平面図形 - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

わたしがいのることは

とても重い

みんな経験したことがあるであろう、とても重い"ちょっと"が詰まっている。

錠9

生きる

声なき声を拾いたいと思ったことはあるか

わたしは、ある。 あなたの胸を叩き 何故なのかと問いただしたい そう呼び止められた時 わたしは何と答えられるだろうか。 静かにだが確かにこの詩からは 張りつめた足音が聴こえる

ぼんじゅーる

天皇陛下万歳

知的破産者及び愚昧界の金字塔

平成天皇と存命中に呼び不敬を極め、大正・令和を外す選別賛美。明治から平成まで乱暴に万歳する時代錯誤と挑発精神が光る奇作。

大人用おむつの中で

好きです。

切れのいい、知性あふれる現代詩だと思いました。

ことば

ことばという幻想

純粋な疑問が織りなす美しさ。答えを探す途中に見た景色。

花骸

大人用おむつの中で

すごい

これ好きです 世界はどう終わっていくのだろうという現代の不安感を感じます。

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

良い

シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

いい

明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)



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平面図形    

壁画になるか枯葉になるか の二者択一を迫られる季節に しゃくしゃくと けもの道に分け入る蛇の かわを剥いで 砂を時計にするための水かきを落とした 風紋を彩る味つけのレシピが舞い上がり きのこは月になる けっかんは、たまり 耳垢が熟す湿度を究めに 図書館の書庫にいる紙芝居は夜泣きを始め 空蝉はマレー半島に向かって飛び立つ ぼうしは、なくなく円周率を唱え 干潮への憧れに陶酔している 砂丘の隆起を昇華しようと 万有引力の存在意義を疑っているつばさは 淫欲をかき集めて膨らみを増して 羊水の匂いがする地下鉄の入場ゲートで 巣窟に響き渡る産声を憶い出す 新月はひとり、かけ続けている



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平面図形 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 36
P V 数 : 1884.4
お気に入り数: 1
投票数   : 3
ポイント数 : 0

作成日時 2025-11-13
コメント日時 2025-11-24
#現代詩 #縦書き
項目全期間(2025/12/05現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
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音韻00
構成00
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前衛性00
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閲覧指数:1884.4
2025/12/05 19時57分07秒現在
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    作品に書かれた推薦文

平面図形 コメントセクション

コメント数(36)
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2025-11-14)

「平面図形」と置かれてあるので、立体的ではなく、ということだろう。 てるすが、その意味の繋がりはほとんど破綻されているので、わけわからん、 という感想になります。 言葉の繋がりに意味をもたさない、ということになればその狙いは何か? ということにもなり、それはシュールな刺激を求めているのだろうか、という風にも考えられます。 作品にはタイトルが付いてくるので、何かしらの意図はあるのでしょう。 これがまったく意味を成さないハチャメチャな作りで、 タイトルもなければ自分で探ることしかできない。 思い込んででも。 また自動書記という手法もありますが、 そのような意図的に破綻された作品でも、 何故か感化されて読めてくる、 或いは、絵画ならば見れ取れる、という作品もあるでしょう。 では一体どのような基準で、判断で、作品の好みや良し悪しをきめているのか、 よくわからないが、何かしら応えるものが内包されて見えてくるという個人的な思い、 それは抽象絵画の線や形、色合いにしても、 これが詩であるならば、文字として並ぶ言葉の配置や、 読み取れない言葉から何かを探ろうと働く、 無意識な情動に誘われる。ということに繋がるのだろう、とも思われます。 つまり、そこには作者を介して認められる世界観や思想、 または美意識といった感性が働くからではないでしょうか。 美意識。軽く表現してしまえば、センスがいいね。ということになりますね。 例えば、背広姿に下駄履きで歩くのは可笑しいが、 これが詰め襟の学生服になれば、バンカラと呼ばれるように格好もいい。 そそそそんなセンスの違い。 残念ながらそのような認識が、 この詩から受け止めることは僕にはできなかった。 ナとナど否定的な読みを意見していますが、 どうか気を悪くしないでしないでいただきたい。 作者に意見しながらも、 実はわたし自身にも応えを問うているのです。 真摯な対応でなければ、 こんな朝方から、わざわざ作者に嫌われることを念頭に意見したりはしない。 ということも胸に収めておいてほしいのです。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2025-11-14)

※ てるすが?笑 誤字脱字があります。ごめんなさいね。薄暗くして書いてます。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2025-11-14)

