作品投稿掲示板 - B-REVIEW

m.tasaki


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エセ詩人

2024-01-01

微細な火花が

2023-11-11

連詩:古城

2023-11-01

ゆらぐ色

2023-10-11

連詩:旅路

2023-10-01

水のコトバ

2023-09-09

連詩:交感

2023-09-01

夢診断

2023-08-11

打ち上げ花火

2023-06-10

金属の魚

2023-05-03

AI

2023-04-15

水の中の網

2023-04-08

糸のような光

2023-04-01

地球儀

2023-03-04

籠絡の矢

2021-07-11

ある夢想

2021-07-03

腹いっぱい

2021-01-02

セグロカモメ

2020-11-21

無声の痛み

2020-10-28

平らな否定

2020-10-26

広告と猫

2017-12-16

Bの鉛筆

2017-12-02

逆さの象

2017-11-12

裸の水

2017-11-05

霧雨

2017-10-28

水柱の重さに

2017-10-21

視点

2017-09-12

暗夜の白花

2017-09-05

秋の花色

2017-08-14

2017-08-05

十三階段

2017-07-16

タイルの目地

2017-07-08

松明を掲げよ

2017-06-18

コメントをありがとうございます。 「良心の灯」と仰っていただき、たいへん嬉しく思います。 やはり肩書にこだわりすぎているのかもしれません。 体調が回復しましたら、また少しずつ投稿やコメントをさせていただこうかと思います。 お気遣いありがとうございました。 (エセ詩人)

2024-01-06

コメントをありがとうございます。 「詩が男なるものを書き綴っていたんだ」 自分が詩を書くのではなく、自分が詩に書き綴られている。 言われてみれば、そんな気もします。 独自の解釈をありがとうございました。 (エセ詩人)

2024-01-06

コメントをありがとうございます。 「詩の定義って曖昧」 「ある種、素数みたいなもの」 なるほど、そういうものなのかもしれませんね。 お気遣いありがとうございました。 (エセ詩人)

2024-01-06

コメントをありがとうございます。 「そうでなければ  神々だけが遊んでいれば  いいのだから」 そういう見方もあったのですね。 新たな視点をありがとうございました。 (エセ詩人)

2024-01-06

コメントをありがとうございます。 私を詩人と仰っていただきありがとうございます。 仰るとおり、自分が何者であるかは他者によって決められるのかもしれませんね。 (エセ詩人)

2024-01-05

コメントをありがとうございます。 確かに「詩人」という肩書に固執し過ぎなのかもしれません。 アイデンティティーが不安定なのです。 (エセ詩人)

2024-01-05

コメントをありがとうございます。 詩を書きながらも、自分は詩人ではないと感じている人は、どれほどいるのでしょう。 (すみません。宛先を間違えたので二重の返信になってしまいました。) (エセ詩人)

2024-01-04

コメントをありがとうございます。 詩を書きながらも、自分は詩人ではないと感じている人は、どれほどいるのでしょう。 (エセ詩人)

2024-01-04

コメントをありがとうございます。 「魂の詩人」。 言うは易し成すは難しで、己の内のエセ詩人から逃れられる術が見つかりません。 残念です。 (エセ詩人)

2024-01-04

コメントと返詩をありがとうございます。 釈迦の言った言葉を思い出す。 「善い言葉のみを語れ」 真の信心を持っているならば、そこから発せられる「善い言葉」はやはり、存在と深く結びついたものなのでしょうね。 (エセ詩人)

2024-01-04

コメントをありがとうございます。 「自分が理解しがたい詩を書くようになること」 「心の慰めや助けなどとは程遠い行為で、言葉そのもののリアルと向き合うこと」 そういったことがなかなかできない、その想いを 「己は詩人であると  己自身を欺くことに  疲れきってしまった」 というところに込めました。 真の詩人とは天性のものではないかと、そんなふうに感じています。 (エセ詩人)

2024-01-03

済みません。 連詩もしばらくお休みさせていただきます。 (連詩:記憶の宝石)

2024-01-01

コメントをありがとうございます。 確かに主観的な詩人と客観的な詩人とは異なりますね。 自分が詩として書いたものが、他人から「こんなの詩じゃない」とみなされることもあるのですから。 そんなときはなかなか辛いです。 (エセ詩人)

2024-01-01

体調不良のため、しばらくお休みさせていただきます。 (エセ詩人)

2024-01-01

振り向いてくれない人を想いながら飲む酒は、とても苦いでしょうね。 その「苦さ」をもっと言葉にして表したほうがいいのでは、と感じました。 (酒)

2024-01-01

自分の周りにいる人々と異なるという違和感を感じながら生きてゆく心情を描いた詩のようですね。 むしろ詩を書く者は皆、そんな思いを多少の差はあれ抱えているのかもしれません。 「海底と星が、やさしく喋って」 「宇宙は暗い、袋みたいだ」 「深夜に生きる、泣く蛇がいて」 「鏡の中にも、ない切なさの」 これらの表現に感受性の高さか伺えます。 そんな感じやすい心故に、誰かと出逢うことは奇跡となり得るのでしょう。 繊細な感覚の詩だと想います。 (蛇雲)

2024-01-01

ニーチェの「神は死んだ!」みたいですね。 地球の環境を守ろうと掛け声だけは勢いがあっても、総論賛成各論反対で世界の人々の足並みは揃わず、状況は悪化するばかり。ルサンチマンが渦巻いているようにも思えます。 「おくりびとは地球のことを家具の類だと思っているらしい。」 という表現が斬新で面白いと感じました。 今の地球の表情は、守ろうと努力している人々と、たいして気にしていない人々との、まだら模様のようです。 また、「あの製図士」とは誰のことでしょう。 所謂インテリジェン・デザインを描いた存在を指しているのでしょうか。いろいろと想像が膨らみます。 そして、末尾が「なぜなら」で終わっているのもどこか意味深長ですね。 面白い詩だと感じました。 (葬儀、地球の)

2023-12-23

すみません訂正します。 連詩歴の→連詩への (記憶の宝石(連詩の試み))

2023-12-22

連詩歴のご参加ありがとうございます。 仏様が訪れましたか。 確かに仏の教えには金剛石の象徴がありますね。 (記憶の宝石(連詩の試み))

2023-12-22

連詩へのご参加ありがとうございます。 「しわくちゃの胚芽」というのが面白いと感じました。 (記憶の宝石(連詩の試み))

2023-12-22

連詩へのご参加ありがとうございます。 硬質な感じで、いいですね。 連詩全体に変化がもたらされます。 (記憶の宝石(連詩の試み))

2023-12-22

連詩へのご参加ありがとうございます。 「水に浮かぶ鏡」 幻想的でいいですね。 (記憶の宝石(連詩の試み))

2023-12-21

私も子供の頃は、時々空想の世界に入り込んでいましたが、否が応でも現実に引き戻されていましたので、いつも帰り道を気にしていたという感覚は新鮮です。 多分、私よりもずっと入り込み方が深かったのでしょう。 2連目の家の中のいろんな場所が目印(通り道?)となっているのが、ノスタルジックな感じで良いですね。 3連目の 「いつでも地に足が付いていた、ような」 というところと、最終連の 「僕は本当は、早く家に帰りたかった」 「だからあの日、僕は泣いていたのか」 というところに、自分自身への仄かな怖さが感じられます。 それを自覚したとき、少し自由が広がったのでしょうか。 そう考えると、少年期の成長を描いた詩のようにも思えます。 (そして少し、自由が広がった)

2023-12-20

今の日本は家に花を飾る習慣があまりないのでしょうか。花を買うときに花屋の店主が「店主がどなたに向けたものですか」と聞いてくるのか、そのことを表しているように感じました。 「花売りが川に花を落として乙姫に贈る童話があった気がした」 という1行がとても良いですね。 その次の、たった一人の誕生日の侘しさを際立たせています。 末尾の「花だけが本物のようだ」というところも、締めとしてしっくりくる感じで良いですね。 なんてことない情景を上手く表現されているいい詩だと思います。 (花束)

2023-12-19

別れをうたった詩でしょうか。 「ふるふる揺れる視界の向こう」というところに、何か実感のようなものがこもっていて良いと感じました。 もう少し作者の心情を何かに喩えた表現がほしいかなという気もしました。 (今、暇乞いを)

2023-12-19

ととのった暮らしを裏返すというのが面白い表現ですね。 換気用の穴から出てくるサンタさんとは、どんなサンタさんなのでしょう。 ほんの幽かな希望の象徴? 何となくそんな気がしました。 (管理)

2023-12-18

忘れ去られたかのような小さな祠の、しずやかな雰囲気が 「しめった土のにおい  木洩れびとしずけさ」 という言葉を通して、上手く描かれていると感じました。 ただ末尾の「時代は尖りさむい」と、その直前の連との間に、幽かな者たちの声を聞いたときに心の内に湧き上がってきたものを描いたほうが、全体の構成から見て良かったのではないかなと、そんな気がしました。 でも雰囲気は良いと思います。 (幽界)

2023-12-16

アスファルトの上のチューイングガムのような命。 どこにでもあるシミのような人生。 そういったものの内に垣間見る、前衛的な美しさとは幻影なのか? この世界での生きにくさは、どこか見知らぬ世界では和らぐのだろうか? いろいろなことを感じさせてくれる詩ですね。 (アスファルト上、どこにもいけないお前へ)

2023-12-16

いつか自分が死んで、世界からいなくなっても、この世界は何事もなかったかのように、ごく普通に坦々と進んでゆく。そのことが何かひどく不条理なことのように感じることもあるでしょう。 でもときにはそのことが、心の救いになることもあるような気がします。 この詩の仔牛はひどい細菌性の肺炎だったのでしょうか。 野生のホッキョクグマの赤ん坊の生存率は50%以下という話を聞いたことがあります。 動物の世界では、仔が成熟せずに死んでゆくことは珍しいことでもも悲惨なことでもなく、ごく当たり前のことで、そんな中で、それを織り込み済みで命が繋がれてきたのでしょう。 自分が死んでも世界は普通に進んでゆく。それが当たり前のことで、そうであることが救いである。そんなことを考えました。 (遺す)

2023-12-16

コメントをありがとうございます。 力作との評をいただき、たいへん嬉しく思います。 文字数制限についてはあまり意識していませんでしたが、自然とこのような形になりました。  ツタっぽいビジュアルになって良かったです。 (壁を覆う草の葉)

2023-12-15

コメントをありがとうございます。 力作との評をいただき、たいへん嬉しく思います。 街中の壁面緑化を見て、何となくこんな詩を思いつきました。 (壁を覆う草の葉)

2023-12-14

ミラーニューロンの呟きのようですね。 ただそれを直覚的に、まず「痛み」として表しているところが新鮮に感じられました。 (思想)

2023-12-13

意味を見出そうとして無駄な努力を払ってしまう。 誰にでもあることだと思います。 塗り固められた嘘の石膏を打ち破るのも、詩の役割りのひとつなのかもしれません。 (さみしさ)

2023-12-13

神話の形をとった詩ですね。 もう一つのプロメテウス神話のようです。 ここに出てくる人類とは、我々とは異なる別の世界、所謂パラレルワールドの中の人類のように読み取れます。ですから 「お前ひとりがプロメテウスだと思うなよ?」 ということなのでしょう。 異なるいくつもの世界にいくつもの人類がいるならば、それらの人類に火をもたらしたプロメテウスも何人もいることになりますから。 そして、知性は地図を描くものであり、それにより己の道を見出すものならば、今生きている我々は未だ己の道を見いだせていない、後継者争いの真っ只中にいる未熟な存在であるような気がします。 (火と計画)

2023-12-13

寂しい詩ですね。 捨ててしまって通り過ぎた時間。後から振り返って何かあったかのような気がしても、やはり何もない。残っているのは仄かな寂寥だけ。 誰もが経験することなのかもしれません。 表現としては、連が細かく分かれて書かれていることで、淡々とした感じが出ていて、寂寥感が上手く抑えられているところが良いと思います。 (さよならの時間です)

2023-12-13

窓外の初雪の内に過去の思い出を観ている自分、その自分を客観的に観ているもうひとりの自分がいる。 「居たたまれなくて  軽く笑う」 それがそんな自分の分裂を表しているような気がします。 この詩を読んで、心理療法のフォーカシングを思い浮かべました。 また末尾の、 「返事は、ない。  なくてもいい。」 というところが、孤独な今の自分を受け入れている感じが出ていていいですね。 (雪)

2023-12-10

旗に託された理念は、人を団結させ協力させるにはこともあるが、逆にひどく苦しめて孤独に陥らせることもある。それでも人が旗を棄てられないのは、人とは己の寄る辺となるものを常に欲する存在だからなのかもしれません。 旗について美しく綴られていますが、内容的にはデリケートな一面もあります。 所謂「サヨク」的な考えの持ち主は、この詩の内容に拒否反応を示すかもしれません。 個人と共同体、どこでバランスを取るべきか難しいところです。 (旗)

2023-12-10

学生時代の思い出を綴った詩のようですね。 中ほどの、 「烏には烏の 硝子には硝子の  言葉と舌先がある」 という表現が面白いです。 どこか飄々としていて軽い感じの人を見ると、何事も重く受け止めてしまう人には、羨ましく思えてしまうものです。それが、 「密かな憧憬の念を抱いていた」 ということなのでしょう。 でもよくよく考えれば、そんな飄々としている人にもその人なりの悩みや苦しみがあったのでしょう。そのことが 「彼女は押し黙り石ころ蹴飛ばし笑っていた」 というところに表されているように感じました。 どことなく寂しさを感じさせる作品です。 (じゃっかる)

2023-12-08

なんともシュールな感じの詩ですね。 「A罫線のどぶろく」とは、たまたま目に入ったノートから書いたのでしょうか。 かび臭い玉手箱から様々な動物が飛び出してきて、おとなしいながらもうなり声をあげているところが面白いです。 言葉の品評会と水質検査。どこか繋がるところがあるような気もしました。 不思議な雰囲気の詩です。 (水質検査)

2023-12-07

他人は他人、自分は自分。 他人と自分は性格も習慣も価値観も異なるもの。 頭ではわかっていながら、一緒にいるとなかなか難しいこともありますね。 そのへんをもう少し掘り下げても良かったかなという気がしました。 (マリッジブルー)

2023-12-06

こんにちは。 現在一部の小中学校でお金に関する授業が少しずつですが始められてはいるようです。 ただ、私の個人的な意見としては、お金の授業と同時に、社会的な公正を実現するための有権者としての授業も行って欲しいと思っています。 そうしなければ競争競争で他者を押しのけるような考えばかりが強くなって、弱者を置いてきぼりにするような社会になってしまうような気がして心配だからです。 社会的包摂が実現した世の中になって欲しいと願っています。 つまらないコメントを済みませんでした。 (人間として)

2023-12-05

悪戯で仕掛けた落とし穴に自分が落ちてしまうというのが、何かを象徴しているようですね。それが時の穴であることも。 はっきりとはわからないのですが、己の浅はかさへの後悔と諦念のようなものを感じます。 表現の点では 「記憶の屑が泣いたり笑ったりして」 「夢中の満月」 「どん坐って死んで雪しんしんと」 といったところが、どこか吹っ切れた感じを出していて良いと思いました。 (己れを聴く)

2023-12-05

宇宙旅行が夢ではなく、逆に夢を覚ますものというところに意外性があっていいですね。 (いま)

2023-12-04

夢は夢でしかなく、現実とは何の関わりもない、現実に何ももたらさない、そんなふうに思える詩ですね。 「本当のことを言うやつは人殺しだった」 誰も本当のことを知りたくはない。知ってしまえば自分の一部(あるいは大部分)が死んでしまうから。 だから真実を語るものは常に憎まれるのでしょうか。 そんな現実から逃げて夢を見ていた自分自身への嫌悪をも、仄かに行間に感じました。 何だか哀しい詩です。 (インソムニア)

2023-12-04

なんとも言えないやるせなさを感じさせる詩ですね。 銃声も砲声も爆音もない前線。その中で一兵卒として生きざるを得ない者の哀しみを描いているようです。 「人生は名前のない器」 「汗と血と涙の意味を静かに考える」 という表現にその哀しさが滲み出ているかのようです。 そして末尾の 「過去に向かって遠く風景を見遣りつつ  前方に己以外の敵を見ない」 最前線で対峙している敵は己自身というところが秀逸だと感じました。 それ故過去へ向かって遠のく風景にあるのは、己自身の躯の数々なのかもしれない、そんなこともをふと思いました。 (静かなる前線)

2023-12-04

1連目の表現がいいですね。特に冒頭の 「歩き疲れた足を  花屋に置き忘れて」 というところが秀逸だと思います。 また、「色漉しコースター」というのは、カーテンに滲んだ冬太陽の薄明かりのことでしょうか。 これもまた面白い表現だと感じました。 でも坂の上からの声とは何でしょう。 花屋に置き忘れた歩き疲れた足からの声でしょうか? そして、この歩き疲れた足とは何を表しているのでしょう? いろいろ考えてしまいます。 短いながらいい詩だと思います。 (plant)

2023-12-03

訂正:追い浮かべました。→思い浮かべました。 失礼しました。 (Human lost)

2023-12-03

タイトルと「四海埋め尽くす 麦を踏んでいく」というところから、進撃の巨人の「地鳴らし」を追い浮かべました。 「いたましく」「からっぽ」という言葉が、どこか主人公のエレンの心情を表しているかのように思えたからかもしれません。 「そこに行く」「これは修学旅行には行きません」というところが意味深長な感じで、何を指し示しているのかいろいろと想像してしまいます。 不思議な感じの詩ですね。 (Human lost)

2023-12-03

ブラックジャック(漫画)に「人面瘡」という回がありました。 人の顔の形をしたできものが、顔面に現れた男の話で、その醜い人面瘡は実は、その男の良心の顔だった、という話です。 この詩を読んで、なぜかその話を思い出しました。 (向こう側の意見)

2023-12-03

もしかしたらこれは自伝的な作品なのでしょうか。 全体的に重苦しい雰囲気ですが、身に降りかかった出来事を指折り数えてゆく構成に、不思議な迫力を感じました。特に、 「夜はひそかに減摩している  従順にしたがう者だけが生還するのである」 という表現が秀逸だと思います。 何故かフランクルの『夜と霧』を思い出しました。 (或る人)

2023-12-02

コメントをありがとうございます。 自分の連が何連目になるかわからない状況でご配慮いただきありがとうございました。 これはなかなか難しい問題で、なんとか対策をとろうかと考えたのですが、事前に調整をするとなるとだいぶ時間も手間もかかってしまいますので、申し訳ありませんがこのままで続行させていただこうかと考えております。  このやり方でも、陶芸における偶然の景色のようなものが出てきて面白いかなとも思います。 今後とも宜しくお願い致します。 (連詩:時に晒された電波塔の独白)

2023-12-02

1連目の「あの女(ひと)もまた半端な人(ひと)」というところに、自分も半端だが大切な人また半端、互いの弱さを認める想いが表れていると感じました。 そのことを認めたうえでの別れには、切なさを伴う甘美さが宿るのかもしれませんね。 (僕が「星を掃きたい」と言うと、彼女は)

2023-12-02

仏教で言う「諸行無常」「生者必滅会者定離」というところでしょうか。 あらゆるものが移りゆくことを受け入れようと思いながらも、そこに氷のような寂しさが宿る。 そんな2連目の表現が巧みだと感じました。 (うけざら)

2023-12-02

詩句のすべてが何かのメタファーなのか、それとも言葉とその意味を切断した、シュルレアリズム的な作品なのか、今ひとつ判断がつきかねています。 ただどちらにしても、 「こんなに冷え切ったのはなぜだろう」 という言葉がとても印象的です。 現代の混沌とした世界、混沌とした言葉、そういったものへの想いや嘆きのようなものを感じさせます。 (コンナニ ヒエキッタノハ ナゼ)

2023-12-02

この社会に本当に疲れたという感じが、ひしひしと伝わってきます。 疲れて一休みしたいのに、世界のスピードは早くなるばかりでそれが許されない。 空虚な言葉ばかりが溢れかえり、欲望をかきたてるのが故に、欲しいものが何も手に入らない。 充実した華々しい生き方が喧伝されるのに、自分は何も思い通りにゆかない。 そんな想いが如実に表されてると感じました。 完成した作品をつくるというよりも、内に秘めたものを吐き出してしまいたいという切実な想いが書かせた詩であると思いました。 (感情)

2023-12-02

一読して「なるほど」と思いました。 現代の電話の便利な機能が、逆に虚しさや苦悩を生んでしまう。 見過ごしていた新たな視点だと感じました。 表現の面では、1連目がノスタルジックな感じでいいですね。それを受けた2連目も心情が上手く表されており、また、次の展開を期待させる効果もあります。 ただ、5連目の 「電話帳を  開けば」 というところはその次の連に付けて、 「もう  鳴らない  電話」 というところを一つの連として独立させた方がより効果的な気がしました。 また、最終連の「着信は」は、「着信が」にしたほうが自然な感じではないでしょうか。 でもこれらの指摘は些末なことで、全体として切ない心情が上手く表されている、いい詩だと思います。 (満たされる着信がほしい)

2023-12-02

真偽や善悪の境界が曖昧となり、感情優先となってしまっている今の社会で、何が正しいか、どうあるべきか、何を語るべきか、わからなくなり動けない。そんな心情が巧みに描かれていると思います。 ナイフのような三日月、湖畔の白亜の城、映し出されたフェルメールの絵。それらのメタファーが目に浮かぶようです。 特に最終連の表現が締めとして秀逸だと感じました。 (三日月の残像)

2023-12-02

コメントをありがとうございます。 確かに、3連目以降は自分の連が何連目になるかわからないので難しいかもしれませんが、今後とも宜しくお願い致します。 (連詩:時に晒された電波塔の独白)

2023-12-02

コメントをありがとうございます。 お送りいただいた各連をただ繋げただけで、特に編集らしいことはしていなかったのですが、何となくまとまりのある詩になったと仰っていただき、たいへん嬉しく思います。 最後の連では、自分からあらゆるものが遠ざかってしまうという感覚を表すために、「赤方偏移」を使いましたが、一般にはあまり馴染みのない言葉だったかもしれません。 (連詩:時に晒された電波塔の独白)

2023-12-01

冒頭の2連を読んで、金剛般若経の「微塵は微塵にあらず、それを微塵となす」とか「世界は世界にあらず、それを世界と名づく」とかいう言葉を思い出しました。 人は世界を言葉によって分割し、頭の中でそれを再構築して世界のモデルを作ります。 この詩ではそのモデルに魂を観ているように思えます。 ただ、言葉とは世界から切り出されたものを抽象化したものなので、言葉の意味と、言葉に指し示された「モノそのもの」とは決して同じではありません。でも頭の中のモデルではそれらは同じ言葉で示される。そのことが 「2枚の落ち葉は同じでない  だから  手に持つ落ち葉と道に落ちた葉は  同じ」 というところに表されているように感じました。 言葉とモノの存在の有り様を表した面白い詩だと思います。 (摩訶不思議「たましひ」の発見)

2023-11-29

無限なるものへの信仰が潰えた現代では、己の欲望(金銭、名誉、創作など)に無限を求めるのかもしれません。 末尾に出てきた新幹線もまた、速さや正確さ、無事故などについての無限への追求(それが次世代へのリニア新幹線に受け継がれている)のような気がします。 また、中程にある 「理論家の言はいつも何も伝えない。」 という言葉が印象的でした。 分析的な思考は物事を細かく分けてゆくけれども、それだけでは新たなものは生まれない、そんなことを以前聞いたことがあります。それを思い出しました。 無限なるもの(価値?)を失った現代に生きる我々は、己の無限なる欲望に従って、ただ生き延びるしかないのかもしれません。 面白い作品だと思います。 ただ、全体としてロジック主体であるのに、最後の方に出てきた 「あまりにも長い静岡県が追い抜いていくのを感じているはずだ。」 という感覚的な表現が、やや唐突で浮いているような感じがしました。 (強い口調)

2023-11-28

「月が落っこちてくる夜に  枯れると言った花はひとつもなかった」 「天使たちは月が落ちてくることを赦しだと言った」 これらの表現が美しいと思いました。 世界が終わる瞬間に、大切な人の手の温もりを知る、というのも良いと思います。 ただこの最後のところは、人によってはもの足りなさを感じるかもしれません。 (逢瀬)

2023-11-27

面白いですね。 「この症状は 根雪ですね」 という診断が斬新だと感じました。 「まだ霜月ですが…」 という問いかけもウィットが効いています。 確かに慢性疾患は、ずっと融けずに居座っている根雪みたいに感じられますね。当の患者さんからすれば、本当に春が待ち遠しい想いでしょう。 末尾の 「まだ 霜月なのに‼︎」 という一文に、その想いが込められているようにも思えました。 あまり関係ないのですが、「雪だるまドクター」というところを読んで、『ジャック・フロスト/パパは雪だるま』という映画を思い出しました。 子供向けの映画ですが、そこそこ面白かったです。 (病気)

2023-11-27

行列の並んだ福引の大当たりが人類の滅亡というのは、皮肉な感じですね。何かのメタファーなのでしょうか。 また白馬はときに世界の終わりに救世主を運ぶとも言われるそうですが、そう捉えるとこの場合は、人類の滅亡が世界の救いみたいにも受け取れます。そういう意味で「大当たり」なのかもしれません。 そういえば「地球が静止する日」なんて映画もありましたね。味方によっては、その映画へのオマージュのようにも思えます。 (福引)

2023-11-27

これはクリエイティブライティング(創作文)なのでしょうか? (市長さん & 県知事さんへ)

2023-11-25

アイロニカルな作品ですね。 「あくいくんこそが悪人で  よのなかのひとびとはだいたい善人なのだ!」 「あくいくんにとって インターネットはよのなかで」 というところに、単純な思考への揶揄を感じます。 夢のない時代の夢が悪意であり、理由なき悪意がいちばん純粋というところに、今の社会の様相を見抜く鋭さを感じました。 (あくいくん)

2023-11-24

連と連の間を「、、、、、、。」で区切っているのが新鮮です。 団地の小さな公園で泣いている子どもを日々積もってゆく哀しみの出口とみなすのも、なんとも言えぬ哀感が現れていていいと感じました。 1連目の 「隣であなたは眠っていますか?」 「仕事に出てもあなたは待ってくれますか?」 「たばこをふかせばため息に化けますか?」 「あなたはコーヒー入れてくれますか?」 こらの内容が他の行と若干ニュアンスが違うようにも思えますので、まとめて 「あした目が覚めて、私は私だって思い出せますか?」 の手前に持ってくるのもいいかなと、そんな気がしました。 (穂月知実~『あした目が覚めて』『悲しみの出口』)

2023-11-24

梅酒が飲みたくなりました。 ジュンサイは食べたことがないのですが、美味そうだというイメージだけが先行しております。 何故か「モダンに徹することが必要だ」という言葉が心に残ります。 (シュークリーム)

2023-11-24

タイトルの「素描」のとおり、心に浮かんだ景色や言葉を、思いつくまま描いたような印象を受けました。 個人的には、 「羊羹に須く宇宙の間取り」 「詩地図を画す  名前から錆びていく」 『「おまえ手桶に花を挿したか」  「おまえ」  「おまえ」  「おまえ」  「おまえ」』 「手足長い虫にたくす時間たまゆら」 といったところが面白く、また、美しいと感じました。 ところで、「サエキカルダモン」とは何ですか? これだけは調べてもわかりませんでした。 (素描)

2023-11-23

連詩へのご参加ありがとうございます。 近日中に解体されるというのが、どこか寂しげですね。 (時に晒された電波塔の独白 (連詩の試み))

2023-11-23

末尾の1行から、ある秋の思い出を描いた詩だと思いました。 過ぎ去って決して戻らない夏への心情が上手く描かれていますね。特に、 「桜もみじが曇天に反抗している姿」 という表現が美しいと感じました。 タイトルの「I hated you」とは誰を憎んでいたのでしょう。 哀しみが深くなっていく秋か、ある人への愛情の裏返しか、それとも血の涙を流していた自分自身か、色々と考えてしまいます。 (I hated you)

2023-11-23

連詩へのご参加ありがとうございます。 シュールな感じで面白いと思います。 (時に晒された電波塔の独白 (連詩の試み))

2023-11-22

連詩へのご参加ありがとうございます。 時を取り戻そうとするというのがいいですね。 尚、同じ内容がダブって2つ届いておりますが、1つの連として扱わさせていただきます。 宜しくお願い致します。 (時に晒された電波塔の独白 (連詩の試み))

2023-11-22

一読して、中原中也の「汚れちまった悲しみに」を思い浮かべました。詩の調子がよく似ていますね。 2連目に白ダリアとありますが、ダリアの花言葉には「移り気」「裏切り」「不安定」というものもあり、それらを意識して書かれたのかなと、そんな気もしました。 どちらの道に往こうか定まらないで揺らめいている心情が、上手く表されていると思います。 (天秤)

2023-11-22

全体的に均整の取れた構成の作品だと感じました。 タイトルのオスミウム、グガランナ、マムの花といった言葉の選択もいいと思います。 ただ何となくきれいに収まりすぎて、それらの言葉に内容や表現が負けているような印象を受けました。 前作のほうが幻想的な感じがして良かったかなと、そんな気もしました。 (オスミウムの愛)

2023-11-22

タイトルの「よあけまえ」が「無明」を思わせます。 その覚醒とは仏教で言う「悟り」のようなものなのでしょう。 それだけに、そう簡単には解けない謎なのだと思います。 (よあけまえ)

2023-11-22

洪水、辞書、音楽や楽隊、野生動物、映像の解像度、黒い鳥の映画、そして絵の具。 様々なメタファーが用いられている中で、タイトルが「修正液」とされているのは、日々の苛立ちとか寂しさとかの中で、間違いながらも描き続けることを大事にしたいから、そして、ひらがなで書かれたところにその思いが込められていると、そんなふうに受け取りました。 また、 「だって色なんてどれだけ重ねても白になんかならないし  黒に近付くだけだから」 というところに、思うように描くことができないもどかしさが表されているような気がして、身につまされます。 そして末尾の「(他に方法ってある?)」という言葉に「そうだよなぁ」と、一人でなんとなく納得してしまいました。 いい詩だと思います。 (修正液)

2023-11-21

この詩をが事実を元にしているのか創作なのかはわかりませんが、いつもなら絶対飲まないコーヒーを無理やり飲み込むところや、中程のひとつひとつの言葉が無数の空白で分断されている連が、とてもリアリティのある表現の仕方だと感じました。 そして、 「きっと この喪失に意味をもたせようとするが故 欺瞞」 というところが強く印象に残りました。 苦悩の中に意味を見出そうとする努力が全く効力を持たない時、明日からどう生きてゆけばいいのかというほど、人は途方にくれてしまうしまうのでしょう。 末尾に一言だけ置かれている「わたしは。」の中に、その心情が込められているかのようです。 秀逸な作品だと思います。 (出棺前夜)

2023-11-20

「サービス」という言葉への違和感や嫌悪感を綴った詩ですね。 「心から出て、心に回収されない気持ち」 という表現が、読み手により深く考えさせるような感じでいいと思いました。 サービスとはもともと「仕える」とか「奉仕する」という意味だったそうですが、今のこの社会では経済用語としての「サービス」という言葉が行き渡っていて、その言葉に対価を求める気持ちが取り憑いてしまっているのかもしれません。 そのため「サービスしてあげた」という恩を売る(売るからには対価を求める)ニュアンスで言われることが多くなったのでしょう。 様々な共同体がなくなって、それらが担っていたサービスが経済のシステムに組み込まれてしまったことが、このような状況を生んだ原因のように思えます。 ちなみにサービスという言葉の語源は、ラテン語で「奴隷」を意味する「servus」に由来するとのことです。 店内の空気を汚らわしく震えさせているカラオケとは、経済システムの奴隷の歌なのかもせれませんね。 面白い詩です。 (サービスとしての人生)

2023-11-20

どこをどう修正しようとしたのですか? 少し気になります。 (夜の散歩)

2023-11-19

モノローグを書くこと=裸の自分を拵えること=未加工への加工=甘え。 とても興味深い感覚だと思います。 「物を書く折に僕を見つめている(ような)視線は、皆の視線の集合であると言うよりは、なにか抽象化された一対の視線であるかのようだ。」 この中の「一対の視線」というのか特に興味深いです。 一対とは二つそろって一組として扱われるものという意味なのですが、その二つ一組の二つとは何か。 私が思うに、それは書き手の視線と読み手への視線なのではないでしょうか。 ソシュールによれば 「個々の実体や意味は、もともと存在しない  あるのは、隣接項との対立関係だけ  その対立関係から意味は生まれる」 ということだそうです。 ですから「私」とは、全ての「他者」ではないという否定によって、その意味をなしているのだと思います。 従って、たとえそれが裸の私であっても他者の存在なしには存立しない。それが即ち一対の視線の下で裸の私を拵えるということである。そして、その加工が対立関係としての一対の視線に依存しているが故に甘えとも捉えられる。 そんなふうに受け取りました。 (裸の自分)

2023-11-18

漠然としかわからないのですが、 「かけ離れた2つの世界が僕という場で、相矛盾することなく走っている。ああ、人生があると、感慨を覚える。」 というところから、人とは異なる複数の世界が交錯するところであるような気がしました。また、そうであるからこそ人は詩を書けるのではないかとも思います。 コンサートホールに背を向けるとは、メジャーなものよりもマイナーなもの、華やかなものよりも穏やかなものに、何か生の実感のようなものを見出す感覚を指しているのでしょうか。 ただ、冒頭の職場の同僚の女の子との云々という話も含めて、それらの間のつながりがよく見えず、全体的にややまとまりがないような印象を受けました。 でも、 「たとえば森を吹き抜ける微風なんかとともに在ることの、そのしんなりとした矜持」 という表現はなかなか美しいと思うので、少し推敲不足のような感じがするのが惜しいと思います。 (コンサートホールから背を向けて)

2023-11-17

縄文時代の土器や土偶を見たときの印象を描いた詩でしょうか。 縄文土器そしてタイトルにある「声を出す」から、岡本太郎が火焔型土器を見たときに「なんだこれは!」と叫んだという逸話を思い出しました。 でも、 「今は沈黙している  目を合わせた時  莫大な声を出してくる」 ということは、タイトルの「声」とは土器や土偶の声、縄文の昔から発してくる声なのですね。 ところで土偶では遮光器土偶が有名ですが、個人的には合掌土偶やハート形土偶、それと板状土偶の方が素朴な感じで好きです。 土器でも土偶でも、装飾性の高いものよりも素朴なものの方が、より強く今を生きる我々にその声を届けてくれるような、そんな気がします。 (今 声を出す)

2023-11-17

「夢の亡骸を埋めるのが仕事」 「何かに憧れ夢抱き床につくことを  馬鹿みたいだなって言ってる今の僕」 何だか寂しいですね。 一度夢や希望を失ってしまうと、それを回復するのはなかなか大変です。 それでも生きて歩いてゆくには、本当に頑張らなければなりませんね。 (ゆめゆめ死ねない!)

2023-11-16

この詩を読んで、ベンヤミンの「アウラ」という言葉を思い出しました。 アウラが凋落し、芸術の一回性や唯一性が失われてしまったことが良いことなのか悪いことなのか、私にはよくわかりません。このような詩の投稿サイトもアウラ凋落の表れのひとつなのでしょうから。 末尾の「どこまでいこうとそれはそれではない」というところに、現代の芸術の虚構性を訴えているように感じました。 著者はアウラの凋落を、否定的に捉えているようですね。 でも好むと好まざるとにかかわらず、我々はそのような現実の中で生きてゆかなければならないのでしょう。それは我々現代人に課された十字架のようなものなのかもしれません。 (随想)

2023-11-15

早い者勝ちの世の中。 多数決の世の中。 そんなふうに考えると、とても生きづらい世の中のように思えてきます。 (言いたいこと)

2023-11-15

各連の配置が独特で、このような手法もあるのかと勉強になります。 波打つような連の配置は、コンクパールを意識されたのでしょうか。 全体的に生命の中に潜む、何かアンニュイとも言えるようなもの、あるいは生命の醜さの内に隠された美しさのようなものが表されているように感じました。 真珠の核は貝にとっての異物。それから実を守るために分泌したものがやがて美しい宝石となる。 海螺珠の心臓というタイトルには、そんな意味も含まれているのかなと、そんな気もしました。 美しい詩だと思います。 (海螺珠の心臓)

2023-11-14

リズム・テンポ重視の詩のようですね。 でもやや凝りすぎで、かえってインパクトが弱くなってしまったような感じがします。 (プロフェッショナルの銃(ガン))

2023-11-13

「雲が巡礼の旅人の様にゆっくりと流れて行った事を。」という表現は美しいですね。 でも旅人は省いてもいいと思います。 (追想、追記)

2023-11-13

意味慎重は意味深長の変換ミスでした。訂正致します。 (旅人)

2023-11-13

「星空のディスタンス」から、THE ALFEEをこの詩の冒頭に持ってきたのでしょうか。 全体的にシュールな感じででいいですね。 でもその中で、 「絶望を感じとるからでしょうか  だから 人は有翼種ではないのでしょうか?」 というところはどこか意味慎重な感じの表現ですね。 飛べない宇宙船、飛べない鳥を見るとき、人はときに、それらに己の姿を重ねてしまい、明日の日常を思い描くなくなってしまう。そんな人間の心理を火星人の目から描いているところが面白いです。 「アボカドは  我々には毒なので  タマネギをかじりながら」 というところを読んで、逆に犬にはタマネギは毒なんだよななどと、どうでもいいようなことを、ふと思いました。 (旅人)

2023-11-13

この世界はちっぽけで、どうでもいいようなものと思いながらも、同時に大切なもののような気もする。そんな思いを描いているように感じました。 「今君の爪先が柵の外1ミリに  しがみついてるのも紛いなき全てです」 という表現がアイロニカルながら新鮮な感じで、いいですね。 (生きててほしいかも、それだけだけど)

2023-11-13

冒頭の1行目は末尾の行の続き。 日常を区切ってゆく言葉は夢幻あるいは虚構。 それがグルグルとエンドレスで回り続ける。 そんな印象を受けました。 (よーいどん、で後ろに走りだそう)

2023-11-12

この世界に美があることを期待しなければ、足元のごく小さなもよの中にも美しさを感じられるでしょうか。 (また)

2023-11-12

ウクライナとガザ地区の戦争か今年で停戦するという予感が当たれば、本当にいいですね。 個人的には、野球よりもそちらの予感が当たってほしいです。 (夢と現実と野球)

2023-11-12

「汚れっちまった悲しみに  今日も小雪の降りかかる・・・」 中原中也の詩を思い出しました。 (僕のからだが生まれたときみたいに綺麗だったら)

2023-11-12

コメントをありがとうございます。 お褒めいただき、たいへん恐縮です。 最後の部分を絵画のように受け取っていただけたのは、正直なところ意外でした。 視覚的な文字の配置ということの重要性を、あらためて考えさせられました。 大事なことに気づかせていただき、ありがとうございました。 (微細な火花が)

2023-11-11

コメントをありがとうございます。 巧いと仰っていただき、嬉しく思います。 最後の崩しには特に深い意味はなく、意識が朦朧としてゆくさまを表したかっただけですなのですが、そのへんの表現のしかたはまだまだ未熟なようです。 (微細な火花が)

2023-11-11

サーファーたちへの讃歌あるいは鎮魂歌でしょうか。 私はサーフィンをしないのでよくわからないのですが、 「後のことは知らない  波とともに砕けて、  洗濯機の中みたいに転がるか  それとも波に乗るかだ」 というところに、過去や未来にとらわれず、今この瞬間を生きることの輝きが込められているように思えました。 そして、 「生きている奴らだけが  きっと波乗りなのだろう」 「俺はどうなんだ?」 「ビールなんか飲んでる場合か」 これらのところに、今を生ききる輝きの曇ってしまった自分自身への哀感が感じられます。 どこか寂しく切ない感じの詩ですね。 (幽霊たちの砂浜)

2023-11-11

月のサイクルは生命のサイクルと強く関わっているそうですね。精神面においても、新月は創造性を高めるなんて話もあるようです。 「心は飛び出しもしないのに  身体は何時も先走る」 というところからは、狼男を連想してしまいました。 西洋では古くから、月が人の心を狂わせると言われていて、ルナティック(狂気)という言葉はルナ(月)に由来するそうですね。 西洋では狂気、日本ではかぐや姫、同じ月でもだいぶ違うものです。 我々は月にどこか郷愁を感じるのかもしれません。 「石鏡に映り込む  宵の宴もうら淋しく」 というところから、何となくそんな気がしました。 (つき)

2023-11-11

怒りや悔しさの涙も、化粧水は閉じ込めてくれるのでしょうか。 (化粧水)

2023-11-10

コメントをありがとうございます。 この小説の「城」が何のメタファーなのか、様々な解釈があるそうなのですが、私には近現代の複雑な官僚制や閉鎖的な村社会の中の人間心理を、風刺あるいは批判しているように思えました。 未完ながらカフカの作品の中では最も長いもので、しかも意味するところが難解なので、読むのはたいへんだったでしょう。 お疲れ様でした。 (連詩:古城)

2023-11-09

この詩に出てくるのはナイフと磁石ではなくナイフと砥石ですが、意図的な誤読でしょうか? (草臥れたことを表すのに、知的な一捻り)

2023-11-09

自分の疲れきってすり減った心を、切れなくなったナイフに喩えているのですね。 店にいっぱい売っている新しい砥石とは、世間に溢れている様々なストレス改称法のようなものを指しているのでしょうか。 でもどんなストレス解消法も慣れが生じて、その効果が減弱してしまうものなのかもしれません。 今の世の疲れた人々の心を代弁しているような詩だと感じました。 ただ、「新しい砥石なら、店にいっぱい売ってる。」の次に、その新しい砥石をどう思っているのかを入れたほうが、末尾の「一体どこに?」という疑問がより生きてくると思います。 (消耗)

2023-11-09

「ゆるす」ということは人間にとって、極めて難しいことの一つなのだと思います。 特定の誰かをゆるせない人もいれば、自分自身をゆるせない人もいます。 ゆるせないことが自分自身を苦しめているのに、ゆるすことがなかなかできない。 「誰」という問いかけは、そんな自分の心を自分自身でも思い通りにできないもどかしさや悔しさを表しているかのようにも思えました。 その「ゆるす」ということを、ひらがな3文字に分解して繰り返し問いかけている形で表しているのが、斬新で印象的でした。 (誰)

2023-11-08

この詩を読んで、一瞬、現在のビーレビへの批判かなと思ったのですが、「飲み込まれていったのは多くがこどもだという」という一文から、ガザ地区の戦争のことかなとも思いました。 それに限らず、人間の欲望の深さ、思い上がり、他者の苦しみへの鈍感さ、そういったことがいつの時代でも、どこの国でも、多くの悲劇を生んできたのでしょう。 そんな誰にでもある愚かさが人間を人間に似た怪物に変えてしまい、土石流のように他の人々の夢や希望や幸せを押し流してしまう、そんなことを伝えようとしているように感じました。 (雨に巻き込まれるとき)

2023-11-08

作詞作曲を描いた詩のようですね。 「甘くない  この道に  必要と  されるために」 というところが何だか切ないですね。 「去り行く  感情は  ここに  在り続ける」 次々と移りゆき消えてゆく一瞬の感情を留めること、それが作詞(詩作)の役割のひとつなのでしょう。 その消えゆく感情を捉えて残すということは、自分という存在の証明なのかもしれません。 「わかってほしい  存在価値の  意味を」 というところは、そのようなことを伝えたかったのでしょうか。 尚、細かく改行して短い行を連ねるのは独自のスタイルなのでしょうか。一度、違うスタイルに挑戦するのも表現の幅が広がっていいかもしれません。 でも、いい詩だと思います。 (再生させて存在価値を確かめる)

2023-11-08

何となく不安定な感情を描いた作品のようですね。 冒頭で天井が近くなってきているような感覚を描き、そしてその次に隣に引越してきた家族の描写を、さらにそれから目が浮腫むことを配置したところは、なかなか斬新でいいと思います。 また、夜と昼の間の朝が「ほんの一瞬でいなくなってしまって」と表現されているところも巧みだと感じました。 尚、タイトルの「おはなし」とはどのような想いでつけたのでしょうか。 自分が自分から離れて、外側から自分を観ている、そんな感覚でしょうか?(違っていたら済みません) とても上手くかかれた、いい詩だと思います。 (おはなし)

2023-11-08

バンッ と叩いてそれでおしまい。 ときに命はそんなふうに突如として終わってしまうこともあるようですね。 常にその可能性をを忘れずにいれば、もっとよく生きようとするものなのかもしれません。 「パンッ  はい、おしまい」 という表現がとても印象的でした。 (「蚊」)

2023-11-07

前半の連は、普段の何気ない言葉の裏に隠された心情を露わにしているようで面白いです。 でもその次の連は、出家できたらなぜ殺されるのか、意味がよくわかりませんでした。 ただ最後の行で、何かドロドロとした人間関係の中にいるらしいということは何となくわかりました。 (崖っぷちナルシスト)

2023-11-07

この詩を読んで、初めはビーレビのことかと思ったのですが、最後まで読んでみると、この社会や国全体にも言えることではないかとも思いました。 「誰かを責める前に己を高めるがいい  相対的ではない絶対的な何かを求めればいい」 この言葉には普遍的なものが含まれていますね。 (これはきっと山小屋の話)

2023-11-06

タイトルを見て、これはこのサイトへの批判の詩かなと思いましたが、本編を読んで、どうもそうではなさそうだと感じていたら、最後の2行で、あぁやっぱりそうかと思ってしまいました。 でも、韻とリズムがいいですね。 ユーモラスでありながら悲しげでもあります。 「リズムポエムは  歪む嗚咽から始まる」 というところがそれを最も強く表しているように感じました。 また、テレゴニーという言葉を初めて知りましたが、ビーレビは文極のテレゴニーだと暗にほのめかしているような気がしました。 (Ceremony)

2023-11-06

100回殺して100回生き返させてまた100回殺す。 何だかゲームや中のキャラクターみたいですね。 バーチャルの中では神様のようにもなれる、でもそれは行き詰まった現実への絶望の裏返し、この詩を読んでそんなことを考えました。 (倫理少女)

2023-11-06

何か生き急いでいるような印象を受ける詩です。 平易な文体ながら、その内に何かに追い立てられているような焦燥感を秘めている、そんな感じがします。 次へ次へと思いが先走って、今この時を充分に生きられていない、そんな感じが細かく改行された構成によく表されています。 全力疾走するよりもまず立ち止まって、追いつくのではなく落ちつくことを優先させたほうがいいんじゃないのと、突っ込みたくなります。 (中途半端な今)

2023-11-05

自分に咲いた花の終わらせ方、何だか哲学的ですね。 でも、それぞれの花は己の終わらせ方など考えずに、自然の理に従って散りゆくのですから、自分の花の終わらせ方も、自分自身を深く見つめて、直感に従うというのもいいかもしれません。 表現については、1連目の言葉が丁寧に選ばれていて、テンポよく書けていると感じました。 また、末尾の「終わらせ方を永遠に探そう」ですが、終わりのない「永遠」の中で終わり方を探す、というのが逆説的でいいと思いました。 (コリウス)

2023-11-05

クッキーとともにカプチーノを飲んだ時の感覚が、丁寧に描かれていますね。 疲れたときにはこのような詩もいいかもしれません。 (Cappuccino )

2023-11-04

持って生まれた性質により偏見の目で見られてしまうことの苦しさ・哀しさを描いた詩ですね。 「ボクだって好きで  黒猫に生まれた訳じゃない」 というところに、この社会に生きにくさを感じている人々の心情が端的に表されています。 「誰も本当のことを知らないのに  信じてしまうのは怖いこと」 「大切なことは  自分で見極めるべき」 これらのところに、ネットにフェイクニュースが溢れる今の世への懸念が込められていると感じました。 (黒猫)

2023-11-03

コメントをありがとうございます。 「今回は末脚がすごかった」、まさしく仰る通りで、月末になって皆さんの膨らんだイメージを次々と受け取り、いい意味で驚きの連続でした。 また宜しくお願い致します。 (連詩:古城)

2023-11-03

「青くきれいなつづまりの音。」で始まる連が、他の部分よりも美しさの点でやや優れているように感じました。 ここだけ切り出しても独立した一篇の詩として成り立つような気がします。 でも全体的にいいですね。 「ごみすてばに咲くオオイヌノフグリ」 「耳たぶにゆれるキャベツ畑」 「クジラが食べなかった唯一の人間」 「十五光年を一夜に近づけるための呼吸」 など。様々なイメージを湧き上がらせます。 (August will not come)

2023-11-03

「ゴトー」が何を指しているのかわからなかったのですが、 「致命的に晴れている」 「明日を挟みかけたファイル片手に」 という表現が独特で面白いと感じました。 晴れた空の下の孤独というシチュエーションが詩的ですね。 (ちいかわプラットホーム)

2023-11-02

何だか日頃の不満を書き表した感じですね。 でもこれを対岸の火事と見るのではなく、他山の石としなければならないのでしょうね。 幻想を幻想と自覚することは大切だと、そんなことを思いました。 (日経新聞と東洋経済に包まれて)

2023-11-02

今回はシンプルな感じの詩ですね。 でもその中で 「孤独という共通点が  私達の通行手形になり」 という表現がどこか逆説的でとても印象的でした。 孤独を経てきた者だけが、その苦しみを知ることで共感し合い連帯できる、そこに新たな希望が生まれる、そんなふうに受け取りました。 そして末尾の、 「明日の朝起きて  朝食を食べよう」 というところに、その希望の実感が表されていると思いました。 「同朋」という言葉の意味を改めて考えさせられる詩です。 (同朋)

2023-11-02

だいぶ前の話ですが「腐ったミカンの方程式」という言葉がありましたね。 腐ってはいなくともミカンは所詮ミカン。少しずつ味が違っていてもやはりミカンにすぎない、この詩を読んでこんなことを何となく考えました。 「ボヤけた現実」という表現が今の世の中を端的に表しています。そんな現実の中ですべてが粉になって風に飛ばされてゆくように感じる。 その虚無的な感覚が続く中では、個性と呼ばれるものさえも周りから課されているものに成り下がってしまっている。 「私のことを見分けてください。  それを言い続けていたのかもしれない。  馬鹿みたいに。」 という表現がそのことを切実に語っているように感じました。 とても寂しい詩だと思いました。 (塵の詩)

2023-11-02

コメントをありがとうございます。 トビラさんの連ですね。 「夢を生きたいじゃないか」 この一文が特にいいと思います。 (連詩:古城)

2023-11-02

本文末尾の謝辞の欄に紅茶猫さんの名前を入れていなかったことに今気づきました。 たいへん申し訳ありませんでした。 以後注意致します。 今後とも宜しくお願い致します。 (連詩:古城)

2023-11-02

この詩を読んで、仏教の諸行無常や諸法無我という言葉を思い浮かべました。 そんな無情で虚構の世界の中で、カラスは生ゴミを漁って必死に生きている。その瞬間の中に生の本質が宿っているけれど、我々人間は今それを忘れかけている、そんなふうに感じました。 ひとつひとつの表現が美しいですね。 「頭の中で思い描く景色は  もしかしたら誰かの見た昨日の街並み」 「夢の中での出来事を全て覚えていないように  私達はこの世界を生きている」 「当たり前のことを出来てしまう不自由さ」 これらの表現が、現代社会に生きる人間の心の不安定さや生きる実感のなさを巧みに表していると思います。 (思考する脳髄)

2023-11-02

コメントをありがとうございます。 私も読んでいないので、詳しい内容はよく知りません。 (連詩:古城)

2023-11-02

コメントをありがとうございます。 私も読んでいないので、詳しい内容はよく知りません。 (連詩:古城)

2023-11-02

豊かさを得るために悪魔に魂を売った者たちを描いているように感じました。 現代社会への批判を込めた作品のようです。 「血で染まった思い出をぜんぶ焼き払おう」という表現が、どこか逆説的に思えました。 その思い出を焼き払うために、あるいは焼き払ったが故に、何処かでまた別の血が流されているかのようにも受け取れます。 末尾のでふたたび禁断の祭壇に飾られる花ばなとは、他者の流した血の花のような気がします。 (ニュータウン)

2023-11-01

言葉遊びのような感じの詩ですね。 文章の途中で敢えて改行して、短い行を多数連ねて、所々に漢字の当て字を置くことで、何か独特な不思議な雰囲気が出ています。 面白い構成の作品ですね。 (容器)

2023-11-01

私は長い文章を書くのが苦手なので、これだけ長い文を書けること自体がすごいと思いました(変なコメント?)。 最後の方に要約のようなところがありますが、これは読み手への配慮でしょうか(違うかな?)。 「私たちを構成する言葉の分子が原子まで分解されて、架空の言葉として私たちは生きるようになったのです。」 「私の中にあるこれらの感情を、どう表現したらいいのでしょう。私は大人になりたい。もっと言葉を使いたい。私は自由になりたい。」 「私はもっと書きたいんです。もっと上手になりたいんです」 これらのところにとても切実な想いが込められているように感じられて、非常に印象的でした。 全体的に表現が独特で面白いですね。特に 「僕の脳みそが、いままでそうだと考えていた通りに動いているならば」 という表現が新鮮に感じられました。 また、末尾の「僕たちは今日、卒業します。」というのがなぜか羨ましく思えました(私はまだまだ卒業できないから?)。 (2023年の初秋)

2023-11-01

コメントをありがとうございます。 カフカの「城」は、カフカの作品の中では最高傑作と言われているそうですが、未完の作品です。 また内容の意味するところが非常に難解で、様々な解釈がされているようです。 面白い試みと仰っていただき、ありがとうございました。 (連詩:古城)

2023-11-01

全編を通して繊細な感覚が溢れ出ている、そんな印象を受けました。 「眠るとき、ぎゅっと祈りをこめる  古くなった今が あたらしい今になるとおもった」 「Dreams and real. 」 現実の世界と夢の世界とを隔てる扉を開く儀式のようですね。今という時を更新するため、あるいは生まれ変わらせるための儀式。そして、 「カーテンの向こう 夢 の 海があると  母は海を孕み 海は母を抱きとめる」 夢の世界には懐かしい暖かさが待っている、そんな望みを表しているかのようです。 また、まくらべのノートについての表現も、何か過去への想いのこもった、切ない感じがします。 「事は床へ散って  もう元にもどすことができない」 「零   から しなおすしかない」 「ビルディングが砂塵へかえるころ  僕たちは出かける」 というところに、「古くなった今が あたらしい今になる」ということを表しているように感じましたが、その一方で、 「頭の中にあたらしい絵の具を添えていく  その度に剥落してゆく」 とあるところに、今という時を生まれ変わらせることの儚さや難しさが滲み出ているようにも思えます。 だからこそ、「眠るとき、ぎゅっと祈りをこめる」のでしょうね。 非常に美しい詩です。 (Poems)

2023-11-01

「静かに色を盗んで」と「静かに色を付けて」という表現が新鮮でいいと思います。 ただ、全ての漢字にルビをふる美的効果については、私の感覚ではよくわかりませんでした。 (┣太陽┳たいよう┫の┣行方┳ゆくへ┫)

2023-11-01

タイトルの「縁をなぞる」とは、隔靴掻痒みたいな意味でしょうか。 ネットの世界、サイバー空間にサインイン・ログインして入っても、ほんとうに欲しいもの・会いたいものに出逢えない、そんなもどかしさを感じます。 2連目と3連目の表現に、とても繊細な印象を受けました。 (縁をなぞる)

2023-11-01

「300年前のプロパガンダ」が宗教・政治・商業のどのプロパガンダを指しているのかわかりませんが、今の世における抒情詩の存在意義を問うているのでしょうか。 現代の過酷な世界の力学の中で、抒情詩はどれだけの力を持ち得るのかを問うているような感じがしました。 (どうか許して)

2023-10-31

雲を食べる恐竜。 霞を食べる仙人みたいですね。 今の世においては、仙人の如く俗世から離れた者は滅びゆく宿命を負っているのでしょうか。 自ら雲を食べなくなったのは、お伽噺を信じられなくなったからなのかもしれません。 そう考えると、何だか寂しいですね。 (君に届けば)

2023-10-31

連詩へのご参加、ありがとうございます。 みんなみんな回ってしまいましたか。 (古城 (連詩の試み))

2023-10-30

連詩へのご参加、ありがとうございます。 一転して幻想的な雰囲気になりましたね。 (古城 (連詩の試み))

2023-10-30

連詩へのご参加、ありがとうございます。 古城が工場とは意外な展開ですね。 (古城 (連詩の試み))

2023-10-30

連詩へのご参加、ありがとうございます。 「壁に映る影の如し」、儚げでいいですね。 (古城 (連詩の試み))

2023-10-30

七五調で統一した詩ですね。所々字足らず字余りではありますが。 テンポは良いのですが、形式にとらわれすぎると表現の幅が狭まってしまうのではないかとも思います。 全体的に読みやすいのですが、インパクトがやや弱い気がします。 (天気も転機)

2023-10-30

厭世的な詩ですね。 「誰が私のことなんか知っているか」 「うつしい世界を見れば、   私の感情が更に腐っていく」 このような想いを抱くのは、今の社会が個人の可能性や成功物語を過度に喧伝する傾向があるからではないかと、個人的にはそう思っています。 全体的に独白のような感じですが、 「人の人生なんて、  海の結晶が固まって溶けていく様」 という表現は美しいですね。 でも、「から上がるエレベーター」とは何を表しているのでしょう。心理療法やカウンセリング等の暗喩でしょうか。  暗いけれどなぜか重たくはない作品だと感じました。 (「#拳銃撃ってくれ」)

2023-10-30

連詩へのご参加、ありがとうございます。 ペンギンが傾けるロシアンティーって面白いですね。 (古城 (連詩の試み))

2023-10-30

連詩へのご参加、ありがとうございます。 ドンキホーテの中のものって何でしょう。 意味深長ですね。 (古城 (連詩の試み))

2023-10-30

詩人の内に潜む、詩を書くことへの想いを綴った散文詩のようですね。 特に1連目がとても印象的でした。ひとつの詩を書き終えることがまた新たな始まりとなる。その連続の内に自分という人間を創ってゆく。そんなふうに読み取りました。 その後の数連では、詩を書くことへの悩みや苦しみが描かれているようですが、「(かすれるような」から始まる連はとても美しく、ここだけで独立した詩としても成り立つような気がしました。 ところで、つまずきに気がついてペテン師になりきれたのでしょうか? 何となくそのことが気になりました。 (靴を履き、物語をポケットに、ポエムを歩く)

2023-10-29

晩秋という季節は、人にその人生を考えさせるような何かが漂う時なのでしょうか。 突然の雨に、世界から自分一人が取り残されるような感覚に陥る様を描いているところがいいですね。 でも3連目の 「私はどこから来たのか  そしてどこから来たのか」 は、 「私はどこから来たのか  そしてどこへ行くのか」 の誤りではないでしょうか? でもその後の2行が、雪の中の孤独感や寂寥感がうまく表されていると思います。 (秋暮れ 雪に消ゆ)

2023-10-28

始めの3行が美しいと思いました。 ただその後の展開が、その3行とうまく繋がっていないような感じもしました。 でも、「坦々麺みたいな脳みそ」って面白いですね。 (月でバズる)

