作品投稿掲示板 - B-REVIEW

m.tasaki


投稿作品数: 29
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地球儀

2023-03-04

籠絡の矢

2021-07-11

ある夢想

2021-07-03

腹いっぱい

2021-01-02

セグロカモメ

2020-11-21

無声の痛み

2020-10-28

平らな否定

2020-10-26

広告と猫

2017-12-16

Bの鉛筆

2017-12-02

逆さの象

2017-11-12

裸の水

2017-11-05

霧雨

2017-10-28

水柱の重さに

2017-10-21

視点

2017-09-12

暗夜の白花

2017-09-05

秋の花色

2017-08-14

2017-08-05

十三階段

2017-07-16

タイルの目地

2017-07-08

松明を掲げよ

2017-06-18

はじめまして。 タイトルの「孤独」という言葉に惹かれました。 詩を書く者には孤独は常に付いて回って、手放したくても離れないものなのかもしれません。 この詩はあるひとつのテーマについて、それに付随する様々な思いや考えを列挙するタイプのものですね。 自分の喜びや苦しみを他人に理解されなくて、腹が立ったり落ち込んだりすることはよくあると思います。そんなとき「お前は他人のことをどれだけ理解しているのか」と自分自身に問いかければ、人と人とはわかり合えなくて当然なのだと、少し気が楽になります。 末尾の「ただ分かち合えばいい」。 全くそのとおりですね。見方を変えればそれは同床異夢ということでもありますが、所詮人間関係とはそんなものなのでしょう。 とても共感できる詩です。  ! これも私の思い込み? (孤独)

2 時間前

はじめまして。 前作の「春に無礼」の一年ぶりの続きですね。前作を知らないと、なかなかわからない詩だと思います。 前作を含めた個人的な感想を申し上げますと、人間の恣意的な価値観が根底にあるように感じられます。 公園も春もカラスもそれぞれ、そのもの自体には良いも悪いもない価値中立的な、特定の場所、特定の時期、鳥類の一種であるのに、人間はそれらに、人が憩うための所という機能を持たせたり、うららかで爽やかな時とみなしたり、迷惑で害をなすものと決めつけたりしています。 その根底には、特定の言葉に対して、あるものには肯定的な、またあるものには否定的な価値づけを半ば無意識に行っているからだと思います。 それら言葉への価値づけと現実との間に齟齬が生じたとき、強い違和感を感じるのでしょう。 この詩の末尾の「公園はみんなのものだよ」や、前作の「春だというのに」という文がその違和感を表しているように感じました。 日常生活の中でそのような違和感を感じたら、それを流してしまわずに心に留めておくと、面白い詩が書けるのかもしれませんね。 (酸っぱい春)

2023-03-29

はじめまして。 一読して、よくまとまっている作品だと感じました。 目を背けたくなる現実が厳としてあり、怒りの声をあげたくなるような理不尽がまかり通り、自分達と異質な人達を嫌悪し排除しようとする状況がある。 そんな世界の中にも、息を飲むような、全身に鳥肌がたつような、時間が止まってしまったかのような、言葉が追いつかないほどの美しさを見いだすことがある。 そういったことを「境界線」をキーワードとして、美しく表現しています。 ただ、この長さで全て一行おきに書かれていると、正直なところやや読みにくいです。もう少しまとめた方がよりよくなると思います。 また、些細なことですが、「ビッグバンのように静かに眠っている」というところですが、ビッグバンは爆発的な膨張のことですので、ここは「ビッグバンを控えて静かに眠っている」とか「ビッグバンを待つかのように静かに眠っている」みたいな書き方をしたほうがいいかと思いました。 でも最後の方の「きっと誰もが境界線を前に戸惑いながら生きている」「今日もどうにかこの宇宙との均衡を保っている」というところは共感できる美しい表現で、印象に残ります。 (border )

2023-03-27

こんにちは。 まさしくタイトル通りの言葉遊びですね。 このようなものを意識下の自動筆記というのでしょうか。 様々な言葉が次々と紡ぎ出されてきますが、古川日出夫、森村誠一、宮沢賢治の作品が比較的強く作者の心に残っているような感じがします。 また、「電験三種の勉強をするさ、1000時間の勉強をするさ」という記述からは実生活が垣間見られます。 そして、「僕らは触れあわない」「とおい」という言葉が何度か出てきた後、「人間関係のバランスは崩れ、それは詩を書いていることに起因しないでと祈りながら夜も眠れないなんて」と書かれているところは、本人の悩みの深さを窺わせます。 プロの心理プロファイラーが読んだら、詳細な人物像が描き出されそうな、そんなふうに思える詩ですね。 (言語で遊ぶ)

2023-03-26

はじめまして。 音楽室での淡い思い出をうたった詩ですね。 優しく教えてくれた人とは先生でしょうか、先輩それとも同級生でしょうか。 「狭い楽譜の中」や「冬に凍えそうな冷たい鍵盤」という表現が、作者の切なさをより鮮明に伝えてくれます。 連符が鼓動の重なるというところもいいと思います。でも、私は楽譜が読めず、またそのような読み手も少なくはないでしょうから、連符と鼓動の間に何かうまい比喩を挟めば、より心情が伝わりやすくなると思います。 最後に些細なことですが、末尾の「1小節目」は、縦書きにするのであれば、漢数字を使った方がいいかもしれません。 でも、思い出の情景がまざまざと浮かび上がってくるような、いい詩だと思います。 (白と黒)

2023-03-25

こんにちは。 この詩を読んで頭に浮かんだのは「大きな物語の終焉」という言葉です。 現代は大きな物語が終焉して、数多の小さな物語が並立している状況だと聞いたことがありますが、この詩の2連目ではその状況を批判的に捉えているように思えます。 しかし、その後の展開を見てみると、現在の小さな物語の並立を必ずしも肯定してはいないようにも受け取れます。 そして、4連目から頭に浮かんだのは、フッサールの現象学です。 この連の中の 「汚れた器官で見る世界  自己崩壊しよう  心は知り得ないんだ」 「悪魔は存在しないと哲学者が証明した  本の中に閉じられた世界が  現実を超えてあり続ける」 というところは、それぞれの小さな物語は客観的に存在しているものではない、あくまで主観的な認識であって、絶対的なものではない、ということを言っているような感じがしました。 でも、この詩で表そうとしていることはそうではないような、あるいはそれだけではないような気もします。 なかなか難しいですが、迫力のある詩だと思います。 (ONE)

2023-03-25

はじめまして。 実際に津波の被害にあわれた方でしょうか。 心の裡にある様々なものをうまく言葉に表せずに、強いもどかしさを感じているかのような印象を受けます。 どうしようもない理不尽さに、未来への希望が見出だせない、そんな重たさをテトラポットか象徴している、そんな気がします。 (音もないっ!)

2023-03-25

はじめまして。 この詩はイエローカードを発行されたことを書いたのでしょうか、それとも全く別のことを書いたのでしょうか。 無粋なことをお訊きしてすみません。 特に批判も同情もするつもりはないのですが、この詩が短いながらも何か心に響いたのでコメントさせていただきました。 (詩人)

2023-03-24

はじめまして。 自分自身をシニカルに捉えた、物語風の詩ですね。 「シロアリ以下の価値しか与えられていない」や「体のほうが汚れているんですよ」というところは自己肯定感の低さを表し、「僕はテンションが上がって踊ることにしました」や「電車が通るとブオンと風が吹いてうれしくなります」というところは実感できる自由への憧れを表しているのかな、というふうに受けとりました。 そして、「外が呼んでいた」や「死ぬことを知らずずっとこの路線を走り続けていく」というところからも、現在の閉塞感から逃れたがっているような印象を受けます。 一方、末尾の「荷物持ちとしての価値は手に入れられないままでした」という一文に、世間的な価値観で認められることへの、羨望と嫌悪が入り雑じった複雑な想いを感じました。 何とも言えぬ侘しさを感じさせる詩ですね。 (鉄鉄〇〇 ゴツトガタト→天国×∞?)

2023-03-22

はじめまして。 次々と繰り出される刺激的な言葉とは裏腹に、全体としては寂しさが表されたような詩ですね。(実際、寂しそうなうた、というフレーズも使われていますが・・・) 本能的な欲望は厳として在るのに、そこから生きる意味や生きる力を紡ぎ出せないでいる。「単純な答えはもう選べない」というフレーズが、世間に溢れている既製の言葉はもう力を持ち得ないことを表しているようで、そこに何か焦燥感のようなものも感じます。 最後の方に出てくる「異物のような地球に裸足の2人」というフレーズを読んで、はじめから祝福されない存在、居場所の与えられていない存在、裏返しになったアダムとイブのような印象を受けました。 (ぴう!)

2023-03-21

こんにちは。 このような詩を散文詩というのでしょうか。 いきなりトンチンカンなコメントですみません。 この詩を読んだ率直な感想を申しますと、何かとてつもなく巨大なタンクに水が満杯に入っていて、そのタンクの底の方にコックがあって、ふとした拍子に耳に入った誰かの舌打ちがそのコックをひねってしまって、巨大なタンクの中の「思考」という名の水が際限なく流れ落ち続けているような、あるいは、何かとてつもなく高い位置、例えば静止軌道上の人工衛星とか、それほど高い処に、何百kmにもおよぶ長い長いケーブルがとぐろを巻いた状態で収納されていて、たまたま耳にした誰かの舌打ちがそのケーブルを引っかけてしまい、「思考」という名のケーブルが自分の重さで際限なく地上に向かって落下し続けているような、そんな感じのイメージが湧きました。 詩の内容そのものに全然触れていなくてすみません。 一つだけ触れさせていただくとしたら、複数の依存先に自分を分割配置するというところは、確かに難しいでしょうが、己自身を防衛するための何かとても大切なことを含んでいるような気がしました。 おかしなコメントですみません。 (精緻化する舌打ちを)

2023-03-20

はじめまして。 戦争映画がお好きなようですね。 あのような極限状況では人間の本性が出て、人生観が変わるからでしょうか。 詩や文章を書くことへの切実な悩みや苦悩といったことを感じさせます。 中程に出てくる「クソったれ司令官のクソったれ命令」とは、体力の限界や睡魔のことでしょうか。面白い表現です。 全体的に何か悲壮感すら漂う詩ですが、最後の、 「あゝまただ。あゝまただ。  そしてまた一日が始まっていくのだ。」 というところに一条の光が射しているように感じます。自分はこれでいいのだと思ってしまったら、その人はそこで止まってしまいますから。 その前にある、 「完全に締め切ったカーテンの隙間からは透明な光が覗いている。」 という一文が、その光のことを表しているかのようです。 (詰み)

2023-03-20

はじめまして。 独特の雰囲気を持った詩ですね。 冒頭の弱者がさらに弱いものを殴りつけるとは、SNSでの誹謗中傷やヘイトスピーチなどのことでしょうか。 社会的立場の弱い人達のことが見えない、あるいは見ようとしない者や、口先だけの綺麗事を並べて実際に行動をとらない者への批判と受けとりました。 最終連の「わかたかかげ」とは力士の名前でしょうか。 それに気をとられて、その後かんでしまったアナウンサーの、人間くささに好感を持ったのでしょう。 でも何となく、その最終連だけが浮いてしまっているような感じがします。 それもアクセントを加えるという、計算のうちでしょうか。 全体のテンポの良さから、詩を書き慣れている印象を受けました。 (だきしめたい)

2023-03-19

敢えて多義的に捉えてもらうように書くのも一つの手法であって、勝手な書き方だとは思いません。 むしろ詩とは、多少の差はあれ多義的なものだとも捉えています。 ですから、ことさら反省する必要はないでしょう。 (ディストピアにあっても)

