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〈批評文〉空想のこころへ近づいてみるんだ(「TO THE MOTHER LAND」[stereotype2085]を読んで)   

作成日時 2019-05-29
コメント日時 2019-06-07
<批評対象作品>
TO THE MOTHER LAND


・はじめに: 私は少し前まで、散文ははたして詩なのだろうか、という疑問を持っていた。ひいては、小説(的な文章)と、詩の差はどこにあるのだろうかと。 stereotype2085氏の作品「TO THE MOTHER LAND」の特徴は、散文と詩(設定上は歌詞)の融合にある。もちろん、散文または小説と詩を融合させる技巧、前例がないわけではないだろう。しかし本作の特筆すべき点は、そのテクニックを含め、作品の全てが「葛城」という作中の人物の〈心情描写〉の為にあるという事だ。 それでは作品を紐解いていこう。 ・作品の紐解き: 作中、登場する人物は4名。 1.本作の主人公(と思われる)葛城(かつらぎ) 彼は、2002年~2007年の期間活動していたバンド「BOY'S MIND IN THE SYMPHONY」のメンバーの一人で、ボーカル、作曲担当。また作中で明確な描写はないが、十中八九作詞も担当していたと思われる。 2.實吉充(性:さねよし または みよし)(名:たかし または みつる 辺りが妥当か?) 同バンドのドラム担当。彼が傷害事件を起こし逮捕されたことが、順風満帆であったであろうバンドへ転機を与える。 3.片桐 同バンドのベース担当。彼の描写は少ないが、バンドの方針で揉めていた事が葛城の口から語られている。 4.(作中の)stereotype2085 本作で、彼は(恐らく雑誌やネットのニュースか何かの)インタビュアーとして登場している。登場しているというか、本作の文章の(歌詞を除いた)全ては彼の書いた記事である。つまり我々は彼の視点を通して、葛城という男の心情を追う形となる。 まずは、バンドの歴史を文中から追っていこう。2002年に活動を始めたバンド「BOY'S MIND IN THE SYMPHONY」は、確固たる野心を持ち「いい音楽を作る」ことを追究するバンドであったと推察できる。その探究心が功を奏したか、彼らの5枚目シングル「LOVE CALL」で初のチャート1位を獲得する人気バンドとなった。 そんな順風満帆だった活動が暗礁に乗り上げる。ドラマーの實吉が傷害事件を起こし、逮捕されてしまったのだ。それに対して沈黙を貫き通した葛城(及びバンド)へファンから厳しい非難が続き、事務所も無期限活動停止を提案するまでになる。 バンドは、最後にアルバムを一作作り解散する道を選ぶ。果たして彼らのラストアルバム「終演」が発表されると、2007年、その短い活動に終止符を打ったのだ。 次に、葛城の行動と心理を整理し考えていく。 バンド活動を指して「野心」的ではあったが「野蛮」ではなかったと評する彼。そしてそれは、「LOVE CALL」にも表れていたはずだと。 事件後。彼が無関心を通した理由は次の通り。「僕に出来るのは良い音楽を作ること。それだけだったから」。それ即ち、彼の音楽(ないしは芸術)に対する類まれなる情熱を表していると考えられる。さらに言うなら、作品への追究以外に興味があまり無い、閉鎖的芸術家のタイプであると思わせられる。 また、ファンの抗議に対して 「裏切られた? それはない。ファンの心理はもっともなものだったから」と。この辺りから、葛城の心情が複雑になってくる。ファンから叩かれることを「もっとも」と理解しているのは、〈今だから言えること〉なのか、当時からそう思っていたのか。それは定かではないが、ともかくラストアルバムの描写へ移ろう。 ラストアルバムは、今までとは打って変わって重々しいサウンドであったとのこと。そしてタイトルにもなっている「TO THE MOTHER LAND」は、一部のファンが落胆するほどの楽曲であったらしい。いよいよ本作でもっとも重要な、歌詞を見ていこう。 「TO THE MOTHER LAND」の歌詞より 最初は「宴のあと」「ホールの光も消えていく」とあり、まず間違いなくライブで大盛況だったバンドの終わりを指しているのだろう。 次の行の「旅人」が誰を指すのか。ただ、僕らは(旅人を)見届けるだけ、とあるので熱狂を指すのか、ファン自体を指していると思われる。 ファンと解釈すると、「どんな悪口を言うかを。」が葛城の渾身の皮肉と捉えても仕方なさそうに見える。 > これは秘密だよ。僕らはそんなものもう大切じゃなかった。 の文は2回出てくるが、「もう」とあるので過去は大切だった、「じゃなかった」とあるのでかなり前から大切ではなかったと考えられる。 破れた古地図とあるが、これは熱狂的な、あるいは沸騰するようなバンドの未来(が破れた)と捉えることが出来る。 マザーランドの解釈は後ほど。 また、葛城はこの歌について以下のように述べている。 「あの曲で歌いたかったものは、元々ナイーブだった僕らが、派手な生活に倦んで、かつていた心理的な故郷に帰るというもの。僕はあの曲でファンを悪く言ったつもりはないし、言うつもりもなかった。だけどそう捉えた人たちもいたみたいだね」 「僕は僕なりの方法で、ファンに感謝と別れを伝えたかった。それが誤解されたとしても悔いはない。あるのはただ『THE MOTHER LAND』。それだけだよ」 そして、彼は今絵画に力を入れ、なんと個展をも開催している。彼の口から語られた言葉は「静か」にしたい、と。そんな葛城という男は一体どのような人物なのか。そして、本作は我々に何を伝えてくるのだろうか。 ・紐解きから結びへ: 葛城は、バンドは、ナイーブな存在だった。バンドが人気を増していく中で、熱狂的なファンに囲まれ、沸騰したような生活を送っていく中で、彼らは自らを見失ったような気分になったのではないだろうか。元々音楽を愛するバンドであったのが、その熱を逃がすまいとするバンドへと変わりつつある、それを葛城は察していたのではないだろうか。最後のアルバム「終演」は、そんな、バンドを狂わす「熱」への、反抗のアルバムだったのではないだろうか。そして「TO THE MOTHER LAND」とは、マザーランドとは、葛城の言う通りナイーブな本来の「BOY'S MIND IN THE SYMPHONY」(少年のこころの交響曲)へ、帰るんだという意思表示であったのではないだろうか。 ・おわりに: 私は、詩と小説の違いを次のように考える。小説とは「物語」にフォーカスを当てる媒体であり、詩とは「こころ」にフォーカスを当てる存在だと。我々は「TO THE MOTHER LAND」を通して、葛城の正しくナイーブな心理に肉薄する事が出来る。それこそが詩であり、さらに言うなら詩の素晴らしい所ではないかと私は考える。本作は複雑なテクニックや言い回しは多くない。だが、葛城という男の繊細な心へ、我々は飛び込んでいける。本作は非常に素晴らしい作品であり、私は暫くこの詩に虜になるだろう。 ※個人的な解釈ですので、悪しからず。 2019.5.29 藤井龍平



