B-REVIEW作品投稿掲示板


10月分 フル選評(まりも)   

まりも 
作成日時 2018-11-09
コメント日時 2018-11-21

 

B=REVIEW 2018年10月投稿作品 選評 ◆はじめに 今までで最も多数の作品が投稿された10月。生きるとは何か。書きなれた手つき、まだ書き始めて間もないと感じさせる文体、そのいずれにも、同様の内向的な問いが含まれているものが多かったように思う。抽象的であれ、迫真的であれ、五感を通じた体感(人類っ共通の体感)を探って、それを自らの経験が学び覚えた言葉で表していく、そこに、詩の醍醐味があるように思う。 今回は投稿作品が多いということ、イベントなどが多く、こまめにコメントを付すことができなかった、ということ、その二点から、イレギュラーだがすべてを二行の寸評で鑑賞することにした。触れたいと思った作品をできるだけ多く取り上げたので、50を超えてしまったが、ご寛恕いただきたく。 ◆大賞候補 ★カオティクル・Converge‼貴音さん10/18「羽の日」https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2465 前半の力強い抒情(苦しんでいる者を見放していく者たちへの怒りとやるせなさ)後半の展開はエンターテインメント要素も持ちながら、魂の解放と昇天を祈る切実さに撃たれた。 ◆優良 ☆弓巠10/1「いくえ」https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2377 仮名と漢字の織り成すテクストの質感の心地よさ。とらえどころのないものを具体的に追うのではなく、死者たちの溶け込んだ夜が体内に沁み込んでくるような感覚を追っていく。 ☆あきら@ちゃーこ10/30「ほどける」https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2523 世界、とは?自らが体感する外界を内界において再構築し、そこに自らを再度投げ出すことによって感受するもの、かもしれない。他者(他物)の体感が作り上げるネットワーク。 ☆かるべまさひろ10/6「眩しい光」https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2402 人は何度でも生まれ直すことができる。その瞬間を包む光を「感じる」のは、その空間の存在を「知る」のは、その光を照り返す“あなた”がいてこそ。出会うために、今がある。 ◆推薦 ☆5or6 10/4「サルビア」https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2391 生まれてしまった、ではなく、産んでしまった、でもなく、産ませてしまった・・・はなす(話す/離す/放す)ことへの希望と絶望、そのジレンマ。リフレインが迫ってくる。 ☆蛾兆ボルカ10/20「雑談とままならぬ恋の詩」https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2475 ナンセンスかつ饒舌な議論で始まりながら、社会批判的視点も備えた「名」の持つ訴求力を問う散文と、実在し、仮名(源氏名)の女性の心情/真情に触れうる詩。詩論、存在論。 ☆夏生10/10「カーテンの向こう側」https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2425 丁寧に非日常の世界をとらえ、それをいかに「言葉」で表現しようかと心を巡らす。それは不安に耐えるための詩人の習性かもしれない。転がった言葉を拾う手の存在が優しい。 ☆二条千河10/25「一線」https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2497 オーソドックスな手法なので、物足りなさを感じる人もいるかもしれないが上手い。子供時代の無限の想像力へのノスタルジーと、人間関係の間の隔てを幻視の壁でまとめている。 ◆ひとこと選評  ・桐ケ谷忍10/2「筆舌に尽くしがたく」 〈私〉の体の中で渦巻く、無限に広がり、絡み合う心の営みの不思議。同じ不思議を抱え持つ〈あなた〉と、相対する奇跡への思い。最後の一行が、少し甘いか。 ・るるりら10/6「虹よ」 「かたち」が要請する圧力と、次々に浮かぶイメージとのせめぎあいが生み出す緊張感。火の粉、透明な火、ほむら・・・虹の七色より、白色の清らかな空間が開ける不思議。 ・湯煙10/9「コこロさん」 きっちりおさえた文章の流れるような上手さ。二次元の向こうにいた相手(妄想空間でのみ、会うことのできた女性)が、現実に侵入してくる、コミカルな怖さ。 ・クヮン・アイ・ユウ10/10「街のひ、果てるひかりに」 リーディング主体のイメージだったが、視覚効果を意識した読むテクストへの変化を感じた。介護の風景か。未練と解放の、アンビバレントな感情がにじむ。 ・渡辺八畳10/22「遺影」 遺影を撮影しながら、死んだ後の「ネット空間」への拡散の仕方を、これでもかという粘りで物理的に列挙していく。死後に作品が残存することへの執着にも通じる。 ・kikunae10/21「ひかり」 とつとつと綴る言葉(文体)、〈楽しくないよ~いやになる〉と、七五調をさりげなく組み込む口調の良さ。希望が叶わない時、羨望になるのか。〈ひかり〉が見果てぬ夢を象徴する。 ・みうら10/22「コーヒーを飲もうか」 バリバリ抒情の型をなぞりつつ、〈死ぬ時は一緒にいてください〉という一言に約束できずにいる悲哀。相手の寂しさを感受するのに、分け合えないこと、そのものへの悲哀か。 ・白犬10/1「きもちわるくってきもちいい」 身体の反応(感覚)と心の反応の乖離。接触や性器への刺激が快感なのではなく、魂をすり合わせるような一瞬が存在したか否か、その答えの出ない問いがテーマなのだと思う。 ・黒髪10/24「狭い」 自らが〈依存〉どころか〈接着〉してしまう、ほどに、狂おしく求める相手から、自らを引き離そうと揺れる心の切迫を感じた。遠く隔てられていても、〈狭い〉から近いのだ、と。 ・なかたつ10/15「募集中」 子であることをやめたい、のではなく、存在する以前の無の世界に帰りたい、という、究極の回帰願望を、様々なシーンから遡って辿っていく、そんな物語を読み取りたくなった。 ・羽田恭10/18「蠅」 鮮烈なイメージ、無駄のない簡潔な文体。執着を捨てきれない心が、死を受け入れるまでの葛藤は、精神の自覚と、亡き者への祈りへの執着であるのかもしれない。 ・仲程10/1「街の潮目」 金沢の「香林坊」も「東京」だった、〈身を委ねる場所〉は見つからない。移動すると共に心の潮目が変わり、郊外の景が詩形に現れ、どこにもない幻影の故郷(金沢)を憧憬する。 ・stereotype2085 10/2「夢の跡の別れ道」 構築性に圧倒されるが、詳述で繋いでいく小説のテーマと内容を、力業で作者の思う「詩的」な形と飛躍する文体の進行に収めている圧を感じる。〈僕は〉で止めた方がよかったか。 ・口三10/14「カー」 詩は書き出しで決まるという人が多いが、これはまさに書き出しが「降りてきた」一篇だろう。関節のみずみずしさと、異界へと越境する水路。中盤、少し迷い気味なのが惜しい。 ・yoshiya asato 10/7「アパートメント悪意」 5連目、虐待されている女性自身に同化してその痛みを感じ取り、共に歩む所が素晴らしい。初連と終連の枠が装飾に流れ、虐待者への怒りが戯画に収まってしまった感あり。 ・渚鳥10/20「癒ゆ」 流れるような描写の美しさ。訪れた世界は、死後の世界なのだろう。苺の群生が教える、現世の実態、その受容を学ぶことが癒しだというより、アジールがあると知ることこそ。 ・鬱海10/18「底」 ネットで発表される作品の発する詩情、その詩情の匂いの向こうに存在するはずの作者への思い。その朦朧としていて、しかし鮮やかな存在感を金木犀の香に譬えて成功している。 ・_ 10/17 「Mr.Gibson」 ヴァイオリンの〈悲鳴〉と狂気めいた笑いに彩られたバレリーナのイメージ。それを白紙に描き出す、という心象風景のようだが、少し流れが曖昧。リズミカルな進行が心地よい。 ・こうだたけみ10/9「円滑水槽」 潮の香を発散するのは、死が近いからか。酸素吸入のボンベを引く男が、箱型三輪車で疾走していく男に鮮やかに変容する。小気味よいテンポで繰り出される映像と音声が巧み。 ・杜琴乃10/26「光の干渉、或いは」 感性豊かな描写。指先のささくれの痛みと、子を叱った後の心の痛みが重なり、優しい雨の中で溶けていく。光は子の側から射してくるのだろう。柔らかく子に許されていく時間。 ・沙一10/14「探しもの」 聞きなれた比喩が多いが、それゆえに懐かしい語り物の世界を想起させる。生きること=なにかを探し続けること、ともいえるが、漱石の夢十夜などから続く詩的試みだと思う。 ・ふじりゅう10/21「『藤井龍平』の肉迫より。」 「灰の~」にも魅力を覚えたが、読みの呼吸の要請か、意味の切り崩しを意図しているのか測り兼ねた。本作は入れ子になったノンフィクション風の虚構が、真意に触れてくる。 ・帆場蔵人10/8「午睡の刻」 まっすぐに(恐らくわが子へ)捧げる祈り。いつか無数の花を咲かせることを誰よりも強く信じ、それが無残に摘み取られる先まで予見しつつも、乗り越える強さをも祈る清涼感。 ・社町迅10/6「一人合点」 感覚がとらえたことが、体内の経験値の蓄積によって「イメージ」に変換され、それが言葉に翻訳される。その不思議をとらえるという視点の取り方が非常に興味深かった。 ・岩垣弥生10/16「三日月に」 この短さで、題名と本文が被るのはもったいない。題だけで本文と同様の比重を持たせられる。三日月は神様の爪、という詩句を思い出した。インナーチャイルドへの目線。 ・はさみ10/22「断片」 自らを外から眺めて語る視点と、内から直に気持ちを吐露する視点の同居。観察の鋭さと、そこに意味を見出すのではなく、やり過ごす術を言葉にするユーモアのセンスに惹かれた。 ・南雲安晴10/23「新しい現在」 文体は固いが、確実に歩んでいこうという意志の力を感じる。人間の原罪とは何か。肉体の檻に沈められている魂が服さなければならない刑とは何か。問うことから始まる。 ・ゼンメツ10/31「テレビジョン」 世界中の悲惨に感応することはできない。しかしそれをニュースとして消費していくことへの違和感を失ったら、人ではなくなる気がする。子供の目線からの語りが成功している。 ・なつめ10/19「♡♡♡」(中央の♡は塗りつぶし) 流れ出てくるままに書き留めたようなユルサと、言葉を吟味して選び出したようなみずみずしい比喩との落差が心地よかった。はみ出すことを自制する理性と、希求する感性と。 ・柿原凛10/16「星にはなれないよ」 掲示板を目いっぱい活用したレイアウト、ひらがなと漢字の字面の印象が生み出すイメージ。漢字の部分が、ひらがな部分の告白を反映して変容していくかのアレンジが興味深い。 ・田無いなる10/15「白」 〈あなた〉の内面の声を聴くのは、何者か。白が〈薫る〉、遺骨の〈意外〉な硬さに生前の意志の反映や、語り手も測れない死者の精神性を見るのは、詩という文学ならでは。 ・小杉匠10/11「10月の雹」 雹と評。極度に甘い冒頭が、〈君〉が誠心誠意つくりあげたであろう〈処女作〉の内容を暗示する。〈もっと~〉からの畳みかけが、将来を思うがゆえの評の冷徹さに響いて切ない。 ・licaste 10/10「歩み」 文体の変化で年齢や状況の変化を示すという試みそのものは新しいものではないが、粘り強く、一人の主人公の歩みを描写していく手腕と安定した語り口に魅力を感じた。 ・豆塚エリ10/13「冥府へ」 読者を呼び込む舞台装置としての設定と、訴えたいこと、伝えたいこととの間のイメージの落差は、大きい方がよいのか、共有項が多い方がいいのか。考えさせられる作品だった。 ・根崎10/16「目的地」 列車のイメージが紡ぎだす人生の暗喩。エスカレーター的に周囲が用意した進路から外れる自分を、肯定しきれずにいる迷いが胸を打つ。自分の人生だ、そのまま進んでいこう。 ・Sunao Radio 10/27「冬の音楽」 脳内(心の中)に住む、多様な私。その複数のペルソナとの対話が、一人の人格を総合的に作り上げている。その“ひとり”を体感して具象化する感覚に興味を覚えた。 ・rura 10/26「最低」 〈わたし〉と〈あなた〉との関係。もう一人の自己との対話、をイメージしつつ、一方的な(わたし、と思しい語り手からの)告白になっているところに、孤の寂しさが滲む。 ・らくがき鳥10/26「ワンセコンドメモリーズ」 都会的な洒落た題が歌詞を連想させるが、その方向性に読者を導いてよいのか、そこに疑問が残るものの・・・時間を共有できない、孤の悲しみに触れようとする視点にひかれる。 ・HIROKI 10/31「寂花の雫」 瀞(とろ)と吐露が重ねられているのか・・・孤独と疎外は異なる。寂しさに耐えて、一人の静けさを持つとき、はじめて〈遠くで蜜を吸う/君の羽音〉が聞こえてくるのだろう。 ・まー10/28「躁」 肉体的なエロスを感じるものの、詩を書いて発表する行為の暗喩とも受け取れる要素も持つ作品だと思う。ひとつ転がる、裸体としての心を静かに見つめる視点を大切にしたい。 ・123123123 10/29「123123123」(最初の投稿分) 3の赤い羽根が印象に残った。裸の女性は、むき出しの心、慈善行為に生きる糧を見出す(依存する)彼女が、赤い羽根をまとって空を飛び、イカロスのように墜落する。文末が疑問。 ・舟鷹10/31「詩 第十五」 〈残像のような健やかさが〉〈残酷な優しさに〉というzの響きがつなぐ鮮やかな対句は個と不特定多数との対比ともいえる。感覚とイメージ、特に〈私は鳥。〉への飛躍がよい。