2023-10-27

理想を語った言葉が枯れ落ちて朽ちてゆく、そんなイメージが湧いてきました。 「この世の褒美は後払い」というのが印象的です。人生を損得で考えれば必ず村の方が多くなる、という話を聞いたことを思い出しました。 「グノーシス主義的な解放」という言葉から、この苦しみに満ちた、肉体や物質的な世界からの精神の開放を求めているような感じがします。 (ブロック〜瓦礫に咲く花〜)

2023-10-27

1行目の表現が巧みだと感じました。 けたたましい犬の鳴き声は、ときに大地の裂け目のような不気味な不安をかき立てます。 明日という時の未だ確定しない蓋然性が、蜃気楼のように幾重にも揺らめいている。その不安定さや曖昧さを犬の声や電車の音に託しているような、そんなふうに感じました。 短いけれど秀逸な作品だと思います。 (空のふちも青かったというのならそうなのかもしれない)

2023-10-26

「あたたかなひ」の「ひ」は「日」と「陽」の両方の意味を担っているのでしょうか。 そろそろ小春日和が恋しくなる季節ですね。 でも、「あたたかなひ」なのにコートを脱いだら震えてしまう、空気も風も冷たい、じんわりと汗が出てくる。 耳あたりの良い言葉が氾濫しながらも、実は冷酷な社会を風刺しているようにも思えました、 (あたたかなひ)

2023-10-26

嘘をつくことが苦しいということは、嘘に汚染されていない自分、あるいは、嘘から独立した自分が確かに存在していることの表れでもあると、そんなふうにも思えます。 (初めての合意)

2023-10-25

ポップアートのような感じの詩ですね。 テンポよく書かれているのがとても印象的です。 「ネットで調べて試しに幽体離脱したその晩」 「水と油のように月が朝をどこかに追い出した」 といった表現が新鮮でいいと感じました、 (チックチック)

2023-10-25

こんにちは。 これから大人になる人たちへのエールのような印象を受けました。 「大人になったら〜愛する資格が出来る」 というところに、何か作者の実感のようなものが感じられました。また、 「まだ飛んだことのない人たちのために〜  本当の巣へ帰ろうよ  涙を流しながら」 というのは、どこか意味深長ですね。 大人になったら、大人にしかわからない哀しみを知ることになる、みたいなことでしょうか。 そう考えると、「大人になったら〜人を助けられる」というところに、大人になっても必ずしも人を助けられるわけではない、という哀しみが含意されているのかな、などとも考えてしまいました(穿ち過ぎかもしれませんね)。 美しい詩だと思います。 (大人になったら)

2023-10-24

夜の間だけ現れる、火の消えた城、灯の点らぬ城。そんなイメージが湧きました。 朝になると灰と化して消えてしまう「きみ」とは誰のことでしょう。幻想の恋人でしょうか。 色々と想像を膨らましてしまう、そんな感じの詩ですね。 「もしきみが必要とするなら  僕はすぐに薪になる」 という表現が、どこか暖かさを感じさせていいと思いました。 (きみの城)

2023-10-24

地方から東京へ出てきた方なのでしょうか。 東京での無味乾燥な日々の様子がうまく描かれていると思います。 特に「いつからか曇った空が2次元に見えてしまっていた。 」というところと、「コンクリートの樹海」というところが、平板な日常や、方向感覚を失わせるような街の有り様をよく表していると感じました。 (、)

2023-10-23

ご返信ありがとうございました。 やはりポジティブに考えなければなりませんね。 (足りない)

2023-10-22

詩人の誰もが持つ、普遍的な悩み。そんなふうに感じました。 個人的には、「才能も足りない」というところがいちばん刺さります。 でも末尾の「いつか、絶対に」というところが、希望を捨てていない感じでいいですね。 私は美しい詩素晴らしい詩に出逢うと、そのことへの純粋な喜びと共に、この人の詩には敵わない、自分にはこんな詩は書けないと思って落ち込んでしまうことがしばしばあります。 他の人にもそんなときがあるのでしょうか? (足りない)

2023-10-22

連詩へのご参加、ありがとうございます。 この後ドン・キホーテがどんな活躍をするか楽しみです。 (古城 (連詩の試み))

2023-10-22

コメントをありがとうございます。 意味の食い違いを感じられましたか。どうもそれは想定していませんでした。 我々はときに世界のゆらぎを拒絶し憎むこともあるけれど、自分自身ですらゆらいでいるのだから、その憎しみにとらわれてはいけないよ、というつもりで(「厭うことなく」というところにその意味を込めて)書いたのですが、うまく伝わらなかったようです。 表現することというのは、なかなか難しいものですね。 今後の課題とします。 ご指摘ありがとうございました。 (ゆらぐ色)

2023-10-21

コメントをありがとうございます。 ひとつの色の名で検索をかけたのに、幾つもの微妙に色調の異なる色見本の画像が出てくるのは、何だが不思議で面白いですよね。 人によってこんなに感覚が異なるのかと、感心してしまいます。 尚、「誠実」とのコメントをいただいたのは、想定外の喜びです。 ありがとうございました。 (ゆらぐ色)

2023-10-21

冒頭の2行がいいですね。 全体的に、思い出の積層した家の中での感覚が巧みに描き出されていると思います。 「私は  私の名を呼ばれたいか?」 という問いかけが、残響の呼び水となっているようにも感じられました。 (残響)

2023-10-21

童話みたいな感じの詩ですね。こんな感を詩を読むと何だかホッとします。 アヒルの視点からの描いた 「と   お    く もっと  と   お    く 白く」 というところがアクセントになっていていいですね。特に「白く」を入れたところが上手いと思います。 この垣根を飛び越えられないアヒル、何となく平和な日本に暮らしている我々を表しているような、そんな気もしました。 (アヒルのルノー)

2023-10-21

こんにちは。 何も変わらない、何の変哲もない「今」が永遠に続いてゆく、そのことへの怒り、そしていくばくかの不気味さを感じさせる詩ですね。 表現のひとつひとつが端的で読みやすく、テンポもいいと思います。 また、「精魂」という言葉の選択も、その意味が「物事に打ち込む精神力」といことから詩のテーマによく合っていると感じました。 そして、「なにもすることがない」という表現についても、「なにもしたいことがない」でも「なにもするべきことがない」でもなく、ただただ「なにもすることがない」というのが、より端的でこの場にふさわしいと感じました。 終わりの方で「ちきしょう。」を3回繰り返して心情を強調していますが、それと共に「なにもすることがない」を繰り返して、その状況の異様さを強調するのも面白いかなと、そんな気もしました。 (今ありうる)

2023-10-16

こんにちは。 自分で選んだ道のはずなのに、そこに美しさや素晴らしさを感じられない、そんな印象を受けました。 「鉛みたいな冷たさと  泥のようなぬめりを手に入れ」 という表現がなんとも言えない生々しさを感じさせますね。理想と現実との間にはギャップがあることは予め頭では理解していても、実際に直面すると非常に強い嫌悪感を感じるものです。また、 「いっそ地に落ちてしまえたら  花火みたいに血が散って  今より幾分かましな美しさを  得ることができる気がした」 というところに、かなり追い詰められている心情が表れているようです。でも本当に墜落する勇気というのは、なかなか出てきませんよね。その現実が、羽を捨てて地平線を超えて走ってゆく夢へと繋がるのでしょう。 無情な社会を生きる者の、寂しく哀しい想いを表しているような詩です。 (羽)

2023-10-16

読みやすさやわかりやすさを優先させるあまり、表現の工夫が足りない感じになってしまったようです。 今、改めて読み直してみると、推敲不足の感が否めません。 今後への反省点とします。 まぁ今回は、ここへ投稿する人たちへのエールということで・・・(言い訳ですね) (ゆらぐ色)

2023-10-15

美しい詩ですね。特に 「あまざらしのひみつきちのなかで  冬眠する星座とかたった」 「狼はことしもいきていて  声だけが少し脱皮をする」 といった表現がいいと思いました。 狼とは孤独のメタファーでしょうか。それが白い雪というのがとても印象的です。 (狼)

2023-10-15

日常の幸せな風景を描いた詩ですね。 色々と思い通りにはいかないこともあるけれど、基本的には幸せ、そんな雰囲気が伝わってきます。文章もとても読みやすいです。 ただ、詩としてはインパクトが弱い気がします。 紅生姜のない焼きそば、山椒のないうな重、そんな感じです。 何かもう一つほしいところです。 (あたりまえ だった)

2023-10-14

こんにちは。 育児放棄というのは、動物園の動物でよくあることだと聞いていましたが、牛にもあるのですね。 「この空の下にいる誰かよ  この子牛を守る事が  この世界の平和につながると  今は信じさせてくれ」 というところがいいですね。 世界中で悲惨な出来事が起きていても、結局我々には自分のできることしかできない。でもそれは、必ずしも悲観することばかりでもないとも思います。 この部分を読んで「一隅を照らすこれ則ち国の宝なり」という言葉を思い出しました。 ひとりひとりが自分のできることを懸命に行う。それを平和にどう繋げるかは政治家の仕事なのでしょう。 (空の下)

2023-10-14

こんにちは。 タイトルにある「ばくしょ」とは、「曝書」のことでしょうか。 書物を虫干しすることや、図書館の蔵書点検を意味する言葉ですね。 「あ」が抜けていて「い」から始まっていた教え、でも確かに「あい」はあった。 写本は途中で途切れてわからない、そして十三日の金曜日。 復元された古い写本は、死海文書を彷彿とさせます。 これらはキリスト教の教えが形骸化して失われてゆく様を描いているかのように思えます。 すべてひらがなで書かれているところに、批判、風刺、あるいは未来への警鐘の意が込められているようにも感じます。 短いながら、なかなか意味深長で面白い詩です。 (ばくしょ りかいされなかったし)

2023-10-12

1連目と2連目の比喩が上手く書かれていると思います。 ただ、そこで出てきていた「彼ら」その後どこに行ったのか、その行方がよくわかりません。 描こうとしているものがぼんやりとしていて、掴みどころがない、そんな感じがしました。 始めの2連が上手かった分惜しいと思います。 (いちばんの競争)

2023-10-11

孤独から抜け出せない人へのエール、あるいは祈りのような詩ですね。 折り鶴をおるのに「ぎゃっと ぎゃっと」という擬態語(?)を使っているところが新鮮です。また、 「どんなに頑な張っても一人一色  どんなに頑な張っても私達一糸」 という表現が、どこか哀愁が漂っているようでいいですね。それが「一羽鶴の哀」や「千羽鶴の愛」にうまく繋がっていると感じました。 佳い作品だと思います。 (一羽鶴)

2023-10-11

コメントをありがとうございます。 「名前があるから感情を認識出来るのではなくて、感情が先にあって、それに近い言葉を当てはめることで他者に伝える」、まさしくその通りだと思います。 ただそこには微妙なゆらぎがあると思います。 例えば「郷愁」という言葉でその感情を表しても、そこには人によって、更には同じ人でも時と場合によって僅かな色調の違いが出てくるようです。 そのゆらぎを捉えるために、日常的な言葉の使用から自由になって表現するのが、詩の持つ特徴の一つだと思っています。 でもこれは言うは易く行うは難しで、なかなか思うようにいきません。 まだまだ修行が足りないようです。 (ゆらぐ色)

2023-10-11

こんにちは。 老愁を描いた詩のようですね。 言葉の一つ一つが丹念に選ばれていて、心地よいテンポを生み出していると感じました。 「回転して同じ場所  世俗のトポロジー」 というところがウイットが効いていていいと思います。また、トポロジーという数学用語(?)が入っているところが良いアクセントになっていますね。 また、末尾の 「寝ぼけて呆より崩  また日々は搾搾と  あるいは錯錯と」 という表現がユーモラスな中に哀愁が漂っていて巧みだと感じました。 秀逸な作品だと思います。 (労して老)

2023-10-11

対話型の詩ですね。とても読みやすかったです。 最終戦争で祖国のために戦って死ぬ夢を見るというのは、何も好きになれない、好きなものが何も見つからないということの裏返しのように感じました。 自分が帰属するもの、自分を形作る形造るものが見つからないが故に、国家にそれを求めざるを得ない、そんな寂しい様が描かれているような印象を受けました。 (奇蹟や革命がなくたって)

2023-10-11

こんにちは。 この世界の苛烈さや醜さ、理想の遠さや儚さへの憂いを描いた詩のようですね。 やや古臭いと思える硬い文体が、かえって陳腐に陥ることを防いでいるように感じます。 「嗚々、心が凍る、冬がやって来ます。」 「唯、一目、桜の散る姿を、否、白雪を待ち続けて。」 という表現が、硬く暗い文体の中に抒情性を与えていていいですね。 ただ、 「志に身を焦がす他人は、私にとって、少々、冷たい存在で有ります。」というところの意味がやや掴みにくかったです。 そのような人は、己の価値観や理想を周りの人に押し付け求めるからでしょうか。 でも、短いながらうまくまとまっている作品だと思います。 (子守唄)

2023-10-11

これは詩というよりも独白の散文ですね。 世界にはもっとひどい場所が沢山あって、今この国に生きている我々は恵まれているはずなのに、それでもやはり苦しい。それは恵まれた環境に生まれ育った者は、往々にして苦しみへの感覚が鋭敏になってしまうからかもしれません。 タイトルにある映画は観たことはありませんので、どのようなメッセージを伝えているのかはわかりませんが、ただ私が思うには、詩には芸術としての側面と心理療法的な側面とがあるようです。そして、カタルシスとなったりものの見方を変えたりする療法としての効果は、芸術的な完成度とは関係ないそうです。そういう視点から観れば、たとえ薄っぺらでスカスカでも意味のある詩というものもあるのではないかと考えています。 (明日、君がいない)

2023-10-10

ユーモラスで面白いですね。 ミサイルの自慢や眼鏡だけが宙に浮いているのは何かの風刺でしょうか。 中盤に天気図とペンキ図のダジャレ(?)が入っているのもいいと思います。 ただそれでしたらその前後にも、何か天気についてのダジャレがあったほうがもっと面白くなったかな、という気もしました。 (天気予報)

2023-10-10

冒頭の 「私の心は  誰かの戦場なのか」 という表現が新鮮だと感じました。 その後に続く2連目もいいと思います。 ただその2連目がその後、どこに繋がってゆくのかがよくわかりません。 やや多くのものを詰め込みすぎている感もあります。 はじめの2連の表現が洗練されている分、何となくチグハグな感じがします。 (子供部屋おじさん)

2023-10-09

言葉の意味よりもリズムを重視したような詩ですね。 ただ何となくですが、厭世観といいますか、世界に意味を求めることの徒労感のようなものも感じます。 末尾の 「忘れていく忘れていくよ  言葉と言うものを  ああ幸せになって行く感じだ」 というところに、そのことが表されているように思えます。 (杢花の回廊、憐憫に池)

2023-10-09

こんにちは。 3行目に若干の違和感を覚えたのですが、「流れるものに流れる日々」とは「流れるものに流される日々」のことでしょうか。また、それとは違うならばどのように違うのでしょうか。 でも、 「大人になるにつれて勝手に完璧になると思っていた」 というところは、成熟することの難しさを感じている心情がうまく表されていると思います。 また、 「空との距離を少し近く感じてしまった」 というのは 「誰かが自分を見てくれているだけで幸せなのだということ」 というところへ繋がる感覚なのでしょうか。 八木重吉の詩に「空が 凝視(み)てゐる」というものがありますが、それと似たような感覚なのかなと、ふとそんな気もしました。 (17歳)

2023-10-08

ぐるぐるという擬態語が何度も繰り返されていて、読んでいる方も本当に目が回ってきそうですね。 ただ、宇宙、星、地球、私、それだけだと何かもの足りない気がします。 もう一つウィットの効いた何かがあったほうがより良くなると思います。 (ぐるぐる)

2023-10-08

だいぶ言葉を選び、推敲を重ねた作品という印象を受けました。 しかしながら、括弧やスラッシュといった記号やブランク、蛇たちと淫らな匂い、奇怪な木々と沼水、朝靄と大地、草原と秋風、等等。 既に今まで数多用いられた手法やイメージなので、そこに新しさを加えるのはなかなか難しいものだなと、そんなふうにも感じました。 あと一歩、何か欲しいところという気がします。 (「 」)

2023-10-08

こんにちは。 「詩を書こうと思うことはできない」 というところを読んで「ん?」と思ったのですが、その後の 「完璧なものに入口はない」 「詩は常に書かれてしまった後であり」 というところを読んで、何となくわかるような気がしました。 「答えを間違えるのではない、何を問うのかが答えを決めるのだから」 というのは、言い方を変えれば「答えは問の中にある」ということでしょうか。 選択肢がなければ思考は生じない。それしか道がないのだから。でも選択肢があればそこに問う余地が生じる。その問いが導いた答えが裾を濡らす飛沫だったということ。 この詩を読んで感じたのは徹底的な絶望です。 「詩人ではない人間が詩人になることはできない」 「おれは詩を憎んでいる」 「脚は伸びない」 それらの言葉の内には己の詩の才能への徹底的な絶望が潜んでいるように見えます。 でもその絶対的な絶望と対峙して生きてゆかなければならない。 何だかニーチェの「運命愛」みたいですね。 (好きなことは下手でもやり続けるしかないよな、生きろ。)

2023-10-07

こんにちは。 仏と紅葉。 どちらも過去も未来もなく、ただ今この時のみを生きているもの。その輝きが描き出されているように感じました。 「生きて 手を合わせ   仏道を想い並んでいる」 「生きて   体をひらひらと 震わせている」 という表現の対比もいいですね。 また、末尾の 「京の都は  私の何かを超えて  生きている」 というところが、千年の都が醸し出すふんきいをうまく表していると思います。 (仏と紅葉)

2023-10-07

こんにちは。 はじめの4行が、何か不穏な雰囲気を醸し出していますね。 その後に続く一つ一つの表現がとても独特だと感じました。 あまりにも独特なので、あまりうまくイメージできません。私の感性が衰え始めているのかもしれません。 焼いた化石。 放り投げられた止まらぬ鼓動。 あふれる沸騰した空。 加速する月の満ち欠け それらは行き場を失った夜の見せる幻想でしょうか。 ただよう夜の感覚。 記憶の奥深くに微かに見えるような気がするのですが、今はまだ引き出せません。 変なコメントで済みません。 (夜がただよう)

2023-10-06

短いながらも美しい詩ですね。 一行一行に繊細さを感じます。特に、 「母音になるまで  横棒を伸ばし」 というところが、風の表現として新鮮だと思いました。また、 「私を私たらしめるために  そっと頬をなでて」 というところは、風に頬をなでられてはじめて、風景を眺めていた自分に気づく、それまでは風景に没入していて自分を意識していなかった、個人的にはそんなふうに受け取りました。 違っていたら済みません。 (風)

2023-10-06

こんにちは。 求めているものが見つからない、そもそも何を求めているのかはっきりとはわからない。 壁に突き当たって先に進めず立ち往生している、でもその壁が一体何なのかはっきりとは見えない。 この詩を読んでそんな印象を受けました。 そして、 河床へかげを落とす杭。 そっと帽子を脱いだ老人。 枯れた木。 それらは立ち尽くしている作者自身の姿を表しているようにも思えます。 自分の手を自分で握って、澱のさらに奥深く、また別の澱にまで己自身を連れてゆく。 何か本物だと思えるものを求めて、心の中を深く内向してゆくさまを表しているように感じました。それは 「疾走する光りと、  失踪した人間とが語り合う  ほんとうに大切な時間」 というところが、このような詩を書く時を表しているように思えるからかもしれません。 (feelin' bad blues)

2023-10-06

日常の風景の中にさりげなく、「腕に傷を作ったり」とか「上から傷を重ねたり」とかいった表現を入れて、心の底に淀んでいる苦しみが、ふとしたことで浮上してくるさまをうまく表していると思います。 また、時がとどまらず過ぎてゆく様子を、朝が来るとか夜が訪れるのような表現ではなく、「いつも其処に」や「いつもそばに」といった表現を用いているところも、やはさりげない感じていいと感じました。 短いながらもうまくまとまっている良い作品だと思います。 (離れない)

2023-10-06

こんにちは。 前作の末尾の行が、そのまま今作のタイトルになっているのですね。このフレーズが気に入ったのでしょうか。 私は釣りをしないのでわからないのですが、釣れない時間も面白いものなのですか。やはりそれは、何が釣れるかな、という期待やワクワク感のようなものなのでしょうか。 でも、その1連目の最後の方に 「結局何も変わらない誕生日と同じように  私は今日も私なのです。」 と、どこか冷めたような感じがあるのがいいですね。 また、2連目のアタリが来た時の描写の、 「必死で抗い  必死に生きる」 というところが、魚への感情移入を誘っていて巧みだと感じました。 そして、3連目がこの詩の肝ですね。 釣られてしまった魚への想いと、それと同時に、その時その場に自分が存在していたこと、今ここに自分が存在していることへの、何か不思議さあるいは感謝のような感覚が描かれています。 その感覚が最終連に込められている、そんなふうに感じました。 良い詩だと思います。 (明日は夜明けに船を出す)

2023-10-05

こんにちは。 何か言葉にできないような悲しみや辛さを表している詩のように感じました。 「宇宙の中で行く先はわからない」 「私はもうここに居ない  どこにも居なくて呼吸だけがある」 これらの表現から、世界の中に目印や道標となるようなものがなく、混沌としていて方向感覚が掴めない、そしてそんな中にいる自分も本当に存在しているのかどうか分からなくなってくる、そんなイメージが湧きました。 その後の表現は、その感覚を何とかして伝えようとしているようにも思えます。 「擬態してることが悲しい  私子供星  感情を抑えた孤独な夜」 何となくわかるようではっきりとはわからない、そんな感じがします。 この部分を読んで、交流分析の「他者順応な子供(AC:AdaptedChild)」を思い浮かべました。 はっきりとはわからなかったのですが、全体としてとても美しい詩だと感じました。 (子供星)

2023-10-05

一等星ではなく、それよりやや暗い二等星であるところが、この詩の暗鬱とした雰囲気に合っていていいですね。 現状の閉塞感あるいは見通しの不透明さ、そのような感覚が4連目にうまく表されていると思います。 ただ「失われた未来を奪ってゆく」という表現については、失われたものをどうやって奪うのかという違和感があります。そこは「霞んだ未来」とか「朧な未来」とかいった表現にしたほうがいいような気もしました。 でも 「五畳半の裏銀河  朽ちる胸の奥の火が消える」 という表現は哀愁が漂っていていいですね。 (寝室二等星)

2023-10-05

こんにちは。 寂しげでありながら、何となく怖い感じのする詩ですね。 峠の一軒家、霧が吹き抜ける庭、噴水と秘かに呼ばれる子供、心臓の血を吸う藤の木、おなかのなかの戦争。 それらは孤独さのメタファーのように見えますが、それ以外の何かを表しているようにも思えます。 中ほどの 「ごそごそとティースプーンを掻き回しぶつぶつと数を数えます  それは思い出を値踏みするためです」 というところが、内向する心情をうまく表していますね。その後に示されたメタファーにスムーズに繋がってゆくように感じられます。 でも、その値踏みがまだ済んでいないのでしょうか。 「この物語をあなたの心に届けるにはもう少し情熱が必要です」 と書かれていて、その前の2行が何か長い物語の予告編みたいな形になっているようにも思えます。 大切な人と過ごした時間が情熱の源。そんな心の糧を与えてくれるような者こそ天使となれる。 そのことがこの詩の核となっている、そんな気がしました。ただ、その後の嵐の予感が何だか気になります。 (森の女がまぼろし、潮騒を聞くのは秘密だ)

2023-10-05

こんにちは。 タイトルを見て人魚姫の話(ディズニーではなくアンデルセンの方)を思い浮かべました。 思った通り詩の後半で人魚が出てきましたね(でも人魚姫というよりセイレーンに近いかな?)。 それはともかく、夜の海に何か特別な思い出があるようですね。 表現の点では、 「海岸に打ち寄せられた残留物は思念波を発している」 「魚の死骸が骨となっても意識を伝えてくる」 というところが、何か切なさのようなものを巧みに表していると感じました。 海の泡になりたいというのは、命の源である母なる海に還りたい、みたいな感覚なのでしょうか。 それとも大きく深い海の中をゆったりと旅したい、みたいな感覚なのでしょうか。 いずれにしても、どこか郷愁を誘うような良い詩だと思います。 (海の泡)

2023-10-04

前作は境界、前々作は双極、今回はサディズム(マゾヒズム)の詩のようですね。 精神疾患に興味があるのでしょうか。 全体的にうまくまとまって書いていると思うのですが、正常の中に潜む異常みたいな視点もあればもっと良かったな、という気もしました。 (愛犬の詩)

2023-10-04

こんにちは。 ユーモラスでありながらアイロニカルでもある詩ですね。 要らないものをどんどん増やしてゆく、現代の社会や経済を風刺しているような印象を受けました。 全体的にとてもテンポがよく、読みやすかったです。最初から最後まで安定してテンポよく書くのはなかなか難しいと思いますので、その点が巧みだなと感じました。 最終連の 「さ迷い辿り着けぬも人生ならば  出口がわからないのも人生」 というところから、人が要らないものまで求めるのは、生きることへの根源的な不安があるからなのかもしれないと、そんなことを考えました。 末尾の 「似顔絵描いてもらえたら  男前だとわかります」 というのが面白いですね。 (増築太郎)

2023-10-04

こんにちは。 この詩を読んで、「ルナティック」という言葉を思い出しました。 英語で狂気を指す言葉で、かつてのヨーロッパ圏の文化で月(ラテン語でルナ)が人を狂わせるとされたことに由来するとのことです。(ウィキペディアより) でも、有限なる人が無限なるものや究極なものを求め志向する時、そこに狂気が現れるような気がします。 ルシファーは堕天使であり、堕天使は天使がいなければ存在しえない。 天使といえども絶対ではなく、我らと同じく相対的な存在。 何故ならそれは言葉で表されているから。 この詩から、そんなことを思いました。 (ちょっと脱線してますか・・・) (月の裏側で天使のミイラが発見された)

2023-10-03

特にこれといった意味はなく、思いついたことをいくつかそのまま書いた、そんな感じの詩ですね。 2連目と3連目は、同じようなことを思ったことが何度かあります。 末尾の「夜明けに船を出す」というのが何となくいいですね。 (プカプカ)

2023-10-03

こんにちは。 幻想的な詩ですね。 暑い夜に現れた無数のカラスに右目を奪われる。 その奪われた目で無数の自分自身を見るところが面白いです。 「自分自身が見える。」というフレーズが何度も繰り返されている表記に、昆虫の複眼を思い浮かべました。 そこまでだけでしたら単に恐ろしい体験なのですが、その後一斉にカラスが飛び立ち、それにより無限とも思えるほどの視野を持つことができた、 「夜に向かって砕けた水晶を掴んで放り投げた煌きが、無数に突き刺さって来る。」 「ありとあらゆる空の色を、無量の視覚が確認する。」 そんな幻想的な展開が美しいですね。 文体を「ですます調」と「だ・である調」とで書き分けています。それにより夢(幻想)と現実を区別されているのですね。 そういう手法もあるのかと勉強になりました。 (フィラデルフィアの夜に 44)

2023-10-03

こんにちは。 キリスト教の説教みたいですね。 「自閉症」とか「精神障害者」とかいった言葉を使っているところは際どいですが。 つまるところ「汝の敵を愛せ」ということでしょうか。 タイトルにある「自己批判」とは己の罪の自覚であり、己の敵を愛するにはその自覚が大前提となる。そんなふうに受け取りました。 (愛という自己批判)

2023-10-02

こんにちは。 「自然な孤独に、実直な男」。 何だか高倉健が演じていた役みたいだなと思ってしまいました。(つい最近「鉄道員」と「ブラック・レイン」のDVDを視たのでそんなふうに感じてしまいました。) 全く見知らぬ人ばかりの群衆の中での孤独よりも、ある集団に属していながらその中で孤独を感じることのほうが辛いですよね。 その辛さを撥ね返して孤高を貫くほどの強さは私にはないのですが、「そもそもの自分の自然として、孤独というものを捉え直せたら。」という一文を読んで、なるほど、そういう考え方もあるのかと気付かされました。 おそらく本当は孤独にはメリットもデメリットも両方あるのに、今のこの社会ではデメリットの方ばかりに目が向いているような気がします。 やはり何事もバランスを取ることが肝要なのでしょう。 末尾の「弱く健気な1人の人間として、涼と暖のあいだにひっそりと住まおうじゃないか。」というのは、突き詰めればそういうことなのかなと、そんな気がしました。 (孤独に居直る(プチエッセイ))

2023-10-02

こんにちは。 「穏やかな季節にも恋の情熱は静まることを知らない。」というところを読んで、ヒトは特定の発情期を持たない動物種だ、という話を聞いたことを思い出しました。 そんなことを言ってしまうと、全くの興冷めになっていまいますが、実際、恋に春夏秋冬は関係ないのでしょう。 男女の恋は芸術における永遠のテーマのひとつなのは確かですね。 末尾の「恋人たちよ、身を、心を焦がしたまえよ。」は、いつの時代にも当てはまることなのだと思います。 (燃え上がる木々に映る永遠の秋)

2023-10-02

こんにちは。 夜が怖い、暗いから怖い、という感覚は最も原始的で根源的なものなのでしょうね。 ところで「あの時見た景色」とは何でしょう。言葉にもできないほど恐ろしい光景立たったのでしょうか。 爽やかな朝に必死に紛らわそうとしている永遠なる不安。もしかしたら誰もがそんな不安を抱えていながら、ただ気づいていないだけなのかもしれません。 その頑強なる鈍感さが世界に満ち溢れている様が「狂ってる」ということなのでしょう。 詩の後半は何と言いますか、その世界の狂気が語り手に憑依してしまったかのような表現になっていますね。 個人的には「あの専門家のバカみたいな本棚に私は線香花火を火種にでもしようかと思う。」というところがいちばん面白いと感じました。 (夜)

2023-10-02

こんにちは。 指輪に込められた大切な人々への想いを綴った詩のようですね。 最終連で出てくる「木」は、指輪に施した森を象った彫金から来ているのでしょうか、それともインドの風景からのものでしょうか。 「森を肯定の沈黙とし、生きることを是とし、」 というところが、 「時に神を疑いながらも祈り、立ち向かう」 「あのおしゃべりな風や寛容な空や  動いていく雲の自由を愛しながら」 というところを受けているようで、とてもいいと感じました。 1連目の後に 「思い出や過去の記憶は幽霊だ」 と書かれていますが、そうであればこの詩の大半は幽霊を描いているということになります。 でもその幽霊は否定的な意味ではなく、むしろ「守護霊」のように感じられます。 その象徴が「魔法の指輪」なのでしょう。 良い詩だと思います。 (夜の木、もしくは余る心の間欠泉としての詩)

2023-10-02

コメントをありがとうございます。 済みません、最終連は私が書きました。 連詩では1連目と最終連を私が書くことにしています。 説明不足で済みませんでした。 お褒めいただきありがとうございました。 (連詩:旅路)

2023-10-02

笑いたくても笑えない、自分自身を好きになれないというのは辛いことでしょう。 詩や散文を書くことでその辛さが少しでも和らげばいいと思います。 そして和らいだら、少しずつでも表現の工夫に挑戦してみてはどうでしょう。 「試行錯誤」をあえて書き換えた「思考作語」や、「脳細胞数の少ない馬や鹿」のような表現をより増やすことを考えるのも良いかもしれません。 (偽りピエロ)

2023-10-01

コメントをありがとうございます。 今回も参加された方々の様々な個性が出でいて面白かったです。 連詩へのご参加ありがとうございました。 (連詩:旅路)

2023-10-01

コメントをありがとうございます。 靴ずれしないよう気をつけます。 (連詩:旅路)

2023-10-01

こんにちは。 この詩の烏賊は何かのメタファーなのか、それとも何でもないのか。 後半に出てくる「妻」は何を訴えているのか。 正直なところよくわかりません。 でも不思議と惹きつけられる詩です。 特に中ほどの 「大学で詩の事ばかり考える君には  理解出来ないだろう」 というところが面白いです。 また、 「私は  その夜  妻を抱きました」 というところから文体が「ですます調」に変わっていますが、これは意図的にそうされたのでしょうか。 無意識に直感的にこのように書いた後で、このままでいいと判断して投稿した、そんな気がしました。 もしそうだとしたら、この詩の烏賊も特に何かのメタファーでも何でもなく、直感的に書かれたものなのでしょう。 違っていたら済みません。 (あの烏賊)

2023-10-01

こんにちは。 まず目に留まったのが「実相観入」という言葉でした。 これは仏教用語かと思って調べたのですが、斎藤茂吉の言葉だったのですね。 「自然・自己一元の生を写す」ということ。 だから 「雲が 竹が   わたくしである」 なのですね。 その「実相観入」という言葉をもとに、自分を取り巻く世界や自分の肉体を感取した精神の様相を、 「秋 彼岸の朝へ   取りのこされてしまった」 「滴る、   思索   滴る、言葉で足りるだろうか」 「硝子の体でいられないから」 「シーツな陽を浴びて  そっと  眠ってしまうでしょう」 といった、日常の言葉の使用を超えた巧みな表現で表していると感じました。 久しぶりにいかにも詩らしい詩に出逢ったというような印象を受ける、秀逸な作品だと思います。 (Dreams and real)

2023-10-01

こんにちは。 純粋に恋愛を詠った詩のようですね。 ただ、3点ほど違和感を感じたところがあります。 一つは 「半袖のキミの二の腕は玉虫のよう」 というところがうまくイメージできません。 もう一つは、 「キミをピタリと縁取る長袖のベージュが  銀杏の臭みとともに在ることの至福よ」 これはややチグハグな感じがします。 3つ目は末尾の"Love"。 これは比喩として、そして締めの言葉としては弱いように感じられます。 冒頭の 「ビルの合間を吹き抜ける風に  僕らの愛が動き出す」 とか、中ほどの 「萎れてしまったヒマワリ  消えていくツクツクボウシ  空の水色に吸い込まれるようで」 とかいった表現は良いと思いますので、もう少し推敲を重ねたほうがよかったのかなと、そんなふうに感じました。 (静かに始まった僕らのroad)

2023-10-01

こんにちは。 アイロニカルでありながらその奥深くに怒りを秘めた作品のような印象を受けました。 何故か般若の面を思い浮かべてしまいました。 2連目の表現がいいですね。特に 「コン、と鳴かない、」というところが面白いです。 また3連目の「ルミネカード」と、具体的な名前が出されているところにリアリティを感じました。 最終連の杏と無花果は何かのメタファーでしょうか。ちなみに無花果の花言葉は「実りある恋」、杏の花言葉は「疑惑」。 それらを乾かしたものを井戸の底に置いておくというところに、何やら意味深長なものを感じます。 (狐憑き)

2023-10-01

こんにちは。 心の内に湧き上がる旅情をストレートに表した詩ですね。前作や前々作とはだいぶ趣の異なった作品です。 その一方で、 「旅路 雲路」 「旅路 恋路」 「旅路 家路」 といったフレーズを繰り返して、良いテンポを生み出しているところは共通していますね。 特に「雲路」という言葉を使うところが、旅情をまざまざと思い浮かべさせて、とてもいいなと感じました。 ただ、8連目と最終連との間に、旅の美しい景色や出逢った人々への想いなどを描いた連を入れたほうが、より旅情が深まり、全体のバランスももう少し良くなるのではないかなと、そんな気もしました。 でもときには、こんなストレートな詩もいいですね。 (旅する少年)

2023-10-01

こんにちは。 ウエディングケーキから得た幻想(妄想?)を描いた詩のようですね。 ウエディングケーキの各段を、社会の階層あるいは社会的成功の度合いみたいなことに喩えているところが斬新で面白いです。 表現については、上から二番目の 「一年じゅう 春の風が吹く  ショーケースの家族」 と、上から三番目の 「通帳の数字をストローで誰かに吸い取られている人」 それと、いちばん下の 「職業に「自称」がつく人」 などが、なるほど、と納得してしまうような巧みな表現だと感じました。 また、最後に幻想の中で腹をめがけてくるナイフと、新郎新婦が持つナイフをかぶらせているところが新鮮でした。 とても面白い詩だと思います。 (ウエディングケーキ)

2023-10-01

後悔の念を描いた作品のようですね。 「もう来ない明日」という表現が、その心情をうまく表していると思います。 その後の、失くした昨日がもつれる、水の中で溺れる、といった表現からイメージを膨らませて、更に展開していったほうが、その後悔の念をより強く読み手に伝えることができるのではないかなと、そんな気がしました。 (明日とは何)

2023-09-30

まさにタイトル通りの「悲しみのうた」ですね。 詩としての完成度よりもカタルシスを求めて書いた詩という印象を受けました。 心の内に秘めた苦しみや悲しみは、容易には他人に理解はされないものですね。 そういう意味では誰もが孤独なのかもしれません。 ただこの詩のような、生きづらさや苦しみを主題とした詩は沢山あります。 ですから、もし誰かの印象や記憶に残ってほしいと思うのであれば、2行目にある「自分の身体は凍えた鉛のような気がする。」のような感じの表現の工夫を、もう少し入れたほうがいいような気がします。 (悲しみのうた)

2023-09-29

新たな旅立ちを迎えた人へのエールでしょうか。 「鼻先に届く静けさが香る」 という表現が新鮮ですね。また、 「そんなにも遠くから手を振っても見えないよ  それでもわかる君の足踏み」 というところに、「君」への暖かな眼差しが感じられます。 ただ、レールを敷くという表現は、人によっては他人に自分の道を決められるというマイナスのイメージを持たれることもありますので、「道を照らす」とか「道標を置く」とかいった表現のほうがいいかもしれません。 (若草)

2023-09-28

連詩へのご参加ありがとうございます。 なかなかシュールな感じですね。 「苺の飴と木星の相似値が均衡している」というのがいいですね。 独特な詩句をありがとうございました。 (旅路 (連詩の試み))

2023-09-27

連詩へのご参加ありがとうございます。 「おぼろげながら行先は決めていた」 そう言われればそうかもと、共感できました。 一旦立ち止まるような感じの詩句をありがとうございました。 (旅路 (連詩の試み))

2023-09-27

連詩へのご参加ありがとうございます。 兎と少女。不思議の国のアリスみたいですね。 前後の擬音もいい感じです。 新たな展開をありがとうございました。 (旅路 (連詩の試み))

2023-09-27

連詩へのご参加ありがとうございます。 時間調整のための停車ってよくありますよね。 それがトンネルの目前というのは、何か意味深長ですね。 次に何がが起こりそうな感じのする展開をありがとうございました。 (旅路 (連詩の試み))

2023-09-26

こんにちは。 今まさに旅立とうとする少年へのメッセージですね。 そんな少年への讃歌のようでありながら、故郷あるいは今というこの時が、忘れ去られてしまうことの寂しさをも詠っているようです。 「世界は祝福している  ほどよい加/減という魔法で」 「いまだ見ぬようでいつか来たような  そんな道の上に」 「その両脚で歩き出した今朝という時の  この乾いた大地のざらつきを」 これらの表現が、ただ単に旅立ちへの励ましを詠っているのではないことを表しているように思えます。 彼を待ち受ける未来への微かな憂慮のようにも感じられます。 生きてゆくことの苦しさや哀しみを知っている者が、世界へと旅立とうとしている少年へ向けた、淡い寂しさや哀れみを纏った優しさの視線。 この詩を読んでそのようなものを感じました。 (少年の旅立ち 贈る言葉)

2023-09-26

こんにちは。 皮脂欠乏性皮膚炎はアトピー体質の人が罹りやすい病気だそうですね。 私もアトピー性皮膚炎を患っているので、その辛さは他人事ではありません。 2連目はその女性本人の視点からのものですね。 「あらゆる脚に対する普遍性  白い脚は世界であるのよ」 そのような認識を持つ女性にとって、この皮膚炎はさぞかし辛いことでしょう。 その後の連はこの女性の恋人らしき男性(作者?)の考えを述べたもののようですが、前々作の「色彩と孤独」にどこかつながるところがあるように思えます。 でもやはり最後の方の 「だまりなさい  うるさい  脚で稼げよ  おい  お前」 というのがとても面白いです。 皮膚炎で本当に辛い思いをしているのに、脇でゴチャゴチャとわけのわからないことを言っている男にとうとうキレてしまった。そんな感じがしました。 でも、もし実話だったら面白がってはいけませんね。お大事にとお伝えください。 (皮脂欠乏性皮膚炎)

2023-09-25

こんにちは。 伝えたくてもうまく形にできない、そんな愛情が日常の風景に溶け込んでいる。そんな印象を受けました。 「信号機の向こうの空に見える面影  二人で  輪の中に辿り着く」 「可能なことを全て通り抜けて  サボテンの立つ荒野に月は光る」 幻想的な映像を彷彿とさせるような表現ですね。 不完全な私が生きる不完全な日常を超越したところに完全な愛があって、それにこの世界が照らし出されている。ということを描いているようにも受け取れますが、少し違う気もします。 何となくわかるようで、うまく掴めない。そんなふうに感じるのは、この詩が「日記の向こうにあるはずの愛を」描いているからでしょうか。 (いつもの愛)

2023-09-25

はじめまして。 人間は認識という誤解故に、己の二本の脚で立ち上がれる。 そんな美しすぎる誤認故に、人間どこまでも拡がって行ける。 ということを、分子模型から表しているのが面白いですね。 分子模型はあくまでも模型で、人間が頭で考えて表したもの。現実の空間あるいは存在そのものではない、ということでしょうか。 そして、 「ありもしないすき間を埋めたがる」 「ありもしない水平にあり得ない垂直で立っている」 「完全な世界に完璧な蛇足を付け加える驚異の創造性」 といった表現が独特で興味深いです。 また、末尾の 「走り出したおまえに風は遅れて吹く」 というのも意味深長ですね。 我々はいつもフライングしている、そんな印象を受けました。 (空を見上げろ、模型だ)

2023-09-24

こんにちは。 何だかとても寂しい詩ですね。 ここを去りゆく人たちへの別れの言葉でしょうか。 意見を異にして袂を分かつということは、どこにでもあることなのでしょうが、こうして詩の言葉として表されると、寂しさがより鮮やかに浮き出てくるかのようです。 それでも、「生者必滅、会者定離」は世の定めなのでしょうから受け入れなければなりません。 再び交流を持てるとしても、持てないとしても。 この詩は一つ一つの表現を云々するようなものではないような気がします。 ただ、この寂しさを受け入れて、今後の詩作の糧とすることにしようと、そんなふうに思いました。 (友よ 友よ 友よ)

2023-09-24

こんにちは。 格調高い文体で雨乞いを詠った詩ですね。 この詩の文体を見て、中島敦の「山月記」を思い出しました。 全体的に美しい文だと思うのですが、中でも 「小袖に袈裟掛け、札は片手。雨音と共に錫杖を鳴らす。遊環は鈍色に輝く。」 というところと、 「雨よ隠せ、生々しい忌まわしき傷口を  雨音よ消せ、飢え乾き苦しむ亡者の呻き声を」 というところが特に美しいと感じました。 ただ余談ですが、昨今は線状降水帯による集中豪雨の被害が頻繁に報道されていますので、「雨乞い」ならぬ「雨忌み」あるいは「雨止み」の祈りなんてものが求められるかもしれないななどと、つまらないことを考えました。 それはともかく、とても美しい詩です。 (雨乞い集)

2023-09-24

連詩へのご参加ありがとうございます。 これでまたグッと抒情的な方向に向きましたね。 次に参加される方がいらしたらどのように繋げるか楽しみです。 郷愁を誘うような詩句をありがとうございました。 (旅路 (連詩の試み))

2023-09-24

「しかし流れはいつも止まない  景色を楽しめ、ただそれでいい」 この部分を読んで、私が今参加を募っている連詩の主題のように感じました。 (川)

2023-09-23

連詩へのご参加ありがとうございます。 鯖詰さんの詩句もまた、想定外でした。 このような面白い発想が出てくるとは思いませんでした。 意外な展開をありがとうございました。 (旅路 (連詩の試み))

2023-09-23

連詩へのご参加ありがとうございます。 とても独特な感じですね。 いい意味で想定外でした。 面白い表現をありがとうございました。 (旅路 (連詩の試み))

2023-09-23

こんにちは。 性愛の喜びを描いた詩ですね。 前作には恋愛の心理を描写したところがありましたが、今回は行為の描写がほとんどです。 おそらく今回の作品には心理描写をする余地がほとんどなかったのでしょう。 ですから、喜びとか感覚の表現を「天国」だけでなくもっと他の譬喩も用いて表したほうが、より深みが出てくると思います。 また、最後の方に出てきた春巻きは何かのメタファーでしょうか。そうでしたら、もう少しそれについても言及されたほうが良かったかなとも感じました。 やや、推敲不足な感があります。 色々と述べましたが、冒頭の 「あれは美しい昼のことだった。」 という導入部はとても良いと感じたので、惜しいなという気持ちから書かせていただきました。 (僕たちは今天国にいるんだよ。)

2023-09-23

こんにちは。 問題定義の詩(?)ですね。 私はアイドルにはほぼ関心がないのですが、アイドルを疑似恋愛の対象として見ている人も少なくないと思います。 ですからアイドルに必要な能力には、歌やダンス、ときに演技といったものだけでなく、疑似恋愛の対象としての能力も必要なのでしょう。それだからこそ恋愛禁止のルールを設けている事務所が多いのだと思います。現役のアイドルやアイドルを目指している人たちも、そのことはわかっているのでしょう。 でも人の心は自分自身でもままならぬものですから、人を好きになってしまうことにはやむを得ない面もあります。 ですから、今回のような理由で解雇された人たちに再度活躍の場を提供してサポートするような、そんな事務所やNPOみたいなものがあったらいいのではないかなと、オジサンはそんなふうに思うのです。 (アイドル)

2023-09-23

連詩へのご参加ありがとうございます。 今回は色々とゴタゴタしているようなので、前回ほど参加される方が集まらないかもしれませんが、とりあえず予定通り来月早々に再投稿するつもりです。 宜しくお願い致します。 (旅路 (連詩の試み))

2023-09-23

心の底から疲れたのなら、できる限り無理をせずに休んでください。 (不適合な私)

2023-09-22

こんにちは。 社会批判のような、あるいはブラックユーモアのような感じの散文詩ですね。 GHQ が財閥解体したのにそれで巨大な顔が生まれたというのが逆説的で面白いです。 また、「歴史の坂を転がりつづける途方もない大きさの落石」という表現から、膨らみ続けてとどまることをしらない財政赤字のことを思い浮かべました。もしかしたらこのメタファーにそのことも含まれているのでしょうか。 全然関係ないのですが、デカイ顔の後ろにもっとデカイ顔があって、そのまた後ろに更にデカイ顔があって、というところを読んで、あぁ反転したマトリョーシカみたいだなと、ふと、そんなことを考えてしまいました。 平和な社会のあちこちの空の上に、見えない巨大なマトリョーシカがぷかぷかと逆さまに浮かんでいる様子を想像して、それも巨大な仮面の一つかななどと、変な妄想をしてしまいました。 それはともかく、面白い作品です。 (平和絵巻)

2023-09-21

こんにちは。 詩を書く者にとって「才能」とは、頭から離れない言葉なのかもしれませんね。 正直なところ、この詩が何を伝えようとしているのか漠然とは感じられるのですが、はっきりとはわからない、そんな感じがしています。 自分には才能がなかった、あなたには才能があった、そう思いたかった。あなたと私との違いはゼロがひとつ違うだけだった。 それらは、良い詩を書く能力は天賦の才よりも努力に依る面が大きい、ということを伝えようとしているのでしょうか。 タイトルや全体の雰囲気から、そのことに一抹の寂しさを感じているような印象を受けました。 表現については、「私には才能がなかったのだろうか」以降の部分が良かったです。特に、 「働いて  粘土細工のような疲れを身につけた」 というところが見事です。 それと、「才能さん才能さん」という呼びかけ以降の部分が、どこか微笑ましい感じがして、秀逸だと感じました。 才能の有無ということが、どれだけ詩作に影響するのかわかりませんが、安易に自分には才能がないのだと決めつけることは努力不足の言い訳になりかねないなと、この詩を読んでそんなふうにも思いました。 (隣の芝生がもっと青ければよかった)

2023-09-21

歌を国と波と虫に喩えたのは面白いですね。 プロパガンダへのアンチテーゼ。 伝わりゆくこと、つながること。 そして、悪い言葉を餌にしてイヤーワームを何匹も飼っている、というのが面白いです。 アナグラムと耳穴から飛んでいってしまうこととの関係が、よくわかりませんでしたが、何か独特な雰囲気の詩ですね。 (歌(国と波と虫 MIX))

2023-09-20

こんにちは。 ムンクも「星月夜」という絵を描いていたあは知りませんでした。不勉強でした。 個人的には「叫び」よりもこちらの絵の方に美しさを感じます。 ムンクは幻覚や幻聴に悩まされていたと聞いていますが、この詩は作者の内にある孤独や後悔や恐怖を、その絵に託しているのですね。 冒頭の 「応答セヨ  応答セヨ」 がとても印象的でした。 このような表現方法もあるのかと、勉強になります。 また、 「いままであったことのぜんぶ、経験のぜんぶを蔑すだけで、  たった1日から1週間までが消滅する、おれは孤立者」 というところも、孤独の深さを巧みに表していると感じました。 そして、 「おれの妄念を消し飛ばしてくれる短い叙情詩を書くための、  鉛筆すらもないということが、」 というところに深い絶望が描かれているようなのですが、末尾の 「抽斗しにある死を磨きつづけます。」 の1行を読むと、その絶望の中に何らかの美しさを見出しているようにも感じます。 己の内面を巧みに描き出している秀逸な作品だと思います。 (ムンクの星月夜)

2023-09-20

こんにちは。 何だか、飲んだくれのじいさんの独り言のような詩ですね。 暑くて喉が渇くなら冷たい水かお茶を飲めばいいのに、そこで酒を飲んでしまうのが飲んだくれの飲んだくれたる所以なのかな、などと思ってしまいました。 この詩には作者の伝えたい何らかのメッセージが込められているのか、それももただこの雰囲気を味わえばいいのか、と考えると、どうも後者のような気がします。 そう思って読んでみると、 「おりもせん人だと言ってくれた方が楽なんじゃが。」 「猫もあきれてどこかに行ってしもうた。」 というところが、老いらくの恋(しかもネット上の)の侘びしさを上手く表していると感じました。 (夏と月々のうた)

2023-09-19

このような感覚重視(感覚のみ?)の詩は、読む方にもそれなりの力量を要求するような気がします。 トーマの心臓もリッキーマーティンも知らないので、その部分については何も感じ取れないのですが、 「箒が気流を招き寄せて  箒だけが悠々と暮らしている  歯が花なのはしりとりだから?  口の中にカイコがはびこるのは  斎藤茂吉のせい?」 というところはなぜか面白かったです。 また、末尾の 「悠々自適の生活は意外とつらいことを知っているのか  どうか  「君」と「あなた」の正体を知らせてほしい」 というところもなぜか印象的でした。 (問いに答える)

2023-09-19

こんにちは。 今回もどこかに寂しげな、あるいは哀しげな感じの詩ですね。 「人生は1人旅なのよ」という女流詩人の言葉。 なぜか胸に響きます。 他の人が言ったのならもっと軽く聞こえてしまうのでしょう。女流詩人が言ったからこそ重みをもつのかもしれません。 黄色く色づいた銀杏並木は、人の心を寂しげな詩に導くものなのでしょうか。 哀しみを纏ったその人の姿を「月が似合うと言っても、雪が似合うと言っても、陳腐になる。」と、否定を重ねて表現する手法も、どこか晩秋の雰囲気に合っていていいですね。 少し話が逸れますが、仏教では究極の真理を、「〇〇でもない、△△でもない」と否定を連ねて表現することがあります。 言葉を超えたものへの指向という点では、詩の表現につながるところがあるのかもしれません。 また、夜道でのスマホの例えが出てきたとき、暗闇の中で、スマホの冷たい光に映し出された、その女性の氷のような哀しみを纏った顔の美しさを想像してしまいました。 そんな感じの描写があっても面白いかもしれません。 「僕が何よりも孤独を感じるのは、不思議だけれども、大切な人たちの存在をじんと感じる折のことで。」というところも新鮮ですね。 大切な人がそばにいない、何をしているのか、何を感じているのかわからない、そんな孤独でしょうか。 そんな孤独さに触れたところで、末尾を 「人生は1人旅なのよ」という冒頭の言葉で締めてもよかったかなと、個人的にはそう思ったのですが、これは人によって意見が異なるのでしょうね。 生きることの寂しさ哀しさとともに、生きる姿の美しさを感じさせる詩だと思いました。 (あの日のイエローガーデン)

2023-09-18

こんにちは。 この詩の表していることを一言で言えば、 「存在は本質に先立つ」 ですね。 1連目の空の車庫の描写がいいですね。 むなしさの充満した車庫。 頑なに空虚で在り続けようとする車庫。 そこに美を観る感性がこの詩の根幹をなしていることを感じます。 しかしよく読むと微妙に異なる見方が見えてきます。 一つは、小さなライブハウスに喩えられている、もとから揺らいでいる危うい本質、あるいはそんな危うい本質に拠っている存在。 もう一つは、本質の枯渇してしまった車庫。 それ故にもはや車庫とも呼べぬ、存在の形骸。 そしてライブハウスについては、その在り方が「好き」であるのに対し、車庫については「愛して」「美を感じる」。 何処か微妙なニュアンスの違いを感じます。 その微妙な違いと末尾の 「そしてまた本質は  おそらく私の忘れものである」 というところに何か関係があるような気がします。 忘れものというのは以前は手元にあったが今はどこかに置き去りにしてしまったもの。その置き去りにしたということが、「好き」から「愛」や「美」へと昇華する要因だったのかもしれません。  いやこれは、深読みしすぎですか? 違っていたら済みません。 でも空の車庫という日常的な風景から、深みのある内容へと展開している、良い詩だと思います。 (車庫)

2023-09-17

こんにちは。 前作の続編のような詩ですね。 古い世界が終わって、いよいよ新しい世界が開いてゆく。 その希望をストレートに表しています。 週末のイオンに集まる人々の譬喩は実生活から来たものでしょうか。親しみやすい感じがします。また、樹齢百年をこえる巨木の喩えもイメージしやすくていいと思います。 「昨日とよく似た今日でも   まったく別の世界だって」 新しい世界は目で見てわかるものではなく、感じ取るものというイメージでしょうか。 その次の、ひとりひとりが鳴らす音のリレーが、やがては世界に広がって鳴り響くというのも、新たな世界への希望を上手く表しています。 何だか読んでいる方が気恥ずかしくなってくるほどストレートですが、そこがまた逆に潔くていいですね。 これは考えすぎかもしれませんが、投稿されたタイミングから、この詩にはこのサイトがこの先、いい方向へ向かって行ってほしいという願いも込められているような、そんな気もしました。 (花ひらけ、世界)

2023-09-17

こんにちは。 どことなく哀しげな感じのする詩ですね。 2連目の 「明日の日々が広大な空間のように拡がってゆくその瞬間にこそ、祈りたい。」 というところが何となくわかるようなわからないような・・・ そんな瞬間があるから祈りたくなるのか、むしろ逆に祈ろうとする心性があるからそのような瞬間を感じ取れるのか。 やや漠然としているのですが、なぜか惹きつけられる表現です。 3連目の 「空の青さえもが、哀しみに彩られていることを。私は知っている、朝日に煌めくのは、海の涙だということを。」 というところもいいですね。人知を超えた何かへの感覚のようです。だから「寂寞も哀しみも温かい」のでしょう。 また、4連目の雪の表現。 「明日には崩れゆくことを知りながら、お前たちは今日という日を目一杯の愛で象るのだ」 雪の儚くも健気な姿の中に夢を見出せるからこそ、頑張って歩んでゆける。そんな雪への眼差しが新鮮です。 そして最終連。 「かつて見た、しかし同時にまた未だ見ぬ」 それ故に《夢の情景》なのですね。 この詩が全体的にやや感傷的な雰囲気を纏っているのもそんな《夢の情景》だからなのでしょう。 感傷的な詩はときに、古臭いものとして軽く見られることもありますが、詩を書く者はこのような感覚を忘れてはいけないようにも思います。 それを思い出させてくれる詩だと感じました。 (《夢の情景》)

2023-09-17

想い出を地縛霊に喩えているのが、とても新鮮に感じられました。 また、末尾の 「僕はまた性懲りも無く足を運んでしまう  僕の中の君が全て消えてしまわないように」 という2行が、想い出が地縛霊と化してしまっている理由を表しているようにも思えました。 (地縛霊)

2023-09-17

短い散文といった感じの作品ですね。 「長方形の夢が詰まっている機械」とはパソコンかスマホのことでしょうか。朝起きて先ず補給する栄養がそのようなことというのが、現代人の特徴なのでしょうね。 末尾の「僕は今日も昨日を過ごす」という表現が、SNSの内容と上手く対比されていていいと思いました。 一つ一つの文章が簡潔にまとめられていて読みやすいので、もう少し内容に展開があっても良かったかな、とも感じました。 (グットモーニング)

2023-09-16

こんにちは。 何だか身につまされる詩です。 人に自分の想いを伝えるのはとても難しいです。 同じ日本語を話しているのにこんなにも伝わらないのかと、絶望してしまうときもあります。 でもあきらめずに、どうにか伝える努力は続けなければなりせんね。 ところで些末なことですが、3行目の「大事か願い」は「大事な願い」のことですね。 また、タイトルの「れ」って何ですか? 細かいところを指摘して済みません。 (れ)

2023-09-16

こんにちは。 自分の中の暗い感情をもとに詩を書き進めて、最後の方で「これではいけない」と思って慌てて書き直した、そんな印象を受けました。 「そのあまたの無念をそっと、聞き耳を立ててみたい」 「すーすーひりひりした薄荷の心で満ちているだろう」 という表現が独特で巧みだと感じました。 また、 「妊娠中の腹の出た若い女を今日は二人見て、  何か傷つけられた気がしたナーバスで孤独な日だ」 というところは女性特有の視点で、私には新鮮でした。 「泥濘に嵌まった心で己を持て余していた私が  陽炎のように時折見えるがそれは過去という触れない石のようなものだ」 というところも暗く重たい自分の心情を上手く譬喩で表していますが、若干文が長いようですので、改行したほうがいかなとも感じました。 最後の2連で詩の感じを変えたのは何らかの効果をねらったのでしょうか。(暗い気持ちが回復する様子を描きたかったとか?) 珍しい構成の詩だと思いました。 (最果てを思い慰む)

2023-09-16

はじめまして。 一読して、だいぶ詩に親しんでいる方なような印象を受けました。 全体として繊細な感性に溢れていますね。 「粉々になった 見たことのある風景が  見たことのない風景を生み出すので」 「骨の山になったことも忘れて  誰かを殴るということ」 「手足で  やさしいひとの信条をとおりぬける」 「どこまでも転げおちる空を、どこまでも流出していく鳥たちの影を」 これらの表現が、苦しい胸の内を巧みに表していると感じました。 また括弧の中の表現も、やり場のない悔しさや口惜しさ、あるいは哀しみといった感情を上手く表しています。 秀逸な作品だと思います。 (めろめろ)

