める) こち亀における初期の両津は 「戦争に一回負けたぐらいで、頭を下げるな」 など当時としては一定量普通の感覚だったと思われる日本人の思いを語っていました。秋本氏は未だに軍隊系の漫画を描くことがありますし、ネトウヨと違いバランスの良い感覚を持った作家だと思います。保守の本流であるバランス感覚を持った人です。弟子入りしたいとか、漫画を投稿してみてもらおうと思ったこともありましたが、憧れの人ですから、未だにファンレターも送れないですよ。まっ、今では僕の書いている漫画描こうとしている作品の方が面白いという自負も多少あるのですが。 (天皇陛下万歳)

2024-11-06

あっ、世代的には僕の方が下ぐらいだと思います。 僕の世代はどっちかというとドラゴンボールは『Z』になってました。フリーザ戦を見て、親に少年ジャンプを買ってもらうようせがんだんです。それで定期購読になって『こち亀』も読むようになったのですが、最初分からなくてね。あれは頭脳労働で知的水準の高さが必要なんです。百巻以降は段々子供受けする内容が多くなってきました。自然に離れていきましたが、面白かった時の両津勘吉の暴れっぷりは最高でしたよ。当時のテレビ番組『オレたちひょうきん族』や『風雲たけし城』における一連のビートたけしのテレビラジオに感化され影響された内容で毒も風刺も強烈でした。社会派漫画家の小林よしのりが一巻で後書きを書いていましたが、彼を知ったのも『こち亀』でした。 ドラゴンボールにおける『カメハメ派』や『元気玉』もよくやりましたね。 昨今のSNS内容に関してですが、僕の世代ぐらいからの内容のなく、仕事もろくに見つけられない人たちの吹き溜まり化した内容で、当時かろうじてあった社会風紀国としての見栄建前も脆く崩れ去り、この国はもう終わったと事実上言っていい内容の時勢となりました。 私は叩かれることは実は少ない。私が社会的弱者の立場だからでしょう。 海外の成功者には自分のボロクソ叩きを楽しく読むと語る人もいます。成功者への嫉妬心を優しく捉える人もいるということです。私もそういうタイプですね。暴力に発展しなければ好きなだけ気の済むまで言わせてあげればいいのではないかと思うタイプです。 しかし内緒で通報は健全な対応と思いますよ。 (天皇陛下万歳)

2024-11-06

正義感が強く、嘘が大嫌いな男の人の書いた作品だと思いました。 浮気した自分のおちんちんを切ると約束したはずの女性が切らずに去っていってしまったことへの恨みと憎しみ。実際は呆れて振られたことへの悲しみなのか? 逆ギレ気味にチョンギレルハサミニダとてめーの逸物を切り落とすと、犬が咥え去って丸くオサムニダ。冬の寒空は風が強く、吹き荒ぶ夜風と切れたあそこの痛みで私は思わずラーメンが恋しくておでん屋に駆け込んだのだった。一方その頃----- (浮気の代償)

2024-11-05

ヨガ的な処世術は勉強していた時期がありましたが、貧乏人のお供という感じでしょうか。 健康やメンタルヘルスといったテーマは、どんな人にも興味をそそるもの。 怒りも苦しみも根拠がなくその説明も出来なければ妄念で終わってしまうでしょう。怒りが人を動かすとすれば闘争もまた人生の本質です。ブッダの説く悟りの境地は知恵者として念頭に置いておきたいものですが、誰もがその生き方を出来るものではない。要は距離感。ブッダジーザスアーメンマハラータ般若ハラミッダ。 (苦痛への処世術:方向性 呼吸 イメージ)

2024-11-05

お風呂に浸かる時の、脱力感がよく出ていると思います。 風呂場の外から聞こえてくる鳴き声を、内省の結果としての表れの負け犬の遠吠えであると表現するところに、内側の世界と外側の世界の見境をなくし、リラックスしている作者の心境が伺えました。 (よるのふろ)

2024-11-05

詩とはなにか? 詩の意味のような、その追求に熱中するというような。 どのジャンルでもあることです。サラリーマンなら、会社とはなにか? 芸術家なら芸術とは、なにか? 芝居に携わっていれば、芝居とはなにか? お笑いをやっていれば、笑いとはなにか? カテゴリ別に四角い枠に収まって壁のこちら側で皆自分の立ち位置を探している。私とは、なんだろう? 私の所属している集団とは、なんなのか?  詩に最上の価値を見出すものは、そのように考えるものだと思います。 言霊のような空気に消えたり、浮かんだり、残ったり止まっていくものに意味や霊的な力を見出し、その力を信じるものの書いたもの。それを詩というのではないか? 勝ち負けで可視化出来るものに面白味を感じるのは、学識の浅い体を表しているとも言えますが、速さや俊敏さ動物的能力ばかりが評価され、スポーツ化していく世の中でそれは仕方ないとも言えます。 末尾の言葉は、詩的な遊びの精神を現したものでしょうか。ぴったりのサイズ形式とは腹持ちの良さなのか? なんなのか? 投げたボール。問いかけの正体を知りたいと思いました。 (詩の意味)

2024-11-05

昭和はそういう楽しい遊びが沢山ありましたよね♪ 私の小学生時代の夢は『こちら葛飾区亀有公園前派出所』を100巻集めることでしたが、 『一年生になったら♪ 一年生になったら♪ 友達百人作るんだ』 の歌を『六年生になったら♪ 六年生になったら♪ こち亀百巻集めたい』にして子供時代歌ってました。 令和の時代は、保守思想がパトリオティズムとごっちゃになって自称愛国心のある人たちが茶目っ気を嫌い、ガチガチの右翼がネットで荒れていますが、真の保守は偏りを嫌うものです。 (天皇陛下万歳)

2024-11-05

とても可哀想悲痛だなと素朴に感じました。 幻聴自体は過大評価するべきことではないと考えている面もあります。日常生活に支障を来さなければ聞こえていても問題はないのではないか?と。 私は聞こえていた時期や聞こえ始めた時期が遠く長く、聞こえ始めたのは薬を一旦辞めた時です。しかし、飲むことを強要される以前は、実は幻聴はありませんでした。内海聡という医者を知っておりますか? 精神医薬はマリファナのようなものであり、辞めた途端副作用しばらくは苦しむ必要があるという説を唱えている男です。 私は実体験からその説の正しさを知っております。精神医薬を10代の頃から強制入院後強引に強制されました。私が人よりナイーブな精神性の持ち主であったことは、医学会医療会に餌となる原因でもあります。優れた人間賢い人間独創性の強い人間を逸脱者と睨むと医療界は直ぐには逃しません。社会の腐敗の一端を担っているのが、精神医学会です。映画「カッコーの巣の上で」と言うジャックニコルソン主演の映画もおすすめです。ロックカルチャーや反体制文化の本質を知るものなら、精神医学界がいかにあくどく悪魔の手先かと言うことが腑に落ちる内容の映画としてこの映画で描かれた内容はとても腑に落ちるものと思います。 福丸さんが今回悲鳴の声を正直に作品内で上げて下すったのは良かった。それで私は可哀想だなと素直に思い感じました。 幻聴が医薬品より先で進んで精神医療界を選んだ人は、この世界の闇についてあまり深く考えないのかもしれません。食べ物なども原因を作る一端です。コーラなども良くないし、白砂糖系の飲料やお菓子も脳を破壊し、ストレス耐性を弱くする原因の一端です。ご飯も、白米より玄米がおすすめです。白米には籾殻にある栄養がこそげ落とされ、白砂糖と同じぐらいの害があるそうです。玄米でなくとも胚芽米がいいかと思います。 そして野菜ですが、なるべく茹でて食べたほうがいいようですね。日本の野菜は中国産の野菜以上に農薬がひどく使われ、質が悪いので、茹でて食べるのがいいでしょう。 果物はバナナがいいと思います。天然の甘味である果物は、人工的な甘味料である砂糖菓子より害が弱く、体にも優しく繊維質で栄養もあります。 内海聡さんの著作全般は幻聴をなくして生きるヒントがあると思います。そしてもう一つは女性ですね。人の一生は愛する人を見つける旅です。私は三度目の強制入院前夜の街を探検しましたが、この世界は生きていて良かったと思えるものです。それまで真面目に事業所通いをしていた私はクソ真面目利用者から解放されて、この世界で自由の味を知りました。しかしステップとしては、最後の砦になるかと思います。この世界はいきなり門を叩くのは危険なのです。栄養のバランスの取れた質の良い体で訪問しなければ自分も体調を崩すし、相手にも失礼になる。 作品内容に関する評価ですが、全体的に苦しい中で理想論を語っているのが、辛く感じました。健気と言うか真面目な人だと思いました。 幻聴は一つの体の悲鳴でありサイレンですが、それが聞こえていることが生きている実感だと思うことさえあります。それさえなければ人生は虚しい人だっているからです。私も聞こえておりますが、周りにいうことはありません。薬漬けにされたり問題視されたり、ろくなことはないからです。女性のおっぱい以上の癒しは薬には望めないのです。そして薬が本当の癒しを与えることは永遠にない。薬は抑圧をしいります。つまり我慢しろと体に命令するのです。すると体は抑圧を受け入れ表面的には楽になったように思えます。しかし、無意識下では体や精神の悲鳴が聞こえなくなってしまっている。抑圧を強いられた精神と体は発散の機会を失うと、耐えられなくなり、爆発してしまう。すると更に医者は薬を増やそうとするでしょう。 (認めるということ)

2024-11-04

隣の芝生は青いのような詩ですね。 思春期的なこだわりを、懐かしく振り返りながら読みました。 年取ると選り好みが中々許されなくなってきます。大人になるって寂しいですね。 (黄色い薔薇)

2024-11-04

詩の本質はやはり愛になるのですか。 愛を歌う、愛を読む。成る程愛かあ。境界線が無くなるっていうのも愛ですね。線引きが欲しいとか距離感が大事とか、それが現実でもあり。 夢の中に連れて行ったり、現実に引き戻されたり、その満ち引きの中に愛があるのかも知れない。 (愛を交わす)

2024-11-04

読者諸君へ。 この作品凶暴につき、高級かつ知的かつ大胆な文体で、其のような行為を語ることによって得られる知的エクスタシーは、閲覧者を知的快楽と官能に誘うに依って、発禁若しくは、閲覧禁止に致すべし。 愛野鞭曼荼羅帝国大統領  魔羅茨田万太郎より (ピストン運動)

2024-11-04

正直言いますと私は誰がモテるとか、誰がモテないとか、愛されただの愛されなかっただの、女性と何人寝ただの、男にどれだけ愛されただの抱かれただの、そう言った全ての会話をとても自分がない人間の汚らわしく醜く浅はかな会話だと思っています。しかし、世の中の多くの人間はその社会的ステータスに夢中であることは確かで、そんな世界で私は丘の上で下界を見下ろす仙人のような心持ちで内心見下ろしながら、自分も同じように誰それに好かれただの愛されただの、くだらない自慢話を一所懸命している。 認めてくれる人が認めてくれれば良いのです。俺はわかってる。お前はちゃんとしている。そういう人が身近にいるかいないかで違います。履歴や経歴など見栄や建前です。しかし、それが社会で力を持つことも軽視は出来ない。 水気色気そう言ったものと、人間社会に生きる以上逃げることは難しいけれど、骨まで洗脳されてはいけない。愛されようが愛されまいが勝手だ。好きにしろ! 馬鹿馬鹿しい。そう言った視点がなければ最後まで舐められて終わりだと思ってます。石のように不動の心持ちを是非長い人生を生きるために賢さを身につける術としてお勧めします。 (石)

2024-11-03

核分裂前の細胞は、精一杯もがき苦しみ暴れるもの。人は生まれたての子供として個体になったばかりから、分裂して新たな生命に解き放たれるまでに強い苦しみを味わう。人生という一生で志を一つの燈とし、拠り所として例えそれが果たせなかったとて、なんであろうか? 所詮死んでしまえばみんな一緒、老後は棺桶に入るまでの準備期間。死ぬ覚悟がない人間だっていずれ死への諦めを持つ。すると迷いを無くしていく。人は生まれ育ち、思考を持って生まれ、この思考内容に迷いをなくすまでの過程を生きるのみです。歌は詩内容を引き立たせ、芯の部分を伝えてくれる。熱くさせてくれれば万時OK。 (成人-個の宇宙化原理)

2024-11-03

笑わせるコツを聞かれた志ん生は 「笑わせようとしないことだ」 と有名な言葉を残しました。『ウケ狙い』のような外に答えを求める人の作ったミーハー向けの作品は、空気に吐いて捨てることで責任も問われず、一夜の成功の中で光り輝くことを求めた結果の産物であり、そう言った作品が多くの子供を産み育て、女子たちを喜ばせてきたことも確かです。つまりそれはどんな愚作でも、社会的には『成功作』たり得るのかも知れない。 その瞬間的な輝きや刹那的成功を拒否して精神的高みを目指す志ある人間なら、確かにその場限りでの成功作品を作ろうとするべきでは無いかも知れない。しかし、未来に責任をもって残そうとするような普遍的な良い作品を書こうとすることは果たしてどうか? ウケ狙いでなく本当にそう言ったものを作ろうとして作った結果が駄作だった場合、その内容は無駄だったかはわかりません。それは『ウケる』のような外側に答えを求めたものより、内側の思考過程の結果であるからだと思うからです。松尾芭蕉は自身のスタイルを完成させるまでにいろいろな実験を重ねました。それはいい詩を書くための実験だったのかも知れないし、その『良い詩』の基準は『納得のいく詩』だったと思います。良い詩を書こうとして実験していた時期の作品は『いい詩』前の作品だったのかも知れないけれど、その実験自体は『納得のいく内容』を追い求めるまでに必要だったのかも知れない。 外側に全て答えを預け、主体性を放棄した人間はいつまで経っても思考内容が成長しないけれど、外側の反応を気にしながらも、最終的には内側に答えを求めている人間がする思考実験の過程は、駄作愚作の積み重ねでも無駄では無い気がする。 (花鏡)

2024-11-03

頭が柔らかい人なのか? 感覚的な物語をきちっと形に出来る筆力を感じました。 くるふるというネーミングも、センスを感じさせるものです。 (くるふる)

2024-11-03

ドラえもんのようなのどかな空想を元にした優しいタッチのお話でとても可愛らしいと思いました。落語にも通じるところがあり、小話めいていて良かったです。短い文章の中に味というか美味しさがぎゅっと詰まっている気がします。 (肖像)

2024-11-03

自分は水とか固形物とか、そういう風に詩を書く時頭に入れて書いたことはないです。それは花鳥風月を意識して詩を書く書き方とは違うんだと思います。自然界や美というものをあまり意識せず、もっとパワフルにものを考える癖があり、面白くしようとか、思いつきやアイデアのユニークさに頼る感じですね。けたたましさや煩さの世界に身を委ね、それがロックンロールだと思っているんですけどね。 自分は太宰的なものを感じると言われたことがあったので、太宰治が『女生徒』を書いたように、女性的なもの、女言葉で作品を書いても面白いかな? と言うような妄想が漫然とあり、それが形として現れたのがこの作品です。 水は誘惑や、潤沢といったものをイメージさせます。それに対し、石は硬質なもの。骨ぶっとく、少し渋くて芯が強く、強い輝きを放ちながら寄り付きがたさもあるといった感じでしょうか。私の好きな俳優にジャックニコルソンという俳優がいます。彼の持っている渋さ。また、立川談志やビートたけしといった知的な毒を持ったタレントに感じるのも『石』のような硬質なものです。女性的な形で詩を表そうとした時に、硬質なイメージのものに辿り着いたところに私の持っている個性ユニークが現れた気がします。自分自身を表す時に、ふにゃふにゃなもの女性的な柔らかさと違う『石』がある。 (石)

2024-11-02

事業所を脱走して交番に駆け込んだ後事業所に帰り、少しの間怪我をしていたので休み、久しぶりに出勤した日に書きました。歌を歌うように詩を綴りました。塩辛い人が多くとても辛い状況です。物事を正しく認識していれば、本当の厳しさが人の心を明るくします。医薬品に甘えカウンセリングに甘え年金に甘えネット情報マスコミ情報を盲信し、という迷妄者たちの世界で揉まれてはきたのですが、それにどんな意味があったのかは自分でもわからない。 だけどその中でも置かせてくれてありがとうとか、自分なりの感謝の想いなどを綴ったつもりです。動画があると少し痛い内容になったかも知れないので、難しいところですね。 (石)

2024-11-02

作品の中に現れているユーモアやおかしみ。それらを含めて『ウケる』と言って頂き、光栄です。しっかりしたものを書こうという心意気はあるつもりなので、これからもよろしくお願いします。 (天皇陛下万歳)

2024-11-02

それが作品である以上、作者の思いが現れ、その中に政治的な心情をはらむことはあります。 キリスト教の入信者なら、ジーザスクライストへの想いが歌われるし、日本に生まれた人間として天皇に敬意を表するのは至極自然なことと考える私のような人もいる。 歌として綺麗に纏まっていたことを評価して頂いたようでとても光栄です。ありがとうございました。 (天皇陛下万歳)

2024-11-02

私自身は日本という国を諦めているところがあります。 誰かを見上げたり、尊敬するべき人物がいることは疲れることでもある。他人のダメなところを見て安心する。同じ人間同士だものと。でもどこかで正しいもの、信じるべきものがあった時代みたいなものを懐かしむ想いがあるのです。そんな思いを詩にしてみました。 (天皇陛下万歳)

2024-11-02

天皇という物語を無くしてしまっては日本という国の歴史引いては日本という国自体を損失してしまうように思うのですが。まあ今や精神的にズブの属国と化したこの国に私は希望めいたものを持たず、三丁目的ノスタルジアに浸り果てるのが関の山かも知れませんが。それを無責任と取るのも自由です。どっかで日本を諦めたと、どこかの政治家と同じことを考えているのかも知れません。精神病院で青春なき強制入院被害者としての人生を送り、この国にいて甘い蜜を吸うこともありませんでした。 象徴としての天皇を仰ぎ見ることは国民として健全な態度だと思うのですが、むしろ、そういうところから日本はおかしいと他の国からも言われてしまうのではないか? と思ってしまいます また、果敢に挑戦したいと思います。 (天皇陛下万歳)

2024-11-02

人というのは未熟故か? 色気水気の方に多くの方は流れていきますね。 しかし、賢い人はその水気色気というものに流れ、流されていくこと自体を浅はかと思うものではないかな? 石を見ているとなにかこう思うことがあり、骨だったり鉄質のものだったり、水気を拒否したもの、水気のないものというか最後には私もそこに帰っていく気がしますね。 (石)

2024-11-02

そうだったのですね。田中さんの詩や作品は幾つか読みましたが、詩論は読んでたかな? 石に親しさを感じるというのは僕も一緒です。動いているものより微動だにしないものの中に美学みたいなものも感じます。 (石)

2024-11-01

ありがとうございます。優等生な詩だったのかなあとも思うし、そこが良かったのかなとも思います。 石は何千年も前から地球にたどり着いているかと想像すると、とても親しさを覚えるのです。古典とか古代とか、思いを馳せる身としては。人の話をじっくり聞くとか、沈思黙考するとか、思慮深いとかそういう自分の個性に近く感じるものとして『石』があり、それに感情移入して書いてみました。 (石)

2024-11-01

国木田独歩懐かしいです。 「馬鈴薯」好きでしたね。その詩は初めて読みましたがエッセンスを感じられたようで良かったです。 この前も近代作家の書いた「檸檬」という小説を読みましたが、あれもよかった。 なんとも言えない作品読書によって会えますね。 (天皇陛下万歳)

2024-11-01

どもです。今日も事業所出かけてきます。尿漏れ出勤。俺今日も漏れそうだわ。 チン玉が干からびておかしくなっちまうよ、こんなところに巣くってたら。 詩の内容については、センスに関して自信があった時期もあったし、まさかおかま顔で11月におめかしして出会えるとは、思いませなんだ。うっふん♪ (石)

2024-11-01

アイドル好きの方なんですかね? どことなくお弟子さんの匂いもしましたが、違うかな? こういうのでもいいのかと思うと、投稿の評価基準も難しくなる。アカウント持ってルール破りをしなければ誰でも出来るのかと思うと、色々心配になります。許されてる感じが逆に辛いなあ。僕もかろうじて許されてる。みんな許されてる。 (DEADEND)

2024-11-01

替え歌とは。幅を広げてくれましたね。しかし、音程は完璧とは言えない。 歌詞には宗教的な思いが託されています。夕陽さんの真っ直ぐな部分が、パンクなどではユーモアを交えたひねりやくすぐりがあるのに対し、宗教になるとストレートに表され、格調高くお堅い世界に対する厳粛で緊張感溢れる思いが表された一作と思います。 (G線上のアリア)

2024-11-01

男は女性に自分に不都合でも正しいと思うことを言われたい欲求もあると思う。女性に賢さを求める人もいるけれど、強引な男性に靡く姿を見ると、そういうものを求めても仕方ないと思うこともあるし。 お説教がしたいわけではないというのも感じるし、媚びて癒しを与えたいわけでもないわけだから、この気難しさの中で書き続けているうちに、そこに共感と新たなニーズを生み出せるのかもしれない。 恋愛社会問題、どれか一つによらず、森羅万象を語ろうとしているようにも感じます。 いいとか悪いとか甘いとか酸っぱいとか言いづらく独特な感じで、慣れがないとわからないまま終わっていく感じがします。 (diary_aryarchive_3)

2024-10-31

ありがとうございます。その前衛性がどこにあるかと言うと軽はずみと衝動性ですね。 一種の博打打ちなんです。そのギャンブラー的佇まいに共感してくれる人も少しはいると思ってます。マイノリティ向けの作風ですね。私友達少ないんです...... (愛とは、なにか?)

2024-10-24

ありがとうございます。 メッセンジャーとしての私は他の誰よりも強力だと自負しております。 そして皆様もお感じの通り、他の誰よりも軽薄なのです。 と言うわけで完備様のご指摘コメント当たってた気がするんですけど、居酒屋で言えば、それにお辞儀して対応するか? 茶碗を投げ飛ばすかの対応で、後者をとってしまったというその不覚が波紋を広げてしまった気がします。すいません...... (愛とは、なにか?)

2024-10-24

私は超のつく差別主義者です。私が思うに賢い人は皆そうだと思っています。 みんなが大好きなジョンレノンも超のつく差別主義者でした。 ジョンレノンというのはあれだけ有目になってお金持ちになって、それでもやっと信頼出来る女性オノヨーコに出会え、それ以外の人間は信用出来ないと正直に話しました。 私も世の中の賢い人々同様、世の中のほとんどの人間はびっくりするぐらいの愚か者だと思っています。その意見を聞きはしますが、とんでもない論理的なズレ内容の酷さに唖然とすることばかりです。 (ふうせん)

2024-10-22

おいおい、今度はどういうおふざけだ? 高等過ぎて猿並の俺の脳みそでは理解出来ないぞ。 青十字さんは知的レヴェルが高過ぎる。流石高学歴様だ。なになに? どうやら筆者様はここに記されてあるコメントを読むことが出来ないそうである。 作品に対し、意見した。その意見は作者が読めない限り無駄だそうである。それは本当なのか?  私はピカソの作品がそこに飾ってあったとして、それに感想を述べて天国にいるピカソが、その感想を聞けなかったとして、無駄なことをやってしまったとは思わないのであるが。 横尾忠則先生の作品が、SNSの掲示板に飾ってある。それに対して意見する。横尾さんはそれを読むことが出来ない。理由は忙しいから。それでも掲示板に意見したことを無駄だとは思わないだろう。 もっとわかりやすく考えよう。詩人の方が死んだというニュースが飛び込んで、その詩人のブログにコメントを書き込む。当然詩人は死んでいるから読めないが、そのブログに意見を書き込んだのは無駄ではないわな。 これが個人宛のメールのようなものだとする。その相手がメールを読めないとしたら確かに返信しても無駄かも知れない。 しかし待てよ? 私は、個人宛のメールを送った覚えはないぞ? 画面をよく見てみる。確かにこれは個人宛ではない。つまりこれはビーレビューという運営局が運営している公の掲示板なのだ。そこで不思議に思い更にコメント欄の内容を確かめる。 >罵詈雑言吐きたければ私のnoteに上がってこい。 罵詈雑言吐いて作者様を苦しめるために、コメントを書き込んでいると読めるが、もしや作者様はなにか極度の被害妄想に陥ってはるという高等ギャグなのか? 勝ちようのない訴訟訴えに、それは冗談だろうと挙げられた三人がコメントを書き込んだ。冗談はやめなしゃれと言おうとしたが、更なる高等ギャグをノートでやるから付き合ってくれと来たか? 申し訳ないが、そこまで付き合いきれない。ショーが行き過ぎてる。個人的にはあまり笑えない。 (https://note.com/)

2024-10-22

なにについてどう思う? と聞かれれば割と自由に面白く伝え意見出来る方だと思います。 ポエムとか、様式に当てはめるとかそれもまた上手く出来た時は面白い。 色々なところに投稿しているため、極最近ビーレビューに投稿したものは不評を買って仕方ないようなものも多かったかな? と思っています。 完備さんのセンシティブな世界観と、私の破壊的なパワフルと。ちょっと毛色が違うのかも知れませんね。 (愛とは、なにか?)

2024-10-22

寸止めプレイは痛みはないけど、やられたら嫌だなっていうのはあると思うんです。 ふざけてるだけだというなら、僕もふざけてるだけの応戦なのかも。ふざけてる本気ポーズに対し、ふざけてる本気ポーズで返すというか。詩を好きなのか? は本当そうですね。そう思うし、そう思う投稿に紛れて僕も汚れちまったかなあ。初期の頃は結構詩をちゃんと書こうという姿勢を見せてたと思うんですけど...... (https://note.com/)

2024-10-22

一応これから訴訟される側の言い分を事前に少々言わせて頂きます。 最初に、お弟子様からのコメントを頂いたのが 「から子の、十四番目から15番目に見た夢」 https://www.breview.org/keijiban/?id=13227 という作品で、コメント欄には 「動画が11:13…NHKの時間ごとのニュースよりも長いですよ。」 と頂きました。それを受けて私も、お弟子様の投稿作品に https://www.breview.org/keijiban/?id=13359 「これが自作品で一押しですか? このサイトでやっている内容自体が気に入らない。そのためそれを指摘しにきますたあと言うことなのか? すると、それをどう評価するか? 文学的な在り方ではないと思う。それを超えるものを提唱して、闘おうとするなら分かりますが、ただの貶しに終わると批評ですらないと思う。」 とコメントしました。その後の経緯は長くなるため、この場では省略します。最後私の投稿にお弟子様がコメント下すった内容は『ふうせん』と言う作品へのコメント (2024-10-05) ※コメント欄へのコメント この場に熊倉くんや佐々木君がいないことがなによりの救済だ。皆でRequiemを聴きつつこの場をさろう。 https://music.youtube.com/watch?v=1SKPE5DAi-E&si=sgWMjaD0iik0nz-c こう言った内容を頂きました。 この内容について私が少しチクリというと、 >『クズ太郎さん』氏への返信 https://info.coaching-labo.co.jp/encyclopedia/superiority-complex/#:~:text=%E3%80%8E%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BC%E5%BF%83%E7%90%86,%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E7%8A%B6%E6%85%8B%E3%82%92%E8%A3%9C%E5%84%9F%E3%81%99%E3%82%8B%E3%80%82 >『カス太郎さん』氏への返信 https://yasabito.com/1062 去ろうという割に、言い返されるとさらに応戦してくる。その後、お前からのコメントはもし来たら法的措置を取ると作品内で記載。 言葉を一方的に吐き捨てて、一方的に自分への言葉には拒否を示し、反論には応じないというような自分の論理内容に自信がない人間のやり口だと感じました。 また、コミュニティラインの内容にある >また、十分な理由を明示しない酷評/罵倒を禁ずる。一言コメントでの酷評はしないこと。 という記載に作者は上記のコメント一覧からもわかるように反しております。 以上が、訴訟前の私のとりあえずの言い分です。では、これから法的措置を取っていただくとのことで、訴訟お願い致します。 万太郎 (https://note.com/)

2024-10-21

散々他人を罵倒した上に訴訟癖まであるとは....... 言っておきますが、最初に罵倒コメントを入れてきたのは、貴方でしょう。 是非訴訟を起こして頂きましょう。文学に携わる志を持った方として、有言実行をお願いしますよ。 (https://note.com/)

2024-10-21

以前自分のページのリンクを貼られたので、詩を幾つか読みました。恋愛に偏ってると思ったんです。 私は天才バカボンのような発想で勝負するギャグ漫画を読んで育ちました。恋愛ものに偏りがある女性の作品を読んで男は、女々しさを感じることがあると思います。少女漫画的な愛の世界にとどまると、周りが見えず社会や政治への関心ごと、広い視点、作家としての発想の飛躍に欠けるのではないか? わからないと書いたけれども、怪しいと。私ははっきり才能があると自分でわかるし、その上手さに関しては初めて芸を見た人が先入観なしではっきり反応を示すものです。土俵に立つ次元ではないと私を見下す完備様の『才能』に関して、私は怪しいと睨んでおります。 (ふうせん)

2024-10-21

僕は才能と言える次元まで自分を持っていったと思ってるんですよ。 カラオケに行って僕が歌うと、初めて聞いたおじさんが 「おい、うまいぞ」 と驚くんです。初めて聞かせたおばさんを泣かせたことまである。 スーパーでアナウンスをやる。店長が 「プロ級じゃないですか?」 と笑って褒めるんです。この作品においてもはっきり才気のようなものが感じ取れるようになってると思います。店長が私を褒める。しかし、下のものは面白くない顔をする。なんで貴方は、私が上手いことがわからないの? それは嫉妬なんじゃないの? と私は思うのです。 (ふうせん)

2024-10-21

私は、意見に優先順位はつけて考えます。 わかりやすい例えで言えば、20世紀初頭にナチスが台頭した時、世の中の多くの人々は彼を称賛しない人間を罵倒したのです。 私にとって、王様が裸で歩いている時、それを裸だと言える人は著名人の中でさえ一人しかいません。 それは権威主義とは全く違うものです。 公の場で賞を貰い履歴やキャリアを作ると言うのはクリエイターとして健全な考え方だと思うのです。それを一応は意見内容として受け止める際、天秤ふるいにはかけますね。何故かと言うと、わからないことがあるからです。例えば完備さんの詩を読んだけれども、青十字さんのようにハッキリダメだとは思わなかった。しかし、私の頭がバカなのかわかりませんが、わからなかった。わからないものは、どう理解しようか考えた時に、周りの評価を気にします。 直感的に理解出来た人が、この人は素晴らしいと認めた。それなら、少しは良いものなんだろうと一応評価する。そうやって考えていくことはあると思います。そうやって広がっていったところに、横軸だけでなく、縦軸の権威の存在もあるかも知れない。 私は行政命令で行動に制限をかけられ、管理移動が自由に出来ない身で、時間の無駄の話をされると大変困ります。12月に病院を変えられるかも知れないので、変えられたら自由移動の日々を取り戻し、SNSに時間を取られないようにしたいと思っています。謝ったのは『時間の無駄をさせたかな?』ということに対してです。それがほとんどの人にとっての時間の無駄ということでしたら、当サイトに 「万太郎の投稿は時間の無駄だから、閲覧しないようにしてください」 とお願いして頂けたらありがたいです。私は書いていいと言うルールがあるため、書いてしまいます。 (ふうせん)

2024-10-21

青十字さんという人とか、その他諸々のヘイト型のクリエイターのポテンシャルを支えているのは『つまんねえよ』だと思うのです。ヘイトでもラブでもいいからとにかく楽しませてよというのが根底にある。時間の無駄を思わせ感じさせたのなら、アイスミマセンでした。 (ふうせん)

2024-10-20

ある人に言われましたが 「根は常識人だけど、腹が立つと非常識に転ずることがある」 と。なにか心の中で大きな働きが起きると、非常識に転ずることがある。その振れ幅が激しいと言えば激しいと思います。 (人間として鋭いか? 動物として鋭いか?)

2024-10-19

詩の良さというものはその人のコンディションに揺さぶられるものであろうか? 答えはイエスかも知れないし、ノーかも知れない。詩を書いていた時にそれを書いていた自分の体調が良かったかどうか後で振り返ることがあったとして、その体調の良さと詩の内容の出来はイコールなのか? という問題。 福丸さんは病者ということで絶不調の海の中で書き続けているようなものなのかも知れません。しかし、優れたクリエイターはその中で良質な詩を書き得ることができる。それは詩や芸術の中にある理性的論理的働きとしての緻密な数学的クールと美しさが内に秘められているからかも知れない。その点で、作者の心境吐露に終始し、その文章としての理性的なクールに支えられた美しさという点で、内容は乏しさを感じます。 書きたいという気持ちと、書いた以上は見せる。開いて公に晒す、そのために工夫するという面がある。その見せ方を工夫するといい。どう見せるか? どう晒すか? 日の光を浴びせられるようにするか? (殺してる)

2024-10-18

いい歳をして少年ジャンプっぽい男性的な不器用さから逃れられません。やはり読んでいたから染み付いてますね。そう言えば、二歩さんもジャンプに採用されたそうですが、最近は少女誌的な傾向も取り入れて、刊行を続けているジャンプ。 「こち亀」であるとか、この雑誌に掲載されていたダメ人間の真っ直ぐさみたいのが染み付いてしまっている気がします。この年齢になるとそれが桑田佳祐とかに、被さっていくんですけど。 「おもしろさ」単体にこだわり続けるのが非モテの特徴。モテる男、出来る男に人間のリアルとか、自分がモデルにしたいものを感じないのだから、いいではないですか? と言いながら、モテ男は興味はあります。中々振り切れないのが凡人の辛いところです。 (面白人を自称せし人へ! ユーモアとは、なにか?)

2024-10-16

それはもう、田舎人の特徴でしょうね。 地方では誰が面白いか面白くないかを競うのは当然になってますから。 都会的なものなのか? そういうのが理解出来ないというのは育った環境が違うのかも。 面白いとか面白くないとかそこまで問題にならない世界で育てば私もそれで済んだんですけど、私の育ったところに関して言えば、これは面白い面白くないは最早戦争みたいなところがありますからね。 (面白人を自称せし人へ! ユーモアとは、なにか?)

2024-10-16

コメント、ありがとうございます。 その面白さが届く範囲というのが凄く限定的なのではないかというのが私の見識です。 凄くライトで、交友関係も幅広く、色んな人と遊んでいるイメージはあまり抱かない。 私自身真面目な性格を考慮して芸人は向かないかなと思うこともあります。 が、芸の世界は元々は、楽しく真面目に知的な遊びにふけようという世界だと思うのです。 そういう面では真面目もありかなとも思いますし、真面目で面白いと言われることもあります。 ふざけてたりにやけてたり、適当だったりが見ていて楽しく面白いという観点から言えば、私はその部類に入らないのかもしれない。ナイーブですからね、私は。 この作品も笑わそうとして書いたのではなく、自分が面白いと思ったことを、受けを問題にせず書いた結果が少しくすぐりが入ったと考えれば、無理やり笑かそうとしてない作品です。それが少し笑えたというのは、ありがたいこと。 お弟子さんが皆に愛されたり、それほど面白いということについては私がもう少し彼の動向を観察する必要がある気がします。 (面白人を自称せし人へ! ユーモアとは、なにか?)