2023-03-19

こんにちは。 何ともいえず寂しく切ない感じのする詩ですね。 詩人になった人は曲がりくねった道を歩き、行き止まりの多い住みにくい町に住んでいて、行き止まりに突き当たったらどうするかは、人それぞれ。 何となくわかるような気がします。 最初の連の風と最終連の風とは、同じ風でしょうか。冷たい世間の風、詩を書くだけでは食べてゆけない厳しい現実の風、だから、桶屋のような副業をしなければ都合のよい風は吹いてこない。そんなふうに受けとりました。 6連目の「行政の行き届かない」という語句は、全体の雰囲気にそぐわないような気がしましたが、行政の不備を詩に書く人もいるので、それもアリかなとも思いました。 詩人は詩人になったから曲がりくねった道を歩くのでしょうか、それとも、曲がりくねった道を歩かざるを得なかったから詩人になったのでしょうか。 この詩を読んでそんなことを考えました。 (詩人の町)

2023-03-18

こんにちは。 牛の輝き、宝石の様な目。それらの言葉から、この詩の牛とは、聖なる愚者の表象であるような印象を受けました。 そこかしこに聞こえてくる危機と悲劇とは、牛にとってのものでしょうか、我々にとってのものでしょうか。それとも、その両方でしょうか。例えばハンバーガー・コネクションのような。 昨日も明日もないお前たち、という表現から、いま・ここのみを生きようとする禅の姿勢や、明日のことを思い煩うなというイエスの言葉を思い出しました。 そして、我々自身を省みる最終連を、他の連からやや離れたところに配したのは、とても効果的だと思います。 愚鈍で汚ならしく見える牛の姿は、実は我々の隠れた品性の投影なのかもしれません。 そんなことを感じさせる詩です。 (牛の輝き)

2023-03-18

はじめまして。 「シボレテ」。旧約聖書の士師記に出てくることばなのですね。この詩を読んではじめて知りました。 言葉が民族を区別し虐殺する道具となる。恐ろしいです。 言葉は毒にも薬にもなり得るから、その使用には慎重を要するということは、よく言われることですね。 そんな中にあっても、詩人としての自由を保つことは、なかなか難しいかもしれません。 詩の後半、文字が疾走する馬を象っていますね。これが作者の持つ、言葉への期待のイメージであると同時に、コンクリート・ポエトリーという手法自体が自由への試みの一つである、そんなふうに思いました。 いろいろ考えさせられる詩です。 (詩人なんだから)

2023-03-18

はじめまして。 生きることの不安や恐れを描いた詩ですね。 ラナンキュラスの花言葉は、とても魅力的、だそうですが、この詩においてはむしろ、魅力的に生きたいけどその自信がない、あるいは、魅力的に生きることを周りの社会から煽られ、なかば脅迫的にすらなっていることへの恐怖を表しているかのようです。 ちなみに「もたげる」ということばの意味は、持ち上げる、起こすといったことですので、花瓶の中で生き生きと咲いていたラナンキュラスが、翌日に持ち上がっていた、起こされていた、というのは普通では意味が通りません。 ですからここでは、生き生きと咲いていたラナンキュラスとは、不安を隠して空元気を出している様子の暗喩、そして翌日に首をもたげるとは、周囲からそれを煽られ強要されることを表しているとも受け取れます。 だからこそ、その恐怖や不安を理解してくれる他者を求める気持ちと、明るさや魅力的であることを求めてくる他者を恐れる気持ちとが同居しているのでしょう。 なかなか読解の難しい詩だと感じました。 (怖い)

2023-03-17

はじめまして。 タイトルのディストピアと、4連目に出てくる灯台から、オルダス・ハクスリーの「すばらしき新世界」を思い出しました。 冒頭と最後の方にある、 「あなたの本当の報復は   あなたが幸せになること」 というフレーズは他のところでも聞いたことがあります。理不尽な目にあったときの心の持ち方のようなものだったと思いましたが、この詩での報復とは、何への報復なのでしょう。 価値観が多様化し、何が正しいのかわからなくなってしまった社会への、何かアイロニーのようなものを、この詩全体の雰囲気やシュールレアリズム的な表現から感じます。 それが最終連の、 「わたしは願っています   人が同じ    空中世界を夢見ていると」 という詩句に集約されているように思いました。 とても興味深い詩ですね。 (ディストピアにあっても)

2023-03-17

こんにちは。 何かとても繊細なものを感じさせる詩ですね。 この詩全体が纏っている雰囲気は、今という時代のせいでしょうか、それとも作者本人の鋭敏な感覚のためでしょうか。 自分の心がまるで自分のものではないように感じることを、柔らかいものと硬いもの、心と石の対比で表しているのは新鮮です。 音の粒を聞き分けられる、光の粒子が見分けられる、それほど感覚が鋭敏になってもまだ不十分な、満たされぬ想いを満たすもの、それが末尾の 「一つと一つがほどけていって  あたらしい朝になる  永遠の中に終わりは位置している」 に表されているような気がします。 普通に考えれば、始まりも終わりもないのが永遠なのに、それらが永遠の中に位置している。それは概念が沈んでゆき、その束縛から自由になったことを表しているのでしょうか。 鮮烈で秀逸な作品だと思います。 (a heart and a stone)

2023-03-17

コメントをありがとうございます。 これは実際の経験からいろいろ考えて書いたものです。 いわば、前回の投稿「ひどいことをしました」の続きです。 お褒めいただき、たいへん嬉しく思います。 お読みいただきありがとうございました。 (永逝のみぎわに立つあなたへ)

2023-03-17

はじめまして。 短いですが、とても強く印象に残る詩ですね。 端的に、あるいは感覚的に言えば「腑に落ちる」といったところです。 自分の感情を文字にして書くことは、一種のカタルシスになるそうですが、この詩から言えば「カタルシス」というより「デトックス」ですね。 詩を書くということの苦しさ、そこに至るまでの辛さがまさしく滲み出ているかのようです。 そういう意味で、タイトルの「紙の滲み」は、本編と非常にうまく呼応しています。 正直言って「してやられた」という感じです。 短いながらもここまで迫力のある詩が書ける才能が羨ましいです。 (紙の滲み)

2023-03-16

こんにちは。 タイトルの水仙は、ナルキッソスの成れの果てですね。神話によると自己愛とは罰なのですね。 でも、自己愛は多少の差はあれ、たいていの人が持っています。 そんな自己愛が罰ならば、その罰をもたらした、人が皆背負っている罪とは何なのでしょう。 さて、この詩を拝読したところの率直な感想を申しますと、全体として誰かに愛されたというよりは、誰かを愛して尽くした記憶を語っているように感じます。 そして、最後のほうで罪や息も絶え絶えな様子が描かれているのは、罰の結末としての水仙と何が関連があるような気がします。 そう考えると、冒頭と末尾で「愛されたこと」と述べながら、敢えてその間の本編を誰かを愛して尽くした記憶のように書いているのかもしれない、とも思いました。 誰かに愛されているということは、その愛されている自分を愛していることでもある、ということでしょうか。 (的外れなコメントかもしれませんね) いろいろな解釈ができそうな詩だと思います。 (水仙)

2023-03-16

コメントをありがとうございます。 他人を安易に批判すると、結局自分に返ってくるものですね。 人にはそれぞれ事情があるのに、それへの想像力が不足していると、こういうことになるのだと思いました。 詩を書いていながら、想像力が欠如していたとは、何ともお恥ずかしいかぎりです。 (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-16

こんにちは。 以前おすすめされた詩を、書いてみした。(あまりいい出来ではありませんが・・・) (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-15

はじめまして。 何となくわかるような気がします。 私も若い頃は、レイトショーではありませんでしたが、ミニシアターにチェコやポーランドの映画を観に行きました。 優越感に浸りたいという思いは誰にでもあるとは思いますが、特に若者にはその傾向が強いのでしょう。根拠のない、あるいは根拠の薄い優越感ですね。私にもありました。 3連目にある、名を忘れた橋とは、今と過去とを繋ぐ橋でしょうか。何か幻想的な印象を受けます。 また、5連目の、 「奴らの親の世代は太陽ではなかった  奴らを明るく照らすことができなかった」 とは、世代間格差あるいは前の世代の無責任さを表したものでしょうか。 そして、その次の連の、 「あなたの世代の地層も見える  他の層よりひときわ暗く静かな断面」 この地層の暗さ故に、今、詩を書いている。そんな気もします。 末尾で優越感を感じたいと明言しているところは、何かやるせない、もの哀しさを感じます。 (レイトショー)

2023-03-15

はじめまして。 この論考にあります、詩のマルチミーニング、多義性に興味を持っております。 詩の作者は何かしらその背景を持っています。しかし、多くの場合読者はその背景を知ることはありません。そこで読者はあるところまでそれを推測し、そこからは自分の背景とともに読んでゆく、そこに多義性が生まれます。落ちていたナイフへの見方が人それぞれであるように。 そしてその詩がよいものであるほど多くの人々に読まれ、多義性はより大きくなります。 ただ、落ちていたナイフは交番に届けるのが正解なのでしょうが、詩の解釈は、たとえそれが幻惑や陶酔であったとしても、ひとつのものが正解でその他のものは全て不正解、ということではないように思います。 大切なのは、書かれた詩と読み手との間にたちあがる、アウラのようなものであるような気がします。 何が言いたいかというと、詩の解釈は静的なものではなく動的なもので、多様化し得るものだ、ということです。 ですから、自分の詩に送られたコメントが、自分の考えていたものと違っても、そこにアウラのようなものを感じられたなら、あえて訂正することはなのかもしれないと思いました。 長々とつまらないことを書いてすみません。 いろいろと考えさせられる論考です。 (詩と表現)

2023-03-15

コメントをありがとうございます。 紛らわしく思わせてしまい申し訳ありませんでした。 これはネタではなく事実です。 私のマイページのコメント欄を遡っていただければ確認できます。(恥ずかしいのであまり読まれたくはないのですが) 以前フォーラム欄に、荒らし行為が相次いだので今後フォーラムは管理者からの連絡のみとし、フォーラムに載せたいことがあったら自分の投稿枠を使って掲示板に投稿してください、ということが書かれていましたので、このような投稿をしました。 おそらくは、その際の表題のルールを明確に決める必要があるかもしれません。 「批判内容は厳しくても真摯にコメントしたのであれば後悔したらその人には失礼かもしれませんね。」 確かにそうかもしれませんね。ただ、文体や口調には今後気をつけようと思います。 (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-09

ご指摘ありがとうございました。 ほっとしました。 (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-08

コメントをありがとうございます。 「言葉なんて  どんな扱いをしても  暴力だと  思っている」 「そんなに言い訳をして  見苦しいと思わないのか?」 耳が痛いです。 胸も痛いです。 (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-08

コメントをありがとうございます。 全く落ち度はないと仰っていただき、たいへん嬉しく思います。 模範的とも仰っていただいて、恐縮しております。 でも今はまだ、どうしたら書き手の心情をもっとうまく汲み取れるか、ということをよくよく考えてみようと思っています。 また、間が悪いなんてことはありません。 ありがたくコメントを読ませていただきました。 (宛先を間違えてしまい、返信がダブってしまいました。申し訳ありません。) (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-08

コメントをありがとうございます。 全く落ち度はないと仰っていただき、たいへん嬉しく思います。 模範的とも仰っていただいて、恐縮しております。 でも今はまだ、どうしたら書き手の心情をもっとうまく汲み取れるか、ということをよくよく考えてみようと思っています。 また、間が悪いなんてことはありません。 ありがたくコメントを読ませていただきました。 (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-08