コメント数(4)
stereotype2085 (2019-05-30):

完璧。ほぼ完璧な批評文でした。ここまで作品に寄せた想い、意図をくみ取った批評文を書いてくれるとはまさしく作者冥利につきます。葛城が音楽に情熱を寄せる、閉鎖型、内向的な芸術家タイプの人物であることも読み解いてくれているし、バンドが心理的な面で實吉の傷害事件よりも前、既に崩壊気味になっている点も抑えてくれてるし、何より彼らの故郷「THE MOTHER LAND」が彼らのバンド名である「BOY'S MIND IN THE SYMPHONY」(少年の心の交響曲)であることも読み解いてくれている。これはもうふじりゅうさんの読解に惚れ惚れするし、加えてこの作品がそこまでのドラマ性、裏設定をしっかりと読み手に伝えられる作品であったというちょっとした証でもあるので、とにかく嬉しいです。 さてここで少し冷静になって、実は違う、あるいはこうだったんだよというポイントを幾つか。まずファンの抗議を「もっともなものだった」と表した葛城はどこでその認識を得ていたか。それは解散後しばらく経ってから、それこそこのインタヴューが行われる2、3年前であったと考えて間違いないです。葛城は本当に興味のないことには関心を持てない性格、傾向の持ち主でもあるので、当時はそれこそ騒動に無関心だったのでしょう。次に「旅人」をファンと解釈するのは正解です。しかし「どんな悪口を言うかを。」は葛城の皮肉ではなく、自嘲なんですね。ファンを裏切ってしまった、最後まで期待に添える形でバンドを続けられなかった。だからそんな僕らに悪口を言うのはある意味当然かもしれないね、という。あくまでファンに悪意を向けた皮肉ではなくて、自嘲なんです。最後の三つめ。「『終演』は、そんな、バンドを狂わす『熱』への、反抗のアルバム」だったのではないかとの指摘。その解釈もとても面白いですが、実に惜しいです。実際は「終演」はバンドの終わり、弛緩したムード、ふじりゅうさん仰るところの「自らを見失った」彼ら自身を葬送するためのアルバムでもあったのです。だから放り投げた石が遠くに落ちるように、高く舞い上がったバンドの隆盛も引力に引かれるように落下し、バンド自体が終結するのを葛城が静かに受け止めた作品でもあるのです。葛城はこうなるのを、このアルバムを作らざるを得ないのを予め知っていた。このアルバムの制作は葛城にとって避けられないものだった。ちなみに裏設定では葛城はこのアルバムに収録されている曲の幾つかは、バンドの解散が決まる前に書きあげています。 そしてこのふじりゅうさんの批評文の最大の肝の一つである、小説とは「物語に」詩とは「心に」それぞれフォーカスをあてる存在だとの指摘、解釈。とても興味深く、エキサイティングだと感じました。これで僕がこの作品は詩として成立し得ると考えた理由の一端も分かる。この作品は詩的な文面で記事を構成しているstereotype2085(彼は必ずしも私と同一人物ではない)なる人物も主役の一人ですが、何よりも主役は葛城であり、葛城の心理描写、心の変遷にこそ面白味があり、フォーカスがあてられた作品であるのです。 「葛城という男の繊細な心」をもし読み手が、あるいはふじりゅうさんが既に言明しているように「虜に」なるほど描き切れたのなら、本当にこの作品を作って良かったなと思います。少し熱くなりすぎて、笑えるくらい長文になりましたが、これにて感謝の返信を締めさせていただきます。本当に素敵な批評文をありがとうございました。

エイクピア (2019-05-30):

この批評を読み詩も少し読んでみました。矢張り啓蒙活動ではないですが、詩が上昇する仕組みが分かるようで、良かったと思います。

せいろん (2019-05-31):

ふじりゅうさんの批評も素晴らしいし、ステレオさんのこの詩を読み返してみようと思いました。

ふじりゅう (2019-06-07):

皆様コメントありがとうございます! ご返信遅れましたこと、申し訳ございませんでした。 サラッと読んでいいなと思い、読み込んでその詩の深さに触れ、もう一度読んで感動する。というプロセスの、深さに触れられる部分を批評文としてお読み頂けたなら嬉しいです!

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