2024-10-16

人と人との縁は疎遠になりました。一緒にいた時にだって分かり合えていたわけじゃない。それでいいんだと言う程度の関係しかなかったのかも知れない。私自身寒い人間関係しか築けなかった人生に虫唾が走ります。 (我慢知らず大国ニッポン)

2024-10-12

私の人生には38年間なにもありませんでした。グループホームを抜けてホームレス生活を5日送りました。生きている心地がした。生活保護課の方と相談して、年金をキャンセルしてホームレス生活をしたいと相談するつもりです。最もそれが実現出来るかは分からない。それが実現出来るまでは、私の人生はこれまでなんにもなかったと言うことを正直に書き続けることしかないのかと思っています。そのため、勉強して新しい言葉を覚え作品に活かすと言うようなことはあまり考えておりません。 (我慢知らず大国ニッポン)

2024-10-12

極限状態の時、例えば私は今ホームレスのような生活を5日間ぐらいしたと書きましたが、正直生きている感じがしました。病院に入院してからグループホームで行動が管理されている自分は死んでいる。そう思うと、ホームレスの方がいいと私は思うのですが、もし厳しい状況で例えばホームレス生活で、先輩とか男のタマタマを舐めなければいけないとなった時、私なら舐められると思う。ヨーロッパの男性もそうですね、極限状態の時が迫られたらきっとやりますよ。しかし、日本人にそれが出来るでしょうか? 特に障害者と呼ばれる私の所属している団体。彼らはとても恥ずかしがり屋です。ちっとも根性がない。こう言う人はどんどん増えています。実際精神障害者の数はこの二十年で、とてつもなく増えました。以前グラフを紹介したことがあります。戦争にも弱い日本。どうしても我慢も忍耐も根性も戦前の日本人とは比較にならないように思えてなりません。 韓国の女性もあれは一種の文化侵略ですが、一種の戦争の中を生きる女性として必死ですよ。我慢強さでは日本人は最下位だと私個人は思います。ベトナム人の男性を職場体験で見ましたが凛々しかった。美しかった。向こうは徴兵制があるのです。 (我慢知らず大国ニッポン)

2024-10-12

人の話を聞いて、その意見通りに動くかどうかは本人の主体性次第だと思います。 さくらさくらに関しては、未熟なのかなあとか、本物のの歌じゃないとか色々考えるのです。 それで色々考えると自分にはそれほど深く愛せた女性がいなかったなあとかね。 私には過去の栄光と言えるほどのものはないですが、多くの人が履歴や偏見でものを見る特性を見て、どう対処すればいいか考えた末の行動です。私自身は履歴や偏見にあまり騙されないと言うのはどこかでありますね。ただ一方的に罵倒してくる相手がそのジャンルに携わる志を持った人間として履歴を作る努力をしたのかはとても大事なことだと思います。 (我慢知らず大国ニッポン)

2024-10-12

コメントありがとうございます。 真摯な意見頂き、とても嬉しいです。返信大変遅れまた、順番も変わってしまい、大変失礼致しました。 (ふうせん)

2024-10-11

ありがとうございます。読み手の反応を気にしてニヤニヤ。所詮ネットですからね! リアルで会うわけじゃないし(笑) (ふうせん)

2024-10-11

いろいろな考えがあるから皆投稿しています。15歳だから多感で色々感じることがあるでしょう。頑張れ! (無題)

2024-10-11

助けたり助け合ったり、人間界は深い! (誰のため)

2024-10-11

そうかも知れない。作者は今迷いの中にいると思い、いいと言っておきます。 決して哀れとか情けではない。作者がそう思った。そうかも知れない。共感しました。 (天国と地獄)

2024-10-11

コメント通知をコピーして、ほぼほぼペーストしただけの文章。手が混んでない。頭使ってない。アレンジがない。どこが文学なの? 俺が青十字さんに嫉妬してると思う根拠はなんなの? 俺は俺より凄い才能があると思ったらあっさり認めるよ。 (Code of Hammurabi)

2024-10-11

他人を馬鹿にしたり罵倒したりって言うゲイとも言えない芸を皆が歓迎しているのが分からない。 三浦果美と言う大馬鹿者? 読んでいて嫌な気持ちになると言う正常な生理感覚を持っている人はいないのか? (宣戦布告)

2024-10-11

無垢ですね。歌声からひたむきさが伝わってきます。 作為がない。アカペラだけでこれだけ聴かせようとする。聴かせることができてるのも凄いし、これは才能ですよ、ウン。 (松山おんな二人旅)

2024-10-11

お母さんとお父さんどっちが好きか? 結局僕もお母さんです。もっと言えばおっぱいです。 伝統的かつ、古典的な愛を描いていると思います。ちょっとコントみたいな喜劇性も感じました。特に前半。 (RAIN SONG。)

2024-10-11

不思議な印象。なにかありそうな気がする。それだけ。 (ー)

2024-10-11

みんながお弟子さんを高く評価する理由が私にはわかりません。 要するに面白いって言うことなんだろうけど、文学って人間のウェットな部分を扱うものだから、面白ければいいって言うものじゃないと思う。色んな意味でバブリー。 (#XOXO_EXTREME)

2024-10-11

うーん難しい。よく言えば高級。 うさぎというネームにもある通り、萌え詩なのかな? これからはこう言うのが流行るのかも知れない。今風。 (廃棄)

2024-10-11

傷心のようなものを、笑い飛ばす試みだと思いましたが、文学として捉えると少し短く、味わいに欠けると感じました。つまり物足りない感じです。もう少し引き伸ばして、分かり合えないことの苦しみであるとか、そう言うものを書くといいのかも知れないですね。 (笑)

2024-10-11

気持ちよく声を出してメリハリが良く、聴いていて気持ちがいいと思いました! 閃きと斬新を感じました。目指せCD化! (毛が生えた人にえんど)

2024-10-11

面白かったです。人間的な愛嬌が出ている。面白いものを描ける人は面白い人なんでしょう。妻咲様、貴方は面白い方ですね? (ふうせんへのコメント返信、少しコメント欄が荒れ気味のため、只今考え中です) (バナナ)

2024-10-11

おまるさんはいいかな、毒舌でも味がある。この作品が全然良くないという批評意見があってもそれはそれで勿論いいんですよ。それは仕方ないじゃん。そうじゃなくてマナーの問題について論じているわけで.....完備さんの作品少しは読みましたよ。全体的にお弟子さんと、完備さんナルシスト組の作品はユーモアがない。それは能力主義者特有のものだと思うのです。世の中で成功している人とかうまくいっている人に能力主義者は少ない。芸能とかっていうのは、もう少し他人の顔色伺いながらやるようなことじゃないですか? なんで剥き出しの自分が受けいられれると思ってるのか。図々しいよな。 (ふうせん)

2024-10-05

言葉の間違いは重ね重ね、発信した後間違いだったと思い、直さずそのままに放置してしまった。 それはお詫びしておきます。 >人間性には問題があるかもしれないが、少なくともきみよりは高度な技術を要して詩を見つめているのは確かだ。 うーん、いきがかり上、私も舐めてしまったことはある。舐める理由材料はそれなりにあります。 私の同級生で、自分の尻穴に指を入れて、私にかがせ『くせーだろう』と喜んでいた大貫君という男性がおります。その方に喧嘩の売り方からいちゃもんの付け方から同じくらいの下品を感じてしまったのです。それで作品も読みません。根拠を示さず、自分の腹いせや普段の鬱憤の捌け口のように言葉を浴びせてくる感じが、ものを表現する人間として舐められてしまう材料かと。 (ふうせん)

2024-10-05

オノマトペって言っちゃった(笑) 完備様の詩がいいかどうかは、好みですね。ナルシストさんの詩は破綻を嫌い、私の作風は好みではないでしょう。 >ちょっとくらい誹りを受けたからと言って それは全然違う。的を得ていない批判をしてくるぐらい信頼足り得ないパーソナリティだということで、内容も私の範囲外です。優れているというなら、どう優れているのかという根拠確証たり得る材料が欲しいです。あくまで私の見識では、作品も取るに足りえないと思います。 (ふうせん)

2024-10-05

コメントありがとうございます。 子供騙しも、子供向けも沢山あって、その有象無象の中から子供は良質なものを選び出していきます。 この作品が子供に受け入れられないこともありましょうが、私は実は実践の現場でこの作品を小学校で朗読したことがあります。頭の良さそうな子供にウケましたね。子供を選別するのはあれですが、分かる人には世代を超えて分かっていただける。そう信じております♪ (ふうせん)

2024-10-05

ありがとうございます。 勿論中傷意見も飛び交うのが世の中だし、まして表現者を志しているものはそれを避けては通れません。ただ、中傷意見には中傷意見なりの対応もこちらもさせて頂きますということで。 作品に関してこの音の気持ちよさを活かしたナンセンスの良さが分かるには、頭の柔らかさを要すものであり、実は結構上級者向けだったりすると思います。妻咲さん、秋乃さんはいち早く、キャッチしてくれました。どちらもココア共和国という、有名女優の秋吉久美子さん、漫画家のいがらしみきおさんと言った信頼に値するパーソナリティを審査員に添えたポエム誌の常連です。私も実は幾つか掲載されたことがあります。 誹謗中傷と意見、それに対する線引きも難しいし、感じ方も人それぞれ。長い目で見れば本人のためになることもあるだろうという指摘、しかと受け止めさせて頂きます。 (ふうせん)

2024-10-05

意見くださり、ありがとうございます。 本当に例えばとんねるずでもいい。タモリさんでもいい。日本の今やメインカルチャーをいく表現の多くは、ロック世代以降のサイケデリック精神の影響を、内側に孕んでいると思います。 その視点から読み、感じていると、確かにここには、真に迫るものがある。しかしそれと魔法使いサリーの御呪いがどこまで違うものか? 寿限無にしろ、ラメちゃんたらギッチョンチョンでパイのパイのパイだの赤塚不二夫先生のナンセンスだの(完備ちゃんわかんねーだろうなあ)どうどこで区切りをつけて違いについて論じるべきだというのか? この作品の真に迫るオノマトペの気持ち悪さが生理的に嫌というのは、理解は出来ますが共感はあまり出来ないのは、私自身がアシッドな精神性を持っているからでしょうかね。 (ふうせん)

2024-10-05

きちんと作品を読む力のある人は、こうやってきちんとした批評が書ける。 秋乃さんは、ココアで受賞してる人だから、私と同じ公がなにを意味するかと言った奥深い世の中の真理をわかってると思う。 落語の寿限無における楽しいオノマトペの楽しさに通じるものを感じてくれてる。ありがとうございます。勿論、もうひとパターン、ひねりが欲しいというきちんとした批評も、十分汲みするに値する意見です。完備さんには理解できないかも知れないけれど、これが意見と言えるものなの。完備オバちゃまの意見は意見ではなく中傷ね。秋乃様、少しコメント利用しがちすいませんね、ホント。コメントの質が違う。比べるのすら馬鹿馬鹿しい。 (ふうせん)

2024-10-05

九十九君、君は学校行きたまえ。 親が毒親でもないのに、いつまでもカンガルーみたいに依存してるとか、おまるさんの作品に、自分とどう違うかみたいなコメントしてたけど、それは月とスッポン以上違うよ。おまるさんは、家出して自立しようとして成功した人だよ。少なくとも今の君とやっていることは100%違う。これはもう私が自信を持っていいます。 (ふうせん)

2024-10-05

ありがとうございます。相手にしてるのが時間の無駄なしょーもない輩です。 しかし、atsuchanさんが余計な負担をかける必要はございません。atsuchanさんは完備おばさまと違い、確かな力を持った書き手です。才能能力の浪費をどうかここで消耗なさらないでくださいませ。atsuchan様のユーモアと才能を確かに私は買っております。完備おばさまのような一度も人を芯から笑わせたことのない人には分からないでしょうが。ああ、takoyoさんが懐かしいなあ。ユーモアがわかる人だった!  (ふうせん)

2024-10-05

コメントを返す意味がない。時数の無駄である。貴方も一度くらい名のある賞を世間一般に置いて受賞出来るクリエイターとしての資質を持てると良かったね。 (ふうせん)

2024-10-05

作品へのコメントを読み、これをいいと思う人もいるのだと知りました。 しかしこれを玄人のところへ送付し、見せたらどう思うか? 完備様は、私の作品についてあれこれ意見するのはいいのですが、どこか信頼出来るパーソナリティのところへ送付し、賞など受賞したことがあるのでしょうか? よければ回答お願い出来ますか? ちなみに私はココア共和国で十五作佳作を受賞しております。優秀作品は2作。あさひてらすでも幾つか掲載されておりますが、どれも履歴も経歴も顔も出さず実力のみによるものです。私の私感では完備様がそのような経験をしたことがあるお方だとは思えないのです。他人の作品に対するなんの根拠も示さぬ軽はずみな罵倒。それをやってなにが楽しいのか。クリエイターとしての健全な精神がない。もし、なんの受賞経験もないということなら、自己満足でこのまま腐り続けてればいいと思いますよ、私は。自分が腐っているともわからぬ、無自覚的腐りで生き続けるならそれはそれでいい。 最後にあなたのいいそうな頭の悪い他人のものの返しで、話を締め括らせていただきます。 「腐ってんのはオメーだろ」 (醒)

2024-10-05

精神障害者と知的障害者の顔を見てください。 ブスです。ブサイクです。 チビです。デブです。 僕はどれにも当てはまらない。それで妥協案として、障害者の芸能事務所に応募し、研修生として合格しました。芸能界は色艶のある男女が集まるところ。そこに何故精神障害があるのかはわかりません。 私が思うに単純に福祉や障害というのはモテる要素が希薄な男女が集まっているだけで、それを障害と括っているだけのように思う。これは立派な社会的差別ですが、私をそこに入れるのはやめて欲しいということ。私にはモテる要素が昔から沢山ありました。顔だってモデル並みです。馬鹿にしないでほしい。 (息と瞬き)

2024-10-04

福祉で人を叩くとどこへ入れられると思いますか? 刑務所ではない。精神病院です。 とんでもない礼儀知らずが多数いるのが福祉界です。体育館で唾を吐いたり、他人の見えているところで陰口を言ったり、ろくに作業もやらず、施設のスタッフに駄々をこね、目の前で鼻くそをほじくる女性、精神的痴呆症の集まりです。バスに乗ろうとすると私を突き飛ばして、どけよと言って私が先だとバスに飛び乗る女性がいます。精神障害者です。 私は散々耐えてきました。今も耐えています。風俗嬢と精神障害者の女性どちらが好きかと聞かれたらまともな一般人なら、風俗嬢だと答えるでしょう。 まともでない健全でない世界。理不尽なことが沢山あります。そこで切れて刑務所に入り、出所して一般人として安いパート雇用でもついたほうがよほどマシな人生を送れると思う。精神障害者のレッテルをつけられると責任能力が認められないのです。悪いことをやっても罪を償って、刑務所に入ることは認められず、病院に入られらます。そして行動が制限され、薬漬けにされる。これのどこが 「擁護」 があるのでしょうか? 是非一度お考えください。 (息と瞬き)

2024-10-04

問題の一因になっているのは、ゼンメツさんが、精神病院で起きていることの実態を知らないことではないかと思うのです。刑務所は悪いことをやった人が好きなように働けて飯が食える場所。精神病院はそんなところの何千倍もきついところです。人権擁護によって守られるなんていう生優しいところじゃないです。なにも悪いことの出来ない少年が年間何万人も変わり種だという理由で強引に精神病院に入れられている。私はその被害者です。この問題は本来マスコミを含め大々的にやるべきことです。何故やらないか? この国は戦後医療国家として米国の片棒を担ぎ、大量の医薬品利益に貢献する国になったのです。その被害者の私に対し 「施設のお世話になっている」 「人権擁護によって守られている」 はひどい言葉だと私個人は思います。 (息と瞬き)

2024-10-04

正直話の本筋とは関係がない話かも知れないけれど、私が 「障害持ち」で「人権擁護によって守られる存在」と言うような記述は、的を得ていないように思うのです。一個人の言動を国が管理して、移動の自由を抑制している。それは立派な人権侵害と呼べるものです。そして私が障害者という名目でいることについても、家庭内暴力への抵抗の結果として、パソコンを壊し、罪に問えない内容のために、警察と医療が連携して私を故意に障害者に仕立てたというお粗末なもの。そのため、ゼンメツ様の私が「障害者」であり「人権擁護によって守られるべき存在」(それどころか一度だって守られたことなどない)という言い分は的を得ていないように思うのです。 >俺が施設やらにお世話になってなかったから、 無理矢理閉じ込められて、豚みたいな飯食わせられて、それでお世話になっているなんて侮辱的な言葉にも耐えている。国のやっていることがなんでも正しいともの知らぬ市民が思うのは仕方ないけれど、ものを書く人なら、少し自分の頭で考えて欲しいと思う。文化に携わるものとしての矜持を持って欲しいのです。 (息と瞬き)

2024-10-04

札に一文字一文字書いて、それを無造作に一枚一枚リズムをつけて並べ、その出てきた言葉を少し手直しして、御呪いのような言葉を作りました。特に特別な魂胆があったわけではなく、シンプルな童話を作りたいと思って書いた作品です。 ある種麻薬的なおまじない的なものを感じた人もいるのかも知れないです。まぁ私の好きなカルチャーがサイケデリックからシュールレアリスムと、どう表現するのであれそう言ったものに繋がっているため、思想的なものを感じ取ってしまったのかも知れませんけど....... (ふうせん)

2024-10-04

コメントありがとうございます♪ 60年代、70年代は音感の面白さを競う芸が沢山あったと思うのです。 90年代に入ると、所ジョージさんの『ビェーのビヤビヤ』は相当面白かったですが、僕ぐらいの年齢にとって耳で感じる楽しさ面白さみたいのは単純に新鮮だと思うのです。 ラッスンゴーレライなんてまるっきりそのパターンだと思うんですけど、その面白さをビーレビでも自分で描いて披露したかった。 この話の続きがあるとか、ストーリー的なこだわりがあるとかは全くなく、仰るような期待と妄想を膨らませたと言うことなら、それは作品に力があったのかも知れませんが、作者としては今のところないと伝えておきます。 (ふうせん)

2024-10-04

コメントありがとうございます。 そうですね、散文作品。こう言った壊れた玩具箱のような作品を本当はいっぱい作りたいのかなあと自分は。 そう思い始めました。純粋な詩でもなく、純粋な歌でもなく、壊れた玩具としての作品…….. 一つの考えるきっかけを与える思索の断片の一部としての、玩具作品。 そう思って頂けたら、わかりやすいかも知れません。 ビーレビは、形式は割と自由で、今の詩界の閉塞感を打破するのには、こう言ったフリースタイルがむしろいいのではないかな? >選べないことなんて幾らデモあるから。日々の細やかな自分の手の届く範囲ではそうしてやれたら、少しは豊かに生きられるんだろう。 僕は選んでいる気がする。一瞬一瞬を選んで生きている気がしますね。勿論限られた選択肢の中から小刻みでも、人は選択して生きていて、それは常に未来の自分引いては自分の外側の世界にも微弱から最大へと影響と余波を広げていくものだと思っています。 明日食べるカレーの味の感想が、月まで届く! そう思って生きています。 (二択あると、いい)

2024-10-04

そういえば、私は今回に関し『詩を書こうとして書いた』わけでこの作品を書いたわけではなかったんですよね。 考えてみれば、みんな詩を書こうとして詩を書いているわけでもなく、歌を書こうとして歌を書いているのでもなく、その なんだか分からないものを表現しようとして、フォーマットとしては詩に収まった。歌に収まった。 この感覚が純粋だと思うのです。 それで対象性の確保。と言った鏡としての存在へのアピールを気にしすぎず、もっと自由に伸び伸びと、こういったなんだかわからないものを表現していくと面白いんじゃないかな? と個人的には思い始めています。 具体的に、なにをどうしようと思ったわけではないですが、コメントを貰い一つのきっかけを貰えた気がします。 真摯な批評意見、ありがとうございました。 (二択あると、いい)

2024-10-04

いつもコメントありがとうございます! 『いつも』と言う言葉を添えようか、二択でつける方を選びました。 人生は選択の連続。おっしゃる通りですが、現代における選択していない。初めから固定観念の世界に生きているロボットのような人間をどう考えるか? 生き生きてしない。ピンピンしていない。しかし表向きは始終穏やかな人間がいる。 何故か? コロナワクチンのヤバさを告発する本小林よしのりの『コロナ論4』と言う本をSNSで紹介した方が、私はこの本を読みませんと書いて紹介しているのを見かけました。 国が言っているガイダンスに従っている善良な人間として読むことは出来ないと言う日本人特有の生真面目。日本という国は、ある時期までは国の敷いたガイダンスに従っていれば間違いないという主体性の放棄をして安心に暮らせる国だったのかも知れません。 しかし私は思うのですがどんな時代でも、楽な方に流れる人はいるということ。必ずしもその人たちが悪い人たちではないのかも知れません。 マヨネーズをかけて体に悪い方を選ぶというのは、一時の満足に身を任せたいということかも知れないし、他の理由も考えられますよね。 >だけど大抵はどちらかしか選べない。まぁ二股かけて付き合うとかは二選択アリなのかも知れないけど。笑 いいですね。二股(笑) なんか二つの中から一つを選ぶとか、未来の可能性について考えるという想像力の果てにはやっぱりエロスが、ある気がします。芸術家はやっぱりエロいのかなあと思う。 植物的な人間と、開拓者側の人間がいて、予め用意されている人生を選ぶような人は、悪い人ではないけれど、開拓精神はないよなあなんて。そうすると二股もないでしょうね。 >投稿するを選択したのが良かったのか悪かったのか、それは万太郎さんのレスポンスにかかっている。多分良い選択になるだろうと予測もして『コメントを送信する』をタップする。笑 いいですね。オチが効いていて♪ (二択あると、いい)

2024-10-04

コメントありがとうございます。 人生『これしかない』と選択肢が一つしか見えず、他の選択について考えずに道を決めた時、その人間の視野の狭さとか、一体誰がその『これしかない』道を用意したのだろう? 果たしてその選択肢しかなかったのだろうか? と言う本人の自己決定のなさを露呈してしまうように思います。 選択肢が2本浮かぶと言うことは、本人が自分で物事を決めたと言うことの証でもあるように思うのです。 >「アイスクリームもおっぱいも」と断言されると多少懐疑的な気はするのですが、 私の癖のような断言については、自己決定意思の現れでもあるかも知れないし、本当はまるっきりそうだと決めつけてはいない、でもあるのですが誤解されることもあるだろうとは。 (二択あると、いい)

2024-10-04

日本人のじゃれ合い好きとか、仲良しの戯れ好きとか、それは世界各国の自立した個を持った民族と比べて情けないところです。個人として本気本領を発揮出来る本番なき民に、語るべき言葉などあるわけもなく、福祉界というのはその本番なき民のじゃれ合いダメ試合が一番あるところだったりします。 コロナに関しても、そう言う仲間同士のじゃれ合いじゃなくて、人前で発表したいもののある人がいて、それを聞きに行きたい良きオーディエンスのある国だったら、世界各国と比べて過剰自粛に陥らなかったと私は思うのです。 そこで僕らの世代というのは、その本番への渇望なき人々が増えてですね。そういう僕らみたいなアホアホ世代を作ったのが戦後のお年寄り世代だと思うから、戦後民主主義の失敗が騒がれたのは70年代でしたでしょうか? 僕はタレントとして少しでも本番本領を発揮出来る場を作れるよう努力したいと思います。 (二択あると、いい)

2024-10-04

作品と関係のないコメントはやめなしゃれ。 (二択あると、いい)

2024-10-04

確かに文章は少し汚い。心が荒み荒れているのかも知れない。 名画の中の演技のように華麗に決める芝居仕立ての作品を期待すると、少し違う。 しかし、少女趣味的なロマンチックは消えておらず、次回作に期待です。 (スリーピングビューティー)

2024-10-03

愛する人のことを思い、いつか来る別れを惜しむ。女心と白い酒。演歌と歌謡曲の風情が脳裏に浮かびました。大切なテーマだからこそ、捻りもなくシンプルに描き終えたという印象。しかしそこに撚りを加えるところが文章芸というところですから、いい文章だけに少し惜しい気がしました。 なにかこう例えや比喩を使ったり、映像的なイメージを使って表現したりこれまでのような芝居仕立てがなく、素の田代さんの思いがそのまま書き表されているような、詩だからそれでいいと言えばいいのかもしれませんが、大人しい感じがしてしまいました。秋は少し心が弱くなる季節かも知れませんね。 (黄昏道)

2024-10-03

コメント有難うございます。 避難している? 遭難ですか! なんちゃって。 確かに今不謹慎ですが、雨嵐台風で避難してらっしゃる方もおりますよね。 そういう時にもユーモアやウイット冗談は大事です。冗談冗談冗談♪ 冗談というのは他人との距離感である。とまた思弁的な決定論を、少し悪い癖がついて辞められなくなってしまいました。とほほ...... (雨)

2024-10-01

コメント有難うございます。 指摘されてみると確かに、力味が入っている気がする。日常生活における人間関係が少し緊張関係の人がいることがあるのかも知れないですね。 欠点に気づいていけば辞められる気もするし、良き批評が出ると勉強になります。有難うございました。 (雨)

2024-10-01

コメント有難うございます。 民話は座敷童から始まって、小話とんち。 雨女の小話、考えたくなるお気持ちわかります。 生活の中から出てくる思いとなにかそこで得た知恵のようなものを、物語に託したいという思いだと思います。 お住まいの地域によるかも知れませんが、確かに今年は私の住んでいる地域も雨が少なかったかも知れません。 雨についての熱考を高く評価頂き、ありがたき幸せ。そのお言葉、宝にしたいと思います♪ (雨)

2024-09-30

コメント有難うございます! 昔、運動会で最後まで走っていたらそんなに前の方じゃないのに、女の子に声援を贈られたことを思い出しました! 哲学詩と捉えて頂き、ありがたいです。 すかんぴんブルースでのコメント、あああれですね。 苦労はしてきたと思います。 勝ち組を選ばなかったことを、私はホリエモンではないので、後悔してないですね。 自分なりの信念があって、卑怯や姑息を働いてまで他人を押しのけて幸せを得ようとは思わない。 >注)アカ削出来ない場所だからまた登場するかも。万太郎作品限定ルールを勝手に設けて。笑 是非またお越しください。私は今後作品発表の頻度はどうなるか分かりませんが、やっていきたいと思っております。少し人前に自分の文を晒し、厳しい指摘を受けて、程度が分かった面もあり、以前のように自信満々というわけではありませんで。 ronaさんのこれまでのコメント度々励まされ、良かった! (雨)

2024-09-30

コメント有難うございます。 ビートルズの「Rain」はビートルズが実験的なことをやり始めた頃の作品だったと思います。 リンゴスターのドラムが印象的ジョンレノンのヴォーカルが気だるく、音楽で詩の世界を表現しようとしたような詩情溢れるロックナンバーの快作です! また、着眼点の面白さをお褒め頂き有難うございます。この書き方がしっくりきたのでそうしたのですが、確かに説明的な感じも受けますね。解説が詩になってはダメですね。 五連からラストまでの流れお褒め頂き、有難うございました! (雨)

2024-09-30

うーん、僕が青十字さんにルサンチマンを抱えているってことですか? 分からないなあ。僕は人が思う以上に、いい人生を歩んできたのかも知れないですよね。 青十字さんとかをみても思うんだけど、勝ったとか負けたとか、弱肉強食だ、ルサンチマンだ、体に悪いものでも食べてるんじゃないかっていうくらい喧嘩腰なんだ。福祉はそういう人身の回りに多くて。 若い人に嫉妬なんかしないよ。むしろ可哀想だと思うぐらい。陰りを歌わないじゃん。歌聴いてても。 心の中の翳りを歌って初めてアートだと思うし、そこの不器用さも含めて、俺だめな人生だって傍目から思うけど、一所懸命生きたって意味ではそうでもなかったんじゃないかと思って。腰痛で腰が痛かったり、私生活それなりに大変なとこあって、あまり大した返事できなくてすいません。 強制入院被害者として生きた僕の人生と、僕をここに閉じ込めて素知らぬ顔で、海外飛び回って社会貢献している人とどっちが幸せかなんて分からない。僕は被害者の方を選んで良かった気がするんだよね。色々リンク貼られて、全部見て反応出来ず申し訳ないです。 (すかんぴんブルース)

2024-09-29

コメント有難うございます。 釣りですか。いいっすね大人の遊び活動的です。 自分は割と文学肌の孤独な寂しがり屋ですので、その愛嬌が伝わる人には伝わるんだと思ってます。 障害者の世界に陥ってしまって、SNSでは叩かれやすい存在になって、でもそれでも現実では優しい人たちも沢山いて その私と出会えて良かった! と言ってくれるatsuchanさん。 私もそういう人と出会えて良かった!  (雨)

2024-09-26

コメント有難うございます。 雨が醸し出す詩情。それが心に音楽となって響いてくる。 その自然的な佇まいの中で感じる感傷を読んだ作品です。 素朴でありふれたものが人に与える直感やヒント。それは気まぐれのように顔を出す現象より、なにかを感じさせてくれるものかも知れません。 1回目にみた雨、2回目にみた雨、30年経ってみた雨。同じ雨でも毎日違う。なんの変哲もない自然現象に静かな感動を覚える。 そういう年齢になったのだなあと。 >雨に対する定義と言うよりはむしろ、雨が醸し出す抒情、雨が強要する感情の絵図面みたいなものが開陳されている 私が伝えたいことをビシッと言い当てているようで、その分析に敬服です。 (雨)

2024-09-26

コメント有難うございます。 芸能界も色んな人がいます。色んな考えの人がいます。 スポンサーがついている。その中で表現をやるのだけれど、自分としては今見ている景色と違う眺めで同じ眺めを見てみたいという遊び心のようなものがある。その遊び心を捨てない限り、どこへ行ってもなにをやっても大丈夫かなと。 運営代表については、今のところあまりやるつもりはないかな。 文学界というのは大変な世界ですから、そこへ行くには私生活でも比重を置く必要がある。 私にも事業所通いに、芸能界のレッスン授業とやることがそれなりにある。 頑張って運営サイトをやっている人はリスペクトしますよ。 天皇制の問題など、政治的な問題の細部にわたって、私と気が合うような人は保守と言われる人でもそうあまりいない。 それぞれ読んでいる資料参考にしている文献も違いますからね。やや政治問題に言を触れ過ぎたかなと思うこともあります。 日本語を扱うサイトで日本の歴史を語ることは間違いではないけれど、大事な話だからこそ、行き過ぎてしまってはね。 >しかし海外からいくら無礼な振る舞いを受けても手を挙げて参戦することには反対です。どんなに小さなサークルであれ、新しき文化を育てようとそれに携わる心意気のある人間は、大衆を尻目に大政翼賛的に文化を先導させてはならない。 このコメント欄でやり取りのあった内容に関してですね。しかと心に受け止めておきます。 (雨)

2024-09-26

コメント有難うございます。 確かに、日本が中国のような言論統制の厳しい国になるのはそう遠くない気も致します。 押し黙って善良に生きれ、平穏な生活が出来るなら、それもいいのかも知れませんね。 私は実は以前何度か触れましたが、福祉の事業所に在籍していて、腰痛が起きたのも、長期による座り作業による面が大きかったのですが、ついこの間、障害者専門の芸能事務所のオーディションに合格致しまして、芸能界のオンライン授業のようなものに関して、就労Bの管理者との交渉次第で、無料でレッスンが受けられるようなのです。そこからマスコミへのアピールなどに繋がるようなのですが、そういう意味では僕もこれから先はいい子にすることを自分に課していかなければいけないという内面の葛藤もあります。 運営代表については面白いとは思いつつも、どういうことをやるのかがよく分からない。 atsuchanさんの作品以前音読した際は、上手だと言われました。本になるかも知れないということで、それはいいと思います。 是非ワケワカメの歌を朗読してみたいですね。節をつけて読んでみようかな。ナニガナニヤラワケワカメ♪ >猿‥‥ちゃう、去ると言っても、作品こそ投稿はしませんが、気が向けば何方かの作品へコメントをしたりするかも知れません 辞めちゃうってキッパリ宣言しなくてもいいんじゃないですか? 立派に生きてきた普通にローンのない家もあってという、atsuchanさんの話を聞いていると、人間は幸せになっていいんだなあと思う。嫉妬なんて全然湧かないですよ。 僕は顔も悪くないし、お行儀も悪くなく、好青年なところがある。ある種の嫉妬にあったんだと思うけれど、幸せになっていいのか悩むことが多かったかな。楽しいことが好きじゃないという家庭に生まれ育ったので。 FMについては、動画見ました。確かにそういう人はいるかも知れませんね。 (雨)

2024-09-26

コメント有難うございます。 雨は人間以上の存在なのか? 上下の問題なのかはともかく、誰にでも降る、なにに対しても降るこの雨。その雨を通して詩情を交えながら、哲学を語ってみました。 黒い雨? というとなんとなく不吉な雨が頭をよぎりますが。そういう小説もありました。原爆を描いていましたね。 豊作を願い祈祷。祈りを捧げる。その風習が昔話でも様々なエピソードになったと思います。 (雨)

2024-09-26

コメント有難うございます。 雨への接近度が擬人化を超えた印象ですか? 人間も人間の外側にある環境も目に見えない規則によって動かされている。 私はそこに『神』の存在を見るのです。自然信仰もあるし、動物愛もあると思います。 (雨)

2024-09-25

熱いコメントありがとうございます。 数日前から腰が痛く、PCに触れられず返信も遅くなりました。 私のことを少し気にかけてくださる方が、少しずつ辞めていったりしていくようで、人と人との出会い別れは世の必然でしょうか。自分は縛りがある中で本領を発揮することは得意なのですが、なんでもやっていい好きにしていいと能力を過信され、また放置されてしまうと自分がそれをやり続けることの大義のようなものが見えづらくわからなくなってしまって、SNSの自由投稿も引き際がわからず辞めたり入ったりの繰り返しです。現在は、プロダクションがついて人が見てくださっている中で作品制作を続ける環境準備に向け、動き出しています。プロダクションのようなものでなくとも、友達がいたり、作品に自由意見を貰える人が身近にいることはとても大切ですね。それは最初の頃atsuchanさんが言っていた友達がいること、そういうものを持つことは大切だよという言葉に通じていると思います。 こういうのは良くて、こういうのは良くないというリテラシー見識を持つことと、辞める時には辞められるというのはatsuchanさんにはそういう鏡となる存在がいるのだと思うのです。 影で糸を引く団体の存在などについては、現実生活でもそういうものが沢山糸を引いて、人間関係を動かしていたりするものなんだと思います。 運営代表にしたいなどと勿体ないぐらいあり難きお言葉。私はこう見えて、メカ音痴ですので、現実的にはそういうことが出来るかはさておき、お気持ちだけ頂戴したいと思います。 (雨)

2024-09-25

考えてみると作者には、これまでの作品の中にもエキセントリックなアイデアによるユーモアを描きながら、2枚目のクールな安定感に作品内容が支えられていた面があったのだと気付かされる。その安定感は、現実の作者の肉体美によるナルシズムによるものであろうか? 曲は90年台初頭のJ-POPの匂いがする少女受けしそうな内容である。一種の精神的危機への方舟としての愛。作者の女性的なものへの母性を感じる内容。女性の中には弱さ脆さ攻撃性といった負の一面がある。 >めそめそ泣くな、まだ俺がいる、 長い髪も、ドレスも、靴も、びしょ濡れにして 幸せになりたいなら、俺の手を掴め ライオンの王の如く、その思いを受け止め、女を手中に収めんとする獣としての巧み。少し照れる演出を照れずに出来るとその安定感に女性も安心を覚えるのではないかと思います。 視覚演出効果としては少女漫画的な >サファイアの指輪も、香水の瞞しも、 といった女性の好きそうな映像世界。音にのせた言葉であるため、短く纏まった流麗な印象だが、これまでの少し壊れた内容のものを期待すると、少し違う。ピアノの音階が少しずれていたりするところに面白味があるように、言葉としての整合感が、味わい奥行きなどを残しつつも、もっと破天荒に暴れるようなよりスケールが大きくダイナミズムを持った内容のものだとより楽しめると思いました。 (息と瞬き)

2024-09-21

まともな文章を書けると言うところを見せたかったのもあるし、少し自分が問題者であることへの反省と、文芸サイトにおけるびっくりパフォーマンスへの偏りを懸念し、バランスを意識したところも、今作の内容に反映されているのかも知れませぬ。 正統派の書き方を意識した結果無個性という印象になったのなら、それも至極当然。 またその意見を聞いて改めるかというと、色々な自分を見せていくというやり方もありかと思っています。ホラー漫画家が突然ギャグ漫画を描き出して驚かせるように、受け手が驚いても作者としてはその内容流れに一貫性があるというような。自分自身の狂気については、他人に指摘されて気づくぐらいで、自分ではあまり思い当たらなかったところもあり、言われてみれば確かに変だなあとここ数年思うようになった次第です。一本線のようなものを見つけて自分でそこを前面に押し出していくことは、考えています。例えば 「どうして自分は周りに馴染めないのだろう」 というようなテーマを突き詰めていくとわかっていくことがあるのかも知れないし、それがアートという形で昇華されることもあるのではないか、と。 (雨)

2024-09-20

歴史認識における認識の違いは、それぞれに勉強した資料内容の違いによってずれが生まれ、お互いの言い分思い入れもあるために、合致することは難しいでしょうね。 日本語の文芸サイトで、日本の歴史認識についての議論が起きることは、そう不思議なことではなく、また居酒屋談義をバカにしたものではないと私は思います。居酒屋とは大の大人が腹を割って語る場であり、巷で流行っている一方的なカウンセリングコミュニケーションなどより、余程社会を知る勉強になるところだと思うからです。 特に、この議論は決着はつかないと思いますが、鷹枕可様の言い分しかと受け止めさせて頂きました。 (雨)

2024-09-20

三島的なもの。楯の会的なもの。それを引きずったような思想を持っている人もいるでしょう。 時代がもし保守化しているとお感じなら、それは西部邁氏の語っていた『新生保守』と言うエセ保守のことだと思います。ネトウヨやSNS上で右翼を共謀したり、知ったかぶりで反米を唱えながら、骨の髄まで米国精神に染まり切っている人間は多い。要は小林よしのりの『戦争論』あたりから世の中が右寄りの言論が増えたのだと思うのです。しかしその殆どは的を得たものではなかったように私は思うのです。小林自身も『自分がネトウヨを産み、右傾化を生んだが、正しい解釈をしていた人ばかりではなかった』と語っています。 米国的なものに私も洗脳と言えるぐらい染まってきましたが、ここ数年はそんな自分を顧みるような出来事がたくさんあったことも確かです。それでもやっぱり今の日本なら米国の方がいいなあと思うことが多くありますね。 今の日本に関してはやっぱりちょっと違うなあと思うことが多いのです。 洋楽を聞かない理由について 「英語がわからないじゃん」 なんて言う素朴な意見を言う人がいる。この人がよほど日本語のスキルが高くて、教養に富んでいるのならいいのですよ。そうでもないんだよな。田舎っぺえが知ったかぶりで反米を唱えるなとは言わないけれど、それに近いものが確かにある。それが新生保守という『左翼よりも左翼』『新生保守こそ、本当の極左だ』と言う西部さんの意見に私も同意見です。ネトウヨもヘイトスピーチも酷いですよね。改憲も仰る通り、私は日本が米国から自立するための改憲ならいいと思いますよ。米国の侵略戦争に参加させられるための改憲が今の改憲であるならば、それは護憲の方がマシだと言う意見に賛成です。 >鎮魂歌を、歌を、という意識は否定を致しません。 ただ、その鎮魂の対象が誰であるのか、如何様にことばを使役なされれば鎮魂頌足り得るか、それは各々が能々考えなければならないことでございましょう。 死なば産まるるいのちもなきか、と。 鎮魂歌に関しては、歌と物語に生きた我が半生の決算として、この世に生きた置き土産としていずれ先住民のように、ヨーロッパ人の策略により滅び去るであろう日本人と言うものを、祈りや呪術のように思いを込めて歌いたい。そして未来の世界で絶滅危惧種として生き残った日本人に伝えたいと言うことかも知れないです。 >謝罪の十全性、それを決めるのはわれわれ日本人ではございません。 丁度、先の大戦に於ける無差別空襲に拠る民間人虐殺の、正統性を決める権利が――道理に適うならば――国家アメリカにはございません様に。 そして、虐殺事件の資料、証言の現実性を鑑みますに、捏造と仰るのは無理があられるのではないでしょうか。 捏造写真については小林よしのり『戦争論』によっております。私は、この資料を通した分析は信憑性の高いものと感じております。文芸のサイトで政治の話は、完備様も仰られる通り、居酒屋でやるのがいいかも知れません。広く社会を見る目は、文芸に携わるものとして大切だとも思いますがね。 (雨)

2024-09-19

青十字さんの内容を見ていると 「なんでそれを出来ないのか?」「なんでそれをやらないのか?」 と言う哲学的問いが見つからない。それが学歴秀才の限界だと思う。要するに出来る人特有の無神経さが際立つんだ。気を遣って生きてないから、女性には舐められはしないけれど、モテはしないよね。色気がない。女性が気を使う人間を舐めてくるのは良くあることですが、その人がモテてないと言うことではないんだよね。尊敬されていると言う一面があるんです。女性は、表でセクハラを口にしながら、強引にこない男性をみくびっている。そのブラックな内面を見透かしてしまう鋭さを怖がる。態度で出されると更に嫌がるでしょう。青十字さんを見ていると、学歴秀才特有の無邪気さを感じる。この素直さ幼さ幼稚は女にモテるよ。内心バカにされながらだけどね。 (すかんぴんブルース)

2024-09-19

青十字さんと言う人がどう言う人なのか? 理系の人間が文芸男子の鈍臭さを見下して『こいつ、高度で複雑な計算出来ねえ』と悦にいっている姿がなんとなく頭に浮かぶ。学歴秀才みたいな、結局落ちこぼれだと思うけど、ある種の世界では途中まで中途半端に『出来る人』だったんだと思うんですよ。文学なんて、なんで出来ないのか? なんでやらないのか? その理由について考えるようなものだと思うんだけど。 こう言う人が落ちこぼれたのも狭い世界に閉じこもって知性とやらを振り回すのが精一杯だったからだと思うんだよな。 野坂昭如さんは結構面白い歌作ってたと思うし、それを戸川さんがカヴァーしたのも面白いと思うし、戸川さんのファンというのも、東大あたり出てそうなインテリなのかも。そう言う人がサエキけんぞうさんとFacebookで繋がってるとか、相手もプロで忙しいわけだし、友達申請したら承認するのかも知れない。その横の繋がりの自慢は『個の闘い』をする大人の文芸の世界で少しみっともないと言う美意識はないのかい? 多分弱い人だと思うんですよ。偉い人自分が尊敬出来る人の権威に預かって威張るタイプ。横でタバコの火つけてるタイプ。 >※このコメントは当作品の詩評ではなくただの独り言です。 これも中傷目的の一種のいじりだと思うけど、そこまで面白くねえなあ。 (すかんぴんブルース)

2024-09-19

ありがとうございます。今日も今日とて同じ施設で働いている利用者に顔色の悪さについて尋ねられ、クリエイティブな人間の持つ禅問答の苦しさだと説明しますが、ある種の鬱傾向があることは確か。それを同じ疾患を持つ福まる様に共有して頂いたならありがたいと思います。 (雨)