コメントをありがとうございます。 つつみさんのコメントへの返信については、正直なところ少々悩みました。 私が批判した詩には、その方の置かれている状況や背景が込められていました。 でも、あのときの私は表現方法や技巧的な点ばかりに目がいって、込められていた背景を読みとれていませんでした。 私のコメントへの返信を見てはじめて、「ああ、そういうことだったのか」と気づいた始末です。 今回のことを通して、私は自分に、他人の詩にコメントしたり評したりするに足るだけの力量があるのか、その資格があるのか、もう一度己を見つめ直す必要性を感じました。 以前、私のコメントを面白いと仰っていただいて、とても嬉しかったので、つつみさんにはたいへん申し訳ないのですが、投稿された詩にコメントするのはしばらくの間控えさせていただこうと思っています。 本当に詩を読むということは、詩を書くことよりもずっと難しいことなのかもしれません。 (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-08

コメントをありがとうございます。 「公約数的な敬意」という言葉には考えさせられます。 少なくともそのような敬意を保つためには、偏った思い込みを廃するような思慮深さが必要になると思います。 常に己の心を点検していなければならない、そんな厳しさを伴うもののように感じます。 (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-08

コメントをありがとうございます。 「自身の批評(或は作品)が誰かの頸を締める可能性への覚悟は、常に意識せねばならない」 肝に銘じておこうと思います。 他人の作品を評することの重さを、改めて感じております。 (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-08

コメントをありがとうございます。 「能力の部分も詩作では大切なのも事実なのでそこも無視はできませんがそこを重心にすると辛口や毒舌になりがちなので気を付けます。」 まさに仰るとおりですね。 そのような湖湖さんのご意見を、もっと早くから知っておきたかったです。 (後悔先に立たずですが・・・) (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-08

ご返信ありがとうございます。 今はまだ気分が落ち込んでいるので無理ですが、いずれ考えてみます。 (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-08

たいへん失礼致しました。 私の思慮不足でした。 事情も知らず、勝手なことを書き連ねて申し訳ございませんでした。 (僕だけがいなくなるんだ)

2023-03-07

はじめまして。 まず一読して、たいへん読みやすい詩だと感じました。 様々な実績のある方にこんなことを申し上げるのも失礼かもしれませんが、ビーレビのコンセプトを勘案して、あえて申し上げさせていただきます。 この詩に限って言えば、表現の工夫がやや少なすぎます。 また、詩全体のリズムが一本調子で単調です。 表現の巧みさや詩全体からにじみ出る迫力といったものが、私が今まで読んで美しいと感じた詩(ビーレビ投稿作品も含め)に比べて、明らかに低いです。 また、ご自分の名前の欄に著書の宣伝を入れるのはどうかと思います。 プロフィールの欄に一位になったことや賞をとったことを書くのは、悪いことでもおかしいことでもありませんが、少々露骨すぎる感じもします。 自己PRの文句を考える暇があったら、詩句の表現を考えたほうがいいと思います。 いろいろキツいことを書いて申し訳ありません。 自分はこれでいいと思ったら、その時点でその人は止まってしまいます。 たとえポテンシャルを持ってたとしても、それを発揮できぬまま終わってしまいます。 そう思ってこのようなことを書かせていただきました。 初心者と思われる方には、こんなことは決して言いません。 (僕だけがいなくなるんだ)

2023-03-07

はじめまして。 切ない詩ですね。 他人を笑わせる道化師の哀しみのようなものを感じます。 ただ少し気になったのですが、全体がやや平板な感じがします。 貴方とはどんな人か、貴方を喜ばせる自分の喜び、眼から溢れる涙の複雑さ、そういったことをもっと譬喩を用いて表現してみてはどうでしょうか。 また、改行を用いてリズムをつける、連を区切って一番表現したいことを際立たせる、といった技法を用いるのもいいと思います。 そうすればこの詩の切なさが、より強く、より美しく、読み手の心に染み込んでくると思います。 この詩のテーマはとてもいいと思いますので、表現を工夫しないともったいないと感じました。 (幸せと呼ばせて)

2023-03-07

はじめまして。 この詩では、所謂世俗的な価値観と宗教的な価値観とのギャップあるいは相克を、ユーモラスな口調で表しているのだな、と思いました。 そして最後に、語り手は実は下着泥棒だった、というオチがついています。 それはもしかしたら、下着への偏執的な愛情と、宗教的な聖なるものへの志向とは、大元のところで共通するものを持っている、起源を同じくしている、ということを言おうとしているのではないか、とも思ったのですが、そんな見方は穿ち過ぎというものでしょうか。 面白い詩ですね。 (ちょっと聞いてよ!)

2023-03-06

はじめまして。 悲しみと絶望に満ちた詩ですね。 自分の心が深い絶望に囚われているとき、冬から春への季節の移り変わりは、かえってひどく残酷に感じるものなのかもしれません。 1連目にある、 「強がりの季節は、季節である限り 「時」に敵わない」 という部分からは、悲しみを時が癒してくれる所謂「時薬」や「日にち薬」と呼ばれることの裏返しのような印象を受けました。 薬が使い方によっては毒ともなり得るように、時も状況によっては人を絶望や破滅へと導いてしまうという感じです。 2連目では、「取り返しのつかないことをしてしまった後の朗らかさ」や「破滅は私に優しかった」という、感覚の転換があります。 それらのところに、独特の感性が光っています。 そして、末尾では不穏な雰囲気を纏ったまま終わっているようにも見えますが、タイトルは「啓蟄」。 秘めたる微かな再生への想いが、そこに込められているのかもしれません。 秀逸な作品だと思います。 (啓蟄)

2023-03-06

全く的外れなコメントだったのですね。 お恥ずかしいかぎりです。 申し訳ありませんでした。 (好き詩と好き詩で話したい)

2023-03-06

はじめまして。 己の感性を極限まで研ぎ澄まし、考えに考えぬいて書いた詩が、誰にも読まれない。悔しさと虚しさで全身の力が抜けてしまう。そんな経験を私もしたことがあります。 だからもっと砕けた感じに方向転換するのでしょう。それもわからなくもないのですが、見方によっては、それは妥協あるいは迎合でもあると思います。 この詩の冒頭連以外のような調子で書かれた詩はたくさんあります。いくらでもあります。このような方向に転換しても、数多ある同様な詩の中に埋没してしまう可能性が高いと思います。 一方、冒頭の4行は表現が非常に巧みで見事です。これだけの詩句を書ける才能があるのにもったいないです。 焦らずにもう少し時間をかけて、自分独自のスタイルを練り上げたほうがいいと思います。 (好き詩と好き詩で話したい)

2023-03-06

はじめまして。 初雪の美しさ、暖かさを描いた優しい詩ですね。 私も雪や雨の美しさを詩に書いたことがあります。でもそのとき、豪雪地域に住む人や豪雨被害にあわれた方々が、この詩を読んだらどう思うかが気になりました。 でもそんなことを言っていたら自分の書きたい詩が全く書けなくなるので、そのまま投稿したのですが、やはり胸に小さな棘が刺さったような感覚を覚えました。 あいこんさんがもし、同じような感覚を持っているのならば、それを大切にして、どうか忘れないでおいてください。それが後の詩作にきっと役立ちますから。 また、全篇一行置きに書かれていますが、投稿サイトによっては、このような形式ではダメという所もあります。そして、紙媒体の出版社にこのような原稿を持ち込んでも、詩の内容以前にこの形式というだけで即ボツになるそうです。 ビーレビに投稿する分にはこれでもいいのでしょうが、このような形式ではダメというのが常識となっている世界もある、ということも知っておいたほうがいいと思います。 この詩が表しているような優しい感性が、無駄にならないことを願っています。 (初雪)

2023-03-06

こんにちは。 一見すると仕事上の愚痴のようですが、後半からの発想の転換が面白いです。 こういう方はたまにいらっしゃいますね。 公務員を揶揄する言葉に「休まず遅れず働かず」なんていうものがありますが、それともまた違うようです。 このような方が今まで辞めることも辞めさせられることもなく、怪我をすることもなく何十年も過ごしてこられたということを考えると、確かに宇宙人なんだと思われても不思議ではありません。 最後のほうの、 「ピポピポパ。ピポポクピクピポピ‥‥」 以降は、宇宙人の言葉なのでしょう。 ただ、パ行だけでなくガ行やダ行の字を使ったり、無意味なひらがなの羅列なども、視覚的には面白いかもしれません。 例えば、 「とはねくめほよにえかかかかやらにとめへはへはへほーなななかめめろふしー」 みたいな感じで。 仕事上の苦労を愚痴だけでなく、ユーモラスな詩として書くのは、精神衛生上有益なことでもあるでしょうね。 (俺と仕事。)

2023-03-05

こんにちは。 この詩の主人公は中学生でしょうか、高校生でしょうか。年の瀬とあるので、卒業を間近に控えた、冬の夜の教室でのことでしょう。 「私」がそこでの思い出を語るとき、そこには言葉にならないような、人間関係の相克が厳然とあったようです。 「現実だけは、ここにあった。残酷があるだけだった。」 「この教室だって、血が飛び散ったり、肉が転がったりしていないだけで、いつも通りではない。」 これら二つの表現がそのことを表しています。 「○○君」とは、遠くに転校してしまった人のことでしょうか。 彼が残した「Re」とだけ書かれた便箋。 結局書くことができなかった返信。 そこにもこの教室での、言葉にできない想いが書かれているように受け取れます。 直接的にではなく、行間を読ませるような表現は、巧みですね。 卒業間近の誰もいない教室。そこにあるのは決して永続しないものであって、だからこそ、次へ向かうしかないのでしょう。 厳しく薄汚い現実を透過してもなお残る、微かな切なさのようなものを感じさせる詩ですね。 (Never Everlasting.docx)

2023-03-05

こんにちは。 私が住んでいたアパートでは、外廊下の電灯は不動産会社の管理部の管轄だったので、放っておきました。まあ、これはどうでもいいことですね。 日常生活の何でもないようなことが、淡々と語られています。 同じことを繰り返すニュース。暴走族の残党みたいなのが走る。知らないドラマのシリアスなシーン。 夜更かししすぎると、かえって眠れなくなるものですよね。私も経験あります。 休みの前日(当日か)の、飾らない、等身大の幸せが描かれていて、 「なんだかんだ一番平和な時間帯だったりして?」 という一文がそのことをよく表しています。 何だかほっとするような作品だと感じました。 (TOKYO午前零時)

2023-03-05

コメントをありがとうございます。 黒魔術的という受け取りかたもあるのですね。何か面白いイメージが湧きそうな予感がします。 読んで気持ちのいい詩と言っていただき、たいへん嬉しいです。 ありがとうございました。 (地球儀)

2023-03-04

こんにちは。 一見環境問題についての詩のように見えながら、何か思想的なものを感じさせる詩ですね。 勿論そういう含意もあるのでしょうが、宇宙と地球と糞転がしを冒頭に置いているところから、思想をも感じました。 中盤に出てくるリーダーとは、大国の指導者のようですが、そのすぐ後に拳銃自殺という言葉が出てきたので、もしかしたら神のことなのかなとも思いました。ニーチェが言った「神は死んだ」ということを表しているのかと。 そしてその「神」とはキリスト教の神だけでなく、多神教の神々やアニミズムの精霊などをひっくるめた、何か己を超えたものへの畏敬や畏怖の心。それらがみな自殺してしまった。そんなふうにも読めました。 そして、第4連。ここが、この詩に思想的なものを感じる一番の理由です。 環境問題は己と他者との関係性だけでなく、ごく内面的な己自身との関係からも大きな影響を受けるのではないか。 この連から、そんな印象を受けました。 簡潔ながらも奥深い。 巧みですね。 (同居)

2023-03-04

はじめまして。 別れた相手への、いまだ胸のうちに残る想いが全篇から滲み出てくるような詩ですね。 末尾の「愛に生きてる」と「会いに行きたい」は韻を踏んでいるのでしょうが、その技巧が全面に出すぎて、心情が伝わりにくくなっている感があります。 もっと素直に書いてもいいのではないでしょうか。 でも2連目の 「細い手の温もりが凍傷になって残ってるんだ」 というところは、冷たさと痛みがうまく簡潔に表現されていて、いいなと感じました。 このような表現をもっと増やして、詩句のリズムにもう少し変化を持たせれば、もっと印象深い詩になると思います。 (愛に)

2023-03-03

はじめまして。 白衣の裾が濡れていたのは、実際にあったことなのでしょう。 この詩全体から見て、その裾を濡らすものとは、母親の涙の隠喩であり、我が子への母の想い、あるいは気高さの象徴であるように読めます。 最後の方で出てきた幼い頃の記憶は、小児科医という職業を選んだことの原点でしょうか。 それに加えて学生時代の思い出も詩の形で表しているのは、日常の業務で忘れがちな初心を心に留めておくため、というのは深読みしすぎかもしれませんね。 あるいは理由もなくよく濡れる白衣の裾は、作者本人の涙の象徴なのかもしれないと、ふと、思いました。 母親の高潔さを観るたびに流れる、目に見えぬ涙。 それが、小児医療という激務の中で、作者を突き動かしているのではないか、というのもやはり、深読みのしすぎなのでしょう。 とても読みやすい文体の詩です。 無理に難解にしていないところがいいと思いました。 (白衣の裾)

2023-03-03

コメントをありがとうございます。 詩の言葉を入れ換えて読む、 ということは思いつきませんでした。 これは面白いですね。 やはりコメントのやりとりをすると、 新たな発見があり有益です。 (コメントみない?)

