惑星 - B-REVIEW
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きょこち(久遠恭子)

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惑星    

いとおしげに そのほほにくちづけるたびに 細かく鋭くほほが裂ける そのははのくちびるには 細かな棘が生えていたから 家というものは ミズノナカニあるものなのだと 君ははなからあきらめていた 青年になっても壮年になっても 肌に触れればすいこまれるように冷たい 無数の傷をおおう 透きとおった肌も 風化して風に舞う はなびらのように 地と空の境い目に すいこまれていく 露わになった傷を 指で丹念になぞる 触れて読む それが私の仕事だから 指先のやわらかさは えいえんにくるしい 手首から先を切り落として 次の人に渡すまでの束の間 空がすみれ色に明ける この世の全てをおおう水は やさしく引きはじめている


惑星 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 13
P V 数 : 794.3
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2017-07-13
コメント日時 2017-07-18
項目全期間(2024/04/19現在)投稿後10日間
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閲覧指数:794.3
2024/04/19 17時21分59秒現在
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    作品に書かれた推薦文

惑星 コメントセクション

コメント数(13)
黒髪
(2017-07-13)

ミズノナカニという発想が素敵です。惑星の上の家という対比が、とても幻惑的なイメージとして、みずみずしい。 出てくる人たちも、そんな環境の中で、一定の時間が過ぎ、変わっていく、でもしかし、変わらないものも、 ちゃんとある、そんなことが書かれていると思いました。

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夏生
(2017-07-14)

まりもさん 惑星、というタイトルから円がくるりと回って、水に満たされた惑星が見えて、やさしいくちびるから棘が、血の出ていない傷が見えて。       幻想的な映像を見ているようで。幻想で終わらない、生々しさが丁寧に包まれていて。何度読んでも変わらない痛みがありました。

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まりも
(2017-07-14)

蛾兆ボルカさん 意味(というか論理的なつながりを)少し犠牲にしているかな、という思いがあったので、音韻や流れから読んでいただけたこと、とてもうれしかったです。言葉の持つイメージや音の響きも、言葉にならない思いを伝えるために活かしていきたいと思います。 黒髪さん 水の中に、と書いてしまったら、なんとなく違うな、と思い・・・苦肉の策で「ミズノナカニ」としました。これが果たしてよかったのかどうか、わかりませんが・・・気持ちがすうっと冷えていく、そんな静けさの中に沈んでいる、そんな感覚を書きたいと思いました。変わるもの、変わらないもの、について、考えていきたいです。 夏生さん 惑星、大きすぎるかな、と迷った題名です・・・いつも、題名で最後まで悩みます。題名をつけるのが、苦手です。惑星、という言葉から、水の惑星をイメージしてもらえたようで、良かったです。束の間、肉体を借りて地上に宿る、それが人間・・・という思いがあります。ミズノナカに、静かに埋もれているような、そんな気持ちになっている人達を冷やし続けている水が、引いてくれますように・・・そんな祈りをこめつつ。

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宣井 龍人
(2017-07-16)

まりもさん、こんにちは。 読解力の無い私には難しかったですが、拝読致しました。 とても柔らかい優しい絵画的なイメージの中に刺々しい痛みが散りばめられている。 幻想の中のリアルのような印象を持ちました。 上手く言えないのですが、自分としては何故か植物を感じます。 個々は儚い生命の受け継がれる営みのような大切さも感じます。 ピント外れの拙い感想ですみません。 またゆっくり読ませていただこうと思います。

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白島真
(2017-07-16)

