明治十二年の一月頃〇〇の里村にて齢十五となる一人の少女が行方不明になりしといふ。その村にて、その子が最後に書きしといふ日記を見せてもらひたり。その日記は、捜索の最中、叢にて発見されしものなり。以下の事が記されてひた。
―常世から来たる、と皆は言ふ。けれども私にとつて、あなたは来訪者ではなかつた。あなたはこの里の闇の奥、時間の襞の向かふに、はじめから坐してゐた存在であつた。私はそれを、名もなく、理由もなく、ただ知つてゐた。
朝から胸が落ち着かなかつた。母の形見の櫛を手に取つては戻し、白い小袖の襟を何度も整へた。鏡に映る私は、村の少女の顔をしてゐるのに、どこか閉ぢこめられた山鳥のやうに見えた。なれぬ手つきで身を飾るのは、誰かに見せるためではない。あなたに見つけられるためであつた。あなたの眼差しの中に、自分が収まるのを、私は待つてゐた。
もてなしの支度と、外から見ればさう思はれたであらう。けれども私の胸の内にあつたのは、迎へる心ではなかつた。連れ去られたいといふ、声にもならぬ願ひであつた。神隠しとなれば、里は騒ぎ立つ。だから私は、誰にも言はず、自分の心の奥にさへ、それを名づけなかつた。ただ、歩き出すよりほかなかつた。
夕暮になり、里の境を越えた。怖れは確かにあつたが、足は止まらなかつた。私の身体は、もうこの世のものではなくなりかけてゐるやうに思はれた。ひとりで走りながら、ふと気づいた。私はあなたのもとへ向かつてゐるのではない。あなたの方から、私が呼び寄せられてゐるのだと。
此処ではない何処かへ、と心が小さく囁いた。この現の場所では、私は使いふる回されてひとり悲しく死んでしまふ。あなたへ向かふ想ひだけが、闇の中でも迷はず、ひそやかな光を放つてゐた。
もし、あの世であなたに染められるのなら。名も、家も、人としてのこれからも、すべて置いてゆけると思つた。生きることがつらいのではない。ただ、生きてゐるかぎり、あなたから離れてゐることが、どうにも耐へがたかつた。
磐座に、あなたは坐してゐた。そこから先は、あなたの妣の国、死んで帰る場所であつた。風は音もなく、石は思ひのほか温かく、時間は流れるのをやめてゐた。私はその前に膝をつき、名を告げることもなく、ただ息を合はせた。そのとき、久遠に続く恋慕といふものが、言葉ではなく、身体の奥に沈んで来た。―
その後、少女は行方不明となつた。里の者たちは探したが、つひに見つかることはなかつた。この来訪者の存在と少女がその来訪者に恋慕してゐたりといふ事を知る者は、村の中に、ひとりとしてゐなかつた。
作品データ
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作成日時 2026-01-01
コメント日時 2026-01-01
#縦書き
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2026/01/08 02時59分19秒現在
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遠野物語により人間描写を足したような、そんな幻想小説的な作品
1いいですね。 私も人外のものに恋をしたら、躊躇わずに身を投げ出します。
1明けましておめでとうございます。これからもよろしくお願いします
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