黒髪

投稿作品数: 38 コメント数: 214プロフィール: 詩作、理系学問の勉強をしています。好きな詩人は、エミリー・ディキンソン、ボードレールなど。統合失調症が治りました(興味のある方は聞いてください)。数学、物理、化学、生物など幅広く学びましたが、ほぼモノになっていません。熱中しやすくあっさりしたタイプの性格です。真理を集めています。眼鏡依存。

投稿作品

2017-03-11

答え尋ね

2017-04-27

The Last

2017-05-08

人の望み

2017-05-18

good-bye my love

2017-06-16

必要

2017-07-22

不在

2017-08-02

嬉しい荷物

2017-08-26

戸惑い

2017-09-04

変わる

2017-09-27

良く考える

2017-10-31

お菓子な心

2017-12-04

静かな時に

2018-01-13

傘とバッタ

2018-03-07

霧雨

2018-03-12

命令

2018-04-12

笹竹

2018-04-20

踊り

2018-05-16

エゴ

2018-05-18

鉄塔

2018-08-23

2018-09-24

狭い

2018-10-24

2018-11-14

芽吹く

2018-11-26

コメント

花緒さん 暴力というのは、メッセージを込めて使うこともできるということを思います。そんなにも不器用に、とくにこの作品の人は、 みんな不器用です。頭が悪いんじゃないか、もっとうまくできるだろう、と呪い、不器用な人間への憎悪感を、僕は、 自分が弱いために、ずっと持っていました。でも、それでも意味がないわけじゃないということを、心で感情と共に、知ることが 出来たと思います。 日本橋ヨヲコという漫画家の、『極東学園天国』という漫画に、天才の定義として、「積極的な価値感情を広い範囲の 人々の間に永続的に、しかも稀にみるほど強く呼び起こすことのできる人格」とあります。一つには、考える価値が ある言葉だと思ったところです。 (ルウさんちの写真館)

2017-03-12

まりもさん、 とてもかっこいい詩ですね。かっこいい詩というのがかけるのは、人を選ぶと思います。他者になりきって書いた、 そんな器用さも、いいと思います。 >裏切るかどうかなんて この箇所が、なかなか浮かばないような詩句だと思いました。 ちなみに、中島らもさんの、詩で、「首狩りママ」という題のがあって、 「頬に刺さった、ハイヒール/夜を踏み抜く、ハイヒール」と歌っておられたのが思い出されました。 (Heel improvisation)

2017-03-12

まだ詩を書き慣れてはいらっしゃらないのかもしれませんが、言葉のセンスと、内容のセンスがあると思います。空疎で滑って しまっている言葉がない感じです。何もないところに何かを作り上げようとしていらっしゃるような作品だと思いました。 大変におもしろく、新しさを感じました。 (あたらしい夜のポリシー)

2017-03-12

このような、感受性ゆたかな少女であられた桐ケ谷忍さん、という人の、育った先の悔いが、唄い続ける声を聞くほどに も、そのままに存在していたという、感情を掻き立てられるきれいな花の存在感が美しいと思います。僕は、あまり少女 の知り合いがいなかったもので、昔、東京の高田馬場あたりを歩いていたら、料理屋の主人の奥さんと思しき人が、 路上で輪投げをして遊んでいた光景にぶつかり、ああ、こんなことって…と、やや感動したという記憶を思い出します。 人それぞれに後悔があるものだとは言え、昔の記憶というのは、大事である場合が、多くあると思います。 薔薇の下の人形という、ご自身の中の感受性を、美しいと思える詩文で書かれたこと、これは、フィクションであれ、 事実であれ、もはやその区別を越えたところにあるのかもしれないな、と思いました。思ったことを詩に書いた、という ことにはどちらも変わりがないわけで……。すると、フィクションを思うことと、事実を思うことの、境がないともいえるわけで、 記憶の不確かな人間は、無意識と意識の融合する箇所が、頭の中にあるのかもしれないと思います。とくに言葉の世界 には、フィクションと事実は、確かめようがない描写もあります。もし、それらを明確に区別する機能が言葉についていたと したら、人間は、もっと、正確で、でも機微のない存在であっただろうと思います。欲望も何もかもごまかしようがない、 花を望んだりしないのかもしれないな、とか。 鮮やかな色と、少女の声の描き方が、心に残りました。 (「薔薇の下」)

2017-03-12

もとこさん 最初の二行をほめていただいて、すごくうれしいです。海については、何よりも「海は広いな大きいな」との歌の印象が、強かった のですね。僕は海なし県生まれなので、あまり海岸などもしらず、潮干狩りとかに行ったような記憶があるくらいです。人のため は自分のためであり、自分のためは人のためである。というような、理想的な情報取捨選択をしていきたいものです。 (海)

2017-03-12

桐ケ谷忍さん 3.11についての詩になったのは、機会的偶然の要素が大きいのですが、形にすることで、見えてくるものも、あったのかな、 と感じています。この詩を好んでくださって、嬉しいです。桐ケ谷さんの詩も、また、読ませていただきます。初めて、だと思います。 (海)

2017-03-12

fiorinaさん 魂の表皮なんて、すごい表現をお話でつかっておられますね。光の肌は、保っておきたいものです。ありがとうございました。 (海)

2017-03-12

りさん 「ふっと」を二回使う方法、面白いでしょう。僕は、えいっと目を閉じて書きつけて、さあどうだろうとまた向き合ってみることも、 詩の中では多いので、この一回性を必然に変化させ、得得とするというタイプのポエマーです。ありがとうございました。 (海)

2017-03-12

花緒さん 名作なんて、照れます。サイトご開設おめでとうございます。このサイトは、皆さんが丁寧に利用されているようで、 じわっとまだまだ続きそうだと思っています。ありがとうございました。 (海)

2017-03-12

まりもさん 精神的におだやかになって、自分でもほっとしていて、その気持ちでこうした詩を書いてみました。カタリ、と薪については、 フレーズ的におもしろいと思ったものを、入れてみました。ちょっと、難しい詩になってしまったかもしれません。ここは、 もっと工夫して料理すべき、僕の限界です。 >一人の君、に託しているけれども・・・何千、何万という死者たち、ひとりひとりのことを想った追悼詩、だと感じました。 こういう風に言っていただけて、感無量です。まりもさん自身が、そういうことを思っているからこそ、そういう詩に捉え、鑑賞され たのだと思います。ありがとうございました。 (海)

2017-03-12

hyakkinnさん お読みくださりありがとうございます。穏やかさを感じられたなら、とてもうれしいです。穏やかな詩を書かねばならないと思っていた ので。なぜ穏やかであらねばならないかというと、死者へ手向けて書いたからです。嬉しいというか僕自身が不安を越えたという感じかも しれません。ストレートな詩、と、見事に理解してくださり、それもまた嬉しいです。人を惹き付けるような詩を、書くことをとりあえず 目指しているので、穏やかな心を、読んでいただけたら、それでこの詩は役を果たしたのだろうと思います。ありがとうございました。 発起人の方々は本当に頑張っていらっしゃるので、hyakkinnさんの行為に、結果が付けばいいと思っております。それくらいの 他人への期待は、僕は持っていて、言っていかないと、いけないなあと、思っています。尽力が実りますよう。 (海)

2017-03-14

三浦果実さん 海での広さに孤独を感じる、陸の安心を思い返す、生きていたいという気持ち。それらを、つなげて言ってくださったようです。 神に抱かれる、という言葉を聞いたのは、初めてです。そういわれてみると、神と言うものを考えるきっかけになります。 安心感というものは、とても大事ですので、人間関係以上に大事かもしれません。ありがとうございました。 サイトも順調にバージョンアップしていき、すばらしいことですね。とりあえず今のところ、面白い感じですね。 (海)

2017-03-15

コーリャさん ご批評ありがとうございます。書き換えの詩は、ちょくちょくと出会うのですが、僕が読んでいいと思ったのは、最後のところなんですね。つまり、「愛のように繰り返されている」のところ。新鮮さと自律性が、詩人と詩を生き生きさせると思った次第です。サイト頑張っておられて、 これからの発展に期待しています。 amagasasasiteさん ご批評ありがとうございます。うす水色の海、良いですね。南国みたい。(『行け!!南国アイスホッケー部』という漫画を、高校の頃に買おうとして止めたのは、 良かったのか悪かったのか、もんもんとしています。)なぁという言葉遣いは、たまにはいいものでしょうね。誰かに使ってもらいたいものです。3.11についての詩を書けたのは、個人的には誇りとするところであります。 双葉月ありあさん ご批評ありがとうございます。 ~薪は~カタリ~ この表現を鑑賞してくださり、嬉しいです。海が問いかけている、という感覚は、正しいのか面白いのか、どうなんでしょう。 るるりらさん ご批評ありがとうございます。 果てしない青さ←素晴らしく詩的な表現で、やはり言葉を使われる方だなって。隔てることのない世界、みんなで夢見ましょう。 >助けるのととがめるのは同じ心 こういう、アフォリズム的な表現に凝って、ここまで来た感じの僕なので、やはり嬉しいです。疲れた方に、何か添って差し上げられたら、 こんなに嬉しいことはありません。今日は、この詩をささげた方とのお別れの会に行ってきました。朗読をしましたよ。 (海)

2017-03-25

僕は、目が悪いのか頭の状態が悪いのか、速く文を読めないので、ゆっくりじっくりと読めたこの詩で、少し(個人的な事について) 救われました。イメージが、どの詩文からも、豊かに立ち上ってきて、穏やかで、感情に満たされている文なので、生きるのも そんなに悪いことばかりが起きるわけじゃないな、と思いました。そして、もう一つ、「美」というものに、僕は大きくこだわっていた みたいだと、思いました。音楽でも、良い音楽は、構成やなにかが、整っています。詩だってそうです。見た感じで美しいのは それだけで意味があるし、良い感触を受けるのは、やっぱり美しい。心も美しくありたい。そうするのが、生きる目的になるかも しれないな、と思っています。人生勉強も、美抜きでは、考えられません。僕自身としては、そういう究極を、求めるべきだと、 考えました。 ( ダグマ 1 [南仏紀行])

2017-03-13

初めまして。僕は、基本的にはおおらかな性格のはずなんですが、不安に取り囲まれ、やや認知の不調があるので、そのへんの 失礼は、勘弁ください。 どくどく、と流れる血という面白い描き方をされています。 >わたしが見える場所は >エンディングになければ、はじまりにもなく、 >ましてや、 >夜のショーウィンドウは、孤独だった ここは、ぜひ、具体的な光景を描くといいと思います。夜のショーウィンドウの向こうにあったものとか。狐のはく製、何かだったら 面白いと思います。 あと、血の流れを、流出していく血液の処理法まで書くと、おさまりがいいかな、と思います。スティーブンキングだったら、 「側溝の中へ流れていった」なんて書くでしょう。 あと、やっぱり、萩原朔太郎の伝説の「竹」なみの作品になると、素晴らしいと思います。 引用初め-------------------------- 光る地面に竹が生え、 青竹が生え、 地下には竹の根が生え、 --------------------------引用終わり (あの夜の街で)

2017-03-18

なかたつさん そうですね、引用が短すぎて意図が不明になってしまったかもしれません。 引用開始-------------------------------------------- 光る地面に竹が生え、 青竹が生え、 地下には竹の根が生え、 根がしだいにほそらみ、 根の先より繊毛が生え、 かすかにけぶる繊毛が生え、 かすかにふるえ。 かたき地面に竹が生え、 地上にするどく竹が生え、 まつしぐらに竹が生え、 凍れる節節りんりんと、 青空のもとに竹が生え、 竹、竹、竹が生え。 ------------------------引用終わり 「血」と「竹」、「どくどく」の繰り返し、などが似ていると思いました。 街が血管であるということは、考えませんでした。歩く人が血なんですね。 明確な批評をできず、何度も申し訳ありません。 (あの夜の街で)

2017-03-18

僕は、アメリカの街で、泊めてもらっていた父の知人の奥さんから、「I will feed the japanese」と嫌味を言われたり、店の人に 「Do you remember WW2?」と言われたりとか、色々あったんですが、僕自身の存在自体が、劣等的な失礼的かたまり だったので、まあ、僕が相手でも僕を良くは思わないだろうという、良く分からない達観を持っていて、それは非常にストレス になりました。それに意味はあるんでしょうが、ダグマさんと「私」に果たしてどういうことが起こっていくのか、大変に 興味深いです。なんとなく、「オズの魔法使い」をほうふつとさせる。 ( ダグマ 2)

2017-03-18

イメージが美しく残りました。家族と天気と食事の。考えさせられる詩ですね。十分にまじめと言っていいと思います。でして、もし かしたら、この家族がまた結束を取り戻すことが、無いとは言い切れないかも、と。僕(黒髪)の甘さ。完成度と表現力、筆力は、 申し分もないと思います。芳醇な蜂蜜が、葛西さんの心を潤すといいな、と思いました。 (明日も、雨なのですか。)

2017-03-27

多様な形の表現が区分けして展開されていますよね。とてもいい効果を生んでいるように思いました。それぞれの部分が、 そうでなければ成しえない表現となっていると思います。これは、ずいぶんと丁寧に書かれた詩だろうな、と感じさせる。 >缶ジュースを飲んで、待ち合わせ場所に裸足で立ち、鼻歌を歌って、足の裏に響く地鳴りに毛が逆立つ。手の中でバーチャル>が騒ぐ。 >台風の目へ引き寄せられる人々が輪郭を際立たせるから、飽和しても光る希望の真ん中はいつの時代も正しい。 >彼らには名前がなく、誰もが憧れて欲しがる。それを都会と呼ぶ。 >急所探しに躍起になるたくさんの目は凪いだ海の色をしている。光に埋もれ、光を保つ役割を担うのが普通。 この辺がいいです。詩としての、描写が、良いと思わせる文章。中身をいかに飾るかという点で、上手くいっていると思います。 人の事は言えないのですが、地球というのは少し大仰すぎるようにも思います。 >愚かさを守ろうとしている これは愛ですね。どうすればいいのか。どうするべきなのか。どうしていったっていいのか。そんな自由と束縛の揺れを感じます。 (潔癖症)

2017-03-31

こんなにおもしろい詩は、めったに読めません。もとこさんがおっしゃるように、「もうええっちゅーねん!」的な事を感じながら、 うとうとと詩を読んでいくのが、正しい読み方と思います。というか、これって正しい男女関係なんでしょうか。そうだとしたら、 海の中でゆったりとすごしつつも、いつも争わずにのんびりとしていられる、ということですね。なんというか、浦島太郎に なった気分です。 (ゆめであえたら・・・ (B-REVIEW EDITION))

2017-03-25

迷子、ですか。女性特有の感覚だと思います。一応、文章は、書けていると思いますが、その、迷子になってしまった きっかけが、どこかに書いてあるとよかったかもしれません。どこへ向かいたいか、あるいはわからないか(これでしょうね)、 どこか、生きることに意味が見出せない恐怖が、感じられてくるように思います。誰かがきっと、服を着せてくれるでしょう。 そうでなければ生きている意味がない。 (迷子のお知らせ)

2017-03-25

緊張感のある、美しい詩だと思います。ホログラムは、東京タワーで見たことがあります。(券売所のおじさんが、東京タワー 全体に行けるチケットを、高い金出して買った時、あららみたいなことをおっしゃられ、なんというディープな観光スポットなんだ、 と愕然とした思い出が……。) 最後の二行で、思ったことを書いておられる部分が、なんとなく印象に残ります。結構たってから、そういう気持ちの理由が 消えていないとわかった時には、しんどい思いをして、やり直さなければならないので、すぐに対策を練ることをお勧めします。 (ホログラムのアリア)

2017-03-25

悩みがある、苦しみがある、将来への不安がある、といった心情なんだろうな、と思います。それらは、未来からやってくる ものだから、天気予報によって、先回りして予測するといった形に、この詩でも、なっているのかな、という感じです。 先先と進んでも、良くなるのか悪くなるのかわからないことへの不安。そういったことを、例えば余命といった、取り扱いの 難しい言葉で、けっこうストレートに表現されているように思います。 最初の行の、オノマトペは、綺麗で、ユニークな表現になっています。(そうそう、辞書を引いて知ったのですが、擬声語、擬音語 だけではなく、擬態語というのもあるそうです。びっくり。) (はるの雨夕)

2017-03-25

耽美的ですね。この詩の特徴は、名詞、モノに、存在感があるところだと思います。そして、全ての名詞がメタファーである。 雨が降った後で、待ち侘びていた新しい生活が始まる。自分を励ますような。個別がオープンと通じる方へ変わっていかれる のじゃないかな、と想像しました。 (雨後)

2017-03-31

花緒さん コメントありがとうございます。好きなタイプの作品であると言ってもらえてうれしいです。 作品を書く際、どう構想し、筆を進めていくべきなのでしょう。 ①人のをまねる。 ②自分で考える。 ②を増やしていきたいですね。すると、自我というものに直面します。私は、これこれこういう表現を好み、使う、といった、主体。 では、そういう表現は、果たして本当に自分らしく、自然にしっくりくるものであると言いえるでしょうか。答えは、かなりの人が、 不自由な表現の中に押し込められている、と僕は思います。それは、発想の癖であり、言葉遣いの癖であるのではないで しょうか。そう、自我の価値ではなく、単なる癖。しかも、往々にして悪癖。そうではない人も多いし、きらめくものがある場合も 多いですが、おなじくらい、悪癖も見られます。それをどうすればいいか。答えは、表現を自由にする、です。つまり、必然的に 正しいと思った表現を、ひねるわけです。自分が正しいと思ったことを書くのではなく、もっと飛躍した表現を使う。 手癖ではない、と一般的に言われることであります。そうすると、幅が拡がる。 「現代詩」をひねり出すノイローゼではなく、書きたいことを書く詩人。 こういうことを考える自分の履歴としては、詩で触れたものは、エミリー・ディキンソン、ゲーテ、ボードレールなどの古典と、 アメリカの現代詩(チャールズ・シミック、スチュアート・ダイベック、ローラ・ライディング・ジャクソン)、ネット詩、歌詞、など という感じです。 痛い人間なので、詩もそうなってしまうのですが、結構詩というものが、好きである自分を発見します。だから、書く方も、 読むのも、楽しいです。 (蝶の示すような愛情)

2017-03-28

みいとかろさん コメントありがとうございます。韻は意識していました。おっしゃる通り、始まりとしめくくりの連は、少し構造を変えてあります。韻の踏み方は、 ある種音楽性と関係があると思います。うまく因果踏めると、にやりとしてしまいます。陶酔みたいに。 しかし、それを崩しても表現に不自然さが残らないように、詩を作るために、たくさんの引き出しをそろえていかなければ、 と思っています。 (蝶の示すような愛情)

2017-03-28

上の文章の訂正 ×因果踏めると ○韻が踏めると (蝶の示すような愛情)

2017-03-28

まりもさん コメントありがとうございます。言葉の選択のゆるゆる感、春に向けて書きました。僕はこういうことを書くと安心できて、 自分の世界の中にこもれるのです。ここで自分の世界、といったのは、自己の思い、外界の感覚、論理だった普通の 思考、などを含めてです。だから、この詩において、思ったことを、素直に受け止められるような人がいて、僕が思う ことと、何らかの接点があるならば、それは幸福な詩になります。ひとつ、題名は良くないですね。もっと考えて つけるようにします。様々なことが分析できました。ありがとうございます。 (蝶の示すような愛情)

2017-03-30

もとこさんの詩について思うのだけど、いつも無音の静寂があって、イメージがきれいなんですよね。僕は、あまりイメージを 思い浮かべて生活しない方なので、こういうきれいさは、率直に、一見しただけで、美しいなと思えます。 そして、思想的な面でも、自分のうしなわれていく様子への哀惜のような、ファーストガンダムの最終回のような、達観的な 戦慄が、さーっと走り抜けていくようなことを伝えられるうまさと切実さがありますね。 実は僕も、目が病気状態です。あと少しで治るんですけど、それプラス多飲症と、不快感が、かなりきつい状態で、 生きている心地がしません。とはいえ、快方へ向かっており、希望を世界とのつながりの中で少しもって、自分でやるしか ないことは、頑張ってみています。話がそれて申し訳ありません。もとこさんの目も、健康も、良い状態であるといいな、 と思います。 もとこさんの詩の根底にあるものが、たぶん何かあるはずだと思うんですが、イメージの、そして記憶(、文化の、) 共同体的理想郷への共感を誘うための詩なのかな、と今は感じています。 (Alpha)

2017-04-06

もとこさん コメントありがとうございます。 「ホールアースカタログ」は、画像を検索する限りでも、大変におもしろそうな雑誌ですね。ヒッピーとかのムーブメントは、 何だったのかということを良く知りませんが、そのムーブメントになるほどのコンテンツがあったみたいですね。僕は、1977年 生まれなので、たぶん、オタク第三世代だと思います。父の影響で、「テクノポリス」とかを読んでいました。 カタログという発想は、糸井重里のコピーなどが念頭にありました。「欲しいものが欲しいわ」。そうですね、僕にとって詩を書く ということは、言葉と戯れながら、自分の思考の核とか、無意識な信念のようなものを、発見しなおす作業のようです。 何かに操られることへの反抗というか。そういった思想を型に入れると、言葉との距離をいろいろにとれるので、一応 個人的にも実りのある行為だと思えます。ですから、カタログという発想に至ることが出来たということが、じぶんでは大きな 発見でした。そして、カタログ的なものへの身の開き方というか、思想への加担とか分担、そういったところで、妄想の流れ の中に、何かの形として時間が結実している感じが残り、これが大変に嬉しいことです。自分の周りにあるカタログを、 無視するのではない、信じるのでもない、そういった「中間的存在」としてとらえていきたいと思います。 最後の三行での失速は、僕の力ではまだそういうところまで作り込む力がありませんね。これからの課題としていきたいです。 (カタログを埋める重言)

