いつから、
あそこにゐるんだらう。
日溜まりの向かふに、
声がする。
日溜まりの向かふに、
声がする。
わたしの声だ。
それは、
とても懐かしい、
わたしの声だつた。
(あのとき、……、)
はぐれた庭に、
わたしがゐる。
(あのとき、……、)
はぐれた庭に、
わたしがゐる。
──カンダタの、はぐれた庭だ。
(あのとき、……、)
華を沈め、
(あのとき、……、)
魂をほどいたのは、
──わたしだつた。
(あのとき、……、)
しづかな庭で、
魂は
わたしからはづれ、
わたしからはぐれて、
また戻つて、
またはぐれて、
──いいえ、
わたしは、
どこへも行かなかつた。
また戻つて、
またはぐれて、
──いいえ、
わたしは、
どこへも行かなかつた。
どこへも行かなかつた。
ただ、しづかな庭で、
ひと掻きの灰のなかを
出たり入つたり、
出たり入つたり、
繰り返してゐた、
繰り返してゐた、
ただ、それだけだつた。
作品データ
コメント数 : 11
P V 数 : 814.1
お気に入り数: 0
投票数 : 4
ポイント数 : 0
作成日時 2025-05-03
コメント日時 2025-05-25
#現代詩
#縦書き
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
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2025/12/05 19時02分59秒現在
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僕が眺めてゐた庭も同じ(陽)な庭だつたかなあ
0せつなさ。 やりきれなさ。 もやもや。 罪の意識。 本当は、何処かに行きたかったのではないだろうか? 或いは自分自身から解放されたかったのかもしれない。 そう思いました。 ありがとうございます。
0三明十種さんへ お読みくださり、ありがとうございました。 ご感想のお言葉もいただけて、うれしいです。
0レモンさんへ お読みくださり、ありがとうございました。 ご感想のお言葉もいただけて、うれしいです。
1空っぽなのだけれど、そこからすべてを生み出すという世界観――老子のタオにも通じる気がし、さらに敷衍するならば「陰」の方でしょうか。「庭」というのも、おもえば、どことなく女性的な感性である。ただし全体のの読みとしては「超然」よりも、怨念のルフランが木霊するといった趣もあり、一筋縄ではいきません。
0おまるたろうさんへ お読みくださり、ありがとうございました。 ご感想のお言葉もいただけて、うれしいです。
0様々な場面が思いうかび、陽の光を浴びている。悲しそうな懐古にも思えるけれど、なぜか温かく思える作品だと思います。そっか、皆が土を耕しているんだなあと、誰にも訪れる悲しい結末のことも明るく捉えられそうです。
0名前ある誰かさんへ お読みくださり、ありがとうございました。 ご感想のお言葉もいただけて、うれしいです。
0手を伸ばし、わたしは天界から垂れている糸をたぐり寄せ、必死で上に昇ろうと身を捩るが、その身は上がったり落ちたりを繰り返すばかりで、結局わたしの魂は何処へも成就されることはなかったのだ。 という死語の世界観ですね。 地上の庭と浮遊する天界への切望。 もちろんこの繰り返しが利いています。
0↑ ごめんなさいね。こんな解説はカンダタの文字を読めば誰にでも理解されることで、背景としてあるのはやはり現生としての罪の意識でしょうか。いつまでも纏わり付いて離れない糸に悩み続ける。 そんな血の宿命を喩に置き換えた詩だと思います。
0メルモsアラガイsさんへ お読みくださり、ありがとうございました。 ご感想のお言葉もいただけて、うれしいです。
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