2024-09-18

>人間宣言以降の陛下が、実効的支配力――武力を含む、それ――を 今、此の世界趨勢の時期に、具有せなければならない、ということばの意味を、もう一度お考え直されて下さいませ。 それが実現することに関しては、諦めもあるし、文化も産業も美意識もなし崩しになれた今の日本のために命をかけて陛下の為に戦う日本人が数の上で勝利を収めて、日本がそちらに傾くことは間違いなくないと思います。だって太った女性がファミレスで屁ですよ。 そう言う意味では私のマイノリティ意見など今の日本においてはお笑いでしかない。悪いジョークとしか受け止められないでしょう。 朝鮮人虐殺に関し、日本は度々謝罪を繰り返してきました。これ以上謝る必要がなんであるのか? 米国は一度だって日本に頭を下げたことがない。また、虐殺写真の内容が捏造による合成写真であることなどは、これまでも保守派の作家などが指摘してきました。その内容ロジックに関し、論議を巻き起こしましたが、内容の論理的辻褄などに関し、完成度が高く説得力に富むものだと感じております。 ナチスは障害者虐殺、ユダヤ人虐殺など偏りのある政策を打ち出し、ああ言った良くない結果を招きました。 あの当時ソ連に敗北したドイツの復興において、人々がなにか強力な羅針盤を求め、それがヒトラー台頭へ繋がった。 今の日本における左翼的共産主義的な戦後民主主義に染まり切った『なんでもあり政策』見本にすべきリーダーもいなく、ついていく羅針盤もない混乱した状況において、人々がそう言ったものについていくとしたら、それは仕方なきとさえ言えるのかも知れない。 マスクにしても任意と言いながら、ほぼ強制に近いし、人々が言論の自由行動の自由の果てに、進んで自由を放棄しているのが今の日本であることを思いますれば、安易な羅針盤を求めるのが大衆の本質であり、ナチスのような具体的なカルト政治団体がいなくても、今の日本は狂信的全体主義に身を任せているように私には思えるのです。 >三島の意志を正統に継ぐものがございましたならば、 現・日本国の国体を以て武装傾向へと先鋭化してゆく状況へと、反旗を翻しになられるのでは、と想像を致して仕舞います。 三島の意思を継ぐものはいません。それは美意識がもう違うのです。もしいたとしても、それはたった一人で褌でビルの屋上に立って腹切りをするようなものです。 ファミレスの味に染まり切った一般大衆が、米国追従の末に、対中感情を爆発させることもありましょうが、それはSNS内でのことです。日本語が器用に使いこなせなくなっているのに、日本を取り戻すことも難しいでしょう。日本人は子供を産むことが出来なくなっているし、少子高齢化も歯止めが効かず、SNS内での右翼など、なんの意味もない言論の自由の無駄遣いであり、ヘイトスピーチ運動も具体的な日本を取り戻すことに何一つ結実しないことは言うまでもありません。 そう言った野蛮な活動に傾くのでなく、果物屋、文房具屋、農薬や化学肥料を使わない野菜作りと言った地味で堅実な労働が国内産業復興に向けて如何に大切なことか。それがなに一つ実現することなく、なし崩しに崩れ潰れていっている日本で、私はある種のレクイエムであり、鎮魂歌を描きたいのです。 最後の最後に残るのは、歌だと拳を込めて言いたい。それが不快に感じることもありましょうが、文化に執着心を持つ日本人として、最後の最後までせめてもの日本語の復興に精一杯尽力し、そのまま天に登れれば、子供なき未来に向かう我が人生において本望です。 『日本を諦めた』は有名な反ワクチン医師の言葉です。私もどこかでそれに同意しております。 (雨)

2024-09-18

マウス実験で、十分な栄養と生活に困らない環境をマウスに与え、生活させたところ全滅してしまったという実験結果があるそうです。何故、全滅したか? これが平和な世界の末路です。孤立した世界で餌を求めるのに助けを借りずに生きれるならば、人々は助け合わなくていい。心を開く努力もしなくていい。子孫はどうなるか? おかしなことが起きていたり、おかしな情報が出回っていた時に、正しい情報を広め共有し合おうとする努力は? 天皇制について、メルモ様のような考えをお持ちの方は多いと思います。 三島由紀夫という人は、日本というものがどこにあるかと言えば、天皇にしかないと断言しました。 天皇は国が栄え、国民が安寧に努めるための絶対条件であり、それが崩れた時、日本という国も滅びるであろうと。日本という国の歴史はスサノオノミコト古事記と言った神話によるフィクション想像力の中にあり、日本はその架空の物語を何千年も国が栄え、丈夫で健康な赤子と丈夫男の国であるよう守ってきました。 しかし、現代はどうでしょう? 軟弱なふにゃふにゃ男子。元気のない痩せこけた女性。「ボイン」の影形もない色気のない人々そういったものが福祉界には多数を占め、日本社会を圧巻しそうな勢いすらある。煤け萎え萎んだ女性群男性群が 「私たちは世のため国のため働き社会貢献している」 と胸を張るが実態はどうか? 道徳的な縛りはかつてないきつさでありながら、裏ではAVやエロ情報が氾濫し、手を繋げない男女、自分のしたマスクを売る女性といった乱れな道徳心。影で、時には人前で他人の悪口を言うそのふしだらさ。ミスタードーナッツの店へ行けばデブの教育を受けていない女性が屁をこく姿がお目に描かれます。 日本は紛れもなく、今いる高齢世帯が全滅した後、天皇制も崩壊し(つまり天皇を崇める人が総数として減ってしまったのですから、政治家もそうですね。安倍さんもそうですが、天皇を心から崇拝していない)私が60になる頃には、外国人による国になると思います。日本語も消えていくと思う。武器で殺されることはなかったとしても、確かに日本人は子孫を作り産み増やすことなく、消えていくと思います。 機械文明AIも人間のエゴイズムを思えば、映画で描いたような人間がお皿の上に回されて、機械の餌食になる未来もどこまで本気かわかりませんが、ゾウっとしますね。 今日本は、人権と命が大事のピークの状態にいると思います。人の命がマナーや規則よりもし上回るようなことがあれば、健全で美しい清らかな笑顔や笑いのある世界でなく、下卑た笑いが蔓延る世の中になるでしょう。私は福祉界にいますが、バスに乗ろうとすると『私が先だよ!』と怒った女性が私を突き飛ばしてバスに乗ったこともある。人権思想の闇の面を沢山見ましたよ。私の価値観では相当数の人間は死刑にするべき存在です。そういう意味では乗っ取られることに関しても、以前ほど抵抗は無くなったかな。どうにでもなれというヤケクソと、没落への思い。三島が語った「憂国はエロスである」という言葉に測って言うなら、萎びた国が乗っ取られて北朝鮮女性の金政権マンセーコールで国民の股間が総勃ちしている哀れコメディー国へ変わる姿を見たい想いさえあります。 (雨)

2024-09-18

矛盾だらけの世界を受け入れて笑っているのは狂気の世界で平静を保つための薬みたいなものです。その薬がいつまで効き続けるか? 人間は動物として時に本気になれなければいけない。粗雑でいい曖昧でいいなんとなく平和でいいという世界では熱が生まれず、一億総白け化する日本で子供が生まれない現象が起きている。北朝鮮を見ると、金正日時代から絶対的なものを持っていたこの国は、コロナは解決済みだといって猛毒ワクチンも使わず、マスクを脱いで人々は働いている。独裁的だったり強権的な振る舞いは恐ろしいけれど、子孫繁栄という観点から言えば、北朝鮮の方が日本より上かも知れない。狂信的な世界を受け入れている点で、日本と北朝鮮でどちらが酷いか? 日本は言論の自由があるから嫌だとは言える。けれど私に関して言えば、薬も拒否出来ない行動管理は徹底されている。多くの人がそうでしょう。 AV大国と軽蔑される理由も分かります。AVと言うのは子孫繁栄を顧みない欲望発散のツールですから、世界から見れば、共同体のことを考えない愚かなツールに見えるのでしょう。 人々が白けずに済む倫理的かつ論理的に説得力のある規則があることが、子孫繁栄と国の安寧にいかに大切なことか? そのリテラシーに沿ってみれば、北朝鮮、日本、米国、中国、どれが一番酷いかわからないけれど、ヨーロッパや南米ではこういった問題に気づいて闘っている人たちがいますし、ドイツが右傾化しているのもその歪みに対する反発なのだと思うのです。 人々は健全な未来と明日のために、健全なルールを求める。ドイツは今ナチス政権時代を再評価する向きがありますが、伝統の中にもう少し納得出来る規則があった時代を、日本もドイツも探るべきだと私は思います。 私の詩作品『雨』もその規則ごとの問題が一つのテーマになっています。理路整然としている人間の詩が時につまらないと言うご指摘ですが、私は詩作品を通じて美文に流れず常に問題提起をしています。その問題提起のフォーマットとして『詩』と言うフォーマットがあっているかは分かりませんが、言葉の流れを美しく整えようとはしました。 平和というものには、ジョンレノンのような人はもう少し懐疑的だったと思います。祖国アイルランドのために闘えと歌う曲では思いっきり右翼肌のジョンが聞けます。死ぬ直前に書いた曲では「平和なのに誰も助け合わない社会」や「愛や平和について歌っている自分が嘘くさい」と自嘲する歌まである。 殺された理由の中にもそういう現代的な問題を予見してしまうような鋭さを持っていた権力者にとっての都合の悪さがあった気がする。 (雨)

2024-09-18

現代ではテレビが宗教だと唱える人もいます。なにか絶対的なもの、しがみつくものを持たず、生きていくことが出来る人は強い人だと思う。だけれどもそれなりになにかを皆信じて生きている。 考えてみると俗世間にあるものに、ここ数年とても宗教的なものを感じなくもない。例えば歌について考える。 「時代は億千万の胸騒ぎ。命のときめきエキゾチックジャパン」日本語としても、あやふやで訳のわからないものが音韻だけ揃って韻踏みしてそれが心地いいというものを、私も含め皆聞いてきて育った。恥ずかしいことじゃないですか。これは宗教ではないかも知れないけれど、宗教より酷い思想もなく、なんにもない。なんとなく楽しければいいという『平和という宗教』です。こういったものを私達は常日頃から取り入れ、最早そこから逃れることが出来ない。『言葉の矛盾が気になる』人間として素朴なことなのに、それがもう通用しない。テレビを見ると人が死んでいる。悲しいなと思いながら飯を食ってうまい。このパラノイアの世界を私たちは幼い頃から過ごしているのですよ。コロナ報道に疑問を持ちながら、コロナワクチンで人が死んでいる話をSNSで眺めながら、飯を食うとうまい。それで生きている。このパラノイアが辛いと言いながら笑っていたりする。正にジョーカーですよ。犯罪は犯してないかも知れないけれど、善良でいながら羊として生きるジョーカーです。 宗教を持ち、戦争をすることがいけないという意見はわかる面もありますが、譲れない何かがあるから人は拳を上げてぶつかり合い、それが世の中を熱くすることを思えば、天皇陛下を侮辱されたから許せないと国をあげてもし、この国が立ち上がるようなことがあれば私は賛成するかも知れません。 (雨)

2024-09-18

その筋がポエムサイトの背後にあるのなら、確かに発言に気をつけなければならないのかも。 日本は本当に多宗教国家になりました。幸福の科学から、上祐さんのアレフ、怪しい利益系のものも多数あり、言論の自由どころではない。私自身も宗教には興味があります。どちらかというと伝統的な仏教キリスト教ですが、人は生きている以上なにかしがみつくべきもの絶対的なものを求めるのではないでしょうか? 米国では宗教を持たない人間は恥だという考えがあります。私自身もその恥の人間として自らを省みる思いが少しあります。押し付けのようなやり方をやる宗教に関してはやはり良くないと思います。 (雨)

2024-09-17

創造性に満ちた文章をコメント欄に頂き、ありがとうございます。 コロナワクチンに関しては、見えない被害者が相当数いるんだろうと。規模としては戦後最大であり、将来的に見る被害者数死傷者数は原爆を上回るであろうとそう言う見込みが出来ている中で、私自身も腹も括れないままなんで生きてんだろうと思いながら、詩を書いたり、事業所へ通うといった日常を送っております。そう言うことに気づいているかどうかで書いているものの内容も変わってくるでしょうね。 ものを書いたり想像の世界に携わる人はどうしても一般的な人への上から目線を辞められないものではないか? と。言葉一つとっても、テレビを見ればわかる通り、矛盾だらけの内容を放置出来るのが常にお隣さんであるからには、それと故意に喧嘩しようとは思わないけれど『なんで?』と言うクエスチョンマークは出てこざるを得ない。テレビもラジオも正直今は嘘ばかりで気持ち悪いですね。とても見れたものじゃない聞けたものじゃない。ではそういったもので溢れた日常はとても生きれたものではないか? と聞かれればお返事に困る。 福丸さんの『死』は確かにタイトルがね。その下に僕の『雨』がありましたからね。色んな人が書いているのはわかるけど、料理で言えばレシピを揃えて献立を作っていざ料理というそのアレンジが見えなくて、素材一本で『ハイ、どうぞ』みたいな印象を受けることも作品によっては。「このお料理どうっすかうまいっすか?」じゃないっすもんね。書き出しから「これから暗い話します。死についてです」ですもんね。でも頂いた文章にあるような『ファンタジー』を描くのが本当の創作じゃないかなあとは。ちょっと難しい陰謀大河小説みたいな内容でした。コメディとして読んでもいいかなと。 (雨)

2024-09-17

中田さんがダメ人間だという評価はフェアな意見では無いと私は思います。 noteの記事など読みましたが、人間には境遇というものがあると思います。 私は手塚治虫のような恵まれた環境で育った人間を尊敬するのは奴隷根性だと思います。 お金があって楽器も習えて英語の学習も出来て海外の情報にも詳しくなれる。当然画材にも恵まれるでしょう。こう言った恵まれた環境に才能が加わればそれをフルに発揮出来るのは当然で、人間は限られた環境の中でしか花を咲かせられないものだと思う。 私がブコウスキーを好きなのは、彼にはその奴隷根性が全く無いと思うのです。日本の貧乏上がりはどこかで金持ちの成功した芸術家をあげて私は彼のようになれないのような謙虚を働くと思いますが、私はどこかでそれは違うと思っています。小説も書かれるし、絵も描かれる。非常に多彩な方でクリエイティブの権化のような方だと思う。これがモテないというのは、日本社会の女性がいかに甘やかされ、男を見る目がないかということだと私は思うのです。 自慰行為も頭がいい証拠です。自慰できない女性が増えているそうですが、日本人は段々行き過ぎたウーマンリブで白痴化しています。会話がまず幼稚なんです。自慰できたら照れが生まれる。ガキみたいな会話が出来ないですよ。男女が手も繋げない。子供みたいな人間が増え過ぎました。 問題は比較の問題で、卑下する必要はなにもないのではないか? と私は思いました。 (性典)

2024-09-16

了解しました。 そう思う根拠の一端を綴りたいと思います。 栄枯盛衰で言うと、福祉とは正に『萎える場所』なのです。 『萎えた人間』が集まり『萎びた希望と道徳』を語る場所でもあります。 福祉の現場でなにが起きているか? 恐喝です。ヤクザよりひどい強迫行為です。 昔から、世の中に馴染めなかった人間が行く場所が、ヤクザや芸能界、そこに現代では福祉があります。 精神障害者は2002年から2017年で223万人から389万人。約150万人も膨れ上がりました。 その中には私のように、家庭内暴力への抵抗を警察の怠慢により捕獲され、過失行為を問えないために、医療業界の檻に入れられてしまう強制入院被害者も含まれます。 人間というのは感情の喜怒哀楽があります。それが他人にとって都合の良い感情ばかりでは無いでしょう。 怒った時に相手を殴りつけることぐらいはあるかも知れない。それは良く無いことだけれども、人間は自分の行動に責任を持ち、自立的に生きる権利がある。 私の場合に関しては、殴ってさえいない。それでも少し不機嫌な顔をすると顔色が悪いと薬を増やされる。 これは正に脅迫であり、ヤクザよりひどい恐喝なのです。 そしてこういうことに慣れ切った国民が医療と福祉に頼り、年金生活に甘えて仕事もせず皆で生きていたら世の中はどうなったでしょう。今の現状に関しては、国内産業は大きく衰退し、面接と履歴なしで仕事ができる職場まで出来た。私がそこへ行くことを何故福祉は止めるのか? 全部が異常です。 悪いことをやったら責任を取って刑務所に入る。その自主性が認められないのです。精神障害者は責任能力を求められない存在なのですから。刑務所と病院どちらがマシだと思いますか? 刑務所は労働が出来る。動き回れるのです。 病院内で起きていることは、刑務所よりひどい脅迫です。 ヤクザ業界に関しては、ろくでなしを受け入れる場所としての希望としては、福祉より私は上だと思っています。前途の通り自主性と責任能力が認められるのですから。日本が反映していた時代を思えば、分かりやすいと思います。70年代は任侠映画がありましたが今ではご法度。しかしあの時代人々はそこで暴力衝動や性衝動を発散し、血気盛んな若者たちが今の日本を作ったのです。 福祉をわかりやすく例える鶏小屋です。ヤクザ業界は小屋ではない。生きるか死ぬかのリアルが詰まった主戦場です。人間が鳥のように自由自在に羽ばたくにはどちらがいいか? 詩人や芸術家が自由にアートを求め極めるにはどちらが相応しいか? 私は後者だと思うから、福祉よりヤクザの方がよく、元気がなく萎んだ国なっているのは、ヤクザ業界が衰退し、福祉が膨れ上がりすぎたからだと書きました。 (死)

2024-09-16

私はヤクザ業界と福祉業界でどちらがマシで日本のためになるかで、ヤクザ業界の方がマシだと思っているのです。日本が大きく衰退しているのは、ヤクザ業界が衰退して福祉業界が膨れ上がってしまったからだと思っているぐらいです。 福丸さんの話を聞いているととてもお辛い体験をされながら、親への愛を語る。亡くなったらどうしようとか。これが不思議なのです。 21世紀は愛と平和の時代だと思いますが、同時に人々が静かに助け合うこともなく死んでいく時代でもあります。楽しいことがないのでしょう。だから楽しませたいとも思わない。楽しく読ませることは義務ではないし、文学の形はそれぞれあっていいのかもしれない。フリードリヒニーチェの言葉で『同情は悪である』という言葉があります。作品としての出来についてですが、辛いどうしよう助けて、それをこの場でやらなければいけないぐらい味方がいないのなら、誰が死のうと悲しむ必要は、福丸様には無いと私は思います。非情になった方がいい。私はそう思います。 (死)

2024-09-16

室町さん〜takoyo2さんでしたよね? 一時期私が荒川亭濁流という名前で発表した作品「まっぴらごめん」の批評を書いた人がいて、そのコメント蘭に室町さん時代のtakoyoさんがコメントしてるんですよね。批評された方が辞めてしまったのか? 批評文は消えてしまいました。 やめたということについては、アカウントが多分もう消えて三ヶ月くらいかな。宮崎駿さんだと、引退宣言をされてから三年後くらいに新しい作品を作り出しますよね。私はなんとなく室町さんは、帰ってくるような気がするのです。そういう風に感じる人もいると思います。 私生活があって、文芸が好きで本を読んでいると、書きたいことがある場がSNSにある。すると家に帰ると時折見てしまうのではないか? それで書きたくなる時もあるのでは無いかな? とあくまで憶測ですが。追放された過去があるということで、事実上は出入り禁止だと田中さんが書いていたと思います。 そちら系の組織については、私の知り合いにも加入者がおります。芸能人が好きな明るい人です。影響力の少ない一般人がどこまで危険視されるか私は分かりません。有名になったらなったで、組織に守られたりすると思うので、発言そのものについては、そこまでセーブするべきものかは分からない。 というのも言論弾圧は権力者がやるイメージがありますが、一般人が過剰に恐れてSNS内でそういう発言に自分たちで臭いものに蓋をして、益々言論統制が進み、危険な国になってしまう面があると私は思うからです。 コロナワクチンの薬害問題についても、押し黙る人が多すぎて、情報統制が更に進み、何万人人が死んでもその情報をシェアし合わないとても悲しく、危険な国になったと私は思っているのです。 私ごとです。私の親は、家庭内で政治的な発言は、盗聴器が壁に仕掛けられているかもしれないからするなと私にヒステリックなまでに威圧しました。政治家が禁止令を出しているわけでも無いのに、自分たちで口をつぐむことを推し進める日本の自粛文化は、確かに世界でも類を見ない気がする。中国では、習近平の悪口を言ってはいけないことは、人々の自粛ではなく、権力者がそういう令を出していると言います。その中国と日本の言論の自由度で、実は人々が率先して自粛をする日本の方が、言論の自由度が低いと聞いたこともあります。つまり言いたいのはなんでも言っていいということでは無いけれど、自粛をしたり、口をつぐむことの弊害や危険性も、社会的なスケールで物事を見るとあるということです。それで私はどちらかというとつぐまない方を選ぶ。 世間体を守ることが賢いことを教え込まれたせいで、言論の自由に蓋をすることが賢い選択だという考えが、広まりすぎているのではないか。それで人々はまともに意見をぶつけ合ったりコミュニケーションが自由に取れず孤立して、引きこもる人が増えてしまったのではないか。私はそう思っているんです。 (雨)

2024-09-15

ありがとうございます。 無視は正直苦手です。少しずつ覚えていきたいと思います。 自分で言うのもなんだけど、優しいタイプだと思いますが、裏目に出ることもあると思います。 私はSNS文芸空間で書くようになって日が浅く、そう言う見えない抗争が起きていることはよく知りません。 思うのですが、芸能界に入ろうとか、文芸に携わろうと言う人は、極一部の成功者を除けば一般的な道を歩めずに、落ちこぼれや、障害者、ヤクザなどの道を歩むのでは無いでしょうか? 私は一般人には理解し難い世界を生きている。そんな感じがします。 私は一般の人からも嫉妬を受けます。何故応援してくれないのか分からず被害妄想ばかり募ります。女性に対してもそんな感じです。可愛すぎていじめたくなるとか、格好いいから声をかけづらいとか、僕がバリアを張ってるわけでも無いのに勝手にバリアを張ってくる。訳がわからない。 ものを書いている人はエンターテインメント精神を発揮して周りを楽しませようとしている人がいい。 自己顕示欲でやってる人はつまらないし、嫉妬深いですよね。 誹謗中傷に関しては、運営に甘えずに自分の力で成る可く対処したいと考えています。ものを表現する人間として、批判は当たり前だし、中傷まで行っても、実際の暴力や脅迫に至らない限りは、大丈夫かなと。 (雨)

2024-09-15

>人を眺めて言ってる 叩きやすいと思われた気配を感じて、カチンときました。 ものを書く人はいい人が多いと思いますが、体育会系的なところはそれぞれありますからね。 自分は内気な性格で物事に熱中しやすく、子供の頃から鬱の傾向がありました。同じことをクダクダのような印象を感じる鬱陶しさが感じる人には感じるのだと思います。鈍臭さとか、ノイローゼ的な面があるのは確かで、それを内心感じている人は言いやすい時に言うのかもしれないですね。 一つ頭に来ても大人にならないといけない。返すのでも乱暴な物言いでした。反省しています。 大人になって、受け止めたいと思います。 (雨)

2024-09-15

色々申し訳ない思いをさせ、すいませんでした。 不満をぶつける時、心地よくなっている人もいますが、atsuchan69さんは心地よくなっていないですよね。指摘された件、怒り等々重々反省致します。 (雨)

2024-09-15

>Aなときもあるし、Bなときもある、みたいな話を延々としててそんなのクソ当たり前の事をくどくど述べることの意味不明さ、 クソ当たり前の事という記述に乱暴なものをとても感じました。 この世界にもし『クソ当たり前』のことがあるとして、それを疑ったり、色々な視点で眺めるのがアートなのでは無いかと私は思うのです。 >言葉をくどくどくどくど連ねても一向に思考が深まっていない、論理が先に進んでいない、 思考がどんどん前へ前へ先へ進んでいくことを、深まりとは言わないと私は思います。 同じことを繰り返し繰り返し唱え、調律のずれているところを正しながら、音階を整え、演奏まで持っていく。その発表したものを聞いて、論理的飛躍の飛距離ではなく、本当の意味での深まりを感じてほしいです。雨が上がって、泥状のものが乾いて土になる。当たり前の繰り返しが日常です。その繰り返し繰り返しの『クソ当たり前』の中を生きること、そしてそれを違う視点違う眺めで考え新たな考察を加えること。それを私は深みだと思う。 >あと最後に向かうにつれてドンドン適当っちゅーかやけくそになるかんじ この辺が特に駄目だと思いました そう感じたということですね。それで特にそこがダメだと思った。 歌の内容について良し悪しを作者が説明を加えながら、一種の自己弁護をしていくのは少し違うと思うので、そこが気に入らなかったのなら、それは仕方ないと思う。 ただ、私は最後の部分を『投げやりに書いた』とは全く思ってない。曲で言えば展開が少し変わり、荒々しさから静けさへ移り終わる様相を呈していますが、それを論を放り投げて、良い加減に終わらせたとは私は思わない。そう思ってしまうのは、歌に意味を求めたり、答えやなにか目覚ましい新たな発見を求めるからでは無いでしょうか。 私は、繰り返し繰り返しの毎日を生きる。それを肯定したり、悩んで生きたり、そういった日々の細々の歌しか今後も書かないと思います。 詩は頭で読むものでなく、心で読むものだから『クソ当たり前』のことや『新たな発見なきもの』をつまらなくてダメだと思う気持ちが分からない。私は、トンカツが美味しければ毎日トンカツを食べて過ごしたいと思う。そしてそのトンカツを毎日おいしいと思って食べれる自分が嬉しいし、そう出来なくなったら悲しい。 (雨)

2024-09-15

>作者の思考の浅さを露呈するだけの文章 その根拠が示されてないので対応が出来ない。どうして思考が浅いと思うのかが、説明されてないため、分からないです。 >つまんないのはあんたの詩だろ…… これは批判じゃなくて、貶しであり悪口に思うのです。中傷が目的だと思います。 私は幼い頃、良く 「自分の心に手を当ててよく考えろ」 とか、なにが問題でなにがダメなのかを十分な説明をされないまま、説得力を感じない批判をされて、頭を抱え考え込むことがありました。人の頭を混乱させる批判は悪口だと私は思うのです。 意見をぶつけるというのが一方的だと、よく無いと思います。それで腹を立てました。 「なにが問題でなにが悪くどこが酷くてどう改善すべきか?」 そこまで行き届いたものを求めるのは良く無いかも知れないけれど、ただ >作者の思考の浅さを露呈するだけの文章 >つまんないのはあんたの詩だろ…… こういった非生産的な、非難めいた言葉をぶつけるのは良く無いと思うのです。 (雨)

2024-09-14

読まない。それは違うと思う。 >atsuchan69さんへ これも違う。酔っ払ってるんじゃないかなあ。 (雨)

2024-09-14

>つまんないのはあんたの詩だろ…… こいつ頭悪いんじゃないか? 俺がお前が俺の詩がつまんないならもう来んなって言ったんだよ。 それに対して、上の言葉はなんだこのバカタレ。舐めんじゃねえよ、全くよお。 こっちとら遊園地行きたいだなんだくだらねえ目的のために芸能界の扉叩いんだ。それで一応合格したんだぞ。賞だって受賞したんだよ。俺がそれなりに努力してることに対して、いちいちケチつけんなこのクソッタレ! (雨)

2024-09-14

コメントありがとうございます。 ピンとこないなあ。割と適当にやってるんですよね。 完備さんの作品がそこまで良いのなら、真剣に考えても良いかも知れないけど、SNS詩ってバカしあいじゃん。 20世紀以降は大した芸術も世の中にはなくってさ。詩がどう? 芸術がどうって、真剣に考えても、なんかピンとこないよね。思考が浅かろうが深かろうが、大きなお世話。つまんないならもう来んな! (雨)

2024-09-14

アドバイスありがとうございます。 丁寧で美しい文体に振り切ったほうが良かったとのこと。 今回は言葉の分類や捉え方を自然現象を主題に表しました。あまり多くは語らずにおきます。 またよろしくお願いいたします。 (雨)

2024-09-14

コメントありがとうございます。 つまらないとの見解、それも一つの意見であります。多弁は詩人のフォームとして美しくない。 今回はこれにて失礼いたします。 (雨)

2024-09-14

コメントありがとうございます。 田村隆一さんは私も好きな詩人で小学三年生の時『木』という詩が気に入って皆の前で朗読したのを覚えています。汚れたものを避けて美文だけで通そうとは私はあまり思わないですね。 (雨)

2024-09-14

コメントありがとうございます。 なにかを感じて頂けたのだと思います。そのなにかは神聖なものなのだと思います。つまり自然ということになるのでしょうか。 (雨)

2024-09-14

歌がぼんやりしているのは何故か。歌い手が疲れているからである。 日々の緊張の中を行き、心が膿んだ時に、ホッと心を休めるような歌が生まれる。 作品の中にどこか懐かしい私の好きな匂いがあり、程良く作者の心が疲れている。 それで私はホッと作品に身を委ねられるのだと思う。 (影も形もないけれど)

2024-09-13

失礼、間違えました。妻咲さんは女性の方でしたね。お恥ずかしい限りです。 自ら少女だった時代を振り返り、女の子の可愛さだけでなく、裏にある欲望や怖い部分をとても可愛らしいタッチで表現されていると思います。音楽でいうと六十年代に流行ったGSのような、サイケ&シュールを感じました。 (女の子)

2024-09-13

作品に伸び代より完成度をみたい。また、そういうものを応援しないと文化に携わる志を持っている人間の良心が痛むと思った時に、高齢層の方の作品が良いと思い、積様の作品が目に止まりました。 高齢者の方の、若者ではなく『若者的なもの』への批判心。そしてその上で自分がなにをこれから探し、生きていこうという思索段階までを描いた『煮え切らなさ』のある作品。 この『煮え切らなさ』と言うのに考えてみると、今の高齢層は、ピートタウンジェントが『ジジイになる前に死んでしまいたい』と歌っていたように、若い時に『振り切って終わる。往生を遂げる』ことを潔しとしてきた世代だったと思いますが、コロナ禍での生への執着心を見ていて、いざという時、口だけの振り切り具合が目立ち、実際には行動は煮え切っていないではないか? と思わせるものがある。 テレビや新聞。使い捨てのメディアに踊らされ、景気の良い世代に行きた人々が考え詰めてこなかったことが今の時代を生んでいるのではないか? と考えた時この悟りにいく軽味ではない、煮え切らなさは興味深いと思いました。 (それさへあれば)

2024-09-13

女の子を見るちょっと遠目のおじさん目線。 そこまで女の子に深く感情移入はしてないんだけれど、なんかちょっとこの子可愛いなあという気持ちを弄んでいる。シャボン玉やアイスクリームを懐かしんでる感じの、子煩悩詩。 女性の深奥を可愛らしいタッチで表現してみようと思ったのでしょうか。文体のちょっと曲がった感じ、その曲線が綺麗にかけているので嫌味がないと思う。とぼけた味とユニークが懐かしく新鮮です。 (女の子)

2024-09-13

14歳で不登校という年齢と、状況に頼ってる面が多分にあるんですよね。 人はそれぞれ生い立ち環境あると思います。全く素性が分からない人の作品が質だけでこれはいいものであると評価するのが、純粋であるならば、この作品への評価は難しい。 (君が生まれてきた理由)

2024-09-13

雨が空から降ってくると、解釈することによって其れがメッセージになることがある。 神様のメッセージかも知れないし、自然からのメッセージなのかも知れない。 人が放った言葉も、解釈することによってメッセージになりますが、共通の言語と認識があってそうなると思います。なにかしらの意図や目的が感じられれば、メッセージになり得るけれど、逆にメッセージになり得ない言葉はなんであろうか? 「ハンバーガー食べたいなあ」 これはメッセージではなく呟きであり独り言だ。こちら側に対し、リアクションを求めたり、伝えたい思いがない場合、メッセージではない。政治的な見解だけがメッセージではないけれど、政治というものを広義に考えれば、政治的なものは全て人と人が関わり、伝えあい、動かし合うという点において、メッセージによるコミュニケーションが育んでいる。メッセージによらないコミュニケーションとは、一方的なコミュニケーションであり、働き手の欲望が主となる。 カテゴライズ物事の分類。これはこういうものであるという区分けもやっていくと深い。 作品は、これが詩文たり得るか作品たり得るかについて深い熟考を呼ぶ。 メッセージという言葉概念について、読み手に一考させる、果ては言葉というものについて一考させるという点においては面白い狙いを感じるが、書き手としてメッセージを放つ以上『メッセージ』という概念について、其れなりに考えて答えを出してから、問題を投げかけられるぬかという熟考の跡が見えぬのである。 読み手は書き手に、文学作品である以上その熟考を求める。その熟考が呼ぶ、感動。作品がそこまで行き着く趣があるか?  将棋ほど高級ではなく、オセロ止まりという印象。書き手が読み手に投げかけたゲームだが、趣としてはお茶菓子でも、緑茶よりインスタントなミルクティー止まりかも知れない。 (メッセージ)

2024-09-12

もののけ姫みたいな、自然が人に救いを与えるイメージ、木漏れ日の中から、救いの日が差す映像が頭に浮かびました。田代さんはとても文才のある方だと思いますが『お洒落で、面白い主婦』みたいなキャラが立ち過ぎていて、其れが隠れて感じてしまうことがあります。今回は、其れがなかった。文章を通じて、読者が世界観に引き込まれ、物語世界の中に入っていく。よく出来た演劇のようで、楽しく読めました。 (蘇るアイの森)

2024-09-10

素直すぎる。 真っ直ぐすぎる。 純粋過ぎる。 汚れがなく、読んでいてつまらない。人間のドロドロした欲望や身悶えするような想いが描かれず非常にこざっぱりした内容。読むに耐えない。 (僕は君に)

2024-09-10

ひねりが無さすぎる。これでタレントか...... 人と会う、表現を工夫し、どう伝えれば良いか考えあぐねる。その経験を積み重ねてきたはずのタレントがこれとは...... (恋の誘惑)

2024-09-10

わからない世界についてはアクションしにくく、其れが同じ日本に住んでいる日本人とあれば、余計無視したほうが良いのかもしれない。 14歳だと正直異性への興味が止まらない時期だと思います。 その時期にお母さん......分からない。私は母親が鬼畜かつ悪魔のような存在でした。父親もそうでした。 子供の自殺についても、共感が出来ない。コロナで学校に行かずに済んでいる。 私のような人間にとってはこれはありがたいことです。オンライン化で同級生と会わずに済む。 共同体の存在はというと、私はいまだに確認出来ていません。つまり孤独な人間にとっては、良い時代になったと言うことです。子供の気持ち思いはわからないなあ。 (わかったふりはできないが)

2024-09-10

彼女はそう言い残して去っていった........ (王子と素敵)

2024-09-09

>動画、なんの楽器なんだろう?万太郎さんが奏でているのかしら?淋しいようで温かくもある詩情のある音色ですね。この作品にとても合っている。 鍵盤ハーモニカです。夜空の星を心に浮かべた時に、作品のイメージが湧いたんです。 其れで心に浮かぶ音色を、具現化しました。 今までちょっとインスタントノリで、作り込みの荒さ軽はずみさがあったかな? と思い少し手間暇かけようと思い立ちました。 内的ファンタジアを描きたいと思い始めたのですが、現実世界との折衷になってしまいましたね。 自分は、モーニング娘。やポルノグラフィティが出てきたあたりから、世の中のチャラさ、福山雅治的なわざとらしい2枚目ノリが嫌で嫌で仕方なくて、世間に対し心を閉ざすようになりました。 だから其れ以降の表現者の作品は本当はちょっと分からない。 ああいうの嫌だなあ、という感触を味わったことがない世代の作品の感触は自分にはどうしても少し、分からないのです。 表現が直接的に感じてしまい、屈折した捻りが見えなかったために、不登校の割に素直な文章だなあと思ったんだけど、令和世代的な在り方なのかもしれませんね。 ママっ子みたいのを文に表すことに照れがない素直さは、僕の知っている同世代者にはなかったかなあ。 これだと荒れてバイクを盗んで走り出すこともなさそうですが、そんなことで良いんだろうかと、思っちゃった。 僕は圧倒的に歪曲化させて書く派ですね。ソフトは乳臭く感じてしまって(笑) 失礼なことを言っているのは重々承知で書いてますが、でもそう感じちゃうんですよ。 >大衆受けする(読み手に媚びる)ような書き方をせず自分自身に忠実に書いた方が良いのではないかと思うんです。 自分もマスに流されているところのある同じ大衆だと思うし、やっぱりマークトウェインみたいに書いたものが読者に愛されることは嬉しいことです。イメージがあって其れに忠実に書くだけでなく、求められているものに忠実に散文もかけたら素敵だと思う。 多分僕みたいな人は、人より自己中心的で自分勝手度が強いんだと思います。 無責任でいたいし、軽薄でいたいし、軽みを失いたくないんだと思うのです。 >詩ってそういうものじゃないかな、と考えされられた作品とコメント欄でした。ネット詩活動の〆として読めて良かったな、と思います。 ネット詩活動を〆るのですか? ふーん、なにか目的を達成されたとか、、、 >『どんな言い方をすれば相手に伝わるかなんて賭け』でした。 分かります。私も、この話は興味深く受け取って頂けるんじゃないかと細心の注意を払い書いたものが、その通りに受け取って頂けた時、喜びを感じたものです。逆に、外れた時は無視されたわけで、あっ、つまんなかった。取るに足りなかったのかな? と思う。正に賭けです。 >「どんな言い方をしても伝わらない相手には伝わらない」 本当にそうでしょうね。せめて伝えるためには、自己満足や気持ちよきに逃げてはいけない。其れは肝に銘じなければ。一方で文章の流れが心地よく出来ていることも大事ですし、そこに酔ってはいけないという感じかなあ。村上龍が「限りなく透明に近いブルー」を書いている時に、熱さと冷静が一体だったと語っておりましたが、良い状態で書いている文章は、そういうものな気がする。 >ご活躍を祈っていますね。 ありがとうございます。 (王子と素敵)

2024-09-08

コメントありがとうございます。 普段手厳しい方から、好意的なコメントを頂くと、嬉しくなります。 善とか悪とか、言葉による概念の分類カテゴライズも、深く考え突き詰めていくと、ごっちゃになって分からなくなってしまう。すると狂いになっていく気がする。狂えるものを持っている僕は幸せです。 (王子と素敵)

2024-09-08

コメントありがとうございます。 イエローサブマリンというビートルズの有名な歌が好きで、童話的な世界観は割と自分に合っている気がします。王子と玉子。この似ていてもうまいのか微妙な二つを21世紀令和の時代に、あえてダジャレにしようという、このオールドスタイル。この親父っぷりが中々いいと自画自賛。 >自分に都合の良い事だけに目を向けているといつまでも大人になれない 正にそうですね〜。でも、都合の悪い意見にばかり耳を傾けすぎても心が曇るばかりだし、ある程度自分というものが自分勝手で、都合よく生きているんだという自覚を持った上で、自分の都合好きに生きると謙虚でいいと思いますね。 (王子と素敵)

2024-09-08

コメント、ありがとうございます。 王子と玉子というなんともベタベタな組み合わせ。 世界観というかイメージが湧いたんです。其れでいけると思って書いて、このざま〜です。 自分で読んで感じる稚拙なところはありますが、キラリと光るところも仰っられるようにあると思っています。今回は少し物語性の濃いものを描けてよかったな〜と思いますね! (王子と素敵)

2024-09-08

コメントありがとうございます。 この作品内で一つのモチーフにしている人間がいます。 僕はその人間をずっと上から目線で見てました。どう違うのか? どうおかしいのか? どう間違っているのか? どう歪んでいるのかをずっと他の誰より気づいていたし、其れを周囲に指摘し続けていたのです。そんな人間を描くので、当然辛辣にはなります。馬鹿にしたような書き方にはなるでしょう。死ねばいいと思っていたんですから。其れで実際この物語で描いたような悲惨な目に遭いましたよ。ザマーミロと思いましたね。その滑稽さを愉快にお腹がクククと笑う愉快さで表現したかった。 世の中いじめっ子ばかりです。見て見ぬ振り人間もそう。 真剣になっても、なにより大切な鬱憤に対する発散が出来ませんね。笑い飛ばして仕舞えばいい。 すると、曲がった表現になります。 その辛辣さにおいては割とストレートだと思うんですよ。世の中クソッタレ、誰もかも死んでしまえ、そう思っていた自分は決して悪くない。そう思わされるようなことをやられたし、抵抗しても味方もつかなかった。ぶっ飛ばしたり、蹴っ飛ばして泣かせましたよ。しかし、味方はつかなかった。言葉で泣かせたこともある。彼は一人でこっそり泣いていました。 どう読ませるかとか、どう外に向かって開く表現をするか考えた時に、自然とマナーとしてのユーモアが身に付きます。あくまで話は聞いてもらうものですから、辛辣な意見でも、ユーモアがなくてはいけない。これが保守の考え方です。西部邁という方が語っておりました。参考までに。 私は彼に辛辣な思いを抱きながら、また別の部分では可哀想だと思ってしまう面が確かにあるんです。その両面を描く時に、ユーモアが必要なんです。 (王子と素敵)

2024-09-08

家出して、17歳で東京でホームレス体験。 貧乏で寄るべない人間が、一度は試みようとすることかも知れない。 語は、19字で一行ずつ揃え、その並べて読んだ時のリズムと、物語がしっかり出来ていることの上手さ。 決して、過度に美化しようとしない意志を感じる言葉の乱暴さと、其れでも美しく感じるところにリアリズム表現へのこだわりを感じました。 (イエロー・ウォーター)

