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おはようございます。 お目覚めはいかがでしたか? >文中の「何か」とは具体的に何を指しますか? 何でも構いません。 あなたが守りたいと思っているものを想像してください。 (詩の話をしましょう)

2022-03-06

おはようございます。 すっかりあなたからの返信を見逃していました。 決してあなたの存在感が小さ過ぎて気付かなかっただとか、 あなたの返信の内容がくだらなすぎて返信する価値がなかっただとか、 あなたが私にとって全く取るに足らない人間であるとか、 そういうわけではなかったのですよ。 信じてもらえないかもしれませんが…。 >詩も同じく、あなたは何かの目的だとお考えのようですがわたしは本能だとおもいます。 いいえ私は違います。 私は詩は目的ではなく手段です。 あなたは詩は本能であると仰います。 つまりは詩は人間の遺伝子に組み込まれた生存上の一機能であるということです。 したがってあなたは生きるために詩を書いている、と見做すことができるわけです。 詩は手段である。 詩は機能である。 すなわちあなたと私にとって、詩は目的に従属する存在であるという認識は共通しています。 食べることというのは、人間が生きる上での基本的なエネルギーを摂取するために本能的に存在しています。 では、何故詩を書くということが、あなたにだけ本能的に機能として存在しているのでしょうか? 生存という目的のために、詩を書くという機能がどのような役に立っているのでしょうか? 詩の話をしましょう。 (詩の話をしましょう)

2022-03-06

おはようございます。 しっかりと睡眠は取れていますか? 睡眠不足で頭が回っていないか、もしくはまだ寝ぼけた頭が働いていないのではないですか? 私はあなたのことが心配です。 論点ははっきりしています。 >でも今あなたと話をしているのは、 >「詩にとって重要なもの」の話じゃない。 >「どんなものにとって詩が重要たり得るのか」という話です。 >この違いがあなたには理解できますか? >少し難しいですか? この文章が読めましたか? どんなものにとって詩が重要たり得るのかという話をするのに、あなたがどんな人間であるか、私がどんな人間であるかを話す必要はありませんよ。 詩がどのようなものであり、それが何の目的のための手段となり得るのかという話をしているのです。 わかりますか? 人間の話はしていません。 詩の話をしているのです。 私の文章のタイトルが読めませんでしたか? 詩の話をしましょう。 (詩の話をしましょう)

2022-03-06

おはようございます。 朝はまだまだ冷えますね。 > 詩には読者が、需要が無い、と謂った趣旨の反論の向きもございましょうが。 >このコメント欄の活況ぶりを見れば瞭然でございましょう。 私は本文の中でこのように書きました。 「最初に断っておきますが、この文章は詩ではありません。」 詩についての専門サイトの中でさえ、詩への活況が、詩ではないものの活況に劣る。 これってとても皮肉なことではありませんか? 詩を書く人たちですら、その注目は詩よりも詩ではないものに向けられているのです! そういうわけで、きっと自覚をしたくないのでしょうけれど、あなた自身が一番よくわかっているのではないでしょうか。 詩というものの終わりをね。 >詩と謂う手段が効率的でなければならない理由とは何か。 詩を書くということはそこに目的が存在する。 目的のない人間は詩を書かない。 欲求のない人間は言葉を発しない。 欲求があって、初めて人間は言葉を発する。 表現は目的に従属する。 あなたたち表現主義の時代は終わりを迎えて、時代は実現主義へと移り変わっていく。 あなたの目的が、マスをかくことではないのだとしたら、詩という手段に固執しているがために、その目的が果たされないというのとは極めて悲惨なことです。 > 演劇やコンサート、ライブや展覧会、ともすれば映画さえも非効率的であるとも解釈出来得る それはそうでしょう。 夕食を取るために演劇へ行くことを私は勧めません。 花を買いに行くためにコンサートへ行くことを私は勧めません。 演劇やコンサート、ライブや展覧会へ行く人がいる。 それは、劇団員や演奏家、ミュージシャンや画家、彼らが自分達の立場を弁えている。そして、詩の怠っている努力を絶えず自らに課し続けているということなのでしょう。 目的に則って、表現・行為・行動によってそれを果たす。 それが即ち実現です。 現代における最大の実現者は誰か? 政治家か?資本家か?広告代理店か? 何はともあれ詩の実現者としての地位は極めて低い位置にあるのです。 むしろ存在していないと見て取れるほどに。 > だから私は申し上げたいのです。一番効率的なのは、直ちに命を絶つ事である 人生の目的が死ぬことにあるのであれば、それはそうなのでしょう。 しかし人々の持つ目的とは、死ぬことではありません。 お金を稼ぐこと。有名になること。家庭をもつこと。子供を育てること。幸福になること。愛されること。等々。 もしそれらが違うというのであれば、それぞれの目的を持った人たち一人一人のところを訪ねて、人生の目的とは死ぬことであると説得して回ってください。 私は決してあなたのように人生の目的について他人を強制したいわけではないのです。 人の数だけ、その人の目的があることでしょう。 あなたにもきっとあるはずです。 ないと言うならば、それは自分に対する理解が足りていないというだけでしょう。 私はただ手段は目的のために適切に選択され、行使されるべきだと言いたいのです。 あなたはある目的のために詩を選択している。 それはいったい何故なのかという話をしているのです。 > 主語「誰の為に」人間は効率的でなければならないと洞察していらっしゃられるのかな、と。 人間のために手段は効率的でなければならないという話はしましたが、誰かの為に人間が効率的でなければならないと話した覚えはありません。 そのような見方は人間という存在を実現者という立場とは別に、実現のための道具であると見做したとき初めて生じる見方であって、手段が効率的でなければならないという話とはまた違った問題となることでしょう。 その問題について話がしたいのであれば、人間が手段としていったいどんな役に立ち、それが誰のどんな目的のために発揮されるべきかという問いから始めなくてはなりませんが、あなたはその話に興味があるのですか? 興味があるのであればお付き合いしましょう。 さあ、あなたはどのようにお考えですか? (詩の話をしましょう)