コメント欄を表示する (22)
杜 琴乃 (2018-11-09):

まりもさん有難うございます。先月は投稿作も多く、その中でもコメントを頂けたことを大変嬉しく思います。まりもさんすごい...!!!

༺❦柿原 凛☂༻ (2018-11-09):

ひとこと選評の中に僕のも入れていただきありがとうございました!とても嬉しいです!

鬱海鬱海 (2018-11-09):

ひとこと選評に入れていただけてうれしいです。これだけの量を書かれた労力を考えただけでも頭が下がります。いつも本当にありがとうございます。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-09):

ワイ将、落選

あきら@ちゃーこ (2018-11-09):

ありがとうございます。うれしいです。

みうら (2018-11-09):

この労力、感謝です。詩が好きでないと出来ないと思われ、その熱量に学ぶ。

ロ三 (2018-11-09):

ひとこと選評、ありがとうございます。参考になります。

二条千河 (2018-11-09):

推薦作にご選出ありがとうございます! 上手いと言っていただけて、励みになりました。

帆場蔵人 (2018-11-10):

推薦作への選出ありがとうございます。 励みになります。

HIROKIHIROKI (2018-11-10):

選んていただけて光栄です。 ありがとうございます。

桐ヶ谷忍 (2018-11-10):

ひとこと選評ありがとうございました。ぺこり。

まりも (2018-11-10):

皆さんありがとうございます 規定(目安?)に従い、大賞一作、優良三作、推薦四作を挙げていますが、その他にも優れた作品や惹かれた作品、心に残った作品、コメントしておきたい作品が多数あったので、イレギュラーですが(アーカイブ上は投稿作品欄になりますが)ひとこと選評、という形で、コメントを付させて頂きました。

田無いなる田無いなる (2018-11-10):

ひとこと選評、ぽわっと嬉しいですし、勉強にもなります、すごく。ありがとうございました。

るるりら (2018-11-10):

ひとこと選評ありがとうございます。今月はスランプで一作しか投稿できなかったうえに、ビーレビ祭に適したと思われる過去の作品の中から 壁に貼られていたら おそらく、にぎやかしにはなると思われるものを投稿させていただいただけでしたので、まさか とりあげていただけるとは 思ってなかったので びっくりしました。  とても嬉しいです。ありがとうございます。

stereotype2085 (2018-11-10):

まりもさん、一言選評ありがとうございます。「僕は」で止めた方が良かったとの理由。いつかお聞きしたく存じます。

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2018-11-10):

推薦への推薦、ありがとうございます。 選評も励みになります。

沙一 (2018-11-10):

ひとこと選評をありがとうございます。 夏目漱石さんの夢十夜、とても好きです。 それにしてもコメント欄に、まりもさんへのたくさんのお礼と感謝、それぞれ短文ゆえにいろいろなアイコンが連なっているように見えて、カラフルですねえ。

羽田恭 (2018-11-11):

一言選評に、「蠅」が。ありがとうございます! 死者への祈りの執着、一言でこの詩を言い当てているように思えました。

かるべまさひろ (2018-11-11):

「眩しい光」ありがとうございます。 一言選評……真似したくなりますね。

ゼンメツゼンメツ (2018-11-12):

ありがとうございます! 普段はなかなかちょっと伝わりにくいものばっか書いているので、今回さまざまなみなさんからコメントを貰えたのはとても嬉しく新鮮でした!

まりも (2018-11-14):

わらわら・・・という感じで、たくさん書いてしまいましたが、ひとりひとりには、ほんの少しに、なってしまい・・・これだ、という一言を、自分なりにお届けできていれば、嬉しいです。 コメントしよう、と思って読むと、だれかに、無意識のうちに話しかけたり、説明したりしながら読むと思うのですね。その、見えない対話を繰り返すうちに、おしゃべり苦手な人が、好きになったり、得意になったりする。 実際の人間関係でも、それがプラスに働くこともある。 コメントを書くことは、だから、生き方の潤滑油を自分で自分に補給することなんじゃないか、と、思うわけです。 まずは嘘だと思って、やってみてくださいね、ほんとだから。

こうだたけみ (2018-11-21):

お礼が遅くなり失礼いたしました。 拙作「円滑水槽」にひとこと選評をいただきありがとうございます。 これを書いた15年ほど前の私は、息苦しさから逃れたかったのだと思います。 それにしてもすごい文量! 参加者すべてに目を配ることのできるまりもさんだからこその選評だと思いました。

コメントを書く
コメントを書くにはここから登録してください。またはログインしてください

【要読】大賞作品投票のお知らせ(2018年10月B-REVIEW杯)    

stereotype2085 
作成日時 2018-11-16
コメント日時 2018-11-21

 

お世話になっております。運営のステレオです。 https://goo.gl/forms/iT6KZoEJm9WsCxrj2 11/15までに多くの方々から10月B-REVIEW杯の選評をいただきました。これより大賞選出の投票を行います。上記urlからフォームに行ってください。今月も大賞候補に重複があり、その作品にはボーナス点が1票追加されています。 また途中経過を見ての投票先入れ替えをを防ぐため、投票にはGoogleアカウントへのログインが必須となっております。ご了承ください。 期限は今から10日後の11月26日23:59までです。 それでは皆さまからの熱き一票をお待ちしております。


コメント欄を表示する (15)
渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-17):

あげ

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-17):

あげ

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-18):

あげ

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-18):

あげ

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-19):

あげ

stereotype2085 (2018-11-19):

あげげのげ

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-19):

朝は書斎でグーグーグー

完備 (2018-11-19):

誰が誰に投票したか, 運営側からは見えているのでしょうか.

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-19):

見えています。投票した人は運営でなくても個別の見れませんでしたっけ? 覚えていない。

完備 (2018-11-19):

私がシステムを理解していないだけかもしれませんが, 途中経過は見えるものの誰が誰に, は見えません.

stereotype2085 (2018-11-19):

楽しいな♪ 楽しいな♪

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-20):

見えなかったのですね。ならばそれが仕様だと思います。 詩人にゃ学校も〜

stereotype2085 (2018-11-20):

試験も何にもない!

