才能&スウィート - B-REVIEW
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エセ詩人

いでよ、エセ詩人!

コトダマ とはよく言ったものだ。 ハキダセ と 男は言う。 おまえは誰だ? わたしは何者だ?   

湯煙

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

良い

シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

いい

明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

afterglow



批評対象
作品を読む

才能&スウィート    

<批評対象作品>
隣の芝生がもっと青ければよかった


私には才能がなかったのだ そう思いたかった・・・  そう人が感じるとき、それは「才能」の語の利便性をもってして、非常に安易に納得を試みる・・・といった心の動きがあるように思う。  そう思いたかった、のだから、実際に「才能はあった」のである。  しかしその「才能」という語の利便性といえ、それは暴力に近い力を秘めている。 「なんで私が栄誉を受けないのか?」「端的に言って才能が感じられないからだよ」  非常に厳しい。その厳しい世界に、じっさいわたしは身を置いたことはないけれど、そんなことを言われたら立ち直れないから、そういう世界に参入することを意図して避けている。  そういう方は多いだろうし、間接的に「才能」の魔力というものは、これは暗躍しているのだろう。  そうして、話者はそういう人が意図して避ける世界へ参入したのだろう。  そうして、戦って、負け戦したという風に読める。 但し、ここで「あなた」なる者が非常に巧妙な導入のされ方で登場する。 あなたは描いていた 私が散歩している時 あなたは描いていた 私がお昼寝している時 あなたは描いていた 私が買い物している時 あなたは描いていた 私が働いている時 あなたは描いていた あなたは描いていた  ともかく、ここで、話者と才能との、第三者的な位置づけを行うと、「あなた」は制作に没頭している。  このあなたはパートナー程度、フレンド程度の距離感にいる存在とも読めるし、話者のかつての自分をふりかえって私かも知れない。ともかく、この「あなた」の導入で、詩作品全体が、要は才能コンプレックス、そうしてそのシビアから、非常に甘い雰囲気、趣きへと展開される。  私の、今作に於いて、推薦する理由は、ようは読んで欲しいと感じた動機は、このスウィートで爽やかさであり、読み方によっては、懐かしい、あなた、の導入によって、少し泣かされてしまったことに尽きる。  その、深読みをするのであれば、才能に対してあなた、は「努力の化身」なのかもしれない。 ともかくも、早期に、才能がないことはないけれど、それで勝負できないのだから努力を積み重ねるしかない、といった風な。それとももっと絶望的な、全く才能がない、という自覚によってか。  その、あなた、をパートナー、又はフレンドの位置関係で捉えれば、まるでこれは映画であって、私が訪ねる度にそのアトリエに於いて、あなたは黙々いつも、何かを描いているのだろう。  寧ろ、そう解釈した方が、詩情というものは高まって迫ってくる。  くりかえすが、泣かされた。  オチは、あるといえば、あるし、ないといえばないのではないだろうか。  前述したあなたの導入から、ある種の諦感をもって、再度、私は「才能」というものに出会うが、諦めるというのはネガティブなことではないのかもしれない。寧ろ、強靭に扉は閉められた方がいいのかもしれない。  その方が、個人にとってさいわいに、実は近づいているということを、この作品をもって、再度、思い返した次第です。  



才能&スウィート ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 23
P V 数 : 1296.1
お気に入り数: 0
投票数   : 0


作成日時 2023-09-22
コメント日時 2023-09-24

才能&スウィート コメントセクション

コメント数(23)
田中恭平 new
田中恭平 new
さんへ
(2023-09-22)

うーん、精読したらば、やっぱりあなたは努力の化身、第三者的立場だったなぁ。 うーんと、そこまで追求されて考えると確かに私も何もできないんですけれど 何かできたらば、暴走していたかも知れないですね。 天、ですよね。 おいらてきにはやっぱり生まれたときから才能の有無ってあると思うんですね。 非常にそのセンスに優れている方もいれば、そうじゃない方もいる。 残酷ですけれども。 バラバラのパーソナリティで、各々が、自分の、なんだろ、特別に突き出た部分を 理解することが大切だな、と思いました。 そうしておいらは未だ無明の内にあります。