2022-03-06

おはようございます。 暦も3月、少しずつ春の気配も近付いてきましたね。 私にとって、私にとって、私にとって、それってとっても便利な言葉です。 あなたにとって詩が価値のあるものだった。 それも結構です。 しかし、そのことが詩の抱える問題のいったい何を解決してくれるでしょうか? 一度、ここで落ち着いて考えてましょう。 大きく息を吸ってください。 息を止めて、 目をつむって、 5つ時間を数えたら、ゆっくりそれを吐き出してください。 落ち着きましたか? あなたは詩が社会においてその十分な役割を果たしていると考えますか? 人々から求められている? 詩集の貸し出し冊数は増えた? 詩人会の平均年齢は高齢化の一途を辿っていない? 詩って死にかけていない? 今の詩にできることなんて、せいぜい他者の新しい発見の中に、後から自らの起源を主張してみせることだけ。 絵画?それって詩だよね! 音楽?それって詩だよね! 映像?それって詩だよね! アニメ・マンガ・オタク文化?それって詩だよね! ラップ?それって詩だよね! 戦争?それって詩だよね! 人生?それって詩だよね! 他者からしてみれば、 詩って誰? そんなやつ知らないんだけど。 勝手に友達ヅラして付いてくるのやめてくれる? こっちまでダサく見えるんだけど。 っていうそんな感じ。 詩が何の問題を抱えていないとあなたはお考えですか? 詩が劣っているか優れているかはこの際一度おいておきましょう。 それは所詮、相対的なものさしで測ったものでしかありません。 それでは詩というそのものを基準としたときに、詩の抱えている絶対的な問題はどこにあるとあなたは感じますか? 成長の鍵は自身の弱さを見つめ直すところにあります。 詩の話は嫌いですか? だったら、あなたも私によく似た近い人間です。 詩の話なんて大嫌いだ、反吐が出る! (詩の話をしましょう)