2017-04-06

まりもさん コメントありがとうございます。 歌詞として構想を始めました。その際に、出発点となったのが、「重言」でした。「疑いを疑い」「愛を愛する」などですね。 思い立ったからなのですが。そして、思想としてはやはり、「カタログ」で、あとは、傷ついている二人の人間です。 「君」「打ちのめされたその目の奥までが優しいね」。僕自身が、出発しなおす気持ちを持って、それをまとめてみました。 表現について、感想を下さり、ありがとうございます。やはり、表現と言うものの難しさと面白さを再認識しました。 特に選んで、ご感想について反応させていただきますが、「きらりと輝くものを見つけ出す瞬間。そこに向かって疾走しようぜ」 ここは、とてもうれしい感想でした。ほんとにそんな風な詩だな、と、望んだ以上のことを感じていただき嬉しいです。 もっと、完成度と密度のある詩を書いていきたいです。 花緒さん コメントありがとうございます。構成について、分析いただきました。良い感じであるということで、ほっとしました。冗長である、 と感じられ、コンパクトにまとまっていない、と思われるということ、確かにそのような失点があるようです。この詩は、自分の中に あまり言いたいことがない状態なので、それでも詩を書いてみたら、こんなふうな、失意と再挑戦を、音に乗せて意味に何かが 結びついて良い表現になるといいな、という感じに仕上がったものです。では、少し話はそれますが、今僕が考えている ことというと、ペットの雑種犬を、ずいぶん昔に散歩させたとき、道路わきの柿畑に、一メートルほどの落下をさせてしまい、 そのころ僕の体が不自由だったもので、首の綱を釣り上げようとしてしまい、窒息させかけたということを、悔やんでいます。 また、四か月ほど前の直接の死因も、僕が、囲いを開けたままにしておいたところから逃げてしまい、川に落ちて溺死 してしまったのです。苦しめてごめんね、という、罪悪感が大きいのです。それに、考えているのは、やはり僕自身が呼吸が 苦しいということ、そういう状態の僕が、再出発できるようになるためには、何かの決算をしないといけないようです。 そのために詩があって、言葉にすることが大切なのです。 (カタログを埋める重言)

2017-04-06

hyakkinnさん コメントありがとうございます。 調子が悪くて、不安になることが多くて、そんなときセーブ機能を働かせて、いろんなもののあつまったカタログを作ってみたんです。 とりあえず、セーブしておくことで、少しづつやっていけるんじゃないかと。つくったカタログから、良いものを選択する、そんな風に して、生活を進めていきました。良い、悪い、というよりは、仕方がない感じ。やっているときは必死で。失敗を含みつつ、 日々のセーブ(記憶)を重ねることが出来て、自分なりの思考に、失敗じゃないことを確保して、前に進むというか。 記憶も思考も、かなり滅茶苦茶な自分なので、非常にばかばかしい人生を送っている、そんなことを、詩にしたのですが、 もしかしたら、困った作品となっているかもしれません。だから、この詩が優れているとは、自分でも思いませんし、 ただ意味があるなら、それは、過去や子供のころの記憶へ向かって、宝石、などのように、味わってほしいという願い、 共有したいという思い、その強さが、せめてもの共感を、感じること、すなわち、人間同士がいかなることを望み、 端に位置が下がってしまった人間が、悪意を持たないというたどたどしいばかばかしさを、半ばあきれながら、笑いながら、 許してくれるということもあるのじゃないかと。困った作品ということで間違いないです。人がいかない珍しい場所(知識)へ、 足を向けることが、一応できていた自分なので、そういう珍しい見識を報告することで、楽しんでもらえる、そんなところを目指して、 日々療養を続けている感じです。あまり人が知らないようなことで面白いものを、提供するので、興味を持ってほしいという感じ です。 (カタログを埋める重言)

2017-05-03

朝顔さん コメントありがとうございます。 自分と言うものは、コントロールできる部分も、コントロールできない部分もある。だから、 内部を攻撃する自分、という、不安を認知することで、コントロールできる、詩作という部分くらいでは、 内部否定を止めたいと思っています。外部からおかしいよ、間違っているよと言われることが苦痛なのではなく、 そうできない自分が、自己否定していたと発見して、苦痛に気づくということが、客観的な把握です。なんとなく、 大人でない自分、何も続かない自分、そういった人間が、カタログを見て物を楽しそうに選んでいる光景って、 ほほえましいと思っています。 というわけで、泉やら塔やら、マリア様やらメリーゴーラウンドやらといった、穏やかな物のそばで、突き詰めれば死の恐怖 となる恐怖から、解放されるような発見が、できたらいいな、と思って、自分をスイーツに甘やかしていったのです。 単語が非個性的である、とは、痛いところです。文学の関門として、難しい表現を使うという詩作に対して、 拒否感を覚えてはならない、ということは、言えるはずです。 あまりj-popは聞いていないのですが、ミスチルとか椎名林檎とかは、知っています。あと、ワンズとか、宇多田ヒカルも好きです。特に好きだった歌手は、徳永英明です。今はクラシック音楽の方が好きですが。 (カタログを埋める重言)

2017-05-05

お風呂の詩。生きるということについての詩。生命の活躍へ向けた詩。読んでいてそんな風に感じました。「ぼくが今、ここにいる」 という事実へ帰り、そしてまだ、自分の世界へ向けて、最終的な結論(死)までの、迷路の中で、強くあれるかもしれない、というような、 決心、信心を、感じます。 >ばかみたいね いや、ばかだね >ばかばかしくてしあわせなんだよ 多分 こうやって流れていく思索は、後ろ向きなのか前向きなのかわからないという点で、「輪郭」ということにも合わせ、なかなか 手ごわい(いい意味と悪い意味の両方で)感じを受けます。 全体的に、穏やかな気持ちで読める、温かさを感じました。そして、その温かさこそ、何よりも大事であることの一つである のだと、僕は思いますし、そういうテーマと描き方をしていても、それが自然に言葉にされるということが、作品を受け取りやすい ものへ変える心の温かさと同じものだろうなと、感じました。 (輪郭は滲むけれど)

2017-04-06

エロチックなことを想像しました。 ええと、深い詩であってとても面白く読めると思います。実存主義などを考えさせられます。 関係ないのですが、web漫画で、「魔界のオッサン」というのがあります。 ただで見れます。 (アイデンティティ)

2017-04-07

あなたの詩の感覚が好きです。やけくそじゃなく、意味のある、楽しめる言葉です。僕の賛意など、必要ないほどに、 自立した言葉です。なんか気の利いた格言など言いたかったのですが、思い浮かばない……、 「タケノコを飛び越す訓練を続ければ、どこまでもジャンプ力は従って伸びるので、忍者になれる」 いや、違うな……。 (詩以前)

2017-04-29

小悪魔レモンと悪魔デーモン。 お日様ということばが、つれてこられるのは、意味としては意外ではないんですが、その映像を思い浮かべたとき。 あ、お日様とレモン!?ミスマッチな関係!と驚嘆。これは、「手術台の上のミシンとコウモリ傘」なみのインパクト ですよ。僕の中では、レモンってそんなイメージだからそう思ってしまいました。 DVD『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』付属のリーフレットに、 「手に入れたものが不良品だった時に英語では「レモン」と呼ぶ」 とかいてありました。 ソール・ライター家のネコは、品行不方正なため、「エマ」から「レモン」に改名されてしまったそうです。 レモンって存在感があるけど、あまり使い道がない感じ……を僕は持っているのですが、「怖い」と思われた、 独特の意味を詩から読むと、レモンというものの、新しい置き場所を、僕の中に発見したような感じ。 野菜室の住人は、沈黙を守っている……そんなふうにも思えます。レモンは喋れないけど、人はその気持ちを さえ、代弁して、言葉にできる。そんな特別な能力を、るるりらさんは発揮している。素晴らしい詩だと思います。 (小悪魔)

2017-04-26

三人の関係が、複雑な感じで、よく読み取れずすいません。いや、文章はきちんと説明してあり、僕の読解力のいたらなさ なんですが。この詩、文章が完璧。必要なことは全部書いてあり、余分なことは一つもない感じです。そして、内容の 提示のしかたが、運転手から、会食、そして性的な描写へと、ジグソーパズルのピースがぴたっと合った感じで、 実に気持ちがいい。こんな詩を楽しめて、僕の読詩歴では、新しいタイプの詩に出会えたと、そんな気持ちになりました。 (大陸的な夜の残念さについて)

2017-04-26

朝顔さん コメントありがとうございます。スマホ的だとは、書いてて思ったことです。パソコンを使いましたが、意図的にそういった機器 からの影響を意識していました。なぜそんな方法を使ったかというと、言葉の組み立て方をどうするといいのかこまったから です。情報を理解するのに、一つの意味を掴もうとする、そういったある種の言葉の断定的機能を、使おうと思いました。 情報を全て表すための、一つの方法を試してみたのです。 まりもさん コメントありがとうございます。「推敲が足りない感じの文+歌詞的」という表現をおっしゃってくださいましたが、自分では 少しの手ごたえを持ちました。細部にわたり読んでくださり、またそれを分析してくださり、大変に感謝を感じています。 とても時間と頭を使ってくださっている。カナリアは、かわいいでしょう。詩人の心、なんておっしゃってくださり、望外の 喜びです。 (答え尋ね)

2017-04-27

三浦果実さん コメントありがとうございます。 自問自答、のプロセスを経ていない詩はなく、もっというと、思考は常に自己参照の検閲を逃れることは、たぶんできない。 その程度は、閾値などによって、さまざまに決定的に付きまとったり、あるいは、忘れて行ったり。 僕は、健療院グループというところのメールマガジンを読んでいるのですが、そこにこんな言葉を見つけました。 引用初め-------------------------------------------------- しかし「言葉を飲み込む」ときには、 実際にのどが何かを飲み込むような動きをします。 しかも、何かを飲み込むときよりも長時間その動きを続けます。 その動きを解剖学的に言うと のどにある咽頭収縮筋という筋肉が緊張することを言います。 さて、ここからが大事なことになります。 何かを飲み込むときには、 この咽頭収縮筋は、飲み込む瞬間には緊張しますが 飲み込んだ後には緊張がゆるんで 元のリラックスした状態に戻ります。 ところが言葉を飲み込む場合、 言葉を飲みこんだ後もこの咽頭収縮筋は緊張したままになり ゆるむことはありません。 これが長く続くことで、色々な症状が出ます。 最初のうちは、のどに違和感が出てきます。 のどの中に何かがあるような感じがする方も多いです。 それはヒステリー球と呼ばれることもあります。 それを飲み込みたくて、たくさん水を飲んだり 食べ物を飲み込んだりしますが、 その違和感は取れることはありません。 更に症状が進むと、 息苦しくなったり、咳が出たり、 吐き気がでることもあります。 実際に吐いてしまうこともあります。 --------------------------------------------引用終わり ( †† 自律神経で幸せになろう ††  Vol 228 * *   『 うつ病 ・ 自律神経失調症を克服しよう 』 *                                健療院グループ鈴木さんのメールマガジンより。) 詩人というのは、詩に表す言葉としては、飲み込んでしまった言葉を吐き出したいという風に感じることも あるのではないかなあと。そういう観点で色んな詩を見ると、何が多様性をもたらし、何が共通して重要で ありうるか、という分析のような事が、頭に通り過ぎていきます。愛おしさを、感じますね。いい方へ向かうこと、 そんな大原則を、忘れてしまわないことが、生きていくうえでも、詩に取り組むことでも、大事だと思います。 読むのも書くのも、解放へ向かって行くべきではないかと思います。 (答え尋ね)

2017-04-29

なかたつさん コメントありがとうございます。 「分断」がこの詩の背後にある、と言っていただいたと思います。そのとおりです。詩に現れているように、疑念が、 表れています。不安にせっつかれながら、詩を作ったという一例ですね。ご評文に指摘されているのは、カナリアの こともありますが、これは、今気づいたのですが、自分の好きな女性の象徴なのです。 どうもテーマがいくつもあるような気がしますが、それをちょっとアクロバティックにまとめようとして、この詩が出来た気がします。 最後に、なんとなく、詩作法的なアイディアというか、いいますと、抽象的な文章を紡げると、豊かな気がします。 入門的な段階の言葉なのかもしれず、じぶんの段階が恥ずかしいのですが……。すんなりとはいきませんね。 (答え尋ね)

2017-04-30

るるりらさん コメントありがとうございます。 僕の、悩みを、詩にしたことに対して、ご自分の心にとって有益で良い詩であったと、思ってくださって、ありがとうございます。 僕は、日常的には、あまりしっかりとしていなくて、落ち込むこともあります。そして、それを詩に書くのですが、それは、「自分自身」 のメソットとして、自分のオリジナルを作るには、そうしないとできないということがあるからです。るるりらさんは、様々な日常 を思い出して詩にしたり、色んな変わった視点から、物事に新しい観点を付与したりといった詩が多いと思っています。 そして、僕は、それらの詩は、オリジナルとしての意味が強いと思っています。 僕自身のオリジナルは、人のためと自分のためです。自分のためとは、業(ぎょう)としての詩作、ということです。 例えば、小平邦彦『怠け数学者の記』という本(難しくなく、大変に読みやすい本です)の中に、夏目漱石の『夢十夜』を 引いて、運慶の彫刻の話が出てきます。無造作にノミをふるっても、木の中にもともと存在している仁王像を、ただ彫り出す だけだから、決して間違えない、という話です。数学の場合の彫るとは、「面倒な計算をしたり文献を調べたり」することである そうで、非常に時間がかかるそうです。オリジナルということについて、かなり勇気づけられる話でした。 頭の中でも、色んな部分を使って、自己の可能性を彫刻していくのは楽しいことですね。自分という木が、仁王にもなりうる なんて、妄想すると、素敵です。 寄り添う……辞書を調べると、近くに寄る、という意味ですね。僕自身、人によそよそしくするのがもったいないことだと 考える方です。距離を間違えて怒らせてしまったりすることも逆にあるかもしれませんが、寄り添う、という行為は、 すごく大切ですね。誰もに対して、寄り添う気持ちを忘れないようにしたいと、思います。 (答え尋ね)

2017-05-02

hyakkinnさん コメントありがとうございます。 優しい人の優しさがあったとき、見逃さないで自分の糧にする、そんな風にやってきました。見様見真似というか、くだらない ことも、もちろんしてきたのですが、やさしさの10パーセントくらいは、自分のものにできたというか。 言葉の流れについては、光栄です。もっともっと自然な流れにしていきたいです。 スタイルについては、固まってくると、やはり強みになりますね。詩集についても、考えてはいます。まだ頭の調子 に自信が持てないので、過去作をまとめるのは躊躇してしまいますが。詩というものが、ネットとの相性がいい というのは、面白いですね。そこに、力を加えたのが、発起人の方たちですね。昨日も、母親大会に出たのですが、 ああいった催しをするのと、同じような行為だと思います。みんなを幸せにしておられますよ。 (答え尋ね)

2017-05-08

踊りのような印象を持ちます。というのは、言葉が、意味をもたらすという以上に、書くこと自体のテクニック、また心の出し方、 みたいなものが、他者の間で踊って見せるというような行為としての詩ということを強く感じたから。 筆者は、尖ったナイフで、論理を突き刺す、つまり、論理を常に意識しながら、それを突き詰めることで裏切ってしまう、 論理の向こうがこの詩では見える、といった特徴を感じました。特別なある事情を抱えてしまっているのかどうかはわかりませんが、 この表現自体を叫ぶという、恐ろしく困難な詩業をなしておられるところが、すごいなと思います。 (Land Scape Goat)

2017-05-02

心をつかまれました。お母さんと、赤ちゃんの対比における、心の析出のしかたが、絶妙です。これは、一気に作り出されるようにしか、 書かれないような書き方だと思いました。僕は、どうしても、人格形成という視点で見てしまうのですが、この詩の良さは、 僕のような境遇の人間ではなく、もっと孤独な辛い子供時代を送った人にとって見れば、すごく救いを見出すのじゃないかな、 と思います。その作者・読者の関係があるのを、想像するだけでも、僕はそうやって、感動しました。ちょうど兄に子供が出来て、 その子の表情や行動を見ていることもあり、この詩の子供とお母さんの、美しさと言えるようなもの、安らぎと我慢と気使いの、 生き方というもの、そういったものが、働きかけて来ました。 (恩讐)

2017-05-02

とてもいいですね。長さも結構長く、力のある詩人じゃないだろうかと思いました。いろんな場面が出てきて、生きていると、 妄想と現実ってこんな感じに混ざり合うものだよな、と思って、適切な書きぶりに、ある種安心しました。そして、一番すごいな と思ったのが、「二十四時間では全然足りない」っていうところ。ここを起点にすると、現実の人生がばーっと広がっていくような、 個人の持つ想像力を、刺激する、とても愉快な言葉だな、と思って、マジカルな言葉だって、気持ちよくなりました。ちゃんとした メッセージを持つっていうことが、難しいことなんじゃないかな、と僕はいつも後悔しているので、こういう意味のある詩は、 すごいな、と思います。心の願いを唱える主人公は、愛すべきキャラクターとして、詩に(心の)多彩さを投げかけていると思います。 (Driver)

2017-05-02

楽園ラバー。孤独を孤独と言わず、焦燥を焦燥として言ったりしない。自分と言うものにあるであろう未来の困難さを、神の視点に立って、 対象化してしまうことの、意味深さ。平均的として、普通に生きることを良しとして、他人を必要以上に考え込んでしまわない 表現から、いつの時代も、どんな年齢でも、空気のようにして大事であるということを教わっているような気がします。 少し寂しい気持ちになりましたが、僕にはこの詩は新鮮でした。 (社会。)

2017-05-02

経験を共有できる詩だと思いました。 子どもというものの、純粋さが、土からたちのぼるようで、もし、ぼくが同じことをしても、同じように思うだろうという想像が出来た ということを考えます。主観と言うものの透明さを教えてくれたように思いました。さみしいという気持ちを、あまり感じてこなかった ので、もともとさみしいのが人間だよ、だから、そこから立ち上がったり、駆けて行ったりするんだよ、というような、いろいろと 考えさせられる詩でした。ストレートに提示されるところに、潔さも感じました。潔さからのストレートさというのは、いいことに 思いました。 (地面を舐めた)

2017-05-05

架空の存在さくらちゃんは、例えば座敷童のよう。痛みへの悲しみと、心の底にあるどうしようもないような思いを、引きずり出され ました。反戦への誓いとして読みました。 (さくらちゃん)

2017-05-08

まりもさん コメントありがとうございます。わりと、いろんな要素を並べて、自然に固まっていくのを待つ、といった作り方をしました。 一つ言えるのは、切実さへの態度ということです。まったく嘘でもいいわけで。でも、僕自身の身のことを考えた場合、 嘘のようなことで主体部が出来ているのは嫌です。伸るか反るかにしても、自分をごまかすのは嫌なものです。 鈴木 海人さん コメントありがとうございます。 素敵だなんて嬉しいです。海人さんは、独特の力を持っておられますね。その、純粋なところ、共鳴します。 この詩は、少しづつ周りが見え始めたから、世界観を切りとって、詩にしてみたものです。縄につまづいてばかりの僕が、 少しづつ自分の足で立てるように心がけているところを、見抜いておられようです。もっとボリュームのある詩も 書けるようになりたいなと思っています。 (The Last)

2017-05-09

死に面したときにおいては、その生を代表する体温のみに価値があるということを、感じたのだということなのでしょうか。 社会や国という共同体に回収されない死が、体温の喪失である。人の価値を、言い張ったり、高く掲げたりすることを、 やめること、そんなことこそ、本当の死者への弔いである、と言っていらっしゃるのではないかと思います。 言葉の使い方がとても上手でおられると思います。浸れる言葉、せかさない言葉、そんなところに心地よさを感じます。 桜と人間の命がつながっているということを、はっきりと詩にされている(「壊れるように、散っていく」)、この視点は、 なかなかないと思います。 (death)

2017-05-12

描写の的確さに、目を見張りました。はっきりとしたビジョンが、比喩としてうまい距離で機能していて、その愛の行為に対して、 心を洗われます。愛を知っていて、愛を隠し持っている。構想と、筆力が、幸せに溶け合っている感じです。心からの気持ち を感じることは、なかなかないもので、人が読んで気持ちのいいものは、なかなか書けません。というわけで、天性の才を 活かされている、という感じを持ちました。 (なかった、ように)

2017-05-19

花緒さん コメントありがとうございます。言いたいことを持った状態で、理屈で展開してみました。その際、僕の場合は常に、詩っていうのは どんな風に書くべきなんだろう、という疑いを、同時に考えながら、進めていきます。僕は、詩の制作過程とかも、べらべらしゃべる タイプの人間なので、この詩の制作のポイントも、言っておきます。それは、他人の気持ちということです。人の考えていること についての視点を持つことで、詩の材料が、一気に増えます。最後の連が、意味が勝ちすぎというのは、たぶん、僕の 見通しの悪さが良くなかったのだと思います。ただ、アイディアは結構あるので、それを感じてもらえたならいいな、 という風に思いました。テーマでのまとまりをつけるよう、見通しの良い詩作を心がけたいです。 (人の望み)

2017-05-19

花緒さんへ追記 トランス状態というのは、確かにそうだと思います。上のコメントでは、そういうことを言っていないと思われそうなので、 追記します。トランスというのは、没頭しながら詩作するので、そういう感じはあります。もっとトランスできたらいいなあと、 思っています。最近はあまりノれない人ですが、いとうせいこうの、『ワールズ・エンド・ガーデン』とかは、高校の頃よんだ 数少ない小説の一つです。解体屋の出てくる小説は、近いうちに探して読んでみようと思っています。 (人の望み)

