詩の話をしましょう - B-REVIEW
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きょこち(久遠恭子)

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きょこち(久遠恭子)

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詩の話をしましょう    

もしもし、 あなたはこの文章を読むことができますか? できるのであれば、結構。 私はあなたに話しかけているのです。 あなたは恐らく日本人で、生物学的にあなたは男性であるか、もしくは女性であるかもしれません。 顔の中心には鼻が付いていて、その上には二つの目、顎の上には一つの口、頭部の左右両端にはそれぞれひとつずつの耳がついています。 もしかするとそうではない人もいるのかもしれませんが、だからといって私が差別主義者だとは思わないようにしていただきたいのです。 私はただあなたと話をしたいだけなのですから。 早速、詩の話を始めましょう。 最初に断っておきますが、この文章は詩ではありません。 詩では何も伝わらないから、私はとうに詩を書くことなど辞めてしまいました。 私が何か詩に見えるようなものを書いたこともあるかもしれないとしても、それは単に私の手癖に過ぎません。 詩では何も伝わらないという言葉の責任を、私の個人的な才能の中に見つけようとする人間もいるのかもしれません。 しかし、それは非常に大きな間違いです。 私には詩の才能があるに違いありません。違いありませんが、そんなものを誇るのは「1分間に何本の鉛筆を机の上に立てられるか」や「四つん這いになって50mを何秒で走れるか」といったくだらない記録を誇るようなもので、つまりは人々にとって何の価値もないということです。 だから私はわざわざ誰彼の詩の才能について人に説明したりはしません。 根本的な問題は詩そのものにあります。 だから私は詩の話をしようとしています。私の話では決してなく。 あなたはどうやら詩を書くらしいですね。 私がまず尋ねたいのは、いったいあなたが何故、詩を書くのかということです。 いったい何があなたをそんなにも詩に惹きつけるのか。 あなたが詩を書く目的は何なのか。 その目的を果たすための手段がどうして詩でなくてはならないのか。 いったいあなたは詩の何に期待をしているのか。 詩の何がそんなに素晴らしいのでしょうか? 吟遊詩人の時代のように物語を伝承する役目があるならともかく、新聞が今の時代となって、「お金を払って昨日のニュースが届く」とこき下ろされているように、詩もまた「迫力のあるサウンドや鮮やかな色彩、高画質な映像美もなければ、音楽や映画のように受動的に情報を受け取れるわけではなく、わざわざ自ら目と手を動かして情報を受け取りにいかなければならない。そんな煩雑で見返りの少ないものをいったい誰が求めるのか」とこき下ろされています。 私がここできっぱりと断言しましょう。 詩にしかできないことなど何もありません。 あなたが詩を書くのは経済的な理由です。 詩は読み書きができれば誰でも作ることができます。 技術も要らなければ費用もかからない。 ただそれだけです。 そのことを誤魔化すため、様々な御託を並べ立て、さも詩に芸術的な価値が未だに残っているかのように語る人間もいます。 しかし、詩はもう芸術ではないのです。 この点について、あなたは何か反論をお持ちでしょうか? 詩に何か特別な価値が残っていると、あなたは何か説明することができるでしょうか? 時代は正直です。 消え行くものなど、そのまま消えてしまえばよいのです。 レッドリストに入れられて、過保護にされながら大切に守られていくものが芸術でしょうか? いや違います。 芸術は守られるものではなく、何かを守る力強さを持ったものです。 詩などせいぜい、便所のちり紙になるくらいが関の山でしょう。 それが人の役に立つということなら、そうなんでしょう。 それがあなたの身の丈に合っていると思います。 今どき詩を読む人間なんて、詩を書く人間か、はたまたアートセラピーと称して患者に詩を書かせているセラピストの先生くらいなものです。 つまり、詩を書くという行為は、どちらも結局は虚しい手慰みに過ぎません。 違いますか? その手慰みという以外に、あなたが詩を書かなくてはならないという理由がどこかにありますか? 恥じることはありませんよ。 弱い人間はどこにでもいます。 決してあなただけではありません。 詩を書くことで心が落ち着く。 詩書き、そのコミュニティの属することで自分の居場所を作ることができる。 人を褒めることで、自分も褒めてもらうことができる。 それは素晴らしいことではないですか? だから正直に告白してください。 私は弱い人間だって。 だからせめてこの場所では強がって、詩という高尚そうな芸術ごっこに興じてみたいんだって。 あれが良いとか、あれが悪いとか。 正直、見ているこちらからすると、鼻で笑ってしまうのですが、ここではオブラートに包んで、微笑ましい光景だと表現しておきましょう。 さあ、それでは今度はあなたの番です。 話というのは、お互いのコミニュケーションによって初めて成立するのですよ。 詩の話をしましょう。


詩の話をしましょう ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 58
P V 数 : 2847.5
お気に入り数: 1
投票数   : 2
ポイント数 : 23

作成日時 2022-03-05
コメント日時 2022-03-17
項目全期間(2024/03/29現在)投稿後10日間
叙情性55
前衛性22
可読性77
エンタメ55
技巧22
音韻00
構成22
総合ポイント2323
 平均値  中央値 
叙情性2.52.5
前衛性11
可読性3.53.5
 エンタメ2.52.5
技巧11
音韻00
構成11
総合11.511.5
閲覧指数:2847.5
2024/03/29 06時11分34秒現在
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    作品に書かれた推薦文

詩の話をしましょう コメントセクション

コメント数(58)
きょこち(久遠恭子)
作品へ
(2022-03-05)

詩とはpoesy。 poesyとは、詩的霊感の意味。 私はそれを表現しています。 途中長文の所は読めませんでした。読めないものは読めません。

1
よびな
作品へ
(2022-03-05)

吟遊詩人とマスメディアが比較されていて面白いです。詩人が信用に足る情報を伝える人間だった時代があったのですね、と気づかされました。ところで昨今のインターネットの文章に「メディアは信用ならない」という主張論法が散見され、どうやら一定の政治的立場(目的?)がその動機になっているようですが、もちろんメディアが自分の政治的(この言葉は本当に色々な因子を持っていますが)主義のために現実の切り取り方に恣意的な含みを持たせる場合もありましょう。視聴率と雑誌部数の売り上げのために特定人物を(全く印象を論拠にして)から貶めてみたり、あるいはやたらに誉めて持ち上げてみたり、メディアのはびこったそういう情報に雑誌から便所紙まで溢れていて、僕は便所紙が詩や小説の世界がなんぼかありがたいという考えの人間ですが(しかし便所紙まで詩の世界もそれはそれで嫌になって、もっと本当の情報をくれ、となるかもしれません) ところであなたは、音に迫力があって映像がきれいだから映像作品を見るのでしょうか?cdを聞く人間に、「映画とちがって音しかないのに良くそんなものを聞くね」とか、漫画を読む人間に「アニメのように絵が動かないのに良くそんなものを見るね」とか模型を作る人間に「そんな決められた形のもの決められた通りに作って楽しい?時間の無駄じゃないか?」とか言うのでしょうか、野球観戦をする人に「お金払って人が野球で遊んでるところを見るのの何が面白いのかわからない」とか。しかしそのような立場は非常に求道的だと思います。人生において人は何をして過ごすべきなのか、という問題ですよね。この詩には「何をすべきか」ということは書かれていないのですが、如何でしょう、お考えを聞かせていただければ幸いです。社会秩序の維持とかでしょうか。

