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公園を立ち去る
チキンに太陽の針を指す レフェリーが黙り込む リーダーが連れて来る火星に 値段のジャムを塗る 舞って居る原稿に針を刺した ライオンが眠って居る 今まさに植物の全ての根が ミリタリー色だから ヒヨドリの眠りを邪魔しないように 公園のベンチでアイスを食べただけで 芝生の小丘に足を運んだだけで 立ち去ることにした
公園を立ち去る ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 587.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2025-02-28
コメント日時 2025-03-30
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


詩の凝縮を求めて成功しているのかも知れないが読んでも意味が分からない気がしました。
1湖湖さんコメントを有難う御座います。ポエジーの凝縮に一生懸命で、意味作用を忘れていたのかもしれません。立ち去ることに意味作用を凝縮させようとして、却って意味が蒸散してしまったのかもしれません。
1私は直感的に伝わりました。 エイクピアさんの作品は、考えて読もうとすると難しくなります。 ありがとうございます。
1前回お邪魔したときのコメントから察するに、どの行の文章にも元になっている言葉や現象があって、比喩に置き換えられているのかなとも考えます。 読み解く方法もあるのかも知れませんが、まあ難しそうですね。詩を読み解くことをは詩の面白さの根幹ではないんだろうなと思っています。わたしでは解くことも出来なさそうですし。 昔、英語の授業で簡単な英語で書かれた十数ページの本を翻訳してみるという課題が出たことがありました。わたしは本気で英語が苦手で、英和辞典を片手に頑張っていたんですけど、独立させた単語を調べただけでは内容がわからないんですよ。仕方なくいくつかの単語を組み合わせて、足りない繋ぎの部分は自分でストーリーを補って、最終的には元の本の内容からは掛け離れたストーリーが出来上がったときのことを思い出しました。 今のわたしが読者としてやっていることは、きっとあの時と同じ事をしているんだろうなって感じます。それでも授業と違うことは自由さがあるということ。だから面白く感じるんでしょう。 1行目が一番興味深かったです。太陽の針、針なのですが刺すではなくて指す。それもチキンに、なんですよね。太陽がなんなのかチキンがなんなのかは考えても難しすぎるので、そのまま捉えれば、チキンに陽差しを浴びせた、みたいなイメージを思い浮かべます。陽差しを形容するなら確かに針ですし、でも実際に刺せる訳ではないと考えるのならば、やっぱり指すがしっくりきます。 なるほど、と興味深かったです。 ライオンの辺りからは恐れを感じるんですよ。 この静けさを破ってしまったら恐ろしいものに襲われるんじゃないかっていう謎の危機感。 そして、最後はアイスを食べて大人しく帰っていきます。 逆にもっと単純で、暖かな陽気の頃に、ファミチキとアイスを公園で食べたっていう詩でしたら、それはそれで味のあるお話だなって思ったり。
2シュールリアリズム。超現実。超現実とは現実があってこそ叶えられる夢のようなもので、現実を意識するとはまさに時間や空間を意識する。ということだろうと思うのです。既に土に還ってしまった人間には夢をみることはできませんからね。仮にも宇宙の塵である元素に意識のようなエネルギーがあるとすれば、ある意味現実はなく超現実だけが存在している無の存在なのかもしれません。 ということでシュールリアリズムのイメージというものは、逆に現実が意識されていないと読み手には強く作用しない。発想のイメージもされにくい。ということになるのでしょう。 そう捉えるならば、この詩に描かれた言葉たちからわたしは何もイメージできなかった。 ときに~何の根拠もなくぶつかり合うイメージというのは面白くも読めるものですが、~値段のジャムを塗る~これが非常に日常的に作用されて、しかも値段という通常のその目的を読み手は考えてしまう。というところに失敗の要因が大きく作用していると思われます。~値段のジャム~意味のつながらないこの言葉のつながりを逆にわからないままわたしは考えてしまう。この~値段という二文字が、この詩には至極失敗に貢献しているのかな、と思われてしまうからです。
2レモンさんコメントを有難う御座います。直観的に伝わったのであれば僥倖でした。中々伝わらない中で、詩作の励みになります。
0千才森 万葉さんコメントを有難う御座います。そうですね、元となっている現象や言葉があるのですが、詩作後にパーッと忘れてしまうこともあれば、書き溜めている場合もあります。英文解釈、学術的なものから詩に至るまで翻訳は難しいと思います。省略とか、歴史的な背景で、当然視されている部分が分からないと解釈しようがないのかもしれません。チキンに太陽の針が指す。「針を」ではなくて、「針が」の方がしっくりくるのかもしれないし、矢張り「刺す」や「差す」の方がしっくりくるのかもしれません。「指す」は冒険的な試みでした。ライオンやヒヨドリは親しみから登場させたのですが、ある種のテンションをもたらしてしまったのかもしれません。 ファミチキとアイスですか。そう言った方向性も検討性の高い内容なのかもしれません。
1メルモsアラガイsさんコメントを有難う御座います。ニーチェの永劫回帰はシュールレアリズムそのものではないのですが、シュールレアリズムを導き出すのには貢献度大なのかもしれません。秘すれば花とは何の関係もないのですが、詩作に当たって、意識された現実が伝わり辛く、伝達して居なかったのかもしれません。そうですね「値段」と言えばリアルな値段が強く想起されるでしょうから、詩の言葉としては失敗だったのかもしれません。「値段」と言う二文字、二漢字、ヴォキャブラリーが敗因だったのかもしれません。
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