2
もじゃお
もじゃお
作品へ
(2023-09-22)

推薦文を書いていただきありがとうございます^ ^ 本作を読んでくれた方の 何かのお役に立てれば幸いです^ ^ 猫背の私は、 ちょうど今サンダルをつっかけて街を歩いていたのでちょっと笑ってしまいましたw

2
田中恭平 new
田中恭平 new
さんへ
(2023-09-22)

凄いな。 ほう。・・・失礼ですがなるほど。 ちょっと才能について話が絡むか、絡まないかわかりかねるのですけれど そのこの掲示板に於いては、文学学、哲学学というのはもういいと。 その要はアカデミズムですね、その客観的にみてそれはどうするのかい? ってことで、いや、それはもういいという意見もちょっと出ているのですね。 ですから、様々ユーザーさんがいらっしゃる中で、その アカデミズムをどうするのか?という意見がそれは出て、言い方悪いですけれど 「戦い」になるんじゃないかな?と言えます。すいません(笑)。 まあ、それはもう、肌感覚でユーザーさんもわかっていることだから 書いちゃいますけれど。 ですから、その際にはですね、非常に貴重な意見ですからまた書いて頂きたい(笑)。 それはですね、マラルメを読む電気保安事務所助手、の私も 自分の立場から軽やか、意見したいと思っておりますので。 ありがとうございますです。

1
田中恭平 new
田中恭平 new
もじゃおさんへ
(2023-09-22)

そうですね。 何か非常にひとに訴えかけるテーマであるのか、いやぁ、有意義な話を聞いております。 この度は推薦文を書きました。ありがとうございました、と改めて。 あきらかな読解については それは「あなたが私の過去の姿ではなく、完全な第三者である」ということでした。 突っ込まれたば、その理由も説明できます。 この件に関しては申し訳ありませんでした。なによりもじゃおさんと作品に感謝です!

1
田中恭平 new
田中恭平 new
田中恭平 newさんへ
(2023-09-22)

あきらかな読解⇒あきらかな誤読

0
田中恭平 new
田中恭平 new
さんへ
(2023-09-22)

まあまあ、その個人個人パーソナリティがあるとして その出っ張ってる部分がありいの、各々宿題を抱えていると思うんですよね。 室町さまの含めてそれは「才能」でしょうその出っ張ってる部分は。 そうして引っ込んでいる部分があるとして、それは何か人間が各々別個に存在して 要は弱点を補い合って生きているよう何か設計されていると思うのですよ。僕は。 その完全な人間なんていたらば、70億人?必要ないでしょう。 ですから人間に良い部分と弱点があって、弱点があるのならば、補いなさいよと。 天はそうは言っていませんが、何か僕はそういうことを考えていますね。 この度はまこと、ありがとうございました。貴重な経験でありました。

0
もじゃお
もじゃお
田中恭平 newさんへ
(2023-09-22)

いえいえ!誤読とは思わず、そういうイメージの膨らませ方もあるのだなと思っておりました。 投稿した作品は作者である私の手をはなれ、読者の方おひとりおひとりのものですので、後は自由に思いを巡らせていただいて〜と思っております^ ^

2
澤あづさ
さんへ
(2023-09-22)

