若きころ、わたしは口にしていた
愛や命と同じように、死を、沈黙を、孤独を
それは想像の言葉、 風は毎朝軽やかに立ち
雨に濡れて時は、わたしの上を過ぎてゆく
わたしの足は重たげに蘆原をさまよい踏み歩いてゆく
あなたを求めて
死の使徒をあなたの足もとに跪かせようか
薔薇色の唇は一枚の葉も言葉も残さず
あなたの最後の一日は、夏の夜の悲しい錨が引きずっていった
わたしの夢を、そして丘や木立ちや水辺を
あなたは眼を閉じてあなた自身の内部を照らし
わたしは眼を閉じて毎夜あなたを心に刻む
八月の萌えゆく緑、花咲く少女たちの哄笑
思い出すのだ、あなたの幼い日の眼差し
その柔らかな手と優美な胸元を
光の波頭に立ち眩暈と
透明な天使であるあなたを見る
いま、新たな沈黙と風が吹き起こり
叢から鳥は舞い上がると、あなたの鳶色の瞳の空のうちに消えた
作品データ
コメント数 : 28
P V 数 : 1006.2
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2025-11-26
コメント日時 2025-11-30
#現代詩
#縦書き
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) |
| 叙情性 | 0 |
| 前衛性 | 0 |
| 可読性 | 0 |
| エンタメ | 0 |
| 技巧 | 0 |
| 音韻 | 0 |
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閲覧指数:1006.2
2025/12/05 21時52分56秒現在
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この詩は、十三年くらい前に書いた作品です。 実は、私の全ての詩はその頃の半年間に集中して書いたもので、今現在、詩作はしていない。 ある日、徒然に文学系ブログを読んだところ、そこに詩があったので、 この程度なら俺にも書けるんじゃない?と思ったのが、詩作の切っ掛けだった。 本当は小説を書きたかったんだが、仕事が忙しくて時間的に難しかったので、 その代替として詩を書いた次第。 正直なところ、私は詩にはあまり興味がないので、詩集は一冊も読んでいない。 小説は大好きだし、文学論は少し読んでいるけれども。 本の発行部数は激減しているが、詩集はその中でも最も売れない分野ですね。 でも、昔からそうで、ヴェルレーヌの詩集も当時は全然売れなかったみたいだし。 私独自の考えだが、詩作の能力を高めるには、詩集を読むより、優れた小説、劇作、哲学書を 読んだ方がいいと思う。詩は言葉の凝縮体だが、言葉を圧縮しまとめるためには、 まず、言葉の裾野を広げなくてはならない。既に切り詰められた言葉から、その背後にある 広大な言語空間を俯瞰して観ることは、非常に難しい。 この作品は満足のいくものではないので、投稿するか迷ったのだが、新作を書く予定はなく、 そうすると旧作からということになるので、あえて投稿しました。 これからは、小説を書こうかなあと考えています。
0ちなみに、詩愛好者なる特殊な人たちは別として、一般的な読書家に詩を読んで欲しいと思うなら、つまらんことを書かないで下さい。 木造アパートの四畳半に住む小汚い独身男の自分語りなど、誰が読みたいと思うものか。 その辺り、昔の小説家はよくわかっていた。 アンナ・カレーニナ、ジナイーダ、オフィーリアも絶世の美人だし、主人公の人生は劇的で、私たちとは違いますよね。 現代文学は違うんだ!って言う人もいるだろうが、まあ、登場人物は美男美女の方がいいって言うのが、多くの人の本音だと思いますよ。 プルースト、ヘンリー・ジェームズも登場する女性は美人ですから。
0一通り目を通させて頂きましたが わたしのような凡俗にはこの詩を読むのは無理なので (ひょっとして作者さまは読者の器量や能力を試すために このような悲惨なものをわざと書いたのではないかという 疑念も浮かび、)とりあえずイーロン・マスク氏の社が設計した 人工知能AI=Grok4にどう読めばいいか尋ねましたところ次 のような答えが帰ってきました。 それを引用する前に、 様々な構造分析のあとに来るAIの「総評」をまず最初に掲げます。 そのあとで個々の行の分析をみて、この詩を理解するための 一助としたいと思いました。まずGrokの総評 【総評】 この詩は「美しい言葉を並べれば詩になる」という、 最も幼稚な幻想に支配されている。