2023-09-15

1行詩ですね。 その短さに何を込めるか、力量が求められます。 この詩での「空を飛べる」とは、心理的・精神的な意味であると同時に、もしかしたら物理的な意味も含まれているのかなと、そんな気もしました。 1行詩という形式の難しさを克服している、良い詩だと思います。 蛇足ですが、ジョジョのスタンドがこの詩のモデルなのでしょうか?(古いか!) (無題)

2023-09-15

こんにちは。 はじめに読んだときには何のことかよくわからなかったのですが、再度タイトルを思いながら読み直したら、あぁそういうことかと、何となく納得(?)しました。 感じたことを上手く表せないのですが、常に無意識に呼吸していることの中に「しあわせ」があるということ。 「命」という言葉は「息のうち」が語源という話を聞いたことがあります。息を吸って吐く、その内に命を感じられることが「しあわせ」なのかなと、そんなふうに感じました。 またこの詩は、禅の数息観にも通ずるような気がします。 そう考えると、とても深みのある詩にも思えます。 なかなか斬新な作品だと感じました。 (しあわせ)

2023-09-15

片思いの詩のように感じました。 1連目の 「たとえ君がどんな奴であろうとも  今の私にはもう遅い」 というところが印象的です。 彼岸花は草全体に数種類の有毒物質を含んでいるそうです。その彼岸花を「君」の象徴としてタイトルにしたのでしょうか。もしそうでしたら、その辺の譬喩をひとつかふたつ入れてみてもよかったのかなと思いました。 (彼岸花)

2023-09-14

冒頭の 「壊れかけのラジオが  君の声の周波数をひろったんだ」 という表現はとてもいいと思いました。 ただその後の展開にやや凡庸な感があります。 冒頭の詩句が良かったので、それを受けて「君の声の周波数」に重点を置いた展開にしたほうが良かったのではないかなと、そんな気がしました。 (ラジオ)

2023-09-14

こんにちは。 タイトル通り「ぐちゃぐちゃ」ですね、いい意味で。 改行せずに、ずっと続けてダラダラと書かれているところが面白いです。そこそこ読みづらいですけど。 虫の定義が興味深いです。 虫は孤独であり、孤独は宇宙である、従って虫は宇宙である。 三段論法ですね。 その論法の二段目、「孤独は宇宙」というのがとても興味深いのです。 上手く言葉では表現しきれないのですが、孤独をどこまでも突き詰めると、その果てには宇宙が現れる。そして人はどんなに頑張っても宇宙には行けない。なぜなら人は、虫ほどには孤独を突き詰められないから。そんな感じに受け取りました。 末尾の 「じゃあねばいばい  僕は宇宙に行くよ」 というところは、作者が虫のような孤独を求めていることを暗示しているかのようです。 面白い詩です。 (ぐちゃぐちゃ)

2023-09-14

こんにちは、 スピリチュアルなタイトルですね。 まず冒頭の 「私の魂が、降る雨の音に驚いて、自身を忘れた」 との1行がとてもインパクトがあります。 その次に続く雷や風は何か大きな出来事ことを表しているようで、冒頭の1行に意味深長な雰囲気を与えています。 そして2連目の 「猫や雲が柔らかく、輝く」 という表現も、眼の前の情景の穏やかさを巧みに表していますね。 「私の魂は、笑顔の温かさ、眩しさに、自身を思い出した」 というところも、雷や風で示された苦しみを乗り越えた喜びが美しく描かれています。 最終連の「渡すべきバトン」と「やるべきこと」とは何でしょう。 美しい詩を書くこともその中のひとつであるようにも思えました。 今の心情が、日常の風景を通して奥底から描かれたいい作品だと思います。 (私の魂)

2023-09-13

こんにちは。 面白いですね。 しりとりの途中で、「い」ばかりで終わっているな、と思っていたところへ「イでばっかり終わらせてんじゃねぇよ 」という文が出てきたり、 「 雑巾の搾り汁で割ったプロテインでも飲んでろ」あたりから、何だか無理やりな感じが出てきたなと思ったら、「労力をすごく無駄にしている気がしてきた 」という文が出てきたりして、思わず笑ってしまいました。 しりとりがいつの間にかカップル(または夫婦)の言い争いに変わってゆく構成はなかなか斬新だと思います。 最後に仲直りできて良かったです。 (しりとり)

2023-09-12

女性の独占欲を批判するのかと思いきや、「彼女にもっと支配されたい。彼女はもっと狂ってほしい。」のですね。 とても熱いです。 でも、自分の視界を相手に占有してもらうのはとても難しいですよね。 そこが恋愛の苦しいところなのでしょう。 (もし君が私の視界にあるなら)

2023-09-12

何だか人間不信が強く表されているような感じの詩ですね。 リアリアクオリアリティって何ですか? (賢く生きる=(リアリアクオリアリティズム))

2023-09-12

こんにちは。 この詩の内容をかいつまんで言えば、現代人の大多数はバカであり、更に生きていることは愚かである、ということになります。 そして末尾に「私のような高次元の存在」が出てくるところを観ると、何かカルト宗教への批判あるいは風刺なのでしょうか。 そういえば先日、ケニアでキリスト教系の新興宗教団体が、「餓死すればキリストに会える」と多数の信者を死に追いやっていたことが発覚したそうですね。 その事件に触発されて書かれた詩でしょうか。 カルト宗教による集団自殺は過去にも何度も起きているようですね。恐ろしいことです。 もしそのことを書いているのでしたら、もっとおどろおどろしい表現を入れてもよかったのかなとも思いました。 でも、軽いタッチで表現するのも一つの手法ですね。 それは個人の好みの問題なのでしょう。 (またマンガを読んでいるんですか)

2023-09-11

済みません。余計なことかもしれませんが気になったので一言。 「動物の権利」という考え方は、動物は財産とみなされるべきではなく、人間に利用されるべきでもないというもので、それに対して「動物福祉」という考え方は、人間による動物の利用は認めるものの、極力動物の苦しみを取り除く責任がある、というものです。 ですから、産業動物としての家畜の世話に当てはまるのは「動物の権利」ではなく「動物福祉」の考え方です。 これは動物園や水族館、実験動物にも当てはまります。 些末なことをあれこれ書いて済みませんでした。 (洗浄)

2023-09-10

こんにちは。 チョコレートコスモス。 花色がチョコレートに似ているだけでなく、香りもチョコレートに似ているそうですね。 この詩では秋の象徴でしょうか。 だとしたら、そのチョコレートコスモスを欲しがる白猫は夏の象徴なのでしょうか? 「透明な雪が夏であったように薄靄の雨が降る」 という表現はとても新鮮ですね。 夏に想う雪は遥か彼方に虚しく浮かぶ、あえかな蜃気楼であるかのようです。 また、水の底に潜んで光る魚の鱗を猫の目に喩えたところも面白いです。 「我儘な白猫の言うことを聞いてはいけない  爪を立てられる前にさあ引き返せ」 とは何かの警鐘のようですが、何の警鐘なのか、それは受け取る人次第ということでしょうか。 不思議な感じの詩です。 (白猫)

2023-09-10

こんにちは。 なんとなくロールシャッハテストみたいな詩ですね。 最後から2連目が、悲しげな雰囲気機を纏っていて、末尾の 「お前たちが  悪夢をここで 見ていませんように」 という2行を引き立てています。 動物に対して自然に湧き上がる愛情と、人間のために利用される命としての家畜の運命との板挟みにあっている様子が、壁や扉の染みに投映されているかのようです。 どこか人間が背負った原罪をも想わせるような作品ですね。 (洗浄)

2023-09-10

コメントをありがとうございます。 「色んな想像力を掻き立てられる作品」と評していただき嬉しく思います。 「水の妖精が雨降りの日に活躍する漫画」とはどんな作品だったのでしょう。 新たな詩のイメージが湧きそうです。 ご感想ありがとうございました。 (水のコトバ)

2023-09-10

コメントをありがとうございます。 残念ながら平沢進という方の歌は知らないのですが、気に入っていただき嬉しく思います。 「ゆらめく培養液の中でぷかぷかと漂っているアンドロイドを見ているような、未来的な神秘性」というイメージはとても興味深いです。 今後の詩作の参考にさせていただきたいと思います。 ありがとうございました。 (水のコトバ)

2023-09-10

こんにちは。 とても繊細な美しさを纏った詩ですね。 言葉に込めた想いのようなものを感じさせます。 「幼心を揺り籠にして街を歩く」 「私の横顔を太陽としたり、月としたり、木の葉としたりしよう  甘い風を着て、予感と震える胸、花輪を捧げる心」 これらのところに、詩を書く者の心の姿勢を感じます。私も見習いたいです。 「そんな言葉の代わりに象嵌する私は細工師  言の葉の雨を降らす巫女」 これらの比喩表現はとても巧みですね。特に言葉を置いてゆくことを象嵌に喩えているのは非常に美しいと思います。 そして 「花びらが海辺に雨となる、誘い、潮騒と耳への蜜よ」 というところも、いい意味で感傷的で美しいと感じました。 全体的に表現の繊細さと巧みさを魅せる、いい作品だと思います。 (言の葉の雨を唇に受けてキスだよ、と囁こう)

2023-09-10

コメントをありがとうございます。 仰るとおり宮沢賢治に触発されて、科学用語を時々詩に入れたりしています。 ですが、今回は少し入れすぎたかなと、今になって思い始めています。 確かに科学用語を逐一調べるのは面倒ですよね。 そのため多くの読み手に対して閉じている印象を与えてしまったかもしれません。 「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」ですね。 反省しております。 (水のコトバ)

2023-09-10

コメントをありがとうございます。 「水のコトバ」というタイトルに、水の透明さというイメージを持たれたのですね。 そのような視点は想定外でした。 コメントをいただけると色々を見方を学べるので嬉しいです。 ありがとうございました。 (水のコトバ)

2023-09-10

コメントをありがとうございます。 「幻の形相としてのあなた」という表現には、特にはっきりと限定された意味は込めていませんので、読み手の方の自由な発想で受け取っていただきたいと思います。 輪廻とか命が地球をめぐることかの内に、「あなた」が現成しているという見方も、とてもいいですね。 (水のコトバ)

2023-09-09

こんにちは。 この社会の閉塞感を描いた詩のように思えました。 「もうふりだしには      もどらないんだけどね」 「全てがご破算になるまで  船は出航できないから」 というところからそんな感じがしました。 この社会が終わりに近づいているけれど、誰もそのことに気づいていない、あるいは気づこうとしていない。「覚めててごめん」というのはそのことへのアイロニーのようですね。 最初の方の 「お前は油だから」が何故か印象的でした。 水に弾かれて浮いてしまう油のイメージが湧いてきたものですから。 (chu!覚めててごめん)

2023-09-09

はじめまして。 この詩を一読してまず感じたのは、本当に許しているの?ということでした。  作者は過去にいじめにあった方があるのでしょうか。また、内向的な性格の方なのでしょうか。(まあ、詩を書く方の多くは内向的なのだと思いますが・・・) 個人的には、内向的な性格の方はその内向性故に過去の記憶からなかなか逃れられない傾向にあるように思います。(私がそうだから・・・) ですから言葉では許していると思ってもそれは表層だけで、深層ではまだ許しきれていない、この詩からそんな印象を受けました。 また、詩の表現という観点からは、全体の構成は良いと思うので、もう少し対句や比喩などの技法を用いれば、より入り込みやすくなるかなという気がします。 ただその一方で、これが自分のの心を整理するための詩であるならば、そちらに力を入れたほうがいいような気もします。 詩には芸術表現という面と、セラピーのような面との両方があるそうですので、芸術として人に感銘を与えるか、それともセラピーとして人に共感を覚えさせるか、ということを意識されてもいいのかなと思いました。 (ゆるします)

2023-09-09

今まで様々な試みをしていたようですね。 その苦しみを経た後に現れる東雲のような、 素直に書かれた詩を期待しています。 (夜明け)

2023-09-09

こんにちは。 まだはっきりとした言葉にならない、未分化な心情を描いた詩のような印象を受けました。 詩の意味よりも視覚的な効果から、心情や感覚を伝えようとしているように思えます。 「沈水花」とは造語でしょうか。探してみましたけれどその言葉は見つかりませんでした。 ただ沈水植物というものはあり、その中には水中に花を咲かせるものもあるそうです。まあ、この詩とは関係ないかもしれませんが。 冒頭の「せよ。」から、瀬、背、CE、seと、「せ」という音が何故か印象的でした。 このような形式の詩に美しさを感じるには、それなりに繊細な感性が求められるようにも思えます。 愛する人と共にいたいという想いが、水に沈む花というイメージで現れたのでしょうか。そんな感じがしました。 (沈水花(初稿))

2023-09-09

はじめまして。 「双極の詩」とは、もしかしたら双極性障害のことを書いたものでしょうか? 「苦しい貴方と愉快な貴方の  両方が居て貴方が在るから  この気持ちあんた解るだろ?」 というところから、そんな気がしました。 「全て真実とも思わない   けど全てが嘘じゃない」 「個性を殺す既聞の音階   成ってた駒と異質の存在」 どこか意味深長で、内なる苦しみを巧みに表していると感じました。そして、 「心を信じる欠片が足りない」 というのも、人間全般に言えることだとも思います。 とてもインパクトのある詩です。 (双極の詩)

2023-09-08

こんにちは。 コーヒーを飲みながら寛いている時に、ふと、若い頃のことを思い出す、そんな日常的な風景を淡々と画いていますね。 「節くれだった手で カップを持つ」 というところが、経てきた年月を上手く表していると感じました。そして、 「おお 丸い 丸い 月が出る」というところに、日常のなんでもないことの中に喜びを見出す、今の心情がよく現れています。 また、 「眼鏡がない頃の ほんの些細な  なのに今も 叱られる」 という家族とのやりとりも、ホッとするような暖かさを感じさせます。 ただ、2連目が繰り返されていますが、その間をもう少し長くするか、繰り返された5連目を少し変えるかしたほうが、全体のバランスが良くなるような気もします。 でも、とても優しい感じの良い詩だと思います。 (丸い丸い月が出る)

2023-09-08

こんにちは。 楽団やバンドが奏でる音の一致・一体性と、他者への共感を対比させているところに、新鮮さを感じました。 特に他人の痛みを理解することについて、 「遠い木霊のように遅れて  理解がやって来ると思う」 と表現しているところがとても上手いと思います。 そして 「でも信じて  待っていてほしいと僕は願っている」 というところに、それが難しく時間のかかることであっても、決して絶望はしていないということを表していますね。 芸術を通して未来への希望を語る、良い詩だと思います。 (我が山に木霊は立ちて)

2023-09-07

こんにちは。 前作と似た感じの詩ですね。 プールで遊んだ楽しい時間も、お子さんの夕食を美味しそうに食べる様子に比べれば、 「とても ちっぽけなものに なってしまう」 ということなのでしょう。 日常の中で感じたことが淡々と語られていますが、詩にしては少し淡々としすぎているように感じました。 ふと思ったのですが、この詩は短歌に近いような感じがします。 短歌、あるいは長歌のような形にして表現しても面白いのではないでしょうか。 (けしき)

2023-09-07

こんにちは。 孤独を想わせるような寂しげな詩ですね。 「寂寞」「惜春」「流露」といった言葉が使われていて、敢えて全体的にやや古風な表現をとっている印象を受けました。 「物事は寂寞の中で、生きている」 この冒頭の詩句でこの詩全体の世界観を表していますね。そして、 「物事のすれ違う事は皆、芸術で有る」 というところで、寂寞の中に美しさを見出しているようです。 「僕は過去で呼吸をする」 「惜春は白さに溶けて散る」 語り手は過去を頼りに生きているように感じます。それ故「可哀想な男」と言われてしまうのでしょうか。 「命の色どりを掬えぬ僕」 「水屑となり沈んでいる」 生きることの光彩を失った自分を否定的に見つめながらも、なおそんな自分を生かしているのは道徳である、そんなふうにも読み取れました。 全体的に非常に暗い内容なのに、重苦しさを感じさせない、表現の巧みさを感じました。 (水声)

2023-09-07

こんにちは。 淡々とした語り口がいいですね。 「髪が抜ける 記憶も抜けていく」 「抜ける するする するするするの合唱が」 というところが飄々とした感じで面白いです。 また、「絶望者のまね」というのが絶妙ですね。 まねであるから、本当には絶望していない。 でもそのまねをするからには、夢や希望も持ってもいない。 それで結局、また寝て仕事を休んでしまう。 それはそこが陽当たりの良い部屋だったからでしょうか。 詩全体から醸し出される気だるい雰囲気が、何故か心地よく感じました。 (陽当たりの良い部屋)

2023-09-06

すみません。 タップミスをしたらしく、二重投稿になってしまいました。 (路)

2023-09-06

こんにちは。 とても暗い感じの詩ですね。 自分が何者であるかわからない、あるいは自分は何者にもなれない、そんな生きてゆくことへの絶望感が全体に満ちています。 ただ、全体的に平板で緩急や展開などの変化に乏しい感じがします。これだと読み手が途中で飽きてしまうおそれもあります。 もう少し推敲を重ねたほうがいいように思います。 でも、末尾の 「白鴉が一斉に視界を遮る。」 というところは良いと思いました。 白鴉とはありえないことの喩えですね。それに視界を遮られるというのが、作者の感じているであろう、この世界や生きていることの不条理さを上手く表していると感じました。 (路)

2023-09-06

こんにちは。 とても暗い感じの詩ですね。 自分が何者であるかわからない、あるいは自分は何者にもなれない、そんな生きてゆくことへの絶望感が全体に満ちています。 ただ、全体的に平板で緩急や展開などの変化に乏しい感じがします。これだと読み手が途中で飽きてしまうおそれもあります。 もう少し推敲を重ねたほうがいいように思います。 でも、末尾の 「白鴉が一斉に視界を遮る。」 というところは良いと思いました。 白鴉とはありえないことの喩えですね。それに視界を遮られるというのが、作者の感じているであろう、この世界や生きていることの不条理さを上手く表していると感じました。 (路)

2023-09-06

こんにちは。 神様(?)が書いた脚本は、全てが明らかにはされていなくて穴だらけ。だから、そんな神様の手のひらの上で右往左往しながら穴を埋めるため、劇中劇を書いている。そんなふうに受け取りました。 「八百長かもしれない」 「なるべく寓意的な  含蓄のある噺をしたい」 これらのところから、不透明な世界で自分の生きる意味を探している様子が窺えます。 そして、最終連の孫悟空。 岩山に閉じ込められてしまった話から、たいした意味を見いだせないなら引きこもってしまいたい、そんなふうにも読み取れます。 全体が学生の独り語りの形をとっているのは、作者が今の若者にこのようなイメージを持っているからでしょうか。 「けれど僕はさびしい役者だから」 の1行に、どこか意味深長な感じがします。 (上映中)

2023-09-06

こんにちは。 何だかネット依存やゲーム依存の人を描いたようにも見えますが、でもこれって今では広く観られることなのかな?とも思いました。 ストレートネック。 パソコンやスマホの使いすぎで、本来ある頚椎の湾曲がなくなってきて真っ直ぐに近い状態になること、ですね。 もしかしたら私も、気づかぬうちにそんなふうになっているかもしれません。ちょっと怖いです。 「今は今  そうだオッケー」 「星の代わりに輝く絶望」 「エアコンの風が  私の平和を運んでくる」 どこかシニカルな感じていいですね。これらが最後の「晩年ストレートネック」を引き立てているように感じました。 そして末尾の 「ゴー ア ヘッド」 え?どこへ行くの? なんて思われせくれます。 どことなく寂しいような面白い詩です。 (少年ストレートネック)

2023-09-05

こんにちは。 とてもパワフルな詩ですね。 アントニオ猪木が全速力で走ってくる様子を想像すると、「そりゃ避けられないよな〜」と思ってしまいます。 また、猪木がまっくろいパンツをはいていたのも、イメージどおりでいいですね。 「ぼくは夢のなかだった  きがつくといっぴきの羊が  ぼくのてのひらをちょぷちょぷと  なめていた」 何故かここが一番印象的でした。 羊というと頭突きを直ぐに思い浮かべてしまうのですが、この羊は優しいのですね。 全体的にひらがなが多用されているのも、ユーモラスな感じを効果的に出していていいと思います。 面白い詩です。 (めーとる)

2023-09-05

こんにちは。 文章を書く能力はとても高いと感じました。 ただ、前作もそうだったのですが、内容が既に多くの方に書かれたようなものなので、やはり山本さんならではの工夫のようなものがあったほうがいいと思います。 一番最初に投稿された「空言」はひねりが効いていて面白かったので、次作に期待しています。 (ヒーロー)

2023-09-04

こんにちは。 視点というか、目の付けどころがいいですね。 普通は「十人十色」と聞いてもそのままスルーしてしまいますが、そこに 「その人は青い時もあれば、赤い時もあり、白くて黒くて、、、  一色でもムラがあり、他の色が混ざっていたり、滲んでいたり、」 という視点を設けたところに、繊細な感性が光っています。 また末尾の、 「こんな事を考えている私は何色なのか。」 というところも、自分自身を掴みきれないもどかしさや不安が上手く表されていると思います。 タイトルは「十人十色について」となっていますが、いっそのこと思い切って「一人十色」でもよかったかなとも思いました。 短いながら良い詩だと感じました。 (十人十色について)

2023-09-04

こんにちは。 語感や雰囲気は重すぎず軽すぎず、全体のサイズも長すぎず短すぎず、いいと思います。 泥水:煌めき、汚れ:ひかり、これらの対比が軽やかに描かれているように感じました。 書き落とされた詩句を、タイトルのデジャヴで喩えたのでしょうが、個人的には、そのデジャヴを想わせるような繰り返しを、どこかに入れてみたほうがより面白いかなとも思いました。 (déjà-vu)

2023-09-04

済みません、このサイトのことをいまだよく知らないのですが、 この掲示板以外に、利用者がマナーやガイドライン等に関して運営の方にご相談できる場は何かあるのでしょうか? (第8期運営方針)

2023-09-04

済みません!!?? もう既にまとめて再投稿してしまいました。 本文の末尾の方にある「来月早々に、まとめて再投稿するつもりです。」の来月とは9月のことで、9月1日にまとめた連詩を再投稿済みなのです。 せっかく書いていただいたのに、大変申し訳ありません。 次回からは「ご参加は〇/〇までにお願いします」と記すようにします。 尚、今月二十日過ぎ頃にまた、連詩のお願いをするつもりですので、宜しければその時ご参加ください。 本当に申し訳ありませんでした。 (交感 (連詩の試み))

2023-09-03

丁寧なご説明をありがとうございます。 「交流をコメント欄まででとどめておくのなら別段実害のようなものはないと思いますよ。」とのご意見をいただき、安心しました。 今後、どのような状況になるかわかりませんが、当面はある程度距離をとって参加させていただくようにします。 ご返信ありがとうございました。 (交感 (連詩の試み))

2023-09-03

こんにちは。 一読してとても美しい詩だと感じました。 京都出身の方なのでしょうか、それとも京都に何か特別な思い出があるのでしょうか。 古都へ向かう車中の心情が細やかに描かれています。 「鰯雲のメゾピアノに甘く曖昧を楽しんで」 「頬に残る微笑みの余韻のように  旅先に晩夏は滴って鳴り  安全な車窓から少女となって心の網に」 という表現が、旅の空の下にある、仄かな感傷を纏った繊細な心情を巧みに表していると思います。 「志よ  青雲の志よ」 というところが何らかの挫折感を感じさせ、その後、末尾の4行で夏の景色と対比させて、過去の経緯を受け入れる姿勢を表現しているような印象を受けました。 秀逸な作品だと思います。 (京都行)

2023-09-03

コメントをありがとうございます。 私自身、連詩に参加していただいた方に何かを強制できる立場にありませんし、また個人的にも、一人くらい型から外れた人がいても面白いかなとも思うのですが、他の参加者の方がどう感じるかわかりませんし、型から外れた人ばかりになると、最終的にはタガが外れたような読みにくい作品になるかな、とも思いましたので、修正のお願いを致しました。 今後とも宜しくお願い致します。 (交感 (連詩の試み))

2023-09-03

こんにちは。 この投稿を読んで、ただただ何の意味も目的もなく、土を掘り返してはまた埋め戻す作業を延々と繰り返すという、懲罰的な労働のことを思い出しました。大企業が辞めさせたい社員に研修と称して課したことがあったそうです。 激論によって汚染を重ねた森、切り出された墓標、ひんやりした石の上、それらは何を表しているのでしょう。 もしかしたらこのサイトのことでしょうか。 そうだとしたら少し心配です。 (森おじさん - Creative Writing)

2023-09-03

《参考までに》 冒頭の「靴の中に埃が溜まる」という1行で外に出られないことを、そしてタイトルの「知りたい」で、それでも外に出たいという、相反する気持ちを表しているのでしょう。 個人的には、もう少しだけ心情を表す部分がほしいところですが、その一方、これだけにとどめてあとは読み手に行間を読ませるほうがいいと感じる人もいるでしょう。 それぞれ個々人の好みや価値観の違いでしょうが、そういったことを把握されておいたほうが、今後、表現の幅が広がると思います。 とりあえずご参考にまで。 (知りたい)

2023-09-03

こんにちは。 季節の変り目の街中の、どこか茫漠とした雰囲気が伝わってくる作品ですね。 排気ガスで淀む街の空気と、夾竹桃の持つ毒とがうまく対比されています。 ただ、 「毒は…  薬にもなるらしい」 のあとの展開がややあやふやな感じがします。 そのような茫漠とした感覚を表そうとしたのかもしれませんが、夢やめまいの中で見るような幻想的な展開を期待したので、少し物足りなさを感じました。 でも、全体的な雰囲気はとてもいいので、個人的には、あと一歩推敲を重ねればもっと良くなるかなという気がします。 (夾竹桃の咲く街)

2023-09-03

次回のテーマの件、了解致しました。 ご返信ありがとうございました。 (連詩:交感)

2023-09-02

コメントをありがとうございます。 うまく連結できたのは参加された皆さんのおかげです。 (連詩:交感)

2023-09-02

コメントをありがとうございます。 4連目の方がどのように思われたか聞いてはいないのですが、私個人としては、連詩では多少冒険されたほうが思わぬ展開が観られて面白いのではないかと思っています。 次回のテーマとして何か旅もの、いいですね。 山、川、海、森、とても詩情をそそります。 他の方のご意見もお聞きして、決めたいと思います。 ご提案ありがとうございました。 (連詩:交感)

2023-09-02

コメントをありがとうございます。 「超大作という赴き。」 「まさに力業による逞しく豪快なタッチを感じました。」 お褒めのお言葉、ありがとうございます。 参加された皆様のおかげです。 次回はどのようなテーマがいいでしょうか? 何名かの方からのご意見をお聞きしてからテーマを決めようかなと思います。 今後とも宜しくお願い致します。 (連詩:交感)

2023-09-02

コメントをありがとうございます。 「20日を過ぎると、そろそろ始まるかな?とそわそわしますね(笑) 」と仰っていただき、たいへん嬉しく思います。 参加される方が増えると、入りどころを定めるのが難しくなりそうですね。 でもそれも意外性があって面白いかななどと、勝手なことを思っております。 ちなみに次回はどのようなテーマがいいでしょうか? 自分一人だけで決めるより、何名かの方からのご意見をお聞きしてから決めたほうがいいような気がしてきました。 今後とも宜しくお願い致します。 (連詩:交感)

2023-09-02

こんにちは。 まず、テンポの良さを重視した作品のような印象を受けました。 「僕らはみんな詩都だった」 言葉を紡ぐことの大切さ、あるいは喜びを表したものでしょうか。 「トラウマたくさん抱え込み」 「愛の夢から醒めた時  親子関係は終わる 」 というところに、何か軛のようなものからの解放を感じます。 「境界線を超えた時  俗世とお別れだ」 「アカシックレコードの  容量食っている」 近代神智学についてお詳しいのでしょうか。 時間的にも空間的にも俯瞰的に世界を観ようとしている姿勢が、この詩全体から窺えます。 そしてその結論として描かれている 「やがて最高潮の文明の末に  新作の生じる余地を失くし  絶滅の果てのはじまりを待つ都に」 というところについてですが、私も以前より、詩を含めた芸術全般に同様の感想を持っていました。 まさに「我が意を得たり!」という感じです。 とても面白い詩だと思います。 (僕らはみんな詩都だった。)

2023-09-02

コメントをありがとうございます。 「待ってました!」と仰っていただき嬉しく思います。 「文体のバトンリレーのよう」 「舞台のようなイメージ」 そのような見方もあるのですね。 勉強になります。 ご感想ありがとうございました。 (連詩:交感)

2023-09-02

こんにちは。 何かまだ見ぬ新しいものを求める心情を描いた詩のような印象を受けました。 その心情を 「時代よりも早く  七色のモノクロの入ってるという四角いビニール袋を  破いて開けてみたいとは思わないか? 」 というところが上手く表していますね。 『不在の情報を読み取れば  頭がおかしいとして隔離病棟にぶち込まれる  若ければ支離滅裂  老人ならぼけてしまったということになる 』 時代の先をゆく者は厳しい批判に晒されるか無視されるのが常なのですね。 『「あり得ないものは見ておくものだ」 』 この表現は巧みで、この詩の核になってるような気がしました。 あり得ないと思っていたものを目の当たりにすること、あるいはそれを顕にすること。 それが詩とか芸術とかいうものの醍醐味なのだと思います。 「宝を宝足らしめたい思いが記憶を保持する」 ここも、記憶の本質を上手く表しているようです。 言い方を変えれば、宝を見逃してしまうことが即ち忘却なのだと思います。 最後の2連の意味が、あまりわからなかったのですが、全体的に表現がよく練られている作品だと思います (劇作家の思考空間)

2023-09-01

こんにちは。 ごく短い芸術論のような詩ですね。 「あなたは懐かしい家で、芸術の中に、神が作られた秘密を見つける。」 私もそう在りたいと思っているのですが、それがなかなか難しいです。 申し訳ないのですが、後半部で述べられていることの意味がぼんやりとしかわかりませんでした。 技巧に傾きすぎると、今という時に生きている自分を失ってしまうが、その苦しみを経ることが芸術の成就には必要だということでしょうか。 浅薄な解釈だったら済みません。 (物語のカケラ。静かな時、芸術の秘技は語られる。)

2023-09-01

こんにちは。 トウモロコシについての、 「批評精神のない有無を言わせぬ関心を喚起する」 という感想は独創的ですね。 ただ、全体的に改行詩の形をとっていますが、内容はほぼ散文に近いです。 トウモロコシや還暦を過ぎた友人の元気さを、詩として描きたいのであれば、もう少し上記のような独創的な表現を入れたほうが良いように感じました。 またちなみに、植物に「食物を僕たちに差し出してくるような力を感じる 」のは、それが作物として品種改良されたからで、そのへんのことを入れてみても面白いかなとも思いました。 (トウモロコシ)

2023-08-30

はじめまして。 何だか自分の道を探しているような詩ですね。 冒頭の 「冬至のようなそらを想像して  泣いた僕は負けてるみたいだ」 というところは、悲観的になりがちな自分の性格を表しているように感じました。 そんな自分を鼓舞しようとするのだけれど、やはり何か足りない気がする。 そんな心情を簡潔に描いていますが、簡潔過ぎて表現にもの足りなさを感じましす。 冒頭の表現は良いと思いますので、このような表現をもう少し入れたほうがいいと思います。 でも、タイトルの「うたたね」は、前に進めず足踏みをしている様子を、面白く表していますね。 (うたたね)

2023-08-29

こんにちは。 嫌いな人が好きなものまで嫌いになることはない。 それは言い方を変えれば、嫌いな人にも人としての感性があるということでもある、そんなふうに受け取りました。 中盤の3,4連目が良いですね。 特に4連目の 「飲み込まれて一つになる  また一つ、私は溶けて混ざった」 というところが、群衆の中の孤独あるいは埋没のようなものを上手く表していると感じました。 また、かなり複雑な心情を表しているようで、正確には掴めなかったのですが、末尾から2行目の 「心を揺らして輪郭が歪んで、」という表現が、その複雑さを巧みに描いています。 秀逸な作品だと思います。 (確か、花火を綺麗とも言っていた)

2023-08-28

連詩へのご参加ありがとうございます。 来月早々に、まとめて再投稿するつもりですが、その際はビーレビ杯不参加とさせていただきます。 宜しお願い致します。 (交感 (連詩の試み))

2023-08-28

こんにちは。 そちらではもう秋の風音が聞こえてきますか? まず文字の置き方が斬新で面白いと思いました。 ただ、読む側のデバイスの問題なのでしょうが 、マイコプラズマのところが少しずれていました。 ネット経由で表現する難しさですね。 夏場の牛の世話は、とてつもなくたいへんそうですね。 また、牛の病原マイコプラズマにはいくつもの種があるようですね。それへの予防措置もたいへんそうです。 でも、最後から2連目の "「お疲れ」  涼しくなって  牛眠る " というところは、少しホッとする感じが出ていて良かったです。 どうかお体にはお気おつけください。 (夏牛)

2023-08-28

連詩へのご参加ありがとうございます。 済みません。私としては4行まとめた1連を想定していたのですが、もし可能であれば修正をお願いできませんでしょうか。 もし無理であれば、とりあえずこのままの形でいこうと思います。 来月早々に、まとめて再投稿するつもりですが、その際はビーレビ杯不参加とさせていただきます。 宜しお願い致します。 来月早々に、まとめて再投稿するつもりですが、その際はビーレビ杯不参加とさせていただきます。 宜しお願い致します。 (交感 (連詩の試み))

2023-08-28

連詩へのご参加ありがとうございます。 来月早々に、まとめて再投稿するつもりですが、その際はビーレビ杯不参加とさせていただきます。 宜しお願い致します。 (交感 (連詩の試み))

2023-08-28

連詩へのご参加ありがとうございます。 来月早々に、まとめて再投稿するつもりですが、その際はビーレビ杯不参加とさせていただきます。 宜しお願い致します。 (交感 (連詩の試み))

2023-08-27

連詩へのご参加ありがとうございます。 来月早々に、まとめて再投稿するつもりですが、その際はビーレビ杯不参加とさせていただきます。 宜しお願い致します。 (交感 (連詩の試み))

2023-08-27

連詩へのご参加ありがとうございます。 来月早々に、まとめて再投稿するつもりですが、その際はビーレビ杯不参加とさせていただきます。 宜しお願い致します。 (交感 (連詩の試み))

2023-08-27

連詩へのご参加ありがとうございます。 来月早々に、まとめて再投稿するつもりですが、その際はビーレビ杯不参加とさせていただきます。 宜しお願い致します。 (交感 (連詩の試み))

2023-08-27

連詩へのご参加ありがとうございます。 来月早々に、まとめて再投稿するつもりですが、その際はビーレビ杯不参加とさせていただきます。 宜しお願い致します。 (交感 (連詩の試み))

2023-08-27

連詩へのご参加ありがとうございます。 来月早々に、まとめて再投稿するつもりですが、その際はビーレビ杯不参加とさせていただきます。 宜しお願い致します。 (交感 (連詩の試み))

2023-08-27

修正ありがとうございました。 ではこちらの方で、来月投稿させていただきます。 (交感 (連詩の試み))

2023-08-27

こんにちは。 済みません。正直なところ訳のわからない詩だと感じました。 ただ、 「たかし。骨壺の中を覗き込むのはおやめなさい。次の生命が始まったと勘違いをして、じいちゃんがお前をとり殺してしまうよ。」 というところは、なるほど、そういう見方もあるのだな、と感心してしまいました。 また、 「(鳥は空に溺れたら?)」 「もっとあたたかい空に墜落していくの」 というところは、個人的にはとても美しい秀逸な表現だと感じました。 以前、岡本太郎氏が 「なんだこれは!と思いながらも、なぜか惹き付けられる。それが本当の芸術だ」 と言っていたのを、この詩を読んで思い出しました。 訳がわからないけれど、なぜか惹き付けられる詩です。 (喰らう)

2023-08-27

連詩へのご参加ありがとうございます。 済みません。私としては4行まとめた1連を想定していたのですが、とりあえずこのままの形でいこうと思います。 来月早々に、まとめて再投稿するつもりですが、その際はビーレビ杯不参加とさせていただきます。 宜しお願い致します。 (交感 (連詩の試み))

2023-08-27

はじめまして。 桜の花の佳麗さや儚さを、美しい表現で描いている詩ですね。 ただ申し訳ないのですが、若干、美辞麗句という感じがしなくもないです。 どの表現もどこかで見たものばかりで、やや目新しさに欠けているように思えます。 何かひとつだけでも、ハッとするような表現があるとより良くなるでしょう。 全体として均整がとれている端正な作品ですので、そこにアクセントあるいはスパイスのようなものが加われば、より印象深い作品になると思います。 でも、末尾の 「繋がれゆく今に  目覚めあおう」 というところは、散り逝く桜花に永遠の中の今を観る感性が顕れていて、秀麗だと感じました。 (夢見草)

2023-08-27

わかりにくいコメントで、申し訳ありませんでした。 どこかからの引用のことでも文法のことでもありません。 詩の表現や技法に関することというよりも、書かれている内容についてのことです。 硬くなった心にさえも、根を張り花を咲かせるような綿毛とは、あなたが今まで読んだ、そしてこれから読むであろう詩が語りかけてくるコトバのことでしょうか、という意味です。 言い方を替えれば、心に響くような詩のコトバを舞い落ちてくる綿毛で表したのでしょうか、ということです。 (あるいは、綿毛をどう受けとるかは読み手次第でしょうか) (無題)

2023-08-26

うっ・・・・ へ、偏視! いや、返詩ですか? この「ベツレヘムの灯火を 」は とても秀逸な詩ですので 下手な詩を返したなら 苦い恥を呑み込んで のたうちまわり  ベツレヘムの灯火は  なおも遥か遠く  東方より訪れたる  三賢者の祝福は  いまだ届かず    不安にかられた  残忍なるヘロデ王の  伸ばしたる  殺戮の触手ばかりが  しのびより 黒山羊さんのように お腹がゴロゴロゴロと わめき散らして あげくの果てに 変死してしまうのです (ベツレヘムの灯火を)

2023-08-26

舞い落ちてくる綿毛は詩のコトバですか? (無題)

2023-08-26

こんにちは。 解離性同一性障害を題材とした作品のようですね。 面白かったのですが、このような題材の作品は沢山あると思います。 そのような状況の中でまた同じ題材の作品を出すならば、表現やプロットを良く良く考え抜いて工夫する必要があるような気がします。 (ゆりか)

2023-08-26

こんにちは。 一読してまず面白いと感じました。 冒頭の雪だるまは、匿名でクソリプする人のことですね。 他者からの良いリプライから受ける影響が、「聖句を宿した」で表されているのは巧みだと思います。それに対して、クソリプだった場合の「涙になった」というところは表現にもう一捻りほしいところです。 でも、詩の中に更に詩がある、劇中劇ならぬ詩中詩のような構造は面白いです。 そして末尾の 「ゴロゴロと鳴る雷と  お腹から叫びをあげる黒山羊さん」 というのもアイロニカルでいいと感じました。 秀逸な作品だと思います。 (ベツレヘムの灯火を)

2023-08-25

はじめまして。 自殺を図ろうとしている女性への呼び掛けを描いた詩のようです。 ただ、自殺を思いとどまるよう説得しているというよりも、自殺を止めようとすることの残酷さを表しているかのようにも見えます。 ゲーテの「若きウェルテルの悩み」に、自殺を非難することへの批判が書いてあったのを思い出しました。 そう考えると、なかなか危うい詩ですね。 (貴女が無駄にしようとしてるその命、僕に捧げてくれませんか?)

2023-08-25

はじめまして。 とても切ない想いを綴った詩ですね。 ただ、もう少し比喩を入れてみてはどうでしょうか。 たとえば、あなたの笑顔に「○○のような」と入れたり、バイバイの時が近づくとどのような気持ちになるかとか、言うことをきいてくれない自分ではどうにもならない気持ちを何かに喩えるとか、そういった表現を加えると、読み手により心情が伝わりやすくなると思います。 (想い人)

2023-08-25

たいへん失礼致しました。 「最初の1音から白黒の鍵盤と一体となり 」 の一行から、ピアノを弾く本人のことと思い込み、聴衆側の視点を全く考えませんでした。 ご指摘ありがとうございました。 (Waiting for the last concert (訂正して再投稿))

2023-08-25

こんにちは。 若者の心情を描いた詩だと受け取りました。 酒に酔った人とロマンに酔った人。 ロマンに酔った人はそのロマン故に誠実であろうとしてシラフのまま。 一方酒に酔った人はどうか。 ロマンを素直に消化吸収できないから、酒を飲んでごまかそうとするも、酒といっしょに胃の中のロマンをも吐き出すことになる。 ロマンを馬鹿にしろ、馬鹿にしようとは、 本当は馬鹿にしたくないのにそうせざるを得ない、今の若者が抱える寂しさの声のように聴こえます。 末尾の 「つまらない幸せを胃で消化される健康を願って」 に込められたアイロニーは、諦念の侘しさを纏っているかのようです。 ところで、 「吐き出されたものは油塗れで」 という表現はロマンについての何らかの隠喩のようにも受け取れますが、そうでありながらもなお 「俺はロマンを馬鹿にできない」 という相反する心情を表すような、更なる表現があったほうが、より読み手の心に響くような気がします。 でも、若者の抱える鬱積したやりきれなさが上手く描かれた作品だと思います。 (健康を願って)

2023-08-24

こんにちは。 だいぶ詩を書き慣れた方のようですね。 「樹々がひろげた指の隙間に」 「或いは誰かが観ている虹の変調」 といった風景の美しさから一転して 「その切断面を想像する」 という暗さや残酷さを想わせる表現への転換が、見事な対比を生んでいます。 また中盤の 「ほんのすこしひかりの当たり方が違うだけ」 という一行が、さみしさの源となっている他者との違いや断絶を繋ぐ、橋のような役割を果たしています。 最後の方の 「僕らのさみしさにはすべて  名がある、忘れないでくれ」 という訴えかけも、語り手の心情が仄かに顕されていていいですね。 宛先のない手紙。 それは、町に溢れるさみしさに名前がない故のものだけど、一つ一つのさみしさには本当はそれぞれ名前があるということを伝えようとしている。 秀逸な作品だと思います。 (宛先のない記録係)

2023-08-24

言いたいことはわかるのですが、2行という短さなのに特に表現の工夫も観られません。 これではただの呟きです。 (人間)

2023-08-24

こんにちは。 もう一度会えなくなる人へ向けた、最後のコンサートのように受け取りました。 「活きた音を創る」 「満身創痍という言葉」 というところが、語り手の切ない心情を上手く表していると感じました。 ところで間違っていたら済みませんが、 「もう会えないという核心のもとにある」 の「核心」は「確信」の変換ミスではないでしょうか。文体としてはその方が合っているように思えます。 また、語り手がコンサートを行うピアニストだとしたならば末尾の一行は、 「あなたが奏でるピアノのためにあった 」 ではなく 「あなたへ奏でるピアノのためにあった 」 ではないでしょうか? もうひとつ些末なことで済みませんが、「心臓が走りを速め 」ですが、やや違和感があります。 今一つ違う表現のほうがいいように思います。 色々と指摘して申し訳ありません。 全体としてはいい詩なので、細かいところが気になってしまいました。 (Waiting for the last concert (訂正して再投稿))

2023-08-24

こんにちは。 冒頭の「名前が点から線になる」という表現に目を引かれました。 相変わらず、愛分からず、愛も変わらず、これらの言葉の連続が面白いです。 「私がいなくても私を感じられる」 「モスキートキッスをしてみたい」 というところも比喩が巧みですね。 (あいかわらず)

2023-08-23

こんにちは。 結婚式で祝辞の代わりに詠まれる詩のようですね。 個人的な好みのせいなのか、それとも題材がHonestyのためなのか、今回の詩は今までのもののような深みをあまり感じませんでした。 Billy Joelの゙Honesty゙をはじめ、同様の題材の詞や詩が数多あるからかもしれません。 ただ、後半の 「一粒一粒に詰まった命を道路の真ん中で広げて  沈黙の中に聞いた響きを疑わずに答えとしよう」 というところは、誰も気に留めないようなものの中にも命を感じて、何かの答えを観るというような点が良いと感じました。 ところで、「半分に割った蜂の巣」とは何の表象でしょうか。調べてもわかりませんでした。お教えいただければ幸いです。 (Honesty)

2023-08-23

こんにちは。 女性の美やその普遍を、やや硬い文体で綴ったこの散文詩全部が、ジョークあるいはアイロニーというのが面白いです。 でもその題材をなぜ女性の美にしたのか、色々と想像してしまいます。 末尾の一行が、文節ごとに読点で区切っているのが上手いと感じました。 (だいじょうぶだー♪)

2023-08-22

はじめまして。 タイトル通り、夏の何気ない情景を描いた詩ですね。 冒頭の2行は、忙しい現代人の様や、多様化したライフスタイルをユニークな表現で上手く表していると思います。 ただ、その後の2連は表現が凡庸で、ごく普通の日常的な言葉で終わっています。 これでは冒頭の2行で期待した読み手は拍子抜けしてしまいます。 冒頭のような巧みな表現で、最後の締の言葉を追加したほうがいいと思います。 (8月の風景から)

2023-08-22

こんにちは。 正直なところコメントするのが難しい詩だと思います。(コメントしておいてこんなことを書くのも変ですが) これが全くの創作ならば、いくつか表現を変えたいところです。たとえば、1連目の増量という言葉はやや事務的あるいは何か商品の宣伝文句のようですので、違う表現にしたほうがいいでしょう。(積み重なる年月の数を追うように、など) また、2連目の海辺を汀に、耽るを沈むに変えたほうが、より読み手か心情をイメージしやすくなるように思います。 そして3連目の「かなしみの昼下がり」は、その少し前に「晴れた日だったね」とあるので、何か明るさを想わせるような言葉を持ってくれば、悲しみとの対比がより鮮明になるでしょう。 更に4連目の矛盾という言葉もややありふれた感がありますので、何か機械的な音やノイズのような比喩を用いるのもいいかもしれません。 長々と表現のことを書きましたが、冒頭でコメントするのが難しいと記したのは、これが実際の出来事であった場合、こんな表現の工夫にどれ程の意味があるのか疑問だからです。 この詩が、このような心の内の苦しみを吐き出すため、あるいは同様の苦しみを抱える人に向けたものならば、一つ一つの表現の工夫など些末なものに過ぎないでしょう。 苦しみから生まれた言葉が、本当に詩的な美しさを纏うのは稀なことなのかもしれません。 でも、もしそんな言葉で詩が綴られたら、その詩は最高の詩になるのでしょうね。 (盆準備)

2023-08-21

コメントをありがとうございます。 「どこがどう巧みであったか言わないと上手くなりたい方のためにならない。」 仰る通りですね。 ご指摘ありがとうございました。 (生き延びるために十九から音楽を食べている)

2023-08-21

こんにちは。 世界を恐れていた若い頃の想いを描いた詩のように感じました。 自分を取り巻く世界への恐れから、深海に棲むシーラカンスのように潜んだまま外に出ない。 世間の規範や価値観に押し潰されて、扁平アンコウのようになってしまった。 そんな苦しい想いが巧みな表現で描かれていると思います。 個人的な感覚なのですが、人生は進化の過程のように感じることがあります。 種分化による適応と、不適応による絶滅。 心の中でそんな絶滅と新生を繰り返して、 その果てに至るのが、シーラカンスやオウムガイのようなものなのか、霊長類や顕花植物のようなものなのか、それは人それぞれ。 そんなふうに想うときがあります。 ところで、タイトルが「生き延びるために十九から音楽を食べている 」というものでしたので、音楽に救われたことを描いた詩なのかなと思ったのですが、 「永遠に続く  退屈な音楽を  聴き続ける」 みたいな、ややネガティブな感じで書かれていたのが少し意外でした。 でも、秀逸な作品だと思います。 (生き延びるために十九から音楽を食べている)

2023-08-21

息子さんは本物ですか? (空言)

2023-08-20

こんにちは。 インフレーションということですね。 宇宙論にインフレーション理論というものがあるそうで、経済学でも通貨供給量が増えて貨幣価値が下がることをインフレーションと言いますし、言葉が濫用されてその重みがなくなってしまうことを、しばしば言葉がインフレを起こしている、などと表現されることがあります。 「理解するとは負担を受け入れるという意味だ。」というのはまさしく言葉のインフレーションの実例で、「理解」という言葉が濫用され過ぎたために、その価値が矮小化されてしまった結果の表れだと思います。 (宇宙の膨張について)

2023-08-20

こんにちは。 次第に薄れつつあるティーンエイジャーの頃の感覚を、もう一度遡ってたどってみようとしている、そんな印象を受けました。 蹴飛ばすのがコーラの缶でもコーヒーの缶でもなく、ミネストローネの缶であるところや、仲間が宇宙人の振りをしているところが、ひねりが効いていていいですね。 ところで、ノック・ディ・ダビとは何ですか? 調べてみたけどわかりませんでした。 3連目の「ヒューン、ス―、ルライ」は、言葉に表しきれない、ティーンエイジャーの頃の感覚を表現したもののように感じました。そうだとすると新鮮な感覚です。 「君のティーンエイジャーだけが確かな 夏の日があった」 この締めの言葉に、何か失ってしまったものを想う切なさを孕んだ、仄かな寂しさを感じました。 (ティーンエイジャー)

2023-08-20

こんにちは。 誰か大切な人に宛てた手紙の形をとった詩ですね。 「愛」について、華美な言葉を連ねるようなものではない、控えめで内省的な美しさで描かれています。 「若い頃から、憂鬱、は書けるのに、  薔薇、は書けないのが悔しいです」 というところがとても印象的でした。 若い頃の不幸ゆえの耽美が苦い思い出を作り出し、そのため「宗教情操に似た大きな愛に憧憬」するけれど、それが更に大きな苦しみを生んでしまう。それが 「私がした人生の苦労の形見」 ということなのでしょうか。 「愛を思う、ということの価値をそっとセレナーデしようじゃないか」 「弱く小さき者の歯型として」 愛ゆえの苦しみを誰かの心に、あるいはこの世界に、ほんの僅かでも残したい、そんなふうに受け取りました。 美しい作品です。 (エレファントマンなんてずいぶん古い映画を持ち出したな、と思ったのですが、3年ほど前にリバイバル公開されていたのですね。知りませんでした。) (私の愛をあなたに伝える 、小夜バージョン)

2023-08-20

こんにちは。 雪がキーワードとなっている詩ですね。 雪は非常に美しい景色を見せてくれると同時に、時に我々に牙をむき、命を奪う恐ろしいものにもなります。 無垢な純粋さとそれ故の非情さや残酷さが、雪をメタファーとして美しく描かれていると思います。 「きみの悲愁を秘めた瞳が美しかった」 「雪に覆われた時計の針は語る」 「吹雪に揺れる樹氷が言の葉を落とす」 「く美しい雪の結晶が罪を愛に染める」 これらの表現が非常に美しいイメージを読み手に湧かせて、その世界に導いてくれます。 ただ、少し気になったのは、 「永遠に止まった時間の瞬間の記憶」 「きみの蒼い水色の眼は」 この2つに二重表現があるようです。 前者は時間か瞬間の、後者は蒼いか水色かのどちらかを削ったほうがスッキリすると感じました。 でも全体として、人間の持つ罪と愛という、逃れられぬ宿命のようなものが、雪の冷たさと美しさに託して、巧みに描かれていると思います。 (時だけが知っている)

2023-08-19

はじめまして。 エッセイのような私小説のような作品ですね。 阿吽の呼吸が希となった、日常の中の孤独感や疎外感、そして彼女への想いが、雨音の物哀しさに託されて描かれています。 個人的な感想なのですが、全体がやや平板な感じがして、一番伝えたいことが何なのかぼやけているように思えます。 「なんやかんやあるようで、そのじつ肝心なものはなんにもない。それがなかなかに空しくって。」 まさしくそんな感じです。 座禅と雨音という題材はとても魅力的なので、その部分をもっと膨らませてもいいのではないかと思いました。 でも、最後の方の「雨音があり、雨の匂いがあり、」以降の文章は巧みで美しいと感じました。 (ただ、ストーカーと思われないよう気を付けてくださいね。) (母と座禅と雨音と、好きだった彼女)

2023-08-19

はじめまして。 幻想的な詩ですね。 「水面が上にある感覚」は何となくわかる気がします。夜の街に建ち並ぶビルを見上げたとき、そんな錯覚に陥ることがあります。 「何かの道行」がどのような感覚なのか、あまりよくイメージできないのですが、それでも全体的に表現がとても幻想的で美しいです。 そして最後の、 「そういういっときの夢想を慎ましく密やかに、  三次元に落とし込んで晩夏となる」 という2行が、とても締めとして上手く書かれていると感じました。 秀逸な作品だと思います。 (宵々の道行)

2023-08-19

こんにちは。 この詩の1連目と2連目で、声と声色とを区別していますね。 調べたところ、声は人や動物の発する音という意味と、言葉にして表されたものといった意味とがあるようです。 一方声色とは声の調子のことで、その声とは人が発する音の方の意味のことでしょう。 ですから「声色が天与」とは、声色は感情が直接現れる先天的なもので、この詩での声とは言葉にして表されたもののことで、積み重ねによる後天的なものということなのでしょう。 3連目の 「口にする言葉が体に微細な変化を生み」 というのは、どこか心身一如を想わせるような表現ですね。 言葉を通して表される心が、身体に僅かずつでも変化をもたらす。 そうして発せられた心地よい声で話されると胸が痛くなるのは、その話し相手が自分の持っていないものを持っているからでしょうか。 短いながら意味深長な詩です。 (あの子の声は心地良く、私の心を刺すのです)

2023-08-18

こんにちは。 終末観を描いたような詩ですね。 終わりを感じているのは自分の世界でしょうか。それとも現実の世界でしょうか。 本当は期待や意味など無駄だと分かっていて、世界が終わること、世界を壊すことを望んでいるけれど、生き残って欲しい人がいる。 そんな矛盾した切ない想いが、幾度となく繰り返される「もう一回」に表されています。 「笑顔で飛び降りたあの子の背には歯車の翼が生えていた  意識という光がすれ違う仮想世界は格子状のホログラムで囲まれていた」 というところがとても印象的でした。 この部分を読んで、仮想世界とはサイバー空間だけのものではなく、もしかしたらこの現実の世界も仮想のようなものなのかもしれないと感じました。 ところで、「8128の鐘の音」とは何か気になって調べたところ、8128とは完全数のひとつなのですね。古代の人はこの完全数に神の完全性を観ていたそうですが、世界の終末にこの数の鐘が鳴るというのはシニカルですね。 「傷ついていくだけの体で  孤独を分かり合い心に寄り添う人」 「もう一回 貴方と  最後の樹の下で」 やはりとても切ないです。 (終末に愛)

2023-08-17

こんにちは。 喧喧諤諤という言葉を元に、童話風に描いた作品ですね。 現代の社会を風刺した作品のようですね。 結論の出ない議論を延々と続けている様を俯瞰的に描いています。 そして、互いに対立しているようでありながら、実は互いに依存し合っている。そのことを末尾の「ふたりは なかよし」という一文が表している、と受けとりました。 社会風刺のようですが、もしかしたらビーレビューのことも含まれていませんか? (考えすぎかもしれませんが) 面白い作品です。 (ケンとガク)

2023-08-16

こんにちは。 短歌3首のよようですが、1篇の詩のようにも見えます。 3首通して、何と言いますか、群衆の中の孤独のような印象を受けました。 1首目は、秋葉原殺傷事件を連想しました。 現代の社会病理のようなものを感じます。 個人的には3首目がアイロニカルで一番好きです。 (暑中お見舞い、申し上げます)

2023-08-16

コメントをありがとうございます。 まさしく仰る通りです。 題材をどう受けとめ、どのように表現して、誰も見たこともないようなもの、人の心に感動を引き起こすようなものにするか。 常にそのことを頭に置いて、書いてゆきたいと思います。 また、 「価値のないようなもの、価値を見出されずにあるもの、  手が加えられ創意工夫が鮮やかに創発する。」 と、「捨てちゃう食材」に込めた意味を救いとっていただき、たいへん嬉しく思います。 ありがとうございました。 (夢診断)

2023-08-16

こんにちは。 北野武の『HANA-BI』を軸に、愛の或る形を描いているようですね。 「一人はいつも許している  一人はいつも許されてばかりいる」 そんな形の愛の哀しさを様々な表現で表しています。でもその哀しさは経験した者にしかわかりません。それ故 「私たちは  そして彼らは  いつだって  天国の子どもたちだ」 ということなのでしょうか。 やさしい文体でたいへん読みやすいのですが、2点ほど提案があります。 「天国の子どもたち」という比喩ですが、やや唐突な感じがしますので、詩の内容とこの比喩との間に何かもうワンクッションおいた方が、読み手がよりスムーズに入ってゆけると思います。 また、特定の映画作品を挙げて展開してゆくのは、イメージを容易にする利点があると同時に、その映画を見ていない人を排除してしまうという難点もあります。ですから、どうしてもその映画を軸に書きたいと思うのであれば、読者を狭く限定する覚悟が必要でしょう。(言うまでもないことかもしれませんが・・・) それはともかく、現代特有の寂しさの溢れた作品ですね。 (天国の子どもたちは、腕を大きく伸ばして、泣き叫び、喜んで求めてゆく)

2023-08-15

言いたいことはわかるのですが、もう少し表現や内容に、何かハッとさせてくれるようなひねりが欲しいところです。 (金魚)

2023-08-14

こんにちは。 とても若々しい詩ですね。 ここでの「君」とは、実際にいる誰かではなく、理想の自分を表していて、理想と現実との差がなかなか縮まらないことへの不安を描いているような印象を受けました。 個人的な感想なのですが、もう少し比喩いれてもいいかなと感じました。例えば、朝と夜と書いたなら更に星月と太陽を用いたり、縮まらない距離を砂漠の逃げ水や反発する磁石で表したり、また、つながり得ない細胞と書いたなら、単細胞生物や原生動物の孤独に喩えたり、あるいはシャーレで培養されている細胞なんていうのも面白いかもしれません。 まあ、あまり比喩が多すぎると読むのに煩わしくなるでしょうが、もう少し表現に幅を持たせてもいいのではないかなと、そんなふうに思いました。 (結合)

2023-08-13

これは本心の独白なのか、それとも皮肉や風刺を込めた創作なのか。 今後の投稿で判断することにしましょう。 (〜make a dream come true〜)

2023-08-13

こんにちは。 たいへん美しい詩なのですが、一度グレコローマンな作風から離れてみてはどうでしょうか。 とても豊かな表現力をお持ちのようですので、今までと異なった主題や舞台設定の詩に挑戦されれば、また詩作の幅が広がるように思うのですが、どうでしょうか。 生意気なことを書いて済みません。でも、watertimeさんの違ったタイプの詩を読んでみたいです。 (娘たちへ)

2023-08-13

こんにちは。 タイトルを含め、何とも暗い感じの詩ですね。 何らかの喪失体験を描いた詩のようですが、受け取りかたによっては色覚異常を描いた詩のようにも読めます。 気になって調べたところ、自閉症スペクトラム障害(ASD)の子供は黄色が苦手で緑色を好むとのことでした。 もしこの詩がそのことを描いているのでしたら軽々しいことは書けないのですが、もしかしたら、絵ではなく詩に活路を見いだすことを促しているのではないかと、そんな感じもしました。 (でもやはり、こんな見方は穿ちすぎですか・・・) (何かが死んだ音)

2023-08-13

こんにちは。 私は俳句にはあまり馴染みがないので、意味のよくわからない句が二つほどありました。 「棒がある今年も去年のようなもの」 これは高浜虚子の 「去年今年貫く棒の如きもの」 という句へのオマージュでしょうか。 そして、その後の 「季語探す二三三の棒多し」 の二三三とは何を指しているのでしょうか。 宜しければお教えください。 また、 「だんだんとカルテになって日記果つ」 という句が印象的でした。 私も歳と共に身体の色々なところにガタがきて、もし日記をつけていたならこんなふうに、だんだんとカルテのようになったのだろうなと、身につまされる思いがしました。 (俳句)

2023-08-12

こんにちは。 とても哀しい詩ですね。 愛という抽象概念とは如何なるものか私には答えられませんが、愛と恋とは異なると思います。 この詩を一読したところ、その2つを混同されているのではないかと思われるところもありました。 無論、愛と恋とは全く2つに分けられるものではありませんが、個人的には恋とは愛の入口、あるいはきっかけに過ぎないように思います。まあ、入口がなければ中に入れないじゃないかと言われればそれまでなのですが。でも、また別の愛へのアプローチの仕方もあるような気がします。 ところで、中盤の「哀しみしか人生の美貌を託せないなら」とはどういう意味なのでしょう。哀しみに託す人生の美貌とは如何なるものか、それが何かは朦朧としか見えないのですが、そこに何か答えに繋がるヒントが隠されているように感じました。 末尾の「微笑よ」が、幽かな希望への扉あるいは窓の存在をほのめかしている、そんな印象を受けました。 (愛って抽象概念だけどあなたのなかにそれはあるの?)

