カーテンコールの無い森の中
音を立てないように歩いてくる
衰えの
裾を引きずりながら照らされる
夜空の大きな魚影がうねると
いそがしく嘆く結び目が降ってきた
8の字を描きながら踊る背の白さに
黄色い嫉妬が絶えず滑っていた
影にはめだまがついていないから
微笑みを直視しなくてもよかったのだろう
私の髪はまだまっすぐに伸びていた
拍手のリズムもわきまえていた
目が覚めるころには
静寂の殻を被り直して
私のかかとに隠れてしまった
傷痕がタンタカ泣いている
そんなに惜しければ戻ればよかったのだ
木の床の感触だけ意識すればよかったのだ
美しい幽霊が徘徊するようになって
ピアノの白鍵がすべて抜け落ちる
影のめだまは慌てて戻ってきた
やっと、今にも転びそうな常人のふりができる
鼓膜のふるえる理由が一つ増えて
一つ消えた
今さら誰を呼ぶ声を持っているのか
輪唱する砂も、きらめく獣も、羽虫らも、
みいんなかまわず踊っている
めだまを一つもげばそうか、単純に孤独になれて
それを、涙を受け止める場所に置けば
記憶が耳を持たずに成長する
今まで あなた と呼びたくなかった
あなたが主役になってしまうから
ほら、踊る
またまた踊る
みんなのめだまも泳いで踊る
でもあなたなんて最初からいなかった
とも私は言える
最初から、踊り子なんて、どこにもいない
作品データ
コメント数 : 17
P V 数 : 1621.4
お気に入り数: 0
投票数 : 6
ポイント数 : 0
作成日時 2025-02-16
コメント日時 2025-03-13
#現代詩
#縦書き
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
閲覧指数:1621.4
2025/12/05 23時02分14秒現在
※ポイントを入れるにはログインが必要です
※自作品にはポイントを入れられません。
おはようございます。 「色」のない風景を歩いていく、顔の定位置に「目玉」がついているのかどうかの不確かな状態で歩いていく、「寂寥」という言葉も疲れきっているような感覚。 この色味の流れでくると、一番、色彩として狂いの色である「黄色い嫉妬」のノイズが、触覚を「がりっ。」と覆い、「途方もない間違い」の中にいるのだろうか、と追体験するような思いで読みました。 不安感というよりは「焦燥の終わる前後」の「やぶれてしまった」もしくは「さけきった」部分を、解像しながら縫うような、いい縫い目だと思いました。 「そんなに惜しければ戻ればよかったのだ」あたりからの二行で 「打音」が変わる感覚も、「醒める」ようでいいと思いました。 作品、ありがとうございます。
1CLOSED、というタイトルが活動の終わりに近づいたミュージシャンのアルバムタイトルみたいでいい。しかも形だけでなく、熊倉ミハイさんは「どうして詩人だけが声をあげることが許されるのか」という考えの持ち主だ。この詩も締めの「最初から、踊り子なんて、どこにもいない」に象徴されるように、笑わない人々、笑えない人々、そして踊らない人々のために作られている。だから塞ぎ込んで世の中に背を向けていくミハイ君、というのが要所に放り込まれていていいと思った。でも書くのがしんどくなって書くのやめますなんて言っちゃダメだよ。そうしたらミハイ君はビーレビの伝説の一つになっちゃうから笑 とにかくミハイ君を知った上で読むとタイトル含め興味深い作品だった。よかったと思う。ちなみに僕の好きな音楽ユニットの、最後のアルバムのタイトルは「menopause」 閉経であった。
1これ踊ると言っても、楽しい感じではないのね。で、読み手が踊らされるような気持ちになります。titleにあるように閉なわけだから、その二点を持って読んでいくことにして、でも物語を考えるわけではなくて、文面から視界を畫くだけでも踊らされる、手や足が勝手に視界が動いてしまうような感覚、詩の内容ではなくて、感覚を頂く、そんなふうに丁寧に詩の中を廻っていくことが叶うものであると、読ませるもの、ではあるけど、理解することではなく、詩に手を引かれるような、そんなことを思いました。