2017-05-19

三浦果実さん コメントありがとうございます。 僕は、昔から、親密にみんなで盛り上がるという経験をしてこなかったし、そうゆうことが苦手な性格なので、自分に閉じこもる というか、叫んだりするような経験もありません。そういうことのような、たぎる血がないわけではないのですが、どうしても、 距離が近すぎるのに拒絶感がある。どっちなんだと考えると、両方かな、という感じ。他人観とか、付き合い方というものには、 色々な形があっていいですよね。詩において、読むものを突き放す、ということは、おっしゃったことに沿って考えると、 読者を想定していないといったことから、そういうことが起きているようです。あと、性格。詩でくらいは、読者の共感を 持ちたいものなので、色々と工夫していきたいと思います。 るるりらさん コメントありがとうございます。 悩んでいらっしゃるのですね。その経験が、あなたをより大きくより良い人間にする。なんて。答えを用意することのタイプには、 不安型、誇示型、優越型、怠惰型、といったものがあるのではないでしょうか。答えを持つこと、思想に従うことがいけないのを、 頭に入れながらも僕は良く分かっていないということがあって、「回答があるかのような詩よりも」、と思われた言葉から、やっぱり人は 答えを抱え込んで従うのでは駄目なんだな、と思ったりしました。 なんでも、善と悪にスパッとは分かれないですからね。「昼と夜」の謎。 救われるべき、と感じておらっしゃれるなら、本当にそうなんだと思います。なんでも公平なんてことでは、どんなストーリーも 生まれない。あなたは救い出せますように。ポエジーは、世界と戦うための、武器ですよ。 (人の望み)

2017-05-24

まりもさん コメントありがとうございます。 最終連を、声別に分けていく書き方ですね。そうですね、複雑かつ見やすくなるでしょうね。 おっしゃるようにロック調の詩だと思います。 比喩のことをおっしゃっていただいて嬉しいです。実感を書くと、強みがあるのかもしれません。 しっかりと批評くださって、勉強になりました。次作も読んでいただけると幸いです。 (人の望み)

2017-05-25

こんばんは、夏生さん。 コメントありがとうございます。後ろ向きの全力疾走、たぶん足がもつれて転んでしまったか?なんて、この詩を分析すると、 そういう風にも思えます。熱が感じられるというのは、面白いと思います。激しい精神状態が伝わったのかもしれませんね。 ご批評下さいましたが、客観的に見なければとも思います。推敲のない詩はやはり少し雑になってしまいます。 色んな客観的なアイディアを試せるような詩であると、思っていただいたのじゃないかと推測しますが、そんなこんなの 僕の詩も、新しい展開に向け、いつも新鮮な気持ちになって作りたいと思います。 (人の望み)

2017-05-25

上記の私のコメントに、修正と追加をします。まず、「ご批評下さいましたが」などという文言は、私が勝手に夏生さんの批評に ある態度を要求している(気に入らない)というような意味がとれますし、また実際僕は言い訳をしようと思ったことが真実であり、 僕自身の責任で言葉を発する、意見は全て、人のせいにしない、というような、マナーに反した悪いコメントなので、そこは 「ご批評を受けまして」という言葉に変えさせていただきます。 また、客観性を持つことと、アイディアを持つことは、別の事柄であると私には思えますので、「色んな客観的アイディアを試せるような詩である」という 言葉は、「客観性とアイディア性を作ろうと試みた詩である」と変えさせていただきます。 また、「思っていただいたのじゃないかと推測します」という言葉についても、いただくのは私であって、私を推測するというのはおかしな 言葉ですので、「思ったと推測して判断を行いました」と変えさせていただきます。 また、余韻という見方を提示してくださったのは、僥倖であり、感想として追加させていただきます。 以上、長々と訂正を行い、申し訳ありません。これからも、関わらせてください。コメントを下さったこと、感謝の気持ちでいっぱいです。 (人の望み)

2017-05-25

圧巻ですね。一本の映画の脚本としてなりたつくらい、多様な展開が、しっかりとされている。うまいなあ、と思うのは、 >かれは子どもの頃 トイピアノ でよく遊んだといいます この意表を突くような、どこかから聞こえてくる声のような、異質感。 >おれは 正直 かれの 画才 に 度肝 をぬかれました こういう言い方も好きです。 題名で、詩の主題が適切に表してありますね。「愛くるしさの檻」。 ロックンロールとのかかわり方が、若い感じを受けます。なぜなのかというと、ブルース的でないところの音楽を、 ロックに聞いているという想像が成り立ったからです。もちろん、どちらがいい、ということではありません。 パンクはあまり聞きませんが、町田康は、圧倒的な才能が有ると思います。 (愛くるしさの檻のなかで 闇を剥ぐケダモノに なれ よ)

2017-05-19

大変に美しい詩です。ほぼ完ぺきな作品。死が織り込み済みであり、様々な生と死を、トランプの絵柄のように確かに描き、 眺めること、眺められること、の両方を、味わえるように、提示されている。トランプ遊びをするような、優雅な時間を、 作者が作り、読者に差し伸べている。 ラストダンスという言葉の登場するタイミングも絶妙。全て失ってしまうこと、だんだん時間も失われていくのだということ、 それをラストダンスによって、一気に提示するミラクル。読む前と後では、僕の中の意識が、明らかに違ってしまっている。 これは、感動と、呼ばれるものなのかもしれない。 現代性、何も取り立てては起こらないという点では、現実性(アクチュアル)、はないかもしれない。でも、現代性がある。 心の内面がアクチュアルであるということは、まさに現代の現実ということの、一般的な例に他ならないでしょう。 (ラストダンス)

2017-05-25

やわらかで優しい心、気をつけて、いってらっしゃい、という言葉を、心から発しておられるようで、 正しいということを思いました。とても創造的なやさしさだと思いました。優しさを極めると、それ 自身が創造的ということになる、という素晴らしい詩だと思います。 (足)

2017-07-29

最後まで本筋を離れない思考、実験精神(鳥として生きてみたら、どうなる……)が感じられ、特に、潔いという感触を 持ちました。「なにものでもない自分」というとらえ方をするところが、やはり精神的に、ある種の潔さ(きれいで、 さっぱりしている)に貫かれているな、と思います。鳥自体がそういった存在だとも思います。時を告げられ、いつのまにか 鳴き声が去っている。これは、人間にしてみれば、「ごめんなすって」っていうのと似た感触かもしれない。 「トンビぃ」という呼びかけ方は、心をうまく表した表現だな、と思いました。 (時鳥)

2017-06-05

花緒さん コメントありがとうございます。押しつけがましくなっていないと言っていただき、とてもうれしいです。 誰かを勇気づけたり、考えを落ち着けたりできたら、とてもうれしいのですが。この世には、脱出口 はあまりないです。本を読んだって、なかなか満足はできません。助かるとば口となるのは、詩だけだと 思います。詩には、どこかしら深さというものがあります。この詩は、音楽によっては表されないものだと 思っています。むしろ、写真や絵画に近いかもしれません。 この作品では、空と人と心に対して、一つの連関性を示そうとしました。閉塞的な心を、どうにかして逃して あげられたらな、そんなことを考えながら作っています。この世は苦しいけど、それとどう付き合うか、 そういった、知恵や達観はあるはずだと、思っています。 (心と空の叫び)

2017-06-06

口三さん コメントありがとうございます。肉体と心の分離といった印象でしたか。実際ある程度は、どんな人もそんなもの だろうと思います。たがいに語り掛けているのは、一言で言えば、内省と、それを展開する実行、みたいになると思います。 ここからさらに、融合を果たした精神が、どこかへ向かわなければならないでしょう。それは、きっと僕にとって 素晴らしいものになるだろうと思います。 詩によって身を確かめ、生活によって頭を確かめる。そんな風に思っています。 (心と空の叫び)

2017-06-07

まりもさん コメントありがとうございます。わがままって、主に性格ですよね。子どもっぽい、という点は、良くも悪くも なりますが、大人になっても子供っぽいわがままはカンベンしてください、と思います。人によって程度がありますが、 治らないものは仕方がなく、生涯をわがまま貫き通す、という気概で行ってもらってもいいかもしれない。 空って、立場に関係がなくあるものなのだと思いますが、空を眺めていると、心がひらかれていく。 とても静かなものだと思います。セロファンって懐かしい気持ちになりました。小学校の頃、使ったりしたなあと。 とても好きなもののひとつです。手渡せるものを持ち、手渡す手筈が分かる、そんなことって大事ですよね。 多義的である、ということは、最近読んでいる文学理論の教科書(川本皓嗣/小林康夫編『文学の方法』) に影響され、少し心掛けたことなので、それが実際に効果を上げていると思って、嬉しくなりました。 ユーカラさん コメントありがとうございます。距離感が測れないのは、目が悪いからなんです。それゆえに自分が情けなく、 人に迷惑をかけているなあと。でも、今日は、野球の試合の動画を観戦して、三人の間で盛り上がりました。 つまり、野球との距離と、三人の間柄の距離を、うまくできたということです。愛するために成長する、 そんな気分は、悪くないです。清々しいというお言葉をいただき、明日まで安らかな休息をしようと思います。 (心と空の叫び)

2017-06-09

こんにちは るるりらさん コメントありがとうございます。 この詩は、現在と過去と未来に対する決算をしてみたものです。現在、認知能力回復中で、いろいろと無駄な ことを感じさせてしまったというような、人に対する危惧を、抱いています。だから、そういう人たちに対して、 申し訳がないな、と感じて、少し焦りもどかしい感じを、弁解というか、説明したいなという気持ちが強くなった ので、詩にしてみました。多くの方との交流があり、多くのことを感じながら詩を中心に、想いを現実的に 抱いてきました。るるりらさんが、自分自身に向けたのではないかと考えたのは、それゆえ、まったく当たって いますし、僕自身は、るるりらさんを筆頭として、漠然とした現在と未来の存在に対する、想いを、書いてみました。 全ての事はどうでもいいのですが、全ての事は素晴らしいのです。詩への恋と、失った恋、愛を知らぬ私故…笑。 生きていることと、詩を書くこと、そんな気持ちは、最上のものです。一つ引用をさせてください。 「幾億の星と たったひとつの月  思い出はいくつも おれの周りを回るよ」(中島らも「DONT WAKE UP」) あなたは、素晴らしいものをお持ちです。のんびりと昼寝でもしながら、 「幾千もの夜と たったひとつの朝」(中島らも 同上) 苦しみとは、付き合い方を覚えなければなりません。いろんなことと、付き合っていくこと、そうしたことのために、 詩として、世界を理解できるように。心が詩ですね。心は、どこにあるのですか。 (心と空の叫び)

2017-06-09

宣井 龍人さん こんにちは、コメントありがとうございます。 色んな人と積極的に関わっていくことで、なんとか前向きにならないと心が腐っていくような感じに思っています。 自分だけの寂しさというのは、すごく後悔になってしまいます。 メッセージを声高に出さないのは、やはり自分でも、謙虚のように仕上げたいなと思ったからだと思います。 そのように指摘されないと、自分では気づかなかったでしょうが。 総理大臣のように影響力のある人、国を動かす人が、しっかりとしていないでどうするのか、といった気持ちに なりますね。資質に欠けているとしか思えません。だから、僕も自分なりに頑張りたいです。 (心と空の叫び)

2017-07-05

端正な愛の感情に、つつましやかなお人柄が思われます。ちょうど聞き始めたいい音楽があったので、そちらに 雄弁さを託して、批評とさせていただきます。 桑名晴子 さん 河を渡ろう @ 西宮神社 https://www.youtube.com/watch?v=E80H3KSGtkY (『渡る』)

2017-06-06

borderについて書かれているのが面白いですね。個人と言うborder、今日と明日のborder。深夜から早朝にかけて、 ラーメン屋に入ったことは、僕もあるのですが、ゴキブリが壁面を伝って這いまわっているのを見て、客一同は あっけにとられて呆然としている、そんなことがありました。 不条理というほうへ話を向けて、個人の感情が爆発するにもかかわらず、みんなが何となく不幸になる。そんな、 論理だけが厳然と存在しているという不満と言うか、やり場のなさを、少しコミカルに描いておられます。 花緒さんのずっと書いてこられた詩は、こういう論理的なものの不条理という詩であると思います。 borderをクロスすることへの禁止命令というのは、恐れからくるのでしょうか。何からもたらされているのか わからないということを提示する、だけではなく、やはり、それを解決するために何を考えるか、といった ことが、課題として残っているんじゃないかな、と思いました。 いろいろと考えをめぐらして味わうに足る詩だと思いますし、ユニークですね。こういう、テーマ(比喩としての国境) を考えられている詩、少し距離感のある詩は、大勢の人に読まれるべきで、これからの詩としては、有効なアクチュアリティ を持っていると思います。 思えば、場所を規定する国境について、それを越えることに、体験としての意味を見出すということがあります。 それは、ボーダーレスな通信手段を持っているにもかかわらず、ラーメン一つで大騒動になる、という現実であり、 この詩の、言わんとしているところ、示唆しているのが、難民とか、外国とか、そういったものへの不安と 疲れであるのではないかな、と思いました。 隠れた不安を浮かび上がらせて、それを何とかしようとする意識が、感じられて、これからの時代というものを、 取り戻すためにできることは何か、そんな詩だと思いました。大変におもしろいです。 読後に、明るい光がかすかに射したように思いました。それが、文学の持つ、フィクション的な描き方をすることの、 実験的な行為の結果というものではないでしょうか。少しづつトンネルを掘っていっておられるように思います。 (DO_NOT_CROSS_THE_BORDER #2)

2017-06-10

花緒さん コメントありがとうございます。確かに、前半部分の方がよい出来だなと自分でも、思います。連に分けるのは、無理 です。何か確かな主張を作り上げることはできないので。感傷のスライドショーみたいな詩だと、思っています。 知的な読解よりも、感性的な共感の方を、重視しつつ読んでいただければ、いいだろうな、と思っています。 もちろん、僕自身にも分らなかった、何らかの批評が成り立たせられるのだ、とすれば、それは素晴らしいし、 僥倖であるのだろうな、と思います。 (good-bye my love)

2017-06-17

るるりらさん おはようございます。コメントありがとうございます。いつもご感想くださり、嬉しいです。 モビール、あんなものを作ったのは、アレクサンダー・カウダーという人だったのですね。 動きやバランスが、頭に訴えかけ、楽しむことが出来るようにする。人間も、心や頭を モビールにしていくと、難しいことが楽しくできるのかもしれない。モビールは、一種の、 救いの器具だと思います。るるりらさんの詩に向かう態度として、なんらかの特殊な現実の 物からもらう楽しさや意味を、人間の心や、情感に対して、当てはめ、共通を考える ということがあるんじゃないかと思います。厳しい世間の、あざけりや侮りを、一時は忘れ、 創造的行為の方へ没頭して、前向きに行くことを自分に誓おうじゃないか、というような、 一つの達観を、考えていらっしゃるように思います。モビールのことは忘れません。近いうちに、 買い求めてみたいと思います。とても心休まることを、教えていただきました。平和、愛、を、 具体化したのはモビール。強さや弱さが競い合い、争いあうこともない、人の間ではあざけるとも、 個人というものの中ではみな平穏が好き、モビール。生きている限り愛は、人の本性である、モビール。 個人は、自分では調和を求めるもの、ひとりひとりの人は、揺れて平衡を持っている、モビール。 (good-bye my love)

2017-06-19

まりもさん コメントありがとうございます。 刺繍のような言葉、というのは、周りのものを飾って華やかさを生む言葉といえるのかな、と思いました。 (、によって、区別をつける、というのは、考えたことがなかったのですが、良い考えだと思います。 これからの作品の中で、そうした方法を使ってみたいと思います。 >視野の端っこに映っているものも >何かを持ち上げるための踏み台としてはいけない >連続してはいない人格がその展開の場を開くのであれば >私はその建物の中でのあれこれを >人々のために正しく置きなおしてもいいと思う 自分で納得できるフレーズには、まりもさんもいい感じだと思う、と言ってもらっているようですし、 ごまかされない、ということが、今回は良く分かり、人への伝わり方、というものへの信頼を、持てるような 気がしました。空間感覚、比喩の感覚、そういったものが、大事なのですね。捉まえていきたいです。 北村灰色さん コメントありがとうございます。 夕暮れの中のような詩である、ということは、北さん、それからもう一人どなたか、も僕の詩に、言ってもらえた 覚えがあります。自分では、夕暮れのきれいさに浸った最後の記憶は、小学校5年生あたりが最後だったので、 少し意外に思いました。無意識のうちに思い出していたのかもしれない(?)です。 >事物がたゆたう こういうことが書かれていた一番印象に強い作品は、村上春樹『女のいない男たち』収録の、「シェエラザード」 です。多少の影響はあるような気がします。 >錯覚や心境 ですか。凄い、核心をずばっとおっしゃられた気がします。そういう解明は、必ず誰かの役に立つことだ、 と思うので、僕自身も、その言葉に、どこか安心感、開放感を感じます。 タイトルは、短い英語の持つ、ちんまい感が、出ていたかもしれませんね。自分でも気に入っています。 (good-bye my love)

2017-06-26

批評させていただきます。 松明を掲げよ、という呼びかける、想定上の対象は、自分:他者 が、1:1くらいに思えます。そして、他者の中身 としては、この呼びかけに同調してくれる潜在的に存在する人、同志であると思います。この詩は、目的というもの がはっきりしており、言葉による言葉のための、行為の先導だと思いました。メッセージとしてはそんな感じかな、 と思ったのですが、松明をどう作るべきか、迷信の荊を燃やすとは、具体的には、どのようなメカニズムで可能と なるのだろう、そんな、うがった見方が出来ますね。新しき言葉=松明であるとするなら、なぜ今までの言葉は それほどまでに腐ってしまっているのか、それを問い直す必要はあるはずです。意志=松明ということも言える でしょうが、すると、やはり、意志(松明)でもって「燃やす」ものが、やはり、個人個人の中の、愚かな部分、 駄目な部分、怠けた部分、であると言えるでしょうか。だいぶこの詩もわかってきました。個人が自分でせねば ならないことなのでしょうね。だいぶ、作品の意味と、m.tasakiさんの作者としての先の展開が、期待できるような 気持ちになりました。面白かったです。ありがとうございました。 (松明を掲げよ)

2017-06-18

m.tasakiさん 意味にとらわれなくてもいい詩、あると思います。上善如水、真にうまい酒は、水のようである。 この詩は、迫力があります。人を燃え立たせる印象を与えます。音楽や絵画やダンスやスポーツのように、 言葉で表せない重要な意味を、与えてくれるものはある。僕はそういったものを、なかなかつかめない 人間なのです、言われてみれば。数学者の岡潔は、情緒で数学をやる、と言ったそうです。そういうことを、 ご自分でしっかりと知っておられるのは、すごいな、と思います。これからも、細部まで捉えて、 なるべく感覚的な心を、磨いていくことをしたいな、と思いました。思いもかけない重要なことを、 考えることができました、ありがとうございます。僕なりに、本当の生き方のなかであがきつつ、 「存在」(=詩作品)というメッセージを、穏やかにまとわせている詩を書いていくだろうと思います。 僕自身の行動の一挙手一投足が、僕自身の自慢の思考を具現化したものであってはならず、個人的な 愛情を、最優先させることは、許されないでしょう。ただ、行動の、元となる、倫理ある実践こそが、 自らの原理に優先させて、自らの思考世界の本来性から発する、自他両を尊重する真の生き方と なるのではないか、そんなことを考えています。レスレスは、不要です。 (松明を掲げよ)

2017-06-19

批評させていただきます。 これはいいですね!好きです。落ち着きがあって、浸れる。展開に無理がなく、喩えのような情景描写の、 詩的感覚、言語感覚が、優しいです。また、かなりの文学的教養も持っておられると思います。最後の 終わるところの、カレンダーに語らせる方法は、意表を突かれ、斬新です。広がりの出し方がうまい。 知的楽しみと、感性的魅惑などを、先に期待されることがあると思いますが、筋がいいだけに、小さくまとまって しまわないでほしいなあと思います。 (抽象的な境界の切断)

2017-06-18

星空にある星の一つのような人間、いつも静かな温かい心だ、と思いました。なにも起こらないけどそれはまた いいことだ、というような、自分で自分を保てるような、一時であるかもしれないけども安らかな夢のような 現実、それを、描いてあるように思いました。現実に対して、どれだけのかかわり方ができるのか、現実と 理想において、心に現れる詩情を、優しく描いてあります。たくさんおつくりになれるほどに、より世界との ネットワークをはって、一部であることを、拡大するような、飲み込む夢を、描かれる可能性を、僕は感じました。 花束と折り鶴の組み合わせは、美しいです。昔作った折り鶴や、学校へ持っていった花、それらは、僕自身の 可能性に関わらず、確かに、モノとして存在していた、懐かしく思い出しました。つまり、単語というものは、 概念と実在のあいだの、どこかに位置しているわけで、概念に偏れば、イメージを離れ、実在に偏れば、 理想の思いいれがなくなってしまう、そういう危険の中に、優しく揺れているものとして、この言葉、 この詩を受け取りました。この詩においては、概念と実在が、お互いを作り上げようとして、作者がむなしく、悲しんでいると思いました。 現実の虚と実への、異議申し立てを、なされているのではないか、人のせいにしないように、物事を受け取っていった方が いいんだよ、と言っておられるように思いました。 (花束と折り鶴が少しだけ風に揺れる、ように)

2017-06-26

「アルコール何色 愛せよ何を?」 静かな視界さんもおっしゃっておられますが、ラップのような、おしゃれで、真似のできない新しさを感じました。 そして、内容もすごくいいと思います。いきなり強い語句から始まり、バーとか薬液とか出てきて、圧倒的に さらっとしたおしゃれ感に、酔わせられてしまいます。かっこいいです。 >高層ビル44階 変死体のオブジェ >一つ二つ三つ それとも1人2人3人 こういう書き方ができるって、すごいことだと思いますよ。こういう書き方も、出来るんだなあと、 脳みそをやられました。 あらゆる語句が、意味のために、緊密に連関しあっている。その、密度と、独創性は、素晴らしいなと思いました。 器の大きさと、独創性の備わった、ネット詩という風に区分けされる限りの領域で、一番先の辺りで おられる人だ、というふうに、思いました。次の作品も読みたいです。 (アルコール何色 愛せよ、何を?)

