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指先のアクアリウム
カラの水槽に手を入れる。指先は感触を探し、皮膚は理を求めているが、二つの感覚は特に絡まることはせず、今はもう何もない。水はとうに干からびていて、動きまわる水槽の内側に含まれた指紋を紙でなぞりとるように見えない壁が浮かびあがらせているだけだ。 二本の歯ブラシは、一つの首肯を共にしている。 カラの水槽に手を入れる。感触のない水草が指先にまとわりつく。見えないオブジェで皮膚を切った。餌の匂いがするような気がした。ネオンテトラがいて、その次にメダカがいた。水だけに満たされた空間は、いつも適切にエアレーションが行われていた。 少し眠っていたのだろうか。気がつくと水槽の水があふれていた。泣いているみたいだったから、私は質問をするように、もう一度指先を水槽に浸した。
指先のアクアリウム ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 832.3
お気に入り数: 1
投票数 : 3
ポイント数 : 0
作成日時 2024-09-28
コメント日時 2024-10-11
項目 | 全期間(2024/12/10現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
眠りをカラの水槽と捉えている作品。「仮定」を積み重ねて出来上がっているが、そう感じさせる文面は、おそらく慎重に取り除かれている。
0水槽の水があふれていて、泣いているみたいと言う比喩に安心感があるような気がしました。この詩は水槽や指先が主役のようなものかもしれませんが、「見えないオブジェ」とは何かと考えると、この詩にはミステリーがあるのかもしれません。
0(どなたかにあやかって9月末日まで活動します。笑 という言い訳は冗談ですが、余りに良い作品だったので最後にコメント残させて頂きます。) >カラの水槽 喪失したモノの感触を探しても、その理由を求めても、ただ空(空虚)と壁(断絶)がある、(のだが、) >二本の歯ブラシは、一つの首肯を共にしている。 自分と他者が共有する一つの納得がある、(はず?) >感触のない水草が指先にまとわりつく。見えないオブジェで皮膚を切った。 現実とバーチャルの曖昧、これらはネット空間にも読めるのですよね、わたし的には。 >餌の匂いがするような気がした。 生きる糧、切望、そこに住まう多種への郷愁。 >少し眠っていたのだろうか。 これに似たフレーズが『Polar bear ice』にありましたね。 >白い水溜りに小豆とパインと蜜柑が浮かんでいた。エレベーターみたいに時間が上下したらしい。 片々氏は以下のように評されている。 >Polar bear iceが溶けるまでの時間。そしてその短いはずの時間は作者の思惑により、果てしなく延長していく >気がつくと水槽の水があふれていた。 空だと思っていた水槽に水が溢れている。それは作中主体の願望であり現実でもある。バーチャルな空間をどう捉えるかはその人次第ではないだろうか、そしてその問いは、その人の思惑により果てしなく延長されていく。 >水だけに満たされた空間は、いつも適切にエアレーションが行われていた。 かつてはひとつの純粋性を持ち快適だった空間への思い。 (人類)愛の詩にも読める。私は何となく今のビーレビューと重ねて読んでしまったのだけど、こういう読解をさせてくれる作品をすごいと思う。その評価はPolar bear iceの頃から変わらない。 ついでに絡めて言ってしまうと、可哀想なオジサンオバサンを生み出してしまう空間は、同時に優れた書き手も生み出すわけで、その功罪を比較すれば間違いなく功が輝いていると思う。(これは天2さんへ) 余談だけど、芸大って一人の天才を生み出すために存在すると聞いたことがある。(確か8期運営発足時に優れた書き手の詩集を出すみたいなのがあったけど、そんな日が来るといいですね。) 1.5Aさんの指先がこの先も美しいアクアリウムを描き出すことを願って。良い作品を読ませて頂いてありがとうございました。 魚は水の中で、鳥は空で、それぞれが輝けますように。