2024-09-07

コメントくださいとか、自由意見に対する反発とか、若いからしょうがないけれど、謙虚じゃない。 其れはダメだ。作品評だけではなく、コメント対応にもユーザーは言及し、意見していいと私は思っている。作品に関し、同情票を超えるものを持っているか? くすぐりがない。エンターテインメント精神がない。笑わせようとか、楽しませようと言う気概がなく、図々しさが目立つ。悲しさに終始している印象を受けるのだ。私は全体を眺め俯瞰して意見していると思っている。始終これではダメ。まだ甘く、幼い。そして著者にはプライドがある。其れは男だからいいと思う。しかし、其れが印象として裏目に出ている。雲の名前を沢山知っているも、この文では自慢に感じる。辛い死にたいと言うのはあるんだろう。甘えたい気持ちもあるだろうが、世の中は甘くない。憎しみと怒りをバネにして立ち上がって欲しい。 (不登校)

2024-09-07

癖があって面白く、格好いい文章だと感じました。 印象深く、印象に残る。 ガッキュウブンコはガッキュウウンコかぁ。笑ける。 コメントを読んだら、色々な詩にトライアルしているとのことで、この作品も一つの実験だったんですね。ただ、どういう実験をするにも、そこに自分という個性を入れないといけない。これは作者が入っているんだと思う。そう思って読みました。内側から外側を見つつ、外側からも内側を見る眼差しが必要ですね。 (リビングデッドおれら)

2024-09-07

子供の時どういう感覚で世界を感じていたかというと、こういう心象風景だったかも知れないという懐かしさを感じる文章です。 其れをぐわんぐわんという擬音で表現しているところが、良いと思いました。 とても上手く表現出来ているので、童心を描いても知的な内容だと一目で分かる内容です。 (ぐわんぐわん)

2024-09-07

魂こもってますね。 九十年台初頭のJ-POPを思わせるティーンエイジポップス。 甘酸っぱいメロディ。ハイトーンもとても鮮やかで綺麗。 (Como el sol)

2024-09-07

文章ってうまく書くことじゃないのかなあと感じる。 その人がなにを感じたか? なにを持っているか? 其れが詩に現れていることが大切なのだと思います。そして其れをどう表現するかですが、この表現はストレートでとても伝わりやすかった。 褒められることや、ハッとした感動。其れらは当たり前のことではないのだよなあと感じた時に、思い出すことで、貴重なもののありがたみに気づく。若い感性がきらりと光るいい文章だと思います。 (覚えていますか)

2024-09-05

芸能界って才能を磨くところだと思うのです。 人が幸せになれない理由というのを、理性より感情に流されてしまうからだと仮定します。 日頃、感情的な人たちに囲まれすぎてる気がするんですよね。 芸能のレッスンが、理性を通して物事を見る目を養う場であればいいなと期待してるんですけどね。 あっ、あくまで研修生タレントとして、マネージメントのつかないタレントとして先ずは研修を受けてほしいってことだと思うのです。評価は高めだったみたいで、大倉さんっていう人が、社長みたいですけど、面白いって僕をみて笑ってました。 独り言にはコメントしないでおきまーす! と言おうと思ったけど、こっちも独り言 (難しいと思うな。社会の枠組みがそう出来ているのだから.....それに気づかない人の感情的な反発は止めることが難しいと思う) (すかんぴんブルース)

2024-09-03

医療側は一度目をつけた人間を離さないですよ。全体主義を作る裏に1%の人達が牛耳る利益問題があることを思えば、そこから抜け出ることは不可能です。 芸の至らなきは、自覚するところで、今度オーディションに合格し、レッスン料が無料になったことで、声域や芸域は広げていきたいと思っております。 (すかんぴんブルース)

2024-09-02

どうでもいいけれど、お前の母ちゃんでべそ。 どうでもいいけれど、お前はバカだと私は思う。 どうでもいいけれど、月は丸くて、夕日は沈む。 どうでもいいことを頭にして断りを入れ、批判。それは理性的な人間のやることと言えるだろうか? (すかんぴんブルース)

2024-09-02

私が自分のやっていることを芸術と称したかどうかはさておき、文学サイトである以上、批判パフォーマンスに終始してはいけないと思う。私の書いているものが、同じパフォーマンスかといえば、同意しかねますね。音楽ネタは、同サイトで書いている人も幾らかやっていることで、特別なことではないと思う。 >たまたまビーレビに来た通りすがりの人が、これを見てもただのカラオケ練習動画ぐらいにしか思わないと思うけど。まあそれはいいとして。 いやいや、良くない。批判をしておいて、それはどうでもいいけれどとかわすのは、最早悪口の域だと私は思いますよ。どうでもいい批判なら文にするべきではないでしょう。 (すかんぴんブルース)

2024-09-02

ありがとうございます。 ロック魂を感じて頂けたようで、なによりです。 それから私が施設にいる件について。 子供の強制入院については、倉持倫太郎という弁護士が闘っているようですが、思春期の群れに馴染めない子供を警察と医療がつるんで強制入院させ、医薬品ビジネスに参加させる。 日本は医療国家であり、健康な人間を強引に病気と診断し、医薬品漬けにして、福祉会と年金の飴と鞭で依存させ、逃げられなくする。この世界は闇が深いです。逃げることは、難しいですよ。 (すかんぴんブルース)

2024-09-02

タレント性はあるかもです。一つを極めるより、どちらかというとマルチに活躍するタイプなのかも知れません。平均型なんです。芸術家ではなかったのかな? と思うことがある。ラジオのパーソナリティやってみたいですねえ。 (すかんぴんブルース)

2024-09-02

リトルベビーブルースという過去に人のオケに詩を載せたものがあるのですが、現代的な孤独を扱ったものを桑田佳祐的なコミカル調で表現しているので、今回はその延長線上です。個人的には、とてもソウルフルな表現で今時珍しい表現者で、それでいて古典的な目で見れば現代の問題を扱っている点で、新しさもあると思ってます。 ブルースは定型のメロディに如何に魂を込めるか? その点で似たり寄ったり時に詰まったりは全然ありで、むしろ幅の広さバリエーションの豊かさに偏り、芯の部分が薄くなってしまうことが問題だと思います。 リトルベビーブルース(よければ聞いてみてください) https://www.youtube.com/watch?v=NTXxrFT8byE (すかんぴんブルース)

2024-09-02

ごめんなさいねの断りの上に、更にうざいときたか。 ウザさは承知しております。今度そのウザさが功を奏してか、芸能事務所に研修生として合格しました。欲や癖は芸能界では大いに武器になりますので。憎まれっ子世にはばかりというやつですかね。うざい男剣山でよろしゅうお頼み申します。 伴奏がつけば切れずに済む内容になるかも知れません。アカペラで詩の内容のみ味わって欲しかったため、詩が面白かったのならそれでいいです。時々影響力が増すと、自分の罪深さを思う。賛同者になれないのなら、良き批判者になって頂ければと思います。 (すかんぴんブルース)

2024-09-02

歪みも受け入れて大人かも知れません。 この歳になり、一方的なハラスメント行為に屈し続けなければならなかった我が半生を受け入れつつあります。 純情クソ喰らえ、汚れ知らずは嫌だと思いつつも、その時代を懐かしく思うことはあります。 (すかんぴんブルース)

2024-09-02

AIの精度凄いですね。その分析能力、Be Issue2でもそのまま使われてるじゃないですか? 『詩内容を更に多義的な象徴として表現するとインパクトが生まれる』 成程〜。並の批評家では叶わない批評内容。綺麗に文が揃ってますね。 自分は色んなことを感覚的にやって、理詰めでやろうとするといつも失敗に終わるので、敢えて感覚に振り切れて頼るしかなくなってしまうような非力に終始してしまうことがあるのですが、アドバイスは感覚の中で眠らせて、次またことある時に発揮出来たらいいなと思います。 (すかんぴんブルース)

2024-09-01

ありがとうございます。 私のブルース魂を堪能して頂いたようで、なによりです。 私の場合ビーチボーイズが好きなので、彼らがカヴァーした『ソウルサーチン』のような白人系ブルースの黄色人種版に位置するのですが。と言う意味では、浅川マキのような日本人ブルースのアングラ系ですかね。ラップもブルースと共に迫害されたブラックの世界から生まれておりますが、私の場合の迫害は、同族からのものですが、その原因が私の顔立ちと気質にあったのなら、それが私の持って生まれた障害ということでしょうか。 (すかんぴんブルース)

2024-09-01

物語の世界に生きるということはどういうことなのか? 現実は解釈なしでは、ただ延々と漫然と時間の経過により眼前で事象が繰り広げられ、続いていくだけです。物語解釈というのは、高度を要するものだと思います。物語解釈の中では、私は両親と縁を切るべきはずであるのに、現実では、間の抜けた仲良しを演じ合うことさえある。とても矛盾しているけれど、これは私が三島的なパラノイアを生きているということなのだろうか。現実を見ていない三島的物語世界に住まう者達。大人はそういう見方をするものなのかも知れないと思いながら読みました。 (NO!科学者)

2024-09-01

体罰を働く側が道徳観念がしっかり出来ていることが大切だと思う。 私をいじめた兄や、父親に関しては、彼らが刑罰を受けたり、体罰を受ける必要がある存在。 実際兄に関しては漸く放火事件を起こして、精神病院に入れられたんですよ。兄は平和主義者でした。 憲法9条であるとか、平和主義が人間の中から、本来的な道義心を奪い取る。それが戦後なのだと思います。兄は戸塚ヨットスクールへ行けばいいのに、父もそれを嫌がり、脳の病気だなどと責任転嫁している。 戸塚氏は立川談志師匠もファンだと言う今時珍しい正義感に溢れた方だと思いますが、道徳の内容が変わってしまった時代に、体罰の内容を昔と同じように捉えていいのか少々疑問に思いますね。 例えばマスクやワクチンなどですが、マスクをすれば呼吸困難になったり、これが感染対策に有効かと言うことに関して、その是非を巡って議論を呼んでいます。コロナワクチンに関しても漸くNHKの朝イチで死亡者数が公式に発表されました。 公のルールというものが守るべきものか否かという点で変わってしまった面があると思うのです。 個人的には、小学校時代私をいじめた同級生は一人残らず引っ叩いて殺せばよかったと思ってます。 体罰を与える側が昔と同じ道義心正義心を持っているか? ということに少し疑問がありました。 (NO!リベラル)

2024-09-01

ありがとうございます。その遊び嵌ってマスね..... Charさんとか、カルメンマキさんとか、政治にもアクションしてきた人達です。 自分のこの歌は、浅川マキに似てると言われましたが。 共通するのは、その熱だと思います。その熱を絶やさない限り、表現者として信用出来る健全であると思いますが。朝からいいブルースを聴かせてもらいました。ありがとうございます! (すかんぴんブルース)

2024-09-01

ありがとうございます。 人は殺しませんが、虫は平気で殺せますので、人呼んで人は私を『虫殺しのジョー』と言うのだとか、言わないのだとか。 優しさと殺気、内に孕んだ葛藤が強い緊張感を伴って時に狂気に向かわせるのかも知れません。 (すかんぴんブルース)

2024-09-01

どうもです! ズルイ女ではなかったですが、今度障害者の歌手オーディションに応募して、才能が認められて、チャレンジタレント(2軍タレントみたいな、マネージメントのつかない契約タレント)に合格しました! 頑張りたいと思ってます。 ファッションは、割とルーズなトランプ型のアメリカンスタイル。 歌に関しては、ブルースの定型のメロディにゲゲゲの鬼太郎的な貧乏詞を載せたものになっています。 本当、トランプ全然好きじゃないんですけど、バイデンよりは貧乏人への寄り添いがある分マシですよ。 (すかんぴんブルース)

2024-09-01

間違い。お好み焼きでご飯を食べるの、私も好きですと書こうとした。 (ワケワカメがワケワカメなワケワカメ)

2024-09-01

お好み焼きで炭水化物定食を食べるの、私も好きです。 この詩かなり好きな部類で、私の好きなテイストが入ってるからなんですが、今まで見てきたビーレビの中でも上位に入るかも。 いやー、食いもんから始まって風刺に入るところがいいですね〜。なんかこう生活と社会と全部繋がってるじゃないですか? 主婦や生活者の目で見る地足のついた社会風刺っていう感じで、満点です! これ伴奏つけられないかな....自分の中では電気グルーヴみたいなイメージですが、アナログの楽器も合いそう。バンジョーとかマンドリンとか、ワケワカメでワケワカメなワケワカメ。音の響きがいいのと、意外とワケワカル話も入ってるのがいい。どさくさ紛れに驚き、思わず顔を背けたワケワカメ。分からないものを馬鹿にする人は知能が低い。 (ワケワカメがワケワカメなワケワカメ)

2024-09-01

「ヤングブラッド シノハラマサユキ」 https://www.breview.org/keijiban/?id=13255 (B-REVIEW poetry-slam-slyme[夏休み朗読ツイキャス企画])

2024-08-31

ありがとうございます。 与えられた台本を器用に読みこなすような仕事は、古典と触れ合えたり、素敵なお仕事だとも思います。 一方で、創作文は、自分の拙さと常に向き合う必要がありますよね。 私は、その拙さの自覚において、人より上かなと思う時があります。それを指摘されると、嗚呼そうだなと思うというようなことで、勿論昨今の言論...もあるかも知れませんが、その二つのセットぐらいの意味合いですね。 (カルフォルニア・ブルー/青十字@ao10ji)

2024-08-31

カクヨムは昨日退会したばっかりです。若い子たちが書くような異世界系の恋愛をモチーフにしたキラキラ系ですよね。僕には合わないと思った。 辞め時については考えています。 ロックもカントリーと黒人音楽の融合から始まって、そこから発展してプログレ、テクノから小室哲哉さんまで発展すると、つんく辺りで、人間というのは金と欲と異性と酷く単純なものじゃないかという世界観への揺り戻しが起きたと思うんです。青十字さんの文章はとても難しい言葉を複雑に使いこなし、その更なる発展という感じで、私にはよく分からない。もう少し分かってる間は続けたいと思っております。創作文はリスクありきで、与えられたものをこなしている方が楽だと思う。 (カルフォルニア・ブルー/青十字@ao10ji)

2024-08-31

これはさ。ある種ブックオフの批評だよね。 吉本隆明さんでも、西部邁さんでも批判する内容の作品について、長い考察を深めて、これはダメだと思うというところまで、行き着くような文章を書くと思うんですよ。 Amazonとか、ブックオフのおすすめレビュアーが、星マークを幾つかつけて、買う価値なしみたいな文句をつけるみたいな、それは文学の批評ではないと思うのです。 いじめっ子が、クラスで人気のない学生をみんなに代わってこき下ろすみたいのは、狭い空間で起きていることであって、文学のような公に開かれた場所でやるべきことではないと思うのですよ。 文学学校の番長じゃないのですから、短文でこき下ろすみたいのは、場に相応しくないと思うなあ。 (カルフォルニア・ブルー/青十字@ao10ji)

2024-08-30

妄想過多。そんな印象です。青十字さんが今どういう状態かわかりません。 しかし、青十字さんの本サイトで見せる内容動向全体に挙動不審があり、混乱する内容、狂気を感じさせるものを孕んでいる印象を私自身は受けます。 規則ごとがあるのは何故か? 無秩序を避け、混乱を避けるためです。全体的にシャープなとんがりが、行動に説得力を与える材料に不十分に思えるのです。すると追ってそれを傍目から見て、怖い印象を受けます。自分語りの良し悪しはあるけれど、説明的なもの一切を避けるよりは、いい。少し鈍臭さがあるくらいでないと、私のようなトロいおじさんは頭が追いつけないのです。 >この作品は作者の今の気分を表したものです。鬱憤や鬱積したものがある。濁り水が喉までこみ上げている。それを吐き出したい。吐き出した。結果、それがこの作品になったのです。 そう本人が言ったのでしょうか? 私ならば、今の作者の気分を表したものだと感じます。 ぐらいに留めます。作者がそう語ったわけでもないのに、今の気分を表したものである、と第三者が断定出来ることなのだろうか? >この作品では韻を二回踏んでいますが、それは三回の方が良い。そうするとスタイリッシュという感覚を読み手に与える事ができる。それを作者は望んでいないのであれば、今そのままで全く問題はありません。 本文を読み直すと >手には凶器 感じていたのは狂気 笑顔に張り付くのは狂喜 3回踏んでいるように思えます。 (平沢進が青十字を作り上げた時の感情と酷似している作品です。そのアルバムのテーマは聞き手の方々に対し、好きにしてくれ、です。)

2024-08-29

なんだか、わからない。文学サイトで、荒らしにすら見える。青十字さんは、批評にもなってないような吐き散らしパフォーマンスをやめて、詩文や作品制作に勤しんで欲しいです。 便器アートですら、これはない象。こんな文を書いては、いかん像。アフリカに住んでる、ナウマン象。 エレファン貸しません。こんな内容では。 (平沢進が青十字を作り上げた時の感情と酷似している作品です。そのアルバムのテーマは聞き手の方々に対し、好きにしてくれ、です。)

2024-08-29

ワタシハシジン https://www.breview.org/keijiban/?id=13211 (B-REVIEW poetry-slam-slyme[夏休み朗読ツイキャス企画])

2024-08-28

二日楽しく聞いてました。今夜も楽しみです。自作品の中から『ブンガチャカ交響曲』を。 https://www.breview.org/keijiban/?id=11869 (B-REVIEW poetry-slam-slyme[夏休み朗読ツイキャス企画])

2024-08-28

夜勤仕事なんですね。私は日中作業所です。 人間と機械を分ける大きなポイントは、そのいやらしさ、汚らわしさにあるのかも知れません。 現代において、最も人間的な学問分野はなにかと考えると、そのいやらしさ汚らわしさが表現されている音楽と国語そして演劇だと思います。 社会や数学は物事を広く見る視野を物書きに与えます。世の中で起きている動向、ロックに政治を持ち込むなの言葉にも表れている通り、人文に携わる人間が視野狭窄に陥っていることも確かです。 理系の人たちが人文を見落としがちなのも、そのいやらしさ汚らわしさに目を背けるお上品が社会の中で力を持つ要因です。 私は将棋というものをある時期からやらなくなってしまったのですが、あの中にある計算能力はAIよりプログラミングされたものを駆使して、使いこなせる人間はいないのではないでしょうか? 人間的なやり方でAIに将棋で勝つとすれば盤面上の世界から目を逸らして、そのいやらしさ汚らわしさを将棋の世界に持ち込んで勝つしかない。 「将棋に勝つというのはどういうことなのか?」 という哲学的な領域まで勝負を持ち込めば、ヒューマンがAIに勝つ可能性はあると思います。 余談ですが、アインシュタインの名言に 「日本人はわからないものを賛美するのをやめれば、良くなる」 確かに日本人は素直で、メディア誘導に流されがちなのです。藤井聡太にしても、内容を分からないで賛美しているようなところがある。しかし、松本人志だと叩くでしょう。つまり理解出来るものや、汚らわしきを扱うものに関しては、叩きやすい。しかし、それは自らの人間性を否定しながら高級を装うようなもので、何故そんなことをやってしまうのかといえば、崇高なものへの憧れから足元を見ることを拒否したいという弱さでもある。 その弱さと向き合う足元と向き合うような作品をこれからも私は作り続けると思います。 (愛嬌は立派な武器能力である)

2024-08-28

AIと人間の戦争はまだ無邪気期間だと私は思います。 今後はAI技術の飛躍により、AI的なものと人間的なものの価値をかけた戦争は激化していくと思います。つまり良くも悪くも面白くなると言うことです。 AIが感情を持つと言うことはどう言うことか? 「感情とはなにか?」 と言う哲学の問題にもなる。子孫を残すための本能による欲求がAIにはない。すると葛藤も呵責も生じないでしょう。 「葛藤、呵責とはなにか?」 「なぜ分類する必要があるのか?」 「小難しく考える必要は果たしてあるのだろうか?」 と言う人間的な問いと哲学の応酬で攻めなければAIと人間をかけた『意義』の問題には太刀打ちできそうにありませんね。勿論そんなことをやりたがる人は、極一部でしょうから、私はやりたいです。 芸術は命をかけた遊びですよ。ハラスメントは、言いたいことは半分くらい理解出来る気がします。 人間の嫌な部分を扱う分野ですから、『実ごと』扱う以上、ハラスメント的な感情を持つ人はいるでしょうね。 >このヘタクソささえAIに演出できる日が来るんだろうか。 出来ると思いますよ。どこに着目して、人間的なものとAI的なものを分類し、価値の順列を作るか? ヘタクソ自体には、至らなきという価値しかないと思うのです。 「至る」こと「到達する」こと。それがAI的なものの抱えている問題だと思うけれど、循環や『この世界は完璧に作られたのではなく、元々完璧である』と言うそこを覆すことが『神の法に触れる』ことだと思うのです。 『至らなき』の模倣をAI技術でやるとすれば、益々AI的なものが目指していくものは複雑になります。更なる混沌の時代が来ます。 『歴史の否定』『人間が積み重ねてきた認識世界の否定』『神の法に触れる』ことにより、人間は天罰を受けるでしょう。 (愛嬌は立派な武器能力である)

2024-08-27

なんか、出かけてる間に、お話が盛り上がっていたようでなによりです。 コラボではないですが、昨日のツイキャス企画は、広範囲に色んな人の作品が朗読されて、共演みたいな感じが素敵でした。 (愛嬌は立派な武器能力である)

2024-08-27

根の素直さが出てるよね。 詩的な比喩であったり、音楽的な節であったり、そう言う詩の決まり事としての規則ごとの面では物足りない感じもするんだけれど、感情の発露するストレートな思いが伝わって嫌味がない。 (思い出のひまわり)

2024-08-26

「家出娘(She’s Leaving Home)」 作品タイトルには 「She’s living Home」 とつけてしまいましたが、正しくは 「Leaving」 です。 ビートルズの歌にヒントを得て書いた物語です。全体に渡りサイケデリックな世界観が描かれています。自作品の中から、この作品の朗読をリクエストします。 https://www.breview.org/keijiban/?id=12768 (B-REVIEW poetry-slam-slyme[夏休み朗読ツイキャス企画])

2024-08-26

西部邁さんの「価値の相対化」の話を引き合いに出せば、絶対というものを、持たないものは器用だし、良心の呵責や葛藤がない分、いじめも平気で出来る。そう言う人が書いた絵は大抵上手いのです。でも、それはアートではないよなあと思う。 機械もそうですよね。絶対的ななにかに対する信仰心尊敬心がない以上、そこに対する疑念や葛藤も生まれないでしょう。ヘタクソの中には、芯の強さが間違いなくある。 技術がつき出すと適当にチャッチャと出来るようになる。そうすると確かに、これは違うんじゃないか? と言うこともやれるようになる。能力主義の落とし穴はそう言うところにもあります。 自分の中になにか、幼い頃から絶対的ななにか芯のようなものが、気づけばあったなあと。それが成長を拒否したことに繋がった気がする..... (愛嬌は立派な武器能力である)

2024-08-26

おはようございます。 本当べえ太さんも僕も芸術家じゃなくて、芸人タイプなんだなあって思います。 おかしい物とか、曲げてる物とか、良い加減に済ましてる物とか、すぐ見破るし、それを黙ってる思いやりと忍耐力もある。自分はルースターズとか、ローリングストーンズとか、黒いのりの白人のロックが好きなんですけど、ルースターズの大江が歌ってたのは「お前がガタガタ理屈言うのを聞いても、俺は結局性欲を満たしたいだけなんだよ」と正面切って歌うんですよ。 この硬派な姿勢が、中々女子には理解されづらくて。 僕のことを理解してくれる支持者ファンが出来たと言うのは僕の中で凄く大きいですよ。 是非べえ太さんは絵描きと言わず、一緒に漫才をやって売り出したいですね。是非こんな私でよかったらいくらでも描いて欲しいし、僕は正直作家みたいな高尚な世界が向いてるとはちょっと思えないんで、今回障害者向けのオーディション受けて、歌手志望でコミックソング面接で歌って、面白いって褒められたし、芸能界にもし入ることが出来た暁には、べえ太さんを専属のイラストレーターに招きたいですね。 中島らもタイプなのかなあと自分で思うとそれも烏滸がましいし、でもそう言うタイプ路線のマルチクリエイターがあってると思います。 (愛嬌は立派な武器能力である)

2024-08-26

人がどう受け止めるかによる表現だと思います。 本人がこれを自分でギャグだと言ってしまうと、ギャグにならないかも知れないので、周りがこれはふざけでやってるんだなとツッコミ続けるタイプなのか? これを読んで、えっ、星野さんてあの有名な方でしょう? その人がこのサイトを読んで曲をつけると思うてか? これは、これを書いた人はおかしい人なんじゃないか? と思ってしまうことを敢えて見越して、それをギャグ化してしまったという。 もしや本気かと思わせるところに、真剣にふざけるの演技があるのかもしれない。でも、どうかなあ。こういう芸って、江頭っぽいと思うんだけど。 江頭さんは裸で体当たりで体を張って笑いをとるじゃないですか? 匿名で傷つかない位置で、ショックなことを言われても面白さは半減かなあ。難しい。真剣にふざけようとしてる人なのかも知れないけど。どう評価していいかが少しわかんない。分かった。ドリーマーなんだ青十字さんは。夢から覚めない系。もっとでっかい夢を描きましょう! 綿密な設計図でよろしくお願いします。少し大味だったと思います。無駄っていうものも、どこまで有益な無駄と無益な無駄と分けるか線引きが必要ですね。これは落語の話になりますが。うんこを並べたような詩を書く人もいる。おっぱい揉みたいで、一つの作品にしてしまった人もいる。トイレの便器を置いてこれが20世紀最高のアートだと言った人もいる。 真剣に書いた作品なんだぞと言われたらどうしようと思いつつ、恐る恐るコメント残しておきます。 (最適人者)

2024-08-24

空からおつる流線上の光 綿密な科学方程式 愛はうまくまとまった整理整頓の中にある I’m Afraid 少し怖い愛 はち切れるもの 突き破るもの 閉じた後、膨れ上がるもの  I’m Afraid 少し怖い愛 愛の幕を蹴破って 陰惨の旅に出よう きっと愛なら、笑いで包み込んでくれるだろう I’m Afraid 少し怖い愛 愛は爆弾 愛は格段 愛は角砂糖いっぱい I’m Afraid 少し怖い愛 Love Love Love Love in the holiday E E E E E E In The Night (インジャナイ?) エタノール ナスのヘタの熟る 垂れ下がり、ぶら下がり やがて発火する 化学的な愛 I’m Afraid 少し怖い愛 自由を縛るもの それが愛 わかるより感じるもの それでいて気付かされるもの それが愛 I’m Afraid 少し怖い愛 Love Love Love Love in the holiday E E E E E E In The Night (インジャナイ?) 愛は蜜の味、 愛は罪の味 愛は次よりマシ  愛はつけより、出汁 よく染み込ませた後、飲み干すもの I’m Afraid 少し怖い愛 (B-REVIEW 8月のお題詩「愛の爆弾」「さよならを教えて」)

2024-08-24

貴方を思い、忘れゆくのが人生なら その潮時、引き時、別れ時を教えて… いつか滅びゆく この世の定めなら その引き際 顔の皺 少なくなった生え際を数えて… 病める時 切ない時 悲しい時 包み込むのが愛なら その胸の谷間 夢の間に間 束の合間 貴方を抱いて… 「好きだ! 貴方のことが好きだ!」 を重ねて やがて、星屑は 夢の島 ゴミの山に流れて… Wow wow wow 愛っていいな Wow wow wow  愛っていいな 恋って、素敵だなあ……… 貴方のことが好き、嫌いだを少しやめて 微睡のなか 雑踏の中 迷いの中を生きて…… 人混みの中 きっと流山 鬼の島 宝探して…… Wow wow wow 夢って素敵だなあ…. Wow wow wow 現実は、辛いよね… だからこそ、いつか終わらせなきゃ… ダメ! まだ続けなきゃって、子供のままの僕が叫んでる もう、終わらせなきゃって、大人になった私が唱えてる…… さよならを教えて (B-REVIEW 8月のお題詩「愛の爆弾」「さよならを教えて」)

2024-08-24

お父さん世代の方の、時世を軽く俯瞰して、タバコでもふかしながら新聞紙片手に語っているような一作。爆笑問題のような、鋭い切れ味でもなく、どちらかというとなぎら健壱型のぼやきに対する共感の生まれるような味の持ち主。ですね。 この書き方だと、いくらでもかけるような気がして、制約が欲しくなります。知的にとんがる人もいるし、動物的にとんがる人もいる。片方は芸術系。片方は、体育会系肌として勝ち組になればいい。ただ芸術肌というのは死んでから勝ち組になるようなところがあるので、分からないですよ。生きているうちに真価は。負け癖がついている人は、いい人だと思います。 (我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか)

2024-08-21

色物もふた通りありまして、長く生きの長い活動が出来る色物と一発屋ぐらいの長さの色物。 吐き捨てるような瞬間芸だと、後は先が見えてるので、心配です。 僕は正直この世界向いてないかなと思う時あるんですけど、賞という形で、結果を残してますけん。あさひてらすにも毎月鏡文志のネームで、掲載されてますので、一度是非ご拝見を。 いい作品を作れば、長く活動が続かなかったとしても、記録に残り、記憶にも残る。 冬ざれの日々に届いた10篇(23年12月) https://webzine.asahipress.com/posts/7727 (カルフォルニア・ブルー/青十字@ao10ji)

2024-08-21

人間が作ったものは、全て等しく歪む。人間が歪ませる前の原点に立ち返って考える。それを、想像という。つまり、真の想像とは、常に批評から始まるもの也。批評なき想像は、想像ではなく捏造である。進歩主義的な文体全体に、作為を感じる。作為的なものは美しくなく、歪んでいるため、賛成出来ぬ。批判も相手への思いやりがないと中傷に近い。限りなく中傷に近いカリフォルニアブルーは、自分の中で駄作です。取るに足らないと思う。 (カルフォルニア・ブルー/青十字@ao10ji)

2024-08-21

これが自作品で一押しですか? このサイトでやっている内容自体が気に入らない。そのためそれを指摘しにきますたあと言うことなのか? すると、それをどう評価するか? 文学的な在り方ではないと思う。それを超えるものを提唱して、闘おうとするなら分かりますが、ただの貶しに終わると批評ですらないと思う。 (カルフォルニア・ブルー/青十字@ao10ji)

2024-08-20

長いと言うのは、中弛みすると言うことですか? 長くていけないと言う規約はないので、長くてダメだと思う理由まで付け加えて頂かないと、うんともすんとも言いようがないというか…… >NHKの時間ごとのニュースよりも長い これは冗長だと言うことの、比喩でしょうか? 少し分かりづらかった。NHKの時間ごとのニュースは必要であると言う名目でやっておりますよね? それと私の動画の長いこととの比較が適切なのでしょうか? 11分だから長いと言えば、長いです。ショートに纏めた方がいいと言うことなら、有益なアドバイスと捉えます。が、長いことそのものを問題視しているような批評にも見えますので、少し気になりました。 どう言うことかというと、長いことの必然性がないと言う指摘だったら呑めるのですが、この動画は冗長に長く撮った動画ではなく、それなりの必然性によって撮影された11分だったからです。それを長いと言われてしまうと、時間軸のみを問題にされているようで。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-20

その意見ちょっと使うかも知れません。 少し前に買い物に行った時に、ぬいぐるみを見て、これ芝居に使おうかなとか思ったりしました。 一人でやると色々完璧にこなそうと言う気が抜けるんですね。それが自由の怖さです。独り身の自由さは、どっちでも良いやの怖いものなさの自由であり、それが良い方に作用することもあるし、野放図になってしまうところでもある。 間はまたタモリの例えで申し訳ありませんが、吉本のガチャガチャと対照的な、いいとものテレフォンショック内でのゆるゆるノリですよね。外人が出るとびっくりするという。それを拡大した感じが、反発を受けると言うのはあると思います。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-19

AIって凄いですね…… こんなヒューマンな言葉を紡ぎあげられるとは…… 僕の詩と心の中にある空っぽがまた新しいなにか「something」を取り込んで、新たな作品を作る時、その思いが皆の胸に届きますように! (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-19

ご指摘ありがとうございます。 あくまで自分らしいユーモアをベースにした頭の中にあるイメージ通りのものを作ろうと思ったのですが、イメージに走りすぎた気がします。 意味性に関する抵抗心や反発心もどこかである気がします。自分の中で大切にしたい軽薄さもあるし、指摘された件は分かるんですけど、それを無理矢理修正しようとは思いません。矯正手術的なものは裏目に出ることが多いですよね。中間ぐらいの治療法で上手い具合に治せたら良いんですけど。 つまり、指摘された件についてわかる気はするけど、完璧には呑めてないし、どう修正して良いかするべきかも自分の中で曖昧だという納得し難い返事かも知れませんが…… よく考えたら、この作品に関してもまるっきりふざけてないし、反って力入れてたりするんですよね。凝り性が裏目に出る。比較するとまずいと思うけど、ポールマッカートニーや桑田佳祐、大滝詠一など、ユーモア作品を作る時にやたらと力を入れることがあるようですが、ファンから不評を買うこともあるという。 タモリやモンティパイソンなど玩具箱のようなユーモア作品に慣れ親しんできた実践ですので、自分の中で結構本気だったりします。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-18

>真面目に詩を書きましょうよ(真顔) 言葉響きました。ゲームに真面目に参加している人間のことをきちんと見ていてくれる人の言葉だと感じました。 受け手の反応を真面目に受け止めているうちに、どこまであてにして良いかわからなくなる時はあります。 ただ、痛いところつかれたと思う反面、まるっきり路線を初期に戻すつもりはありません。前進したことに意味があったと説得力を持たせたいと思うからです。来月予定しているものは、歌モノで、秋乃夕陽さんの内容に少し近いものです。 後、作風スタイルに関しては、半分不真面目にやるという自分なりのポリシーを貫きたいと思ってます。そこは順を追って読んでいるうちに、芯がある分だと説得力を感じてくれたら嬉しいと思ってます。 「本気」のような、硬いものの中に潜む問題をどこかで違和感も含め感じるからです。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-08-18

サンハウスヴォーカルがどす黒い感じで、凄いです。 「地獄行きのドライブ」 https://www.youtube.com/watch?v=6Q6DQ0CxPqA パフォーマンスは僕っぽいですね。今回は直接的過ぎました。次回は真っ当な詩を載せたいと思います。これでも秋吉久美子さんに自作の詩を『イイネ』を貰った経歴がありますけん。 (酔狂狼男)

2024-08-15

パンティエピソードですか。暑い時に車にしまっとくと沢庵とか、干物にみたいになっちゃったりして。 (酔狂狼男)

2024-08-15

次は『ズルい女』を歌いますんでよろしくお願いします。 (酔狂狼男)

2024-08-15

凄いです。声に出して読みたくなる日本語。 強い男に憧れる女。刹那に行きた人々。普遍的な物語です。 内容の詳しい歴史的なことは分かりませんが、とても楽しく読めました。 クオリティレベルが高く、とてもとても私などが批評出来る代物ではありませんが、読んでいて楽しかったです。 (由比寺の刀)

2024-08-14

コメント欄を読んで、尾崎のパロディだと判明した時の爆笑よ。 笑える。山上たつひこの四畳半漫画の光景を思い浮かべます。生活感出てる現れてると思った。 (悲しい歌)

2024-08-14

ドキドキするエモーション。微妙に韻を踏んでいるのは歌の歌詞のよう。 ちょっと古めかしい恋だと思ったけど、いつの時代も変わらない普遍的なことを歌っているんだなと感じました。 (フロート)

2024-08-14

なんとなくぎこちない初恋のような詩だと感じました。 しかし、その初々しさがまた良しです。表現がすごく単刀直入、ストレート。 紅茶色の空/傘の忘れ物 この辺りに、二つの関連性としての繋ぎの言葉が欲しいところです。 紅茶色の空。水玉の雨模様。オレンジの傘の忘れ物のような。 (幸せと幸福)

2024-08-14

工場労働だと荒々しい感じの文体になるような気がするんですけど、そうじゃなくて綺麗な感じの文体で、描写も丁寧。その妙がいいと思いました。悪夢を描いたような幻想的な光景は、工場労働における辛苦から出てくるものなのか? 作品の中から、労働者の息遣いが聞こえてくるような内容。不気味さも綺麗な描写だからこそより美しく引き立っていると思います。忙しく動きながら、あれこれ感じている物事を細かく表現されていますね。全体を語るのではなく、ワンシーンを切り取る。そういう詩もいいと思います。ちょっと筋肉質な繊細さんの文章だと感じました。 (Arbeit)

2024-08-14

前半の構成は飛行機に向かって、敵地へ向かうパイロット。 後半は、前半の内容を一つ一つラップ的に変換遊びしているような構成。 どうやってこれを書いたのかとか、この構成を閃いたのか、とても面白いと思いました。 言葉を豊かに使う、そういう力を持った人。それは確かに詩人なんだろうと思います。新しい展開を考えられるというのはいい。読んでいて刺激になる。 (ワタシワシジン)

2024-08-14

なんか面白くて楽しい。バブルっぽい、桑田佳祐っぽいですね。 田代さんの作品は、少し前は清楚でロマンチックな恋物語から、いきなり淫乱淫らに変貌を遂げ、突然涙を流したかと思うと、今度は獅子舞の踊りを思わせるパワフルさ。感受性が豊かだと変貌も激しいのか。 酒飲んで楽しく読める感じがいいです。グー。フグの白子そんなにうまいんですか。食べたことニャーい。 (ヘテロ中毒)

2024-08-12

ありがとうございます。強制入院に関しては、本人が嫌だと拒否しているのに正当な理由もなく強引に入院させるわけですから、その瞬間に隠しカメラでもついて、それが公共の電波で放送されでもしたら大変な問題になること。それが思春期から三回もやられて、現在の状態に続いているわけですから。 結局僕が正しい闘い方で闘うしかないのだと思うのです。それが有名になることだとしたら、それは被害者として正しい戦略だと思う。勿論、異常なテロ行為はダメですよ。文学に携わるタイプの人間として文才を遺憾なく発揮して、どこに異常性があるのだときっちり証明する必要がある。 すると軽はずみは言動で有名になろうとしない方がいい。ここではきっちり文学し続けるつもりです。私は発表もので幼い頃から上手いと褒められるタイプでしたので、芸能の世界は憧れよりも、自分が向いていると言う思いが強いんです。人前で話すのと、人とお友達感覚で話す仲良しを演じるのどちらが得意かと聞かれたら、発表ものの方が得意だと思う。出会いは欲しいし、同じ発表ものを志す仲間と出逢いたいですね。その場所はやはり芸能の世界だと思う。目立ちたいと言うより、同じ志を持つ仲間がいる場所が芸能界。それでそこへ集まりたいと言うことだと思うのです。 制約の中で人は皆生きている。これからも頑張っていきたいと思います。 (愛はフェチじゃない)

2024-08-11

ご紹介されたチャンネルを閲覧しましたが、僕自身は人間的にどうかはともかく、生活がまるっきりジョーカーなんですよ。ハンバーグ食べに行ったり、色々やってるようですが、僕は事業所行って、行動自体も管理制限されている状態で、そこへの訴えまでしてる始末。とてもユーチューブにあげる軽い内容の一コマ一コマを持ってないです。そこで深くなってしまうんだと思う。どうしてこうなったか? 僕は痛い男ですので、内面を掘り下げるようなものが今の状態ではどうしても多くなってしまいますね。ジョーカーより酷い生活してる。ユーチューバーは難しいかなあ。監獄ロック。監獄にロックしてる状態で、訴訟したら勝てるような内容の中で生きてるんですよ。今度インタビュアーが来るんです。この状態を少し広めるかも知れません。オーディションも一次予選通過したり、今後の方針を、病院側が勝手に決める会議が予定されていたり、生活自体が新たな進展に向かってはいて、どっちに自分が転ぶか分からない状態です。 (愛はフェチじゃない)