2017-07-02

緊張感のある、張り詰めた、雰囲気が保たれているのが、すごくいい点のように思います。壇上で話すことは、 人の目にさらされることになり、その時に言葉で殺してしまった。この、取り返しのつかないことを、長い年月 をかけて、やっていきながら、取り戻す方向へ向く。最後の切迫した再生へ向かって行く部分は、良い書き方 と言えるんだろうな、と思いました。やがて、心はその死から、立ち直れる、かどうか、ということなのだと思います。 聴衆の声になりかわった、神の声が、二人に届くのかな、と思いました。二人を応援したいような気持ちになりました。 (『巡礼』)

2017-07-02

優しい気持ちを詰め込んであって、哀悼の意が、感じられます。 >銭湯で走って怒られて 愛がありますね。詩というものは、こういう表現もできるものですね、僕がどこかへ行くとしても、 そのとき、そっと思いをはせられるような、良い作品だな、と思いました。 (お祖父ちゃん)

2017-07-02

こんにちは、読ませていただきました。 作品の深さに、読み尽くせていませんが、感じたことを書きます。 まず、性行為には、感情が決定的な役割を果たす、ということが、面白いと思いました。 少女の見た感情の本体を発見していくプロセスのように、読みました。 性行為にまでは、作品は想定されていないとしても、何かの破れが、感情を深化させるという ことが書かれていると、感じました。 (不可知)

2017-07-08

比喩に必然性があることが、まず特になかなかない素晴らしさだと思います。 >「紙芝居もこれでオシマイ」 時についての、何かが起こるというライトモチーフ(のちには、「ゆめからさめた」となる)として、働いて いるようなきがしました。そういう分析は、少し強引かもしれませんが。 >四時四十四分 これなども、単純すぎるほど誤りようのない、時刻の言葉ですが、実際使ってみろと言われると、難しいと思います。 そういう題で、全体を構成する芯にするというのは、実力を感じます。 >いつのまにか穴が空いたスニーカー  >唇を閉じたままのフリージア とにかく、表現力だと思います。 >そして夜が 夜が始まる この締めも、表現力がなければ成り立たせられないでしょうね。それだけではなく、何度も言うと、 必然性のある詩文。これが結構難しいことだと、僕は自分では実感させられてばかりいることです。 どんな作者も、そういうところは、悩むことだと思っていますが、そこを越えられる人もまた、少ない でしょう。 (四時四十四分)

2017-07-08

角田 寿星さん コメントありがとうございます。 >まだ失くしてない、意外にどーでもよくて、でも多分手に入らないだろう これは、わかりませんが、愛や恋や夢やなどが考えられます。 ホツレと精度、頑張っていきたいと思います。 ホツレ、そうですね、この二文を一緒にして、一言でニュアンスもまとめられるよう、考えるべきでした。 作品の精度というものは、向上させていきたいです。 口に対して、喉も唇も変わって言いうるという、案がなかったので、言われると、なるほどそうだと思いました。 沢山の良いアドバイスをもらい、批評していただき、良かったです、ありがとうございます。 貴重なお時間を割いてコメントしていただき、ありがとうございます。 (眼差しによって心が通うこと)

2017-07-10

5or6さん コメントありがとうございます。 船が、揺れる……心が揺蕩っていたということかもしれません。 コツコツと当たって飛沫がかかる……こういう心は、まだ、いけないものです。「鶴瓶の家族に乾杯」を見て 傷つくのも、同じような理由であると思います。でも、僕は、信じているのですよ、自分とその認識が、 過たない水路を静かに進んでいくような時が持てることを。そうですね、まずは感じること、大事ですね。 未熟な自分の詩に、今現在では、角田さんと5or6さんが、批評という事をしてくださっている、 このことはもう、一種の応援のように、感じてしまいます。言葉の正確性ですよね。きっと、完全なる意味を、 授受することが出来る、それは、僕にとっての大きな望みです。人間とはかくかくこうしたものなのだ、ということ を知るだけではなく、かくかくこうしたものではあるが、可塑性がある、という事を信じています。 お時間を割いていただきました。批評ありがとうございます。 (眼差しによって心が通うこと)

2017-07-10

まりもさん コメントありがとうございます。 構成がずいぶんと下手です。様々な青春の個人的体験を綴っていったと言えば、一応納得できるかもしれないのですが、 作者の身勝手な独白で、読者を困惑させてしまっていますね。本当に言いたかったことは、絵本屋を地図で調べて、 そこへ向かうことの高揚感と、目と目で無限な意味を、さっと伝え交わしてしまうあまりの鮮やかさを感じたとき の憧れ、です。やかんが出てきますが、これは、墓参りの場面なのです。都会を描くにあたって故郷の光景、 その対比が、僕の中で大きかったのです。迷わせる詩になってしまっていますが、迷わせることが、情報 の伝達として、特徴的な詩、そんなことを考えていました。できるなら、構成をもっと筆力と共になせたら いいと思います。そんな、ちょっと困惑気味にさせる、誠意の使い方がまだうまくない作者の詩という この作品は、だんだんと整理されつつあります。もっとうまい詩が、書けると思うので、一生懸命手間をかけたい と思っています。詩のあとも、心は、今正しいことを求めています、人のせいにしないという、心掛けをしています。 (眼差しによって心が通うこと)

2017-07-11

こういう、創造的な作品はとても好きです。センスが爆発していて、□を使うという試みも、成功していると 思います。なにより、言葉の響きのユニークさが一番感じられるところです。僕の記憶障害により、 内容を掴むことが難しかったのですが、レベルの高さや、知性と感性が感じられます。 (タイルの目地)

2017-07-13

株式についての知識を得られたので、良かったです。株価の変動を読むというプロセスが、詩の一部分をなしていますが、 その知識活用まで実践できることが、得な感じがして嬉しく思いました。興味を惹かれました。そして、狂気 を描くということ、その弁が、在りうる感じで、唯一の詩のありようとなっていると思います。現実も、 どこかでこんなことが、行われている?宇宙人というと、やはりジミヘンドリクス・エクスペリエンスのアルバム『Bold as Love』の冒頭を想起しました。 (RETURNING_TO_THE_SECOND_UNIVERSE)

2017-07-13

美しく穏やかな詩ですね。一つの確かな真実を書いてあると思います。僕自身では、昔の夏を思い出すのは何故 なのだろうか、と思いました。郷愁の時といった感じを思います。 (おわらない)

2017-07-13

ミズノナカニという発想が素敵です。惑星の上の家という対比が、とても幻惑的なイメージとして、みずみずしい。 出てくる人たちも、そんな環境の中で、一定の時間が過ぎ、変わっていく、でもしかし、変わらないものも、 ちゃんとある、そんなことが書かれていると思いました。 (惑星)

2017-07-13

良い作品だということを、読後十分くらい後で、認めてしまいました。家族や恋人の関係について、かなりストレートな 心情表現の言葉で綴られていくので、結構うらやましいというのが一番正確な読後感です。僕は時代に乗り遅れて、恋人も持ったことがない人間なので、まだおっきい子供みたいなものなのです。でも、現代では、恋人を持ったことがない人が半数くらいいるという話であり、別に倒錯的な価値というものも、ほぼないだろうと思います。 穏やかな詩だと思います。夜の雰囲気が強いです。レイアウトは、確かにもっと狭い方が、 良いだろうと思いました。 印象深く、自分を振り返っててしまうような詩だと思いました。 (縁)

2017-08-06

全体の連関が素晴らしい表現になっていると思います。演じることと数学との関係としては、数の完全性と幻想性(?)、 個人の不完全性と硬直性(?)といったあたりを、明快で深さのある言葉で主題を探したのを見るべきか、 あるいは日ごろの思想を展開したのかといった印象です。良作として、よく楽しめました。 (irrational)

2017-07-29

北村灰色さん コメントありがとうございます!消えていく宿命、ああ、そうですね。言われてみますと。そうですね、自分自身は消え はしないぞ、そんな気持ちを、いつも持っています。それと同時に、他人にも消えてほしくない、と思っています。 幽霊は、夏だし、こわ~い目に、楽しんで会える、そんな気分で登場してもらいました。昔の恐ろしさは、 怪談を含んだ恐ろしさ、野盗とか、山賊とかいったものがいたから夜は怖かったんでしょう、今では、戦争や 核が、恐ろしさというとまず浮かびます。現代の幽霊は、平和な国では、少し怖さも和らぐ感じです、 でも、病院の廃墟とか、怖いものもあります。とりとめもなく、すいません。ありがとうございました。 (必要)

2017-07-22

るるりらさん コメントありがとうございます。 妄想と仲良くすることはできない、本気を出し握手しようとすると消えてしまう。 悩みは幽霊のようなものである。 自分を変えること。 と、このようなご意見の文章を、お伺いしましたと思います。 僕がまず思うのは、妄想とは一部であるということです。完全な妄想はなくて、ゆがみと思い込み、理解の不完全さ、 そして感情の強制的な力。こういうものが、妄想を生むのだ。 妄想とは、仲良くできないのだ、というるるりらさんはご意見ですね。かなり鋭敏に、怖いという感覚を、妄想 に対してもっておられるようだし、ご自分の向かうべき方向を、十分に考え悩んで、そうした感覚に至っておられる と思います。直観的に僕が理解したところで、消えるものが、消えること自体に対し、戸惑いと、疑惑を感じて おられるということを思いました。たぶん、ああなりたかったということやああなるべきだったこと、喪失と 心細さを感じておられるのかもしれない。 悩みというのが恐ろしいもので、意味がなく、現実の人間世界から霊界へ行ってしまう、そうしたことに なるのだとしたら、それは大変なことです。若造の、わかっていない未熟さ、を、僕は、幽霊という別なもので 表そうとしたようです。幽霊があっちこっちに出てくる、ということ。僕は、この詩を書いたときは、 自分の中の反抗心みたいなものと、一緒に格闘していた感じです。なにか新しいもの、あまりないものにたいして 考えることで、新しい自分が発見されるんじゃないかと。幽霊を直視する事で、 幼きころ僕のそばに近くいてくれたもの=幽霊の、力を借りたかった、そんな風です。つまり、子供のころの夢という 、原点を捉えなおそうと試みました。僕は、子供のころは、 怪談話を、ずいぶんたくさん読みました。母が心配して、読むことを禁止しました。だから、幽霊とは 僕には、なくした自分の分身なのです。少し大げさですね。この世を越えた場所へのつながりを、取り持つもの として、幽霊にはきちんと向かい合っていかないとな、という感じです。 自分を変えていかれるのは、もちろんできることですよ。頭の中の考えと言うのは、もちろん変わるものですよ。 できないという凝り固まった妄想を、自らの表現的快楽、言葉の持つ力によって、瞬間をとらえるのです。 エゴなどと言うものは、魚のエサですよ。ねこじゃらしが無限にくすぐるように。こぉちょこちょこちょ、こちょっとな。 僕は、幽霊は、やっぱり、たまには見たいなあ。 (必要)

2017-07-24

まりもさん コメントありがとうございます。 神々は、ドラゴンクエストⅡの、サブタイトル「悪霊の神々」に使ってあったので、割となじみがあったのです。 といっては身もふたもないですが、愛に戦慄を込めることは、神々の業としか言いようがないと思いました。 >叡智、これは後から得るものではなく、全ての人に内在されていて、 この叡知と同じで、愛が特別なものであると思いたかったのですね。 シャボン玉のところでご批評いただいた、「防御のための兵器」という概念は重要です。たんに、憲法九条のことだけを 言っているのではなく、防御の力のないものは、結局傷ついて、倒れてしまいます。 丁寧で正しく読み取ったコメントを、ありがとうございました。 (必要)

2017-07-26

「大きな仕掛けは小さな仕掛けによって支えられている」ということを感じました。こういう詩を書くことの、 意義として、非現実的なものの浸食、ということ、自己疎外されたものが、自己を主張しないで、客観的 という形を借りた自意識の取り扱い方、ということをやっていらっしゃるのじゃないかな、と思いました。 (BACK TO THE ACID PLANET   (B-REVIEW EDITION))

2017-07-29

ライトを貫いていることが、子どもの心の描き方として良いと思います。幼い恋は、僕は後ろめたく思ってしまいますが。 夏は、何をもたらすのか、ということを感じました。遅刻というイベント(アクシデントというべきか?)が、さらに 心をドキドキさせる、親密で、時間を共有させる、そんなことがあると思います。それは、一つの、優れた筋書き として、独創的だな、と、僕の経験したことのないことだったこともあり、生きるということの多様なドラマの 一つとして読みました。 (通学路)

2017-07-29

離れていたのが近づき、性交後また離れ、妊娠によりまた近づく。そんな心のあり様かなと思いました。 この形で確かに新しい表現になっているが、一つの誠実さ、優しい心が下敷きになっている、そんな ことが好ましいと思いました。 (結婚)

2017-07-29

この詩を読んで、時間感覚について考えました。僕は、良い詩の鑑賞法は、時間をどう色づけるかということによる ものだと思っていますが、なかたつさんのこの詩は、時間を良い具合に染めてくれました。結局のところ、 メッセージを押し付けないコントロールがある点で、なかなかないような詩ですし、破たんしないように丁寧に作って おられるようで、鑑賞が美しくできました。 >人をゆるしますって。どの立場で言っているんだよ ここが、少し強い意見だと思いますが、愛憎なんだと考えると、ここを強く感じた語り手が、Coccoの立場に立って、 彼女を大切にしているような気がしました。 >雨が強くなってきた >その理由が >わかった) 自然と神と歌姫と祈りとある少女。 この詩には、地上楽園を見出そうとする切実な思いが感じられます。 全体に、構成がうまく、静謐が最後には感じるようになっていると思います。それはきっと、読者が祈りを思う ようになってほしいな、少なくとも、祈りの心だけは誰かが救いださなければならないな、というような、 控えめな語り手の世界が、静かな声だが確かな存在感として、現れていると思いました。 (Cocco/少女、の祈り)

2017-08-12

花緒さん コメントいただき、まことに、ありがとうございます。 表現が、一行で倍くらいの長さの言葉を連ねた詩を、半分くらいに縮めて作りました。その際、重要視したのは、 大事な表現のみを残して詩にする、ということです。それは、そうしないと、僕の混乱と冗長で、読者をいたずらに困惑 させることにしかならないと、気づいたからでした。 あとは、論理的な面をうまく作らないといけない、そうしないと、伝わらないということになってしまいます。研鑽 格闘のすえに、そうした副次的な効能まで得られたら、素晴らしいことだ、と僕は感じています。思想的な面で言えば、 自分の表情のコントロールができないと、日常生活さえままならないといったことになってしまいそうです。 書き言葉でも、語尾やらなんやらや、調子などに、心や気持ちなどが、見え隠れすることも多いでしょう。そういう、 しんどいと言えばしんどいと言える人間の存在は、また別の面では孤独な自己への他者の面会的な現れとして、自己を 解放し、豊かなものにするという可能性があるとも言えると思います。 そうした自己調整能力と思想といった二柱が人間を作っているものだ、と僕は考えます。詩の良いところは、 コミュニケーションに、別世界に於ける自由な戯れ、遊び、感情を動かすこと、などといったことを、実際に 持つことが出来るという事ではないだろうか、と思います。決して、他者の詩よりも上に行くことの 優越感などといったことを目指してはいけないし、そうしたことを考えることが、詩を駄目にするのだという ことも、明らかではありませんか。少し興味を持って調べてみたのですが、「体罰」「懲戒」「罰」などと いったことが、教育、しつけにおいて行われる、といった社会構成について、まともに考えたことはなかったのです。 そうしたことの存在から目をそらしていたら、やはり現代での感覚としては、鈍いものに自分がなってしまう、 問題の所在も、分からなくなってしまうと思います。 そうしたことを、考えることは、詩と関わっていく上で、作品を作る過程、鑑賞する過程などと共に、自己教育 として、重要な趣味の大きな醍醐味であると考えます。実践することで得られるものがたくさんあるということ。 もちろんそれは詩に限らず、言語や思考に関係のあることについてはその他にも多く当てはまる事柄がある ということは確かでしょうが、「読めるけど、読めない」というご批評を受け、良い手ごたえを感じています。 (不在)

2017-08-03

ハァモニィベルさん コメントありがとうございます。 今日は朝から、目覚まし時計を捨てた捨てないと親と口論になって、大変に厳しい気持ちでいたところに、 この詩への返信があり、それを読み、自分を落ち着けて、冷静になることが出来ました。心のスケッチには、 こういうことも、起こるみたいです。そういうエピソードが、僕には本質的であり、結局のところ、 自分が試される、自分の記憶との向き合い方、許すということが、いかにして可能となるか、そういった ことを感じつつ、返信を書いていることになったというところです。 >この作者の本質は、じぶんの《心》を《それ》と置き換えることができること 精神分析学を抜きにこの批評を考えることなど出来るはずもなく、僕の曖昧な知識で《それ》と《心》についての 考えを、実行してみました。《心》と《それ》が行き来するという事、これは、ブレンターノやフッサールの 「志向性」という考えにも、明らかに符合する考え方だと思います。 >「私は心臓の部分を叩きつける」 >「あなたが唇を軽く噛みなおす美しさ」 表現として、取り上げてくださったこと、嬉しかったです。 一言、「あなた」の不在には、言葉にならない、感情的な心を貫く圧倒的な力で、頭を悩まされ、心を揺り動かされ 続けています。僕が、それを代償することは、出来るのかどうかということ、誰しも、そういった、「志向性」 というのか、「傾向」みたいなものに、動揺させられているでしょう。 まりもさん コメントありがとうございます。 >〈あなた〉という幻想から離れたから、雪が降るのか これは、やってきては離れ、離れてはまたやってくる、一つの自然現象(雪)にまで至ってしまったような「不在」の影響力 の大きさ、ということです。雪とは冷たいもの、白いもの、という言葉で言い表されるものである、と言えると思い ます。 すると、「不在」というのは、雪の様に熱を冷ましていく、そんなものでもあったのだということであって、強く 感覚的な面でも、《それ》として、投影することが出来るでしょう。この時問題となるのは、投影できるもので あることは、現実的にある、と認めたうえで、いったい僕はどこにそれを投影しているのか、ということです。 また、投影することのできる光を、僕は自分で作っているのか、あるいは、どこかから光が射してきているのか、 ということです。言いかえれば、投影するということは、映画の映像のようなものが本質的であり、常に事後的に 見るしかない、つまり、あらかじめイメージを予想・想像するといった様式はおかしいということがあるのだと思います。常に後追いの戯れ。 というわけで、自己の不在が、他者(主に「あなた」)の不在(という関係性)として引き継がれ、やがては 一般性の中に紛れ込んでいってしまうであろう悲しさ、というような、感傷的な気分で、今はあるような気がします。 僕は、予知夢は一回も見たことがないのです。予知夢を見たとき、どんな気持ちがするんでしょう。 田中修子さん コメントありがとうございます。 そういわれてみると、自分にはレトリックの心掛けがあまりないな、ということに気づかされます。読者に対する 予測、あるいは心遣いといったことを、念頭に置いて表現を置き換える余地の可能性を、考えていかねば なりません。「善いか悪いか」ということを考える苦しさ、これは、やや戯画的なまでに、余裕のない、僕自身の問題です。 (不在)

2017-08-04

クヮン・アイ・ユウさん おはようございます。コメントありがとうございます。 怒りと不安が負の感情で、喜びと悲しみが正の感情であると、僕は思ってきました。 死にかけたとき、負の感情が生まれ、生命を「感じた」ならば、生の感情がやってくる。 そういう風に考えています。 前者においては、不和、喧嘩、だまし合いなど、後者は通じ合い、気づきの関係、などといった ものが、感情を与える関係として、考えられます。それを離れた関係は、まだ理想さえ示していない。 人間でないものは自己もないのですが、自己がないものも人間ではなくなる。人間でなくなるという恐怖 の状態では、やはりおかしなことを、理解しようとするはずです。 断続的な努力と諦めの移り変わり、落胆に、恨めしい気持ちを自分の中で自分の立場として、転倒した形で 持ち続け、甘え続ける。人間ではないものとなってしまった人を攻撃すること、が一般的なのは、教育に力が用いられて きたからでしょう。評価という価値に照らし合わせ、否定することは簡単でしょう。恨みを晴らすというような、 一つの心の働きを、否定しがたく。自己と自己が、ぶつかって、やり返すことは普通にあります。 人と人が、顔を突き合わすことには、機微の経験という意味があるでしょう。文章の形で示す情報交換には、 論理の鑑賞という利点があるでしょう。 食欲もなく、疲れてばかり、ふらふらであった自分と、「自分の世界」と言うものに対する絶望。 取り戻し方を、興味や共感を持ってみていただけたらいいな、と思います。そして、詩として 美しいものになっているかどうかが、やはり気になるところです。そして、上の方でも言ったように、 実践行為全体を良く味わう事を、僕はしようとしています。 「作る」こと、力のある言葉、真っ直ぐで誠実な自分、褒めていただき、嬉しいです。 分析と総合の両方に気をつけながら、自分なりに意味を、全体として生きて、精髄がある、詩と言うものを軸に、 理解と発見に努めて行けたらと思っています。 (不在)