2022-03-06

おはようございます。 今日も良い一日となりますように。 > 山田泰広さんは、名古屋大学の文学修士を持ってらっしゃるみたいですね。そんな方を敵に回したら怖そうですね。 そうなんですか? もし彼が多重殺人の罪により全国で指名手配をされていたり、反社会組織に属してそこで幹部の座についていたり、酷い癇癪持ちで少しでも気に触れると我を忘れてそこらじゅうの物に当たり散らしたり、身の回りの社会に大きなストレスを抱えていていつでもそれを撒き散らせるようにとガソリン缶を携帯していたり、もしそのような人物であったなら私も少し近寄り難い怖さというものを感じますが。 あなたが怖そうと言うのであれば、彼は実際にそのような傾向を持った人なのかもしれないですね。 治安維持法でもって事前に取り押さえることとしましょうか? 彼の所在地を教えてください。 とはいえ、私が本当に怖いのは、そんなにも安直に虎の威を借るような態度を示すあなたの方なのですけれどね。 名古屋大学の文学修士を持っているから何なのでしょうか? それでは名古屋大学の文学修士を持っていないあなたは取るに足らない人間ということでしょうか? いいえ、そんなことはありません。 あなたがいったいどれだけ低い偏差値と学歴であっても、あなたが何の肩書きも持っていなかったとしても、私はそれだけで、あなたを取るに足らない人間だと判断したりはしません。 私はあなたの存在そのものを尊重しています。 私はあなたの言葉に耳を傾けます。 私は誰にでも平等に機会を与えます。 それって素晴らしいことではないですか? 詩的霊感、わかります。 それって確かに重要なのかもしれない。 詩にとってはね。 でも今あなたと話をしているのは、 「詩にとって重要なもの」の話じゃない。 「どんなものにとって詩が重要たり得るのか」という話です。 この違いがあなたには理解できますか? 少し難しいですか? 詩にとって大切なものを表現するために詩を書く? 自分にとって大切なものを得るためにマスをかく? つまり、詩を書くという行為は、結局は虚しい手慰みに過ぎません。 違いますか? (詩の話をしましょう)

2022-03-06

こんばんは。 感染症に、大戦争、嫌なニュースが目立つ昨今ですが、いかがお過ごしですか? よい詩というのは詩を書く人々の幻想の数だけあるだろうと思いますが、 役に立つ詩というのは果たして存在するのでしょうか? 私が話をしたいのはそういうことなのです。 詩は例えばどんな場面でどんな役に立つと思いますか? 公衆トイレへ入って事なきを得たものの、なんとそこには紙がない。 しかし私は大丈夫、ポケットには一冊の詩集があるのだから。 さてどうでしょう。 思い思いに詩が役に立つ場面を考えてみませんか? これくらいなら誰にでもできるはず。 さあ、あなたも一緒に詩の話をしませんか? (詩の話をしましょう)

2022-03-06

こんばんは。 普遍的なものではないように見えますね。 彼の詩は国語の教科書にも採用されているはず。 皆が知った詩ですが、あなたの身の回りを、そして世の中を眺めてみましょう。 彼の詩が彼らに与えた影響とは? 実に非効率的で実際的な効果の乏しいものではないでしょうか? 詩は弱い、だから勝てない、変えられない、守れない。 あなたに守りたいものはありますか? それは詩? 芸術は守られるものではなく、何かを守る力強さを持ったものです。 あなたはどう思いますか? さあ、もっと詩の話をしましょう。 (詩の話をしましょう)

2022-03-06

こんばんは。 ジェラード・マンリ・ホプキンス(Gerard Manley Hopkins、1844年7月28日・イギリス - 1889年6月8日・アイルランド)はイギリス・ヴィクトリア朝時代の詩人、イエズス会所属の聖職者。 古代の論文と言っているのではなく、1800年代の詩だと言っているのです。 学者という生き物はみな大抵、化石調査員と変わりがありません。 死んだ生き物を掘り返してそれを調べているだけです。 1800年代の詩が今になってわかった。 それは結構。 でもそれは200年も前の話。 ネアンデルタール人が石器を使って生活していたからといって、あなたは自分もそうやって生きていきたいと思うのですか? ここは現代です。 違いますか? もっと詩の話をしましょう。 (詩の話をしましょう)

2022-03-06

こんばんは。 少しずつ暖かい日も増えてきましたね。 詩をわかったかのような気になっているあなたが、未だにこの場所に居続ける理由は何でしょうか? 詩についてよく理解している人間は一番初めに、詩から離れていきます。 もしかして寂しいのですか? それとも私のような親切心から? もし前者だとすれば、私はあなたのことが心配です。 本人は離れたいと思っているのに、それから離れることができない。 これは精神医学的に「依存」という状態に陥っていることの顕著な特徴のひとつなのです。 もしあなたが詩から抜け出せなくて困っているのであれば、私が手を貸しましょう。 依存から抜け出すには、まずは自分をよく知ることからです。 大丈夫ですよ。 ここにいる誰も、あなたのことを笑ったりはしません。 だから正直になって。 あなたはどうして詩を書くのですか? いったい何の目的のために? 健康な精神を保つために、人と話をするというのは重要なことですよ。 さあ、一緒に詩の話をしましょう。 (詩の話をしましょう)

