ゼンメツ『飛べない』読解一例 - B-REVIEW
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きょこち(久遠恭子)

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きょこち(久遠恭子)

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批評対象
作品を読む

ゼンメツ『飛べない』読解一例    

<批評対象作品>
飛べない


このように伝わりと匂わせに長けた、高度に平易な散文詩は不遇だ。修辞が難しいうえに読み飛ばされやすく、どれほど洗練させても評価にはつながりにくい。その不遇に屈せずこれほどの高水準を達成した書き手に、わたしは敬服する。 本作の暗示の技術には、ほとんど非の打ち所がない。気の利いた構成、絶妙に印象的な選材、緻密な伏線と洒脱な回収、含みだらけの複雑な描写を通俗表現に収めきる技量、そのうえたっぷり残っている解釈の余地。そうした国語教育的な特長について、説明は不要であろう。以下の批評では国語の範疇を超えた、極端なまでに高度な修辞にのみ恣意的に注目する。 「この街はいつだって海沿いで、だからいつだって香る重い潮風も、もうほんとうのほんとうに当たり前のものなのだけれど。今日に限ってわたしは、不時着した惑星ではじめての外気に触れた異星人みたいに、しずかにひとりで肺を蝕まれていた。」(作品冒頭) 異化(シクロフスキー)。見慣れたあたりまえの日常を、いま初めて遭遇したかのように叙述しなおし、発見しなおす芸術的営為。習慣と経験則で練り固めた自動思考を、読者もともに脱せよと、作品が冒頭から訴えている(作者の意図はわたしの知ったことでない)。たとえば、 「わたしたちは暗く小さな部屋の、バカみたいに大きすぎるベッドのうえで (中略) お互いがお互いに、消費期限間近のすかすかのスポンジに無理やりクリームを塗っていくみたいに。唇を重ねて。重ねて。重なる。そうやって、わたしたちは何枚も覆い被さる。隙間が見えないように、震える余地もないように、でもそんなことは不可能で、けっきょく、風に揺れる街路樹の葉の擦れる音に自分たちの失敗を突きつけられる。あの音が嫌いだった。ざわざわと。」(2聯) 隙間風の吹く冷えたドライな関係という、使い古された常套句を、濃密に異化するあざやかな連想。「暗く小さな部屋の、バカみたいに大きすぎるベッド」が、箱に入ったまま売れ残ったホールケーキを惹起する。古い乾いたスポンジにクリームをひたすら塗りたくった、いかにも喉に詰まりそうなケーキが、ふたりのキスの味を象徴する。冷めたキスに隙間風が吹き、ふたりの摩擦でざわざわと起こる胸騒ぎ。もはや取り返しのつかない、おそらく最初から予想できていた破綻を、どうやらふたりは延々と糊塗し続けていた。 「とっくに別れた恋人との最後の日 (中略) ホテルバリでもカリフォルニアでもなく、ジュピター。」(1-2聯) 「好きな時間に好きなところへのワープ飛行を繰り返す異星人に憧れていたわたしも、いまや衛星みたいに安定した周回軌道をまわり続けている。」(3聯) 終わった恋への断ちがたい未練を、木星とその衛星に見立てるこれらの比喩には、上記の糊塗の内実がどっぷり匂っている。まず神話のジュピターといえば、恐妻家の浮気男だ。夫の浮気にいちいち怒り狂うことで有名な妻ジュノーとも、不倫のあげくの掠奪婚であった。常習的な不倫が依存であること、自分が掠奪しておきながら自分は掠奪されないなどと思いこむのが共依存であることを、ジュピターの神話はよく表している────この含みが、作品全体にみごとに効いている。 「好きな時間に好きなところへのワープ飛行を繰り返す異星人に憧れていたわたしも、いまや衛星みたいに安定した周回軌道をまわり続けている。」(上掲) この文章は一見、「以前は奔放に憧れていたが、いまはすっかり落ち着いた」といった意味に取れる。ところが前述のジュピターの含みを踏まえると、「当時は(不義の恋から)解放されたかったが、いまだ終わった恋に囚われている」といった、表面的な意味とはほとんど逆の意味しか取れない。 相容れないふたつの解釈をともに成立させる両価的な文章、わたしが詩に期待する最高難度の超絶技巧。続く4聯の「近づくだけで見失うものばかり」などの撞着語法も、よく噛めば深々と両義性(メルロ=ポンティ)を味わえる名文だ。とりわけ下記の、絶妙に唐突に撞着した両義的な異化は目覚ましい。 「……誰に呼びかけたわけでもないのに、すぐ横で室外機が音を立てはじめた。知らないむしの声が聴こえる。サンダルはまだそこにある。星が雲へと出たり入ったりしている。わたしはいまどうして、ここにいるのだろう。」(4聯2段) 呼びかけない限り室外機は音を立てないはずであるという、唐突にして頓痴気な前提で語り出される奇矯な情景。室外機の(当然『飛べない』)羽が、知らないむし(虫/無視)の声を聴かせるという。 なるほど羽虫というのは、室外ではいようがいまいが気にも留まらないのに、室内に入り込まれたとたん無視できなくなる存在だ。室内では執念深く殺して回っている羽虫への、その強い関心が、室外に出るなりきれいに失せてしまう。語り手にとって前述の恋が、そのように両義的な他者であるという雰囲気が、4聯2段の一言一句ことごとくに馥郁と匂っている。 メルロ=ポンティによれば「すべての他者は別の私自身である」。癒合性(自他未分化)だ。奇しくも上記の羽虫の存在感は、表面的な構造だけは自他未分化に通ずるものがあるが、ここではそんな詭弁にたわけるより、実際の自他未分化を思い知るべきだろう。 「彼がいようがいなくなろうが、わたしの生活はさほど変わらなかった。