作品投稿掲示板 - B-REVIEW

澤あづさ


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2016年文学極道創造大賞ならびに年間最優秀作品賞。B-REVIEW創始者たちの同期の非詩人読解家。煽り耐性はない。罵倒、対人論法、論調批判、悪意の曲解、推薦文のコメ欄に批評対象の陰口を書き込む行為お断り。

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冒頭、 >私たちは「詩を書く読む」楽しみを目的にはしていなかったということ。私たちは詩をツールとして、主目的が別にあるというのである。これはパンドラの箱を開けている。みなさん、目覚めてください。私たちは詩を道具としてゲームを楽しんでいる。 そして末尾、 >先日、現代詩手帖の歴代選者の一覧を見た。あああ、この人たちが詩を殺したんだってわかった。そうだなんだよ?詩はエセインテリアたちによってパズルゲームにされたんだ。私たちは人間味あるソシャゲバトルフィールドでもって詩を再生させるのだ。 釣りにしか見えません。そして釣り餌の散文詩として、構成は悪くないように思いました(ゆえに釣られてコメントしております)。批評としてはマナー違反というか、卑劣なうえに腰抜けだし、例示ができていない時点で論評に値しませんけど。 内容は、ネタが寒すぎて笑えません。現代詩手帖の歴代選者がパズルゲーマーなんて噴飯物を、根拠も出さず平然と放言してしまえるセンスで成功するのは、詐欺や洗脳やモラハラや陰謀論だけだと思います。なにをなさりたいのかわかりかねますが、いつか大いなる鳥類小笠原へ雄飛なさいますことをお祈り申し上げます。 * ところで最果タヒの現フォデビューは2004年なのでしたっけ? わたしの持っている情報と辻褄が合わないように思うのですが、アカウントがもうないので確認できません。どなたか精確な情報をお持ちのかたがいらしたら、ぜひ教えてください。 (ネット詩はメタバースによってゲーム化する)

2023-01-27

>女性側にも相当問題があったんだろうと思ってしまいます。 そのお考えはよくないですよ。ストーカー規制法制定の契機になった桶川ストーカー殺人という事件は、まさにあなたのそのお考えが起こした悲劇です。日本にストーカー規制法があるのは、あなたのそのお考えが間違っているからです。 日本の有能な警察官は、ストーカー被害の防止に尽力しています。それというのも警察に通報されたストーカーのほとんどは、警察官から警告を受ければストーキングをやめるからです。「警察官から警告を受けてもストーキングをやめないストーカー」がどのような者であるか、よくお考えください。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-25

>流石に止めようとするお宮さんに対して、いきなり、 >「ちえええええええっ!!!」 >と奇声をあびせかけたかと思ったら、あろうことか飛び蹴りをかまします。 『金剛夜叉』にそんな奇声あったっけ、と思って青空文庫で見てきたらほんとだった。 ●引用────────────  木を裂く如く貫一は宮を突放して、 「それぢや断然(いよいよ)お前は嫁く気だね! これまでに僕が言つても聴いてくれんのだね。ちええ、膓(はらわた)の腐つた女! 姦婦(かんぷ)!!」  その声とともに貫一は脚(あし)を挙げて宮の弱腰をはたと踢(け)たり。地響して横様(よこさま)に転(まろ)びしが、なかなか声をも立てず苦痛を忍びて、彼はそのまま砂の上に泣伏したり。 (…) 宮が衣(きぬ)の披(はだ)けて雪ゆき可羞(はづかし)く露(あらは)せる膝頭(ひざがしら)は、夥(おびただ)しく血に染みて顫ふなりき。 ────────引用ここまで● 引用元:https://www.aozora.gr.jp/cards/000091/files/522_19603.html 「ちええ、膓の腐つた女! 姦婦!!」  ↓ 「ちえええええええっ!!!」 なんという簡浄な意訳にして詩的な凝縮。 個人的に貫一の蹴りは、飛び蹴りでなく16文キックのように読まれましたが、いずれにせよ暴漢です。貫一が「明治だからしかたない」ではすまされないクズであることにも異論はありません。 * ところでわたしが乙女のころ『金色夜叉』を初めて読んだきっかけは、ユニコーンの「大迷惑」という曲の歌詞でした。一番ではワイフとのマイホームを新築したとたん単身赴任になったのを「僕がロミオ君はジュリエット」と嘆き、二番では単身赴任先でボインに出来心かましておきながら「僕がカンイチ君はオミヤ」と嘆くという、メンタルいかれた被害妄想で、乙女心をそこそこ負傷した記憶があります。 しかしいまは衷心から、男性(貫一のようなクズは除く)の生きづらさを気の毒に思います。わたしの実家では祖父も父も、甲斐性のなさを苦にして自殺しており、すると弟もいつ自殺するかわからず、男性(貫一のようなクズは除く)を追い詰める社会の諸問題が他人事ではありません。男性社員の挙児や新築のタイミングで、もう辞められまいと踏んで無茶な人事だしてくる会社、ぜひ滅んでほしい。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-22

ご返答ありがとうございます。さきの質問は「こういうのは(詩に頻出する技法としての)メタファーとは呼べない」ということを確認したくいたしたものでしたが、想定外のご返答をいただき一層合点しました。 >僕の考えでは、シネクドキーは、異化の輝きを失い、死にゆく比喩です。まったく普通の言葉として人々に流通したとき、それは一つの名詞となり、比喩表現ではなくなります。なので詩的にはかっこ良くないのです。 これはすばらしい定義ですね。シネクドキーはもちろん、異化に関するシクロフスキーの要領を得ない説明にも、ようやく納得できた気がします。 詩神の自画自賛は韻文ですので、お察しいただけたような華々しい押韻がなされており、そのゆえに原典の文脈においてはかっこよく聞こえます。それが原典から切り離したとたん単なる中二病シネクドキーというのは、詩の翻訳不可能性の大問題でもあり、中二病原であるゲームやアニメの実態そのまんまでもありますね。わたしも女神転生からエッダを経てアイスランド語の俳句まで行き着いたので、中二病には大いに思い入れがあります。 ちなみにわたしはアーサリアンには、わが腹心の友なる赤毛のアンの導きで入りましたので、メガテン経由のエッダとは気合いが違います。「妖精の王」はスペンサー『妖精の女王』から来た誤解、「熊の王」はウェールズ語 Arthur の意訳であって、いずれも比喩ではない可能性があります。わたしがアーサー語りだすと惨状ですので以下自粛。ともかくありがとうございました。 (提喩と換喩ー「君の名は」と「天気の子」の違いについて)

2023-01-18

さきほど黒髪さんの推薦文にコメントしていたおりに、エッダ(北欧神話)に頻出する修辞技法のケニングを思い出しました。これがメタメトシネのどれに当たるのか、またも錯乱しましたので、こちらに貼らせていただきます。 ●ウィキペディア「ケニング」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0 わたしの記憶に最も鮮明なケニングは、古エッダ『グリームニルの歌』。詩神が「一度名のった名前は二度と名のらない」みたいな縛りで盛大に自画自賛する場面です。自画自賛のため自分で自分に大量のえらそうな異名をつけるのですが、そのことごとくがケニングでした。 ●ウィキペディア「オーディン」内「オーディンの呼称」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3#%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%91%BC%E7%A7%B0 詩神のこのケニングは、A→B→C→D→E...(以下長大に続く)の比喩です。B以下のどれも、正体がAであることは明白ですので、完全なメタファーではない(Aがほかのものに変身しきれていない)ように思います。またこれは詩神の自画自賛ですので、当然かっこいいと多勢に評価されるはずです。ここまではメトニミーの要件に合うように思うのですが、 >新庄さんの説では、換喩とは字義通りに解するとウソを言ってることになる表現/提喩は、そうではない表現としてます。私の考えに近いです。 いやいや詩神が自画自賛のためみずから名のった大量の異名が、ウソであるわけがない。ではシネクドキーなのか、詩神が自画自賛のためみずから名のった大量の異名がかっこよくないと? ご意見を伺えたら幸いです。 (提喩と換喩ー「君の名は」と「天気の子」の違いについて)

2023-01-17

推薦文に推薦文を書けるということを、この記事で初めて知りました。 * おりしもいま分裂気質としか形容しようもないような詩を批評している最中でして、高作を拝見し安堵を覚えました。わたしはガタリに心酔していますが、いちおう心理学部卒なので、この語の使用には本当に腰が引けるのです。この機会に新境地へ踏み出したく思います。 批評対象の推薦文も、その批評対象の詩も、わたしにはメタ詩のたぐいにしか見えませんが、メタ詩も分裂には違いないですね。さっそく新境地を垣間見た気分です。 (創造的分裂症━言語ゲーム?会話ゲーム?錬金術ゲーム?ある種の伝言ゲーム?━)

2023-01-17

ご高覧ありがとうございます、過分の讃辞ですが光栄の至りです。本作が成功したのであれば、理由は「批評対象がよいので当然」としか考えようがありません。評者にここまで語らせてくれる上質のメタ詩は、そうはありませんからね。 論評は寿司と同じでネタ七割と考えています。作品評なら残り三割の腕も引用に尽きると思います。この作品を選んだ時点で、本作の成功はほぼ確定していました。ゼンメツさんを見出した評者は幸運ですね、その幸運に見合う評者でありたいとつくづく思います。 * 「詩は様式がすべて」には語弊が多いようですね、説明の機会をいただけてありがたく思います。様式でなく「スタイル」あるいは「美学」と言えば伝わりがよくなるでしょうか。 自由詩には決まった作法がありませんので、書き手が作品を作法から独創しなければなりません。その作法が様式(スタイル)、様式の根拠となる思想や美意識が美学と、ここでは便宜上お考えください。 たとえば下記は、鷹枕可さんの過去作です。 ●鷹枕可『弛緩する淡湖』(文学極道2016年2月月間優良作品) http://bungoku.jp/ebbs/20160211_639_8621p ※PC(あるいはタブレット横)とスマホで見映えの違いを見比べることをおすすめします。PCではぜひ画面を縮小して、フォルムの全容をご確認ください。 このような作品を評価する際、わたしはなにをおいてもフォルム、そしてこのフォルムを生み出した書き手の美学に注目します。作品への評価を「意味がわからない」という理由で渋りたくないので、読解は度外視します。批評の最も重要な役割である目利きには、判断の早さも重要ですから、「この詩はフォルムがすばらしく、詩文もフォルムにふさわしい、したがって読解するまでもなく傑作である。」と即断します。 「詩は様式がすべて」とはそのような評価の姿勢であり、自分の読解を過信しないための自戒でもあります。特にわたしはテクスト至上主義者で、読解に当たり作者の意図を顧みませんので、当然その読解は自身の認知の限界を超えません。この陥穽を埋めるためにも、書き手の美学の傾聴が欠かせません。わたしをこの持論に至らしめた田中宏輔さんの全行引用詩の作法など、伺った際には震撼したものでした。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-17

急にハネムーン期よろしくどうなさったんです。そっちがそう来るなら、こっちもうっかり口すべらせますけど、ハート泥棒メッタメタ詩はもういい。同担大歓迎。次も読んでください。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-15

く、くそ、なんだこのチート主人公感。言ってる内容のほとんどはわたしがとっくに言い尽くし、半分以上はやり終えたことですらあるのに、訴求力が段違いすぎる。こんなとこでも文極史上最も非凡な創造大将!(当社比) ●ここ最重要● てかゼンメツさんもしかして、caseさん主宰HHMをご存じなのかな、 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=268990 これをご存じなら話が早いのですが、ビーレビはこういう潮流に最適のサイトだと思います。ぜひ会場ビーレビ主宰ゼンメツさんで、なにかイベントを興しましょう。創造大賞ならびにレッサー賞の超新星国語教育が推薦特化サイトで催すお返詩大会ってもう最高じゃないですか。さっそく回線の寿命をどうにかなさってください。 * 予定の推し活を憚ったのは、わたしの口が滑りまくること確実だからです。前回の記事に書いたでしょう「ゼンメツさん、ほんとレスの調子と訴求力だけは文極の初代創造大将に似てるよね。それ以外はなにひとつ感動的なまでに似ても似つかない、初代大将とゼンメツさんの違いを熱弁するだけで、反初期文極最高のアジビラが完成しそうなほど。」あとは国語力でお察しください。 右肩さんのその作品自体は、制作中のブログ記事で扱いゼンメツさんとの比較もするので、よかったら当該記事をご覧くださいよ。これはヒヒョーでなくきっっっぱり「批評」で、かつ「ビーレビにアカのある文極トップクラス8名詰め合わせ」です。泥棒さん(ビーレビに1作だけある)は記事の趣旨に合わないと思い抜きましたけど、ゼンメツさんがそこまでハートストーレンなら入れるかもしれません。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-12