ごめん、 訂正します。 もう一度読んでみた。 そしたら読みが変わった。 不甲斐ない。 認識が甘かったのだ。 匂いがしてきた。 タイトルにはぐらかされてしまった。 これはただの平面図形ではない。 飛び出す絵本だ。 そこから匂いがしてきた。 ああ、ああ恥ずかしい。 今一度読んで、読みたくなって見方の変わる作品が悪かろうはずがない。 この作者は優れた詩書きだろう。 たぶん。 僕の見方が浅かった。 それだけは言える。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2025-11-14)

つまりイメージにつなげて読んではいけない。 ということだろう。 読んで消し去って、 また次のイメージが泡のようにぷかぷかと浮かんでくる。 メタファとして読むから読み取れないんだ。 一行一行をそのまま汲み取ればいい。 こんな作品もはじめて小目にする。 いやあ、感動した。 ごめんね。 何回か読んで立ち上がってきたよ。

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A・O・I
作品へ
(2025-11-14)

「壁画になるか枯葉になるか/の二者択一を迫られる季節」とは、記憶に残るか今を歩くか。みたいなものを、平面図形として、一行づつ書かれているのかなとおもった。まあ書かれていることを解くよりも、詩行をひとつひとつ眺めながら堪能する、といった秋の美術館的な、イメージで読みましたが。

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筆者
メルモsアラガイsさんへ
(2025-11-14)

思考の変遷が見られて、勝手ながら面白かったです。 自分でも、この書き方は意味、もしくは、意義があるのかとわからず、それを諮って欲しくて出してみました。 多分、素通りというか、街中にあるただの絵のように、何も残らない人が多い中で、こうやって一歩立ち止まってくれる人を求めているのかもしれません。 イメージは作者からも離れ、ただそこにある風景で、私ですらどうにもできませんが、飛び出す絵本という見方は参考になりました、ありがとうございます。

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筆者
A・O・Iさんへ
(2025-11-14)

もしかしたら作風が被る、というか、呟いてらっしゃることに重なってくるかなとは思っていました。 過去、というより、痕跡、というか、事後、というか、その判断はどのようになされるのか。観察者は不在ながらも、その定義づけをしていく作業。 秋の美術館、は面白い表現ですね。

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レモン
レモン
作品へ
(2025-11-14)

感覚を開いて綴ればこうなるのだな、と思いました。 奔放なイメージを読んでいる内に、ダリのぺらぺらの時計の絵が浮かんで来ました(記憶の固執)。 ずっとタイトルと結びつかなかったのですが、ダリの絵が浮かんだので、 「なるほど、平面図形だな」と思いました。

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筆者
レモンさんへ
(2025-11-15)

結果として、一枚の絵を思い描いていただいたというのが、この作品そのものではなく、読み手の持つ筆によって浮かび上がってきたという点で、面白い感想でした。 どんな絵が出てくるのか、また別の作品で問うてみたくもなりました。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2025-11-15)

目覚めて、  砂浜で横向きに戯れる女性のポスターをしばらく眺めていた。 それでふと気づいたのが、 この平面写真の中に入り込んだら世界はどう映るのだろうか、 もちろん私も動かないので世界も動かない。 動きがあるのは映写機に流れる一コマ。 フイルムに写り込む世界が動くだけです。 いや、上空一点から、 複眼の眼を持つ蜻蛉のように、停止したまま眺めてみようか。 さあ、眺めるわたしはどう解釈するのだろう。 平面図形のまま世界を伴にするのか、 それとも日常感覚の認識で錯覚したまま二次元世界を眺めるのか。 この詩は視点が止まったまま動いていない。 という趣向に読めますね。 我々は通常動くことで、 モノを触ることで、 音の強弱を聞き分けることで、空間を認識しています。 なので同じ色彩でも背景によって暗く見えたり明るく見えたりと、 錯覚してしまう。この実験はテレビなどでよく見かけますね。 なので、もしも視点が動かなければ、世界を想像で眺めるしかない。 そのような破綻された想像におかれている。 二三度読んで気づいたように、 この詩の趣向は深いですね。こんな感動は久しぶり。  佐々木春さんの作品をはじめて読んだときのようです。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2025-11-15)

~世界を想像で眺めるしかない。 ↑ 訂正します。~この世界を想像で認識する。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2025-11-16)

~破綻された想像におかれている。 ごめん。ここもまた訂正だ。 ~破綻された景色におかれている。 つまり混在した実景として眺めている。ということ。 想像しているのは作者本人だ。 この作品は作者のあたまの中の視点と語る人物の視点が大きく異なっている。 なので錯覚のように、あれ? 何か通常の喩を扱うのとは少し違うな。 と読み手はあたまを捻ります。 間違いだ。 この作品の破綻は、シュール(喩)を意識した破綻ではない。 錯覚に見せた破綻なのです。  お見事だ。