0わたしも熱帯魚は過去に何度も飼育していたので、カラの水槽内で水草がまとわりつく~その指先の感触はわかる気がする。しかし飼育者は魚が水槽内に居るときには手を浸らせないように気をつけるものです。 指先は感触を探し、皮膚は理を求めているが、二つの感覚は特に絡まることはせず、~。冒頭から指先の感触に拘る様子が窺える。指先のアクアリウム。このことは何を意味するのだろうか。二本の歯ブラシは、一つの首肯を共にしている。この二つの、という数字も気になるし。それから~泣いているみたいだったから、私は質問するように~。この辺りの文言は文脈から外れ非常に作為的なのだ。この詩文としての脈絡を作為的に扱うということは、つまり意識下においての潜在的な意識が働きかけるような意図的な操作ではないだろうか。 ~二つの歯ブラシは、一つの首肯を共にしている。つまり作者という意識下において、その潜在意識を導くように、もう一人の語り手が時空を同時に行き交うパラレルなワールド。それは眠りから映像として浮かび上がる夢のような記憶でもあり、また行き交う空間は異次元から眺め見た世界観でもある。これを表現しようと試みているのではないだろうかと。 なので、ある意味ronaさんがコメントされてる~現実とバーチャルの曖昧性というのは正解だろうとは思う。 がしかし、あまりにも自己認識の操作性が強く、このことが読み手に上手く伝わるのだろうか。こうして深読みして見せるわたし自身も、かなり飛躍して異空間に潜らなければならない。それも正解とは限らないのだ。
0気がつくとということばのために書かれたもののように思う。私の人生はそんなことばかりでいやになるが、この作品はその先へ進む人を感じた。いや難しく考えたくないな。だからぼくからのコメントはこうだ。ほうじ茶じゃなくても麦茶じゃなくてもあなたと会えた幸せ感じて風になりたい。ちゃちゃちゃっちゃちゃーちゃちゃ。かわいそうなおじさんより。
0「カラ」とは、「空」じゃなかったということでしょう。他の方も触れているように、現実とバーチャル/夢が軸である作品だとして、その違和感が回収されるような仕掛けがあるように思う。 ふと考えたのは、現実でも夢でも同じ行動をするようになっている、ということ。胡蝶の夢の話のような、夢の中で第二の人生を送るものではなく、2つの世界がシンクロしている。そう考えると、バーチャル技術もまだ夢のような完全に別世界を築き上げられているわけではないなと、発展途上にありそうだと思ったりした。 この詩は空の水槽がある世界で肉体が動き、水の入った水槽のある世界でももう一つの肉体が動いている。しかし、視覚は一つの世界しか捉えられていない。 ふと、水の入った水槽の世界に移行する瞬間はどこだろうか? と考える。最後の段落ではないように思うためだ。その前、ネオンテトラやメダカを認識するようになってきてから、空の水槽の世界から徐々に、グラデーションのように水の水槽の世界に入っているように思う。なぜなら小魚の難しい識別はもちろん、繊細な触覚の描写が無くなっているからだ。視覚が水の水槽の世界に移っているように思う。 二つの世界の移行ではなく、「我に返ること」を表しているのが最後の段落ではないだろうか。あえて言えば自己という三つ目の世界を保とうとする段落である。それまで「気がつ」いていなかったのだ。 これは結構近未来を示唆しているようにも思う。 現実とバーチャルなどという境も曖昧になり、現実と現実という認識になって、どちらの世界にも軽々と行き来できる世界。そんなシステムの世界で「気がつく」というのは、世界を一つに選択することなのではないだろうか。まるで性別を選択できる技術の発展があるように、住む世界も選択すること。ここは賛否両論分かれる文明の進化だろう、運命に抗うか、受け入れるかなどの人それぞれの姿勢があるから。 良い詩だと思いました。
1「我に返ること~」熊倉ミハイさん、さすがだ。僕の書き切れなかった部分を補足させてくれたような評です。 この詩は刺激的ですね。外形が描かれているようで実は非常に内在的な潜在意識に誘われてくる。 入沢康夫の牛の首のある光景。そしてヴンダーリッヒに見られる絵画的手法。意識下の内面に潜らなければ読めない詩だと思う。
0不穏である。
