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Honesty
軒下の木の枝 私はそこで行き止まった 愛にあふれた人々が私に言葉を投げた 心にあふれる思いを端正に秘めたままで 不可思議なるはこの世 季節は巡る 凝縮された時間は 日々に時の真実に迫って行く 犬が吠えたような気がした 頭の中で数を数える 裏切ったものにまた出会う その時太陽がより強く輝く I don't tell a lie, I have to be honest 最後の魂は甘い、海岸沿いに浸して 私に多くの正直な思いを届けて男の子達、女の子達 涙の向こうに霞む国、階段を昇って 車に乗ったらどこまでも、雨のようなライスシャワー 一粒一粒に詰まった命を道路の真ん中で広げて 沈黙の中に聞いた響きを疑わずに答えとしよう 半分に割った蜂の巣 誰も忘れ去ることのない沢山の思い出よ
Honesty ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1164.4
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2023-08-22
コメント日時 2023-09-09
項目 | 全期間(2024/12/10現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
正直に生きて死のう、そんな気持ちが、詩の歌声と共に聴こえた気がしました。
1正直さが憧れなのです。僕の願いは、自分が胸を張れることです。湖湖さんも、他の方々も、みんな正直に見えるのです。身に受けた業である偽善に苛まれ続けています。頼れるものといえば、自分自身と法しかなく、自分は正直でなければ頼れないでしょう。今日はB型作業所へ仕事に行ってきました。そういえば、ずっと歌声ばかり集めてきました。僕は、お釈迦様が言ったような最低の人間かも知れません。それがショックです。せめて詩を読んだり、書くことに対しては正直でありたいです。思想、意志、感情を伝えるために言葉があり、それらに対して、一定の知見を持っているか、それらの存在に留意しなければ、言葉は無意味になってしまうように思われます。言葉だけで何かを生むならば、それは体験の分かち合いとなるでしょう。他人の靴を履いてみて、その状態でその人の世界を追体験するのですね(村上春樹が言っていました)。歩くこと。そんな個人主義が心地良いものです。一方で、上に述べたように、他人の思想、意志、感情へ注意を持って向かい合わなければ誠実にはなれないでしょう。真に恐れるべきは、自分の中の自分の意見に気づかない自分です。
1こんにちは。 結婚式で祝辞の代わりに詠まれる詩のようですね。 個人的な好みのせいなのか、それとも題材がHonestyのためなのか、今回の詩は今までのもののような深みをあまり感じませんでした。 Billy Joelの゙Honesty゙をはじめ、同様の題材の詞や詩が数多あるからかもしれません。 ただ、後半の 「一粒一粒に詰まった命を道路の真ん中で広げて 沈黙の中に聞いた響きを疑わずに答えとしよう」 というところは、誰も気に留めないようなものの中にも命を感じて、何かの答えを観るというような点が良いと感じました。 ところで、「半分に割った蜂の巣」とは何の表象でしょうか。調べてもわかりませんでした。お教えいただければ幸いです。
1Honesty 。ビリージョエルのHonesty のテイストなのかな、とSpotifyで聞いてみたのですけれど ちょっと、違って、まあ違うのは当たり前なのですけれど ボブ・ディランの Knockin' on heaven's doorがそのあと、再生されまして やっぱりある種のクリスチャンのテイストはあると思うんです。 その、詩として、どこかへ誘われてゆく感覚があると思うんです。 そうして、実際、どこかへ着いた、連れてってもらったっていうと違くて その、中間地点、まあ悪い言葉なのかも知れないですけれど、中途の 決意表明のような詩だと感じました。 読後感はそんな印象で どこかへ誘われる、しかしまだ到着していない まるで、長いドライブの途中で書かれたような詩でして 私は好みでした。
1ニーチェの『この人を見よ』は読んだことがないので、読んでみようと思います。特殊な人間というのはこの世に存在しないらしいので、特別な人間であろうとすることがあまりいいことでないというのもわかります。村上春樹は立派な作家だと思っていますが……まあクセはありますね。精神的に大人である室町礼さんのおっしゃることなので、耳は痛いですが、無駄にならないよう心を傾けてやっていきたいと思います。井上陽水の曲をご紹介いただきありがとうございます。爽やかでいい曲ですね。
0今回の詩は深みがなかったですか、残念です。湖湖さんへの返信で書いた通り、感情、意志を伝えるために言葉を使うというようなことを辞書で知ったので、それに留意して詩を書いていきたいと思っています、今は。それで、「一粒一粒に〜答えとしよう」のところがいいと言っていただけてよかったと思います。全体的に、作り物めいた感が見えたような詩になってしまったかもしれません。僕の力がないからでしょう。「半分に割った蜂の巣」というのは、イメージ的に面白いと思ったので使いました。祖父が養蜂家だったので、馴染みが深かったのです。m.tasakiさんの批評は冷静で客観的な視点から書いておられるように思えて、参考になります。ありがとうございます。
0何処かへ誘われていく感覚、ですか。田中恭平さんの独自の視点の言葉ですね。なんとなく、新しい感じを受けました。中途であって、たどり着いてはいないでしょうか。まだまだなんでしょうね。ドライブの途中、そんなところなのかな、好みであると言っていただいて、嬉しかったです。
1すみませんが、再レスをさせてください。 馬耳東風ではない、と思っていますよ。僕が知識階級に入ってしまったというのは、どういうところから判断されたのでしょうか。よろしければ、お答えいただきたいです。
0>最後の魂は甘い このフレーズに痺れました。 それが「honest」一連を明確に言い表せているかは別として、言語に魂を見出する思想性を短いながら表していて、個人的に好感を持ちました >海岸沿いに浸して という(言葉のもつ参照性に依存しすぎているような)少し残念な表現も散見しますが、少し懐かしい韻律感を持った作品として、個人的には嫌いではない作品と思いました。 音感が優れていると思いますので、ソネット(韻を踏まなくても)なんかも黒髪さんの文体で読んでみたいと思いました。
1「言語に魂を見出する」というところまで、考えて書いていたわけではなかったので、 片々さんの論を読んで、なるほど、と思いました。 「最後の魂は甘い、海岸沿いに浸して」 という言葉は、前行の英語の詩句を受けてのものでした。韻を踏んでいます。 突然の韻の踏みかたなので、わからないかもしれませんが……。この作品は、もともとは、 ラップのように作っていました。 参照性に依存するというのは、言葉の意味に必然性がないという意味かと思いました。 確かに、僕は言葉を、並べる感じで詩を作ってしまいます。そこには、感情などに 従った一貫性、必然性が欠けていると思います。 おっしゃる通り、韻律感を貫いて作品を作っていきました。 嫌いでないといっていただけて良かったです。ソネットも作ってみたいです。美しいものや、 面白いものを作ってみたいですね。文体が、ソネットでは重要になるんですね。 楽しそうです。
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