1
よびな
作品へ
(2022-03-05)

メディアのはびこった 訂正→メディアのはびこったこの世界では、でした。

1
鷹枕可
作品へ
(2022-03-05)

年寄(なのか?)の戯け言でございますが。 近頃、斯様な傾向のお方を耳目にする機会が、心なしか以前より増えた様な心持が致します。 理論、理屈と、優越感に塗れた、悪意。 知恵と情緒に序列を見ていらっしゃられる。理性と感情を善悪‐優劣等の対義的概念と為されていらっしゃる様な。印象を受けました。 敢えて断言致しますが。知恵は感情の一種です。 殊更、とりわけ悪知恵は、御身を破滅せしめ兼ねません事を、「理解」為されます必要が在るかとも。狂人の実経験として。述べさせて頂きます。 と、言った所感を覚えました。全く詩を語っては居りませんが。 そんな処でございます。 色々と。 釣られながら。

1
N
N
きょこち(久遠恭子)さんへ
(2022-03-05)

おはようございます。 よかった、やはりあなたは顔に目がついていたんですね。 >詩とはpoesy。 >poesyとは、詩的霊感の意味。 >私はそれを表現しています。 それは一体何のために? どうしてあなたは詩的霊感を表現する必要があるのですか? もしそこにあなたにとってのその必要があったとして、どうしてそれを詩という手段を用いて表現しなければならないのですか?

2
N
N
よびなさんへ
(2022-03-05)

おはようございます。 ご機嫌はいかがですか? 私は音楽を聴く人に対して、「映画とちがって音しかないのに良くそんなものを聞くね」と尋ねます。 漫画を読む人間に「アニメのように絵が動かないのに良くそんなものを見るね」と尋ねます。 模型を作る人間に「そんな決められた形のもの決められた通りに作って楽しい?時間の無駄じゃないか?」と尋ねます。 そこで得られた回答の中に、おそらくその表現や行為の持つ特質がある場合もあるのでしょう。 私は決して、人生において人は何をして過ごすべきなのか、ということは問題にはしていません。 私は独裁者ではありませんので、人が「何をすべきか」なんてことについて高説を垂れるつもりはありません。 人にはその人なりのすべきことがあるのでしょう。 私はそれがあなたにとって何なのかということを聞いています。 そして、何故その目的を果たす手段として詩を選んでいるのかということを聞いています。 何かありますか? 身慰めという以外にあなたが詩を書く目的が。

1
N
N
さんへ
(2022-03-05)

おはようございます。 今日は天気が良いですね。 >毎日ごはんを食べながらなぜ食べる>のかと考える人もいないわけで、 >要は食べればいいだけのことですが>、しかし、なぜ食べるのかと考える>人がいてもいい。 このご指摘は見当違いですね。 あなたの喩えを借りるのであれば、 何故、あなたはお腹が空いているのに(目的)、それをカレーライスを食べることで満たしているのか(手段)? ということです。 カレーライスでなくてはならない理由がどこかにあるはずだと思います。 冷蔵庫の中に余った材料の都合なのかもしれないし、スーパーで材料が安く手に入ったのかもしれない。 あなたが何故、カレーライスを食べたのか。 ハンバーグやうどん、ラーメンや焼き魚ではなくて、どうしてカレーライスなのか。 どうしてあなたは詩を書き、それが詩という手段でなくてはならないのか。 >詩に関していえば、なかなか書けな>いひとが陥る陥穽のひとつじゃない>かなと思っています。 >まずは、心を静かに開放して詩を書>くことをオススメします。 あなたは詩を書くという目的のために、心を静かに開放して詩を書くという手段を勧めているのですね。 その気遣いには感謝をしますが、私はあなたと違って詩を書きたいわけではありません。 そう断ってありませんでしたか? これは詩ではなく、それに詩を書くことは遠にやめてしまったと。 詩は何も伝えたりしないし、詩は私の目的にとって何の役にも立たない手段です。

1
N
N
鷹枕可さんへ
(2022-03-05)

おはようございます。 その鼻の調子はいかがですか? 悪意などはありません。 私はただ詩の話がしたいだけなのです。純粋に。 あなたは詩を書きますか? それはいったい何のために? その目的のためには、どうして、詩でなくてはならないのですか? 身慰めという以外の理由がそこにはありますか?

1
作品へ
(2022-03-05)

詩を書くのを辞めたのなら、黙って去れ。

1
かずや
かずや
作品へ
(2022-03-05)

書かれていることが薄学にてよく理解できません。 作者さんは「詩」という名詞が存在することについてどう考えられるのでしょうか。 少し聞いてみたくあります。 それと日本語の文章中に「?」という英語で使われる記号を用いていらっしゃることに何か理由があるのでしょうか。 少し、苛立ちながら言葉の足りないこのコメントを書き起こすくらいには力をいただきました。

0
さんへ
(2022-03-05)

いや、私のレスは筆者に対するレスです。 筆者は、散文と批評について書かれていないでしょう? 徹頭徹尾、詩の話をしておきながら、詩を書くのを辞めたと打ち明けているわけです。 詩を書くのを辞め、これからは散文や小説、批評へとシフトしていくというのなら、まだ分かります。 人はそれぞれ目的があって、行動なされていることは十分に  理解しております。

1
さんへ
(2022-03-05)

>>行動なされていることは十分に  理解しております。 真昼さんに寄せた自分のコメントの中の空白は単なる入力ミスで全く他意はございません。もし、不快感を与えてしまったのなら申し訳ないです。

0
raku
raku
作品へ
(2022-03-05)

まず、あなたの言う「芸術」が何なのか、具体的に教えてくれないと話にならないよ。何かを守る力強さをもったものとか、特別な価値、とか、それこそあなたの幻想で、便所のちり紙みたいなやつだよね。 それで、あなたは詩を読み書きする人間が少ないから、詩を書くことは手慰みだと主張したいんだったね。すごい主張、とっても面白い。でも、あなたが言う芸術ごっこに興じてみたいって言って詩を書き始める人、あんまりいないと思うよ。実際どうかは分かんないけど。だって、そんな風に意識してないもん。体の内から、誰かに見せたい言葉が出てきてしまって、ペンと紙があったからそこに書き留めてしまって、ネットで詩の掲示板があったから、そこに投稿してしまった。それだけのことだよ。詩を書く理由なんて、殆どの人は分かんないよ。まあ後付けの理由を考える人は沢山いるけどね。そんな事が本当に知りたいなら、心理学でもやって、論文書けばいいじゃん。どうせ人間の何かによって存在する弱さが、詩を書かせてるとかそんな結論だろ。でも、どうでもいいんだ。詩が、手慰みかどうか、とか、芸術かどうか、とか。詩を書いてる人間がいて、書かれている詩があるから。 ああ、あと経済的な理由ってのはそうだろうね。だけど、別に金がかかってるから偉い訳じゃないし、特別な技術があるから偉い訳でもないよね。別に誤魔化してないよ。楽器や、画材を買いにいけなかった。面倒くさかったって人もいる。でも、breview見てると音楽やったり絵描いたりする人結構いるから、それだけじゃないんだろうね。それは、そういう人に聞いてみて。 逆にあなたが何でこの文章を書いたか考えてみる? あなたは元々、詩で何を伝えたかったの? あなたの詩は何を伝えられなかったの? どうして、伝えられなかったの? この場所で強がっている様に見える人間がいて、そいつがうざかった? 詩が、あなたの思う神聖な「芸術」の様に語られていて、それが嫌だった? あれが良いとか、あれが悪いとか、言ってる人とあなたが感じたのが違った? もしそうなら、それは良くある事だし、全然悪いことじゃないよ。俺も詩じゃなくても人に伝えられないことばかりだし、こういう場所で偉そうにする人間にとても苛立つし、どの詩が良いとか悪いとか、まじでクソみたいな事だと思う。 でも俺は、詩や評論やこういう文章を読んで、何かを感じる、思う、考えるってこと自体が面白い。あなたはそうじゃないのかな。ひどく退屈なのかもしれないね。 さあ、それでは今度はあなたの番です。 もちろん「詩の話」もいいけど、俺は「私の話」の方が聞きたい。ぜったい何倍も面白いよ。 あと、 「迫力のあるサウンドや鮮やかな色彩、高画質な映像美もなければ、音楽や映画のように受動的に情報を受け取れるわけではなく、わざわざ自ら目と手を動かして情報を受け取りにいかなければならない。そんな煩雑で見返りの少ないものをいったい誰が求めるのか」 これの引用元を教えて。