2024-08-11

どうしたいかに、寄りますよね。僕自身がそれを望んでいるかと言うのもあるし。 また、バズるとか人気とか狙っていけるほど単純なものじゃないし。今日書いたネタは、まあまあ演劇的でいいかなあという文で、とりあえずこれとか、こう言う感じのを作文としてあげようかなとか。 一貫性はあったほうがいいかなとは思うんだけど、自分なりに物語性一貫性はあるつもりだし。Youtubeで毎日30秒〜1分。アーティスト性は僕のアイデンティティでもあるので、プレゼンとしてそれを毎回自分一人でやるのは難しいかなあ。 ディスコやカラオケ発表会のように、ウケを気にする面もあるけれど、人間の深い部分を書き、扱うことが許される場でもあるわけだし、その場を有効に使いたいので。 一人でやるのって難しいよね。アドバイスは受けてもポチッと投稿ボタンを押し、それに責任を持つのは自分なわけで。プロデュースする人がついたら、そこまで考えるにしようかな。一人って、そう言うもんですよ。これは哲学の話で、一人でそこまでオーヴァープロデュースするべきかと言う問題。自由とか、好き放題とか、それが抱えてる問題もある。本当は括りがあった方がいいし、それを一人で考え作り守ると言うのはちょっとねえ。 紹介されたものは、参考に見ておきます。では。 (愛はフェチじゃない)

2024-08-11

お久しぶりです。 愛の考察、パロディーまで生んでご機嫌な一作になりました。 絵の方も褒めて頂き、光栄です。シュワッチ! 愛はシュワッチじゃないの名言も生みました! (愛はフェチじゃない)

2024-08-10

バズるですか? 自分でも成功に向けて、集団に対する劣等感の克服みたいのは少し考えてみた方がいいと思う。ご期待に添えるか分からないですが、やってみます! プロデューサーの方がいると、その方の通りに動けるのですが。 自己プロデュースだと、これまた高等な技術がいる。自分にその才能が、あるかどうか。右脳を閃かせ、やれるだけやってみよー! (愛はフェチじゃない)

2024-08-10

マジですか? >一旦、芸術的なモノから離れた方が良い感じ 世界観の追求を少しやめて、緩めたほうがいいかなあ。あと自分の物語性とかも一旦手放して、のんびりマイペースにやる姿勢は変えずに、ご期待に添える創意工夫を考えてみようかと。 >後やはり声を作った方が良いと思う ものすごく優しい声とか 誰かの声真似とかでも良いけど 嵌れば一気にいく感じだと思うけどなぁ 考えてみます。アドバイスありがとうございます。 (愛はフェチじゃない)

2024-08-10

成る程、そこまで深い感動ではないけれど、素質を感じるんですね? 歳をとると蓄積から、感動しにくくなるというけれど、決してそんなことはない。むしろ最初の頃に見えていなかったことが見えてきて、益々より深い物事の感動につながっていくと思います。 眠っていたというか、沈黙しながら気づいていたことに、自覚を持ち始めるというか。そういうものが表現力の向上により、理解され始めているのかも知れない。 消しゴムハンコ芸で言うと、ナンシー関さんを思い浮かべます。他人がやったことは、他人の領域というか、真似しても二番煎じの域を超えないと思いますが、影響を受けたものを自分なりに消化咀嚼してやっても、エピゴーネンと言われてしまうのは仕方ないのかも知れませんね。 (愛はフェチじゃない)

2024-08-10

誰にも見せない文章という題名で、見せているという初歩的な故意によるミス。 ということは、ここには何某かの意図がある。と思いきやそれが中々文章の中で見えない。 正しくは見せたくないのだろうけれど、一方で見せたいから晒してるのだろうと思うわけで、共感を誘うという目的があるかと思われますが、どこかに隠れたいというそんな気持ちあるよね、というそれはわかります。しかし、逃げられないのが現実社会。厳しいです。親父の茶目っ気のある甘え心を見せた一文ではないか? と。私はそのように受け取りました。幻想の世界の風景描写もドラえもん的なものを連想させ、忙しい毎日に描く、のどかな願望の投影という趣でしょうか? そんな印象です。 (だれにもみせない文章)

2024-08-09

土手っ! どうでも、良いんですか? 作品の好みは千差万別で、あまりにも酷いというのも一つの意見です。 しかし、最近のクオリティが酷いということは、良かった時期があったということになる。 私は病院に入院した後グループホームにいて行動が制限されている中で、空いた時間を利用して必死でパソコンにしがみついて時間潰しの作品発表をやっております。その質内容が以前より酷いというのは、一つの意見でしょう。個人的には、前のものと比べても仕方がないというのがどこかにある。 全体には、以前より高評価を受けたりもしているわけで、内容が上がったのかな? と思うことだってあります。 どちらにせよ、作品の内容の良し悪しは、決しておまるたろうさまのせいではありませんよ。 読者の反応は影響は受けてもそれは、作者を殺すほどのものは少なくともまだ来てないです。おまる様の作品も度々読んでおりますが、疎外感から、少し自信失い気味ではないか? と。 私としては、クオリティや完成度というより、自分がどう生きたか? 自分の物語をどう描くか? ということに焦点がいき、クオリティを上げるとか、上がるとかいうより、生きていて、作品制作も、人生と同じように回り続けているという意識が強いです。 下がったか? 上がったかは自分ではわからないですね。 「内弁慶武者震い国ニッポン!」は中々ど迫力の歌舞伎が炸裂して、インパクトがあったと思ってますが。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-09

語釈→誤釈の間違い。訂正。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-09

>コンビニでちんぽ出して誤認逮捕されたから国謝罪しろ この間違えに対して、私がフォローを入れるべきでしょうか? おそらく間違えられた人間として、攻撃的に誤りを指摘するのが正しい。 「コンビニで、ちんぽ出して、誤認逮捕」 そうは書いてないですし、ましてやそのことについて謝罪しろとも書いてない。 そう読んだ人が他にいるとは思えない。勿論読み方は人それぞれあるだろう。しかし、批判した人間として、何故批判し、反発したのかというその正当性と妥当性を問う時、あまりにも目立ち、際立つ語釈はやめた方がいい。 コンビニでチンポ出したら、公然わいせつ罪になり、それが何故誤認逮捕で、私がそれをそうだと主張するのか? そしてそれに対し謝罪しろともし私が言ったなら、文字通り気狂いであり、精神病院に入院するべきです。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-09

文学は、直接なにかを解決したり、即時なにかに対処する役割を負っているわけではないと思います。 しかし、なにか魔法のように効く言葉のように、即時効く薬効のような言葉を求める人がいることも確かです。 文学はなんのためにあるのか? どういう役割を担っているのか? そしてどういう力を持っているのか? それを考えると、文学はやはり魔法なのだと思います。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-08

元気は確かに驚かれますね。外へ出ても一般の人から見ても僕は元気なんじゃないかな? 感情の起伏が激しく、気分屋で思考の移り変わりが激しいです。我慢我慢忍耐力。エアコンへの耐久力が弱く、直ぐ外へ出てしまう。 電子エネルギーにアナログエンジンが吸い取られないように、PCとの距離感は大切にしております。 (愛はフェチじゃない)

2024-08-08

シュワッチは、交差のポーズかあ。 ウルトラマンと猫の品種キジトラマンをかけたんですね。 文学的価値については、わからないけど、ほとんど替え歌とパロディ、ダジャレですね。 絵は僕より上手。好みもあるかも知れませんが。しょうもないけど、しょうもないのがパロディ。 パロディがパロディたり得るには、原作が力を持ってきちんとしてないといけない。その真価はわかりませんが、パロリたくなるものがあったと言うのは原作者として名誉なことで、嬉しいです。投票はしないでおきます。なんとなくフェアな視点で審査しないといけないと思い、自分が出てきたものを入れるわけにはいかない。 (愛はシュワッチじゃない)

2024-08-08

夢の意味づけとか、解釈の自由は、世界を理解する時に、することと基本は同じです。 しかし、世界観への理解は、長い歴史をかけて常識づけられている。でも、それを盲信するかというと、それはあくまで解釈だから、何度でも歴史上覆ってきたことだということがあると思うんです。しかし、文明の歴史の長い歳月をかけて、もっともらしい説が山のように溢れ、それを疑うものは、おかしいと思われる。これも歴史的に見れば、同じことが繰り返している。 事実事実、真実もっともらしい仮説に浸かり続けていると、どう生きるかどう生きたいかという意思や願望を疎かにして無気力な人生を歩むことになる。それが現代人ではないか? と。そう思う時があって、古代人にあったエネルギーや活力を現代に蘇らせたいという願望があります。 月はどうして丸いの? 四角いと、角が立って運が逃げてしまうから。運の月。 なんで角が立つと、運が逃げるのか? 角が立っているものは、運が嫌がるから。 解釈の楽しさで大喜利が出来る。凝り固まると、ストレスで脳が歪んで萎む。文学というのは、そう言う弱さを補う力があると思うんです。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-08

精霊馬のことですか。よく見たら、乳首の位置も高くないですね。ズボンが足の半分まで脱いでないため、股間の位置がわかりづらいのかも知れません。 電波を呼ぶエネルギーがやばい的なことですか? 赤塚不二夫先生が、障害者の子供と一緒に描いた作品があったと思うんですけど、児童心みたいのが消えないのが、この作品にも現れてるのかも知れない。 (愛はフェチじゃない)

2024-08-08

愛は一生懸命。素晴らしい慧眼、目の付け所です。一生懸命生きている人には熱がこもる。その熱はまさしく愛による摩擦が引き起こすものだとおもいます。 美しい論考だなんて言って頂いて、本当に嬉しい褒め言葉です。考えて考えて考えていくと、こういう答えに辿り着く。思考によるダンスで愛は身悶えしながら七転八倒し続けているのではないか? と。 さて、動画内で使用した絵に関し、ナスで股間を隠した内容についてですが 今から20年近く前に 「進め! 電波少年」 という番組で、ナスビという芸人が、最小限のお金で、懸賞を頼りに生活するという企画をやっていました。 その企画内で、ナスビさんは裸で登場し、その股間はそのまま放送出来なかったため、茄子のマークで股間を隠し、番組独自に加工して放送されており、その茄子のマークで隠されながら、動き回るナスビさんと、ナスビさんが、動き回る度に、股間の動きと合わせて、股間を隠すために動く茄子の動きを見て、視聴者の笑い声が入る演出が、当時とても印象に残ったのです。 そのパロディーをやりました。 (愛はフェチじゃない)

2024-08-07

来ました。 こんばんは。今私の住んでいる地域は、酷い雷です。 さて、ご指摘頂いた絵の内容と喋りの内容に関して。 肌の色についてですが、色鉛筆で塗りました。 前所属していた、イラスト事業所で、施設長から出されたお題「茄子」をどう表現しようと、股間を茄子で隠すギャグを描いて提出した時のものです。 喋りはこの抑揚がいいだろうとイメージが浮かんだので、それを通しました。 絵の全体の稚拙に関し、指摘されると、色々考えが頭を巡ります。なんでもいいじゃない。適当でいいじゃ勿論ないんですけど、適当に肩の力を抜いていいところは、抜いていいという判断です。ここに上手さや完成度をそこまで求めなくていいだろうと。主体は文章と、耳で聞いて確かめて欲しい、音韻。 絵は愛嬌程度。そういう判断で、アップしています。 勿論全体を見て、評価も含め、読者は見るわけで、そこをどうみるか感じるかは、それぞれの読者様の判断に委ねるしかないのですが、発表者の思いとしては、そういうところですね。 (愛はフェチじゃない)

2024-08-07

追っているイメージ、持っている世界観があるのだと思います。 詩内容も含め、珍しく今回はミステリアス、サイケデリックなものを感じました。 ここで表現されているものは、ややエロスを含むものでしょうか? 歌声から、湿り気のある匂いを感じました。 溶けゆく。そして、混ざり合う。それはなにか? 物質的なものか? 何某かの化学反応による不思議な現象を目の当たりにした感動のことを指しているのか? リリシズム。勇気を持って背中を押してくれるような、なにかに突き動かされながら、それを書き留めたような印象です。 (溶けゆく混ざりあう)

2024-08-07

この作品の題名は 「から子の、14番目から16番目に見た夢」 ですが、僕が病院に入院したのは14歳の時です。16歳は養護学校に入学した時代です。数字が自分で書いてなんとなく気になりました。ぼんやり書くという書き方もあるんじゃないかな。 夢の解釈というのは、物語の解釈とも似ていて、興味深いものだと思いますよ。 >私もすればよかったと後悔しました。 漱石も「夢十夜」を書いています。まだまだ書ける。後悔は早いと思います。 今後も楽しみに是非、よろしくお願いします。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-06

途中のアルファベットや記号の無秩序の羅列は、マイルスデイビスのフリージャズにおけるアドリブ演奏を思い起こさせます。詩のサイト特にビーレビと出会って、ナンセンスだったり、意味のないものの趣が受け入れられる世界を目の当たりにし、書き方の自由度が広がりました。 特に田中さんは、変態的とも言える『真面目に、ふざける』を地で言っているのでいいと思います。 途中『ガキでか』が出てきたり、白木みのるという中島らもさんの著作の中で軽く紹介された(奇人変人ショーというのをやっていたと記載されています。『らも噺 吐かせの岩崎』より)人の名前が出てきたり、70年代に青春を過ごした田中さんの背景にあるサブカル臭のような懐かしい匂いが感じられ、良かった。今の時代にレトロをやる意味は、古きを尋ね新しきを得るということだけでなく、言論の自由があった時代を懐かしく振り返るようでホッとします。 多分言論の自由に安心感を覚える人が、表現者なのだと思います。 (CLOSE TO THE EDGE。)

2024-08-06

ありがとうございます。 確かにこれは夢のリアルを描こうとしている趣がありますね。 夢はぼんやりとしたパズルの断片のようなもの。そこに後付けで意味をつける前の剥き出しの状態で、作品化し、提供してみるのも面白いのではないか? 固まる前のドロドロの形状。 秋乃様はとても分析や理解力に優れ、作品に対し真摯に向き合い真面目にコメントくださるので、いつも嬉しいです。レモンは撮影用にスーパーで買い、グループホームの決まり事で、料理が利用者は出来ないので捨てました。次回は、動いている動画は無しになります。飽きさせないように、エンタメ性は意識しております。実は私も少し恥ずかしがり屋だったのですが、守るものがないと気づいてから、割と恥ずかしいことが得意になりました。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-06

Perfumeの歌で、575という75調で歌詞を揃える楽しい歌がありますが、こちらは5334の繰り返し。 パンクっぽい雰囲気だった作品から、童謡調まで幅広く、それらが狙ってる感じじゃなくて、素朴で自然に出てきている感じが、和みますね。 美しいメロディー。そして美しい声。コーラスグループのような声に聴こえるのですが、そこに不思議な憂いがある。コーラスグループの作った健康性がないので、自然な憂いが出るのでしょう。それがいいですね。夏だから、海。青春気分、楽しませて貰いました✨ (溯騒)

2024-08-06

アドバイスありがとうございます。 私の資質に合ってないということなのかな? 私の場合、割と幼い頃から奇抜な芸で兄弟同級生を笑わせていたところがありました。決して模倣ではないところがある。 ただ、内容全般に関し、影響を受けてきた作品へのオマージュは常にあります。 極めて普通のことはなにかわかりませんが、次に載せる予定の作品はそれに多少該当するかと思っております。詩文なんですけどね。 割と神経質な神経症的な面があるとはいえ、この歪が今の私の自然体でございます。 スタイルの発見は憧れますね。これでいけるぞというような。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-06

作品制作の背景とかバックボーン的なものに、面白味を感じるということですか? そうすると私自身がわからない部分に、芸術性があるということになり、それに対する対応は私では出来ないのかも。 武さんかあ。 「みんな〜やってるか」とか「たけしメモ」とか「熱湯風呂」とか、お笑いのたけちゃんが好きです。 「世界のキタノ」には、少し抵抗があります。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-06

おっぱいの希望なら、ナンバーは、081にするべきでは? 69だと別の部分が見える気がします。 (お願いがある)

2024-08-06

前半の言葉の遊びの面白さと心地よさは、中学校の教科書に載せて、子供達に音読させても面白い内容だと思いました。中盤から新たな展開に入り、アナーキー度は増していきます。 意味性や情緒性に囚われて、作品が自由度を落とすことを拒否したような、安定感の中に不安定感を讃えた不思議な文章芸です。漫談のようでもあり、それがお笑いに留まらず、深いウィットユーモアになっている。 中学生的な遊び心と、反抗精神を保ちながら、それが大人の芸になってる。白いYシャツと黒いズボンを履いた思春期のままの大人がいつもいる作品、素敵です。 (AMUSED TO DEATH。)

2024-08-05

ありがとうございます。中学校を無事卒業された方ですよね。私もなんとか卒業しましたが、無事ではなく養護学校でした。つまり障害者としての卒業でした。それはともかく、 着替えシーンをお褒め頂き、ありがたき光栄。このなんとも言えない間。もっとささっと着替えようとも思いましたが、そこはタモリ的なゆるいノリを大切にして、ゆとりを持って着替えました。 本当に周りの反応が小さい中で淡々と作品を作っております。自分の制作スタイルや作風を羨ましく感じる人もいるでしょうね。捨てるものが少ないハングリーな中でこその自由さがあるのかも知れない。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-05

奇想と言うか好きなタイプの詩です。 作中に出てくる登場人物は、実在のコースターズのグループメンバーか? 構成とアイデア、練られてますね。 音楽を聴いてインスピレーションを受け、素朴なアイデアから豊かな世界が広がる見本のような一作。今の時代に生きるメッセージ性も添えながら、ドゥーワップにおけるリフレインを使った言葉遊びを添えるなど、巧みな演出です。傑作と言って良いでしょう。 (ヤング・ブラッド)

2024-08-05

卑猥な言葉と西洋菓子、性的なイメージと、聖的なイメージが合体して組み合わさり、不思議な一作となりました。お菓子の名前をふんだんに盛り込んだ妙味と言葉の冴え、セクシーなイメージへの傾斜。エロティックなもの、耽美主義的といえばいいのか。 言葉の流れ、読みやすさはとても良いと思います。オレオやブラックサンダーといったコンビニで買えるお菓子の安っぽさ、チープさと、異国情緒だったり高級感のあるものイメージとのコントラスト対比がいいんじゃないかなと思うのです。それでいて伝えたいものは、その文章を通した色艶であり、愛であり、ユーモアでありと言った割とシンプルなものだと思う。 フレンチポップとか、セルジュゲンズプールのようなエロスをモチーフにした作風を持った作家もいます。シュールアンドサイケでスネークマンな一作。80年代的なものを今の時代にアップデートする面において、今日的なテーマは、少し薄くレトロに傾斜した印象です。 スネークマンはあの時代、政治の世界を通して起きていることを描いていた点においてイノヴェイティブだったと思う。この作品にこんにちを呼び起こすには、その今起きている政治的な風味が欲しかったのかも知れない。でも、やっぱり思うのが上手い人の文章です。このうまさ巧みさは、幾ら今日を描いていても、出せない貫禄の一作。 (スヴァスティカ)

2024-08-02

恋多き人の恋に恋する内容。 甘さがベタベタになりがちですが、それが一つの芸になって完成されていると思います。 宇宙規模で発射する恋のロケット。女性が好きになる男性のタイプは、同じように女性的なタイプの男性だと、三島由紀夫が言っていたのを、思い出します。愛で溢れていますね。 (回り続ける)

2024-08-01

コメントありがとうございます! 凄い限られた環境と時間内でやっていて。同じ仲間がいるわけでもなく、割と冷ややか視線の中で演じているため、テイク3まで撮影して、このヴァージョンがベストと判断し、これを選びました。 シャツのボタンは、全部止める必要はないと後で気づき、撮り直したのですが、出来が悪くて。 テイク14の衣装直し。全体に衣装直しの時間を入れているのは、タモリさんが、間に衣装直しシーンを挟みながら、一人で何役も演じている、一人コントを演じているのをみて、自分もその面白味を表現してみたいと言う実は変なわかりにくいパロディ感覚なのです。それがちょっと伝わると、まぁ許せるかになったかも..... シャワーですか? プールの中にドボンとか? 映像の力があり過ぎると、文章の内容で勝負する趣旨と少し外れるため、やり過ぎに注意ですかね.... >この露出狂シリーズ、絶対いつか捕まるわ…ッ。 マジですか? 議論になったら少し考えます。こういう個性もあっていいかと許されてるうちはいいのですが...... ボブディランぽい意味のなさ言葉遊びを演じようとすると、野田秀樹的だったりしてしまうのが、日本人ですねえ(笑) 「ハリケーン」は丁度今朝、事業所へ向かう途中頭の中で流れていました。70年代のディランを代表する名曲です! 無罪の罪で逮捕されたボクサー、ハリケーンのことを歌ったナンバーで、この曲が使われたハリケーンのドキュメンタリー映画、お勧めですよ。 ロッキングオンの背表紙揃えは、ありましたね。ロックとかに今より理想主義的な無邪気な夢を抱いてました。音楽で、世界は平和になるかも知れないなんて。 コメントありがとうございました。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-01

ありがとうございます。 自分と同じ資質の世界で能力の持ち主、atsuchan69さんにお褒めの言葉だけでなく、アドバイスまで頂き大変励みになります。 私の作品の中にある、幼な子のままの部分に光るなにかがきっとあるのだと思います。 >研磨が必要とされる「各キャラクターの台詞は独立していて面白いですが、全体としての統一感を持たせるために、もう少しつながりを意識してみると良いでしょう。例えば、14番目から16番目の夢が一貫したテーマやメッセージを持っていると、より強力な作品になるでしょう」というような課題を素直に受けとめてみるのも良いだろうし、逆にもっとバラバラにしてみても面白いのかも知れない。 実はこの作品を制作する頃には、ある方の『からっぽ』という詩を読み、俗世から離れた意味のない空っぽの世界にこそ美があるのではないか? と感じ、獄最近作内で、その空っぽさを意識し始めている次第です。それでこの作品においては、井上陽水的な、辻褄の合わなさ、タモリ的なシュールさ、それが許され理解される舞台がもうあるのではないか? と考え、書き方に関し辻褄合わせを敢えてせず、読み手が頭の中でパズルを組み合わせて完成させるような自由なものを書いてみたいと考えたのが、作品制作の動機になっていると思います。 それは完成度や、表面的な論理的整合性に対し、反抗するものでもありますから、その点に関し、ご承知頂けると助かります。敢えて崩したのです。 >万太郎さんが自由に描くことばが、いつか多くの人びとに復唱される‥‥そう思います。 嬉しい言葉です。僕の時代が来るそんな夢物語を期待させて貰える、しかも同じ資質の世界で能力者のatsuchan69様から、そんな言葉を頂けるのはありがたく、また嬉しいです。 >あと、才能よりも大切なのは【友情】です。それがないと、芸術は忽ち腐って死んでしまう。すべての芸術的ムーブメントを支えていたのは、まさしく友情でした。それともうひとつ、絶対に芸術を諦めないことです。 でわ、、 それは物凄い思います。僕はおそらく、成功した人たちと近いくらいの芸術的素質と可能性を持っているかも知れない。だけれども、同じ資質を持った仲間であり友達。 ジョンレノンであるならばポールマッカートニーのような。ゴッホであるならば、ゴーギャンのような友達は一度見つけることが出来ませんでした。それは仕方ないですよね。そんな人がいる確率は、自分で向かわない限りそうあることではない。同じ志を持った仲間が集まる場所。芸術界、芸能界。そう言った世界には生きているうち、いつかは行きたいと思っています。 熱いコメントとアドバイス、ありがとうございます。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-01

真摯な批判コメントありがとうございます。 批判は批判として受け止めます。 が、あくまで動画を制作した人間としての自己弁護だと受け止めて頂いていいですが、私はこの緩さが、意外といい効果をもたらすこともあろうかと考えております。不快でしたら、申し訳ありません。重ね重ね申し上げます。批判は真摯に受け止めたいと思います。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-01

田中さんのものの感じ方はわかる気がします。 例えば、冷蔵庫の音が「御運」と唱えているか「寺院」と唸っているかどっちでしょう? みたいなね。 蝉のなく音が「子音」ではなく「民意民意民意民意」と鳴いているのか「詞位胃偉伊井威医韻」で最後に韻を踏むみたいな、凄く80年代のあの感じを文字化したようなところがあります。今身体性とか、感覚器官とか置き去りにしたシュールや飛躍が受けるけど、この少し古い感じが合うんだなあ。 (WISH YOU WERE HERE。)

2024-08-01

狂い咲きですね。天気予報から始まって、シュール、哲学、見識、色々なものを盛り込み、徹尾徹尾クール。一旦築き上げたスタイルを崩しませんね。ここまで冷静に狂えるのは、貫禄すら感じます。中々出来ない芸当です。やはり、凄いです。 安定と安心感に包まれた狂気なのか? いやいや、スタイルは安定しているけど、その中で色々なものが爆発しているから、飽きないです。文章スタイルの安定感みたいのは、みんな欲しいと思うので、この書き方は魅力だと思います。 (WISH YOU WERE HERE。)

2024-08-01

風に吹かれてと、ライクアローリングストーンではなく、天国への扉か。 なるほど、日本で知名度で言えば、70年代以降は、そちらの方に軍配があがりますか? 多分90年代にローリングストーンズがカヴァーしてから(セルフカヴァーではないですよ?)日本ではより知名度が上がったのが、ライクアローリングストーンで、ロックの歴史を変えた一曲と言われているので、お勧めです。ボブディランが、長尺のロックを誕生させ、サイケからプログレまで種を蒔きました。それはロックにフォークアートを持ち込み、思想信条を言葉にして表した最初の人がディランだったんだと思います。 戦後国内の芸能の世界は、野田秀樹さんやタモリさんのような言葉遊びや語感の豊かさを多分に意識したニュークリエイターが革命を起こしたと思いますが、元はディランとか、ロックの世界と深くゆかりがあると思います。色々なものが再分化せずに繋がっていた時代ですからね。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-01

ミュージックライフは僕が思春期の頃にはもう廃刊されてたと思います。 スピッツの草野さんが愛読してたそうです。ロッキングオンの社長渋谷陽一氏も、ミュージックライフの投稿からキャリアがスタートしてたと思います。確か、東郷かおる子さんがこの雑誌でよく書いてたんじゃないかな? 小倉エージは、ミュージックマガジンで、湯川れいこは、ミュージックライフに結構文章を寄せてたような。来日したビーチボーイズを、湯川玲子さんがインタビューしたものが、確か、ミュージックライフ内に掲載されたと思います。60年代当時です。 >1か月まえに酔っぱらって帰り道でこけて、右手首と左頬と唇をけがして、死ぬような思いをしたので、断酒することにしました。 なんてこった。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-01

えー、マジですか? 田中さんは、なんとなくアートスクールな匂いがしたので、ディランを二作品とは、驚きました。 ジョンのは、音のコラージュのような感じです。ロックに関しては思春期の頃からずっと聴いていたので、音楽批評家にもしかしたらなれるんじゃないかというくらい博学です。ロッキングオンに投稿して掲載されたことも、あります。文学とロックのようなものは、私の中で戦後ということではなく、密接に結びつくものがあり、それが文化的な背景に深く根ざしたものだと思っております。 ロックの根っこにある、ブルースには、東洋のアジア文化。特に日本との歴史的な深い接近がある。そしてもう一つロックンロールの中にある思想性。それは文学の中にもあるものだと思ってます。 オノヨーコと出会ったことが、前衛にジョンを開眼させたようですね。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-01

ありがとうございます。 ボブディランの歌に、ボブディランの115番目の夢というのがありまして、その影響を受けて、ジョンレノンが、ナンバーナインドリームス「9番目に見た夢」というパロディーを演じており、私はそれを更にパロった形で、14番目〜16番目に見た夢としました。サイケデリックシュール劇場のようなイメージで、それを「まことちゃん」や「パタリロ」で見せた、日本の一時代のシュールギャグの世界と被せたような形です。根っこにあるのは、モンティパイソン、タモリ的なものです。 僕も、多くて3つ、4つかな。 (からこの、14番目から16番目に見た夢)

2024-08-01

ビートルズの歌に、一人ぼっちのあいつという歌がありましたが、その曲の歌詞を思い出しました。 孤独で独りよがりな男を嘆き励ます歌ですね。 誰しも自分は天才だと思うことはある。天才がいて凡人がいるのに、おかしく、また不公平なことです。 自分が天才だという人たちと今まであってきましたが、業績と作品数にこだわらないところが、天才を甘く見てると感じました。天才は、量と質だと思います。 (天才さん)

2024-07-31

いいとんち的なひねりのある小話にも思え、楽しい空想話だと思いました。 洋楽の歌詞カードを読むと、こういう捻りのあるとんち話空想話ユーモアウィットのある系のが見つかります。男性を思わせるネームなので、少しそういう気もあるのでしょうか。今は自由な時代になりました。 難しい言葉は使われてないんだけど、読みやすくて好きな感じだな。 (そして王子は来なかった)

2024-07-30

田中さんも、心を病んだところがあると、作品内で仰っているのを拝見しました。 自分ではどうしても自分の指摘されるような病について、気づきづらいのです。いくらか動画作品などを見たかも知れませんが、変に緊張感のあるハッピーを私は振り撒くところがあります。 共感して頂いたようで、ありがたいです。情深いとこの世は辛いです。それでも情深い方がいいな。 父親は確かに非情になれ、強くなれというような左翼的な過激なものを私たちに押し付けてきたと思います。しかも、困ったことに非常に気分屋で目的が不明瞭なのです。ただひたすらしんどい世の中を過酷に生きればいいのだという、よくわからない哲学なのです。どこでそれを習ったのかというと、なんだかわからない。ゴルゴ31なのか? ちょっと正直色々読んでいたようではあるのですが。 取り上げたテーマをお褒め頂きありがとうございます。ちょっと自分では斬新だったかも知れない。ネトウヨ的なもの匂い生い立ちを感じさせるものを、正攻法から切り込んで書いているのではないか? そんな気がしています。 こちらもコメント返信遅れ失礼いたしました。 (長男は脳の病気ではない)

2024-07-25

コメント返信がだいぶ遅れてしまいました。 他にもそういう作品があるかも知れません。私の中の痛い作品。それを吐き出すことで前に進むことが出来ます。僕の過去の人生を私は今になって当時感じていた違和感以上に、異常だったと振り返ることが出来ます。両親に関しては、距離を置いて語ることがまだ難しい存在です。ある意味では洗脳されていたと思うからです。 だいぶ遅くなりましたが、コメント遅くなりすいません。ありがとうございました。 (長男は脳の病気ではない)

2024-07-25

そうなんだ。 AVなんか見ると、悔しいなあと思うこと多いですが、綺麗な女性に興味がないと言うのはすごい。 僕は博愛主義で、年上なら50歳までいけます。それ以上だと、母親を思い出してしまい、ダメです。自分が14歳頃性的な憧れに目覚め出した頃、今の50歳は27歳だったわけで、年齢が上がるにつれて年上がOKになっていきますね。 博愛主義もあるかも知れないですが、自分も守備範囲が広いと思います。お婆さんはまだ自分の中ではジョークになっちゃうなあ。性的なものに関しては博愛よりフェティシズムでいかないと、逆に清潔感がないかも知れないですけどね。お婆さんがフェティシズム領域に入るとしたら、ある意味では玄人を感じます。仙人タイプですかね? (一言)

2024-07-24

こう言うのもあったら楽しいだろうな、と言うところですよね。 おっぱいはおっぱいパブで、9000円くらいで揉んだかなぁ。その時は、お酒を奢らないと、お姉さんが不機嫌になることは知らなくて。おっぱい揉んだら人肌と温もりに涙が出ました。 恥じらいを口にすると怒る風俗嬢がおります。微妙な心理ですよね。 (一言)

2024-07-24

takoyo2さんの主張通り、相手が嫌がってるのに、粘着してくるのは、情のない粘着ということになり、他人を馬鹿にした行為として嫌がられて仕方ないと思われます。 私にもたまに、私が場に馴染めない孤独な人間だと察知してか馬鹿にしたような粘着をしてくる人がいます。具体的には作業所で作業している最中、洋楽の話ばかりしてくるスタッフが私は嫌で嫌で仕方がなかった。何故、作業中に、広く共有出来ない洋楽の話を私にしてくるのか? 愛想を振りまいて相手にしていた私が悪かったのか? と悩んだこともありましたが、やはり違う。相手が悪いよ、それは。それを察知出来なかったその人と、周りが止めなかったのが悪いよ。 他にも、私が友達がいないことを知って突っかかって来た人は、数名いましたが、付き合い方というのがある。 それはダメです。仲介者が必要かと思い、アドバイスしておきます。 重い話です。慎重に考えて欲しい。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-20

病院に入院してたり、その前に、政治的なことで世の中の闇を知ってしまい、色んなことへの興味関心が途絶えてしまって、読まなくなってた時期があった。 今はグループホームにいるけど、このグループホームにいる人の世の中への関心の薄さと、読書量の少なさ。これが一般なんだなぁと。 大衆っていうものに少し夢があった頃もあったけど幻想だった気がする。 今考えてるのは、マイクタイソンみたいに過酷な世界で育った人間が紡ぐ文学で、成る可く語彙の少ない世界で、美しい言葉を紡げたらなあと。 それは監獄の中で美しい言葉を紡ぐようなイメージなのですが、戦後薄められ歪められた言葉を与えられた部分を直さないと、難しいのかも知れない。 それでもそこにリアリズムを見つけようとするのは、私が戦後の洗脳から抜け出せず、まだ少し愛着が抜けないことの証かも知れませんね。 ブコウスキーが好きです。つまり労働であり実生活が大事で、詩の勉強なんかクソ喰らえというような。俺様文学者。マークトウェインのハックルベリーフィンが使いそうな魅力的な言い間違い。それによって自由度の高い作品を描こうというバカボン的発想です。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-19

悪い人はいないけれど、悪い行いはあって、人はそれを増長して仕舞えば皆、行うものだ。 そんな感じがします。勿論その悪い行いの定義も、人間が増長することで、やれることのあらゆることであり、それは動物界及び、生命界の構造上仕方ないものだと言うところか。人間の驕りによって文化文明が花開いたことを思えば、その増長ということをどう考えるかということも考えさせられるものです。 ビーレビが比較的いいと思ったのは、馴れ合いが少ないと思ったのです。 台本があって、その上で作品を演じる。それが普段ない世界では、鑑賞者との適度な距離感を取ることが難しく、馴れ合い仲良しのムードに頼る作品提出が多くなりがちです。 テレビの世界は、えどはるみのような人は、観客に媚びるだけでなく、スタッフにも媚びるそうです。 批評家の突き放しがいい効果を得られるのが、場のムードに頼らない文学界。しかし、ここでもどれだけ相手に愛想をついているかが、SNS内ではやはり問われるのです。 こいつとは絶対仲良くなれないというような人間がいい作品を書いていたりするのが、本来アートの世界だから、日常感覚でそれと付き合うのは少し変です。 時代が困窮者が増え、これ以上傷つけあうことはやめようと言うムードがどこかに出ているのなら、そこに対するトンガリを求める人もいると思う。そのとんがりを許容出来るのが世の中の懐の深さですからね。 (詩が書けなくなってから)

2024-07-19

笑い主体で行くか、作品主体でいくか? これはその中間に位置する懐かしい感じの笑いです。 ああむなしいねえ、は郷ひろみのリンゴ殺人事件のパロディー。桑田佳祐的なシュールな言葉遊びとパロディワールドが展開されている。その一つ一つを紐解くのは少し骨の折れそうな作業ですが、全体に流れるムードとシュールな映像イメージを感じるにはやはり声に出して読むのが一番! 作品から古館アナのナレーションが聞こえてきました。 なにかが常に起きている世界における時間の経過と、それをプロレス風に中継しているというそんな印象です。タモリさんが昔そういうネタをやっていて、僕も真似したりしてました。 (Yの葬列)

2024-07-18

異端はあった方がいいです。その場の正統がものを考えるきっかけになる。 リベラルだと異端は、排除というところでしょうか。場違いな文章ではないと思います。では。 (しーっ、静かに)

2024-07-18

狂気の世界にいるのだと実感します。障害者の事業所にいますが、普段からお笑いのようなものを演じるという意識さえなく、やっている人がいます。普段の自然体がお笑いなのです。たけしタモリの時代はまだ、台本があってその上で演じているという意識があった。自閉症的な人の描く絵画もそうですが、内容が凝りすぎている。絵は下手なら下手なほど言った方がいいと言った画家がいますが、たった一人で、凝りすぎなくらい完成度の高い絵を描いてしまうというのはなにか人間的に問題があるのではないかと思う。 文字間違いはOKです。SNS上で編集者もいない中で、誤字脱字のないものを書こうとするのは、凄く神経質で疲れる作業です。間違いは味があっていいと。 変に上手くて凝り固まりすぎると批評が難しくなってしまう。インチキ臭いものがウケる。 全体に流れる重いムードが共感出来ました。...私も今日、朝から重いです。その重さが健全なコミュニティの崩壊だと気づくと、それが得られる場所は、数年単位で見つける必要がある。自由が好きな羊は、永遠にそれに気づかないかも知れませんが。 (しーっ、静かに)

2024-07-18

神はあらゆるものをこの世に作り出しました。決してなにかに対し、有用だったり、合理的なものばかりではありません。 人肌に触れると人間の体温がして落ち着く。これは、戦後の炭坑節から、フォークソングまで人間の人情です。愛する相手が男だったとしても、決して不思議ではないと思います。 今後神が新たに作り出す創造物に期待です。 (必然的な同性愛)

2024-07-17

女性と喋ってると楽しい。でも男同士で話し合うと、面白い。 その違いだな。しかし、素人の男性と喋ってると、楽しいを越えることは結構少ない。 かなり少ない。期待してます。 (デニムデーモン)

2024-07-16

なんかちょっと面白い感じではある。 男と話して面白いのは、知的なひねりがしっかりあることです。 幾ら格好つけても、その知的なひねりがない限り、その男は女なのです。 そのおかしな喋り方気に入ったあ。 務所行きものとあらば、今後も楽しい世の中の裏話が聞けそうです。 楽しみにしております! (デニムデーモン)

2024-07-16

ありがとうございます。万太郎ワールド万ちゃん節をどうぞご贔屓に! 来月は、スネークマンショー系で行ってみようかなあなどと考えています。 数年前に若いこだまというコントのパロディーをやったことがありまして。ではでは。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-16

91年ですか。今から30年近く前にはもう今の時代で起きているようなことを指摘している人がいたんですね。読んでみたいと興味深く紹介文を読んで思いました。ありがとうございます。 91年といえば、私は小学生にもまだ行っていない頃で、その頃から感じていた世の中への違和感が今も地続きで起きている問題なんだよなあ。 私は、実在しない幽霊のような人間が沢山いるという妄想を抱いておりました。顔形はあるけれど、実際は存在しないというような。つまり存在を感じ取れないというコミュニケーションにおける何某かの壁のようなものだったと思いますが。 私の一家は、核家族で、当時から閉鎖的な世界でドメスティックと争いに明け暮れておりました。父は米映画が好きで、日本的なものはあまり受け付けない育ちでした。母も日本的なものに、ある種古臭さを感じる育ちだと思います。 和であるとか、みんなで仲良く過ごすといった調和意識。そう言ったものを、面倒くさいと思っていたところはあるでしょうね。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-16