まりもさん、こんばんは~(^^♪ 正直、難解な詩でした。 タイトルの「惑星」、そして「母」が作者自身なのか(勿論、作中の主体)、 あるいは作者の母なのかで随分、考えてしまいました。 「露わになった傷を」以降は比較的分かり易く、まりもさんの詩に関わる在り方、そうして痛い詩も 頭ではなく指を通した皮膚・肉体感覚で読解されているという読む者の誠実さを感じました。 >君ははなからあきらめていた >青年になっても壮年になっても とありますから、やはり作者がいとおしむ詩人、その詩人は家は「ミズノナカニ」あると感じていて 母のような抱擁をもってしても、結局は傷をひろげるだけで、救うことはできない。 それどころか自らも傷を受け、その柔らかだったはずの指を通してみた詩的世界に戸惑いを隠せない。 この世の全てをおおう水は やさしく引きはじめている これはそういう状況下でのギリギリの願望なのかも知れません。 きっと「大地の母」のイメージが根底にあり、そこから「惑星」が引き出されてきたのかも知れません。 難解ではありますが、冒頭の韻がきれいで印象に残る詩でした。

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まりも
(2017-07-17)

宣井 龍人さん  宣井 さんに読解力がないのではなく、私の伝達力が不足しているのです。 意味やロジックを意識的に犠牲にした、というのか・・・ギリギリまで説明を排して、果たして成立するか、という実験を行ってみて、うまくいっていない、反省作品であると思います。 〈柔らかい優しい絵画的なイメージの中に刺々しい痛みが散りばめられている〉描きたかった部分が伝わっているようで、良かったです。絵画的なイメージに寄り過ぎて、動画的なイメージが足りない、それゆえに・・・物語絵の連作の、一部だけを示したような印象を与えてしまうのかもしれない、と思いました。

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まりも
(2017-07-17)

白島真さん イメージ先行で突っ走り過ぎた、それゆえの伝達性の不足、ということであるように感じています。そのほほ、そのはは・・・というような音韻にこだわってみたい、という意識と、君のほほに私が・・・という冒頭部のイメージに、さらに、具体的な接触ではなく、言葉(詩)による接触であるのだ、というような自己韜晦とか、君、は〈詩〉の向こうに〈母〉を見続けているのですね、というような問いかけのような気持ちとか、その〈母〉は実際の〈母〉ではなくて、もっと象徴的な、イメージとしての〈母〉でしょう、というような気持ちなどなど・・・が絡み合っている(いた)のではないか、と・・・白島さんのコメントを読みながら思いました(発見しました)。 読み手としての「私」がこの世を去っても、読み手であること、は次の人に受け継がれていくはずだ、という思いもあり・・・読み手って、手がつくんだよね、という文字からの発想もあったかもしれないです。

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#
(2017-07-17)