2023-03-03

コメントをありがとうございます。 仰る通りですね。 今回の投稿は、フォーラム的な意味合いもありましたので、技巧的なことはあまり考慮せずに書きました。 ですから、このような評をいただいてもやむを得ません。 (できましたら返信についてのご意見をお聞きしたかったのですが・・・ まあ、そうであればこんな形式で書くべきではありませんでしたね。) (コメントみない?)

2023-03-03

コメントをありがとうございます。 お褒めのお言葉をいただき嬉しく、また、恐縮しております。 以前B-REVIEW に投稿していたときは、コメントがややおざなりになっていましたので(勿論いただいたコメントには返信していました)、もう少し丁寧にコメントしたほうがいいいかなと思い、書いています。 コメントを読んでいただき、ありがとうございます。 (コメントみない?)

2023-03-03

はじめまして。 一種の厳しさと淋しさ、そして冷徹さを感じさせる詩ですね。 偶像は永遠であるからこそ偶像であって、 そこには有限である現実の入り込む余地はない。線の外に出ることは偶像への反逆であると同時に、偶像を求めた己自身への反逆でもあると、そのようにも読めます。 だからこそ、 「現実を受け入れてほしい欲求があるならば  どうか夢からは降りてくれ」 ということなのでしょう。 末尾の「あなたの夢は私のものだったよ」とは、「わたし」という永遠なる偶像は、「あなた」の夢により彫り上げられたものだった、ということでしょうか。 切れ味の鋭い刃物を思わせるような詩だと感じました。 (偶像になる)

2023-03-03

コメントをありがとうございます。 この投稿を詩と受け取っていただき、ありがとうございます。 真摯かつ素朴と評していただき、嬉しく思います。 自分としてはこれを、詩としての面とフォーラム的な面との両方を持つものとして投稿しました。どちらに受け取っていただいてもかまいません。 様々な人の意見を聞けてよかったです。 (コメントみない?)

2023-03-03

コメントをありがとうございます。 やなせたかし氏から詩の批評を受けたとのことで、正直なところ「すごい!、羨ましい」と思ったのですが、その内容が全然見当違いだったというのは、何だか微妙ですね。 そういうときの返信は、やはりとても難しくて困ることでしょう。 ただ私としては、コメントがその人にとって有益だったかどうかということも気になりますので、解釈が違うときは違うと言ってもらえたほうがいいです。 異なる感性が接するところに、新たなものが生まれる可能性があるかもしれませんから。 (コメントみない?)

2023-03-02

こんにちは。 タイトルにある孔球とは、ゴルフのことですね。 ゴルフの起源にはいくつか説があるそうですが、そのうち有力なものが、スコットランドとのこと。 ローマ帝国やイングラントの侵略を受けた土地。そしてアザミはその棘により国土を守ったとされ、スコットランドの国花となっています。「岩を割って咲くアザミの花」とはそのことですね。 北方の辛く厳しい生活のなかで、その競技を「ゲーム」と呼んだことと、生きる苦しさの中から詩を紡ぎだすこととは、どこか通ずるものがあるのかもしれません。 ただその美しさを表現するのに、末尾の「自分の生が如何に恵まれているかということは決して忘れずにいたい」という部分は言わずもがなで、少し教訓的すぎる気がします。 ゴルフやスコットランドという名を出さずに、和名やメタファーで表しているので、そこだけやや直接的に感じてしまうのです。 でも、何か強く惹き付けられる詩だと思います。 (孔球を讃えて)

2023-03-02

こんにちは。 馬が塵になって風に舞うとは、競馬のことで、ジンジャーエールは神社の駄洒落。 そんなふうに思ったのですが、その後が正直なところよくわかりません。 ここは、シュールレアリズムの流れを汲む作品だと思って、ただただ言葉を味わえばいいのでしょうか。 なかなか難しいです。 余談ですが、今、「ただただ」と書いて、ダダイズムの、「ダダは何をも意味しない」という言葉を思い出しました。 (神社)

2023-03-02

こんにちは。 現代詩は本当に難しいですね。 読んでいても意味がさっぱり解らないものが、沢山あります。 この詩はその本音のところを、見事に表していると思います。 でも現代詩が本当に嫌いだったら、このような詩を書くこともないでしょう タイトルに「羨望」という言葉が入ってることを見ても、仲良くやれないと言いながらも本当は、現代詩が好きなのですね。 その理由が「ぎらッ」とした何かなのでしょう。 現代詩は語意よりも語感に重きを置いて読むものだ、という話を聞いたことがあります。 ですから私も語感により注意して読もうとしましたが、それでもやはり、現代詩はなかなか難しいです。 (頭痛の種、あるいは羨望)

2023-03-01

はじめまして。 哀しげな美しさを持つ作品ですね。 冒頭のさくらと薔薇とは、同じバラ科の花ですが、対照的とも言えるほど異なった印象の花です。 二人の関係性の隠喩でしょうか。 夢やぶれながらもなお、都会の片隅で惰性で生きてゆかなければならない哀しさが、 この詩から滲み出ているかのようです。 「わたしの花弁は孔雀青」 「あなたが咲かせた青い月」 これらはかつて見ていた夢の残照でしょうか。 末尾の、 「決して適わず紫光に燃える」 とともに、美しい表現だと感じました。 「蘂」や「生生世世」など難しい字や言葉を用いてるところを観ると、かなり勉強されているようですね。 比較的短い詩ですが、とても美しい作品だと思います。 (初桜)

2023-03-01

こんにちは。 どこか寂しそうでありながら、 ほのぼのとした暖かさも感じる詩です。 連と連の間が3行分ほど空いていますが、 そこに言葉にできない想いが、 そっと込められているかのようてす。 細かいことのようですが、2連目2行目の 「お母さんの中のタマゴは孵ることはないんだよ と」 というところは、2行に分けた方がいいかもしれません。 その方が、連と連の間を長くとった効果とのバランスがとれると思います。 とても美しい情景を描いた詩ですね。 (西日)

2023-02-28

ウイットに富んだコメントをありがとうございます。 コメントをもらったら、返答を返さずにはいられない、とのことですが、 投稿される方々が皆、そのような方であれば、コメントするほうも嬉しいのですが、 現実はなかなかそううまくはいかないようです。 (コメントみない?)

2023-02-28

コメントをありがとうございます。 コメントの返信を気にする方がいらっしゃって、少々ほっとしております。 確かに、返信から得られるものはあると思います。 返信をいただければ、考え方や感性の違いがわかって、詩作の幅も広がるかもしれませんね。 ただ、意識的に返信をしない人については、どの人がそうなのか、なかなかはっきりわかりませんので、やはりあまり気にしないようにしてみます。 (コメントみない?)

2023-02-28

コメントをありがとうございます。 申し訳ありません。 仰っている、コメントと盗賊との関係がわかりません。 また、米軍キャンプから恵んでもらったとは、どういうことなのかもわかりません。 せっかくいただいたコメントですが、内容が理解できません。 申し訳ありません。 (コメントみない?)

2023-02-28

コメントをありがとうございます。 なるほど。左下のハートマークの脇に数字が表示されていれば、読んでもらったということですね。 気づきませんでした。 返信に波があるとは知りませんでした。 確かに、その方の用事や体調もあるでしょうから、あまり返信については気にしないようにします。 お教えいただき、ありがとうございました。 (コメントみない?)

2023-02-28

コメントをありがとうございます。 「コメントをするのは、私が勝手にやったこと」、言われてみれば確かにその通りですね。 やはり、あまり気にしない方がいいようです。 ただ、ちょっとだけ・・・ 互いに評し合うことで、互いに高めてゆくというのが、この場のコンセプトだったと思うので、相手がコメントを見ているのかどうかということが、ちょっとだけ気になります。 ちょっとだけですが・・・ (コメントみない?)

2023-02-28

コメントをありがとうございます。 やはりコメントの返信をしないことが許容されている面があるのですね。 私も今後は、より心を広く持っておかなければなりませんね。 この詩だか愚痴だかわからないようなものを、美味しいと言っていただき、嬉しいです。 まな、詩のようなコメント、面白かったです。 (コメントの宛先を間違えてしまったので、ダブってしまいました。すみません。) (コメントみない?)

2023-02-28

コメントをありがとうございます。 やはりコメントの返信をしないことが許容されている面があるのですね。 私も今後は、より心を広く持っておかなければなりませんね。 この詩だか愚痴だかわからないようなものを、美味しいと言っていただき、嬉しいです。 まな、詩のようなコメント、面白かったです。 (コメントみない?)