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-21):

ゲーーーー

stereotype2085 (2018-11-21):

ゲ! ゲゲゲのゲ~♪

コメントを書く
コメントを書くにはここから登録してください。またはログインしてください

冬風が、聞こえてくる。   

stereotype2085 
作成日時 2018-11-10
コメント日時 2018-11-21

 

二胡の弓なりの音が聞こえる。寝覚めは悪いし、髪は乱れ放題。口の中も何だか甘辛い。朝がけ、出勤前にエロ動画でも観なくちゃ落ち着いていられない。朝食は120円で買える安価なサンドウィッチ。一袋25円足らずのカフェオレを喉に流し込めばとりあえずは満足で。充電の切れかかった髭剃りに当たろうにも、それは自分の不注意が原因だからどうしようもない。まずは「アッ!」と腹立ちまぎれに声をあげて歯を磨く。口内の腫れ物がやけに気にかかるが、あとは髪を整えれば準備完了だ。 職場に着けばアイコスの鼻触りな匂いのせいで、煙草の煙で詩情をもよおすことなんて出来なくなったご時世にまみれてしまう。燃える太陽と、のたくる龍にも似たフレアがご機嫌な限り、手をつけるべき仕事があって、俺たちの不愉快なんて置き去りにしたまま時間は過ぎていく。別れた女とのプライベートセックス動画を消せずにいるって同僚の悩みごとを聞いては、それもいいんじゃね? と相槌を打って外回りに出かける。住宅街を歩きながら想い起すのは、悲観主義者が今際の際に残した「everybody loves a happy ending」から始まる遺言。煙草はホープを好み、愛と平和を歌い、オーディエンスを惹きつけたシンガーの彼も結局は自死しちゃったらしい。ファンだったのに残念だ。今は夢なんて言葉は嘲笑われて、疎まれて埋没する時代だ。彼の死なんて当然の帰結だったかもしれない。 仕事を一通り終えて、事務所の扉を開いては新しい世界が拓けるのを期待してみるが、それは裏切られるフラグが最初から立っている。何てことだ。俺も悩める人の仲間入りをしちゃったよ。とりあえず会社の番犬に後ろ足を噛まれる前に退社しようか。バイクで通退勤するには随分冷えた季節が来ちゃったね。肌寒い心と財布を抱きしめて、帰宅したらシャワーを浴びてゆっくり温まろう。今夜はやけに冷える。 自室に戻ればネットの渦に巻き込まれて、ビットを浴びて浴びて、何が大切かも分からなくなるような昏睡状態に自分の身を置く。小さい頃はあんなに明確だったのにな。自分の感度とか夢とか、あと希望とかそんなものに。自分に忠実で結構立派な性格してたよ。家に帰ってもやるべきことが多くて悩ましい。パソコンで作業をしつつ、テレビではAVを流しっ放し。そうでもしなきゃ気が紛れない。心の行き先は混沌として、息抜きの時間が近づいたと感じる。頭はすでに飽和していて、俺に出来ることといえばせめて、傷跡だらけになった自分を労わることぐらい。コーヒーをたしなむ趣味はないから、コンビニでリキュールでも買って飲もう。自宅の門扉を開けると冬風が胸元に吹き込んでくる。ふと気がついて俺はスマホの写真フォルダを漁ってみた。そしたら元カノの笑顔の写真が一つ保存してあったよ。何だよ。俺も愛着、未練があったのかよ。別れたのが何だか損した気分だが、それも悪くない。俺は濁流で溢れるポケットに手を突っ込んで白い息を吐きだした。冬風が体をすり抜けて、心を冷ましていく。家に帰ったら昔仲間のあいつにLINEでも打とうか。真っさらになった頭でさえ放り出して、リキュールで少し熱を帯びた肌に、風の音が、聞こえてくる。


コメント欄を表示する (13)
༺❦柿原 凛☂༻ (2018-11-10):

小説の心理描写みたいですね。 「ダルいわ〜」って言いたさげ。

stereotype2085 (2018-11-10):

柿原さん、コメントありがとうございます。言いたさげですか。言いたいのかもしれませんね。実際暗に作中で言っているも同然ですし。ですがこの詩の肝はそこではないのです。肝は回復する、蘇生する一つの肉体と精神とでもいうべきもの。そういったものです。

みうら (2018-11-10):

性行為が個人的なもので、仕事は僕等にとっては社会的なものでしかない。仕事が個人的なものになってゆく過程が成長というのだろう。本音を言えばそれを僕等は否定したい。否定したい僕等には彼女がいて愛と平和を歌うシンガーがいる。彼女が性行為という個人的な存在から家族という社会的な存在になってくれてれば悲観的なシンガーも死ななくて済んだのかもしれない。でも僕等の希望はコンビニやパソコンやスマホに向けられていて、僕と彼女の個人的なものはスマホの中に今も変わらないままで。成長しないままで安心をする。変わらない僕等の個人なものごとにもやがて冬が訪れる。 感想を散文的にコメントしました。本作はとてもいい。読んでいてなぜだか、オザケンのアルペジオが頭の中で鳴り出しました。そうしたら左様な散文になった次第で。文学というと大袈裟で、カルチャーと呼ぶ僕等が愛着を持つもの/音楽や、小説や、この掲示板。そこで表現する作品に時代性を持たせることの重要さを本作を読んで気が付いた感があります。僕の自分語りが僕等の時代性を語る時、それはわかる人にはわかるという限定性が孕むことではあるけれども、ある特定の世代に訴求する作品があっていいと思う。

杜 琴乃 (2018-11-10):

「何だよ。俺も愛着、未練があったのかよ。」 ここ、10月の貴投稿作「30480517 地球にさよならを」から繋がっているように感じました。 「30480517 地球にさよならを」は世界を遠巻きに見ている実体のない魂のようだけど、今作は地に足の着いていたヒトの目線を感じます。「30480517 地球にさよならを」で世界を俯瞰していた作者の魂が、きゅいーんと急接近して地上に戻ってきたような。まだ未練があったのだなぁという感覚が冷たい風とともに胸に染みてくるよう。それがここに書かれている人物を、いまこの時、実存しているひとりの人間である、という等身大の書き手を浮かび上がらせていると感じました。

stereotype2085 (2018-11-11):

三浦さん、コメントありがとうございます! 性行為は個人的なもので仕事は社会的なもの。僕ら、完全なる勝者になり得なかった、あるいはなり得ていない存在にとっては、その定義は恐らく当てはまるでしょう。性的なものと社会的なもののが地続きでつながっていて、苦も無く社会活動も色恋沙汰もこなしてしまうような人物がすなわち天才の部類に入るのでしょう。散文的な感想、とても嬉しかったです。僕らの世代の時代性は、詩作品や文芸作品に身体性を宿らせるためにも必要になるでしょう。ただしそれだけでは詩として成立しない可能性がある。だから観念的な場所における純粋な詩世界がある。この詩においては身体性を描いた序盤から中盤と、純粋な詩世界への入り口である「冬風が胸元に吹き込んだ」以降の描写がある。詩世界への扉が開きかけているところにこの詩のホープ(希望)があるのでしょう。思わず語ってしまいましたが、本作はとてもいいとの感想、本当に嬉しく思います。

stereotype2085 (2018-11-11):

社 琴乃さん、コメントありがとうございます! 「30480517」は世界を遠巻きに見ていて実体のない魂のよう。そうなんですよ。鋭いですね。僕もハッとさせられました。「30480517」の話者は詩世界、観念的な世界に存在していて、ほとんど身体性がないのです。だから簡単に地球とも縁切り出来るし、さよならも出来る。一方この作品における話者は身体性が凄まじく、マテリアルで人間が生きていくために必要な諸々の条件、課題を抱えている。そこが社様が「地に足のついた」と思われた最大の理由でしょう。この作品は話者が最後までマテリアルな世界から抜け出せなかったら、それこそただの雑文になっていたことでしょう。しかし「冬風が胸元に吹き込んだ」以降に、こういうと大げさですが美しい詩世界へ、話者の心は移っている。そこがこの詩の見せ場であり、肝でもあります。身体性は損なわれず、地球とも縁切りせず、心の安らぎ場を見つける。そんな詩になっています。何れにせよ僕の過去作を引き合いに出しての感想、とても嬉しく思いました。ありがとうございました。

蔀 県蔀 県 (2018-11-18):

三浦さんの「わかる人にはわかる」という発言が真実であるとするならば、よくできた作品なのだと思います。というのも、ぼくにはまったく意味不明な作品にしか見えなかったからです。 (以下、意味不明にしか見えない理由を書きますので、酷評に近い内容になると思います。) たとえば「燃える太陽と、のたくる龍にも似たフレアがご機嫌な限り、手をつけるべき仕事があって、俺たちの不愉快なんて置き去りにしたまま時間は過ぎていく。」この奇々怪々な文章(ほんとうに意味不明です。どういうこと??)。「コンビニでリキュールでも買って飲もう。」から、スマホ・LINEの話を挟んで「リキュールで少し熱を帯びた肌に、」とくるめちゃくちゃな論理(いつコンビニに着いて、買って、開けて、飲んだの??)。「鼻触り」という、なぜか急につかいだした造語(造語ですよね? 目+障り、耳+障りから連想したのだと思いますが、すくなくともぼくは人生で一度も聞いたことがない。巷ではふつうに使われているのか?)。一行一行ことごとく不自然で、話者の感情どうこう以前に、文章それ自体にむずむずさせられました。そして、これは推測にすぎませんが(しかしほとんど確信をもって言いますが)、意識的にそう書いたというわけではないでしょう。すでに「この詩の肝は~」と語っていらっしゃるくらいですから、《正解》に近い読み解きかたがあるはずで、そうであるならば、その着地点に確実に向かうように書くと思います。したがって、いちいち意味不明なのは、技法のためではなく、筆づかいの粗さのせいだと思われます。 「いや、この作品の主眼は、話者の感情の揺れ動きにあるのであって、論理性はさほど重要ではない。コンビニのくだりも、《コンビニに行こう》という気持ちと、《元カノ》との記憶が入り混じって、彼自身もはっきりしないままに時間が経過したのだ。筆づかいの粗さというのは、すなわち未整理の感情をあらわしているのだ」という反論もありうると思います。なるほど確かに、整合性よりも飛躍・想像・イメージなどの感覚を重視する作品も、世の中にはひじょうに多くありますし、ぼくもそういう作品を好む人間です。しかし、この作品がそれに類するものとは到底おもえません。全体をさらりと見通すだけで明らかですが、「120円で買える安価なサンドウィッチ。一袋25円足らずのカフェオレ」「シンガーの彼も結局は自死しちゃったらしい。ファンだったのに残念だ。今は夢なんて言葉は嘲笑われて、疎まれて埋没する時代だ。彼の死なんて当然の帰結だったかもしれない。」「会社の番犬に後ろ足を噛まれる前に退社しようか。」など、いろいろなところで、話者は物事の辻褄が合うように、頭のなかを整理しています。つまり話者は《落ちついている》。そうでなければ、「心の行き先は混沌として」というような、自分の感情の揺れ動きを端的に言い表すことはできない気がします。よって、この作品には、《未整理の感情》と《落ちついた思考による論理》が入り混じっているわけですが、はっきり言ってどっちも中途半端です。《未整理の感情》は、そのまま爆発するでもなく、わりあい落ちついて考えられていて、あまつさえ「悩める人」「混沌」などの一言でさっくりまとめられてしまう(未整理ではなく、むしろ整理できているのでは?)。そのくせ、論理は筋道が通らず、譬喩も意味不明で、なにひとつ効いてこない(「のたくる龍にも似たフレア」??)。ぼくには美質を見出すことが困難な作品であったと言わざるを得ません。 が、冒頭で述べたように、「わかる人にはわかる」のだとすれば、よく練られた作品なのだろうとも思います。なぜって、三浦さんのような方がいるいっぽうで、ちんぷんかんぷんにしか感じられないぼくのような人間もいるからです。しかし、いずれにしても、文章はちょっと雑すぎる気がする(雑だから、全体が活き活きしていない。よくあることですが、うまく書かれてさえいれば、辻褄なんか合わなくても、絵面や言葉のイメージ、感情の振れ幅に惹かれておもしろがれるものです。この作品はそこが無いと思う)。 ※「【社】琴乃」さんではなく、「【杜】琴乃」さんでは。

stereotype2085 (2018-11-19):