通りすがりのロム専です。 Twitterで拝見して、酷評しても良いということでしたので、酷評致します。 誤字脱字、ご容赦。 ***** 「惑星」というタイトルがまず安直で不安感を掻き立てる。 惑星の上にすまう人々の歴史、営み、諍いを家族関係や身体性を喩として用いた作品と読んだ。 選語やイメージの連結が陳腐でかつまた作中話者の安易な感傷に終始しているこの作品は、とても良い作品だとはいえないと感じた。 「はは」と「ほほ」などの言葉の形に注目した点や、俯瞰的な視点から語られる部分は興味をもったが、うまく活かされていないと思う。 以下、読書メモ。 ***** 【初聯】 >そのほほ という表記の「その」と >そのはは の表記は単純に語形を合わせている遊びに見えるが、同じ音に導かれた対象のベクトルが違うところが興味深い。 しかし、同じ方法で「くちびる」が向かう方向、向ける方向のベクトルを示しているので、いささか煩く感じる。 >いとおしげに という印象は、作中主体の印象だが、視点が「はは」に寄り添っている点に注視して読まなければならない。 >細かく鋭く この観察の「鋭く」という選語は独特である。何に対して鋭く、なのか。頬が裂けていく様を「細かく」裂けている、「鋭く」裂けているの並列で並べているが「鋭く」避けるという表現は珍しい。「鋭さ」に内包されたのは「ほほ」ではなく「心」であり、それはははのくちびるに細かく生えた棘=ははの言説によって細かく裂けた対象者の心、と読むことが出来る。 ははの視点に寄りながら、対象者の心を言葉で裂いている様を俯瞰的な視座から見ている。脱はは(=母性からの逃走)を予感させる、つまり対象者は「はは」の「子」である可能性を忍ばせる、初聯である。 【2聯】 初聯で示した「はは」と「子」という構図から、イメージの連結によって家(=家族)像を想像させる。 2聯はなんといっても >ミズノナカニ に注目するべきだと思う。 「ミズノナカに」ではないことに注視したい。格助詞「に」をカタカナに異化することの意味を慎重に考えるべきであろう。 単純に対比されているのはつづく >あるものだと であるので、「あるもの」との相互強調を狙ったと考えるべきか。 「ミズノナカ」という場所だけでなく、格助詞をつけることにより目標点、到達点をより強調しているのではないか。 「家」は「ミズノナカ」を目指して、到達した、ゆえに「ある」というのが正しい読み方だろう。 到達しているのにも関わらず「君」は諦めている。その動的な移動を拒否したい客体が「君」として存在する。2聯までの状況では「君」が「はは」なのか、それとも「はは」の行動の対象者(=子)なのかは不明である。 2聯後半部分は「君」に関する作中話者の感傷であろう。 >肌に触れればすいこまれるように冷たい 皮膚感覚である「冷たい」は動作主体が対象者に働きかけることによって生まれる感覚の感想である。作中話者が「君」に触れているのか「はは」が触れているのか初聯に出てきた「はは」の対象者(あるいは子)が触れているのかは不明だが、感覚としての「冷たい」感想は、この聯以降のイメージを支配する働きを持つ。 「君」は家がミズノナカニあることをはなから諦めている。(そしてその肌は)冷たい。冷たさは「ミズノナカニ」ある「家」への感傷としても機能している。 冷たいから想起される負のイメージが、ミズを或いは「見ず」(=無関心)と読ませることも可能なのかもしれない。「見ずの中に」という無関心の温床となった「家」すなわち家族関係の低温度化(薄い関係性への変化)への諦念が「ミズノナカニ」の格助詞「に」をカタカナという音記号へ置換した理由かもしれない。 【3聯】 >無数の傷をおおう この作品は同音の連なりをひらがなに解いて表記する事が多い。その目的は黙読時に音を意識させる作意だけなのか。この件に関しては最後まで読み進めてから考える。 (註:読み進めた結果、放置しました) 「無数の傷」の傷は初聯で「はは」につけられた傷なのかもしれない。「くちびる」を言語の発生装置として考えた場合、「ほほ」は言語を発生させる以前に通過する器官であるとも考えられる。