0
仁川路 朱鳥?|
作品へ
(2022-03-05)

>話というのは、お互いのコミニュケーションによって初めて成立するのですよ。 >詩の話をしましょう。 読んでしまったので、私も少し詩の話をしたほうがよろしいのでしょうね。(このコメントが自分語りのようになる件に関しては、性質上仕方がないことと考えています) >私がまず尋ねたいのは、いったいあなたが何故、詩を書くのかということです。 >いったい何があなたをそんなにも詩に惹きつけるのか。 >あなたが詩を書く目的は何なのか。 >その目的を果たすための手段がどうして詩でなくてはならないのか。 B-REVIEWの現運営の一人が書いてはいけないような発言を下記に残しますが、私にとっては紛れもない事実ですので。 私は「頭痛の解消」のみを求めて、詩……もそうですが、それ以外の芸術活動も並行して行っています。 この頭痛に関しては原因がはっきりしていないため、半ば気休めの部分があるのですが、なにか集中できるものがあれば気を逸らせるぐらいの頭痛なので、別に命にかかわるものではない、と。 おそらくあなたは「なぜ病院に行かないのか?」と疑問を抱かれると思いますが、きょうの食費も持たない人間は病院には行かないものです。別に今は食事に困っているわけではないのですが、キャリアを維持したいので…… ところで反論なのですが、 >吟遊詩人の時代のように物語を伝承する役目があるならともかく、新聞が今の時代となって、「お金を払って昨日のニュースが届く」とこき下ろされているように、詩もまた「迫力のあるサウンドや鮮やかな色彩、高画質な映像美もなければ、音楽や映画のように受動的に情報を受け取れるわけではなく、わざわざ自ら目と手を動かして情報を受け取りにいかなければならない。そんな煩雑で見返りの少ないものをいったい誰が求めるのか」とこき下ろされています。 『カウチポテト族』『一億総白痴化』という言葉があると思いますが、時代が進むにつれて情報量が多く・想像を働かせずに済むような表現技法が流行っているように見えます。想像力の欠損は人類の堕落を引き起こす……現場猫、のように。 私たちは技術が進歩している中で、なにか大切なものを忘れ去っているのかもしれません。それが何かは具体的には、今の私にはまだ分からないですが。 >芸術は守られるものではなく、何かを守る力強さを持ったものです。 >詩などせいぜい、便所のちり紙になるくらいが関の山でしょう。 >それが人の役に立つということなら、そうなんでしょう。 >それがあなたの身の丈に合っていると思います。 あなたは詩について「せいぜい、便所のちり紙になるくらいが関の山」と思っていらっしゃるのですね。そこについては人間の知性によるところが大きいと思われますので否定はしませんが、私はこう考えています─「進化し続ける現代にこそ、詩は必要である」と。 言葉の並び、文体、投稿日時、筆遣い、語彙、筆者の息遣い……そういった面を読み解くために想像力は必要であるし、読み解こうとすれば想像力は手に入るものです。思いやりの精神を失ったかのように見える現代社会において、詩こそが思いやりの精神を育み、支えるものだ。そう考えてみれば、詩はいまだ芸術であり続けるでしょう。 私は弱い人間です。21歳、高卒、低身長、低血糖、悪玉コレステロール低値の。 そして、盛り上がることが容易に予測できるこのセンセーショナルな作品に対して、こんなにも長いコメントを送るような、弱い人間です。 私の推論が邪推であるとか、反論として成り立っていないだとか、そのような反論・批判は受け止めます。これが現状の、私の考えですので。

0
勉強します。ありがとうございました。いろいろと迷惑をかけました。
作品へ
(2022-03-05)

盛り上がっているので後で読んでみます。 ありがとうございました。 感謝。

0
さんへ
(2022-03-05)

詩を書く理由も、詩を辞める理由も、幾らでも創造できるものと私は考えます。詩を書きたい、という目的があれば、その理由探しをするように、詩を辞めたい、という目的があれば、また違う理由探しをするものと思います。今回、筆者が投稿されたこの作品は、すべて詩を辞めるための理由を列挙されたもので、結局、すべて都合の問題です。私がここで詩を書く(或いは辞める)理由を書いてみせても、その担保はどこにあるのでしょうか? 信用に足る情報でしょうか? だから私は答えませんでした。どんな理由があるにしても、書き続けることが私には分かるからです。無論、それだって都合の問題で、都合が悪くなれば私も詩を辞めます。気持ちは充分に理解できます。私もこの作品と同様なことを考えたりします。

1
N
N
さんへ
(2022-03-05)

こんばんは。 本日も一日お疲れさまでした。 >詩の話に限ると私も詩では何も伝わらないから書くことを諦めた側です。才能の問題かも知れませんが実際に自分自身が読んで良かったと思える詩は昨年はニ作だけです。 これはあなたの個人的な才能というよりも、詩そのものに責任があります。 詩そのものがもはや良くないのです。 いくら腐った材料を調理しようと、それは腐った料理なのです。 >今は文章力を上げる目的で評文や散文を書いていこうと思っています。何のための文章力かと言えば事業関連です。何かを人に伝えるには文章力は必須だし、より魅力的に書く必要があります。 それは結構なことです。人にはそれぞれ目的があります。 あなたの目的に対し、あなたの行動はある程度合理的です。

0
N
N
類さんへ
(2022-03-05)

こんばんは。 今日は何か嫌なことでもありましたか? >詩を書くのを辞めたのなら、黙って去れ。 この発言はいけませんね。 そのような発言・思考を持つからこそ、 「今どき詩を読む人間なんて、詩を書く人間か、はたまたアートセラピーと称して患者に詩を書かせているセラピストの先生くらいなものです。」 「つまり、詩を書くという行為は、どちらも結局は虚しい手慰みに過ぎません。 違いますか?」 と、このように言われてしまうのです。 詩というものは、詩という狭い狭い閉じこもった閉鎖的な空間における、詩を書く者同士の相互扶助によってなりたっているのです。 それはまるで老老介護のような痛ましさで。 私はそんな人たちの心をサポートするべく、あなたと話をしようとしているのですよ。 話をするということは精神衛生上において、とても重要なことです。 さあ、詩の話をしましょう。 肩肘なんて張らずにリラックスして。 あなたは詩を書きますか? それはいったい何のために? その目的のためには、どうして、詩でなくてはならないのですか? 身慰めという以外の理由がそこにはありますか?