2023-02-28

はじめまして。 自分が感じたことを、どんな言葉で表現すればいいか、どんな言葉だったらしっくりくるか思い悩むのは、詩を書く人皆に共通することだと思います。 私もそういうことがよくあります。 思い悩んだ末に見つからず、次善の言葉で済ましてしまう。でもそのことが、いつまでも気になってしまう、なんてこともあります。 画家が自分の作品について、これで完璧、これですべてOKと思ったら、その時点でその画家は終わりだ、という話を聞いたことがあります。 仕上げた直後は完璧だと思っても、すぐに気に入らないところが目についてきて、それを克服する新たな絵を描きたくなる。 そんな絶え間ないの不全感がなければ、前に進めず止まってしまう、のだそうです。 詩人も同じだと思います。 ところで、言葉が見つからず、濁点の途中で筆が止まってしまうのは面白いですね。 二度目に筆が止まるときは、最後の「た」の途中で止まって、「ナ」のようになってしまった、みたいなほうがより面白くなるかもしれません。 詩に対する真摯さが伝わってくる作品です。 詩を書く者として共感できました。 (空があまりに綺麗だったので)

2023-02-28

コメントありがとうございます。 今から思えば、説明口調の文は避けた方がよかったかもしれません。 説明のような文が入ると、詩全体のリズム、あるいは雰囲気が崩れてしまいますから。 今後の課題です。 また、この詩から、苛立ちのようなものや、虎の咆哮のような感じを持たれたことは、全く想定しておらず、正直言って意外でした。 受け取りかたは読み手によって様々ということを、改めて知らされました。 (地面に空いた穴)

2023-02-27

はじめまして。 今という時代に生まれて、生きたいけど生きたくない、死にたいけど死にたくない、 そんな二律背反のような、矛盾した想いを抱える心の内を、うまく表現されていると思います。 大正から昭和初期にかけての詩人や小説家の名を出していますが、 現在の、社会が行き詰まり閉塞感の拡がりつつある状況は、その時代と共通するところがあるのかもしれません。 ただ詩全体として長く、推敲しきれていないような印象を受けました。 でも冒頭の、 「演奏が終わって、僕らはホールをつまみ出された」や、 末尾の、 「流産することを生まれるというな」 といった表現は秀逸だと感じました。 (演奏が終わって)

2023-02-27

はじめまして。 胡座をかいた膝の間に体を収める君とは、 「遺伝」や「アレルギー」を検索しているところを見ると、お子さんなのでしょう。 自分のうしろにずっと連なっている団子を刺し貫く串とは、血のつながりのことですね。 「あなたみたいになりたくない        と  あなたみたいになってしまう        は  竹串のお尻と先っぽなのかもしれない」 この表現は、言い得て妙ですね。 本当にその通りだと思います。 ただ、私には子供はいないので、ある程度理解はできても、共感しているとは言えないでしょう。 詩は、書く人も読む人もそれぞれ、事情や境遇が異なっているので、共感できる部分とできない部分があります。 ですから、詩を書く際の姿勢として、二つの極があると思います。それは、 ・できるだけ多くの人にわかってほしい ・わかる人にだけわかればいい という二つの極です。 どちらか一方だけという人は、滅多にいないでしょう。大多数の人はこの二つの間にいて書いていると思います。 前者の極をA、後者をBとすると、 Aに傾きすぎると陳腐で凡庸になり、 Bに傾きすぎると難解で閉鎖的になります。 詩を書く多くの人は、平均すると、中間点よりややBに傾いたところにいる、というのが私の印象です。 私自身は、この両極のどの辺りでバランスをとればいいのか、今もなお模索中です。 長々と余計なことを書いてしまってすみません。 この詩を読んで、こんなことを考えました。 (にじいろ)

2023-02-26

はじめまして。 幻想的な作品ですね。 街の片隅で、誰にも気づかれずに息をひきとる人はホームレスのようですね。 その時動き出した右手が紡ぎ出すものは、 その人がかつて持っていた夢や希望か、 あるいは今の後悔や絶望や諦念なのでしょうか。 それとも孤独に逝く者へもたらされた、 神の憐れみでしょうか。 街の喧騒にかき消され、闇の中へと消えてゆくパレードば、誰にもその存在を知られません。それが何か哀愁を纏った美しさを醸し出しています。 ただ右手から紡ぎ出された何かと、飛び込んでくる光と、針金と、 それら3つの関連がいまひとつぼやけたままですので、読み手にとってはイメージがつかみにくい感じがします。 その点がすっきりすれば、 より美しい詩になると思います。 (フィラデルフィアの夜に 40)

2023-02-26

こんにちは。 寒くて古くて、時間の止まっている駅。 夢の中の情景のような印象を受けました。 その中で、話はなかったのに暖かい何かがあった。作者はそれを「ことば」と表現しているのですが、もちろんそれは、我々が普段使っている「言葉」とは異なるものでしょう。だからこそ、ひらがなの「ことば」が用いられている。 むしろそれならば、片仮名の「コトバ」としてはどうかとも一瞬思ったのですが、 それでは表現が硬質になり、そこにあった「何か」の暖かさが伝わらない。 ですからやはりひらがなの「ことば」でいいのでしよう。 ただそれは、暖かい何かを言葉で正確には言い表せないことの裏返しで その「ことば」とは「何か」の仮の名であるかのように感じました。 ところで、前作の「白の境目」、そして今回の「白いもや」や「白の世界」という表現。 小道さんは白という色、あるいは白という色のない状態に、何か特別の思い入れがあるのかなと、ふと、思いました。 幻想的でいい詩だと思います。 (ことば)

2023-02-25

はじめまして。 ストレートですね。 良い意味でも悪い意味でも、 どストレート。 「白の境目」 「笑顔をこぼしおとしながら」 といった表現はいいなと感じました。 こんなふうに工夫された表現をいくつか入れるならば、ストレートな詩もいいと思います。 ペンネームの「小道純朴」とは、こういったストレートな詩を書いてゆくぞというポリシーを表したものでしょうか。 でも、ただストレートなだけでは、凡庸と見なされてしまう恐れもあります。 上に記したような表現の工夫を、より洗練させてゆくことが大切だと思います。 (あおの匂い)

2023-02-24

はじめまして。 食卓に出された料理が自分の嫌いなものでも、せっかく一生懸命作ってくれたのだから、なにも言わずに食べている。 よくわかる気がします。 それも一つの愛情の形なのでしょうが、表には出せないので、相手に伝わることはない。 なんだか切ないですね。 でもそういうことは、よくあることなのかもしれません。 と、そこまではいいのですが、次の連とのつながりがよくわかりません。 前の2連で書いたことが、よくあることだということを表そうとして、何の変哲もない冬の朝の情景を描いたのでしょうか。 もう少し料理や愛情といったことと関連させて書いたほうが、詩全体のまとまりがいいかと思います。 そんなふうに感じもしましたが、全体として、何かほっとするような詩だと思いました。 (大根とツナ)

2023-02-24

はじめまして。 自分の内にあるものは、きちんと言葉にしない限り、周りになかなか伝わらないものですね。 また、言葉に表しても、真面目に聞いてくれる人がいないこともあります。 あるいは、きちんと言葉に表しても、それが正しく伝わらない、理解されないということもあります。 詩や散文を書いていると、そういうことはよくあるでしょう。それでも書くことを止めない、止められないというのが詩人なのかもしれません。 ただ6連目の 「ただふとした時に溢れ出る中身に  私は人生を込める」 という部分ですが、ふとした時に漏れ出るのですから、そこに人生を込めるのは、意識的にされることではないのでしょう。 後になって思い返して、あのとき自分の人生が込められていたのだ、と気づくのではないでしょうか。 だからこそ、「少しにやけた顔でもして聞いてくれ」るのがちょうどいいのだと思います。 ところで、この詩のタイトルが「無題」なのはなぜでしょう。 ただ単に思いつかなかっただけなのか、それとも言葉では表せなかったのか。 後者だとすれば、それはやはり、無意識に人生を込めることと関係があるのかもしれません。 (無題)

2023-02-23

はじめまして。 抽象詩はよくわからないのですが、 凍結するのは二人の絆でしょうか、 それとも二人の罪でしょうか。 凍結するが故に久遠に擬態し、 皮相的な価値が碎けるが故に肌が溶け、 罪があらわになるが故に赦し合えた。 なぜかわかりませんが、 中盤の「神の庭」の連が、 霧に包まれた湖に浮かぶ葦の島 のように感じました。 繊細で神秘的な、美しい詩だと思います。 (凍結)

2023-02-22

はじめまして。 前半のカットイン 夜の街の情景が上手く表現されていると思います。 その映像が眼に浮かぶようです。 息を吹きかける可愛い子供は、作者の分身でしょうか。 後半のカットオフ どこまでも続く闇は、夜の闇であるとともに、心の中の闇なのでしょう。 超高速で落ちてゆくのは、眠りに落ちるのか、それとも心の中に巣くう暗黒へと落ちるのか。 超高速で落ちるが故に、相対的に世界はパントマイムなのかもしれません。 ただこの後半部で、「どこまでも続く闇」、「暗闇の中で私は」と、すぐ近いところで闇という言葉を二度使用しています。そこを例えば「漆黒」とか「無明」などといった違う言葉を使えば、より深みが出ると思います。 でも全体として、夜の情景や心象を巧みに描き出していると感じました。 (舞台)

2023-02-21

こんばんは。 一行から三行程度の短い詩は、書くのも読むのも難しい、というのが私の個人的な感想です。 短く、言葉が少ないだけに、その言葉の選択や解釈が難しい。 一行目の、竹林 切通 石像 は、 今はいない、あなたとわたしの思い出の景色の一部なのかもしれません。 そして三行目の、  声 言葉だけ 音はない ここがこの詩の肝になると思います。 不思議の国のアリスに出てくるチシャ猫が、 笑いだけをその場に残して姿を消すように、 そこには音のない言葉だけが残されている。 竹林も切通も石像も、みな実際の景色の一部でありながら、 そこはどこにもない場所なのでしょう。 なぜなら、そこは音のない言葉だけが残され得る所なのですから。 そんなふうにこの詩を受けとりました。 でも多くの言葉を以て語ると、この詩本来の美しさが削がれてしまいますね。 やはり、短い詩は難しいです。 (褪)

2023-02-20

コメントをありがとうございます。 どこまで書いて、どこまで削るか、 行間に書かれたものを、 どこまで読みとってもらえるか、 悩ましいところです。 この詩については、 穴が何も持っていないということを 強調するために あえてこの文章を入れました。 ご指摘ありがとうございました。 (地面に空いた穴)

2023-02-20

はじめまして。 冒頭の引き剥がされる春とは、夢や希望の象徴で、胸元で糸を手繰る所作は、現実を受け入れることを表しているのでしょうか。  行き交う目線のなかで佇んだ場所は  偶然にいる場所のはずだった ということは、その場所が偶然ではないように感じたということでしょう。 それは一方通行の細い道を振り返ってはじめて、感じることのできることなのかもしれません。 偶然ではないと思うということは、意味を付与することでもあるのですから。 オーストリアの精神科医、V・E・フランクルの言葉に「意味への意志」というものがあります。 人間とは意味への意志を持つ存在であって、人生の意味を満たすことが生きる力になると言っています。 この詩を読んで、全体に漂う哀感の奥底に、「意味への意志」の存在を感じました。 (手繰り寄せること)

2023-02-20

コメントをありがとうございます。 宮沢賢治みたいだと仰っていただき、たいへん嬉しく思います。 今後の詩作の励みになります。 ご紹介された短編は読んだことはありませんが、機会があったら読んでみたいと思います。 今後とも宜しくお願い致します。 (地面に空いた穴)

2023-02-19

コメントをありがとうございます。 穴という言葉から、空白をイメージされたとのことですが、私がイメージしたのは、光の届かない暗黒、というもので、色でいえば白と黒。真逆ですね。 同じ言葉からでも、イメージするものは人によって様々ということを、改めて知らされた思いがします。 ところで「空洞です」という名のアルバムを以て、バンドが完全に出来上がったというのは、とても面白いエピソードですね。 今後とも宜しくお願い致します。 (地面に空いた穴)

2023-02-19

はじめまして。 この詩を読んで、誰かから、心理的な支配を受けているかのような印象を受けました。 その支配の中で「あなた」は「私」に対して、自分と同じであることを求めている。その圧力のもと、「私」は感情を押し殺して身体を生き延びさせていると、そんなふうに読めます。 だから、  あなたと私が違うことを信じたかった  信じられればきっと見えなかった扉も存在する ということなのでしょうが、そうなると、最後の二行がわからなくなる。 違うことを信じたいのに、なぜ、あなたと私の空を隔てるものを開けたがっているのか。 おそらくこの場合の「開ける」の意味は、扉や窓を開けるようなことではなく、箱を開けるようなことなのでしょう。 英語で言えばopenではなくdiscoverに近い意味なのだと思います。 と、こんなふうにこの詩を読んだのですが、もしかしたら全くの見当違いかもしれません。 (解錠)

2023-02-19

この誰もが知っている人とは、様々なメディアに出ている有名人のことでしょうか。 芸能人、スポーツ選手、政治家、実業家、有識者などなど・・・ それらの人々は、無名な一般人から見れば、その心の中を推し量れない人達なのかもしれません。 どんなことに喜び、どんなことで怒り、どんなことで苦しむのか、一般人には見当もつかない、そんな人達なのでしょう。 もしかしたら近い将来、そんな人達が本当に存在するのかどうかもわからなくなる可能性もあります。 実在の人物なのか、それともディープフェイクやAIなのか、一般人には判断のつかなくなる日が訪れるかもしれません。 そうなったらもう、この世に生まれてきた命、とは言いきれなくなるのでしょうね。 この詩からそんな印象を受けました。 見当違いのコメントだったらすみません。 (知ってる人)