「ほほ」を裂くのは「はは」の言説によって対象者の言説を言説として具象化する前に霧散させる為、と考えることも可能ではないか、と振り返って思う。 しかし、その発想には齟齬が生まれる。 >透きとおった肌も 「細かく」「鋭く」裂かれたはず「ほほ」は「ほほ」としての機能を失わされているのではないか。 とすれば考えうるのは2聯 >青年になっても壮年になっても という時間経過を示唆する言葉であり、時間の経過によってその傷が癒えた(表面上は)ということなのであろうか。 あるいはラングとパロールの関係性よろしく、裂かれても「ほほ」は「ほほ」という細かく鋭くされた「ほほ」の状況を維持しているのか。 とても興味深い。 >風化して風に舞う ごの重複は分からない。風化とは風による侵食であり、風がそこになければそもそも風化は怒らない。それをあえて「風に舞う」とする、無意味さはただ行の字数を揃えたいという欲求の現れでなければ何なのだろうか。 >はなびらのように 前行「舞う」からのイメージの連結だが、ありきたりすぎてつまらないだけでなく、意味として植物性の存在が希薄であるために飛躍、それも失敗した飛躍と考えられるのではないだろうか。 >地と空の境目に >すいこまれていく 手垢のついた陳腐な言葉の連続であり、かつまたそのことを効果的に利用していない駄行だと一読して感じる。 「地」の存在をはじめて表出させる。「家」は「地」に建つべきものであるが、「ミズノナカニ」という表現を強調する文脈で「地」の存在の意義は果てしなく軽い。 同様に空もはじめて表出する存在である。 ここでタイトルを振り返ることになる。 「惑星」 どの惑星を指しているのか分からないが、「地」「空」「ミズ」と揃えば地球と読むのが自然ではないか。翻ってこの「惑星」というタイトルがあるから、流れを陳腐化した「地」と「空」を表出させることができる。しかし、活きていないと感じる。陳腐化された文言がそのまま利用されているからだ。 先述2聯 >青年になっても壮年になっても から、「惑星」の歴史(人々の営み)に主題が集約していく。 しかし、本当にこの聯はつまらない。 【4聯】 >露わになった傷 風化の結果として顕となった傷を今度は指を使ってなぞる。「なぞる」という動作を「読む」に置き換えて説明する。 ここで「私」という作中話者がはじめて主張を始める。「指」は「私」の指であろう。「仕事」である認識は個人の主観である。また敢えて「仕事」としていることで作中話者の動作や意図を「読む」ということに収斂させている。 ここまでの3聯をつかって「私」が「読む」ものの描写を行なってきた、と考えるのが妥当だろう。もっと凝縮された構造にはできなかったのか、疑問に思う。 【5聯】 >指先のやわらかさは >手首から先を切り落として くちびる、肌と身体的な部位を象徴的に使ってきて、仕舞には手を用いる。 たぶん、身体的な描写を入れることによって、体感や感触の記憶を読者と共有したいのであろうが、80年代女性詩の安易な模倣で終わってしまっている。 「くちびる」「肌」「指」「手首」その象徴性のどれもが陳腐化されてしまっており、かつまた、新たな解釈を加えることもなくその意味に安穏としている。 女性詩ならではの避難所に結局逃れているだけで、「肉体」「触感」の不感症を逆に感じさせてしまう、つまらない描写。詩における身体性とはなにか、現代ならではの身体性をあらたに詩に組み込む、あるいは獲得することが必要なのではないか。 【最終聯】 >やさしく 作中話者の都合のいい感傷を押し付けて、この詩は終える。 これで、作者は満足なのだろうか? >すみれ色 という色認識から、謙虚で静かに歴史を読み解き後代へ伝える機能としての作中話者が感じられるが、この手法も手垢が付きすぎているように感じる。 水のイメージも「ミズ」から「水」に変容してしまい、また「はは」の存在を出したがゆえに「羊水」などのイメージも掻き立て、乱反射というか撒き散らされる陳腐化された「女性性」にくらくらする。くどい。 はっきり言って読んでいる途中で集中力が切れた。 選語、推敲をきちんとなされていないルーズな作。 作者は力ある方だと思っていたが、久しぶりに明確な駄作を読んでがっかりした。