1暗闇の森の中でくりひろげられる奇妙なダンス。 人の脚で8の字を描きながら踊る。というのはご承知のように情熱的なタンゴを踊る女性のステップですが、ミツバチなんかも花を前にしては八の字を描くようにふらふらと踊るらしい。これはミツバチが餌の在り方を仲間たちに知らせる目的で、そんな風に人の眼には映るからでしょう。 この詩はよく書けてますね。まず文字言葉によって導かれるその動きに引き込まれてしまう。という言葉の意識的な巧みさがあります。 少し読み砕けばわかるのだけれど、踊るというのは文字として書かれてある言葉だけで、その動作は読めてこない。これは不可解だ。この不可解さも言い換えればあざとさにもつながる。では何故このあざとさが、逆にわたしには快感として読めてくるのだろうか。と考えてみた。 メリハリのある言葉の動き、置かれた選語による巧みさだけであろうか。終わりのほうにあなた、という対象としての生の像が盛り付けられてある。踊る踊るみんな踊る。でもあなたが主役ににってしまうので、あなたとは呼びたくはなかった。という嫉妬心が向けられるのはあくまでも血の通う人としてのあなただ。 踊り子なんて最初からいなかったんだ。というこの閉め方。 「CLOSED」現実観に引き戻されてしまうというこの終わり方もいい。 つまり私的に大まかな解釈をぶちまけてみれば、ここに語られた話者は同じ詩のダンスを踊る、パートナーとしての誰それかを意識して嫉妬心を燃やしている。それが深層心理として情緒的に読めてくる。それは、ひょっとしたらこちらで踊る佐々木春さんのことかも知れないし、その他の誰それかも知れない。 つまり置かれてある言葉とは裏腹に、内実的にはそのあざとさによって揺れ動く話者(作者)の心理が表現されているのだろう、と読み解けるのです。 あちら(詩人会)にはもう投稿されてますか?これは優れた作品としてわたしの書き留めにもCLOSED。多くの読者にオススメしたい。CL
2ビーレビさんはスマホで読んでいるときとPCの画面で読む時で、若干印象が変わるんですよね。一目で目に入る量が変わるからかもしれません。 最初にスマホで読ませてもらったんですけど、やや長さを感じまして。PCで読む分には、そんなに長いと感じなかったんですけどね。 すこぶる読みやすいので、読みにくさ故の長さでは無くて、内容の芯の部分の感情がずっと一緒のように感じられたからと推測しました。少し伸びてしまっているような感覚を受けたんですよ。風景や内面、セリフと多様な形に視点を変化しながら進むんですけど、芯がずっと同じ向きを向いているのが伝わってきました。 一定した諦めと僅かな蔑み、僅かな思いやり。諦めは寂しさから進化してきたものなのかな。悲しみには届かない程度。不思議な存在で、人間から何かになりかけているような。 わたしとしては、そういう負に寄っている感情がずっと続くように読めました。それはそれで凄いですけども。 題名からすればそちらへ向かうのが必然なのかもしれません。それでも、少しもったいないなって感じたんですよね。 もう少し動き、もしくは短くするとかなのかな。自分で書いておいてどうすれば良いのかわかってないのです。 崩したらさすがに、さすがにもったいないですね。 ま、読み違えているかもしれません。 整わせるセンスが凄いですね。文面や言葉を収束させていく技術ももちろんそうですけど、何より音の扱いが凄いと感じました。 音として発生する波を綺麗に、丁寧に制しているのが読み取れます。 詩を朗読する楽しさを教えてくれる作品なんでしょう。内容を読み解けなくても、声に出して読むだけで浸る事ができる。 いっそ、ほとんど詩を読まない人に朗読してもらいたいぐらいです。 何度か読み返してみると、作中に音、こちらは実際に鳴っている音、が少ない事に驚かされます。静かですね。 めだまの所でちょっとだけズレて、そのズレを引きずったまま最後まで進んでいく感覚が好きです。
2鯖詰缶太郎さん、コメントありがとうございます。 書いてくださった一つ一つの感触が、まさに伝えたかったことで、的確だと思います。 特に、「寂寥」という言葉も疲れ切った、「途方もない間違い」の中、「焦燥の終わる前後」、この3つはこの詩を纏う大事な要素だと思います。 ありがとうございます。
1stereotypeさん、コメントありがとうございます。 なんと、以前価値観の布石を置いていたのがこの作品で回収されるのかと、驚きました。というのも、私のその価値観は最近になって言語化できてきたもので、この作品を書いた時はその考えと結びつけて書いてはいなかったからです。 面白いですね。最近は本当に、「あなたの言葉が欲しい」と言われるようなことが増えてきた感じがしているので、作風は移り変わるかもしれません。一番しんどくないからこそ、今、詩を選べています、ぼちぼち続けていきます。 ありがとうございます。
1メルモさん、コメントありがとうございます。 まさに、踊り、というのが文字だけで、動きが見えてこないということと、後半の「あなた」は繋がっていると思います。 「あなた」の踊りが周りに生を宿すほど、魅力的だったこと、そのことへの嫉妬。その情緒は意識しておりました。(この場に出すと、確かに佐々木さんなどらを意識するように、見えなくもないですねw) ただ、今思い出すと、「踊る舞台を降りること」、「踊る舞台は自分で決めること(→森から始まる)」のようなキッカケで書いてたりしたと思います。舞台を閉める、「CLOSED」。 本作品は、現代詩手帖で佳作を頂きましたのでこちらに載せてみた次第です。いずれ本文掲載を果たしたいものですが、このように嬉しい反応を頂けるだけで、万々歳です。 ありがとうございます。