しいて挙げるならセックスができなくなったくらいで、」(3聯) 「わたしの10年来の相棒であるロケットの、普段使ってない三段変速がもう錆びちゃってたせいかもしれない。」(3聯) 「もう飛べないロケットを横に倒し、この世界のフチに跨って、目の前の空めがけてサンダルを蹴り捨てる。切り離しだけはわりと上手くいって、思いがけず遠くまで飛んだんだけど。そんなことでなんの結果も変わらないことは始めから分かっていたから。こんな夜分にはだれも通らない家の前の道路で、わたしの放る足先の、なんだか当たり前な角度と、もうどこも交わっていないサンダル。」(4聯) 年季の入った自転車に乗ることを「もう飛べないロケットを横に倒し、この世界のフチに跨って」などと極端に甘美に、絶妙に不自然なまでに唐突に換言する行為に、相応の意図がないわけはない。実際このロケットとサンダルの発射は、語り手が不義の恋を切っても切れないことや、一種の去勢不安(フロイト)に憑かれていることなどを、重層的に暗示する重要な比喩だ。その多義のひとつとして、若干破廉恥な意味合いを、感得しないほうがおかしい。これは言うまでもないとして。 語り手が自転車にまたがったまま、目の前へサンダルを蹴り捨てた、その「わたしの放る足先の、なんだか当たり前な角度」とは。その角度は、若い女性が当たり前と呼ぶには、あまりに慎ましいのでは。例のジュピター野郎のその角度に、かの女は満足できていたんだろうか、だいたいあのドチンポ野郎(荒木飛呂彦)はよくもまあ、その程度の三本目の足で不義のジュピターごっこなどを──── ────ここに至って、わたしは自分がこの語り手を、考えれば特に根拠もなく、自分と同じシス女性と思い込んでいたことに気づかされるのだ。そうジュピター野郎とセックスしていたことは、語り手を女性と想定する根拠にはならない。事実ジュピターの神話には、男色の相手がなん人も登場する。 だからといって「もう飛べないロケット」を、語り手自身の三本目の足と決め込むのも、やはり無根拠な思い込みに過ぎない。なにせこの作中には、語り手の性別を確定しうるような情報が、よくよく見ればひとつもないのだ。それを無理やり想定する必要も、よくよく考えればまったくないのだった。 にもかかわらずわたしが、語り手の性別を決定したい、語り手の性別が宙吊りのままではその立場を読解できないなどと考えるのは、おそらく自他が未分化だから。他者の身体を自身の延長物のようにしか認められていないから、自分が沿うジェンダーロールの型に他者まではめたがる。それはわたしがジェンダーに縛られ、依存していることの証左でもあろう。 「わたし。わたしは……めのまえにならぶ星座の名前をしらない。そもそも星の見分けが付かない。でもあれは小さい頃ほしかったスカートの形をしている。」(5聯) 以上の私見を踏まえて思うに、この星座はこと座。織姫の琴線だ。恋しい彦星と年一度しか会えない、逆に言えばなん度引き離されても年に一度だけは必ず会える、この語り手やジュピターの妻妾たちには妬ましいほど幸せに見えるであろう飛仙の。 以前こと座の形を栞に見立てて詩を書いたことがある。あの形はタイトな巻きスカートにも似ている。足の長い人にしか着こなせないような、女性より男性のほうが似合うかもしれないような、ただし三本足の存在感が大層気にかかりそうなシルエットだが、それにしても「小さい頃ほしかったスカート」? わたしはそんなどうでもよいものを微塵も覚えていないので、そこにこだわる語り手の心境を知りえない。前述の羽虫のごとく気に留めずにいた存在感に、いま自身を侵犯され困惑するばかりだ。 「……誰に呼びかけたわけでもないのに、すぐ横で室外機が音を立てはじめた。知らないむしの声が聴こえる。サンダルはまだそこにある。星が雲へと出たり入ったりしている。わたしはいまどうして、ここにいるのだろう。」(4聯2段、再掲) 「わたしの足にはもうサンダルがなかった。そもそもサンダルでどこまで歩けるのかしらなかった。ここからは波の音が聴こえない。室外機が静かになっていく。むしの名前には興味がない。ロケットはいまもそこで斜めのまま。」(作品末尾) かくの濃すぎる伏線の、とんでもなく洒脱なこの回収。作品末尾の、端麗だが絶妙に不自然な描写はどうやら、語り手の帰宅を異化したものだ。語り手が家に入ったので、波の音は聞こえなくなり、室外機の音も遠ざかった。そして例の羽虫のごとき、害虫への興味も(表面上は)失せたと。 前述の通り羽虫は、家内でこそ存在感を出してくるわけだが。あの害虫ジュピター野郎は逆なのだ。だって不倫相手とは、家庭の外でしか会えないのだから。と。 語り手は家に引きこもる。かつて不義の恋にたわけた街、あらゆる景色に自分の無様が透けて見えてしまう街で、恋人とまた名を呼び合う日を期待し続けるのに疲れたのかも知れない。 ロケット、語り手が再び外へ飛び出すための自転車は、駐輪され斜めのまま。顧みられずふてくされたように、主人の再搭乗を待っている。このくたびれたロケットは、語り手に切り捨てられた哀れなサンダルとはわけが違うのだ。なにせ10年来の相「棒」、あのドチンポ野郎(荒木飛呂彦)でも、去勢されたファルス(フロイト)の暴走でもなく。 ────なんという夜空の最高密度の青色(最果タヒ)。この描写だけでも本作は、100点満点中30000点だ。わたしは確信している、詩は様式がすべて、内容などはありさえすればなんでもよい。なにせ作者がなにをどう書こうが、読者は自分の読みたいようにしか読まない。この批評がそれを実証したはずだ。 だから、結局、駐輪中の相棒の自転車以外の暗示がだれのなにか、その傾斜角度は上へなん度かといった問題は、一生宙吊りのままでよい。 ※※※ この批評は筆者の自己表現であり、一切の責任を筆者が負う。この批評にある問題は、批評対象の問題ではなく、その著作者の責任でもない。