蔀 県さん、コメントありがとうございます。これまたエライ酷評が来ましたね。いちいちこの作品については反論するつもりはないので、ある程度端折りますが「のたくる龍にも似たフレア」はただの比喩ですよ。情景的な。深い意味ありません。ただ単に「今日も太陽は元気に昇ったから、仕事をしなくちゃ」というくらいの感慨を、一目見て雑然としていると分かるこの話者が感情の赴くまま、即興として口にした、というただそれだけの文言です。またいつリキュールを飲んだのか分からないとのご指摘。いちいち書かなければならないルールが絶対的に存在するのならば、僕はそうしたでしょう。ただこの詩では省略されている。それだけです。鼻触りという造語についても造語を一切詩に用いてはならないという全国現代詩評議会のような組織があって、造語が厳密に処罰されるならば僕は控えたでしょう。またところどころ頭は整理されているのに、混乱しているという描写がある、との蔀 県さん言うところの不可解さですが、蔀 県さんは整理と未整理が頭及び心に同居することはないのでしょうか。少なくとも僕は人間にはそういう状態があると思っています。ところどころ明確でところどころ不明瞭といった状態が。従ってこの詩の話者はそういう状態にあると解釈すれば納得も行きましょう。ということで一通り「明確に」説明、解説しましたが、それでも「いや、これは」と仰る、または仰りたいのならばただ単に生理的に合わなかった、の部類に入るでしょう。そこまでは僕も関知しませんし、関知しようもありませんが。何れにせよ読んでいて不快だった。ちんぷんかんぷんだったということは「明確に」伝わりました。それで良かったんじゃないでしょうか。 ※杜さんでしたね。杜琴乃さん失礼しました。

蔀 県蔀 県 (2018-11-19):

わかりました。失礼しました。

ふじりゅう (2018-11-21):

拝見しました。 これは面白い。主人公の、やけに現実的で、中途半端に汚れたオトナの姿がくっきりと見えるような作品です。 ほとんど改行がないにも関わらず、すんなりと読め、世界に入り込んでしまえるのは実力あってのものでしょう。 エロ動画のくだりが2度出てきますが、それぞれの意味が大きく違うように思います。一度目は、場面が朝、出勤前で心が焦燥している、中で見るエロ動画。落ち着いていられない、と。二度目は、帰ってきたあと、流しっぱなしのエロ動画。家に帰っても忙しい(恐らく一人暮らしの)主人公は、AVでも見ないと気が紛れない、と。二度目の場面では、過去のキラキラした、いわゆる汚れていなかった自分を何となく回想しながらの、AV。そして、気が紛れない、という言葉には、そんなキラキラした自分との対比、生じた劣等感から逃れようとする主人公の図が見えます。この対比が面白く、また主人公の姿そのものも面白く書かれた詩だと思いました。

帆場蔵人 (2018-11-21):

日常の気怠さや焦りといったありふれているけどそんなもんだよなぁ、と流してしまうことに慣れてしまった自分が読みながら浮かんできて、つらつらと読みむした。で、最後に元カノの写真を自分も残していたところから、モノクロな雰囲気の日常が色を取り戻したような印象を受けました。ぼくにすると長く感じるであろう分量をすらすら読めてしまうところに、巧みさを感じます。ありがとうございました。

stereotype2085 (2018-11-21):

ふじりゅうさん、コメントありがとうございます! そうなんですよ。この詩は若々しく瑞々しく正にキラキラしていた時代との対比を描き、話者がその時代へ今一度回帰するまでを描いた詩なのです。ふじりゅうさんいう所の中途半端なダメっぷりは映画「トレインスポッティング」に出てくる薬物依存の主人公レントンを期せずしてイメージさせ、あの映画のいかにもあり得そうなダメダメ感を出せたのではないかと、割と自分自身気に入っています。主人公そのものが面白いと言ってもらえたのはとても嬉しいですね。あと一つ引き合いに出すとソフトバレエの「bright my way」のpvに出てくる青年もこの詩の主人公のイメージに近いかもとも思います。よろしかったらご覧あれ。https://www.youtube.com/watch?v=Zfu9ZQpIm2I

stereotype2085 (2018-11-21):

帆場さん、コメントありがとうございます! ふじりゅうさんへの返信でも書きましたが、映画「トレインスポッティング」の主人公レントンはヘロイン取り引きで手に入れた大金を持ち逃げして、帆場さん言う所の「色を取り戻した日常」へと回帰していくのですが、この詩においては何気ない出来事。スマホに残していた元カノの写真を見て、もう一度立ち直ろう、色を取り戻した日常へと回帰しようと主人公は無意識的に思うのです。ちょっとしたきっかけで、乱れた、気怠い自身の日常を見つめ直し、輝きを取り戻そうと志向する。それをなぜか風邪の引き始めに書き起こせたのは不思議に思うし、書いて良かったなと思います。にしても帆場さんの「色を取り戻した日常」というのはなかなかに素敵な表現ですね。

コメントを書く
コメントを書くにはここから登録してください。またはログインしてください

書を燃やせ糞虫   

タイジュ 
作成日時 2018-11-21
コメント日時 2018-11-21

 

脳みそがくちゃくちゃと音を立てるので ばちゃっと洗い桶にぶちまけたら わらわらと我先にと 虫が這い出て来て 近くの岩陰に隠れたので こりゃ良いと其奴をかき集め 日当たりの良い枝に括り付け 何だか百舌の早贄の様だぞと思っていると 屍肉あさりの浅ましい鳥どもが 三羽ほど上空を旋回し始めたので 俺は近くにあった手頃な礫を そのうちの一匹に向かって投げつけると どうやら運良く羽に当たったらしく ばさばさと不恰好に暴れながら落下して来たので 首を引きちぎり滴る血を啜れば 心臓が破れるほど波打ち 髪の毛が逆立った 少し愉快な気分になったので そこらの山を走り回っていると そういえば脳みそが無い事に気が付いたので 洗い桶まで行ってみると とても頭に収まりきらないほどの 虫どもがのたうち回り 首のない屍肉漁りの鳥共が 愉快なステップを踏んでいる 俺は何だか馬鹿馬鹿しくなって そこらの川から砂金を掬うと 入るだけ頭に詰め込んで 腐った豆腐よりかはマシに動く様なので こいつで一丁儲けてやろうと 街の賭場へと繰り出した


コメントを書く
コメントを書くにはここから登録してください。またはログインしてください

よしっ。いや、ちょっと マテ。   

るるりら 
作成日時 2018-11-15
コメント日時 2018-11-21

 

めざめると同時に 自由の女神になっていた すっくと立ち 右手を挙げ 情熱の象徴を高らかに天に示し 頭の中に声が響いていた「走れ!」 いや、ちょっと待て 忘れられないぢぁないか あの家の事を わたしは おそるおそる鍵穴に鍵を入れた ぢぁりと鈍い音がして穴は開けられることを拒んでいる じぁあ家に入るのを止めようかと 後をふりかえると 今来た門柱までの距離には 私が なぎたおしたヨモギがうなだれて 悲しそうだ なにもせずに帰る気か  深呼吸し  ドアを開けることにした  扉の ぢぁりが、がちゃと開くまで力を入れた  が  扉は おもいのほか軽い  孤独死寸前で近所の人に報告された家の主は 今頃、病院だ  なぜ 食べるものも食べず衰弱したのか  詮索したいのは やまやまだが  痴呆なのか銀行印や保険証などのありかさえ覚えがないらしい  鍵を借りて、この家の主の貴重品をさがしに来た  かみ かみ 紙 カミ 段ボール カミ  ふんわりと かるく 紙でできた箱と箱  天井まで積み上げられている無数の箱を指でつつくと、ゆうらり  幽霊のように動く埃の館  この家の家主を証明するものを探さねば  彼女は、保証されるのに値するのだ  引き出しを開けると 引き出しの中が直ぐには見えない  衣類文具や生活雑貨 全部のひきだしの中身の上に  広告紙がおかれて 中身は遮断されている  すべてのものが繭ごもっている 冷蔵庫の食品のすべても個包装され  なにがなんだか分からないが昭和の日付のメモも有るから すべて捨てる   ワカラナイ   うごかない時間が                  ユックリ揺レテイル   カワラナイ   保存された時間が死んだまま   シッカリ動イテイル     やにやら光った!保険証通帳印鑑の発見だ!これで 家主を証明できる!  彼女は 列記とした 私の叔母様だと証明できた  おばさまは、わかったようなわかってないかのような透けたような微笑で  ありがとうと 言った  そのようにしてやっと安心し  ねむった   誰かであるかと保証がされている あなたとわたし                             そして、たった今 めざめると同時に  すっくと立ち 右手を挙げ 情熱の象徴を高らかに天に示し 頭の中に声が響く「走れ!」 坂道を駆け上がれ 山の間から朝日がでた  ひさしく走ったことのない重く冷たい両足が足元から照られ血が通う 自分の体重を両足に感じつつ「走れ!」


コメント欄を表示する (8)
まりも (2018-11-15):

最初、あはっと笑って、それから ぢ と じ の微妙な使い分けに感心して、 なんでヨモギ?と思い・・・ それから、ちょっとしんみりしました。 深刻なところにまで落ち込まずに済んだのは、冒頭から一貫して続くユーモアの感覚、 あたしはげんきっ!と、自らにカツを入れるような明るさ、あたしがやらなきゃしょうがない!という、心地よい責任感のようなもの、に由来するのだと思います。 ところで・・・ 〈やにやら光った!保険証通帳印鑑の発見だ!これで 家主を証明できる!  彼女は 列記とした 私の叔母様だと証明できた 〉 「なにやら」 「れっきとした」、ではありますまいか。 〈誰かであるかと保証がされている あなたとわたし〉「誰であるかと」「誰かであると」 〈ひさしく走ったことのない重く冷たい両足が足元から照られ血が通う〉「照らされ」 ・・・前半の〈ぢぁり〉〈じぁあ〉という、繊細な推敲との差が、気になって、気になって・・・ 〈すべてのものが繭ごもっている~うごかない時間が/ユックリ揺レテイル 〉          〈保存された時間が死んだまま/シッカリ動イテイル 〉 この部分の、ゆれながら刻み込まれていく感じ、心に残りました。   

