バラード聴き終わる間に雨は止んでいた
そうか空に逃げたら良かったんだ
「I LOVE YOU」なんてどっか捨てちゃってね
悲しいことなら一個増えただけ
あとは何とも呼べない出来事だらけ
何故か燃えながら降り注ぐ雨もある
おーいこっちだと手を振って
叫んでみようか思い切って
運が少しだけきっと悪かった
でっかい荷物を数センチ動かすためだけに
今日僕らがここで消えないといけないのなら
最高にご機嫌な明日を約束してくれよ
話はそれからだ
ちょうど死にたかった人よおめでとう
だけど僕はあっちに行ったらね
神様をぶん殴るつもり
一発くらいはいいだろう
真っ直ぐになんか飛ぶつもりはないから
撃ち落とされるもんか
見ろよあそこ、青が広がるものの間に
茶色く汚れたシミがある
錆びちまってんのかな
またしくじっちゃったねと肩をすくめて
言わんこっちゃない何度目かの結末
間奏で針が飛んじゃって
どうしても先に進めない
こっからがいちばん聴かせたいとこなのに
ただの悲しみ
一個増えただけ
作品データ
コメント数 : 12
P V 数 : 867.9
お気に入り数: 0
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作成日時 2025-07-30
コメント日時 2025-08-11
#現代詩
#縦書き
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
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| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
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| 構成 | 0 | 0 |
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閲覧指数:867.9
2025/12/05 21時11分18秒現在
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ちょうど死にたかった人よおめでとう だけど僕はあっちに行ったらね 神様をぶん殴るつもり 一発くらいはいいだろう 大胆な連だと思いました。ただの我儘のようにも思えるのですが、何故か爽快な言揚げにも思えてきます。
1コメントありがとうございます。おいそれと下手なこと言えなくしちゃうような題材で申し訳ないですが、とにかくいろいろ、仕掛けてます。たぶん、その侮辱一歩手前の大胆さ、爽快さ、私ならではの切り口かもしれないですが。
0こんにちは、 >>間奏で針が飛んじゃって >>どうしても先に進めない >>こっからがいちばん聴かせたいとこなのに ここからラストが好きですね。
1ありがとうございます。最後の部分ですね。海老でいうと尻尾の部分ですね。海老フライぐらいなら尻尾もバリバリ食べられますけど、伊勢海老だったら私はちょっと無理ですね。私でなくても無理だと思う。
0日常にルーティンな悲しみがある、自分の限界や腑に落ちたキラキラしてないモノノドオリ、愛を忘れて空に逃げたなら、そこを行ったり来たりして、だからこそ、夕日があるのかも。
1戦争はなくならない、むしろ伴侶の如く人間の宿命に付いて回る。むしろ女房のように人間を影で支えているのかもしれない。戦争は憎しみを越えた最後の平和的手段なのだろう。 だから悲しい。本当は平和への最短距離であるはずなのだから、余計悲しい。
1昼寝の会とかまだ見ぬ楽園を歌うとか、はだしのゲンでも陰のバイブルにしてがむしゃらにラブアンドピースをやらなきゃいけないのかな?日本人は唯一の原爆の証人として。
0~戦争は憎しみを越えた最後の平和的手段なのだろう。 あなたの口からこのような言説が飛び出すことにちょっと驚き。 被爆国の一人間として詳しくお尋ねしてみたい。
1戦争は常に平和の文脈で語られる。憎しみ合うのではなく平和を望むあまりその実現に向けた手段として戦争を選択する。時にはそれが最も効率的な手段として選択される。それが現実である。 すでに平和という文脈はその効力を失っているのではないか、という疑問がどうしても拭えない。 憎しみを封印しての平和はもはや成立し得ない。憎しみを内包し互いに共存し合う文脈を探っていくというのも方法としてあってもいいのではないかという想いがあるのです。 人は自らの文脈に閉じこもることこそが一番危険であり、ロシアもイスラエルもナチスも、そしてかつての日本や原爆を落としたアメリカも、平和的解決の方法として戦争という手段を選んでいる。 早い話、トンネルを掘るんだったら反対側からも掘るってことをそろそろ考えてもいいのでは?ってことです。
0地形的に難解になる工事や長いトンネルなどは表裏一体となって堀り進みますよね。ご存じでしょうが黒部トンネルなどもそうです。 あなたは、つまり改憲派で、核抑止論派で、クラッシュ&ビルド。戦争も止むを得ない手段で、どちらかあるいは両者共に国力を破壊し尽くした跡の平静状態。そのことが平和にもつながるというお考えなのでしょうか。
1わたしも憲法9条は見直されてもいい。自衛隊も明記されてもよい。とは個人的に思うのですが、国防三原則に関しては絶対譲れない。特に非核三原則に関しては生まれた県を含めて、その悲惨さを身近に知る者として破棄することは絶対に容認できない。ナショナリズムましてや核抑止論など連鎖的恐怖依存を振りまわして各自共存などを訴えても、それは鏡に映る曇りをいつまでも拭えないように、永久に平和がおとずれることはない。という考えなのです。
1私は非核三原則どころか憲法9条も見直すべきではないと考えております。おそらく従来の平和に関する論理と私の考え方は相容れないとお考えかもしれないけど、そこがまさに死角なんです。平和は本来は政治的思考で語るものではないのです。被害者と同様に加害者の実像に迫らないことには将来的に真の平和は訪れません。 一次元的対立構造だけで説明が出来るほど人間は甘くはありません。人間は常に相反する側面を持ち合わせているのです。冷笑を嫌う詩人が攻撃的なコメントを寄せるのも人間だからなんです。なので反省という武器で仕返しするのではなく多面的に分析し受け入れていくという手法で次に進むという選択肢があってもいいのではないかと思います。その多面的のカンフル剤のようなものが所謂逆説です。 逆説排除の何がいけないかというと、正面突破のしかも全体主義的扇動に頼らざるを得ないとこなんです。結局平和という名の戦争をまた繰り返しちゃってるという。 当たり前のように平和を選ぶ、どの局面に立っても平和を選ぶといった性善説に向かわないと意味がないんですよ。 するな、ではなく、一人ひとりが、するわけないじゃん、になるのが真の平和であり、そうなるには逆説的アプローチは不可欠なんです。 どの事件にも当事者は二人いる。被害者と加害者、それ以外も含めると三人です。それぞれの当事者性をえぐり出していかないと一方向の断面だけではゆくゆくはイスラエルの二の舞になります。
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