>わたしが澤あづさ氏の批評に首をかしげるのはフロイトの精神分析学やデリダだ、ラカンだのと名前や用語を出してもそういうのは詩の解説としては単なる幻想的なひとつの虚構(論理)にすぎないと考えているわけです。 https://www.breview.org/keijiban/?id=11534 ↑あなたがこの駄評のコメ欄に卑劣にも隠蔽して病的な侮辱を浴びせた拙評の本文には、フロイトもデリダも一字も出てこないけどね。ましてラカンて、わたしラカン嫌いなんだけど。 https://www.breview.org/keijiban/?id=11476 ↑なぜ上の駄評にこのURLを貼らなかった。読者を批評対象にアクセスさせてれば、あの駄票に悪意以外のなにもないことが、「作品を読まずに作品表を読んでも意味がない」とわきまえているまともな人間には伝わったろうに。 ●参考:拙文「B-REVIEW第8期運営への意見書」内「追記目次」(もはやメイン) https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-71.html#POSTSCRIPT ↑あなた自閉じゃなかったの。自分の病名くらい覚えてよ。 なぜ虚報ばかり流布して、わたしの風評を害し続けるんだ。どれほどわたしを侮辱すれば気がすむんだ、わたしを自殺に追い込むまで満足できないか? そのうえこの卑劣漢を、この田中という運営参加者が。ひたすら擁護し持ち上げて二次加害を助長する。あらためてなんなんだ8期運営は。この卑劣漢が野放しで、なぜ花緒さんが追放なんだ。どいつもこいつも理解できない。人をここまで嘲弄する権利が、なぜ自分にあると思い込めるんだろう。

1
田中恭平 new
田中恭平 new
澤あづささんへ
(2023-09-22)

澤あづさ様、すいません。これが最後、と切り上げておられるので、言説を諫める形で 「まあまあ」と切り出しておりますが、ともかく、この一連の話を、運営に持ち帰る形で その提示されております、言説、に対して、冷静、精査させて頂く時間を頂けないでしょうか。 そうしてですね、その現運営に於いて、じっさい、澤あづさ様のように正統のアカデミズム を踏んでいる布陣かといわれるとですね、クエスチョンで 私個人は音響屋なので畑違いなわけです。 ですので、本音を言えば、非常に困っているわけですね、 その、文化教養資格士として、レビューは展開できるとして、批評となりますと 澤道場から破門されている感、じぶんであると考えており。 じっさい、私が展開できる推薦文もこのようなもので、自分としてはトホホなのです。 ですから、その戦い云いも言いましたが、平和主義の牡牛座生まれとしましては 皆さまの力をお借りしたいわけです。御協力のほど、何卒、宜しくお願い申し上げます!!

2
fiorina
作品へ
(2023-09-22)

室町さんと沢さんの論争?といっていいのか、をつぶさに追っていないのすが、 個人的にある疑問があるので、この場をお借りしますね。 田中さん、申し訳ありません。田中さんへのコメントは明日以降にします。 私は詩や評論の勉強をほんとにしてないので、何かしゃべると自分で考えたことだ、 というのは、室町さんに近いかと思います。 それで、たまたま言ったことが的を得ているとき、それが1メートルジャンプだとしますね。 ところが、 たくさん学んでいる人たちは、学びの中でその1メートルをもともと獲得してるんです。 そして、自分だけの意見は1ミリしか付け加えていない。 多くの真実の上に、1ミリしか付け加えていないとしても、その1ミリがすごいのではないかと思うんです。そしてその1ミリを、見逃して、自分の1メートルの方が仕事したみたいに思っていた私。 昔そんな詩を書いたことがあるんですが、 例えばパリの風景に1ミリの美を付け加えるのと、荒野に1メートルの美を付け加えるのと。 パリの1ミリのためにたくさんの勉強をすること、その1ミリに憧れ続けること、 それってすごくないですか? そしてそれは1ミリだから、見逃されやすい。 また何も基礎がない私の1メートルは、淘汰されやすいというか、 なんか自信を持てないので、詩のコメントがなかなか書けないのですよ。 それでも、自分の言葉だよ、とだれかがどこかに書いていたような気がして、思い直したり・・・。 余談ですが、いつかあんまり暑いので大きなビルの陰伝いに歩いていて、 「そうだ、夜って地球の陰なんだ」と気づいたんです。 その思いを何年か大事に抱えていたら、同じことを既にアインシュタインが言ったと読みました。 後から生まれるって損だな、と思いました。 皆さん、後から生まれたばっかりに模倣とか引用とかになってるのかなと。 以上田中さん風に決めてみました^^

