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牛や羊
仮谷さんは胃が無くなってから 牛に魅了されるようになった ヒツジの口も魅力的だ 仮谷の口に涎が溜まる 新しい星が夜空をよぎる 寿司が食べたくなって仮谷さんは 自分で寿司を握った 胃が無いので牛や羊に寿司をふるまった 「私の食べたいは他の生物の食べたい」 「特に牛や羊の食べたいに繋がる」 「彼らは草食動物だから牛や羊の飼い主が食べてくれる」 結局、寿司は飼い主が食べる 何時ものことながら ショッキングな事だと他者は言う 仮谷は正気かと思う 牛や羊は相変わらず草を食み続けて バロック音楽が流れている
牛や羊 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 515.0
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2025-06-23
コメント日時 2025-06-26
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


これはいい詩ですね。 大病を患い、長期入院に部屋の窓から眺めるその景色には魅了されたりもするものです。見下ろす街並に、新たな息吹きを感じて、よし!退院したら一から出直すぞ!と意気込みだけは持つものです。 そういう新しい視点に導かれて変化を促されるのも、拘束という檻の中での経験をしたことによってですが、 しかしながら、たいていは変わらずにそのまま元の惰性状態で生活することになる。いままで慣れ親しんだ生活からの脱却は思うよりも難しいもので、あれは一時の気まぐれ憧れへの妄想でもあったのだ。として抑制に働き諦めてしまうこと、これも理性的な人間ならば致し方のないことでしょう。 なので人間は時間や状況に応じて常に変化する「流行」というものにずっと憧れを持ち続けるわけですが、 逆に考えてみれば、常に与えられた餌や牧草を食み続けて止まない牛や羊はたいしたものだ、と云えるのやもしれません。 そうした状況も感じられる詩には入沢康夫の「牛の首のある三十の情景」チラっと浮かんできたりもしまして、 その一文から引用して例文として挙げておきます。 「~本当に牛を殺すためには人は仮面を被らなければならぬ、いや、仮面では無しに鳥の頭にならねばならぬのだろう。きみが人間の頭部にこだわり続ける限り、牛の首の俗悪広大な支配は、ついに止むことがないであろう。」 ※『牛を殺すこと』
1メルモsアラガイsさんコメントを有難う御座います。入沢康夫の「牛の首のある三十の情景」とは初見で、初めて知りました。「~本当に牛を殺すためには人は仮面を被らなければならぬ、いや、仮面では無しに鳥の頭にならねばならぬのだろう。きみが人間の頭部にこだわり続ける限り、牛の首の俗悪広大な支配は、ついに止むことがないであろう。」 ※『牛を殺すこと』 引用させて頂きました。勉強になります。矢張り他人の詩を通じて学ぶこと大なのはいつも一緒ですね。自分の詩を向上させるきっかけとなればと思いました。大病を患った後の、長期入院の病院の窓からの眺め。今まで慣れしたんだものからの脱却。牛や羊の草を食み続ける恒常性への尊敬の念などは確かに人を向上させるのかもしれません。
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