2023-08-12

こんにちは。 言葉を吐く、言葉を綴る。それが身を削ってゆく。それに伴う痛みは、言葉が担うものによる痛みでしょうか、それとも吐くことそのものによる痛みなのでしょうか。 逆翻訳の繰り返し。過去に激情と共に言語化されたものを再び翻訳し直す、永遠の点検と訂正。でもそれは「すごいドップラー効果とソニックブームで」己自身を傷つける作業だった。ということでしょうか。 ジャコメッティの作品の画像を見ました。 言葉を綴り続けるということは、あそこまで我が身を削ることに繋がるならば、何と悲しすぎる性なのでしょう。 我が身を削りに削って、しまいには骨だけになってしまう、そんな鳥葬の夢からは逃れられないのでしょうか。 何だかとても痛々しい詩です。 (体を剪定する)

2023-08-12

コメントをありがとうございます。 「優劣の世界にただれて、存在が泣かないために。」 そのお言葉、心に染み入りました。 考えてみれば私が詩を書き始めたのも、そのようなことがきっかけでした。 ですから、まだまだ力の足りない私ですが、コメントを書く際には極力、作者の伝えたいことを正確に読み取ろうと思います。 心に刺さるお言葉をありがとうございました。 (夢診断)

2023-08-12

コメントをありがとうございます。 いいリズム感を出していると仰っていただき、たいへん嬉しく思います。 私は料理が下手ですので、どうか調理しやすい食材でお願い致します。 (夢診断)

2023-08-12

こんにちは。 化学と生物学の用語を用いた詩ですね。 理系の出身の方か学生さんでしょうか。 飽和→凝析→沈殿物 飽和→細胞→アポトーシス そんな図式をイメージしました 沈殿してしまうほど、アポトーシスを起こしてしまうほど、飽和しているのに空っぽな感じもする。 そんな矛盾に苦しんでいる様子が窺えます。 ちなみにアポトーシスは、個体発生の際に正確な形態を形作るために、過剰に増殖させた細胞を削り取るときや、修復不能なほど遺伝子が傷ついたときに、細胞の癌化を防ぐために自滅させるときなどのための機能だそうです。(たぶんご存知でしょう) ですからアポトーシスは正常に誕生してくることや、身体の正常な機能を維持することに必要なものであるとも言えます。 そう考えると、この詩の細胞が死んでゆくことは、矛盾の苦しみを克服して生まれ変わるためのもので、決してマイナスのことではないようにも読み取れます。 芋虫が蛹になって蝶へと羽化する過程にも、アポトーシスが関わっているように。 そして沈殿物が生じるということは、見方によっては浄化を表しているようにも思えます。 スノードームの雪がキラキラときれいに見えたのもそのためなのかなと、そんなふうに感じました。(違っていたら済みません) (スノードーム)

2023-08-11

な、なんだこれは。これは悪夢か、悪夢の続きか?  食材が次から次へと運ばれてくる。どんどん運ばれてくる。とても追い付かない、手が回らない。 ええい、めんどくさい。みんな鍋に突っ込んじまえ! うわあ!! すごい臭いだ。こんなもん誰が食うんだ?  どうしよう・・・ 追伸:私はタラの芽の天麩羅が好きです。 コメントをありがとうございました。 (夢診断)

2023-08-11

コメントをありがとうございます。 令和の虎ですか。 どんな事業計画をプレゼンするのでしょう。何だかケチョンケチョンに貶されそうな気もするのですが・・・ キチガイ色の危険なサイトとはなかなか過激ですね。投稿するならそれだけ覚悟しとけよ、ということでしょうか。 私自身、それだけの覚悟があるかどうか、怪しいものです。 お読みいただきありがとうございました。 (夢診断)

2023-08-11

コメントをありがとうございます。 なるほど。言われてみればテレビ番組の前口上のような感じもしますね。 ウィットに富んだコメントを書ける才能が羨ましいです。 面白いコメントをありがとうございました。 (夢診断)

2023-08-11

コメントをありがとうございます。 仰いましたやらしさは、本当に私の心の奥底にあるのかもしれません。 でも、そのような暗いものは誰の心の奥底にもあるような気もします。 お読みいただきありがとうございました。 (夢診断)

2023-08-11

コメントをありがとうございます。 少女が死んだ連を書かれたのは鷹枕可さんです。 連詩ですと、詩の流れの一貫性や起承転結をつけるのが、なかなか難しい面もあるのですが、逆に参加された方々の個性の違いを観られるのが面白いところなのかなとも思います。 投稿した詩は特に編集はせず、参加された順番通りにそのまま投稿しました。 なお、コメント欄の冒頭に順番を入れ替えたものを載せてありますので、宜しかったらそちらもご覧ください。 お読みいただきありがとうございました。 (連詩 郷愁の視線)

2023-08-11

こんにちは。 前半は身近なことから書いて、後半はもっと視野を広くとって描いていますね。 個人的には「石榑と葉先の雫が」以降が非常に印象的でした。 漠然としか意味はとれなかったのですが、怒号のような雷鳴しか響いてこない世界の中で、祈ることしかできない心を与えられていること、燃やし続けることだけを考える即ち全て忘れること、そのようなことの内に神様はいるのかもしれない。そんなふうに読み取れました。 ところで、「石榑と葉先の雫が同じもの」とはどういう意味でしょうか。石榑という言葉を調べても地名や人名しか出てきませんでしたので、何のメタファーなのかわかりませんでした。宜しかったらお教えください。 (過去)

2023-08-11

こんにちは。 一読して、ひきこもりの方の独白のような印象を受けました。 「ダラダラした内臓に  飴玉一つ  落とす」 というところは、どうにもならない倦怠感のようなものを上手く表していますね。 落とされた飴玉とは、何かささやかな期待感のようなものでしょうか。 「呼ばれてないけど顔を出したくて」 この一文を読んで、こんなふうにコメントを書いている私自身のことのように感じました。もしかしたら潜在意識の中では崇められたいと思っているのかもしれません。 「もうすぐ春が来そうなんだ」という感覚は「僕は狂えない」といことの裏返しのような気がします。 何かに熱中したいの何故かそれができない。心のどこかは常に冷めていて、そのことが「夏をひたすら冷やした」と表されている、そんなふうにも思えました。 何だか少し苦しい感じのする詩です。 (夢鬱)

2023-08-11

こんにちは。 これは古くからある哲学的な主題の詩ですね。 産まれたばかりの赤ん坊は、これから生きてゆく哀しみ故に泣く、という話を以前聞いたことを思い出しました。 「それまでの過程をどうやって色付けるかを” 人生 ”って言葉に当て嵌めて」というところは、まさにその通り!と感じました。 人生の意味とは、後から振り替えって附けられるものですね。 これは個人的な意見なのですが、結局死んでしまうのになぜ生きるのか、という問いには答えはありません。答えがないというより、この問いは言葉の適用範囲の逸脱です。 言い方を変えれば、答えは問いの中にある、とも言えます。 どういうことかもし気になったら、また訊いてください。 (愛おしい命たちへ)

2023-08-10

こんにちは。 心の中に秘めていた不満をぶちまけているような詩ですね。 タイトルの「無敵」とは、もう失うものがないが故の無敵なのですね。 そして、その「無敵」の中には破滅の裏返しのような意味が含まれていて、それは世間的な常識や浅薄な正義感への嫌悪を伴っている。そんなふうに感じました。 そう考えると、 「陳腐な音を立てて割れた鏡は、泣きそうな不細工を写していて、哀れだった。」 という表現はとても巧みですね。その後の 「耳障りなものは壊しちゃおうぜ」 というキッチンバサミの声と共に、どうにもならない深い哀しみを表しているように感じます。 そして末尾の 「真っ黒な猫が、私を見て、哭いた、」 というところがとても印象的でした。 ところで、3行目の「巫山戯ている」はふざけていると読むのですね。知りませんでした。でも、この漢字を読める方はかなり少ないと思いますので、ひらがなのほうがいいでしょう。 また中盤の「テレビで流みしていた時に」の「流み」とは何と読むのでしょう。調べたけどわかりませんでした。 (無敵)

2023-08-10

こんにちは。 何か不思議な感じのする詩ですね。 一連目を読むと、過干渉の母親に苦しむ人のことを書いているように思えましたが、その後を読むと、どうもそうではないようです。 ここで「殺した方が良いようだ」とか「⚫︎⚫︎した方が良さそうだ」と言っている母親というのは、もしかしたら作者自身の方向性を縛るものを指しているのかなと、そんな気もしました。 それ故に最終連で、 「図案は多い方がいいだろう」 「私の行方は誰も知らない」 ということが出てきているのかと、そんなふうに感じました。 でも、そうなると二連目で、「母親を助けるためには」と記されていることと合わなくなってきます。 なかなか解釈が難しいです。 (善意の行方)

2023-08-10

こんにちは。 読んでいて胸が痛くなるような詩です。 「私には詩は書けない  詩のようなものが出来るだけだ」 まるで自分のことを言われているような気がします。 でも、読み進んで気がついたのですが、 「何を書いたって嘘っぱち」 「薄暗い現実から逃げたかった」 そう書かれているこの詩も「嘘っぱち」? 「私は嘘つきだ」という有名なバラドックスと同じような構造がこの詩の中にはあります。 上手く言えないのですが、もし本当に詩が書けないならば、そのことを吐露した詩を書くという矛盾の中に、何か大きなヒントのようなものを感じます。 わからないまま書くという道もあるような気もします。書きながら探してゆくような。 詩の定義は詩人の数だけある、という言葉もありますから・・・ やはり上手く言えなくて済みません。 (逃げたい)

2023-08-09

はじめまして。 夜の街に滲むような、無機質な蛍光灯の光の冷たさを描いた作品ですね。 「青白い光は夜の中  街の欠片を照らし  蛾の群れに大きな影を作る  雨には雨粒を光らせる」 というところの表現が美しいと感じました。 ただ、その後の「月の代わりの照明」というところは個人的には、「月の代わりの明かり」のほうがいいように思います。(月明かりという言葉がありますから) 「照明」という言葉だとどこか事務的な感じがしてしまいますので、「あかり」とか「ともしび」、もっと冷たい感じを持たせるならば「白光」「冷光」「蛍光」みたいな言葉でもいいかもしれません。 街灯の光がこの詩の核となるならば、光の表現に幅を持たせたほうがより奥行きのある作品になると思います。 なお蛇足ですが、タイトルはやはりバタフライ(蝶)よりもモス(moth)を使った方がいいと思います。本編の中に蝶はてできていないのですから。 (バタフライブルー)

2023-08-09

こんにちは。 これは蝉の鳴き声を描いた詩ではなく、蝉の泣き声を描いた作品なのですね。 ここに書かれている蝉は実は蝉ではなく、作者の中にある「何か」なのでしょう。 ひとりぼっちで虚しい、毎日飛び続けて休むことを許されない、そんな生き方への哀感が、夜の蝉の泣き声として表されているのですね。 ただ、蝉をメタファーとして用いるなら、幼虫が羽化する過程も入れた方が、哀感がより強調されるような気がします。 (泣き声)

2023-08-09

こんにちは。 一読して、まるで言葉の迷宮のような印象を受けました。 タイトルの「Sound only/ 」というのも、言葉の音に重きを置いたことをも表しているのでしょうか。 子供の頃に見ていた夢と、大人として生きなければならない現実との狭間で右往左往している様子が、迷路のような言葉で巧みに表されています。 堂々巡りの思考をこんなふうに表す方法もあるというのは目から鱗です。 ただ、この詩でキーワードとなっている「音」については、何を指しているのか正直なところよくわかりませんでした。「音」と書かれていながら実際の「音」ではない何かのような気もします。 「大人でいられなかった音をつなぎ直しても」 「半音をさがすものがたりの生きかた」 というところに何か大切なメッセージが込められている、そんな印象も受けました。 秀逸な作品だと思います。 (Sound only/)

2023-08-09

こんにちは。 これは詩と呼ぶべきか、それともポップアートと呼ぶべきか? 何度も言えない作品ですね。 正直なところ、このような作品は評価が難しいようにも思えます。 私も以前、詩句の中に□を多数入れた詩を投稿したことがあるのですが、「宙ぶらりん」とか「ついていくのが苦しい」といった、なかなか手厳しいコメントをいただきました。 ですからこの詩も斬新ではありますが、平板にせずに、その中にもう少し変化を入れた方がいいように思いました。 なお、私のデバイスでは文字化けしたせいか、括弧が表示されず大小の丸が並んでいます。環境依存の記号だったのでしょうか。そのような点でも注意が必要なのかもしれません。 (┣○┳●┫┣●┳○┫)

2023-08-08

こんにちは。 仏教の「悟り」の様相を描いたような詩ですね。 禅の十牛図の最後の図である「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」を想わせます。 かつての自分自身の歪みが自分を取り巻く世界を歪ませていたことに気づいたとき、世界と自分が決して切り離せないひとつのもののように感じる、ということが巧みな表現で描かれれています。 ただ、中盤にある「私の周りにあるはずの世界は世界自身と私自身以外の全てを備えていた」というところの解釈はなかなか難しいようです。 仏教的に解釈すれば、ここでの「世界自身と私自身」とは、それぞれが他から切り離され全く独立した自性(本性)を持っていると見なす妄見のことを指していると解することができます。 そして、それら以外の全てを備えていたというのは、上記のような妄見を克服して「私が世界であり世界が私だった」という境地に到達したことを表しているとも受け取れます。 仏教的な解釈に偏ってしまって済みません。ただ、最後の方の 「完全になった私の世界は私自身を排除していなかった  今までずっと  これからもずっと  いっしょだ」 というところは非常に美しいと感じました。 このような廓然とした心境に至りたいです。 ところで今手元にある『キャリー』とは、スティーヴン・キングの小説のキャリーですか? (完全な私の世界)

2023-08-08

はじめまして。 どこか飄々とした感じの詩ですね。 閉じ籠っていたところを抜け出して、一種の解放感を味わっている様子の表現が独特で、面白いと思います。 「風の端であかるく終わる」 「じゅわ 口腔に広がるあいだ」 「こがね色の話を足の裏で理解する」 「なめらかで、あけすけで  ふんわり精密 曇った街」 といった表現が巧みだと感じました。 でも「曇った街」とは何でしょう。 リアルの街か、それともネット上のヴァーチャルなものか? そしてその後の「幼稚な手土産」とは? 世の中の認識、ユーモアのセンス、それとも詩の出来映え? 色々な受け取りかたができそうです。 (遊びに行くよ)

2023-08-07

こんにちは。 ほぼ散文に近い感じの詩ですね。 自転車を降りて歩いてくださいとの表示があるのに乗ったまま走っている人が多い、という状況は私の身近にもよくあります。 この詩を読んでなぜだろうと考えてみたところ、降りて歩いたらその分時間が余計にかかる、いちいち自転車を止めて降りるのがめんどくさい、自転車を押して歩くとその分疲れる、といった理由なのかなと思いました。 何だか今風のコスパとかタイパみたいな価値観が背景にあるような感じがします。 何でも手っ取り早く、要領よくやった者が勝ちみたいな風潮ですね。 人生って何ですか?と問われても、私も上手く答えられませんし、その答えは人それぞれなのでしょう。でもその答えは地域や時代の影響を受けるものなのだと思います。 ですから今ここでの、日常の何でもない事柄から人生を感じるのも、上手く言葉にできない答えの一部なのかもしれません。 (歩かない地下歩道)

2023-08-06

作品へのコメントが私宛に来ていましたので、お手数ですが、再度「作品へのコメント」として送り直してください。 宜しくお願い致します。 (涼しい季節)

2023-08-06

こんにちは。 現代の社会や政治を風刺しているような詩ですね。 具体的に何をイメージしているのかはっきりとはわからないのですが、核シェルター、ケロイド状、エックス線といった言葉から、核兵器あるいは原発事故への批判のようにも思えます。 そしてタイトルにもある、住民達が地面に落とした開拓者のスコップは、この世界にはもうフロンティアは残されていないことを表しているような印象を受けました。 (scoop)

2023-08-06

こんにちは。 辞表を書くということは、生き方を変える、人生の中での大きな決断ですね。 4連目と5連目の、小さくなった氷を飲み込んで、それが消えゆくことを描いたところに、その大きな決断に込めた想いのようなものを感じました。 誰にも知られない、静寂の中での大きな決断が巧みに描かれた描いた作品だと思います。 (氷)

2023-08-05

こんにちは。 どなたか大切な人の初盆の詩でしょうか。 一読してそんな印象を受けました。 全篇に深い悲しみが満ちているように感じます。 前作の「心の骨」と比べて、一行一行の表現が少し凝り過ぎているように思えます。 ただ中盤の、詩集や色々な本を読んで、「そして悲しいという言葉の代替品を探しあぐねた」 というところが非常に印象的でした。 表現が凝っているのは、言葉にできないほどの悲しみを、敢えて言葉に表そうとしている煩悶の現れなのかもしれないと、そんなふうに感じました。 末尾の 「雨よ、私の微熱をくすりと笑って  盗人のように奪って降ればいいよ」 とは、そんな煩悶の内にある自分自身を客観的に観て自嘲しているかのようにも思え、それと同時にこの悲しみを洗い流してほしいと願っているようにも思えました。 とても悲しい詩です。 (お盆のささめきの中で)

2023-08-05

こんにちは。 最初の連は、作者の人生観あるいは世界観をギリギリまで要約して表したような印象を受けました。 「誰も話したがらないのに  それを知らなければ生きていけない」 そんな金のような沈黙。 それが何を指しているのか、どのようなものをイメージしているのか。 読む人によって様々な受け取りかたがあるようにも思います。 私はそのような沈黙から、大乗仏教の経典の一つの、維摩経にある「雷(いかずち)の如き沈黙」というものを思い浮かべました。 また、 「世の中は人々から夜を奪っているのに  いつまでも寝たままなんて」 というところからは、やはり仏教の「無明」ということを思い浮かべました。 「君たちにきっと大洪水はやってくる!」 その大洪水とは、人生について本当に眼を覚まさせるような、何か大きな出来事のことを指しているのでしょうか。誰にでもそんな出来事が訪れるものなのだと。 世から顧みられぬ預言者の嘆きにも似ていますね。 (眠ったままの金(きん))

2023-08-04

こんにちは。 今の生き辛さを綴った詩のようですね。 学校で詰め込めれた観念が、現実では役に立たないことを嘆いているのでしょうか。 また、眼差しがツラいあなたとは、ご家族のことでしょうか。既製の価値観で期待されることの辛さを表しているように思えます。 そんな現状で頼れるのは、心の友達の振りかざすつるぎのみ。 そのつるぎとは、春夏秋冬や花鳥風月、詩人のリズム、そしてミソヒトモジ。 そんなふうにも受けとりました。 (違っていたら済みません。) 苦しく、そして寂しげな詩だと感じました。 (イデアのつるぎ)

2023-08-04

こんにちは。 子供の頃の思い出を綴った詩のようですね。 その座ってはいけない座布団は、亡くなった家族の大切な思い出の品であったのかもしれません。 そう思うと「黒川くん」の「らんぼう」は、心の中の悲しさや寂しさへの反動だったのかもしれなません。 (皆、憶測に過ぎませんが・・・) ただ、最終連にある 「座ってはいけない座布団が  今も僕の前に置かれている」 とは、どういうことなのでしょう。 強く印象に残った思い出のことを表現したものなのでしょうか。 それとも、大人になって孤独の何たるかを知ったことの象徴なのでしょうか。 はっきりとはわからないのですが、なんと無く気になる作品です。 (黒川くんちのざぶとん)

2023-08-03

こんにちは。 ばんえい競馬の迫力が伝わってきそうな作品ですね。 私はばんえい競馬を実際に見たことはないのですが、競技が行われる馬場は相当な熱気に包まれているのでしょうね。 中盤の 「前に進む命と 後より御する命  呼吸  一致した  瞬間  一つの命が先行する」 というところがとてもいいです。 ばんえい競馬は元々、北海道開拓民のお祭りが始まりだそうですね。 開拓民の人たちが持っていた、未来への希望や生命力のといったものの象徴が、このばんえい競馬なのでしょう。 だからこそ馬と人間の息が合った瞬間に、2つの命がひとつとなるのだと思いました。 その歴史をも担った命の力強さを、末尾の「灼熱」の2文字が表している。 そんなふうに受けとりました。 (灼熱)

2023-08-03

こんにちは。 鋭い感性を窺わせる詩だと感じました。 改行、文の配置、スラッシュの使い方等、丹念に熟考を重ねられているような印象を受けました。 表題の「focus 」が表しているように、現代のこの世界を生きてゆくということを、ときに焦点を合わせ、またときに焦点をぼかし、それを繰り返しながら描いている。 今のという時代の不安感、不透明感、閉塞感等をそのような形で表現している。 そんなふうにも感じました。 秀逸な作品だと思います。 (focus)

2023-08-03

はじめまして。 作者の心情が中盤の「思いの外気持ちが悪かった」以外には表されおらず、磯の情景が淡々と書かれていますが、2連目の表現が巧みだと感じました。 ナマコは一般的に微細な有機物を食べているそうなのですが、この詩の末尾では巻き貝があたかも食べられたかのようにいなくなっています。 そこに何か不穏なものを感じました。 普段は何の害もないものと思っていたものが突如として牙をむく。 あるいは、普段は安全だと思っていたのに、抗い難い強大な力で突如として危険な状況に我が身を持って行かれてしまう。 そういったことを暗示しているような印象を受けました。 (なまこ)

2023-08-03

「連詩 郷愁の視線」のA・O・Iさんの連にエイクピアさんからコメントをいただきました。 宜しければご返信をお願い致します。 (郷愁の視線 (連詩の試み))

2023-08-03

コメントをありがとうございます。 この連はA・O・Iさんが書かれた連ですので、A・O・Iさんにコメントをいただいた旨お伝えしておきます。 (連詩 郷愁の視線)

2023-08-03

こんにちは。 かなり詩を書き慣れているような印象を受けました。 文章のひとつひとつがそれぞれ切断されていながら、全体として不思議なまとまりを見せているように感じました。 「燃えたのは鏡のなかの部屋のほうだった  私は誰の部屋をなくしてしまったの」 「モニターが黒をうつしている  先にある意味ではなく私がいる」 「訪ねてきてほしい  私も半分はそこへ旅立つので」 これらの表現がとても巧みだと思います。 過去と未来の狭間で彷徨っているような詩だと感じました。 (将来からです)

2023-08-02

こんにちは。 2連目のホイップクリームの甘い匂いが海臭さに通じるところは、後半に出てくる母船や港を暗示していたのですね。 過熟したような甘い匂いを放つ倦怠した日常の様子が、4連目でアイロニカルに表現されていろところが巧みだと感じました。 先天的な母性というものを信じていないから、自らの意思で母船や港のようであろうとすること。その中に生きる知恵を感じます。 そして 「神聖なる母と遊女なるわたし」 「今はむかし」 「すべてかすみ」 という表現が意味深長です。 何か他人には言えない過去を思わせます。 アイロニカルで不思議な深みのある作品だと思います。 (ほいっぷくりーむ)

2023-08-02

こんにちは。 タイトルの「悟り」に引っ張られて、2行目の「空」を「くう」と読んでしまいましたが、そこでは「そら」だったのですね。 「くう」は最終連で出てきましたが、空の色に惑わされることと「くう」ということとに、何か関連があるような気がします。 世界中でコミュニケーションが本当に自由になされるならば、それにより人は真に自由を得るのがもしれません。 そのとき真実が誰の眼にも露になるような気がします。 様々な生き物や自然溢れる「賑やかな地球」に託した、「孤独な魂の依り代となって全ての存在を解き放つ」ことへの希望が、前半の、緑色や茜色を永遠だと感じることの根拠になっている。 そして「その空(くう)なる真実」が私達にいまだ与えられていないという渇望やもどかしさが、空の色への惑いの根拠になっている。 そんなふうに感じました。 自由やさとりへの想いを巧みに描いた秀逸な作品だと思います。 (悟り)

2023-08-02

こんにちは。 ユーモラスでありながら、哀愁をも感じさせる詩ですね。 冒頭の2行が印象的です。ここが一番ひらがなの効果が出ているように感じます。 「てるてるぼうず」の「あしもとにあめふらし」というのも面白いです。簡単なように思えて、なかなかこのような表現は思いつきません。 そして中盤の「みをつくし」が後半の哀愁を引き立てています。 短いながら、いい詩だと思います。 (無題)

2023-08-02

コメントをありがとうございます。 なるほど、起承転結の「転」だったのですね。それを動かしてしまったために、最終連の効きが弱くなってしまったのですね。 3連目がやや不穏な感じでしたので、そこだけが浮かないように治めようとしたのですが、なかなか難しいです。 全体の構成や読む人の受け取りかた等を、もっと考えなければならないようです。 勉強になりました。 ご指摘ありがとうございました。 (連詩 郷愁の視線)

2023-08-02

こんにちは。 聖母マリアの絵から生まれた詩ですね。 見るものにそこまでのイメージを湧かせる絵ということは、かなりの名画なのでしょう。 マリアの呟き、 「こんなに祈っているのに何も変わらない  血の涙を流しても意味がない  悲しみは無くならないのか」 というところがとても印象的でした。 このマリアの悲しみとは、2000年に渡って人間社会に蔓延る悲惨さや苦しみを嘆いているように感じました。 そして古いカメラに写されたものを全て消し去り、花の種を庭に蒔く。 やがて出てきた芽に虹色の花を期待する。 そこには、今ある旧いものを打ち壊して、新たなものに希望を託す。そんな願いが込められているような気がしました。 聖母マリアの生きた世の人々の苦しみは、今の世の苦しみと繋がっている。 だからこそ、聖母マリアを描いた絵が今もなお、そんな白昼夢を見せるほどの力を持っている。そんなふうにも感じました。 (白昼夢)

2023-08-01

コメントをありがとうございます。 耽美ということについては意識していませんでしたが、私が担当した1,7連を気に入っていただき嬉しく思います。 お読みいただきありがとうございました。 (連詩 郷愁の視線)

2023-08-01

こんにちは。 何か今の世の閉塞感への不安を感じさせる詩ですね。 まず、3行目の「憎しみの上位互換」という言葉が印象的です。 上書きされる憎しみが、過去の歴史や経緯を取り込み含みながら膨らんでゆく、そんなイメージが湧きました。 「防波堤に上がる足跡が  ゴルゴタの丘になるってさ」 というところは、誰か(若者?)が大勢の罪を引き受けつつある、そんなふうにも読めました。 「ディズニーランドは閉園しよう」 というのもいいですね。 虚構を虚構とわかりながらのめり込むことへの違和感、あるいは警鐘とも受け取れます。 そして末尾の4行。 詩を書きながらも、それでは表しきれないものを描きたい。そんなもどかしい想いが「未熟字を書く」という言葉に込められているような気がします。 タイトルにある「染色体の端に夏と書きこみ」という表現も、老化の原因の一つとされるテロメアを想わせて面白いです。 秀逸な作品だと思います。 (染色体の端に夏と書きこみ、まばたきをする君へ(習作))

2023-08-01

個人的な意見なのですが、もじゃおさんの連を3連目に、A Bさんの連を5連目に入れる方がいいように思えましたので、参考までに入れ替えた詩を載せておきます。 宜しければご意見下さい。 宜しくお願い致します。 ――――――――――――――――――――――――― 流れゆく銀色の清流に郷愁が泳いでいる 細かくちぎれた視線が青葉を結わえたが 分岐し円環を成す葉脈の迷路に陥り 私の眼差しは遥か胚発生を遡り始めた 少女の首飾りには一粒の真珠がついている ある時巨大な真柏に出逢い恋をした 水の鳴る方へ向かう そこより先は果てである 午後の鯨の背に乗って影泳ぐ空をゆく 瞳瞳瞳瞳少女達の行く末 斜めに眺める瞳瞳瞳瞳 うすらわらう狂気 もえる草 少女は夏至の日に死んだ 青い青い雁来紅が娼婦の様に咲いていた 黒繻子から零れ落ちた手首が、 青い血を滴らせていた 個体発生は系統発生をたどって 夕陽があらぬところに射し込むと 新しい何かが始まるかもしれないと あの少女も郷愁の影になってゆくのか 少女は彼方に許すと言った 広がり続ける母なる海より 瑠璃唐草を踏み千切り その瞳とこぼしただけでも 遡りゆく胚発生の果ての果て 少女として生きた追憶の海に漂う 雲母の如き脆い恋の影と狂気を超えて 許しの瞳を辿る遥かなる郷愁の視線 (連詩 郷愁の視線)

2023-08-01

コメントをありがとうございます。 今回は試みとして、敢えてやや難解な詩にしてみました。 (郷愁の視線 (連詩の試み))

2023-08-01

こんにちは。 全く意味がわからなかったのですが、恐らく意味を捉えようとすべきではない詩なのでしょう。 印象的なところが幾つもありました。 百合から向日葵へ、そして再び百合に服を戻す。 鳴き止んだカエルと、鳴き止まない田宮さん。 命名された手足の爪と、名前を失くしたカエル。 私の顔がロープになっている。 そして、田宮さん(仮)に戻ってしまう。 何とも言えない面白さに満ちています。 また、シュールな詩としては、このくらいの長さがちょうどいいと感じました。 私もこんな詩を書いてみたい、そんなふうに思わせてくれる詩です。 (田宮さん)

2023-07-31

コメントをありがとうございます。 新しいと仰っていただき、たいへん嬉しく思います。 ところでハートの量産体制とは、コメント欄の左下のハートマークのことでしょうか。それについてはあまり気にはしていませんでした。 ただ、何人の方が連詩に参加していただけるのか不安でしたが、5人の方に参加していただきホッとしております。 (郷愁の視線 (連詩の試み))

2023-07-31

連詩へのご参加ありがとうございます。 また、コメント欄への記入の際のお気遣い、ありがとうございました。 今回も前回と同じく、ビーレビ杯不参加とさせていただく予定です。 ご了承ください。 (郷愁の視線 (連詩の試み))

2023-07-30

はじめまして。 憂いや哀しみ、そして儚く消えゆくものの内に美しさを観る、そんな日本的な心情が溢れているような詩ですね。 とても厭世的な雰囲気に満ちています。 中ほどにある、西空の黄昏が潰えるとか、真が燃やされ溶けるとかいった表現は、西方浄土への希望が失せたことを表しているのでしょうか、それとももしかしたらウクライナ戦争のことでしょうか(見当外れだったら済みません)。 全体的に、言葉のひとつひとつが少し凝りすぎているような気もしますが、何か静けさの中に潜む激情のようなものを感じます。 (春霞)

2023-07-29

こんにちは。 心象風景の中を駆け抜けてゆくような感じの詩ですね。 この感情の疾走は何故のものなのかわかりませんが、自分でも抑えられない、内から溢れ出てくるものが上手く表されていると思います。 特に、 「五百億年の夜の光は地球の終わり」 「筋繊維の燃える匂いと  心臓を焼き尽くしても痛い光速の」 「洋風の館が走っていた、  岩並の影が走っていた、」 「わたしの骨が地面から生えたい」 といったこれらの表現が巧みだなと感じました。 ただ、句読点の使い方ですが、句点については、 「僕の立つ位置は薬草のまんなか。」 というところでは、一行の表記でひと区切りつける効果が現れていると思います。 しかし、読点については、ついているところとついていないところとがまちまちで、効果が薄い感じがします。 個人的には、散文詩のようなものでない限り、改行で区切りをつけられるので、読点の効果を出すのは難しいと思っています。 でもこの詩については、そんな読点のつけかたも、やむにやまれぬ感情の疾走の表れとも思えます。 全体的に力強い詩という印象を受けました。 (夜が暴走している)

2023-07-28

連詩へのご参加、ありがとうございます。 お待ちしておりました。 今回も前回と同じく、ビーレビ杯不参加とさせていただく予定です。 ご了承ください。 (郷愁の視線 (連詩の試み))

2023-07-27

こんにちは。 脳内を占拠する憂いが、あたまの中で擦れ合って、緩やかにゆっくりと傷つけてゆく。 そこから私は、ごくゆっくりと流れて大地を削ってゆく氷河を思い浮かべました。 そんな氷河をメタファーとして用いて、末尾の「襲いくる一日を、掻き混ぜてしまおうね。」というところに、氷河が海に到達して崩れ落ちる光景と絡めて表現すると、また違った面白さが出てくるのではないかと、そんなことを思いました。 (無言の詩)

2023-07-27

はじめまして。 一読して、言葉の使い方が巧みだなと感じました。 あまり意味は掴めないのですが、冒頭の二行がとても印象的でした。 そしてその後の「結晶の中で、それを形成する私の道具の一筋を並べる。」というところから察するに、その道具とはその後に続く幾つかの連のことなのかなと、そんな風に受けとりました。 ただ最後の方に、何かの仏典の引用のような部分がありますが、もしかしたらこれは創作でしょうか。 唐突な感じがしましたが、作者の中では雪と見間違うほど真っ白な「理性と精神」のイメージは、覚りの世界のイメージと繋がっているのでしょうか。 添付された画像の雪の結晶が、それを表しているようにも思えました。 (理性と精神)

2023-07-26

こんにちは。 無花果は、その甘い香りを放つ実が、実は花の集まりであることを考えると、 「あなたに気がついて貰えるなら 花はなくていい」 というところが、反語として生きてきますね。 (煙草と無花果)

2023-07-25

こんにちは。 何と言いますか、アイロニカルな諧謔でいっぱい、という感じの詩ですね。 全てひらがなであるのが、さらにそれを強調しています 冒頭の「ばらばらのさなぎをみた」というところがまず、面白いです。 そしてその後の、 「かれたしょくざいのように  うなだれたしんけいを  すりへらす」 という表現もとても巧みだなと感じました。 周りの人々や自分自身の在りようを客観的に観て、皮肉っぽいユーモアを交えて語っている、そんな感じがしました。 末尾の 「いちおうさんおくえん  あたるかもしれねぇからな」 というところもいいですね。 宝くじでも当たらないかなぁ、なんてことを私もときどき思います。 とても面白い詩です。 (だれかはなればなれ)

2023-07-25

こんにちは。 なんとも言いがたい寂しさを感じさせる詩ですね。 お寺の洗面台という最初の場所の設定が、とても寂しくて、独特の雰囲気を醸し出しています。 氷砂糖の半透明の白、あまりきれいでない海の灰色、そして喪服の黒。 それらを死の象徴とする白と対比させている手法は見事です。 確かに死は白ですね。 死装束は白ですし、焼かれた遺骨も驚くほど白かったです。 死の白とは、もしかしたら現世の穢れを全て拭い去りたいという願望の表れなのかもしれません。 末尾の 「線香の匂いが  分子レベルでしみついている」 というところも寂寥感があっていいと思いました。 (白に映える)

2023-07-25

こんにちは。 この投稿を読んで、仏の教えの「毒矢の喩え」や「筏の喩え」を思い浮かべました。 毒矢が刺さった時はまず、毒矢を抜かなければなりません。毒矢についてあれこれ論じていたらそのうちに、毒が全身に回って死んでしまいますから。 激流を筏で渡ったのなら、その筏は彼岸に乗り捨ててゆかなければなりません。 彼岸に着いた後も筏を担いで歩いてゆくのは本末転倒と言わざるを得ません。 不完全な人間が伝えたものならば、そこに不整合や矛盾などが有っても不思議ではありません。 何のための教えなのか、自分に必要なのは何なのか、それを見極めることが肝要なのではないなと思います。 生意気なことを書いて申し訳ありません。 まずは、心身をお大事にしてください。 (鬼言(幻聴)忘備録)

2023-07-24

連詩へのご参加、ありがとうございます。 今回も前回と同じく、ビーレビ杯不参加とさせていただく予定です。 ご了承ください。 (郷愁の視線 (連詩の試み))

2023-07-24

連詩へのご参加、ありがとうございます。 今回いただいた詩は、飛ばすことはせず、次の方に繋げていただこうと思います。 宜しくお願い致します。 (郷愁の視線 (連詩の試み))

2023-07-24

連詩へのご参加、ありがとうございます。 今回も前回と同じく、ビーレビ杯不参加とさせていただく予定です。 ご了承ください。 (郷愁の視線 (連詩の試み))

2023-07-24

了解致しました。 残念ですが、削除致します。 (郷愁の視線 (連詩の試み))

2023-07-24

了解致しました。削除致します。 (郷愁の視線 (連詩の試み))

2023-07-24

連詩へのご参加、ありがとうございます。 また、ご提案、ありがとうございます。 仰る通り、そのほうが繋げやすいですね。ただそうなりますと、参加が後になるほどコメント欄への記入に手間がかかるようになりますので、そこは「もし宜しければ」ということでお願いしたいと思います。 なお、今回も前回と同じく、ビーレビ杯不参加とさせていただく予定です。 ご了承ください。 (郷愁の視線 (連詩の試み))

2023-07-23

こんにちは。 一読して秀逸な作品だと感じました。 メタファーを多用した表現と言うのでしょうか、それとも象徴的な表現と言うのでしょうか。 あまりにも複雑で容易に言葉にできない心情を言葉で表そうとして、結果的に難解な詩になったような印象を受けました。 わかる人にはわかる、わからない人にはわからない、そんな感じです。 ですから一連一連、一行一行、読み解いてゆこうとすると、とんでもなく見当外れの解釈になる恐れがあるような気がします。 全体的に厭世的な雰囲気に包まれていますが、「あの世には地獄しか存在しない」と書かれているので、厭世的であるのを突き抜けて悲観的な感じがしました。 一番印象的なのは、 「空は「空」という物質で埋められている」 というところと、その行から始まる連です。 そこでの表現が非常に巧みで、この連がこの詩の中核をなしているような気がしました。 でもその一方タイトルの「正午」が気になります。 自分の影が最も小さくなる、自分が立っている場所以外には自分の影を落とさない、そんな正午だけが味方なのは何故なのか。 浅薄な解釈は控えておいた方が良さそうです。 (正午)

2023-07-23

語順の訂正の件、了解致しました。 この後に参加される方が(いたとしたらですが)どのように繋げるか楽しみです。 (郷愁の視線 (連詩の試み))

2023-07-23

コメントをありがとうございます。 現代詩フォーラムに投稿される件につきましては、私としては特に問題ありません。 参加していただきました詩は、連詩の1連として再投稿させていただくつもりです。 宜しくお願い致します。 (郷愁の視線 (連詩の試み))

2023-07-23

連詩へのご参加、ありがとうございます。 なお、訂正の件、了解致しました。 今回も前回と同じく、ビーレビ杯不参加とさせていただく予定です。 ご了承ください。 (郷愁の視線 (連詩の試み))

2023-07-23

こんにちは。 少々気になったので、当該コメントを読ませていただきました。 よんじゅうさんのコメントについては、批判の根拠が薄弱な感じがしました。 また、中田満帆さんについては、字面が汚いとか構成力が乏しいとかいうことは、具体的にどういうことか、詳しい説明を求めてみてはどうでしょうか。 それでもなお、きちんとした説明の返答がないのであれば、その旨運営の方へ連絡されてはいかがでしょうか。 カードの発行にはそれなりの理由を提示する必要があるようです。 根拠のない感情的なコメントには腹が立つでしょうが、それらに対応するには同じ土俵に立たないことが大切だと思います。 このようなことを考える機会を与えてくださりあり、がとうございました。 (カード発行してくださいよ。)

2023-07-21

こんにちは。 私は不勉強でゲオルグ・トラークルという詩人を知らず、その作品も読んだことがないのですが、少し調べたところ、第一次大戦中に戦場の病院で、言語を絶するほどの苦しい体験をして自殺したそうですね。 それを踏まえるとこの詩は、彼へのオマージュのように思えます。 「夜は、木魂のなかで鳴り響く」 「闇がわだかまり」 「湖のひとみのもとへ」 といった表現や、散りゆく錆びた花々と滴る血との対比、そして 「狂気は静かに乾いた窓を叩く」。 暗く恐ろしげながら、幻想的な美しさを感じさせます。 最終連に「亡びた軒戸」とありますが、これはゲオルグ・トラークルの「滅び」という詩からイメージされたものでしょうか。 暗く重たいですが美しい詩だと思います。 勉強になりました。 ありがとうございました。 (ゲオルグ・トラークル練習曲『夜』)

2023-07-21

コメントをありがとうございます。 仏教でも大乗ではなく原始仏教の方でしたか。失礼致しました。 大乗仏教の中でも禅宗は、比較的原始仏教に近い部分があるように思えますので、このような解釈になったのかもしれません。 ところで、筏の喩えはスッタニパータでしたっけ? 私はその教えが好きです。 (哀しみの眼で詩を読む)

2023-07-20

こんにちは。 この詩を読んで、まずウクライナの戦争を思い浮かべました。 でもそれだけでなく、希望も戦いも絶望も、この世界の至るところに溢れています。 そんな地上の人間の想いと関係なく、青白い空は広がっている。そのことへの何か違和感のようなものを表しているように感じました。 ただ非常に短い詩なので、表現にもうひとつ工夫がほしいところです。 (向こう)

2023-07-20

こんにちは。 虐待の記憶を想わせるような詩ですね。 重く複雑に絡み合った想いが表されているのを感じます。 末尾の一行がとても印象的でした。 「恋」という言葉にはじめは違和感を覚えたのですが、よくよく考えてみると、そうなのかもしれないと、そんな感じがしてきてきました。 この一行だけでなく、全体的に表現が簡潔かつ巧みで、秀逸な作品だと思います。 (母)

2023-07-20

こんにちは。 この詩はその前に投稿された「釣りに行こう」で湧き上がったイメージを、さらに膨らませて書いたもののように思えます。 鏡のような水面は無意識を表しているのでしょうか、そこから釣り上げようとしているのは、詩の元となるようなイメージでしょうか。 タイトルの「輝ける虚無」とは、その鏡面が炸裂したときの一瞬の意識の空白のようなものと、そんなふうに受けとりました。 そして末尾の2行は、無意識や意識の空白のような、所謂「変性意識状態」から日常の感覚に戻ったことを表しているように感じました。 私には実感を以て理解するのはなかなか難しい詩です。 (輝ける虚無)

2023-07-18

こんにちは。 今回の詩もまた、なかなか難解ですね。 でも詩全体から滲み出る、どこか諧謔的な雰囲気が面白いです。 2連目の1文字ずつ字を入れ換えた表現は斬新です。勉強になります。 また4連目の、集団擬死行動するジショウシジンが生息する亜熱帯の「亜」の字を「唖」に変えているところもアイロニカルで面白いです。 全体的に言葉のリズムがよく、読みやすかったです。また、現代社会への諷刺のようなものを感じました。 (Comic Sans)

2023-07-18

こんにちは。 ここ数日の暑さから生まれた詩、という印象を受けます。 1連目の表現が端的でいいですね。こんなふうにスッキリした書き方は、簡単なようで意外と難しいかもしれません。 また4連目の 「普段より背伸びした雲が  綿菓子の真似を練習している」 という表現も、どこか清々しい感じがしていいと思います。 外に出かけたいけどひどい暑さで二の足を踏んでしまう、それで部屋の中に閉じこもるから 「見つめ合う  景色だけが  同じ顔」 となってしまう。 タイトルの「涼しい顔しちゃってさ 」からそんなふうに受けとりました。 ところで、5連目の「Bボタン」は何かのゲーム機のボタンのことでしょうか。ITやゲーム等については疎いのでよくわからず、すみません。 (涼しい顔しちゃってさ)

2023-07-18

はじめまして。 自分自身を鼓舞するための詩のようですね。 生きる意欲とか意味とか目標とか希望とか、そういった諸々のポジティブな力が弱まったり無くなったりすると、そこから回復するのはなかなか困難だと思います。 詩を書くことがその助けになればいいですね。 (なんのために)

2023-07-18

コメントをありがとうございます。 この詩の前半はどうやら、「言語道断、不立文字」を表しているように思えました。 そして8連目の 「糞尿の中の 宝石同然の  輝きがあるのを  照らしたまえ」 というところは、雲門禅師が弟子の僧からの「仏とは何か」と問いに一言「乾屎橛」と答えた、という話を連想させます。 それからその後の10連目 「表現できない世界に  たどり着く事のできない領域に  行ってしまったとしても  釈迦は 諸仏は  そこから帰ってきた」 というところは、十牛図の「入鄽垂手」を彷彿とさせます。 哀しみの眼で詩を読む痛みを、仏教の言葉に表せない最高の真理である「勝義諦」へと導くための贈り物だと見なす読み方は、全く想定外で、高い独創性を感じました。 思わぬ発見でした。 ありがとうございました。 (ミスタップで空白のコメントを送信してしまいました。すみません。) (哀しみの眼で詩を読む)

2023-07-17

こんにちは。 「慟哭」というタイトルのとおり、胸に秘めた切なさや哀しさを感じる詩ですね。 5つの連で構成されていますが、1連目が一番印象的でした。特に、 「線描を辿る事もない将来から私を見上げ私を、  掬えないのです。」というところが巧みな表現だと感じました。 その後は、魚、雲、空、風といったメタファーを通して心情を表していますが、末尾の「野茨の麗しさを求む」は、簡素ながら締めとしてふさわしいと思いました。 全体的に表現がよく練られている作品です。 (慟哭)

2023-07-17

こんにちは。 子供が生まれたとき、親はその子にどんなふうに育ってほしいか、どんな人物になってほしいかなど、そういった願いを込めて命名するのが一般的なのでしょうが、それを消去法で決めるというのは、言わば逆転の発想で面白いと思いました。 その名前の候補が、綱、縄、紐、糸と徐々に細くなってゆくのも独創的です。 今は、無料で良運画数とか姓名判断などをしてくれる命名サイトがたくさんあるのですね。 私には子供がいないので知りませんでした。 無料命名サイトで決めた名前でも、そして消去法で決めた名前でも、やはりそこには夢があった、というのがなんとなくいいな、とそんなふうには感じました。 (夢があった)

2023-07-16

コメントをありがとうございます。 気に入っていただき、たいへん嬉しく思います。 また紹介していただいた歌はとても美しいですね。心に残ります。 ありがとうございました。 (哀しみの眼で詩を読む)

2023-07-16

こんにちは。 言葉の日常的な使用を切断することも、詩の特徴の一つとらしいのですが、切断すると同時に美しさを表すのはとても難しいことだと思います。 この詩は言葉が散漫になりすぎて、個人的には美しさを見いだせません。 タイトルが「羅針盤」となっていますが、まるで壊れた羅針盤の如く、何処をも指し示していない印象を受けました。 (もしかしたら、それが作者の狙いだったのかもしれませんが) また最後の一行は、それまでの前衛的な雰囲気と比べると、やや陳腐な感じがします。ここは削除した方がいいような気がします。 (羅針盤)

2023-07-16

こんにちは。 数行の短い詩は書くのも読むのも難しいと思っています。 短い分、読み手はより多くを行間から読み取らなければなりませんし、書き手は行間を読ませるための表現の工夫をしなければなりません。 ですからこの詩にも、波音は何のメタファーなのか、波音にどのような想いを込めていたのか、何か手がかりになるような表現の工夫がもう一つほしいところです。 (ある朝に見た夢)

2023-07-16

こんにちは。 端的に言えば失恋の詩ですね。 フラミンゴは赤い色素を自ら体内で合成しているのではなく、餌から摂取しているそうです。つまりより上手く餌が採れる雄が雌に選ばれるのだそうです。 ですから、レッドのお面を被るのではなく、中身を磨いた方が良さそうです。 今どきいい服を着ているからといって、モテるとは限りませんから。 (フラミンゴ君)

2023-07-15

コメントをありがとうございます。 「痛みに薄れてしまいそうな己の存在を繋ぎとめるために言葉(それがこめであっても詩であっても)を紡ぐ行為」 そこに注目していただき、とても嬉しく思います。 この場を借りて一つお願いがあります。 コメントをもらったら返事をしていだだけませんでしょうか。 私も以前はコメントをもらって嬉しい反面、どう返事をしていいのかよくわからず、うまく返事ができませんでした。 でも、返事を書こうとすることが、語句を考え、言葉を紡いでゆくトレーニングにもなると思います。(それでもまだこの程度の詩しか書けていませんが・・・) ですから、まずは一行だけでもいいですから、どうかコメントへの返事を書くようにしてください。お願いします。 (哀しみの眼で詩を読む)

2023-07-15

こんにちは。 なかなか抽象的で、色々な受けとめ方ができそうな詩ですね。 見方によっては何らかの身体的な発作の症状のようにも見えます。 その一方で、自分の存在への、あるいは自分が今いる日常への、突如として現れた不条理感を描いているようでもあります。 「酸素が無い」の一文と、その後に続く最終連が秀逸ですね。 なんとなくサルトルの「嘔吐」を彷彿とさせる作品です。 (音信不通)

2023-07-14

コメントをありがとうございます。 読んでて落ち着くと仰っていただき嬉しく思います。 このような詩はここの雰囲気に合わないかもと少々不安でしたが、わかりやすくて優しいとのご感想をいただき、ホッとしております。 ありがとうございました。 (哀しみの眼で詩を読む)

2023-07-14

こんにちは。 始めに違和感がある点を一つ。 8行目の「不幸にしてしまう」は、前の行が「宝物たちにとって」とあるので、「不幸となってしまう」か「不幸の源となってしまう」などにするべきです。あるいは、8行目を「不幸にしてしまう」のままにするならば、前の行の末尾を「宝物たちを」とするべきでしょう。 今回の作品も前作と同じように、どこか遺書のようにも読めます。 自分自身が宝物たちの負担になってしまうことを恐れて別れを告げる。その切なさや悲しさがうまく表現されていると思います。 この詩を読んで、あの沖縄出身のタレントの訃報を思い浮かべました。 それとこの詩の内容とは状況が異なるようですが、どこかその報道に触発されたのではないかと、そんな気がしました。 語り手の孤独さ、寂しさが滲み出てくるような詩ですね。 (宝物)

2023-07-14

こんにちは。 まずは表現の違和感から。 一行目の「空の日差し」はなんとなく??です。 一般的には「空からの日差し」とか「夏の日差し」とか言うのだと思います。 「空の日差し」も独特の表現と言えなくもないのですが、新鮮さより違和感の方が強いですので、何かもうひと工夫ほしいところです。例えばその次の行の「虹が咲いた」みたいな。この表現はとても美しいと感じました。 その次の連は、ある程度以上の年歳の人には、とても共感できることでしょう。 特に 「あの頃の僕らは  浅はかで愚かで」 というところは、まさしくその通り!というところです。 そしてその次の2行は、何か郷愁のようなほろ苦い想いを湧かせる、いい表現だと思います。 短い詩は短い分、良いところも悪いところも目立ってしまう傾向があるようです。 ですから、より念入りな推敲が必要だと思います。 (水やりと夏)

2023-07-14

こんにちは。 虹の色は何色か?という問いに対する答えは、日本では一般的に7色ですが、国や民族によってその答えは様々だという話を、この詩を読んで思い出しました。 何が何色なのか。人によってその区別は僅かずつ異なっていて、それ故、人は皆少しずつ孤独なのかもしれません。 そう考えると 「孤独を特別にしやがって  共感こそ特別だ」 というのは言い得て妙、というところでしょうか。 そして国や民族によって色の数や区別が異なるということは、色とは社会とか文化とか、自分の外側にあるものから与えられたものということなのでしょう。 そのようなことが末尾の 「色がある  そいつに、染められた」 という言葉で表されている、そんなふうに受けとりました。 (色彩と孤独)

2023-07-13

コメントをありがとうございます。 仰る通り、痛みが詩を書くきっかけとなった人は多いようですね。私もその内の一人です。 そのような多くの痛みへの鎮魂歌として、この詩を受け取っていただいたことは、正直なところ想定外でした。 この詩では、詩を書く側から感じたことを表したのですが、詩を書く側でなく、詩を読んでコメントを書く側から観ると、この詩は鎮魂歌なのですね。 コメントを書くこともある意味ひとつの痛みであるならば、そういった視点から何か新しい詩が書けそうな気がします。 新たな視点を提示していただき、ありがとうございました。 (哀しみの眼で詩を読む)

2023-07-13

コメントをありがとうございます。 改行についてはいつも頭を悩ませます。 どこで改行すれば一番美しくなるか、一番読み手に伝わりやすいか、考えれば考えるほどわからなくなってくることがよくあります。 この詩については今見返してみると、少し連を分けすぎたかなと思い始めています。 言葉の表現だけでなく、このような点もまだまだ拙いです。 でも末尾の「仄かな光」を、作品を照らし返す反射光のよう、と受け取っていただき嬉しく思います。 ありがとうございました。 (哀しみの眼で詩を読む)

2023-07-13

コメントをありがとうございます。 こういうタイプの詩は言わば「楽屋落ち」的で、詩を書く人にしかわからない、との批評を受けたことがあったのですが、このサイトならわかってくれる人がいるのではないかと思い、投稿してみました。 ある意味本筋から外れた詩なのかもしれませんが、 「ただ、拙いと言うにはなんとも  力強く、静かな印象を受けました。」 と受け取っていただき嬉しく思います。 ありがとうございました。 (哀しみの眼で詩を読む)

2023-07-13

こんにちは。 私はネットやIT等については疎いので、掲示板がいまや古いのかどうか、よくはわかりません。 ただ、詩の投稿サイトの内で、ビーレビはとても特種な感じがします。 何と言いますか、カンブリア紀の進化の爆発みたいな感じがします。(あくまでも個人的な印象ですが) 生命の進化のうえでそんな時代があったことを「失敗だった」と見なす人はいないでしょう。むしろそんな時代があったからこそ、現在多様な生物が存在しているのだと見なされているのではないでしょうか。 ですからビーレビも失敗だったかどうかを今判断するのは時期尚早なのではないかな、と思います。 2000年近く前の古代蓮の種が、芽を出して花を咲かせた例もあります。 ビーレビがもはや古いものだとしても、そんなふうに再び花を咲かせる可能性はあるのかもしれません。 現在繁栄している哺乳類も、恐竜の時代の1億4000万年近くもの永い間、日陰の存在だったのですから。 (くたばれビーレビュー その三)

2023-07-13

こんにちは。 江戸時代、仙厓和尚という禅僧が、何かめでたい言葉を書いてくれと頼まれ、「祖死父死子死孫死」と書いたそうです。 その書に対する「縁起でもない」との非難に和尚は、順番通りに死んで若死にするものがないのだから、これはめでたいことだと応えたそうです。 この詩を読んでそんな逸話を、ふと思い出しました。 死が避けられないものであるならば、こんなふうに考えるしかないのかもしれませんね。 (死について)

2023-07-12

こんにちは。 タイトル通り、本当に寂しい詩ですね。 前作とは雰囲気が大きく変わっています。 シンプルな表現をすべて一行おきに配置している構成が、寂しさをより上手く表しているように感じました。 タイトル及び末尾の「僕だけ寂しい」を読んでふと思ったのですが、寂しい時は皆、自分だけが寂しいと思うものなのだな、ということです。 寂しいのは自分だけではないと本当にそう感じたら、その寂しさはだいぶ減じてしまうでしょうから。 そうであるならば「僕だけ寂しい」というのは、協調のための二重表現なのかななどと、どうでもいいようなことを考えました。 シンプルですが実感のこもった詩だと思います。 (僕だけ寂しい)

2023-07-11

はじめまして。 視覚的な効果を主体とした詩のようですね。 このような詩もコンクリート・ポエトリーの一種なのでしょうか。 ただ、ネット経由で投稿すると、デバイスの環境の影響を受ける場合があると思いますので、注意が必要なようです。 でも、斬新で面白いです。 (きみが、よ)

2023-07-11

こんにちは。 どこか寂しいような、虚しいような、独特な感じの詩ですね。 6連目がこの詩の主題となっているようですね。それに伴う感覚をその前の5つの連が、巧みに表していると感じました。 タイトルの「毛細管現象」ですが、水ができるだけ縮こまろうとする表面張力によって、極めて細い管に吸い込まれてしまうということが、末尾の 「私はそっと  淡くなってしまう」 というところとイメージが重なったのかなと、そんなふうにも思いました。 繊細な感性の詩だと感じました。 (毛細管現象)

2023-07-11

こんにちは。 都会の群衆の中の孤独を描いた詩ですね。 吐き捨てられたガムの黒い丸、私も以前はよく見かけました。その黒い丸が誰よりも街に詳しいというのは斬新な視点ですね。その黒い丸に吸い込まれるように落ちてゆく。それは都会に特徴的な他者への無関心の象徴のような気がします。 「心臓をなくした血管。脳を知らない循環。」 この表現は、非常に原始的な動物、あるいは無制限に増殖するガン細胞を連想させます。 統一された意志のない、一見するとまとまっているようで、実はバラバラな世界。そこでの個人の存在証明は、消極的で粗末なものにならざるを得ない、そんなふうに受けとりました。 (梅田駅連絡橋)

2023-07-11

こんにちは。 これが実際にあったことだとすると、この少女が危険な目に遭うのではないかと、少々気になります。 (日曜日のプール)

2023-07-09

こんにちは。 一連目を読むと、美しい叙景詩のようですが、二連目で雰囲気が大きく変わりますね。 夏の始めになぜ、やまいだれの中に入れるものを吟味するのでしょうか。 夏という季節に何か屈折した想いがあるような印象を受けました。 それは、この季節に押し付けられた、生を謳歌するイメージへのアンチテーゼ。そのイメージに惑わされた者たちへの警鐘。そんなふうに受けとりました。 そのメッセージは、夏場によく報道される水の事故や熱中症といったことだけでなく、健康であること、さらには生きていることの驕りへの戒めのような気もします。 この詩の背後には、病めるものや死せるものからの視線が潜んでいるようにも思えました。 (やわらかい)

