別枠表示
赤子と老人と そしてアラヤ識と
ようやくバスに乗って 一息ついたとき いきなり 向かいの席の赤ん坊が 火のついたように 泣き始めた 突然の私の出現に 驚いたものかと心配したが 情況そのものは より本質的だった たしかに 赤子は赤子に間違いなかったが その中に いまひとり アラヤ識が控えていた そいつが 将来に向けて 黙々と学習している 言語の学習だ このときの私には なぜか それがはっきりと直観された たしかに 見かけは泣き叫ぶ赤子だが その中には 後日に控えて 沈着冷静なアラヤ識が 学習に怠りない 私はそれを 泣き叫ぶ赤子の中に 確と幻視した 恐らく 誰もが このようにして 育って来たのだろう 言語の坩堝の中で生きる これは 私たち人間の宿命だ アラヤ識は ひたすらそのために作動する 私はすでに老人だが これまで どれほど このアラヤ識の庇護のもとに 言葉を紡ぎ出して来たことか そのアラヤ識の学習が すでに 赤子の中で 黙々と開始されている その作動の様子が 私には確と直観された 私 泣き叫ぶ赤子 アラヤ識 すべては 複雑に入り組んだ 一連の関係事項だ そして 誰にも 罪はない……
赤子と老人と そしてアラヤ識と ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 650.4
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2025-04-14
コメント日時 2025-04-14
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


八つの識。阿頼耶識。例えば、あの人この人、爬虫類系の祖先を引き継がれおいでかな。四つ足獣かな。はたとまたは鳥類ではないか等々。意識してもしなくとも赤子にはそれとなく理解されている。成長したいまでも確かに感化されることがあります。
0ご指摘のとうりです。私はこの第八層のアラヤ識を「意味エレルギー」と習いました。いわゆる「意味可能体」です。より真実に迫って言うなら、「実在するかのごとく見える事物を、至る所に呼び起こし、撒き散らして止まぬ作用」(龍樹)です。読んでいただき、ありがとうございました。
0私は阿頼耶識を、九色九界天女のナンタラカンタラと習いました。 九色九界は菩薩行です。 ひたすら与えるのが、菩薩。 ですから、私が習った通りに読むとするならば、 学習し続け、成長に応じ、ひたすら与える、という意味合いになります。 だから、 >誰にも 罪はない…… に繋がると思うのです。 ありがとうございます。
0読んでいただき、ありがとうございます。広辞苑には、「阿頼耶識」について「輪廻を超え経験を蓄積して個我を形成し、またすべての心的活動のよりどころとなる」とありますが、私は主に井筒俊彦氏の種々の著作から、この言葉を学びました。 「比喩的イマージュで描いてみるなら、潜在的意味のトポス。太古以来、個人を越えて、人類全体の経験してきたあらゆることが、意味エネルギーに転生して、奔流のごとく波立ち渦巻く、暗い、存在可能性の世界」(井筒俊彦著『コスモスとアンチコスモス』28頁より) 特に氏は阿頼耶識を、「深層意識的意味エネルギー」として捉え、それがまだ「『名』によって固定されておらず、凝固しかけの『意味』可能体」として、「アラヤ識」のなかに、「たくさん揺れ動いている」と説き、それが思わず、私の心を激しく揺すりました。
1