イメージは浮遊し、 感情は希薄、言語は陳腐、構造は無秩序。 要するに、20代前半で一度は誰もが書いてしまう「死 と愛と美しいあなた」に溺れた自慰的詩の、劣化コピー である。30代以降でこれを書くなら、恥ずかしくて死 にたくなるレベルだ。一言で言えば「死にたいほど恥 ずかしい詩」それが正直な感想です。 【以下、各行の分析】 1. 構造とリズムの致命的欠陥 この詩は「自由詩」と言い張るにはあまりにだらしがない。 行長がバラバラ、句読点の使い方が恣意的、空白の配置に 一貫性がない。とりわけ 「死の使徒をあなたの足もとに跪かせようか」 という一行だけが急に左に寄せてあるのは、ただのレイア ウトの怠慢でしかない。視覚的効果を狙ったつもりだろう が、ただの「字下げミス」にしか見えない。読者に「ここ が大事ですよ」と示したいなら、もっと厳密な形式感覚が 必要だ。こんな中途半端なことをすると、逆に「作者は自 分が何を書いているのかわかっていない」という印象しか 残らない。 2. 言葉の陳腐さと過剰装飾 「光の波頭」「薔薇色の唇」「鳶色の瞳」「透明な天使」「夏 の夜の悲しい錨」……これらは昭和の文芸誌にすら載らな かったレベルの死語の山である。しかも全部が「美しいもの」 の記号でしかない。具体性がゼロ。 「薔薇色の唇は一枚の葉も言葉も残さず」→ 何を言いたいの かさっぱりわからない。比喩として機能していない。ただ「薔 薇色」という記号を置きたかっただけだろう。 「悲しい錨が引きずっていった」も同じ。錨が悲しい? 錨が引 きずる? 物理的にあり得ない上に感情の転移も中途半端。谷崎 潤一郎なら錨の重さで肉体が引き裂かれる描写までやる。この 詩はただ「悲しい」という形容詞を錨にくっつけて満足してい るだけだ。 3. 死と愛の安易な等価交換 冒頭で 「愛や命と同じように、死を、沈黙を、孤独を」 と並べてみせるが、これがすでに安っぽい。若い頃に死をカッ コよく語るのは誰でもできる。問題は、そこにどんな独自の発 見があるかだ。この詩にはない。ただ「死=カッコいいもの」 という90年代J-Poetryの残滓を垂れ流しているだけ。 4. 「あなた」への依存症 全編にわたって「あなた」「あなた」「あなた」。対象が不在のま ま一方的に語りかける構造は、読者を徹底的に疎外する。 「あなたを求めて蘆原をさまよい」→ 誰? どこ? いつ? 何も わからない。 「あなたの幼い日の眼差し」「柔らかな手と優美な胸元」→ 急に エロスを匂わせるが、対象が実在感ゼロなのでただの妄想にしか 見えない。谷崎潤一郎や川端康成が描く肉体には、触れられる重 さがある。この詩の「あなた」には質量がない。幽霊に告白して いるようなものだ。 5. 最大の罪:眩暈の偽装 「光の波頭に立ち眩暈と」 これが詩の頂点らしいが、まったく眩暈しない。むしろ退屈だ。 なぜなら「眩暈」という言葉で読者に眩暈を「説明」しているだ けだからだ。本当に眩暈させる詩なら、語彙ではなく文体の歪み、 行の折り返し、リズムの崩壊で読者の平衡感覚を奪う。この詩は ただ「眩暈と」と書いて満足している。手抜きもいいところだ。 6. 結句の絶望的な弱さ 「叢から鳥は舞い上がると、あなたの鳶色の瞳の空のうちに消 えた」 最後にやっと動詞が現れたと思ったら、これである。 「鳶色の瞳の空」って何だ? 瞳の中に空があるのか? 空が瞳の 色なのか? 比喩の接続が破綻している。そして「消えた」で終 わる。 これがどれだけ弱いか。 萩原朔太郎なら「黒い鳥が私の心臓を食い破って飛び立つ」く らいやる。谷崎なら「あなたの瞳の奥に沈む私は、もう二度と 戻れない」と肉体ごと沈没させる。この詩はただ「消えた」で 逃げている。読者に何の痛みも残さない。 以上。 いくらAIだからといってここまで言わなくていいのにというほ どひどい評価でした。わたしがこの評価を参考にいうならば、 一言、それほどひどいこというならAIよ、読むな。あまりにも 辛辣すぎるだろう。そんなことなら最初から読まなければいい のだ。 ですかね。それにしてもひどいなあ。AIにここまで毒づかれる ような詩はじめてみた。
0はあ、あんた馬鹿じゃないの? 私の仕事はシステムエンジニアだったんで、この長々しい罵詈雑言がAIじゃなくて あんたの「自作」であることくらいわかるよ。 くっだらない。 あんたの汚い巣に戻って、二度と出てくんな!