2023-07-09

こんにちは。 買い物が心の内に潜む悲しみを癒す、一つの手段となっているのですね。 でもそれが高じると、他人に利用され、食い物にされてしまう恐れがあると思いますので、ご注意を。 (お買い物)

2023-07-09

こんにちは。 タイトルの「マナツノユキ」とは、儚く消えゆく命の象徴でしょうか。それとも、融けるよりも速く降り積もる悲しみの象徴でしょうか。 「死にゆく生命体」とは、犬や猫といった動物のように受けとりました。 動物だから言葉を持たない。言葉を持たないから考えていることやどうしてあげたらいいのかがわからない。 動物だから本当に魂があるのかどうかわからない。 だから悲しみか降り積もってゆく。 そんなふうに読みとりました。 そして 「それよりもみんな実は雪で出来ているのかも  溶けて水分になるだけのひとつの塊」 というところは、生きているものは皆、死んだら大元の一つの命に還ってゆく、ということを表しているように思えました。 とても悲しげな詩ですね。 (マナツノユキ)

2023-07-08

はじめまして。 メタファーを多用しているタイプの詩ですね。 その分難解で、読む人によって解釈が様々になるような気がします。 その他大勢の中に埋没してしまう自分の生に、何かしら意味を見いだすことを願っている、そんな印象を受けました。 中盤にある「貝は砕けて初めて光る」という一文を読んで、なるほど、そう言えばそうだなと、妙に納得してしまいました。 (労働者)

2023-07-08

こんにちは。 故郷の思い出を綴った詩ですね。 でもその思い出はよくある美しくものではなく、どこか鬱屈したもののようです。 詩全体から山あいの、湿った空気や土の匂いが漂ってくるかのようです。それが作者が故郷に持っている最も強いイメージのような気がします。 また、死や死体についての言葉がが出てきていますが、それはまるで生きながらにして死んでいること、夢や希望もなく、屈折した感情と共に惰性で行き続けることへの恐れが潜んでいるかのようにも思えました。 作者は、その思い出を払拭するために詩を書いている、あるいは、その思い出が詩を書く原動力担っているのかなと、そんなふうにも感じました。 (花鉢)

2023-07-08

はじめまして。 立ちくらみをして意識が遠のきかけたときに受けた印象を、そのまま言葉に落としたような詩だと感じました。 無駄な語句のない、美しく纏まった作品だと思います。 (公園の花)

2023-07-07

こんにちは。 対をなす言葉が核となっている詩、という印象を受けました。 タイトルの「蜜蜘蛛」という言葉が実際にあるのかどうかはっきりとはわかりませんでしたが、蜜を吸いに来る虫を獲物として捕らえる蜘蛛はいるそうですね。 そして本編にある「天国か地獄」「左脳の迷宮」「右脳の砂漠」「ドミナ」「ルパ」「ホザンナ」「ゲエンナ」そして「地獄へ昇る」。 恋をするということを巧みに表していると感じました。 (蜜蜘蛛)

2023-07-07

こんにちは。 不思議な感じの詩ですね。 タイトルにある「しのかみさま」とは、詩の神様のことでしょうか。 詩の神様から送られてくる、詩句のインスピレーション。でもそれは、いつ降りてくるかわからない。場合によっては取りこぼしてしまうかもしれない。それは惜しいからできるだけ避けたい。だからこんな色々なお願いをしている。いつ降りてくるかわからないインスピレーションは、まるで正確に予想できない天気のようだ。 そんなふうに受けとりました。 と、ここまで考えて、ふと、「しのかみさま」とは死の神様のことでもあるかもしれない、とも思いました。 死もいつ訪れるかわからないものですから。 2つの意味を持たせているから、タイトルが平仮名なのかなと、そんなことを考えました。 (しのかみさまへ)

2023-07-07

こんにちは。 何と言いますか、詩作メモのような詩ですね。 雨音から詩句のインスピレーションを得る方なのでしょうか。 そのような詩作の過程を、ふと客観的に観ることがあり、試しにそれを詩に書いてみた、そのような印象を受けました。 書かれている詩句のひとつひとつはとても美しく、私の今後の詩作に良い刺激となりました。ありがとうございました。 (梅雨前線)

2023-07-06

こんにちは。 神様は全知全能の筈なのに、その神様が創った世界はなぜ、罪や醜さに溢れた不完全なものなのか、という問いは古くからあり、それについて様々な神学的な論議があるそうですね。 この詩では 「美しさとは  神様が生まれるよりも前の感情だ」 と語られていて、なるほどと思いました。 また、6連目の 「神様、と呼ばれたことのない神様  それが青空」 という表現も面白いと感じました。 でも青空が神様だとしたら、それは何が起こっても常に沈黙している神様であり、無情な神様なのでしょう。 そのことが末尾の 「未来という  絶望を飼い慣らすために」 ということに繋がるのかなと、そんな気がしました。 (間違った世界)

2023-07-05

こんにちは。 なかなか深い作品ですね。 この詩は3つの要素があるように感じました。 子供たちのゴリゴリとした背中。 枯れてゆくあじさいの花。 チクチク内面を刺す言葉。 この子供たちや枯れし花といった、日常の風景から浮かび上がった言葉を研ぎ澄まし、そしてまた表現という形で、再び日常の世界に還ってくる。そんな印象を受けました。 禅語に「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」というものがあります。 禅の境地を極めた上で、再び手ぶらで街に戻ってくる、といったような意味だそうです。 この詩を読んで、そんな禅語を思い出しました。 (神秘だと鬼だと)

2023-07-05

こんにちは。 人によっては吐き気を催すような話であっても、誰かに知ってほしくて書かずにはいられなかった、そんな印象を受けました。 信じるかどうかは読み手次第なのでしょうが、たとえ事実ではなく創作であっても、現実には似たような話が沢山あるのでしょう。 それは、未来が欲しいと思う人がそれだけいる、ということでもあるのかもしれません。 私は浮気をしたこともされたこともないのでよくはわからないのですが、可愛い赤ちゃんが産まれても、お二人の内に秘めた心情は言葉にできぬほど複雑なのでしょう。 「しんじつはどこにあるのさ 」というタイトルがそのことを表しているように感じました。 (しんじつはどこにあるのさ)

2023-07-04

はじめまして。 何とも不思議な感じの詩ですね。 扇風機の羽を洗っている時のことのようですので、春の終わり頃のことなのでしょうか。 その時期の心象風景を描いた詩のように感じました。 「そーめんを食べたいと  春が寝言のようにいう」 という表現は秀逸だと思います。 括弧と鍵括弧をどのような理由で使い分けているのかはわからないのですが、それらで表されている内容がどこか飄々とした感じで良いですね。 そして、末尾の一行も何かほのぼのとさせる雰囲気があります。 簡潔ですが、面白い作品だと思います。 (涼しい季節)

2023-07-04

こんにちは。 生きてゆくための勇気や希望を与えてくれる詩ですね。 こういった主題の詩は数多あるようですが、この詩のように美しく纏まった形の詩は少ないと思います。 無駄な表現を極力省き、エッセンスを抽出した感じで、一行一行キレよく、テンポよく書き進められている、という印象を受けました。 また、 「君の視点があるから私も意味を作る」 という一文はとても意味深長ですね。 自己というものが他者の眼差しにより形作られるもの、あるいは己の存在意義は他者との関わり合いの中で現れるもの、といったような意味だと受けとりました。 この一文から、人間とは人と人との間にあるものであるから「人間」と言う、という言葉を思い出しました。 黒髪さんの力量が表されている作品ですね。 (大人になるための秘密)

2023-07-04

ご返信ありがとうございます。 「続けていかれたら確実に力がつくことですよね。」 このお言葉は励みになります。 ありがとうございました。 (北極星の詩 (習作))

2023-07-04

こんにちは。 絶望を描いた詩のように思えます。 何か伝えたいことがあって、ネットでそれを発信しているうちに、いつの間にか非難や中傷の応酬に巻き込まれ、いいかげん疲れてしまった、そんな印象を受けました。 長い旅路の目印となる星。 遠い目的地を指し示してくれる星。 そうであるはずの北極星の光が、実は誘蛾灯の光ようなものだった、そんなふうにも読みとれました。 習作とのことですので、さらにブラッシュアップされたものが投稿されることを期待します。 (北極星の詩 (習作))

2023-07-03

コメントをありがとうございます。 興味深いご提案ですが、「〇〇さん」と名前を挙げてお訊きするのは、参加を要請してるかのように受け取られるかもしれないと思い、躊躇しています。 また、参加者が増えすぎると、詩としての纏まりがつくのかどうかも心配なところです。 私も含め、合作や連詩に慣れていない方は多いと思いますので、もう少し様子を見てみて、ご提案の方法はそれからにしたいと思います。 せっかくご提案いただいたのに申し訳ありせん。 宜しくお願い致します。 (連詩:明日の夕べ)

2023-07-03

こんにちは。 末尾に「練習#2」とありますが、この詩は習作でしょうか。 全体としてこまやかな感性で書かれている印象を受けましたので、末尾の「バカヤロウ。」は無いほうが良いと思います。 (夏の風)

2023-07-03

こんにちは。 詩を書いていても、詩人ですと言わなくちゃ駄目ということはないんじゃないかと思いますが。 お疲れならば、どうかゆっくりお休みください。 (ナル詩)

2023-07-03

こんにちは。 ただただ、難解な詩ですね。 まずタイトルの「閒 」からして読み方も意味もわかりませんでした。 そして本編に出てくる様々な片仮名の言葉もわからないものばかりで、これは難解ということはよりも解ろうとしてはいけない詩なのかな、と思ったところ、岡本太郎の作品に「座られるのを拒む椅子」というものがあったことを思い出しました。 それに倣って言えばさしずめこの作品は「解られるのを拒む詩」というところかな、などとも思ったりしました。 末尾の方に「亼魚」という言葉が出てきていて、この「亼」という字には集まるといった意味があるそうなので、そう言えば冒頭の方で魚の名前が幾つか出ていたな、と思って、そこだけ納得しました。 (閒)

2023-07-03

こんにちは。 何だかとても大変な状況のようですね。 ベイビーブルーとは所謂「産後うつ」のことですね。 産後うつは母親だけでなく、父親の10人に1人がなってしまうとのことです。 その際欠かせないのが周囲からのサポートだそうです。 信頼できる人と対面で話すのがいいという人もいれば、オンラインでチャットする方が気楽だという人もいるそうです。 このようなサイトに詩という形で投稿するのも、ひとつの方策なのかもしれません。 ところで、 「コンビニパーキングの看板命令なんかに随わず  前向き駐車いたしません  どうやって前向きに成れと云うのか 」 という表現が面白かったです。(面白がってはいけないのでしょうが・・・) (ベイビーブルー)

2023-07-03

コメントをありがとうございます。 言われてみれば確かにイメージが似かよっていました。 イメージを狭いままにせず、もっと広げていくことが必要ですね。 その一方、広げすぎて纏まりがなくなり、継ぎ接ぎ感が出てしまうのを防ぐ必要もあるでしょう。 そのバランスをとるのが、連詩ではなかなか難しいのかもしれません。 何度も施行してコツを掴めればいいな、と思っています。 (でも、そこまで付き合ってくださる方がいるかどうか・・・) (連詩:明日の夕べ)

2023-07-03

コメントをありがとうございます。 連詩は参加された方々の個性が見えてくるところが面白いですね。 またいつか、連詩の機会がありましたら、宜しくお願い致します。 (連詩:明日の夕べ)

2023-07-03

コメントをありがとうございます。 またいつか、連詩の機会がありましたら、宜しくお願い致します。 (連詩:明日の夕べ)

2023-07-02

こんにちは。 アサギマダラの画像を検索して見てみました。とても美しい蝶ですね。 未来への希望をこの蝶の美しさに託しているかのようです。 「世界は蝶のはばたきで回っている」 この一文を読んでまず、「バタフライエフェクト」という言葉を思い浮かべました。 「蝶は僕の頭の中で羽ばたいている」 心に秘めている夢や目標は蝶のはばたきの如く微かなものであっても、未来にいつか大きな影響を与える、この一文にはそんな想いが込められているように感じました。 肖像に描かれた未来、それがアサギマダラのひとはばたきそのものであり、それと同時に、世界を織り成す織り目のひとつのなのだと、そんなふうに受けとりました。 未来へと向かう蝶の姿を感じさせるような詩です。 (アサギマダラ)

2023-07-02

こんにちは。 冒頭の1行は、理想と現実のギャップを表したものでしょうか。 強烈な言葉で綴られている詩ですね。 最終連の 「それが甘えだとか自惚れと言うやつは  大した苦労も知らないクソなの」 というところは、本当にその通りだと思います。 誰かにそんな言葉を投げつけないよう、自戒しようと思います。 ところで蛇足ですが、この詩のような雰囲気の詩を、しばしば見かけます。 どうもこのサイトは、そんな孤独に苦しむ人の拠り所としての役割も果たしているようにも見えます。 元々のサイト開設の趣旨とは異なるようですが、それはそれでいいのではないかと考えています。 (痴女の悩み)

2023-07-02

こんにちは。 罪の象徴として原水爆と共に建築が挙げられたのは、少々意外な感じがしました。 でも、高い建築物はその時代の権威の象徴であるという話を聞いたことを思い出し、どちらも人間の支配欲の表れなのだろうとも思いました。 また、全米ライフル協会が銃規制の論議に対して「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」と反論していたことも思い出しました。 人が人を殺すという罪を犯すとき、世界に対する歪んだ認識、あるいは偏った認識がそこにあるのだとしたら、その認識はある意味白昼夢のようなものなのかもしれません。(例えば陰謀論のような・・・) 認知バイアスは誰にでも起こり得ることだそうです。それを考えれば人間一人一人誰もが白昼夢と罪の種子を持っている、という見方もできるのでしょう。 (罪と白昼夢)

2023-07-01

こんにちは。 何か意味深長な感じの詩ですね。 1連目で罪の消失、あるいはその予感が描かれ、2連目では純粋無垢な子供の心を取り戻すこと、あるいはその可能性が述べられています。 ところが3連目では、 「物事は思い通りに行かなかった」 と記されています。 「罪のない心の中の風景」とは、予感や可能性に留まっていて、今なお、心の中にしか存在しないもの。 でもそれは「生まれる前からずっと持っていたもの」であるが故に、この先もずっと受け継がれてゆくものでもある。 世界には至るところに罪の扉が厳として存在するけれど、罪なき風景への予感や可能性は決して途絶えることはない。 この詩にはそんな希望が託されているように感じられました。 (罪の扉)

2023-07-01

こんにちは。 西洋の神話のような、幻想的な美しさを纏った詩ですね。 過去の思い出が主題のようです。 「かつて、きみはぼくのいる奈落に向かって  よく微笑みかけたものだった」 「ぼくが人間であることを教えてくれたきみ  運命の傷に耐えぬく力を与えてくれたきみ」 苦しんでいた自分を救ってくれた「きみ」を中心に美しい情景が描かれています。 それはあたかも、「きみ」の優しさや心の美しさを表しているかのようです。 「きみは木の葉の意思となって  今もぼくの内なるものに囁き続けている」 今、目の前からいなくなっても心の中に在り続け、語りかけてくれる。 それが、限界のある人間の持つ自由なのかもしれません。 (きみと自由の翼)

2023-07-01

こんにちは。 短いですが、何か考えさせられる詩ですね。 「陰の私」の対して「陽の私」ではなく、「陽の君たち」を置いているところが特徴的です。 末尾の一行から推測すると、この「陽の君たち」とは周りにいる他者ではなく、自分のことを指しているようです。 それを二人称の複数形で表しているのは、他者に対して表に出している自分の幾つもの面を、客観的に観ているということでしょう。 つまりこの詩では、場の空気を読むことを強要してくる他者ではなく、それを思わず読んでしまう自分自身の姿を描いているのだと、そう受けとりました。 この「陽の君たち」という言葉を用いた表現の仕方は独特で巧みだと思います。 (陽と陰)

2023-07-01

こんにちは。 自衛官時代の経験をもとに書かれた詩ですね。 「たんほぽよ」以降の3連の表現が美しいと感じました。 また、「護るべき命」という言葉を見て、今の羽田さんにとっての「護るべき命」には牛の命も含まれるのかなと、ふとそんなことを思いました。 ところで、東日本大震災の際、浜辺に打ち上げられた数多の遺体を目にして、PTSDに苛まれることになった自衛官の方もいるという話を聞いたことがあります。 自衛官の殆どの方は実戦経験はないと思いますが、もし実戦に遭遇することになったら、もっと多くの方がPTSDに苦しまれることになると思います。 この先そんなことにならずに、自衛隊はあくまで対外的な抑止力として存在することを願っています。 (宣誓)

2023-07-01

こんにちは。 読み終えた直後に思わず微笑んでしまいました。 ユーモラスな語り口が巧みですね。冒頭から表現が見事です。 日常生活の、なんとも言えぬ気だるさのようなものが目に見えるようです。 スルメではなく、一夜干しになることを夢みているところがニクいですね。 (はいはいワロスワロス)

2023-07-01

こんにちは。 正直なところあまりよくわからなかったのですが、なんとなく印象に残る作品です。 水が死ぬとは空虚に浸りきるということなのでしょうか。そして、そのときが夏で、激しい痛みを感じながらも、どこかどうでもいいと思っている、というところがとても印象的でした。 また、あまり改行せずに書き連ねてゆく形式も、この詩の内容にぴったり合っているように感じます。 2~3度読み返してみて面白味を感じる作品だと思いました。 (お腹まで川に浸かった)

2023-07-01

こんにちは。 所謂泣き上戸の方の詩でしょうか。 冒頭の 「悲しみを語るとき、私は何処かで酔っている」 というところを読んだとき、この酔っているとは自分に酔っているという意味なのかなと、一瞬だけ思いました。 後半の、 「誰にも名付けられもせず、消えて行くだけというなら  それは悲しいこと、かもしれないな」 というところは、まさしくその通り!、と思いましたが、でもそれは大多数の人々が辿る道ですので、それは、 「全てが悲しくて、そうとも言えない」 ということでもあるのでしょう。 タイトルの「味気ないかな」とは、そんな「ごく普通」の人生を表しているのかな、とも思いました。 (味気ないかな)

2023-06-30

はじめまして。 落ちてゆく雨粒を透して映りこむ幻想が、眼に見えてくるような作品ですね。 特に2連目の最後「‐文字が剥がれて 浮かびあがる‐そら白い空に 供養される‐‐」と、それに続く3連目の表現が秀逸だと思います。 現代詩を書き慣れた方のように思われます。 (雨と本屋)

2023-06-30

はじめまして。 ペンネームは海月になりたいという願いからきているものなのですね。 女性との付き合い方が下手な私には、その心情がよくはわからないのですが、詩としては、寂しさや哀しさが淡々と語られていていいと思います。 一行おきに書かれている形式が、今の生への静かな諦念のようなものをうまく表しているように感じました。 (どうせ)

2023-06-29

追記 先程のコメントで、途中で方針を変えたよう、みたいなことを書きましたが、もしかしたらはじめからこのような構成で書くつもりでいらしたのかもしれませんね。 色々と新しいことに挑戦されている方のようですから。 (書きたい)

2023-06-29

こんにちは。 前半と後半とで、だいぶ雰囲気が異なっている詩ですね。 前半部は表現が巧みで美しく、純粋な現代詩(?)といった感じです。(amiiboのイカガールは何のことかわからなくて調べたのですが・・・) 後半部は、詩や散文などを書く者の苦悩を赤裸々に描いていますね。 この部分に出てくる「二十億光年」とは、谷川俊太郎の「二十億光年の孤独」からきているのでしょうか。仄かな憧憬のようなものを感じてしまいます。 この詩全体としては、途中まで詩を書き進めたものの、何らかの理由で方針を変えて、作者の内にある苦悩をそのまま言葉に落とすことにしたような、そんな印象を受けました。 (書きたい)

2023-06-28

こんにちは。 リズム重視の詩のようですね。 何か音楽を入れて、画面上を文字が流れてゆくような動画にするのが合うような気がします。 (どうやってそういう動画を創るのか、技術的なことは全くわからないのですが・・・) (ハードドロップ)

2023-06-27

コメントをありがとうございます。 どうやら仰る通り、無意識の内にパランスをとってしまったのかもしれません。 心底からの憎悪を持って過激に書くのも詩情のひとつなのでしょうが、まだまだそこまでの覚悟ができていなかったようです。 ただそれと同時に、そのような書き方をするのがどうも自分の性に合っていないような気もしています。 でもそれに閉じ籠っていて殻を破らないでいるのもどうかなと思ったりもしたりして、難しいところです。 ご指摘ありがとうございました。 (打ち上げ花火)

2023-06-27

はじめまして。 普段見ない漢字や漢詩が出てきたので、調べながら読みました。 まずは「匂い」をキーワードとして導入し、中盤で李白の漢詩の一節から、母なる月へと繋げてゆく手法は見事です。 だいぶ詩を書き慣れている方であろうことを窺わせます。 「私を酔わせるのはエタノールではない  冷たい夜に輝くあの月が  私の心を奪って酔わす」 というところは、ほどよく洒落た感じでいいですね。 また、途中で実の母への想いを入れているところも泣かせます。 そして末尾の、 「晴れた夜空には永遠の母、  晴れた夜空には乳の色をした永久の母。」 という締め括り方はとても巧みで、美しいです。 旨い酒を飲みながら月を眺めたくなる詩です。 (月下独酌/母のために)

2023-06-27

連詩へ参加していただき、ありがとうございます。 来月になったら、私が終連を書いて再投稿するつもりです。 どんなふうに締めくくるか、模索中です。 宜しくお願い致します。 (明日の夕べ(試み))

2023-06-26

連詩へ参加していただき、ありがとうございます。 来月になったら、私が終連を書いて再投稿するつもりです。 どんな詩になるか楽しみです。 宜しくお願い致します。 (明日の夕べ(試み))

2023-06-26

こんにちは。 タイトルと本編の内容から、何かとても人生に疲れているような印象を受けました。 中盤の、 「死んだ鳩が  晴れやかな眼で  地球にはりついて  産まれ、落ちた」 という表現は非常に独特で、巧みですね。 そして最後の方の、 「いい汗をかいて  少し 重くなれた  感傷は 軽やかで  最悪だ気持ち悪い」 というところから、空虚で観念的なものよりも、体で実感できるものを求めている、そんなふうに感じられました。 末尾の「はやく着替えたい」が、この詩の言いたいことを全て表しているようにも思えます。 (劇的なことなんて起こりませんよ?)

2023-06-26

こんにちは。 作者の牛への愛情が溢れ出ているような作品ですね。 やはり、世話をしているときに、牛に蹴られることはよくあるのですか。本当に牛が好きでなければできなさそうな仕事ですね。 今回の詩はとてものんびりとした雰囲気で、気分がささくれているときは、こういう感じの詩がいいです。 特に6連目の、 「世間揺れ  浮世壊れても  昼寝牛」 というところが、どこか飄々とした、あるいは超然とした、浮世離れした感じで面白いです。 また、その前の連との間の空けかたも、なかなか絶妙だと感じました。 物価高など色々な問題が山積みの世の中を、忘れさせてくれるような詩です。 (昼寝牛)

2023-06-26

ご返信ありがとうございます。 連詩への参加は一応、1人1回でお願いしたいと思っています。ただ参加される方が少ないかもしれないと思い、その旨明記はしませんでした。 また、今のところ最後の連は私が書こうと思っていますが、今後参加される方の詩句の内容によっては変わるかもしれません。 (初めての試みなので模索中です。) なお今月、私は既に3回投稿済みですので、再投稿は早くても7/1になります。 宜しくお願い致します。 (明日の夕べ(試み))

2023-06-25

連詩へ参加していただき、ありがとうございます。 縦書きの件、済みませんでした。 縦書きのほうが流れるように読めるとのことで、連詩という形式上、そのほうが読んだ時の継ぎ接ぎ感が和らぐかと思い、縦書きにしてみました。 次にまた行う機会がありましたら、その時は横書きにしてみます。 (明日の夕べ(試み))

2023-06-24

連詩へ参加していただき、ありがとうございます。 他の方の参加を、数日~1週間ほど待ってみようと思いますので、再投稿はもうしばらくお待ちください。 宜しくお願い致します。 (明日の夕べ(試み))

2023-06-24

はじめまして。 タイトルが[生きた僕の証] となっていますが、「生きた証」という言葉は人口に膾炙していて、その意味内容が不明瞭なまま言葉だけが先行しているような印象を受けます。 こんなことを訊く機会は滅多にないのでお伺いしたいのですが、あなたにとって生きた証とは具体的にどんなことなのでしょう。 誰か素晴らしい人と出逢うことでしょうか。 それとも自分の綴った言葉が、誰かの心の琴線に触れることでしょうか。 こんなことを書いては不快に思われるかもしれませんが、今、不治の病に苦しんでいる人は少なくありません。また、そうでなくても生きる意味を見いだせずに自ら命を絶つ人もいます。 自分が病に罹っていることを告げても、何の理解も配慮もしてくれない人も珍しくはありません。(恐らくこれは、わざわざ言うまでもないことなのかもしれませんが。) そんな冷酷な現実の中に在ってもなお、他人の心に届くような力のある言葉を、あなたは紡ぎだせるでしょうか。 もし、多くの人々に向けて言葉を贈ることが、あなたにとっての「生きた証」であるならば、そんな力強い言葉を紡ぎだしてくれることを願っています。 ([生きた僕の証])

2023-06-24

こんにちは。 溜まっていたオジサンの鬱憤を、思いっきり詩で晴らしている、そんな感じの作品ですね。 「大人になれば  もっとみんな幸せになるかと思っていたけど  それは一部の気分次第だったんかな」 全くその通りですね。 子供の頃、大人たちからたいそう立派な話を聞かされていたのに、実際はそんな大人が、我も我もと我欲の塊みたいになっているのを見て幻滅したりもしました。 「穏やかに暮らしたい  ロキソニンから手放したい  もっと違う熱で  情熱で生きていたい  魂を燃やしたい」 最近、私もそんなふうに感じることが多くなりました。 今の社会から少し距離をおいて生きてゆきたいです。 たいへん面白く読ませていただきました。 (コロナ脳LIFE〜おっさんの戯言詩〜)

2023-06-24

はじめまして。 まずタイトルを見て、過激な内容の詩なのかなと思ったのですが、読んでいるうちにだんだん哀しくなってきました。 具体的にどのようなことがあったのかはわからないのですが、このような感じの詩を何度か読んだことがあります。 このような詩を読むと、言葉の選択とか、改行のしかたとか、そういった表現の手法よりも、内容が気になってしまいます。 挫折して、それまでの努力が全て無駄になってしまった人は少なくないと、そんなことを言っても何の慰めにもならないでしょう。これといって何もしてはあげられないのですが、この詩を読んでそんなふうに感じている者がいることを覚えていてください。 このように言葉で表すことが、少しでもカタルシスになることを願っています。 (轢けよ、馬鹿)

2023-06-23

こんにちは。 自分の過去の姿を、魚の目で眺めているような、どこか幻想的な感じで表現されているところが美しいと思います。 何か女性に関わる辛い経験をされたのでしょうか。 誠実な男の姿とは自分自身のことですね。 その誠実さを、どうか大切にしてください。 (分かると思う)

2023-06-22

こんにちは。 「否定される  綺麗事が大好きな人たちだから」 というところ読んで思ったことをひとつ。 もし可能であれば、カール・ロジャースの積極的傾聴(Active Listening)をベースとしたカウンセリングを受けてみてはどうでしょうか。 ロジャースのカウンセリングには、「共感的理解」「無条件の肯定的関心」「自己一致」の三つの原則があるそうです。 自分の悩みを否定される苦しみを知っている人ならば、積極的傾聴の大切さがわかるのではないかと、そんなことを思いました。 (話せない勇気)

2023-06-22

こんにちは。 美しくも哀しく、内に秘めた優しさを感じさせる詩ですね。 ただ中盤の 「空き缶や総菜の空のパックにまぎれ  異臭を放っているゴミの山に」 というところたけが、全体の雰囲気とは異質な感じかします。 何か所謂ゴミ屋敷や孤独死を連想してしまいます。 またそれに関連して、最後の方の 「誰かの明日のためにあるものを  傷付いた世界をそっと  眠らせるだけの夜を与えるように」 というところも、境遇の格差や不平等を暗喩しているように思えます。 私の考えすぎかもしれませんが、個人の内面の哀しみと共に、社会的なメッセージをも描いているような印象を受けました。 (Lily)

2023-06-22

こんにちは。 「愛はベランダに干され  洗濯物の形をしている」 「全部コンビニに並んでるじゃん  ちゃんと欲しくないものばかり」 という表現がとても面白いです。特に愛情を洗濯物の形として描いたのは巧みだと思います。 愛する人との生活がユーモラスに語られていて、なんとなくほのぼのとした感じのする詩ですね。 でも中盤の 「愛してた  ひたすら耐えて、愛してました」 というところに、何か深い意味や感情が込められているようにも思えて、少し気になります。 (愛してる)

2023-06-22

はじめまして。 伝えたいことが何もなく、何が言語表現なのか分からないのに、このサイトに投稿したのは何故でしょう。 伝えたいことが何もないことを伝えたかったから? 何が言語表現なのか分からないことを表現したかったから? 血のかよったの身体や具体的な行動のない、抽象的な「生きること」というものは現実にはあり得ません。 ですから生きる意味や目的といったことも、理屈で詰めても見つかりません。 それ故に、書くことが即ち生きることであるならば、伝えることがなくても、何が言語表現なのか分からなくても、やはり書かずにはいられないものなのでしょう。 そのようなことを了解したうえで、敢えてこのような詩を書いたのかなと、そんなふうにも思いました。 (バレてしまったか)

2023-06-22

こんにちは。 「今日死のうと思った」のような言葉がこの電子の空間にどのくらいあるのか、生きる意味を見いだせぬ人がこの世界にどれほどいるのか、私にはよくわかりません。 でも、こういうところに綴られる言葉がほんの僅かでも、明けない夜を明かしてゆくことに繋がることを願っています。 (From me to you)

2023-06-22

こんにちは。 これは所謂連詩(コラボレイティブ・ポエム)というものでしょうか。 実は私もそれを考えていました。 私の場合は、先ずは私が最初の4行ほどを投稿して、他の方にその続きを同じく4行ほどコメント欄に書いていただくことをお願いし、ある程度の長さになったら再投稿しようと思っていました。 ですからこの詩を見て正直なところ先ず、「先を越された!」と思ってしまいました。 ですが私が考えていた最初の4行は、この詩ほど美しくなかったので、先を越されてよかったのかもしれません。 この詩ではそれぞれの連の言葉の美しさはさることながら、光にまつわる感性や表現の微妙な違いが観られて面白いです。 ビーレビ杯を競い合う詩作もいいですが、共同して造る詩もいいですね。 (光(如月、黒髪、つつみによる合作))

2023-06-21

こんにちは。 心象風景を描いたような詩ですね。 自分の心の深層にある森だから、その名を知るものはいてはいけないのでしょう。 五連目にある、泉の傍らで開こうとしている白い花は書き手の分身のように思えます。 「この指先さえ  うたがわなければいけない」 とはどのようなことでしょう。 棘に刺された表面的な傷の更に奥底に、泉の水面を静かに波立たせるような、深い痛みがあるからでしょうか。 静謐さの内に深い哀しさと、仄かな恐ろしさを感じさせる作品です。 (深森)

2023-06-20

こんにちは。 短いですが、インパクトのある作品です。 「彼は病み」というところが生きてくるような表現をされていると思います。 (雨)

2023-06-20

はじめまして。 紫陽花の花言葉には「移り気」や「高慢」みたいなネガティブなものがありますが、「家族」や「団欒」といったものもあるそうです。 人生の時を誰かと共に過ごしたい、そんな願いを、紫陽花の花言葉に託しているかのように思えました。 (紫陽花 -あじさい-)

2023-06-19

こんにちは。 インパクトドライバーは収納家具の組み立てか何かに使うのでしょうか。 東京の二日目、互いにうまく言葉にはできないけれどなんとなくわかるみたいな、男女の心の綾のようなものがうまく表されていると思います。 どこかほのぼのとした感じのする詩ですね。 (東京の二日目。)

2023-06-19

はじめまして。 冒頭の二連、表現が新鮮です。 その後の自分との対話の表し方も優れていると思います。 ただ、後半の「いいえ」に付いている?は、二回ともないほうがリズム感がいいかなと、個人的にはそう感じました。 でもその後の「水面の尾根に映る 私」という描写は、何か幻想的で美しいですね。 夜という、つかみどころのない雰囲気の中で、己と対話する独特の感覚が巧みに表されています。 (夜とため息)

2023-06-18

こんにちは。 詩の死をアイロニカルに描いていますね。 死にまつわる描写が詳細で、とともよく考えられているという印象を受けました。 この詩を読んで考えたことは、詩の死とはどういうことかということです。 恐らくそれは現代の社会の有り様を映し出した影絵のようなものではないでしょうか。 価値観が多様化して、大きな物語が消え去ってしまい、誰もが共有できる夢や未来像のようなものがなくなってしまった社会。 それを映し出したかのように、詩も多様化して、詩とはこういうものだという、誰もが共有できる詩のイメージがなくなってしまった。 それが「詩」の死ではないだろうかと、そんなことを考えました。 (死人の詩)

2023-06-17

コメントをありがとうございます。 言われてみれば、確かにそうですね。 独り善がりにならず、なおかつ美しい表現というのは、なかなか難しいですね。 ご指摘ありがとうございました。 (打ち上げ花火)

2023-06-16

はじめまして。 自由律短歌で綴った一日の情景、といったところでしょうか。 冒頭の 「少しくもった風景に 少しけがした手をかかげ」 というところや、最後の方の 「光が一点みえるとき  光のまわりは真っ暗なやみ」 というところに、日々の労苦が窺えます。 でもそれに負けずに歩んでゆこうとする意志が表されていて、読み手に元気を与えてくれます。 (一日)

2023-06-16

はじめまして。 「あい」という言葉の言葉遊び。 ただ、なんとなく単調な感じ。 「あい」という音の言葉が見つからなくなって、息切れしたような感じも。 でも末尾の行に仄かな切なさを感じました。 (あい)

2023-06-16

こんにちは。 睡眠薬による眠りが見せる、救われないことへの祈り。 翔ぶことは絡めとられることでもあるから、むしろそれよりも堕ちゆくことへの願望。 そんなふうに受けとりました。 (body)

2023-06-16

こんにちは。 喜びや優しさや、感謝や愛といったものに真摯に向き合うには、他人の痛みを知るために、哀しさを経ることが必要なのかもしれませんね。 だから、「苦悩というのは救済の前の段階のこと」なのでしょう。 (そうかだからたぶんむしろ俺たちが感情のアートってコト‼⁉)

2023-06-15

こんにちは。 夢の中の情景を描いたような詩ですね。 「島のようなこどく」と「ここに図がある」こととは、なにか関係があるような気がします。 自分の中に他者が属し、他者の中に自分が属している。でもそれはあくまでも「図」であり、その図を見ている自分が他にいる。 だからそれは、パラソル以外は何もない島のような孤独であり、郷愁の波にさらわれてしまう。 そんなふうに読み取りました。 (島)

2023-06-15

こんにちは。 「積極的に狂人にならざるをえない時代に生かされている」人の書いた詩、という感じがよく表されている作品だと感じました。 「こんなはずではなかった歴史」を受け入れるためには、狂人にならざるを得ないということでしょうか。 (ワンショット・ワンキル)

2023-06-14

こんにちは。 タイトルの「?」は、しっくりくる言葉が見つからなかったからでしょうか。 今から2000年以上未来の話。 現在世界を悩ませている問題がすべて解決された世界。そんな世界を築くためには「心と意識の在り方が深く理解され」なければならない。そんなメッセージとも受け取れます。 そして2000年以上も隔てた遠い未来でも、重ねた手の温もりは変わらないということ。 更に言えば、そんな手の温もりが、未来を築く手がかりになるということ。 そんなふうに読み取りました。 (?)

2023-06-14

こんにちは。 寂しく悲しい詩ですね。 砂浜と打ち寄せる波に秘められた、悲しく苦い思い出を描いた詩のようですね。 「信じていなかった自分だった」 「選ぶことも許されていなくて」 「ただ波の中に消えて行けば良い」 というところに、深い悲しみや悔恨が滲み出ているかのようです。 一行一行がシンプルでありながら奥が深い。そんな表現の巧みさを感じさせる作品だと思います。 (海岸の思い出)

2023-06-14

コメントをありがとうございます。 一瞬で燃え尽きてしまう打ち上げ花火。 その内に時間の流れを感じていただき、嬉しく思います。 お読みいただき、ありがとうございました。 (打ち上げ花火)

2023-06-13

なるほど。 流れるようにと、意識を向かわせるようにとの違いなのですね。 私は大学は文系ではなかったので、そこまで知りませんでした。 勉強になりました。 ありがとうございました。 (打ち上げ花火)

2023-06-13

コメントをありがとうございます。 高く掲げられた理想の多くは、厳しい現実にもまれて、多少の差はあれ妥協を余儀なくされるのでしょう。 お読みいただき、ありがとうございました。 (打ち上げ花火)

2023-06-13

コメントをありがとうございます。 横書きと縦書きの効果の違いについては、特に意識していませんでした。 今後投稿するときには、そのような視点からもよく検討してみようと思います。 そのような視点に気づかせていただき、ありがとうございました。 (打ち上げ花火)

2023-06-13

コメントをありがとうございます。 仰る通り、この詩は理想の儚さを悲しさとか寂しさとして捉えたものです。 また、それと同時に、高く掲げられた理想というものは、花火のように儚く散ってしまうことが多いという、警鐘のような意味も含まれています。 お読みいただき、ありがとうございました。 (打ち上げ花火)

2023-06-13

コメントをありがとうございます。 私はこの詩をシニカルな警鐘のようなものとして書いたので、希望のようなポジティブな印象を持たれたことは想定外でした。 ですが、そのように受け取っていただき嬉しく思います。 なお、冒頭の連に書いた理想とは言わば一般論で、説くにどのようなものか限定はしていません。 「同じ方向を向いている者が居なかったとしても、それってかなしいことなのかなとも思いました。」 私は誰もが違う方を向いていることを、寂しいこととして書きましたが、よくよく考えてみれば、それは束縛されない自由でいることでもあるので、決して寂しいだけのことではないなと思い直しました。 気づかなかった視点を見せていただき、ありがとうございました。 (打ち上げ花火)

2023-06-12

こんにちは。 この詩は、エコとかSDGsとか言っている人たちへの、強烈な皮肉であるように感じました。 もしそうなら、 「しかし  その転がる運命を  最後に  めでたし、めでたし  で、終わらせるなど  不可能に近いんじゃないか?」 という感覚も何となくわかるような気がします。 (のん)

2023-06-12

こんにちは。 今回も実体験をもとにした詩のようですね。 前回は埋めた犬の毛、今回は鳩の死骸、そして行方不明者の張り紙。 共通するのは消えてしまった命ですね。 この世界にはそんなふうに消えてゆく命が数えきれぬほどあるのに、日常の雑事に紛れて誰にも顧みられない。 そのことに気づいたときの感覚が、 「胸の内をざりざりと粗い砂粒が  擦れるようにして  吐き出される鳩の死骸」 ということなのでしょう。 もしかしたらその根底には、もし自分が消え去っても世界は何も変わらず動いてゆくことへの、強い違和感があるのかもしれません。 その感覚を知ってしまったが故に、たとえ自分と何の関係もなくても、記憶に留めるため、交番の張り紙を丁寧に読んだ、そんなふうに受けとりました。 消えゆくものへの強い感受性を感じさせる詩です。 (鳩の死骸)

2023-06-12

はじめまして。 この詩はストリートミュージシャンのことを描いたものでしょうか。 もしそうであるならば、もう少しわかりやすいメタファーをひとつ入れた方が、他の表現が生きてくると思うのですが、どうでしょう。 (曲がりつつ)

2023-06-11

こんにちは。 淡々とした語りの詩ですね。 わたしになまえがあるということは、それにより、他の人と比べられ評価されるということ。 そのようななまえがわたしを日々ころしてゆく。 だから、そんななまえもなく、ことさら貧しくも孤独でもなく日々を過ごして、いつか、何の執着もない風のようなものになりたい。 そんなふうに受けとりました。 その上で感じたのは、何も特別なことのないごく普通の生き方でさえも、それを維持するために、殆んどの人が多大な忍耐と犠牲を払っているということです。 そんな日々の苦しみの中から生まれた詩、という印象を受けました。 (風)

2023-06-11

こちらこそすみませんでした。 どこまで書くか、どこまで削るか。 私にはまだまだ難しいようです。 ご返信ありがとうございました。 (打ち上げ花火)

2023-06-10

コメントをありがとうございます。 仰っていることは大体わかりました。 おそらく何に重点を置くかの違いではないかと思います。 蛾兆ボルカさんとしては、花火で大事なのは、花火を見ている瞬間なのであり、バベルの塔の話は、共通言語があったという伝説があるということに重きをおいているようです。 ですが、私がこの詩で比喩として使ったのは、花火については一瞬で燃え尽きてしまうことであり、バベルの塔では、神の怒りを買い違う言葉を話さざるを得なくなった人間の驕りということです。 言い換えれば、蛾兆ボルカさんが重視しているのは、他者との共同、共感、共有といったことであり、私の(この詩の)場合は、そういったことの儚さということになります。 とは言うものの、この詩の表現の鋭さや工夫はまだまだ不十分であることは否めません。 ご指摘ありがとうございました。 (打ち上げ花火)

2023-06-10

コメントをありがとうございます。 少しシンプル過ぎましたか。 今思えば、表現にもっと工夫をすればよかったかもしれません。 ご指摘ありがとうございました。 (打ち上げ花火)

2023-06-10

コメントをありがとうございます。 どう受け取るかは、読む方の自由にお任せします。 確かにもう少し詰めて書いてもよかったですね。 また、言葉数をそろえて縦長の塔みたいにするのもいいのですが、そうなるとタイトルは「塔」になりますね。 ご指摘ありがとうございました。 (打ち上げ花火)

2023-06-10

こんにちは。 前作と何か繋がりのある作品のような印象を受けました。 今回も正確な意味は捉えきれないのですが、「人間みたいな鼠」とは「繰り返される模倣の果てに形作られたと自我を偽」っている自分のことを表しているように感じます。 そしてそれが現れた理由を、 「死を連想させるものはみな焼却したのに  呪いに掛かることはないと思っていたのに」 という文が何かほのめかしている、そんなふうにも思えました。 内に秘めた苦しみを吐露しているような詩です。 (水没)

2023-06-10

はじめまして。 人間の生の円環が淡々と描かれていますね。 ただ、読み手に訴えかけるものが若干弱い感じがします。 何かもうひとひねり加えた方がいいような気がしました。 (現在詩)

2023-06-10

こんにちは。 全体的に陰鬱な詩ですね。 「どうして魚がこんなに美しく泳げるのかと言えば  その海が絶えず濡れた体をくねらせるからだろう」 「ピカソの画集から破った紙で  答えを包んでやろう」 「拳銃だって自殺したかっただろう」 これらの表現が秀逸だと感じました。 詩全体の陰鬱な雰囲気から、タイトルの「Border」とは生と死の境界を表しているように思いました。 (Border)

2023-06-10

はじめまして。 「いのち」の語源は「息の内」(いきのうち)だという話を聞いたことがあります。 それだけ呼吸は生きていることの象徴だということなのでしょうね。 変わること、他人に認められること。 それは目的でしょうか、それとも手段でしょうか。 手段がいつのまにか目的になってしまうことは、よくあることですよね。 でも、まだ見ぬ自分と出逢うことは、とても魅力的ですね。 (日常)

2023-06-09

こんにちは。 「しょっちゅう、マウント取ったり悪口言ったり脅されたりしていて」 世の中にこういう人は少なくないですね。 「でも、卑怯者も実は寂しくて、正直に寂しいって言えないだけだったのかもしれない。」 私も時々そんなふうに思うこともあるのですが、許そうという気持ちにはなかなかなれません。 まだまだ未熟者ですね。 完璧な者は一人もいない。でもすっかり諦めて怠惰になっていいとも思えません。 塩梅の難しいところです。 (悪ってなんやろね)

2023-06-09

こんにちは。 感性の鋭さを感じさせる詩ですね。 「木を這う蟻に涙のような羽根が生えてて  風呂場の静寂には孔雀の震える睫毛が息を殺してて」 「苦い認識 欲望性の観念性を張り巡らされた肉片  その上を降る  雨」 というような表現にその鋭さが感じられます。 ただ、虐殺という言葉が二度出てきていたり、昨日の傷、精神の病、血塗れのナイフといった言葉があったりするところを観ると、高すぎる感受性に苦しんでいるような印象を受けました。 数少ない秀逸な作品の一つだと思います。 (piece of miracle)

2023-06-08

こんにちは。 私は幻聴に悩まされたことはないのですが、日常の些細なことでその症状の出方が変わるのですね。 幻聴で苦しんでおられるのにこんなのとを言うのは申し訳ないのですが、この詩は現代詩としてけっこう面白いです。 タイトルの「しばき倒す」もいいですね。 ただ、これから暑い季節になりますので、熱中症にはどうかお気をつけください。 (悪をしばき倒す方法)

2023-06-08

はじめまして。 短くシンプルな詩ですね。 「きみ」とはお子さんのことでしょうか。 ふとしたことで脳裡に甦る一瞬の記憶が、淡々と表されています。 シンプルで読みやすいのですが、もう少し表現や形式にひねりがほしいかな、と思いました。 (みち)

2023-06-07

コメントをありがとうございます。 私も実際に鬼火を見たことはありません。 儚く虚しいものというイメージで書きました。 (焼き切れた言葉の回路)

2023-06-07

コメントをありがとうございます。 自分の想いやイメージをうまく表す言葉を探すのは、けっこう大変ですよね。 私もウェブの類語事典とにらめっこしたり、何度も引き直したりして格闘しています。 そう考えれば「思考は戦きうなり始める」は「戦い」なのでしょう。 (焼き切れた言葉の回路)

2023-06-07

こんにちは。 ネットでもリアルでも、他者とは緩く軽い表面的な繋がりばかりの今の社会で、真剣に対話するだけの力が失われつつある我々の気持ちを代弁しているような詩ですね。 真剣に他人と関わる力も勇気もないから、本当に誰の味方にも敵にもなれない。 本当の孤独になれないのも、真綿で首を絞められるような苦しみだということを表しているように感じました。 (いちたいいち)

2023-06-06

こんにちは。 とても切ない詩ですね。 特に 「愛する人や自分の声さえ聞こえなくても」や、 「誰からの反応もなくって  余計に寂しくなって」 というところでは、胸が痛くなる思いがしました。 でも末尾の 「声が聞こえた  空の上から流れる自分の歌声が」 というところで、微かな希望の光が射してきたのかなと、そんな印象を受けました。 ビーレビューの詩を読んで感じたことのひとつに、何かしら心の中に苦しみを抱えている人が多い、ということがあります。 ですから、他の他人の詩の中に込められているそんな苦悩を読み込んでみてはどうでしょうか。 僅かでも孤独感が和らぐかもしれません。 余計なお節介かもしれませんが・・・ (歌)

2023-06-06

こんにちは。 タイトルがブランクなのは、敢えて意図的にそうしているのでしょうか。 人として生きていることの矛盾や悲哀、あるいは悲惨を、光や水を軸として繊細な言葉で表現されています。 その繊細さ故に、タイトルをつけられなかったような、そんな印象を受けました。 ( )

2023-06-05

こんにちは。 もう一度自分のコメントを見直してみたのですが、詩の内容について殆んど触れていませんでした。 どうもすみません。 再度読み直してみたところ、「時」あるいは「年月」が、この詩のキーワードとなっているように感じました。 鳩時計、知見に長けている老人、木の成長、湧き水や土の養分。これらの言葉から観てこの詩での「時」は、川のように流れゆくものというよりも、地層のように積み重なってゆくものと捉えられているような、そんな印象を受けました。 そして最終連の「窓の外で奏でられる葉の揺れる音」とは、厚く積層した時の上で今を生きている、我々を含めた全ての命を表しているように感じました。 そんなふうに読んでみると、この詩はとても美しいですね。 コメントへ再度ご返信いただいて、そのことに気づくことができました。 ありがとうございました。 尚、そのご返信にありました、「人は自然界では打ち勝っているかもしれません。自然の中に生まれてその力を振りかざしていますがこのままいったら自らの首を絞めることになるのではないかと危惧しております。」ということにつきましては、私も全く同感です。 (ある老人の語り)

2023-06-05

こんにちは。 鳩時計は英語で言うとCuckoo clock 。元々はカッコウ時計なのだそうです。 カッコウは他の鳥の巣に卵を産み、その鳥に雛を育ててもらいます。孵った雛はその巣の主の卵を全て巣の外に落とし、親鳥から与えられる餌を独占するそうです。 また森の若木は、老木が衰え力尽き倒れて、その空いた空間に枝葉を伸ばしたものが、より強く太く育つそうです。 自然に生きる鳥や木には世話をしてくれる人はいません。皆、己の力で競争に打ち勝たなければ生き延びることはできません。 そのことを念頭に置いてこの詩を読むと、また違った味わいがあるように思います。 (ある老人の語り)

2023-06-04

こんにちは。 一行一行が十分に推敲され練り上げられている、そんな印象を受けました。 「思索は全て脳の泡」 「存在に謝れ」 「血の繋がった他人」 「風は口笛吹いている」 どれも面白い表現ですね。 詩の意味ははっきりとはわからないのですが、タイトルにある「無窮」とはきわまりないこと、そして「天然」とは所謂天然ボケのことであるならば、何となく推測できるような気がします。 少し寂しげな感じのする詩です。 (天然無窮)

2023-06-03

こんにちは。 アイロニカルな詩ですね。 この詩を読んで、中原中也の「サーカス」という詩を思い出しました。 この詩はそのオマージュでしょうか。 また、黄色い世界とはこのビーレビューのことでしょうか(画面の背景の色より)。 このサイトで言葉の表現について揉めている、そんなふうに受けとりました。 末尾の「ざんねん」が、何やら意味深長です。 (揉めてる)

2023-06-03

こんにちは。 「透明が充実していた」とは、新鮮な表現ですね。 子供の頃の思い出のようですね。 透明とは子供の打算のない心のことでしょうか。そうであるならば、透明であるからこそ充実できるとも言えると思います。 そしてまた、子供の心は既成の常識に囚われていないから、 「触れられないものばかりを  触れようとする無数の手」 があり得るのでしょう。 大人の常識からすれば、他人の土地に犬の死骸を埋めるなんて迷惑なことであり、そして、一度埋めた死骸を掘り出そうとするなんておぞましいことなのでしょう。 でも子供の感覚から言えば、たとえ犬でも骸を野ざらしのままにしておくのは可哀想であり、それと同時に、得たいの知れない「死」というものに触れてみたいという好奇心もあるのだと思います。 仄かにノスタルジックな香りのする詩ですね。 (透明が充実していた)

2023-06-03

おはようございます。 早くお母さんに会えるようになるといいですね。 ところで、自分がこうなったのはだれのせいかとか、他人の評価を気にしているとかいったことは、程度の差はあれ誰の心の中にもあることでしょう。だからそんなに恥ずかしいことではないと思います。 また、このビーレビューのようなクリエイティブライティングのサイトが、検閲も弾圧も受けないということは、恵まれていることなのでしょうね。 その点については仰る通り、日本はいい国なのでしょう。 何となくホッとするような詩ですね。 (母と父)

2023-06-03

こんにちは。 存在ごと消えるとはどういうことでしょう。 もしそれが、存在することの意味や世界との関わり等すべてひっくるめて消えてしまうということであるなら、それはとても恐ろしいことのように思えます。 「意味を与えてくれるのが世界」 おそらく仰る通りなのでしょう。 世界を持たない、あるいは世界から隔絶された存在は意味を持ち得ないのでしょう。 ここまで書いて、ふと、神様が世界を造ったのは存在することの意味が欲しかったからかもしれないと、そんなことを考えました。 もしそうであるならば、我々の存在、我々が造る関わり、我々が残す思い出は、神様を苛む無意味の苦悩を和らげるためのもの。そんなふうにも思えます。 短いですが奥の深い詩ですね。 (存在)

2023-06-02

こんにちは。 冒頭の「音楽が聴けないと身動きがとれない」というのは”No Music No Life “といったところでしょうか。(古いか!) 何かの拍子に落ちたものを拾う気持ちが萎えてしまうことは、しばしばあることですね。 不時着した色えんぴつが「拾って」 と乞うてくるところが、どこか寂しげでよかったです。 仄かな倦怠が漂う夜更けの情景が目に浮かぶようです。 (夜討)

2023-06-02

こんにちは。 冒頭のあれきった指さきに、伝えたい想いがうまく伝わらないもどかしさや哀しさといった心情が、よく表されていますね。 2連目の表現もどこか儚げでとても美しいと思います。 3連目の「スマホが水面なら」という表現も、その乾いた質感が際立されていていいと感じました。 短いけれど巧みな表現の詩だと思います。 (softer)

2023-06-02

こんにちは。 お父さんになるのですね。 私にはそのような経験がありませんので、なかなか実感が湧かないのですが、胎児のつける通信簿に自分の困惑が書かれているだろうとか、温まってくる風呂の湯を羊水のように感じたりするところとかは、優しさが感じられ、また、何か神聖な感じもして、とてもよかったです。 無事、健康に産まれてくることをお祈り致します。 (羊水)

2023-06-02

こんにちは。 未来のない者には過去しか残されていない、といった老年の境地とは逆の、青年の思想のように見えます。 しかし、この「明日」が未来の象徴ではなく、文字通り今日の翌日一日だけを指すならば、また事情は異なります。 今日と明日といった一定の幅はあるものの、今を生きるという禅の思想にも似たものを感じます。 「全部過ぎ去っても  自分がいなくなっても」 というところに、自我を忘れた無我の境地が垣間見えます。 そう捉えると、興味深い詩ですね。 (明日)

2023-06-01

こんにちは。 悪魔からの手紙ですか。 文学や詩を嗜好品と見なすことを是とするか非とするか、それによって書く詩のスタイルが変わってくるのかもしれません。 この詩の場合の嗜好品とは、読み手へのものではなく書き手へのもののことなのでしょう。 詩を書くことが嗜好品。でもそれには、数値化される欲望や、夢も学びもない感情の暴発という毒性があって、それこそが悪魔の必要としていること。 そうとらえると何やらとても恐ろしいですね。 神様に叱られるような内容の詩。 恐ろしいけど面白いです。 (Letter )

2023-06-01

はじめまして。 短くシンプルな詩ですね。 戦場とは学校のことでしょうか、それとも職場のことでしょうか。 殺したくないけれど勝つため、殺さなければこちらがやられてしまうから。 そんな空間が至るところにあるのでしょう。 でも、そのとき殺しているのは、自分自身の一部なのかもしれませんね。 黄色いタンポポはそのことを表すメタファーなのでしょう。 そう考えると少し恐ろしい詩でもあります。 (戦場のタンポポ)

2023-06-01

こんにちは。 自由律俳句集ですね。タイトルの「豆の莢」とは、ひとつひとつの俳句を莢の中の豆に譬えたのでしょうか。 どれも日常の風景を描いた句ですが、8句目と9句目が他と異なっています。 昔の戦争の映像を見たのでしょうか、それともウクライナ情勢のことでしょうか。 戦争がひとつの情報と化して、日常の風景の中に溶け込んでしまっている、そんな現代の世の中の有り様を表しているような感じがしました。 尚、5句目の 「返却日を過ぎた本という時限爆弾」。 私も図書館をよく利用しますので、実感があります。 (豆の莢)

2023-05-29

こんにちは。 明日への希望や情熱を感じさせる詩ですね。 街に白い線を引いてゆく、白く染めてゆく「君」とは誰のことでしょう。 何の邪念もなく、真っ直ぐな生き方を見せる人のことでしょうか。 そんなこんな人の生き方に、心の導火線に火をつけられて歩きだす。 自分の能力、周りの環境などさまざまな制約があるけれど、それでも情熱は冷めることなく、「君」を追いかけてゆく。 そんな心の躍動を表しているような印象を受けました。 何もせずにシニカルな態度で過ごすより、情熱を持って誰かの背中を追いかける方が、ずっと幸せなのだなと、この詩を読んでそんなふうに思いました。 (色をもてたら)

2023-05-27

はじめまして。 繊細さや感受性の高さを感じさせる詩ですね。 自分が何を求めているのか、はっきりとはわからない、そんなもどかしさを感じます。 「月は半分で 青で溢れていて  君は違って満ちていた」 この表現がとても美しいと思います。 「僕は追って気づくだろう  君は待って泣くのだろう」 「僕」が追っているのは夢でしょうか、 「君」が待っているのは「僕」でしょうか。 どうにも満たされぬ気持ちが拭えない、 「ほら今日も半分の僕たちだ」 という末尾の一行がそれを表している、そんなふうに受けとりました。 この詩のキーワードは「半分」だと思うのですが、タイトルは「8月、」。 何か特別な思い出を語った詩のようですね。 (8月、)

2023-05-26

コメントをありがとうございます。 「例えば、絵や動画でもそのイメージを描くことはできるのではないかと。詩という文章表現である必然性。」とのことについてですが、自分のイメージ通りの、満足のいく絵や動画を描くには、相当の技量が必要だと思います。 残念ながら私にはそれだけの能力はありません。 イメージを描くか感動を描くかということは、端的に言えば、叙景詩を書くか叙情詩を書くかということだと思います。 ただ、一見叙景詩に見えてもその中の語句に何らかのメタファーが含まれているならば、叙景詩とは言えない場合もあります。 また、叙景詩と叙情詩とを明確に区別できない場合もあるそうです。 この詩に関しては、幻想的なイメージを感じてもらうか、何らかのメタファーを読み取ってもらうか、それは読み手にお任せして、自由に受け取っていただこうと思いました。 なお、いただいた返詩ですが、「小さな魚の鱗のきらめき」以降の四行の表現がとても繊細で美しいと思います。 ありがとうございました。 (金属の魚)

2023-05-24

コメントをありがとうございます。 なるほど。 そのような見方もあったのですね。 今後の詩作の糧とします。 たいへん参考になりました。 ありがとうございました。 (金属の魚)

2023-05-24

こんにちは。 構成をだいぶ工夫された作品ですね。 タイトルの「きみにとどけ」となっていますが、君に届けたいのは無論「がんばれ」なのでしょう。すると「きみ」とは誰のことでしょう。 様々な解釈ができそうですが、スマホが出てきていますので、何となくビーレビューの投稿者に向けたエールなのかなと、そんな印象を受けました。 前半の間の空けかた、絶妙ですね。 (きみにとどけ)

2023-05-23

こんにちは。 人生は苦悩と困難の連続ですね。 そんな中で不用意に己を護る刺や鎧を外してしまうと、瞬く間に傷だらけになってしまう。 でも、その己を護るものは白雲母のように脆くて、日々少しずつ剥がれ落ちてゆく。 そんなふうに読み取りました。 詩句の一つひとつが痛々しいです。 (ショーペンハウアーと雲母)

2023-05-22

こんにちは。 とてもシニカルな詩ですね。 「導火線に火がついた期限つきの国」。 この国の有り様が端的に表現されていると思います。 また、この国だけでなく世界全体がこんな状況のような気もします。 サミットでG7の首脳宣言が発表されても、日々の暮らしに精一杯の人々にとっては、この物価高を何とかしてくれなければ何の意味もないでしょう。 現実の問題は解決されずに、数多の情報が消費されてゆくだけ。 この詩を読んでそんなふうに感じました。 (しけしけのしけしけのしけしけのぱれーど)

2023-05-22

コメントをありがとうございます。 わからないものをわからないまま受け入れる勇気を持ちたいですが、それと同時にやはり、わからないものをわかるようになりたいという気持ちもあります。 そうなれれば、己の視野や世界が拡がるのですから。 (わからないものはわからない)

2023-05-21

こんにちは。 普通に散歩していて猫を踏み殺すということはまずないと思いますので、これは創作だと思うのですが、もし事実だったらとても寝覚めが悪い出来事でしたね。 この詩の肝は2連目なのでしょう。 現実とパーチャルが反転し、人間を含め他者の死が限りなく軽くなってしまった現代社会を描いている、そんなふうに受けとりました。 とてもシニカルな詩ですね。 (猫ちゃんゴメンね)

2023-05-21

コメントをありがとうございます。 なるほど。言われてみればイソップ童話に似ていなくもないですね。 この詩に込めたメッセージを正確かつ深く掘り下げて捉えていただいています。 「自分が産まれてきた理由もわからずに、どんな境遇になっても不満を持ち続ける」 「俺たちは人に踏まれてこんなにも辛いのに、選ばれたエリートの葉に包まれ、それでも不満を持ち続ける柏餅を馬鹿にしてる」 これ以上の解説は必要ないでしょう。 たいへん深く読み込んでいただき、今後の詩作の励みになります。 ありがとうございました。 (不満を募らせる柏餅)

2023-05-21

コメントをありがとうございます。 この詩にユーモアを感じていただいて嬉しく思います。 柏餅が2連目だけ複数形になっていて、統一性が欠けているのは、明らかに推敲不足でした。お恥ずかしい限りです。 ご指摘ありがとうございました。 尚、こんな詩を書きましたが柏餅は大好物です。 (不満を募らせる柏餅)

2023-05-21

コメントをありがとうございます。 ネガティブ・ケイパビリティ。 イギリスの詩人、ジョン・キーツの言葉ですね。以前、聞いたことはあったのですが、この詩を書いたときには忘れていました。 このネガティブ・ケイパビリティという言葉は現在、精神医療やビジネスの場でしばしば使われているようですが、このことを最初に唱えたのが、精神科医でもビジネスマンでもなく詩人であったことは、我々詩を書く者にとって、何か大きな意味があるような気がします。 この言葉を思い出させていただき、ありがとうございました。 (わからないものはわからない)

2023-05-20

こんにちは。 少し寂しげで、何か意味深長な感じの詩ですね。 誰かが落とした小さなクリップのような落とし物。 初めて訪れた町の誰もいない歩道橋。 何かを表した心象風景のようですね。 その小さな落とし物とは、我々が知らぬ間に忘れてしまったものでしょうか。 それとも知らぬ間に他人に与えた小さな影響のことでしょうか。 袖振り合うも多生の縁という言葉もありますが、我々は様々なものを落としたり拾ったりしながら、常に少しずつ変わりつつ生きてゆくものなのかもしれないと、そんなことをこの詩を読んで思いました。 (無題(無題であるほどに静かで空虚で遠い))

2023-05-20

はじめまして。 既成の観念や価値観に縛られて生きてゆくのは、確かにつまらないですよね。 でもだからといって、髪を染めたりタトゥーを入れたりしても、本人がおもしろい存在にならなければ、やっぱりつまらないままだと思います。 ですが、おもしろい存在になるのは、とても難しいですよね。 とりあえずは、おもしろい詩を書いてみてはどうでしょうか。 少しはおもしろい存在に近づけるかもしれません。 (つまらない)

2023-05-19

こんにちは。 短いですが、何か緩やかな感じのする詩ですね。 一枚の桜の絵に幻視や時空のゆらぎを感じ、ネイルに非ユークリッド幾何学を観る。 独特で繊細な感性の持ち主なのですね。 末尾のひらがなで書かれた「はるかぜ」の一言が、とても柔らかな印象を与える効果をあらわしていると思います。 ところで、ICOSが何かわからず検索してみたのですが何も出てきません。 加熱式タバコのIQOSのことですか? 些末なことをお訊きしてすみません。 (paintings)

2023-05-19

こんにちは。 今回の連作集は正直なところ、あまりよく意味が掴めなかったのですが、詩を書く立場から見て、「とこちゃん」と「一ミリ」と「合羽」が良かったです。 「とこちゃん」の「とこちゃんの詩集はとことこ歩く」というところがこの連作集のイメージと重なりました。 「一ミリ」の「清心なものたち」とは何でしょう。雑多な言葉の中から本当に清んだものだけを取り出したということでしょうか。 「合羽」は、 「ものを置かない空に  ひかりのボールを投げた」 と、 「ふりそそぐ  見えない音に」 という表現がとても新鮮です。 ところで、サブスクリプトとは下付き文字、基準となる文字より下部に記述される添え字のことだそうですが、タイトルの「サブスクノート」とはそのような含意があるのでしょうか。 (サブスクノート)

2023-05-18

こんにちは。 短い詩ですが、なかなか意味深長ですね。 「詩は自分の影である。」 その通りだと思います。 その影が全てだと思い込んだとき、その詩はどうなるのでしょう。 己を緊縛する桎梏となるのでしょうか。それとも、己を呑み込んでしまう怪物となってしまうのでしょうか。 様々な実験的な詩を書かれているようですので、そうしてるうちにそれらの詩に心を乗っ取られかけているのかなと、そんなふうにも感じました。 (詩とは何か?)