右肩さんを推すためまた返信いたすと申しましたが、よくよく見たら問題のレス欄、作品でなくレス欄がですね、ビーレビで扱えるような代物でなかったので中止します。ごめんなさい。ちなみにその作品はメタ詩ではありません、この詩と同種の技術だが大きく違う点を紹介したかったのでした。ゼンメツさんの回線の長寿を切に切に切に祈ります。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-10

>あの「ゲーミングちんぽ」とは、レトリックとしては何でしょうか? 答えは無いんですよ。無いんですが、メトニミーでしょうね。カッコいいから。 >一方、「君の名は」の光るカップル「ゲーミングカップル」とは? たぶんシネクドキーでしょう。カッコよくありませんから。 メトシネを使いこなす自信は完全消滅し、メタメトの違いも錯乱してきました。A→Bの比喩で、Bしか示さない(AがBに変身する)のがメタであることは前回学びましたが、Aも示すのがメトなのでしょうか。いやではゲーミングちんぽのAはどこに??? >神様が巫女から受け取ったはずの口噛み酒は、このモブみたいなカレピが呑んでしまいます。 それにしてもこの神の件は、まったく衝撃的な読解ですね。わたしはカレピより巫女のほうがイモだと思っていたので、都会のカレピがモブであったことにも仰天です。 (提喩と換喩ー「君の名は」と「天気の子」の違いについて)

2023-01-10

ご高覧ありがとうございます。とてもありがたいご感想です。読者各位がそれぞれの胸に棲む好きな詩人を再読なさる機会になれたら、本作にとってそれ以上の栄誉はありません。喜びのあまり、盛大に口が滑りそうですので、これにて失礼いたします。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-10

お気遣いありがとうございます。わたしの要望が通るのでしたら、ぜひ無効でお願いいたしたく思いますj。フォーラムの議論に、推薦文5票は影響力が大きすぎるという意見がありました。それ以上の影響力が振るわれた先例になりたくありません。あえて通常投票をしないことで「推薦文にすべて出し切った」と意思表明したいとも思います。重ねてお手数をおかけし申し訳ありませんが、集計のほどよろしくお願いいたします。 (いつまでもそらにいる)

2023-01-10

ご高覧ありがとうございます、泥酔お返詩の快楽にご注目いただきうれしく思います。タヌキさんの泥酔、ぜひ拝見したいですね。わたしタヌキさんの詩もお返詩も好きなので、それはもうまた拝見したいです。 お返詩のたぐいは作者様不在の場のほうが望ましいし、鑑賞対象が草野理恵子氏ほどの著名人なら、同志を得るのも容易なのじゃないでしょうか。書籍の作品ですと全文転載できない、つまり読者に鑑賞対象を閲覧させられないのが、難しいところですけどね。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-10

やはりだめですか、だめなような気はしたのですが、場の空気を読めずお手数をおかけし申し訳ありません。「言及しさえすれば6票差し上げることは可能」という考えもこの機会に捨てます。作者様にも記事を汚したことをお詫び申し上げます。 (いつまでもそらにいる)

2023-01-10

あっ作者様ごきげんよう。回線生きてらしたんですね、それは本当に本当になによりでした。再訪なさると存じてたらもう少しまともな内容を検討したのですが、結果として作者様の顔色窺わずにすみ(※これはわたしの悪癖であり、ゼンメツさんのせいでは断じてありません)幸いだったと思うことにします。それにしてもゼンメツさんは、本当に本当に癒やし系ですねえ。 文極推し活ありがとうございます!!  諸事情でいま、寝ても覚めても文極づけですので、文極URL大歓迎いたします!! ▼泥棒『鳥は鳥、君は君、だから君は絶対に飛べない。』 http://bungoku.jp/ebbs/20160531_106_8855p ↑わたしの印象に最も強く残ってるハート泥棒メッタメタ詩はこれですね。コメ欄かなりのレア物ですので、優良ですけどあえて投稿欄を推しておきます。2006・2016・2019年創造大将がそれぞれ、2015年創造大将をどういう着眼から評したか、文極おたく以外だれも価値を解さない逸品ですよ。 泥棒さんの最盛期はやはり2015年なのでしょうね。以降メタメタしくなりすぎて評価がた落ちましたけど、わたしはメタ詩に造詣が深いのでもちろん推せます。ただハート泥棒メッタメタ詩は「この詩はメタフィクションだ。」の一言だけでは売り込み不可能なので、ヒヒョー家には難敵ですわ。 * 最後のお話に乗じて、もいっこぜひとも推し活したい文極投稿欄(ちな右肩さんの)がありますので、また改めて返信いたします。どうかそれまで、癒やし系ゼンメツさんの回線が延命しますように! (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-10

※ご閲覧のかたがたへ※ わたしは心理学の専門家ではありません。文末の註記に載せた記事内に書いた通り、ただの心理学部卒です。学部卒に臨床心理士・公認心理師の受験資格はありません。わたしは専攻が臨床ではなかったので、院試の受験資格すらありませんでした。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-10

ご高覧ありがとうございます。まあつまり泥酔です、文末の註記を除き、ここに好き以外のことはなにも書いてありません。説明する気がまったくない(それが不要であることを、実際の経験から熟知している)ので、客観的にはかなりの難文であろうと思いますが、好意的に読んでいただけて幸いです。 以前苦行のごとく詩を修煉し、どうあがいても自分の筆致が自分の要求水準に達しないことを悟り、詩はもう断筆したのですが、こういうのを書いてみますと、これがわたしにとっての詩作なのかもしれないと思いますね。適した形が人とは違うだけで、わたしにも書ける詩があるのかもしれないと。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-10

ご高覧ありがとうございます。読めるかたのご感想ってスリリングです。 >作者と作品の紐付けに附きましては、「いいとこどり」で宜しいのではと考えて居ります。 わたしテクスト至上主義者なのに、現に本作も作者など一顧だにしてないのに都合よく、作者様(と、作者様もたぶん好きだってだけでこの詩とはぜんぜん関係ない別のある人)好きいいいとかふざけんな、と自分でも思いましたが。前作のエセインテリごっこでためこんだ、言いたいこと言えない鬱憤を、今回は全力で発散しました。書いてておっっっそろしく快楽でした。認知と正確性にはまったく自信がありませんが、心あるかたを刺戟できれば幸いです。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-09

すごいもやばいも、もとは否定的な意味で用いられていたのが、肯定的な評価に転じた形容詞ですね。これらの転義には、ドーパミンなしに生きられずより強い刺戟を求めずにいられない人間の本能が、露骨に反映しているのだろうなあと、高作から深々と感得しました。 *** それで思い出したので書きますが以前、嵐の櫻井翔と相葉雅紀が同時に結婚発表した際、両名の結婚報告の違いに、妙な感銘を受けたものでした。 ①「この度、私櫻井翔は結婚致しましたことをご報告申し上げます。」 ②「この度、相葉雅紀は結婚させて頂くことになりました。」 (日テレNEWS https://news.ntv.co.jp/category/culture/946766) ②の「させいた」をわたしは長年、過度の謙譲で慇懃無礼と思っていましたが、令和の多勢は相葉雅紀の敬語に、きっとなんの疑問も持たないのでしょう。この現象を「敬意逓減」というそうです。聞くだに報酬系の所業です。 櫻井翔はそこまで露骨に本能的な表現に耐えられなかったようですが、考えたら「ご報告申し上げます」も相当いかれてるし五十歩百歩です。もちろんわたしも、たとえば故エリザベス二世陛下崩御のおり「女王の平安をお祈り申し上げます」とツイートした記憶があるので、人様の表現をどうこう言える立場にはありません。 (すごいやばい)

2023-01-09

推薦文だしてから、コメントもすれば6票差し上げられること気づいた。 (いつまでもそらにいる)

2023-01-09

ご返信ありがとうございます。証拠はありませんが投稿作品から、類さんが鴉氏ご本人であることは明白と思われましたので、自分の目利きを信じて併記しました。鴉氏についてなんの情報も得ておらず、かつ別件で「ビーレビにアカウントのある文極トップクラスの書き手」を収集していました(この件で高作『Water』を扱うといま決めました)ので、この情報提供は本当に僥倖でした。 選考結果の食い違いは、お察しの通りおでん氏のほうです。2016年だけで次点4作、『虫籠』も2017年の再投稿で次点に選出されています。また鴉氏にもおでん氏にも2020年の投稿があり、結果として両者の入選作は、鴉氏がすべて優良でおでん氏がすべて次点という、きわめて象徴的なものに仕上がっています。わたしは文極の「次点」をあまり信用していませんが、この結果に関しては(失礼かもしれませんが)文極の目利きに感服しました。ケムリ氏から始まった創造大賞が鴉氏で終わったことを、わたしはとても感慨深く、きわめて好ましく思っています。 (虫籠)

2023-01-06

申し訳ありません、お話伺えないでしょうか。おりしもいま諸事情で、文学極道年間各賞全15回の一覧を作っているところです。類さんは2019年創造大賞の鴉氏と同一人物で間違いないのでしょうか? わたしの存じている2016年の名義とは筆致が大きく異なりますし、上記の類さんのお話と実際の選考結果が若干食い違うので、ぜひ確認したいのです。 文学極道の賞歴は黒歴史と思う人が多勢のようです。ツイッターで創造大賞受賞者をなん名かフォローしていますが、どなたもプロフに文極のブの字も載せてらっしゃいません。類さんも、名義を変えられたということは、過去と訣別なさりたいのかもしれません。確認が取れれば制作中の一覧に別名義を併記します、この情報は拡散する予定ですので、拡散を望まないというご意嚮なら、ご返答はなさらないでください。 (虫籠)

2023-01-06

通知を忘れました。上記は藤さんへの返信です。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2023-01-04

ご高覧ありがとうございます。藤さんも蛾兆さんも、わたしの憧れの評者です。拙評がお二方のご参考に足りた栄誉を胸に精進いたします。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2023-01-04

ロケット=自転車の解釈に、拙評をご採用くださりありがとうございます。大変興味深く拝見しました。こうして批評対象の直喩の多さを示されると、あの唐突なロケットがいかに絶妙に浮いているか、改めて考えさせられますが、 >隠喩では、AをBに喩える際に、Bしか示されません。なのでAは読者が想像するしかありません。 この解説に、なんというか、虚をつかれました。拙評が欠いているものを勝手に学び取りましたので、さっそく次作に活かしたく思います。この飄々たる語り口も、わたしには会得できなかった文体なので憧れます。 (直喩と隠喩 ゼンメツ氏の「飛べない」について)

2023-01-04

この作品、6年半前に文学極道で拝見しました。印象に残った詩は6年たっても脳裡に刻まれているものですね。 懐かしくなり、文極の跡地を掘ってみたところ、当時「怜悧だが地味で物足りない」といったことをレスしたようです。当時率直に述べたその感想は、この詩が6年半もわたしの脳裡に刻まれていた事実を鑑みれば、撤回せざるをえないでしょう。1票おいてまいります。 (虫籠)

2023-01-04

人の陰口を安牌そうな人にひたすら吹き込んで回る腰抜けキョロ充くんってのも、エセインテリアを笑えないクソ安全圏だと思うんですが。いかがなんですかね。 わたしは運営から来たDMに「室町氏の処罰は望まない、かれは優秀な評者だし、有益な参加者だ。」と返信した。だからイエローカードは残念だけど、わたしは運営と癒着してないからなにもできない。まぬけな陰謀論はご勘弁くださいよ。 そんなに不思議なのかな、あなたのアカウントから出てきたあの匿名の詩をあんなに歓迎したエセインテリが、室町氏の一切を拒否するというのが。あなた女の子に「彼氏にセックスさせてるんだからおれにもさせろ、でないと不平等だ。」とか言っちまうタイプなの?  あなたが澤あづさをいびり抜かれて当然のゴミと値踏みしてるように、わたしもあなたがたを、それはもう腹黒く品定めしている。だから言ってんだよね、表現は根本的に暴力だって。それ以上の暴力はもうごめんだ。ここは文極じゃないし、わたしには罵倒耐性がない。ちな作品にコメントしないのは年末だからだ。きよしこの夜になにやってんだろう。 ※室町さん、お邪魔しました。これきり二度とお邪魔しませんので、迷惑は宣言なさらずとも大丈夫です。 (犬(いぬ)論)

2022-12-24

承知しました。例のスレをツイッターにさらした時点でアク禁は覚悟のうえですので、わたしへのカードはいま発行してくださってかまいません。今後、室町礼氏が貴サイトで、わたし以外のかたを不当に恫喝しないよう切に祈ります。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-21

