宝石をくだく海。
去年の夏書いた小説を、偶然みつけた。だめなところはいくらでも書けるような小説だった。
しかし、いいところをひとつ挙げるならば、それは希望にあふれていた。
「わたしは窓のそとを見ていた。ここは、どこだろう。わたしは気づかぬ間にこんなに遠くまで来てしまったのだ。」
夏までの時間をなにに使うか考えてみた。一つ、二つ、三つと挙がって四つ目が見つからなかった。時計は十時四十一分を指している。久しぶりの休日だからと日記を書くが、まだ始まったばかりの一日だ。うまく書けそうもない。わたしは最近、日記を書きたくてしょうがない気持ちにかられる。わたしの日記には、その日の出来事よりもその日の気持ちのほうがよく書かれている。だから参考にならないし、気持ちはいつもことばにならない。
去年の二月二十七日の日記。
「三月一日はマヨネーズの日。」
その次の日の欄には、死にたいと書かれていた。
海のない国では、海はどんなふうに思われているのだろう。例えば、スイス、モンゴル、とか。わたしは精いっぱい、想像力をはたらかせてみた。例えば、海をはじめて見た子どもと話せたなら、こんな会話になるんじゃないかしら、と。
「海を見て、どう思った?」
「きれいだな、すごいな」
「なにがすごいの?」
「あおい」
「あおい」
作品データ
コメント数 : 6
P V 数 : 785.7
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 16
作成日時 2024-08-22
コメント日時 2024-08-29
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/07現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 16 | 16 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 16 | 16 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 16 | 16 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 16 | 16 |
閲覧指数:785.7
2024/11/07 02時22分42秒現在
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色々と矛盾しているところがあるような気がしましたが、それでも少し好きな作品でした。 >宝石をくだく海。 これが、小説のタイトルで >「わたしは窓のそとを見ていた。ここは、どこだろう。わたしは気づかぬ間にこんなに遠くまで来てしまったのだ。」 ここからが小説なのでしょうか >わたしの日記には、その日の出来事よりもその日の気持ちのほうがよく書かれている。だから参考にならないし、気持ちはいつもことばにならない。 気持ちがよく書かれている、でも気持ちはいつもことばにならない。これは、気持ちを書いているようでうまくことばになっていない、ということなのか、よくわからないけど、確かに、気持ちを言葉にして、その言葉を反芻した時、なんか違うな、と思うことが私にもあるから、わかる気もしました。 >「三月一日はマヨネーズの日。」 >その次の日の欄には、死にたいと書かれていた。 個人的に、「死」という言葉が入っている作品は苦手なのですが、マヨネーズのおかげか、なんだかマイルドになっていて、いいなと思いました。3月1日も本当にマヨネーズの日でした。 >わたしは精いっぱい、想像力をはたらかせてみた。例えば、海をはじめて見た子どもと話せたなら、こんな会話になるんじゃないかしら、と。 精いっぱい想像力を働かせた会話が中途半端に終わっていて、不思議な気持ちになったし、この小説は、 >それは希望にあふれていた。 ということだったのに、そんなに希望も感じなかったけど、なぜだか、そこら辺の、矛盾がどうでもよくなるくらいなんだか少し魅力のある作品でした。
ほぼ完ぺきな世界感だと思うのですが、この作品にあと一つ足りないところを挙げるとすれば、余韻を描くことかなと思います。余韻という部分で、お薦めさせて頂きたい作品があって、『ちいさな庭のちいさな会話』 なかむらたけひこさん http://www.midnightpress.co.jp/mpweb-13.pdf 作品単体のリンクではありませんので、スクロールして探してみて下さい。
1詩人のアルチュールランボーは海を見たことがないまま海の詩を書ききったそうですが、海への憧憬を扱うのは平凡でもやはり感じがいいです。
0海のない国では、~この後半部分から詩的な表現が展開されていきます。その前段は日記のような散文でしょうね。この二つを情緒よく組み合わせるとしたらもう少し語り手から離れた表現を組み入れないことには後半部分は上手く協調して読み切れないと思いますよ。「わたしは窓のそとを見ていた~ 」せっかく詩的な主観性が覗える表現もある。この様な空間に比喩などを用いてみるのもひとつの手法ではあるのでしょうね。
0ひきこもりなのにきかんぼーな言葉が良いっす。言葉を砕く言葉としては不十分な言葉なのか空想を砕くリアルなのかもしくはその逆なのかいろいろ思ったことはありましたが、けっきょく南極、さびしくないかい?というぶっきらぼうなコメントになりました。でもこの作品良いっす。
0日記や宝石を砕く海。海を見ての感想。何か韻文と散文、小説と詩が混ざり合ったようなそんな印象を受けました。想像力を働かせるのに、海は好材料だと思います。海のない国と言う事で言えば、日本の中の内陸部の海に面していない都道府県の事をふと思いました。
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