俺を殴れ殴ってみろと
クソ野郎が叫んでくれれば楽ですよ
カァっと切れて拳を振り上げ
戸惑うことなく振り下ろし
そして雨でも降ればスカッとしますよ
けれども殴れるほどのクズはいない
早々そんな人には出会わない
いやでもいるかもしれないけれど
そんなクズに僕は気付かず生きている
つまりは殴る資格もないわけよ
大事な人がいたとして
その人のことを思い返したとして
そして大事なことに気が付いたとして
そんでまだ間に合うとか思ったりして
雨の中を走り出したりしたいんですよ
けれども大事な人は特にいない
思い返したとしても気付かない
気付いたとしても諦める
間に合うかもとか思っていても走らない
現実に降る雨はただただ冷たいわけよ
本当は怒りでも、愛情でも、何でも良くて
感情に溺れれば身体なんてどうでもいい、と
すべてを衝動に任せてみたい
土砂降りの中で慟哭するように、映画みたいな、
でも多分、風邪ひきそうとか、考えちゃうんですよ
作品データ
コメント数 : 15
P V 数 : 1596.8
お気に入り数: 2
投票数 : 4
ポイント数 : 0
作成日時 2025-02-25
コメント日時 2025-03-10
#現代詩
#縦書き
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
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| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
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| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
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| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
閲覧指数:1596.8
2025/12/05 19時06分46秒現在
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初めまして。 私とは真逆な方だなぁと拝読させていただきました。 私には、どうしても叩き潰したいクズな男(その方は詩を書く方ではありませんよ。笑)が、1匹いるし、どうやって叩き潰そうかと具体的に考えているし、 大切な人には、ストーカーしてでも会いたいし、風邪ひくとか思うことなく、情熱のままに行動します。 ありがとうございます。
1初めまして。 殴りたくなるような相手も、どうなってもいいからとにかく会いたくなるような相手も、私は中々出会えないですね。 そんなんだから、自分の不利益も顧みないほどの衝動、情熱みたいなものに憧れるんですよね。 それに身を委ねたことがないので… 私は寧ろ映画やドラマなんかで主人公が雨に当たるシーンを観るだけでも、「風邪ひいちゃうよ」とか頭を過るタイプです。 ありがとうございました。
1作品全体に纏わせてある雨のイメージが、とても効果的に(作品の)解釈の多様性を生んでいると思います。例えば、すべてを洗い流すような土砂降りの雨、しとしとといつまでも降り続く雨、夏の日の爽快な雨、冬の日の冷たい雨。この作品を読む人によって、おそらく想像する雨の形がちょっとずつ違っていて、それが読み手の記憶の背景や音になっているような気がします。さらに面白いのは、「でも多分、風邪ひきそうとか、考えちゃうんですよ」という真理のような締め括り方ですね。確かに、雨に濡れたら風邪ひいちゃうよねって、この一文によって妙に納得させられてしまうのは大きいと思います。ひょうひょうと書いてあるように見えて、無駄な部分が一切なく、じっくりと読ませてしまう、高技術な作品だと思いました。これを、こともなげに書かれている感じは、やっぱり格好良いです。
2ありがとうございます。褒めていただけて、率直に照れています。 雨というのは普遍的なワードですが、その形は多様ですからね。読む人それぞれでもそうですが、同じ人でも読むタイミング次第で感じることが変わったりするのも、面白いかなとは思っています。
1雨とか降る、にしても、もっと暗めの情景のはずですが、なぜか詩の雰囲気は明るめ。 作者の余裕は、まだあると思います。だから、風邪ひきそうとか考えるのでしょうが、 実際の困難は確かに感じられます。今は、心を、雨に向かって解放することがしたいんだ、 という感じに思えました。
2心を雨に向かって解放、してみたいですね。それをしても良い、と感じるくらいの衝動を味わってみたいのかもしれないです。 仰る通り、私にはまだ余裕があるのでしょうね。だから隣の芝生は青いというか、体感したことのない感情に興味が湧くのでしょうかね。。 読んでいただきありがとうございました。
2でも多分、風邪ひきそうとか、考えちゃうんですよ 全体の雰囲気がどう猛でたまに出てくる荒くやり場のない自分のように感じられました。 最後の一文、私は濡れたら邪魔くさいなあって諦めそうで ちょっぴり自戒しました。