2
fiorina
作品へ
(2023-09-22)

澤さんの漢字が間違っていました。申し訳ありません。

0
澤あづさ
田中恭平 newさんへ
(2023-09-23)

田中恭平氏とfiorina氏はなにを宣っているんだ?  https://www.breview.org/keijiban/?id=11476 ↑この拙評のどこにアカデミズムが出てくるんだ。わたしの読解は高校国語に則っている、詩評は娯楽を志している。娯楽には上記で扱った程度の雑学も当然含まれるだろう。 あなたがたは自分の興味のない娯楽がすべてアカデミズムに見えるようだが、誤認を正してくれ。理解できないなら「澤あづさの詩評は反現代詩だし反アカデミズムだ」これだけ覚えてくれ。虚報は迷惑だ。拙評を読みもせずに、拙評への妄言を垂れ流すのをやめてくれ。

2
澤あづさ
fiorinaさんへ
(2023-09-23)

fiorina氏にも通知しておく。懇請の内容は上の田中恭平氏へのと同じなので割愛するが、ついでなので附記する。澤あづさは心理学部卒で、しかも専攻は認知だ。文学など学んだことはない。視覚障碍が進んだので、近年は読書すらできていない。

1
fiorina
澤あづささんへ
(2023-09-24)

では、澤さんも1メートル派ですね。

2
田中恭平 new
田中恭平 new
澤あづささんへ
(2023-09-24)

おはようございます。 すいませんでした。 「澤あづささまの詩評は反現代詩だし反アカデミズムだ」 こう、もう書いちゃう。 私はね、「花鉢」評、どきどきしつつ読んだのですよね。 しかし、なんだろ、これは僕の個人的な幻滅?なのですけれど そのリテラシーに於いては、当然のことながら、個々人で幅があるようだと。 そもそも、ビュー数に比してなぜにこれだけレスが少ないのかと問われれば それはこの問題に大きく影響しており、要は高校教育程度の国語力であっても 非常に、その書くなり、読むなり難しいと。 であるからして、無理に作品と絡めて語れば、澤あづさ様は才能を培って そうして表現できているわけでしょう。それは素晴らしいことだと思いつつ半面 それを、要は培い、表現できるような場としてのビーレビューか? と言われれば、なかなか難しいと言わざるを得ない。 その、澤様がパタッと活動をされなくなった場合に、その影響力の大きさを 念頭に入れて欲しいのです。 それは批評の大きな柱が倒れてしまったという意味で人々に「えっ?」とショックを 与えると思いますし、ですから「後継」という問題をこれを非常に僕は 非情な現状とともに、シビアに見ているのですね。 まあ、その「才能」ですね、個々人が才能を持ち寄って大輪の花を咲かそうよ派なのですね。 僕は。 それはこの作品のように個人の闘いを含みつつ、それは文化事業っていったら 厳密には違うですけれども、ともかく世に寄与したいのですね。 それは掲示板というシステムでできる、できないの間で板挟みになっているから 私として非常に、苦しんでいますと、心情吐露しておきます。 ですから、真面目に助けて!といった塩梅なのです。

2
田中恭平 new
田中恭平 new
さんへ
(2023-09-24)

