苦しんではみるけどだからなんなんだろう
家族が残してくれた夕ご飯を
0時から食べはじめて明日は9時から面談で
今は2時半で詩を書いている
おかずの下に敷かれていた萎びたキャベツを
かき集めるように言葉をつらねている
絵は下書きをして色を塗って乾くのを待って
色々時間がかかってしまうけど
詩はスマホ一つで一晩で書けるから楽だ
これまで何十編か書いて見せたりしていたら
ありがたいことに賞をもらえることがあって
喜んではみるけどだからなんなんだろう
その詩の何がそんなに良くて
この詩の何がそんなにだめで
どの詩がおれとして正しいのか
書けば書くほど見失っていくし
ますますつまらなくなるかもしれなくて
それでも死にたいとはとても思えない
眠いけど横になったらお腹が痛くて
仕方なく起きているように書き続けている
数週間前から背中にびっしり蕁麻疹ができて
毎晩掻きむしっていることを黙っている
うまく言えないことに頷かれてそれからは
おれではない誰かの話になってしまう
誰も信用できないことを
誰かに言えるわけがなくて
誰かに読まれてしまうかもしれないことに
怯えながら期待している
家族が残してくれた夕ご飯は
食べきれなくておれも残すことにして
皿を移してラップをかけて冷蔵庫に入れた
おれは冷えたご飯もわりと好きだから
明日のお昼においしく食べていると思う
明日も雨が降るらしいけど
この詩をポストに入れなきゃいけないから
昼ごはんの後に出かけて濡れていると思う
あるいは朝起きて読み返したら
やっぱりこれじゃないと思って
ずっと家から出ないかもしれないとも思う
何も手にできていないことを
手にできていないと書けることは幸せだけど
空っぽの幸せを握りしめて放り投げて
何かにぶつかって欲しいと願っている
残してくれたご飯をありがたがるよりも
おれ自身の手で料理をして失敗して笑いたい
9時に目が覚めてしまったけど
面談はいつも最後の順だから間に合って
結局2分半ですんなり済んでしまって
今は10時で詩を書いている
家族が残してくれたパンを食べながら
読み直したら悪くないかもしれなくて
これから印刷してポストまで出かけられそう
出かけてはみるけどだからなんなんだろう
冷めたコーヒーは苦味が強くなっているけど
いつもより目が冴えてくる気がする
少しは良い日になれるかもしれない
作品データ
コメント数 : 14
P V 数 : 1175.4
お気に入り数: 0
投票数 : 4
ポイント数 : 0
作成日時 2025-02-03
コメント日時 2025-02-22
#現代詩
#縦書き
| 項目 | 全期間(2025/12/06現在) | 投稿後10日間 |
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
閲覧指数:1175.4
2025/12/06 04時37分24秒現在
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たぶん年代は違うと思いますが、共感できることが多く文芸って本当にメンタルに悪いなあと改めて思います。 でもとことんやる覚悟、その声明文のようにも読めました。 自分を見つめる視点にあまり虚飾や嘘が無くて良いですね。 >少しは良い日になれるかもしれない 「少しは」っていうのが良いですね。 良い良いばかり言っているけれどタイトルにもあったのでたくさん書かせていただきました。
0富井さん はじめまして 「おれ」の存在がふわっと浮かびあがってくるような、生活の流れるような描写がすばらしく、そういった描写が >うまく言えないことに頷かれてそれからは >おれではない誰かの話になってしまう >残してくれたご飯をありがたがるよりも >おれ自身の手で料理をして失敗して笑いたい といった「おれ」の心の運動のようなものを、作品の空気感や流れを乱すことなく、かといって作品のなかでぼやけてしまうこともなく、読み手に届けることができていると思いました。 >少しは良い日になれるかもしれない ラストのこの素朴さがすごくいいです。なんだか妙に胸にひびきました。
0紅茶猫さん、コメントありがとうございます。 詩を書きはじめて数年なのですが、楽しくはない経験だったり後ろ暗い感情みたいなものに直面した時に「これは創作のタネになるかもしれない」と心のどこかで思えることが大きな支えになっていると強く感じています。 そして実際に詩にして、コンクールだったりこういった場に出して人目に触れさせることでぱああっと発散できた気分になるんですよね。 嬉しいコメントありがとうございました!
1あやめさん、コメントありがとうございます。 詩のスタイルは色々と探って書いてみている最中なのですが、最近は推敲を重ねて比喩を入れ込んでいくスタイルよりも、肩の力を抜いてつらつら書いていくほうに興味があったので、まさにそういった空気感を評価していただいて嬉しいです!