2023-05-18

こんにちは。 多くの人が大丈夫という言葉を求めているのは、それだけ不安感が蔓延しているのかもしれません。まさに一寸先は闇、暗晦が遍く地上に影を落としているということなのでしょう。 そんな影のもと、数多の言葉が溢れる中でも、そこから新たな価値を見いだす希望を信じている、というところに何か救いがあるように感じます。 ところでこれは個人的な感想なのですが、所々に「無情」という言葉が使われていますが、全体の流れから見れば「無情」よりも「無常」のほうがしっくりくるような気がします。 特に、「現世は無情だ、世界は無情だ。」のすぐ後の部分は、非常に精緻な表現をされているので、「無常」のほうが合うと思います。 (人の子)

2023-05-17

はじめまして。 胸の痛くなるような詩です。 強いストレスで心に負担がかかると、言葉が全く口から出なくなる。心の中は饒舌なのに固く蓋が閉じられたかのように、一言も口にできなくなる。 そして後になってから、あのときはああ言えばよかった、と何度も思い返すので、その辛い記憶はなかなか消えてくれない。その度に心はすり減ってゆく。 私にも経験があります。 辛い記憶から逃れようとして拘るのは、かえって逆効果かもしれません。 別のことを考える、あるいは別のことをする等、できるだけ速やかに心を切り換えるような練習をしたほうがいいような気がします。 詩を書くのもその一つの方法でしょう。 でもその際は、辛い記憶に捕らわれないよう、詩の構成や表現の工夫等に注意を持っていくようにしたほうがいいと思います。 とりあえず、気を楽にもって、できるだけリラックスしてください。 (神様おねがい。)

2023-05-17

こんにちは。 寂しげな詩ですね。 導入部は変わりゆくことの無情さを描き、中盤は郷愁を誘うような子供の頃の思い出、最後に今現在の悩みや苦しみを吐露しています。 構成がしっかりしていて、とても参考になります。 周りの世界も自分自身も常に変わってゆく。 思い出は変わらないけれど、それ以外は皆変わってゆき、それにともない苦しい記憶も蓄積されてゆく。 多くの人が感じていることなのかもしれません。 私も頭のなかを空っぽにしたいと思うことがよくあります。 身につまされる思いです。 (雑踏にて)

2023-05-16

はじめまして。 心が晴れ渡った瞬間を描いたような詩ですね。 祈りとは大いなる存在に何かを求めるものではなくて、大いなる存在に包まれている、護られているということを実感することなのでしょう。 それは、自分の人生への信頼と言い換えてもいいかもしれません。 それまでの経験や出来事、良かったことも悪かったことも皆含めて、全てが意味付けられるということなのでしょう。 私もそんな体験をしてみたいと思っています。 (いのり)

2023-05-16

コメントをありがとうございます。 「清算主義」 経済用語ですね。 不況でも介入政策は採らず、それで潰れる会社は潰してしまうという考え方。 この文脈では、わからないものはわからないまま捨て置く、ということでしょうか。 確かに、下手に間違った解釈をするよりはその方がいいのかもしれません。 でも、自分がわからないものを他人がよく理解しているのを見ると羨ましく、また、自分だけ取り残されているような淋しさを感じてしまうのです。 (わからないものはわからない)

2023-05-15

こんにちは。 寂しい詩ですね。 「色褪せたバラの涙を  見たことがあるか」 美しい表現です。 バラの涙が語り手自身の寂しさの投影のように感じます。 冷蔵庫の中身は、独り暮らしの侘しさを表しているように思えます。 そして、マルボロやレコードを手放すのは、人生の中のある時代の終わりを告げているかのようです。 美しいバラの花もいつかは散り落ちて、ゴミと見なされ掃き捨てられてしまう。 終わりを告げたロマンスのメタファーですね。 寂しいけれど美しい詩です。 (バラの涙)

2023-05-15

こんにちは。 短いけれど寂しげな詩ですね。 とてもシンプルなので、様々な状況が想定されますが、寂しさや孤独感は伝わってきます。 「詩を書こう!」と思って書いた詩というよりも、自分の気持ちを整理しようとして書いた「モノローグ」のように感じます。 そのようにして書かれた詩が誰かの心を打つことができれば、それは書いた本人の力にもなると思います。 (手)

2023-05-14

こんにちは。 全体的に引き締まった感じの文体で構成された詩ですね。 最後の方に出てくる「徳操」ということばの意味は、「固く守って変わらない道徳心」とのこと。 そのような確固たる道徳心のない、虚妄に満ちた生活あるいは社会を揶揄しているように受けとりました。 末尾の「適当」という言葉は、ほどよいことや条件・目的にうまく当てはまることと、いい加減なこととの相反するような二つの意味を持っていて、解釈に注意が必要に思えます。 ただ似た意味の言葉の「適切」に比べて「適当」の方がある程度の幅を持たせてあるとのことなので、ここでは虚妄と徳操との間でうまく距離を取ること、と読み取ることもできます。 あまり道徳にこだわると、世の中堅苦しくなりますから・・・ (ways)

2023-05-14

コメントをありがとうございます。 すみません、この詩はこれでもだいぶ力を抜いたつもりだったのですが、それでもまだ力が入りすぎに感じられるでしょうか? なかなか難しいですね。 「誠実であろうとするところが違う」とはどのようなことでしょう。 例えば、今現在感じている自分の感覚に誠実であることと、未来に向けられた理想に誠実であることとの違い、あるいは、語意と語感とへの重心の置き方の違い、それとも語感への個人差や世代差みたいなことなのでしょうか。 と、ここまで書いて、こんなことをごちゃごちゃと考えていること自体が、肩に力が入りすぎということなのか、と思いました。 やはりもっと力を抜いた方がいいようです。 ご指摘ありがとうございました。 (わからないものはわからない)

2023-05-14

コメントをありがとうございます。 また、お気遣いくださりありがとうございます。 以前の私は他人の詩をろくに読まず、自分の詩のことばかり考えていて、「自分が、自分が、」みたいな姿勢で詩を書いていました。 その頃を思い出すと恥ずかしさに襲われ、それをごまかすためにコメントを書いていたような気がします。 でも仰るとおり、最近少し疲れを感じることがしばしばあります。 やはりもう少しペースを落とした方がいいのかもしれません。 ご忠告ありがとうございました。 (わからないものはわからない)

2023-05-14

こんにちは。 なかなか先鋭的な作品ですね。 「文明とは、愛されてない者が、母親に対してとった復讐行為なのだ。」という視点は、目からウロコといった感じがしました。 確かに恵まれた環境にいれば、生き残るために能動的な行動を起こそうとは思いませんね。 それがゆき過ぎて当人がスポイルされてしまうという例は少なくないのでしょう。 結果的に見ればその環境は恵まれているようで、実は恵まれていなかったということなのでしょう。 そう考えるとこれは、愛情という言葉の定義の問題のような気もします。 ただこの作品、フェニミストの方々が読んだら、かなり批判を浴びるかもしれません。 (女神に愛されし者)

2023-05-13

はじめまして。 童謡のような詩ですね。 冒頭の「クジラねこ」というところを読んで、昔、某漫画に「ウナギイヌ」なる動物が出ていたのを思い出しました。 また、詩の中盤で「口の中に人形飼ってる」といったところを読んでピノキオの話を思い出し、そして最後の方の「いつか空に行きたい」というところを読んで、昔、国語の教科書に載っていた「くじらぐも」という話を思い出しました。 いろいろと、連想させられる詩です。 (クジラねこ)

2023-05-12

こんにちは。 宇宙の天体と日常生活の描写との対比がいいですね。 「怪獣」とは何のメタファーでしょうか。 無情な時の流れ、あるいは巨大な社会のシステムのことでしょうか。 そんな怪獣がいない、「その人」がまだ売れない頃のことを思い出しているようで、何か寂しい感じがします。 (その人)

2023-05-12

こんにちは。 人生の黄昏に入りつつある人の詩のようですね。 淡い寂しさを感じさせます。 「魂の焦げあとを引きずって」 「永遠に横たわる夕方の匂い」 「年齢の青みが結実してゆく感覚」 表現がとても美しいです。このような表現はなかなかできるものではありません。 長いこと詩歌に触れていらっしゃる方なのですね。 「老いてゆく道のりの中に  そこでしか輝いてみせない何か」 としての「隠された果実」を観る、「隠された視力」が自分にもあるかどうか、考えさせられる詩です。 (隠された果実)

2023-05-11

コメントをありがとうございます。 私は詩を書くと、重く硬くなる傾向がありますので、いつか、柔らかく繊細な詩を書いてみたいと思っています。 (金属の魚)

2023-05-11

はじめまして。 冒頭の 「音韻を小瓶に入れて思い切り放り投げた」 という表現が新鮮でとてもいいなと感じました。 ただ、その後の描写がややありきたりな感じもします。 ハッとするような表現は中盤から後半にかけて入れた方が、読み手が期待はずれな感想を持つのを防げると思います。 冒頭の表現と 「歩いても辿り着かない  パラレルワールドの中で」 というところから、何か定型的な詩歌への限界のようなものを感じているような印象を受けました。 (コバルトブルーの涙)

2023-05-11

こんにちは。 絶望から破滅へと突き進む若者を描いたような詩ですね。 冒頭の 「ポケットの中の  喜劇を裂傷させた人間の物語」 という表現が印象的です。 二連目の 「僕たちはなんだか真っ白な影になって  辛うじて時々人間を保っているような」 という表現も心情をうまく表していると思います。 三連目の 「無敵になった僕たちの末路に乾杯を」 というところは、もう失うものが何もない者には恐れるものもない、ということを表しているのでしょうか。 でも末尾で「僕には少しだけ痛かった」と、痛みを感じるのは、心のどこかにまだ、希望を捨てたくない気持ちがあるからなのかれないと、そんなふうに感じました。 (喜劇)

2023-05-11

こんにちは。 青春の一ページのような詩ですね。 路面電車の窓を飛ぶ鳥に一瞬つれてゆかれるのがいいです。 どこかでむすんでほどく糸とは、人との出逢いのことでしょうか。 繊維に沿って薄皮を剥がすところが、隠れていた想いをうまく表していると思います。 生まれ育った町の一度も通ったことのない路地、という表現も何か意味深長で、知っているようで実は知らないところ、みたいな気がしました。 どこか郷愁を誘うような詩です。 (with)

2023-05-10

はじめまして。 引きこもりの方とお見受けしました。 私は引きこもりになったことはないのですが、とても苦しいものだとの話は聞いたことがあります。 24歳で頸髄を損傷して手足の自由を失った星野富弘は、怒りと絶望で眠れぬ夜が続いていたところ、詩に触れることで眠りに就くことができたそうです。 私が詩に興味を持ち始めたきっかけが、このエピソードでした。 詩にはそんな、人の心を癒す力があるのだと思っています。 (都市伝説)

2023-05-10

こんにちは。 自律神経失調症という病気は、様々な症状がでるものだそうで、辛そうですね。 お大事にしてください。 その一方でこの詩は、童話のような導入部から二行ずつ書かれていて、非常にテンポがよく、読みやすいです。 内容もウィットに富んでいて面白いです。(面白がってはいけないのかもしれませんが・・・) ところで「とおりもん」って、博多土産のお菓子のことですか? 仙台だったら「萩の月」ですよね。 (自律神経出張症)

2023-05-09

はじめまして。 とても坦々とした感じの詩ですね。 日々常々感じていることをそのまま、淡々と語っているようです。 とても読みやすいのですが、淡々としすぎて、読む側に訴えるものが薄すぎる気もします。 日々の記憶や行動の内容が漠然としているので、何か具体的な事柄を一つか二つ表してもいいのではないかとも思いました。 (晴れてほしい)

2023-05-09

こんにちは。 全篇を通して、空虚感あるいは虚無感の漂う詩ですね。 足りないものはないのに何故か満たされない。 何も欠けていないことで、かえって溺れて沈んでまう。 そんな感じがします。 それが反転した世界ということなのでしょうか。そんなふうにも受け取れます。 (反転)

2023-05-08

こんにちは。 何か不思議な感じのする詩ですね。 二連目の表現が秀逸だと思います。 タイトルにある「トーラス」とは、ドーナツの表面のような輪環面のことだそうですね。 そのトーラスは永遠のメタファーでしょうか。そして「想像上の」とは近似値を表しているような、そんな印象を受けました。 末尾の「車に撥ねられた」とは、実話でしょうか、創作でしょうか。 創作だとしたら、それは前段の「出会う頃には詩人でいられない」というところを承けた、詩人としての死を表したものなのかな、と受けとりました。 (想像上のトーラス)

2023-05-08

はじめまして。 己が存在することへの疑問に苦しんでいるような詩ですね。 一行一行の表現がとても巧みです。 しかし、「最後の審判の時の事を思い出した。」の後に、「〇〇年」や「〇年」という表現を使っていますが、具体的な年数を書きたくないのであっても、何か工夫した別の表現をしたほうがスマートだと思います。 その前後の表現が秀逸なだけに、惜しい気がします。 (現生での事)

2023-05-08

こんにちは。 なんだかポップアートのような詩ですね。 「この世っておわってんじゃん」 だからおもいっきりハジけちゃえ、みたいな感じ。 ハジけすぎて、言葉がアッチコッチに飛び散っている、そんな感じがしました。 面白いです。 (不健全な生活の不健全な詩)

2023-05-07

こんにちは。 なんともツイてない日でしたね。 タイトルの「敗北」とは、胸ぐら掴んで色々言ってやれなかったことでしょうか、それとも精神安定剤を再び飲むことに決めたことでしょうか。 「犯罪者になるより  まだメンヘラな方が  平和に決まってる」 とは、現代社会の一端をうまく表していると思います。 この詩を読んでまず思い浮かべたのは、電車での車内トラブルのことです。急いでいるのにそんなことで電車が遅れるなんて、と思うことがよくあります。 何故こんなに余裕のない世の中になってしまったのでしょう。 競争することや成長することがあたり前、そんな風潮がゆき過ぎたせいなのかもしれません。 そういったことも皆含めて「敗北」ということなのかな、そんなふうにも思えました。 (敗北)

2023-05-07

こんにちは。 「傘が壊されないように  風と語り合う」 という表現がとてもいいと思いました。 でも、その後が続かないのが残念です。 小学生の時は傘で空飛べそうと思ったことを入口として、もっと「風と語り合う」イメージをふくらませてほしかったです。 導入部がとてもよかった分、 「老いた僕には  握力が足りない」 ですぐに終わらせてしまうのは、非常に惜しいと感じました。 (むだい)

2023-05-06

こんにちは。 ChatGPTを用いて、会話形式で連詩がつくれるとは知りませんでした。 ただ、少しでも相手への不満ととれるような言葉を出すと、すぐに連詩が途切れてしまうのは、物足りない感じがしました。 その言葉が詩句のひとつなのか、本当に不満を表明したものなのか、AIにはまだ判断がつかないということなのでしょう。 今後どう発展するのか見届けてみたい気もします。 (連詩・未知への旅)

2023-05-06

こんにちは。 この詩を読んで、八木重吉や星野富弘の詩に、空が自分を見ている、といった意味の詩があったことを思い出しました。 圧倒的な存在感や不安、そして憧れの場所。それらの詩句を観て、何か二人の詩と共通するものがあるような気がしました。 (頭上)

2023-05-06

コメントをありがとうございます。 海龍が旧日本海軍の特攻兵器の名前だとは知りませんでした。もう少しよく調べてから書くべきでした。 ですからこの言葉に特攻兵器の意味は全く含まれておらず、文字通り海に棲む龍をイメージしたもので、素晴らしいもの・すぐれたものなどの隠喩です。 自分がいいと思って選んだ言葉が変な誤解を招いてしまう、という話を時々耳にします。言葉を使うということは本当に難しいですね。 ご指摘ありがとうございました。 (金属の魚)

2023-05-06

コメントをありがとうございます。 この詩に込めたメッセージは、かなりわかりにくかったかな、と思っていたのですが、受け取っていただけてホッとしました。 星の王子さまは一度だけ読んだことがあるのですが、一輪の薔薇の花への王子の愛情と、「大切なものは、目に見えない」というキツネの言葉が印象に残っています。 今考えると、詩を書く姿勢への何らかのヒントになるような気がします。 (金属の魚)

2023-05-05

こんにちは。 この詩を読んでまず感じたことは、この詩の語り手は他人と接し過ぎたか、距離を取らなさすぎたか、あるいはHSPと呼ばれるタイプの人なのかな、ということです。 (あくまでも個人的な印象ですが) 私もどちらかいうと人間嫌いな方なので、詩を書く人にはそういう傾向のある人が少なくないのかも、などと思って少し安堵しております。 そういう人にとっては、食べては吐いて、その吐いたものが言葉を得て、詩になるのでしょう。 (食べては吐いて)

2023-05-05

こんにちは。 最後の一文を読んで、思わず笑ってしまいました。 以前、「ぶっ殺すぞ」という作品の中で、「芸術論じみた偏見とゴリ押しの理想を語った時点でお前の詩は死んだんだ。」と書かれていたのに何故、ここで理想や芸術論を語るのかな?と思ったり、この投稿はどれどけ長いのかなどと思ったりしたのですが、あっさり一文で「無いです。」 それで即終了。 面白いです。 主張が一貫しているのも清々しいです。 まあ、このような手法は一遍こっきりしか使えないでしょうが、今回は虚を衝かれました。 (詩人として)

2023-05-05

こんにちは。 どのような理由で安楽死処分をされたのかはわかりませんが、普段からそばにいて世話をしている人にとっては、辛いものなのでしょうね。 人に利用されるため、あるいは食べられるために飼育されている命でも、長いこと共にいれば情が移っています。 それでも亡骸は産業廃棄物として処理されなければならない。何故ならそれは、命あるものであっても、事業体の資産のひとつに過ぎないから。 人間の深い業のようなものを感じてしまいます。 全篇を通して短い文で淡々と語られているところに、やるせない侘しさと哀しさが表されているような、そんな印象を受けました。 (安楽殺)

2023-05-05

はじめまして。 端的に美しい詩ですね。 恥ずかしながら私は頭塔というものを知りませんでした。 検索して画像を見てまず最初に思ったことは、ボロブドゥールのミニチュアみたいだ、ということでした。頭塔の姿はあの寺院の影響を受けているのでしょうか。 詩の後半で華厳の教えを美しい表現で描かれていますね。 「インダラ網」や「一即多、多即一」ということを以前何かで読んだことがありますが、これらも華厳の教えでしたか。 「この燃える命が仏  小さなこの一つの石は宇宙である」 とても魅力的な思想だと思います。 (頭塔)

2023-05-04

こんにちは。 正直なところ、詩全体として意味を汲み取ることができませんでした。またタイトルの「連頭越しの式」とは何を意味するのかもわかりませんでした。 でも、全篇を通してどことなく郷愁を誘うような、また、何か儚げな感じを覚えさせるような詩だと思います。 「やまなみがぜんぶ  しんと燃えていた」 「永遠を終わらせる準備のひとつ」 「なでてもすりぬける非在」 「どんな答えもほしくない灯台」 「不思議を見つけだすのこんな天気のうろ」 「どうか信じるよわさをまもって」 これらの表現が繊細かつ新鮮で美しいと感じました。 (連頭越しの式)

2023-05-04

こんにちは。 すみません。私は頭が良くないのでうまく内容をつかめなかったのですが、要は無自覚の有信仰と芸術についてということでしょうか。 私の家庭も宗教NG的な雰囲気で、神棚も仏壇もありません。でも、この無自覚な有信仰ということには頷けるものがありまして、詩を書く際にそれを詩に込めることがよくあります。 そもそも芸術は信仰の表現を源とするものだと思いますので、現代においても芸術と信仰との関連はなくなってはおらず、特に叙情詩においては信仰の影響は、たとえ無自覚であっても多分にあるのだと思います。 ただ現代にあっては、詩も様々なタイプに分化していて、皆それぞれの芸術観に基づいているようなのですが、それでもその根本にある無自覚の信仰、日本的霊性のような無宗教的な信仰というようなものを知っておいた方がいいような気もします。 蛇足ですか、私もここで様々な詩を読んで、己の才能の無さを痛感しております。 美しい詩に出逢うと、己の非力さ拙さに、強い寂寥を覚えてしまいます。 (ビーレビューという道、「キラキラ」して。或いは自分語り。)

2023-05-03

こんにちは。 この詩は愛しい人との再会を喜ぶ愛のうたのようですが、春という季節を擬人化してその到来を喜んでいるもののようにも読み取れます。 いずれにしても一行一行の表現が美しく練られています。 特に冒頭の「蒼い空に染められた雪」という表現が秀逸だと思います。 (春)

2023-05-03

コメントをありがとうございます。 私は詩を書くとどうも硬くなってしまう傾向があるようで、もっとやわらかく美しい詩を書きたいと常日頃から思っております。 でも、語の選択性に驚かされたとのコメントをいただき、とても嬉しかったです。 ありがとうございました。 (金属の魚)

2023-05-03

こんにちは。 シュールで不思議な感じのする詩ですね。 夢の中の情景のようにも思えます。 最後にあるダンボの見た象の踊りとは、ダンボが酔っ払って夢に見たピンクの象のことですね。 この詩がそのピンクの象の踊りからインスピレーションを得て書かれたもののように感じられます。 あるいは、ハツさん自身が酔っ払って見た夢なのかも・・・ (踊り)

2023-05-03

はじめまして。 失恋の後のヤケ酒ならぬ、ヤケカップ焼きそば。 ユーモラスな口調の裏に哀愁を感じてしまいます。 (カップ麺ロンリネス)

2023-05-03

はじめまして。 とても寂しい詩ですね。 誰かを好きになりたいけれど、以前に傷ついた記憶があまりにも鮮明で、誰かを好きになる勇気が持てない。 何となくわかる気がします。 それでも好きになった時の、高揚した気持ちも忘れられない。 「ほら、また花びら散ってから  桜の花を思い出してる」 という表現がそのことを表しているように思えます。 「考えすぎずに生きれたら」 私もそう思うことが頻繁にあります。 でも、そんな風に考えていたことがいい思い出になる日がきっと来るでしょう、というのは今の時代、単なる気休めにすぎないのかもしれません。 そう考えるとやはり、とても寂しい詩です。 (誰かの掌)

2023-05-03

こんにちは。 これは個人的な感想で、黒髪さんが伝えようとしたこととはたぶん違うとは思うのですが、この詩を読んで悪人正機を経ての極楽浄土を思い浮かべました。 今の世の中、天国や極楽へ直行便で行けるような全くの善人なんてそうそういるものではありません。 いずれは極楽浄土に行けるとしても、トランジットとしての辺土とか仮土とか呼ばれる処にしばらく滞在しなければならない人が殆どだと思います。 でも、この詩の最後の方の「心を決めて飛べよ放し飼いにされたカブトムシたち」というところを読むと、やはりこの感想は違ってますよね。 勝手なコメントですみません。 (カブトムシたち)

2023-05-03

はじめまして。 満天の星を見て永遠を感じたのでしょうか。 夜空にまたたく星々の比べれば、人の一生などほんの一瞬に過ぎないように思えますが、星も永遠ではありません。 それを考えれば、「現世で不変なものは数少ない」というよりも「現世で不変なものはない」という気がします。 仏教で言う「諸行無常」ですね。 ただ細かいことですが、恒星の寿命は数千万年から百億年ほどだそうで、数千年や数万年では短すぎます。 でも、星空を見たときの感覚がうまくまとまって書かれていると思います。 (宙づり)

2023-05-02

こんにちは。 この詩での「あなた」とは、自分の中で既に死んでしまったもう一人の自分のことでしょうか。 はっきりとはわからないのですが、ただ、三連目の表現はとても美しいと感じました。 死んでしまったもう一人の自分の中に、何かとても大切なものがあったのでしょうか。二連目末尾の「私は死んでも不明瞭だ」というところを読んで、何となくそんな印象を受けました。 (マイケル・スタイプ 2)

2023-05-02

こんにちは。 残念ながら私はマイケル・スタイプという方のことを全く知りませんでした。 関心のない人にとって、他者の死は全くの無なのでしょう。 それと同じように、自分が生きているという実感があまりにも薄いと、自分の死でさえ無のように感じて、誰かに確認しなければならないのかもしれません。 この詩を読んでそんなことを考えました。 (マイケル・スタイプ)

2023-05-02

こんにちは。 私の若い頃にもこんな先生がいましたが、今現在こんな先生がいたら、告発されて世間から袋叩きにあうでしょうね。 いつかまた、体罰が許容される時代が来るのでしょうか。 最後の同窓会の描写を読んで、だいぶ遠い未来になるかもしれないけれど、そんな時代が再び来るかもしれないななどと、ふと思ってしまいました。 (暴力)

2023-05-02

こんにちは。 誰にも言えない悩みを告白しているような詩ですね。 何故毎日遺書を書いているのでしょうか。 あまりにも自分のことが好きになれないからでしょうか。 でもそのことを投稿するのは、やはり誰かに理解・共感されたいからなのかもしれないと、そんな風にも思ってしまいます。 また、 「散った飛沫に顔をしかめるのも  怒鳴り返すのもおかしいですよね」 とはコメントとその返信のことでしょうか。 だとすれば、あまり気にしすぎると眠れなくなるので、できるだけ気にしない方がいいと思います。 (余計なお世話ですが・・・) (ねがい)

2023-05-02

こんにちは。 短い詩の連作集のようですが、やはり表題作の「小鳥曜日」が一番いいですね。 小鳥と擬音語のコトリとをかけているところが洒落ていますし、「音灯る」という表現もとても美しいと思います。 また、最後の「曜日曜日」も、名前を失くした白いかたしろが佇むところが、何故か郷愁を誘うような感じがしていいです。 (小鳥曜日)

2023-05-01

こんにちは。 どれもみな素朴な感じのする詩ですね。 みつをのような詩人になりたいという気持ちが、そのまま表されているかのようです。 でも、せんだじゃない方のみつをにって、若い人達にはわからないかも・・・ (無題)

2023-05-01

こんにちは。 夜中のいびきって気になりますよね。 それをジャズスタンダードに喩えるなんて新鮮で面白いです。 でもやっぱり、眠れないのは困りますよね。 (真夜中のジャズ)

2023-05-01

こんにちは。 生きることの苦しさを吐露したような詩ですね。 はじめは生きることの意味を見出だせないが故の空虚感や虚無感による苦しみかな、と思ったのですが、どうも違うようです。 己の内に在る異常や狂気を押し隠すことも、それから眼を背けることもできず、正常さとのギャップ、あるいは正常であることを求めてくる世界からの重圧に苦しんでいるように感じます。 そして、その世界の正常さが反転して、異常な残酷さとなって襲いかかってくることを表現しようとしているようです。 なかなかインパクトのある作品です。 (ソランジュ)

2023-05-01

はじめまして。 この詩を読んで、「背景放射」という言葉を思い出しました。 この場合の背景放射とは実際の宇宙背景放射のことではなく、背景放射のようにいつでもどこでも人は皆呼びかけられている存在である、という話のことです。 そしてその呼びかけとは返事を求めるようなものではなく、いつもあなたのことを気にかけていますよ、というような呼びかけのことだそうです。 そんなやさしさと、言葉の難しさとを淡々と語っている、いい詩だと思いました。 (気にしています)

2023-04-30

こんにちは。 短く、そしてストレートな詩ですね。 傍にいたいという気持ちが、何のてらいもなくそのまま表されています。 ときにはこういう詩もいいですね。 ただ最後の行は改行して二行に分けたほうが、より読みやすいと思います。 例えば「静かな瞳」を強調したければ、そこだけを別の行にしたほうが、より効果的かもしれません。 (傍にいたい)

2023-04-30

はじめまして。 タイトルの「trace 」とは痕跡のことですね。詩の痕跡。 「彼」が長いこと書かなくなった詩の痕跡を探すためのものが、「ひかり」という言葉。 その「ひかり」とは、スマホの白い画面上に落ちた雨粒が分光する、原色の光から来ているのでしょう。 末尾の「夢のなかで立つ波打ち際」とは何を表しているのでしょう。 孤独か寂寥か、それとも失われた夢か。 そこに何度も書かれる「ひかり」という言葉は、詩の痕跡を探すための言わば「probe」のようなものなのでしょう。 とても新鮮な感覚の詩だと思います。 (trace)

2023-04-29

こんにちは。 春の雪が降ったのですね・・・ 冒頭の 「花よ  咲くな」 には、強いインパクトがあります。 雪の結晶を花にみたてて、花よ咲くなと語りかけるのはとても新鮮です。 せっかく咲いた地上の花が雪に埋もれてゆく。芽生えたばかりの新たな命がどうか生き延びてほしいとの願いが、広く空いた空白の中に込められているかのようです。 とても繊細で美しい詩だと思いました。 (漂白)

2023-04-28

コメントをありがとうございます。 この詩では語り手である「俺」は、情念の脱け殻であるため、その心情を敢えて考えずに書きました。 ひとつの文を異常に長くすれば、異様な状況を強調できるかと思ったのですが、どうやらあまりうまくいかなかったようです。 もっといろいろと考える必要があるようです。 ご指摘ありがとうございました。 (水の中の網)

2023-04-28

こんにちは。 いわゆるフィルターバブルのことですね。 現代は昔よりもフィルターバブルに隔離されてしまう危険性がより高くなっているのは確かでしょう。 自分の見たくないものをも見て、知りたくないことをも知ることは辛いでしょうが、それに耐えられる強さを持たないと、他人に煽動されたり洗脳されたりするかもしれません。 ニュースなどを見るときには、そのことを常に心に留めておく必要があると思います。 (過去と現在と未来)

2023-04-28

こんにちは。 端的に言って、とても読みやすい詩だと感じました。 タイトルは「預かりもの」ですが、その預かりものについては、生まれる前に預かったもの、ひとつぶの砂になってしまったもの、たくさんの風船になるものといったことが書かれているのみで、それ以上それが何であるのかを特定できるような表現がありません。おそらくその解釈は読み手に任されているのでしょう。 「やわらかな闇へ」とその次の連の表現はどこかノスタルジックで美しいと思います。 最後の二連にある孤独でないただのひとりとは、連綿と受け継がれてきた何かを預かる者の一人としての「ひとり」という意味だと受けとれます。 とても美しい詩だと感じました。 (預かりもの)

2023-04-28

コメントをありがとうございます。 アイディアと文的独創性もあるとの感想をいただき、たいへん恐縮しております。 今回の詩は、実はテレビで見た草間彌生の網の色紙絵からイメージした情景が元になっています。 デザイン的な絵ではなく、とても幻想的な感じのする色紙絵でした。 また、私は詩で「俺」という一人称を殆ど使わないのですが、今回は湧いてきたイメージに「俺」という言葉がしっくりくると感じて使ってみました。 それが結果的に良い効果をもたらしたのなら嬉しいです。 (水の中の網)

2023-04-27

コメントをありがとうございます。 カッコいい、クールとの感想をいただき、恐縮しております。 変身願望や意識が散り散りになったときの言葉については特に考えていませんでした。 色々な受け取りかたや感想を知りたかったので、想定していなかったコメントをいただき嬉しく思います。 ありがとうございました。 (水の中の網)

2023-04-27

コメントをありがとうございます。 AIもディープラーニングの内容によっては、得手不得手の違いが出てくるのかもしれません。 今後、短歌や俳句が得意なAIが出てくる可能性もあるでしょう。 考え方やスタンスの違いで、AIへの思いは人により様々なのでしょう。 上手いつきあい方ができるようになればいいと思います。 (すみません。返信の宛先を間違えたのでダブってしまいました。) (AI)

2023-04-26

コメントをありがとうございます。 AIもディープラーニングの内容によっては、得手不得手の違いが出てくるのかもしれません。 今後、短歌や俳句が得意なAIが出てくる可能性もあるでしょう。 考え方やスタンスの違いで、AIへの思いは人により様々なのでしょう。 上手いつきあい方ができるようになればいいと思います。 (AI)

2023-04-26

こんにちは。 タイトルが「むゆう」であり、一連目の最後に、 「大陸の白い並木道へと  夢の中で落ちてゆく」 とあるので、おそらく夢ともうつつともつかない、幻想のような内容なのでしょう。 ですから、一行一行の意味を考えるのではなく、全体の雰囲気というか色彩のようなものを受けとったほうがいい詩だと感じました。 詩全体に美しい鮮烈な表現が散りばめられていて、自分の心をもて余している若者の感覚が見事に表されています。特に、 「飛ばして行方知れずになった魂が  今頃になって幸せになれるなら」 というところは涙が出るほど美しいです。 このような詩を書ける才能が、正直なところ羨ましいです。 (む ゆ う)

2023-04-26

こんにちは。 自由ですね。 飾っているところがなく、タイトルの通りな感じ、あるいは、ごく親しい人に話してるか独り言を呟いている感じがします。 でも末尾の、 「窒息した花畑だね  夢を見る黒い目  とても冷たくて青い羽根  だけど燃えたらとても綺麗だ」 というところは、どこか幻想的でいいと思います。 (落書き)

2023-04-24

こんにちは。 とてもユニークでアイロニカルな作品集ですね。 特にはじめの二つ、「アポカリプティック・サウンド」と「ジョン・ケージ」が面白かったです。 それぞれの言葉が持つ何か堅苦しいようなイメージを、日常的な出来事を以て脱力させているような感じがしてよかったです。 言葉や名前が持っている通常の、あるいは一般的な語意を解体・切断しているという意味で、現代詩の思想をユーモラスに表しながらも忠実に踏襲している、そんな印象を受けました。 (雑文集)

2023-04-23

こんにちは。 タイトルは「死」ですが、身近な人の死から始まり最後にはこの国の死を憂いています。仰る通り、このままでは最悪、国自体が滅んでしまう可能性は否定できないと思います。 負の感情が自分より下の立場の人へ次々と、段瀑のように押し付けられてゆく。 そのようなことは私も小さい頃から漠然と感じてはいましたが、最近になってより多くそのような場面を見るようになった気がします。 人口が減りつつあり、高齢化が進みつつあるこの国の現状を考えれば、負の感情にどう対処すればいいか、国民全体がもっと真剣に考えなければならないのかなとも思います。 他人の痛みは容易にわかるものではありませんが、己の苦悩を人に当てはめて想像することはある程度は可能でしょう。 その可能性に希望を持ちたいと思います。 (死)

2023-04-23

はじめまして。 個人的な意見ですが、生きる意味を探し始めると泥沼にはまりますから、やめたほうがいいと思います。 例えば、鉛筆が存在する意味は、鉛筆を使う者の中にあって、鉛筆そのものの中にあるのではないように、生きることの意味は生きることそのものの中にあるのではないので、生きることの中に在りながらその意味を探しても見つかることはありません。 それは「意味が無い」ということではなく、意味が有るか無いか確定できないということです。 だからといって死んでしまえばいいかといえば、死んだからといって意味が見つかるかどうか確証はありませんし、たとえ見つかったとしても、死んでから生きる意味が見つかってもそれこそ意味がありません。 参考までに、V・E・フランクルという人の著書や解説書を読んでみたらどうでしょうか。 長々とつまらないコメントをすみません。 (なんで)

2023-04-22

はじめまして。 短編小説ですね。 「あなたの精神的な傷口を教えてください」というメモを張り付けた箱を置くというアイデアが面白いです。そして、その箱に甘夏を一つ置いた人も洒落ています。 避妊具を置いた人はメモの質問に直接答えず、その意味を考えたのでしょう。 そういう人はよくいますよね。 後半で掃除のおっちゃんが入ってきて、タメ口で話しかけてくるのもいいですね。おっちゃんが入れたチラシが粉々になってしまったのは残念ですが、それがかなしみがあっけなくなくなったことの表れであるなら、それはそれでよかったのでしょう。 かなしみがなくなったきっかけが、黄色い眼球だけが空中に浮いているみたいに見える黒い子猫だったのは、何か意味深長な感じがしました。 面白かったです。 (かなしみについて)

2023-04-21

こんにちは。 ここに書かれているようなものを、自由律短歌というのでしょうか。私にはあまり馴染みがないのでよくは知らないのですが。 ほとんどがキリスト教的な内容のもののようですが、鷹枕可さんはクリスチャンなのでしょうか。 私は聖書の内容にはあまり詳しくはないのですが、2番目の「十三本目の蝋燭」とは、一息で消えるところからイスカリオテのユダを表しているように思えました。 また、4番目に出てくる梔子の花言葉は「喜びを運ぶ」だそうですが、これは福音をイメージしているのかな、などと想像しました。 そして、タイトルの「かみありづき」とは、4月にはイースターがあるので、イエスの復活の月を示しているのだろう受け取りました。 解釈が違っていましたらすみません。 (かみありづき)

2023-04-20

はじめまして。 どこか陰鬱な雰囲気を感じさせる詩ですね。 ここでは烏を擬人化しているのでしょうか。それとも語り手を烏に喩えているのでしょうか。 ただ、「私達の長い溜め息」とあるので、語り手一人のことではなく同じような境遇にある人達、例えば同世代の人々を代表しているようにも読み取れます。 そして、「共鳴する体内音叉を持つ娘」とは、語り手の想いに共感してくれる特定の誰かを指しているように思えます。 末尾の「冷たく短い生命線」とは、その誰かの生命力もまた弱く、そうであるからこそ共感できるということを表しているように感じます。 もしかしたら泣き止むきっかけを失ってしまったのは、そんな共感してくれる人がいたからでしょうか。 なんとも寂しい感じのする詩です。 (地球独楽)

2023-04-20

コメントをありがとうございます。 AIに感情があるかどうかということについては、哲学的ゾンビや認識論等といった哲学的な議論が関わってくるので、それを論じるのはなかなか難しいと思います。 ただ、確かに日本にはお針供養とか付喪神といったような文化がありますので、いずれAIにも魂を感じられることになるかもしれません。 ですから、日本の社会は他国の社会に比べて、AIが生み出す芸術作品を受け入れやすい土壌を持っているのでしょう。 そうなると、生身の詩人はこの先肩身の狭い思いをすることになるかもしれません。 (AI)

2023-04-20

コメントをありがとうございます。 50年ですか。長いですね。 でもこの先技術がどんどん進歩してゆけば、AIに勝つのがそのくらい難しくなるかもしれませんね。 (AI)

2023-04-19

こんにちは。 今の世の中の何とも言えぬ不穏な空気を表しているのでしょうか。 禍々しい現実をメディアは様々な言葉(放送コードに引っ掛からないような)を以てオブラートで包んで伝えていて、どのメディアも横並びに同じような伝え方をしている。 でも、それを越えて来る風の噂で本当の様子が少しずつ聞こえてくる。 そんなふうに読み取りました。 末尾の「大いなる土星」とは「大いなる怒声」のもじりでしょうか。 (大人気パスワード、しばらくは神々)

2023-04-19

度々のコメントですみません。 余計なおせっかいかもしれませんが、V・E・フランクルという人は、「人生の意味を問うべきではない、なぜなら人は人生から問いかけられている存在だから」といった意味のことを言っています。 つまり、こちらから問いかけて答えを求めるのではなく、人生からの問いかけに行動や態度で答えるということらしいです。 (応答願います)

2023-04-18

はじめまして。 私は人と接するのが苦手なので、他人と適度に距離をとりながら上手く付き合える人が羨ましいと思っていましたが、そのような人にもそれなりの苦悩があるのですね。 「この関係は目的地のない迷路」とありますが、全ての人間関係に明確な目的地があるわけでもないとも思います。 その人と付き合うこと、関係を保つことそのものが目的地であるようなケースもあるように思うのですが、 「まったく、味が、ない。  まるで、どこかに甘酸っぱさを置いてきたように」 と書かれているところから察すると、ここで表されている関係とは、そこまでいかない中途半端な関係のことなのでしょうか。 何かモヤモヤとした不完全燃焼のような雰囲気を感じます。 それでもやはり、その人に会いたくなるのですね。 人間関係というのは難しいもののようです。やはり私は上手くできそうにありません。 (回り、回って)

2023-04-18

はじめまして。 この詩での空や風は、何か自分より大きなもの、例えば社会とか人生とか、そういったものを表しているのでしょうか。 そして雪とは、何か辛いことや困難なことの隠喩であり、大きくなれなかった手とは己の非力さを表しているように受け取れます。 そうであるならば、「私はまだそちらに行きません」というところは、自分はまだ生きるのを諦めない、という宣言のように読み取れます。 生きることや苦悩の意味を人生に問いかけても答えは得られない、そんな苦しさをこの詩から感じ取ってしまいます。 受け取り方がズレているかもしれませんが・・・ (応答願います)

2023-04-18

コメントをありがとうございます。 なかなか難しいですね。 私はあまり頭がよくないので、論理が少しでも込み入ってくるとついてゆけなくなってしまいます。 ディープラーニングと洗脳が同じかどうかわかりませんが、感情を大事にするといったことについては、叙情詩においても感情が大事にされているのではないでしょうか。 ただその感情が、社会からその価値観を刷り込まれたことにより生じたものならば、極端な言い方をすれば、その感情は本当に己の内より湧き出たものなのか、それとも外部から誘導されたものなのかわからなくなります。 そうすると感情の表出ということについても、ディープラーニングの結果としてAIが生成したそれらしいものと、大差がなくなる場合も出てくるのかもしれません。 もし叙情詩のなかに陳腐さを感じてしまうときがあるならば、そういうことなのかなと、そんなことを考えました。 変な返信ですみません。 (AI)

2023-04-18

コメントをありがとうございます。 そうしますと、生きてはいないAIが書いた詩であっても、読む者の感性によっては充分美しいものが出てくることもあり得るということになりますね。 だとしたらやはり油断は禁物です。 (AI)

2023-04-18

コメントをありがとうございます。 私はコンピューター等については全くの素人で、CPU のベンチマークと言われても何のことやらわからない、というありさまなので、詳細な議論はできないのですが、AIを全否定はしていません。 ただ、芸術的な創作活動、この場合は特に詩作についてですが、それに関して、詩を書く人がそれなりの覚悟とか気概のようなものを持たないと、いずれAIに駆逐されてしまうのではないかな、と思ってこの詩を書きました。 とは言うものの、試しに無料のAIアプリにいくつか題を示して詩を書かせたところ、全く陳腐でつまらない詩しか出てきませんでした。 仰る通り、詩人の脅威となるにはまだまだブレイクスルーが必要なようですね。 でも油断は禁物です。 お読みくださりありがとうございました。 (AI)

2023-04-18

他人に平気で「死ね」と言う人は、相手のことなどこれっぽっちも理解はしていないでしょう。それを踏まえた上での皮肉ですね。 タイトルにある(笑)も含め、何か怖い感じがします。 (とゆうコトで(笑))

2023-04-17

こんにちは。 辛口でシニカルな詩ですね。 私も、今の世の中は空虚さが満ち溢れている(矛盾した表現ですが)と感じることが頻繁にあります。聖徳太子が言った「世間虚仮」という言葉の通りですね。 現代社会への批判、あるいはその社会の価値観に従って生きる人々への諷刺を謳った詩のようですが、その一方で、自分自身を揶揄しているようにも読めます。 最後の方の 「始まりだけあって終わりが無い  誰も君の人生に興味無い」 というところは、なかなか含蓄のある言葉だと感じました。 でも、もしこの詩が自分自身に向けられたものならば、「だから貴方は救いようが無い」という結論はとても苦しいものとなりますね。 (空っぽを満たしてやろう)

2023-04-17

はじめまして。 自分も世界も肯定できないというのは、とても辛いことなのでしょうね。 自分が嫌いな理由か列挙されていますが、上手く整理されて並べられています。そして、末尾には世界を憎む自分が嫌いと述べられていて、ご自分を客観的に観られていることが窺えます。あるいは、詩に書くことで気持ちが整理されて、客観的に観ることができたのでしょうか。 ごく些細なことですが、「人の不幸を嗤い」のところのように他より長い行は、改行してある程度長さのバランスをとった方がより読みやすくなり、スムーズに流れるように読めると思います。 この詩に共感できる人は結構多いのではないかなと、そんなことを感じさせる詩です。 (嫌い)

2023-04-17

こんにちは。 寂しげな魅力のある作品ですね。 子供の頃の「私」が書いていた手紙とは、手紙であると同時に詩でもあったのでしようか。 ここでの「あなた」がどのような人なのかはわかりませんが、読み書きができないというのは、詩を読んだり書いたりしない人、という意味なのかなと受けとりました。 中盤の、 「悲しくて悲しくて、  何が悲しいのか分からないから言葉がやって来るのだった。」 という表現はとても美しいと感じました。 大切な人に自分の言葉がわかってもらえない、その理解されない言葉が、悲しさ故に向こうこら次々と押し寄せてくる。それに堪えきれずに別れを告げる。 そんな孤独と諦めの中でも、やはり書くことをやめられない。 とても寂しく悲しい詩です。 ところで些細なことですが、二連目の最後で、それまで「あなた」と二人称で示されていたのが「彼には書けなかったから」と、突如三人称に変わっています。ここは「あなた」で統一した方がいいのではないでしょうか。 でも末尾の「また明日」が数行開けて置かれているところに、言葉では表せない様々な想いが溢れている感じが出ていて、とてもいいと思いました。 (夕暮れの鐘が鳴る頃に)

2023-04-16

こちらこそ先程のコメントに、私の返信の内容がズレていましてすみません。 「進歩」ということについてですが、私も技術や科学(社会科学も含めて)は進歩しても人間自体は進歩していないな、と思うことがしばしばあります。 ですから、そんな人間の人生や経験が関わる芸術に対して、たとえ表現する技術や手法が変化したとしても、「進歩」という概念は当てはまらないのではないか、と考えています。 また、社会にとっての「進歩」ということについてですが、理不尽な抑圧や差別をなくす方向に向かうことが「進歩」であるならば、やはり社会の進歩は必要だと思っています。 丁寧なコメントをありがとうございました。 (AI)

2023-04-16

コメントをありがとうございます。 哲学的ゾンビ。 そのような受け取り方もあったのですね。 この詩ではAIを現在ある機械の人工知能として書いていて、それによる今後の芸術のあり方への懸念を表したつもりなのですが、確かに「経験」ということに注目すれば、意識やクオリアの存在とか唯物論への懐疑とかいった方向へ話を発展させることができそうですね。 でもそうなると私の頭脳では歯が立たないので、そちらの方向へは踏み込めませんでした。 「本当に必要で善い物であれば消えない」、本当にそうであればいいのですが、なかなか不安が消えません。 私はどうも心配性なようです。 (AI)

2023-04-15

はじめまして。 端的に言って、難解な詩ですね。 秋風が終わって闇が流れる。風を追いかけることで寿命が縮む。死んだ蟻の横腹から闇が溢れてくる。 これらの言葉で、二連目と四連目に何かしらの繋がりが見え隠れしています。 そして中盤の、 「魔法の言葉をひとつも叶えられない  諦めた恋や愛のように 病んだ木も吠える  メルヘンチックな童話の思い出を  悲しませる」 というところを読むと、ここでの闇というのは何か叶わなかった願いを表しているように思えます。 そして麻痺した左腕、左腕に麻薬を打つ、頭痛、頭蓋骨の周りに張り巡らされた牛の神経、といった言葉から、何か身体症状のようなものを読み取れます。 でもこれ以上のことはよくわかりません。 冒頭の「空き部屋に矢印が走る」とは、空虚な心の見えない方向性のようなものかとも思いましたが、違うような気もします。 やはり難解な詩です。 タイトルが「実験12」となっていますが、この詩自体が何か実験的な試みなのでしょうか。 (実験12)

2023-04-15

コメントをありがとうございます。 詩を含めた芸術と呼ばれるものが、AIの登場によってどのように変わるのか、興味と共に懸念をいだいています。 ドイツの思想家であるヴァルター・ベンヤミンは、1930年代に「複製技術時代の芸術作品」について、機械的複製による「アウラの凋落」を唱えたそうですが、現在のAIの発達はそれに勝るとも劣らぬ変化を、芸術作品にもたらすような気がします。 お読みいただきありがとうございました。 (AI)

2023-04-15

こんにちは。 以前、「トイレの神様」という歌がありましたね。その神様のことをより詳細に解説したような作品だなと思いました。 普段からトイレの頑固な汚れに悩まされておられるのでしょうか。トイレ掃除の描写が非常に生々しいです。 トイレの汚物よりも汲み出し難いものが己の内にあるというのは、やはり仏教の教えが背景にあるのでしょうか。 仏教説話のような詩だとも感じました。 ところで、どうでもいいような些細なことですが、蜘蛛の糸を切ったのはお釈迦様ではなく、カンダタ自身だと思います。 カンダタの内にあった汚物よりも穢れたものが糸を切ったのでしょう。 カンダタはそれを汲み出しきれぬまま亡くなったのかもしれません。 それはともかく、とても面白い詩だと思いました。 (穴)

2023-04-14

こんにちは。 匿名さんの詩なので、この詩を書かれたのが男性なのか女性なのかわかりませんが、少なくとも、男性のことはとても的確に書かれていると思います。(私はいまだに女性の心がよくわかっていませんので・・・) 特に最後の二連の表現が秀逸ですね。見事だと感じました。 ひとつ気になったのは、この詩を女性の方が読んだらどんな感想を持つかな、ということです。 どなたか女性の方、この詩を読んだ感想をコメントしていただけませんでしょうか。 それを読めば女性の心を、もう少しわかるかもしれませんので。 勝手なお願いをしてすみません。 (跳ね橋のある風景)

2023-04-14

こんにちは。 どこか寂しさを感じさせる詩ですね。 ご家族やご親族のどなたかが亡くなられたときのことを描いたのでしょうか。 十行目以降の詩句で、寂しさの内に美しさが光っています。 特に、 「雲に混じりながら  四月の空になる  どこかでまた  誰かが永遠を囁く」 というところに惹きつけられました。 メロンパンがちょっとよくわからなかったのですが・・・ (四月の白い煙)

2023-04-13

こんにちは。 短いですが美しい詩ですね。ただ、二通りの解釈ができそうです。 ひとつは木を擬人化して描いている。 もうひとつは、親しい誰かを木に例えて表現している。 三連目の「きみは木だ」以降を読むと、どちらとも受け取れて、どちらが作者の描こうとしたことなのか判断つきません。 タイトルが「木」なので、恐らく木を擬人化して表しているのかなと思いましたが、誰か想い人を、瑞々しい若葉を纏い、もうすぐ花咲くであろう木に例えるのもいいかな、とも思いました。 どちらの解釈で読んでも美しい詩です。 (木)

2023-04-13

こんにちは。 苦しい胸の内を吐露した詩ですね。 詩とはそもそもそのためにあるような気もします。 他人が何を考えているか、自分のことをどう思っているのか、どうしても気になってしまうものですね。 恐らくそれは、太古の人類が生き延びるために集団で生活する道を選んだときからの、逃れられぬ宿命のようなものなのかもしれません。 客観的に観れば自分はその集団の中の一人に過ぎないけれど、誰にとっても自分の人生の主人公は自分自身ですから、どうしても自分は特別だと思ってしまうのでしょう。それもやむを得ないことだと思います。 そんな自分が物事の本質を理解するのは容易なことではありません。ものの見方が自分中心に偏っているのが初期設定なのですから。一生かけてもわからないかもしれません。 黄泉路で転ぶのも無理ないことでしょう。 ところで、数行開けた後の最後の行がいいですね。 照れくささが見え隠れしています。 (覚え書き )

2023-04-13

こんにちは。 何か胸に染み入るような詩です。 静けさが漂う心象風景を感じました。 「10ガロンの雨に打たれても  陽の光を浴びて体は乾く」 というところからは、様々な苦悩を長い月日をかけて己の糧とした、という印象を受けました。 それ故、 「そこらじゅうを通っている道は  選んでいかねばない」 というところに智恵の深さを感じます。 そして、 「骨も肉も  私の借りもの  持っていけるものは人との思い出だけ」 とは、人生の終盤を感じられているのでしょうか。そう考えると、 「三筋の川が集まるところ」とは三途の川を表していて、 「このまま海に出よう  それほど大きなものもない」 とは彼岸の世界を示しているように受け取れます。 解釈が間違っていたらすみません。 ただ冒頭の 「心は汚れているけれど  美しい歌が好き」 はとてもいいと思います。 美しい歌を聞いているときだけは、降りしきる非情を忘れられますから。 (雨と海)

2023-04-12

はじめまして。 朝というのは詩を書きたくなる時間帯なのでしょうか。それとも、夜に見た夢からインスピレーションを受けるのでしょうか。 夜寝ている間にどんなに幻想的な夢や淫らな夢を見ても、朝になったらいつも通りの日常がまたやってくる。 そのギャップが、「回想シーンは改装してから」とか「お弁当づくりからはじまる朝」という表現で表されているところが面白いです。 (朝の詩ばかりになって困る)

2023-04-11

卵は震えていた 卵は戦慄いていた 揺らめく染色体に潜む核酸の ヒストンタンパクへの執着は メチル化の抑圧と 活性酸素の弾圧と 粒子線の銃撃を受けて血を流し 朝焼けに浮かぶ奥行きのない 円盤のような間延びした太陽と 華奢で脆い飴細工のような 朝に逝く月に見送られる時を 数えきれぬほど通り抜け 無限と思えるほど ほどけてはあざなうを繰り返す 螺旋を象る染色体と核酸は 数知れぬ表現型を乗り継いで 遠くに烏が鳴きわめき 硬質に枯れはてた木々の間を 暗鬱な靄が彷徨う 朧な朝が顕す陰影のもと いまここにある 卵にたどり着いた 故に 卵は震えていた 卵は戦慄いていた 己の背負うであろう未来を 己に課された厳然たる宿命を 卵はいまだ知らぬのだ (B-REVIEW 4月のお題詩「卵」)