0
N
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かずやさんへ
(2022-03-05)

こんばんは。 体調はいかがですか? >作者さんは「詩」という名詞が存在することについてどう考えられるのでしょうか。 作者だなんてとんでもありません。 私はただあなたと話をしているだけなのですよ。 「詩」という名詞が存在することについては、私は何も思いません。 「空」という名詞が存在するように、「海」という名詞が存在するように、 「犬」や「猫」、「正義」や「悪」、「美」や「醜悪」という名詞が存在するように、私はその存在について何も思ったりはしません。 あなたは「詩」という名詞の存在について、何か考えているのですか? >それと日本語の文章中に「?」という英語で使われる記号を用いていらっしゃることに何か理由があるのでしょうか。 理由はありません。もしあったとしても、それはそれほど意識的なものではありません。 さあ、詩の話をしましょう。

0
N
N
rakuさんへ
(2022-03-05)

こんばんは。 今日は調子が良いみたいですね。 >まず、あなたの言う「芸術」が何なのか、具体的に教えてくれないと話にならないよ。 この点についての具体性は必要ありません。 そこでの具体的な説明は、単に芸術というものの多様性を損なうことにしかなりません。 あなたは人間というものを説明するときに、人間とは霊長類ヒト科ヒト属に属し、胴体の左右には二本の腕、胴体は2本の脚によって支えられ、直立し二足歩行する動物で、高度な言語コミュニケーションを持つと説明したりしますか? では、腕が片方無い人は人間ではない?怪我によって歩けない人は人間ではない?障がいを持って話すことのできない人は人間ではない? と、そういうことになってしまいます。 したがって、 「芸術は守られるものではなく、何かを守る力強さを持ったものです。」 この一言だけで、芸術というものを語るには十分です。 >詩を書く理由なんて、殆どの人は分かんないよ。 そうですか?本当に? 誰に聞いてみたのですか? もしそれが本当だとすれば、それはこの上ない悲劇です。 通りで、そういった人たちが詩を書くことをやめられないわけですね。 目的がわからなければ、適切な手段を選ぶこともできない。 したがって、その人の目的はずっと達成されないままで、誤った手段を誤っているということにも気づかぬまま、永遠にその手段に固執し続けてしまう。 見るも痛ましい、実に悲劇的な状況です。 どうして誰もそのことを教えてあげないのでしょう? それはつまり、詩という空間が閉鎖的なものだから。 誰もが固執者で、そこには指摘をしてあげるはずの客観が存在せず、もしその中の誰かがその事実に気が付いたとしても、あまりの状況の悲惨さに怯えてしまって、その場を駆け出してしまうのです。 詩についてよく理解している人間は一番初めに、詩から離れていきます。 >逆にあなたが何でこの文章を書いたか考えてみる? >あなたは元々、詩で何を伝えたかったの? >あなたの詩は何を伝えられなかったの? >どうして、伝えられなかったの? >この場所で強がっている様に見える人間がいて、そいつがうざかった? >詩が、あなたの思う神聖な「芸術」の様に語られていて、それが嫌だった? >あれが良いとか、あれが悪いとか、言ってる人とあなたが感じたのが違った? 私がこの文章を書いた理由など誰にとっても明白です。 本文の中に書かれていなかったでしょうか? 私はただあなたと詩の話をしようとしているのです。 私が詩を書いていた理由、そんなことはもう覚えていません。何年も前の話です。 何を伝えるにしろ、詩というのは実に劣った手段でしかありません。 お金を稼ぐにしろ、有名になるにしろ、家庭をもつにしろ、子供を育てるにしろ、幸福になるにしろ、愛されるにしろ、戦争をとめるにしろ。 何にしろ、詩はどの分野においても劣った手段でしかありません。 詩は詩の役にしか立たないのです。 そう気づいたときから、私は詩という手段を私の中からばっさりと切り捨てました。 うざい?嫌?違う? そんな俗っぽい感情をこの場所に持ち込んだりはしませんよ。 私はここにいる人たちのことを一人も知らないし、友達でもない。 ただ可哀想なだけ。 >これの引用元を教えて 引用元なんてありませんよ。 詩の話をしてくれてありがとう!

0
三浦果実
作品へ
(2022-03-06)

詩は表現手段として劣ってはいなくて、ただ読み物として面白くなくなったというだけでしょうね。いや、詩は昔から面白くはなかったのでしょう。人を涙させたり怒らせたり笑わせたりする娯楽領域の創作物ではなくて、人の生き様に影響を与える創作物。それを可能にする詩は表現手段としてまだ優れているように私は思います。

0
さんへ
(2022-03-06)

こちらこそありがとうございました。

1
きょこち(久遠恭子)
作品へ
(2022-03-06)

質問ばかりで、ご自身で調べたり考えたりなさらないのでしょうか? 下記の論文をご参照下さい。 https://nanzan-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=1043&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=13&block_id=21

0
きょこち(久遠恭子)
Nさんへ
(2022-03-06)

ああ、間違えました。筆者、匿名ですが。さんへの返信でした。 この禅問答みたいなコメントのやり取りは何でしょう。 この作品は詩では無いみたいなので、仕方ないですかね?

0
きょこち(久遠恭子)
類さんへ
(2022-03-06)

類さん、グッジョブ!

0
N
N
仁川路 朱鳥?|さんへ
(2022-03-06)

こんばんは。 今日の夕飯は何を食べましたか? >私は「頭痛の解消」のみを求めて、詩……もそうですが、それ以外の芸術活動も並行して行っています。 アートというものにセラピーとしての効果があることは私も知っています。 画家・草間彌生にしたってそうです。彼女は、幻覚・幻聴といった精神的な病から自身の心を落ち着かせるために、水玉模様を描き続けています。 >なにか集中できるものがあれば気を逸らせる そのための詩、そのための水玉。 そのような目的のためであれば、そのような手段は十分合理的であるように見えます。 ではなぜ、草間彌生の作品がアートとして一定の価値を認められているのか。 それは作品・作者というよりも、それを認める側の都合です。 草間彌生の作品に価値を持たせること、それは言わば、それを認める側の表現と見ることもできます。 >時代が進むにつれて情報量が多く・想像を働かせずに済むような表現技法が流行っているように見えます。 これは当然のことです。想像力というものは実にいい加減なもので、人によって受け取り方に曖昧な差のある表現は、物事の伝達手段において適さないのです。 東京に集合しようと言われたって困ります。 渋谷に集合しようと言われたってまだ困ります。 渋谷のハチ公前に集合と言われてようやく人は集まることができるのです。 想像の余地を許さない。 それこそが新時代の表現です。 それは古い時代の人間からすれば、実に寂しいことなのかもしれませんね。 しかし、盛者必衰の理というものがあるように、それは避けようのないことなのです。 >思いやりの精神を失ったかのように見える現代社会において、詩こそが思いやりの精神を育み、支えるものだ。 そうだろうか? あなたの身の回りの、あるいはこの場所にいる詩を書く人たちを見てみよう。 彼らはどうだろう、詩を書かない人たちに比べて、思いやりの精神を持っていると思えるだろうか? もし思いやりの精神を持っていたとしても、それは人並みだ。 それは詩を書かない人たちと同程度のものです。 詩に思いやりの精神を育てる特別な力はありません。 >私は弱い人間です。21歳、高卒、低身長、低血糖、悪玉コレステロール低値の。 そして、慢性的な頭痛に悩まされ、それから気を逸らすために詩を書いている。 そう、このように正直になったらよいのです。 「でも、どうでもいいんだ。詩を書いてる人間がいて、書かれている詩があるから。」 なんて、どこかの誰かのように無理に恰好を付けたことなんて言わなくて。 詩を書くことで心が落ち着く。 詩書き、そのコミュニティに属することで自分の居場所を作ることができる。 人を褒めることで、自分も褒めてもらうことができる。 それは素晴らしいことではないですか? さあ、詩の話をしましょう。

