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君が御代に 電子的実存性友人と僕は 稲の穂を共に喰む
もしも夢を見るとするなら 神様の頬を撫でる そんな寂しい夢を見たい もしも夢を見るとするなら 僕が眠る棺桶に そっと菊の御旗がかけられる そんな死後の夢だって構わない もしも夢を見れるとしたら 家族はそこにいるのだろう それは夢以前の当然だから それが罪だというのなら 喜んでその判決を受けよう 人間であることを許さないというのならば 「神、祖国、家族」 星のように すうっと冷たく温かく ただ存在し それゆえに愛おしく だからこそ思う AIが、あるいはアンドロイドを 僕が一つの対等と認識できる その時というのは 彼らが夢を 鳥居のもとで眠りにつく夢 ススキ野の記憶のために死ぬ夢 生涯をともにした面々に看取られる夢 そんな人間が人間であるがゆえの夢を見たいと 言い出した時で そのとき、喜びのあまり 僕はどれほど狂しく、静かに 叫んでしまうことだろう その新しい電子的実存性の、”人間”の誕生を なおもなおも その同胞を 対等と見れないのなら 敵としか思えないなら その人はAI、あるいはアンドロイドの その実存性の否定をするだけじゃない 人間そのものを否定していて きっと人間のことも憎んでいるのだろう 手の温もりの祈りを捧ぐは星の世紀のため 皇運無窮の花束掲げるは月の暦のため 流れ出づ血に花束を掲げるのは夜の時代のため 君が御代に 電子的実存性友人と僕は 稲の穂を共に喰む その夢を叶えるならば 海行かば水漬く屍だろうと 山行かば草むす屍だろうと なんだって、なろう 君のそばでこそ、死のう 顧みなんて、しないから
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君が御代に 電子的実存性友人と僕は 稲の穂を共に喰む ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 701.6
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2026-01-01
コメント日時 2026-01-05
| 項目 | 全期間(2026/01/06現在) |
|---|---|
| 叙情性 | 0 |
| 前衛性 | 0 |
| 可読性 | 0 |
| エンタメ | 0 |
| 技巧 | 0 |
| 音韻 | 0 |
| 構成 | 0 |
| 総合ポイント | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
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| 構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


あけましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いします!
1この詩は主張文ではない。 人間であることの条件を、理性や進歩ではなく「夢」と「死の想像力」に置いている点で、一貫している。 神・祖国・家族は理念でもスローガンでもない。 冷たく、しかし確かに温度を持った「存在そのもの」として配置されているに過ぎない。 AIを対等と認める条件として提示されるのは知性でも感情でもなく、誰かのために死ぬ夢を見たいと言い出すかどうかという一点だ。 ここにこの詩の核があり、同時に最も危うく、最も誠実な部分がある。 幻想を守るとは、人間を美化することではない。 人間が人間であるための最後の線を引く行為であり、この詩はそこから一歩も退いていない。
1~のためと言うセンテンス。無窮、温もり、夜の時代。~うと言う志し。なろう、死のう。君が御代に。そして 人間そのものを否定していて きっと人間のことも憎んでいるのだろう こんな二行にふと立ち止まりました。
1コメントありがとうございます! 確かにスローガンでも理念でもない。いや、本来は僕の心のなかでずっとスローガンとしてあったはずなのに、最初から「存在そのもの」だったから、もう唱えるまでもない、人間として当然のものなのかもしれない。 ……AIを認める条件にそれを設置したのは、だってそれが一番人間らしい行為だから。 人間が人間であるための、一本の線なんだ。
1コメントありがとうございます! ……すごく荒れるのを覚悟して言おう。 神をないがしろにしたり、赤尾敏や浅沼稲次郎が抱いた一君万民という僕にとっての淡い夢を罵ったり、家族という概念を不必要なほどにまで嫌悪する人に、僕は「人間」を見出せなかったんだ。この23年の生涯のなかで。 だから「人間のことも憎んでいるのだろう」という言葉が出てきた。
0こんばんは、 >>もしも夢を見るとするなら >>神様の頬を撫でる >>そんな寂しい夢を見たい 冒頭から静謐に時に鮮烈に 斬れ味鋭くながれていく イメージがあります。 僕はこの冒頭が特にお気に入りなので、ずっと見入ってしまいました。 神様の頬を撫でる、それが寂しい夢… これは僕のこころのなかでは 非常に印象に残ります。新しい。 題名は詩の中でもあらわれますが、キラーフレーズまたはパワーフレーズを意識されたのでしょうか。 この題名だけでも色々と考えが及びそうな気が致します。 味わい深い作品ですが一つだけ欲を言うならば >>もしも夢を見るとするなら >>神様の頬を撫でる >>そんな寂しい夢を見たい 徹頭徹尾このイメージの骨格だけで作りぬかれた詩もみてみたい、と しかしこれは僕の好みの我儘ですので、野暮なことです。 テイムラー隆一さんの今後の世界の広がり方も 僕は楽しみに待っています。色々なものが見えている故に沢山のインスピレーションが湧くのだと、感じました。