2017-08-04

竜野欠伸さん コメントありがとうございます。 自分で読んでも初めから終わりまで、詩の中で時間が進むにつれて、明るくなっていくような感じがあるのですが、 最後の呼びかけ、 >人に笑われる人格から >変わったよ という部分で、自分の変化、成長を確かにあるのだ、と思いたかったということがあります。 「滑稽」ということ、指示対象性と自己身体性では、相手を笑うときの対象が指示対象性で、 笑われるのが自己身体性ということかな、と考えました。身体的に自分で獲得している笑いについて、 それが当てはまる対象を探し、笑いを実行する、という感じでしょうか。しかし、笑いはやっぱりアナーキーなもの で(感情がはじけ、何を考えてもいない精神状態になる)、だから、笑われた経験が、笑いについて理解するために と、前向きに考えることもできます。竜野さんがされた身体と対象というとらえ方は、新鮮に感じます。 身体の回復、笑いの回復。対象を意味づけるのなら、自分が身体を持っていないといけない。このことは、現実 の会合などでは、実に鋭敏に厳密に、分からないと、すごくまずいことになります。生きることが大変になって しまったら、少しづつしか駄目ですね。僕に、学習能力が備わっていることを、祈りたいです。 ラストシーンのまとめをほめていただき、嬉しいです。竜野さんは理想を目指されているようであるように思います。 僕の身体の中を探った時、それと一致した状態が竜野さんという指示対象にも見つけました。どんなことを見つけたの かというと、いつかの気持ちを、忘れられずにいて、それを門をたたく力として使った、という行動について、です。 もちろん、詩を作り始めた人は、みんなそうだ、と思わずにはいられませんが。 (不在)

2017-08-04

竜野欠伸さん みそ汁は、味の素を使わずに、煮干しでだしを取るとうまいですよ。 >「笑い」とは所作である これには納得です。体を動かすことが、共感を呼び、笑いになる。非常に説得力のある意見です。 一方で、笑いは差別であるということを聞いたこともあります。 中島らもの、『何がおかしい』という本のなかで、 「笑いには三つの系統がある。①「あほ」系統②精神障碍者差別系統③身体障碍者差別系統の三つである。」 とあります。引用から、笑いは、その構造は、差別であるということがみて取れます。 同書の中で、「マルセル・パニョルという作家曰く、「笑いとは優者の劣者に対する優越的感情の爆発である」これは 一言で言えば「差別」ということになる。」ということも書かれています。 中島らもは証明したわけではないので、やや強引であると思いますが、しかし、実際生きていて、優劣を気にする ということが、たくさんあります。勝ち負けもあり、いじめもあり、喧嘩もあり、でも、知恵を出せば、 経験を積めば、それらを極限まで行かないように、はぐらかすこともできると思います。それは、もちろん自分の ためであり、自分を敵とみなされた場合に、それを逃れるためにする、防御と攻撃を兼ね備えた戦術です。 >恥ずかしがり屋の与太郎(落語の登場人物)の連れみたいな こういう笑いは、最高ですね。とてもセンスがいいと思います。 (不在)

2017-08-05

ハァモニィベルさん 再レスありがとうございます。不在が心の中に存在する、というのは、なかなか直観的なもの言いです。 かなり鋭くないと、理解できない言い方ですね。ぱっと言語化できるのは、直観が鋭く、参照する知識があって、 世界観も多様に見てきたというようなことを、想像させられます。ありがとうございました。 まりもさん 再レスありがとうございます。 ラカンは読んだことがありません。ユングも読んだことなく、フロイトは少し読みました。アドラーも、 『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』読みました。 不在によって、つよく思い起こさせられ、心が千々に乱れます。「不在」という題は、本文を書いてから、 一番後につけたので、テーマにしたかったというか、書いていたらそんな風に出来上がった、という感じです。 美化も甚だしく、女神のように思っているので、なんとなく見守られているという意識をもって書きました。 レスを書いているうちに、大分自分の詩作に、どんな意味があったのかという事を、つかめてきました。 コメントをくれた方々のおかげです。まりもさんは色々と気を配ってくださっているようです、皆さん頑張って おられますね、僕もコメントと詩で、少しなりとも貢献したいと思っています。ありがとうございました。 (不在)

2017-08-06

るるりらさん コメントありがとうございます。 >自分と違う温度を持っている雪は、他者との出会いに似ているとも思いました。 >冷たいと感じ悲しい思いになると同時に 嬉しい。 詩的な想像力と表現、さすがに素晴らしいですね。 自分と違う温度、他者との出会い、そうしたことを雪に見るのは、幻視と言うものだと思いました。 悲しさと嬉しさは、一緒にやってくると、もの悲しくなります。 人に笑われる人格のままで、やっていけるとしたら、僕よりもずいぶん我慢強く、感謝の念を忘れない、立派な 人なんじゃないかと思います。僕は、純粋さの悪い面を、見つめ続けています。笑われるのが、嫌だと、思ってしまう 自分、たぶん、子供なんだと思います。 題名の「不在」は、一人でもやっていかなければならない自分、臆病で慢心した自分を、普通に皆抱えている というような気持ちを、表せたと思います。 荒野で夕日と二人だけ、みたいな、情感を、なぜか今日の時点では、感じます。イメージのユニークさは、 るるりらさんが一番うまいと思いますから、そんなことを、いつも学ばせていただいています。 泣き笑い、そんなことが、あるのだと、僕は、納得しなければならないようです。 ありがとうございました。 (不在)

2017-08-07

なかたつさん コメントありがとうございます。 「傷跡」については、色んな他人から、ゴミ箱にされたというようなことがあり、それに対して立ち向かわなかったので、 心の中にそうした良いように使われた記憶ばかりがあって、そこからまだ逃れられないというような、傷です。徒党 を組むと、どんなにおかしなことでも、お互いに目くばせしあって実行できるものであり、どんなおかしなことでも、 色んな理由を作り上げて、実質という論理で、滅茶苦茶にするものである、と僕は思っています。形式と実質の 手綱を操る他人に、負けてしまったということで、これからもそういうことは、起こりうることだし、僕が実質を いかにして自己によって主張し、いかなる形式が適当であり、形式遵守の意味を、社交的にうまく使っていかなければ ならないか、そういう考えの絡まりによって、こういう傷が、残ったというように、僕は思います。 「幻想的な攻撃」というのは、過去にあった争いの記憶を、呼び覚ましたとき、せめて戦いではあったと、なにがしか の理解をしようとして、芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」みたいな、ことだったと思えるようになりたいな、という 気持ちで使いました。 >自身は覚悟の瞳を持っているのですが、周りは陰鬱な眼を持っており 見る存在であることと、見られる存在であること、これが一致しないと、通じ合うことはできない、そんなことを、 ずっと望んできた気がします。果たしてどんなことをすれば、それが達成されるのか、あるいは簡単なことなのか。 嬉しさはですね、冷たさを感じることが出来る自分、ということが嬉しかったんです。自分の感覚が、心を裏切らない ということが感じられたから。 >レッテル張りをされた自身の生き方を自身の思いによって変えること このあたりは、良く言ってくださったという感じです。失くした自分が、過去にとらわれずなんとかしたい、という 気持ちです。 僕は、年齢に比して常識を知らず、言葉もうまく使えないので、何やら何をするにもずれたことしかできないという 良く分からない状態で、一日に一つくらいは、普通の会話ができるようになりたいとは思っています。それが本当に 大事なことなのか、ということを思い、心は動揺してばかりですが、色々とやっていけばいいんだと思います。 また、「あなた」との決別という事では、やはり延々と勝手に気持ちを持っている限りは、色んな人が、むかつく らしく、また迷惑であるということを、「あなた」も思うのかもしれない、思わないかもしれない、と感じまして、 いい加減に決別しないといけない、ということを、感じたり、感じなかったりしながら、色々と日々を過ごしている 感じです。 丁寧に読んで批評くださり、ありがとうございました。 (不在)

2017-08-12

二行ずつの対比文が進行していきますが、言葉の選択が、ち密なリズムを作り上げ、意味自体を美しく 作り上げていくため、その文章が真であるとして、受け取りやすいです。 >私も 僕も 恋をしていく ここなどは、実に思いがけない新しさで息を吹き込まれた言葉であるように思いました。 全体的に、やっておられることが新鮮で、非常におもしろさを含んだ詩作だと思います。 あと、やっぱり、題名がすごい。「夜明けの晩に」というと、かごめかごめの童謡ですよね。 それをひろってくるのは、大変に視野の広さがある気がします。 この作は面白いと、思いました。 (夜明けの晩に)

2017-08-05

ラブたん、つまり愛しかない。他に何もない。環境も自然も、他者も(これは普通なことか)、夢も、 味わうための時間さえもない(というか壊したい)。 この詩にも、他の花緒さんの詩にも、感じるのは、どの詩も、表と裏があるはずの作者の、表しか見えない。 裏を表現できない、あるいはしない、という特徴があるように思います。逆に言えば、そういうものを表現 できれば、きっともっと面白いでしょう。なぜこの詩はこうしたオチになるのかと考えると、つまり表現 の機会や手段を持てなかったという、後悔がこうした詩を書かせるのではないか。つまり、凡庸でない作品の 手前のところでいろいろやっていて、凡庸の向こうを透視することができないのではないか。狙いが、あるのか ないのか、「大事なセリフを 吹き飛ばされて」(中島らも「お前の匂いのする街で」|『あの娘は石ころ』所収) みたいな風に、瞬間への視線の重要さが、もっと持たれるべきかと。 (「便所の落書き」としてのクリエイティブ・ライティング)

2017-08-13

>まるで眩しい >日射しにあふれる >にぎやかな目覚めのときみたいに こういう詩句のポエジーは、竜野欠伸さんのポエジーであり、特徴でもあるはずです。 >⑧誰しもの女神:全世界の子供たちのつながり 全世界の子供たちがつながっている、そんなことは、どうやって発想するのだろう。 >瑠璃色の夜空には >綺麗な彩りをした波紋ですら >しっとりと映っていたのです これはオーロラでしょう。 毎夜、空では神話の生き物が半日の間ずっと、様々な営みを続けている、そんなことに気づかされました。 では、それはきっと、とても自由な想像力を、働かせているという作者が表れているんでしょう。 そして、軍事的な世界、が、時の歴史の中におかれたとき、そういうことへの関心と思考を、働かせなければ どうしようもない、そんな、民主主義の、平和主義の、良いところ、それを、世界の子供たちがつながるという、 現代ではどこかに拡散しているであろう、もはやシンボルのない普遍性の理想が、描かれているのだと思いました。 正確な言葉の使い方、つまり言葉を使うのに誇張や恣意性がないという特徴を感じました。 この作品は、素晴らしいと思います。プロの詩アンソロジー、例えば、 管啓次郎・野崎歓編『ろうそくの炎がささやく言葉』に載っていてもおかしくないな、と僕は感じました。 (白夜の終わり)

2017-08-13

この詩はいいですね。とても繊細だと思います。kaz.さんの批評を読んでいると、ちょっと抜けてる(失礼)ところが あるような気がするんですが、この詩は、言葉と映像の結び付け方という点で、ほかにないような詩、新しいと思い ました。kaz.さんの詩は、僕には、とても長くて、奇抜でといった感想を持つ程度で、あまりしっかりとは読んで 来なかったのですが、真摯な方で、まだかなり若い方なんだと思うと、これから大きな可能性を持っていらっしゃる だろうな、と思います(もちろん比較的の話で、僕だって老境ではないんですが)。僕がこの詩に思い浮かべたのは、砂漠の中、 爆撃に怯える人々だったのですが、それで合っているでしょうか。光の描き方が、素晴らしいと思います。 僕は、最近、絵画を鑑賞し始めたので、kaz.さんがお好きな画家とかいれば、教えてください。まだほんの少し 見ただけなので、どれがいいとかしっかりとはしていませんが、僕はゴーギャン、セザンヌ、村山槐多とかが好きです。 とにかく、この詩には結構感動しました。 先行き明るい方へ、色んなものが変わっていっている気がします。それは錯覚ではなく、何かの超越的存在、 超能力が、美しくも心地よくも、収支がとんとんになるように、働きかけている気がします。 (黙すること)

2017-08-18

美しい詩ですね。細やかな思考を感じさせるようで、そこには天性の才能が見えるような気がしました。 逆に、大雑把なことは、特に褒められることもないものですが、強いて言えば息が長いというのが褒めに 近いかもしれない。細やかさ-息の長さ、対比させて探っていかれるのも、良いんじゃないかな、と思いました。 (私が鈴虫だったころ)

2017-08-18

心にガッツをもらえるような気がしました。運動会では、靴派と裸足派がいました。僕も一回くらいは裸足で 走ったような気がします。スピードと感触と気持ちが、全て溶けあって、燃えるような気持ちになり、とても 良い気持ちになりました。 (野を駆ける)

2017-08-18

まりもさん コメントありがとうございます。心の中で、いろいろ遊んでみると、価値がある。言わずもがなをあえて言うのが スタイル。表面だけでは子供のまま。かっこいい生き方をしたい、いやむしろ、楽な生き方をしたい。 このようなことを思いながら書きました。他人を意識することも、取り分けて言う必要もなく、大事ですが。 (嬉しい荷物)

2017-08-28

花緒さん コメントいただき、ありがとうございます。 自分の物語を作ってみました。詩の作り方としては、とりわけチャレンジしたような理論はないのですが、 それでも、書いているとなんとなく筆は進んでいきます。だから、今は、少し詩学について勉強をしようと 思っています。それは、力になるはずなので。自由に描いていけるはずなのにできない、これは僕には 課題として残っています。ハッピーな詩、と読んでいただけて、とてもうれしかったです。 (嬉しい荷物)

2017-08-29

三浦果実さん、コメントありがとうございます。 『沈黙』、小説を読んだことがあります。風邪で学校を休んだ日にでした。 >自分が幸か不幸かなんて、自分で決めてる幻想でしかないんじゃないの? 幸か不幸かと悩むことは、実質を欠いているのだし、自分で決めて良くなることでもないのだ、 ということでしょうか。 疑問に思ったのは、棄教、転ぶ、退転といったものを、救う視点は、人にはなく、神様はやはりそういう人も、 見捨てないのだろうということです。そのことについては、他者が棄教者を打ち砕くのが信仰者のあり方である、 といったような、人間の有限な能力が、そうした現実への表れとして出てきているものだろう、と。 「自我は憎むべきものである」という自己否定が、近代的自我にはあったそうですが、おそらく、自我の存在が ある限り、神への信仰とは別のものが生まれてしまうのである、と言う風に、僕などは幼稚なままでそういう風に 理解してしまいます。僕の考えなどタンポポの種の様に軽いものなので、吹けば飛んでしまうもので、宗教 からもお断り、と言われそうです。まあ多くの人は、神のために生きるということを、考えずに済ましている 時代と場所であるでしょう。 話がずれました。 >そして私の中にもある信仰と赦し >つまるところ十分に頼ることが出来るような意志の構造 この部分について感想を言ってくださったのですね。 自分に頼れれば、信仰も自家用にできる。そんな自我もあっていいし、それがぴったりくる人もいるかもしれない。 そんな気持ちを持っていました。こんなにまじめに感想をいただけて、とてもうれしかったです。 まだ言いたいことは多くあるのですが、上手く言葉にできないのでこの辺で。 (嬉しい荷物)

2017-08-30

こんにちは。りさん。コメントありがとうございます。 叫びを聞きとっていただき、うれしく思いました。この詩はこれからということを、考えながら作っていたから、 序章になったのだと、思いますが、前向きばかりの詩も、後ろ向きばかりの詩も、自分の中ではどちらかに100パーセント 偏ることも、現実にはないのでしょう。だから、色々なことが渦巻いているということから、閉じてしまわない詩 ということも、多少大切ではあるのだと思います。 愛するということが出来ないのは、愚か(何かを言っても考えても、当たらない)ということと、関係があるので しょうが、愛を知って、愚かではないことを考えるようになる、ということを、僕は基本的には考えています。 そういうことについて、人により多様なスタイルが存在していますが、そういうことについては、わからないということも、諦めず愚かを改善していける ように、しなければ、と思います。正しいことを考え、言えるようになりたいな、と思っています。 ありがとうございました。 (戸惑い)

2017-09-05

まりもさん コメントありがとうございます。ずいぶんと、返信が遅くなり、すみません。 良いと思われた箇所をあげてくださりました。僕もそれらの箇所がかなり自分でも好きなのです。 饒舌すぎるのではなく、美しかったり、必然性があったりするような言葉を、好んでいまして、自分でも書けていたら いいな、と思っていたので、この詩においては、まりもさんに選んでいただいた箇所は、ある程度評価は持って いただけたことであると、いうことでしょうか。 凝縮、これについては、あまり意図してやってこなかったので、難しいのですが、インパクトというような、 かっこいい詩も、書けるといいなと思います。また、それにかぎらず、様々な作風を身につけるようにして、 詩を書いていけたらいいな、そうしたほうが楽しいなという風に思っています。楽しい詩、ということを、 自分に心がけたいのです。悲しい本を、あまり読まないようにしているのも関係があります。 今はそういうことを思うような、現実の過ごし方です。 精神的な余裕とは、詩に対するときの精神状態も、わりとリラックスできるというか。長い本を読むのには、 やはり余裕があった方がいいと思います。新しい詩を生み出すためには、やはり余裕があるといい。 ネットで尊敬する詩人は、何人かいますが、その方々は、今はあまり余裕をなくしている方が多いのですが、 僕に余裕が生まれたように、それらの方々にも余裕が出来たらいいな、と思います。余裕と詩の関係の話 に、いつのまにか、なってしまいました。今現在明けていく空には、太陽がだんだんと上ってこようとしていますが、 明けていくb-review掲示板にも、新しい詩がいくつも上ってきますね。美しいイメージを、思い浮かべています。 イメージが詩においていかに重要か、イメージが人生においていかに重要か、イメージが愛において、いかにその愛を、 苦難の中にも人の間につなげる作用を持つものなのか、限りない喜びとして、そんなことを大事にしていきたい、 やり直すことのできるところまで、やっとやってきた感じがします。 横道にそれてごめんなさい。今日という日が、病から抜け出たような記念の日のように思ったので、 この時刻、美しいb-reviewのトップページ、詩作品の並んでいるさま、という環境、状況それらについて話せるのなら、 と思いまして。偶然の機会としても、とてもうれしかったです。ありがとうございました。 (戸惑い)

2017-09-19

るるりらさん こんにちは。コメントありがとうございます。「感情は少し遅れてやってくる」、感情は、自らの味方が来たのを知らせもすれば、 敵への備えをせよというふうにいうこともあるでしょう。人の感情には美しいところがあり、ドラマには欠かせないものです。 追体験ができるように、読者の応援を待つくせのある人もいれば、失うことの恐ろしさに、泣いてしまう人もいる。 嫌な気持ちを心にしまって、詩に表わされた、強い自我や、弱い本音を思いながら過ごすのは得策です。 僕の詩に、 >そんな人に この詩は そっと寄り添い。大丈夫だよ。と、いってくれてくれています。 という感想を持っていただいたので、誇らしくうれしく思い、共感の一番いいところが、言葉の形で関われたので、 そんな気持ちを大切にしたいな、と、心の中にしまった思いでレスレスをしました。 酸素不足で苦しんできて余裕もなく、崖の上の孤独を一度も持てない。結果だけがあり、こころもと(心臓のまわり)がない。 そういえば、手塚治虫の漫画で、『どろろ』というのを少し読んだ覚えがあるのですが、どこかで手に入れて 読んでみたいな、と思いました。 船頭さんの出てくる詩を、どこかで読んだ気がしますが、渡らせてもらってありがとう、と言いたいのです。 辺りを見渡せばナンテンの木が植わっています。疑いを晴らしたとき様々な力が、順序良く並び、 とぼけた顔であっちこっちを向いています。この顔はきっと、昔から僕が見てきたものなのであり、 僕なりの愛情の感情を象徴したものです。呪いの歌の聞こえない場所からは、見えざる手が伸びてきて、 その主が僕を楽しませたいと笑っています。過去の話では追いつけない呪いということ。追いついて満足するという こと。人のあざけり笑いには心の奥底に隠された照れがあったということ。美しい言葉が言えるように なりたいのは誰なのでしょう。きっと僕は今日も食事をするでしょう。 (戸惑い)

2017-09-19

三浦果実さん コメントありがとうございます。 生きることについての自問自答、その通りですね。一体どうなってるんだ、といいたくなる現実のあり様、 現実に(精神病世界から)帰って来れて思うのは、誰もが普通の人間で、別に(世間では)憎み合っていたりするわけ ではない、ということです。負けから生まれる物語は、常に更新していかないといけない。そのためには、 何が不幸の原因であるか、探し回らなければならない。三浦さんの核にあるものは、おそらく不幸な人への関心 と、それと同時にある共感、だというふうに思えます。そのユニークさは詩にも物語にもなる。そして、僕自身はというと、 特に応援している野球の球団もない、たんぱくさが一番自然かな、と思えるのです。「変わる」という題は、 自分の深い恨みを思い返すまい、という気持ちから付けました。何事も、自分で作り出さねば意味がない。 そして、形を支える人々の美しさをよく感じます。「なぜ」という負けた原因を問う問いに、答えがなくても、 それは答えがなくてもやっていけるんだよ、と思うしかない。少なくとも自分の心の真実の中では。しばらくの間の神の せいにしたりして。 負けしかなかった過去の生を振り返ると、そんな感慨がわいてきます。 負けん気の強い子供時代の延長が、反骨精神として残る。あとは、実現できるやり方があるかどうかですね。 なぜ、と問うてしまうのは、現在が不幸だからなんですね。不幸の理由を探し求める(改善したいから)。 ペナントレースを戦いぬく意志がなければ、まず舞台に立つこと自体が出来ない。人生においては、ということ です。詩はまた少し変わってきますが。現状は詩もペナントレースのように、なっている気がします。 そこのあたり、B-REVIEWの底力と、革新性で、どう決めていくべきか、ということを、されていけるだろうか、 というふうに、僕は思います。 (変わる)