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三浦果実さんへ
(2022-03-06)

こんばんは。 夜分遅くにご足労いただきありがとうございます。 詩が、人の生き様に影響を与える目的において優れた手段である。 本当にそうでしょうか? 詩というものの影響力がいったいこの世界のどこに存在しているでしょうか? 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を読んで、欲を捨て、決して怒らず、いつも静かに笑っていようとする人間がどこにいますか? 与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を読んで、平和に繋がる適切な選択を日常の中で意識的に行える人間がどこにいますか? 詩が、政治や資本や人間の悪意にどうやって勝るのでしょうか? あなたの詩がいったい誰の生き様をどのように変えましたか? 一度、柔らかな発想の転換をもって、このように考えてみるのはどうでしょう? 詩は人の生き様に影響を与える目的において劣った手段である。 詩に固執し続ける必要はないんですよ。 重要なのは目的が達成されるということです。 人の生き様に影響を与えるためには、詩を書かなくてはならないのですか? それがあなたにとって一番良い方法ですか? さあ、もっと詩の話をしましょう。

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きょこち(久遠恭子)さんへ
(2022-03-06)

こんばんは。 夜更かしは美容の天敵ですよ、違いますか? >下記の論文をご参照下さい。 いったいそれっていつの時代のお話ですか? 今が西暦何年であるかご存知ですか? 今は2022年です。 決して1800年代などではないのですよ。 いつまで古い詩の世界に生きているつもりなのですか? それは誰のために? あなたの身を慰めるために? もっと詩の話をしましょう。 私はあなたと詩の話がしたいのです。

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三浦果実
Nさんへ
(2022-03-06)

>宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を読んで、欲を捨て、決して怒らず、いつも静かに笑っていようとする人間がどこにいますか? 私なんですよ。 ただ、そうだからと言って、普遍的なものかは判りませんが。 念のため付記しますと、筆者さんのスタイル、好意的には感じております。

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さんへ
(2022-03-06)

こんばんは。 少しずつ暖かい日も増えてきましたね。 詩をわかったかのような気になっているあなたが、未だにこの場所に居続ける理由は何でしょうか? 詩についてよく理解している人間は一番初めに、詩から離れていきます。 もしかして寂しいのですか? それとも私のような親切心から? もし前者だとすれば、私はあなたのことが心配です。 本人は離れたいと思っているのに、それから離れることができない。 これは精神医学的に「依存」という状態に陥っていることの顕著な特徴のひとつなのです。 もしあなたが詩から抜け出せなくて困っているのであれば、私が手を貸しましょう。 依存から抜け出すには、まずは自分をよく知ることからです。 大丈夫ですよ。 ここにいる誰も、あなたのことを笑ったりはしません。 だから正直になって。 あなたはどうして詩を書くのですか? いったい何の目的のために? 健康な精神を保つために、人と話をするというのは重要なことですよ。 さあ、一緒に詩の話をしましょう。

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きょこち(久遠恭子)
Nさんへ
(2022-03-06)

私は夜型の生活スタイルです。問題はありません。睡眠時間は取れてます。 いつの時代、調べた所2017年1月31日の論文でした。古代の論文だと何故思われたのか教えて下さい。間違っていますよね? 以下、論文を書いた著者を紹介したURLです。 https://nanzan-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_view_main_item_detail&item_id=1043&item_no=1&page_id=13&block_id=21 私が詩を書く理由は書くのが好きだからです。それ以上でも以下でもありません。

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きょこち(久遠恭子)
Nさんへ
(2022-03-06)

国立国会図書館に雑誌が置いてあるみたいです。 下記参考URLです。 https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000002-I026299413-00

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田中宏輔
田中宏輔
作品へ
(2022-03-06)

よい詩は、ひとそれぞれですからね。

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きょこち(久遠恭子)さんへ
(2022-03-06)

こんばんは。 ジェラード・マンリ・ホプキンス(Gerard Manley Hopkins、1844年7月28日・イギリス - 1889年6月8日・アイルランド)はイギリス・ヴィクトリア朝時代の詩人、イエズス会所属の聖職者。 古代の論文と言っているのではなく、1800年代の詩だと言っているのです。 学者という生き物はみな大抵、化石調査員と変わりがありません。 死んだ生き物を掘り返してそれを調べているだけです。 1800年代の詩が今になってわかった。 それは結構。 でもそれは200年も前の話。 ネアンデルタール人が石器を使って生活していたからといって、あなたは自分もそうやって生きていきたいと思うのですか? ここは現代です。 違いますか? もっと詩の話をしましょう。

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きょこち(久遠恭子)
Nさんへ
(2022-03-06)

私が言っているのは、ホプキンズさんの論文ではありません。 山田泰広さんの文章の事です。4の詩についての論文箇所をご確認下さい。 https://nanzan-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=1043&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=13&block_id=21

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三浦果実さんへ
(2022-03-06)

こんばんは。 普遍的なものではないように見えますね。 彼の詩は国語の教科書にも採用されているはず。 皆が知った詩ですが、あなたの身の回りを、そして世の中を眺めてみましょう。 彼の詩が彼らに与えた影響とは? 実に非効率的で実際的な効果の乏しいものではないでしょうか? 詩は弱い、だから勝てない、変えられない、守れない。 あなたに守りたいものはありますか? それは詩? 芸術は守られるものではなく、何かを守る力強さを持ったものです。 あなたはどう思いますか? さあ、もっと詩の話をしましょう。

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N
N
田中宏輔さんへ
(2022-03-06)

こんばんは。 感染症に、大戦争、嫌なニュースが目立つ昨今ですが、いかがお過ごしですか? よい詩というのは詩を書く人々の幻想の数だけあるだろうと思いますが、 役に立つ詩というのは果たして存在するのでしょうか? 私が話をしたいのはそういうことなのです。 詩は例えばどんな場面でどんな役に立つと思いますか? 公衆トイレへ入って事なきを得たものの、なんとそこには紙がない。 しかし私は大丈夫、ポケットには一冊の詩集があるのだから。 さてどうでしょう。 思い思いに詩が役に立つ場面を考えてみませんか? これくらいなら誰にでもできるはず。 さあ、あなたも一緒に詩の話をしませんか?