2023-02-19

はじめまして。 諺にある、  情けは人のためならず  めぐりめぐりて  己がためなり ということを、詩の形で表現されたもの、と受けとりました。 この詩を読んで、だいぶ昔に観た「ペイ・フォワード」という映画を思い出しました。 その中では主人公は最後に亡くなってしまうのですが(ネタバレ)、それでもその人が遺した活動は生き続けてゆくという話でした。 自分が情けをかけた相手が、さらに、その周りの人々に情けをかける。それはある意味自分の命が、形を変えて継承されてゆくことでもあります。 それがつまりは、私が必然的に貴方から情けをかけてもらったことになるのでしょう。 簡素ですが、いい詩だと思います。 ただ、この最後の一文が、なぜそうなるのか、何か例えや比喩を用いて表現されていれば、もっとよくなったような気もします。 蛇足ですが、「星の鯨」というペンネームはいいですね。それ自体が詩的です。 一瞬、そちらが詩のタイトルかと思いました。 (情け)

2023-02-19

なるほど! 穴が己自身を埋めてしまったら穴ではなくなる、即ち自分ではなくなる。 今苦しんでいるその苦しみそのものが、自分が自分であることの証しなのですね。 目からウロコです。 貴重なコメントをありがとうございました。 (地面に空いた穴)

2023-02-19

はじめまして。 歯医者への恐怖から逃れるための幻想ですね。 強すぎるストレスから自分を護るための、 解離性人格障害にも似てるかなとも思いました。 空想の中での前世の日常が、とても具体的に書かれています。非常に想像力の豊かな方なのでしょう。 ただ最期に再び、歯医者のもとに帰るのも、面白いかもしれません。 恐怖が意識を現実から弾き出してしまう、 そんな興味深い作品だと思います。 (歯科医のあなたは)

2023-02-19

以前に書かれた詩を紹介していただき、ありがとうございます。 何か胸に刺さるような詩ですね。 冒頭の二行で心を掴まれました。 そして後半の  コンクリートの隙間の土にしがみついていたのは僕で  緑の電車の風に吹かれて散っていった  白いたんぽぽ 若き日のほろ苦い思い出を巧みに表現されていると思います。 佳い詩を読ませていただき、ありがとうございました。 (都会のタンポポ)

2023-02-18

はじめまして。 ここから投げる円盤は、未来への視線の隠喩でしょうか。 我々が見ることのできる範囲は本当に狭くて、見えない未来を信じて日々を生きることは、とても難しいことですね。 ですから「幸せ」とは、常に後になってからわかるものなのかもしれません。 未来は見えない、最後の瞬間はいつ訪れるかわからない。だから、そのときひとりきりでないことは、もう祈るしかありません。 今生きることの、そして未来への不安や戸惑いのようなものを感じます。 特に4連目と5連目の表現が美しいと思いました。 (喪失の窓)

2023-02-18

はじめまして。 補足的に少々書かせていただきます。 大学の教授まで昇りつめて最終講義を迎える方は、社会全体から見ればごく僅かな人たちです。 そのことについて長々と書いても、あまり多くの人からの理解や共感は得られないと思います。 ですからやはり「さてさて」以降のことを膨らませて書いたほうがいいでしょう。 例えば、これまで30年以上、多大な努力とご苦労をされたでしょうから、その中でタンポポのような人のどのような言葉や仕草が、どのようなときに支えとなったといったことなどを書いたほうが、共感を持てる面白い作品になったと思います。 屋上屋を架すようなコメントになり、申し訳ありません。 「都会のタンポポ」というタイトルが肩透かしになってしまうような気がして、あえて書かせていただきました。 (都会のタンポポ)

2023-02-18

はじめまして。 何年かぶりのメッセージなのにすぐに既読がついたということは、その間もずっと自分のことを憶えてくれていた、あるいは気にかけていてくれたということですね。 手のひらに乗るような小さな機器で、繋がりを確認できる、そのささやかな喜びが伝わってくるような作品だと思います。  こちらは雪が降りました 何げない、よくあるようなフレーズに込められた言外の想いが、詩全体からにじみ出ているかのようです。  こころはもう離れ離れだけど でもその「こころ」にも様々な面があって、ある面では離れ離れでも、また別の面では繋がっているということもあるでしょう。 そういったことを掘り下げて書いてみてもいいかもしれません。 とても繊細な感性による詩、という印象を受けました。 (雪が降りました)

2023-02-17

はじめまして。 毎日毎日、同じ景色を見ながら同じ道を繰り返し歩くときに覚える、言い知れぬ惰性と倦怠を描いているのてしょうか。 街での生活を送る人の、侘しさともやるせなさとつかない、鈍色の哀感を感じます。 特に三連目の、  煙突よ、ほら煙突よ  それは誰の疲弊を含んだ煙かと という表現は秀逸だと思います。 そして最期に野良猫を登場させたのも、何か共感を誘っていて、いいですね。 ただ個人的には、ひとつの連を分けて、もう少し短めにした方が読みやすいです。 あくまでも個人的な意見ですが。 でも全体的には、とても良かったです。 (煙突)

2023-02-17

こんにちは。 とてもうまくまとまっている詩だと思います。 とくに「べし」がアクセント(スバイス?)になっていると感じました。 (生きたいね)

2021-07-08

コメントをありがとうございます。 プライベートでいろいろあって なかなか投稿できませんでした 「構造的な魅力」という言葉をいただいたのは これが初めてで いい詩はなかなか生まれませんが またいろいろと考えようと思います (ある夢想)

2021-07-08

ささらさん コメントをありがとうございます。 この詩を書くにあたって、自分の内にある感覚を言葉に置き換えるのが精一杯で、リフレインの行数や詩の構造といった、技術的な点まで思いが及びませんでした。 まだまだ勉強が必要なようです。 (牽制される葉芽の鱗片)

2021-01-09

言いたいことはわかるのですが、詩という形をとるのであれば、もう少し表現に工夫があった方が良いかと思います。 (常々他者の人生を羨むことしかしてない恵まれてるはずなのにどうしても隣の芝が青いんだ)

2021-01-04

最初の二行の表現が、秀逸だと感じました。 (曙光)

2021-01-04

個人と個人との断絶、群衆の中の孤独、「普通」という言葉の空疎さといったことを、止まったままの風車や、つながらない風で表現している点が斬新に感じました。 (風車が回らない日に)

2021-01-03

鈴木歯車さん 春の日の、何となく不安定な心理状態、どこか歯車がうまく噛み合わないような感覚を思い出しました。 (春)

2021-01-02

沙一さん コメントをありがとうございます。 本当に表現したい部分を残し、無駄を削る。 簡単なようで、なかなか難しいです。 (腹いっぱい)

2021-01-02

螢草さん コメントをありがとうございます。 詩は書けば書くほど、言葉を紡ぐことの難しさを感じさせるもののように思います。 (アルミニウムの涙)

2021-01-02

田中宏輔さん コメントをありがとうございます。 この詩を書くにあたって、アルミニウムの精錬をイメージしましたが、沸点にまでそれが及びませんでした。 その点をも含めて書けば、より面白い内容になったかもしれません。 (アルミニウムの涙)

2021-01-02

楽子さん コメントをありがとうございます。 この詩については、はじめに「アルミニウムの涙」という言葉が頭に浮かんで、それをもとに書いたものす。 テーマが多少突飛過ぎるかとも思いましたが、この詩に美しさを感じていただいて、安心しました。 (アルミニウムの涙)

2021-01-02

羽田恭さん コメントをありがとうございます。 このような詩に「レッセフェール」という言葉を入れるのは、少々唐突すぎる感じになるかとためらったのですが、いいアクセントと観ていただいて、安心しました。 (アルミニウムの涙)

2020-12-13

未さん コメントをありがとうございます。 私の感じた無音を聞いていただき、ありがたく思います。 (風に揺さぶられる枝葉)

2020-12-13

アミアミさん コメントをありがとうございます。 部屋の歪みはという点につきましては、他者の無音の言葉と秒針の音との不協和音のようなものを表現しようとした試みです。 (風に揺さぶられる枝葉)

2020-12-09

この世界の中で、何か確かなものを掴みたい、でも思うようにいかない、そのもどかしさを、詩の言葉に託しているように感じました。 (* ひと粒だけ*の星)

2020-12-04

病室という独特な空間の中で観られる幻想が、瑞々しく描かれていると思います。 (「端正な型崩れ」)

2020-12-04

田中宏輔さん コメントをありがとうございます。 そうですね。 僅かばかりかもしれませんが、希望はあると思いたいです。 また、希望を持ちたいと思うことが、希望の種なのかもしれません。 (セグロカモメ)

2020-12-01

右肩ヒサシさん コメントをありがとうございます。 大変申し訳ありませんが、コメントの内容の半分くらいがあまりよく理解できませんでした。 これは皮肉ではなく、私は詩論的なことはあまりよくわからず、直感的あるいは感覚的に詩を書いてしまうからです。 ただ、私が詩を書くようになったその入口が、近代の叙情詩だったので、その影響がいまだに残ってしまい、ご指摘のような言葉使いになってしまったのかもしれません。 まだまだ精進が必要なようです。 (これも古くさい表現ですか・・・) (セグロカモメ)

2020-11-29

コメントをありがとうございます。 漢字とひらがなの選択、今後考慮します。 ご指摘ありがとうございました。 (セグロカモメ)

2020-11-22

人としての、あるいは生命の、根元的な孤独感、そして、孤独であるが故の、個としてのアイデンティティーの確立ということが伝わってきます。 なお、もし違ったら申し訳ありませんが、第二連三行目の「何者にもあれない」は、「何者にもなれない」の誤りでしょうか。 (分裂)

2020-11-21

(宛先訂正) 湯煙さん コメントをありがとうございます。 この詩ではまた、中層を漂う大気の内に、時間の流れを微分するかのような、刹那滅や連なりながら時々なり、といったようなことを感じて、書いた面もあります。 (中層を漂う大気)

2020-11-14

(宛先訂正) エイクピアさん コメントをありがとうございます。 この詩の、線に在らず、線を成さず、という部分は、自他の境界の曖昧さ、いわゆる自他不二ということや、華厳経のインダラ網と喩えなどを念頭に書きました。 (中層を漂う大気)

2020-11-14

曲がり角とは人生の曲がり角か、記憶の曲がり角か。曲がり角を曲がるとはいかなることなのか。亡き母の声はまるでぐるぐると回転し続けるが如く、記憶の淵より再生されているようで、色々考えさせられ、感じさせられる作品です。 (曲がり角)

2020-11-14

湯煙さん コメントをありがとうございます。 この詩ではまた、中層を漂う大気の内に、時間の流れを微分するかのような、刹那滅や連なりながら時々なり、といったようなことを感じて、書いた面もあります。 (中層を漂う大気)

2020-11-14

エイクピアさん コメントをありがとうございます。 この詩の、線に在らず、線を成さず、という部分は、自他の境界の曖昧さ、いわゆる自他不二ということや、華厳経のインダラ網と喩えなどを念頭に書きました。 (中層を漂う大気)

2020-11-14

透明な静けさを感じさせる作品だと思います。 「祖父は私の耳にもういないあの人をそそぐ」や、「ゆっくりと踏み抜いて私は私になる」といった表現にとても新鮮さを感じました。 (知らない顔のあの人)