おいかじっちゃん。あなたゼンメツさんのコメ欄で、作品の感想も述べずわたしの陰口ぶっ叩いてくれてたけど、上の粘着予告をどう思うんだ? この状況でかわいそうなびびりのわたしが、ほかの人へのコメントなどできるわけねーだろ。 https://www.breview.org/keijiban/?id=10398 でもエセインテリアのご指摘ありがとう。そうだったわたしエセインテリ嫌いなんだったって、おかげさまで思い出したわ。異化はぎっちり反エセインテリきめたつもりなので精読してほしいけど、両義性はたしかにエセインテリなので反省する。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-21

https://www.breview.org/forum_blog/archives/2541 このスレをツイッターで晒しちゃったのは、正直かわいそうなことしたと思う。まさかこんな展開になるとは思わなかったからな、あなたわたしが思ってたほど人望ないのね。まあその論理も品性もないむき出しの悪意と揺るぎない自信に、こっそり憧れてる人も多いと思うよ。ここまでアレな発言にうっかり同調したら自分もアレと思われるって、みなさん怖気づいてるだけよ。元気だして? 迷惑を宣言した相手に粘着するこの恥知らずな態度、どう考えてもマナー違反だけど、宣言通り処罰は望まない。わたしなんかのせいであなたを手放すはめになったら、運営が大弱りだろうからな。あなたでなく運営のためです、念のため。 その嗜虐癖が一生治らないことは知ってるし、ウェブでわたしひとりに粘着していじめ抜くぶんにはかまわないよ。あなたがわたしへの逆恨みで、わたしを褒めてくださった人にまで粘着するようになったら、さすがに運営も動かざるを得なくなるだろうから、そこだけは気をつけてね? (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-21

くろかみさんへの反論ではなかったのですが、まぎらわしくてごめんなさい。謙虚なかたを拝見すると、自分の暴力が恥ずかしくなります。一進一退で克己を目指すしかなさそうです。 独りよがりは有害ですが、独りよがりでない自己表現というのが、いったい可能なのでしょうか。表現は根本的に暴力だと思っております。最終的には、抱えるしかないのでしょうね。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-20

再コメありがとうございます。投稿サイトのコメ欄はいろんな側面から刺戟的であるに越したことはないとわたしも思います。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-20

ご高覧ありがとうございます、ご参考に足りましたら幸甚です。特にご指摘のケーキのところの連想、わたしが「列挙」と呼んでいる技術は、わたしが思うにはゼンメツさんの最たる美点ですので、ご注目いただけたことをありがたく思います。 https://www.breview.org/keijiban/?id=2010 列挙の見所はこちらのほうが深甚なので、ぜひご参照ください。コメ欄に拙評もございます。 >だがそこまでです。精神でもって再構築されねばならない。夢を見て、見た夢をもっともっと僕に話して(見せて)くれ。次作「詩」期待しています。 この読解は技術論ですので、たしかに「この詩」を語るうえでは避けられない事柄を恣意的に避けています。そこまで言及していたら技術論が成立しませんので、技術以上のことはトビラさんのご感想のように、ほかのかたに語っていただきたいというのが筆者の本音です。贅沢を真っ正直に申せば「お返詩」がほしい、ビーレビでは解禁されているはずなので。 断言します。みなさまがお持ちの詩才と、この読解を成す能力は両立しません。 だからわたしは読解に専心します。詩を書かない者は詩を語れないという圧力への抵抗も兼ねて。 * 以下、くろかみさんのご発言に便乗し、ご閲覧のみなさまに向けて室町礼さんに言及します。 >この読解によって、確かに不遇を応援している。その目的に対する誠実さこそが澤さんの固有である。 誠実か否かはさておきお察しの通り、批評には目的があります。作中に明記した通り、あくまで評者の自己表現であって、作品ないし作者への奉仕ではありません。ましてや訴求対象でない読者様のお気持ちなど、知ったことでありません。 その意嚮を無視して室町礼さんよろしく「おれさまの読みたいものを書かないから、おまえは未熟で傲慢」などと強弁されても、拒否するしかありません。拒否も表現のひとつで、自由です。 >理論という澤さんのコンプレックスに着目することは一つの論点だが、上手くできるものだろうか。 批評に理論を用いることが権威付けであるとか劣等感であるとか、わたしには理解も受容もできません。それは邪推に基づく人格攻撃、いわれのない暴力です。室町礼さんに限らず、みなさまにこの場ではご遠慮いただきたいところです。 罵倒ごっこは馴れ合いです。罵倒を甘受しなければならないという思い込みは、暴力のエスカレーションを助長する愚行です。病的な遊びは文学極道とともに終わるべき、B-REVIEWはその先へ進むべきと考えます。わたしにぶつけたい憤懣をお持ちのかたは、ぜひ詩なり推薦文なりにしたためてくださいませ。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-20

>正直な感想を述べる機会や場だけは守ってもらわないと、 だったらあなたが手本として、わたしの正直な感想を受け容れてみせたら? 以降、ハラスメントと対人論法・論調批判には返信しません。甚だしい中傷や流言には、気が向いたら「おめでとうございます」とだけ返信します。ごきげんよう。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-18

三浦さんお久しぶりです。もちろんご精読いただけてると思ってましたが、急にどうなさったんです。わたしが文極での屈辱を思い出して泣いてるとか、ゆえにサイトを爆破されるとか心配になったの? (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-18

いやいやいやいや文極のお話を詳しく伺わないことには帰れないので、ぜひ入金をなんとかなさってください。今月無理だったとしても、ご再訪を執念深くお待ちします。 それにしてもゼンメツさん、ほんとレスの調子と訴求力だけは文極の初代創造大将に似てるよね。それ以外はなにひとつ感動的なまでに似ても似つかない、初代大将とゼンメツさんの違いを熱弁するだけで、反初期文極最高のアジビラが完成しそうなほど。とにかく入金後のご再訪をお待ちします。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-18

長々モラハラお疲れさまでした室町さん。わたしいちおう心理学部卒ですので、あなたの所業がどういうことだか存じてますよ。ごきげんよう。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-17

詩人ってほんと偉大ですよ、ご本人は血が詩でできてるからご存知ないのだろうけど、トビラさんのコメントで完全に毒気が抜けました。ありがとうございますありがとうございます。おかげでやっと、やっとこなんのための推薦文であったか思い出しました。つまり批評対象が読まれてほしい、投稿日の自分のツイートにもそう書いてあった。それだけでよかったんだわたしだって最初は。 ちなみにこの推薦文、最初はこれの倍くらい褒め言葉が入ってたんですよ。これでも熱量を半分まで削り落としたのです、推し活のより格ゲーとかのが近いと思うのですけど。読解は発見のたびやばいほどの快楽に脳を支配されるので、こんだけ発見の多い詩に興奮するのはどうしようもない、興奮できなければ読解はできないって知られてほしい。つまりやっぱり、頭をよく見せかけるために熱量を削るといった無駄な努力は、もうしないことにします。 それにしても推薦文の利点には、現行ログで批評対象にコメントできる期間が増えることもあるのですね。こうしてトビラさんが感想を書き込んでくださったので気づきました。詩人の詩の感想を拝見できるのは、本当にありがたいことです。自分の読解に憑かれるとほかの可能性は見えなくなるし、詩人の感性はわたしには、しばしば天外天の産物ですので。たとえば、 >でもこれは、重たい潮風で、周りがいつもしょっぱい、つまり人からの風当たりが辛いとも読める。 >その恋はきっと語り手にとってプーさんが大事に取っておいた蜂蜜くらい甘い思い出で、死にたくなるくらい辛い時に読み返す日記のようなものなんだと思う。 こんなのぜんぜん気づかなかったしなーーーーーー そうですね、その思い出が甘いことは間違いないと思うし、語り手はそれにすがっているからこそ生きていられるのかも知れません。この詩はそうやって多角的に読めるのが最大の魅力ですので、わたしが気づかなかったことを教えていただけると助かります。 >単純に、辛いって悶え苦しんで叫んでる方が好み この視点もこの詩を批評するうえで欠かせないものですので、教えていただけてありがたく思います。この語り手がなぜ、悶え苦しんで叫ばないのか、本音を隠して匂わせることにどんな意義があるのか説明するのは、おそろしく難しいのです。その難題から逃げているのは、この批評の大きな欠点ですね。いつかは語り尽くせるようがんばります。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-17

通知を忘れました。上のコメは室町礼さんへの返信です。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-17

「これでもうゼンメツさんに推薦文書く人いなくなっちゃうだろうなー」というのは、たしかにまぬけなぼやきですね。見回せばわたしの投稿以降、推薦文自体が1本も投稿されていないのだから、被害者はゼンメツさんに限りません。そもそもわたしが来るまでゼンメツさんには推薦文が1本もついていなかったのだから、わたしの杞憂とゼンメツさんは関係ありません。せっかくあの匿名のかたからも暗にご指摘いただいたのに、克己はやはり困難です。 * 讃辞が過剰で信憑性を欠くというご指摘もごもっともです。これは長年の手癖でして、投票期間切れ間近の突貫作業だったため、修正しきれませんでした。力不足を熱量で押し切る、いかにも自信のない卑屈な話術を、なんとしても卒業したいと思っています。 もっとも本作は「詩壇で評価されていない不遇な作風の、書き手への訴求を目指す(まったく無謀な)技術論」ですので、怜悧や謙虚を気取るのは制作目的に合いません。わたしにとっては反現代詩手帖のアジビラのようなものですが、ゼンメツさんをそんな暴挙に巻き込むわけにはいきませんので、半端なところに落ち着かざるをえないという事情もありました。 ご不興の「国語教育的な特長について、説明は不要であろう」も、本作が根本的にアジビラであるがゆえの煽りです。悪手と承知で打った手で、事実悪手でした。いい加減冷めてきた。 * ついでに、国語教育的には言うまでもないことですが、鷹枕可さんは、上記のわたしの暴挙とは一切なんの関係もありません。 さらについでに、わたしはおめでたい人妻で、ゼンメツさんに(当然あの匿名のかたにも)恋愛感情などありえません。まったくもって国語教育的には言うまでもないことで、こんな言明を余儀なくされるのが、情けなくなりますけれども。 >失礼ながら、そういうことを語る態度、口ぶりには賛成できません。 そのお言葉そっくりそのままお返しいたします。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-17

※ひとりごと※ https://www.breview.org/keijiban/?id=10373 この騒ぎで拙文、いよいよトップページの「話題の作品」にまで載ったけど、いったいその原因をなんだとゼンメツさんは思ってらっしゃるんだろう。血が詩でできてるようなコメントさんざんぶっ放しておいて。 わたしはこの作品で批判されてる推薦文を、武田地球さんのほうの拙文だと思ってたな。もちろん作者様の意図はわたしの知ったことじゃなく、自分で勝手に納得した。滑稽なのは批評対象でなく推薦文だと、はっきりご指摘いただけたので、全文すっかり腑に落ちた。今後にも自分なりには活かせると思う。 ※ひとりごと2※ いま記事制作のため文学極道の某ログを読んでるけど、レス欄がまあ魍魎跋扈にしか見えない。こうはなるまいと努め続け、創造大賞まで獲っただけあり、いまだ初心は揺るがない。すなわち拙文は、わたしの嫌いな批評とは違うと確信している。それを人様にどう罵られたってどうでもいいんだよ。お互い様だし。 これでもうゼンメツさんに推薦文書く人いなくなっちゃうだろうなーとか、考えてもしかたない。批評は根本的に暴力だ、腹をくくって抱えることにする。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-16

締めたあとに申し訳ありませんが、 >わたし個人としてはゼンメツさまの詩はまだ精神的に少し幼いと感じているからわたしには批評の対象にすらならならないけど >他の人にとっては超絶現代詩という方もいらっしゃる。それはそれでいいと思うのです。 (以上、室町礼さんのコメントより) ここは第三者に誤解されたくないので述べます。わたしはゼンメツさんの『飛べない』を超絶現代詩とは一言も評しておりませんし、一切考えておりません。むしろ近代短歌的な着眼を極めた、すなわちいわゆる現代詩的な思想とは無縁のものと感じております。そんな粗雑な、バカのマウント取りを絵に描いたような印象論の類型論には、百害あって一利もありませんので、わざわざ言及はしませんでしたが。室町礼さんがわたしの批評を昭和と評されたことに対し、わたしが「それは残念なので明治を目指す」と宣言したのも、この印象が理由です。 https://www.breview.org/keijiban/?id=10356 さらに念のため付言しますが、上記推薦文についている「現代詩」のタグは、B-REVIEWのシステムに勝手に振られたもので、わたしの意志ではありません。わたしは現代詩という空疎な名称を、ほとんど信用しておりませんので、あのタグは迷惑と感じていました。もし運営のかたがこの発言をご覧でしたら、この機会にぜひ廃止をご検討いただきたく存じます。 (Generation Terrorists〜あんたが大賞)