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きょこち(久遠恭子)
Nさんへ
(2022-03-06)

山田泰広さんはこの方みたいです。 https://sites.google.com/site/hopkinskansai/

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きょこち(久遠恭子)
Nさんへ
(2022-03-06)

山田泰広さんは、名古屋大学の文学修士を持ってらっしゃるみたいですね。そんな方を敵に回したら怖そうですね。 https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=200901001647760907

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三浦果実
Nさんへ
(2022-03-06)

詩の話をしましょうというお声がけの言葉、観念的なところからとても離れた言葉だなあと感銘を受け、私が実感した詩の優れたところを語らせていただきましたが、筆者さんの再度の問には観念的なものしか感じることが出来ず、少し残念でした。筆者さんが詩の表現が劣ると示され、私は優れていると実感を持って示しました。これで私は満足です。有難う御座いました。どうぞ、詩の話を語り合ってください。

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鷹枕可
作品へ
(2022-03-06)

こんばんは。絶賛ダダ滑り中の者でございます。 大分(おおいたじゃねえよ)、それなりにコミュニュケーションを取られるお方の様ですので、気になりました部分を掻い摘んで。 詩と謂う手段が効率的でなければならない理由とは何か。 現代病です、ね。作者様の仰る理屈に照らし合わせますなら、演劇やコンサート、ライブや展覧会、ともすれば映画さえも非効率的であるとも解釈出来得るとおもわれますが。 然しそれでも、コロナ禍の只中に有って足を運ぶ、お客様も居られます。それも充分に。 詩には読者が、需要が無い、と謂った趣旨の反論の向きもございましょうが。 このコメント欄の活況ぶりを見れば瞭然でございましょう。 一定数の読者は、図らずも存在をするのでございます。 効率、役立つ、をもう少し掘り下げさせて頂きます。 言えば御仕舞いなのですが。 煎じ詰めましたなら、表現も、人間そのものも非効率であるとは言い切れませんでしょうか。 人生を効率的に送られたいならば、人生を終える事が最も効率的ではないでしょうか。 だってそうでしょう。 孰れ死ぬ事が明確であると申しますのに、眠り、覚め、食べ、排泄し、訳の分からぬ社会に放り出され、一体何の役に立つかも分からぬ労働に終始し、それらを繰り返すのですから。 不条理でしょう。 全く以て。 だから私は申し上げたいのです。 一番効率的なのは、直ちに命を絶つ事である、と。 でもそうなさらないでしょう、皆様は。突然その様な事を宣われましても、冗談じゃない、俺がなぜ死ななければならんのか、とお思いに成られる事と存じます。 人間や、生物(なまものじゃねえよ)の存在、それが役立たぬ最たるものであり、ともすれば己の住環境までも破壊して仕舞う。話が逸れましたが。 不合理でしょう。 何より不思議と思いました事を、問わせて頂きたいのですが、 主語「誰の為に」人間は効率的でなければならないと洞察していらっしゃられるのかな、と。その様な、大前提に於ける疑問が湧きましたものですから。 よもや、コンピュータや、論理的正統性、社会の為とは仰られないとは思いますが。 遅蒔きながら。 重箱の隅を突かせていただきました。

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N
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きょこち(久遠恭子)さんへ
(2022-03-06)

おはようございます。 今日も良い一日となりますように。 > 山田泰広さんは、名古屋大学の文学修士を持ってらっしゃるみたいですね。そんな方を敵に回したら怖そうですね。 そうなんですか? もし彼が多重殺人の罪により全国で指名手配をされていたり、反社会組織に属してそこで幹部の座についていたり、酷い癇癪持ちで少しでも気に触れると我を忘れてそこらじゅうの物に当たり散らしたり、身の回りの社会に大きなストレスを抱えていていつでもそれを撒き散らせるようにとガソリン缶を携帯していたり、もしそのような人物であったなら私も少し近寄り難い怖さというものを感じますが。 あなたが怖そうと言うのであれば、彼は実際にそのような傾向を持った人なのかもしれないですね。 治安維持法でもって事前に取り押さえることとしましょうか? 彼の所在地を教えてください。 とはいえ、私が本当に怖いのは、そんなにも安直に虎の威を借るような態度を示すあなたの方なのですけれどね。 名古屋大学の文学修士を持っているから何なのでしょうか? それでは名古屋大学の文学修士を持っていないあなたは取るに足らない人間ということでしょうか? いいえ、そんなことはありません。 あなたがいったいどれだけ低い偏差値と学歴であっても、あなたが何の肩書きも持っていなかったとしても、私はそれだけで、あなたを取るに足らない人間だと判断したりはしません。 私はあなたの存在そのものを尊重しています。 私はあなたの言葉に耳を傾けます。 私は誰にでも平等に機会を与えます。 それって素晴らしいことではないですか? 詩的霊感、わかります。 それって確かに重要なのかもしれない。 詩にとってはね。 でも今あなたと話をしているのは、 「詩にとって重要なもの」の話じゃない。 「どんなものにとって詩が重要たり得るのか」という話です。 この違いがあなたには理解できますか? 少し難しいですか? 詩にとって大切なものを表現するために詩を書く? 自分にとって大切なものを得るためにマスをかく? つまり、詩を書くという行為は、結局は虚しい手慰みに過ぎません。 違いますか?

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三浦果実さんへ
(2022-03-06)

おはようございます。 暦も3月、少しずつ春の気配も近付いてきましたね。 私にとって、私にとって、私にとって、それってとっても便利な言葉です。 あなたにとって詩が価値のあるものだった。 それも結構です。 しかし、そのことが詩の抱える問題のいったい何を解決してくれるでしょうか? 一度、ここで落ち着いて考えてましょう。 大きく息を吸ってください。 息を止めて、 目をつむって、 5つ時間を数えたら、ゆっくりそれを吐き出してください。 落ち着きましたか? あなたは詩が社会においてその十分な役割を果たしていると考えますか? 人々から求められている? 詩集の貸し出し冊数は増えた? 詩人会の平均年齢は高齢化の一途を辿っていない? 詩って死にかけていない? 今の詩にできることなんて、せいぜい他者の新しい発見の中に、後から自らの起源を主張してみせることだけ。 絵画?それって詩だよね! 音楽?それって詩だよね! 映像?それって詩だよね! アニメ・マンガ・オタク文化?それって詩だよね! ラップ?それって詩だよね! 戦争?それって詩だよね! 人生?それって詩だよね! 他者からしてみれば、 詩って誰? そんなやつ知らないんだけど。 勝手に友達ヅラして付いてくるのやめてくれる? こっちまでダサく見えるんだけど。 っていうそんな感じ。 詩が何の問題を抱えていないとあなたはお考えですか? 詩が劣っているか優れているかはこの際一度おいておきましょう。 それは所詮、相対的なものさしで測ったものでしかありません。 それでは詩というそのものを基準としたときに、詩の抱えている絶対的な問題はどこにあるとあなたは感じますか? 成長の鍵は自身の弱さを見つめ直すところにあります。 詩の話は嫌いですか? だったら、あなたも私によく似た近い人間です。 詩の話なんて大嫌いだ、反吐が出る!