2欺瞞だらけの雨に打たれても気は挫けるばかりで、それならば見て見ぬふりをしよう。 っいうか、味覚糖(古い駄洒落だなあ) 携帯ばかり眺めていてさ、他人が何をされて何をしようとも関係ないわ。 特に最近はこんな人たちばかりが増えてきて、だからたまに勇気ある行動で我が身を犠牲にして手助けしようとしている人の行動が賞賛されるわけだけど、それで勝ち取る称号に恵まれるのは一部運のよかった人か、根底には周りから持ち上げられる要素を含んだ出来レースの様相にも伺えて、胡散臭さも目立つのだ。マスコミやニュースに取り上げられる事件なんかを見てると特にそう思う。 なので雨に打たれようとも気は停止してしまうだ。って考え過ぎたら何も行動は起こせない。このことは予測が自分のあたまばかりに働く大人しい日本人には大いに当てはまる傾向があると思う。つまり内気で曖昧で面倒な事は何事も他人任せにしたがる羊の群れたちなのだ。 事が穏便に捗り周りも平和ならばそれでもいいよ。妥協もひとつの解決策だ。とか思ってしまう弱さは確かにあるけれど、はじめから「冷や水はいらない」。ならばはじめから白黒はっきりケリをつけてから俺に文句言えよな。って事になるのにも気は引けて、ただ殴られるのを待つしかない。戦争にでもなれば早々とおシャカだが、それでもいいや、とボクも思ったりしてる。もう歳も歳だから 笑。
2バランスを考えて生きてしまうことのもどかしさみたいなことかなと、読んでいて思いました。 そう言えばそういう感覚自分にも思い当たることがあるなあ、と。誰しも思い当たる節のあるお話かも知れません。思いっきりぶん殴りたい奴がいて、ここぞという時に当てることの出来ないもどかしさ。 自分が強者の立場だったら、やりたい相手は私の場合時折無数にいる。立場的に相手より上だったら。 しかし、バランスを考えて生きてしまうのは私も似てるところがあります。 逆に言えば振り切るタイプの人間は、良識に囚われず、やれるとみたらすぐに手を出す俊敏さの中に埋没している未熟な人間なのだと思えば、自分が良識ある人間として思いとどまってきたことを肯定することも出来るのではないかと。 熱くなりたい! その想いもわかりますが、どっちつかずの肯定のような思いが、最近はあります。正義の肯定でなく、良識の肯定で自分は生きてきたんだと思います。 心の中に降る雨の情景をダンディズム豊かに表現している。 語韻とか語感とか、自然体に書いているようで、結構計算されて書かれている。また計算しすぎてない感じも自然体で温めのビールみたいないい感じを表していると思います。
2雨に濡れたら、確かに風邪をひく以前に面倒ですよね。 自戒されるのが正しいのかどうかは分かりませんが、読んでいただけた人が考えたりする切っ掛けになれたなら、私としては正直嬉しいです。 コメントありがとうございました。
2人助け、しかも緊急を要するような事態だったら、雨にも構わず行動できる理由にはなるだろうなと、いただいたコメントを読んで考えたりしました。 でも実際その場面に遭遇したことがないので、いざという時に自分がどう動けるのか分かりませんがね… 今回の投稿作は、完全に私事だけを意識して書いてました。日本国民の消極性というような、社会的なことはあまり意識してませんでしたが、いただいたコメントには、確かにと感じる部分が多かったです。 自分のための衝動はともかく、人のためになる衝動は躊躇わずに行動に移していきたいな、と考えたりしました。 ありがとうございました。
1>正義の肯定でなく、良識の肯定 何だかストンと納得できる言葉です。 私は一応、自分にとって読み心地が良い文章を書くようにはしていますが、それは計算と呼べるのか、適当なものなのか、自分でも断言できないほど曖昧なものです。 こういう、詩のような文章を書くという行為は水物すぎて、書いた翌日には、自分で書いたものなのに自作として説明などを出来なくなってしまいます… >自然体で温めのビールみたいないい感じ なんだろう、温くなったビールの良さとかあまり分かってないのに、納得感はあります。妙に嬉しい褒め言葉です。 好意的に読んでいただけたようで、良かったです。ありがとうございました。
2こんにちは。 タイトルが気になって、ググりました。 「冷水」ではなく「冷や水」。 元は、「年寄りの冷や水」かな?と。 で、「冷や水はいらない」となっているので、 おいくつかは存じ上げませんが、 「年相応にやります」という意味かな?と思いました。 ありがとうございます。
1再びのコメントありがとうございます。 なんというか、わざわざ手間を割いてもらえたという事実自体が嬉しいものですね。 タイトルは、読み終わった後に改めてタイトルに目をやった時に読者はどう感じるか、ということを想像して命名するように心掛けているつもりではいます。 まあ当然、少しでも人の目に留まってくれるようにはしたいな、という打算もしていますが… 冷や水は、慣用句から引っ張ってきた言葉なのは確かです。まあ、意外とその時の気分だったりで、どうとでも解釈してもらえるタイトルになっているかなと、自分は勝手に思っています。
1こんばんは。 なかなか気付きませんでした。 我ながら、いつものことですが、鈍いと思います。 私は、「冷や水」を許否してるのだと最終的に思いましたが、 最初は、「まだまだ若い!まだまだイケる!」と、 負けるものか精神だと思ったのです。 ありがとうございます。
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