2020-10-26

全体的にすっきりしていて、いい詩かと思いますが、もう少し日常的な言葉の使い方から逸脱するような工夫があれば、よりいいかと思います。 (秋の朝メトロ)

2020-10-26

hyakkinnさま 動物が環境の変化に適応してその習性を変え、それが遺伝的に固定することで種が分化するといいます。 ですから、島の猫はイエネコから「シマネコ」とも呼べるような亜種へと分化する可能性があると思います。 一方人間は、環境を大きく変える力を持ったが故に、意図せずして己自身を変えてしまう可能性もあると思います。 それが倫理的に正しいことなのか、やむを得ないことなのか、今はまだ分かりません。 そのような意味も含めてこの詩を書きました。 コメントをありがとうございました。 (広告と猫)

2017-12-18

三浦果実さま アラメルモさま どうやら投稿するのが少し早すぎたようです。 もっと推敲を重ねて内容を掘り下げるべきでした。 ただ、タイトルについては簡素にして、何気ない日常の事柄と、その裏に隠れたものをより際立たせるようにしたほうがいいと、私は思うのですが、そのタイトルから深い内容を期待されることもあるのですね。 タイトルをつけるのもなかなか難しいです。 コメントをありがとうございました。 (広告と猫)

2017-12-16

シュールレアリズムの詩への批判、あるいは決別を示しているように感じました。 中途半端な形を成して 美しさも孤独も 代弁しない 半透明な月1208号 とは、作者自身、あるいは作者が感じ、伝えようとしているものを表しているようにも思えました。 (はじまりの詩)

2017-12-09

学校の敷地に埋めたタイムカプセルの詩ですね。 幼少期の独特な世界観が、巧みに表現されていて、私も見習いたいと思いました。 記憶は物質に込められるのか、物質に惹き起こされるのか、記憶自体が物質なのか、思索に引き込まれます。 (物質と記憶)

2017-12-09

アラメルモ さま 硬質な語り口が、BよりもむしろHBを連想させてしまうことは、想定していませんでしたが、確かにそうかもしれません。 深尾さんの詩も読んでみました。 硬い感じでしたが、面白いと思いました。 コメントをありがとうございました。 (Bの鉛筆)

2017-12-08

面白い表現がたくさん詰まった詩だと感じました。 大気圏より向こうの気持ち ニセモノの天の川を辿ってた 無重力のシルエットみつめて どれも新鮮な表現だと思いました。 最初の行が感傷的な印象を与えていますが、その後とのギャップが面白いと思いました。 (朝焼け)

2017-12-08

コーリャさま 詩と思想は切り離せないものだということを、どこかで聞いたことがあります。 その一方で、詩が教訓的になると、陳腐と化してしまうという意見も聞いたこともあり、 なかなか難しいです。 コメントをありがとうございました。 (Bの鉛筆)

2017-12-08

まりもさま 仰有る通り、この鉛筆はB-REVIEWに投稿している自分自身と重ねて書いたものです。自分自身のカリカチュアこようなものです。 詩の本質が書き手に在るのか、読み手に在るのか、それともそのどちらなもないのか、人によって考え方はまちまちでしょうが、そのことを表現しようと思い、この詩を書きました。 コメントをありがとうございました。 (Bの鉛筆)

2017-12-07

ウエキさま 不思議な感覚の詩ですね。 単なるマタニティー・ブルーを描いているかのようでいて、更にその奥底にある、命の残酷さを顕にしているような印象を受けました。 「胎児と  お母さんは共犯者」 という表現は新鮮ですね。 (黄金色のストール)

2017-12-03

花緒さま 最後の二行と、プライベートブランド云々といった部分は削ろうかどうか迷った末に残してしまったのですが、やはり余分だったようです。 遠藤周作氏が、書きすぎることを戒める内容のエッセイを残されていますが、それを今になって思い出しました。 自分の内にある不安感との戦いですね。 コメントをありがとうございました。 (Bの鉛筆)

2017-12-03

不毛の神とは、農耕や牧畜とともに始まった人間の文明以前の世界を治めていた神のことですね。 この詩は人間の文明への批判と読めます。 ただ、「不毛」という言葉からは、私は生命をも拒む荒涼とした土地をイメージしてしまいます。 生命発生以前の原始地球の神、というのも面白いのではないでしょうか。 (不毛の神)

2017-11-21

鉄格子の中に囚われている 恋人とは何を表しているのでしょう。 私には、それは作者自身の心の化身、あるいは魂の化身のように思えます。 まだ一度も流したことのないその涙、それは心の奥底で憧れている、触れると途端に壊れてしまいそうなほど繊細な、何かとても美しいもの、そのような印象を受けました。 (頬)

2017-11-21

くつずり ゆうさま 新しい感覚と仰有っていただたき、嬉しく思います。 幻想と現実をあえて繋いでみようと思い、このような詩を書いてみました。 「ふとした瞬間に気づかされる温かなお味噌汁の湯気みたいな事」というご感想、とても新鮮に感じました。 コメントをありがとうございました。 (逆さの象)

2017-11-20

cotonoさま すごいと仰有っていただたき、非常に恐縮です。 健常と障害の間や、生存競争と人間性について突き詰めて考えると、やがて答が見えなくなってしまい、思考が停止してしまいます。そんな状態が、逆さになって宙に浮いている象をぼんやりと眺めているように感じたので、こんな詩を書いてみました。 コメントをありがとうございました。 (逆さの象)

2017-11-19

くつずり ゆう様 初めまして。 何か心に染み込んで来るような感覚を誘う詩ですね。 所々挟まれている、括弧で括られた部分(遠ざかる 音、等)が、一瞬心をよぎるイメージを表しているように感じます。 また、 自由で苛酷な 馬になれるでしょう や、 戦い敗れ去っていく細胞のとなりで といった表現がとても新鮮でいいと思いました。 (蹄の音)

2017-11-18

cotonoさま 初めまして。 涙腺より零れる涙から、山の湧水、知らない街の囁き、異国の音楽の路上演奏、散っては芽吹く花、と繋げてゆく技法は見事です。 勉強になりました。 (とうとう)

2017-11-15

糸井翼さま 初めまして。 簡素にまとまった詩ですね。 自分も、他人と同じく世に生まれては消えてゆく存在であることを表現されているところに、味があると思いました。 最後の、でたらめに生きて、が無常感を醸し出していてとてもいいと思います。 (都会)

2017-11-14

花緒さま 視点、と面白さは変わらないと仰有っていただき、安心しました。 今後も文章をより洗練させてゆこうと思います。 コメントをありがとうございました。 (逆さの象)

2017-11-14

カオティクルConverge!!貴音さん♪� さま 初めまして。 夢に出てきそうな(もしかしたらもう見たことのある)光景を表現してみようと思い、こんな詩を書いてみました。夢には潜在的にある想いや感情が出てきます。それを拾い上げてみたいと思いました。 コメントをありがとうございました。 (逆さの象)

2017-11-14

Migikataさま 障害と健常との間に関すること、そのカテゴライズについて、自分の考えをダイレクトに詩に書いていいものかどうか、そのようなものを詩と呼べるのかどうか、しばらく迷ったのですが、思いきって投稿してみました。 コメントをありがとうございました。 (逆さの象)

2017-11-13

kikunaeさま 初めまして。 人生をバナナに象徴して、その本質をついたような、不思議な魅力を感じます。 その一方で、極限まで高めた幻想に溺れてしまう恐怖も窺わせます。 (空想のバナナ)

2017-11-13

森田拓也さま 初めまして。 「極端な例を引き合いに出すなと言われそう」という点については、実は私は重要なことだと思っています。 極端な例とそうでない例との線引きをどこにするのか、ということは、それに関わる当事者にとっては、その後とても生きにくくなるかもしれない、非常に重要なことだからです。 コメントをありがとうございました。 (逆さの象)

2017-11-13

夏生さま こんばんは。 短く切り取られた文章に、心の奥にしまい込まれていた記憶の断片を拾い上げて、繋ぎあわせているような、そんな印象を受けました。 また、そのようなリズムが、 命をたらふく 食んで まだ足りない 命を育んで まだ足りない という、海の恐ろしさと奥深さを、より強調しているようにも感じました。 不思議な魅力のある詩ですね。 (海の唄)

2017-11-09

Migikataさま 申し訳ありません。 ミスタッチで返信が途中で送信されてしまいました。 再度送り直します。 哀しみの大地に/常に己の内に抱えている/永遠に続く邂逅と離別故の震えを/伝えるために、という部分は感傷的ですか。なかなか難しいですね。 言葉が感情を誘いかけながら、少し距離を置いて逃げていく、という感覚は、私にはとても新鮮に感じられました。 コメントをありがとうございました。 (裸の水)

2017-11-09

Migikataさま こんにちは。 哀しみの大地に/常に己の内に抱えている 永遠に続く邂逅と離別故の震えを 伝えるために 言葉が感情を誘いかけながら、少し距離を置いて逃げていく、 (裸の水)

2017-11-09

霜田明さま 初めまして。 誰もが自尊心を持ってはいますが、殊更自分のことを偉いと思わせるような陽とは、どんな場所のどんな陽なのか、想像をかきたてるような詩ですね。 (夕陽)

2017-11-07

仲程さま 初めまして。 教材ビデオを見せると同時に、詩を読ませるような授業があったら面白いですね。 いろいろな教材から、詩作のヒントが得られると思います。 コメントをありがとうございました。 (裸の水)

2017-11-07

ユーカラさま 初めまして。 中原中也の「汚れちまった悲しみに」を思い出しました。 諦めきれないからこそ悲しいということには、非常に共感します。 また、そうであるからこそ、本物の美が隠れていることに気づくことも。 その悲しみと、本物の美への期待が、詩作の原動力になるのだと思います。 (『もう、手は洗わない』)

2017-11-06

弓巠さま この詩は、ふと心に湧いた「裸の水」という言葉と、それから連想した視覚的なイメージから書いたものです。 ですから、「裸の水」という言葉は何かの喩えという限定はしていません。 読む方により様々に受け取っていただきたいです。 コメントをありがとうございました。 (裸の水)

2017-11-06

stereotype2085様 初めまして。 『弱い立場にある人々に与えられた「盾」が時に「矛」となり人を攻撃する様を幾度か見てきた』ということについては同感です。 そこには、「弱者」とは誰か、「弱者」と「強者」との間の階層性・連続性・多様性・複雑さ等に対する思慮の浅薄さが在ると思います。 詩そのものについてのコメントでなくてすみません。 (半身の体の雨降りの午後)

2017-11-05

まりも様 この詩は意味よりも、霧雨の降る日の感覚や感情を主体にして書いたものです。 やはり無意識に身構えて力んでしまうのか、硬さがなかなか抜けません。 まだまだ己の未熟さを思い知らされます。 詳細なコメントをありがとうございました。 (霧雨)

2017-11-01

まりも様 やはりまだ、文章の硬さから抜け出せていないようです。 もっと自由にと思ってはいるのですが、無意識に自分で自分を枠にはめてしまっているようです。 的確なコメントをありがとうございました。 (水柱の重さに)

2017-10-24

survof 様 この詩は、明け方の寝ぼけたときの心理状態を思い出しながら、不条理な夢のようなイメージで書いたのですが、文がやや硬くなってしまったのは、私の性格のせいかも知れません。 コメントをありがとうございました。 (水柱の重さに)

2017-10-23

まりも様 コメントをありがとうございます。 暗闇と夜の時間をどう表現するか迷い、複数の角度から言い表すのも一つの方法かとも思ったのですが、なかなか難しいですね。 ご指摘ありがとうございました。 (暗夜の白花)

2017-09-15

こんばんは。 「怖い」、「凄惨」、「気味が悪い」、「手遅れ」といった言葉に、何か複雑な作者の心理が映し出されているように感じました。 (君の写真)

