I
インインと頻り啼く蝉の声、
夏の樹が蝉の声を啼かせている。
頁の端から覗く一枚の古い写真、
少年の頬笑みに指が触れる。
本は閉じられたまま読まれていった……
Ⅱ
日向道、帰り道、
水門のかたほとり、睇つ水光みずびかり。
すこし道をはずれて、
少年たちは歩いて行った。
だれも来ない楡の木の下蔭、
そこはふたりの秘密の場所だった。
あわてものの象戲のように
鞄を抛り投げて坐った。
「きょう、学校でさ、
脈のとり方を習ったよね。」
何気ないふりをして腕に触れる。
脈拍は嘘をつくことができなかった。
Ⅲ
あれは遠足の日のことだった。
車内に墜ちた陽溜まりを囲んで、
騒ぎ疲れた子どもたちが
みんな、とろとろと居眠りしていた。
ふたりは班が違っていたけれど、
となりどうしに坐って微睡んでいた。
自分たちの頭を傾け合って、
頭と頭をくっつけて、
ふたりは知っていた。
眠ったふりをして息をしていた。
透きとおるものが
車内を満たしていた。
ふたりだけの秘密。
少年の日。
Ⅳ
だれが悪戯したのか、
胸像の頬に赤いチョーク。
部屋の後ろに掲げられた
木炭画スケッチ。
変色して剥がれかかっている。
まるで乾反葉のようだ。
器に盛られた果物たちの匂い、
制服の下にこもった少年たちの匂い。
すでに何人かは
絵の具を水に溶いていた。
眼は椅子の上、
じっと横顔ばかり見つめていた。
叱り声が飛ぶ。
背後に立つ美術教師の影。
はっとする級友たち、
耳を澄ます木炭画たち。
違った絵の具を
絞り出してしまった。
V
あの夏の日も、
あの少年たちの頬笑みも、
束の間の
通り雨のようなものだと思い込もうとして、
ほんとうの気持ちに
気がつかないふりをして
通り過ぎてしまった。
午後の書斎、
風に揺れるカーテン。
インインと頻り啼く蝉の声、
夏の樹が蝉の声を啼かせている。
頁の端から覗く一枚の古い写真、
少年は、いつまでも微笑んでいた。
作品データ
コメント数 : 6
P V 数 : 739.5
お気に入り数: 0
投票数 : 3
ポイント数 : 0
作成日時 2025-05-03
コメント日時 2025-05-24
#現代詩
#縦書き
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
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2025/12/05 21時09分28秒現在
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少年の日の恋。 どこか儚く透明。 夏の日の淡さと幼さ。 或いは、蝉の声が象徴するような、 短く、だが生命力に満ちていたのかもしれない。 未完の物語ゆえの完璧さを感じました。 ありがとうございます。
1あの頃は携帯もなく、パチリ!と写すこともなく過ぎていく思い出。 パレットから勢いよく流れていく色づいた水の音。 樹の枝に貼り付いた蝉の声。 陽射しに溶け合うのよ、 感じるわ、睇つあなたからの陰影。 美しいですね。 思わず微笑んでしまいます。
1レモンさんへ お読みくださり、ありがとうございました。 ご感想のお言葉もいただけて、うれしいです。
1メルモsアラガイsさんへ お読みくださり、ありがとうございました。 ご感想のお言葉もいただけて、うれしいです。
0イノセンス、少年の純粋さ、その心象風景の透明さが、徐々に混ざり濁っていく。だから、「色」が鍵となるのだろう。色は純粋であると同時に、混ざりやすく、壊れやすい。混ざりすぎると真っ黒になる。美術教師は「それ以上はいけない」という境界線を知らせる役目でしょうか。だがしかし、その戒めも聞き流されるだろう。「違った絵の具を絞り出してしまった」この一行に、すべてが込められている。
0おまるたろうさんへ お読みくださり、ありがとうございました。 ご感想のお言葉もいただけて、うれしいです。
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