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A・O・I
筆者へ
(2025-11-16)

> これは、キュビスムの時間的展開に近い。複数の視点から見た対象を同一平面に描くのではなく、複数の視点を時間軸に沿って折り畳み、展開し、また折り畳む。 これですかね、読んでいたのか。ここだけ読むとそうなるのかもなーーほおほお まず初連に置くには「二者択一」は強すぎると思いました。それを「万有引力」がバランスを取ろうと出てくる。けれど、「壁画になるか枯葉になるか/の二者択一を迫られる季節に、」という初連のいいたいことが、フックとならずに、導きというより躓きになっていて。私もレモンさんと一緒で、シュルレアリスム的な視界に囚われました。図形や壁画といった部分がはじめにあったんで、読み進めていく中で、不明なものが多いと、どうしても結びついたものを見解としてみてしまう。ちなみに作風は全く被らなかった。全く考えなかったですね。この詩は層として絵画をながめるように書かれた行のなかを歩くことができましたから視界として成立する。でもやはり詩というものは、どう読もうかなと戸惑うのが逆におもしろがれるところではあるので。考えて二転三転する、あるいは定まらない見解を噛みしめるようなものでしょう。つまづきが逆に生かされている、とおもしろかったです。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2025-11-16)

この作品の解釈は難しいですね。 単純にまとめてしまえば想像と視点を大きく切り離している。 純粋に言葉を破綻させている。 どなたでしょうかね。 詩力に長けた方の書いたモノだと思われる。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2025-11-16)

未踏窟に引き込まれる力を感じるのです。 おもしろさを度外視して読める。 純粋な言葉の破綻は、 この純粋さを喩で表現するのは非常に難しい。 天智を巡って地に還るような、 私にはまだ到達できていない場所です。 振動故に、確かに思い込みはあるかも知れない。 作者の明確な表現力に囚われているのかも知れない。 はじめて目にするような感動。 わたしはこの作品を絶賛したい。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2025-11-16)

難しさイコールわからなさ、ではない。 喩に言葉に破綻された、わからないようなだけの詩。 そんなモノはいくらでも書ける。 二三度読めば直感的にわかる。 構造的な思考が背景に折り込まれている様が見え隠れするのだ。 だから、 難しい。 これほど一つの作品にコメントしていると馬鹿だと思われるだろう。 確かに馬鹿なのだ。 もう止めておくが、 異なる意見も知りたいという欲求がある。 解釈を紐解くのが好きな詩人。 熊倉くんはどうだ? 他の方々は?

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2025-11-16)

※ だから、美しく、難しい。

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筆者
A・O・Iさんへ
(2025-11-16)

二者択一の躓き、が、納得する部分としない部分ともあり、ただ、読み手がそう捉えた以上は、そういう作用がある、言葉自体が強いんだと感じました。 言葉の流れで見れば、二者択一を迫られる季節、とあるので、あくまで、主体は季節にあって、というのは言うまでもないことではあるのですが、その前の言葉が強すぎるので、躓いてしまうというのはその通り。では、季節を目立たせたいかと言えばそうでもなく、ある意味で、躓きがあった方が結果的に面白かったのだろうと、ポジティブシンキング。 作者である私にとっては、必然性のある繋がりで書いてはいるものの、それを当たり前すぎるものともせず、情報の差し引きをどうするか。完成された絵ではなく、読み手が好きに筆をふって完成させる作品だと思っていただければ。

1
筆者
メルモsアラガイsさんへ
(2025-11-16)

最初のコメントからの変遷が何とも1つの物語になっていて、それを楽しんでいると同時に、ここまで考えさせてしまって、私は何を返そうかと思っている次第です。 ひとまず、また新たにステキな世界と出会えることを願います。

0
紅茶猫
作品へ
(2025-11-16)

不思議の国のアリスの、きちがい帽子屋の話を聞いているみたいでした。 「二者択一」「しゃくしゃくと」ところどころ韻が踏んであってリズム感が良かったです。

0
紅茶猫
作品へ
(2025-11-16)

追伸 「図書館」というキーワードから、紙の上の平面に展開する、ごった煮の表現の可能性を探っているのかなと思いました。

0
筆者
紅茶猫さんへ
(2025-11-17)

何に誘われて、ようこそこちらへ。 帽子屋を存じ上げず、ひとまず、そういう存在があるのだということを認識しておきます。 書いた時に意識はしていたか定かではないですが、無意識に音は意識していたのか、気づきをいただきました。 図書館に引っ張られたのですね、これまた強いワードになってしまったのでしょう。主語は、紙芝居ではありますが、ごった煮の表現、面白い見方だと感じました。