2017-09-28

まりもさん コメントありがとうございます。 目に見えない心の働きが、詩の形を(たぶんずっとわかりやすく)整えるのだ、ということがあるとおっしゃって おられると思うのですが、読者の心を想像することが出来ないもので、自分の中で通用する論理で、詩を書いて います。昔はもっと素朴なのを書いていたのですが、自分が今現在こだわっていること、落ち込んでしまっている ことには、自分のもやもやを突き抜けたいという思いがあります。 トートロジー的なことば、たとえば >障害ないことが自由にいきわたる >思うたび情けなく思った >私の全体を捉える人は一人もいないのだ 等々……、があるのは、文章の意味を確定させるのは何なのだろうか、という疑問につかまえられてしまっている からだと思っています。自然状態が回復されれば、それらの問いは簡単なのでしょうが、なかなか文章にこだわる ようなセオリーは、できておらず、完成された作品というよりは、破れ破れの呻きのようにも、なってしまって いるように思っています。もちろん読者を考慮しないわけではなく、ちゃんと普通にも工夫しなければならない のですが、ハエの動きを目で追えないような不自由さでは、やたらに意味を追い続けて終わりもないといった 状態になってしまっているようです。もう少しちゃんとしたいのと、何かの新しさを生み出したいのと、 考えています。そういった思考圏内に対しても、まりもさんはちゃんと想像してくださっているので、 やはり優れた方だなと思います。いつもコメントありがとうございます、励みになります。 (変わる)

2017-09-29

北村灰色さん コメントありがとうございます。 自己理解と他者理解、言葉を通じたところの理解、人間理解を考えながら書いていますが、それがうまくいく場合と いかない場合があります。オルタナティブ、もう一つのロック、といような、ものになっているとすれば、 とてもうれしいです。僕は、正しい表現を心がけることは、金科玉条にしており、正しくないアジテーションは、 正しくとらえようとしなければならないと思っています。要は、アイディア勝負を心がけているというか。 人生で知ったことなど、書ければいいのですが、やはり一流の方々は強固な自我を持っていると思えます。 それで、僕の書くべきことは、言葉が生きているということなのだと思います。そのような目標を立てると、 空虚を排し、割と楽に詩が書けるような気がします。気がするだけかもしれませんが。 (変わる)

2017-09-29

深尾貞一郎さん コメントありがとうございます。人が星であるというのは、人と星が同じようなものだと、比喩にしたものです。 そういう比喩をすれば、何かの感覚に訴えられるだろうと思って。実際、好悪を離れることくらいのことを、 詩で表していきたいと、思うものでした。自分にはそれほど意味はありません。意味がないところで、泣いたり 笑ったりできるというのは、いったいどんな意味があるのか。どんな意味もなく、どんな意味もある。 星が積極的に人間に働きかけて変えようなんてことを思うことはあり得ないものですから、そういった意味では、 何を見るかが大切であると思います。 パスピエの『スーパーカー』を聞きました。夢の話であり、現実の話だと思いました。ありがとうございました。 (変わる)

2017-10-03

花緒さん コメントいただき、とてもうれしいです。ありがとうございます。 最近は、作品として纏めることに積極性を感じず、粗く文章を提示するほうが自分らしいと思って、 作っていたのです。もちろん、紋切り型が散見されるようでは、創造作品としては、失格ですね。 ですが、詩情がある、と思っていただけたのは、やはり、良かった、と思いました。最後のところで、まだ 評価する人もいるのかもしれない、とフォローを入れてくださった、お気遣いに、感謝します。 ありがとうございました。 (良く考える)

2017-10-31

森田拓也さん コメントありがとうございます。 大切に読むということは、いつでもできることではないと思うので、そのようにしていただく感謝をお伝えいたします。私は、詩の中に、喜びを見つけようと探しているようです。それが見つかるときもあります。 人間存在は、テーマとしては大枠過ぎて、意味不明になりそうですね。気をつけながら書いていました。 五連は、一か所も他の作品からの着想を借りずに書き切ったところなので、一番生き生きと書けているのではないかと思います。 詩を書いていながら思うのですが、うねりが現実を動かすとき、詩の力が必要となるでしょう。世界を捉えることが、詩的感覚、詩作行為によって、可能となる。つまり、激動の時代の方が、良く詩が書ける。 ゲーテなどが、そうしたことに当てはまる例だと思いますが。 いつも元気でいてくださいね。後ろ向きな鬱鬱状態も含めて、全体としてはプラスへと向かうように。森田さんの現在におけるような詩情が、その方を向いているような気がします。 (良く考える)

2017-11-01

まりもさん コメントありがとうございます。 たぶん、作品から受け取れるのとは、僕は違った人間であると思っています。それは、体調の変化が 大きいからです。しっかりとしていないからです。僕自身が僕自身の特徴を把握できていないのです。 「呼びかけ」の甘さが、自分に対して、うしろめたく、また悲しく思えてきました。 >あらゆる人ははきっと答えを与えられている/それを発見していくのだ この、答えについての観点に至る経緯としては、人から感じたことでは、ありません。『オイディプス王』や、 数学における発見から、教わって、こうした言葉になっているようです。まりもさんは各個人が 発見した瞬間の喜びを持つところを想像しておられます。そういったものを、ポエジーの一種であるとして 解釈されていると思います。やはり、詩人の言葉はこういう風になった、とてもさわやかに感じます。 理想を言葉にすること、僕の現在の嗜好はそんな感じのようです。 (良く考える)

2017-11-02

こんにちは、るるりらさん。 コメントいただき、ありがとうございます。 風や水や土の移ろいを感じられたら、何と美しいことでしょうか。人に対することも、自然に対することも、 実はともに同じ価値があり、優劣をつけられないと思います。ただ厳然として優先をつける理由は、 損なわれたら戻らない、その度合いなのだと思います。語るということは、優しさですね。 人をほめることは、語ることによってもできるのです。僕は、語ることで、何かを 知ろうとします。たくさんの言葉を詩にできないのですが、大事でないことを詩にすることは、 ないものだと思います。沈黙と語りですね。 僕は、一つの疑念が頭をよぎったら、そのことを実際に取り入れ考えることで、安楽な気持ちで、 ふんふんと物事を渡ります。みんなが、失敗してきたといっても、意見に意固地になることが、悪いことです。 苦しみへ思い遣ること、社会は、恐ろしく複雑です。人の手に負えるのでしょうか。 知りえるのは自分のことであり、顕れた自分は、人にも知り得る。他人に関わろうとしすぎて、徒労 に終わる、そんなこともあるでしょう。そこから学ぶのは、自己自身の偏りと思い込みです。私たちは 自然から生まれた。自然のあり様は、このように雄大である。それを内に含んでいるはずの生命が、 自然破壊を行ってきたために、自分で罰を呼び寄せているのだと。やや一面的な考えですが。 他方、自然を受け継いでいるなんていうことも思います。 変えねばならぬと思うのは、できることばかりです。やり方を、取得することができることばかりです。 良く考えるということを、実践するとき、そのやり方をどこかで得なければならないのでしょう。 直接は「ピタッ」という感じで、直截は「バッサリ」という感じだと思います。 ありがとうございました。 (良く考える)

2017-11-13

※あれ、なぜかコメントしたのに消えてしまった。アガったというのに。 再度書き込みます。 描くことによって苦しみから抜け出たい。そして、人とのかかわりに何かの意味を集約している。 それはメッセージなのか。なぜ人の事が中心的に述べられているのか。と考えると、自分というもの を理解したい、おそらくは甚だしい苦痛をどうにかするには、なにかの鍵が必要なのかもしれない ということか。おそらく独自性を表現するという行為に、何かを賭ける、それも、甚だしい必要性で。 それは万人の持つ表現欲求、だがそれに加え、世界へ手を伸ばそうとし、じつにじっくりと もがいている。 淡い水彩の痕跡のような、美しさ。心が変わることを願う、今までの世界を上書きして変えていこうというのであろうか。 もっといろんな本心、意見、気持ちを聞いてみたいような気もします。この詩の前と後みたいなことを。 詩作品の鑑賞には、詩というものの、成り立ちの共通を、明かしていくような種類の批評が当然あって 良いと思います。 (六枚つづきの世界)

2017-11-01

※上の不具合、自己解決しました。ログインしっぱなしで10時間ほどたっていたら、反映されなくなるようです。 だから、再ログインしたら、書き込めました。 (六枚つづきの世界)

2017-11-01

全体の風景が、陰画のようで、時の流れが異質になったような感覚を受けます。地下鉄というのは、 やはり音のごうごう言うような感覚とか、暗い中を光が突き進んでいく感覚があるので、そうした 感覚は、確かにあるように思います。そして、その特別について、時や他人ということについて語る ことで、独特な感想を持たされます。その感想とは、全体が絵画のように視覚的になることです。 頭の中をきらびやかな光に満たされた感覚がして、少し驚くような気持ちになります。 その一時を保存して、作品は印象を残し、過去へと流れていくような感じがします。過去へ向かう光る 銀河、そんな想像を持たされる。美しいというのか、むしろ、混乱を誘います。部屋の中で そんな詩を読んでいると、いったい世界とはどんなにまで複雑なのだろうと、思い誘われます。 僕自身は、そうした考えに耐えられるほど、強くないので、今はちょうど夜、異世界から離れ、 明日の朝を、いつものように迎えたいと思います。そんな朝を繰り返すことのうしろめたいような 気持ちを、泣きながら、耐えるしかないのかと思い、あまり健康的ではない自分を、大切にして 生きていこうと思いました。 (地下鉄)

2017-11-21

まりもさん お読みくださりありがとうございます。 明かりがついていたら、そこには迷いはないというような気がします。 心についての詩ですが、口先で少し言い方を変えただけで変わる物事というのは、ない、という状態まで、 まだたどり着いていない非常にデリケートで、迷いある人間というような、人物(僕です)の心です。 日々自己を運んでいく上で、気づいたことなどを書きますが、果たして僕にとっての詩というのは、 一体何のためにあるのだろう、と、思わざるを得ません。ささやかな表現によって、何かの意味を もたらすというように考えてもいいと思いますが、結局、何かを伝えたり伝えられたりの、技法として、 僕は詩を現在のところでは、捉えているようです。 口先だけで変わらない物事、自分の価値、それが歴史性に対して垂直に立つ詩と言うものに対立しますが、 むしろ自然な心が踊り出すような、意味のトップとして、見世物として詩はあるような気がします(なんとなくですが)。 菜の花色の明かり、とてもきれいな表現をしていただいて、嬉しく思いました。何をするにしても、 意味のない人生だからこそ、詩のようなものを、マイルストーンにして、人生に意味ある価値を、 発掘していくのではないでしょうか。それは、非常に困窮の状態における人らに対して、 何らかの関係を持っていないではいけないのでしょうが(百万人の飢えた子供に対して芸術は何が できるか)。文化というのは、総じてそうした側面が見られるものだと思います。悲しみに何の意味が あるのか、ということを知らなくては、詩は書けません。動揺に対して、助けを出すようなことをする、 そんな、ささやかな物であればいいと僕は思います。詩自体に、それほど大きな力はないのだ、と 感じたうえで、現実に詩を書いていけば、詩との向き合い方が変わることによって、自己に割と 大きな意味の変遷を見出すような、普通の思考と手を結べるような、発展的な詩観というものが、 生まれるだろうか、そうしたらいいな、と思います。言語の自分の塔が、崩れないようにする、別の塔を みる、そうしたことはあるとして、塔の建築技術を身につけた人こそ、神秘の世界への到達者であって、 あらゆる詩作作業の技術とプロセスに求められることなのだと思います。次第に積もってくる経験が、 何となく後ろを振り返ったときの気持ちを駆動力にして、どこかへ道を定めなければなりません。 それを定めるのは、現実の経験に依るのであり、またその経験をもつ自分自身の心の能力が、 そうしたことを、連続に経験していくものだと思います。 (信頼を築く幸せ)

2017-11-21

沙一さん はじめまして。読んでいただきありがとうございます。 胸に沁みると言っていただいて、嬉しいです。ささやかな詩を、書きたいと思っていましたよ。 普通の言葉、普通の思考に親しむことこそ、言語の普通の能力だと思います。普通+アルファ、 そんなことを考えます。僕は、別に新しいフォルムや文体を、発見して、提示してやろう、 そんなことは思いません。ポエジーへの感覚さえあればいいと思っていて、凝った作品にすることの意味が、 まだわからないといったところです。 (信頼を築く幸せ)

2017-11-21

hyakkinnさん 読んでくださり、ありがとうございます。 密度が濃いといわれるとうれしいですね。何度も消しては書いてを繰り返しました。 信頼関係が成り立つ居場所のことを、書いてみました。求めに従う、っていういじりいじられみたいな 関係に対する拒否感を持ちつつも、5年くらいのスパンで、それを受け入れるという気持ちの発展を 書きました。ダメに生きたというのは、実際にかなり人生どころではない状態から、そうなってしまった ということなんです。自分の報告であり、読者のことはほとんど振り向いておらず、お恥ずかしい限りなのですが、 自分の感じた恐怖の穴を埋めて、橋を架けていこうと思います。 (信頼を築く幸せ)

2017-12-09

一つ一つの文が、慈しみを喚起して、厳しい自然と、優しい自然の、 両方を提示しておられます。作り上げられる、海の、本質、そういったものを、独自の描き方 によって、人間にとっての海の意味と、自然としての海の本性、邪気がなく、海への賛歌を 描くなら、るるりらさんの詩は、いつだって、何についてだって、すばらしい把握をされていますから。 だから、詩というものが、魂の色を見せているという感じを受けるので、きらきらとした輝きは、 果てることのない偉業のようで、詩の言葉が、美しいと、戦えるぞと、言っておられますね。 戦慄の生に、向きうための、イメージとして、僕は、この詩を受け取りました。 盛り上がる波の、力強さの前では、どんな人間も、かないません。そのパワーこそ海の力である、 そのようにして、海を受け入れていくべきなんだな、と思います。そして、海を味方につけるためには、 どうしたらいいのか、我々が海を受け入れる方法は、海を超自然として想定し、匂いや、夏の桜や、 海に濡れた砂の感触や、砂の音を通して、なんとなく知れることだと思いました。少し悲しく、 ところどころ泣きそうになります。この御作品のように、海と砂を見てこられた方は、僕にとっては 貴重な意味を持っています。あらゆる人の、詰まった思いを、本当に自分もそれに加わって、 体感できればいいな、と思います。享楽にふけっているような人も、海の前で絶句するでしょう。 そうでなければ、人間が滅びずにいられはしません。 芯が通っているにもかかわらず、詩の意味を押し付けず、強制しないるるりらさんの詩は、 どこか遠くで鳴っているよう、近くで見出してしまうようです。 個別な報告ですが、操り人形だった僕は、やっと自分を取り戻して、自分の力で生きていけるようになりました。 あのとき、子供に人形との遊び方を教える、という形で、励ましていただいたこと、本当にうれしかったです。 心を無くさずに生きかえれたのは、そうした安全綱に守られてのことです。 るるりらさんの詩を読むと、もっと詩を頑張ろう、勉強しよう、たくさん作ろう、とやる気がわいてきます。 それは、詩というものを、巧みに、精一杯の力で作り上げようとしておられる、お力を感じるからです。 (砂の中の海)

2017-11-23

まりもさん お読みくださりありがとうございます。 素敵な返詩です。伊東静雄に凝視の詩があるとは、少し驚きましたが、詩の問いとして、 自分の思いを深めることが出来て、とてもよかったです。 人間は、どんな小さなことでもいいから、騙したいと必死になるものであるというのが、 僕の実感です。最初に騙されたのは教育であったり、自我と他我の価値観の違いであったり。 そこら辺のことを、気にするといえば気にする僕自身の考えたことについて、書きました。 自分を救うこと、さらに他者への呼びかけも、含まれています。凝視することが迷うことである と言っているような、伊東静雄の慧眼は、まりもさんの手に渡ったとき、先へ行けと、ガイド をされているようでもあります。そういう、なにがしかの相互的コミュニケーション(というか、 読詩と感想と提示)が生まれることにおいて、ささやかな文学行為として、人を変えるような 力が生まれたという感じがします。 感じることのできる力を、広げていきたい、そのために、やはり、人を見習わねば……。 僕の凝視は、何らかの形で解かれるべき、というか、自分の心の狭さと、視野の狭さ、 思い込み、それらが簡単にも難しくもある形でもう存在してしまっているのですが、実際にそういうところで 悩んでみた自分について、効用とまではいけなくとも、よい詩を作るということとともに、 心をどう扱うべきか、というような、青年(とはいってもそれなりの年ですが)らしい、 自己の幼さへの回答を、僕なりに成り行きであれ掴んだところを、自分流に実現していきたいと 思うところであります。 (暗い星のために)

2017-12-01

hyakkinnさん お読みくださってありがとうございます。 この詩は、歌について書くことから始まります。クルミのところなんかは、歌のカッコよさを装飾する 意図のみで、暗喩を書いたわけではありません。でも、お読みくださったとおり、イメージはあり、 意味の展開する背景にはなっていますね。図らずとも偶然的に進んでいきますが、騙すと教えるについては、 避ける事のできない主要部分であり、トタンの雨はオーバービューとして書きました。 濃密であるということを感じて、少しでもいいから、何らかの正の気持ちが、hyakkinnさんのなかに、 感じていただけたら(すごく真摯に、たくさんレスを書いていらっしゃるので、その一つとして 読みによって作られるhyakkinnさんの詩世界には、一つの星として、輝きを放っているのは間違いない と、僕は思いますが)、自分の価値が増えたような気持ちになり、嬉しいです。 (暗い星のために)

2017-12-09

沙一さん お読みくださりありがとうございます。読詩と作詩は、別の行為であると思います。例えば、読詩は作者の気持ち に合わせること、作詩は自分の中から絞り出していくものであると思えること。作詩の場合、表現をするここちよさ というものはあるけれど、それ以上に、自分が何をすればそういう詩を作れるのか、気づいていくことが挙げられます。 この詩の場合は、性的(エロティック)な思考をすることです。子供の夢想という形ではあっても、そういう 気持ちを、解放できたような気がします。 僕は男なので、女性の場合というのは分かりませんが、人間が表現するべきこととして考えるのは、どこかに そうしたエロティシズムを基本とした夢想になるような気がします。つまり、性的なものを敵と見ず、 自分の中のそうした欲望を、色んな表現に変えていくことで、子供のようなものへの後ろめたさを、 包んであげること。それを突き破るパワーが子供の方にあるならば、それはまた、反動として、考え直さなければいけない。 でも、それはまた一つのレベルの上がった遊び。子どもには死が遠くなければならないように、大人は性を避けてはいけないのでしょう。 生きるということが、自分にとって意味があるならば、それは力の入れ方を知っているということだと思います。 自分の力で歩こうとするための道のりを、この詩では書いたような気がします。 避けるべきことは何であるかを知りつつ、全ての可能性の扉を開いて行こうと思います。そういうことが、 僕の現在の作詩でした。 (お菓子な心)

2017-12-05

るるりらさん コメントをありがとうございます、ご無沙汰しております、お元気でしたか。 お菓子、そう、ケーキの季節ですね。 チューニングが合わないおかしさを、嘆き、苦しんで、生きておりますが、歳も新たになり、キリストもお祝いされる、 そんな節目には、心が少し引き締まり、喜べる集まりさえも幾つかあります。 in public なのか in private なのかという区別を、詩について考えてみるのは面白いものです。publicに発言できる 人が、すごい、と考える限りです。るるりらさん、言葉と言うものの成り立ちは、publicな喜びと、 privateな喜びの、相性が時に悪い、ということ、感じられませんか。つまり、社会で、コミュニケーションは、 孤独の深まりに比例して、意味が大きくなるのだと。公的なものを浮き世と見るのか、私的なものを、どれだけでも 深いと思うのか。つまり溶液の濃度と溶液の体積が、反比例の関係にあるように、私的なものと公的なものが、 反比例の関係にある。どちらかが増えれば、どちらかが減る。 さて、では、人の心は玉であり、認識が完全になるとき、溶液(心)も飽和(自己実現、また、詩情の実現)して、ご機嫌な気持ちになる。 人が偉大な思考を行っているのだということが見えるようになってきました。ボールは友達(キャプテン翼)、詩も友達。 顔を背けたりはしない、腐したりもしません。良い時と悪い時の両方があります。プラスしていくという見方を基本としていたいのです。ちゃんと言葉にすれば、何もないだけよりずっといいでしょう? 時には迷って、傷つけあうことがあるというのは、それは、きっといいでしょう。 (お菓子な心)

2017-12-15

hyakkinnさん コメントをありがとうございます。 フロウですか、言われてみれば、この詩の特徴であり、売りと言えば言えるものは、フロウです。そういう言葉 を評していただいて、実に納得、ありがとうございます。力強いといっていただけたのが、嬉しかったです。 自分では、それは思っておらず、読んでもらうとわかること、つまり、多様な長所というものが、あればそれは 良いことで、良い詩ですよね。レベル的な事を抜きにした場合では。ラっていうのは、特別な音ですね、言葉 にしてみると。この、微妙な駆け引きと心からの叫び、恥ずかしながら、作品を作りました。 個人的に今は頭の調子が治り、充実してきました。自分は人と関わることも、できるのだと、心の底から楽しく なってくる上機嫌があります。 (お菓子な心)