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きょこち(久遠恭子)
Nさんへ
(2022-03-06)

んー、なんか論点がずれている気がしますね。 論理の為の論理。机上の空論。 私は実際の話をしているのです。私がどうとかどうでも良いです。では貴方はどの様な人間なのですか?それをいちいち説明出来ますか?一人の人間を説明するにはいくつ説明が必要でしょう? 分かりますか?人間は宇宙そのものなのです。貴方には難しいでしょうけど。 ご自身を説明出来たなら、私自身の事をお尋ね下さい。

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N
N
鷹枕可さんへ
(2022-03-06)

おはようございます。 朝はまだまだ冷えますね。 > 詩には読者が、需要が無い、と謂った趣旨の反論の向きもございましょうが。 >このコメント欄の活況ぶりを見れば瞭然でございましょう。 私は本文の中でこのように書きました。 「最初に断っておきますが、この文章は詩ではありません。」 詩についての専門サイトの中でさえ、詩への活況が、詩ではないものの活況に劣る。 これってとても皮肉なことではありませんか? 詩を書く人たちですら、その注目は詩よりも詩ではないものに向けられているのです! そういうわけで、きっと自覚をしたくないのでしょうけれど、あなた自身が一番よくわかっているのではないでしょうか。 詩というものの終わりをね。 >詩と謂う手段が効率的でなければならない理由とは何か。 詩を書くということはそこに目的が存在する。 目的のない人間は詩を書かない。 欲求のない人間は言葉を発しない。 欲求があって、初めて人間は言葉を発する。 表現は目的に従属する。 あなたたち表現主義の時代は終わりを迎えて、時代は実現主義へと移り変わっていく。 あなたの目的が、マスをかくことではないのだとしたら、詩という手段に固執しているがために、その目的が果たされないというのとは極めて悲惨なことです。 > 演劇やコンサート、ライブや展覧会、ともすれば映画さえも非効率的であるとも解釈出来得る それはそうでしょう。 夕食を取るために演劇へ行くことを私は勧めません。 花を買いに行くためにコンサートへ行くことを私は勧めません。 演劇やコンサート、ライブや展覧会へ行く人がいる。 それは、劇団員や演奏家、ミュージシャンや画家、彼らが自分達の立場を弁えている。そして、詩の怠っている努力を絶えず自らに課し続けているということなのでしょう。 目的に則って、表現・行為・行動によってそれを果たす。 それが即ち実現です。 現代における最大の実現者は誰か? 政治家か?資本家か?広告代理店か? 何はともあれ詩の実現者としての地位は極めて低い位置にあるのです。 むしろ存在していないと見て取れるほどに。 > だから私は申し上げたいのです。一番効率的なのは、直ちに命を絶つ事である 人生の目的が死ぬことにあるのであれば、それはそうなのでしょう。 しかし人々の持つ目的とは、死ぬことではありません。 お金を稼ぐこと。有名になること。家庭をもつこと。子供を育てること。幸福になること。愛されること。等々。 もしそれらが違うというのであれば、それぞれの目的を持った人たち一人一人のところを訪ねて、人生の目的とは死ぬことであると説得して回ってください。 私は決してあなたのように人生の目的について他人を強制したいわけではないのです。 人の数だけ、その人の目的があることでしょう。 あなたにもきっとあるはずです。 ないと言うならば、それは自分に対する理解が足りていないというだけでしょう。 私はただ手段は目的のために適切に選択され、行使されるべきだと言いたいのです。 あなたはある目的のために詩を選択している。 それはいったい何故なのかという話をしているのです。 > 主語「誰の為に」人間は効率的でなければならないと洞察していらっしゃられるのかな、と。 人間のために手段は効率的でなければならないという話はしましたが、誰かの為に人間が効率的でなければならないと話した覚えはありません。 そのような見方は人間という存在を実現者という立場とは別に、実現のための道具であると見做したとき初めて生じる見方であって、手段が効率的でなければならないという話とはまた違った問題となることでしょう。 その問題について話がしたいのであれば、人間が手段としていったいどんな役に立ち、それが誰のどんな目的のために発揮されるべきかという問いから始めなくてはなりませんが、あなたはその話に興味があるのですか? 興味があるのであればお付き合いしましょう。 さあ、あなたはどのようにお考えですか?

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N
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きょこち(久遠恭子)さんへ
(2022-03-06)

おはようございます。 しっかりと睡眠は取れていますか? 睡眠不足で頭が回っていないか、もしくはまだ寝ぼけた頭が働いていないのではないですか? 私はあなたのことが心配です。 論点ははっきりしています。 >でも今あなたと話をしているのは、 >「詩にとって重要なもの」の話じゃない。 >「どんなものにとって詩が重要たり得るのか」という話です。 >この違いがあなたには理解できますか? >少し難しいですか? この文章が読めましたか? どんなものにとって詩が重要たり得るのかという話をするのに、あなたがどんな人間であるか、私がどんな人間であるかを話す必要はありませんよ。 詩がどのようなものであり、それが何の目的のための手段となり得るのかという話をしているのです。 わかりますか? 人間の話はしていません。 詩の話をしているのです。 私の文章のタイトルが読めませんでしたか? 詩の話をしましょう。

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N
N
さんへ
(2022-03-06)

おはようございます。 すっかりあなたからの返信を見逃していました。 決してあなたの存在感が小さ過ぎて気付かなかっただとか、 あなたの返信の内容がくだらなすぎて返信する価値がなかっただとか、 あなたが私にとって全く取るに足らない人間であるとか、 そういうわけではなかったのですよ。 信じてもらえないかもしれませんが…。 >詩も同じく、あなたは何かの目的だとお考えのようですがわたしは本能だとおもいます。 いいえ私は違います。 私は詩は目的ではなく手段です。 あなたは詩は本能であると仰います。 つまりは詩は人間の遺伝子に組み込まれた生存上の一機能であるということです。 したがってあなたは生きるために詩を書いている、と見做すことができるわけです。 詩は手段である。 詩は機能である。 すなわちあなたと私にとって、詩は目的に従属する存在であるという認識は共通しています。 食べることというのは、人間が生きる上での基本的なエネルギーを摂取するために本能的に存在しています。 では、何故詩を書くということが、あなたにだけ本能的に機能として存在しているのでしょうか? 生存という目的のために、詩を書くという機能がどのような役に立っているのでしょうか? 詩の話をしましょう。

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N
N
さんへ
(2022-03-06)

おはようございます。 お目覚めはいかがでしたか? >文中の「何か」とは具体的に何を指しますか? 何でも構いません。 あなたが守りたいと思っているものを想像してください。

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きょこち(久遠恭子)
Nさんへ
(2022-03-06)

詩は本来は、ただ読んで感じるものだと思います。ですが、それでは分かり合えないので、説明が必要になる。悲しいですが、それが答えです。私は眠くなったら眠ります。お気になさらず。詩とはどの様なものか、言語の表面的な意味(だけ)ではなく美学的・喚起的な性質を用いて表現される文学の一形式です。詩とはどの様なものか、知ってどうなるのか、分かりませんが一応答えましたよ。

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よびな
作品へ
(2022-03-06)

所謂『反動』という態度の最初期のモデルはソクラテスなんじゃないかと思って興奮しました

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鷹枕可
Nさんへ
(2022-03-06)