2022-12-15

※ひとりごと※ もう詩人の批評なんて撞着語法はやめちまって、みんな詩で語り合えばいいのに。ゼンメツさんといいあの人といい、コメントまでぜんぶ詩じゃん、これはわたしが非詩人だからわかることだ。とにかく、読解は根本的に暴力で、特に非詩人のは迷惑でもあって、わたしはこれまで幾多の絶賛を幾多の作者様に拒まれてきた。しかし読解を食らわす代わりに5票差し上げるとなれば、作者様も断るとは言わないのでは? 今回の推薦文にそういう卑屈な打算があったことも、打算があったから安心して悪手を打てたのも事実だ。認める。評者が作者様の顔色を窺っておって、批評ができるわけもない。そりゃそうだろうさ。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-14

なにはともあれこの大混乱のさなか、ゼンメツさんの詩論を伺えたのは僥倖でした。なにせきわめて重要な批評対象です。わたしも半年ほど前、4年ぶりにウェブに出戻ってきたんですが、出戻って真っ先にしたことのひとつが、前途有望な青年にゼンメツさんの模倣を勧めることでしたからね。ぶっちゃけこの作風の参考書を作りたい、どう考えても場違いの野望です。ゼンメツさんのご健筆を切に切に祈ります。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-14

投票しようと思ったら不参加作品だった by マウント取りの論者。 ちな後半の話は興味ないので読んでないし、添付の曲も聴いてない。 (Generation Terrorists〜あんたが大賞)

2022-12-13

再コメありがとうございます。「結局は当事者同志で互いを称賛しあうという残念な結果」について、部分的には共感します。批評が批評されない環境が不健全であることは間違いないので。 一方「作品の称賛者と称賛された作品の投稿者が互いに相手を称賛しあって拍手などという光景は、あたりまえ」とのご意見には賛成できません。実際わたしは幾多の絶賛を、幾多の作者様から拒まれ罵られました。わたしの読解が根本的に暴力である以上、いたしかたないことです。わたしにとって作者様のご歓迎は、疑いなく僥倖です。 さてご指摘の異化その他ですが、わたし自身もシクロフスキーの例示や文学極道の一部レッサーの言論をさんざん懐疑したからいまに至ったのでして、それをどなたがどう懐疑なさるのも自由です。悪手を承知で打った手ですが、書くべきことは作品に書きました。「作者がなにをどう書こうが、読者は自分の読みたいようにしか読まない。」これ以上述べることはありません。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-13

作者様ごきげんよう、こちらこそありがとうございます。ゼンメツさんはわたしにとってきわめて重要な批評対象ですので、新作を拝見できたのは本当に僥倖でした。作者様の心証など評者の知ったことでないとはいえ、わたしの讃辞がゼンメツさんの励みになれば、もちろんそれに越したことはありません。 ゼンメツさんのお作に託けて言いたいことは山ほどありますが、たとえば今回読解に頻用した異化です。例の文学極道、B-REVIEW創始の発端となった投稿サイトでは、多くの参加者が異化を、脱臼との区別もつかないような奇矯と誤解していたように思います。先進性を追求するあまり、なんのために異化するのかという本質を失念したような修辞に、わたしはうんざりしていました。今回の読解はその鬱憤晴らしです、作中に「筆者の自己表現」と明記しました通り。 わたしの批評は、自作を愛する作者、特にこれほど高精度の修辞を駆使する書き手には、しばしば酷評より受け容れがたい暴力になるでしょう。ですから作者様の尊厳だけは、徹底して尊重します、すなわち敬服し絶賛いたします。ゼンメツさんの長いご健筆を切に祈ります。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-11

過分の讃辞をありがとうございます。テクスト至上やら読者の復権やら申しましても、やはり投稿サイトでは、作者様の歓迎を得られると安心しますね。お気遣いに感謝します。 最初はお作の暗示の技術を、ご参考いただいたゼンメツさんの好対照として紹介するつもりでしたが、自論の内容が野暮で耐えがたかったため中止し、思い切って「お返詩」の形を採りました。詩才がなく思ったようには書けませんでしたが、仮にうまく書けたとしても当然、地球さんの筆致には匹敵しません。わたしに模倣できる程度の作品は、わたしの論評には値しません。以上のことは念のために付言いたしました。 よい詩に出会えて幸せでした。地球さんの以後作を楽しみにしております。 (武田地球『ライチと花』酣賞一例)

2022-12-10

ご笑覧ありがとうございます。ゼンメツさんのほうのコメ欄で申しました通り、わたしはアンチ先進性偏重の徒であるわけですが、またも匂いが昭和どまりでしたか。それは残念です。次作ではぜひ明治を匂わせられるよう腐心いたします。 (武田地球『ライチと花』酣賞一例)

2022-12-10

ご参照ありがとうございます。わたしには詩人の批評というのが撞着語法にしか見えませんで、詩人なら詩には詩で返せやと思うのですね、ゼンメツさんほどの超新星国語教育に対し奉っても例外はありません。こんなとこで詩才を無駄撃ちしてる場合じゃねーだろ。ゼンメツさんの以後作を楽しみにしております。 (武田地球『ライチと花』酣賞一例)

2022-12-10

ご高覧ありがとうございます。この読解はこの作風を目指す書き手に向けて書きましたので、すぐれた書き手の参考になれば、これにまさる喜びはありません。書き手にこれをご参考いただければ、わたし好みの詩が増えるはずだからです。完全な私利私欲の活動です。以後も地球さんのご参考に足るものを目指し精進いたします。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-10

ご笑覧ありがとうございます。本作は熱烈なアンチ先進性偏重ですが、匂いが昭和どまりでしたか。それは残念です。次作ではぜひ明治を匂わせられるよう腐心いたします。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-10

ご高覧ありがとうございます。鷹枕可さんのツイートを見て書いた推薦文ですので、ご本人からのご言及は励みになります。推薦文にコメントなどつくまいと思っていたのが、コメントどころかポイントに票まで頂戴してしまい恐縮しておりますが、今後ビーレビがおもしろくなればわたしもうれしい。 回答1) ゼウスとデウスの語源が同じであるのは間違いないと思いますが、キリスト教といえばローマとばかり考えておりました。そして家父長制のクソさはアブラハム三宗教に限ったことではなく、世界の全男性優位社会にほぼ普遍と感じております。 ちなみに念のため付言しますと、わたしが家父長制などの男根崇拝を警戒するのは、女権拡張運動とは関係ありません。わたしと同じ難病を持つ実父が、それを苦にして保険金目当てに自殺したからです。日本に男の甲斐性とかいうふざけたジェンダーロールがなかったら、父は死なずにすんだのだと思いますと、どうもね。 回答2) まず「嘘つきで狡い人間が最も尊ばれる」という仮説の有意性を検討しませんと、この話は先に進まないように思います。つまらん回答で申し訳ありません。 回答3) 「この自身」の指示内容を理解しかねますが、自身の解釈の正しさに拘泥すること自体が不健康であるように思います。んー。これは返答に困りますね。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)

2022-12-10

平素よりお世話になっております。全員キュレーター制新ルールのお話です。上記でのわたしの私見は、stereoさんにすっかりご理解いただけましたし、なかたつさんのご意見は「わたしの主訴の最も重要な核心」に等しく、るるりらさんのご意見には「わたしが指摘しなかった新ルールの問題点」も含まれています。これで渡辺さんにも、わたしの主訴が伝わったと思います。 先述の通り、わたしは新運営を批判しに来たのではありません。上記はあくまで「新ルール下での選評投稿には、労力に見合う報いがないので、わたしは今後の選評を投稿しない」という意向とその理由の報告です。新運営が制度を再考する際の参考になれば幸いというだけの内容です。 それで話を終えるのは、あまりにつまらない所業ですので、以下を付記します。 ──── 渡辺さんのご存じのとおり、わたしは文学極道で擬似選考をやっているような人間ですから、渡辺さんの理想にも賛成できる部分はあります。場が文学極道(それも選考への影響を狙うもの)であれば、もちろん選評には「資格」と「覚悟」が入り用でしょう。 しかしあなたがたが運営なさっているのは「全員キュレーター制」です。無条件で募った選者に対して、能力を期待するのは矛盾しています。「入試に数学がない大学の必修に線形代数がある」くらいおかしなことです。 選者に能力や根性を期待したいのなら、偽りある看板を下ろして「能力と根性のある選者」を集め、運営が選考を独占すればよい。旧運営も以前はそれでやっていたのだから、もとに戻せばよいと思いますが、そのことは検討なさったのでしょうか。お茶を濁さずはっきり言えば、あなた(※stereoさんとかるべさんはフル・キュレーションをなさっているので話が別)は「本来ご自分がすべき仕事を、無償で他人に代行させている」のだから、それに無理な注文をつければ、敬遠する者が出るのは当然でしょう。 おっしゃる通り、B-REVIEWの選評は、ほとんど読まれてなどいません。「読まない人に読ませること」は、良心ある手段の範疇では不可能、ハッパをかけられても無理なものは無理です。村上春樹にも尾田栄一郎にも事実できていないことを、なぜ「自分がやってみせもしないで」他人に期待なさるのでしょう。 ▼引用開始------------------------------- ⒈完全可視化された選考のなかで上位を狙えるこの制度は作者の励みにもなるだろうし、制度が機能するための制限は設けたほうが励みになっている作者を守ることにもつながる。 -------------------------------引用終了▲ 上記で言われている「作者」は、「選者」と「大賞候補の作者(詩人)」のどちらなのでしょう。「詩人の励み」と「選者の利害」は一致しません、そこを混同されたままでは話が先に進みません。「向上心ある詩人を守るために、フル・キュレーター(本人でない一般参加者)が苦労しろ」とおっしゃりたいのなら、「そんなことは本人か運営がやれ。他人に代行させたいのなら、相応の見返りを用意しろ」としか言いようがありませんから。 ※渡辺さんがその見返りを用意しようとなさっているのは理解していますが、「大賞に選ばれた作品の選評も他の選評とは別枠にして表彰する」のが選者を鼓舞できるとは思えません。「大賞投票の結果と批評の巧拙には関係がない」からです。 ▼引用開始------------------------------- ⒉「選者と筆者に恥をかかせる」という懸念が意見の根幹にあるようだが、一度二度落ちたからと極度に落ち込むのでなく次はもっとうまくやろうと繋げてほしい。過度に保護することはその機会を奪うことにもなりかねない。また個人的感覚として落選したからといって「恥をかいた」とまで到るとは思わないし、投票を行っている時点で「恥をかいた」と思ってしまうような状態を作ってしまうことは避けられない。 -------------------------------引用終了▲ 「詩人と選者の混同」が最も顕著な部分ですが、わたし(選者)が忌避しているのは「自分のせいで『自分の大賞候補の作者様』に『恥をかかせてしまう』こと」です。作者様のほうがどうお考えになるかは、選者には関係ありません。「自分のせいで自分が落選する」のと「自分のせいで人様が降格する」のとでは、こともその重さもまったく異なります。 ▼引用開始------------------------------- ⒊自作品の上位入賞を得よう/自推薦作品を上位入賞させようという向上心を詩人にも持ち、それを成す為に行動してほしい。それも表現行為の一つである。 -------------------------------引用終了▲ このように「詩人と選者の混同」をしながら、運営が参加者になにを期待するのも運営の自由です。同様に、無理な要求を拒否して去るのも参加者の自由です。「読まない人にも読める選評など書けないから書かないという選択」も、まがうかたなき表現でしょう。批評も作品であり、作者にも読者を選ぶ権利があるのですから。 stereoさんがわたしの意見にご理解をくださるのは、おそらくstereoさんがフル・キュレーションどころか「全作にコメント」までなさって、それに要する労力がいかほどかご存じだからでしょう。同様の苦労を強いられるフル・キュレーターに「見返りも与えられていないのに、そのうえ恥までかかせたら、逃げられるに違いない」という危機感は、運営者というか接客業として、まっとうな感性だと思います。 渡辺さんもぜひフル・キュレーションと「全作にコメント」をなさり、批評の手本を見せてください。テキトーな一言コメントではなく「読まない人にも読ませられる批評」を書いてみせてください。自分にできないことを他人に期待し、その期待に添わない他人を無能と見なすのは横暴です。 ──── これで終わってはあまりに底意地が悪いので、さらに付記します。渡辺さんのおっしゃる「対案」に近いものです。 ●大賞投票の候補作数が多すぎると問題が起こる。 上記はstereoさんも渡辺さんも指摘なさっていることです。このことには、「候補作が30作もあったら、投票者も全作をまじめになど読めまい」といった推測から、わたしも同意します。運営が定めた適正な数に、運営が定めた適正な基準で、大賞投票の候補数を制限することに、問題はないと思います。 そこで問題になるのが、「諸事情で大賞投票進出がかなわなかった大賞候補」の扱いですが、 ●どんな理由であれ、フル・キュレーターに推挙された大賞候補を「優良に降格」させることには問題がある。 この一点に関しては、stereoさんも渡辺さんも同意なさっており、stereoさんは❶「反対者が多ければ撤廃したい」、渡辺さんは❷「準大賞に至らなかった大賞候補のために、優良以上準大賞以下の新しい等級を設置したい」とお考えなのですね。 わたしは準大賞の提案者ですので、「フル・キュレーターに推挙された大賞候補には、無条件で準大賞が授与されるべき」と思います。理由は「フル・キュレーションの労力に見合うフル・キュレーターへの報いが、それしかないと思しいから」です。 大賞投票へ進んだ作品に順位をつける(これはstereoさんが指摘なさる通り「大賞投票というゲームの内容として容認される範囲」だとわたしは思います)のなら、大賞投票へ進まなかった作品を「大賞投票の最下位より下位の準大賞」につければよいのではないでしょうか。なぜ❷の「優良以上準大賞以下の新等級」が必要になるのか、よく理解できませんでした。 (《ビーレビへの意見とそれへの議論を書くスペース》)