2023-04-11

こんにちは。 しだれ桜にご自分の想いを重ねた詩ですね。 冒頭の導入部には、妙な言い方かもしれませんが、安定感を感じました。 次の連のしだれ桜の描写ですが、言われてみれば確かに、そのうなだれた姿は、想いの叶わぬ愁いを秘めているようにも見えますね。ここの 「夢でまたあいたいとねがう  だれかのおもかげのよう」 という表現は美しいと思います。 その次の連の、 「ああ散ってしまったわがみよ  あるいは散らんとするわがみ達よ」 とは、何を指しているのでしょう。 夢、希望、思い出、悔恨、諦め、様々な言葉が思い浮かびます。 寂しさの内に美しさが宿る詩だと思います。 (花明り)

2023-04-10

ご返信ありがとうございます。 自らを省みるということはなかなか難しいことなので、いろいろとご指摘くださると非常に助かります。 今後の詩作に反映させてゆこうと思います。 ありがとうございました。 (水の中の網)

2023-04-10

コメントをありがとうございます。 推敲不足な点は確かにあったと思います。 何か少し変わった文体で書いてみたいという気持ちが起こり、それに気をとられたからかもしれません。 また、曖昧ということに関しましても、読み手の解釈に任せて、好きなようにイメージしてほしいと思って、敢えて曖昧なままにしてみました。 いろいろな形を試してみたいという気持ちもあり、このような詩になってしまいましたが、言われてみれば「俺」という語は多すぎたようです。 ご指摘ありがとうございました。 尚、「いつもの丁寧さ」とはどういったことでしょう。 お教えいただければ幸いです。 (水の中の網)

2023-04-10

こんにちは。 まず冒頭の一行を読んで、「してやられた!」と思いました。 鎖骨が泣いているなんて発想や表現は、どう逆立ちしても私の固い頭からは出てきません。 「鎖骨がほろほろと泣きながら  鳩のおしゃべりしているの」 鎖骨ではなく読んでいる私のほうが泣いてしまいます。 その後から最後まで一行一行全てが、愁いと寂しさを孕んだ美しさを纏っています。 どうしたらこんな表現ができるのでしょう。脱帽です。参りました。 正直なところ羨ましく、そして悔しいです。 (心の骨)

2023-04-09

コメントをありがとうございます。 現代の環境の破壊と人間の精神の破壊とは、どこかでリンクしているのかもしれません。 それはどちらかが原因でどちらかが結果ということではなく、それぞれが互いに影響を及ぼし合い、負の循環を繰り返し、螺旋を描いて堕ちつつあるような気がします。 ですからこのような状況は、仰る通り他人事ではないのでしょう。一人一人が未来を良くするために、負の循環を断ち切るよう動き出さなければ、悲惨な結末が待っているように思います。 不気味さを上手に書いていると評していただき、ありがとうございました。 (水の中の網)

2023-04-09

コメントをありがとうございます。 文芸における美という高い評価をいただき、たいへん嬉しく思います。 今回の詩は非現実的な内容に合わせて、敢えて読点を入れずに、だらだらとした長い文章を連ねるような形にしました。 また仰る通り、詩の内容が意味することへの解釈は、読み手の方へお任せするほうが面白くなるかなと思い、ある程度の自由度を持たせることを念頭に書きました。 良い作品と評していただき、ありがとうございました。 (水の中の網)

2023-04-09

こんにちは。 タイトルの「豆のうた」とは前作の「豆詩」のように、小さなうたということからつけられたのでしょうか。 すみません。また、二行目から躓いてしまいました。 冒頭の「既読スルー言語化している」というのは、既読スルーという態度がひとつのメッセージと化しているということなのでしょうが、その次の「公衆電話BOX」とは頭の中の電話BOXのような意味で、様々な考えが勝手に頭の中を歩き回っているようなイメージでしょうか。 それ以降は叙景詩のような感じなのですが、その行間に何か表現していることがあるような気もします。 「何かに怒って春が暮れる」というのがそのヒントであるような感じがするのですが、うまく言い表せません。 ただ、 「花壇の外のたんぽぽの元気なこと」 というところはどこかアイロニカルでいいですね。 なんとも言えぬ不思議な魅力を感じる作品です。 (豆のうた)

2023-04-09

はじめまして。 どう頑張っても結果を出せず、目の前にどうにもならない不公平が立ちはだかっていると感じる人は、少なくないでしょう。 ただ、素朴な疑問をひとつ。 頑張らなくても結果を出す人って、本当にいるのですか? その人が置かれている環境や才能について、不利有利の不平等は確かにあるとは思いますが。 また、成功や失敗は人間の作為的な決めつけというよりも、数ある評価の内の一つに過ぎないという気がします。 ですから、その成功は絶対的なものではないし、また、それは本人の努力のみに由るものでもないのでしょう。 人やその人生は、単一の物差しで評価できるようなものではないでしょうから、 「あなたが生きることが、成功で、正解。」 これは仰る通りだと思います。 でも、人間の作為的な決めつけがあるだけという考え方に固執しすぎると、「憎い」という感情を増幅させて、徒に自分自身を苦しめてしまう恐れがあるので、その点が心配です。 長々とつまらないコメントを書いてしまってすみません。 (あなたへ。)

2023-04-09

はじめまして。 どこかユーモラスで面白い作品ですね。 実際に彼女さん(もしくは奥さん)が走っていた姿を思い出して書かれた詩でしょうか。 こんな軽い口喧嘩(?)ができるほど親密で、深い信頼関係があることが窺えます。 中ほど七連目の、静寂の中での時計の針の音が描かれている部分は、間をとるために情景描写を置いたのでしょうか。 もしそうでしたら、この連の前後をもう一行分だけ広く開けたほうが、より効果的になるような気がします。 でも二連目の、 「あんたに向かって正面から  走ってぶつかってるじゃんか」 というところや、最後の二連からは、ほのぼのとした暖かさが感じられてとてもいいと思います。 蛇足ですが、「鼻水もだよ花に水やる時間だよもう」は駄洒落でしょうか。 (走る姿)

2023-04-09

コメントをありがとうございます。 現代社会に通底するものがあると観ていただき、たいへん嬉しく思います。 理屈よりもイメージを先行させて書きましたので、始めから「俺」をゼリー状の群体にしてしまいました。それをどうとらえるかは読む方にお任せしようと思いまして。 思いつくままに書き進めたのですが、曖昧なところが良いと、また、丁寧に書かれていると仰っていただき、ほっとしております。 (水の中の網)

2023-04-08

はじめまして。 私は幻聴が聞こえた経験はありません。ですから幻聴の苦しみを知りません。 それを踏まえた上でのコメントなのですが、私も世界がこのままで行けばいずれ現代の文明は崩壊してしまうだろうと思っています。 でもそのようなことは誰もが心の奥底で感じていることなのかもしれません。 もしかしたら、そんな社会的な潜在意識のようなものが、幻聴という形で表面化したのかもしれないとも思いました。 私は生きてゆく上での苦悩は何かからのメッセージ、私を行くべき方向へと導く道標なのだと思うようにしています。 この詩の後半で「私は戦います幻聴なんかに負けない」と書かれています。 それがこの幻聴の苦しみからのメッセージであるような気がしました。 幻聴の苦しみを知らぬ者の勝手な言い分に過ぎませんが。 不愉快な思いをさせてしまいましたなら、すみません。 (俺とティアラ)

2023-04-08

はじめまして。 何か不思議な美しさを感じさせる作品ですね。 「小さな春が  こぽこぽと  ゆれている」 「銀色の朝露が  とがる音」 これらの表現がとても新鮮でいいと思います。 三連目と四連目が何を意味しているのか漠然としか捉えられませんでしたが、子供の頃の思い出や郷愁のようなものを感じました。 幼かった頃に持っていた鋭く鮮やかな感覚が、今では失われてしまったことの寂しさが滲み出ているような印象を受けました。 (窓際)

2023-04-08

こんにちは。 まずタイトルにインパクトを感じました。 詩の前半部に描かれているのが、タイトルにある白い世界のことだと受けとりました。 その中の、 「陽気さは一枚ずつの日めくりカレンダーのように消費されるが尽きることはない」 「雲のような言葉だったが  見事に時は尽きてしまった」 といったところに、皮相的な軽薄さ、実体のない虚構のような今の社会の様相が描かれているように感じました。 そして、宇宙で渦を巻いている途切れた時とは、幻影のような世界に流れる時間とは別の、実質を持った時間の流れであるような気がします。 詩の後半では、その白い世界を眼前とした者の苦しみが描かれているようです。 その中の「目を貫く光の線」や「一本の線が引かれる」で表されている「線」と何でしょう。 私にはそれが救いへと導く道標のようなものに思えます。 漠然とした解釈ですが、そんな印象を受けました。 (白い景色が次々と映る、愛は生まれてから世界に何を見たか)

2023-04-07

こんにちは。 タイトルの「嘘」とは、自分自身への嘘でしょうか。 一連目で描かれているのは、詩を書くことだと受けとりました。 そして二連目の「酒」とはその書かれた詩のことなのでしょう。 詩を書いているときは「神の歓喜が降る所」にいるように感じられても、その時が過ぎれば心の中にも外の世界にも悲惨さが道溢れていて、涙が堰切ってしまう。 そのとき私が本当になるあなたとは誰でしょう。 擬人化された人生か、それとも作者が向き合っている「詩」そのものなのかもしれません。 こんなふうに受け取ったのですが、前作の「水仙」では私の解釈がズレていたようなので、今回もズレていたらすみません。 (嘘)

2023-04-07

はじめまして。 短く難解な詩ですね。 紙袋に入れた自由ががそこそいっているのは、まるで虫か小動物のようです。 そんな小さな自由が、「リスの円卓に載せた空」と繋がっているのでしょうか。 「棕櫚より樟脳」とは何でしょう。 キリスト教で象徴的に用いられる棕櫚よりも、揮発するイメージの樟脳のほうが自由を感じさせるのでしょうか。 なかなか難解ですが、何故か印象に残る作品です。 (豆詩)

2023-04-07

こんにちは。 タイトルにある「ブス」とは、見た目の容姿のことでしょうか、それとも性格のような内面的なもののことでしょうか。 一読して、初めはこれは個人的に傷つけられた経験のことを書いているのかと思いましたが、タイトルに「俺たち」と記されているので、もしかしたら特定の世代が受けた批判のことなのかもしれないと受けとりました。 個人個人ではなく、ある世代の人達に共通して観られる特徴があるのならば、それは個人の問題ではなく、その時代の社会を映した鏡のようなものでしょう。 それについて個人を批判したり責め立てたりするのは、行きすぎた自己責任論というものだと思います。 進学したり就職したりと、新たな環境に入ってゆく春が嫌いというのも、そのためなのだなと受けとりました。 全く的外れな受けとり方かもしれませんが、こんな読み取り方もできると思います。 (かつてブスと呼ばれた俺たちに)

2023-04-06

こんにちは。 武勲をあげたライバルとはライターの方なのでしょうか。 内から湧き出る喜びに、言葉が追い付かないような印象を受けました。 塔にのぼって大声を出し、ボールを抱きかかえて花壇にトライ! 読んでるほうも元気が出るような詩ですね。 (トライゴール)

2023-04-06

はじめまして。 一読してまず、非常に秀逸な作品だと感じました。 子供の頃の新鮮な感覚と今との比較を、ゆっくりと色褪せてしまうもの、と表現した後の、 「自意識を氷に喩えては  眠りへ落ちるまで  砕いています」 この部分は、正直なところ正確には意味を理解できてはいませんが、とてもインパクトのある美しい一文だと思います。 さらに続いて、 「その花のしろいろが  切り傷のように  わたしに痛むのですが  心地よい痛みでもあるのでした」 「たましいを拘束される  喜びを  苦しみを  待ち望みます」 この二つの文から、子供の頃の感覚の摩滅せずに保たれた部分と、成長して展開する部分とが、巧みに織り合わされているような印象を受けました。 私もこの詩のような繊細な表現をしたいと思ってはいるのですが、なかなか上手く表せません。 このような美しい詩を書ける鋭い感性が羨ましいです。 今後の投稿に期待します。 (氷と春)

2023-04-05

はじめまして。 日常の出来事を綴った散文詩ですね。 確かに満開の桜を目の前にすると、思わず写真を撮りたくなります。 中ほどの、「角を曲がって急に現れた知らない駅で「じゃあここで」って解散した。意味もなくへらへらしながら。」というところが、何かいい意味でドライな感じでいいですね。 春の冷え込みの中に、力強い重低音を感じるというのはとても新鮮に感じました。 そんな感性を持ってみたいです。 「春色低音」の低音は低温にかけていたのですね。いいですね。 (春色低音)

2023-04-05

こんにちは。 人間は永い進化の過程で、集団をつくり互いに協力することで生き延びてきました。 ですから他者と繋がろうとする遺伝的な性質を持った個体が自然淘汰により生き残ってきたため、現在の我々も他者と繋がることを求めるのです。 と、こんな説明は味気ないですよね。 それにこれでは、なぜ詩ではならないのかが説明できません。 意思の疎通や情報の伝達ならば詩でなくてもいいのですから。 おそらくそこには感情の存在が深く関わっているようです。 負の感情とどう折り合いをつけるのか。正の感情をどう伝え、どう分かち合うのか。 人が人として生きてゆく中での詩の役割や詩を書くことの意義は、その辺にあるような気がします。 ですから、 「わたしは人間で  わたしは生きている  だからわたしは詩を書くんだろう」 まさしくその通りなのだと思います。 (詩ってなんだろう)

2023-04-04

こんにちは。 一連目ですが、傷つけられたことの表現がとても巧みだなと感じました。特に冒頭の「喰らわれた」という言葉はその衝撃の強さを見事に表しています。 三連目の感覚的な表現も秀逸だと思います。傷つけられた怒りや悔しさが手に取るように感じられます。特に「頭に流れる血液を想う」という表現はなかなか出てこないものだと思います。 その後の四連目と五連目でどこか屈折した感情が描かれていますが、これはタイトルの「反抗期」特有のものですね。 ただここにもひとつ、前半に見られたような巧みな表現があったら、もっとよかったかなとも思いました。 でも、全体的に感情表現に非常に長けているという印象を受けました。 (反抗期)

2023-04-04

こんにちは。 春のしっぽ、面白い表現ですね。 気持ちのいい春は人間がどんなに足掻いても去っていってしまう。それでも逃がさないように押さえていたい。そんな感じでしょうか。 生きるわけをさがすために生まれてきた、なんて言い分も苦し紛れに思わず口にしたみたいで、なんだか言い訳じみていますよね。 最後の方のあなたの言い分とはなんでしょう。春について、生きることについて、それともこの詩の語り手についてでしょうか。いろいろ想像が膨らみます。 ユーモラスでほのぼのとする詩です。 (どこもかしこも)

2023-04-04

こんにちは。 シンプルな詩という第一印象を受けました。 一連目と二連目は世間でよく言われることですが、三連目で視点が変わります。 なぜ「バカ」と言われるのかを追求する、という方向で考える人はそう多くはいないでしょう。 自分を信じて進む人を「バカ」と言って嘲笑うのはなぜかを考えてみると、おそらくそれは、思い込みや固定観念にとらわれているからなのだと思います。 その固定観念、言い方を変えれば「旧い常識」がなぜそこまで強固に出来上がってしまったのか、その経緯や原因を突き詰めて考えることは、いずれ荒れ地に新たな道を拓くことにつながるのかもしれません。 ですから、なぜ「バカ」と言われるのかを追求することは、理にかなっていることなのでしょうね。 (隗より始めよ)

2023-04-03

こんにちは。 ここに登場する「いささか先生」とはサザエさんの磯野家の隣に住むあのいささか先生のことでしょうか。 もしそうであるなら、いささか先生は恋愛小説家だそうですので、この詩の語り手は恋愛小説を書きたいのでしょう。 それともいささか先生は囲碁が趣味とのことですので、碁を打ちに訪れたのかもしれません。だとしたら空に浮かぶ昼月は白い碁石のメタファーなのでしょう。 ところで、磯野家の住所は東京都世田谷区桜新町あさひが丘三丁目10番地とのことなのですが、これは実在しない場所だそうですので、おそらくその隣のいささか邸も現実とは異なる時空に存在しているのだと思われます。それ故 「少し物足りない青空は  薄絹で覆われたように君臨して居る」 のでしょう。 この詩を読んでそんなことを考えました。 (いささか氏)

2023-04-03

コメントをありがとうございます。 「羨望」というところに眼を向けていただき、たいへん嬉しく思います。 以前その苦しさをそのまま詩に書いたら、詩人が詩を書くのに苦しむのは当然のことだとの批評を受けたことがありました。 ですから今回は「のたくる細い糸のような光」や「剥離した網膜」といった言葉を使い、敢えてぼかして表現しました。 そこのところを汲み取っていただけて、とてもありがたく思います。 (糸のような光)

2023-04-02

コメントをありがとうございます。 難解だとしても貫けば武器になるかもしれませんとのお言葉、励みになります。 どこまで鋭利にできるかわかりませんが、誰かの胸に深く刺さるよう精進してゆきたいと思います。 (糸のような光)

2023-04-02

こんにちは。 どこかユーモラスな感じのする作品ですね。 私はヤンキーであっことはないので、よくはわからないのですが、もしかしたら今の少子高齢化社会では、ヤンキーは生きにくいのかもしれません。 プロテスタントやロックンロール、そしてカウンターカルチャーが、それまでの価値観や制度に対する抗議・反骨・対抗することによって成り立っているものであるように、ヤンキーも既成の価値観や制度に対する反骨精神のようなもので成り立っているならば、価値観が多様化して対抗する相手が消滅してしまうと、ヤンキーもまたその存立の基盤を失ってしまうのでしょうか。 末尾の「僕はあの夜きっと何かを見失ったんだと思います」という記述は、そのことを表しているようにも感じました。 (そしてヤンキーはいなくなった)

2023-04-02

コメントをありがとうございます。 この漠然とした拙い詩に美意識を観ていただいて、たいへん嬉しく思います。 (糸のような光)

2023-04-02

こんにちは。 どこか幻想的な詩ですね。 タイトルは「生きる」ですが、内容は「あなた」(へ)の愛が主題になっているような印象を受けます。 ここでの「あなた」とは特定の人物を指しているのか、それとも人生や世界を擬人化したものなのか、判断がつきにくいように思います。 ただ、最終連で 「これは森の奥深く、  湖の底に眠る女の夢です」 と書かれているので、あまり意味や論理にとらわれず、この詩の描こうとしているイメージを味わうのがいいのでしょう。 そうとらえると、3連目の表現が秀逸だと思いました。 (生きる)

2023-04-02

コメントをありがとうございます。 解釈に幅を持たせようとして、また、心に浮かんだイメージを表そうとして、敢えて漠然とした書き方をしましたが、やはりわかりづらかったようです。 あまり直接的に書くと深みがなくなりますが、深みを求めて漠然としすぎるとわからなくなります。 どこでバランスをとるか、難しいです。 今後の課題とします。 (糸のような光)

2023-04-02

はじめまして。 詩人全般への批判の詩のようですね。 耳が痛いです。 でも、詩人への批判を詩で書くというのは、ご自身へのアイロニーでしょうか。 たいていの人は傷つけられたことは覚えていても、傷つけたことは覚えていないか気づいていないものです。詩人の場合はそれが自分の書いた詩に現れるのでしょう。 詩人はなぜ迷ってばかりなのでしょう。 おそらく迷っているから詩を書いているのであって、迷わなくなったら詩を書かなくなるのかもしれません。言い方を変えれば、詩人というものは人間的に未成熟であって、成熟してしまえば詩人でなくなるのではないでしょうか。すべてがそうではないでしょうが、そのような傾向はあると思います。 現代は言葉がインフレを起こしてその価値や重みが暴落していて、現代詩はそんな困難に直面している、という話を聞いたことがあります。ですからなおさら、今の詩人は迷ってばかりなのでしょう。 (盗癖)

2023-04-02

はじめまして。 詩を書く人なら思わず眼に留めてしまうような詩ですね。 詩の定義は詩人の数だけある、という言葉を聞いたことがあります。ですから詩を書く意味もやはり詩人の数だけあり、人それぞれであって、ひとつには定まらないものなのでしょう。 見方を変えれば、詩を書く意味は詩そのものの中にあるのではなく、その詩を書く人が生きていることの中にあるのかもしれません。 詩を書く事で自分と向き合って世界が広がった、という人は少なくないと思います。 そのような人にとって詩を書く事とは即ち、生きる事と同義なのでしょう。 ですから、最後の方の「生まれてくれてありがとう」という一文は、詩を書けることへの、そして他人が書いた詩を読めることへの感謝の言葉なのだと受けとりました。 詩を通して今の生に感謝できるのであれば、それは幸福なことなのでしょうね。 (ぶっ殺すぞ)

2023-04-01

こんにちは。 意思疏通のできる人間とできない人間とがいるということ、なんとなくわかる気がします。 どうがんばってもわからないことは確かにあると思います。 ただ、過去の歴史を観ると、こちら側の人間が増えて多数派となり、無敵とも言えるほどの力を持ったときに、何かとても恐ろしいことが起きるのではないかという気がしてなりません。 でも、こちら側の人間が少数だからといってあちら側の人間が多数派だとは限らないかもしれません。 あちら側もまたいくつもに分かれていて、それぞれが少数派だったり、ある面ではこちら側で、また別の面ではあちら側、ある部分では多数派で、また別の部分では少数派だったりするような、複雑な様相を呈していることも考えられます。 差別や排除のための境界線は要らないでしょうが、多様性や尊重のための境界線は必要でしょう。 また、意思疏通ができる人と出逢ったときに心が染みるのは、意思疏通のできない多くの人々がいるからこそなのだとも言えます。 この詩を読んでそんなことを考えました。 (あっちこっち)

2023-04-01

こんにちは。 過去の思い出を綴った詩ですね。 冒頭にあるカンニャクマリとはインド最南端の町で、カンニヤークーマリーという処女の女神を祀る寺院がそこにあることから町の名になったそうですね。 そこで出逢った修道女があなたの中にみつけた神の姿とは、そのカンニヤークーマリーだったのかもしれません。 「それは特別な瞬間だよ  生きているってそんなだよ」 誰にでもそんな特別な瞬間があるのでしょう。そんなときに本当に生きていると感じるものなのでしょう。むしろ人生の過去と未来がその一瞬に集結すると言えるのかもしれません。 そんな人生の特異点が「キラキラと煌めく、残照の金の記憶」であり、旅で出逢ったウルトラCなのでしょう。 美しい詩だと思います。 (旅のウルトラC)

2023-04-01

はじめまして。 何かとても優しい感じのする詩ですね。 また、たんぼぼの綿毛に幾何学を感じるところは新鮮です。 冒頭の 「つむじと手が幼くなってゆくと  綿毛のたんぽぽを持っていた」 というところは、幼い頃の記憶をたどってその頃の自分に戻ってゆくことを表しているのかと思いましたが、次の連を読むと、それより更に遡った、人間を待っていたというたんぼぼの記憶にまで繋がっているように感じました。 人がたんぼぼの綿毛を吹く瞬間、全く異なる2つの命がひとつになる、たんぼぼはその一瞬をずっと待っていた、タイトルの「約束」とはそのことを表している、そんふうにも読みとれます。 短いですがとても美しい詩ですね。 (約束)

2023-03-31

こんにちは。 日常の仕事の情景をもとに書かれた詩のようですね。 牛がよだれ糸を垂らすのは、反芻をしているためでしょうか。 牛には4つの胃があり、その内3つは食道が変化したものだと聞いたことがあります。内蔵を変化させ、大量の微生物を共生させて普通は食べられない植物を食べて生きる様は、生命の巧妙さや力強さを感じさせます。 また、家畜である牛の直接の祖先である野生種の牛は、もう既に絶滅して存在しないと何かで読みました。そのことは牛と人間との結び付きの深さや強さを物語っていると思います。 この詩は、そんな牛の圧倒的な存在感を、言葉を探しながら表現しようとしているような、そんな印象を受けました。 末尾に「人と牛」とありますが、人の垂らすよだれ糸とは何でしょう。 人間の際限のない欲望のことか、それとも過去のことを何度も思い返してはあれこれと考え込む、心理的な「反芻」のことか、いろいろと解釈ができそうです。 (よだれ糸)

2023-03-31

こんにちは。 まず冒頭の流れ出したカスタードの比喩が、天地が逆転した感じで面白いですね。 この詩は仏教、特に禅の思想を元に書かれたものでしょうか。 菩提樹や自我の表徴である植木鉢を壊す記述。 その後、星々の意思が流れ込んで残っていた自意識と混ざり合い、次から次へ移ろう色に名前をつけない、全ては仮初で実体はない等、仏教の悟りを表しているような印象を受けました。 私もちっぽけな自我を抜け出して、心の平安を得てみたいです。 (決壊)

2023-03-30

はじめまして。 タイトルの「孤独」という言葉に惹かれました。 詩を書く者には孤独は常に付いて回って、手放したくても離れないものなのかもしれません。 この詩はあるひとつのテーマについて、それに付随する様々な思いや考えを列挙するタイプのものですね。 自分の喜びや苦しみを他人に理解されなくて、腹が立ったり落ち込んだりすることはよくあると思います。そんなとき「お前は他人のことをどれだけ理解しているのか」と自分自身に問いかければ、人と人とはわかり合えなくて当然なのだと、少し気が楽になります。 末尾の「ただ分かち合えばいい」。 全くそのとおりですね。見方を変えればそれは同床異夢ということでもありますが、所詮人間関係とはそんなものなのでしょう。 とても共感できる詩です。  ! これも私の思い込み? (孤独)

2023-03-30

はじめまして。 前作の「春に無礼」の一年ぶりの続きですね。前作を知らないと、なかなかわからない詩だと思います。 前作を含めた個人的な感想を申し上げますと、人間の恣意的な価値観が根底にあるように感じられます。 公園も春もカラスもそれぞれ、そのもの自体には良いも悪いもない価値中立的な、特定の場所、特定の時期、鳥類の一種であるのに、人間はそれらに、人が憩うための所という機能を持たせたり、うららかで爽やかな時とみなしたり、迷惑で害をなすものと決めつけたりしています。 その根底には、特定の言葉に対して、あるものには肯定的な、またあるものには否定的な価値づけを半ば無意識に行っているからだと思います。 それら言葉への価値づけと現実との間に齟齬が生じたとき、強い違和感を感じるのでしょう。 この詩の末尾の「公園はみんなのものだよ」や、前作の「春だというのに」という文がその違和感を表しているように感じました。 日常生活の中でそのような違和感を感じたら、それを流してしまわずに心に留めておくと、面白い詩が書けるのかもしれませんね。 (酸っぱい春)

2023-03-29

はじめまして。 一読して、よくまとまっている作品だと感じました。 目を背けたくなる現実が厳としてあり、怒りの声をあげたくなるような理不尽がまかり通り、自分達と異質な人達を嫌悪し排除しようとする状況がある。 そんな世界の中にも、息を飲むような、全身に鳥肌がたつような、時間が止まってしまったかのような、言葉が追いつかないほどの美しさを見いだすことがある。 そういったことを「境界線」をキーワードとして、美しく表現しています。 ただ、この長さで全て一行おきに書かれていると、正直なところやや読みにくいです。もう少しまとめた方がよりよくなると思います。 また、些細なことですが、「ビッグバンのように静かに眠っている」というところですが、ビッグバンは爆発的な膨張のことですので、ここは「ビッグバンを控えて静かに眠っている」とか「ビッグバンを待つかのように静かに眠っている」みたいな書き方をしたほうがいいかと思いました。 でも最後の方の「きっと誰もが境界線を前に戸惑いながら生きている」「今日もどうにかこの宇宙との均衡を保っている」というところは共感できる美しい表現で、印象に残ります。 (border )

2023-03-27

こんにちは。 まさしくタイトル通りの言葉遊びですね。 このようなものを意識下の自動筆記というのでしょうか。 様々な言葉が次々と紡ぎ出されてきますが、古川日出夫、森村誠一、宮沢賢治の作品が比較的強く作者の心に残っているような感じがします。 また、「電験三種の勉強をするさ、1000時間の勉強をするさ」という記述からは実生活が垣間見られます。 そして、「僕らは触れあわない」「とおい」という言葉が何度か出てきた後、「人間関係のバランスは崩れ、それは詩を書いていることに起因しないでと祈りながら夜も眠れないなんて」と書かれているところは、本人の悩みの深さを窺わせます。 プロの心理プロファイラーが読んだら、詳細な人物像が描き出されそうな、そんなふうに思える詩ですね。 (言語で遊ぶ)

2023-03-26

はじめまして。 音楽室での淡い思い出をうたった詩ですね。 優しく教えてくれた人とは先生でしょうか、先輩それとも同級生でしょうか。 「狭い楽譜の中」や「冬に凍えそうな冷たい鍵盤」という表現が、作者の切なさをより鮮明に伝えてくれます。 連符が鼓動の重なるというところもいいと思います。でも、私は楽譜が読めず、またそのような読み手も少なくはないでしょうから、連符と鼓動の間に何かうまい比喩を挟めば、より心情が伝わりやすくなると思います。 最後に些細なことですが、末尾の「1小節目」は、縦書きにするのであれば、漢数字を使った方がいいかもしれません。 でも、思い出の情景がまざまざと浮かび上がってくるような、いい詩だと思います。 (白と黒)

2023-03-25

こんにちは。 この詩を読んで頭に浮かんだのは「大きな物語の終焉」という言葉です。 現代は大きな物語が終焉して、数多の小さな物語が並立している状況だと聞いたことがありますが、この詩の2連目ではその状況を批判的に捉えているように思えます。 しかし、その後の展開を見てみると、現在の小さな物語の並立を必ずしも肯定してはいないようにも受け取れます。 そして、4連目から頭に浮かんだのは、フッサールの現象学です。 この連の中の 「汚れた器官で見る世界  自己崩壊しよう  心は知り得ないんだ」 「悪魔は存在しないと哲学者が証明した  本の中に閉じられた世界が  現実を超えてあり続ける」 というところは、それぞれの小さな物語は客観的に存在しているものではない、あくまで主観的な認識であって、絶対的なものではない、ということを言っているような感じがしました。 でも、この詩で表そうとしていることはそうではないような、あるいはそれだけではないような気もします。 なかなか難しいですが、迫力のある詩だと思います。 (ONE)

2023-03-25

はじめまして。 実際に津波の被害にあわれた方でしょうか。 心の裡にある様々なものをうまく言葉に表せずに、強いもどかしさを感じているかのような印象を受けます。 どうしようもない理不尽さに、未来への希望が見出だせない、そんな重たさをテトラポットか象徴している、そんな気がします。 (音もないっ!)

2023-03-25

はじめまして。 この詩はイエローカードを発行されたことを書いたのでしょうか、それとも全く別のことを書いたのでしょうか。 無粋なことをお訊きしてすみません。 特に批判も同情もするつもりはないのですが、この詩が短いながらも何か心に響いたのでコメントさせていただきました。 (詩人)

2023-03-24

こんにちは。 箇条書きの詩は初めて見ました。 なかなか新鮮な驚きです。 面白そうなので、私も何か同じ形式で書いてみたくなりました。 全体的にアイロニカルな詩ですね。特に①と③と⑦がそんな感じがします。 でもその一方で、⑥と⑧には何か繊細な感覚が窺えます。 箇条書きのみで、その他何も説明のようなものがないところが面白いです。こんなルールが本当にあったら、花見をする人は激減するでしょうね。 ところで⑩についてですが、お花見を年に何回もする人ってそんなにいるんですか? (お花見ルール)

2023-03-24

こんにちは。 この詩については正直なところ、1度や2度読んでも、なかなかその意味や感覚を捉えることができませんでした。 でも「花雫」というタイトルを見て、何となく掴めたような気がします。 咲いた花は必ず散ります。そうして咲いては散るを繰り返して草木はその命を繋ぎ、保ってゆきます。 生命とは動的平衡状態であると、ある生物学者は言いましたが、生命だけでなくこの世界もまた、崩壊と再生を繰り返しているものなのでしょう。 そしてそれは物質的なことに限らず、認識の面でもそのようであって、そこに深く関わっているのが「忘れる事」なのでしょう。 それは我々の記憶力の限界によるものなのかもしれません。歌声を聞くためのアプリを動かす容量が足りないように。 タイトルの「花雫」とは、末尾の「残っていた僅かな光の影が不可知性にしずく」おも表している、そう受けとりました。 でもこのコメントは、私の感覚の投影に過ぎないのかもしれません。 何故なら、詩の言葉が自由になればなるほど、読み手の感覚を投影する余地は増えてゆくのでしょうから。 日常言語にとらわれない表現の自由さ巧みさは、秀逸だと思います。 (花雫)

2023-03-23

はじめまして。 一見すると都会の叙景詩のように見えますが、最後の方でタイトルにもあるこの詩の主題が出てきます。 「じぶんのやってることが全然理解できない瞬間」とはどのようなことでしょうか。 瞬間的に意識が飛ぶようなことでしょうか。それとも、周囲に流されて自分の行動の本当の意味をわかっていないというようなことでしょうか。様々な解釈があり得そうです。 いずれにせよ、前半に叙景を置いてその後、思想や感覚をその「都合のいい鏡みたいな風景」に重ねて、一文で表現するという展開は、秀逸だと感じました。 そして、 「争いごとやもめ事をさけてブログたちはどんどん更新され」 「その空間を埋めつくした電波や祈りをよこぎる鳥たちは無音で」 という表現や、末尾の一行との間に大きくスペースをとる手法は新鮮で、感性の鋭さを窺わせます。 この大きなスペースは、「空から雪が降るほど寒い」ということを読み手に感じさせる、あるいは考えさせるものでしょうか。 雪は厳しい寒さの中にも美しさをもたらします。地上の醜いものにも降り積もり純白で覆い隠します。 ここでの寒さとは、そんな雪のようなものが訪れることへの淡い期待が溶け込んだ寒さなのではないでしょうか。 私はそんなふうに受けとりました。 (全然理解できない瞬間とその意味)

2023-03-23

はじめまして。 自分自身をシニカルに捉えた、物語風の詩ですね。 「シロアリ以下の価値しか与えられていない」や「体のほうが汚れているんですよ」というところは自己肯定感の低さを表し、「僕はテンションが上がって踊ることにしました」や「電車が通るとブオンと風が吹いてうれしくなります」というところは実感できる自由への憧れを表しているのかな、というふうに受けとりました。 そして、「外が呼んでいた」や「死ぬことを知らずずっとこの路線を走り続けていく」というところからも、現在の閉塞感から逃れたがっているような印象を受けます。 一方、末尾の「荷物持ちとしての価値は手に入れられないままでした」という一文に、世間的な価値観で認められることへの、羨望と嫌悪が入り雑じった複雑な想いを感じました。 何とも言えぬ侘しさを感じさせる詩ですね。 (鉄鉄〇〇 ゴツトガタト→天国×∞?)

2023-03-22

はじめまして。 次々と繰り出される刺激的な言葉とは裏腹に、全体としては寂しさが表されたような詩ですね。(実際、寂しそうなうた、というフレーズも使われていますが・・・) 本能的な欲望は厳として在るのに、そこから生きる意味や生きる力を紡ぎ出せないでいる。「単純な答えはもう選べない」というフレーズが、世間に溢れている既製の言葉はもう力を持ち得ないことを表しているようで、そこに何か焦燥感のようなものも感じます。 最後の方に出てくる「異物のような地球に裸足の2人」というフレーズを読んで、はじめから祝福されない存在、居場所の与えられていない存在、裏返しになったアダムとイブのような印象を受けました。 (ぴう!)

2023-03-21

はじめまして。 戦争映画がお好きなようですね。 あのような極限状況では人間の本性が出て、人生観が変わるからでしょうか。 詩や文章を書くことへの切実な悩みや苦悩といったことを感じさせます。 中程に出てくる「クソったれ司令官のクソったれ命令」とは、体力の限界や睡魔のことでしょうか。面白い表現です。 全体的に何か悲壮感すら漂う詩ですが、最後の、 「あゝまただ。あゝまただ。  そしてまた一日が始まっていくのだ。」 というところに一条の光が射しているように感じます。自分はこれでいいのだと思ってしまったら、その人はそこで止まってしまいますから。 その前にある、 「完全に締め切ったカーテンの隙間からは透明な光が覗いている。」 という一文が、その光のことを表しているかのようです。 (詰み)

2023-03-20

はじめまして。 独特の雰囲気を持った詩ですね。 冒頭の弱者がさらに弱いものを殴りつけるとは、SNSでの誹謗中傷やヘイトスピーチなどのことでしょうか。 社会的立場の弱い人達のことが見えない、あるいは見ようとしない者や、口先だけの綺麗事を並べて実際に行動をとらない者への批判と受けとりました。 最終連の「わかたかかげ」とは力士の名前でしょうか。 それに気をとられて、その後かんでしまったアナウンサーの、人間くささに好感を持ったのでしょう。 でも何となく、その最終連だけが浮いてしまっているような感じがします。 それもアクセントを加えるという、計算のうちでしょうか。 全体のテンポの良さから、詩を書き慣れている印象を受けました。 (だきしめたい)

2023-03-19

敢えて多義的に捉えてもらうように書くのも一つの手法であって、勝手な書き方だとは思いません。 むしろ詩とは、多少の差はあれ多義的なものだとも捉えています。 ですから、ことさら反省する必要はないでしょう。 (ディストピアにあっても)

2023-03-19

はじめまして。 シュールレアリズムとコンクリート・ポエトリーですね。 これが意識下の自動筆記だとすれば、その意識下にあるものは何でしょう。 風、月、森、自然、細工、思考、指向、試行、ループ、巨大化、廻る、延べる、二重螺旋離脱、畏怖すべき根底、 押し戻す、次又も次、幾線足許好し、錆びて沈む海、冠皆褪せ、涙無く礼、羽まで捨て走る、とうとう声迫る、暗く細いまま続く、 こうして書きあげて観てみると、そこに何となくですが、太古からの生命の歴史と、現代の閉塞感あるいは切迫感のようなものを感じることができます。 だいぶ前のことですが、ライアル・ワトソンという生物学者が「生命潮流」という著書の中で、ユングの提唱した「元型」のさらに根底にある、生命の記憶のような「原型」を唱えました。 この詩はその「原型」に何か通じるものがあるような気がします。 (T O L O .)

2023-03-19

こんにちは。 何ともいえず寂しく切ない感じのする詩ですね。 詩人になった人は曲がりくねった道を歩き、行き止まりの多い住みにくい町に住んでいて、行き止まりに突き当たったらどうするかは、人それぞれ。 何となくわかるような気がします。 最初の連の風と最終連の風とは、同じ風でしょうか。冷たい世間の風、詩を書くだけでは食べてゆけない厳しい現実の風、だから、桶屋のような副業をしなければ都合のよい風は吹いてこない。そんなふうに受けとりました。 6連目の「行政の行き届かない」という語句は、全体の雰囲気にそぐわないような気がしましたが、行政の不備を詩に書く人もいるので、それもアリかなとも思いました。 詩人は詩人になったから曲がりくねった道を歩くのでしょうか、それとも、曲がりくねった道を歩かざるを得なかったから詩人になったのでしょうか。 この詩を読んでそんなことを考えました。 (詩人の町)

2023-03-18

こんにちは。 牛の輝き、宝石の様な目。それらの言葉から、この詩の牛とは、聖なる愚者の表象であるような印象を受けました。 そこかしこに聞こえてくる危機と悲劇とは、牛にとってのものでしょうか、我々にとってのものでしょうか。それとも、その両方でしょうか。例えばハンバーガー・コネクションのような。 昨日も明日もないお前たち、という表現から、いま・ここのみを生きようとする禅の姿勢や、明日のことを思い煩うなというイエスの言葉を思い出しました。 そして、我々自身を省みる最終連を、他の連からやや離れたところに配したのは、とても効果的だと思います。 愚鈍で汚ならしく見える牛の姿は、実は我々の隠れた品性の投影なのかもしれません。 そんなことを感じさせる詩です。 (牛の輝き)

2023-03-18

はじめまして。 「シボレテ」。旧約聖書の士師記に出てくることばなのですね。この詩を読んではじめて知りました。 言葉が民族を区別し虐殺する道具となる。恐ろしいです。 言葉は毒にも薬にもなり得るから、その使用には慎重を要するということは、よく言われることですね。 そんな中にあっても、詩人としての自由を保つことは、なかなか難しいかもしれません。 詩の後半、文字が疾走する馬を象っていますね。これが作者の持つ、言葉への期待のイメージであると同時に、コンクリート・ポエトリーという手法自体が自由への試みの一つである、そんなふうに思いました。 いろいろ考えさせられる詩です。 (詩人なんだから)

2023-03-18

はじめまして。 生きることの不安や恐れを描いた詩ですね。 ラナンキュラスの花言葉は、とても魅力的、だそうですが、この詩においてはむしろ、魅力的に生きたいけどその自信がない、あるいは、魅力的に生きることを周りの社会から煽られ、なかば脅迫的にすらなっていることへの恐怖を表しているかのようです。 ちなみに「もたげる」ということばの意味は、持ち上げる、起こすといったことですので、花瓶の中で生き生きと咲いていたラナンキュラスが、翌日に持ち上がっていた、起こされていた、というのは普通では意味が通りません。 ですからここでは、生き生きと咲いていたラナンキュラスとは、不安を隠して空元気を出している様子の暗喩、そして翌日に首をもたげるとは、周囲からそれを煽られ強要されることを表しているとも受け取れます。 だからこそ、その恐怖や不安を理解してくれる他者を求める気持ちと、明るさや魅力的であることを求めてくる他者を恐れる気持ちとが同居しているのでしょう。 なかなか読解の難しい詩だと感じました。 (怖い)

2023-03-17

はじめまして。 タイトルのディストピアと、4連目に出てくる灯台から、オルダス・ハクスリーの「すばらしき新世界」を思い出しました。 冒頭と最後の方にある、 「あなたの本当の報復は   あなたが幸せになること」 というフレーズは他のところでも聞いたことがあります。理不尽な目にあったときの心の持ち方のようなものだったと思いましたが、この詩での報復とは、何への報復なのでしょう。 価値観が多様化し、何が正しいのかわからなくなってしまった社会への、何かアイロニーのようなものを、この詩全体の雰囲気やシュールレアリズム的な表現から感じます。 それが最終連の、 「わたしは願っています   人が同じ    空中世界を夢見ていると」 という詩句に集約されているように思いました。 とても興味深い詩ですね。 (ディストピアにあっても)

2023-03-17

こんにちは。 何かとても繊細なものを感じさせる詩ですね。 この詩全体が纏っている雰囲気は、今という時代のせいでしょうか、それとも作者本人の鋭敏な感覚のためでしょうか。 自分の心がまるで自分のものではないように感じることを、柔らかいものと硬いもの、心と石の対比で表しているのは新鮮です。 音の粒を聞き分けられる、光の粒子が見分けられる、それほど感覚が鋭敏になってもまだ不十分な、満たされぬ想いを満たすもの、それが末尾の 「一つと一つがほどけていって  あたらしい朝になる  永遠の中に終わりは位置している」 に表されているような気がします。 普通に考えれば、始まりも終わりもないのが永遠なのに、それらが永遠の中に位置している。それは概念が沈んでゆき、その束縛から自由になったことを表しているのでしょうか。 鮮烈で秀逸な作品だと思います。 (a heart and a stone)

2023-03-17

コメントをありがとうございます。 これは実際の経験からいろいろ考えて書いたものです。 いわば、前回の投稿「ひどいことをしました」の続きです。 お褒めいただき、たいへん嬉しく思います。 お読みいただきありがとうございました。 (永逝のみぎわに立つあなたへ)

2023-03-17

はじめまして。 短いですが、とても強く印象に残る詩ですね。 端的に、あるいは感覚的に言えば「腑に落ちる」といったところです。 自分の感情を文字にして書くことは、一種のカタルシスになるそうですが、この詩から言えば「カタルシス」というより「デトックス」ですね。 詩を書くということの苦しさ、そこに至るまでの辛さがまさしく滲み出ているかのようです。 そういう意味で、タイトルの「紙の滲み」は、本編と非常にうまく呼応しています。 正直言って「してやられた」という感じです。 短いながらもここまで迫力のある詩が書ける才能が羨ましいです。 (紙の滲み)

2023-03-16

こんにちは。 タイトルの水仙は、ナルキッソスの成れの果てですね。神話によると自己愛とは罰なのですね。 でも、自己愛は多少の差はあれ、たいていの人が持っています。 そんな自己愛が罰ならば、その罰をもたらした、人が皆背負っている罪とは何なのでしょう。 さて、この詩を拝読したところの率直な感想を申しますと、全体として誰かに愛されたというよりは、誰かを愛して尽くした記憶を語っているように感じます。 そして、最後のほうで罪や息も絶え絶えな様子が描かれているのは、罰の結末としての水仙と何が関連があるような気がします。 そう考えると、冒頭と末尾で「愛されたこと」と述べながら、敢えてその間の本編を誰かを愛して尽くした記憶のように書いているのかもしれない、とも思いました。 誰かに愛されているということは、その愛されている自分を愛していることでもある、ということでしょうか。 (的外れなコメントかもしれませんね) いろいろな解釈ができそうな詩だと思います。 (水仙)

2023-03-16

コメントをありがとうございます。 他人を安易に批判すると、結局自分に返ってくるものですね。 人にはそれぞれ事情があるのに、それへの想像力が不足していると、こういうことになるのだと思いました。 詩を書いていながら、想像力が欠如していたとは、何ともお恥ずかしいかぎりです。 (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-16

はじめまして。 とても難解な詩ですね。 (私はあまり頭がよくありませんので・・・) 「幾億の背中を辿りつつ」や「吝嗇を肥やし抜身で駆け抜ける」とは、長い月日をかけて、貪欲になりふり構わず何かを求めていた、というようなことでしょうか。 そして、「てにをはの心を探してる」とは、その求めているものは言葉、あるいは己の納得のいく詩句のようなもの、ということでしょうか。 でもその道程は、どこまでいっても際限のない「沼」のようなものだから、「迷惑と一言呟き倒れてる」のでしょうか。 疑問ばかりですみません。 やはり私には難解な詩です。 (沼へと)

2023-03-16

こんにちは。 以前おすすめされた詩を、書いてみした。(あまりいい出来ではありませんが・・・) (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-15

はじめまして。 何となくわかるような気がします。 私も若い頃は、レイトショーではありませんでしたが、ミニシアターにチェコやポーランドの映画を観に行きました。 優越感に浸りたいという思いは誰にでもあるとは思いますが、特に若者にはその傾向が強いのでしょう。根拠のない、あるいは根拠の薄い優越感ですね。私にもありました。 3連目にある、名を忘れた橋とは、今と過去とを繋ぐ橋でしょうか。何か幻想的な印象を受けます。 また、5連目の、 「奴らの親の世代は太陽ではなかった  奴らを明るく照らすことができなかった」 とは、世代間格差あるいは前の世代の無責任さを表したものでしょうか。 そして、その次の連の、 「あなたの世代の地層も見える  他の層よりひときわ暗く静かな断面」 この地層の暗さ故に、今、詩を書いている。そんな気もします。 末尾で優越感を感じたいと明言しているところは、何かやるせない、もの哀しさを感じます。 (レイトショー)

2023-03-15

はじめまして。 この論考にあります、詩のマルチミーニング、多義性に興味を持っております。 詩の作者は何かしらその背景を持っています。しかし、多くの場合読者はその背景を知ることはありません。そこで読者はあるところまでそれを推測し、そこからは自分の背景とともに読んでゆく、そこに多義性が生まれます。落ちていたナイフへの見方が人それぞれであるように。 そしてその詩がよいものであるほど多くの人々に読まれ、多義性はより大きくなります。 ただ、落ちていたナイフは交番に届けるのが正解なのでしょうが、詩の解釈は、たとえそれが幻惑や陶酔であったとしても、ひとつのものが正解でその他のものは全て不正解、ということではないように思います。 大切なのは、書かれた詩と読み手との間にたちあがる、アウラのようなものであるような気がします。 何が言いたいかというと、詩の解釈は静的なものではなく動的なもので、多様化し得るものだ、ということです。 ですから、自分の詩に送られたコメントが、自分の考えていたものと違っても、そこにアウラのようなものを感じられたなら、あえて訂正することはなのかもしれないと思いました。 長々とつまらないことを書いてすみません。 いろいろと考えさせられる論考です。 (詩と表現)

2023-03-15

コメントをありがとうございます。 紛らわしく思わせてしまい申し訳ありませんでした。 これはネタではなく事実です。 私のマイページのコメント欄を遡っていただければ確認できます。(恥ずかしいのであまり読まれたくはないのですが) 以前フォーラム欄に、荒らし行為が相次いだので今後フォーラムは管理者からの連絡のみとし、フォーラムに載せたいことがあったら自分の投稿枠を使って掲示板に投稿してください、ということが書かれていましたので、このような投稿をしました。 おそらくは、その際の表題のルールを明確に決める必要があるかもしれません。 「批判内容は厳しくても真摯にコメントしたのであれば後悔したらその人には失礼かもしれませんね。」 確かにそうかもしれませんね。ただ、文体や口調には今後気をつけようと思います。 (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-09

ご指摘ありがとうございました。 ほっとしました。 (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-08

コメントをありがとうございます。 「言葉なんて  どんな扱いをしても  暴力だと  思っている」 「そんなに言い訳をして  見苦しいと思わないのか?」 耳が痛いです。 胸も痛いです。 (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-08

コメントをありがとうございます。 全く落ち度はないと仰っていただき、たいへん嬉しく思います。 模範的とも仰っていただいて、恐縮しております。 でも今はまだ、どうしたら書き手の心情をもっとうまく汲み取れるか、ということをよくよく考えてみようと思っています。 また、間が悪いなんてことはありません。 ありがたくコメントを読ませていただきました。 (宛先を間違えてしまい、返信がダブってしまいました。申し訳ありません。) (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-08

コメントをありがとうございます。 全く落ち度はないと仰っていただき、たいへん嬉しく思います。 模範的とも仰っていただいて、恐縮しております。 でも今はまだ、どうしたら書き手の心情をもっとうまく汲み取れるか、ということをよくよく考えてみようと思っています。 また、間が悪いなんてことはありません。 ありがたくコメントを読ませていただきました。 (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-08

コメントをありがとうございます。 つつみさんのコメントへの返信については、正直なところ少々悩みました。 私が批判した詩には、その方の置かれている状況や背景が込められていました。 でも、あのときの私は表現方法や技巧的な点ばかりに目がいって、込められていた背景を読みとれていませんでした。 私のコメントへの返信を見てはじめて、「ああ、そういうことだったのか」と気づいた始末です。 今回のことを通して、私は自分に、他人の詩にコメントしたり評したりするに足るだけの力量があるのか、その資格があるのか、もう一度己を見つめ直す必要性を感じました。 以前、私のコメントを面白いと仰っていただいて、とても嬉しかったので、つつみさんにはたいへん申し訳ないのですが、投稿された詩にコメントするのはしばらくの間控えさせていただこうと思っています。 本当に詩を読むということは、詩を書くことよりもずっと難しいことなのかもしれません。 (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-08

コメントをありがとうございます。 「公約数的な敬意」という言葉には考えさせられます。 少なくともそのような敬意を保つためには、偏った思い込みを廃するような思慮深さが必要になると思います。 常に己の心を点検していなければならない、そんな厳しさを伴うもののように感じます。 (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-08

コメントをありがとうございます。 「自身の批評(或は作品)が誰かの頸を締める可能性への覚悟は、常に意識せねばならない」 肝に銘じておこうと思います。 他人の作品を評することの重さを、改めて感じております。 (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-08

コメントをありがとうございます。 「能力の部分も詩作では大切なのも事実なのでそこも無視はできませんがそこを重心にすると辛口や毒舌になりがちなので気を付けます。」 まさに仰るとおりですね。 そのような湖湖さんのご意見を、もっと早くから知っておきたかったです。 (後悔先に立たずですが・・・) (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-08

ご返信ありがとうございます。 今はまだ気分が落ち込んでいるので無理ですが、いずれ考えてみます。 (ひどいことをしました(フォーラム的投稿))

2023-03-08

たいへん失礼致しました。 私の思慮不足でした。 事情も知らず、勝手なことを書き連ねて申し訳ございませんでした。 (僕だけがいなくなるんだ)

2023-03-07

はじめまして。 まず一読して、たいへん読みやすい詩だと感じました。 様々な実績のある方にこんなことを申し上げるのも失礼かもしれませんが、ビーレビのコンセプトを勘案して、あえて申し上げさせていただきます。 この詩に限って言えば、表現の工夫がやや少なすぎます。 また、詩全体のリズムが一本調子で単調です。 表現の巧みさや詩全体からにじみ出る迫力といったものが、私が今まで読んで美しいと感じた詩(ビーレビ投稿作品も含め)に比べて、明らかに低いです。 また、ご自分の名前の欄に著書の宣伝を入れるのはどうかと思います。 プロフィールの欄に一位になったことや賞をとったことを書くのは、悪いことでもおかしいことでもありませんが、少々露骨すぎる感じもします。 自己PRの文句を考える暇があったら、詩句の表現を考えたほうがいいと思います。 いろいろキツいことを書いて申し訳ありません。 自分はこれでいいと思ったら、その時点でその人は止まってしまいます。 たとえポテンシャルを持ってたとしても、それを発揮できぬまま終わってしまいます。 そう思ってこのようなことを書かせていただきました。 初心者と思われる方には、こんなことは決して言いません。 (僕だけがいなくなるんだ)

2023-03-07

はじめまして。 切ない詩ですね。 他人を笑わせる道化師の哀しみのようなものを感じます。 ただ少し気になったのですが、全体がやや平板な感じがします。 貴方とはどんな人か、貴方を喜ばせる自分の喜び、眼から溢れる涙の複雑さ、そういったことをもっと譬喩を用いて表現してみてはどうでしょうか。 また、改行を用いてリズムをつける、連を区切って一番表現したいことを際立たせる、といった技法を用いるのもいいと思います。 そうすればこの詩の切なさが、より強く、より美しく、読み手の心に染み込んでくると思います。 この詩のテーマはとてもいいと思いますので、表現を工夫しないともったいないと感じました。 (幸せと呼ばせて)

2023-03-07

はじめまして。 この詩では、所謂世俗的な価値観と宗教的な価値観とのギャップあるいは相克を、ユーモラスな口調で表しているのだな、と思いました。 そして最後に、語り手は実は下着泥棒だった、というオチがついています。 それはもしかしたら、下着への偏執的な愛情と、宗教的な聖なるものへの志向とは、大元のところで共通するものを持っている、起源を同じくしている、ということを言おうとしているのではないか、とも思ったのですが、そんな見方は穿ち過ぎというものでしょうか。 面白い詩ですね。 (ちょっと聞いてよ!)

2023-03-06

はじめまして。 悲しみと絶望に満ちた詩ですね。 自分の心が深い絶望に囚われているとき、冬から春への季節の移り変わりは、かえってひどく残酷に感じるものなのかもしれません。 1連目にある、 「強がりの季節は、季節である限り 「時」に敵わない」 という部分からは、悲しみを時が癒してくれる所謂「時薬」や「日にち薬」と呼ばれることの裏返しのような印象を受けました。 薬が使い方によっては毒ともなり得るように、時も状況によっては人を絶望や破滅へと導いてしまうという感じです。 2連目では、「取り返しのつかないことをしてしまった後の朗らかさ」や「破滅は私に優しかった」という、感覚の転換があります。 それらのところに、独特の感性が光っています。 そして、末尾では不穏な雰囲気を纏ったまま終わっているようにも見えますが、タイトルは「啓蟄」。 秘めたる微かな再生への想いが、そこに込められているのかもしれません。 秀逸な作品だと思います。 (啓蟄)

2023-03-06

全く的外れなコメントだったのですね。 お恥ずかしいかぎりです。 申し訳ありませんでした。 (好き詩と好き詩で話したい)

2023-03-06

はじめまして。 己の感性を極限まで研ぎ澄まし、考えに考えぬいて書いた詩が、誰にも読まれない。悔しさと虚しさで全身の力が抜けてしまう。そんな経験を私もしたことがあります。 だからもっと砕けた感じに方向転換するのでしょう。それもわからなくもないのですが、見方によっては、それは妥協あるいは迎合でもあると思います。 この詩の冒頭連以外のような調子で書かれた詩はたくさんあります。いくらでもあります。このような方向に転換しても、数多ある同様な詩の中に埋没してしまう可能性が高いと思います。 一方、冒頭の4行は表現が非常に巧みで見事です。これだけの詩句を書ける才能があるのにもったいないです。 焦らずにもう少し時間をかけて、自分独自のスタイルを練り上げたほうがいいと思います。 (好き詩と好き詩で話したい)

2023-03-06

はじめまして。 初雪の美しさ、暖かさを描いた優しい詩ですね。 私も雪や雨の美しさを詩に書いたことがあります。でもそのとき、豪雪地域に住む人や豪雨被害にあわれた方々が、この詩を読んだらどう思うかが気になりました。 でもそんなことを言っていたら自分の書きたい詩が全く書けなくなるので、そのまま投稿したのですが、やはり胸に小さな棘が刺さったような感覚を覚えました。 あいこんさんがもし、同じような感覚を持っているのならば、それを大切にして、どうか忘れないでおいてください。それが後の詩作にきっと役立ちますから。 また、全篇一行置きに書かれていますが、投稿サイトによっては、このような形式ではダメという所もあります。そして、紙媒体の出版社にこのような原稿を持ち込んでも、詩の内容以前にこの形式というだけで即ボツになるそうです。 ビーレビに投稿する分にはこれでもいいのでしょうが、このような形式ではダメというのが常識となっている世界もある、ということも知っておいたほうがいいと思います。 この詩が表しているような優しい感性が、無駄にならないことを願っています。 (初雪)

2023-03-06

こんにちは。 一見すると仕事上の愚痴のようですが、後半からの発想の転換が面白いです。 こういう方はたまにいらっしゃいますね。 公務員を揶揄する言葉に「休まず遅れず働かず」なんていうものがありますが、それともまた違うようです。 このような方が今まで辞めることも辞めさせられることもなく、怪我をすることもなく何十年も過ごしてこられたということを考えると、確かに宇宙人なんだと思われても不思議ではありません。 最後のほうの、 「ピポピポパ。ピポポクピクピポピ‥‥」 以降は、宇宙人の言葉なのでしょう。 ただ、パ行だけでなくガ行やダ行の字を使ったり、無意味なひらがなの羅列なども、視覚的には面白いかもしれません。 例えば、 「とはねくめほよにえかかかかやらにとめへはへはへほーなななかめめろふしー」 みたいな感じで。 仕事上の苦労を愚痴だけでなく、ユーモラスな詩として書くのは、精神衛生上有益なことでもあるでしょうね。 (俺と仕事。)

2023-03-05

こんにちは。 この詩の主人公は中学生でしょうか、高校生でしょうか。年の瀬とあるので、卒業を間近に控えた、冬の夜の教室でのことでしょう。 「私」がそこでの思い出を語るとき、そこには言葉にならないような、人間関係の相克が厳然とあったようです。 「現実だけは、ここにあった。残酷があるだけだった。」 「この教室だって、血が飛び散ったり、肉が転がったりしていないだけで、いつも通りではない。」 これら二つの表現がそのことを表しています。 「○○君」とは、遠くに転校してしまった人のことでしょうか。 彼が残した「Re」とだけ書かれた便箋。 結局書くことができなかった返信。 そこにもこの教室での、言葉にできない想いが書かれているように受け取れます。 直接的にではなく、行間を読ませるような表現は、巧みですね。 卒業間近の誰もいない教室。そこにあるのは決して永続しないものであって、だからこそ、次へ向かうしかないのでしょう。 厳しく薄汚い現実を透過してもなお残る、微かな切なさのようなものを感じさせる詩ですね。 (Never Everlasting.docx)

2023-03-05

こんにちは。 私が住んでいたアパートでは、外廊下の電灯は不動産会社の管理部の管轄だったので、放っておきました。まあ、これはどうでもいいことですね。 日常生活の何でもないようなことが、淡々と語られています。 同じことを繰り返すニュース。暴走族の残党みたいなのが走る。知らないドラマのシリアスなシーン。 夜更かししすぎると、かえって眠れなくなるものですよね。私も経験あります。 休みの前日(当日か)の、飾らない、等身大の幸せが描かれていて、 「なんだかんだ一番平和な時間帯だったりして?」 という一文がそのことをよく表しています。 何だかほっとするような作品だと感じました。 (TOKYO午前零時)

2023-03-05

コメントをありがとうございます。 黒魔術的という受け取りかたもあるのですね。何か面白いイメージが湧きそうな予感がします。 読んで気持ちのいい詩と言っていただき、たいへん嬉しいです。 ありがとうございました。 (地球儀)

2023-03-04

こんにちは。 一見環境問題についての詩のように見えながら、何か思想的なものを感じさせる詩ですね。 勿論そういう含意もあるのでしょうが、宇宙と地球と糞転がしを冒頭に置いているところから、思想をも感じました。 中盤に出てくるリーダーとは、大国の指導者のようですが、そのすぐ後に拳銃自殺という言葉が出てきたので、もしかしたら神のことなのかなとも思いました。ニーチェが言った「神は死んだ」ということを表しているのかと。 そしてその「神」とはキリスト教の神だけでなく、多神教の神々やアニミズムの精霊などをひっくるめた、何か己を超えたものへの畏敬や畏怖の心。それらがみな自殺してしまった。そんなふうにも読めました。 そして、第4連。ここが、この詩に思想的なものを感じる一番の理由です。 環境問題は己と他者との関係性だけでなく、ごく内面的な己自身との関係からも大きな影響を受けるのではないか。 この連から、そんな印象を受けました。 簡潔ながらも奥深い。 巧みですね。 (同居)

2023-03-04

こんにちは。 短いですが非常に美しくまとまっている作品ですね。 冒頭の「春に似た名前をもつ友人」とは、実在の人物ではないように感じました。 それはつぎの連の言葉が、どこか違う世界からのもののように聞こえたからです。 「わたし」が弾いていたハノンとはビアノ教本のことですね。一度聞いてみたのですが、練習曲だけあって地味で単調な曲でした。「祝祭からいちばん遠い部屋」に繋がる曲想だと思います。 末尾の、そしてタイトルの「石花」とは、「積み残された」とあるので、ロックバランシングのような遊びのことでしょう。 祝祭からいちばん遠い部屋。でもそれは「祝祭」という言葉が用いられている以上、それを視野に入れた情景。 そして、練習曲であるハノンを弾いていたのは、いつか誰かに聞かせたい特別な曲を弾くため。 無機物でありながら花のように見せる「石花」がいまだ積み残されたままなのは、それらのことの象徴のように見えます。 春に似た名前をもつ友人が伝える本当のこと。それが成就した暁に石花は積み上がり、見事な花を咲かせるのでしょう。 幻想的でとても美しい詩です。 (石花)

2023-03-04

はじめまして。 別れた相手への、いまだ胸のうちに残る想いが全篇から滲み出てくるような詩ですね。 末尾の「愛に生きてる」と「会いに行きたい」は韻を踏んでいるのでしょうが、その技巧が全面に出すぎて、心情が伝わりにくくなっている感があります。 もっと素直に書いてもいいのではないでしょうか。 でも2連目の 「細い手の温もりが凍傷になって残ってるんだ」 というところは、冷たさと痛みがうまく簡潔に表現されていて、いいなと感じました。 このような表現をもっと増やして、詩句のリズムにもう少し変化を持たせれば、もっと印象深い詩になると思います。 (愛に)

2023-03-03

コメントをありがとうございます。 詩の言葉を入れ換えて読む、 ということは思いつきませんでした。 これは面白いですね。 やはりコメントのやりとりをすると、 新たな発見があり有益です。 (コメントみない?)

