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わたしはもりをでて、またもりにかえる。
迷路のようになにもない空間に、昼と夜が貼り付くように混ざり合い、幾何学模様のように延びたり、収縮したりする 過去と未来を結ぶ未知の橋のように見える。かわいた台所に生乾きの蝶が脱ぎ捨てられたまま震えていた。その音色は、一瞬で消えてしまう泡のように儚い つなぎ目のない網目から透かしてみる、落ち葉の一枚の手を取ってワルツもタクトを踏む。遠くに広がる街は蜃気楼。一面が鏡のように輝き、ばさばさに干した貝殻が潤んだ瞳でねっとりとした暑さを隠し損ねた夏、腐っていた、汚物はどこかで誰かが秀でているかのようでありながら、実際には雲、木々、風そのものの自然の姿であり、響かせているものだ 反射する中で真実と虚構の区別は薄れていく。その瞬間、周囲の世界が音楽を奏で始める。遠くのようで、近くにあって、その鏡の果てに目を凝らすと、雨露が静かに偲び寄り、ひかりとかげと交尾していた 夢が生まれる瞬間だ 変化は続き、感情は雲の呼吸のように広がり、破裂して、そして消える。すべてが循環し、終わりと始まりがリングとなっている この始末では湿り気をおした唇が骨の髄まで汗ばんだ灰色に花束を生かしただけの顔。時々くすねてみては、無造作にこだまスピーカーから軋むような身体がわらう呼鈴の、そのものが喉を鳴らして 紙切れの1枚がシールのように剥がされる。4つ折りにされた棒が微動だにせず眠っている。脱ぎ捨てた下着に見るコウモリのハネを忘れないように。朽葉色に変色した炎がはなびらに追従するのをじっと待つ 身につけたままの帽子や靴下だけ白紙を封緘するポスターかなにかのような醜態でもあったら。游ぐ姿を創造する。皮を剥ぐように窓から射し込む雨風がせいぜい息を切らせて、身についた幸運を引きつった笑いに書き流す 蚯蚓を這わせたのは何も鈍い蟒蛇が、目の前でこまい虫がうずくような、身震いする程のキラメキであっただろうが、情けないばかりで淫猥にもならない。手のひらを返して陽の光を透かしてはなでわらうキメラだ すべてはぼんやりとした少女の顔に伝染る。消えたと思えばすぐに新しい形で再生する。軽やかな若木の木漏れ日に身を預け、すべては常に流動し、どこにも留まらない。枝から枝へ銀の絹糸を結ってく 永遠に変化し続けるそれらは――。 だっぴろい平原の雑草は背よりも高くあるくせに馬は夜走る。人々の見た夢が、目の前に実体として再現されているかのようだ。なぜか真上から俯瞰している自分もいる。さんざん散ったあと、さんさん照ったあと。呼吸は、感情そのものの揺らぎを映し出すように、静かに膨張し、消えていく そのときわたしは、土に戻る。私の足は根を生やし、手指にみる。花を活けたよな繊細な掌を開かずに併せる 街は、時間を拒むように変化し続ける鏡面の中で。夢の中では、言葉や映像、音がわずかに書き換えられる。それはささやかながら、確かに世界そのものを作り替えているようだ。風は私を惑わせるけど、どこへ向かうのか、狭くて広い彼方ばかりが浮かんでは消え、纏わりついて離れない まるで地は砂の上にあり歩く足音、犬の鈍い汽笛。時が止まったかのように、それでいて空を見上げ、遠く薄れた記憶の奥底に消えていく。あおいそらであることを、海は深い青をたたえながら、どこか冷たく、湿った鉄の匂いを漂わせモノクロームにおちていく 未知は躓きそうになるくせに 視界は妙に滑らかに滑り出す 飛べないからだなのに、だ 森が突然現れ、まるで空から降りてきたかのように、ゆっくりと広がり、周囲を覆い尽くす。牛は割れたブリキの格好で、放し飼いだ。その翠の海は、わずかな時間の後に、いのちと姿を変える。そこでは全てが映し出され、さらに歪んでいく 惨んだ胸の内をそっと手で掴むと、それが記憶の技なのか夢の仕業なのか、餌付けされたカナリヤは立ちはだかるよう。現実がその文字の形を取り始める。答えもなければ、色もなく音もない。思考と感覚が紙の上に、あるいは空気の中に、密度をもって敷き詰められていく。意思だけが私を歩ませる、私を生かしている しかし、全てが停止する瞬間が訪れる。あらゆるものが凍りつき、光も影もその場で停止したように見える。だがそれは、逆流する船が出口を見つけるための、ほんの短い沈黙だ。その船は、絶えず変化する流れの中で、出口を探し続け、やがて新たな形の未来を迎え入れる。私は森をでて、また森に還る