2018-10-05

平素よりお世話になっております。ツイッターで述べていた選評の新ルールに関する私見を、こちらに提出するよう促されましたので、話をまとめて報告します。 ツイッターで述べていたのは、「新ルール下で選評を投稿しても、労力に見合う報いがないので、わたしは投稿しない」というものでした。それはB-REVIEWにとって大きな損失ではないと考えますし、自分の意見を採用されたいとは思っていません。 ただ「新ルールが理由で選考投稿を敬遠する人」がほかにも出た場合、運営はどうなさるおつもりなのだろう、B-REVIEWの選考をどうなさりたいのだろうと、不思議には思っています。 ──── 意見陳述に先立ち、旧運営陣に「準大賞」の設立を提案したのがわたしである事実を、新運営陣にご了承いただきたく存じます。 https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-45.html https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-45.html#comment348 記事にある2017年11月大賞投票の候補4作に、わたしは優劣をつけられませんでした。そのため、「甲乙つけがたい候補作から1作を選ぶ理由は『趣味』しかないだろう、詩書きである投票者のほとんどは『自分に似た作風』を選ぶだろう、大賞投票が大規模になればなるほど大賞受賞作が『B-REVIEWで最もよくある作風』に偏るだろうと考えました。(喜ばしいことに、この推測はまったくの的外れでした。) わたしが準大賞の設立を旧運営に提案したのは、推測された「偏向」を防ぐためです。旧運営が公表していた選考経過から、特定の作風を偏重しないよう腐心していたことが窺えたので、多様な選者の多様な推挙を、選考にそのまま反映させるべきと考えました。 畢竟わたしは当時から「大賞投票はゲームに過ぎない、準大賞(各選者に大賞推挙されること)こそ最高の栄誉」と考えていました。この考えはいまなお強固なものになっています。わたしが参加した7月・8月大賞投票の結果から、B-REVIEWの多様性が(旧運営の腐心した通りに)維持されていると確信されたからです。 ──── 全員キュレーター制は、旧運営が腐心していた「多様性の維持」のための究極的な手段であり、その目的は「選者の数を増やして評価基準の幅を広げることにより、選考の偏りをなくすこと」にあると考えていました。そのゆえわたしはこの制度に熱烈な関心を寄せ、8月に投稿した7月分選評のコメント欄でも、熱烈な賛意を表明しました。 新運営によるフル・キュレーションの新ルールは、わたしが熱烈に賛同した全員キュレーター制の意義を、ほぼ完全に否定するものです。下記にその新ルールをに引用します。 ▼引用開始------------------------------- ①フル・キュレーションで候補にあげられた作品のうち、11作品目以降はコメント人数が少ない順に優良へ降格(10作品までが大賞候補) ②大賞候補のうち6位以下は優良へ降格(2~5位までが準大賞。同率があった場合は準大賞ボーダーを繰り上げる) ③2位~5位はアーカイブ内で順位を表示 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2368 -------------------------------引用終了▲ ①②は「10作以上の選評投稿・5作以上の大賞候補を歓迎しない」という宣言に等しく、選評の投稿を牽制するものです。自分の大賞候補に栄誉を贈りたい選者は、選評投稿数が10作(降格を恐れるなら5作)を超えた時点で、投稿を断念するでしょう。 ②③は、選者に能力を期待し重圧をかけるものです。生まじめな選者は、「好きな作品より投票者うけしそうな作品を選ばなければならない」やら、「推挙作が多くの投稿者に支持されるよう活動(選挙運動をしたり誇大広告を打ったり)しなければならない」やら、不本意な煩悶を強いられることになるでしょう。自分の推挙作が降格になってしまったら、「自分のせいで推挙作著作者に恥をかかせた」という罪悪感に苦しめられもするでしょう。 以上の推測から、わたしは新ルールが「❶熱意ある生まじめな愛読者を選考から排斥し、❷B-REVIEWの大賞受賞作を特定の作風に偏向させる」と考えました。もっとも❷は、後述の8月大賞投票結果を見る限り、効果が出ていません。 ──── 8月大賞投票BOXの投票結果は、決勝投票への流用によって改竄されてしまいました(この不備については言及しません)が、わたしの記憶では、「決勝前の8月大賞投票」の結果は下記の通りでした。 総投票数:29票 同率1位[5票]2作 同率3位[4票]2作 同率5位[3票]3作 同率8位[1票]2作 このように票が割れたのは、候補作が粒ぞろいだからだ、B-REVIEWという場が多様性に富んでいるからだ、いずれも喜ばしいことだとわたしは考えますが、新ルールはその多様性を歓迎しません。このような結果を根拠として、9作中たったの2作の作者と選者に恥をかかせるのが新ルールです。 投票BOXのコメントには「自作に投票した」と告白している人もいました。一票の差がここまで明瞭な投票で、自薦をしない作者が明白な不利を被っています。そんな条件下での5票と4票に有意差があるとは(計算していませんが)思えません。 決勝投票も長い接戦のすえ、たったの1票差で大賞が決まりました。B-REVIEWが多様性を維持している証拠だと思います。もとよりわたしが持っていた「大賞投票はゲームに過ぎない、準大賞(各選者に大賞推挙されること)こそ最高の栄誉」という考えは、なお強固になりました。 ──── 8月大賞の投票経過を、運営陣はどうお考えなのでしょう。「票がここまで割れるのはよくない、得票が特定の一作に集中するよう、場の思想が統制されるべきだ」とお考えになるでしょうか? わたしはそうは思いません。この私見がご参考になれば幸いです。 (《ビーレビへの意見とそれへの議論を書くスペース》)

2018-10-04

こうださんへ。ご存じなかったのならまったく失礼なお話でした。わたしの読解をご存じということはHHM(現フォのヒヒョーマツリ)をご存じなんだろうという思い込みで述べたことなので、どうかお気になさらないでくださいね。わたしが阿ト理恵さんを初めて拝見したのも現フォのHHM2でしたので、ゴル系のかたはHHMをご存じと思い込んでいるふしがあります。反省します。 ブラック企業のことは本当にお気の毒でした。そういう体育会系の悪ノリのような上司は、まだ日本にごまんといるのでしょうが、自分たちのしていることの正体に早く気づいてもらいたいものです。文学極道(※ツイキャスを除く)がそれを彷彿とさせる場である事実や、B-REVIEWの旧運営がその悪癖からの脱却を目指してここを設立した経緯は、わたしもよく存じています。 もはやB-REVIEWは(投稿作のレベルも選者を苦しめるほど高いし)文学極道のカウンターに収まるサイトではありませんが、創設当時の理想──相手に対し礼儀を尽くすこと──は、今後もぜひ継承されてほしいと願っています。 (【選評】澤あづさ選2018年08月分)

2018-09-19

こうだたけみさん、こちらこそ解体させてくださりありがとうございます。いやもはや申し訳ありません。偏愛経験則のゆえ、「散乱/産卵」と見ると、本気であの系統以外なにひとつ読解できません。 ※ちなみに最初に見た「散乱/産卵」は、よもやこうださんもご存じかもしれませんが、葉月二兎さんの「papilibiotempusolare-loremipsumanniversarium」です。その後4作か5作の「散乱/産卵」を見ましたが、こうださんのお作が最も「わたしの理想の散乱/産卵」を描出していました。 ビーレビの全員キュレーター制は、「わたしに選べない作品はほかの人に選ばれる」という他力本願により、自分の趣味に思い切り走れるのが魅力と思っていますが、8月はハイレベルすぎ入選作絞り込みが困難すぎました。9月もさらなる困難が容易に予想されます。迷いの多いわたしには負担が大きすぎるので、逃げ出したくはありますが、今後も好きな詩が評価されてほしい事態が生じたら、好き好んで苦労して選評を書く所存です。 (【選評】澤あづさ選2018年08月分)

2018-09-19

藤さんご言及ありがとうございます。今回選評が間に合わなかったご事情は察してあまりあります。ほんっっっと入選候補から入選8作を決定する作業が一番きつい。候補が9作でもきついところに、今回32作も来たのですから、もうだめだ人類滅ぶ。(by 右肩さん『探せ。』) 最終的にひらき直り趣味ただひとつで選んだため、優良以上が思想惹起力のある読解向きの作品で埋まったのが、結果的に藤さんの選出をなん本か代行できていたのなら僥倖です。ぜひ大賞投票は、人類滅ぶ大洪水のよしみで、わたしのメロメロな右肩さんに清き一票&わたしのより的確な読解を……。 https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfI9i1h2kwavb1hKQy6NH5sbVCCzfTAo5jF0RbIhPppCaG26Q/viewform それにしても藤さんも右肩さんの詩がお好きだとは、なんというメロリーナ。田中宏輔さんの詩と同様、右肩さんの詩の批評(見果てぬ夢)も、ぜひ藤さんとご一緒したいです。もちろん一さん「 [] 」やこうだたけみさん「雨中遊泳」の読解もご一緒したいです。 (【選評】澤あづさ選2018年08月分)

2018-09-16

※このコメントは8月選評です。作者様でなく閲覧者様に向けて執筆しました。またこの評はわたしの読解すなわちわたし自身の表現であり、作者様には関係も責任もありません。 ▼引用開始------------------------------- 「論理は世界に充満している。世界の限界は論理の限界でもある。思考できないものを思考することはできない。かくして思考できないものは語ることもできない。」 「主体は世界に属さない。それは世界の限界である。」 「読者はこの書物を乗り越えなければならない。そのときかれは、世界を正しく見るのだ。語りえぬものについては、沈黙しなければならない。」 (ヴィトゲンシュタイン/坂井秀寿訳『論理哲学論考』) -------------------------------引用終了▲ 読書の秋の長雨にうってつけの「読解への警鐘」。とわたしには感受されました。作品の核心は上記引用の独我論に近いように思われましたが、思いっきり平たく言えば「語弊の問題」にも集約できるかと思います。 初連の【魚みたいな子供たち】の【見開かれた目】という比喩は、 ①子どもたちが大勢で(群れを成して)活発に動いている。 ②その子どもたちが一様に死んだ魚のような目をしている。 ①(肯定的)と②(否定的)のどちらとも読解できる、両価的な表現です。②に語弊があるので、世間一般では控えられる発言でしょう。 そのゆえ語り手は、その発言を黙秘します。その沈思黙考の様子が、2連で【視界に言葉が散乱する/散乱した言葉たちが産卵する】と描写されます。 軽率には発言できない、だからと言って自制することもできない「解釈」が脳裏をよぎるさまが、視界を泳ぐ魚に喩えられ、初連の【子どもたち】に直結します。いま語り手の目に映っている子どもたちの姿が、語り手の恣意的な「読解」に過ぎないこと、語り手が世界の真相を見ていないことが示唆されます。 自分は世界に追いつかない。自分と世界とのあいだには、埋めることのできない距離がある。そのような感慨が、湿気で曇った快速電車の窓、涙で曇った視界といった情景に託され、3連で詠われます。そうして詩は、終連の抒情に至ります。 ▼引用開始------------------------------- 特異な季節であなたとわたし ひとつの接点をふいにする 雨の日は遊泳禁止です そうねまだうまくは泳げないから -------------------------------引用終了▲ ここで唐突に登場する【あなた】は、想定し得るほかの人物が詩中に登場しないため、2連で孵化した【魚たち】すなわち【言葉】と読まれます。したがって最終二行は、語り手が「自分自身の言葉」と対話しているように見えます。 たとえば、「詩人」と「まだ完成していない詩」が、対話しているように読まれます。 「沈んだ気分のままでの、詩作/読解は禁止です。」 「そうね。沈んだままでは言葉が浮かばれないから。」 そのように。 「あなた」は「彼方」です。自分と感覚を共有できない他者は、自分から遠く隔たっています。自分自身の発言すら、ひとたび発されれば、自分の意思では操縦できない他者になります。詩やその読解という、表現を凝縮するぶん語弊が生じやすく、自己に没入するぶん視野を狭めやすい文芸の、どれほど危険で過酷なことか。 * それにしても、「発言しがたく自制もしがたい考え」のようなことを「散乱/産卵」と表現する(とわたしが読解した)詩をネットで見たのは、これで4度目か5度目くらいです。 その4作か5作のなかで、この詩はその題を最も理想的な形(初見一発目から目を惹き、再読すればなおおもしろい、そして難解でない)にできていると思います。優良です。 (雨中遊泳)