2017-09-14

こんばんは。 ファンタジーのような印象の詩ですが、「瞼の重力」や「脳移植」といった言葉の選択が、独特の雰囲気を醸し出しているように感じました。 (一人称多数)

2017-09-14

survof様 コメントをありがとうございます。 確かにこの詩を書いているときにはある種の浮遊感がありました。 自分の視点がこの肉体に固定されていることの不思議さ、あるいは違和感、周りのもの全てが、この視点の側だけをそれらしく見せているだけの、張りぼてのようなものではないかという不安感などを、表現したかったのですが、そこに多少なりとも共感していただけたならば嬉しいです。 (視点)

2017-09-14

三浦果実様 コメントをありがとうございます。 この様な形式の詩を書くのは実は初めてで、自分の内にある心情を比較的自由に表現してみました。 読みにくくなっていないか心配でしたが、面白いと仰っていただき、大変嬉しく思います。 ありがとうございました。 (視点)

2017-09-14

おはようございます。 「10月の花咲いているこの庭に 君の姿はもう見えない」以降の部分に、何か不思議な感覚を与える、印象的な詩だと思いました。 読む側に様々な受け取りかたをさせる作品のように感じました。 (花)

2017-09-12

おはようございます。 なんとも言えず不思議で、幻想的な印象を受ける詩で、それを一定の型の中で描ききる力量には脱帽します。 (奏楽)

2017-09-10

おはようございます。 駅のプラットホームで人知れず息を止めることと、自分が無敵になったように思うこととのギャップに、不思議な面白さが醸し出されているように感じました。 (飛んで)

2017-09-10

紅茶猫様 コメントをありがとうございます。 紅茶猫さんの「夜の水遣り」は、短くてもとても印象に残る詩だと思いました。 インスピレーションを与えてくれる詩に出逢うのも、詩を読む楽しみの一つですね。 (暗夜の白花)

2017-09-09

こんばんは。 暗く静かな夜の、街や公園、冷たい街路灯の光の中に佇むときの孤独が、巧みに描かれていると思います。 その心情がありありと、心の中に浮かんできます。 (距離)

2017-09-09

夏生様 コメントをありがとうございます。 この詩の表現はやや重すぎたかな、とも思っていましたが、そこから、闇を受け入れる白い花の強さを感じ取っていただき、大変嬉しく思います。 ありがとうございました。 (暗夜の白花)

2017-09-09

こんばんは。 日常の何でもない物から、一篇の詩を紡ぎあげる力量はすごいと思います。 見習いたいです。 (1セント銅貨が居りまして)

2017-09-08

前田ふむふむ様 コメントをありがとうございます。 この詩は先月の紅茶猫さんの「夜の水遣り」を読んで、湧いてきたイメージから書いたものです。 散文の手法についてはあまり意識していませんでした、というよりも、あまりよく理解していないと言ったほうがいいかもしれません。 確かに、「その」とか、「なお」などを省いたほうがすっきりしますね。 ご指摘ありがとうございました。 (暗夜の白花)

2017-09-08

おはようございます。 自分の中にある感情を、海の中の流れに託して表現する手法は、さすがだと思いました。 「焼きついていくのどを取り外し 流れに浸し洗い浄める」という表現もなかなか思いつきません。 勉強になりました。 (流露)

2017-08-21

まりも様 コメントをありがとうございます。 参りました。 「年齢を重ねるごとに、加速度が増す、人生の加速度。」 また、印象的な言葉が頭の中を廻り、また何かを書きたくなります。 (秋の花色)

2017-08-17

初めまして。 「端と端」という言葉を、第一連の最後と第二連の最初に置く、詩全体の中央を引き締めた配置は見事だとおもいます。 最後に一行だけの連がありますので、詩の冒頭に一行つけ加えれば、なお良いとも思います。 (まるで鏡に映したように)

2017-08-17

初めまして。 最初はざっと読んでスルーしたのですが、何故か気になり何度も読み返させていただきました。 黒い水とは夜の暗闇の隠喩でしょうか。 その暗闇の重さに揺らめいている花。 何故か、華奢な白い花がイメージされました。 来月頃にでも(今月は二篇投稿済みですので)、返詩というほどではありませんが、この詩から湧いたイメージの詩を投稿させていただきたいと思います。 宜しくお願い致します。 (夜の水遣り)

2017-08-16

kaz.様 返詩の返詩の返詩です。 距離を微分すると 速度になり 速度を微分すると 加速度になり 加速度を微分すると どうなるの? 増してゆく重力 次々と物質を飲み込み 成長しつつある ブラックホールのように 増してゆく加速度の どこまでも どこまでいっても 果てのない エンドレスの 返詩の返詩の返詩の・・・ (秋の花色)

2017-08-15

初めまして。 あくまでもこれは個人的な感想なのですが、 この詩は、よくあるJポップの歌詞のようで、あまり新鮮さを感じません。 無論、美的感覚は人それぞれなので、この詩への感じかたも様々でしょう。 ただ、私個人としては、表現にもう一捻りほしいところです。 生意気なコメントで申し訳ありません。 辛口な意見も少しは必要かなと思い、コメントさせていただきました。 (この身を預けて...)

2017-08-15

返事が遅れて申し訳ありません。 花緒様 返詩を書くのはこれが初めてでしたので、まともな返詩になっているか不安でしたが、「まさしく返詩」とのお言葉をいただき安心しました。 紅茶猫様 出来るだけ読みやすいようにと思って書きましたので、「長さを感じない」「簡潔」とのお言葉をいただいて、嬉しく思います。 Sari Dote様 前衛とは元々軍隊用語で、最前線で守り戦う部隊のことを指す言葉だそうです。それが転じて、思想・芸術で先進的なこと、としても言われるようになったそうです。 ただ、あまり専門的な文学・文芸批評にこだわらなくてもいいと思います。 (秋の花色)

2017-08-15

こんばんは。 加速度という言葉で、ふと、インスピレーションが湧きましたので、返詩を投稿させていただきました。 (和歌)

2017-08-14

こんばんは。 フラッシュが焚かれる直前にきゅうんという音が鳴るのを聞いたことはありますが、それをその後に置いたところが面白いと思いました。 また、「光学的な手順で縫合」とか「イカガデスと思う」といった表現や、最後に突然「夕立が止んだ」という言葉を置いたりされたところは、とても勉強になりました。 (被写体)

2017-08-14

こんばんは。 私もこの詩にやや陳腐な印象を受けましたが、美的感覚は人それぞれなので、一概に陳腐とは言い切れないかもしれません。 父親のような人や幼馴染みの人との会話や交流にもっと焦点をあてたほうが良かった気がします。 (春雪と彼)

2017-08-14

済みません、コメントを書く前に間違えて送信ボタンを先に押してしまいました。 初めまして。 自分の中にある、悲しみや、何とも言えない複雑な感情を、なんとか表現しようとしているような印象を受けました。 特に、平仮名のみで書かれている連が入れられているのが、新鮮な感じを出していると思います。 (私の欠片は朝焼けの中)

2017-08-13

こんばんは。 どこかほっとするような感じのする詩ですね。 ただ在るということの大切さを身近な言葉で表現されていると思います。 「あたたかいコーヒーになろうと湯がくるくる働く音」が、静かな部屋に聞こえる様が想像できます。 心静かに過ごせる大切な時間を感じます。 (在ればいい)

2017-08-10

こんばんは。 郷愁を誘うような詩ですね。 「落ちてきた神様の声」や「高架下の道を 家路の一つとして愛していたのだ」といった表現が新鮮且つ効果的だと感じました。 ただ、もう一捻りあったほうがいいかな、とも思いました。 あまり大したコメントを書けないで済みません。 (高架下)

2017-08-10

まりまさん コメントをありがとうございます。 書けば書くほど、自分の中にあるものを表現することの難しさを思い知らされますが、そのもどかしさを感じとっていただき、嬉しく思います。 ありがとうございました。 (綱)

2017-08-07

5or6さん コメントをありがとうございます。 この詩の書き方は、心の中にある感情や感覚を表現するための、試行錯誤の一つです。 もっと表現方法の模索をしていくつもりです。 (綱)

2017-08-05

蛾兆ボルカさん コメントをありがとうございます。 下から上に向かう読み方はあまりないかもしれません。 物事を見る視点を変えられるような詩を、できればこらからも書いてゆきたいと思っています。 ありがとうございました。 (十三階段)

2017-07-17

花緒さん コメントをありがとうございます。 まだまだ文体が堅いようです。 どうも癖のようですが、より意識して直してみます。 ご指摘ありがとうございました。(この文章も堅いですか?) (十三階段)

2017-07-16

hyakkinnさん コメントをありがとうございます。 仰る通り、十三階段というタイトルは絞首台の意味でつけました。 ですからこの詩は、一番下から上に向かって読んでもらうことを想定して書いたものです。 それが読み手の方に伝わるか少々心配しましたが、気付いていただき、ほっとしました。 ありがとうございました。 (十三階段)

2017-07-16

kazさん コメントをありがとうございます。 確かにタイトルを「□□□□□□□□」にした方がインパクトがありますね。 どうも私には、本文がタイトルに負けてしまうと、読み手を失望させてしまうのではないかという心配が勝って、タイトルへの工夫や配慮が足りなくなってしまう傾向があるようです。 ご指摘ありがとうございました。 (タイルの目地)

2017-07-16

黒髪さん コメントをありがとうございます。 図形を多用した詩には、違和感や反発を感じる方が多いかもしれないと心配していたのですが、このようなコメントをいただけると励みになります。 まだ文章が堅く、解りにくい面があるようです。 ありがとうございました。 (タイルの目地)

2017-07-14

まりもさん コメントをありがとうございます。 今読み返してみると、単調で捻りがなく、やや間延びした感は否めませんね。 また、タイルをじっと見つめていると、目がチカチカしてきたことから、脳内のイメージが湧いてきました。 でも、この部分は蛇足だったかもしれません。 ご指摘ありがとうございました。 (タイルの目地)

2017-07-13

コメントをありがとうございます。 確かに文体はやや古くさいですね。 詩の新しさや、詩の立ち位置ということについて、まだ感覚的にうまく掴めていないようです。 ご指摘ありがとうございました。 (タイルの目地)

2017-07-12

まりもさん 返事が遅れて申し訳ありません。 確かにこの詩は形式ばっていて、言葉も堅く気張っている感じがします。 これも詩の一つの形かと思い、書いてみたのですが、反発を覚える方もいるかもしれませんね。 ご指摘ありがとうございました。 (松明を掲げよ)

2017-06-29

まりもさん こんばんは。 コメントをありがとうございます。 やはり、まだ形式にとらわれている部分があったようです。 そのために描写不足になったのかもしれません。 また、ありきたりな表現を避けようとするあまり、抽象的になりすぎて、焦点がぼやけたようです。 ご指摘ありがとうございました。 済みません。「歯車」は読んだことがありません。 機会があったら読んでみたいです。 (高熱にうなされて)

2017-06-28

済みません。 ガイドラインを把握しきれておらず、連日で投稿してしまいました。 来月からは、一週間程間を空けて投稿するようにします。 (高熱にうなされて)

2017-06-25

黒髪さん。 コメントをありがとうございました。 この詩はかなり直感的に書いた部分が多いので、深い解釈をいただき、恐縮します。 私は、詩には読む人がそれぞれの受け取りかたをして、様々な解釈をしてもいい側面もあると思っています。 また、あまり意味にとらわれなくてもいい詩もあるとも思っています。 黒髪さんは、どう思われるでしょうか。 (松明を掲げよ)

2017-06-19

花緒さん コメントをありがとうございました。 確かに連呼詩は容易に作れる側面があるますね。 その事を常に意識して、緊張感を持って詩作に臨むことが大切だと感じました。 (松明を掲げよ)

2017-06-19