るるりら (2018-11-15):

まりも様 お読みいただき 細部まで読み込んでいただいて、書いた甲斐がありました。 心よりお礼を申し上げます。ありがとうございます。 まずは、お願いがあります。お手数ですが、できれば訂正をお願いしたいです。 〈やにやら光った!保険証通帳印鑑の発見だ!これで 家主を証明できる!  彼女は 列記とした 私の叔母様だと証明できた 〉の箇所ですが、 「なにやら」 「れっきとした」、で あります。 投稿前に読み返したつもりでしたのに、題名ではありませんが「ちょっと、マテ。」ですね。まさか自身が自爆ネタをやっているとは思ってませんでした。ヨモギをいれたのは  廃れた外観を入れることで、玄関入る前に「ちょっと マテ。」っている感じにしたかったのですが。うまく機能しなかったかもしれません。   〈ぢぁり〉〈じぁあ〉や 〈保存された時間が死んだまま/シッカリ動イテイル 〉そして 〈すべててのものが繭ごもっている~うごかない時間が/ユックリ揺レテイル 〉にしても  ちょっと待っている感じを 描くことを目標としていた気がします。    全体として 煩雑な状況を描いて、しかし 心には なにかうまく言えないパッションのようなものがハジケル感じを描きたかったのです。しかし、わたし自身が とりちらかってしまいました。とても勉強になります。ご批評ありがとうございました。笑っていただけた部分もあったようですので、嬉しいです。

ふじりゅう (2018-11-15):

拝見しました。 一作目の匂いを乗せつつ、そこから飛躍した作品に感じました。「走れ」が良いですね、爽快です。 内容は、うーん、これは私の人生経験値の問題で想像しても仕切れない作品だ。しかし素晴らしいのに違いはありません。

stereotype2085 (2018-11-15):

出ましたね!「よしっ。パートⅡ」。これはリクエストをした僕としてはコメントせざるを得ないでしょう。朝起きて、自由の女神のごときポーズを取っている話者が回想する「放置された家」の話。その家主は痴呆か、それとも何かの記憶障害かで身元を確認出来きずにいる。その人物の身元を証明するために家屋内を探索する話者。そしてついに家主が自分の叔母であることが証明出来る「保険証通帳印鑑」の発見! そして家主が叔母であることを証明されたと同時に自分自身の存在、アイデンティティも確保されて話者の心持ちは安定する。そのような暗がりを抜けたあとでの「よしっ。走れ!」。これは過去の自分の存在証明と、アイデンティティの確保が出来たからこそ辿れる道。最後まで面白く読ませていただきました。「よしっ」第一作の光を補填する影の描写で「よしっ」第一作は見事安住の地を見つけたように思います。素晴らしかったです。

ishimuratoshi58ishimuratoshi58 (2018-11-15):

>めざめると同時に 自由の女神になっていた >すっくと立ち 右手を挙げ 情熱の象徴を高らかに天に示し >頭の中に声が響いていた「走れ!」  もう、この書き出しからして、参りました。このいきなりの飛躍に呆然としながらも「そうだ、その通り、正しい!」と納得させられる言葉の力技。  「なぎたおしたヨモギがうなだれて悲しそうだから何もせずに帰るわけにはいかない」という不思議なロジックも、当然のごとく「そうだよね」と納得させられてしまう。あたかも、夢の中でしか成り立たない奇妙なロジックが現実界を電撃作戦で制圧するかの如きパワフルさです。まさにるるりら宇宙。いつもの誤植女王振りも含め(笑)  「走れ!」というモチーフが図らずも象徴しているように、この作者から溢れ出る言葉は、ことばそのものがアクションなのです。アクションの叙述ではなく、ことばそのものが立ち上がり、腕を振り、地を踏み鳴らし、砂埃を上げて突進する。荒れ野に立つリア王の独白がそれ自体まさにアクションであるのと同じく、るるりら詩の抗し難い魅力は、常にその言葉たちが真の意味で「劇」の力強い「役者」であること。一愛読者として、本作を通じてそのことに初めて思い当たることができました。

藤 一紀 (2018-11-16):

おはようございます。自由の女神は他国から贈られたもので、足に鎖がついているという話を聞いたことがあるのですが、本当なのか作り話なのかはわかりません。ともあれ、冒頭と「いや、ちょっと待て」からつづく探索に、そのことを思い出しました。自由にはなっているけど、まだ縛られているというところで。 最終連の「そして」が、文と文を繋いだり経過を表すような単なる接続詞としてではなく、前段からのリズムの転換、躍動へむかう機能をはたしているように感じられ、実に見事に思いました。

鈴木 海飛鈴木 海飛 (2018-11-17):

詩にはあんま関係ないけれど 存在を証明できてよかった。 そんなつまらないことと 言われることですが そう、私は思いました。 ただ、叔母の証明できなかった場合の 今後、想像できるゆくすえは あまりに割りきれぬ寂しさの 世の中なのだよ。 第三者はなにもできない。 別れもおはぎをもってくるきともできなくなる。 さびしく、ぼたもち食う度に思い出すのだよ。と想像し 騒々しい自由の女神に ほほえみます。

るるりら (2018-11-21):

●ふじりゅう様 爽快であったなら 成功です。ありがとうございます。 人生経験ですか?んー。どうなのでしょうか。話手が 自分以外の人の家に入って困惑している部分に人生があるといえば、あるかもしれません。しかし、困惑が表現したかったわけですから。できれば 読者の方々に 想像を絶する状況がこの詩の中にある情景なのであろうなー。と読んでいただけることを目標としていました。  とは言ったものの、正直 前作で表現しきったつもりでしたので、爽快を感じていただけたので わたしとしてはエニシングオッケーな幸せ気分です。ありがとうございます。 ●stereotype2085 様  はーい。人間素直が大切です。出ました。「よしっ。パート2」でございますよお。 この詩の投稿直後に、わたしには見えました。それは、この詩の上に赤い朱肉の桜のハンコで「大変良くできました。」つていう印を どどーんと、stereotype2085 様が捺印してくださる映像が見える気がしましたよ。予想道理に気に入っていただけたようで なんだか ほっとしました。 「よしっ」の第一作めは、数多い るるりらの作品群の中でも、作者が暗唱できるほどの会心の作です。なので、リクエストいただいたときには まったくアイディアがなかったのですが、まあ こんなふうにしてみました。 これで、第一作が見事安住の地を見つけたのですね。安心です。おかげで、本当に詩を書く人として、また再び走れそうです。ほんとうに ありがとうございました。 ●ishimuratoshi58様 まず、これ以上ないくらいの応援のお言葉の数々をありがとうございます。 拙いこの詩の突拍子もない走りっぷりに、まるで伴走者ランナーのような言葉を頂戴できました。拝読して楽しくて嬉しくて、どうしょうかと思いました。ありがとうございます。 リア王の独白はかりシェークスピアのさせる技ですので、とても恐れ多いです。 いま自身でふりかえっても、 ずいぶんと ずっこけ箇所があります。けど、いただいた言葉は ほんと 盲人ランナーの横で適切な方法で道を示す人のように安心できました。 たとえば、ヨモギのくだりって人様にとって不思議なのですね。夢の中でしかなりたたないらしい。そうなのですね。不思議なロジックも、当然のごとく「そうだよね」と納得してくださったのですね。なんてお優しい。優れた人とは、優しい人であるのですね。いつもの誤植女王ぶりも笑ってくださってありがとうございます。ここだけの話ですが、誤植って、一体どうしたらなおるのか、治らない病のような気がします。おもわず、道路の真ん中で派手に転んだ気分でした。かなりへこみました。でも、ま いっか。(笑)と、思えました。るるりら宇宙かあ なんだか、すごいなー。びっくりしました。ありがとうございました。 ●藤 一紀様 アメリカの自由の女神像にまつわる話は、興味深いです。自由の女神は フランスか贈られたもので、足元には鎖がある画像を見つけました。自由の女神は、鎖を踏みつけており、すべての弾圧、抑圧からの解放と 人類は皆自由で平等であることを象徴しているようです。(wiki) わたしには、自由の女神の足元の鎖は、まるで陸上競技のスタート時のスターティングブロックのようにも思えて興味深いです。 ついでに自由の女神は、手になにやら板のような物をもっているのですが、あの板にはアメリカの独立記念日と フランス革命勃発の日が 書かれているらしいです。ス  どうやら アメリカの自由の女神が象徴していることは、まだ縛られているという訳ではなさそうです。ですが、人間 って、なんの縛りもないなどということは ないですね。私にも なにかと色々と縛りを感じることがあります。アメリカにも縛りはあることでしょう。 人はひとりでも人でいられるけれど、人間は 人と人の間があってはじめて、人間なのかもしれないなとも思います。思いがけず、大きな視点を得ることができました。貴重なご意見をありがとうございました。 ●鈴木 海飛様  この詩の叔母さんは、ほんま存在を証明できてよかったです。 ドキュメント番組で取り上げられることもある孤独死は、リアルな日本の大問題であり 考えてみるべきことの大きな問題だと思います。 それにしても ぼた餅って、なんとも おじいちゃんおばあちゃんを想える食べ物ですよね。わたしの祖母もよくつくってくれました。とても優しい気持ちになりました。ほっとするコメント、ありがとうございます。よしっ ぼた餅をつくってみますっ。

コメントを書く
コメントを書くにはここから登録してください。またはログインしてください

私の輪郭   

galapa 
作成日時 2018-11-14
コメント日時 2018-11-21

 