2017-12-16

コメントさせていただきます。 コーリャさんのロマンチックは、天性の才だと思います。いつも涙で潤んだ目をされているんじゃないかな、 というイメージを持ちます。人と星とが同じもの、同じようなものであると読者に提示するのは、 まずはとても強く訴えかける力のある意見。さらに、スマホと、隔たりからわたくしは呼ぶ、この夢のような 一瞬の時間、かっけぇ~。人が星であること、意外にそういう比喩は、斬新だし、この詩も、面白く 読めます。現実に隠れた聖と俗を感じている作者は、とても詩人と思わせます。 (Stars)

2017-12-09

三浦果実さん コメントをありがとうございます。記憶のイメージは、バラバラになってまとまりを欠いているかもしれませんが、 詩として言葉に面白さを持たせたいと思っています。完成度は低く、意味不明になりがちであるかもしれません、 でも、妄想系であっても、ご指摘いただいた三行の様に、安らかな効果を持たせられたところもあっただろう、 と思っています。「ずっと変わらない」ということを、言語化したかったのです。メッセージを内に閉じこもらせず、 言葉にしていきたいものだと思っています。 (罪を一人だけで背負って)

2017-12-18

李沙英さん こんばんは、よろしくどうぞお願いいたします。 語は、いろいろ凝ってみました。それは割とできるのですが、全体のまとまりが不明になりがちです。 「おお」って思って読んでもらえ、うれしいです。 「刹那的」、そうですね、言われてみればまさに。とてもためになる評を、ありがとうございます。 お気持ちに触れられる詩であったなら、少しうまくなったかもしれませんが。 いま、いじめについての本(『いじめ考』別役実、芹沢俊介、山崎哲)を読んでいるのですが、 演劇について少し学んでみようと思っているのです。 (罪を一人だけで背負って)

2017-12-18

追記 李沙英さん コメントをありがとうございました。 (罪を一人だけで背負って)

2017-12-18

百均さん コメントくださりありがとうございます。 読みにくさはとても自分の中では最近ネックだったこともあり、読みやすいと言っていただけてありがたいです。 ぼくも、たくさん迷って、あの詩人のスタイルが正しい、やっぱりこっちがいいと、うろうろ迷ってしまいながらやってきたんですよ。 最後の連は、カッコよさを追求したもので、評価していただけて嬉しいです。 (罪を一人だけで背負って)

2017-12-27

ミックスが練られていると感じます。それは、小説の筋を整えるのと同じことなのではないかと思いますが、 とにかく連ごとに違うその自由な文体のミックスが面白く、そして同時に一つのまとまった意味がとれる、 そこが、非常にうまくて面白いと思いました。 内容について。老人と犬とわたしという人物みなが、活かされていて、味わい深いです。 砂の道という、象徴的なものが、テーマとして重要な意味を持っていると思いますが、生命と砂という 客観的な描き方をしてあるのが、試みとして僕には大胆だと思いました。とてもいい詩だと感じました。 新しさ、という見方をしてみれば、こういった設定が、作品と分かちがたくあるのが、技術ですし、 その思いの深さ、切実さが、心のようすを味わうことができるようにされていると思います。 (砂の道)

2018-01-13

三浦果実さん 返信遅くなりすみません。コメントありがとうございます。 とても好意的に受け止め、発信してくださって嬉しいです。 僕らしいといわれるのが、一番安心します。僕らしくない作品を作ったとき、それが意味のない詩になって しまっているかもしれない、というのが怖いので。でも、もしかしたら、自分の外にも広い世界があるのかも しれませんが。 怒りとの付き合い方は難しく、神と対峙しているような気持ちになります。 もっと意味が面白い詩を作っていきたいと思っています。ありがとうございました。 まりもさん 返事が遅くなり申し訳ありません。コメントありがとうございます。 現実の景色と言うものが、どういう意味を自分にもたらしているのか、こんな少ない景色の体験でも、 一体、人にも伝わるような一般性のようなものはあるのかどうか、そんなことを思ってこの詩を書きました。 七行のフレーズに注目していただき、嬉しいです。 どうも、なかなか評価されるような詩がかけず、自分でもどかしいです、少しずつ上達していければ いいのですが。 三連に分けるのは、たしかにそうしたほうがいいですね。 ありがとうございました。 (静かな時に)

2018-01-19

百均さん 読んでいただき、コメントもありがとうございます。 心の闇と光、夜と昼、これらは、個人の意識の中で色々にかわるものでしょう。 それがなぜ普遍的なのかと言えば、視界の構造がそうだからでしょうし、人間の神経も、電気のメッセージ によって、働くからでしょう。 感情には、光と闇がない気がします。だから、怒りにも、イメージがない。 言っておられる、良心ということは、正負の両面を持っていますね。どんな心の気持ちにも、両面があります。 それを、知っていきたいとは思います。 寂っていうのは、怒りではないものです。だから、怒りの音によって、物事を変えようとしてみることと、 寂の接点を持って、人に触れることは、二つのそれぞれのやり方だと思います。 後付けを色々と作者の僕自身も考えてしまうのですが、枯葉については、俳句的な発想で何かしようと、 せねばならないと考えて、書きました。 永遠への希求のようなものは、恐れという扱いづらいものと、一体となっているのでしょう。 (静かな時に)

2018-01-31

沙一さん こんばんは。コメントありがとうございます。 雪だるまを作った経験は三回くらいですが、ちょっと少ない感じがします。 漫画家の坂田靖子さんの作品に、雪だるまが素敵に描かれているのを読んで、雪だるまいいなあと、 考えるようになりました。 考えるということは、性質として自由である、少なくとも自由に向かって行くのが本当である、と思うので、 この詩は、そういう考えのもとに書きました。そういう意識を持っていると、色んな困難が溶けてくる ような気がします。 雪だるまのいいところは、偏見から自由であるようなイメージを抱かせるところではないでしょうか。 差別の心は、差別の言葉と絡み合って、根深く人を損ないます。そんな風に生きざるを得ず、あるいは 考え直すこともできぬまま来て、本当の倖せは、自分と人の両方にないと、実現できないと思うようになりました。 そういう気持ちでいると、最低でも何か解けてくる。そういう、自分にとって正しいことがあってこそ、作品という 形で、客観的にも鑑賞できるような言葉を、操れるようになるような気がします。 そういう自分になりたいと思い、頑張ってきました。 人に対して手渡したかった秘密、これを、沁みるとおっしゃっていただいているのは、やはり、 心の一番の望みであるという証拠のようなものだと思います。 そうですね、いつかはとけて消えてしまうということは、普段は隠されている。それか、隠している。 みんなが不文の上で、見守っている。そこは最低限の、秘密です。 メメントモリは、スピノザの言葉を、思い出します。 「自由な人が考えるのは、 ほかならぬ死についてである。 そして彼らの賢明さは、 そこから死ではなく、 生について熟慮をはじめることだ。」 (作られた雪だるま)

2018-01-22

まりもさん こんにちは!コメントをありがとうございます。 2連目から読んでも、雪だるまの声とわかる、ということ、そうですね。僕は、内容と違う、技術と言うものを、 文体以外に考えたことは、あまりありませんでした。連による描き方は、そういうスタイルによる伝達の 違いなどを生むわけでしょうか。驚きを与える、ということですね。その方が面白そうだし、楽しそうでも ありますね。第1連で、重要箇所というのは、「差別を塗り込める自然の中で」ですね。これは、御札に 書いて、手渡したかった。2連目以降、流れを面白いといってくださり、ありがとうございます。 余談ですが、この詩を書いたあとで、今もう一度読み直してみると、雪だるまがあって、そのまわりを 雪玉がヒューヒューとびかっている映像を思い浮かべると、ほわほわします。健康事情により、一つ以上 のものを、想像する能力が失われていたので。 (作られた雪だるま)

2018-01-27

百均さん 読んでいただき、コメントもありがとうございます。 雪だるまを考えることで、何らかの意味が生まれるものだとは、書いてみてわかることでした。 そういう意味では、この詩は、雪だるまみんなにささげられねばなりません。 雪だるまは、僕自身の中にあり、僕自身の一部は、雪だるまの中にあります。 雪だるまを知るということは、雪だるまを作る人間を知るということでもあるでしょう。 親と子、教師と生徒、友達、色んな付き合いの関係があります。 (作られた雪だるま)

2018-01-31

新しい生活に、心浮かれている様子なのかな、と思いました。そういう風に読みました。だとしたら、パリッとしたはつらつさで、いい気分になりました。 (Pollen)

2018-03-07

るるりらさん お久しぶりですね、コメントありがとうございます。 夜の公園というのは、一人ぼっちで慨嘆にふけるには、最適な場所です。 この話に沿って、自信を取り戻していくさまがあった、とおっしゃってくださったのは、 自分では考えておらず、驚き嬉しく思いました。 バッタにはバッタの人生があり、バッタ自体も好き嫌いをするでしょう。 そんな中でも、バッタはバッタ、自分自身であるというのが、生物の本来でしょう。 時にはバッタになって、救いの形を考えてみるのも、良いものではないか、と思った ところです。 (傘とバッタ)

2018-03-07

沼尾奎介さん コメントを下さりありがとうございます。 前向きを探っていってはいますが、身体も頭も追いつかないので、過去の回想を 現在で思う感じになっています。個性的な文、教訓的な文、それらを考えられたのは、 ほっとしていられるなあと思います。 (傘とバッタ)

2018-03-10

白い悲しみが、人に見せるでもなく独りぼっちでもなく、つまり想像の中に主体と客体が両方存在すること(可視化された傷の痕)、最後に気持ちが表され、孤独と惑いが、自分なんだと、悲愴の情景で終わります。詩の意味としては、内面を外面から思わせることであり、そうする以外には現在点では出来ないのかもしれないな、と思いました。風の花ということばを、もっと知りたかったような気がしました。 (風の花)

2018-03-07

藤一紀さん コメントありがとうございます。とても気に入っていただけたようで、とてもうれしいです。美術館並みのビジュアル、美しい天気模様。もし、霧雨が出たときは、きっとこの詩を思い出していただければいいです。全ては、意味を持ち、情景は、見られるためにあるのでしょう。そのとき全ては、様相を完全に変えた心の中の意味として、命と神様が死によって近づくものだと思いますから。 るるりらさん コメントありがとうございます。 霧の中の恋は、お互いの姿は薄暗い中にあり、心はしっとりとして、少し暖まりたいわ……なんて思いながらも、目的地がなければお互い以外を隔離して、なんとなく 大人な恋……そんな風に思います。 ニゲラ……インパクトがあって、心に突き刺さるようなはっとするビジュアルですね。 浪漫的な、見つめて、見つめて……なんて。 わかり合う心、きっと難しいことじゃないんじゃないかな。行き違いはあっても。 心と言うもの自体は、気難しいものじゃないと、思います。むしろ、自分の味方。 シーザーとクレオパトラの、ビジュアルはうっとりしますよね! 生きる先に素晴らしいものがある、それくらいの若さは、持っています。 持ち続けるのがいいでしょう。 (霧雨)

2018-03-13

こんばんは、るるりらさん コメントさせていただきます。 まず、「女性の気持ちを考えながら読んでほしい」という感じを受けます。 「時には母のない子のように」カルメンマキ  僕が、母のない子になったら……パンクロッカーになるか……まあ……さみしく いままでのように生きていくのだろうと思いますが。 心を自由に喚起する、るるりらさんの言葉は素晴らしい。学ばせていただいています。 その影響は、おそらくすぐに、あらわれるでしょう。病気が治りましたからね♪ (ときには 名もない おっぱいのように)

2018-03-12

こんばんは、岩垣弥生さん。コメントさせていただきます。 メルヘンというのは、うまい言葉があるものだと思いました。童話的が逆にパワーとして メッセージをより強く打ち出せる感じだと思います。 部屋が幽霊である、というのは、終末観のことを考えればいいのでしょうか。 一週間の出来事が、面白いものばかりでいいと思います。 上手く整合性のある世界を書いておられるようですが、その世界の内容こそが、 受け取り方、つまり想像性こそが、本当に詩には大切ですね。 バイバイ マタ ネ という終わり方は、礼儀正しく愛情あふれて、とてもいいと思います。 (終末メルヘン)

2018-03-12

何故ダメなのか分かり切れないのか、まだ淡い心なのか、自分の心を扱いかねているのか、あるいはそれでもかまわないのか。はじまりの春、夏へ……。眠莉さんの心のなかが ポエジーです。まだ不幸の影を引きずっていない状態の心を読ませていただきました。 (いつまでも春)

2018-04-11

>書かれたものであればすべて「書き換えることができる この行為の反対を行うならば、「何も書かない」ということが正しくなります。あるいは、「賛成の反対なのだ!」とせめて言えるかもしれない。この言葉は、限定的な力を 持ちますね。「賛成」を書き換えれば、「反対」だということ、「反対なのだ」を 書き換えれば「賛成」だということになります。ようするに、もともとの「賛成の反対なのだ!」という言葉は、賛成しているのか反対しているのかよくわからない言葉です。 書くことを守るためには、書き換える行為には条件が必要である、 と決めなければなりません。 革命への意志は、一度起こされたなら、内部でくすぶっているでしょう。紫陽花 の存在に対する愛を、決して否定したりしないことは、僕も知っている気がします。 (「ふたたび殺戮の時代」のためのスケッチ)

2018-05-02

徐々にでいいからさん、野球愛がつまっていますね。僕は体を動かすためにウォーキングを始めました。 フルスイングにも、ピッチャーにもならないけど、三塁コーチとして、参加 すること、それだって特別な体験だな、と思いました。 (ヤキュウ)

2018-04-11

達成できなかった夢の後味、それを、言葉にされているのだと思いました。 セリフとかっこで、切実感が増します。 佐木ノ本さんの答えや、形を変えても同じ種類の満足が、できるといいんだろうな、 と思います。もしそれが、「詩」であったなら、もう大分近いですね。 (跡形も)

2018-04-11

素晴らしい筆です。というのは、魚が生きていると思います。 死生観としては、相互に行き来する自由な今日の中で、魚は、 何の変哲もない魚は、まさにその眼だけで雄弁に、人間に対して 己の知っていることを示しているからです。 重要なことを書いておられます。 (骨の魚)

2018-04-11

まりもさん コメントありがとうございます。それらのフレーズがはたして自分の何を 表しえたか、ということも大事ですね。詩というのは、隙がないほうがいい。 僕自身には、自答が大切な気がします。意外な展開、凡庸でない。 (命令)

2018-04-16

花緒さん こんばんは。コメントありがとうございます。 命令というのは、誰が発するかによって、変わってきます。また、ぴしぴしと 鞭の当て方も。人間への命令は難しい。親子の間では成り立ちやすいでしょうか。 命令を下す主体は、当然責任を引き受けます。 独自の文法、とほめていただきありがとうございます。これからとしては、 緻密な構成が出来るようになりたいと思っています。 (命令)

2018-04-27

この世の中の天国的なところを探し求めていらっしゃるのですね。 みんな違って、みんな自分と人との両方について考え悩む。そして、普遍的な 存在として御思いになった、「るーしー」。みんなが使えるるーしー。 看護婦さんの頭の中にありそうな言葉だと、思いました。 るーしーに出会って、るーしーに助けてもらう。ブッダ最後の旅でも、 るーしーを見つけたらきっとその仏性を認めたでしょう。 ひねればきゅっとなる音、水の流れる音、金属の外観、汚れのない清潔な豊かさ。 すべてが、頭の中に調和をもたらすようなものですね。 (今日も るーしーを探しに行く)

2018-04-21

花緒さん コメントありがとうございます。 書いているうちに、こめ過ぎになって、初めから乖離していくということになってしまっているのは、 いつものとおりです。頭を治して、構成もきちんとしたいと思います。 がっちり纏まっている、と思われたのは、努力のたまものだと思います。 きっちり眺めまわし、推敲と言うものを、上手にできるようにしたいですね。 もちろん、価値のない詩を作るつもりはありませんが。 (笹竹)

2018-04-21

三浦果実さん コメントありがとうございます。 メッセージ性は、無くてもいいと思います。表現として、映画を例にすれば明らか。 隠喩がメッセージ性であるということ。それは確かにそうです。隠喩、メタファーとして、どうしても、メッセージ(潜在、顕在)滲んできてしまうものでしょう。村上春樹の『騎士団長殺し』も、その言葉がタイトルに出ていますが、まだ読んでおりません、すみません。 「故郷」この言葉が、安心、安堵の隠喩である、というのは感じていましたが、 鋭く言われてしまいました。 隠喩というのは奥深いですね。 故郷について考えを深めたのは、坂口安吾の『ふるさとに寄する賛歌』でです。 15ページくらいで、読みやすいと思います。 (笹竹)

2018-04-21

るるりらさん コメントありがとうございます。 竹にすっぽり収まりたい。そんな気持ちを考えさせていただきました。 子供のころの様に竹やぶに突進みたいなことを、考えていました。 自分が何なのか分からず、比較する客人もおらず、そんな気持ちでは死んで行けない。 大きな心、小さな心、揺れながら……。 (笹竹)

2018-04-24

かるべまさひろさん、はじめまして コメントくださりありがとうございます。楽しんで読んでいただけて、とてもうれしいです。 三連目ですね、自分のことを大げさに広げすぎて、必然的なことを考えられなかった。 僕はこういう人間であったので、まさに必然的なミステイク(ゆえに決定的にNGな ミステイク)でした。ちゃんと変わります。「人もそうであろうが……」みたいな句を 作って書いて行けばまた違ったかもしれませんね。良い流れを作ることが出来たら素敵でしょう。とにかく、自分自身の考えていることの全てを表す方法とは、別に 行こうと思います。言葉だけではだめで、考えだけでもだめ。僕の詩はそんな感じです。 (笹竹)

2018-04-25

藤一紀さん コメントありがとうございます。空を超えて遠くへ、詩がポエジーをいくつか届かせられ たら、とてもうれしいです。こちらの空も青いですよ。深い色。とても褒めていただいて、 良い気分を共有できたこと、とてもよかったです。 まりもさん 自然の持つ「言葉」というものを、上手に受け取っていけれたら、とてもいいと思います。 言葉は人間の物じゃない、と言いたくなります。せめて人間は、豊かな自然の心と、 反逆する仕方ではなく、共に生きるべきでしょう。 すると、人間が生まれたわけも、人間が生きて死んでいく姿も、みんな受け入れることが 出来るように思います。自分の気持ちを改善しようともがく姿は、古典的な作品に 表れていますが、それを乗り越えようと思わなければ、現在で僕が詩を書く意味 というのは、ただの趣味になってしまいます。自分に忠実に、色んなものを集めて 行きたいと思います。 様々なメッセージ、それを精一杯読んでいきたいと思います。 (笹竹)

2018-04-26

ぬいぐるみの命名の詩なんて、すごく面白いです。途中で雲が出てくるのが、雰囲気を より和らげていると思います。ぬいぐるみにしても、ぬいぐるみ的オブジェにしても、子供は愛着や思い入れをみせるのは、とてもかわいく不思議なことですね。 (名づく)

2018-05-17

岩垣弥生さん こんばんは。コメントを下さりありがとうございます。 「踊れない眠り子 眠れない踊り子」という詩を中島らもが作っていたとは、 知りませんでした。いかにも彼らしいと思いますが……。 踊りは、起源が原始的でもあるんですね。 人それぞれの踊りと眠りを……。 蛇足ではありますが、こんな踊りを紹介させてください。 https://www.youtube.com/watch?v=I8NjsBCjI8Q (踊り)

2018-05-17

良く詩のことを考えていらっしゃるのですね。幾何学的な思考を楽しむ以外には、 社会的自己存在(そのことを描く特別な意味なんてあるのかないのか分かりませんが)、 つまり人とのつながりの一例、などを書いたり、誰一人使ったことがないであろう 言葉を紡いだり、さらには、歴史的天才として、詩の新表現を生んでみたり、 と言ったところは、意味としては気になるところです。夜の孤独、といった意味が、 この詩にはあると思います。 (四角い光の板)

2018-05-22

おもしろいですね。カエルの鳴き声好きです。 声が聞こえてくる感じにまとまったゲッゲッ や GET! や 解ッが、 適度な形でいいと思います。 (かえる経)

2018-05-18

エイクピアさん コメントをくださりありがとうございます。 自分と言うものやその言葉、分かってきたことを並べると説教になる。エラソウ になってしまい、もうしわけありません。細かいところまで考えられなかったので、 エイクピアさんのおかげで考えることが出来て、良かったです。内容以前ということも あるでしょうし、気をつけたいです。 (エゴ)

2018-05-19

南雲 安晴さん コメントをありがとうございます。少し安易に描きすぎた部分もあったようですが、全体に迫力を感じていただいて、何度も改訂して良い方へ行ったようで、大変に良かったです。これからもお目を通していただければ幸いです。 (エゴ)

2018-05-20

夢について、様々なことを受け取ることが出来ました。 >でも夢には殻が着きやすいもの >夢には膜が着きやすいもの >夢には汚れが着きやすいもの >自分が本当に実現したいことは何なのか >それは実に認めにくい >自分にとっても他者にとっても >だからちょっとの間眠っていようってわけ この辺りなどは、何か新しいことを言おうとされている雰囲気がして、いいと思います。 全体に、文体をなりたたせるために描いて言っているような、軽い強迫観念を感じました。 文体は、難しいです。だから、僕は、なるべく文体を作らないようにしようかな、と思ったりしています。 また一つ、詩を読むことが出来ました。ありがとうございます。 (幕間の子守歌)

2018-06-18

こんばんは。重要なことが述べられてあります。心に届く悲鳴が、感情を揺さぶります。(下手な文章ですみません) (beautiful people )

2018-06-18

作品本文訂正、最終行「避難→非難」です。 (心のブレーキ)