2018-09-15

※このコメントは8月選評です。作者様でなく閲覧者様に向けて執筆しました。またこの評はわたしの感想すなわちわたし自身の表現であり、作者様には関係も責任もありません。 その日その庭でその蝉が死んだのも、その蝉がその庭で死んだその日に語り手がアイスの当たりを引いたのも、その貴重な当たり棒を語り手が一匹の蝉に捧げる気になったのも、一般的に言えば「偶然」でしょうが、仏教には偶然という概念がありません。その日その蝉がその庭でその当たり棒に弔われ得た、奇跡的なほど低い蓋然性にも、業なり縁なりがあると説かれています。 【アタリ】という戒名の「当たり/辺り」という、いかんとも言いがたく両価的に感じられてならない掛詞に、衆縁所生の無窮を見た気がして、ひとりで勝手に興奮しました。この仏教的にあり得ない興奮を、合理的に説明する自信はありません。その蝉の衆縁=わたし自身の人生も含む全世界が、語り手の行為によって「当たり」と命名されたような気に、ひとりで勝手になったのでした。われながら罰当たりなほどおめでたい。 (戒名)

2018-09-15

※このコメントは8月選評です。作者様でなく閲覧者様に向けて執筆しました。またこの評はわたしの感想すなわちわたし自身の表現であり、作者様には関係も責任もありません。 ネット廃人のリアルにネットが侵食してくるのはよく見かけますが、端末機器の説明が詩的な比喩に侵食され「端末とともに現実が壊れていく感」が醸成されるのは、初めて見たような気がします。なんという「ネット詩廃人」。と勝手に思いました。 詩的な感性の家電大好き男子という、およそ完璧な非モテ系の、端末・経済・詩的表現・キーボード打ち込みが、まこと淡々と破綻していくさま。MacBookの詩的な説明だけでも突っ込みどころは満載で、Xperia以降はツッコミを入れるのも面倒なほど、現実の多側面が盛大に破壊されています。こんなの笑うしかありません。 わたしは文学極道版(http://bungoku.jp/ebbs/20180815_465_10678p)のほうが好きですが、こちらはこちらで「素で淡々と壊れていく感じ」が強く出ていて、とてもよいと思います。 (じゃんぱら)

2018-09-09

※このコメントは8月選評です。作者様でなく閲覧者様に向けて執筆しました。またこの評はわたしの読解すなわちわたし自身の表現であり、作者様には関係も責任もありません。 ▼引用開始------------------------------- いまぼくが見ているのは、単なる入れ物に過ぎない。本当に大切なものは、この中に入っている目に見えない何かなんだ。(サン=テグジュペリ/河野 万里子訳「星の王子さま」) -------------------------------引用終了▲ 「星の王子さまのキツネって、一皮剥いたらこのシナリオ文学教室の三郎なんだよなー」などと勝手なことを考えつつ感慨深く拝見しました。ネット詩で三郎のに酷似した洗脳を受けた経験もあり、爆笑した経緯もあっての推薦です。が、そのような「主観」的な話はさておき。 そうこの作品は、主客観そして「主客転倒」の話です。棒で依夫を殴っていた三郎は、ペンを握る依夫自身、その主張は「依夫自身のなかに入っている目に見えない内心」。転倒するシナリオ教室の講師(主)とその生徒(客)。 刮目し主観を取り戻した依夫は【目に見えるものだけを書き写し始める】。【自分が可愛いあまり】の主観でなく客観的な「可愛くない自分以外」を描出しようと試みる────が、果たしてそれは(書かれるまでもなくだれの目にも見えるはずのことだが)【書くに値すること】なのかどうか……いやいまうっかり客観を(書かれるまでもなくだれの目にも見えるはずのこと)などと述べてしまったものの、依夫がその視野を他者と共有できている保証などどこにもない(※他我とか哲学的ゾンビとかの問題)わけで…………。 * そうしたなんの解決にもなっていない結論に至る人物名が、【依岡依夫】という、聞くだに依存症なのが、個人的に最も笑えました。この書き手の最大の見どころは細部だと思います。 三郎の言辞やわたしの無駄な解釈のように、言葉遊びに堕して「実在しない概念」を言語化することに陶酔すると、その主張を美化/正当化することしか考えられなくなり、事実を無視しはじめるわけですね。自分にばかり都合のよい情報を寄せ集め、身勝手なシナリオを物する者らへの警鐘。アンチ星の王子さまです。「本当に大切なものが、汚い心のなかに入っていると思ったら大間違いだよ。」 (コント:シナリオ文学教室)

2018-09-09

※このコメントは8月選評です。作者様でなく閲覧者様に向けて執筆しました。またこの評はわたしの読解すなわちわたし自身の表現であり、作者様には関係も責任もありません。 前半の叙述は「ちりから生まれちりに返る」人間の原罪を思わせ、題名 [] と後半の叙述はそれに対するエポケー(括弧入れ、宙吊り、判断保留)を思わせます。【光はどこからきたのだろうとちり(から生まれちりに返る人間)が問うている】、そのようなわかりもしない問いの知りもしない答えを、安易に出してしまわないということ。エポケーは原罪「善悪の知識」(独善的な判断)に抵抗する思想だと、わたしは考えています。 前半冒頭の【海が戻ってくる】は、進化論に基づけば「退化」、創造論に基づけば「大洪水(神の裁き)による滅亡」と解釈できます。後半はモーセのエジプト脱出のようなイメージによって、その滅びからの「出口」が示唆され、人の定義がその根拠である「言語」が見直されます。アダムが神から担った任務である「命名」(それは言語の根幹)を、アダムの末裔が再考します。 不吉な兆しから始まり「死」を匂わせて終わる詩であり、読もうと思えば皮肉にも読めますが、受ける印象は少しも暗澹としていません。前半の軽妙な言葉遊びといい、後半の含みの多い自然な描写といい、とても印象的に感覚的で、うっとうしい思想をまったく感じさせません。そこがわたしの思う、この詩の最も偉大なところです。 * ところで友人の鈴木海渡くんとこの詩の話をしていて、「あづさならこの詩をなんて題名にする?」と尋ねられ、「アダムスファミリー」と答えたら、映画好きのカイトに盛大に困惑されました。ですので、そのようにも思った根拠を、聖書から引用し陳列しておきます。 ▼引用開始-------------------------------  初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。(新共同訳聖書 創世記1:1-2) 「見よ、わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊をもつ、すべて肉なるものを天の下から滅ぼす。地上のすべてのものは息絶える。 」(同6:17) ▼引用開始-------------------------------  モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。(上掲 出エジプト記14:21-22) ▼引用開始-------------------------------  主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。(上掲 創世記2:7)  主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人 [※アダム] のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。(同2:19) 「お前 [※アダム=人] は顔に汗を流してパンを得る、土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」(同3:19) ▼引用開始------------------------------- 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。(上掲 ヨハネによる福音書1:1-4) -------------------------------引用終了▲ アダムの原罪のゆえ「ちりから生まれちりに返る」と定義された人間の宿世を、アダムの末裔が「誇り/歩起(進歩)」と名づけ直す。アダムが神から担わされて遂行した「命名」を、アダムの末裔が再考しエポケー(括弧入れ)する。いつか死ぬ必ず滅びるとわかっているのに、生きたい栄えたいと思う光(命)を、神の裁きのごとき独善の「言=一義」に閉じ込め、多義と多様の可能性を奪うことをやめる────などとこの詩について述べて、カイトの理解を得られるとは、われながら到底思えない。 およそよい詩というのは「詩でしか書けないから詩で書かれている(ようにしか読者には見えない)」ので、読解も「論理的には説明しがたい代物」になります。それをわざわざ言語化するのは、はっきり言って昏愚な所業。まさに「光(命)を言に閉じ込め、多義と多様の可能性を奪う行為」です。 この詩にはそういうことが書かれていると、わたしは感受しましたので、最終的にこの詩の題名は「 [] 」(括弧入れ=エポケー)以外あり得ないと思いました。カイトの適切な質問に感謝。 ([])

2018-09-09

推薦作品の著者名が間違っています。運営に修正を依頼なさるべきと思います。わたしもこの作品を推薦するつもりなので、どうしても気になり大きなお世話を焼きました。差し出がましく申し訳ありません。 (推薦 、、、につながってるんだよ)

2018-09-05

※以下、作者様の意図ガン無視※ このたてがみとひかりはLlew Llaw Gyffesですね『マビノギオン』「マソヌウイの息子マース」の。わたしその引用で書いた七夕の短冊(ふみ)の詩で文学極道の年間最優秀作品賞とったのですけど、初行から終行まですべて「ああわたしもあいつをこのように美しく書けたらよかったのに!」と感服する詩句で興奮しました。この詩の星空が七夕でないことはもちろんわかっているのですが、テクストは引用の織物です。その統一性は起源(作者)でなく宛先(読者)にあります。失礼しました。 (約束)

2018-08-25

ひとまず、乳首を触ると出るオキシトシンという幸せホルモンには、子宮を収縮させる効果がありますので、女性が妊娠中に乳首を愛撫されたり自慰したりするのはよろしくありません。同じ理由で妊娠中に中出しされるのもよろしくありません、精液に子宮を収縮させる成分が含まれているからです。 ダイエットコーラの自販機は、語り手の女体の比喩。 【コーラのボタン】は、後藤に摘まれなかった乳首の象徴。 【炭酸の微細な泡のように舞い上がり/私を夏の底から昇天させる】 のはオキシトシンないし中出し精液、その比喩が 「自販機から出てこなかった(買えなかった)コーラ」。 比喩として【明日の私】を妊娠中である【今日の私】が 仮に、コーラで昇天した場合、 胎児である【明日の私】に危険が及び 【もうだめだ。人類滅ぶ。】 【今日の私】が人類滅びもせず生存しているのは 【昨日の私】が昇天しなかった証拠なので 【コーラを買ったなんてこと、絶対にありません。】 *** メロメロ病が治ったらまた来ます。 (探せ。)

2018-08-19

わたしはるるりらさんの詩が大好きです。評もまったくるるりらさんで大好きです。推挙作をコメント欄と併読して幸せになりました。 しかし選手対作品にURLが付記されていないと、読者を得られないうえに運営の皆様のアーカイブ管理にも支障をきたすと思いますので、以下わたしに付記させてください。 ▼徐々でいいからさん「隔てて」2018-07-05 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=1973 わたしも非常に惹かれてうっかり長々書いた作品なので、るるりらさんに選ばれたことを(自分の手柄でもないのに)幸せに思います。わたしがうっかり長々書いた選評ぜんぶ一網打尽にするような、わたしが説明できなかったことぜんぶ表現するような評でした。負けるってすばらしい。 ▼鷹枕可さん「血と黒」2018-07-27 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2050 すでに作者によって解題が成されている作品に言及するのは勇気のいることですが、るるりらさんの評もわたしは充分に納得できました。それにしても【陰穿孔、薔薇為る私を私為る薔薇を鳴る】ってものすごい詩句だと思います。 ▼渡辺八畳@祝儀敷さん「サバンナの光と液」2018-07-14 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2001 わたしは理詰めなので、この作品は「ライオンもカバも夜行性だ」というツッコミどころに引っかかり、それ以上のことを考えられなくなってしまいます。人様の評を見て、ようやくツッコミどころ以外を読むことができました。 ▼蛾兆ボルカさん「ビサイド 」2018-07-07 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=1979 【テレビで批評家の人が 美とはBeに通じていて とても魅力的だと言っていたからです。】なんという作品に対し適切な評文だろう。 (るるりらの七月選)