わたしはもりをでて、またもりにかえる。 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1518.8
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2025-01-25
コメント日時 2025-01-30
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


手癖っちゅうか手数多いよw至る方向に枝葉がのびていくいく!手癖は技術、手数は熱量、一気書きの速度感じましたよー
0個人的に心地良いと思った表現が、嫌だなと思った表現を数的に上回っていたな。 作品は勿論、作者のフィルターを通過しているんでコレはやはりその具合が 個人的に合ったと言う訳なんだろうなと思います。
0冒頭。迷路のようになにもない空間に~というのは誤謬だと思う。迷路にインスパイアされた想像。そもそも迷路という想像の空間が物質的な有機性を示唆している。
0もし言葉、それによって つくられたある種の陶器(のようなものを)作品と、呼ぶのであれば、 構成され焼あげられた言葉の集積は、例え、それがどれだけ美しいか、なにかの情動を喚起するものであったとしても、現実そのものではないし、 それはあまりにもあたりまえの事柄であるかのように思える。それは考えればきりのないものでもあるし、けれども、それでは一体何か、という事を観じてみると、バラけた断片の継ぎ目や、断片のひとかけら、または割れて崩れ落ちた、破片の、 だから、言葉、言葉による作品と、(リアルの)その繋ぎ目は必ずしも簡単に結びつけることは、できないのかな。 例えば、今こうして打ちこんでいる(コメント)っていうものも、数分後、数時間後、数日前には、まったく違う風に見える(あるいは見えた) のであれば、言葉(例えば語彙や、単語)それを連分けしたて繋ぎあわせたとしても、ほんとうに(ほんとうに?)リアルである事柄(それは時には残酷な事ですら、含み込む)。 今、見えているものが次の瞬間にはもう違って見える。そんな事を感じました。
0べつに妄想なのでいいではないか。作者様はそう思うやもしれない。この冒頭がタイトルにおかれるのならば思考も働くだけ抵抗もない。迷路となにもないという空間の結びつき。このことをいきなり作者が示唆(指示)するのは作者自らがあたまに描いた構図で、それはアニメーションと同じことだと思う。読み手には傲慢である。
0アラガイさん、お読みくださりありがとうございます。 >冒頭。迷路のようになにもない空間に~というのは誤謬だと思う。迷路にインスパイアされた想像。そもそも迷路という想像の空間が物質的な有機性を示唆している。 >読み手には傲慢である。 これは妄想ではなく、詩ですから。作者がどんな思いをもって書かれていようと、読み手がどう受け取ろうと、まったく絡み合う必要はないとおもっています(私はそういうスタンスです)読みては読み手の気持ちがあるのだから、着目する視点がみなちがうわけです。理解という良し悪しではないでしょう、それぞれが自由に感じ取り、解釈すること、物として面白いかどうかです。 アラガイさんからこの作品に対して現フォの方では >多層な想像で素晴らしいのですが、これだけ想景にインスパイアされていて冒頭の何もない空間というのには戸惑いがあります。 とコメントいただいておりました。ありがとうございます。そのうえで再度ご指摘なのはわかります 迷路となにもない空間という組み合わせについて、戸惑いや違和感を抱かれること自体は自然なことだと思いますし、そこに目を向けていただけたのは嬉しく思います。ただ、これは意図的なものであり、自分としてはあえて、おかしいところを、おかしいままにおいた。意図してはじめに持ってきているところですから。それら矛盾や不自然さが詩の一部として機能することを願っていましたね >作者自らがあたまに描いた構図で、それはアニメーションと同じことだと思う アニメーションとして確かに迷宮を覗いていってるように見えますね、興味深いご意見でした。