私は私が母と呼んでいた女の息子である 私は女の腹から生まれ違う女を孕ませた 二人の息子はすでに巣だっている 私はひとつの物語である 物語はつねに途中までしか書かれていないので つづきを書いてゆかねばならない 私は電車を運転する 自分の足で 手で 体で  軋りながらレールの上を走る 複雑な路線をトレースしてゆく 石と枕木とレールを噛み砕いてゆく ときに路線は狭く単線となり 被さる樹木の枝の殴打を浴びる 逸脱し飛び出そうとするたびに 癇に障る雑音 錆びの味 周波数の合わない夾雑 ベッドで眠れない病気の徘徊 私の病を運転している 不安と動悸に比例して速度は上がる 換気をしよう  換気をしてくれ ありとあらゆる窓を開け 凍えるほどの寒風を頼む 潮風や焼けた夕風 喉に痛いほどに  私の中を駆け抜けるよう 私は風を受けて進む帆船である 私は郷愁のなか出奔する 牙をむく波を乗り越えて どこか遠いこころへ到着するのだ ボン・ヴォヤージュ おお、船旅 満ちてくる光への憧れ 私の内側の小鳥たちがいっせいに羽ばたく 野蛮な太陽が目覚めさせる秘密 いつか私は歌うだろう すばらしい理屈や屁理屈を 幸せについて語りさえするだろう 私はへたくそな詩を書く 私のなかには盗掘された場所ある なくなった財宝、私のからっぽが 明澄な光りに晒されている そこに何があったのかは 今となっては自分でもわからない ときどき 自分が誰なのかが分らなくなる 私が誰であるのか 名前はなんというのか そんなことに意味があるのだろうか 大胆に言ってしまえば 私は誰でもないのかもしれない 私は私でなく 私という額縁の外に私をみいだしてみたい だが 私は私である 煙草はやめました 珈琲をがぶがぶ飲む 休日は空を見て暇をつぶす 気持ちを落ちつかせる薬と 睡眠導入剤を飲む 私は私の混乱と不安のなかで生きる 完璧であることなんか望みようもない ただ心臓の鼓動に従うまでだ 私は生きなければならぬ どのような日々であろうとも


コメント欄を表示する (5)
まりも (2018-11-14):

きしみながらレール(定められた進路)の上を疾走する自分自身、そこからの解放を切に願う、という流れに共感しました。残念、もったいないと思った点と、素敵だなと思った点について書きます。 残念な点は、荘重に始まりますが、母、を客体化するところまでは至り切れていないのではないか、ところ。〈私は電車を運転する〉の連から始めた方が、自然に読者を作品に導入できるように思いました。 また、日本語は「私」を明示することが少ないので、全体に翻訳詩を読んでいるような印象を持ちます。(このあたりは好みでもありますが) 素敵だなと思ったのは、以下のようなフレーズ。 〈換気をしよう   換気をしてくれ  ありとあらゆる窓を開け  凍えるほどの寒風を頼む  潮風や焼けた夕風 喉に痛いほどに   私の中を駆け抜けるよう〉 〈私のなかには盗掘された場所ある  なくなった財宝、私のからっぽが  明澄な光りに晒されている〉   〈私の内側の小鳥たちがいっせいに羽ばたく  野蛮な太陽が目覚めさせる秘密〉 このあたりに「詩」がある、と感じました。

galapagalapa (2018-11-14):

まりも様 はじめまして。お読みいただき、コメントをありがとうございます。 〈私は電車を運転する〉の連から始めた方が、自然に読者を作品に導入できるように思いました。 とのこと。何度か読み返してみましたが、ご指摘の通りに書き直した方がよさそうですね。一人で書いていては、なかなか分からなかった部分です。ご教示ありがとうございます。 50歳から詩を書き始め、約10年書いてきましたが最近はスランプで書けなくなりました。刺激をいただこうと、こちらに投稿をすることにしました。 書ければなるべく新作を出しますが、書けない場合は旧作の投稿となります。よろしくお願いいたします。

藤 一紀 (2018-11-20):

こんにちは。最終連、まとめにかかった印象があります。詩が小さくなっているように。あるいは、三~五連のあいだで広げすぎたか。《大胆に言ってしま》うなら、《私は誰でもないのかもしれない》というより「誰でもない」としたほうが適当だと思います。後半から詩の言葉の生き生きとした動きが弱まって、意思表明の表現に収まるのはもったいなく思います。 ちなみにスランプであれ書く機会をなくすのはもったいないですよ。発表とはまた別なわけだから。発表は「月に一編」だってかまやしないんだし笑。

galapagalapa (2018-11-21):

藤 一紀様 今度は最終連についてのご指摘ですね。どうもこの詩は連と連との繋がりがいまいちしっくりいってないのかもしれないと思えてきました。書いていただいたように、前段と比べると最終連は少し異質ですね。単純に最終連をとってしまうのか、全体にいじってゆくのか、考えてみます。

galapagalapa (2018-11-21):

修正しました。 「軌道」 私は電車を運転する 自分の足で 手で 体で  軋りながらレールの上を走る 複雑な路線をトレースしてゆく 石と枕木とレールを噛み砕いてゆく ときに路線は狭く単線となり 被さる樹木の枝の殴打を浴びる 逸脱し飛び出そうとするたびに 癇に障る雑音 錆びの味 周波数の合わない夾雑 ベッドで眠れない病気の徘徊 私の病を運転している 不安と動悸に比例して速度は上がる 換気をしよう  換気をしてくれ ありとあらゆる窓を開け 凍えるほどの寒風を頼む 潮風や焼けた夕風 喉に痛いほどに  私の中を駆け抜けるよう 私は風を受けて進む帆船である 私は郷愁のなか出奔する 牙をむく波を乗り越えて どこか遠いこころへ到着するのだ ボン・ヴォヤージュ おお、船旅 満ちてくる光への憧れ 私の内側の小鳥たちがいっせいに羽ばたく 野蛮な太陽が目覚めさせる秘密 いつか私は歌うだろう すばらしい理屈や屁理屈を 幸せについて語りさえするだろう 私はへたくそな詩を書く 私のなかには盗掘された場所ある なくなった財宝、私のからっぽが 明澄な光りに晒されている そこに何があったのかは 今となっては自分でもわからない ときどき 自分が誰なのかが分らなくなる 私が誰であるのか 名前はなんというのか そんなことに意味があるのか 大胆に言ってしまえば 私は誰でもない 私は私でなく 私という額縁の外に私をみいだしてみたい

コメントを書く
コメントを書くにはここから登録してください。またはログインしてください

このごろ   

つきこ 
作成日時 2018-11-19
コメント日時 2018-11-21

 

叩きつけたい 押さえられない あとでどうなるのかなんてわからないじゃない みんなどうしてるの 叫んだりしないの コントロールなんて苦手だし最初から方位狂ってる 何年生きてたって変わらないよ 一回後ろを向けばいいんだけど 捕まえてやりたい 今日も 風船3つ蹴ってドアを締めるの


コメント欄を表示する (1)
羽田恭 (2018-11-21):

子供の頃の記憶が少し蘇りました。 トゥレット症(体がストレスなどで勝手に動く症状)持ちなもので、似たような感覚があります。 首が勝手に曲がり、妙な声が出、頭を壁や机に叩きつけてしまいました。 なぜみんな勝手に体が動かないのか、いまだに不思議です。 どこかで折り合いをつけれればいいのですが。 >今日も >風船3つ蹴ってドアを締めるの そのエネルギーをもって生きていってほしく思いました。

コメントを書く
コメントを書くにはここから登録してください。またはログインしてください

あなまどい   

まりも 
作成日時 2018-11-06
コメント日時 2018-11-21

 

しずかに くびを しめられているとき わたしは いつも いきていました くるうことさえできたら その言葉は やわらかくて まるくて くずもちのような かたまりで そっとほりおこした黒土にうずめると ありたちが いちれつになって 一心不乱に はこんでいきます 勤勉な蟻にも 何割かは いつも働かない蟻がいる こころのいちぶも からだのいちぶも そうしてねむっているから わたしたちは いきていられるのですね 葉先から色のかわりはじめた ひとなつを生きた緑をながめながら わたしは今 ねむるしたくをしています


コメント欄を表示する (6)
るるりら (2018-11-07):

おはようございます。 あなまどいとは、秋の彼岸を過ぎても、冬眠のための穴にこもらないでいる蛇の様子のことだと、検索で 知りました。 しずかに くびを しめられているときとは、ただらぬ状況です。 真綿で首を絞められるかのような困難を経験したという比喩表現でしょうか? 個人的には、わたしには 昔の職場で 首を絞める癖のある上司の下で働いていた体験があるので、首を絞められると、ただただショックだったな。あれは、あらゆる思考力が停止するんだがな。と、自身の嫌な記憶を辿ってみました。ですが、詩文では その時、話者は いきていたと あります。 >しずかに くびを しめられているとき >わたしは いつも いきていました 「必死」という言葉のことを想います。必死とは かならず死ぬと書くわけで、漢字とはうらはらに、とてもその場その場で生き生きと生きていることを示しています。そんな 困難のさなかの人の 苦い意気地を想いました。 くるうことさえできたら って、ことは 人間は 狂うことはできないでしようから 艱難は艱難でしかなく、やわらかくまるい くずもちのような かたまりなはずはなく、おそらく、とても つらい現状の詩なのでしょう。 人生には、もう寝るしかない方法のないようなことも あるのでしょう。 そうやって どうにかこうにか生き抜くことも、あるのでしよう。 凍えながら眠るかのような しぶい作品だと思いました。

花緒 (2018-11-08):

言葉の手触りがとても良い。意味というより語感のために編まれているような印象。全部ひらがなでも良いような気もした。

まりも (2018-11-08):

るるりらさん ありがとうございます。首を絞める癖のある上司!!! ・・・精神的、にではなく、実際の行動として、ということであれば、これは大問題、今ならパワハラで訴えられるレベルですね。 おっしゃるように、わたしの「くびしめ」は、精神的な比喩、ですが、ある種、もう限界、というところまで追い込まれた時の、精神的な空白、というのか・・・その中を彷徨うときに、今、実は真に生きている、のかもしれない・・・と思った、のでした。タナトス的なエロスの感覚に近いのかもしれません。 心身が、ともにキリキリと締め上げられる状況に至った場合・・・恐らく、人は生きてはいられないでしょう。体の、少なくとも一部が、むしろ反応しない(心の言うことを聞かない、心と連動しない)からこそ、人は、この地上にとどまることができるのではないか。そんなことを、蟻が黙々とエサを運んでいく動きを眺めながら、感じたのだと思います。 しかし。ああ、いっそのこと、くるってしまいたい、すべてを投げ出してしまいたい、と、思うことは、ありますね・・・。 花緒さん ありがとうございます。ひらがな・・・にしようかとも思ったのですが。 漢字が目に飛び込んできて、そこから「音声」あるいは「イメージ」として、脳内で立ち上がるときの速度と、ひらがなが同様に立ち上がるときの速度の違い、そこにこだわりたいと思いました。 プディングの中のアーモンドプラリネ、のように、漢字を置いていきたい、という感覚を持っている、のですが(なかなか、この感覚をうまく説明できない)葡萄パンの葡萄、とか。 〈意味というより語感〉この〈語感〉は、五感で感じる感覚、かもしれません。 ※ビーレビュー杯不参加作品 書き忘れました。

stereotype2085 (2018-11-11):