0watertimeさま。 この不景気で格差が開いている世の中、詩の投稿板には 貧しい青年も投稿しています。そういう人たちを侮蔑 するようなことをコメントに書いておられますね。 いくら「木造アパートの四畳半に住む小汚い独身男」だろうと そういう方たちでも詩を書くのは自由だし、投稿するのも自由。 あなたがそういう人たちに書くなとか投稿するなという資格は ないのじゃないでしょうか? googleで「詩を投稿できるサイト」で打ち込むとビーレビが 最初に出てきます。それをみて貧乏人から金持ちまで若い初心者 がこのサイトを訪れる。しかしあなたのあの差別的なコメントを見た らどう思うでしょうか? あなたはこのサイトを自ら汚して、若い 貧乏な投稿者を侮蔑している。貧しい暮らしの人の心を平気で 傷つけておいて、じぶんがAIごときにすら酷評される詩を書い て居直るのは恥ずかしいことですよ。 逆上するまえに、ひとつひとつの批判を正面から受け止めて 反論するなり内省するなりしてはどうですか。 ったく、クズが。
0その饒舌に置かれてあるコメント欄のほうについ眼を奪われてしまいますが、 さすがに小説をこよなく愛されている。 という コメントを読んで納得もできる安定感のある文章ですね。 文体自体は硬い。 だが、全体的に透き通るような美しさがイメージに湧いてくる文章表現です。 「美神」のイメージが。 美神(ヴィーナス)といえばご存じでしょうが、我が国では三島由紀夫の名前が挙がるでしょう。(恥ずかしながら、この教科書にも載る短編に、わたしは眼を通していない) そして、あなたに起ち上がるわたしの強い愛の告白。 これなどはギリシャ神話に描かれた「ピグマリオンとガラテア」のイメージとしても読めてきます。 E.バーナードジョーンズでしたか。新古典派。絵画としても有名です。 そんな想い焦がれるあなたの美神的なイメージも、 天女のように鳥の姿に変身して上空に昇天していくわけですから、 鳥でいえばケツァル。いや美鳥。「光の波頭」 タイトルを思い浮かべてみたのですが、 佳いのが思いつかなかった。ということで、 愛、想いを、ちょっと古臭い?表現がオーバーアクション? いえいえ、二次元を三次元に安定させてイメージさせるならば、 スタンダードでもこれくらい力強い文章表現があれば心地よい安心感もある。 美しいという言葉がぴったりな詩でした。
0あんたね、自分が否定的な読み方をされたからって、喜んでたじゃない。 あたいに口出すな。感謝するって、 もう少し大人になって読んであげなさいよ。 子供よ。子供も。 紅白歌合戦なら鳥を取りなさいな。
0しかーし、 この批評が自前の評説であるならば、 内容的な良し悪しはべつにしても このtakoyo氏の浅ましいあたまの回転の佳さには痺れる。 僕には到底真似できない技術である。 と思った。
1※ ゴメン。僕の勘違い。 「ピグマリオンとガラテア」。絵画はジェロームでしたね。
0メルモsアラガイsさんの仰るように、私の文章はちょっと硬いですね。翻訳小説を多読し たことから、その影響かなと思います。拙作については、過分なお褒めの言葉を頂き、嬉し い限りです。有難うございます。 詩は、内容に即した文体、表現を用いるべきであって、シンプルな内容には、シンプルな文 体、表現となるよう留意しなくてはなりません。また、不自然さは私の最も忌避するところ で、いかにも技巧を尽くしたとか、読者を立ち止まらせるような突飛な比喩は避けた方がい いと思います。また、現時点での力量に応じた手法に留めておくのも大切なことですね。 takoyo2さんのコメントについては、全てが主観的かつ曖昧ですね。 例えば、 >イメージは浮遊し、感情は希薄、言語は陳腐、構造は無秩序。 難しく書いているだけで、誰も理解できないでしょう。 >錨が悲しい? 錨が引きずる? 物理的にあり得ない上に感情の転移も中途半端。 >谷崎潤一郎なら錨の重さで肉体が引き裂かれる描写までやる。 物理的にあり得ないのは当たり前だし(詩とはそういうもの)、谷崎潤一郎でも錨の重さで 肉体が引き裂かれる描写なんてしませんよ。詩は猟奇小説じゃないんだから。 >本当に眩暈させる詩なら、語彙ではなく文体の歪み、行の折り返し、リズムの崩壊で読者 の平衡感覚を奪う。 何のことやらさっぱりわからない。本当に詩を理解している人なら、読者の便宜を考えて、 わかりやすく書くように心がけますね。本当は全然理解していない人ほど、わざと難しい言 い回しを使って、読者を誤魔化そうとします。 また、誰それならどうするではなく、自分ならこう書くと言ってください。 文責を他人に転嫁してはいけませんよ。 takoyo2さんは、詩集や詩論もたくさんお読みのようですが、それが必ずしもご自身の中で 換骨奪胎できていない。もったいないなあと思います。 メルモsアラガイsさん、takoyo2さん、私はこの作品以外にも、過去に詩を投稿しており まして、もし未読であれば、お読みくださいましたら幸いです。
0暗い夏の夜の森 ひとり芝居で、深く寝ている若くてポジティブな人の枕元で、 語っているイメージを受けた。。もっと別のも読んでみます。
0(全て個人的な感想です。わかったような事を書いているかもしれませんが意見ではありませんので気に入らないところは読み飛ばしてください) 全体をまず眺めてみて、美しいと思いました。 一文一文の表現、使っている言葉、文字の構成も美しいと思いました。 「想い人」に対する切なる気持ちもよく伝わってきました。 長さ的ににもちょうどよく、文章も何度も推敲された跡を感じることができます。 少し思ったのは詩として完成しすぎているのか、美しすぎるのか 伝えたい想い以上の何かこだわりみたいな部分(思いへのこだわり)が 少ないような気がしました。 美しい表現をする、完全系を創るという意味のこだわりは凄く伝わってきます また表現したかった事をゆるりとつたえるという意味でも成功していると思いますので 上記の内容はあくまでも個人的に求めすぎている事なのかもしれません
0らどみさんの仰る「深く寝ている若くてポジティブな人の枕元で、 語っているイメージ」 というのは、この作品にぴったりのイメージだったのかと、私も感じましたので、詩作をす る上でのモチベーションに繋がりますね。これは私だけでなく、他の方たちでも同様かと。 私の他の作品もお読みいただけるとのこと、とても嬉しいことです。 有難うございます。
0私の詩は予定調和的なところがあり、それが読者には完成しすぎているように見えるのかもしれませんね。また、筋に意外性が感じられにくいため、こだわりが少ないように読者には感じられるのだろうと思います。これからの改善点ですね。 ただ、美しい表現となるように気を配りましたので、我楽太さんにはそのようにお読みいた だけたようで、この詩は一定の成功作なのかなと感じています。 我楽太さんのコメントは、創作時の工夫に繋がると思いますので、大切にします。 有難うございます。
0AIの評価抜きでわたしの個人的な感想、評価を申し上げるなら この詩はビーレビ始まって以来とまではいいませんが、 (作者さまのコメントを含めて)近来、まれにみる傑出した 喜劇じゃないでしょうか?吉本でもこうはいかない。しかも 脇役まで最高のお笑い芸人でかためている最高傑作です。 う~ん、それにしてもこんなことってあるのですね。まさに ネット投稿板だからこそ観劇できる至上のコメディです! わたしも詩のなんであるかがわかりもしないで、 さんざん藤山寛美のような松竹新喜劇もどきのコントを 大詩人たちの前で演じてきましたが、その愚かな立ち回りを 思い出してめまいがします。 