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August will not come
あなたの声をいつか聴かせてほしいと、いつかはこず、誰かの声が身代わりとなる。あなたはそこかしこに体液を撒きちらし、これは自分の分身だとうそぶいて、身代わりになったものたちが頷くのを待っていても、その実、砂漠に落とされたソフトクリームのように溶けていった。歌で育った植物は見ている。ごみすてばに咲くオオイヌノフグリはきれいだ。火をつけたら青い血が花火みたいに燃えるかしらと、よこやりぎみに投げた私の頭上は、満天の星がほんのりと光り輝いているはずで、本当は、白い壁紙がどこまでも広がり続けているはずで、ピアノペダルをあしぶみされて作られる息づかいをかきまぜる音楽。ねえ、きっとさんざん聴こえてきたね。耳を塞ぎこむ葉脈に手を重ねて思った。だから永久に完成しない図書館の場所を教え、靴跡を残しながらはぜる質量がゆき過ぎる。ひらく自動ドア、詩集で埋め尽くされた雪の日、最後の一枚、血のにおいのする本を見つけてしずかに叫んだこと、どうしていつも息をすっているの?と。 一面に広がるトウモロコシ畑。耳たぶにゆれるキャベツ畑。直線に伸びる草丈は、あわい眩暈の色を知っている。散水機は時間を忘れては水を撒き、涼しい影が通り過ぎ、ときおり穂先は小さく波立つように背伸びをし、太陽は冷たい回想に耽りつつも自らをじわじわと焼いていた。側道を歩く女の子。トウモロコシの葉っぱを葉巻代わりにして、季節の終りにハミングをしている。モンシロチョウは青い花を一瞥しながら、止まるべき箇所を間違えている。彼女がつまずき転んだ窪みは私も何年か前に正相をした窪みで、それは後にも先にもこの一回きりだったけれど、転び終わった彼女の細い腕のあざは、これから信号機みたいに色を変えていくだろうか。そのうち女の子が見えなくなった。映画の中でしか体感できない声の周波や、周りの静音が交差しつつも折り重なっていく景色の色を数えながら、ふるいにかけられた夕立が私の肌にたどり着く前に揮発して、そして幽霊みたいに散水機が震えだす。 あなたは私のお腹のなかにいたはずなのに、手当たり次第にものを蹴散らかして、ユーフォ―がきたんだと笑った。 君の目は色々なところに落ちている。机の下、本と本の隙間、クジラが食べなかった唯一の人間について、世界はまだ鮮やかさに埋もれていたい、うそつきが言い残したあわい本当、君の目は形を変えて、誰にも見つからないように身を潜める。君は誰だい?と言って、僕は君の目だけをポケットへ仕舞った。君の目はポケットの中で鮮やかに光り輝いていた。僕はそれを握りつぶしたくなる衝動に駆られた。クジラが食べなかった唯一の人間の名前はハヅキといった。確か海でおぼれじんだはずだ。全部、ポケットの隙間から漏れた光が見せてくれた。君の目は片方しかないはずなのに、君は平衡感覚を保っていられる。うそつきが言う「世界はまだ鮮やかさに埋もれていたい」など。その真意を確かめることはできない。だって彼女を海が浚っていってしまった。確か、名前は旧暦にちなんでつけられていた。まだ生きているかな、君の目が見てきたことが本当になってしまう前に、僕は自分自身の目を捨てた。1) 1)著者不明.August will not come.出版者不明.出版年不明.p7. 青くきれいなつづまりの音。船をしならせるには十分な重さで、誕生石を全部作って、花束の代わりだと、かわりばんこに海辺に捨てる。先にいく波を、後からきた波が汚し、それが、終わりつづけている。潮だまりで拾ったリーフレットを読み、終わり、貝殻に戻すとき、ひりひりと文字は傷つき、ゆびきりの紙をめくる風があたった。くべられた流木に、離ればなれに温まり、誰でも歌える歌じゃなかった。歌は睫と句読点を燃やし、ほとんど何も見えない。船の先に立ち、墓をつくり、星粒の満潮で飾り着を洗う、素敵に見えた。声が、帆の折れかかった沈没船のように帰っておいでと、昔話を横たえさせて、操舵室から見える特別な景色を守り袋に仕舞い、鍵穴に咲く乾いた花を入棺させる。海上を彩る潮騒の火花。手首にぶら下げた視野が少しだけ平衡を欠き、波の位置をまき戻していく。埋めたはずの墓穴からは、骸たちの酒盛りが、こもり歌の波形で響き合い、まるで野外フェスの高揚が胸の一辺へと、終わりかけた言葉の意味をすみずみへと見つけ、鳥たちは合言葉を選んだ。けれど透き通った嵐のように何もなく、かき集めた夜にしかなれない。目覚めた波が血管の本数を増やし、はくちょう座はあれだよ、とその一本が教えてくれた。クジラたちは寝そべりながら話をしていて、鍾乳洞のように蓄えられたひげを収集家は狙っている、うわさ話が次の日を作り、その重さでできた、窪みの長さはじっと見つめるいつかのあざで、水でしきつめられた別れだった。海中の碇が取り外され、離岸するはやさになると、子どもたちがやってきて、祝福の、旗を振ってくれている。 ため息の言葉は意味を優しさと捉えると安心したように眠れた。それはどんな声で、どんな植物の流した涙で、まして歌のない音楽だったと、でたらめに零した気持ちをゆらゆらとくゆらせ、開演時間だとあたたかく知らせる。映画館とポップコーン。素敵なブザーが暗闇を満たして、見ることをそっちのけにして踊る、私たちを見る幽霊は裸のままだ。売店は優しいお金が飛び交い、後ろから透け出る手がスクリーンに穴を開ける。裏側で何やら、焼き上がった頭骨を白く丸め、空のバケットにあまさずに入れていた。幽霊は口をひらき、寂しくてしょうがないのとゆらめき、骨のない物語が始まり、十五光年を一夜に近づけるための呼吸で、誰かのせいにされて死にたくない。その本はずっと前に叫ぶ声として埋められ、血の色がつかめたらいいと思った。映画の終盤、青白い若葉が芽吹き、あなたの居場所は、耳たぶの厚みに茹でられ、暗闇にのこった私に勘違いをさせた。声はだんだんと近寄ってきて、ついえる歌と一瞬でねじり合わさる。