1万葉さん、コメントありがとうございます。 私の作風は、おそらく「迷い込む」系で(転生も含めて、急にある世界に放り込まれる系)、何かが自分の世界に侵入してくることは滅多に起きません。否、外部世界と内部世界の相互作用が全て起き終わった第三の世界に、記憶喪失の状態でスタートする、そんな詩を書きます。 そのため、心情の殻を強くして、一貫して世界を見なければ堪えられない、自己が壊れてしまう状況にあるのかなと、言われて思いました。 「作中に音、こちらは実際に鳴っている音、が少ない事に驚かされます。静かですね。」 確かに、書いている時も、音は鳴っていなかった気がします。それは、森の静けさ? ありがとうございます。
1「傷痕がタンタカ泣いている」、この表現はなかなか他には見つからず、秀悦ですね。タンタカといえば踊っているような感じですが、無理やり自分で踊って傷付いているのか、それとも誰かに踊らされているのか。 それでいて終連は「最初から、踊り子なんて、どこにもいない」という言葉で締めくくられていて、ちょっとしたどんでん返しが心地よい。 全体的に安定感があり、詩全体が読み手に対して安心感をもたらしていると感じました。
1初めまして。 敢えて避けていた本作。 やっぱり逃げられないのか、と思いつつ。 明日まで寝かせます。 ではまた明日。 ありがとうございます。
1さて、こんばんは。 謎解きに参りました。 決定的となったのは、 この一行。 >私のかかとに隠れてしまった つまり、 踊っていたのは、自分自身であり、 嫉妬したのは、自分自身に自分自身がであり、 「あなた」と呼びたくないのも、自分自身だからであり、 結論として、 >でもあなたなんて最初からいなかった >とも私は言える そりゃ、自分自身ですから。 >最初から、踊り子なんて、どこにもいない という生き方を、自分自身が選んだということ。 覚悟を見せていただいたような心持ちでございます。 ありがとうございます。
1追加。 推し測るに、 熊倉ミハイさんは、本心では踊っていたい。 だけど、最後に諦めた。 だから、タイトルが「CLOSED」 閉店。 まあ、また開店すれば良いのでは?^^ ありがとうございます。
1レモンさん、コメントありがとうございます。 「あなた」が「私」でもあった、面白い解釈です。そうとも読めながらも、やはり「あなた」は「あなた」としてそこにいたという読みも、損なわれていないはずです。 鏡などがあれば頑張って見えるかもしれませんが、「背の白さ」という表現、「私」が独りで自分の背を見れるものかどうか、という点が残ります。 ただ、レモンさんのおっしゃる「私」と「あなた」の合一のイメージは、確かにあります。 元々そこにいたのに、いなかったと言い張りたくなるほどの、悲しみがそこにある、と私は解釈したい派ですね。 この詩ではよく、作者の私と「私」が結びつけられますねw なぜでしょう… 私はいつだって本心ですが、でも確かに一つ一つの詩を次の詩に引きずらないように「CLOSE」していく節はありますね。そうしようとしても残る軸のようなものを見るために、でしょうか。 ありがとうございます。
1ああ、なるほど。 作中の「私」と作者の私が別ならば、 全く別の解釈になりますね! でも、もう歯槽膿漏でぐらぐらの歯で、ナッツ類や堅焼きせんべいを食べていて、ヤケクソ染みてきたので、 この詩の解釈は、 私は、ご容赦下さいませ。 ありがとうございます(ヘトヘト)。
1なんというか自分は解釈は苦手で、感覚的に感じたことを書くのですが。 少女、というものの儚さというか落ちて消えていく感じが出ていました。 その儚さを書くにあたって、変に美的に耽美的に書かずに、かなり冷静にリアルに描いている感じがして、幻想的な舞台なのですが、幻想に浸りきらずぎりぎりのリアルを探している感じがして、よかったです。(何言ってんだか自分でもよくわかりません) 最後に少女に良くここまで来たねと肩をぽんぽんとしたい欲求が来ましたが、作品との距離というか、作品の秘める神秘性の強さゆえに、やはり少しの拍手で送りたいような、そんな読後感でした。
2ここ→“みんな”じゃなく“みいんな”んで、後に出てくる“みんな”は“みんな”のまんま。んでなんだろー軽快よね(いい意味で!)POPなんだと思う(いい意味で!)
2