われわれの抒情は、もうどこを探してもかえらないのでしょうね。 残虐な理性と、並々と湛えられた悪意に拠って。 論陣に拠って。 作者様が、勝鬨を挙げたいのならば、挙げれば宜しいかとも、存じます。 此処は、詩の投稿、批評サイトです。 畢竟、投稿を為された作品は、普く「詩」と謂うカテゴリに収まるもの、詩への批評に収まるものとして諒解される、と謂う、遵守さるべきルールがございます。 由って、作者様の論を。私は謂わばポオのユリイカの様に、一つの詩として。解釈致しておりました。 然し、それをあなた自身の舌鋒は、紛うこと無く全否定なされました。 謂わば 障子屋に、棺桶を注文為されるかの様に。 この場所に愛着をお抱きに成られている方方の心痛は。推して思うに、有余るものであると、存じます。 私から、作者様にお願い致します。 私は、取るに足らぬ、下手の詩書きでございます。されども、私は。 担えるだけの罰、如何なる咎でも背負いましょう。軟弱であると嘲られても、構いません。 皆様から唾棄されると致しましても。それを受け入れる覚悟で、申し上げさせていただきます。 如何か、他所で遣って下さい。

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仁川路 朱鳥?|
Nさんへ
(2022-03-06)

こんばんは。(これは私のコメントに対する返信への返信のため、わざわざ掲示板トップに移動させなくてもよいのではないかと考えました) >今日の夕飯は何を食べましたか? 3月5日の夕飯は、近所に売っていた冷凍たこ焼き6個と、日清食品の冷凍味噌煮込みうどんでした。 >あなたの身の回りの、あるいはこの場所にいる詩を書く人たちを見てみよう。 >彼らはどうだろう、詩を書かない人たちに比べて、思いやりの精神を持っていると思えるだろうか? >もし思いやりの精神を持っていたとしても、それは人並みだ。 >それは詩を書かない人たちと同程度のものです。 >詩に思いやりの精神を育てる特別な力はありません。 本当に、そう言い切れるでしょうか? 「(この人は)この言い方・書き方では理解できないだろう」と考えて、「よりわかりやすい表現に直せる」人は、B-REVIEWの内部や、もしくは参加者のツイキャスなどでも見られます。私が思うに、それがもっとも『人を思いやれる』証明になっていると考えます。(それを人並みだと思われるならば、人に要求するものが大きいのでは、と感じます) その点では、改行を用いて、言い回しを変えながら一人ひとりにていねいに返信されている、筆者様は思いやりのある方だと感じました。 >詩を書くことで心が落ち着く。 >詩書き、そのコミュニティに属することで自分の居場所を作ることができる。 >人を褒めることで、自分も褒めてもらうことができる。 >それは素晴らしいことではないですか? そういったWIN-WINの関係は素晴らしいものです。どうか、ここがそういう場であってほしい(もちろん、切磋琢磨は必要です)と思うくらいに。 「私は弱い人間です」に関しては、今までのコメントを見る限り誰一人として従っていなかったので……なぜ芸術に執着しようと思ったか、そのきっかけについて考える貴重な機会でした。 コメント返し、面倒くさいようでしたら不要です。

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かずや
かずや
Nさんへ
(2022-03-07)

お世話になります。 体調についてのお尋ね、理由は計りかねますがお返事を。ややもって過労気味でしたが一昨日長時間をバイクで走り、昨日一日家にいたため回復しています。 沢山のコメントに返信をされている中でなかなか私の問いに私の意に添うように返答というのは難しいのだろうし、望んではならないことなのだろうと思い至りました。 私が「詩という名詞があるのは何故だと思われますか。」とお伺いしたのは以下の理由からです。 ①「詩でなくてはならない理由などない」、「詩に何を期待しているのか」といったような文言に対する反応。 ②ヒトは名前を付けて何かを何かとは違うものと区別しようとするから。 ③名前がついているあるいは存在がなくとも名前を付けた時、概念としては名前のついた「それ」と「それ以外のもの」は違うものになると私は考えるから。 ④②及び③を考慮に入れた上で筆者の本文にある言葉はどういった思考のもとに書かれているのか気にかかったから。 それと最後に、「?」の使用についてあまり深くは考えていらっしゃらないということですが、一度考えてみられてもいいのではないかなと愚考します。

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妻咲邦香
作品へ
(2022-03-16)

詩。自然にある音ですよね。 色とも言うし、線とも言うかもしれませんが。 発する人がいて受け取る人がいて、それ以上のことがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。 気持ち悪くてもかっこよくても、屑でも芸術でも所詮は物質だし、クシャミや欠伸と同じ、カレーライスを食べたいと思うのとニワトリが飛べなくて可愛いと思うのと同じ。 あと本文からずれますがこのコメント欄のスタイル素晴らしい。このやり取り、これこそ詩でいいんじゃないかと思います。 私の詩の話、しましたしました〜、今したよ〜コケコッコー。。

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いすき
作品へ
(2022-03-17)

こんばんは。 私は弱い人間だけど↓は反対かな >だからせめてこの場所では強がって、詩という高尚そうな芸術ごっこに興じてみたいんだって。 え?! って思っちゃって 皆さんどう? ビーレビって高尚?? それって詩誌とかじゃないかな。 あと大学とか。 本読んでる人たちがいっぱいいるとこのイメージ。 いやいやいや、みんな本読んでたらこのサイトもっと違う盛り上がり方するでしょ〜、って。 まあそこを読むまでにこっちはダウンしてるんだから最後の一発外したところであまり関係ないのですが。。 なお、ビーレビは「高度」ですよ。 明日は何処よ!鳥は高度! 追伸 ちなみにですが、私は本は『ダレン・シャン』しか読んだことがありません。 殺してください。 本当にすみませんでした。

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鷹枕可
いすきさんへ
(2022-03-17)

いすき様の、意見に頷いております。 狭い喫茶店で、喧々諤々のばか話をいつもしている連中でありたいと、少なくとも私はそう、思います。

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黒髪
作品へ
(2022-03-17)

こんばんは。僕は詩は遊びだと思います。遊びには目的は必要ないと思います。面白ければそれでいい。作品の価値とはそういった所ではないでしょうか。

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おん
おん
作品へ
(2022-04-14)

>あなたが詩を書く目的は何なのか。 自己救済のためです。弱い自分を少しでも救うためです。 >その目的を果たすための手段がどうして詩でなくてはならないのか。 自己救済のために必要な自己の表現がしやすかったのが詩であったというだけです。 >つまり、詩を書くという行為は、どちらも結局は虚しい手慰みに過ぎません。 そうですよ。 >だから正直に告白してください。私は弱い人間だって。 残念ながら、弱い人間だと認めたところで自己が救われるわけではありません。私はそれを知っています。自分は弱い人間だと認めていようがいまいが貴方の言う手慰みがささやかな自己の救いになっていることは事実です。貴方から見れば痛々しくても、私は救われています。 貴方が詩では何も伝えられないと言うのは、貴方の表現方法が詩ではなかったということではないのでしょうか。そして、私達の表現方法が詩であったというだけです。 そこにあるのはただの「違い」であって、優劣ではありません。 と、いうのが私の意見です。 あくまで一意見として受け取って頂ければ幸いです。

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