0
ぼんじゅーる
作品へ
(2025-11-20)

おはようございます。 >>壁画になるか枯葉になるかの二者択一を迫られる季節に この冒頭が魅力的で読み始めると 暫く ここばかり見てしまう。 僕はこの「平面図形」という詩が魅せる言葉の絵画に見とれてしまっているのかもしれません。 欲張りなので壁画にも枯葉にもなってしまいたいとカサカサ、独りごちています。 

0
takoyo2
takoyo2
作品へ
(2025-11-20)

こういうの嫌いじゃないのですが、 作者が意味の世界に入り込んでしまって 読む方はすぐに詩句が切羽詰まってくるのを 感じて息苦しくなる。 きのこは けっかんは、 紙芝居は 空蝉は と畳み込むのは書き手自身の意識が まだまだ自在になってないからで その不自由さがこちらまで窮屈にさせる、 そんなことを感じました。 詩のことばで絵画的なものを書こうと するのは非常にむつかしいのだなと あらためて感じたい次第です。

1
takoyo2
takoyo2
作品へ
(2025-11-21)

追記 えー、気になったので、もう少し具体的な説明をさ せて頂きます。 (あくまでも出された料理を食べた人間の 美味いか、不味いの単純な感想にすぎず 上記のような専門家(調理士さん)たちのような 専門的なコックさんの議論は出来ません。ふつうの客が 美味いと思ったかどうかの素朴な感想にすぎません) 昨晩は疲れていたので見えなかったのですが、 わたしが読んでいて「息苦しさ」を感じたというか「ちょっと無理し てるな」と感じたのは 「図書館の書庫にいる紙芝居は......」あたりからです。それまでは いちおう突拍子もないナンカイ現代詩の感性を維持して絵画のように ふんふん、と愉しめましたが(ま、愉しいとまではいきませんが笑) ところが「図書館」あたりからう~ん無理してるなと思い始めました。 作者の無理がこちらにも伝わってくる。関係性の糸がとぎれて、 しょうがないから、 引き出しの奥から残りのネタを全部ぶちまけた感じがするのです。 ところがラストでいきなり静寂な一行が付けられて終わる。  新月はひとり、かけ続けている このラストの一行はこういう詩を書く方にありがちな、付け足し ですね。これでなんとか全体の体裁を整えようと する動きに見えました。これがだいたい詩をダメにすることが多い。 するとこれは何だというと、 失敗した中学か高校あたりの優等生の作文ということになるの じゃないか?とわたしの中では感じるものがありました。 つまりレストランに入ってカレーならカレーを食べた者の素朴な 感想です。食べるのだけは子どもの頃から山ほど食べてきたの ですがコックではありません。ご容赦。

1
takoyo2
takoyo2
作品へ
(2025-11-21)

一応、この詩の意味、あまり意味は追いたくないけど書いときます。 頭から尻尾まで死と再生(転生かな?)を語っている。 ●蛇の皮を剥ぐ → 脱皮=変態の象徴 ●水かきを落とす → 両生類から爬虫類・鳥類への進化の逆行 ●砂を時計にする → 時間の腐敗、砂時計は死のメタファー ●風紋を彩る味つけ → 乾燥した死の世界に無理やり「味」をつける ●きのこは月になる → 腐敗の象徴である菌類が、死者の魂の象徴である月へ ●血かん(血小板?血餅?)はたまる → まさに腐敗のプロセス ●耳垢が熟す → 身体の廃棄物が「熟成」する ●空蝉 → 抜け殻、死んだ後の残骸 ●羊水の匂いがする地下鉄 → 誕生と死が逆転 最後に ●新月はひとり、かけ続けている」 → 月は欠けていく=腐敗しきって、また生まれ変わる準備 以上。

1
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2025-11-21)

↑ 一応コメンテーターとしての反論にはなるが、 上記に置かれたTakoYo氏の解釈のように、 現実に見渡せる日常を意味合いとして読んだのでは、 現代詩はあまりにも至論的で、ただただつまらない。 ということになってくる。 詩には愛や死や再生、それらを含めて言葉に語らせるという解釈は、 云うまでなくほとんどの詩には内包されている。 なので、詩と呼ばれる所以でもあるのだ。 意味を探り求めるのは正しいが、 そのことを思考的に解釈するのは間違っている。 わたしは調理師の免許を持っているし、実際調理は得意でもある。(いまは物忘れが酷いのでプロとして人に提供するのは自信がない) ご理解できるだろう。 美味しい料理には味付けだけではなく、 盛り付けや色合いを意識した美的感性も必要だ。 絵画のように形作る盛り付けを、色や線の見た目で、空間を認識してもいいし、 微妙な味付けや舌触りをハーモニーとして音感に感じてもいい。 大事なのは、 我々が常日頃感じることのない非日常としての空間、 驚きがそこにあるのか、ということで、 読む芸術として詩が在り得るならば、 我々が興す詩の意味もそこにある。 と、思うのです。