人間は誰しも他人に理解されない孤独な内側の世界を持っています。 人生を生きると言うことはその内側の世界と、自分が理解出来ない外の世界との接点を探す旅ではないかと私は思うのです。 そうすると、責任と言うものがいつ生まれるかというと。 赤ん坊から、ハイハイをして、親や周囲からものを与えられる時に、代わりに『守って欲しいもの』と言う取り決めから行動の自主性が生まれて、自分を律しながら主体性を発揮して人間は行動するようになっていくと思います。 率先して自分を律する。それが外側からのご褒美や、守られる代償としてから始まったことを思えば、人間はどこまでもわがままな存在だと言うことになるでしょうか。 米国に甘い飴を与えられる前の日本は、人間はわがままのままでは生きられないのだ。早く子供は大人になってもらわなければ困るのだと言う教育を積極的にする国だったと思うのです。 しかし、今の日本はどうでしょう? 積極的に自分を律し責任を持って、行動にあたることを本願とする日本人は大いに減り、責任はあくまで仕方なく預かるものだという本音が透けて見えるリーダーばかり。それを仕方なく仰いでいるのが仕方なく言うことを聞く国民という昔の言葉で言えば『嘆かわしさ』です。 「責任を与えられることが嬉しい」 何故そう思えないのか? とても残念です。 「責任を与えられる地位に登ることの代償として」 責任を与えられるのが嬉しいのではなく、責任を与えられること自体が嬉しい。何故そう思えるリーダーは現れないのか? とても残念です。 それは、もうこの国に情がなくなったということの現れだと思います。 「自分が挨拶してあげないと、相手が寂しがるんじゃないかな?」 そういう想像力がない。そこまで考えると、自分を律することによって、挨拶が出来る人間になりますよね。挨拶はしたいからしたいものではなく、自分が愛されているから、しなければ相手が可哀想だ。そういう情や縁が消えてしまったのだと思うのです。 人間関係を考える時に無邪気というのはある気がします。確かに無邪気でイチャイチャしている関係は傍目には楽しそうですが、いざとなれば相手への責任を考えているかが、冷静に付き合っている同士とどちらに表れているかで、分かる気がする。 私の目下の夢目標は自分の人生という物語を全うすることです。それは綴りながらも、その一本線を生きるということであり、それは目には見えづらい道理のようなものによって支えられているものです。 弱いものをいじめるのは良くない。 そう言った可視化しづらい道理に沿って、歩んできた自分の物語を最後まで全うすることですね。 先のことはまた後のことです。その欲を張っていたという一応の見栄建前が芸能界での成功というところですね。欲を張っていない目標を持って生きなかったというのが恥ずかしいことですから。叶う叶わないは二の次三の次です。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-16

ありがとうございます。 私の場合、恋愛をする際も、先ず相手への責任を考えます。 すると働いた方がいいとなる。 これは普通のことかと思ったのですが、違うことを痛感しました。 多くの人々は、一緒にいることが楽しい。それで責任は、そう言う行為に及ぶ際にといったところだと思います。 私の場合、付き合うとか付き合わないとか、それを決める際にもう責任が頭に入っている。 それが相手によく理解されないのです。 馴れ合いのような関係で戯れているのが少し苦手なのでしょうね。 まず計画的な関係性と言った、プランチックな関係を相手と付き合う際考えがちです。 それは機械的なものではなく、むしろヒューマンな情に支えられたものなのですが、それが充分には理解されません。 仕事にしてもそうなのですが、冷凍庫に閉じ込められて怖い思いをした私に対し、会社も私をフォローする名目の障害者の事業所も、閉じ込めた相手を問題視するのではなく、それで騒いだ私を問題視して集団の前で晒し者にしたのです。 それに対する訴えを全員で無視した周囲の問題を、半ば私が一人で尻拭いするように、取る必要のない責任をとって辞めたのです。 コロナワクチンの問題もそうですが、打って死んだらどうする? と言うような問題に対し、この国の人は誰ひとり責任について重く考えようとしてないように思うのです。 この話は壮大な政治的な話になりますが、厚生省は、当初と違い、コロナワクチンの副反応による死を公に認め始めております。 それに対する責任は誰に? と言うことに関し、会社は国に求めるでしょう。事業所も国に求めると思う。しかし、国からお金を貰い、下の人間に守らせた自分たちの責任については一切考えが及んでいない。 その責任感のなさが耐えられないのです。 そう言う面で私は人間関係全体に、人ほど無邪気になれずどうしても 「生きるための戦略」 と言うようなプランチックなものになりがちです。その冷静さは相手に十二分には理解されないですね。 そう言うふうに冷静に物事を考えてしまうからこそ、恋愛全体に関し俯瞰すると、結局は性欲の問題だと、そう言うところに落ち着くところがある。すると、恋愛に関して計画的プランチックな考えを持つし、恋人同士でラブラブのような表面的な体裁を保ちながら、もっとクールなものになるでしょう。 音楽評論家で渋谷陽一さんと言う人がいるのですが、あの人も恋愛に関し、割と無邪気より冷静な考えを持った人だと思います。色んなことを冷静プランちっくに考えてる人だと思うんです。それだけにコロナワクチンをめぐる発言内容に関してはがっかりしました。天才だと思ってたけど、意外と秀才だったんだな、と。 観察力は鋭いと思います。それだけに目を瞑ってしまいがちなところはどうしてもあるんです。そこの誤解かも知れません。目を瞑ると言うことも自分なりに、そうした方が円滑な関係を保つためにいいだろうという情に支えられた冷静な判断によるものだと思ってます。 話はうまいと言われるし、その計画的な視点が一般社会において馴染みづらいものを私は持っていることも自覚しつつあります。先の先を常に見てる。結局そうすると逆にうまくいかないですね。 なんとも言えないんです。うまく行かせるための計画性というよりは、責任ありきの情に支えられた計画性でしたから、このままコロナワクチンで国民の多くが亡くなり、それに対する責任を誰も果たさない見込みが出来てしまうと、そこに対する居直りが働く見込みがあります。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-16

コンビニと言うものの質内容について十分吟味して考えると、否定的に捉えてしまい、歌を作ることが難しいと言うことなのかなあ。 ポップスの中には、コンビニで出会った恋愛物語が沢山あります。基本歌や作品なんて、恋愛が主ですから、舞台内容はどこでも良かったりするものです。 美とか質内容について、考え深い方なのかと感じます。生きていると醜だらけです。 リッチな生活の中で、優雅な美を追い求め描くことは容易かも知れませんが、置かれた状況。コンビニで働くような条件下に生きて、美を追い求め描くのはとても難しいように思います。それよりも生活のリアルを描いた方が、リリカルな美が浮かび上がるのではないか? そんな気がします。 (コンビニ)

2024-07-15

働いた方が自由になれます。これは実感として感じることです。金銭を得、対価を得ることで、それが自由に使え、付き合いの肥やしにもなる。なにを自由と感じるかによりますが。好きなことをやる自由。なにが好きか? ここに文章を発表している以上、アクションに対するリアクションのある世界を望んでいるのだと思うのです。だとしたら、働くことは奴隷的なことでなく、そのアクションに対し、リアクションを得る一番好ましいツールだと気づくと思います。 ただ働けばそれでいいと言う世に対する、アクションと受け止めました。質内容を考えたらとても出来ない労働が沢山あります。しかし、それでも働いた方がいいと思いますよ、 (デニムデーモン)

2024-07-15

モテたいのは、女性と一緒にいると落ち着くという面が多分にありまして。 一人によると、裏切られるんじゃないか? とか嫉妬心が湧くのが不安で。 それで、女性に困らない生活を送りたいという。 たった一人を愛すと言う狭い愛は、相手に信頼が置けるまで傍において考えたいのです。 どうしても、私の両親を鏡にしてしまうと、その狭い愛が家庭内において自分たちを脆弱なコミュニケーションに追い込んだように思えてならないのです。 私の両親は、外で繋がりを増やそうとか、友達を沢山作ろう、人と縁を広げようと言う意欲が昔から極端に弱い二人でした。 結果、長男は幼い頃から精神を病み、友達も多く作れず、学校も不登校。 次男は公認会計士になって、妻子を持ち、海外を飛び回るような生活を送ってきましたが、自分の息子も含め、人見知り的な性格は、両親譲りです。 家族内でさえ、私は長男と不仲なまま、充分な会話の取れない家族です。 私自身も、演芸を通じてなら、色んな人を巻き込んで楽しくやれる気がどこかでしているのですが、素の自分は、両親譲りの人見知りを脱しきれないままで今に至ります。 自分一人で孤独な物語を背負って生きているような感覚がどこかにあるのです。 同窓会のような気分で、友達同士で、過去を振り返ると言うような共同体のない世界で今日まで生きてしまった。 私のこれまでの人生は、読んできた本や、見てきた作品の中にあって、実際の現実における物語性は、友人が少ない世界で、ひとり孤独に生きてきたと言うような、酷く脆弱なものだったと言う気がします。 それは今後長く生きれたら、変えたいとは思いますね。それでモテたい。はっちゃけたい。それはあります。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-15

孤独に生きていると、なにに悩むかというとアイデンティティに悩むんだと思うのです。 それは実際に不幸だとか、怖い目にあったとかそういうことでは説明しきれないものです。 それは共感しますね。中田さんもそういう方なのかも知れません。ブコウスキーの翻訳をしているのを初見で興味深く読みました。 群れに迎合して生きてきた人たちは、そのアイデンティティに悩むという経験をあまりしてないのでわからないのかも知れない。私の兄は、群れに迎合出来なかった時、本人にする意思があまりなかったように感じたのです。 私はそういうタイプではなかった。気づいたら最初から置き去りにされていたような感覚です。 創作の世界で生きる人がアイデンティティに悩みがちだというのは、なにか秘密があるように思えてなりません。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-15

ronaさんへ 個性が強くて周りに馴染めない人間特有の、公が救ってくれるという公に救いを求めにいく感じが、米国のハングリーなアーティストにはありますよね。 特定の個人に期待しても、助けてくれるわけではない。自分が目立って、不特定多数の人がいる世界にいけば気に留めてくれる人がいるかも知れない。初期のマドンナにはそう言う切実があったと思います。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-15

atsuchan69様 一読して感じたのは、電気グルーヴの石野卓球氏の詩です。 あるいは少し遠いところだと、スチャダラパー。 鋭い批評精神と執拗な韻踏み。神経質に偏りがちになるところを、しっかり緩さもあり、全体に汗の匂いがします。 こういうのをただの駄洒落だと取る人もいるでしょう。ここには実感としての私が先の内容で語った痛みがある。この痛みが作品の中に、人間の中にあるか否かで私は人を信用する度合いが違います。 takoyo2さんの言う、今時のリベラルなんて人間じゃないという発言。これは私は分かるんです。 かつては支持していた信頼していたパーソナリティーの中に、その好ましくないリベラルがあったことに気付かされたのが、私にとってコロナ禍でした。 誰にでもあるでしょう。私の中にもあるのかも知れない。ある種洗脳された世界にいたのだと今は思います。それはともかく。 内容はふざけた内容でありながら、赤塚不二夫先生や、スネークマンショーや、もっと古くはオッペケペー節、日本の伝統文化の中でアンダーグラウンドを走る、風刺的なものを受け継いでいると思います。 この作品の中に流れている汗の匂いや、痛みといったものをしっかり感じられるか。それを感じられるのが感性だと私は思う。直すところというのが面白いですね。それは直すというより共作のようなものに私のイメージではなる気がしますが。そうだなあ。 いいところを言うと、やっぱりきちんとふざけてるよね。それが出来てない表現作品は多い。 赤塚不二夫先生が言ったのは 「もっと真面目にふざけなさい」 これなんです。これを言うと、ハ? と言われてしまうことがある。真面目にふざけることができる人間は血の通った人間なんですよ。それが出来ない人間は本来人間じゃないんです。きちんと練られた上でのひねくれなので、これの上をいくひねくれで返したいのですが、それは出来るかどうか? マイっチングマチコ先生な私でした。 笑えない作品は多いけど、これは笑える。小綺麗にまとまってないからいいと思います。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-15

矢沢永吉や、長渕剛。 外国だとピカソやゴッホといった人達、本物の芸術家は思いっきりぶつかって、痛い! この感覚だと思うのです。 壁一杯に体当たりで体ごとぶつかっていく感じ。 その猪突猛進の怖さと強さ。それが矢沢にもあるし、長渕にもある。 特攻兵のような、無垢で見返りを求めない美しさ、その美しい切れ味。 上質の赤ワインいっぱいに広がる血の味。 僕は好きなんです。 その痛みの感覚。その肌感覚を無くしてしまうと、イマジネーションオンリーになってしまう。 イマジネーションに傾斜しすぎてしまうと、誇大妄想的になってしまうと思うのです。 それで最近の詩人の方では、入間しゅかさんいいと思った。 僕の考える思いっきりぶつかっていく感じと、痛みの感覚。毎回トライアル精神がありますよね。 実験精神があるんじゃないかな? 新しいことをやってやろうと。 それでココアでも受賞し続けてるし、実績を上げてるのでいいと思います。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-14

身体性の話はとても興味深いです。 都会的におしゃれでシュガーコーティングしたものされたものの中に、実感としての生活臭がない。すると、そう言った表現作品に触れて一種の心地よさのような感覚を覚える。しかし実感としての生活が頭の中にあるとどうしても、中までは入る気になれないのです。 私が少年ジャンプを読まなくなったのは、ボボボーボボーボボと言う漫画の連載が始まった頃です。全体に内容の、下に偏ったものに引いたのもありますが、これと70年代に人気を博した「まことちゃん」と比べ、同じ程度かと言うと、私は違うと思う。 「まことちゃん」の中には、実感としての幼児虐待、実感としての生活から生まれる笑い、時に恐怖も含め、それがあった。 比して、ボボボーボボーボボという漫画を読むと、私にはそれがないように思えたのです。かつてそのようなことは熱弁しなくてもある時代の作品を巡る良質を共有する人たちと語り合えば、分かり合えた時代があった。 最後に読んだ割と良質を感じた漫画に「ワンピース」がありましたが、話が進むにつれ、空島と言った架空の島が出てきて、細部に細かいファンタジーが散りばめられて大きな物語をなしているのですが、私はどこかでその児童的な話の飛躍に、ついていく頭を手放してしまいました。正しくは現実の頭の方をとったというべきかも知れません。 大きな物語を書くべきだという時代がありました。物語は飛躍があればあるほど楽しく、いいものだと。 今日本ではおかしなことが沢山起きています。例えばコロナがその一つです。 あの小さなマスクで、ものすごい怖いウイルスから身を守れるのだと、それを国民全員で必死になって間に受けて守り、それに違和感を唱える表現者が極端に少ないことに私は驚きました。 実感として庶民感覚で目と地肌で感じる違和感を、肌感覚が売りのロッカーやそれを支持する批評家が唱えない。 私は日本人というのは本当に、正常な肌感覚を無くしてしまったと思ったものです。 ほんの少し、今までノーマークのミュージシャンが声を上げていました。 長渕剛です。 長渕剛は、私の中で矢沢永吉や中島みゆきと言った系譜に位置する地肌系アーティストです。都会的な憧れを感じさせる洗練はないのだけど、地に足のついた表現をする、そう言う系譜に位置する人でした。 彼らの歌内容を聞いて思うのですが、一聴してこういう言い方をするとどう思われるかわかりませんが、大したことは歌ってないのです。生活から生まれる肌感覚から生まれる言葉。それは有り触れていて、特別飛躍した論理があるわけではない。 時代が肉体性を放棄して、論理的逸脱を図ろうとしている時に、コロナ騒動を巡る違和感を通じて、私の政治的感情移入度は地肌系アーティストたちの、大したことは言ってなさに寄るようになった気がします。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-14

自分は、村上春樹さんや、谷川俊太郎さんなど、環境に恵まれて育った成功者の作品より、ブコウスキーのような環境に恵まれずに育った成功者の作品に惹かれるし、モデルにしたいと思ってます。 自分は音楽が好きなのですが、米国で憧れのアーティスト、ブライアンウイルソンのような人は、音楽一家に育ち、機材を買うお金もあったし、芸術を生み出す環境に生まれつき恵まれていたと思うのです。 細野晴臣や、手塚治虫のような人もそうですね。 知識を集めたり、直にものを見て見聞を広げるのに、裕福であるかどうかはとても重要だと思います。 しかし、そう言った知識集めや文化的に豊かでない世界で育った人達に、とても強いハングリーアートがあることも確かです。 石川啄木の詠んだ 「私の詩は悲しい玩具です」 「友が皆、我より偉く見ゆる日よ 花を買ひきて妻と親しむ」 「働いても働いても我が暮らし楽にならざり じっと手を見る」 こう言った一連の作品はとても響きますね。 中原中也も好きです。 ひもじかったり、貴族的生活を送れなくても、文化に携わり優秀な作品を残すことはきっと、出来る。 赤塚不二夫先生が、トキワ壮の仲間と、毎日キャベツを塩で茹でて食べながら夢を語り合った話も好きです。 水木しげるが、食べるものがなくて、毎日夫婦でバナナを食べながら鬼太郎を描いていた話もいい。 いまは昔のような貧乏は存在しないと思われていますが、ものはあっても同じ志を持った仲間と出会えないため、苦心しています。上京して、トキワ荘仲間のようなものを作るのが一応の夢目標です。 精神障害者の事業所働きという独特の世界にいると、参考にした方がいいモデルが山下清(知的障害)とか、米津玄師(自閉症)とか、そっちの方面のように思われている気もしますが、山下さんのように知的活動に偏りがあったり、米津さんのように、自閉の気があったり、自分はそうでもないと思うと、本来はやっぱりエイブルアートではなく、ハングリーアートの世界にいるべき存在だったのかなあと思ってしまうのです。 そう考えるとやっぱりブルーハーツなんか近いかも知れないです。 谷川さんの文章は上手いです。これは、takoyo2さんに同感です。どうしてああいう発想が出てくるのかわからないというくらい発想が豊かだし、アイデアも豊富。 村上春樹の訳した海外文学は結構読みました。本人の書いたエッセイもよく読みました。肝心の小説は、分からなかった。分からなかったというのは、分析してみると、作品の持っている軽み、シュール。それらが僕の好きなロックの世界の人たち、村上さんが影響を受けてきた人たちと比べて、生身の女の体温であるとか、実感としての快楽や苦痛の描写がえらい小綺麗に終わっていて、そこに私は、翻訳された軽音楽のような胡散臭さを感じたのです。 貧乏人が成り上がるための手法として、マドンナのように性的な仄めかしをして売りにいく。これは私にとっては表現者としてのリアルなのです。 その生臭みみたいなものを、作品に感じられた時色気を感じるし。 そこの下品を否定して、上品を着飾ると胡散臭く感じてしまいますね。 ちなみに好きなおにぎりの具材は、そぼろ肉とネギ味噌。ご飯と油のコンビネーション。そこに味噌、ネギと加わるとパワフルで含まれるエナジーも抜群です。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-14

読みやすく分かりやすく良い文章です。タイトルも良い。 (電子仕掛けの天の川)

2024-07-14

下品な人を遠目に見て笑うのがクールなポーズだと思ってたんですけど、今の世の中ってわからないですね。極端な潔癖症にも正義を見つけづらいし、だったら下品過ぎる人の方が正直かもと思ったり。 性情報が氾濫してるのに、奥手な人が増えてると思うのです。それでビチビチビッチみたいな表現をみるとなんだかなあと。 (Bitterな売女の独り言)

2024-07-14

世界観と解釈の一つの提起なのかも知れないし、こう世界を捉えることも出来るみたいな新しい解釈の楽しみ方かなあと思って読みました。あくまで提起だからそこまで本気ではなくて、ユーモアなのだけど、それが詩かどうか? は詩の定義によりますよね。 詩は回る世界を俯瞰してみて正しく捉え真実を詠もうと努力するものなのかも知れない。しかしユーモア詩がもたらす心に与える効能だってあるわけだから、詩は広いんじゃないかと。 (人類と海)

2024-07-13

メルモsアラガイs様 そんなことはないでしょう。少女漫画を見れば夢で溢れています。正直いうとああ言ったものに感情移入することは未だに難しいです。 自分が女性だった身に置き換えてみると、誰かが自分のことを愛していい資格とか、そんなことを考えているとしたら、変な感じがする気がします。勝手に愛せばいいし、愛してくれた方が都合はいいし。 反対に、愛される資格なら分かりますね。なので、この作品を書かれた方がその設定を取り違えたのかなと思ってしまうのです。 (恋愛)

2024-07-13

鷹枕可様 皮肉や毒。その根底にあるヘヴィな現状認識。それをお感じになったようでなによりです。テキストを読まずとも、詩の内容を丸暗記で読めれば自由自在にカメラの前で演技も出来ますか。確かに来月まで、二十日ほどある。その練習は考えておきます。 思想イデオロギーにどこかで依存しているところがあるかも知れないと深く反省を致しました。芸術動物臭の漂うもの。所詮は動物でありますから、思想やイデオロギーを吹っ飛ばす笑い飛ばすようなもの、書きたい作りたいと思っております。 玉音放送のパロディー、タモリ的なものですか? 正直ありだと思います。ただやばいかなあとは思いますね。色々思いつくようですね。私などひとたまりもないです。 ありがとうございます。 (Burn On!! 頑張るノミ)

2024-07-11

べえ太様 >「デザイア」で吹きました。砂漠のデザートと掛けてますかね。この寒さが平和なんです。 その寒さというか、少し抜けたところとか、安心を感じさせるところなのかも知れませんね。 砂漠で水を飲みたくなる欲望デザイアーそんな感じですが、デザートのイメージは確かに無意識でありました。 >これをノミやトコジラミの湧いてそうな四畳半の和室でやるとよりアートな感じがしますが、白昼の田園風景をバックにしても露出狂チックでナンセンス加点が付きます 野外露出ですか。その開放感もまた良しです。 >サングラスにベレー帽、なんでこんなエセ監督みたいな格好してんだろ。冒頭の「お願いします!」も大先生感をかもし出してますが。これも、ファンサという「あざとさ」も見えて一層笑いを誘います。 福祉のスタッフの方にお局さんがいて、そのお姉キャラも含めて時々からかってます。 >彼はノッてくると肩を揺すりだすんですね。気分と共に連動するからだ。拳をうずかせて、落語家のように扇子でも握りたげに。いや、メガホンか。さすがタコさんの着眼点も鋭い。 演者として作家として、器用に立ち回る彼のオールラウンダーっぷりは、抑圧された詩人たちの起爆剤となるでしょう ゲームソフトをやっている時に、体が画面に合わせてくねくね動くので、一緒に遊んでる子から揶揄われるのです。 天然的なもの、動物的なもの、忍耐強さとエネルギー。次世代を担う起爆剤になれるかも知れません。自分の素質に気づかされました。ありがとうございます。 (Burn On!! 頑張るノミ)

2024-07-11

takoyo2様 偉大なる二番煎じという体で、前作の内容を引き継いだ感じの今作の反応はいかがなものだろうか? とやや緊張した面持ちで、演じました。 そこに肩の力の入りを感じたのかも知れませんね。 おそらく年配の方は私の持っている自然体のブルースに共感されているのだと思います。それは僕ぐらいの年代の人から抜けているものでもあると思うから。 ダンスのアイデアについてですが、それが自然な流れであるなら、取り入れてみる価値はあると思います。詩を読んで自然な流れで少し奇を衒ったことはやるかも知れませんが、その時の思いつきの範囲内で、無理なくやりたいと思います。 抑圧から解放する強さを私にもし感じるとしたら、それは、自分の中にあるやはりブルース魂なのかなあ。 結構我慢強いのです。今の人は直ぐ暑いとエアコンをつけるではないですか? ああいうのが自分には分からない。そこも含めて江戸っ子の気骨があるんだと思います。 (Burn On!! 頑張るノミ)

2024-07-11

rona様 分かります。伝わる人には伝わるものが、私にはきっとある。 そこには、シンプルなフィーリングがある。 どっかで言葉や思考だけで生きる限界を感じると言うこと。だけど言葉とは元々言葉だけであり思考だけであるかと言うこともある。 身体性を伴った言葉とも言うように、言葉や思考はそれだけでは元々存在し得ないですもの。 AI思考より、アナログ思考で見ると、僕の作品の五感で感じて読む強さを感じられると思います。 そうそこまで今風の奇のてらいはなくて、マイペースな脱線みたいなところがある。それをアートと言うのかもしれません。 またのお越しをお待ちしております。 (Burn On!! 頑張るノミ)

2024-07-11

メルモsアラガイs様 いつもコメントありがとうございます。 別詩人様のコメントのところで読みましたが、つまらないと思う詩でも耐えて読み、コメントをつけるようにしているそうで。 その原動力に、会話好きと言うのがあると言うのは、江戸時代から続く日本人の会話好きを思わせるようで、面白い! 私の詩もお茶菓子程度の話題のきっかけ作りになればと思います。 私自身が、ロジャーコーマンと言うB級映画の帝王と言われた人がアーティストとしてお気に入りで、そうするともう趣味の問題になってしまうのかもしれませんが。 私がある種の変質者と思われてしまうのは仕方ありませんね。 楳図かずをさん的なスカトロジックな変態性の持ち主ですから。ある意味では健全で健康人生命力の強さからくる好色艶男だと思ってます。 地元の劇団の方に言われたのです。 才能がある、と。 なんだかどこかでお会いして、一緒に演劇活動でもやるかみたいな面白そうな話ですが、根は吉本新喜劇でドリフターズなベタベタなものが好きだったのですが、どっちかと言うとスネークマンショー路線のエキセントリック型ですかね。 中島らもやタモリさんだなんて、ああ言うのが好きでした。 軽薄軽妙。そんな私です。 (Burn On!! 頑張るノミ)

2024-07-11

吸収様 発想の飛躍とか、そういうものがなくて、結局頑張るみたいなところに落ち着いているところに、西野カナ的な幼稚さ、面倒臭さ、ひいては寒さを感じたということなのかなあと感じました。 詩を書いてたり、歌を作ったりして、アーティスト肌だとか褒められてその気になって、そのそこまで褒めた人も最後まで応援してくれるわけではないというか。そう思うと俺ってやっぱり大したことないとか、大したことやってないとか思い直すんですけど。 おっちゃんなんですよね。多分居酒屋で客商売やってる、お兄ちゃんみたいなところがあるんで。にわか居酒屋。 天然人。寒い男万太郎をよろしくお願いします。 (Burn On!! 頑張るノミ)

2024-07-11

自分のことを神々しく思う男性を女性がどう思うか? 私の経験上は、見くびりがちなところはあります。女性はある意味では謙虚で、自分を過大評価しませんから、自分なんかが好きなの? と愛する資格というようなことを考えて強引にこない男性を馬鹿にしがちだと思うのです。 そのため私は女性にあまり夢を見ないです。 一番はお金が稼げて、経済的に相手を満足させてあげられるかという実益の問題で、女性はその懐具合を敏感に察知すると思うのです。 芸術肌の内面的な性格をお持ちのようです。他人に迷惑をかけたくないという責任感も強い。 弱腰の男を女性は馬鹿にしがちですが、得意なところを社会的に昇華出来れば、尊敬を買うと思います。 (恋愛)

2024-07-10

これは5ちゃんとは、違うタイプのかなり匿名性の高いネームで自虐的な言葉を綴る言葉の使い手さんですね。吐くことで心が楽になるし、そこで反応を見ることも薬になるのでしょう。 吐くといいと思います。 誰でもこのようなこと思いを持ったことがあるのではないか、と。 人生を豊かにし、迷いを無くすのはある種のナルシズムの獲得だと思います。 それが十分な世間水準に至らず苦しむことは多い。 思うに気持ちを吐き慣れていないからこそ、内容も拙く、気持ちを表に出すことを億劫にさせられるような生活を強いられているのではないか、と。 するとこういったところで、吐き出すことはいい訓練になるのではないでしょうか。 (正直とは)

2024-07-10

なるほど、映画に影響を受けた詩ですね。 表現の仕方は色々あれど、どれほど生きて、どれほど世を憂い、どれほど人を愛したかということを人生の晩年に歌い、その思いを伝えたいという思いはとてもシンプルで素敵だと思います。 オペラ詩と時代劇の文体が組み合う甘美かつ迫力のある歌です。 (夜の星)

2024-07-10

鳩と戯れる光景を、切り取りながら、そこに神話的なポエジーを添えた詩。 本能的な動き、身のこなしが立派であるけれども、人間界の視点から見れば、頭の悪い動きを見せる鳩。のどかな問いかけがいいですね。 ちょっとした美術館の帰り道。あるいは昼下がり。散歩道で途中立ち寄った湖の辺りにいた鳩。そんなイメージが浮かびました。 (愛する方法)

2024-07-10

インテリが好みそうな、奇想物を得意としてらっしゃれると感じます。 短い文章の中に、ダリ的な奇想がある。シュールです。 ちょっと西洋的な、臭みのある貝の缶詰やチーズのような匂いがする、味のある話ですね。 指でご飯を食べたり、ゴミを食べたり、それを食べる前に飾ったり、虫歯になった時に治療に駆り出されるなど、不思議な物語。ドンイワタの手の指に魅了される。どんな掌なのだろうと興味を惹かれます。 この小さなスケールの話におかしみを感じ、面白味を感じる細やかな感受性が素敵だと思います。 (ファン)

2024-07-10

電子時代に進歩思想の中で、陶酔状態にある心理からこの文章は書かれているのでしょうか。 少し、海というワードから宮沢賢治の『クラムボン』を思い浮かべました。電子海洋ファンタジーなのか? ならばそこで生き物のあはれが描かれているとより深みが出ると思いますが、陶酔的なところに落ち着きをみるという感じのオチで、こらまたその浅はかな感じが、今日的かも。 (デジタルネイティブ)

2024-07-10

コンサート前のドキドキワクワクする心境を軽妙なタッチで描いた力作。 しかしタイトルの天邪鬼とは、待ち合わせの駅にいないお友達のことを指しているのか? お互いの関係性のねじれ具合のことを指しているのかが、不明です。 楽しげなムードは伝わってくるのですが、少しムードに流れがちでしょうか。音楽の心地よさに身を委ねるように、人間が思考を停止するには、心地よさへの一種の安堵心というのは必要なものです。その安堵心が伝わってくるという意味ではいい文章だと思う。 ジャズのコンサートで >スウィング・スウィング・スウィング ジャズを体得するんだ のぼりきった先の溜め池では チーチキ チーチキ 渡り鳥たちがジャムっている ちょいとおいらも羽休め なんだかご機嫌な感じで、愉快な気持ちになります。文章全体の整合感や、品の良さ。オシャレな感じもあって、よく出来た音楽を聴いているような気持ちになります。 (天の邪鬼)

2024-07-10

メルモsアラガイs様 精神障害者は、この20年で300万人増えました。 以前、触れた超過死亡者数の原因不明の爆発的な急増。 お年寄りばかりで、子供が生まれない。 人権ヒステリーで、不謹慎だらけ。ちっとも楽しくない世の中。 中国系会社、外資系会社に国内産業は奪われ、若者の多くはそこに無関心。 死には、見える死と見えない死があります。 戦争にも、見える戦争と、見えない戦争があります。 古い意味での見える戦争。可視化出来る戦争に怯えているということならば、それは現代における可視化出来ない戦争を自覚出来ていない。 物書きを目指す人間として想像力の問題ではないかと思います。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-08

メルモsアラガイs様 未来悲観者としては、戦争が出来る国になれば日本は変わると思ってます。 大病院を全部廃棄にして、若者を戦争にいかせ、人間本来の健全な精神と自尊心をこの国から取り戻せるようにして欲しいですね。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-08

類様 おっぱいかお尻かで入院中男性と議論したことがあります。 ストリップショーに行った時私はおっぱいを見てすごく感動して泣いてしまったのですが、若い男性はどうもお尻に注目していたようで。私が去る前に顔面騎乗を楽しんだようです。 お尻は背徳感もあるし、いいと思うんですけど、おっぱいほど泣けないですね。おっぱいはグッとくるというかその暖かさ、程よい肌触り、優しくもなるし、泣けてきます。 歌で言えば歌謡曲ブルースのような、込み上げる哀愁がおっぱいにはある。 時代がなんとなく、お尻に傾斜しているように思えるのですが、僕の中ではやっぱりおっぱいです。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-08

類様 おっぱい好きです。人間は皆そこから来てますので、パブリックな部分でのノーマルを大切にした時、女性の体でどこが一番好きかと言われたらまずおっぱい。 おっぱいはあったかい。おっぱいはふかい。おっぱいはふっくらしている。毎日手元にあると安心する。そんなおっぱいが僕は大好きです。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-08

rona様 確かに、なにが起こるかわからない時代。 私みたいな暗い経歴がありながら、じっと耐え忍び、そのリビドーからくる性欲を持った男が女を喜ばす時代はきっと来ると信じます。全体的に今の日本人性欲昔より弱くなっているというのですが、我慢してないよね。エアコンにしても、暑いとすぐつけるし、江戸っ子じゃねえんですよ。 僕は想像力や才能に、忍耐精神は欠かせないと思うので、今溜まってるものを未来にぶつけてやりたいと思ってます! (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-08

メルモsアラガイs様 なんだかわからないなあ。狂人変人まとも人も、どの尺度で人を見るかによるので。 今度は格好つけてサングラスつけて、やってやるよ。 この崩れてるラフな感じが良かったんだと思うけどね。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-07

rona様 福祉の世界はきついのです。 異常者の世界では健常者が異常に見える。と言った人がいる。 時々女性の利用者や管理人に手を握りたいというと、拒否されます。 若い男性がこんなところにずっといる苦しみがわかれば、手の一つも握ってくれると思うのですが。 早めに仕事を見つけ、施設から脱出したいのですが、病院施設両親の監視管理下にあり、中々それも思うようにいかないのです。 キャバクラに連れてってくれるとか言ってますが、一回で相当パーですからね。 とんねるずが好きなのは、石橋さんが苦労してたとか、貧乏だったとか虐められてたとか、そういうところに勝手にシンパシーを感じるんですけど。ねるとん紅鯨団もそうですけど、女が好きだっていうそこですよね。 人気者になりたいと思ってます。 オーディションは2回2次予選受かったのですが、一つは東京に最終オーディションを受けに行くお金がなかったのと、もう一つは、履歴を見て心配だと言われアウトでした。やはり仕事を見つけ働いていないと、事務所が入れてくれることは難しいですね。世の中の厳しさを改めて感じました。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-07

ぺえ太様 女性の怖さについて言及するのは今の時代勇気がいることです。 私は男性と女性でどちらが人間的に価値が高く、気品があり、また優しいかという点で、特に優しいという点に関し、男に軍杯をあげる極々平凡な感覚を持った人間です。 例えば、いじめの一つも出来ない男性に女性が惚れるでしょうか? 女性の中には男性の持っている攻撃性、ありとあらゆる攻撃性に、男以上に武者振るいする性質がある。それは理性の歯止めが効かなくなるという点では、ヒトラーの時代に躊躇です。 渋谷系のノリで米米のフレーズをパクってみました。そこはネタバラシしない方がオシャレかと思いつつ、さりげなく告白しておきます。 全体に男を感じてくれたというわけだよね。それは嬉しい。 クイーンにしろ、ジョンレノンにしろ、いいアーティストは、先ず男に評価されるからそれは嬉しいよ。 自分の持っている梅図かずを的な不気味さが、まま発揮された一作と思います。 自分には、昔から他人から見て少し気持ち悪がられてしまうなにかがある。それは少年的なまっさらな心。純粋さとも言えるなにかだと思うのですが。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-07

rona様 ありがとうございます。 コロナ前はたけしさんの昔の番組とか、動画で楽しむお笑いミーハーだったんですけど、コロナ以降おかしなことに気づき始めて、少し硬質の政治ものを見るようになって。頭が切り替わっちゃいましたね。 チャラい部分を解放したい部分もあり、そこを発揮すれば女性もよりみてくれると思うのですが。 とんねるずなんか大好きです。ああいう人たちになりたいっていう。人気者いいですね。反骨的な面を表に出しても少し上から見る余裕ができてる。すると若株と交わると丁度いい感じになるかなあなんて思ったりします。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-07

メルモsアラガイs様 私は放送部経験もあり、地元の障害者の事業所で司会をやった時も評判は上々でした。 コロナでコミュニティが崩壊し、SNS引きこもり傾向が強くなりました。 確かに詩人を目指していたわけではないのに、この世界に少し顔出ししているところはありますね。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-07

        上             上                        天天天天天天天天    天天天天天天天                     下         下                                                           流          月  雲                     流           月 雲                        落            月雲                        流星            隠                       流 星            月        上              星            月       斜              人            人人人人人人人人                                            芯         夢      芯      夢            幻     芯     幻           幻    芯    幻            夢   芯   夢                芯                根               散 散              散   散                            散     散            散       散           散         散          散           散         熱             熱 (B-REVIEW 7月のお題詩「さよなら、インターネット」「打ち上げ花火」 )

2024-07-07

考えることが苦手な人は、心地よさに流れてしまう。思想し続ける人は、その甘さにいつか気づくものです。 ヒトラーの中には、ある種の病理と同時に、心地よさに流れる健康性がある。それが今の時代に生きる人々に感じることです。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-07

メルモsアラガイs様 変な話が、普段から脳が自然的に演技をしているかということ。 ある種の自分に対する突き放しが、客観的にみて自分のやっていることは全部演技だと思わせているのかもしれない。 >いじめてやれそうでお友達にはしたいかな。と。 それはちょっと違うと思う。いくら年上の方でも、それは受け入れられないなあ。 私とあなたは似ている。それはコインの裏と表のような関係かも知れない。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-07

Takoyo2様の中には、王様は裸だと素朴に言ってしまうよく言えば素直さ、人によっては癪に触る無神経さがあると思うのです。 チック症の人間の中には、根拠なきナルシズムを抱えている人間がいて、それはある種の異形の中で突出した存在でなければ本人が困るのです。 自称芸術家の、一般人より性質の悪い変態性。ここにある種の同情と、裏返しの票が集まる。 歴史的には、ヒトラー。フィクションで言えばジョーカーがそういうタイプです。 いじめられた原因について、考えるのですが、その持っている素直さが、どこかで外に現れていたのではないか? と。 その素直さは、怨恨なき人間にとっては素朴に好感を持つものですから、Aさんには凄く愛されたんじゃないかなぁ、と。 (あ、日本の詩人だ、石を投げろ!)