2018-08-17

▼大賞候補「ちょうりょく」評より 【最初はたびたび出てくる「?」にひっかかって、──中略──(あ、耳を傾けているな、私)と気づいた。】 ひっ批評というより「ウヒョー」ですNEーーーーー!! 巻き込みワクテカお待ちしておりました藤さん。選評書くため全作読みはしたが、当然まともに読めてない作品が多勢なので、藤さんの選評と併読しました。わたしのヒヒョーも上記ほどウヒョーな域に達したいものです…………。 ▼蛾兆ボルカさん「ビサイド」評より 【詩作について技術云々というと、どうも顔をしかめる方がいて、技術アレルギーというのがあるのかしらんと辟易してしまうのですが、 ──中略── 構造と技術とは結びついていると思うんです。 】 わたしは当該作品の【「とにかくそうなんだ」感】を「気づき」の所産としか思わなかったので、それを技術や構造と捉える藤さんのアプローチが「意表」です。この作は偶然の産物ではなく、必然の結果なのですね。もちろん構造は技術の産物だと思いますが、それは職人芸のような言語化できない直感ですから、つまりたしかに必然です。 ▼二条千河さん「命名」評より 【わたしも様々な側面をもつ存在に対してひとつの名を与えることに抵抗を覚えた時期がありますが、その名によってこそ呼ぶことができる。】 この批評が最も意表を突かれ、正直言うと度肝を抜かれました。わたしはまさに【その名によってこそ呼ぶことができる】ことを根拠に、賛同できないという理由で(とても気にはなったのだけれど)この作品を外してしまったから。 わたしのような偏狭な人間が権力を持たなくてよかったと心の底から思います。藤さんを巻き込んだ甲斐がありました。巻き込まれてくださってありがとうございます! (七月分選評)

2018-08-16

拙文にまでご言及いただき恐悦至極です! 栄誉です! 至福の極みです! うっかり長々書いたからには、もちろんあわよくば読まれたい。だから早めに出したのだ、読まれたくないのに書いてる人間などいるんだろうか。うっかり長々書いた甲斐がありました! 全員キュレーター制万歳!! 気を取り直しまして、こうださんの選に(貴音さんの選にもありましたが)タイジュさん「パイナップルに関する6つの話」が入っていて幸せになりました。4連の置きかたがすさまじく気になり、入れるか入れないか最後まで迷った挙句、「わたしにはこの詩の魅力を説明できない」という理由で外してしまった作品のひとつだからです。そんな理由など、こうださんのお作にわたしがつけた理由と同じく「おもしろい」の一言でよかったんですね。悔い改めます。 百均さんはわたしも対象外と思って選評を書きましたが、すっかり新運営にも了解されて、最高にすてきな勘違いでしたね。ゼンメツさんが書いてらした通り、本来全員キュレーター制が発足した時点で選考対象になるべき書き手だったのだから。全員キュレーター制万歳。 (【選評】もどきのEある算数(フル))

2018-08-16

●入確朗報③ 徐々でいいからさん「隔てて」が無事、るるりらさんのご推挙により、大賞決勝進出・準大賞確実となりました。 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2139 わたしの優良以上4作が準大賞コンプリート。自分の手柄でもないのになんという至福。わたしはもちろん承認欲求の怪物。自分の手柄でないにもかかわらず、こんなにも多幸感であふれかえることが可能。 ●三浦⌘∂admin∂⌘果実さんへ いやいやいやいや拙文へのご贔屓は恐悦至極ですがそれは、よもや、選評書かれたにもかかわらず、ご自分の大賞候補に投票なさらなかったということですかね……。 もしそうならそれは、率直に、賛成できません、好きだからほかの作品蹴飛ばして推したはずの大賞候補に投票しないってそれは。それは。わたしなど投票箱のコメントでまで脳髄しびれて使い物にならない旨を懺悔してきたと言うのに。好きなら好きの義務として、是が非でもご自分の大賞候補に投票なさってください。全員キュレーター制万歳。 (【選評】澤あづさ選2018年7月分)

2018-08-16

●社町 迅さんへ ご返信ありがとうございます。徹頭徹尾メロりっぱなしで恐縮です。わたしのヒヒョーはまさにわたしの表現であり、私欲の都合を押し通すため作者様をガン無視する凶悪な代物ですので、作者様からメロり許諾をいただけるのは畏れ多いことです。筆がまれに見るどまんなかすぎた。どまんなかすぎたんだ。それで誤読しといて詩に「あなたが美しすぎるのが悪い」って文句つけるほどアホなことほかにないですね。 (【選評】澤あづさ選2018年7月分)

2018-08-14

●入確朗報① 湯煙さん「口縄にて」が無事、まりもさんのご推挙により、大賞決勝進出・準大賞確実となりました。 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2139 ●入確朗報② ゼンメツさん(無題)が無事、カオティクルConverge!!貴音さんさんのご推挙により、大賞決勝進出・準大賞確実となりました。 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2141 「わたしが推しさえすれば、わたしの好きな詩が必ず準大賞確実。」 「好きな詩を推すため落とさねばならんほかの優良=大賞候補(なんという悲劇)は、ほかのかたに選ばれるので、コメントさえしとけば心配いらん。」 ここまでわたしの私欲にとって完璧な選考制度を、わたしはほかに知らん。全員キュレーター制万歳。 *** それにしてもビーレビの一覧性の低さが、投稿してみるとよくわかります。@breview_autoなしには新作チェックも困難だし、ビーレビでの訴求はツイッターが要になりそうですね。 今回の原稿はTwitter Cardの抜粋を意識して書いたが、計算が甘かった模様。次回はどうにか「@breview_autoに優良以上4作の最低でも作者名が載るように」はからいたいが、それやるとアーカイブ記述が煩雑になるのですかね、運営の皆様に本当に感服します。 (【選評】澤あづさ選2018年7月分)

2018-08-12

●藤一紀さんへ ご共感ありがとうございます。わたしが今回これを書いたのは、ここが全員キュレーター制でありそこに藤さんがいらしたからですが、藤さんの7月選評の投稿はいつでしょうか? 次コメに詳述しますが、選考は恋(無限ストレス&カタルシス)との戦いであり、全員キュレーター制はその痛手を最小限にする最高の制度であるが、キュレーターが3名とかでは話にならないという原理的な問題を抱えています。では選評ご投稿を楽しみにしております。 ●こうだたけみさんへ ご記憶ありがとうございます。わたしも当然こうださんのお名前を一方的に存じており、わたしごときがこのかたに畏れられる理由がわからないものの恐悦至極です。①「うっかり長々述べたい系」と②「うっかり長々述べるまでもない(ビーレビ名物ライトレス)系」には、もちろん同等の栄誉が与えられるべきであるのに、この選評が②に優良以上を与えないという①至上主義に陥っているのは、「うっかり長々書いたからあわよくば読まれたい」という過剰な自意識の所業です。なにもかもビーレビ名物ライトレッサーの躍進を大前提とする他力本願です。しかしこうださんの作品は②すら超越しており、わたしの駄文が作品の価値を下げると確信されたのでああなりました。わたしは本気で言っているのです。 ●survofさんへ 再度のご返信をありがとうございます。ヒヒョー家は基本「自己表現のため人様の作品の枝葉を食い物にする害虫」ですから、あんまりな曲解にはぜひ堂々と反論なさってくださいね。わたしにも今回にもこの場にも限らず、いつでもどこでも。 (【選評】澤あづさ選2018年7月分)

2018-08-12

●ゼンメツさんへ ご返信ありがとうございます。拙文がそこまでエモかったとは、うっかり年増で申し訳ありません。ここまで国語力の高い書き手が、高校現国教科書に載り女子高生に解体されることを望むのは、まったく自明と思います。わたしも国語教育の未来のため、日本にはゼンメツさんの大賞が必要なのではないかと、ハゲるほど悩みました。この選評は「当然ほかのかたがゼンメツさんを大賞に推挙なさるであろう」という他力本願の所産なのです。どなたか! 国語教育の未来に大賞候補を! ●5or6さんへ ご歓迎ありがとうございます。身体上の諸事情で長いことたそがれておりましたが、ビーレビの閉鎖危機を聞きつけ急ごしらえで蘇生しました。8月選評を書くまでは死ねない予定です。今後もよろしくお願いいたします。 ●survofさんへ ご返答ありがとうございます。詩書きはたいていなにかしらをこじらせているので、相手を傷つけまいと憂慮していると、批評など一字も書けないわけですが、survofさんには杞憂だったことを執念深く記憶しました。選考には不要な情報とはいえ、安全であるすぐれた書き手のお名前を把握しておくに越したことはありません。survofさんもぜひご記憶ください。読者はおのれの復権のため、作者の死(by バルト)を希求する生き物です。作者にどんな思想があろうが関係なく、自分の読みたいようにしか読まないのですよ。その読者も読解書けば作者に相違ないのですがね。つまりわたしは死にたくないので、今後の評に語弊がありましたら、ご遠慮なく苦情をお申し付けください。 (【選評】澤あづさ選2018年7月分)

2018-08-12

すてきな詩は読者をメロメロにし、アホにする劇薬なんですよ。特にこの詩は、しょっぱなの電柱の立派な男性性がめっぽうしびれるため、読解がよりアホになると思しいので、ひとまずどうにか悪い頭を冷やす必要がありますね。 つまり語り手は、欅並木の下のベンチかなにかに座って、おそらく居眠りをしていたのでしょう。電柱は原則として、目覚めた語り手の視界に入った光景の一部であって、立派な朝勃ちの比喩とかでは、原則としてはないはずです。 そして【立ってから座っていた自分を振り返る】。姿の見えない熊蝉の声、すでに立っているかつて座っていた自分。そのような痕跡のようなものが、居眠りの夢うつつで僕が欲情(リビドー)し、射精の大洪水で虐殺(デストルドー)した対象の【人類】である。 人類には自分が含まれている。「姿の見えない他者」にも自分自身が含まれている、過去の自分はもちろん現在の自分も、「自分には見えない顔」には違いないから。だめだ読解がアホだ! *** メロメロ病が治ったらまた来ます。 (立ってから座っていた自分を振り返る)

2018-08-11

※このコメントは7月選評です。作者様でなく閲覧者に向けて書いています。※ 【ほんとね、(自分が死なせたラベンダーのように)さっさと死にたいです。】 これがこの作品のオチであり、核心は「コンバースよりラベンダー」と思われます。 【例のコンバースは彼女と会うために買っただとか、ベツにそういうもんじゃない、】 つまり、そのコンバースの靴紐を巻き付けられ、コンバースと「結ばれた」ラベンダーのほうは【そういうもん】であると。 彼女との終わった恋を象徴する枯れたラベンダーについて、語り手は黙秘しています。 【てかコンバース(の靴紐を巻き付けた枯れたラベンダー)の事はもういいだろ、ほんと、】 とコンバースの話でごまかして、ラベンダーのことを隠蔽しています。もう思い出したくないのでしょう。語り手は彼女との恋を、ラベンダーごと枯らしてしまいました。枯れたあとでその恋が【来年フツーに生えて】など来ないことを知りました。 それを【なにも悲しくはない】やら、彼女との恋が【長く続くことを考えると、知らない臓器に違和感を覚える】やらほざくスキゾ気取りの語り手には、失恋の悲しみを表現する能力がありません。悲しむことができないから【結局むしゃくしゃ】するしかなく、自分のように雑魚なコンバースに八つ当たりし、その靴紐を思い出のラベンダーに巻きつけ「彼女と結ばれたかった自分」を思い知ったりして、 【そこまでしてやっとバカらしくなった。やっとだ。】 【ほんとね、(自分が死なせたラベンダーのように)さっさと死にたいです。】 なんかもう、語り手には申し訳ない感想ですが、ほほえましいですね。 *** 密度の高い文章です。平たく言えば「戻ってくると思ってた彼女が、戻ってこないから俺はいまこんなんなってる。」というだけの哀愁が、どれも非常な説得力のあの手この手で語られています。一言一句に豊富な含意と強靭な必然性があり、コンバースのように雑魚な語り手の心境を、これでもかというほど深めています。わたしはスキゾでもスキゾを気取りたくもないので笑ってしまいましたが、共感し感動しより豊かな読解を成す人もいるだろうと思います。 初見一発目からおもしろく、再読すればさらにおもしろく、しかも難解でなく、およそ欠点がありません。あえて瑕疵を挙げるとしたら、場面転換が雑すぎることですが、その雑さ(割愛)にも意義を持たせてしまえています。高校現国の教科書に載っても支障ないような文章力です。きっと多くのかたから高く評価されることでしょう。 (無題)