ゼンメツ『飛べない』読解一例 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 43
P V 数 : 3862.8
お気に入り数: 1
投票数   : 4


作成日時 2022-12-09
コメント日時 2023-01-04

ゼンメツ『飛べない』読解一例 コメントセクション

コメント数(43)
鷹枕可
作品へ
(2022-12-09)

超弩級の解釈、学識に感化され、興奮を致しております。 私にとっては良い契機ですので、幾つか、長年思い煩ってきました疑問に、解釈を頂けましたならば幸いに存じます。 質問1、 希臘神話の「ゼウス」と基督教の「デウス」は同一存在ではないか、と想いますが如何思われますでしょうか。 因みに、両者に共通致しますのは家父長制であり、基督教的貞節の美徳はクソであり、大嘘だと主観的に思っております。 希臘神話+ユダヤ思想がデウス、であるという、主観。 質問2、 嘘つきで狡い人間が最も尊ばれるのは何故なのでしょうか。 人間性の本質がそこに在るからでしょうか。 質問3、 この自身の思考、推察、解釈は腐って、或は錆び付いているでしょうか。 宜しければ、ご返答を何卒お願い致したく存じます。 ビーレビ、面白くなって来ましたよ。

1
澤あづさ
鷹枕可さんへ
(2022-12-10)

ご高覧ありがとうございます。鷹枕可さんのツイートを見て書いた推薦文ですので、ご本人からのご言及は励みになります。推薦文にコメントなどつくまいと思っていたのが、コメントどころかポイントに票まで頂戴してしまい恐縮しておりますが、今後ビーレビがおもしろくなればわたしもうれしい。 回答1) ゼウスとデウスの語源が同じであるのは間違いないと思いますが、キリスト教といえばローマとばかり考えておりました。そして家父長制のクソさはアブラハム三宗教に限ったことではなく、世界の全男性優位社会にほぼ普遍と感じております。 ちなみに念のため付言しますと、わたしが家父長制などの男根崇拝を警戒するのは、女権拡張運動とは関係ありません。わたしと同じ難病を持つ実父が、それを苦にして保険金目当てに自殺したからです。日本に男の甲斐性とかいうふざけたジェンダーロールがなかったら、父は死なずにすんだのだと思いますと、どうもね。 回答2) まず「嘘つきで狡い人間が最も尊ばれる」という仮説の有意性を検討しませんと、この話は先に進まないように思います。つまらん回答で申し訳ありません。 回答3) 「この自身」の指示内容を理解しかねますが、自身の解釈の正しさに拘泥すること自体が不健康であるように思います。んー。これは返答に困りますね。

1
澤あづさ
さんへ
(2022-12-10)

ご笑覧ありがとうございます。本作は熱烈なアンチ先進性偏重ですが、匂いが昭和どまりでしたか。それは残念です。次作ではぜひ明治を匂わせられるよう腐心いたします。

0
澤あづさ
さんへ
(2022-12-10)

ご高覧ありがとうございます。この読解はこの作風を目指す書き手に向けて書きましたので、すぐれた書き手の参考になれば、これにまさる喜びはありません。書き手にこれをご参考いただければ、わたし好みの詩が増えるはずだからです。完全な私利私欲の活動です。以後も地球さんのご参考に足るものを目指し精進いたします。

1
ゼンメツ
作品へ
(2022-12-10)

いま僕はネット詩が楽しい。 ひとから「なんで詩を書いているの?」と聞かれたら、結局のところ「自分の書く詩が好きだから」って答えるんだと思う。めちゃくちゃ自己満足なんだ。別のことで満たされまくってたら書く気が湧いてこない。だって詩作ってほんとまあ対価が無いんだから。僕は欲望のまま作品を生み出しているのだけど、もちろん書き終えてただそれだけでは満足ができない。どうしたって他人に褒めていただきたいのだ。恥を忍んでぶっちゃけるならスーパーウルトラめたくそ褒めていただきたい。 はっきり言って、僕はいまネット詩が楽しい。最高の気分だ。自分の書いたものを褒めていただき、自分が書いたことでこうやってまた新たにめちゃくちゃ面白いものが生まれたんだという実感。リアルタイムでエネルギーが動く様を目の当たりにして、あーーきっと僕はこういう快感を得るために書いてるんだなあって強く感じる。 まだまだ詩が上手くなりたい。単純に褒めてほしいから。単純にみんなから認められたいから。単純で純粋な欲望はトルクが違う。それだけで僕を突き動かしてくれる。 本当にありがとうございました!!

4
澤あづさ
作品へ
(2022-12-11)

作者様ごきげんよう、こちらこそありがとうございます。ゼンメツさんはわたしにとってきわめて重要な批評対象ですので、新作を拝見できたのは本当に僥倖でした。作者様の心証など評者の知ったことでないとはいえ、わたしの讃辞がゼンメツさんの励みになれば、もちろんそれに越したことはありません。 ゼンメツさんのお作に託けて言いたいことは山ほどありますが、たとえば今回読解に頻用した異化です。例の文学極道、B-REVIEW創始の発端となった投稿サイトでは、多くの参加者が異化を、脱臼との区別もつかないような奇矯と誤解していたように思います。先進性を追求するあまり、なんのために異化するのかという本質を失念したような修辞に、わたしはうんざりしていました。今回の読解はその鬱憤晴らしです、作中に「筆者の自己表現」と明記しました通り。 わたしの批評は、自作を愛する作者、特にこれほど高精度の修辞を駆使する書き手には、しばしば酷評より受け容れがたい暴力になるでしょう。ですから作者様の尊厳だけは、徹底して尊重します、すなわち敬服し絶賛いたします。ゼンメツさんの長いご健筆を切に祈ります。

4
澤あづさ
さんへ
(2022-12-13)

再コメありがとうございます。「結局は当事者同志で互いを称賛しあうという残念な結果」について、部分的には共感します。批評が批評されない環境が不健全であることは間違いないので。 一方「作品の称賛者と称賛された作品の投稿者が互いに相手を称賛しあって拍手などという光景は、あたりまえ」とのご意見には賛成できません。実際わたしは幾多の絶賛を、幾多の作者様から拒まれ罵られました。わたしの読解が根本的に暴力である以上、いたしかたないことです。わたしにとって作者様のご歓迎は、疑いなく僥倖です。 さてご指摘の異化その他ですが、わたし自身もシクロフスキーの例示や文学極道の一部レッサーの言論をさんざん懐疑したからいまに至ったのでして、それをどなたがどう懐疑なさるのも自由です。悪手を承知で打った手ですが、書くべきことは作品に書きました。「作者がなにをどう書こうが、読者は自分の読みたいようにしか読まない。」これ以上述べることはありません。

0
ゼンメツ
さんへ
(2022-12-13)