2022-03-06

こんばんは。 夜更かしは美容の天敵ですよ、違いますか? >下記の論文をご参照下さい。 いったいそれっていつの時代のお話ですか? 今が西暦何年であるかご存知ですか? 今は2022年です。 決して1800年代などではないのですよ。 いつまで古い詩の世界に生きているつもりなのですか? それは誰のために? あなたの身を慰めるために? もっと詩の話をしましょう。 私はあなたと詩の話がしたいのです。 (詩の話をしましょう)

2022-03-06

こんばんは。 夜分遅くにご足労いただきありがとうございます。 詩が、人の生き様に影響を与える目的において優れた手段である。 本当にそうでしょうか? 詩というものの影響力がいったいこの世界のどこに存在しているでしょうか? 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を読んで、欲を捨て、決して怒らず、いつも静かに笑っていようとする人間がどこにいますか? 与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を読んで、平和に繋がる適切な選択を日常の中で意識的に行える人間がどこにいますか? 詩が、政治や資本や人間の悪意にどうやって勝るのでしょうか? あなたの詩がいったい誰の生き様をどのように変えましたか? 一度、柔らかな発想の転換をもって、このように考えてみるのはどうでしょう? 詩は人の生き様に影響を与える目的において劣った手段である。 詩に固執し続ける必要はないんですよ。 重要なのは目的が達成されるということです。 人の生き様に影響を与えるためには、詩を書かなくてはならないのですか? それがあなたにとって一番良い方法ですか? さあ、もっと詩の話をしましょう。 (詩の話をしましょう)

2022-03-06

こんばんは。 今日の夕飯は何を食べましたか? >私は「頭痛の解消」のみを求めて、詩……もそうですが、それ以外の芸術活動も並行して行っています。 アートというものにセラピーとしての効果があることは私も知っています。 画家・草間彌生にしたってそうです。彼女は、幻覚・幻聴といった精神的な病から自身の心を落ち着かせるために、水玉模様を描き続けています。 >なにか集中できるものがあれば気を逸らせる そのための詩、そのための水玉。 そのような目的のためであれば、そのような手段は十分合理的であるように見えます。 ではなぜ、草間彌生の作品がアートとして一定の価値を認められているのか。 それは作品・作者というよりも、それを認める側の都合です。 草間彌生の作品に価値を持たせること、それは言わば、それを認める側の表現と見ることもできます。 >時代が進むにつれて情報量が多く・想像を働かせずに済むような表現技法が流行っているように見えます。 これは当然のことです。想像力というものは実にいい加減なもので、人によって受け取り方に曖昧な差のある表現は、物事の伝達手段において適さないのです。 東京に集合しようと言われたって困ります。 渋谷に集合しようと言われたってまだ困ります。 渋谷のハチ公前に集合と言われてようやく人は集まることができるのです。 想像の余地を許さない。 それこそが新時代の表現です。 それは古い時代の人間からすれば、実に寂しいことなのかもしれませんね。 しかし、盛者必衰の理というものがあるように、それは避けようのないことなのです。 >思いやりの精神を失ったかのように見える現代社会において、詩こそが思いやりの精神を育み、支えるものだ。 そうだろうか? あなたの身の回りの、あるいはこの場所にいる詩を書く人たちを見てみよう。 彼らはどうだろう、詩を書かない人たちに比べて、思いやりの精神を持っていると思えるだろうか? もし思いやりの精神を持っていたとしても、それは人並みだ。 それは詩を書かない人たちと同程度のものです。 詩に思いやりの精神を育てる特別な力はありません。 >私は弱い人間です。21歳、高卒、低身長、低血糖、悪玉コレステロール低値の。 そして、慢性的な頭痛に悩まされ、それから気を逸らすために詩を書いている。 そう、このように正直になったらよいのです。 「でも、どうでもいいんだ。詩を書いてる人間がいて、書かれている詩があるから。」 なんて、どこかの誰かのように無理に恰好を付けたことなんて言わなくて。 詩を書くことで心が落ち着く。 詩書き、そのコミュニティに属することで自分の居場所を作ることができる。 人を褒めることで、自分も褒めてもらうことができる。 それは素晴らしいことではないですか? さあ、詩の話をしましょう。 (詩の話をしましょう)