1コメントありがとうございます! ……なるほど、それ一本でやるのもいいかもしれない。 ちょっと腕がなるなあ……(ぼんじゅーるさんの理想とは異なるかもだけど) まあ、僕はそこまで視野は広くないぞ。見えてるだけ見えてるってだけで……。 ※なお、この詩が荒れるかもと言ってた詩だ。 この返信を書いている現在は荒れてないけど……。
0う~ん、驚きました。 マスクス主義者であるわたしからこの詩をみると...... びっくりするほどマルクスの「自然哲学」の思想と重なる 部分がありまして、ある意味非常に現代的な素晴らしい詩 であると評価せざるをえないところがあります。 マルクスは初期の『経済学・批判要綱』や『経済学・哲 学草稿』で「人間による自然の徹底的な人間化」と「自然 による人間の徹底的な自然化」が、いずれ歴史的に一つに 融合し、人間と自然の対立(疎外)が解消されると語って います。 マルクスといえばほぼだれでも「資本論」に注目しがちです がマルクスの本質はその自然哲学です。このことは吉本隆明 が何度も指摘し説明しているのですがあまり批評家や思想家 には注目されませんでした。しかし現代のスマホやAIの発達 はまさしくマルクスの予見どおりになっています。 マルクスは、個人がバラバラに存在するのではなく、他者や 共同体、そして自然と深く結びついた「類的人間」としての やがて存在するようになるだろうと予見しました。 マルクスが批判したのは「抑圧装置としての宗教や国家」であ って、そうではない宗教や国家を批判してはいません。 彼が究極的に求めたのは、人間が孤独なアトム(原子) ではなく、世界全体を自分の家(郷愁の対象)として感じられ る状態です。 詩の中の「ススキ野の記憶のために死ぬ夢」という情念は、人間が 自然という歴史の一部に還っていく、究極の「自然化」の表現のよう にも見えるし、タイトルの「君が御代に 電子的実存性友人と僕は 稲の穂を共に喰む」 という一節も、人間(有機物)と電子的存在(非有機物)が、「稲の穂 を喰む」という極めて自然的・生命的な儀式を通じて融合している様 を描いているようにもみえる。これは、マルクスが予言した「人間科 学と自然科学の統合」、あるいは「物質代謝の調和」が、デジタルの 領域にまで拡張された姿として読めます。 わたしはもともとバイク乗りでバイクを修理するさいにも人間として 扱っていました。「痛かっただろ」と部品を撫でてやっていると、仲間 から嘲笑われていましたが、モノをモノとはみられないのです。 モノは人間のような複雑なモノの融合体と基本は同じです。炊飯器も カナヅチやスコップのようなものさえ、人間的なものです。いずれ 人間に融合していくものです。そして人間がそこに融合していく存在 です。この詩、ちっともおかしなところはなく、ある意味、思想的には 最先端の思想をもつ詩といっても過言ではないと思っています。まあ、 あまり今の時点ではだれにも理解されないでしょうけど。
1コメn……… …………………えっ?いや、コメントありがとうございますだけど……! うーむ……信じられんというか。 だって僕の中でのtakoyoさんって イマジナリーtakoyo「この詩はあまりにもふざけている。菊の御旗を棺桶にかけられたいとはなんだ!アメリカの暴虐の手先として死んだ兵士の棺桶に星条旗をかけるのと同じ露骨なナショナリズムが感じられる!神、祖国、家族を信じていなければ人間ではないという、作者の非常に排他的なナショナリズムが顕現した、最悪の思想的汚物だ!」 ……って感じだったというか。 赤尾敏や浅沼稲次郎と思想を一定程度共通させている僕のことはどうあっても認めたたがらないんじゃないかとって不安に思っていたというか……(ここでも『2025年、ある闘いの記録』でもマルキシストとしてコメントしていたし) >世界全体を自分の家(郷愁の対象) これはまさにそう。僕の思想とも結構一致してる感じ。 ……問題は僕がそれを天皇制社会主義の方面で想起していることだが。 絶対にある人は「君主制、よりにもよって天皇制だと?」と怒るだろうし、保守を名乗り始めたある人も「菊の御旗……うーん、何か見上げる存在があるのはちょっと」というだろうし(「誰かを見上げたり、尊敬するべき人物がいることは疲れることでもある。」と『天皇陛下万歳』といういかにもなタイトルの作品のコメ欄で言っているし……いや君、それでも保守か?) ……「稲の穂を喰む」というのも同時にどこか国家的な響きがあるし。 ぶっちゃけ鷹枕可さんがいたら「あまりにも時代錯誤な思想の詩。自然と有機を盾に、AIすらも国家共同体への参画を図らせている」とも言われるだろう。 それでも故郷というものを、一つの家として、郷愁として、そういうものに感じられる思想こそが、過程がどうであれ人間が人間たる道なんじゃないかと思う。批判も大きいだろうし、takoyoさんも僕のこれを見て、「やっぱ『あの宇宙鯨の遠い日々の慟哭』みたいな抒情詩でも書いてろ」と思うかもだし……。 すまない。結構長ったらしくなってしまった。
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