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蛇
オマーンとの国境付近に位置するサウジアラビアの集落アーダーで全身に咬傷を負ったW大学の学生の死体が見つかった。 10月26日、アジア人らしき人の死体があると現地警察に通報があった。学生証から身元が判明し、在サウジアラビア日本国大使館に連絡があった。翌日、市場から集落に戻った蛇の養殖家が、家を開けていた隙に蛇の小屋が荒らされたと証言し、学生の体内の毒は養殖家の蛇のものと一致していると判明。また、前日の25日の夜に学生が叫びながら走ていたという目撃情報から、現地警察は学生が悪ふざけで蛇小屋に入り、咬傷を負い死亡したのだと結論づけた。 蛇を数匹片手でもてあそびながら、老人は言った。彼の濃いひげにこもるアラビア語を聞きとるのは容易でなかった。しかし、彼は確かにこう言った。 「この蛇に咬まれたいかね」 窓から暮れかけた太陽の光が差し込み、うずを巻く蛇たちのうろこを輝かせた。老人の腕に生える毛の隙をたびたび蛇の舌がすべった。 「しかし、私の目的は星集めです。あなたは星の在処を知っていると言い張って、ここに連れてきたんでしょ」 この生臭い小部屋に通されたときの、鍵穴がふさがれる音が、いまでも耳に残っていた。床を埋め尽くした大きな壺の一つから、老人はその蛇たちをすくい取ったのだった。 「こいつらが、星を食べたのさ。体の中が宇宙になってる」 「じゃあそれを見れる方法がある?」 「もちろんさ、咬まれたら毒が乗り移るだろ。それが頭までまわると、宇宙が見れるってわけさ」 「それで、実際に見た人はいるんですか?」 「蛇養殖の家で育った人なら、誰でも一度は見る。おれの弟だって、まだ十歳のときだったかな、怖いだろうってからかうと強がって手を突っ込んでね……翌晩には死んでしまったがな」 「冗談じゃない。死後の世界でしか見れないとでも言いたいんですか?」 「ちょっと話が弟の例にそれたようだ。俺は生きてるだろ。大概はどうにかなるんだ。弟の場合は体が貧弱で、三カ所も咬まれたからな、まあ無理もない。だが君の体格なら大丈夫さ」 「すると、その宇宙では、本当に星に触れることができるんですか。どういう感覚なんでしょうか?」 「うーん、なんとも説明しがたいんだがな、触れると火傷のような苦痛があるんだ。それでも手が伸びてしまう。いくら苦痛を感じようが何度も、何度もね。まあ、なにより自分自身で確認してみるのがいい」 「よし、私も決心がついたようです。どうぞ始めてください」 私は右手を差し出した。老人は蛇の頭をつまみ出して、私の手首に押しあてた。蛇は何かを嗅ぎ分けるように、舌を何度か出し、老人がその胴をひねると、蛇は痛みに悶えるように口を大きく開けて咬みついた。 「さあ、あとは待つだけだ」 老人は蛇を壺に戻しながら言った。 深い牙の跡から血があふれ、みるみるうちに腫れ上がった。誰かが裏でざわめくと、扉が開いた。 私は外に出て、暗くなった砂漠を歩いた。誰かがついて回っているような気がして、振り返ると、それは傷口からしたたる血の気配だった。民家には灯がともり、晩食の声が聞こえる。影では駱駝たちが腰を下ろし、眠りにつこうとしている。 私はその窪地に立地した部落から、視線を上げた。砂丘をたどると、稜線を堺に星空がひらけた。だがそれは広大な宇宙にへだてられた小さな星々にすぎなかった。私もあの弟のように老人に踊らされたのかと、怒りが沸いてきて、みじめな傷口を睨みつけたくなった。しかし、私が下を向いて発見したのは、あらゆる方向から私の体になだれかかった宇宙空間だった。 地球を探してもなかった。ここは、どこか遠い宇宙だった。太陽系の近くにはあるはずもない紫の星雲が正面に広がっている。 私が近づいたのか、あるいは空間の方から近づいてきたのか、定かではないが、とにかく私はその星雲に潜り込んだ。そこでは生まれたての星が無数に輝いていて、ひっきりなしに、それらを捕らえようと、私は手を伸ばした。星を掴むと、身に余る喜びのために、かちどきのような声を出してしまう。 老人が言ったように、それは熱湯に触れる感覚に似ていた。だが腕を曲げて、近づけてみると、冷ややかでなめらかな感触へと変わる。そして袋に入れると、中で何かが激しくうずまく。 星ではなく、蛇だった。蛇の狡猾な顔が開け口の隙間から現れて、立て続けに何匹も、何匹も、そこから私の胴や腕へと這った。全身が蛇の冷ややかな鱗におおわれてしまう。 それでも、私は星を獲るのをやめず、すぐに蛇のもつれへと変貌してしまう星々を袋に入れてやる。すべては贋作だと知りながらも、私の手はとまらない。たとえ目が覚めたとしても、またあの老人のところに出向いて、蛇に噛まれてやるのだと、体に新たな蛇の層を巻きつけながら、私は自分に言い聞かせた。 現地警察は日本大使館に証拠を提示し、学生の死体を受け渡すとともに、養殖家の損害賠償を請求した。日本大使館は証拠不十分と抗議したものの、反論の証拠もないため、調査は停滞。学生の親族が損害賠償の支払いを承諾したため、事態は自然と収束した。
蛇 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 885.8
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2025-01-26
コメント日時 2025-02-04
項目 | 全期間(2025/07/09現在) | 投稿後10日間 |
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エンタメ | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
安易な図式をエスノ風味にくるんで短篇に仕立てたという感じ。ただ、とにかく短いので、そこだけ好ましい。
1ご感想ありがとうございます。 確かに思想は何も無いです。 私には多角的にストーリーを展開させる力がありません。 ただただ努力してゆく所存です。しばらくは駄作が続くと思いますが、叱正してくださると幸いです。
0「こいつらが、星を食べたのさ。体の中が宇宙になってる」 この一行が印象的でした。詩を見たと思いました。何かルポルタージュ風の中に詩を忍び込ませようとする目論見があったのかもしれません。
1アンチ-星の王子様。さかさん、こんにちは。ゼッケンです。 >「こいつらが、星を食べたのさ。体の中が宇宙になってる」 なるほど、自分の星に帰るために王子様が蛇に咬まれる必要があったのは、つまり、蛇の中が別宇宙へ通じるワームホールになっているから、と。しかし、作中の大学生は怪しげな白タク(無許可の星間移動)に騙されてしまう。世間知らずというのはフィールドワークにおいては傲慢につながる。現地の生活者を単なる調査対象あるいは情報提供者と位置付けている。星の王子様がいた無人の砂漠とは違う。人間がいる砂漠には損得勘定が渦巻いている。批判だけして、あるいは自分だけが綺麗なまま立ち去れる場所ではない。 無邪気なエリートへの反感、警告もしくは自戒を込めて、と読むと決めつけすぎかしら?
1怖い話です。
1こういった短編小説のような作品は私にとっては珍しく、はじめどう読めばいいのか戸惑ったので落ち着いた時また読もうと置いてました。 星を探しているという冒険者?にも惹かれましたし、その星のありかが蛇の体内であり毒が回れば宇宙が見られる。しかしそれは死後の世界の比喩というわけではない。世界観にかなり引き込まれました。 薬物、侵略、排斥…色んなことを思わせる創作でした。
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