批評貰っても「ども、楽しく読んでいただいたようで。ありがとうございます」とか、そんなスーンてな感じの態度取っとけばいいの? 感情隠しながら慎ましく書くのが詩人? そんな事はないだろう。僕は嬉しかったら嬉しいと書く。昔は感動のあまり答え合わせみたいなレスを付けてしまうことが多かったけど、そのへんについては態度を改めた。だってレスが止まるし。 そもそも賞賛し合うことも悪いことだとは僕も思わない。ケチをつけるやつが現れてもいいし、新たな解釈をぶつけられてもいい。しかしそれがなされないのは僕だって残念だと思う。勿論、そこに関しては批評家の責任でも書き手の責任でもないわけだ。つまり室町さんが第三者を含む全員に対してコメントをつけているものだとしたら、僕もその意見に同意だってこと。もちろん言いにくい立場なんだけど。 ところで僕は元々、読解パズルの暗号文のような詩を書いていて、ただそれは、殆ど誰からも読み解かれなかった。そもそも読まれなかった。多分ぱっと見で面白くなかったのだ。もちろんその手の文体でも読まれ、評価される書き手はいるが、それはそういうセンスがあったからで、逆に僕にはそれが壊滅的に無かったってことだ。 僕は誰からも読まれずとも書き続けられるほどメンタルの強い書き手ではないので、解決策としてとにかく可読性をあげまくった。「なにも考えずに読んでも面白く、深読みできたらさらに面白い」が僕の掲げる理想だ。できるなら普段詩を読まない相手にも面白いと感じてほしいと思っている。 ちなみに可読性をあげまくったら、それはそれで読解されなくなった。それでも僕は読み解かれる日がくることを願いながら書いている。そもそも澤さんのこの読解はそんなに斜め上なのか?? 対象作を書いた僕から見ても「ここに気付き拾ってくれた!!」という喜びはあれど、「そんなこも想像してもねーわ」なんて思いはしない。そりゃ僕の意図を飛び越えていくところはある。しかし真反対とか、100億光年離れてるだとか、そんなことはない。だって僕自身がなるべく読みやすく書いているつもりなのだ。当然そこにつく読解も、読んだら納得させられるものになるじゃないか。 もう一度同じようなことを言うけれど聞いてくれ。僕ははじめから読解に耐えうる詩として書いているつもりだ。だからどれほどのものを書いていただいても後ろめたさなどはなく、胸を張って至上の喜びを伝えられる。

2
澤あづさ
ゼンメツさんへ
(2022-12-14)

なにはともあれこの大混乱のさなか、ゼンメツさんの詩論を伺えたのは僥倖でした。なにせきわめて重要な批評対象です。わたしも半年ほど前、4年ぶりにウェブに出戻ってきたんですが、出戻って真っ先にしたことのひとつが、前途有望な青年にゼンメツさんの模倣を勧めることでしたからね。ぶっちゃけこの作風の参考書を作りたい、どう考えても場違いの野望です。ゼンメツさんのご健筆を切に切に祈ります。

1
澤あづさ
作品へ
(2022-12-14)

※ひとりごと※ もう詩人の批評なんて撞着語法はやめちまって、みんな詩で語り合えばいいのに。ゼンメツさんといいあの人といい、コメントまでぜんぶ詩じゃん、これはわたしが非詩人だからわかることだ。とにかく、読解は根本的に暴力で、特に非詩人のは迷惑でもあって、わたしはこれまで幾多の絶賛を幾多の作者様に拒まれてきた。しかし読解を食らわす代わりに5票差し上げるとなれば、作者様も断るとは言わないのでは? 今回の推薦文にそういう卑屈な打算があったことも、打算があったから安心して悪手を打てたのも事実だ。認める。評者が作者様の顔色を窺っておって、批評ができるわけもない。そりゃそうだろうさ。

3
鷹枕可
さんへ
(2022-12-14)

室町様へ蛇足。 異化作用とはブレヒトの提唱した演劇用語(たぶん)。 表現が指示する処の言語の自明性を懐疑し、時には否定する行為(この把握でいいのかな)。 下記に、日本の演劇演出家、別役実氏の作詞した歌のリンクを張っておきます。 「異化」が、ふんだんに用いられています。 宜しければ、ご視聴くださいませ。 https://www.youtube.com/watch?v=AWAVcW3T4x0

2
澤あづさ
作品へ
(2022-12-16)

※ひとりごと※ https://www.breview.org/keijiban/?id=10373 この騒ぎで拙文、いよいよトップページの「話題の作品」にまで載ったけど、いったいその原因をなんだとゼンメツさんは思ってらっしゃるんだろう。血が詩でできてるようなコメントさんざんぶっ放しておいて。 わたしはこの作品で批判されてる推薦文を、武田地球さんのほうの拙文だと思ってたな。もちろん作者様の意図はわたしの知ったことじゃなく、自分で勝手に納得した。滑稽なのは批評対象でなく推薦文だと、はっきりご指摘いただけたので、全文すっかり腑に落ちた。今後にも自分なりには活かせると思う。 ※ひとりごと2※ いま記事制作のため文学極道の某ログを読んでるけど、レス欄がまあ魍魎跋扈にしか見えない。こうはなるまいと努め続け、創造大賞まで獲っただけあり、いまだ初心は揺るがない。すなわち拙文は、わたしの嫌いな批評とは違うと確信している。それを人様にどう罵られたってどうでもいいんだよ。お互い様だし。 これでもうゼンメツさんに推薦文書く人いなくなっちゃうだろうなーとか、考えてもしかたない。批評は根本的に暴力だ、腹をくくって抱えることにする。

0
澤あづさ
作品へ
(2022-12-17)