August will not come ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1228.2
お気に入り数: 3
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2023-11-02
コメント日時 2023-11-04
項目 | 全期間(2024/10/08現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
いいなあ、この感じ。私もよくやる手だ、でもこんなにきれいに書けない。めっっちゃいい。楽しめました、ありがとう(^^♪
0「青くきれいなつづまりの音。」で始まる連が、他の部分よりも美しさの点でやや優れているように感じました。 ここだけ切り出しても独立した一篇の詩として成り立つような気がします。 でも全体的にいいですね。 「ごみすてばに咲くオオイヌノフグリ」 「耳たぶにゆれるキャベツ畑」 「クジラが食べなかった唯一の人間」 「十五光年を一夜に近づけるための呼吸」 など。様々なイメージを湧き上がらせます。
0フリーダイビングのように詩の世界を深めていくA・O・Iさんの世界には遠く及びませんが、アメンボのようにいくつかの水溜りを渡り歩けたらいいなと思います。コメントを頂きありがとうございました。
1>「青くきれいなつづまりの音。」で始まる連が、他の部分よりも美しさの点でやや優れているように感じました。ここだけ切り出しても独立した一篇の詩として成り立つような気がします。 分からないように整えたつもりではありましたが、どきりとしました。七月の夜空感を出したいと思い、この連を後付けしましたので。抜き出して頂いた箇所は、連と連を繋げる橋渡しのような意味を持たせてみたり、少しだけユーモアを含ませたくて書いた部分ですので、触れて頂けて嬉しかったです。ご精読頂きありがとうございます。
01.5Aさん まだ感想がまとまっていないのですが、素敵だということ、この詩が大好きだということを伝えたくて。 またコメントしにお邪魔してしまうかもしれません。
1鎮魂だろうか。描かれる喪失は取り残された自分を責める口実なんだろう。この作品を残酷で鮮やかな夢として堪能するのが正解のような気もするが、どうしても「1)著者不明.August will not come.出版者不明.出版年不明.p7.」の異物感が消化できない。ここを読んでくれと言われている気がしているのは妄想癖の強いゼッケンです。1.5Aさん、こんにちは。この作品のタイトルにもなっている書物の名前。8月=葉月。「名前は旧暦にちなんでつけられていた」と念を押すように書かれている。彼女は「クジラが食べなかった唯一の人間」であるので、ほかの人間はクジラに食べられている。我々はクジラに食べられた人間である。クジラが食べなかった彼女は海にさらわれた。我々はクジラに食べられたせいで海にさらわれていない。雪の日に「どうしていつも息をすっているの?」と静かに叫ぶ。 > 世界はまだ鮮やかさに埋もれていたい、うそつきが言い残したあわい本当 作中話者がうそつきと非難しているのは15歳でいなくなった彼女だろうか? それとも彼女の存在をいまだに感じている自分自身だろうか。それ以来、話者の世界は色あせてしまったのかもしれない。。。勝手な妄想を膨らませて勝手に書くのが辛くなってきたのでもうやめとこう。じゃ。
0ありがとうございます。読む人の心を貫くような詩がいつか書けたらなと思っているのですが実際なかなか難しいです。「靴を履き、物語をポケットに、ポエムを歩く」から過去作を読ませて頂きましたが、詩を書く理由は人それぞれだと思いますので押し付ける気は全くありませんが、読み手の気持ちを強く打ち抜くことができる、そんな詩を完成させることができる方だと思っています。前にコメントをさせて頂いた内容が分かりにくかったかもしれません。この場をお借りして摘記させて下さい。
0こんにちは、ゼッケンさん。 図書館にあった血のにおいのする本=かろうじて読むことのできた1枚(P7)と奥付=August will not come=8月は来ない、8月はうそつきのように、クジラに食べられるよりも残酷にいなくなってしまったらいいのに、ずっと7月のままでいい、ずっとずっと、なぜなら―。という気持ちを粉本のように忍ばせました。分かりづらすぎて忍者かもしれません。忍者の気持ちを少し考えました。お読み頂き、ありがとうございました。