この作品のたいしては、まったく考えていなかった視点で、非常に面白い指摘だと思います。次はこういったことも視野に入れて考えてみたいと思います。 このような読みが生まれるのも、詩の表現が持つ豊かさの一つだと感じます。解釈の自由というやつですね。皆、尻込みせずにもっと自由に詩を楽しめばいいのになと思っています。作者も読者も、対話する相手がニンゲンであることを踏まえつつ、それぞれが分別を持って感想を交わしていければ素敵だと思います。 詩という表現は、それを読む人によって新たな意味が生まれるものだと考えています。その中で、いただいたご意見や感じたことはとても貴重です。改めて、感想をお寄せいただきありがとうございました。
0妄想とは詩の表現でもある。敢えて、とおっしゃっているのだから、この内容が詩であるためには妄想でなければならない。何しろ非現実とにおかれてある描写でもあるのだから。わたしはそう思います。
0詩の精神は幽体し離脱する。妄想も想像も空想も、表現という日常を離れた自由な世界においては言葉上の違いだけだと思うのです。
0タイトルが秀逸。ように、ようだ、ように、ようだの連続で開かれていく手法は、むしろ手癖を感じませんでした。いつもより具体的かな、暗喩にしない分、いつもと違う手法と思いました。
0こめんとありがとうございます。手癖ですねー 地の文書くようにするのと、暗喩増々にするのと、混ぜて。ソレを補強するような感じで、あまり文字を見つめないでかいたので、いつもとはちがうかんじがだせたのかなとおもいます。気を抜くとらしさ爆発しちゃうんでねー
0コメントもらうのお久しぶりですね。あの頃と違って、だいぶ書き方自由に遊んでいる感じなので。それでいて、なにかしらハマってくれれば有り難いです、お読みくださりありがとうございます!
0>今、見えているものが次の瞬間にはもう違って見える。 私達は壊れやすいコトバを音していく、万能ではない言葉はその人固有の色で染め上げられる、其の言葉は、森になるまで、モリに還った後も、代謝を繰り返していく、同化なのか異化なのか。その瞬間にはそうあっても、実は見えてない部位がある、嗅ぎ取れないことがある、素通りしてしまうときがある。偶然必然、あのひあのとき、どうあってもこの瞬間は否応なしに訪れる。そのとき、そのさき、その過去をひらいたとき、そのひかりも闇も輪郭として確かに存在していて、けれど今によって上書きされていく。きっと、触れた瞬間から、しにはじめ、息づいてゆく。(コメントからインスパイアされて書きました
1>タイトルが秀逸。 さんきゅーやっったね! いつでもtitleは凝りたい! >ように、ようだ、ように、ようだの連続で開かれていく手法は、むしろ手癖を感じませんでした。 気づきませんでしたwっwこれマジで推敲していないので。たしかにないですね、手癖ではこうはならないです。 >いつもより具体的かな、暗喩にしない分、いつもと違う手法と思いました。 そうなのそうなの、だいぶコトバも重複しているなと思ったんだけど、いつもだと違う表現を探したりするんだけど、そういうものにしたかったので、まあ迷宮なのでね、ありだなと思って生かしました。 お読みくださりありがとうございました!
1森をでて、森に還る。森は生きているのかもしれません。正反対のものが繋がり、空間の空洞化が進んで居るのか、森が出現する前の生物が、前駆的な意味を持つのが、どう取るか、空間と時間が融合して、別々に考えられない世界なのかもしれません。
0もりは生きているのかもしれないが死に続けているのかもしれません。空に空間が空洞としてみちひきをくりかえすように。駆け引きはそこのあいだに隔たりとしてかえるのでしょう。それは生き物でしょうか、静物でしょうか。今にしてある、空間と時間がこうして受け入れていくことを、この足で踏む。ことばはなによりも癒着して、なによりも共にあり、けれど、届かないところをおどらされる、めいめい 感じ取ることでしか意味を持ち得ない。さあ、わたしはもりをでて、もりへかえる(インスピで書きました。コメントありがとうございます!
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