「これでもうゼンメツさんに推薦文書く人いなくなっちゃうだろうなー」というのは、たしかにまぬけなぼやきですね。見回せばわたしの投稿以降、推薦文自体が1本も投稿されていないのだから、被害者はゼンメツさんに限りません。そもそもわたしが来るまでゼンメツさんには推薦文が1本もついていなかったのだから、わたしの杞憂とゼンメツさんは関係ありません。せっかくあの匿名のかたからも暗にご指摘いただいたのに、克己はやはり困難です。 * 讃辞が過剰で信憑性を欠くというご指摘もごもっともです。これは長年の手癖でして、投票期間切れ間近の突貫作業だったため、修正しきれませんでした。力不足を熱量で押し切る、いかにも自信のない卑屈な話術を、なんとしても卒業したいと思っています。 もっとも本作は「詩壇で評価されていない不遇な作風の、書き手への訴求を目指す(まったく無謀な)技術論」ですので、怜悧や謙虚を気取るのは制作目的に合いません。わたしにとっては反現代詩手帖のアジビラのようなものですが、ゼンメツさんをそんな暴挙に巻き込むわけにはいきませんので、半端なところに落ち着かざるをえないという事情もありました。 ご不興の「国語教育的な特長について、説明は不要であろう」も、本作が根本的にアジビラであるがゆえの煽りです。悪手と承知で打った手で、事実悪手でした。いい加減冷めてきた。 * ついでに、国語教育的には言うまでもないことですが、鷹枕可さんは、上記のわたしの暴挙とは一切なんの関係もありません。 さらについでに、わたしはおめでたい人妻で、ゼンメツさんに(当然あの匿名のかたにも)恋愛感情などありえません。まったくもって国語教育的には言うまでもないことで、こんな言明を余儀なくされるのが、情けなくなりますけれども。 >失礼ながら、そういうことを語る態度、口ぶりには賛成できません。 そのお言葉そっくりそのままお返しいたします。

0
澤あづさ
さんへ
(2022-12-17)

通知を忘れました。上のコメは室町礼さんへの返信です。

0
トビラ
作品へ
(2022-12-17)

僕はけっこうオタクが推しへの愛でのたうち回って愛を叫んでいる姿が好きなんですよね。 もう理性も蒸発して「好きいいいい」ってゴジラが炎を吐くくらいの熱量で叫ぶ愛は素晴らしいと思ってる。 それだけ好きになってもらえるなんて、作者冥利に尽きると思うな。 もちろん、ライブの時に最前列で声をあげる人もいれば、後ろの方で腕を組んで静かに見守ってる人もいて、ただそれは、表現の仕方が違うだけで、好きな気持ちに優劣はないと思う。 僕はゼンメツさんのこの「飛べない」という作品にそこまで熱狂はできなかった、でもだからこそ、澤さんの言葉の熱量に触れて、この作品にはそういう温度もあるんだって知れる。 誰かの心を発火させた火種があるんだって。 それは自分では感じ取れなかった温度だし、取りこぼしてしまった風景でもある。 いや正直に言えば、正直にこの作品に対しての感想を言えば「そりゃ飛ぼうとしなきゃ飛べないよね」ではある。  でも「飛ぶ」ことだけが進化かと言えばそうではなくて、ペンギンだってダチョウだってキーウィだって飛ばない進化をしている。 飛ぶことこそ正義というのも思い込みなのかもしれない。 この澤さんの文章があるからこそ、自分が素通りしてしまった光も見える。 「そりゃ飛ぼうとしなきゃ飛べないよね」だけじゃなくて「何度も飛ぼうとしたけど飛べなかった」かもしれないし「前は飛べてたけど飛べなくなっちゃった」かもしれない。 それで改めて「飛べない」を読んでみて、前よりこの作品の良さがわかるようになりました、本当に。 澤さんの文章を読むことで、ゼンメツさんの作品に対しての理解度が深まりました。 水深1メートルから10メートルくらいに。 「飛べない」を読み直した感想をこちらに書いておきます。 まず冒頭の、 >この街はいつだって海沿いで、 この表現がうまい。 すごくさり気ない一文だけど、ひなびた港街のようなイメージが浮かぶ、ひなびたと言っても田舎と言うには都会だし都会と言うには田舎くらいの塩梅の港街。 この街はいつだって海沿いという少ない文章的情報量に、たくさんのイメージが詰まってる。 それに続く >だからいつだって香る重い潮風も、もうほんとうのほんとうに当たり前のものだけれど。 というところも、海沿いの街なら、それは磯の香りもするよね、いつもしててもそれは普通だよねと読み流ししてしまいそう。 でもこれは、重たい潮風で、周りがいつもしょっぱい、つまり人からの風当たりが辛いとも読める。 だからこの「飛べない」という作品はどこかの物語世界の話でもあり、このしょっぱい現実の世界の話でもあるとも読める。 それを成立させているのに口調は大事な点だと思う。 >夜空はいつだって最高密の青色だ これは最果タヒさんの詩集のタイトルだけど、そういう女性的な口語の口調。 そういう口調のかもし出す雰囲気。 例えば、学ランにリーゼントが昭和の不良を想起させるように、この口語の口調は若い女性を想起させる。 雰囲気だけで、どういう質感のものか読み手は感じ取れる。 詩は雰囲気を味わうものでもあると思う。 作中の語り手は辛い環境で昔の恋を思い出している。 その恋はきっと語り手にとってプーさんが大事に取っておいた蜂蜜くらい甘い思い出で、死にたくなるくらい辛い時に読み返す日記のようなものなんだと思う。 最後も、 >ロケットはいまもそこで斜めのまま 飛べないでいる でもあるし、 いつか飛ぶ時を待っている であるかもしれない。 ロケットは飛べてないかもしれない、飛べてないかもしれないけど、まだあり続けている。 それはまだ“飛ぶ”ことに対して思いがあるということじゃないかな。 澤さんの文章に触れてゼンメツさんの作品の良さがわかるようになりましたよ。 その上で僕が熱狂するかと言えばそれはまた別の話なんですけど、それは好みの問題もあります。 単純に、辛いって悶え苦しんで叫んでる方が好みという。

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澤あづさ
トビラさんへ
(2022-12-17)