2022-03-06

こんばんは。 今日は調子が良いみたいですね。 >まず、あなたの言う「芸術」が何なのか、具体的に教えてくれないと話にならないよ。 この点についての具体性は必要ありません。 そこでの具体的な説明は、単に芸術というものの多様性を損なうことにしかなりません。 あなたは人間というものを説明するときに、人間とは霊長類ヒト科ヒト属に属し、胴体の左右には二本の腕、胴体は2本の脚によって支えられ、直立し二足歩行する動物で、高度な言語コミュニケーションを持つと説明したりしますか? では、腕が片方無い人は人間ではない?怪我によって歩けない人は人間ではない?障がいを持って話すことのできない人は人間ではない? と、そういうことになってしまいます。 したがって、 「芸術は守られるものではなく、何かを守る力強さを持ったものです。」 この一言だけで、芸術というものを語るには十分です。 >詩を書く理由なんて、殆どの人は分かんないよ。 そうですか?本当に? 誰に聞いてみたのですか? もしそれが本当だとすれば、それはこの上ない悲劇です。 通りで、そういった人たちが詩を書くことをやめられないわけですね。 目的がわからなければ、適切な手段を選ぶこともできない。 したがって、その人の目的はずっと達成されないままで、誤った手段を誤っているということにも気づかぬまま、永遠にその手段に固執し続けてしまう。 見るも痛ましい、実に悲劇的な状況です。 どうして誰もそのことを教えてあげないのでしょう? それはつまり、詩という空間が閉鎖的なものだから。 誰もが固執者で、そこには指摘をしてあげるはずの客観が存在せず、もしその中の誰かがその事実に気が付いたとしても、あまりの状況の悲惨さに怯えてしまって、その場を駆け出してしまうのです。 詩についてよく理解している人間は一番初めに、詩から離れていきます。 >逆にあなたが何でこの文章を書いたか考えてみる? >あなたは元々、詩で何を伝えたかったの? >あなたの詩は何を伝えられなかったの? >どうして、伝えられなかったの? >この場所で強がっている様に見える人間がいて、そいつがうざかった? >詩が、あなたの思う神聖な「芸術」の様に語られていて、それが嫌だった? >あれが良いとか、あれが悪いとか、言ってる人とあなたが感じたのが違った? 私がこの文章を書いた理由など誰にとっても明白です。 本文の中に書かれていなかったでしょうか? 私はただあなたと詩の話をしようとしているのです。 私が詩を書いていた理由、そんなことはもう覚えていません。何年も前の話です。 何を伝えるにしろ、詩というのは実に劣った手段でしかありません。 お金を稼ぐにしろ、有名になるにしろ、家庭をもつにしろ、子供を育てるにしろ、幸福になるにしろ、愛されるにしろ、戦争をとめるにしろ。 何にしろ、詩はどの分野においても劣った手段でしかありません。 詩は詩の役にしか立たないのです。 そう気づいたときから、私は詩という手段を私の中からばっさりと切り捨てました。 うざい?嫌?違う? そんな俗っぽい感情をこの場所に持ち込んだりはしませんよ。 私はここにいる人たちのことを一人も知らないし、友達でもない。 ただ可哀想なだけ。 >これの引用元を教えて 引用元なんてありませんよ。 詩の話をしてくれてありがとう! (詩の話をしましょう)

2022-03-05

こんばんは。 体調はいかがですか? >作者さんは「詩」という名詞が存在することについてどう考えられるのでしょうか。 作者だなんてとんでもありません。 私はただあなたと話をしているだけなのですよ。 「詩」という名詞が存在することについては、私は何も思いません。 「空」という名詞が存在するように、「海」という名詞が存在するように、 「犬」や「猫」、「正義」や「悪」、「美」や「醜悪」という名詞が存在するように、私はその存在について何も思ったりはしません。 あなたは「詩」という名詞の存在について、何か考えているのですか? >それと日本語の文章中に「?」という英語で使われる記号を用いていらっしゃることに何か理由があるのでしょうか。 理由はありません。もしあったとしても、それはそれほど意識的なものではありません。 さあ、詩の話をしましょう。 (詩の話をしましょう)