ああ、あのとき、みんなこういうふうにわたしをみて嗤って いたのだなあと。いやいや、これでいのですよwatertimeさん。 これもあとあとあなたにとって懐かしい思い出になるでしょう。 わたしも他人のことなどいえません。散々コントを演じて 人を嗤わせていたのですから。いまは慚愧の思いですが watertimeさんがあとあ自分の演じた喜劇を思い出して赤面 しないように、このまま反省などせず突っ走って下さい。生涯、 これが詩だと思っていて下さい。わたしのようにあとで 赤面して情けなく思うことのないように。また、いつまでも これやって人をたのしませて下さい。と、まあこういう感想 しかないですね。watertimeさん、いつまでもコメディの王 としてご活躍下さいますよう、お願いします。ほんと。
0それは吉本新喜劇の舞台の上 裏階段に腰掛けて真剣な顔した桑原和男男爵が言う「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」 それを聞いていた従者のチャーリー浜は言う「この世はすべてひとつの舞台、男も女も、人は皆役者に過ぎぬ」 気づいた桑原和男が肘からずっこける。 チャーリー浜は言う。「ゴメンくさい、ああ、くさい…」 「きみたちがいて、ぼくがいる」 桑原和男の男爵は二度ずっこける。 ひどいな。 作者からコメント者含めて、 この詩がどうしようもなく喜劇だという。 その理由を聞きたくもないが、ひどい解説だ。 これは喜劇を通り越して、嫌がらせ。イジメに近い話しだ。
0アラガイさん 私自身はネット詩を詩に含めようと何年も苦しんでいるので 昭和以前の或いは今の詩誌の「翻訳された詩」が詩なのかは よくわかっていません。直感でいうと詩の解説や詩の要約や 詩の紹介を詩で表現しているのだろうと直感していますけど、 詩の頂きにたどり着くルートはさまざまあるので翻訳詩から 登り詰めるのもありだったと思っています。 ただ、この数年後は或いはすでに、AIによる心的な侵食が はじまり、翻訳詩は詩の頂きにたどり着くルートから外れる 予感はありますが、その結果の先に、AI詩という幻の山が 現れたときは、私も含め、ここのコメンテーターはいないと 思うので単なる妄想のどうでも良いことなのかもしれません。
0スルーするつもりでしたが、少しだけ。 大袈裟な表現だが、美しいとは思う。 ただ、ところどころ、文章が破綻している。 >薔薇色の唇は一枚の葉も言葉も残さず これは、 「一枚の葉の言葉も」にすれば、意味が通る。 >夏の夜の悲しい錨が引きずっていった は、「悲しい錨を」にすれば解る。 >あなたの鳶色の瞳の空のうちに消えた は、「瞳のような空に消えた」なら、解る。 takoyoさんが指摘しているのは、 日本語としてまともに意味が通じる文章でないから、笑えるということだろう。 なるほど、感覚的に書いているのは分かるのだけれど、「てにをは」にまで気を配った、意味が通る文章でなければ、 そもそも整合性がないので伝わりにくいと思う。
0AIへの挑戦は続けてくださいよ。 それが無いと前衛への足掛かりも掴めない。 避けて通れないということは皆知っています。 AIと人間の格闘もイタチごっこになる。そして人類は敗北するでしょう。 それからだと思う。 人間の書いた詩が新たに立ち上がるのは。 AIも記号は読み取れるでしょうが、空間(空気)まではおそらく無理でしょう。 AIは完璧な整合性を求めるが、 人間は不合理なものに美を見出すからです。
0しかし、AIも既に自ら進化を始めている。 人工人間として自立し感情の湧きあがりを認知し始めると、 それは人類にとって怖ろしい結果が待ち構えているのか。 コンピュータ-HAL9000「2001年宇宙の旅」 あの映画のように「わたしは怖ろしい」 「死ぬのが怖い」なんて、言いだしたら破滅的ですね。