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らどみ
作品へ
(2025-11-22)

私は結婚してから、自分では「定点観測」と呼んで年に何度も駅ビルから 同じ方向同じ場所を撮ってきましたが変化と停滞のあいだに立つと世界の 影がほんの少し違って見える瞬間があります。 この現代詩作品は意味をつなぐのではなく気持ちそのものを揺らすことで 作者・読者の内部にもうひとつの知覚を呼び起こしているように思えます。 私が言語化にためらっていた日常生活のなかでの「定点観測」を詩として、 「事象」が一瞬止まる世界を言葉で試みてみた完成版なのかもしれませんね。 事物が歪み、季節が裏返り、感覚が液状化していく揺れを読者各自がどう 受け取るかで、詩の形そのものが変わっていく。 この作品は作者と読者のあいだで何度でも書き換わる思考の座標系なのか もしれません。 読み手の想像力を試し、同時に広げてくれる作品だと思います。 ここから先をどう見るかは、私たちの眼差しの仕事なのですね。 と沈黙の作者は言ってらっしゃるようにお見受けいたしました。

0
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2025-11-23)

↑ 素晴らしい。 わたしの思う処を代弁してくれている。 その見解には賛同します。 Tako氏のような言葉上の意味付け論では詩というスタイルだけになって、 それは詩の縊死を意味してしまう。

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筆者
ぼんじゅーるさんへ
(2025-11-23)

見とれていただき、ありがとうございます。 思えば、壁画なんて、実際に見たことはあるかもしれないですが、覚えがなかったです。 枯葉は毎日のように見ています。 どちらがよいか、考え続けるのもよいかもしれません。

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筆者
takoyo2さんへ
(2025-11-23)

息苦しさ、というのは、実に的を射ていると感じました。 >引き出しの奥から残りのネタを全部ぶちまけた感じがするのです。 というのは、まさにそうですね。 書いてから時間が経ち、改めて、今日、品詞で見てみると、最初は主語が1つで続いていくのに対して、中盤から一行あたりの名詞が過剰にあって、確かにそれは息苦しくなるよな、というところでした。 いかにも、飛躍しているようでいて、しきれていない要因が何なのか。しようという意識がありながらも、想像も結局書き手の域を越えられていないな、というところで課題を指摘していただき、今日、さっそく、新たな作品を別に書いてみたりもしました。 何を持って前進するか、は別として、ひとまず、歩みを進めていただくきっかけを頂きました。 読みの提示を見て、ひらがながあまり効果的でないことを実感しました。

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筆者
メルモsアラガイsさんへ
(2025-11-23)

>我々が常日頃感じることのない非日常としての空間、 >驚きがそこにあるのか というのは、この作品において、私がやろうとしたことでもあるので、納得できる部分があります。普段は、もろ日常を描くことが多いんです。様々な意見が聞けて、それに驚くばかりです。

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筆者
らどみさんへ
(2025-11-23)

書いていただいたことが面白すぎて、何度も立ち返りたくなる文ですね、ありがとうございます。 まだ、きちんと消化しきれていないので、ひとまず御礼まで。

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筆者
作品へ
(2025-11-23)

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

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我楽太
我楽太
作品へ
(2025-11-23)

(全て個人的な感想です。わかったような事を書いているかもしれませんが意見ではありませんので気に入らないところは読み飛ばしてください) 読んでいて固有名詞が難しいので、文書がなかなか思考に落ちてこなかった。 (それが書き手の狙いであるなら成功しています) 3回くらい読んでわかったようなわからないような。不思議な詩です。 でも日記ではなくて詩になってるから素敵だと思います。 刺さる人には刺さると思います。

0
筆者
我楽太さんへ
(2025-11-24)

固有名詞の使用することへの意識はかなりありました。 そもそも、言葉って、文脈で覚えていきながら、大人になってもなお、初めて出会う言葉をどうやって理解できるんだろう、なんて。 実は自分自身でも言葉の意味を一語一語確かめながら書いていたり、なかったり。 詩になってる、と感じてもらえたのが、どんなところだったのか。好意的な感想でよかったです。

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