2018-06-18

藤一紀さん 今晩は。コメントありがとうございます。揺れる心と揺れる言葉、そんなタッグはいいでしょう?とかいって、偶然的な要素が大きいと思いますが。 そういう言葉に頼ってみるのも、面白い結果になるのは、人間と言うものが非常におもしろいので、存在に値するものだとおもいまして、そういう思考体=人間を僕は支持します。言葉より心、そんな風に考えてはいけないのでしょうか。 まりもさん 今晩は。コメントありがとうございます。 卵って不思議ですよね。昔、たまごっちっていうおもちゃがはやりました。そうなんですね、自分が明後日の方向を向いて、 何やら檄を飛ばしている、客観的にはそういうおかしな自分であった、と思います。詩の膨らみの出し方、というものが、 ありますね。貧相なものではあまり詩にならず、そういう方向なら、簡素、枯淡をめざすしかないような。 比喩は、一度心の中をくぐらせないといけない、と思っています。 (心のブレーキ)

2018-06-20

拝読させていただきました。 なかなか興味深いことが書いてあるなと思いました。楽しんだというか、分からないのが面白いのです。えぐい言葉もなく、 難しい漢字もすごいなぁって思ったのですが、最後のパンツを履いた、は簡単すぎて良くない気がしました。山本さんの 次作も、すごく楽しみです。というのは、別の題材はどう料理するのかな、という期待をするからです。 いま、焦っている最中なので、失礼な言葉や勝手な思い込みを書いているかもしれません、ご容赦ください。 (on A bed)

2018-07-06

こんばんは、花緒さん。 嘘と言うことですが、いい話(泣ける話)を作ろう、という意図がある、のではないんでしょうね。むしろ、このおかしくなった社会で、気が変になってしまいそうな境遇の人が存在することへの憤り、正義心。つまりは、社会における断絶と、それを何等かの気持ちから見過ごしてはいられない人。そういう風に読みましたが、なんか、花緒さんのどの作品も、本当なんだという切実なストーリーが展開されていると思います。僕は、精神年齢が低いので、リアルでは人から揶揄されるのがすごく嫌です。反論なんてできる力がないから。 この作品を一言でまとめると、『フォレスト・ガンプ』的と言えましょう。リアルとフィクションに引き裂かれていく人たちの心は、いつか「本当の」物語を語れるようになるでしょうか。僕自身が定義する「本当の物語」というのは、「夢中になって読める物語」です。陳腐でも、ヒーローとヒロインと伏線と、変化、感動、夢。そこからリアルが見通せるような。物語は、上手い嘘で出来ているんでしょうが、詩というのも、一行一行、一句一句の戦いだと思います。花緒さんの詩に出てきた登場人物は、いつかこっそり育っていっていたりするような気がします。人物造形が巧みだと思います。ウルトラマンみたいに、集まってきたりして(笑)。 (どら猫セラピー)

2018-07-11

社町 迅さん こんばんは。コメントありがとうございます。自分も好きだけど他人も好き、他人も好きだけど自分も好き。でもどちらもうまく いきません。栄養ドリンクとタメを張る詩によって、元気になりたいのですが、なかなか。 自分以外を題材にした詩が書けるようになりたいです。 (長い間失くしていた心)

2018-07-06

鈴木 海飛さん、返詩と感想、ありがとうございます。 返詩をよみました、温かく励ましていただいているような気持ちになりました。 ぽややんと僕もしたいな。ありがとうございます! (長い間失くしていた心)

2018-08-13

神さまを信じたくなるような感覚を、どの季節にも、感じていらっしゃる、そんな、優しすぎる繊細さを、分かってあげたい。 独特の話法で、味があります。でも、もっと言いたいことを増やせるような、書き方を身につけるべきではないかと。 本当の詩人の書く詩というものであったという気がします。狂人の声、蝉しぐれ。命の恐ろしさという中心主題が、 孤独な人に、訪れているのでしょうか。 (摂氏37℃)

2018-07-26

花緒さん 読んでくださり、コメントいただきありがとうございます。 中々客観的に見れず、ポエムになってしまう手癖が、最近の詩集廻りの悪影響です(良い影響も、確実に得ては いるのですが)。ちょっと統一性がなかったかもしれません。 (下手な嘘はつかないように)

2018-07-27

るるりらさん ご批評ありがとうございます。読んでくださり、ありがとうございます。 本と顔とに励まされた、あるいはしがみついた詩です。自分で再読してみて、モチーフは意外と満足できるものでした。 こういう方向に行くのが、僕の性質、あるいは心のようだと思います。 嘘をつくと、上手い嘘ならいいんですが、下手な嘘をつくのは、自分がみじめになるばかりで、意味もなく、ひどい行為です。 それは、反発などから起こります。 るるりらさんが、立派な大木になり、自信をつけて、それが揺るがぬようになれるように、岡潔『春宵十話』という 本をお勧めします。 (下手な嘘はつかないように)

2018-08-15

かるべまさひろさん 読んでくださりありがとうございます。ご批評下さりありがとうございます。 季節を確認すると、季節感を満喫できますね。忘れてしまわぬように。 柿原 凛さん 読んでくださり、ありがとうございます。ご批評下さり、ありがとうございます。 誰目線なのか……そんな風に読めるのですね。たしかに、人間目線ではありました。どうもありがとうございます。 三浦果実さん 「海」をほめていただきましたね。たぶん、そのようなもののいいところへ行けたと思います。人に見られること、 見えぬ人を見ること、つまり対話を心がけました。お褒めにあずかり、嬉しかったです。 花緒さん 読んでくださり、ありがとうございます。ご批評下さり、ありがとうございます。 詩情があるということで、教条的から、やっと逃れている、とおっしゃってくださりました。 ギリギリを攻めるのは、そのほうが良い作品になると思ったからなんですが、作品として纏まっていると いうこと、それは大切だなあと思いました。 (秋が訪れるだろう)

2018-08-19

stereotype2015さん 太陽への勝利は、ちょっとユーモアめかして、耐えたぞーというようなことを言いたかったです。 負けてから、勝つ。自然との闘いです。ビールは飲まずとも、というところは、下戸の僕がコンプレックスを 表現したのですが、そんなこと、誰にも分るはずはありませんね(笑)。 詩情にあふれている、という言葉とても嬉しかったです。詩情こそが詩の勘所ですからね。 「鑑賞する」は、辞書を引いたら、「観賞する」が正しかったです。違和感を覚えられて当然。 今作は、僕と読者の対話を考えながら書きました。今までとは違う意識の持ち方をしました。 意識とは、詩作の実践を方向付けるものであり、自己の探究と言う意味もあります。 詩の喜びとは、知的な遊びや、自然に対する見方の発見、随想や、味わい深く構築された意味、言葉の実験的挑戦、 自己の表出、自分の客観の修行、交流、など、さまざまだと思う限りで、現在はそれらを実践していきたいと、思いながら、 書いたり消したり、詩作を楽しんでいます。 (秋が訪れるだろう)

2018-08-19

るるりらさん、残暑お見舞い申し上げます。 お読みいただきありがとうございます。ご批評いただきありがとうございます。 僕は、体育すわりは好きでした。なんとなく気分が落ち着く。でも、一人ぼっちの象徴でもありますね。 高校の文化祭、体育祭の時は、いる場所もなく、体育館の陰で体育すわりしていました。 僕は、中学校の部活ではバレーボールをしていました。補欠にすら入れなかったのですが、 バレーボールの楽しさを知ることはできました。 詩にチャレンジ、秋、ばっちこい!ですね。 僕も起きますよ。ダイエットもしますよ。 (秋が訪れるだろう)

2018-08-22

この詩が開く地平は、出来事が、いろんなものの記憶とつながること。また、人同士の関係が、 自由闊達で、思い入れを含んだ美しさを目指すことの意志のようなものでかかわりあっていること。 夢幻、精霊バッタ、原爆に対抗するための幻視、こういった小さい声が、残されていること、 日常生活の中に、あらゆる連想が、裸族でさえ、思われる、人間の力というのはこういう風なことを 考えられる力であるということ。また、一つの夏が、多くの亡くなった人を後に残しつつ、去っていきます。 重たくなっていくのは、人間の生命維持のために必要なことが増えていくからですから、すべての人が力を 出せば、何らかの向上につながる。生きて死ぬために必要なことを、仏教などの宗教は、教え諭して くれます。詩で新しい景色を見せてくださり、ありがとうございます。 (ラ・ラ・ラ族)

2018-08-23

stereotype2085さん こんにちは。お読みくださりありがとうございます。ご批評くださりありがとうございます。 愛といっても色々ある中で、恋愛あこがれ中毒症状中です。しかし、愛というのは、間違うと、 どうなるんでしょうね。程度を知らないと、みっともないのではないか。宝石のようであってほしい。 鉄塔のてっぺんの赤い光の明滅は、情緒を掻き立てます。もう秋です。 「無我」というのは、横山大観の絵にありまして、大変にいい絵です。 (鉄塔)

2018-08-23

まりもさん お読みくださり、ありがとうございます。返詩いただき、ありがとうございます。 一連は、何か良い初めての経験をしたということなのか、とか、思いました。 赤いランプについて、様々な想像をしてくださって、つながったなあという感想を持ちました。 夜と、空と、人とが、ぬくもりを抱いている二人の断絶とかすかなつながり、一場の余興として、 上出来で、素晴らしいと思いました。ありがとうございます。 (鉄塔)

2018-08-23

IHクッキングヒーター(2.5kw)さん こんばんは。読んで批評してくださり、ありがとうございます。 共通することがありましたか。夢を持ち続けていることに純粋な気持ちが体の奥にあるような気が、僕はしているのですが。 二行の言葉を、好きと言ってくださり、大変にうれしいです。IHさんはどんな気持ちを持って進んでいくのかな、そんなことも 考えました。 (鉄塔)

2018-08-25

なんだか、住みたくなる町だな、と思いました。なんとなはなしに、瞬間と予感の、震えるような支配感、それとアンビバレントな従属感、まさに飼い主のない猫という題が思われます。飼い主のない猫に好かれる自分は、飼い主のない猫を待っていた。というか、それを受け入れる余裕とタイミングを待っていた。君の存在に、すでに負けてしまっている主人公、そして、主人公の存在にすでに負けてしまっている君、という関係なのじゃないかな、と思いました。人生で、勝つということは何度もないから、うまく負けないようにしていかなければならないのでしょうが、負けても悔しくない存在、それが理想だと思いました。 (飼い主のない猫)

2018-09-24

全体的に、大変創造性あふれるいい詩だなあと思いました。どことなく、町田康の「もうだめだ」という曲に似たシチュエーションだな、と思いました。黒人の男が乗り込む場面を、知りたかったです。いつの間にか乗っていて。語り手の話すのが、唯一の声で、さらに、世界を描写する唯一のもの。 車が突っ込んでいくラストは、ポール・オースター『幻影の書』でもそうです。 この詩では、そこまでのラストまでは書いていない。 なんというか、読んでよかったな、と感想を持ちました。それは、やさしさと、世界の悪意の徹底していなさ、を感じられたからです。助かるかもしれない、という希望を残して終わっている気がします。 それは、この時点での社会の様子、雰囲気、感じが、現れているからかなと思いました。 (Wheel of F F F FFFF For tune)

2018-09-14

かるべまさひろさん ご批評ありがとうございます。展開はできていたと思っていたのですが、ピンボケしてしまいましたか。 かっちりと意味を決めて書くことはしませんでした。それは、怠慢やいい加減ではないつもりだった のですが、うわごとのように見えたかもしれないなとは思います。人々の関係は、自分でもはっきりと わからないのです。その限界を突破できればいいな、と思います。どうも、考えるのが不調です。 参考になるご意見を下さり、ありがとうございました。 (恨みたくない)

2018-09-16

るるりらさん おはようございます。今日は医者通いです。ご批評、誠にありがとうございます。 俺が誰でもないことを憎めない、ということについて、よく考えてくださり、驚き、ありがたいと思いました。るるりらさんの思考力は、確かなところがある、と思いました。 >詩を読むという行為は、読むときの たまたまの感情や置かれている状況で >詩から書き手の心情や言いたいことが、読者に 届いたり届かなかったりするものですね。 これはありますね。日を置いて投稿することが、勧められるような、ことですね。 でも、その時の体験としてすぐ出したい時もあり、難しいことです。 >クールを探そうとしておられるこの詩に 私は励まされました。 落ち着いて考えようと、していました。 今は、過去のことについて思い出すこともそれほど頻繁ではありません。 だからこの詩も希望の詩という色合いを、僕の中では現在持っております。 (恨みたくない)

2018-09-19

すっごくいいですね。空の青で一面染まっている。どうしたらこんな描写ができるんだろうと、驚いてしまいました。 (夏風)

2018-09-24

三浦“天才詩人”果実さん コメント、ありがとうございます。動きや視野は、現実の世界において直ってきたところの反映だと思われます。天衣無縫を目指しておりますが、そのカッコつけ系に振れる言葉のロマンス、感じていただけたと思っております(僕のコメント、やや支離滅裂へ向かっております)。そう、書きたいことを書けた、と思うとき、表現欲求と承認欲求など、満たされますね。届いていないですね。でも、届く可能性もあるよ、と詩人というかそけき存在の僕を鼓舞してくれるところなど、野望を共有した美しいサイトが構築されつつある証拠です。公開ラブレター、書くと、阿鼻叫喚になるので、控えさせていただきます。三浦さん、心熱く志高きコメント、ありがとうございました。 (声)

2018-09-24

ふじりゅうさん 批評くださり、ありがとうございます。 声が、きっかけになります。見るのは普通にしていればできるけれど、声は発されない場合聞こえない。初めての声は、愛を呼び込みます。失望はしなかった、想像していた通りだった。 そういう内容を、豪速球で投げています。恋愛が腐ると、責任転嫁になりがちではないでしょうか。 僕自身の話をしていますが、こんなにこだわっているのは、良いピッチングをすることで、 何らかの動きとパフォーマンスを、もたらすことができそうだと考え、あえて言い訳という 言葉も、俎上に上げてみました。完成度を上げることを、心がけました。まだ届かない、 いつ届くのだろうか。届けるために言葉を磨く、そんな感じです。 (声)

2018-09-25

はじめまして。批評を書きます。僕の感覚である、という限定は踏まえてくださいね。 1、2行目は、主語を書くと、ぐっと見栄えがすると思います。「青空の続く」というのは、もっと限定的に、きっちりとした表現をするべき。事実を曲げる、という方法ではありますが。「声の下の喉の叫び 」というのは、重複表現です。 おはようという題はとてもいいと思います。精神性は、筋が通っており、見るべきところだと思いました。 (おはよう)

2018-10-31

悲しい詩ですが、聖書の下敷きのように救われたい、救われる、ような気持で包まれています。 恋愛というものはきっと、平等なんてものはなく、それが人類のすれちがいを、「生んでいるのではないか」 と、少なくとも一要素ではないかという気がします。でも、すれ違いも、戦いも、仕方がなくあるもの。 それを処理するのが人類です。心をどう扱うか、ということに、うまくなりたいと思わされました。 新宿は、暗闇のイメージしか僕にはありません。詩全体は、面白い書き方が生きているように思いました。 (底)

2018-10-18

仲程さん コメントありがとうございます。 新大陸ということばは、僕にとってはエイリアンのような感触でしたが、悪く働いていないようで、 よかったです。どうしても、主張の詩になるのですが、僕はよっぽど囚われているところがある ようです。 (新大陸と理屈)

2018-10-18

かるべまさひろさん コメントありがとうございます。 新大陸の発見、そのための理屈、という感じに分けてみました。色々感じてくださったのなら、嬉しいです。 (新大陸と理屈)

2018-10-20

オオサカダニケさん 実は、社会自体の悪というものを、僕は良く知らないのですよ。わからないというか。テレビを見て映るのは、 政治家の顔、顔、顔ばかり。そんなものから何が学べるというのでしょう。社会の仕組みを勉強したいです。 尊敬なんて、恥ずかしくなりますよ。一分くらい、受け取らせていただきます。1文1文字は、本当、 気を付けなければならないですね。 殺し文句は、「接着」がいい感じだと自分では思っていました。でも、殺し文句を、作ろうと思って 詩作したことは、最近ではあまりなかったです。興味はありますし、いろいろ考えてまた作ります。 えっと、人の詩を読むのに、少し苦手感が出てきて、困っているのですが、頑張ります。 (狭い)

2018-10-24

オオサカダケニさん 短い詩を書かれるんですね。少し、それが気後れにもなっているのでしょうか。気にせず、だんだん長く書けるように努力するのも、いいかもしれません。短い詩で、良いものを作るのもいいですね。さまざまに、やるのが、僕のスタイルでもありますよ。 (狭い)

2018-10-24

オオサカダニケさん、ありがとう!かっこいいなんて嬉しい。フリースタイルというやつですか。 (狭い)

2018-10-25

るるりらさん コメントありがとうございます。返信遅くなりごめんなさい。 さて、マンホールの下。水が流れている。これは、心や精神にも当然比喩できるわけで(書いたときは、 即物的にしか考えていませんでしたが)。清い水にかわる、そんな働きを増やしていきたいですね。 接着。また僕は理屈を持ち出してきましたが、実際の、そうした心の在り方を提言してみたのです。 依存というと、絶望的な感じがしますが、おっしゃるぬいぐるみのように、接着って少しお茶目で 救いがあって、少しだけ罪が少ないでしょ、というような感じを持てるからましなんじゃないかな、 と思います。依存って病気ですが、接着は意志。まあ理屈ですが。救われる雰囲気を、醸成できた でしょうか。 (狭い)

2018-10-30

藤 一紀さん おはようございます。コメントありがとうございます。 渡らねばならぬ川とは、人生においての、自らの迷いです。それを、揺れながら対岸にたどり着いた、 そんな手ごたえは、ありました。非常に、面白く揺れを感じていただいたようで、迷いながらも この詩をつづったかいも、ありました。まだまだ未熟な僕の、人生を、真剣にボートで渡りながら、 スリルも楽しむ余裕を取り戻したいと思っています。 (狭い)

2018-10-31

「よしっ」ていうのは、自分の心持に対する評価、あるいは、自分のするべきことが分かった、 やってみることをやってみたい気持ちができた、という意味でしょう。 そして、「走れ!」とは、自分が自分に対してする命令です。つまり、やるべきことを知ったとき、 あるいは何でもいいからぜひやってみよう、と思ったとき、命令しようとすることとそれを快く 受け取る感覚、じぶんサイクルを、作り出した。読んでいる僕も、励まされる詩でした。 (よしっ)

2018-11-01

みうらさん、読んでくださりありがとうございます。 自分語りは、自分を理解しようとする直接的な方法。自分を理解しながら書いていく。 それは時には自分だけのナルシスティックな世界になったり、重要度が人と違っていたりします。 だけど、僕は今回は長くなりましたが、詩というのは、自分独自の声を届ける場所です。 面白いことを言えば他人はおっと思うし、聞き逃せない本音が詰まった言葉もある。 僕は、みうらさんは、自分にできることが少なかったんでしょう。みうらさんの神話詩は、大変 面白かったですよ。難解な言葉も使われて、どんどんうまくなっていると思います。 そういう時期なんだと思います。どこを伸ばすかの。時期が変われば、また別の個所で 成長するようになる。おたがい、後悔のないよう詩作、読詩をしていきたいものですね。 たしかに、評価は、あまりにもらえないので気にする程度が少なくなりました(笑 魂というものに、僕はある程度信をおきつつ、逃れられないなあとも、感じています。 お褒めの言葉に預かり光栄です。いつもですが、自分の書く言葉が、みすぼらしいような 気がしていました。精進します。 (夜)

2018-11-14

自分を語ることを、されておりますね。 随分と分量もあり、筆力もあるだろうと思います。 偽り、と自分に自嘲しても、三浦さんは、本当のことを持っていらっしゃるようです。 それは、信頼感といったもののように、僕には思えます。 つまり、自分が自分自身に対する態度の信頼感のことです。 自分を失っても、それで自分は自分でなくなることはない。 やりたいことをやるのに、自分を偽っていようがそれが何であろうか。 全ての解放感とともに、新しい明日へ……。 さわやかな空気を残して。 三浦さんの渾身のひと振りに、凄く身が引き締まりました。 どこへいくにしても、孤独を乗り越える力をつけられておられるんですね。三浦さんの、なかの、 もの、を、忘れられません。 (たとえ偽りに終わったとしても)

2018-11-20

つきみさん 読んでくださり、ありがとうございます。 「木の芽時」という言葉、初めて知りました。とても面白いと思います。暖かさを求めて、そんなことを、ずっと考え続けてきた、不自由な頭で、少しずつ進んできたんですが、そんな感じの詩は、だいたいこんな形で終えていいのかな、と感じています。 (芽吹く)

2018-11-26

つきみさん アドバイスくださって、ありがとうございます。具体化とは、現実感を増すようになる気がします。自由に、自分らしく。そうですね、夢のような気持になりますが、それを思えば、そうするのは楽しい感じがします。少しづつ変わっていっている自分なのですが、楽しさを作り上げたいと思っています。季節感も、大切な要素ですね。 (芽吹く)

2018-11-26

るるりらさん 読んでくださり、ありがとうございます。Honestyは耳にしたことはありましたが、よく聞いたことは ありませんでした。とても心にしみる歌ですね。 僕は、落ち込んだり怒ったりすることがよくあるのですが、この詩は少し言い過ぎた部分もあったかなと思います。自分のことから、自分以外の人への励ましみたいなことへ、変わっていきたいなと思っています。もちろん、過度に偽善者をやっても仕方がないですが。外国人をだまして働かせるとか。 芽生えが生じたはずなので、自分でゆっくり育てていきたいです。 (芽吹く)

2018-12-03

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