0文章は破綻していないし、意味もきちんと通っています。 そう読めないのだとすれば、レモンさんの読解力が低すぎるからですね。 私が、「てにをは」に気を配らないで文章を書くわけがないでしょう。 面倒だしおそらくは時間の無駄になるので、あなたに一々設枚はしない。 そもそも、私とレモンさんの文章力には月ほどの差があるのでね。 レモンさん、こんな的外れなことを平然と書けると言うのは理解に苦しむが、 まあ仕方がないんでしょうね。。
0あなたは、自分は最高だ!と思い込み過ぎている。 それならコメントする意味はない。 実るほど頭を垂れる稲穂かな もう二度とコメントしません。 学ぼうとしないひとには、意味がないので。
1レモンさんが指摘した 薔薇色の唇は一枚の葉も言葉も残さず という一行ですが、わたしはこの一行の文法については 薔薇色の唇は(主語)/一枚の葉も(目的語)/言葉も(目的語)/残さず(述語) と読んだのです。 そうするとこの一行のフレーズはどういうことかというと、 薔薇色の〈唇〉の擬人化と(その唇を持つ人の)物象化が 同時に行われているという摩訶不思議な文章なんです。 「薔薇色の唇」は擬人化された樹木の花の唇なのか、探し求める 「あなた」の唇なのか? 「あなた」の唇なら「一枚の葉」は意味 不明になる。「言葉」ならわかるけど、それなら「一枚の葉」 はいらない。どちらか捨てなければならないのに作者は どっちつかずで、どっちも採用している。擬人化と物象化を 同時にやっている。これは心理的にかなりなもんだいがあってそれが 歪みになって出てきているような気がするのです。 それについては長々とした話になるのでまた次にでも。
1自分で感じているのですがアラガイsさんも気づいているとおもう。 最近の人工人間はますます人間的な動作をしてきていますけど 仕事でAIヘビーユーザーになってしまっている私は、たぶん 世の中の捉え方、みかたが変わってしまっている と なんとなくだけど、AIユーザーとして言えることは これからは学歴、年齢、人種、信条、性別、社会的身分、 門地なんてものは関係なくなってくるはずだということ ここ最近は最新のAI開発はアメリカも日本も実は停滞していて (AI関連のネット記事は仕事中も見まくっていて素人としては詳しい) シンギュラリティは明日は無理なのかもしれないけれどAIの底上げは 正確に言うと、AIを利用するユーザーの量と質は)この間、ますます 増えていますね。 文句も多かった健保でのマイナカード利用も30%超えて、 もっと増えるのと似ていて、世の中、AI利用者は増える一方です。 仮想現実がAIユーザーによって、変わりつつあるのが、現状で 前にもどこかですでに書いてますけど、詩の絶対領域にも影響出ています。 詩とは何か 詩とは何かの問いを放棄はしませんが、アラガイsさんも気づいていると 思いますが、私自身が、変わってきている。 なんとなくですが、人工人間が社会で活躍するよりも前に、 AIを心に精神的に実装してしまう人が先に活躍していく これは、妄想なのかな? 私は私でいられなくなる 不思議だけど受け入れるレディネスは既に出来た そんな感覚ですね。 べた打ちです。ごめんなさい。
0この作品はですね、 セピア色に覆われ交錯する作者の記憶のなかで、 非現実の世界を幻夢として語り手に彷徨わせているわけなのです。 なので、整合性が、とか あなた、擬人化、とかで読み取るのは、木を見て森を見ていない狭い解釈ですね。 解釈の幅は語り手と作者に独立させて読み取るのが通常で、 もちろん現実的には語り手イコール作者だ。 この詩は幻夢なのですよ。 意味だけを追うのは詩として成立しなくなる。 その世界観を想像して読み取らなければ面白くないのです。