0ありがとうございます。順番に読んでいくとまた何か新しい発想に行き着くかもしれないような気がしますので、今まで頂いたコメントに関しまして、ひとつにまとめた形で返信をさせて頂きます。 おまるたろうさん 仮定であり追懐でもあるかなと思っています。人って何もないところからずっと今まで想像をしてきた生き物だと思うのですが、形に残ったものより、形に残らなかったものの方に思いを馳せてしまうのはなぜなのでしょうか。まったく不思議な生き物ですよね、僕達は。 エイクピアさん 「見えないオブジェ」もそうですが、生活のなかでふと手にしたものに時間という目隠しがされているような感覚があります。そういったものに触れながら、少しずつ想いを紐解いていく時間が、いつしか思い出になっていくのだろうという意識の線上を綱渡りしていながら、今日も逆さまに落ちていく場面を空想したりするのは、ちょっとしたミステリーの匂いがしてきますね。 ronaさん 細かく物語を追って下さり、改めて色々なことに気付くことが出来ました。人の集まりというのは小さな生態系のようだと時々思います。それはヒエラルキー云々という捉え方ではなく、色々な人から生み出される刺激のある場所なのだと思います。またここで、もしくは別の場所で、ronaさん作品を読ませて頂ける機会があれば光栄に思います。 メルモsアラガイsさん 投稿したもののなかではかなり短い部類に入るのですが、こうしてたくさんの想像を書き留めて下さり、読ませて頂くたびに少しずつ酸素が足りなくなってきています。逆に酸素がありすぎても中毒になってしまうみたいですね。でも多分、詩の醍醐味というのはそうした中毒性にこそ宿されているものだと感じてしまいますが、今さらこんな内容のお話はやぼったいかもしれません。 よんじゅうさん 気が付いているのに気が付かないふりをすることがたまにあります。本当は気が付かない方が楽なことを知ってしまうのが大人になるということなのかもしれないと僕自身気が気付き始めてしまいました。もっと、歌をください。 熊倉ミハイさん 「胡蝶の夢」というお言葉が気になったので、僕の好きな映画風に例えるとbutterfly effectのことかなと思って調べてみましたが、蝶と人間が夢を介して入れ替わりを行う、どうやら夢と現実のじゃんけんみたいな教えなのかなとWikipediaを見ながら思いました。でも最終的に勝敗なんてどうでもよくて、じゃんけんをする相手がいればいいんですよね。現在だって、未来にだって、(過去は過去として)、そういう相手を作っていきたいと思います。 田中宏輔さん 不穏、には行動が活発になる状態という意味も含まれるみたいですね。これを読んで不穏になった人が、不穏な詩作(?)を紡いでいってくれることを、僕は眠らずに見守りたいと思います。
1心象をカラの水槽に宿らせ、書き表している。 今はもう触れられないモノに対し、いまだ未練のようなものがあるようにおもえる、しかし今はもう誰もいない。それが見えない壁となり浮かび上がらせること。 >二本の歯ブラシは、一つの首肯を共にしている。 そしてこの部分を読んでぱっと想像した、二本の歯ブラシが置いてある情景、共に納得して別れた男女間の恋愛をおもった。水槽を洗っているとふと目に入ってくるような、さりげない演出。これがこの場この処にあることによってストーリー性が見え、場面として開けてくる。文面の差し込み方がうまいですね。 逆にこれがなかったら解釈も多様であるようにもおもった。(まあ自分は曖昧なものが好きなのでね。) 後半は彼が彼女に対して、想像し想うこと。〝水草、オブジェ、餌〟〝ネオンテトラやメダカは、彼の中で満たされた空間として循環していた〟カラの水槽に彼女として映している。 >少し眠っていたのだろうか。 というところで、もしかして?と 満たされていたことが彼の空想であったことを匂わせる。 >水槽の水は溢れていた。泣いているみたいだったから、私は質問をするように、もう一度指先を水槽に浸した。 [水槽を洗う、その行為のあと、夢で見た心象に対し 感触と理を自分に問いかける]という二重の意味を置く、現実に返ってくる。という物語も含ませた詩だとおもった。面白く読みました。(・∀・)イイネ!!
0二本の歯ブラシは私と貴方ですね。私と貴女でもいいですね。質問というのは、あなたにとってわたしはどうだった?みたいなことで、わたしにとってそこは反芻したくなるような過去だった、という感じのオチでした。読み切られてしまってこれ以上は返す言葉が見つかりません。書いてよかったと思いました。ありがとうございました。
1幻想的な表現の中に物悲しさを忍ばせている作風が好みです★ "少し眠っていたのだろうか。気がつくと水槽の水があふれていた。泣いているみたいだったから、私は質問をするように、もう一度指先を水槽に浸した。" ↑このフレーズが一番好み★
0ありがとうございます。自分の記憶というのは、どうしても自分に都合のいいように作られてしまうのではないかと、疑ってしまいます。しかし美化された記憶は、どこか憎めないくらい綺麗なのだと、思わされてしまいます。
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