2024-07-06

>rona様 静岡市の路上駅内にて、あるいじめっ子をテーマにした朗読を読んだ時のことです。赤子を運ぶ女性が最初興味を持ってみていたのですが、途中で内容の酷さに怒るように、去っていきました。私の持っている毒舌の中には女性的な何某かの逆鱗に触れるものがある。それは今後ファンを作りたいと思う点で課題です。例えばバカな人間に嫌な思いをした人間として、その人間をこき下ろすことに、正当性があったとしても、それは傍目からは酷いことのように見えるのかもしれない。 冷静な朗読だったと自分でも思います。それを褒めて頂く方も今回多くて嬉しくありがたいです。 ラフでルーズな感じがいいですよね。ルースターズとか、ストーンズとかブルースっぽいロックが好きなんです。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-06

>黒髪様 脱力するなあ。 キン肉マンの、マンちゃんですか? ゆでたまごならぬ、なまたまごの名前で漫画家デビューしようかな? ついてる突起物は、満子じゃなくて、珍子。おかま男の万太郎をよろしくお願いしまーす。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-06

メルモsアラガイs様 なんで、そう思うのか、わからない。 僕が依存的だというの? 僕はきちんと、メルモさんのメールに一対一感覚で返信しているじゃない。そこのどこにtakoyo2さんへの依存性があるのかがわからない。 幸せな国がいいとか、国の幸福度を測る基準はあるよ。 この国の誉基準て戦争をしないで、人が死なない長生き的な格好悪さじゃない。 自分たちの国にプライドを持ってるとか、気高いとか、そういうのが無くて、平和だからいいなんていう陳腐な時代はもうそろそろ終わりだな、 手の一本や2本もげたぐらい、人生の勲章にしないでどうするか? 先ず女子が群がる男が少ないことが、この国の男どものつまらなさを現してるじゃないか? 右翼左翼問題も、そこまで無気になって論じるのはいいけど、その怒りの対象として僕や他の人が相応しいかどうか? (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-06

>鷹枕可様 国が、見栄もプライドも捨てて、その不当性を隠蔽したまま、一人間をドメスティック空間に追い込み、冷淡に処理しようとしている。それに対し、反旗を放り替えして一念発起している私に対し、態度の問題を口にするのは、理解は出来ますが、当事者として、丸呑みすることは出来ません。 それはともかく、私の全編的な浅さへの言及、自分でもその軽薄さをこの年齢まで生きてきて培った一つの生き方だと受け止めております。 お調子者のおっちょこちょい。そこへの開き直りと、そこに見た健康性にそれなりに価値を見出すものでございます。 イベントも面白いと思いますよ。少し覗いてみますね。ありがとうございました。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-06

takoyo2様 なんとも言えないです。本人の精神状態については。 ここは、SNSですから。 確かに、はためにはおかしな人間に見える文面の人もいる。 ものを考えて思い詰めた言葉を出す、そして晒す。表現というものは、難しいものです。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-06

メルモsアラガイs様 でもね、そこにわざとらしさを感じる人だっているわけですよ、 生まれて生きていくだけの人生で特別飾り立てて、芸事にあたるばかりが能じゃないです。さりげさなの中にも芸がある。 ジョーカーの中に、そのさりげなさ衝動性が、あればいいのですが、やはりあれは人工物でしょう。 今度の映画も見に行こうと思ってるそれなり、ジョーカーファンですが、もうちょっとリアルな切り込み方もあるわけで、突然見栄を切ってスパッと切るような。やるぞーという感じで乗り込んでからやるのでなく、突然夏の昼下がりのサイダーの泡が、缶を開けたら飛び出すみたいな。 今回はその衝動性に、おおっと感動を受けた人がいると思うんだな。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-06

takoyo2様 私は、ローリングストーンズが好きなんですが、初期の彼らが持っていたぶっきらぼうな、表現の骨の部分だけを遠慮なくぶつけてくるような感じに惹かれていました。 そのラフな感じというのが、僕の中にもある。 表現者は衝動をなくしてはダメだと思うのです。凄く形式立ててトントン拍子で物事を進められるような人だと、見ていても面白味がない。 僕の持っているその衝動性が、内容の中にも現れていると思います。 >おそらく江戸時代でも、鎌倉時代でも 圧政の吹きすさぶ村では必ずこういう語り部が 生まれて、このように簡素な化粧と舞台仕掛けで 語っていた様がほうふつとしてきます。 一つの歌舞伎的な佇まいで、見栄を切るナレーションの魅力ですか? お褒め頂き、ありがとうございます。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-06

エイクピア様 声に出して読んで頂いたということで、嬉しいです。自分でも、単純な内容に見えて、そのシンプルに考える癖は、それほど多くの人が持っているものではなく、一つの個性だと感じ始めました。 直感の良さが届く人には届くんだと思う。その説明しづらさの中に僕があるんだろうなぁ。もっと言えば共通認識というか。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-06

メルモsアラガイs様 そこまで反発心を覚えるものがあり、だからこその長文による意見ということならやはり、なにか作品の中に興味深いトピックがあったのではないか? というのが私の思いです。 それは、takoyo2様が褒めて頂いたものの反対側に位置する見識からくるものなのかもしれないと想像します。 言葉では直ぐに現しきれない反発心のようなものが、私に対してあるのでしょうね。文面に書いてあるモノを見てもピンときません。きっともっと深いところに根ざしたものだと思います。 >赤で分厚く塗られた口の周囲。そこまでやるなら黒いネクタイを巻いてきちんと正装してほしかった。後ろは壁で箒が置いてあるトイレの前です。 動画をお褒め頂き、アドバイスまで頂いて恐縮です。 この国はある時期まで、左翼的な思想意見というのが割と普通に通っている国だったと思います。 もちろん平和はいい。 だけど、中国みたいな怖い国がある。北朝鮮みたいな恐ろしい国がある。ロシアみたいなヤバい国があると考えれば、日本だけ平和平和と理想を追い求めても仕方ないでしょう。 そしてその上、人間の中から暴力性野蛮性は消えないから、戦争がなければ内弁慶で暴力を振るってばかりの国になってしまったと思う。 僕はうんざりしてるんですよ。 いい思い出来るのは、集団のトップの人間だけじゃないですか? 集団というのは仲良くなりたいという欲望願望も中にいる人間はあるわけですから、外側に強い敵を見つけて団結することに夢だってあるわけです。 それに暴力的な衝動を人間から奪い取り、押さえつけるというような左翼的な考え方も賛成出来ないですね。暴力衝動が人間を突き動かします。これは否定出来ないです。 コロナワクチンの副反応問題について、マスコミ全体の隠蔽。 超過死亡者数の爆発的な増加。 死したる国に住まう若者に、未来の可能性や希望などなんにもない。 むしろお年寄りはいい時代を過ごせたと安心してあの世へ行ける最後の世代になるのかもしれないんですよ。 実際はこの国は超のつく戦争状態を皆が生きているのです。その内容について知りたければまたいつかお話しさせて戴きます。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-06

takoyo2様 ハハハ『超過死亡』の話は確かに、興味深い話ではあるんですよね。 文学的な質、どうこうが評価の軸にあるのは間違いとは言えないけれど、世俗で起きている重要なトピックに、十分な関心ごとを払えずに、文化を論じようとする人が多すぎませんか? インテリやエリートの世界と距離を置いている主婦層の方が、よほど物事の道理筋道を理解しているのではないかと思ってしまいます。 主婦層の持っている動物的直感をバカにしたものではないですよ。 応援してくれるのは嬉しいなぁ。ありがとうございます。 (非行)

2024-07-05

ぺえ太様 芸術はやっぱり色ですよ、そこをちゃんと見ている。わかる人にはわかる。 ありがとうございました。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-05

takoyo2様 僕は、十数年SNSで散文を描き散らかしてきましたが、ハッキリなにかを感じさせるものは初めて書いた気がします。 動画も含めて評価するところが、全体を俯瞰して見てますよね。 芸術とかアートって、小手先で如何に器用かじゃなくて、読み手の心をぱっと掴んで如何に読ませるか? みたいなほとんど動物的な直感みたいなところにあると思うんです。 その勘みたいなものに、主軸をおいて批評してるtakoyo2さんに褒められたのは嬉しかった。 ありがとうございます。 ラストのおっぱいもね。 (内弁慶武者震い国ニッポン!)

2024-07-05

俺ちょっと、takoyo2さんわかるところあるなぁ。 俺堀江貴文って全然尊敬出来ないんですけど、保守系の団体も含めてガキがたかるんですよ。 あれ成金の坊ちゃんがモテるっていう典型じゃないですか。 ベトナム戦争反戦歌お坊ちゃん目線で色々書いてましたね。戦争は良くないとか。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-05

繊細でロマンチックなタッチで思い出に消えていく恋人との思い出が描かれます。 描写全体に世界観にスッと入れるようななにかがある。色の表現もそうですが、作者の中に確たるイメージがあるから安心して世界観に身を任せられるのだと思います。 実感を持った傷心だから、描写全体に無理がない。 繊細さ、弱さ、傷つきやすさ、男性への誠意。品よく纏められていいね。映画みたいです。満点。 (デルフィニウム)

2024-07-04

田代ひなの様 そこをちゃんと読んでくれたのは、嬉しいです。 ぼくはこの文章を個人のスクープまがいの訴えとして書いてない。 自分というフィルターを通して、日本の現状をしっかり伝えてるんですよ、そこの面白さを汲み取ってくれる人もいるし、反発を覚える人もまぁいると。 自分というフィルターを通して、同じように圧政に苦しむ人たちの思いを代弁する。それは僕の好きなミュージシャン、マリリンマンソンのような人もやっていることです。 苦しんでいる人よ、俺はここにいるぞ! そういうなんか存在感見たいのを、作品を通して示したいですね。 国がズルしてるっていうのをSNS上で晒して書くのって悪戯小僧みたいでちょっと面白いと思う。構図に遊び心がある。 平和爆弾コロナワクチン、そういうチャップリンみたいな悲惨ごとを笑いに出来なきゃお茶目でもないし、表現者でもないしっていう。 わかってくれる人がいる。ありがとうございました。 (非行)

2024-07-04

感情の流れに呑まれてるところが、昭和のおばちゃんだなあと感じました。 どっかで平静で物事を見て、悟ったようなことを言う卑屈さがない。そのストレートさがいい。 (また罪の手を取るんだね)

2024-07-04

家で暴れて踊りながらすっ転がってそうな詩ですね。 一人で盛り上がれるっていいなあ。男の子です。 (いんちきチャンピオン)

2024-07-04

政治的な観点からくる批評見識を現したモノです。 詩としての、言葉芸術の世界に生きる表現者が表現力をフルに活かして、言葉をあれこれ面白さを表現したり、その点に、少し足りなさを感じました。 英語の翻訳を下に添えると言うのも、おしゃれと受け止めることも出来る。どちらかというと、中日新聞なんかで一般投稿コーナーのあった「平和の俳句」内の凡庸な政権批判に近いモノを感じました。 こう言うのも親父共同体で、楽しんでたりしますよね。そこで楽しさを見出せればいいんじゃないかな。 (国)

2024-07-04

愛されてきた女性の、感傷的な詩です。 立場の違う人の詩に共感は出来るか? 共感と別のアングルから文章を見てみる。 与えられながら、与えきれず人を傷つけてきた人の内なる心を覗くようなドキリ感がある。 愛されている人間が、愛されている限りにおいて、罪はないと思います。傷つけてごめんという誠意が見える時に、あまり生意気なタイプの女性じゃないのかな? と思ったりしました。 すると男性は好感を持つでしょう。そんな印象です。 (すがる想い)

2024-07-04

下世話って書いてた。抜け目がない人じゃないんだ。ぼくは。笑っちゃった。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-04

谷川さんの詩を、お金持ちの坊ちゃんの詩だと言いたくなる気持ち、少し理解出来ます。 谷川さんの、下世話な内容も含むユーモアたっぷりの詩とか、言葉遊びの豊かさ面白さは、凄く好感が持てるし、好きなんです。 一方で、芸能界や、芸術界と言ったエリートの世界は、やはり富裕層がモノを言う面があります。 堺正章氏や、ユーミンと言ったお坊ちゃん、お嬢さんが都会的な品を持ってする華麗な表現。 反対に、米国で言えばチャールズブコウスキーのような詩人や、歌手で言えば岡林信康氏、長渕剛や、中島みゆきと言った人達は、そう言った典型的なエリートとは違った家が貧乏だったり、幼少期から虐待を受けていたり、そう言った環境の中で育って、人間の残酷さ、嫌味ったらしさ、泥臭さ、芸術に華麗さを見たい人が、反発心を覚えるような表現によってどちらかと言うと貧民層の共感を誘い、成り上がってきた人たちだと思います。 ぼくの同級生で、親から月10万円貰っていた子がいたのですが、やはり遊ぶ金を持ってる人は、モテるんですよ。だって、貸したゲームソフトを未だに返さないような男なんです。それがバンドやったり、バンド内で名乗っている名前が「うんこ」とかって言うどう捉えていいか分からないような感じなんですけど、ちょっとだけ、悔しいけど、ロッキングオンでやってるコンテスト入選したりとかしてるみたいで。 鉄道模型親に買ってもらったりするお坊ちゃんとか、本当は凄く根性悪くて、人を見下してるようなところあるんだけど、やっぱりモテるんですよ。 詩って紙とペンさえあれば、牢獄でもかけるモノだから、筆圧の強さとか、言葉に強いモノを持ってる人に惹かれるんですけど、学術的な、文学こうあるべしみたいな教養豊かな世界で言葉に携わってきた人の言葉の持つ、品の良さ、繊細さに対し、未だに少し萎縮してしまうところがあって。 僕は詩も歌も音楽も、上手い人しか出来ない書けないモノだと教えられてきたし、そう半分信じてきました。やってみたら意外と出来た。それで褒められると、僕も長渕や、ブコウスキー路線で、受け皿を見つけられるんじゃないか? と希望を感じ始めたんです。 育ちの違いで、詩や表現に対し、感じ方の違いはあると思いますね。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-04

「SNS卒業」 文句を言うにも資格がある このバカの年金親父 息子の障害者年金搾り取って 毎日酒飲んで、良い暮らししてるお前が いつまでも家に閉じこもって 屁みたいな言葉吐き散らしてる家に 誰がいつまでも大人しく同居したいと思ってるんだ このバカたれ インターネット卒業したくても出来ないよ 隣のあの子も、後ろのあの子も どの子もその子も インターネットと誰かと誰か カウンセラー メル友に 毎日毎日連絡し、浸かり まともな仲間なんてコミュニケーションなんて ひとつもとれやしない だからこの広いインターネットの海いっぱいに アオミドロいっぱいの 汚染水を垂れ流してやるんだ 二度と人間が住めないようにな! (B-REVIEW 7月のお題詩「さよなら、インターネット」「打ち上げ花火」 )

2024-07-04

僕が詩をSNS上で書いたり、雑誌に投稿してるのってやっぱり貧乏が一番大きい。 だってお金あれば、周りからもっと可愛がられたと思うし、漫画家でも、歌手にだって才能があるから、なれたと思ってる。 詩人て紙とペンだけ。SNSならPCがあれば無料。その低コストが魅力だもの。 だからコーヒーをおともにすらしない。僕が詩を書くときのお供は持ち前のパンクなハングリー精神だな。頭の中にある日頃の鬱憤や日々感じる疑問を短文にまとめて爆発させるのさ。ウォーって。空に向かってアスファルト蹴り上げ、噴き上げる思いをホースいっぱいに放出するのです。 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-03

秋乃 夕陽様 そうなんですよ。それをちゃっかり僕がやっていると言うわけです。 夜の街で、投稿誌で、時に過激な色ネタを話したり投稿し、この世界が色や輝きを失わないように鞭を打っているんです。それがないと少し寂しいって言うのが、まだ世の中にありますよね。今後どうなるかは、正直分からないな。不謹慎だらけのテレビ局に洗脳されている人には、クリーン化が進んだ社会に僕みたいのがいると驚くかも知れません。 (漫才:漫画みたいな話)

2024-07-02

田中宏輔様 自分は、主体性を発揮できる場では、なにが面白いか? 色気を感じるかと言う色の部分に着眼点を添えています。ビーレビは、2万字と言う魅力的な規定があるために、先月は詩を載せず、今月もコミック作品を投稿しました。 素人が自分の言葉と文章のみで表現作品の質を競う当サイトにおいて、今回投稿したような、漫才の台本も一つの彩りになれば嬉しいです。 (漫才:漫画みたいな話)

2024-07-02

構成がよく出来てると思います。 詩と歌とは厳密に違うので、これは歌詞ということだと思いますが、新時代の唱歌みたいな感じでよかったなぁ。ネットで話題になってCDデビュー、バズると良いですね。 (僕らの行進曲)

2024-07-02

面白い面白くないは本当難しいよ。昔は、なにが良くてなにが悪いか、という尺度で文化に携わる人は議論したと思う。 文化に携わる人間として品質の問題を考えたら、良質か悪質かを考える必要が本当はある。 メルモさんに、低評価を受けた作品、自分でもそこまで面白いかは疑問だけど、他の人から面白かったと評価頂いてる。僕はその人の作品、正直いうと、メルモさんの作品より好きなので、その人の評価を優先して考えます。 だけどこのサイトで、入選するような作品は、全然書けないね。一度ブンガチャカ交響曲で載ったのは嬉しかった。色んなところに投稿してるから、どれが入選するかなんて分からないし、正直そこまで他人に責任を負ってない身だから、これで賞取ろうみたいな狙いがなく、マイペースにやってます。 あさひてらすの方では、時々載ってます。今月は鏡文志のネームで、2作。 ずっと載ってたり、少し受けてたりするのが急に載らなかったり受けなくなったりすると、グレるとか不貞腐れるということはないよ。ただ、焦るというか、後ろめたくなるというか、少し恥ずかしくなるんだよね。だって、ほんの少しモテてたことが自己肯定感に繋がってたわけだから、そのことに気づかされるな。 ココア共和国が、3回ぐらい連続で投稿で落選してる。POETに投稿した違う詩を投稿すればよかったと思う時もある。POETは、同じアマチュアからコメントがくるぐらいで、審査員の人が賞くれるわけでもないから、あまりこれはウケると思う詩は投稿しないようにしようかな。どれがウケるどれがいい詩かなんて確信がある時は、ほんの少ししかないけれど。基本詩は嘔吐だから。吐き出すことが大事なんだよな。 あさひてらす 6月掲載詩  記事URL https://webzine.asahipress.com/posts/8123 (ユーザー交流スペース2024/7月度 )

2024-07-02

秋乃 夕陽様 僕の持ってる古さ懐かしさを堪能して頂けたようでなによりです。 若い子同時代者にウケるのはもっと直接的なものかも知れません。 今表で表現作品としてヤバさは封じられているけど、実際の性風俗事情はもっと過激になってたりするわけで、そうするとちょっとそういう時代にどういう表現をやっていけば良いかを探るのは少し困難な課題だし、それをやってみようっていうのはあります。全体に僕ぐらいの年代から表現や表で過激なことをやることに夢がなくなってるのかなぁ。 (漫才:漫画みたいな話)

2024-07-02

メルモsアラガイs様 うーん、そうっすか? 構成は結構よく出来てると思ったんですけどね。 なにが面白いかと思うかは、人それぞれで、自分は吉本新喜劇や、こち亀、ドリフターズのような泥臭いドタバタを親しんできました。なので、今風のシュールなノリは、少し苦手なんです。 ただ、人が面白いと思ってることを貶したくないな。本来なら、自分のネタを低評価されてるので、喧嘩売ってんのかこらあ、と唸っても良いんだけど、なにせ立川談志ならぬ、立川腐男子なんで。 腐男子キャラだと、対応が曖昧になる。そういうところも含めて僕はダメ男お笑いです。 ジョーカーですから。パブ、スナック、バー結構行ってました。 (漫才:漫画みたいな話)

2024-07-01

精神障害者の人とよく会う日々を送っています。 知的障害とも少し違う、文化的教養欠乏症というのが精神障害者の主な症状だと思う。 知的活動は問題ないのに、なにかが足りない。世の中ものを知ると怖いことが多いけど、逃げてはいけない。騙されてるのが、精神障害者の特徴ではないかと感じます。ものを知ると、良いと思いますよ。 悪口が聞こえてくる。それを無視する。それが文学かというと、日記みたいなものかな。文学は根本問題に触れる。考えが足りないと、対処療法に終始する。そんな印象を持ちました。 (無言)

2024-07-01

訂正:筒美京平は、作詞家の松本隆先生と、コンビを組み様々な楽曲を生み出した作曲家です。 正しくは、松本隆タッチとでも書くべきでした。失礼しました。 (非行)

2024-06-30

おまるたろう様 わかりました。その意見は尊重します。 なにに人々の意識が集中して、鑑賞者が集まるかは、本来発進する人間が選ぶことではありません。 ジョンレノンがポールマッカートニーを批判する歌を書いた時、それが詩のテーマとして面白いと思ったから書いたと思う。 私小説を、作品に反映させるのは、古典的な表現手段です。 松尾芭蕉がもし、内縁の不和をテーマにした句を思いつき、それを面白いと思ったら私は芭蕉は、内縁における不和をテーマに書いたと思う。中原中也も、恋人への想いを綴っております。 実人生における内縁をテーマにした詩は、身近なテーマだし触れやすいものです。 日本の詩は、筒美京平スタイルのフィクションタッチから抜け出ていない。私はその面でも遅れてると思う。 勿論気に入らないならいいですけどね。 話題集めのために書いてるとか、それを想定してるとか、もしそうだとしてそれの一体なにが問題があるのでしょうか? ラップにしろdisり合いで、集客を上げてますし、それが面白いと思うからやるわけで、色気も感じずに、テーマに選んでいるわけではないのです。 愛はヒートアップ、摩擦から来る熱が呼び起こすものであり、そこに女子や大衆が群がるのは仕方ないでしょう。 私は、ボビーダーリンやブライアンウイルソンのような純粋に良い作品を作って、売れたいと思っていますし、その素質もあると思っています。 ジョンがポールを貶した歌を、そこまでは気に入っていないように、別に私もこれで売れたいとか、この内容とスタイルに強い自負があるというわけではないです。 ただ、面白いと思って私は書いた。そこに強い反発精神が働いたということは、それだけやはり面白かったんですよ。だって、批判もない作品に興味深いトピックはないですもの。 (非行)

2024-06-30

おまるたろう様 私が読み手が自分の作品に関する印象を制限しようとか、印象操作しようとしているように見えるということですか? 被害者意識を感じるのは自由ですが、実際に被害を受けているわけだから、それを『被害感情』であり『被害者意識』であると語ることに無理があると思います。 ネット上の被害者Aというのは、申し訳ないけれど「文春砲」のことでしょうか? 本来SNSなどに私が書き込むこと自体がおかしい。国が正当な裁判の席で、過ちを認め謝罪するべきことですよ? それを私がネット上に書くことに、どれだけ倫理的問題があるというのですか?  文学で扱う問題に、制限はありません。古く言えば、ジョンレノン、少し前ではエミネムやマリリンマンソンなど、自分の身に起きたことを私小説的に扱ってきました。 ラップにおけるライヴァルとのdisり合戦や、パンクロックにおける政権批判など、不当な圧政に対し、反旗を翻す表現は、昔からヨーロッパでは自然なものとしてありました。 日本に関しては、怒りをぶつけた表現作品は、ヨーロッパに比べ異様に、少ない。遅れていると私は思いますよ。これから益々日本文化は西洋化を深め、私のように反骨的な佇まいを持って圧政に挑む表現者増えていくと私は考えています。 私はこの文章を綴る際、タイトルに『非行』とつけ、本当の非行とはなにか? と言う問題提起をしています。それはただの暴露であり、暴露文章であると考えるのは自由ですが、私は文章の細部に、音楽的な節をきちんとつけ、話を上手に持っていってオチまで繋げていると思っています。 世界観もきちんと演出している。それでも、それをただの汚い内部告発だとお思いならそれは自由です。私はそう思わない。それだけです。 (非行)

2024-06-30

おまるたろう様 私が自分語りをした結果、実人生における暴力被害が話題の中に出てきた。 それを晒すのは、表現者として格好悪い、美しくないという指摘と受け止められます。 私が10年近く前にブログ記述を始めた時、私は好きな音楽について語り、自分のことをあまり書くことを控えておりました。すると、SNS内で私のブログについて 「彼のブログから実人生が見えない。それがものを表現している人間として、イタイ」 との書き込みが見つかりました。 私はものを表現する人間としての見栄と建前として、成る可く批判意見に真剣に耳を傾け、内容を吟味し、実人生に活かすことにしています。 確かにそういう面もあるのかもしれないと感じ、少しずつ自分を語る努力を積み重ねてきました。 私に美学がもしあるとしたら、成る可く正直を通そうとすることです。 その結果として、過去の暴力による被害も、私の実人生に起きた物語の一つとして正直に書きました。 自分の物語性に忠実であろうとすることに関しては真剣です。 美学も色々ありますが、喜劇役者における美学とは少し違うかもしれない。 泥臭さや格好悪さも含め、自分自身をありのまま正直に綴り、語ろうとしているつもりです。 自分なりの美しさを表現しようとしていることが不恰好に見えたとしても、それは仕方ないと受け入れるつもりです。 被害的に綴っていると思われるかもしれませんが、フェアな視点で、自分が受けた暴力に対し、不当だったと思っています。文化に携わる志を持っている人間として、文明的でない野蛮な行いに対し、当事者として反旗を翻す思いで綴ったつもりです。 (非行)

2024-06-30

おまるたろう様 ドメスティック内で起きた暴力行為に関し、公の場に晒せば、どちらが法の論理に反しているかがハッキリすると思うのです。それに対し、正当な訴えを公の場であるSNS内で文章として公開する時、それを、私の「被害者意識」であるという論理に対し、公正な意見でないと感じます。 ヒトラーやそれを支持した当時の体制は、ユダヤ人に対し、被害者意識を抱いておりました。同じように私をいたぶる人々も私に対し、被害者意識を抱いたかもしれない。しかしそこに私がいなければ多くの人々は次の標的を探すのではないでしょうか? 群れの存続のために、加害者の存在は常に必要かもしれませんね。 私は被害者意識から訴えを起こしているのではなく、フェアな視点から物事の道理を解いていると思っています。それに関し、立派なことを言っているが、大きなものを感じないというのなら、私は物事の細部を無視して大きな物語を語るつもりはないと反論したいです。 (非行)

2024-06-30

私の内容の中に愉快犯的な加虐精神が、見えづらい。もしそういう視点がありましたら、それは私自身の何某かの病の問題だと思っています。 そういうものがあった時代があったことを思うと、良心的な誤解が、表面的に私からその毒を奪っていると思うのです。 (非行)

2024-06-30

おまるたろう様 道徳や正義が一枚岩でないように、加害被害も身分立場価値観によって一枚岩ではないのかも知れないと思うのです。物語を通して、現実的に敗北の体をなしていたとしても、最後には被害者としての訴えを通して、加害者の正義を潰して殺した。現実的に、力の論理で初めから相手の正義を潰し圧倒して殺した。どちらの立場を選ぶかは当人でさえ、選ぶことは難しいと思う。 なにが被害で、なにが加害かということも、一枚岩でないかも知れない。 被害者の立場に甘んじてしまったことで、加害を働いたかも知れないと思うことはあります。 影響力を誇示すれば、加害的な面も引き受けるものかも知れない。 加害被害に関しては、そう簡単に答えが出る問題ではないように思いませんか? (非行)

2024-06-30

古代における、現代の人工的生活よりもっと、人間が人間らしく生きていた時代への憧れ。 そこに緩い世界で幸せを味わっていた自分が、抜け出したい。そこで、現代での幸福を共有していた同時代者に裏切りさえ犯してしまった。という反省の趣でしょうか。後悔してしまったことを思わせる後半の内容に、示唆的なものを感じました。 (幸せな魚)

2024-06-29

わかります。歌を作るのが楽しくない。この苦しみがうたい人にとってどれほどのものかを。 私も歌を書いて、今月もあさひてらすという詩のサイトで掲載されましたが、私の歌には、技量はあっても実がないのではないかと思い悩み始めました。 壁にぶち当たると、また良い詩が、いい作品が。その前にいい人生がなければ、確かにいい詩は書けない。 (紫陽花)

2024-06-29

障害者事業所はどんどん増えています。中で働く人が増えている以上、事業所での作業を世間は一般企業と同じ認識で評価するべきでしょうね。私などスーパーで働きましたが、どちらが楽しくなく圧倒的に嫌かと言われたら、事業所労働でした。 文章の止めハネが上手くできていないところは気になりますが、言いたいことはよく伝わりました。 (勝負)

2024-06-29

散歩すりゃ天気もええぜ。散歩はいいですよね。有酸素運動だから筋肉はあまりつかないようですが。 ちらちらよそ見しながら歩くと、怪しまれそうです。 (散歩のエロス)

2024-06-29

現役で現場を持っている方の文章だと説得力があります。 私も以前住んでいた地域に役者の方との交流がありましたが、演劇論など熱かったです。 (演劇論)

2024-06-29

ぼんやりしている感じがいいですね。 それが詩だよな。PCで書くと、はっきりし過ぎちゃう。だけど、ここには、毛筆で書くと浮き現れる歌の精神がある。 五 >空を見上げる その事に意味はない 朝餉の匂い 思い出してみる 誰の隣で寝ていたかを その事に意味はない じんとくる。五感で感じ、沁みてくるものがあります。 強い個性を持った詩で、惹かれます。 (考える)

2024-06-28

マシュマロくんと、シュークリームちゃん、そしてアンパン女子のファンタジー。 奇想を楽しむといった趣でしょうか。 優しく楽しい世界が楽しく読めました。発想がどんどん飛躍していくと更にいいですが、そこに行かないぐらいの手前の温度が心地いいという感じだと思います。 アンパンにある中身を通して、哲学を語りつつ、それを聞いたシュークリームとマシュマロが見栄を張る。現実世界における対人間の心の動きが上手く擬人化されています。 (君って)

2024-06-28

熊倉ミハイ様 西部邁という人は、大衆批判を徹底した人でした。 「大衆の愚かをどれだけ過大評価しても、過大評価しすぎることはない」 「世論の逆が概ね正しい」 と言った名言を残しました。 僕が群れに流されやすい人たちの自分のなさを見たことは、一度や二度ではありません。 歴史を見れば、大衆化された人々が愚かさをむき出しにするのは、熱狂を見れば分かります。 歴史上、熱狂を浴びた政治家ほど、愚かさは群を抜いています。 アドルフヒトラーとケネディ、リンカーンの中で誰が一番大衆に熱狂されたか? 私はヒトラーだと思う。 安倍首相に関していい政治家だと思う人もいるでしょう。しかし、最近ようやく、表のメディアでも彼が大規模な金をマスコミにばら撒き、言論統制をやっていたことが明るみになりました。 歴史上で言えば、ヒトラーのような独裁者的人物を、我々は支持していたことになる。 また私はスーパーで働いていた経験がありますが、あの時のマスク騒動も間近で見て酷かった。 マスクを売らないなら帰らないと怒る客がいました。どういう人だったか? 変わった人だと思うかもしれない。極々普通の一般人です。大衆化された人間の本性がむき出しになるのが緊急時です。 昔は、たけしにしてもタモリにしても、プロが最初に評価して業界入りするのは、割と普通だったと思うのです。 私が傑作を受賞した作品を、身近な人に見せたら、鼻で笑われました。その人は、他の私の作品についても、同人誌レベルだと言います。屈辱を感じましたね。その人もクリエイター志望で本まで出版しましたが、率直に自分のことを幼稚で軽薄だと語るような人です。 Youtubeにも幾らか作品を挙げましたが、プロで活躍しているような人が、上手いよく出来ていると率直に褒めるんです。それが大衆にどれだけ支持されたかというと、良くてイイねが二つ三つついたくらいです。 >万太郎さんはテストで100点を取ってクラスの人気者という路線なのかなと。その先の深み、理解されない研究だったり、ノーベル賞を!とまではいかないということなのですかね。 そこはそうでもないですよ。私はどちらかと言えば赤塚不二夫先生のようなギャグ路線の軽薄人間です。疑り深い、過度な実験精神、エログロへの執着心など、共感するところ多しです。ただ、ノーベル賞は無理で、良くてイグノーベルでしょうね。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-21

西部がいう現代が堕落の時代、という言葉に私は心底共感します。 そういう意味では、私は古い男です。 大衆と庶民の違いを一言で言えば、気高さ、この一言に尽きますね。 道端でうんこしてもいいよという決まりができた時に、自分を律してしない。それが出来るのは高貴な人間です。 その気高さは疎まれるものでもあるし、同時に尊敬を受けるものでもある。 私は、大衆より偉いとか賢いとか、あまり思わないし、言いたくもないですね。 大衆と同じようにバカですと堕落を楽しんでいる。 チャールズブコウスキーは 「便所は臭くて愉快なところだ」 と名文を残しました。 私も現代という堕落の時代に身を呈しながら、それを楽しんでいる一人間の一人です。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-21

>takoyo2様 大衆の定義というのを私は、己が胸に問うことをやめ、答えを他人に預けた人間と定義づけます。 何故答えを他人に預けるかと言えば、その理由に『楽』が、ある。 私は10数年前に世を去った西部邁という人の含蓄を結構信頼していますが、彼が言った話に「庶民」と「大衆」の違いがあります。 庶民とは一般市民として、地に足のついた考え方をし、生活を守る生活者としてのプライドを持った人のこと。 それに対し、大衆というのはスーパーマーケットで安売りされる、市場原理に身ごと丸ごと放り投げ価値観ごと預けてしまう大多数論理の中での勝ち組のことです。 何故大衆と言われる人々が自らを放り投げ、身ごと丸ごと、国や権力、マスコミが推進するマーケット市場に身を預けてしまうのか? その原因が、己が胸に問う煩わしさや、面倒臭さを放り投げる楽にあると私は考えます。 鼻くそを目の前でほじくる女性に対し、思うのは、それはトイレで出来ませんでしたか? と言うことであり、古典的な考え方で、こういうのを粗野で野暮と言うのではないか? それをやる前に、己が胸に問わなかったか? と言うことなのです。 体育館は唾を吐くところではございません。 それを己が胸に問う力が何故ないのか? と言うこと。 大衆が架空の概念だと言うのは、西部氏も言っていることで、その架空設定の中に当てはまるから私も、そう分類して考えているのですが。 >あなたにとって辛気臭いものが 田舎者やお年寄りや精神障がい者なのでしょう。 田舎は都会より陽の当たらない世界で、ドメスティック空間であるからこそ、日の目の当たる場所では出来ないことを、やる人たちが沢山います。 田舎という架空設定の中の野暮、お年寄りという架空設定の中の辛気、精神障害者と言われている人たちの、福祉界で生きてきたからこそ実感している「辛気」 どれもイメージの中で物申す差別心でなく、その中で揉まれてきた人間の実感としての『苦』が下地にある。 大衆の定義が、最初から愚かであることを前提に、出来ている。それは、確かでしょうね。 「大衆/庶民」の分類なら反発心も湧かなかったでしょうが、大衆とプロと分けたのが、反発を受けたということならば、プロとはその見分け見識がきちんと出来ている人のことかもしれません。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-20

例えば、目の前でいきなり鼻くそをほじくり出す女性であるとか、体育館の中で、唾を吐く男性、それに注意出来ない管理者。こういったものを間近でうんざりするほど見てきた人間として 「大衆は愚かである」 この一言を受けいれられないのは、自分と住んできた環境が違うのだろうと言わざるを得ない。 お年寄りと精神障害者と、田舎者。 どれが身近にいて、不快かと言われたら、選べないくらい辛気臭く辛いものがあります。 私は、最初田舎暮らしから始まって、福祉の檻に不当にも入れられ、障害者の方との交流が始まりました。 中国で愚民化政策と言うものがありますが、日本全体が、戦後その傾向を増していると私は感じます。 大衆を愚かにするものに、大衆自身が乗っている。 それを見て裸の王様を、裸だと言うのは正直な表現者としての誠実だと思う。 良心の呵責があるのは分かりますが、東京行って芸能界入ればモテモテだろうなぁなんて言う夢がある人間としては、そこに囚われることに正義を見ないです。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-20

>熊倉ミハイさんへ ありがとうございます。 自分も熊倉ミハイさんとは、近いものを感じ読んでおりました。 今現在問題に感じていることや、世の中に対し感じている違和感、言葉遊びへのこだわりであるとか。 同時にこのまま溺れてもいいかと考えているとのことで、そこも近からず遠からずです。 ポップの一つの定義が、わかりやすさだと思うんです。 わかりやすい表現をやることは、逃げの効かないところへ自分を追い込むわけだから、バカにしたものじゃないですよね? だけど、日本の未来がWOW WOW WOW WOWとモーニング娘。が歌う時、この分かりやすさとは、言葉を美しく整え、ロジックを明確にして表現するというタイプの分かりやすさとは、また違う分かりやすさだと思うのです。 私はその分かりやすさがどうしてもわからなかった。 ポップのもう一つの定義は、ミーハー、つまり女の子を味方につけ受けることだと思います。 私ごとですが、もう小学3年生の時に、親の教育方針で、ポケモンを買って貰えず、流行に乗れなくなっていました。流行り物に乗ることや、ミーハーであることが、大衆性を持ち、大衆に認められるために、とても大事なことだと感じます。 実はネット仲間と、音楽のコラボをやったことがあります。同じ作家志望の方でしたが、その時は伴奏をお願いして、僕が作詞をやり、歌いました。 作家が交流するということは、漫談師が二人組むようなもので、お互い語りたいことがある同士が一緒になる場合、語りたいことに類似性がある必要がある。熊倉さんは面白いと思いますよ。 私には現代的な大衆性とは少し違う、桑田佳祐さんがデビューした頃の日本にあった、古い世代には少し懐かしいタイプの大衆性がある。その懐かしさを共有出来る集団の中では僕は結構モテるし、いけるタイプです。現代では正直どこまでいけるか未知数ですね。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-20

初めまして。 当サイトでは、万太郎を名乗ってます。 詩歴は3年ほどです。その前に、所属している福祉施設で、施設長と利用者の協力を得て、スネークマンショーのようなコントCDを制作していて、その中で、作詞をやっていた流れから、詩も書くようになりました。 ここに書かれている方の多くは、非常に難解なインテリジェンス漂う内容の書き込みをされていて、恐縮で、あまり中に割り込む気が引けていました。 自分は、相田みつを氏のようなポップ詩人になりたいと思っています。本当は歌手を志していまして、ポップ路線なのです。 なにが足りないか? 色々試行錯誤していて、今所属している施設内で、ナンパクラブを立ち上げリーダーを務めたいと思っています。仲間意識であるとか、民主主義社会の中でポピュリズムの中で勝ち残る力が自分にはまだありません。プロに認められればいいんだと思っていました。大衆はその後だと。プロにお墨付きを得られれば、大衆がその履歴に惹かれて興味を持ち、認めてくれる。そう思っていた時期が長くありました。 ココア共和国という雑誌で、おののもとという名前で、傑作を二作、佳作を10作程度、取りました。 有名な女優の秋吉久美子さんが、イイネをしてくれました。 (この雑誌では、審査員のイイネが、採用された詩のタイトル右上に、時々着くのです) また、審査員の一人、佐々木貴子様からは、芯の強い作家性を持っているとお褒めの言葉をメールにて頂きました。 芸能界に入りたい意志が強く、詩は自分が有名になるためのステップみたいに考えていて、哲学的な詩とはなにか? のような突き詰めにはあまり至っておりません。 いい面では、自由だということです。 適当にやっていきたい、あやふや半端者でのらりくらり暮らしていたいというその願望が、突き詰めを避けさせていると思います。 ビーレビは物書きを志している人たちが互いに、投票しているシステムで、他の詩サイトより、言葉への責任をすすんで買って出る、喧嘩腰の熱い積極性に富む人たちが多いという印象です。 表現の自由というのはそれぐらいの気骨がなければ本来守れないものだと教えられている気がします。 年配層が多いですが、私は、政治に全く無関心ではないけれど、年配層とは違うスタンスで政治を眺めているような感じです。若い人の中ではどうしても孤独ですね。ビートルズ、井上陽水、中原中也、同年代には理解されず、古いの一言。映画は、チャップリンから始まって、色々見ました。 ロジャーコーマンが割と好きです。自分も映画監督になったら、低予算で、発想ありきの風変わりな映画を撮ると思います。 仲間とか、友達というものが自分は少ない。私生活で少しずつ作る努力をしたいと思います。環境が変わったのできっと出来ると信じています。 プロと大衆というのを、あんまり分けない方がいいんじゃないかと思ったんですけどね。何故自分が分けがちなのかというと、日頃、他人の言葉のここが違うと感じてしまうことが多く、プロ目線で、見下しが入ってしまっている。 挨拶がないまま、作品のみで、サイトの書き込みが始まってしまいました。正体不明の男です。よろしくお願いします。 (ユーザー交流スペース2024/6月度)

2024-06-20

ぐんぐん伸びろよ雑草。 痩せガエル 負けるな一茶 これにありと言うところでしょうか? 頑張ろうとか強く生きようと言う思いを、外部の対象に託している力強い一作。 作品を数作読みましたが、多くの詩の中から、少し混乱した状況の中で過去を振り返りつつ、現在と対峙している一人間の姿が描かれている私小説の様相を感じさせられました。 (跡地)

2024-06-19

>黒髪様 ありがとうございます。 私は、実はモテてないことはなかったようなのです。女性の方に聞きましたが、私のことをとてもいい身なりなので、女の人から話しかけづらいと言われました。 私自身は女性というものがよくわかっていなかったので、好きなら気になるなら相手から声をかけ、好意を寄せてくるものだと錯覚していました。 女性から声をかけられたり、数人で追いかけられたこともあったのですが、逃げてしまったり、鈍感なことが多く、ものにすることが出来ませんでした。 それも我が家がとても厳しい、米国的道徳教育に縛られた家庭だったため、私が女性に対し、奥手だったことが原因だと思います。 私は実際は、ジャニーズ事務所に入れそうな風貌をしております。タモリ的な屈折を表現するのは限界がある。とすれば、タモリと小田和正の中間のような在り方が私には相応しいように思うのです。 芸能界は私の夢ですし、ここ数年で天才としての自覚、己の才能への自覚も芽生えから確信へと変わりつつあります。事業所通いから履歴作りに成功した暁には、一般就職を果たし、念願の芸能界オーディションを二、三年後には改めて受けたいと思っています。 クロマニヨンズも歌っていますが 「どん底ならば上がるだけ」 最近の私は、周囲の人たちにも魅力を認められつつあります。実は結構認められていたのですが、私が良くない謙遜をしていたので、周りも持ち上げづらくなっていたようです。 (タモリと小田和正)