0作品へのコメントではなくて恐縮なのですが 僕には昔、憧れて憧れてやまないネット詩人がいて。この作品にその方の面影のようなものを見出してしまいました。 友人と呼ぶのは烏滸がましいくらい、僕よりずっと先を走っていらっしゃった方で、コメント欄とTwitterで少しだけ交流させていただいたのはいい思い出です。彼はいつも不意に現れて、不意に去っていく。この作品の「あなた」のような人でした いま感傷に押し潰されてしまった僕の目はシリカゲルをかけられたようにカラカラです。無垢な瞳に再生されますように、とオヤドリを埋めてしまった後の鳥籠に願を掛けます。 失礼しました。いずれまた感想をお伝えする機会もあるでしょう。 自分の感傷とは別に、今はこの作品に耽溺させていただきたいと思います 素晴らしい作品に出会えて、舞い上がっている僕をどうかお許しくださいませ
1言葉の無力さ、その絶望とまでは言いませんが、特に発話(音声)と書かれた文章(テクスト)の断絶に関して書かれた作品だと思いました。 四連目の引用として引かれている(風を装っている)部分で描かれる彼女はきっとフヅキ(あるいはフミツキ)というのでしょう。(ハヅキ=葉月=言の葉≒パロール、フヅキ=文月=文=エクリチュールの対比) その彼女が波にさらわれていったこと。文、すなわち文章で書かれた言葉は、失われてしまいがちであること(パロールはエクリチュールに優越するが、やがてエクリチュールがパロールを侵食しはじめた、そんなような関係がこの引用部の「僕」と「君」との間に存在している様に読み取れます) あるいはそれは >うわさ話が次の日を作り というように詩とは隔絶した単なる安易な物語に回収されてしまい、情動や感覚は明確には伝わっていかないことを表しているのかもしれません(物語のディスクールに回収されてしまうこと。時代の権威性に飲み込まれてしまうこと) 詩に仮託することで安易な物語として消費されることに抗い、その言葉そのものの持つ線上時間軸の参照性によって点と線が結ばれていく。そうして言葉以前の「想い」や「詩情」と言われる曖昧なものが明らかになっていき、読者(他者)と共有されるはずであった。けれど悲しいかな、それらは容易く受け取り手の持つ物語の中に回収されて本質を失ってしまう。果たして詩とは、書かれた文字-文章とは、悲しくも伝えるという役割を持ちつつもそこから離れていくばかり、そういった悲しみを感じます マラルメが試行した「絶対言語」とその理想に届かない、結局は不自由な言葉というものが本質的にもつ断絶を表しているような…… そういえば御作『チョコレート』も差延的な痕跡(これも断絶ですね)を読者に感じさせるような稀有な実験作であったと考えれば、同じ系統の作品と言えるかもしれません。 レイアウト、再演の構造、身体と精神、その他。言語の性質を通じていろいろなことを考えざるを得なくなりました(と同時にモデル読者、経験的読者への思考も禁じ得ません) ひととひとは分かり合えぬもの。特に言葉を通じては けれども分かり合える可能性の幻想に眩んでしまったからこそ、僕は詩を書き続けているのかもしれない 逆相(正相ではなく!)ですが、そんなことを考えました。そしてそのことをこれから僕も詩を書く上で考え続けなければならないと、改めて思いました 拙い文章であり雑な感想となりましたことを謝罪しつつ、今作を読ませていただいた事に感謝いたします
0まず9月、拙作に御選評頂きまして誠にありがとうございました。 僕の知っていること、それから、知らなかったことについて、色鮮やかな言葉が躍るように語りかけてくれました。それは冷たい水に手を差し込んで、濡れた手の温かさを見せてくれる行為だと、他の方のコメント欄に書かせて頂きましたが、本当にそのような御選評であったこと、そうした刺激を頂けましたことに深く御礼申し上げます。 僕もいます。もう書かれていらっしゃらないかもと思いつつ、ネット上では読めなくなってしまった作品も幾つかあり、時々読みたいと思い出しながら、残された詩を読みながら、その方の詩の影を追いかけているのかも知れません。ついぞ言葉を交わし合うということはありませんでしたが、片々さんとそのネット詩人の方は交流を持たれたということ、とても重要な意味があるのだと感じます。叶わなくなってしまった願いごとに、僕はしんと目をみはります。 August will not comeにもお言葉を頂きまして、ありがとうございました。そのお言葉を辞書として、自分の書いたものの意味をしっかりと捉え直したいと思います。-ひととひとは分かり合えぬもの。特に言葉を通じては けれども分かり合える可能性の幻想に眩んでしまったからこそ、僕は詩を書き続けているのかもしれない-というお言葉、素敵でした。断絶ということ、その溶け込まない色があるということに、夜の深い色合があることを思い重ねました。それからこの話には静かに七夕に因んだ用語を浮かべました。また少しだけ、違ったふうに始まっていくかも知れません。見守って頂けましたら幸いです。
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