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角田 寿星
(2017-07-17)

家とゆうより、居場所とでも云うべきもんなんかな、と。 惑星の寿命からすると生命がその上に立ってる時間は、あまりにも短いもんね。 指でなぞってんのは、地球じゃなくて恥丘かもしんないねー、生命が産まれるもんねー、という下品な与太はさておき。 手首を切り落として、次の人に渡す、世代交代までの生きてる間に、 最終連で水が「やさしく引きはじめて」、そうすると「ミズノナカ」に埋もれてた居場所が顕れるんだよね。 いわば家の再誕。 この惑星はやっぱ優しいんだな、と思いました。 最終連は、俺は好き。

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まりも
(2017-07-18)

通りすがりのロム専さんへ 大変丁寧で、なおかつ深い読み込みをして下さって、感謝です。 他の方へのレスでも少し書いていますが、いつも具象画を描いている者が、モチーフを丁寧に描くことよりも、輪郭やモチーフ同士の位置関係を、あえて曖昧にして・・・色彩やマチエールで感情に直接訴える、そんな抽象画的な作品を書いてみたい、と試みて・・・どうもそれが、うまくいかなかった、ようです。 「惑星」という題名は、悩んだ末に最後に付けました。水の惑星、のイメージから、なんとなく漠然とした、大きなもの・・・包括的なもの、のイメージから選んだのですが、イメージ倒れだったかもしれません。「惑星」という題名から、まず大きな宇宙空間のような、俯瞰的な視座が思い浮かぶのに、いきなり頬、とクローズアップしてしまう。その落差を、どう処理するか、という問題も残りますね。 引用はじめーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー >細かく鋭く この観察の「鋭く」という選語は独特である。何に対して鋭く、なのか。頬が裂けていく様を「細かく」裂けている、「鋭く」裂けているの並列で並べているが「鋭く」避けるという表現は珍しい。「鋭さ」に内包されたのは「ほほ」ではなく「心」であり、それはははのくちびるに細かく生えた棘=ははの言説によって細かく裂けた対象者の心、と読むことが出来る。 ははの視点に寄りながら、対象者の心を言葉で裂いている様を俯瞰的な視座から見ている。脱はは(=母性からの逃走)を予感させる、つまり対象者は「はは」の「子」である可能性を忍ばせる、初聯である。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー引用おわり ここは、まさにその通りのことをお伝えしたかったのでした。深く汲み取って頂いて、大変ありがたいです。 〈「ミズノナカに」ではないことに注視したい。〉ここは、迂闊でした。~に、という一語の持つ、方向性・・・。ミズノナカにあるものだと と書いて、にあるもの、と繋がってしまうので、楽譜でスラーをかけるように、ここまでですよ、というフレーズ感でカタカナにしています。 もちろん、水に見ず、あるいは診ず、看ず・・・を重ねました。水という冷たさの質感、心が冷えていく感覚、水圧で押さえつけられている感覚・・・も描きたかったように思います。 通りすがりのロム専さんの、二連の読み込みの深さ、感服いたしました。私の伝えたかったことが、ほぼまるごと、そのまま伝わっています!嬉しいです。長くなるので、いったんここで、上げますね。

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まりも
(2017-07-18)

三連、〈ただ行の字数を揃えたいという欲求の現れでなければ何なのだろうか。〉ここは、行数をそろえる、という枠を課すことで、新しい言葉が生まれてくること・・・を期待した、のですが・・・期待に反して、ムードに流れた、というか・・・おっしゃる通り、陳腐なイメージに終始してしまったかもしれません。時々、実験的にやってみるのですけれど・・・口馴染みのよい言葉しか出て来なかったり、ありきたりのクリシェしか出て来なかったり・・・でも、その既視感のようなものとか、地模様のような感覚が、懐かしさとか穏やかさとか、意味を離れた、言葉の流れの心地よさ、のようなものに、つながらないかなあ・・・という期待を持っていて・・・技巧を凝らしているけれど、無駄な努力、という結果になってしまった、かも・・・。もう一度、こうした書き方について考えてみます。 四連の的確なご指摘にも通じるのですが・・・三連で音楽的に(ムード的に)盛り上がって、そこから一気に四連、という意識があったのですが・・・三連のせいで、かえって失速してしまったのかもしれないですね。肌に指で触れる。そのことによって、薄皮のように重なっていたものが、はらはらと舞い落ちていく。そのことによってあらわになった傷(かつて、そのはは、によって付けられ、今、私、を母と仮託して幼い頃の想いを語っている君、の頬に付けられた傷)に触れる。それが、君の書いた詩を読む、ということ、なのだ、そして、その行為は、私が死んだ後にも、また別の人によって受け継がれていくだろう・・・そうあってほしい。 う~ん、ここまで書いてくると(というか、説明してくると)なんだか恥ずかしくなってきました。 だいたい、自分で説明できてしまう(あるいは、説明しなくてはきちんと伝わらない)詩は、駄作なんですよね(;^ω^) 五連の身体的描写=〈80年代女性詩の安易な模倣〉であるのかどうか、ここには、疑問を覚えています。女性は身体性を生かした詩を書くべきだ、とか、肌感覚を生かした詩が、女性はうまいよね、とか、この詩は身体性が豊かで、女性性に富んでいる、とか・・・男性詩人の中には、このようなステレオタイプ的な評をされる方も多いのですが・・・人間の感覚の、最も根源的かつ、共通理解が得られる部分は、五感に基づく感覚ではないか、という思いがあって・・・そこを意識的に刺激する詩を書いていけたら、と思っています。身体性、と呼ぶときに、特に80年代女性詩の、性に関わる言葉を(女性はつつましくあるべき、というような社会通念を破る形で)意図的に多用する、そのような「身体性」のことを指しておられるなら、私が目指している身体性は、もっと(男女問わず)普遍的な肌感覚、触覚を表現すること、だと思います。(この詩で、それが上手く表現できているかどうか、は、また別の問題ですが・・・) 〈現代ならではの身体性をあらたに詩に組み込む、あるいは獲得することが必要なのではないか。 〉このご指摘にも通じる部分ですが、肌感覚には、男女問わず感応するものだと思うのですが、性に関しては女性の方が感応しやすい、と聴くこともあり・・・(実際のところ、どうなのかよくわからないのですが)男性詩人が、いいねえ、と褒める詩を読ませてもらうと、女性の肌感覚、というよりも、女性の性的興奮や官能の悦楽、のようなものを肌感覚を通して描いている、そんな陶酔型の作品が、案外多くて・・・そうした身体性(もしかしたら、男性視点から女性詩人に期待されている、あるいは押し付けられて来た)からは逃れたい、単純に触覚という、人類普遍の感覚の方向を目指したい、という思いはあります。