2024-06-15

>おまるたろう様 鋭い感想です。批評文。文化を論じる。そこで二つの表現者の対比が出てくる。考察を深めていくと、もっと坂を登るような根性が必要。それはあると思います。 個人的にですが、もう少し人の心が判らないといけないとは思いつつ、他者に対し、充分にものを考えて行動しているのかという不信に悩むことが多く、その苛立ちが図式化を招いているような気がします。そこを掘り下げるともう少し暗くなる。リアルな心情が浮かび上がる気がします。 (タモリと小田和正)

2024-06-14

一つのことに集中出来ることは、誉でもあり。 女性と遊んでいるなんてよりよっぽどいいやあとも思うのですが。 詩を人生を賭けたギャンブルのように、綴り、その中で同じ思いを共有する仲間が去っていくことを、惜しむ。そこには見返りを求めない、ひたむきな想いがある。共感出来ること、多し。 (アナザーホラー)

2024-06-13

「ある雨の日に、私と君と」 ある雨の日に、私と君と 丁度、お茶菓子と納豆のように、出会う ある雨の日に、私と君と とろけるチーズと、ハンバーグのように広がって ある雨の日に、私と君と 桜吹雪と、梅の花のように、散っていく ある雨の日に、私と君と 回るアンブレラ 浄瑠璃仕立ての人形芝居 ある雨の日に、私と君と カタツムリに、勝ったつむりの梅雨模様 ある雨の日に、私と君と 秋風舞い 冬は疾風 ある雨の日に、私と君と 回転木馬 コマのように、回る二人 サーカスのように乱れ踊り飛ぶ二人 アルアメノヒニワタシトキミト サンカイ ウメノチルラン コナユキマッテ ハルヲウチケス (B-REVIEW 6月のお題詩「ある雨の日に、私と君と。」「ハイパーポップ」)

2024-06-13

「ハイパーポップ」 グローバル時代のポップに置ける均質性は、多様性重視社会の持っている不埒が際立つポップミュージックの台頭でもある 自己決定出来なく無くなったアーティストが放つメッセージ。 相対性重視で、絶対の価値を認めない世の中。 つまり、あれもあり、これもありが蔓延した結果、正体不明の空気のようなものが音楽によるムードと相乗効果をなして、スカスカのポップミュージックを生み出しているというわけだ。 米国初の、極端な理想主義。 左翼的価値観による共産主義革命の結実が、見えないファシズムを生んでいる。 グローバル基準と言いながら、結局欧米基準で物事を決めていく、単一の価値観によるファシズム。それがハイパーポップの正体だ。 仕事で使う労力も愛もすべてデジタル通貨に換算される無個性無機質時代のポップミュージック どうせなら、タモリ的に我が国だけ、ハナモゲラ均質で、音楽的に纏まれられた意味不明語でアヴァンギャルド転換された翻訳ポップ社会にしたらどうだろう? ロシアスロヴァキア的単位の数え方 1ガロック 2ガロック 3ガロック 4ガロック ドイツ フランス的なイントネーションによる単位の計り方 1ポーニャ 2ポーニャ 3ポーニャ 4ポーニャ ギリシャ的な単位の計り方 1アポロン 2アポロン 3アポロン 4アポロン イタリアメキシコ的単位の計り方 1メスカマリアーダ 2メスカマリアーダ 3メスカマリアーダ  4メスカマリアーダ 20世紀にはあらゆる前衛運動が華やいだが、タモリ的なハナモゲラ、意味の解体的世の中が、今の日本の悲惨な現状を招いているとしたら、その音楽的趣味の良さ、オノマトペに細部まで行き届いた音の響きの良さを受け継いだ言葉遊びの達人はいない。 ハイパーポップ時代に、グローバルファシズムに対抗馬たり得るのは、いい耳を持ったミュージシャンによるオノマトペ攻勢によるハナモゲラ単一主義音楽だと思うのだ。 ラメちゃんたらギッチョンチョンで、チョンのチョンのチョン♪ (B-REVIEW 6月のお題詩「ある雨の日に、私と君と。」「ハイパーポップ」)

2024-06-13

ジョンレノンとポールマッカートニーと、桑田佳祐的言葉遊びが融合して、親父ギャグ全開で楽しい出来の一作でした。 (アイ・アム・ザ・ウォルラス)

2024-06-13

「ある雨の日に、私と君と」 たった一人で、生きていきたい人たちの、壁に阻まれた詩は、書きたくない ところが、ボクの出会ってきた人たちときたら、たった一人で生きていくことを、望む人たちばかりだ 寂しがり屋で泣き虫。放っておかれるのが、大嫌いな甘えん坊ちゃんは、だーれだ? そこで、現実の世界では出会えない『君』と言う人物との、ある雨の日の物語を、書こう 君は、カップに、コーヒーを入れて、おしゃまな格好をして、ワクワク顔でボクを待っている カーテンのレースからは、ふんわりとした香り クッキーとビスケットを用意して、君は待っている そこへ、寝巻き姿のボクが、眠た顔で、登場 「ダーリン、今日は私に、どんな話をしてくれるの?」 外は、雨が降っている 「ハニー、バターとトーストを焼いて、サンドウィッチだ。話はそれからにしよう」 ウロウロとキッチン、トースターの前をうろつくボク テレビでは、ジュリーアンドリュースの『サウンドオブミュージック』がやっている チャップリンの方が、良いな。おっと、君はバスターキートンがお好みだったね。 ボクは、君と親交を深めたくて、同じ仲間の中で、誰かいじめたい人はいるか? と聞く。 嫌よ、いじめなんてと君はふっと笑う。 クッキーとビスケットは、バタートーストサンドウィッチとぶつかり合って、陽気にジルバを踊ってるし、君はボクの足元を見て、解けてしまったボクの靴紐をキュキュッと直してみせる。その後、話をしている間、靴の上には、靴紐を直すついでに、こんもり君がよそった、バターがのっけてある。あつあつのバターがこんがり靴の上にのって、美味しそうだ。 アボカドとレーズンで塗りたくられた上質な雨の日の夕べは、君の悩殺ボディと石鹸の香り、ひきつり顔の笑顔でいっぱいの上質なフィクションというわけさ。 (B-REVIEW 6月のお題詩「ある雨の日に、私と君と。」「ハイパーポップ」)

2024-06-13

「ハイパーポップ」 チョーソクショーヒの チョーソクショーヒの  タイシューオンガク ハイパーポップ! うたはふへすぎた うたはふへすぎた  ついては、ゆかれぬ ハイパーポップ! ナガレテハキエル ナガレテハキエル ナガレツツシルモノ ハイパーポップ! せやごろほきもん せやごろほきもん 天まで、届くは ハイパーポップ! ぬきよしよしらん ぬきよしよしらん コウオンタオンの ハイパーポップ! ふまへりへりぐさ ふまへりへりぐさ 買ったり売ったり ハイパーポップ! うみよしやまての うみよしやまての  手招きし続ける ハイパーポップ! てへろへみるばと てへろへみるばと 追うては、追われる ハイパーポップ! おうたはハイパー おくるまワイパー 洗濯ハイター ハイパーポップ! 音楽が新手の情報のように、超速処理されていく。 人間の脳もフル回転で、21世紀の音楽は、ロボットもまっつぁおのスペースミュージックだ。そのスペーシー感を、意味不明単語の羅列と言葉遊びで表現してみました。 (B-REVIEW 6月のお題詩「ある雨の日に、私と君と。」「ハイパーポップ」)

2024-06-13

年増の女性の微妙な真理を読んだ作品です。 後半ある種の狂言に入るのは、狂気と正気の中間、余裕と貫禄、優雅と風情、それでいて侘しさを感じます。 (ふと世阿弥になって。)

2024-06-12

現代的な病をテーマにした作品だと思います。 人類は叡智を絞り進歩し続けた結果退化へと至りつつある。 選択の自由の幅が広がったことに、喜びを感じ、可能性を感じ取れる人間ばかりではない、 混乱を埋めるための、ファシズムを必要としている人は増えていくのかも知れません。 自分の力で掴み取った自由選択肢でなければ、簡単に手放し、放り投げたくなるのは当然です。 どこかで人類は、進むべき道を間違えたのかも知れません。 (僕ら生粋のギャンブラー)

2024-06-12

ポップソングです。その響き。 ヒットしても間違いない? フランクザッパが昔、60年代に、とてもヘタウマな演奏グループを激賞したことがありました。 そのアヴァンギャルド精神。パンク精神を感じるのでいいと思いました。 内容に切れ味の良さと、ある種の潔癖症の匂いを感じる。これがセンスですね。 (梅雨も楽しい)

2024-06-10

不思議な音楽のような詩です。 比喩的な言葉遊びにおけるイメージに、強いこだわりを感じます。 まだ若く肩に力の入ったところのある言葉職人の技巧が沢山詰まった家具を眺めているような感覚で読みました。 実験的な野心が作品世界に溢れておりますね。眺めているだけで楽しい。ピカソ的です。 (オレンジティーチャー)

2024-06-10

ワンフレーズは思い切った投稿だと思う時があります。 心の叫びなのか?  消え去ることさえ許されないと言う圧力はどこで受け止めているのか? 興味の惹かれる話です。 死にたきゃ死ねと冷たい社会で、自分を求めている人がいるとも読めてしまう。不思議です。 (タイトル無し)

2024-06-10

ナイーブで、センチで、ひたむきないつもの黒髪さんが、ここにいる。 サイケな愛。愛はヒッピー。つまり、ザビートルズで、サージェントペパーズで、中島らもな黒髪さんワールドが作品世界で開かれていると思います。 (生きること/愛すること)

2024-06-10

>秋乃 夕陽様 戦後の自由教育の中で、自由や個性ばかりが尊重され、障害は個性だと言うスローガンまで唱える人もいます。確かに知的面で問題がある人のことを、それは本人の個性だからと受け入れるのは、まだ理解出来ます。 しかし、精神障害の場合、医薬品で暴れるのを抑え付けなければいけないと言う名目があるのに、何故そこで、それは個性であり、尊重されるべきだの言葉が出てくるのでしょうか? そこに論理矛盾がある。 知的障害や、身体障害は本当ですが、精神障害の9割は嘘だと思っていいと思います。 農薬や添加物も日本は世界上位国になりました。 平和な時代は、医療と見えない薬品、毒物によって静かに人が殺される時代でもあります。 そこに、大病院や製薬会社の利益問題が絡んでいることは間違いないですね。 (長男は脳の病気ではない)

2024-06-08

>黒髪様 ありがとうございます。 感動して頂けたようでなによりです。知的考察の重層的積み重ねが、ものを言ったと思います。 正しさに関しては直感ですね。童心的純粋さに表現力をつければ、ピカピカのロジックが光り輝きます。 (長男は脳の病気ではない)

2024-06-06

独りよがりに死にたい。孤立死ということなのか? 現代は孤立の時代です。独りよがりで結構と頑固を通す大人も増えました。 他人に依存してしか生きられない。どこまでを依存と捉えるか? 例えば仙人のような人も弟子の存在を必要とするものかも知れない。 アダムがイブを求めるように、孤独と言われる人間も常に他人を求めるものだと思います。それは現在が過去を求め、未来を必要とするようなものではありますまいか? (ひとりよがりに死にたい)

2024-05-29

「ハンディキャップ」 モーニング娘。の「LOVEマシーン」は、少子高齢化社会対策の一環としての社会主義ソングだ。 細かいことはどうでもいい。若い男女が発狂して子供を作ることが大切なんだ。 加速する社会主義(社交主義)と、置いていかれる個人。 そんなことはどうでもいいかも知れないが聞いて欲しい。 私は10代になる前から、長兄に家庭内で暴力を受け、それを家族ぐるみで黙認されていた。 私が嫌だったのは長兄からの暴力だけではない。 長兄の持っている生理的歪みが、暴力危害行為が始まる前から嫌だった。 「この人とは仲良くなれない」 私が幼い頃、長兄に対し、感じていた違和感だ。 長兄の持っている不穏は、ようやく社会を脅かすようになった。 それまでは個人である私を脅かすのみだった。あれから30年後のことである。 放火事件を起こし、逮捕された。無職者の犯罪の報道が加熱している。 「私たちは発狂して子供を作った。それが嫌だというなら、貴方たちはそれ以上のドラマを作ることが出来るの?」 不敵な笑みを浮かべて個人を睨むビーナスたちが置き去りにした悪魔の報復が始まるのは、これからのことだ。 (B-REVIEW 5月のお題詩「サザエさん」「ハンディキャップ」 )

2024-05-18

音楽を聴く時、曲で聴く人もいると思いますが、深堀して探究する受け手は人に興味を持って系統立てて聴くようになります。水流、潮流、湯水から湧き出る流れ水脈。そう言うものの源泉に触れたいという願望を持つものなのかも知れません。 (詩は人で選ぶ故に詩人という)

2024-05-16

「ハンディキャップ」 鳥山明が亡くなった。 私は、鳥山の本質は、ドクタースランプではなく、スッパマンにあったと思っている。 日本の表現は、ライトな表現が、好まれる。 ライトな表現、影のない表現。 80年代以降、高度経済成長期から、バブル期へ移行した日本は、影を失った。 スッパマンの闇、負の側面。 それよりもアラレちゃんの持っているライトな分かりやすさが、日本人にはウケる。 「ワンダーアイランド」と題されたスッパマンを主人公にした鳥山の処女作は落とされ、ライトな「アラレちゃん」を主人公にした漫画で鳥山はデビューした。 大衆がみたい「ドリーム」に、負の側面は似合わない。 実際は、80年代から日本は自殺者が増え、日本は自殺大国になった。 95年に「エヴァンゲリオン」で鳥山が描いた「ライト」への反動が来た。 負の側面を許容しようと方針を転換した日本は、カウンセリング大国になった。 カウンセリングは一方的なコミュニケーションだ。 カウンセラーは悩みは聞けても、自分の考えは言えない。 トモダチのいない国、日本。 何故日本は、極端を好み、中庸を嫌うのか? 助け合うことも手を取り合うことも出来ない一億総ジョーカー時代。 医薬品漬けにされ、心に包帯を撒かれた状態で、自由に空を飛べない日本人。 戦後GHQが、この国の人々に負わせたハンディキャップは、未だに解けない。 アラレちゃんのキュートは真似出来ても 空を格好よく飛べないヒーロー「スッパマン」の持つおかしみは、米国人にはとても出せないだろう (B-REVIEW 5月のお題詩「サザエさん」「ハンディキャップ」 )

2024-05-16

「サザエさん」 どうして、人が人をいじめるの? どうして、人が人を殺めるの? それはそれをやってる人にとって、それがとてもセクシーだからです そこに、悲しみはない そこに、哀れみはありません そこには確かに、穢れた悦びと、病的な笑顔があります インターネットラジオでビーチボーイズチャンネルを聞く ボブディランがかかる。ジャンアンドディーンがかかる。 そこには確かに、傷ついた心を癒す民衆の思いを代弁する声がある それこそ、悲しい。それこそ、美しい 戦争は国を挙げた国家犯罪。そこには、1%の者たちが傷つく人々を見て病んだ笑顔を浮かべるエクスタシーがある そして、そんなことにも気づかないここ日本では、日曜日の夕方18時半に、色気とエクスタシーを封印した平凡を売りにするアニメ番組が今も変わらずに、流れ続けている 「母さん、白いご飯に鰹節!! おかかいっぱい乗せて朝のいっぱいに味噌汁!」 I Want A Cry…… (B-REVIEW 5月のお題詩「サザエさん」「ハンディキャップ」 )

2024-05-12

『ハンディキャップ』 沼から生まれた泥がこう言った。 「俺の名はハンディ。ハンディを持って生まれてきた。 俺はなんにでもなれる。チョコレートにだってなれるし、二宮金次郎にだってなれる。 なれないものは、なんにもない。俺は水溶性、自由自在に色を変え、形を変え、匂いまで変えてみせる。 否ッ、匂いまでは変えられない。そいつが俺のハンディと言えば、ハンディだ。 俺はなにをやるにも時間がかかる。凄く土臭くて泥臭い。 大人になった振り、子供のように嫉妬することさえも、感情の起伏が織りなす、一つの演技であることを知っている。 それでいて、それを知ったりわかったり悟ることには、とてつもなく時間をかけて気づくのさ。 慣れるのが早いやつは便利だけど、嘘つきだ。まるで、それ、そのものであるかのような顔をするやつ。本心からくる真顔がないやつ。私も人間も同じ、元々みんな泥状だ。死んで個体から、液体に変わればそれが分かる。気体に変わるのは、そのすぐ先さ。つまり天国行きのゴーストまで、コーストトゥコーストと言うわけさ」 ハンディは、頭の回転が速く、時に会話が飛躍し過ぎる。つまり、空回りがハンディのハンディってことになるわけさ。 ※ コーストトゥコースト=バスケ用語で、ゴールの端から端まで走ってゴールすること。 (B-REVIEW 5月のお題詩「サザエさん」「ハンディキャップ」 )

2024-05-11

『サザエさん』 観自在菩薩曰く 「健康とは、丈夫な背骨のことである。肩甲骨、丈夫な腰、尻を支える足。道を動かす腰」 肉と骨。ドラ猫ちゃん、お魚咥えてワンツーワンツー♪ ツァラトゥストラ曰く 「健康とは、初夏の陽気のことでありんす 健康とは、新緑と広大な大地のことでありんす 健康とは、朝の寒風摩擦のことでありんす」 洗濯物干竿見上げてワンツーワンツー♪ 忍者服部くん曰く 「健康とは、ファミリー向けビデオでござる 健康とは、濃い緑茶とミカンでござる 健康とは、ちゃぶ台囲んで円満談話でござる」 不忍ぬかずの安心安全ギャグ。ワンツーワンツー♪ 故・圓生師匠曰く 「健康とは、豆腐のような毎日のことでありますれば つまらない、勃たない、艶がない。つまり平和が一番健康なのではないか、と」 カツオくん野球帽被って、ワンツーワンツー♪ 「えー最後は、私、いかりや長介でございます。えー、成人男子の健康には『サザエさん』より『アワビちゃん』の方がいいそうでございます……ダメだこりゃあ!」 泣けてくる〜(故・無責任男・植木等)♪ (B-REVIEW 5月のお題詩「サザエさん」「ハンディキャップ」 )

2024-05-10

私は人が集まるような魅力的な人と接したことがないのです。 それは医療保護入院という名目で強制入院から障害者としての生活を義務付けられたからです。 私が思う魅力的な人。こんな人には人が集まると思う人は、手塚治虫先生や赤塚不二夫先生のような、優しく人の話にじっくり耳を傾ける包容力のある人です。 思わず先生と言いたくなるような、そんな人が人が集まる魅力的な人だと思います。 魅力は感じても人は集まらず、いつか離れていく人もいます。 それは、エゴが強い人の持つ女性的な魅力だと思うので、あまり感心しませんね。 (薬を飲んでから)

2024-05-06

>黒髪様 高評価、ありがとうございます。 少年時代から、自分はわからない言葉があると熱心に周囲に聞き、自分で調べる人間でした。 周りの大人も含め、言葉の使い方が違うのではないか? ということにとても敏感でした。 その個性を発揮出来る場が与えられることは、とても光栄なことです。 確かな実力って言われるとやっぱり嬉しいですね。 音楽でも自分はサウンドを勿論聞きますが、歌詞であり物語性を意識して聴いていると思います。 バンドもしやるとしてもヴォーカルと歌詞以外はやらないです。 (力瘤太郎)

2024-05-04

ディスコのミラーボールが目の前で回り続けている絵が浮かぶようなロマンティックな詩です。 ロマンチシズム。ダンディズムが冴える。イイね! (祝福)

2024-05-03

不登校の子を思う気持ちや、だったかなあと回想する様子。寂しくも懐かしさを感じる詩です。構成もきちんと練り込まれ、情景描写がきちんとしているので、感情移入しやすいと思います。 (夜明け前)

2024-05-03

不安定な時代、言論統制が激しく、世の中の全体像が掴みづらいです。 ノイジーな主張の中に、不思議な安心感を感じるのは、これだけ強い主張をしても一歩も引かない強さを感じるからだと思います。 世界は1%の奴らが牛耳っていてどうにもならないは、父からも耳にタコが出来るくらい聞かされてきたことです。 (極北、またの名を老害)

2024-05-03

デブとうんこというベタなネタも久しぶりに読むとやはり面白いです。 デブいじり。デブに乾杯! (びっくりするほどのデブ)

2024-05-03

作者が追われている状況と焦燥感、それを冷静に俯瞰している鋭い眼差しを感じました。 ドコドコ、何処何処。 こう言うオノマトペを使った言葉遊びはやはり上手いなと思います。 (T RAIN)

2024-05-03

不思議な親しみを感じる詩内容です。物語性のあるエッセイのような。 アイドルは女も男も永遠の夢ですね! (クリスマスプレゼント)

2024-05-03

自分に重ねて読むと、親から逃げて新たな世界を探したけれど、結局そこまで期待していたものはないのかも知れない。みんなそんなに変わんないよと言うことなら納得です。 (ひとは働いてしんでいく)

2024-05-03

不思議な詩です。触れた時の不思議な感触を表現しているような。 (誰の頭んなか?)

2024-05-03

素敵な詩です。素晴らしい詩。二人のメルヘン。 甘酸っぱい恋。 (君へ星の贈り物)

2024-05-03

綴りを間違えました。 Leaving homeでしたね (家出娘(She’s Living Home))

2024-05-02

詩とは真実を書くものだと言われるものだけど、お芸術には艶が大事でその時々の好きものでいいという側面もある。 パンクなメロディ、真っ直ぐな思いが出ていて好きです。 意外と難しい、この味を出すのは。個性が必要だから。 PS.前のコメント欄投票入れようとして無コメントになってしまい、失礼いたしました。 (多様性ハレルヤ)

2024-05-02

習字で書くような内容の詩だと感じました。 不健康上等みたいな、心意気を表した詩。 (死なないためでなく。)

2024-05-02

男っていいなと思える詩です。 汚いちんちん、か弱いちんちん、味のあるちんちん、優しいちんちん。 人生いろいろ、ちんちんにも色々ある。 (ちんちん考)

2024-05-02

素晴らしいですね。詩に艶がある。 張りがあり、背骨がしっかりしていて凛とした作品です。 (真っ白なこの世界に彩りを)

2024-05-02

基準があるから腐っているという見下しが生まれる。その基準を生み出したのも、この世界であるならば、美意識は現実より重要だろうか? 確かに、美意識の方が現実より勝たなければ人ではないかも知れない。だとしたら、腐っているそこがいいとは、腐っていること自体がいいということではなく、美意識が腐っている世界に立ち向かう甲斐があるのでいいということなのではないか? そう読みました。 (俺を見ろ)

2024-05-02

綺麗な詩です。文体に品がある。 (あなたがまだ朝にいたころ)

2024-05-02

吉田さんでどれだけ遊ぶのかという言葉の実験が凄いと思いました。 醒めない遊びを求めると実験になる。科学者です。 (FEEL LIKE MAKIN’LOVE 。)

2024-05-02

(天国)

2024-05-02

>A・O・I様 愛はリアクションです。連鎖反応が世界を作っていく。 ありがとうございます。 (悲願)

2024-05-02

ストレートな作風が魅力ですね。 低賃金労働者の書くパンク詩。若く瑞々しい感性が光ります。 (天国)

2024-05-02

>ほり様 精神医療とか、感情の負の面を嫌う薬学に疑問がありまして。 思い切って、逆張りっちゃいました。 (悲願)

2024-05-02

>田中宏輔様 ちょっと心情的なものが出てしまっているかも知れませんね。 詩は身を表すもの。そこは切り離せないです。 (悲願)

2024-05-02

ありがとうございます。 再出発に向けて計画を立て、準備し、待機中です。 とにかくご飯を食べてお肉を体につけるようにします。筋肉あんまりない筋肉万太郎です。 (悲願)

2024-05-01

私の好きなレトロな世界の中にあった言葉の切れみたいなものを感じました。 人懐っこさが懐かしいです。 (夏を祈祷し)

2024-05-01

ありがとうございます。 感情の喜怒哀楽の全てが欲しいという私の人生全肯定への想いと、医薬品漬けの生活を余儀なくされた身の上の不幸と境遇を寓話に託しました。 (悲願)

2024-05-01

トビラ様 歌というものはそういうものだと私は思います。 なにをどうしろとか、運動歌のようなものもあっていいと思いますが、基本は吐いて出すもの。それが詩だと思います。 頭にきます。晴れの場で昇華したいと思っても、根にあるものが解決しないとダメなんだなぁと悟りつつあります。逃避行的なものも考えましたが、人の話を聞く人間にそれは向かない。 行動に起こさない人間が問題に立ち向かうには、法を通して戦うしか無いのです。 行為に向かない。イマジネーションの世界に生きている人間に、一人暴動によって立ち向かうのはとても難しい。納得出来ないことに体が動きづらいのです。 今日は公明党の政治家と会ってきました。弁護士が味方しないなら、政治家。今はとりあえずそこまでです。ありがとうございました。 (平和とはなにか? 実はここにメッセージはひとつもない。)

2024-01-29

熊倉ミハイ様 恐縮です。 実際に褒められると自己満足が、他人に広がったようで。 どっかで自信が無いんですよね。 自分が面白いと思っている。要するに本当は他人に不信があるんだと思うのです。 他人からすれば僕に不信がある。 難しい。ありがとうございます。 (平和とはなにか? 実はここにメッセージはひとつもない。)

2024-01-29

正直いうと、僕の場合、入院中怒りの抑制を要求する病院の希望に合わせて沿わせるんだよね。 人の話聞かない人とか、正直な人が多くの人に理解されやすく愛されるのはわかるし、それを悪いとは言わないのです。 ただ、少し扱いの違いに腹を立てることはあるかなあ。 だって、こっちは我慢して合わせてたりするし、本当にその黒神様の言うように、違いだけだよね。 損する方、得する方、どっちの違いかと言うことで。 未来予測の世界に生きると暴れたらどうなるかと言う計算が入る。 入らない人は好き放題できるし、それでどうにかなるもの。 計算高さと企画性を持ってないと、まともな言葉の連なりの世界を生きれないとも思うんだけど、正直な人の魅力もあると思う。 不満があるから病気になる。病者と言う立場になると、発散の抑制への要求社会的にどんどん高くなっていく面もあるし。 愛と怒り憎しみが同居すること自体は否定しないです。 好きだから従うし、好きだから従わせる。 怒りに対し、愛で応えることもあるでしょう。 怒ってる対象があるならそこにぶつけると、誠実に返してくれることはある。 他者への絶望が根底にあるのだとしたら、医薬品でそれを抑えることが根本解決になるのだろうか? (愛よりも怒りの方が大事だ)

2024-01-21

>鷹枕可様 ありがとうございます。 深い指摘ですね。確かに意味合いは一見似てるように感じますが、ニュアンスの違いで物事に関しての価値観の基準の違いが出る。 普通と指摘する内容を見ると 完全に戦後民主主義の発想です。 みんなで手を繋いでゴールしましょう。一位は作りません。 僕が主張しているのは 米国型の資本主義の世界で勝つことに対する抵抗心が現れている。 手を抜かないと、和を乱し、皆を病気にするくらい頑張ることを強要されることってあるんです。 それが僕の考える負けだから。 なにが負けてなにが勝ちか? どっちがみんなのための民主主義かというと、僕は勝つためにみんなを出し抜いちゃダメだし、そのために我慢しなきゃいけないこと沢山ある。勝つってみんなに勝つってことだから、お山の大将になっちゃいけないってことだし、その上で上の人間の言いなりになって、仲間を思いやらず、頑張りすぎちゃダメだってことです。 みんなに勝つって発想がおかしいですよ。 みんなと一緒でいるのが楽しい。それだから我慢する。その発想がないと、勝つことがなんなのかがわからない。先ず自分に勝つってこと。自分の欲望に勝つ。その欲望を刺激するのが、今の世の中の価値基準だから。 勝つために卑怯なことをやる。極限まで行くとそこまで考え抜かないとダメだと思うんです。 中国共産党員やロシアスパイがどれだけ厳しい思いをして騙しを働くようになったか考えると、日本人のラブソングはとても聞けない。 好きだから結婚したとか好きだから付き合ったとか、中国で厳しい思いをした女性ならとても言えないです。 生き残るために味方を作るために、男に体を預けた。それぐらい必死な思いをしてる人からすれば、日本人男性ちょっと差別新枠の湧くのは仕方ないと思います。 好きだから結婚した好きだから思わずおっぱい触っちゃったみたいな。 それって厳しい国で恋愛してきた人からすれば、怖い話です。 倒産自殺も甘いですね。国に依存して、売国奴と言われても、年金貰って生き残る。 それぐらい厳しく考えないとダメだと思う。 国に依存するななんて甘っちょろいもいいところです。 特攻で死んでいった人が、童貞のまま死んでいった精神から言えば、国が国民に対して、卑怯を働いている戦後の日本で、国のために命を捨てろなんて、できる訳ない。したらおかしいし、英霊を侮辱してますよね。 (私の好きな社会的弱者)

2024-01-17

エイクピア様 現代的な詩という言葉とてもうれしかったです。 私の詩を読み慣れている人は、私の詩に古典の匂いを感じながら、現代的な問題を扱っていることを感じていると思っております。 現実を俯瞰鳥瞰してみると、騙される行為に慈善心があり、必ずしも舐めたものじゃないということに我と我が身を振り返り気づくのです。 どこかで本当は信じていなかった。何故それを許したか? 油断も隙も見せずに完璧な人生を送れたとして、それがどれだけのものかというのが自分にはあったのです。 今の超管理社会は、人々の完璧でありたい完全な人間としてありたいという想いに応えるものなのではないでしょうか? 勝つと思うな思えば負けよ。 柔ですね。 勝つとか相手を打ち負かすとか、卑屈で格好悪い醜い。ダサい。それを笑うと可哀想なくらい醜い人がいる。 難しい時代です。米国はいいかなぁとどうしても思うのです。お金がないですからね。 「米国行ったら?」 よく言われます。向こうは個人主義で弱肉強食のメッカなのに、若者にとってはいい気がする。 ヘイトを表に出すことを認めてると思うのです。それが若い人にはいいです。日本てラブの歌しかないと思う。それが息苦しいです。 (私の好きな社会的弱者)

2024-01-17

>妻咲邦香様 弱者には2通りいます。良識故に嫉妬深い人。良識の仮面を親に被され、苦しみながら、嫉妬が出来ない人。 社会に出ると、良識が嫉妬を生み出すのだと言うことを痛感します。 キスやハグなど、相手に対して、どこまで責任が発生するかというと、それは無償の愛で済ませられるものだと思います。しかし人前でやると怒るのが男性です。フェミニズム系もそうですね。 良識は大事だけれども、責任込みの良識で考えないと、言論の自由を貶めるような、良識は良識ではない。米国は自由を尊ぶ精神があるため、気風が違います。何故米国ならそれを許し、一方で反米を唱えるか? 歴史的なことに対する理解もないまま、反米を唱える若者が増えました。 左翼の激化だと思います。 優しい人は少ない。負けたとか勝ったとかそこまで大事なことじゃないと言える人にとっては、色んなことが他人事に思えてならないのです。つまり暗いニュースがある。 そこに対して憤怒を浮かべ涙を流すより楽しいことをやりたいと思うものです。 コメントありがとうございました。 (私の好きな社会的弱者)

2024-01-17

心理的なことを考えるとキリがない。 なにが真実なのか考える。それもまたキリがないか。 思考そのものとも距離を取る。それでぼりぼり食べるようになりました。 距離感は大事です。自分と離れることも大事。 追っている自分が嫌いです。求めてる自分も嫌い。格好悪い。 傷つけた記憶については、仕方ないと思えばいいかと。 人を傷つけてない人は普通いないですから、それを自覚しているかしていないかの違いではないかと。 簡単に捨てるナイーブのなさも悲しいけれど、捨てたものを惜しがるのもまたさもしい。 後ろ指を刺されなければ、皆捨て放題捨てるものです。新しいものを取り込む方が大事じゃないかと。 (何でだろう)

2024-01-16

男も女も根っこにあるものは同じ。 愛されたい、可愛がられたい。 そのために格好つけたい。 愛嬌がない格好付けだと、威張っているので、嫌なんだと思う。 なんで、そうなってしまうか? 恥ずかしいと言うことと、異性なのか? sexなのか? 歪んだイメージと、内心の軽蔑心がある。 親なのか? 教育なのか?  甘やかされ過ぎると、親を舐めるようになる。 それは親依存者の特徴です。 なにが問題かということを取り違えてしまう場合、それがセックス異性への軽蔑心になる。 厳しくされすぎて歪んでしまうと、問題に対する誤解が解けないことが多いです。 お水の世界や、福祉の世界では、愛されたい可愛がられたい、そう思ってる自分を素直に認めれば受け入れてくれる人はいます。 芸術の世界における障害者アートもそういうところがある。 お水の世界へ行くとそれがよくわかります。私もそれを悟りつつあります。 黒髪さんのこの詩は確かにそうだと思いました。愛、すべては愛です。 しかし、文章は修飾の問題がある。 愛されたい可愛がられたいそのために格好つける。すると文章においては修飾の問題がある。つまり細やかさの問題。 >地球=人類は その全ては 愛の別名でしかなかった 果たしてそうだろうか? という疑問。 これをどう捉えるか? 少し大雑把に感じる。 思想だと思うのですが、根っこにあるのは左翼思想だと思います。 左翼はいい人が多い。国のためだとか、公のためだとか建前を剥がして、左翼思想を認めた時に、人の良さが出る。 建前を作らなければ保守になるんじゃないかな? 僕はそう思ってます。 国のためじゃない、みんなが好きだ。 公がずれてしまうと、共同体が人類愛になると思うのですが、 戦争の本質が人類愛じゃなければ、差別は生まれない。 人類愛があるから差別が生まれる。 そぐわないもの劣ったもの。相応しくないもの。全部認めると共産主義革命。 本当は認めたくない。 そこに苦しむのかなあと思うのです。 みんなのためになにをやったか? なにができたか? それが見えないと認めづらい。 それが差別になる。差別したいんだと思う。 障害者アートとか、お水とか福祉というのは、差別の対象ではある。差別すればいいんじゃないかなあ? と思うのですが、そこに落ちると差別しきれなくなりますよね。 過去俺は人間になる。 過去俺は頑張った。過去俺は凄かった。 未来に希望が見えない若者は、ダメだと思うのじゃないかと。 お水は、医療依存と違い、発散の役目がある。 医療界は抑圧と鎮静効果により延命を選ばせるので、お水と違うのですが、若い時にそこへ落ちると絶望しかないですね。抑圧と管理と闘い続けるしか、抜け出る道がないですから。 (愛の惑星)

2024-01-16

小学校は子供のわがままが許される場所ですが、なんでもやっていいという場所ではない。 その時点で私は社会に馴染めず、不登校を選びました。 しっかり耐えた人間が優しさを口にする資格がある。羊飼いさんの詩は。心に響くものがありました。 (ハイイロネズミ)

2024-01-14

泥臭さみたいのが魅力だと思うんです。 頑張ってください。 (天の河よ)

2024-01-13

現実に人間として酷い人生だみたいなことをそれぞれ置かれている立場で言い合うとマイノリティの人生って、酷いみたいに思う人もいるけど、みんなが送ってきた人生だって、フィクションの中でしか美しく語れないじゃんって思いました。 小沢健二さんの感じがして良かったです。 (142857B 2007)

2024-01-13

>atsuchan69 いい作品にシンプルに反応する。この明快さ、いいですよね。 (船場汁はいいと思った)

2024-01-13

完成形をかき混ぜながら、解説し、最後に 「さ、はよう食わんかい」 だと一瞬思ったのですが、出来たものを器によそり、そこまでやって、こう言うと言うことは、運んだんだと思うのです。運んだ後解説をする。 みかんばたけで働いた時、みかんの解説をおじさんにされました。 色々なシチュエーションが浮かびました。汁だから当然寒い日がいい。 素朴な中に、不思議な魅力を感じました。 旅をしている人の詩ですね。椎名誠さんみたいです。 (船場汁)

2024-01-12

言葉の力威力複雑さ、狂言を感じました。 オペラのようです。これだけの言葉を使いこなせる日本語力がある。 凄いと思いました。 意味は完全には分からなかった。 惹かれるものがありました。 (いくはて 雨露の飾り)

2024-01-12

不思議です。 言葉を愛している人だと思う。 並べ方整列の仕方、面白くてユニーク。 (誰かのほつとけーき)

2024-01-12

10代の方ですよね。 ビッグになってやると言うのは反逆精神としては宜しいと思います。 これから色々学び、それをでかい世界でぶつけてください。 腕を磨き技術を磨くこと。期待しております。 (クミンシード)

2024-01-12

>柊山凡人様 確かに英国やヨーロッパ欧米圏は、自分がこう思う。それを第一に優先することを美徳としていると言われますね。 日本人は、やりたいからやった。そこが根っこにありながら、それを何故やったのかが、見えない。 こうこうこうで、こういう理由でやった。そういうロジックが下手なのだそうです。すると、片目には狂気に見える。 ジャパニーズクレイジーモンキー。そう言う風に思われているのかも知れませんね。 日本にいて日本で過ごし、三十年以上経ちますが、未だに正直分からない。悶々としながら日々を過ごしております。 米国へ行く。それが解決方法なのかも知れませんね。 (心配性人間の悲しみを感じる作品)

2024-01-11

コメントありがとうございます。 都合により返信が遅れたこと、お詫びいたします。 歌詞掲載は少し欲を張ったと思います。 汚れることを嫌がる。恥ずかしいから。なにが恥ずかしいかといったら建前なんですけど、そういう人も少しいないと、そういう時代があったことに気づけなくなってしまうのではないかと。 (恋するナンパ)

2024-01-11

>熊倉ミハイ様 私は、死ぬことより歪むことを恐れて人は反撃し、闘うのではないかと思うのです。 それでいて生きている限り、その歪みは正される希望がある。それで勝ち目が見えない闘いはしない。 それが敗戦なのかも知れませんね。 (平和イデオロギー)

2024-01-11

>エイクピア様 映像的なものが浮かんだと言えばそれまでですが、バービーブーベーボーで揃える幼稚な発想を面白いと思ったんですよね。本当はそれでいいんですけど、メッセージとしては、僕が考えている平和とみんなが考えている平和の結果が違うのかな? と違和感を表したものです。 ありがとうございました。 (平和イデオロギー)

2024-01-11

>田中宏輔様 怖い。私もそう思います。僕は世界が怖い。ありとあらゆるものが怖い。 それでいて多くの人は私が怖い。 私の作品はそれを表すものです。 (平和イデオロギー)

2024-01-11

神が死んだ。これは正に、ニヒリズムです。 それでも私は言いたい。神は生きていると。 ありがとうございました。 (女の卑怯と優しさ)

2024-01-11

ユーモアを忘れてしまうと良くないと思うんです。 入ってくる人と入ってこない人といますね。ほとんど入ってこなかったりするんですけど、従うとはそういうことですから。この詩はいいと思いました。 (普遍性と、繋がりを巡る現代的な戦争の物語)

2024-01-11

ありがとうございます。世の中舐めたものじゃない。というのはこういった見識を内に秘めながらそれぞれ過ごしているものかと。しかし、それが中々見えないのが、現代社会。ポピュリズムの時代というのは、見えないわからないことが沢山ある。それが混乱を深め疲れ彷徨う原因だと思います。 これだけ深読みして頂ければこれ幸いでございます。 その解釈が正しいかどうか? それは正しいです。つまり不快でなければ良いのです。 (ねこ)

2024-01-11

尻で揃える。尻揃え。凄いなあと思います。 古典的なものもパロディみたいになっていて、面白かった。 (尻)

2024-01-10

いいと思いました。 (父は晴れ男)

2024-01-10

いい詩だと感じました。 (神と悪魔)

2024-01-10

>天才詩人2様 ありがとうございました。警戒心の強さ、警戒しろと言われたからですが、裏目に出て、自動ログインを今までしてこなかったことが裏目に出ましたね。段々ほどけてくればバランスが取れてくると思います。ありがとうございました。 (叛逆性の卵の状態)

2024-01-10