2022-03-05

こんばんは。 今日は何か嫌なことでもありましたか? >詩を書くのを辞めたのなら、黙って去れ。 この発言はいけませんね。 そのような発言・思考を持つからこそ、 「今どき詩を読む人間なんて、詩を書く人間か、はたまたアートセラピーと称して患者に詩を書かせているセラピストの先生くらいなものです。」 「つまり、詩を書くという行為は、どちらも結局は虚しい手慰みに過ぎません。 違いますか?」 と、このように言われてしまうのです。 詩というものは、詩という狭い狭い閉じこもった閉鎖的な空間における、詩を書く者同士の相互扶助によってなりたっているのです。 それはまるで老老介護のような痛ましさで。 私はそんな人たちの心をサポートするべく、あなたと話をしようとしているのですよ。 話をするということは精神衛生上において、とても重要なことです。 さあ、詩の話をしましょう。 肩肘なんて張らずにリラックスして。 あなたは詩を書きますか? それはいったい何のために? その目的のためには、どうして、詩でなくてはならないのですか? 身慰めという以外の理由がそこにはありますか? (詩の話をしましょう)

2022-03-05

こんばんは。 本日も一日お疲れさまでした。 >詩の話に限ると私も詩では何も伝わらないから書くことを諦めた側です。才能の問題かも知れませんが実際に自分自身が読んで良かったと思える詩は昨年はニ作だけです。 これはあなたの個人的な才能というよりも、詩そのものに責任があります。 詩そのものがもはや良くないのです。 いくら腐った材料を調理しようと、それは腐った料理なのです。 >今は文章力を上げる目的で評文や散文を書いていこうと思っています。何のための文章力かと言えば事業関連です。何かを人に伝えるには文章力は必須だし、より魅力的に書く必要があります。 それは結構なことです。人にはそれぞれ目的があります。 あなたの目的に対し、あなたの行動はある程度合理的です。 (詩の話をしましょう)

2022-03-05

おはようございます。 その鼻の調子はいかがですか? 悪意などはありません。 私はただ詩の話がしたいだけなのです。純粋に。 あなたは詩を書きますか? それはいったい何のために? その目的のためには、どうして、詩でなくてはならないのですか? 身慰めという以外の理由がそこにはありますか? (詩の話をしましょう)

2022-03-05

おはようございます。 今日は天気が良いですね。 >毎日ごはんを食べながらなぜ食べる>のかと考える人もいないわけで、 >要は食べればいいだけのことですが>、しかし、なぜ食べるのかと考える>人がいてもいい。 このご指摘は見当違いですね。 あなたの喩えを借りるのであれば、 何故、あなたはお腹が空いているのに(目的)、それをカレーライスを食べることで満たしているのか(手段)? ということです。 カレーライスでなくてはならない理由がどこかにあるはずだと思います。 冷蔵庫の中に余った材料の都合なのかもしれないし、スーパーで材料が安く手に入ったのかもしれない。 あなたが何故、カレーライスを食べたのか。 ハンバーグやうどん、ラーメンや焼き魚ではなくて、どうしてカレーライスなのか。 どうしてあなたは詩を書き、それが詩という手段でなくてはならないのか。 >詩に関していえば、なかなか書けな>いひとが陥る陥穽のひとつじゃない>かなと思っています。 >まずは、心を静かに開放して詩を書>くことをオススメします。 あなたは詩を書くという目的のために、心を静かに開放して詩を書くという手段を勧めているのですね。 その気遣いには感謝をしますが、私はあなたと違って詩を書きたいわけではありません。 そう断ってありませんでしたか? これは詩ではなく、それに詩を書くことは遠にやめてしまったと。 詩は何も伝えたりしないし、詩は私の目的にとって何の役にも立たない手段です。 (詩の話をしましょう)