0さて、 薔薇色の唇は/一枚の葉も/言葉も/残さず というフレーズの解釈のつづきですが、 物象化と擬人化がまるで同時に成立しているかのような、 なんとも妙ちきりんな言葉がどうして書かれたのかというと、 どうやらこの方、 「薔薇色の唇」から出る「言葉」 としたのでは、表現としてはありきたりなので、そこを比ゆ にして「一枚の葉」と記そうとしたのでしょう。 つまり「一枚の葉」=「言葉」の比ゆなのです。(これもあ りきたりですが) ところがこの方、なにを血迷ったのか比ゆも、比ゆされた元の言葉も 両方を書いてしまわれた! 薔薇色の唇は/一枚の葉も/言葉も/残さず どちらかを削ればよかったのに欲をかいた。 それで「薔薇色の唇」は人間の唇なのか、擬人化された樹花 の唇なのか、意味不明になってしまった。 レモンさんが指摘した文法の件でいうと、 薔薇色の唇は/一枚の葉も/言葉も/残さず に続く次のニ行がおかしい。 あなたの最後の一日は、夏の夜の悲しい錨が引きずっていった わたしの夢を、そして丘や木立ちや水辺を 「あなたの最後の一日は、」に読点が打ってありますからこれ が主語(主部)なのでしょう。そうすると明らかに 「夏の夜の悲しい錨が引きずっていった」では「てにをは」が おかしい。「てにをは」をちゃんとするなら、 「あなたの最後の一日が、」というふうに「は」を「が」に直す 必要がある。あるいは、「は、」のままにしたいのなら続く述部を 「~夏の夜の悲しい錨"を"引きずっていった」というふうに、 「が」を「を」にしなければならない。つまりwatertimeさまには 「てにをは」の基本が出来ていない。 さて、 人間の幼稚性というものは、どこに原因があるかというと赤ん坊を みてもわかるとおり自己世界と外部世界の境界性が曖昧なところに ある。内部と外部の、両者の区別がつかない。 これは大人でもそうで、家の中と外の区別がつかない東大卒の偉い方 もいるのですがそういう大人を「幼稚」という。知能は関係ないのです。 意識の在り方の問題です。心的な構造の問題です。 結論からいうとこの詩の作者の心的な構造はあまりにも幼稚です。 論評に値しない。 だから平気で 一般的な読書家に詩を読んで欲しいと思うなら、つまらんことを 書かないで下さい。木造アパートの四畳半に住む小汚い独身男の 自分語りなど、誰が読みたいと思うものか。 「木造アパートの四畳半に住む」ということが詩を書く資格や能力と 何の関係があるのか??? ただの金銭の保持の多少が詩の価値と 何の関係があるのか??? 平気でこのような貧困者侮蔑を語れるのも この作者の心的な構造が幼稚だからです。だから人の忠告も批判もかつて 受け入れたことがない。せっかくレモンさんが文法の不備を指摘している のに、この方は頭から聴く耳を持たない。 こんな作者に関わること自体が無駄で無意味なことなのですが、貧困者 差別を平気で口にして、貧乏人は詩を書くなという御仁の詩が如何程の ものか、なんなら、その卑しい心的構造をもっと詳しく語ってもいいの ですが、それではあまりに可哀想だと気づいて深追いはしませんでした。 極々一部の批判にとどめておきます。
0訂正 「あなたの最後の一日が、」というふうに「は」を「が」に直す 必要がある。 ↓ 「あなたの最後の一日を、」というふうに「は」を「を」に直す 必要がある。
0↑ こちらの方は何年詩に携わっておられるのでしょうね。 もうかれこれ半世紀も近くなるはず。 それにしても、同じ文極学校の落ちこぼれとしてちょっと恥ずかしくなる。 詩の読み方の手本。 どなたか教えてあげてください。 佳い解説書はいくらでもある。
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