おはようございます。 そうですね、その、抜き出した部分に、そのスウィートな感触、映画的な切り取り方を 見いだした、これはやっぱり僕の主観でして。 そうして、僕は主観がつよい人間になってきているようで、気をつけて書いているのですけれど 「才能」に対する、把握のしかたのそれでもう、この作品から個人に訴える 力、パワーって大きくなったり、小さくなったりしますよね。 やっぱり、その作品のモチィーフ、又はアイディアかな、それが優れていると思うんですね。 憎いといいますか。 典型的な平和主義牡牛座ですw ですので、そのフェアな目を養うとして、その大地を司る星座特有の「闘争心」 これが入ってしまうのでw とてもやっかいに思って難儀しております。 ですが、基本的にはクッションですし、人を応援する側だと思っております。

2
fiorina
作品へ
(2023-09-24)

専門分野では、どなたも1ミリ派だと思います。 そんな方々へのオマージュです。 【PARIS】 中世クリュニュー美術館で 膝小僧を抱いて床に座り 女性館員の説明を聞いている小学生の一群れがあった  質問はありませんか? 促されて少年が金色の頭を傾けて何かを問うと めがねの奥から女性館員が静かに答える 少年の甲高い声が中世をゆく わたしは彼らに背を向け 羨望のパリを旅する そして問い続ける 旅の間中わたしを幸福にし不安にしている美について 美術館の外で 明るい光を浴びるともう少年は問わない 彼が見たものを けれど 夕暮れのまちまちで 公園で 無言の解答が彼を包む 郊外で 一つの庭や窓で 木洩れ日で ・・・・音楽で 駈けてくる少女の髪飾りの軽やかさで レースのカーテンがやさしい重みで訪れを待つ部屋の 密やかさで       彼に囁く  「美は怖るべきものの始めにほかならぬ」* 彼はゆっくりと目覚める 膝小僧を抱いて考える ここに自分が付け加えることのできるものの あまりに小さいこと 愛するほか 何も残されていないことを 彼は愛する この人生を いつかもっとも小さな断片が 苦悩と甘美にまみれた彼の生涯として 少年の日に見た一角獣の不思議で 街の尖塔にそっと付け加えられる日を 夢見る         *註リルケ「ドゥイノの悲歌」から

2
澤あづさ
田中恭平 newさんへ
(2023-09-24)

懇請をご諒承いただけたことは承知した。拙評への的はずれに過分な評価も、虚報には違いないが、この場に限ってはありがたく思う。わたしの目標は高説の通りの「読める詩評」だからだ。現代詩評には意味のわからない、そもそも意味をなしていない怪文が氾濫している。それらを「詩が詩人にしか読まれていない状況」の大きな要因とみなすので、わたしは読解に拘泥している。わたしの読解が才能であるのは事実だと思う。ないほうがましなたぐいの才能だけれど。 その哀れな才能を、室町礼にここまで嘲弄され害されている以上、わたしがここで作品評を書くことは不可能だ。かれの評者への加害は評者ひとりに留まらず、批評対象の著作者にまで及ぶからだ。そのようにして合評が破壊されることを疎んじて、花緒さんをはじめとする創設メンバーが、文学極道を離れB-REVIEWを創設した事実を、運営陣にはどうか忘れないでほしい。 室町礼も黙って詩を書いてさえいればすばらしい書き手なのに、あなたとfiorina氏の賛辞は(両名とも室町礼に劣らないすばらしい書き手なのに)かれを詩に向かわせず、かれの理不尽な暴力ばかり引き出している。この批評対象の著作者であるもじゃお氏が、この批評対象のコメント欄で、かれから詩を引き出したのとは対照的だ。もじゃお氏とともにあなたがたが、かれを詩へ向かわせることを期待する。以降この記事には返信しない。

1
fiorina
さんへ
(2023-09-24)

室町さん、ありがとうございます。 「美は怖るべきものの始めにほかならぬ」* リルケ引用は上記の一行です。

1
fiorina
澤あづささんへ
(2023-09-24)