2022-03-05

おはようございます。 ご機嫌はいかがですか? 私は音楽を聴く人に対して、「映画とちがって音しかないのに良くそんなものを聞くね」と尋ねます。 漫画を読む人間に「アニメのように絵が動かないのに良くそんなものを見るね」と尋ねます。 模型を作る人間に「そんな決められた形のもの決められた通りに作って楽しい?時間の無駄じゃないか?」と尋ねます。 そこで得られた回答の中に、おそらくその表現や行為の持つ特質がある場合もあるのでしょう。 私は決して、人生において人は何をして過ごすべきなのか、ということは問題にはしていません。 私は独裁者ではありませんので、人が「何をすべきか」なんてことについて高説を垂れるつもりはありません。 人にはその人なりのすべきことがあるのでしょう。 私はそれがあなたにとって何なのかということを聞いています。 そして、何故その目的を果たす手段として詩を選んでいるのかということを聞いています。 何かありますか? 身慰めという以外にあなたが詩を書く目的が。 (詩の話をしましょう)

2022-03-05

おはようございます。 よかった、やはりあなたは顔に目がついていたんですね。 >詩とはpoesy。 >poesyとは、詩的霊感の意味。 >私はそれを表現しています。 それは一体何のために? どうしてあなたは詩的霊感を表現する必要があるのですか? もしそこにあなたにとってのその必要があったとして、どうしてそれを詩という手段を用いて表現しなければならないのですか? (詩の話をしましょう)

2022-03-05

非常に鋭い感覚をお持ちですね。 伝わるって何だろう? 伝わりやすいって何だろう? どうやったら世界が正確に伝わるんだろう? おそらくこの作品は可読性の低い作品として多くの人に見なされるでしょう。 しかし、「右斜め後ろ」なんて言葉で言うよりも、「x=8,y=-10」と記号的に言う方が伝わる世界もあるんですよね。 自分が、誰が、何を思った、どう感じた、そしてそれを伝えたい。 そんな叙情風味な作品には、私は興味がありませんので、言葉をただただ道具として、実世界と言葉の乖離を縮めるために遊んでいこうと思っています。 (群青の群青による群青のための群青)

2021-09-07

好きなのはアルトーの文体だけ? 彼の精神については? 私はアルトーといえば演劇の人間であるという印象が強いです? 数年前彼の著作も読みました? 神の裁きと決別するために? 演劇とその分身? 実質的現実という理論の点では、彼の考えは非常に先見的で今の時代に対しても大きく通じる部分があると感じています? 残念ながら彼は精神を病み、最後には廃人となって潰れてしまいました? しかし演劇はいいものです? このサイトの住人を集めて、学芸会を行いませんか? 今時、表現の手法に縛られるなんて時代遅れだと思います? 冒頭は20人の男女によって行われる大乱交から始めます? ちょっと楽しみになってきませんか? 鎮痛剤ということで阿片も少し? (骨折した青色の羽音)

2021-05-23

現代的な中原中也的な雰囲気を感じました。 もしくはもっと遡ってアルチューのランボーかもしれません。 掲示板の一覧から、冒頭だけを読んで、ページを開かせたので、力のある作品だとは思います。 こんな感想、無味乾燥? (Book Smmaries)

2021-05-23

サディスム?フェチズム?シュルレアリスム? タイトルだけが一番よくて、あとは読む価値があまりない? 手術台の上のミシンとこうもり傘の出会いの程、美しくなれないのは、まだ表現が視覚的なイメージの次元にとどまっているから? 作者の頭の中の想像の景色を、ただ覚えた言葉で模写しているような? アンダルシアの犬が隣で吠えているのか? バタイユが玄関のベルを鳴らしているのか? (骨折した青色の羽音)

2021-05-23

いいね、肩の力が抜けているような 、も言葉と言葉が響き合うための十分な余白になっていると思う ひらがなの多用も効果的 このコメントを書くために、この作品を5回通り、10分で読んだ 誰かの人生の10分間を自分の作品で侵食する そういうのって興奮する? (とりーとめんと)

2021-05-23

錠剤の余罪とか最近の細菌見たいな箇所が読みを促進しているように思えました。展開が詩の疾走でしょうか、滑らかさの中にも意味の蟠りが有るように思えました。 詩情を表現するための散文みたいな頭賢い作品は読むの疲れちゃったからせめて。自分の作品くらいはただの、言葉遊び積み木とか楽器みたいに言葉を打ち鳴らして。 (新しいテキスト ドキュメント.txt)

2021-05-23

読ませていただきました。 お読みいただきありがと。 意味は掴めなかったのですが、語感がよくて、声に出すと楽しかったです。 意味よりも感覚で語感もそう、言葉と言葉が、生み出す波紋とか肌触りも。 (新しいテキスト ドキュメント.txt)

2021-05-23