非常にヘヴィーな題材を用いているのに、一部かな表記にすることで、その重さを緩和している。人間は余りに辛い経験をするとその衝撃を和らげるために幼児退行化したり、知性をシャットアウトしたりすることがあるらしいが、それに似たものか。話者の心情を表現するのに、この手法(かな表記)は存分に成功している。そして話者が注目したのが蟻の群れ。働き蟻にも働かない蟻がいる。そこから敷衍して、人間の体にも時折機能しなくなる部分があるからこそ「いきていられるのですね」と来る。惜しい所が一つもないといっていい良作でありました。

まりも (2018-11-14):

ステレオタイプさん ありがとうございます。へびだけにへヴィー(笑) 蟻の群から、働かない蟻を取り除くと、働いていた蟻の一部が、一定の割合で、働かなくなるそうです。予備要員なのか。 常に、どこかを休ませていなくてはいけない、フル稼働はいけない、そんなメッセージであるように思います。

仮名吹(かなぶき)@詩のブログ (2018-11-21):

勤勉な蟻、勤勉なひとの内面に潜む無反応、ねむり…生き物はどこかにセーフティーネットのようなものを備えながら生まれてくるのでしょうか…そういう意味でも非常に興味深い作品だと思います。

コメントを書く
コメントを書くにはここから登録してください。またはログインしてください

たとえ偽りに終わったとしても   

みうら 
作成日時 2018-11-17
コメント日時 2018-11-21

 

寝台列車に乗車する前後からずっと500マイルを聴き続けていました。 眠れないままに到着した東京駅。 ビルディングを眺めながら私はまだ ピーターポールマリーの500マイルを聴き続けていました。 既に失われた故郷には、友人も恋人も、家族も誰もいなかった。 ブルースだけが必要な季節のことを、あなたも知っているでしょう。 孤独は特別なことではありません。 私には冬の訪れが突然すぎて、 寒い季節を迎えるには準備が不足していただけのこと。 十八になった、初冬の話です。 朝の凍えは耐え難く自分を自分で騙すほかに 一日を始める術を知らなかった。 東京に出れば変わると、 酷い勘違いをしていたのかもしれません。 裕福な環境で育った私はプライドだけが高く、 「働き」は耐えられるものではありませんでした。 藝術を好んでいた私の同級生たちは皆、 美大へと通うようになっていました。 被害妄想が一層私を酷く歪ませました。 「自分に正直に」「自分だけの表現を」 そのような面持ちで朝を迎えるであろう、 彼、彼女たちが羨ましかった。 私はというと寝床を立つところから、 ただひたすらに自分を偽り続ける。 昼間を経て夜になると他人への偽りが更に増す。 真夜中に頭をもたげる紛らわしき善悪の判断が それを加速させるのです。憎悪、羨み。 三十回の冬が過ぎると、 憎悪も何もかもが思い出の品となって蔵われ、 完全なる他者だけの春が訪れます。私だけの世界です。 その世界の訪れを夢のケーブルと称する人がいました。 夢と呼びたくなるほどにその人は孤独であったのでしょう。 夢のケーブルは完全なる他者を実存へと向かわせます。 まがいものなのに。 完全なる他者は正しさを説きます。 紛らわしさの罪について宗教家が私に語ったことがありました。 偽札はその精度が高ければ高いほど罪が重いと。 彼はとても真剣な表情で話しを聞かせてくれました。 表層だけの共有、一体感。うんざりな気持ち。 宗教とSNSは紙一重。 私は2008年にmixiを放置しました。 2016年にFacebookも放置。 Twitterは2010年に登録しましたが2015年まで放置。 2016年からは五つのTwitterアカウントを使用し 時間と情報のシェアに紛れました。 私は止めることにします。 タバコを止めることは出来ませんが Twitterを止めることは私にとって無理なことではありません。 なぜならば私の残り時間はあと僅かだからです。 タバコを吸う時間は多くても日に1時間。 Twitterに使っているのは日にどれぐらいでしょう。 その時間があれば100キロ離れた場所まで ロードバイクで行くことができます。 きれいに陽が沈む景色を眺めてみたいなって思うのです。 そして死に方を考えるのです。 もちろん夕陽がなくても死に方を考えることは可能です。 死に方を考えなくても死ぬ時が来れば人は死ぬのでしょう。 人の死。 吉本隆明が示された文学者の死に方があります。 文学者はその死に方によって文学が蘇るという話。 これを私は実践してみようと思うのです。 それは現実の死ではなく、まがいものの世界において。 最後まで私の理は破綻していますか。それでもいい。 合理による共有を求めることに疲れました。 完全なる他者、完全なる私の世界と並行する非合理な世界へ 私は戻ります。誤解は誤解のままに。 不完全な表情に還った私がいつか再びあなたと語り合えたら、 その物語を確実に記してみたい。 初めて私が言葉を学ぶように。 この世には絶対があります。 あなたも絶対を感じたことがあるでしょう。 私は肉親を亡くしたときに絶対を感じました。 そうしたら生きていこうと思えました。 だからあなたと約束をする。絶対にまた会いたい。 たとえそれが狂気であって、たとえそれが、偽りに終わったとしても。  


コメント欄を表示する (20)
かるべまさひろ (2018-11-18):

最初、読みやすい仮面の告白みたいな印象で始まったのですが、夢のケーブルの辺りから変わりました。 「ネット詩」とはなにかということを毎月どれかからは、必ず考えさせられます。今まで意識したこともなかったこと、ただ確実にそのテーマが意図をもって組み込まれていること。 広く、人が消えることについて、希望を感じさせられました。

蛾兆ボルカ蛾兆ボルカ (2018-11-18):

村上春樹は、小説はしっかり書くのに、詩はびっくりするほど下手だと思います(海辺のカフカの作中作や、翻訳詩など)。いや逆、下手すぎてびっくりした、というのが、私の村上春樹詩の読書経験でした。 この三浦作品は、それと通じるところがあって、流れとか、バランスとか、極端さとか、そういった言語芸術としての美の追及への意志が欠如している。そのように【私には】感じられます。 どうしたんだよ、って感じ。過去の作品はもっと濃密なのもあったように思うのですが、「お話」として経験や思考を物語りにまとめることしかしてなくて、その物語を、それこそ夢見ていない感じがします。

みうら (2018-11-18):

かるべさん コメントありがとうございます。藝術が人生を知る方途の一つであって、全てではない。そのことをネット詩は明らかにするのかもしれません。

みうら (2018-11-18):

ボルカさん 自分に課しても何ら役立つテーマにはならないかもしれない、あるいは課したテーマを昇華さす書きが追いついていなかったと思います。ボルカさんも御察しかもしれませんが書こうとしたテーマは今、私がどうしても書かなくてはならぬものでした。固有な物語、限界藝術のような何か。

ishimuratoshi58ishimuratoshi58 (2018-11-18):

不思議な一文です。措辞はしばしば不器用で生硬、時に浅薄だったり青臭く感傷的だったり。いわゆる名文とは言えませんし、冴えたポエジーも機知もない。なのに、文全体をうっすらとした光が底から照らしているような不思議な生彩があり、その光に引き入れられ、最後まで読み通しました。言葉にし難い、読後の感銘。自己告白にはたいてい一種の不潔感が纏わりついているものですが、この一文にはむしろ「清潔さ」を感じました。

みうら (2018-11-18):

ishimuraさん お読みくださり有難うございます。 これは私が過去の事実を回想して書いたノンフィクションですと、コメントするべきなのかもしれないのですが、私はこれが事実に思えないのです。その違和を無くす作品を書けないものか、詩を書く動機としてずっと自認していることです。事実を書いても事実に思えないということ、私は狂人なのかもしれません。狂人でいながら人並みに生きれているのは運が良いとしか思えなかったりします。 妙な返レスをしてしまいました。これからも精進します。

fiorina (2018-11-18):

みうらさん、 500マイルは、列車に揺られながら聴くと、過去を置いて遠ざかる距離がそのままに感じられますね。 三浦さんの文体になれてしまったのでしょうか。わたしには、最後まで心地よく読めてしまいました。 >文学者はその死に方によって文学が蘇るという話。 >これを私は実践してみようと思うのです。 これがtwitterをやめることだとしたら、吉本隆明が困惑しないかなと思いました。でも、この軽さと真剣さが、みうらさんなのかも。 愛しいものたちがいるネットをやめるには、わたしの場合海外逃亡が必要でした。それなのに、こっそりコンピューターを持参し、言葉や知識のなさから、アクセスがついにできなかっただけというていたらくでした。 それでも、ネットにアクセスできなかった2年間は、今思っても生きることとその固有の地が密接に結びついたものとなりました。 ご健闘を祈ります。

帆場蔵人 (2018-11-19):

どこにでも転がっていそうな軽さがあります。けれど、それらは何故か吹き散らされて消えてしまわない。ひとつひとつに書き手の切実なものが、重く染みているからでしょうか。ひと繋がりじゃないと消えてしまいそうなものがあります。しかし、冗長で言葉を切り詰めるかひとつひとつを磨いたものを見てみたい気がします。でも、すべてが繋がらないと書けないのかもしれない。(村上春樹、お好きですか? ぼくも以前は好きでした。最近の彼の仕事で唯一、追っているのはチャンドラーの翻訳だけですが) 余談がはいりましたが、真剣なのか冗談なのか、もやもや感が残りました。500マイル、聴いてみます。

みうら (2018-11-19):

fiorinaさん お給料を毎月ちゃんと貰うこと、それ以外のことは大したことではありませんでした。生きることはお給料を毎月ちゃんと貰うこと。私はよく人の話を聞いているかと忠告を受けてきました。今も変わらないのかもしれません。人の話がわからない。でもわかったふりをしなければお給料は貰えないのです。おのずと私の言葉は軽くなる。他人からの蔑みは増す。しかしお給料が毎月貰えたら、そんなことは大したことではありません。 ネット詩はとても居心地がいい。会話でありながら会話ではないもの、言葉で表現していながら言葉になっていないものを共有しようとする矛盾。私にとってお給料を毎月貰えること以外に大切なものに思えます。興味が薄れてきていますが。50になっていろんなことへの興味が薄れてきました。愛やら恋やらもどうでもいい。一つの憧れだけが残りました。画家の田中一村。50を越え奄美の島へ行ってただひたすらに絵を描き終えた人。私にはそれが出来ない。なぜならば毎月のお給料を貰うことが生きることだからです。ただ少しだけでもそれに習いたいと。