誰に対しても、「取り巻き」という言葉はふさわしくないです。 昨日の友は今日の敵、逆もまた真なり、という風に人間関係は考えており、 ネットの掲示板からもそれは見て取れます。それでいいんじゃないでしょうか。 室町さんにひたすら詩に向かってほしい、とお考えのようですが、 私はそう思いません。 以前室町さんのスレッドで、 昔私が友人に対して、「詩を書いてよ、詩じゃなきゃあだめだよ」と言ったと書きましたが、 あれには続きがあるんです。 * 友人は詩を書くようになり、何年かして私に「やっぱり詩じゃなきゃあだめだったわ」と言いましたが、 随筆はその後も書き続けています。私は以前からその随筆のファンでした。 そして、私もしてみんとて、若い頃随筆を書こうとしたのです。 でも、何故か書けませんでした。 詩もどきなら書けたのに、何故随筆がかけないのか。 私には、生き方であれ、主張であれ、他の人に伝えるべきことが何もなかったのです。 随筆が書ける人間になりたいと思いました。 そのためには、生き方を根本から見直す必要がありました。 道徳的、とか、立派な、とかではありませんよ。 普通に生きて、普通の喜怒哀楽を持つことから、それこそ小学生の頃から 感情のやり直しをする必要があったと思います。 そして、失敗談から始めて文章を書くようになりました。 室町さんの散文やコメントが好きなのは、 私とは違った種類の紆余曲折があり、生き方や主張や伝えるべきことがあるからです。 そして、乱闘のように見える応酬の中で、生きた詩に遭遇するからです。 そのときなされた引用は、引用であって引用ではない。 先に生まれていたら、室町さんは自分の言葉としてそれを書いただろう、 と思えるような、その瞬間にしかない言葉。 そういうものと遭遇するチャンスを逃すのはもったいないと思いませんか?

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田中恭平 new
田中恭平 new
さんへ
(2023-09-24)

室町さま その、澤さまのブログはわくわくして読みにゆくものであって いやいや読みにいくものではありません。 そうして、自身のことに言及された箇所を提示して その是正を促すとして、そもそも、そんなことをするからネガティブな 方向へ、個人評がふれるのではありませんか。 私はその「個人的には~こう思う」というスタンスを崩さないのですね。 その個人個人考えていることは違うのであるから わざわざ「個人的には~」のニュアンスを使うのですね。 それは一種の逃げと言えば逃げでしょう。 お二方合わないのは何かその「個人的には~」のニュアンスがないですね。 室町さまに言わせるとそんなことあったり前だろ!と 言われそうに思いつつですね。 批評について云えば、その一つの解答に帰さないので安心したと。 先ごろ、書かれてらっしゃったように記憶しております。 勘違いでしたら、すいません、このコメント書き次第、言質をとりに向かいます。 そうして、批評を主軸にしている澤さまですね。 その、私の「個人的には~こう思う」というニュアンス/ディフェンスというものを それは重々承知のことだと思います。 こうしてしまうのは実は詳しくはわからないけれど、それを説明でもできそうな。 その上で、批評を行う上で、「個人的には~」というニュアンスは排しておられる。 そこに一貫したスタンスがあって僕は凄いなぁと思うわけですね。 そうして、再度 室町さまへ、申し上げるのならば、やはりあんまり自己に寄せ付けて 批評の言説を読むとネガティブになりますし その、ブログなのですから、やはりわくわくして読めないといけないと思いますよ。 それは、釘を刺すじゃないですけれど、その自己への言及をもってして その澤さまの殆どの評というものを否定することはありません。

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田中恭平 new
田中恭平 new
作品へ
(2023-09-24)

 私はその「個人的には~こう思う」というスタンスを崩さないのですね。 ×その個人個人考えていることは違うのであるから 〇その個人個人考えていることは違うのであるのは当然でありつつ

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田中恭平 new
田中恭平 new
さんへ
(2023-09-24)

.>わくわくってのはなかなか難しいだけじゃなく >わくわくして読んだら不自然だと思うな。 あっ! う~ん・・・ とりあえずチャオ!でーす!僕の勉強にします。

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