0誰かに読まれてしまうかもしれないことに 怯えながら期待している って凄く共感できます。 詩だけでなく生活の中でも見つかりたい見つかりたくないみたいな感覚が私はよくありますね。
0ぼんじゅーるさん、コメントありがとうございます! その一節もこの詩の中では大事な部分だったので嬉しいです! 私は、例えば一人でショッピングモールを歩いている時なんかに友人にばったり遭遇するといったことが嫌いなので、こっちが先に見つけたら絶対に逃げてしまいます笑パーソナルスペースの開け閉めというか、どういう時に開閉スイッチが入るのかというのも興味深いですね
1読ませて頂いて感じたのは、思うままに書かれているということ、それが等身大の感覚を呼び起こしている、と同時にすこし冗長を残しているのではないかということでした。 例えば1連目の、「その詩の何がそんなに良くて~仕方なく起きているように書き続けている」をカットしてそのまま2連目の頭に繋ぐ、2連目だと、「誰も信用できないことを~怯えながら期待している」はカットできるのではないかと思いました。3連目は、2連目の終わりの言葉「残してくれたご飯をありがたがるよりも おれ自身の手で料理をして失敗して笑いたい」が素晴らしすぎて、その存在が(3連目を他の2連と比べると)、どこか霞んで見えてしまうようにも感じました。カットしているところは、前後の文章から、書かなくてもそれとなく意味が伝わるのではないかと勝手に僕が思った部分です。 そのようにして全体を見回すと、1、2連をくっつけて3連目(オチ)だけ分ける形で2連構成にされたり、あるいは(ストーリー的には1本の線で繋がっているように見えますので)1、2、3連を融合させて1連で見せることもできるのではないかと想像しました。ただ、それらを全部無視(失礼なことをたくさん書きました、すみません)するくらい、良い言葉がたくさんありました。「おかずの下に敷かれていた萎びたキャベツを かき集めるように言葉をつらねている」や「おれは冷えたご飯もわりと好きだから 明日のお昼においしく食べていると思う」など、自分のことだけでなく、周りの人間(家族)を思う気持ちをさりげなく文章に込められているところがとても素敵だと思います。胸の奥に静々と響いてくる文章を、ゆっくりと噛み締めたくなるような作品だと思いました。
01.5Aさん、コメントありがとうございます! できるだけ自然体で書くことに重点を置くとリアルさが出てくれているようなので気に入っていますが、冗長になってしまっている、との指摘はこのスタイルの弱点だと思いました。 ちょっと自分自身ではまだ意識しづらいですが、すごく良いフレーズがどこかにポンと生まれると、周りの言葉たちが余計になってしまうというのはかなりあると思います。今後はうまいバランスを考えていくことが必要かもしれません。 とても丁寧で的確なコメントをありがとうございます!参考にします!
2とりあえず詩を意識せずに日常を語らせてみよう。読みやすくて縦書きで改行される文節は派手な比喩化の試みもありません。それぞれの持ち味にもよりますが、これが横書きで比喩表現もぼんぼんと目立てば、思考も左右にぶれる分読み辛くはなります。どちらが好いか好くないかはそれぞれの好みにもよりますね。 散文調子の独白に語られていますが、この読みやすい改行はメリハリやリズム感を考えると、間接語の仕様などにはけっこうテクニカルを労します。 自然体で好いと思われますが、少しだけ気になった箇所を挙げれば、~それでも死にたいとはとても思えない。詩という書き物の評価を考えて死にたい、というのは表現が少し大袈裟かな、とも思われてきますね。辞めたい、または止めたいとは思わない。が自然でしょう。 後、~何かにぶつかって欲しいと願っている。表現的なイメージに少し物足りない気もするのでは、ここは誰かにとか、物に喩えて表現されたほうが文としての印象も強くなるでしょう。 文末は、このだらだらと鬱に巡るそれまでの気持ちを切り替えるようにタイトルに帰ります。このような唐突感を添えて終わるのは、まあ、詩書きの定番のようにも思えてきて、やはり何かもうひとつ工夫が欲しくなります。 ~明日も雨が降るらしいけど。ということは天気までもが鬱屈としている様ですね。 ~傘の色を変えてみようか。少しは良い日になれるかもしれない。とか、新しく買い換えてみようとか、何か気分の変化をもたらす表現も欲しくなる。という一考を入れ込みたくもなる。もちろんこれはわたしの趣向なのでもありますが。
1>家族が残してくれた夕ご飯 「おでん」を思い浮かべましたよー >家族が残してくれたパンを食べながら 「マーガリンロール」を思い浮かべましたよー 共感しまくりんぐで泣きそうになりました(泣いてないけどね)
0メルモsアラガイsさん、コメントありがとうございます! 文芸作品は縦書き前提だろうと思ってあまり考えなしに全て縦書き設定にしていますが、おおむね大丈夫そうですかね!? 「死にたいとは〜」の部分、自分でも大袈裟かもと感じながら書いた記憶があります。「何かにぶつかって〜」も詰めきれてなかった部分ですね、モチーフを持ってきた方が自分の中でも自然に落ち着きますしこだわるポイントはそのへんかもしれません! 気持ちの動きに合わせてしっくりくる一単語、一節を入れ込むことは今後のポイントになりそうです!ありがとうございます!
0三明十種さん、コメントありがとうございます! おでんですか!逆に三明十草さんの生活が垣間見えるようです それぞれの読み手のそれぞれのご飯がありそうで興味深いですね
0指摘されていない所でいくと、ものすごく「時間」を意識している、そんな表現が散りばめられてますね。 0時から、2時半、9時。数週間前から、明日、今日。 作品が、遠く離れた地に届いていくことの怖さは、時間にも表れていくのだと思います。自分でさえ、1日経てば自分の作品の評価が変わってしまう、「信用のできなさ」は自分にも向けられる。 「なんなんだろう」の答えは、責任なのかなと、私は思います。苦しみや、背中の蕁麻疹は、個人だけの痛みではないことを、知っていく責任。時空の離れた人々の「うまく言えないこと」を自分が背負うと強く自覚していくと、「なんなんだろう」は消えていくのかな、と、思ったり。その自覚=最後の目の冴え、かもしれないですね。
1この詩けっこう好きっす
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