2023-03-03

コメントをありがとうございます。 仰る通りですね。 今回の投稿は、フォーラム的な意味合いもありましたので、技巧的なことはあまり考慮せずに書きました。 ですから、このような評をいただいてもやむを得ません。 (できましたら返信についてのご意見をお聞きしたかったのですが・・・ まあ、そうであればこんな形式で書くべきではありませんでしたね。) (コメントみない?)

2023-03-03

コメントをありがとうございます。 お褒めのお言葉をいただき嬉しく、また、恐縮しております。 以前B-REVIEW に投稿していたときは、コメントがややおざなりになっていましたので(勿論いただいたコメントには返信していました)、もう少し丁寧にコメントしたほうがいいいかなと思い、書いています。 コメントを読んでいただき、ありがとうございます。 (コメントみない?)

2023-03-03

はじめまして。 一種の厳しさと淋しさ、そして冷徹さを感じさせる詩ですね。 偶像は永遠であるからこそ偶像であって、 そこには有限である現実の入り込む余地はない。線の外に出ることは偶像への反逆であると同時に、偶像を求めた己自身への反逆でもあると、そのようにも読めます。 だからこそ、 「現実を受け入れてほしい欲求があるならば  どうか夢からは降りてくれ」 ということなのでしょう。 末尾の「あなたの夢は私のものだったよ」とは、「わたし」という永遠なる偶像は、「あなた」の夢により彫り上げられたものだった、ということでしょうか。 切れ味の鋭い刃物を思わせるような詩だと感じました。 (偶像になる)

2023-03-03

コメントをありがとうございます。 この投稿を詩と受け取っていただき、ありがとうございます。 真摯かつ素朴と評していただき、嬉しく思います。 自分としてはこれを、詩としての面とフォーラム的な面との両方を持つものとして投稿しました。どちらに受け取っていただいてもかまいません。 様々な人の意見を聞けてよかったです。 (コメントみない?)

2023-03-03

コメントをありがとうございます。 やなせたかし氏から詩の批評を受けたとのことで、正直なところ「すごい!、羨ましい」と思ったのですが、その内容が全然見当違いだったというのは、何だか微妙ですね。 そういうときの返信は、やはりとても難しくて困ることでしょう。 ただ私としては、コメントがその人にとって有益だったかどうかということも気になりますので、解釈が違うときは違うと言ってもらえたほうがいいです。 異なる感性が接するところに、新たなものが生まれる可能性があるかもしれませんから。 (コメントみない?)

2023-03-02

こんにちは。 タイトルにある孔球とは、ゴルフのことですね。 ゴルフの起源にはいくつか説があるそうですが、そのうち有力なものが、スコットランドとのこと。 ローマ帝国やイングラントの侵略を受けた土地。そしてアザミはその棘により国土を守ったとされ、スコットランドの国花となっています。「岩を割って咲くアザミの花」とはそのことですね。 北方の辛く厳しい生活のなかで、その競技を「ゲーム」と呼んだことと、生きる苦しさの中から詩を紡ぎだすこととは、どこか通ずるものがあるのかもしれません。 ただその美しさを表現するのに、末尾の「自分の生が如何に恵まれているかということは決して忘れずにいたい」という部分は言わずもがなで、少し教訓的すぎる気がします。 ゴルフやスコットランドという名を出さずに、和名やメタファーで表しているので、そこだけやや直接的に感じてしまうのです。 でも、何か強く惹き付けられる詩だと思います。 (孔球を讃えて)

2023-03-02

こんにちは。 馬が塵になって風に舞うとは、競馬のことで、ジンジャーエールは神社の駄洒落。 そんなふうに思ったのですが、その後が正直なところよくわかりません。 ここは、シュールレアリズムの流れを汲む作品だと思って、ただただ言葉を味わえばいいのでしょうか。 なかなか難しいです。 余談ですが、今、「ただただ」と書いて、ダダイズムの、「ダダは何をも意味しない」という言葉を思い出しました。 (神社)

2023-03-02

こんにちは。 この詩の「無意識が産み落としたnymph」とは、詩の言葉、詩句のことでしょうか。 詩の言葉は日常生活の言葉とは次元を異にしており、そのため、 「外気温・圧に適応せず即死産となるか  不器用と迂闊に因り掌と床壁天井とに潰 殺される」 のでしょう。 そしてその詩句は、「身丈程の現の内でmeaningに捕縛され」るが故に、限られた室や箱や枠の中でしか、「トぶ・コロがる・ユれる」しかないのでしょう。 そんなふうに受けとりました。 でもこんなふうに解釈すること自体が、 「身丈程の現の内でmeaningに捕縛され」ることでしょうから、矛盾していますね。 意味付けすることをやめて、純粋に詩を味わうのがいいのかもしれません。 (トぶ・コロがる・ユれる)

2023-03-01

こんにちは。 現代詩は本当に難しいですね。 読んでいても意味がさっぱり解らないものが、沢山あります。 この詩はその本音のところを、見事に表していると思います。 でも現代詩が本当に嫌いだったら、このような詩を書くこともないでしょう タイトルに「羨望」という言葉が入ってることを見ても、仲良くやれないと言いながらも本当は、現代詩が好きなのですね。 その理由が「ぎらッ」とした何かなのでしょう。 現代詩は語意よりも語感に重きを置いて読むものだ、という話を聞いたことがあります。 ですから私も語感により注意して読もうとしましたが、それでもやはり、現代詩はなかなか難しいです。 (頭痛の種、あるいは羨望)

2023-03-01

はじめまして。 哀しげな美しさを持つ作品ですね。 冒頭のさくらと薔薇とは、同じバラ科の花ですが、対照的とも言えるほど異なった印象の花です。 二人の関係性の隠喩でしょうか。 夢やぶれながらもなお、都会の片隅で惰性で生きてゆかなければならない哀しさが、 この詩から滲み出ているかのようです。 「わたしの花弁は孔雀青」 「あなたが咲かせた青い月」 これらはかつて見ていた夢の残照でしょうか。 末尾の、 「決して適わず紫光に燃える」 とともに、美しい表現だと感じました。 「蘂」や「生生世世」など難しい字や言葉を用いてるところを観ると、かなり勉強されているようですね。 比較的短い詩ですが、とても美しい作品だと思います。 (初桜)

2023-03-01

こんにちは。 どこか寂しそうでありながら、 ほのぼのとした暖かさも感じる詩です。 連と連の間が3行分ほど空いていますが、 そこに言葉にできない想いが、 そっと込められているかのようてす。 細かいことのようですが、2連目2行目の 「お母さんの中のタマゴは孵ることはないんだよ と」 というところは、2行に分けた方がいいかもしれません。 その方が、連と連の間を長くとった効果とのバランスがとれると思います。 とても美しい情景を描いた詩ですね。 (西日)

2023-02-28

ウイットに富んだコメントをありがとうございます。 コメントをもらったら、返答を返さずにはいられない、とのことですが、 投稿される方々が皆、そのような方であれば、コメントするほうも嬉しいのですが、 現実はなかなかそううまくはいかないようです。 (コメントみない?)

2023-02-28

コメントをありがとうございます。 コメントの返信を気にする方がいらっしゃって、少々ほっとしております。 確かに、返信から得られるものはあると思います。 返信をいただければ、考え方や感性の違いがわかって、詩作の幅も広がるかもしれませんね。 ただ、意識的に返信をしない人については、どの人がそうなのか、なかなかはっきりわかりませんので、やはりあまり気にしないようにしてみます。 (コメントみない?)

2023-02-28

コメントをありがとうございます。 申し訳ありません。 仰っている、コメントと盗賊との関係がわかりません。 また、米軍キャンプから恵んでもらったとは、どういうことなのかもわかりません。 せっかくいただいたコメントですが、内容が理解できません。 申し訳ありません。 (コメントみない?)

2023-02-28

コメントをありがとうございます。 なるほど。左下のハートマークの脇に数字が表示されていれば、読んでもらったということですね。 気づきませんでした。 返信に波があるとは知りませんでした。 確かに、その方の用事や体調もあるでしょうから、あまり返信については気にしないようにします。 お教えいただき、ありがとうございました。 (コメントみない?)

2023-02-28

コメントをありがとうございます。 「コメントをするのは、私が勝手にやったこと」、言われてみれば確かにその通りですね。 やはり、あまり気にしない方がいいようです。 ただ、ちょっとだけ・・・ 互いに評し合うことで、互いに高めてゆくというのが、この場のコンセプトだったと思うので、相手がコメントを見ているのかどうかということが、ちょっとだけ気になります。 ちょっとだけですが・・・ (コメントみない?)

2023-02-28

コメントをありがとうございます。 やはりコメントの返信をしないことが許容されている面があるのですね。 私も今後は、より心を広く持っておかなければなりませんね。 この詩だか愚痴だかわからないようなものを、美味しいと言っていただき、嬉しいです。 まな、詩のようなコメント、面白かったです。 (コメントの宛先を間違えてしまったので、ダブってしまいました。すみません。) (コメントみない?)

2023-02-28

コメントをありがとうございます。 やはりコメントの返信をしないことが許容されている面があるのですね。 私も今後は、より心を広く持っておかなければなりませんね。 この詩だか愚痴だかわからないようなものを、美味しいと言っていただき、嬉しいです。 まな、詩のようなコメント、面白かったです。 (コメントみない?)

2023-02-28

はじめまして。 自分が感じたことを、どんな言葉で表現すればいいか、どんな言葉だったらしっくりくるか思い悩むのは、詩を書く人皆に共通することだと思います。 私もそういうことがよくあります。 思い悩んだ末に見つからず、次善の言葉で済ましてしまう。でもそのことが、いつまでも気になってしまう、なんてこともあります。 画家が自分の作品について、これで完璧、これですべてOKと思ったら、その時点でその画家は終わりだ、という話を聞いたことがあります。 仕上げた直後は完璧だと思っても、すぐに気に入らないところが目についてきて、それを克服する新たな絵を描きたくなる。 そんな絶え間ないの不全感がなければ、前に進めず止まってしまう、のだそうです。 詩人も同じだと思います。 ところで、言葉が見つからず、濁点の途中で筆が止まってしまうのは面白いですね。 二度目に筆が止まるときは、最後の「た」の途中で止まって、「ナ」のようになってしまった、みたいなほうがより面白くなるかもしれません。 詩に対する真摯さが伝わってくる作品です。 詩を書く者として共感できました。 (空があまりに綺麗だったので)

2023-02-28

コメントありがとうございます。 今から思えば、説明口調の文は避けた方がよかったかもしれません。 説明のような文が入ると、詩全体のリズム、あるいは雰囲気が崩れてしまいますから。 今後の課題です。 また、この詩から、苛立ちのようなものや、虎の咆哮のような感じを持たれたことは、全く想定しておらず、正直言って意外でした。 受け取りかたは読み手によって様々ということを、改めて知らされました。 (地面に空いた穴)

2023-02-27

はじめまして。 今という時代に生まれて、生きたいけど生きたくない、死にたいけど死にたくない、 そんな二律背反のような、矛盾した想いを抱える心の内を、うまく表現されていると思います。 大正から昭和初期にかけての詩人や小説家の名を出していますが、 現在の、社会が行き詰まり閉塞感の拡がりつつある状況は、その時代と共通するところがあるのかもしれません。 ただ詩全体として長く、推敲しきれていないような印象を受けました。 でも冒頭の、 「演奏が終わって、僕らはホールをつまみ出された」や、 末尾の、 「流産することを生まれるというな」 といった表現は秀逸だと感じました。 (演奏が終わって)

2023-02-27

はじめまして。 胡座をかいた膝の間に体を収める君とは、 「遺伝」や「アレルギー」を検索しているところを見ると、お子さんなのでしょう。 自分のうしろにずっと連なっている団子を刺し貫く串とは、血のつながりのことですね。 「あなたみたいになりたくない        と  あなたみたいになってしまう        は  竹串のお尻と先っぽなのかもしれない」 この表現は、言い得て妙ですね。 本当にその通りだと思います。 ただ、私には子供はいないので、ある程度理解はできても、共感しているとは言えないでしょう。 詩は、書く人も読む人もそれぞれ、事情や境遇が異なっているので、共感できる部分とできない部分があります。 ですから、詩を書く際の姿勢として、二つの極があると思います。それは、 ・できるだけ多くの人にわかってほしい ・わかる人にだけわかればいい という二つの極です。 どちらか一方だけという人は、滅多にいないでしょう。大多数の人はこの二つの間にいて書いていると思います。 前者の極をA、後者をBとすると、 Aに傾きすぎると陳腐で凡庸になり、 Bに傾きすぎると難解で閉鎖的になります。 詩を書く多くの人は、平均すると、中間点よりややBに傾いたところにいる、というのが私の印象です。 私自身は、この両極のどの辺りでバランスをとればいいのか、今もなお模索中です。 長々と余計なことを書いてしまってすみません。 この詩を読んで、こんなことを考えました。 (にじいろ)

2023-02-26

はじめまして。 幻想的な作品ですね。 街の片隅で、誰にも気づかれずに息をひきとる人はホームレスのようですね。 その時動き出した右手が紡ぎ出すものは、 その人がかつて持っていた夢や希望か、 あるいは今の後悔や絶望や諦念なのでしょうか。 それとも孤独に逝く者へもたらされた、 神の憐れみでしょうか。 街の喧騒にかき消され、闇の中へと消えてゆくパレードば、誰にもその存在を知られません。それが何か哀愁を纏った美しさを醸し出しています。 ただ右手から紡ぎ出された何かと、飛び込んでくる光と、針金と、 それら3つの関連がいまひとつぼやけたままですので、読み手にとってはイメージがつかみにくい感じがします。 その点がすっきりすれば、 より美しい詩になると思います。 (フィラデルフィアの夜に 40)

2023-02-26

こんにちは。 寒くて古くて、時間の止まっている駅。 夢の中の情景のような印象を受けました。 その中で、話はなかったのに暖かい何かがあった。作者はそれを「ことば」と表現しているのですが、もちろんそれは、我々が普段使っている「言葉」とは異なるものでしょう。だからこそ、ひらがなの「ことば」が用いられている。 むしろそれならば、片仮名の「コトバ」としてはどうかとも一瞬思ったのですが、 それでは表現が硬質になり、そこにあった「何か」の暖かさが伝わらない。 ですからやはりひらがなの「ことば」でいいのでしよう。 ただそれは、暖かい何かを言葉で正確には言い表せないことの裏返しで その「ことば」とは「何か」の仮の名であるかのように感じました。 ところで、前作の「白の境目」、そして今回の「白いもや」や「白の世界」という表現。 小道さんは白という色、あるいは白という色のない状態に、何か特別の思い入れがあるのかなと、ふと、思いました。 幻想的でいい詩だと思います。 (ことば)

2023-02-25

はじめまして。 ストレートですね。 良い意味でも悪い意味でも、 どストレート。 「白の境目」 「笑顔をこぼしおとしながら」 といった表現はいいなと感じました。 こんなふうに工夫された表現をいくつか入れるならば、ストレートな詩もいいと思います。 ペンネームの「小道純朴」とは、こういったストレートな詩を書いてゆくぞというポリシーを表したものでしょうか。 でも、ただストレートなだけでは、凡庸と見なされてしまう恐れもあります。 上に記したような表現の工夫を、より洗練させてゆくことが大切だと思います。 (あおの匂い)

2023-02-24

はじめまして。 自分の内にあるものは、きちんと言葉にしない限り、周りになかなか伝わらないものですね。 また、言葉に表しても、真面目に聞いてくれる人がいないこともあります。 あるいは、きちんと言葉に表しても、それが正しく伝わらない、理解されないということもあります。 詩や散文を書いていると、そういうことはよくあるでしょう。それでも書くことを止めない、止められないというのが詩人なのかもしれません。 ただ6連目の 「ただふとした時に溢れ出る中身に  私は人生を込める」 という部分ですが、ふとした時に漏れ出るのですから、そこに人生を込めるのは、意識的にされることではないのでしょう。 後になって思い返して、あのとき自分の人生が込められていたのだ、と気づくのではないでしょうか。 だからこそ、「少しにやけた顔でもして聞いてくれ」るのがちょうどいいのだと思います。 ところで、この詩のタイトルが「無題」なのはなぜでしょう。 ただ単に思いつかなかっただけなのか、それとも言葉では表せなかったのか。 後者だとすれば、それはやはり、無意識に人生を込めることと関係があるのかもしれません。 (無題)

2023-02-23

はじめまして。 抽象詩はよくわからないのですが、 凍結するのは二人の絆でしょうか、 それとも二人の罪でしょうか。 凍結するが故に久遠に擬態し、 皮相的な価値が碎けるが故に肌が溶け、 罪があらわになるが故に赦し合えた。 なぜかわかりませんが、 中盤の「神の庭」の連が、 霧に包まれた湖に浮かぶ葦の島 のように感じました。 繊細で神秘的な、美しい詩だと思います。 (凍結)

2023-02-22

はじめまして。 前半のカットイン 夜の街の情景が上手く表現されていると思います。 その映像が眼に浮かぶようです。 息を吹きかける可愛い子供は、作者の分身でしょうか。 後半のカットオフ どこまでも続く闇は、夜の闇であるとともに、心の中の闇なのでしょう。 超高速で落ちてゆくのは、眠りに落ちるのか、それとも心の中に巣くう暗黒へと落ちるのか。 超高速で落ちるが故に、相対的に世界はパントマイムなのかもしれません。 ただこの後半部で、「どこまでも続く闇」、「暗闇の中で私は」と、すぐ近いところで闇という言葉を二度使用しています。そこを例えば「漆黒」とか「無明」などといった違う言葉を使えば、より深みが出ると思います。 でも全体として、夜の情景や心象を巧みに描き出していると感じました。 (舞台)

2023-02-21

こんばんは。 一行から三行程度の短い詩は、書くのも読むのも難しい、というのが私の個人的な感想です。 短く、言葉が少ないだけに、その言葉の選択や解釈が難しい。 一行目の、竹林 切通 石像 は、 今はいない、あなたとわたしの思い出の景色の一部なのかもしれません。 そして三行目の、  声 言葉だけ 音はない ここがこの詩の肝になると思います。 不思議の国のアリスに出てくるチシャ猫が、 笑いだけをその場に残して姿を消すように、 そこには音のない言葉だけが残されている。 竹林も切通も石像も、みな実際の景色の一部でありながら、 そこはどこにもない場所なのでしょう。 なぜなら、そこは音のない言葉だけが残され得る所なのですから。 そんなふうにこの詩を受けとりました。 でも多くの言葉を以て語ると、この詩本来の美しさが削がれてしまいますね。 やはり、短い詩は難しいです。 (褪)

2023-02-20

コメントをありがとうございます。 どこまで書いて、どこまで削るか、 行間に書かれたものを、 どこまで読みとってもらえるか、 悩ましいところです。 この詩については、 穴が何も持っていないということを 強調するために あえてこの文章を入れました。 ご指摘ありがとうございました。 (地面に空いた穴)

2023-02-20

はじめまして。 冒頭の引き剥がされる春とは、夢や希望の象徴で、胸元で糸を手繰る所作は、現実を受け入れることを表しているのでしょうか。  行き交う目線のなかで佇んだ場所は  偶然にいる場所のはずだった ということは、その場所が偶然ではないように感じたということでしょう。 それは一方通行の細い道を振り返ってはじめて、感じることのできることなのかもしれません。 偶然ではないと思うということは、意味を付与することでもあるのですから。 オーストリアの精神科医、V・E・フランクルの言葉に「意味への意志」というものがあります。 人間とは意味への意志を持つ存在であって、人生の意味を満たすことが生きる力になると言っています。 この詩を読んで、全体に漂う哀感の奥底に、「意味への意志」の存在を感じました。 (手繰り寄せること)

2023-02-20

コメントをありがとうございます。 宮沢賢治みたいだと仰っていただき、たいへん嬉しく思います。 今後の詩作の励みになります。 ご紹介された短編は読んだことはありませんが、機会があったら読んでみたいと思います。 今後とも宜しくお願い致します。 (地面に空いた穴)

2023-02-19

コメントをありがとうございます。 穴という言葉から、空白をイメージされたとのことですが、私がイメージしたのは、光の届かない暗黒、というもので、色でいえば白と黒。真逆ですね。 同じ言葉からでも、イメージするものは人によって様々ということを、改めて知らされた思いがします。 ところで「空洞です」という名のアルバムを以て、バンドが完全に出来上がったというのは、とても面白いエピソードですね。 今後とも宜しくお願い致します。 (地面に空いた穴)

2023-02-19

はじめまして。 この詩を読んで、誰かから、心理的な支配を受けているかのような印象を受けました。 その支配の中で「あなた」は「私」に対して、自分と同じであることを求めている。その圧力のもと、「私」は感情を押し殺して身体を生き延びさせていると、そんなふうに読めます。 だから、  あなたと私が違うことを信じたかった  信じられればきっと見えなかった扉も存在する ということなのでしょうが、そうなると、最後の二行がわからなくなる。 違うことを信じたいのに、なぜ、あなたと私の空を隔てるものを開けたがっているのか。 おそらくこの場合の「開ける」の意味は、扉や窓を開けるようなことではなく、箱を開けるようなことなのでしょう。 英語で言えばopenではなくdiscoverに近い意味なのだと思います。 と、こんなふうにこの詩を読んだのですが、もしかしたら全くの見当違いかもしれません。 (解錠)

2023-02-19

この誰もが知っている人とは、様々なメディアに出ている有名人のことでしょうか。 芸能人、スポーツ選手、政治家、実業家、有識者などなど・・・ それらの人々は、無名な一般人から見れば、その心の中を推し量れない人達なのかもしれません。 どんなことに喜び、どんなことで怒り、どんなことで苦しむのか、一般人には見当もつかない、そんな人達なのでしょう。 もしかしたら近い将来、そんな人達が本当に存在するのかどうかもわからなくなる可能性もあります。 実在の人物なのか、それともディープフェイクやAIなのか、一般人には判断のつかなくなる日が訪れるかもしれません。 そうなったらもう、この世に生まれてきた命、とは言いきれなくなるのでしょうね。 この詩からそんな印象を受けました。 見当違いのコメントだったらすみません。 (知ってる人)

2023-02-19

はじめまして。 諺にある、  情けは人のためならず  めぐりめぐりて  己がためなり ということを、詩の形で表現されたもの、と受けとりました。 この詩を読んで、だいぶ昔に観た「ペイ・フォワード」という映画を思い出しました。 その中では主人公は最後に亡くなってしまうのですが(ネタバレ)、それでもその人が遺した活動は生き続けてゆくという話でした。 自分が情けをかけた相手が、さらに、その周りの人々に情けをかける。それはある意味自分の命が、形を変えて継承されてゆくことでもあります。 それがつまりは、私が必然的に貴方から情けをかけてもらったことになるのでしょう。 簡素ですが、いい詩だと思います。 ただ、この最後の一文が、なぜそうなるのか、何か例えや比喩を用いて表現されていれば、もっとよくなったような気もします。 蛇足ですが、「星の鯨」というペンネームはいいですね。それ自体が詩的です。 一瞬、そちらが詩のタイトルかと思いました。 (情け)

2023-02-19

なるほど! 穴が己自身を埋めてしまったら穴ではなくなる、即ち自分ではなくなる。 今苦しんでいるその苦しみそのものが、自分が自分であることの証しなのですね。 目からウロコです。 貴重なコメントをありがとうございました。 (地面に空いた穴)

2023-02-19

はじめまして。 歯医者への恐怖から逃れるための幻想ですね。 強すぎるストレスから自分を護るための、 解離性人格障害にも似てるかなとも思いました。 空想の中での前世の日常が、とても具体的に書かれています。非常に想像力の豊かな方なのでしょう。 ただ最期に再び、歯医者のもとに帰るのも、面白いかもしれません。 恐怖が意識を現実から弾き出してしまう、 そんな興味深い作品だと思います。 (歯科医のあなたは)

2023-02-19

はじめまして。 ここから投げる円盤は、未来への視線の隠喩でしょうか。 我々が見ることのできる範囲は本当に狭くて、見えない未来を信じて日々を生きることは、とても難しいことですね。 ですから「幸せ」とは、常に後になってからわかるものなのかもしれません。 未来は見えない、最後の瞬間はいつ訪れるかわからない。だから、そのときひとりきりでないことは、もう祈るしかありません。 今生きることの、そして未来への不安や戸惑いのようなものを感じます。 特に4連目と5連目の表現が美しいと思いました。 (喪失の窓)

2023-02-18

はじめまして。 何年かぶりのメッセージなのにすぐに既読がついたということは、その間もずっと自分のことを憶えてくれていた、あるいは気にかけていてくれたということですね。 手のひらに乗るような小さな機器で、繋がりを確認できる、そのささやかな喜びが伝わってくるような作品だと思います。  こちらは雪が降りました 何げない、よくあるようなフレーズに込められた言外の想いが、詩全体からにじみ出ているかのようです。  こころはもう離れ離れだけど でもその「こころ」にも様々な面があって、ある面では離れ離れでも、また別の面では繋がっているということもあるでしょう。 そういったことを掘り下げて書いてみてもいいかもしれません。 とても繊細な感性による詩、という印象を受けました。 (雪が降りました)

2023-02-17

はじめまして。 毎日毎日、同じ景色を見ながら同じ道を繰り返し歩くときに覚える、言い知れぬ惰性と倦怠を描いているのてしょうか。 街での生活を送る人の、侘しさともやるせなさとつかない、鈍色の哀感を感じます。 特に三連目の、  煙突よ、ほら煙突よ  それは誰の疲弊を含んだ煙かと という表現は秀逸だと思います。 そして最期に野良猫を登場させたのも、何か共感を誘っていて、いいですね。 ただ個人的には、ひとつの連を分けて、もう少し短めにした方が読みやすいです。 あくまでも個人的な意見ですが。 でも全体的には、とても良かったです。 (煙突)

2023-02-17

こんにちは。 とてもうまくまとまっている詩だと思います。 とくに「べし」がアクセント(スバイス?)になっていると感じました。 (生きたいね)

2021-07-08

コメントをありがとうございます。 プライベートでいろいろあって なかなか投稿できませんでした 「構造的な魅力」という言葉をいただいたのは これが初めてで いい詩はなかなか生まれませんが またいろいろと考えようと思います (ある夢想)

2021-07-08

ささらさん コメントをありがとうございます。 この詩を書くにあたって、自分の内にある感覚を言葉に置き換えるのが精一杯で、リフレインの行数や詩の構造といった、技術的な点まで思いが及びませんでした。 まだまだ勉強が必要なようです。 (牽制される葉芽の鱗片)

2021-01-09

言いたいことはわかるのですが、詩という形をとるのであれば、もう少し表現に工夫があった方が良いかと思います。 (常々他者の人生を羨むことしかしてない恵まれてるはずなのにどうしても隣の芝が青いんだ)

2021-01-04

最初の二行の表現が、秀逸だと感じました。 (曙光)

2021-01-04

個人と個人との断絶、群衆の中の孤独、「普通」という言葉の空疎さといったことを、止まったままの風車や、つながらない風で表現している点が斬新に感じました。 (風車が回らない日に)

2021-01-03

鈴木歯車さん 春の日の、何となく不安定な心理状態、どこか歯車がうまく噛み合わないような感覚を思い出しました。 (春)

2021-01-02

沙一さん コメントをありがとうございます。 本当に表現したい部分を残し、無駄を削る。 簡単なようで、なかなか難しいです。 (腹いっぱい)

2021-01-02

螢草さん コメントをありがとうございます。 詩は書けば書くほど、言葉を紡ぐことの難しさを感じさせるもののように思います。 (アルミニウムの涙)

2021-01-02

田中宏輔さん コメントをありがとうございます。 この詩を書くにあたって、アルミニウムの精錬をイメージしましたが、沸点にまでそれが及びませんでした。 その点をも含めて書けば、より面白い内容になったかもしれません。 (アルミニウムの涙)

2021-01-02

楽子さん コメントをありがとうございます。 この詩については、はじめに「アルミニウムの涙」という言葉が頭に浮かんで、それをもとに書いたものす。 テーマが多少突飛過ぎるかとも思いましたが、この詩に美しさを感じていただいて、安心しました。 (アルミニウムの涙)

2021-01-02

羽田恭さん コメントをありがとうございます。 このような詩に「レッセフェール」という言葉を入れるのは、少々唐突すぎる感じになるかとためらったのですが、いいアクセントと観ていただいて、安心しました。 (アルミニウムの涙)

2020-12-13

未さん コメントをありがとうございます。 私の感じた無音を聞いていただき、ありがたく思います。 (風に揺さぶられる枝葉)

2020-12-13

アミアミさん コメントをありがとうございます。 部屋の歪みはという点につきましては、他者の無音の言葉と秒針の音との不協和音のようなものを表現しようとした試みです。 (風に揺さぶられる枝葉)

2020-12-09

この世界の中で、何か確かなものを掴みたい、でも思うようにいかない、そのもどかしさを、詩の言葉に託しているように感じました。 (* ひと粒だけ*の星)

2020-12-04

病室という独特な空間の中で観られる幻想が、瑞々しく描かれていると思います。 (「端正な型崩れ」)

2020-12-04

田中宏輔さん コメントをありがとうございます。 そうですね。 僅かばかりかもしれませんが、希望はあると思いたいです。 また、希望を持ちたいと思うことが、希望の種なのかもしれません。 (セグロカモメ)

2020-12-01

右肩ヒサシさん コメントをありがとうございます。 大変申し訳ありませんが、コメントの内容の半分くらいがあまりよく理解できませんでした。 これは皮肉ではなく、私は詩論的なことはあまりよくわからず、直感的あるいは感覚的に詩を書いてしまうからです。 ただ、私が詩を書くようになったその入口が、近代の叙情詩だったので、その影響がいまだに残ってしまい、ご指摘のような言葉使いになってしまったのかもしれません。 まだまだ精進が必要なようです。 (これも古くさい表現ですか・・・) (セグロカモメ)

2020-11-29

コメントをありがとうございます。 漢字とひらがなの選択、今後考慮します。 ご指摘ありがとうございました。 (セグロカモメ)

2020-11-22

人としての、あるいは生命の、根元的な孤独感、そして、孤独であるが故の、個としてのアイデンティティーの確立ということが伝わってきます。 なお、もし違ったら申し訳ありませんが、第二連三行目の「何者にもあれない」は、「何者にもなれない」の誤りでしょうか。 (分裂)

2020-11-21

(宛先訂正) 湯煙さん コメントをありがとうございます。 この詩ではまた、中層を漂う大気の内に、時間の流れを微分するかのような、刹那滅や連なりながら時々なり、といったようなことを感じて、書いた面もあります。 (中層を漂う大気)

2020-11-14

(宛先訂正) エイクピアさん コメントをありがとうございます。 この詩の、線に在らず、線を成さず、という部分は、自他の境界の曖昧さ、いわゆる自他不二ということや、華厳経のインダラ網と喩えなどを念頭に書きました。 (中層を漂う大気)

2020-11-14

曲がり角とは人生の曲がり角か、記憶の曲がり角か。曲がり角を曲がるとはいかなることなのか。亡き母の声はまるでぐるぐると回転し続けるが如く、記憶の淵より再生されているようで、色々考えさせられ、感じさせられる作品です。 (曲がり角)

2020-11-14

湯煙さん コメントをありがとうございます。 この詩ではまた、中層を漂う大気の内に、時間の流れを微分するかのような、刹那滅や連なりながら時々なり、といったようなことを感じて、書いた面もあります。 (中層を漂う大気)

2020-11-14

エイクピアさん コメントをありがとうございます。 この詩の、線に在らず、線を成さず、という部分は、自他の境界の曖昧さ、いわゆる自他不二ということや、華厳経のインダラ網と喩えなどを念頭に書きました。 (中層を漂う大気)

2020-11-14

透明な静けさを感じさせる作品だと思います。 「祖父は私の耳にもういないあの人をそそぐ」や、「ゆっくりと踏み抜いて私は私になる」といった表現にとても新鮮さを感じました。 (知らない顔のあの人)

2020-10-26

全体的にすっきりしていて、いい詩かと思いますが、もう少し日常的な言葉の使い方から逸脱するような工夫があれば、よりいいかと思います。 (秋の朝メトロ)

2020-10-26

hyakkinnさま 動物が環境の変化に適応してその習性を変え、それが遺伝的に固定することで種が分化するといいます。 ですから、島の猫はイエネコから「シマネコ」とも呼べるような亜種へと分化する可能性があると思います。 一方人間は、環境を大きく変える力を持ったが故に、意図せずして己自身を変えてしまう可能性もあると思います。 それが倫理的に正しいことなのか、やむを得ないことなのか、今はまだ分かりません。 そのような意味も含めてこの詩を書きました。 コメントをありがとうございました。 (広告と猫)

2017-12-18

三浦果実さま アラメルモさま どうやら投稿するのが少し早すぎたようです。 もっと推敲を重ねて内容を掘り下げるべきでした。 ただ、タイトルについては簡素にして、何気ない日常の事柄と、その裏に隠れたものをより際立たせるようにしたほうがいいと、私は思うのですが、そのタイトルから深い内容を期待されることもあるのですね。 タイトルをつけるのもなかなか難しいです。 コメントをありがとうございました。 (広告と猫)

2017-12-16

シュールレアリズムの詩への批判、あるいは決別を示しているように感じました。 中途半端な形を成して 美しさも孤独も 代弁しない 半透明な月1208号 とは、作者自身、あるいは作者が感じ、伝えようとしているものを表しているようにも思えました。 (はじまりの詩)

2017-12-09

学校の敷地に埋めたタイムカプセルの詩ですね。 幼少期の独特な世界観が、巧みに表現されていて、私も見習いたいと思いました。 記憶は物質に込められるのか、物質に惹き起こされるのか、記憶自体が物質なのか、思索に引き込まれます。 (物質と記憶)

2017-12-09

アラメルモ さま 硬質な語り口が、BよりもむしろHBを連想させてしまうことは、想定していませんでしたが、確かにそうかもしれません。 深尾さんの詩も読んでみました。 硬い感じでしたが、面白いと思いました。 コメントをありがとうございました。 (Bの鉛筆)

2017-12-08

面白い表現がたくさん詰まった詩だと感じました。 大気圏より向こうの気持ち ニセモノの天の川を辿ってた 無重力のシルエットみつめて どれも新鮮な表現だと思いました。 最初の行が感傷的な印象を与えていますが、その後とのギャップが面白いと思いました。 (朝焼け)

2017-12-08

コーリャさま 詩と思想は切り離せないものだということを、どこかで聞いたことがあります。 その一方で、詩が教訓的になると、陳腐と化してしまうという意見も聞いたこともあり、 なかなか難しいです。 コメントをありがとうございました。 (Bの鉛筆)

2017-12-08

まりもさま 仰有る通り、この鉛筆はB-REVIEWに投稿している自分自身と重ねて書いたものです。自分自身のカリカチュアこようなものです。 詩の本質が書き手に在るのか、読み手に在るのか、それともそのどちらなもないのか、人によって考え方はまちまちでしょうが、そのことを表現しようと思い、この詩を書きました。 コメントをありがとうございました。 (Bの鉛筆)

2017-12-07

ウエキさま 不思議な感覚の詩ですね。 単なるマタニティー・ブルーを描いているかのようでいて、更にその奥底にある、命の残酷さを顕にしているような印象を受けました。 「胎児と  お母さんは共犯者」 という表現は新鮮ですね。 (黄金色のストール)

2017-12-03

花緒さま 最後の二行と、プライベートブランド云々といった部分は削ろうかどうか迷った末に残してしまったのですが、やはり余分だったようです。 遠藤周作氏が、書きすぎることを戒める内容のエッセイを残されていますが、それを今になって思い出しました。 自分の内にある不安感との戦いですね。 コメントをありがとうございました。 (Bの鉛筆)

2017-12-03

不毛の神とは、農耕や牧畜とともに始まった人間の文明以前の世界を治めていた神のことですね。 この詩は人間の文明への批判と読めます。 ただ、「不毛」という言葉からは、私は生命をも拒む荒涼とした土地をイメージしてしまいます。 生命発生以前の原始地球の神、というのも面白いのではないでしょうか。 (不毛の神)

2017-11-21

鉄格子の中に囚われている 恋人とは何を表しているのでしょう。 私には、それは作者自身の心の化身、あるいは魂の化身のように思えます。 まだ一度も流したことのないその涙、それは心の奥底で憧れている、触れると途端に壊れてしまいそうなほど繊細な、何かとても美しいもの、そのような印象を受けました。 (頬)

2017-11-21

くつずり ゆうさま 新しい感覚と仰有っていただたき、嬉しく思います。 幻想と現実をあえて繋いでみようと思い、このような詩を書いてみました。 「ふとした瞬間に気づかされる温かなお味噌汁の湯気みたいな事」というご感想、とても新鮮に感じました。 コメントをありがとうございました。 (逆さの象)

2017-11-20

cotonoさま すごいと仰有っていただたき、非常に恐縮です。 健常と障害の間や、生存競争と人間性について突き詰めて考えると、やがて答が見えなくなってしまい、思考が停止してしまいます。そんな状態が、逆さになって宙に浮いている象をぼんやりと眺めているように感じたので、こんな詩を書いてみました。 コメントをありがとうございました。 (逆さの象)

2017-11-19

くつずり ゆう様 初めまして。 何か心に染み込んで来るような感覚を誘う詩ですね。 所々挟まれている、括弧で括られた部分(遠ざかる 音、等)が、一瞬心をよぎるイメージを表しているように感じます。 また、 自由で苛酷な 馬になれるでしょう や、 戦い敗れ去っていく細胞のとなりで といった表現がとても新鮮でいいと思いました。 (蹄の音)

2017-11-18

cotonoさま 初めまして。 涙腺より零れる涙から、山の湧水、知らない街の囁き、異国の音楽の路上演奏、散っては芽吹く花、と繋げてゆく技法は見事です。 勉強になりました。 (とうとう)

2017-11-15

糸井翼さま 初めまして。 簡素にまとまった詩ですね。 自分も、他人と同じく世に生まれては消えてゆく存在であることを表現されているところに、味があると思いました。 最後の、でたらめに生きて、が無常感を醸し出していてとてもいいと思います。 (都会)

2017-11-14

花緒さま 視点、と面白さは変わらないと仰有っていただき、安心しました。 今後も文章をより洗練させてゆこうと思います。 コメントをありがとうございました。 (逆さの象)

2017-11-14

カオティクルConverge!!貴音さん♪� さま 初めまして。 夢に出てきそうな(もしかしたらもう見たことのある)光景を表現してみようと思い、こんな詩を書いてみました。夢には潜在的にある想いや感情が出てきます。それを拾い上げてみたいと思いました。 コメントをありがとうございました。 (逆さの象)

2017-11-14

Migikataさま 障害と健常との間に関すること、そのカテゴライズについて、自分の考えをダイレクトに詩に書いていいものかどうか、そのようなものを詩と呼べるのかどうか、しばらく迷ったのですが、思いきって投稿してみました。 コメントをありがとうございました。 (逆さの象)

2017-11-13

kikunaeさま 初めまして。 人生をバナナに象徴して、その本質をついたような、不思議な魅力を感じます。 その一方で、極限まで高めた幻想に溺れてしまう恐怖も窺わせます。 (空想のバナナ)

2017-11-13

森田拓也さま 初めまして。 「極端な例を引き合いに出すなと言われそう」という点については、実は私は重要なことだと思っています。 極端な例とそうでない例との線引きをどこにするのか、ということは、それに関わる当事者にとっては、その後とても生きにくくなるかもしれない、非常に重要なことだからです。 コメントをありがとうございました。 (逆さの象)

2017-11-13

夏生さま こんばんは。 短く切り取られた文章に、心の奥にしまい込まれていた記憶の断片を拾い上げて、繋ぎあわせているような、そんな印象を受けました。 また、そのようなリズムが、 命をたらふく 食んで まだ足りない 命を育んで まだ足りない という、海の恐ろしさと奥深さを、より強調しているようにも感じました。 不思議な魅力のある詩ですね。 (海の唄)

2017-11-09

Migikataさま 申し訳ありません。 ミスタッチで返信が途中で送信されてしまいました。 再度送り直します。 哀しみの大地に/常に己の内に抱えている/永遠に続く邂逅と離別故の震えを/伝えるために、という部分は感傷的ですか。なかなか難しいですね。 言葉が感情を誘いかけながら、少し距離を置いて逃げていく、という感覚は、私にはとても新鮮に感じられました。 コメントをありがとうございました。 (裸の水)

2017-11-09

Migikataさま こんにちは。 哀しみの大地に/常に己の内に抱えている 永遠に続く邂逅と離別故の震えを 伝えるために 言葉が感情を誘いかけながら、少し距離を置いて逃げていく、 (裸の水)

2017-11-09

霜田明さま 初めまして。 誰もが自尊心を持ってはいますが、殊更自分のことを偉いと思わせるような陽とは、どんな場所のどんな陽なのか、想像をかきたてるような詩ですね。 (夕陽)

2017-11-07

仲程さま 初めまして。 教材ビデオを見せると同時に、詩を読ませるような授業があったら面白いですね。 いろいろな教材から、詩作のヒントが得られると思います。 コメントをありがとうございました。 (裸の水)

2017-11-07

ユーカラさま 初めまして。 中原中也の「汚れちまった悲しみに」を思い出しました。 諦めきれないからこそ悲しいということには、非常に共感します。 また、そうであるからこそ、本物の美が隠れていることに気づくことも。 その悲しみと、本物の美への期待が、詩作の原動力になるのだと思います。 (『もう、手は洗わない』)

2017-11-06

弓巠さま この詩は、ふと心に湧いた「裸の水」という言葉と、それから連想した視覚的なイメージから書いたものです。 ですから、「裸の水」という言葉は何かの喩えという限定はしていません。 読む方により様々に受け取っていただきたいです。 コメントをありがとうございました。 (裸の水)

2017-11-06

stereotype2085様 初めまして。 『弱い立場にある人々に与えられた「盾」が時に「矛」となり人を攻撃する様を幾度か見てきた』ということについては同感です。 そこには、「弱者」とは誰か、「弱者」と「強者」との間の階層性・連続性・多様性・複雑さ等に対する思慮の浅薄さが在ると思います。 詩そのものについてのコメントでなくてすみません。 (半身の体の雨降りの午後)

2017-11-05

まりも様 この詩は意味よりも、霧雨の降る日の感覚や感情を主体にして書いたものです。 やはり無意識に身構えて力んでしまうのか、硬さがなかなか抜けません。 まだまだ己の未熟さを思い知らされます。 詳細なコメントをありがとうございました。 (霧雨)

2017-11-01

まりも様 やはりまだ、文章の硬さから抜け出せていないようです。 もっと自由にと思ってはいるのですが、無意識に自分で自分を枠にはめてしまっているようです。 的確なコメントをありがとうございました。 (水柱の重さに)

2017-10-24

survof 様 この詩は、明け方の寝ぼけたときの心理状態を思い出しながら、不条理な夢のようなイメージで書いたのですが、文がやや硬くなってしまったのは、私の性格のせいかも知れません。 コメントをありがとうございました。 (水柱の重さに)

2017-10-23

まりも様 コメントをありがとうございます。 暗闇と夜の時間をどう表現するか迷い、複数の角度から言い表すのも一つの方法かとも思ったのですが、なかなか難しいですね。 ご指摘ありがとうございました。 (暗夜の白花)

2017-09-15

こんばんは。 「怖い」、「凄惨」、「気味が悪い」、「手遅れ」といった言葉に、何か複雑な作者の心理が映し出されているように感じました。 (君の写真)

2017-09-14

こんばんは。 ファンタジーのような印象の詩ですが、「瞼の重力」や「脳移植」といった言葉の選択が、独特の雰囲気を醸し出しているように感じました。 (一人称多数)

2017-09-14

survof様 コメントをありがとうございます。 確かにこの詩を書いているときにはある種の浮遊感がありました。 自分の視点がこの肉体に固定されていることの不思議さ、あるいは違和感、周りのもの全てが、この視点の側だけをそれらしく見せているだけの、張りぼてのようなものではないかという不安感などを、表現したかったのですが、そこに多少なりとも共感していただけたならば嬉しいです。 (視点)

2017-09-14

三浦果実様 コメントをありがとうございます。 この様な形式の詩を書くのは実は初めてで、自分の内にある心情を比較的自由に表現してみました。 読みにくくなっていないか心配でしたが、面白いと仰っていただき、大変嬉しく思います。 ありがとうございました。 (視点)

2017-09-14

おはようございます。 「10月の花咲いているこの庭に 君の姿はもう見えない」以降の部分に、何か不思議な感覚を与える、印象的な詩だと思いました。 読む側に様々な受け取りかたをさせる作品のように感じました。 (花)

2017-09-12

おはようございます。 なんとも言えず不思議で、幻想的な印象を受ける詩で、それを一定の型の中で描ききる力量には脱帽します。 (奏楽)

2017-09-10

おはようございます。 駅のプラットホームで人知れず息を止めることと、自分が無敵になったように思うこととのギャップに、不思議な面白さが醸し出されているように感じました。 (飛んで)

2017-09-10

紅茶猫様 コメントをありがとうございます。 紅茶猫さんの「夜の水遣り」は、短くてもとても印象に残る詩だと思いました。 インスピレーションを与えてくれる詩に出逢うのも、詩を読む楽しみの一つですね。 (暗夜の白花)

2017-09-09

こんばんは。 暗く静かな夜の、街や公園、冷たい街路灯の光の中に佇むときの孤独が、巧みに描かれていると思います。 その心情がありありと、心の中に浮かんできます。 (距離)

2017-09-09

夏生様 コメントをありがとうございます。 この詩の表現はやや重すぎたかな、とも思っていましたが、そこから、闇を受け入れる白い花の強さを感じ取っていただき、大変嬉しく思います。 ありがとうございました。 (暗夜の白花)

2017-09-09

こんばんは。 日常の何でもない物から、一篇の詩を紡ぎあげる力量はすごいと思います。 見習いたいです。 (1セント銅貨が居りまして)

2017-09-08

前田ふむふむ様 コメントをありがとうございます。 この詩は先月の紅茶猫さんの「夜の水遣り」を読んで、湧いてきたイメージから書いたものです。 散文の手法についてはあまり意識していませんでした、というよりも、あまりよく理解していないと言ったほうがいいかもしれません。 確かに、「その」とか、「なお」などを省いたほうがすっきりしますね。 ご指摘ありがとうございました。 (暗夜の白花)

2017-09-08

おはようございます。 自分の中にある感情を、海の中の流れに託して表現する手法は、さすがだと思いました。 「焼きついていくのどを取り外し 流れに浸し洗い浄める」という表現もなかなか思いつきません。 勉強になりました。 (流露)

2017-08-21

まりも様 コメントをありがとうございます。 参りました。 「年齢を重ねるごとに、加速度が増す、人生の加速度。」 また、印象的な言葉が頭の中を廻り、また何かを書きたくなります。 (秋の花色)

2017-08-17

初めまして。 「端と端」という言葉を、第一連の最後と第二連の最初に置く、詩全体の中央を引き締めた配置は見事だとおもいます。 最後に一行だけの連がありますので、詩の冒頭に一行つけ加えれば、なお良いとも思います。 (まるで鏡に映したように)

2017-08-17

初めまして。 最初はざっと読んでスルーしたのですが、何故か気になり何度も読み返させていただきました。 黒い水とは夜の暗闇の隠喩でしょうか。 その暗闇の重さに揺らめいている花。 何故か、華奢な白い花がイメージされました。 来月頃にでも(今月は二篇投稿済みですので)、返詩というほどではありませんが、この詩から湧いたイメージの詩を投稿させていただきたいと思います。 宜しくお願い致します。 (夜の水遣り)

2017-08-16

kaz.様 返詩の返詩の返詩です。 距離を微分すると 速度になり 速度を微分すると 加速度になり 加速度を微分すると どうなるの? 増してゆく重力 次々と物質を飲み込み 成長しつつある ブラックホールのように 増してゆく加速度の どこまでも どこまでいっても 果てのない エンドレスの 返詩の返詩の返詩の・・・ (秋の花色)

2017-08-15

初めまして。 あくまでもこれは個人的な感想なのですが、 この詩は、よくあるJポップの歌詞のようで、あまり新鮮さを感じません。 無論、美的感覚は人それぞれなので、この詩への感じかたも様々でしょう。 ただ、私個人としては、表現にもう一捻りほしいところです。 生意気なコメントで申し訳ありません。 辛口な意見も少しは必要かなと思い、コメントさせていただきました。 (この身を預けて...)

2017-08-15

返事が遅れて申し訳ありません。 花緒様 返詩を書くのはこれが初めてでしたので、まともな返詩になっているか不安でしたが、「まさしく返詩」とのお言葉をいただき安心しました。 紅茶猫様 出来るだけ読みやすいようにと思って書きましたので、「長さを感じない」「簡潔」とのお言葉をいただいて、嬉しく思います。 Sari Dote様 前衛とは元々軍隊用語で、最前線で守り戦う部隊のことを指す言葉だそうです。それが転じて、思想・芸術で先進的なこと、としても言われるようになったそうです。 ただ、あまり専門的な文学・文芸批評にこだわらなくてもいいと思います。 (秋の花色)

2017-08-15

こんばんは。 加速度という言葉で、ふと、インスピレーションが湧きましたので、返詩を投稿させていただきました。 (和歌)

2017-08-14

こんばんは。 フラッシュが焚かれる直前にきゅうんという音が鳴るのを聞いたことはありますが、それをその後に置いたところが面白いと思いました。 また、「光学的な手順で縫合」とか「イカガデスと思う」といった表現や、最後に突然「夕立が止んだ」という言葉を置いたりされたところは、とても勉強になりました。 (被写体)

2017-08-14

こんばんは。 私もこの詩にやや陳腐な印象を受けましたが、美的感覚は人それぞれなので、一概に陳腐とは言い切れないかもしれません。 父親のような人や幼馴染みの人との会話や交流にもっと焦点をあてたほうが良かった気がします。 (春雪と彼)

2017-08-14

済みません、コメントを書く前に間違えて送信ボタンを先に押してしまいました。 初めまして。 自分の中にある、悲しみや、何とも言えない複雑な感情を、なんとか表現しようとしているような印象を受けました。 特に、平仮名のみで書かれている連が入れられているのが、新鮮な感じを出していると思います。 (私の欠片は朝焼けの中)

2017-08-13

こんばんは。 どこかほっとするような感じのする詩ですね。 ただ在るということの大切さを身近な言葉で表現されていると思います。 「あたたかいコーヒーになろうと湯がくるくる働く音」が、静かな部屋に聞こえる様が想像できます。 心静かに過ごせる大切な時間を感じます。 (在ればいい)

2017-08-10

こんばんは。 郷愁を誘うような詩ですね。 「落ちてきた神様の声」や「高架下の道を 家路の一つとして愛していたのだ」といった表現が新鮮且つ効果的だと感じました。 ただ、もう一捻りあったほうがいいかな、とも思いました。 あまり大したコメントを書けないで済みません。 (高架下)

2017-08-10

まりまさん コメントをありがとうございます。 書けば書くほど、自分の中にあるものを表現することの難しさを思い知らされますが、そのもどかしさを感じとっていただき、嬉しく思います。 ありがとうございました。 (綱)

2017-08-07

5or6さん コメントをありがとうございます。 この詩の書き方は、心の中にある感情や感覚を表現するための、試行錯誤の一つです。 もっと表現方法の模索をしていくつもりです。 (綱)

2017-08-05

蛾兆ボルカさん コメントをありがとうございます。 下から上に向かう読み方はあまりないかもしれません。 物事を見る視点を変えられるような詩を、できればこらからも書いてゆきたいと思っています。 ありがとうございました。 (十三階段)

2017-07-17

花緒さん コメントをありがとうございます。 まだまだ文体が堅いようです。 どうも癖のようですが、より意識して直してみます。 ご指摘ありがとうございました。(この文章も堅いですか?) (十三階段)

2017-07-16

hyakkinnさん コメントをありがとうございます。 仰る通り、十三階段というタイトルは絞首台の意味でつけました。 ですからこの詩は、一番下から上に向かって読んでもらうことを想定して書いたものです。 それが読み手の方に伝わるか少々心配しましたが、気付いていただき、ほっとしました。 ありがとうございました。 (十三階段)

2017-07-16

kazさん コメントをありがとうございます。 確かにタイトルを「□□□□□□□□」にした方がインパクトがありますね。 どうも私には、本文がタイトルに負けてしまうと、読み手を失望させてしまうのではないかという心配が勝って、タイトルへの工夫や配慮が足りなくなってしまう傾向があるようです。 ご指摘ありがとうございました。 (タイルの目地)

2017-07-16

黒髪さん コメントをありがとうございます。 図形を多用した詩には、違和感や反発を感じる方が多いかもしれないと心配していたのですが、このようなコメントをいただけると励みになります。 まだ文章が堅く、解りにくい面があるようです。 ありがとうございました。 (タイルの目地)

2017-07-14

まりもさん コメントをありがとうございます。 今読み返してみると、単調で捻りがなく、やや間延びした感は否めませんね。 また、タイルをじっと見つめていると、目がチカチカしてきたことから、脳内のイメージが湧いてきました。 でも、この部分は蛇足だったかもしれません。 ご指摘ありがとうございました。 (タイルの目地)

2017-07-13

コメントをありがとうございます。 確かに文体はやや古くさいですね。 詩の新しさや、詩の立ち位置ということについて、まだ感覚的にうまく掴めていないようです。 ご指摘ありがとうございました。 (タイルの目地)

2017-07-12

まりもさん 返事が遅れて申し訳ありません。 確かにこの詩は形式ばっていて、言葉も堅く気張っている感じがします。 これも詩の一つの形かと思い、書いてみたのですが、反発を覚える方もいるかもしれませんね。 ご指摘ありがとうございました。 (松明を掲げよ)

2017-06-29

まりもさん こんばんは。 コメントをありがとうございます。 やはり、まだ形式にとらわれている部分があったようです。 そのために描写不足になったのかもしれません。 また、ありきたりな表現を避けようとするあまり、抽象的になりすぎて、焦点がぼやけたようです。 ご指摘ありがとうございました。 済みません。「歯車」は読んだことがありません。 機会があったら読んでみたいです。 (高熱にうなされて)

2017-06-28

済みません。 ガイドラインを把握しきれておらず、連日で投稿してしまいました。 来月からは、一週間程間を空けて投稿するようにします。 (高熱にうなされて)

2017-06-25

黒髪さん。 コメントをありがとうございました。 この詩はかなり直感的に書いた部分が多いので、深い解釈をいただき、恐縮します。 私は、詩には読む人がそれぞれの受け取りかたをして、様々な解釈をしてもいい側面もあると思っています。 また、あまり意味にとらわれなくてもいい詩もあるとも思っています。 黒髪さんは、どう思われるでしょうか。 (松明を掲げよ)

2017-06-19

花緒さん コメントをありがとうございました。 確かに連呼詩は容易に作れる側面があるますね。 その事を常に意識して、緊張感を持って詩作に臨むことが大切だと感じました。 (松明を掲げよ)

2017-06-19