詩人ってほんと偉大ですよ、ご本人は血が詩でできてるからご存知ないのだろうけど、トビラさんのコメントで完全に毒気が抜けました。ありがとうございますありがとうございます。おかげでやっと、やっとこなんのための推薦文であったか思い出しました。つまり批評対象が読まれてほしい、投稿日の自分のツイートにもそう書いてあった。それだけでよかったんだわたしだって最初は。 ちなみにこの推薦文、最初はこれの倍くらい褒め言葉が入ってたんですよ。これでも熱量を半分まで削り落としたのです、推し活のより格ゲーとかのが近いと思うのですけど。読解は発見のたびやばいほどの快楽に脳を支配されるので、こんだけ発見の多い詩に興奮するのはどうしようもない、興奮できなければ読解はできないって知られてほしい。つまりやっぱり、頭をよく見せかけるために熱量を削るといった無駄な努力は、もうしないことにします。 それにしても推薦文の利点には、現行ログで批評対象にコメントできる期間が増えることもあるのですね。こうしてトビラさんが感想を書き込んでくださったので気づきました。詩人の詩の感想を拝見できるのは、本当にありがたいことです。自分の読解に憑かれるとほかの可能性は見えなくなるし、詩人の感性はわたしには、しばしば天外天の産物ですので。たとえば、 >でもこれは、重たい潮風で、周りがいつもしょっぱい、つまり人からの風当たりが辛いとも読める。 >その恋はきっと語り手にとってプーさんが大事に取っておいた蜂蜜くらい甘い思い出で、死にたくなるくらい辛い時に読み返す日記のようなものなんだと思う。 こんなのぜんぜん気づかなかったしなーーーーーー そうですね、その思い出が甘いことは間違いないと思うし、語り手はそれにすがっているからこそ生きていられるのかも知れません。この詩はそうやって多角的に読めるのが最大の魅力ですので、わたしが気づかなかったことを教えていただけると助かります。 >単純に、辛いって悶え苦しんで叫んでる方が好み この視点もこの詩を批評するうえで欠かせないものですので、教えていただけてありがたく思います。この語り手がなぜ、悶え苦しんで叫ばないのか、本音を隠して匂わせることにどんな意義があるのか説明するのは、おそろしく難しいのです。その難題から逃げているのは、この批評の大きな欠点ですね。いつかは語り尽くせるようがんばります。

1
澤あづさ
さんへ
(2022-12-17)

長々モラハラお疲れさまでした室町さん。わたしいちおう心理学部卒ですので、あなたの所業がどういうことだか存じてますよ。ごきげんよう。

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ゼンメツ
作品へ
(2022-12-17)

これはぜんぜん関係ない話なので、もちろんトップに移動させないボタンにチェックを入れましたことをはじめに断っておきます。 私話になりますが、僕は今なし崩し的に自営業の店主をやらされています。しかし基本的に金勘定がへたすぎるので、ついに一週間ほど前、支払いができなくてクレカが止まりました。そして昨日そのクレカで支払ってたケータイが止まりました。てなわけで現在、Wi-Fiが届く範囲までが僕の無敵のテリトリーです。ちなみにそのWi-Fiもわりと調子がガタガタしているため、なんだかそこそこ止まりの無敵感です。 そうそう、僕は以前、文学極道というサイトで書いていたんですけど、思い返せばレスのやりとりの半分くらいは一輪車さん(室町さん)とのものだった気がしています。いや、まあ、半分はさすがに言い過ぎかもしれません。 こんなことを言ってしまうのはどうかと思うんですけど、一輪車さんに何を言われたところで腹が立つことはありません。というか一輪車さんがいなかったらゼンメツの存在感もかなり薄れていたはずで、感謝までしています。歴代大賞者の中でも代表の平川さんにあそこまで憎まれながら受賞したのは、もうどうやったってゼンメツという投稿者をスルーすることが不可能だったからだろうなって。あとは平川さん以外の選者は僕を大分推してくれたんじゃないかな。こんなのなにもかもが想像でしかありませんけど。 次の引き落とし日、20何日だか忘れましたけど、多分そこまでにお金が用意できなかったらネットが止まるので、たぶんここへの書き込みもできなくなります。まあまあ頑張って働いてますけど、いい大人のくせして生きていくことに危機感があんまないので、「精神的に未熟で幼稚」なのはきっと本当のことなのでしょう。ただ自分としては、欠けているものを描くのが好きなので、このへんは仕方がないと思っています。とにかく、件の支払いに間に合わなかった場合、僕のほうこそしばらくの間「御機嫌よう」なわけですが。はじめに断っておきますけど、決していやんなってやめたとかじゃないので。 ps.泥棒さんが現在どうされているのか知っている方がおりましたら、教えていただけませんか?

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三浦果実
作品へ
(2022-12-18)

澤さんどうも。お久しぶりです。この推薦文、もう何回目か、数えきれないぐらい読んでますよ。

1
ゼンメツ
さんへ
(2022-12-18)

>わたしはなにか底意をもってコメントや感想をしたことなどありません。 僕はあなたのレスを好意的に見ていると何度も宣言しているのですが、底意の指摘なんていつしたんでしょう? >自分たちの意にそわないコメントや感想を非難したり、だれかの名前を持ち出して同一人物であると誹謗する、 どっからどう見ても本人でしょ。本人だって言ってるだけでべつに誹謗なんてしてないですが。というか非難もしてないし、否定的コメントも大歓迎だって昔から今までずっと言ってきてますけど。これが本当に被害妄想なのかなんなのか僕にはちょっとわかんないですけど、真意どころか常に表明している意思すら伝わらないのは大変にびっくりですね。

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ゼンメツ
さんへ
(2022-12-18)

>「どうみても」あなたの詩はダメだといわれて反発されているのじゃないですか? >いや反発してないよといっても「どうみても」反発してますよなどといわれて >ゼンメツさん、否定してるじゃないですか。もう、そういうのやめましょうよ。 ごめんなさい。正直なに言ってるのかさっぱりわかんないです。 >わたしは一輪車さまではない。これは断言しておきます。 まあ僕には知る由もない事情があるんでしょうしそこについてはこれ以上口にするのはやめますね。ごめんなさい。

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ゼンメツ
さんへ
(2022-12-18)

なんで今更になって突然否定し始めたのかは解りませんし、話の本筋から外れているので聞く気もないですが、デマだったらデマで僕の信頼度が下がるだけですよ。そもそもそんなところ突いて反撃しても、「室町さん」の名義で僕のほうがはるかに散々誤解されかねないことそこら中で言い散らかされていますし、実被害の度合いがはるかに違いますね。そもそも僕自身は「一輪車さん」「室町さん」どちらに対しても悪いことは何も言ってませんし。違ったなら違ったで、あなた自身はなんの名誉も犯されていません。でも別人なんでしょ? だったら本当にすみません。 「被害妄想」という言葉は僕が否定的意見を受け入れていないかのような「デマ」をぶつけられたので、それに対して使ったまでです。 >それを根拠にわたしの感想を >無視していることはご自分がおっしゃっているじゃないですか。 おっしゃっているって、笑います。おっしゃってないです。それどころか毎回毎回めちゃくちゃ真正面から対話してますよ。だからそういうのを被害妄想って言うんですよ。

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澤あづさ
ゼンメツさんへ
(2022-12-18)

いやいやいやいや文極のお話を詳しく伺わないことには帰れないので、ぜひ入金をなんとかなさってください。今月無理だったとしても、ご再訪を執念深くお待ちします。 それにしてもゼンメツさん、ほんとレスの調子と訴求力だけは文極の初代創造大将に似てるよね。それ以外はなにひとつ感動的なまでに似ても似つかない、初代大将とゼンメツさんの違いを熱弁するだけで、反初期文極最高のアジビラが完成しそうなほど。とにかく入金後のご再訪をお待ちします。

0
澤あづさ
三浦果実さんへ
(2022-12-18)

三浦さんお久しぶりです。もちろんご精読いただけてると思ってましたが、急にどうなさったんです。わたしが文極での屈辱を思い出して泣いてるとか、ゆえにサイトを爆破されるとか心配になったの?