2018-08-11

※このコメントは7月選評です。作者様でなく閲覧者に向けて書いています。※ 説明の決定的に足りない、解釈の余地の大きい文章です。小説ならダメだと思いますし、小説ではやる意義が薄いとも思いますね。つまり詩でやる甲斐のある表現だと。 奇妙な題名には「蛇の道は蛇」やら「結界」やら「口を噤む」やら、感受できる含意が豊富です。作品もどんなふうにも読めるのでしょう。わたしは下記のように、ごく平凡にこの詩を感受しました。 *** 念仏寺の門前にいつも鎮座していた猫が、語り手に写真を撮られた日に姿を消してしまった。写真はひどくぶれてしまったか、撮る前に逃げられてしまったか、少なくともしっかりとは撮れなかったようです。撮れなかったから語り手は、猫をいまも探すのでしょう。 半眼の仏のような、だが仏の偶像でも象徴でもなかった猫。語り手は【無私】の奉仕として猫の写真を撮ろうとしたようですが、猫は像にされることを拒み、語り手には通れない道をこじ開けて去りました。この部分に最も大きな解釈の余地があります。 写真に撮られてしまったら、もう会いに来てもらえないと思って、すねて逃げたのかも知れません。写真さえあれば会えなくてもかまわないような相手だと、思われたくなかったのかもしれません。 *** 鮮明な描写です。心理描写がほとんどありませんが、語り手が猫に注ぐ熱視線のほどや、猫が語り手に特別になついている様子がよくわかります。特に二段が印象的。 【広がる青の清澄。はるか遠く、黄金の風の瞳が開き。】 うららかな晩秋の昼下がりの日差し、カメラを構えた語り手の熱視線、周囲の音が耳に入らないような緊張感と高揚感、日差しに照らされ風にまで見つめられている猫の美。そうした抒情が凝縮された美文です。この作品はこのような、小説では書いても読み飛ばされるから書く甲斐の薄い美文のかたまりです。 (口縄にて)

2018-08-11

※このコメントは7月選評です。作者様でなく閲覧者に向けて書いています。※ わたしが思うこの作品の魅力を、どうにか人様に伝えたいのですが、後述の理由ですこぶる困難です。ひとまずデリダの「署名」や、『涼宮ハルヒの憂鬱』の未来人の「時間平面」が思い起こされる、というところから説明を試みます。 思っきり恣意的に平たく言うと、時間やら歴史やら「自己」やら言うのは、パラパラまんがのように「連続して見えるが一瞬一瞬で独立しており不連続である」。たとえばわたしが地点aから地点bまで移動する姿を、50枚の連続写真で表現したアニメーションがあるとします。その50枚の写真に映ったそれぞれ異なるわたしの姿の「どれが本当のわたしか」なんて問いには、意味がまったくありません。そのように「本当の自分」とか「自分を偽る」とか「自分探し」とかいう概念は無意味で、きょうの自分があしたも変わらず継続する保証はどこにもなく、自分なるものの真相は自分にもわかりません。という感じ。 その「同一でない無数の自分」の同一性(連続性)を便宜上保証するものの一例が「署名」です。作中ではそうした概念が、下記のように表現されています(というのはわたしがそう思ったということで、作者様とは関係ありません)。 【僕を隔てて/僕が言ったのは/自分の名前なんてオチじゃ/噛ませた甲斐も意味もない】 ●読解(というのは読者の表現であり、作者様とは関係ありません) 【河を隔てて/時を隔てて/僕のようなものが一枚噛ませてある】 冒頭三行の表現から想起される情景は「三途河」、生死の境です。おそらくこの語り手は、人生観がいっぺんで(おそらく望まなかった方向に)一変し、自分が自分でなくなったようにしか思えなくなるような、なにかしら衝撃的な経験をしたのでしょう。 【生きていて/を/隔てて/堪えるんだ/を/隔てて/宛がった僕と僕/ガーゼが足りない僕の僕】 ここが特に印象的。【生きていて】の持つふたつの意味(現在と願望)と、【僕】の持つふたつの訓(「ぼく」と「しもべ」)が非常によく効いています。いま心が空っぽでなにも考えられない、もう以前のままではいられないのになにもできないと言った抒情が、「(いまの)僕に(過去の)僕の宛てがう」という、迂遠だから印象的な情景に集約されています。 「変わらなければならない、だが変われない」、平たく言えばそうなるかもしれませんが、平たく言って片付けることができないほど重い感慨だから、こういう叙述になっているのでしょう。説明も心理描写も削ぎ落とした「起伏」しかない思考の波。あたかも脳波です。それしか表せないほどの虚脱が強く感じられます。 ●結論 名状しがたいものは説明できません。器用に説明できるならそれは「名状しがたいもの」ではありません。しからばそれは抒情詩ではありません、とわたしは思っています。この評文が説明になっていないのはそれが理由です。 (隔てて)

2018-08-11

※このコメントは7月選評です。作者様でなく閲覧者に向けて書いています。※ この詩にはまいりましたね。こんな好みどまんなかの、脳みそしびれて使い物にならないほど魅力的な筆致には、めったにお目にかかりません。下記は「わたしがこの詩の核心と思う部分の読解」ですが、ただでも悪い頭がこんなにしびれちまって、果たしてまともに読めているのかどうか。 ●読解(というのは読者の表現であり、作者様とは関係ありません) スラッシュの多用で連ねられた、断片的で自虐的な回想。語り手は「かつて堕胎を経験した未婚の女性」と思われます。流産と解釈することもできますが、ここではより重苦しい堕胎を読解前提に想定します。 失ったわが子や愚かだった恋にまつわる、語りたくないもう思い出したくもない抒情が、迂遠な比喩の行間に、すさまじい密度で凝縮されています。 冒頭の【空き地に敷き詰められた詰草】は、もとが梱包の詰め物だったので詰草と名付けられました。 出だしの情景はその詰草のイメージから、「世間知らずの箱入り娘」や「開封された贈り物」などの濃密な含意を伴って、「からの子宮」を示唆します。 それは「母になれなかったかつての語り手自身」への呪詛です。【阿呆が集いて歌を鳴く】そのように愚かだった恋の果てに、語り手はわが子を失いました。その感慨がここでは【止まらぬ寂】と呼ばれ、終盤では【孤独】と呼ばれます。 【薄暗き/林の高い木の枝へ/ふたり絡まり伸びようか/螺旋を二人でつくろうか】 これは愚かだった恋の高ぶった性交と、その果ての妊娠(遺伝子の二重螺旋)の比喩。イェイツの『デアドラ』を思わせる、悲恋と死の匂いをどっぷり孕んだ、不吉な高揚です。 【血を以て私たち他人となりましょう】 こちらは決別と堕胎の比喩。語り手は堕胎をもって、駄目な男ともわが子とも【他人】になったようです。 このようにこの詩の詩句は、含みがきわめて多く、文字通り重いです。語りたくないことを語る言葉だから、切り詰められ凝縮されています。 【嘘つきが最後に味わうものは孤独/誕生日に必ず味わう程度には私の好物】 この【誕生日】は、表面的に読んでも意味は通りますが、真意は「失ったわが子の命日」でしょう。生むことのできなかったわが子へのやるかたない思いを、語り手はこんな皮肉でしか表現できません。かの女の本音は言葉にも、涙にすらもなりません。 【蛙、雨を乞いて鳴いている】 涙も涸れ果てたような疲弊の重苦しい抒情が、すさまじい密度で凝縮された結句です。人も蛙も恋を謳歌する夏の夜の孤独、涸れ果てた涙が飽和したような湿気、わが子が上げることのできなかった産声。漏らせない語り手の本音。悲しんでいないふりを装う【嘘つき】。人に言えないような話は、このようにしか歌えないということ。 ●感想 特に冒頭がかっこよすぎるのですよね。初見一発目から「箱入り娘をこんな洒脱に皮肉る比喩を、わたしは初めて見た。」って間違った感動に打たれたせいで、再読三回目くらいまではどこ読んでも「わたしもこんな渋い女性になりたいなー」って最悪に的はずれな感想しか湧いて出ず。自分の悪い頭との厳しい戦いでしたが幸せでした。好みどまんなかの詩は、読者をメロメロにし決定的にアホにする劇薬です、が最高に幸せです。 わたしがメロメロのアホだからまともに読めないだけで、難解でも奇天烈でもありません。読めば読むほど「この詩はこのようにしか書かれ得なかった」という必然性の感じられる、説得力のある作品です。メロメロ病が治るまで読解どころでないことも、なん度も再読を楽しめるのだから美点と言えましょう。傑作です。 (女性像/断片)

2018-08-11

ご返信ありがとうございます。私生活の事情で責任ある立場には就けないのですが、技術に限った一時的なお手伝い程度はできると思います。phpどころかJSも書けないので、プログラムは組めませんが。。。 この返信を書く前にサイト内要所のソースとレスポンシブを確認したところ、アーカイブのtableに関するclass設定が、無駄としか言いようもないほど複雑になっており、かつ不適切になっています。なぜこうなっているのか不思議でしかたないので、内部(入力の現場)を見せていただきたい気持ちになりました。入力がどうなされているのかわからないまま、外部CSSがどうこう言っても無益だからです。 9月まで私生活が多忙なのですが、システムのことは現運営からしかお話を伺えないので、お手伝いするなら可能な限り早い時期から内部を見せていただきたいと思います。よろしくご検討くださいませ。 (今月のおしらせ(おもにキュレーションに関して)※必読)

2018-08-10

渡辺さんお疲れ様です。すでにツイッターで質問させていただき、ご回答をいただいた選評投稿の形式について、考えが変わり結論を出しましたので、改めてその件を報告させてください。 まず先日の話を詳述します。選評には字数制限が設けられていませんが、あまりに長大な投稿は、掲示板の(特にスマホでの)一覧性や操作性をはなはだ悪くし、迷惑になるとわたしは危惧しています。たとえばいまわたしが執筆に挑戦している7月選評は、大賞候補作の選評だけで1600字を超えます(※ちなみにこのコメントの字数が約1600字です)ので、8作分の選評をまとめれば一万字を超える可能性があります。そんなものがこの掲示板に全文表示されていたら、多くの読者がページ自体の閲覧を放棄することでしょう。 率直に言って、B-REVIEWの掲示板のサイト構築は、わたしの知るウェブの常識に基づくと拙いものです。スマホでは、長文を折りたためず抜粋表示への変更もできず、スクロールが煩雑でスレッドを見逃しやすく、viewport設定がないため横画面での表示が非常に読みにくい。一覧性(ページ内の全容の把握しやすさ)はPCですら芳しくありません。ただでも悪いその一覧性を、長大な記事の投稿が、致命的なものにすると危惧しています。 *** それで先日わたしが考えた「自分の選評投稿を迷惑にしないための対策」が、先日質問させていただいた下記三種でした。 ①選評を分割して投稿する。(選出結果はすべての記事に記載する) ②投稿記事には選出結果と総評等のみを書き、個別作品の選評は、折りたたみの可能なコメント欄に記載する。 ③投稿記事には選出結果と総評等のみを書き、個別作品の選評は外部に用意して、投稿記事内のURLで誘導する。 ①には「多数の投稿が他者の投稿を下げ続ける」という致命的な欠陥があり、「一万字を超えるような長大な記事は、分割したところで結局長大」という根本的な問題もあり、問題をより深刻化させるでしょう。 ③は、書く側としては慣れた環境で好きな形式を使えるので楽ですし、B-REVIEWにもリンクジュースの利益があると思いますが、その外部記事が絶対に消去されないという保証がないため、信用の面で問題があると考えます。 それで②が最も適切な手段であろうと、先日の時点では考えていました。 *** しかし、既存の選評を参照(新運営の尽力によりアーカイブが整備されたので、この参照が可能になりました)すると、どなたの選評も実に簡潔です。キュレーター各位が「すでに当該作品のコメント欄で評価の前提を説明し終えている」ので、それと重複する内容を選評に記載する必要がないのだろうと思います。 選出にも批評にも根拠は必要で、わたしの場合は読解を根拠にすることが多いので、どうしても話が長くなります。その長大な読解は、選評より選出作品そのもののコメント欄に書くほうが、閲覧される蓋然性も上がり、よほど望ましいのではないかと考えはじめました。 8月上旬の投稿が盛んな時期に、7月の作品を選評のためのコメントで上げ続けるのは、現場の投稿意欲を削ぐかもしれないと不安を感じていましたが、現運営の三浦さんから「前月分の投稿作品には、トップページに上げずにコメントすることが可能」とご案内をいただきました。今回はこの手段を試行する所存です。 *** 以上、「わたしの問題は解決したので、わたししか書かない蓋然性の高い長大な選評について、特別のご配慮をいただく必要はない」ということを報告しました。サイト構築に関する私見は、新運営が改造に着手なさる際に、ご検討いただければと思います。 また先述③の外部キュレーションに関しては、先述の通りの利便や利益があることから、選評とは別に催される意義があると感じています。このこともなにかの機会に、新運営にご検討いただければ幸いです。 (今月のおしらせ(おもにキュレーションに関して)※必読)

2018-08-09