沙一 (2018-11-19):

みうらさん、こんにちは。 florinaさんへの返信に、感じ入るものがありました。構成もまとまっていて、それこそ詩のようです。 みうらさんは、作品を書こうと力まない方が、ときどき、よいことを語っている気がします。

fiorina (2018-11-19):

なんか、うるさいかもしれませんが、みうらさんを他人と思えないので。 みうらさんとツイキャスで何度かお話しして、聞き上手だと思いました! 言いたいことの芯を聞いてくださると、感じました。 只、その後のみうらさんの返答が、ぴょ~~んと飛んだところから帰ってくる。 それが、会社ではびっくりされたのかもしれませんね。 >愛やら恋やらもどうでもいい これは、もったいないです!自分を詩人に、どころか、人間にしてくれる愛や恋があると思うんですよ。詳しくは、鈴木海飛さんにお尋ねくださいね。

ふじりゅう (2018-11-19):

 拝見しました。  みうらさんという存在を凝縮したものがこの詩には詰まっているように思います。  Twitterのパートあたりから心を奪われてしまいます。 「タバコを吸う時間は多くても日に1時間。/Twitterに使っているのは日にどれぐらいでしょう。/その時間があれば100キロ離れた場所まで/ロードバイクで行くことができます。」この三点対比に技術を感じつつ、Twitterという無形のコミュニケーションツールへの虚しさと逃避を見事に表しています。 「最後まで私の理は破綻していますか。それでもいい。/合理による共有を求めることに疲れました。」と、自身の理によって他者と共有を図る事をあきらめていますが、決してそれは言い訳ではありません。 「不完全な表情に還った私がいつか再びあなたと語り合えたら、/その物語を確実に記してみたい。/初めて私が言葉を学ぶように。」不完全な表情、がもとの主人公であり、笑ったりすることが苦手であることが読み取れます。あなた、が肉親なのか愛している人なのか、どのような人物であろうと、初々しい技術で物語を記したいと。 「だからあなたと約束をする。絶対にまた会いたい。/たとえそれが狂気であって、たとえそれが、偽りに終わったとしても。」詩でなんどもテーマとなっている、偽り、を最後に持ってきて、作品は締められます。切なく、かつ、美しさをともなった本作。素晴らしい出来だと思います。

みうら (2018-11-19):

帆場さん 37年前、中学生だった私は夕暮れのお風呂上りにプロレス雑誌を買いに本屋さんへ行きました。何気なく棚を眺めながら歩いていたら「1973年のピンボール/村上春樹」を見つけました。プロレス雑誌を諦めて初めて小説本を買いました。それが非合理の選択というのかもしれません。非合理で現実世界は出来ている、ある一部分があるのでしょう。

みうら (2018-11-19):

沙一さん それをよく言われます。最近見かけないですが、survofさんにもよく言われました。コメントがいいと。

みうら (2018-11-19):

fiorinaさん 他者と対話することによる化学反応はJAZZ演奏に似ているかもしれません。無意識にあるものが出る。

みうら (2018-11-19):

ふじりゅうさん 自分をさらけ出すことは芸の無いことではありますが、上手に書くだけでは到達できないゾーンがあるとも思うのです。ふじりゅうさんが今持たれている若さとエネルギー、それらが注がれているコメントの多くに清々しさをいつも感じています。勝ち続ける頑固さに裏打ちされた謙虚さ。そんなものが私には欠落していたのかもしれません。そもそも上昇する運命より、綱渡りから落ちても助かってしまうことの方に運命を費やしてしまったようで。

帆場蔵人 (2018-11-19):

三十七年前のエピソードなど、たしかにみうらさんのコメントは頭に残り詩的な気がします。みうらさんという人の人生が顔をのぞかせる、というか。

藤 一紀 (2018-11-20):

おはようございます。たぶんですけど、飲み屋のカウンターを挟んでお客が話すのをバーテンが聞いているという設定ならアリです。日常会話としては要点に欠けるし表情に変化がないのできつい。文字として読むには乱雑でとりとめがない。 ただ、書き手の意識にいっぱいになった思考なり感情なりがあって、それ自体が乱雑でとりとめのないものであるとしたら、それは問題ではないと私は思うんですね。むしろ、その乱雑さ、とりとめのなさをもっと見つめる必要があるというか、テーマをそこにあてると言語表現としても構成としても変わってくるんじゃないかと思います。ここに書かれているものはナマな感じがするのです。たまにナマな姿、裸の心をさらけ出せばいい、ということを聞くことがあるけれども、すべての裸が美しいわけではないものなので、そこそこには練り鍛えられた裸であってほしい。笑。 ともかく、これがほんとうに書きたかったのか、まだ書き足りていないことが残っていないか、が気になってしかたがない。実は、この後にこそ書き始められる詩があるんじゃないか。そんなふうに考えています。

黒髪 (2018-11-20):

自分を語ることを、されておりますね。 随分と分量もあり、筆力もあるだろうと思います。 偽り、と自分に自嘲しても、三浦さんは、本当のことを持っていらっしゃるようです。 それは、信頼感といったもののように、僕には思えます。 つまり、自分が自分自身に対する態度の信頼感のことです。 自分を失っても、それで自分は自分でなくなることはない。 やりたいことをやるのに、自分を偽っていようがそれが何であろうか。 全ての解放感とともに、新しい明日へ……。 さわやかな空気を残して。 三浦さんの渾身のひと振りに、凄く身が引き締まりました。 どこへいくにしても、孤独を乗り越える力をつけられておられるんですね。三浦さんの、なかの、 もの、を、忘れられません。

仮名吹(かなぶき)@詩のブログ (2018-11-21):

この作品世界における「死」が書き手に詩をもたらしているのかもしれないと思うと、人間という非合理的感情を持つ生き物に対する興味を改めて掻き立てられるような気がします。

コメントを書く
コメントを書くにはここから登録してください。またはログインしてください

あらかじめ喪われた、《角》へ。   

なゆた創 
作成日時 2018-11-06
コメント日時 2018-11-21

 

(非―在)の、あわいに 《角》が、覗く/ 振り、返る。/いない、初めから、 私達は、喪われた亡き妻を乞う シ人、なので、カタチを捧げるたび貴女 からは遠ざかってゆくのです限りなく 研ぎ澄まされてゆく指先の、先、に、 最果ての凍土が、あつく、 ふれる」――遠く、声が響く。 懐かしい、(でも、一度だって聞いたことのない、 貴女の。 。欠け落ちた、カタチの あわいを、埋めるように、 ふと、(非―在)の息がしている。 それは、青、くて。 そっと、耳を、預けてみる。    。 (((青)))、の、 底 へ 、 潜 る 。     (((ふ、。     。     狂れる))) 階 )きざはし。)の、端、へ か)駆)掛)欠)ける、爪先 の、先へ、舳先、へ、。 。こ、此処が、水域。 です。裂け/     /《目》が、あります。 (((圧((シ))域)))の、 め目ま眩いです))。    。 (((ふ)))れる、(非― 在)の、貴女の、 愛おしい、《角》に、 。零れ、落ちて、しまう。 から、 ((シ))の、階―きざはし― に、あやうく、私は、 また、振り返る/       /誰も、いない。


コメント欄を表示する (7)
渡辺八畳@祝儀敷 (2018-11-06):

こういう形式ってネット詩やってたら既にどっかで見たことあるなってなってしまう。 だから既視感との差異を探ろうとするのだが、それを成すために読もうとしてもこういう形式だから円滑にいかない。 そんな正直な感想。

なゆた創なゆた創 (2018-11-06):

単純にここのカラーはわかりませんが、私は私の詩を書くだけです。

オオサカダニケオオサカダニケ (2018-11-06):

超初期の最果タヒと似てるので、プロに見せれば絶賛させるのでは?

なゆた創なゆた創 (2018-11-06):

というより、こう言う詩型だからというバイアスかかりすぎじゃないですか。別に散文的な叙情詩としてリライトしてもいいですけど。需要と傾向には合わせますよ。

stereotype2085 (2018-11-21):

形式として読みにくい、と一瞬思いましたが、こういう詩型だからというバイアスがかかりすぎというコメを見て再読。そうするとこの詩型がむしろ失われた貴女、亡き妻を思う余りの動揺、心の空白を表すのに効果的だったのではないかと思いました。人間思考が途切れ途切れになることもある。それを表現されているのでは、とも。

帆場蔵人 (2018-11-21):

ぼくは良いと思います。こう言った詩に慣れてないから目新しい、というよりも視覚的な表現として自分が試していない方法を考えさせられます。 青、を( (青) ) を括弧で括るだけでもそこから得るイメージに変化があり、楽しめました。 カタチを捧げるたび貴女からは遠ざかってゆくのです限りなく という一文がなき人をおもうときに誰しもが経験していることだと感じました。拙い感想ですがご容赦ください。

尾田 和彦尾田 和彦 (2018-11-21):

言葉そのものの意味と、記号の使用により、意味感覚自体を補強する作品の意図が あるように感じましたが、それはそれはそれなりに成功していると思いました。 ≪角≫で譬えられているのは人間の「エゴ」のようなものだと思いますが、そこか ら受けとるべきものを探してみました。 【引用】 (((ふ)))れる、(非― 在)の、貴女の、 愛おしい、《角》に、 。零れ、落ちて、しまう。 上記引用部のパラグラムですが「非在」という言葉に無前提に寄りかかり過ぎていて、書 き手自身の独自的な思考、思想が感じられず、読んで何か新しい「もの」を受け取った、 という感じがしなかった。と、同時に自愛的な表現に陥ってしまって、他者に手渡すフレー ズになってない、表現としての甘さがあると思いました。 ただ 【引用】 ふと、(非―在)の息がしている。 それは、青、くて。 そっと、耳を、預けてみる。 あるポエジーはしっかりと灯っていて、記号を多用する作風としては、その辺り面白いと思い ました。記号表記の中に、ポエジーの世界/領域があるんだ、という部分ですね。 そこは一つのテーマとして探求するべき課題だと思います。

コメントを書く
コメントを書くにはここから登録してください。またはログインしてください

投稿作品数: 133

© B-REVIEW 2018