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澤あづさ
さんへ
(2022-12-18)

>正直な感想を述べる機会や場だけは守ってもらわないと、 だったらあなたが手本として、わたしの正直な感想を受け容れてみせたら? 以降、ハラスメントと対人論法・論調批判には返信しません。甚だしい中傷や流言には、気が向いたら「おめでとうございます」とだけ返信します。ごきげんよう。

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黒髪
作品へ
(2022-12-20)

非常に良い読解で着目すべき論述がたくさんありました。ケーキとか素晴らしい内容です。一つの精神(ゼンメツさん)が極点まで言い尽くされようとしています。だがそこまでです。精神でもって再構築されねばならない。夢を見て、見た夢をもっともっと僕に話して(見せて)くれ。次作「詩」期待しています。室町さん、異化であるとか両義性であるとか国語であるとか、理論の使用はこの批評の眼目ではない。室町さんの発言、感想はレベルは高いのに方向が良くない。理論という澤さんのコンプレックスに着目することは一つの論点だが、上手くできるものだろうか。澤さんの見た夢(と現実)こそが貴重なのだ。澤さんとゼンメツさんは夢を共有している。その内実を詳述することが読解だ。この読解によって、確かに不遇を応援している。その目的に対する誠実さこそが澤さんの固有である。

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鷹枕可
ゼンメツさんへ
(2022-12-20)

何かダラダラと管を巻ける日々もそう長くは続かないのだろうなあ、と感傷に浸っております。 泥棒さん、今何をしていらっしゃるんでしょうね。すっぱり詩を辞めても、人知れず孤独に詩を続けていても、名を改めてどこかで活躍していらっしゃっても。 あのおしゃれ泥棒スタイルは健在であって欲しいと切に、願望を懐いております。 あの日、文極閉鎖、凍結の日。12月の選評と、サイトが存続しておりましたならば2020年年間賞受賞者は誰であったのか、と。未だに気掛かりでもあり、復、こそばゆい記憶として時折反芻を致しております。 皆散り散りになってしまいましたけれども、あの集団でのいざこざ、本当に愉しかった。 現実の記憶とは縁の薄い、私の様な者にとりましては、にぎやかにも華やいでいた日々の記憶として、けして忘れることはないでしょう。 突然ですが。 何か、節目の様な心地が致しましたものですから、昔語りなどをさせて頂きました。 関係者以外には何が何やら判らぬレスポンスに成って仕舞いまして、允に申し訳ございません。 私からは、以上でございます。

2
澤あづさ
黒髪さんへ
(2022-12-20)

ご高覧ありがとうございます、ご参考に足りましたら幸甚です。特にご指摘のケーキのところの連想、わたしが「列挙」と呼んでいる技術は、わたしが思うにはゼンメツさんの最たる美点ですので、ご注目いただけたことをありがたく思います。 https://www.breview.org/keijiban/?id=2010 列挙の見所はこちらのほうが深甚なので、ぜひご参照ください。コメ欄に拙評もございます。 >だがそこまでです。精神でもって再構築されねばならない。夢を見て、見た夢をもっともっと僕に話して(見せて)くれ。次作「詩」期待しています。 この読解は技術論ですので、たしかに「この詩」を語るうえでは避けられない事柄を恣意的に避けています。そこまで言及していたら技術論が成立しませんので、技術以上のことはトビラさんのご感想のように、ほかのかたに語っていただきたいというのが筆者の本音です。贅沢を真っ正直に申せば「お返詩」がほしい、ビーレビでは解禁されているはずなので。 断言します。みなさまがお持ちの詩才と、この読解を成す能力は両立しません。 だからわたしは読解に専心します。詩を書かない者は詩を語れないという圧力への抵抗も兼ねて。 * 以下、くろかみさんのご発言に便乗し、ご閲覧のみなさまに向けて室町礼さんに言及します。 >この読解によって、確かに不遇を応援している。その目的に対する誠実さこそが澤さんの固有である。 誠実か否かはさておきお察しの通り、批評には目的があります。作中に明記した通り、あくまで評者の自己表現であって、作品ないし作者への奉仕ではありません。ましてや訴求対象でない読者様のお気持ちなど、知ったことでありません。 その意嚮を無視して室町礼さんよろしく「おれさまの読みたいものを書かないから、おまえは未熟で傲慢」などと強弁されても、拒否するしかありません。拒否も表現のひとつで、自由です。 >理論という澤さんのコンプレックスに着目することは一つの論点だが、上手くできるものだろうか。 批評に理論を用いることが権威付けであるとか劣等感であるとか、わたしには理解も受容もできません。それは邪推に基づく人格攻撃、いわれのない暴力です。室町礼さんに限らず、みなさまにこの場ではご遠慮いただきたいところです。 罵倒ごっこは馴れ合いです。罵倒を甘受しなければならないという思い込みは、暴力のエスカレーションを助長する愚行です。病的な遊びは文学極道とともに終わるべき、B-REVIEWはその先へ進むべきと考えます。わたしにぶつけたい憤懣をお持ちのかたは、ぜひ詩なり推薦文なりにしたためてくださいませ。

2
澤あづさ
さんへ
(2022-12-20)

再コメありがとうございます。投稿サイトのコメ欄はいろんな側面から刺戟的であるに越したことはないとわたしも思います。

1
黒髪
澤あづささんへ
(2022-12-20)

確かに邪推でありました、申し訳ありません。ウィトゲンシュタイン先生も仰っているように、独りよがりほど永遠に有害なものは無いので、自省します。その他にも自分勝手なことが多々あり恥ずかしいばかりです。