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まりも
(2017-07-18)

最終連、ダメですか(笑) sora ga sumireiro ni sの音の連なりや、朝焼けの赤やオレンジでもなく、夜の藍色や昼の青空でもなく・・・その溶け合う時間、かわたれどき、たそがれどきの、すみれ色の空・・・いわゆるメルヘン調の絵にありそうな、感じではありますが・・・。 ちょうど、支倉隆子さんという詩人の「洪水伝説」という詩劇を視聴する機会があり、水がひく、そこから新しい世界が現れる、というイメージに感化されていたかもしれません。 やさしく、というような形容詞、できるだけ使わないようにしたい、と思う一方で・・・曖昧ながら、この言葉、でしか伝えられない感覚、というものもあるような気がします。穏やかに、でもないし、静かに、でもないし・・・ミズが引いていくことで、冷え切っていた体に、ほのかに体温が戻ってくる、そんな感じ・・・やさしく布でくるまれるような、そんな感じ・・・ 通りすがりのロム専さんなら、どんな言葉を選んだらいい、と思われますか? 長文で、しかもひとつひとつ、とても丁寧で的確で・・・大変ありがたかったです。 熱心に読み込んで下さる読者と出会えるという事、それこそが、最も書き手にとって、幸せなことだと思うのです。 またぜひ、ご参加くださいね。「通りすがりのロム専」さんだと、なんとなく一過性の方なのかな、という印象を抱いてしまうハンドルネームなので、もう少し違ったお名前で参加していただいてもいいかもしれないですね。

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まりも
(2017-07-18)

角田 寿星さんへ 地球、と恥丘・・・うわ、確かに音が、一緒でした・・・いや、頬、です、顔、です!(そもそも、君、は男性ですし!!!) 〈手首を切り落として、次の人に渡す、世代交代までの生きてる間に、 最終連で水が「やさしく引きはじめて」、そうすると「ミズノナカ」に埋もれてた居場所が顕れるんだよね。 いわば家の再誕。 この惑星はやっぱ優しいんだな、と思いました。〉 そうですね、本来の居場所、は、もっと温もりのある場所、なのではないか・・・そんな想いを抱かせる「昔話」をしてくれた人がいて・・・今更、どうにもできないけれど、これからの時間、命が尽きるまでの間に、そんな(水のように冷たくて、水底のように重苦しい、冷ややかな)空気に満たされた場所ではなくて、あたたかいぬくもりに満ちた場所を、その人が得られますように、という・・・ような感じ、でしょうか。

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