1
澤あづさ
黒髪さんへ
(2022-12-20)

くろかみさんへの反論ではなかったのですが、まぎらわしくてごめんなさい。謙虚なかたを拝見すると、自分の暴力が恥ずかしくなります。一進一退で克己を目指すしかなさそうです。 独りよがりは有害ですが、独りよがりでない自己表現というのが、いったい可能なのでしょうか。表現は根本的に暴力だと思っております。最終的には、抱えるしかないのでしょうね。

1
黒髪
澤あづささんへ
(2022-12-20)

そうですか、了解しました。余計なお気を使わさせてしまいすみません。 独りよがりでない自己表現はない、表現は暴力、同意します。ウィトゲンシュタイン先生が仰っていたのは、ベートーベンなど、その音楽はまったくの真理で人生をあるがままに見て高めたまったくの宗教であり、宗教的な詩などではなく、苦しんでいる者を本当の痛みにおいて慰められるというのです。なんという理想の高さ!ネットでその域に達しそうな人に一人だけ心当たりがあるのですが(文極関係者です)、僕には過ぎた縁かもしれません。いや、むろんすべての人に扉は開かれてあります。 せっかくですので、シラーの詩によるベートーベン「歓喜の歌」の動画をご紹介させてください。 https://youtu.be/DhNwMdkxFQY 丹生谷貴志『〈真理〉への勇気』という本もついでにおすすめします。

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澤あづさ
さんへ
(2022-12-21)

https://www.breview.org/forum_blog/archives/2541 このスレをツイッターで晒しちゃったのは、正直かわいそうなことしたと思う。まさかこんな展開になるとは思わなかったからな、あなたわたしが思ってたほど人望ないのね。まあその論理も品性もないむき出しの悪意と揺るぎない自信に、こっそり憧れてる人も多いと思うよ。ここまでアレな発言にうっかり同調したら自分もアレと思われるって、みなさん怖気づいてるだけよ。元気だして? 迷惑を宣言した相手に粘着するこの恥知らずな態度、どう考えてもマナー違反だけど、宣言通り処罰は望まない。わたしなんかのせいであなたを手放すはめになったら、運営が大弱りだろうからな。あなたでなく運営のためです、念のため。 その嗜虐癖が一生治らないことは知ってるし、ウェブでわたしひとりに粘着していじめ抜くぶんにはかまわないよ。あなたがわたしへの逆恨みで、わたしを褒めてくださった人にまで粘着するようになったら、さすがに運営も動かざるを得なくなるだろうから、そこだけは気をつけてね?

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澤あづさ
三浦果実さんへ
(2022-12-21)

おいかじっちゃん。あなたゼンメツさんのコメ欄で、作品の感想も述べずわたしの陰口ぶっ叩いてくれてたけど、上の粘着予告をどう思うんだ? この状況でかわいそうなびびりのわたしが、ほかの人へのコメントなどできるわけねーだろ。 https://www.breview.org/keijiban/?id=10398 でもエセインテリアのご指摘ありがとう。そうだったわたしエセインテリ嫌いなんだったって、おかげさまで思い出したわ。異化はぎっちり反エセインテリきめたつもりなので精読してほしいけど、両義性はたしかにエセインテリなので反省する。

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B-REVIEW
作品へ
(2022-12-21)

お世話になっております。運営の沙一です。 澤あづさ氏および室町礼氏に対し、議論の即刻停止を求めます。 以降、本コメント欄において議論が続いた場合、両者にカード発行が検討されます。 よろしくお願いいたします。

1
澤あづさ
B-REVIEWさんへ
(2022-12-21)

承知しました。例のスレをツイッターにさらした時点でアク禁は覚悟のうえですので、わたしへのカードはいま発行してくださってかまいません。今後、室町礼氏が貴サイトで、わたし以外のかたを不当に恫喝しないよう切に祈ります。

2
ゼンメツ
B-REVIEWさんへ
(2022-12-21)

これはつまりビーレビ運営は少しでも言い分に解釈の揺らぎが生じるものに関しては。客観的なジャッジはできない、もしくはしない、するべきでない。という運営方針であり、今回は単純に双方がお互いに相手からの被害を訴えたので、双方に対して議論の停止を求めた。という解釈でよろしいのですかね? この場合当事者間で議論は行えませんが第三者に関してはどうなりますか? また >本コメント欄において議論が続いた場合 とのことですが、これは他スレッドにて二者の議論が続いた場合に関しても明記したほうが分かりやすいんじゃないかな、と思います。

2
B-REVIEW
ゼンメツさんへ
(2022-12-21)

マナーガイドライン&ルールの合評マナーに「作者が不快感を示したり荒れる可能性がある場合は議論を即時中止すること。議論中止を運営者が指示することもある。」とあります。 マナーガイドライン&ルール https://www.breview.org/forum_blog/guideline_and_rules 当事者同士の話し合いによって議論が収束されるなら、運営は介入しなくても済みます。現に話し合いの中で収束させようという気配が見受けられました。しかし、これ以上お互いが自分の主張を繰り広げるばかりで、歩み寄る姿勢がなければ、不毛な応酬が続くことが予見されます。よって議論の即時中止を求めます。 また、第三者や他スレッドに関しては、問題が発生次第対応いたします。

5
B-REVIEW
さんへ
(2022-12-21)

運営も社会人ですから動ける時間が限られていることをご了承ください。緊急性が高いと判断した上での対応です。

5
ゼンメツ
B-REVIEWさんへ
(2022-12-21)

ありがとうございます。ということを第三者に向けて分かりやすくオープンにするために質問しただけです。個人的に腑に落ちないとか、そういう含みは特にないです。対応お疲れ様でした。

2
藤 一紀
作品へ
(2023-01-04)

澤さん、ありがとうございます。こちらの批評を書いて下さっていたので、三度になりますが、蛾兆さんの批評と合わせて読むことができました。

1
澤あづさ
作品へ
(2023-01-04)

ご高覧ありがとうございます。藤さんも蛾兆さんも、わたしの憧れの評者です。拙評がお二方のご参考に足りた栄誉を胸に精進いたします。

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澤あづさ
藤 一紀さんへ
(2023-01-04)

通知を忘れました。上記は藤さんへの返信です。

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