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刹那
小鳥のさえずりは さえずりであることを忘れ 小鳥から耳を授かり 森のざわめきに恋をする 目も足も羽も嘴も すべてを託され さえずりは小鳥のようになり 魂までも吹き込まれる 消えた小鳥は誰からも忘れられた さえずりからも―― 生まれ変わったさえずりは 木の枝を軽く蹴り 羽をいっぱいに広げ 風を切る 宙返りしながら目を閉じ 空も追いつけない速さで 研ぎ澄まされていき 光よりも速く 一瞬の歌になり時を越えるだろう 木々の記憶を揺さぶり その歌は幹を伝い すべての枝先へ響き渡る 土の中に眠る種を呼び覚まし 芽吹く命が同じ歌を紡ぎ出していく そのように 忘れられない詩を書き残し 忘れられる詩人になりたい
刹那 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1628.9
お気に入り数: 1
投票数 : 3
ポイント数 : 0
作成日時 2024-12-13
コメント日時 2025-01-23
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


これほど美しい詩を味わったことない... 忘れたくない... 類さんの魂の詩を忘れない。
2ツイッター、という言葉と、イメージが重なりました。消えた小鳥たち。
1どーも三明でございます。三つの明るみの三明でございます。「再生」とか「新生」とかへの願望?祈願?なのかなーまだまだ僕は忘れてほしくないなー覚えておいて欲しいなーと思ってしまう俗ですねー
1詠みひと知らずの詩が、いつしか大地に根を張る樹木の養分として取り込まれていくとしたら、詠んだ甲斐もあったことでしょう。そんなことを感じさせる詩でした。
3類さんは大丈夫と思いますが、道徳詩とか宗教詩(人生には意味がある。そして善いおこないをしろ、みたいなやつ...)をやりすぎると、自己撞着のトートロジーに嵌り込んでいく場合もあろうかと思うので、その、十分な「留意」をした上で述べさせてもらいますが、どこか宗教的な香りがする詩だと思いました。 それは科学を超越するようなイメージ、たとえば、 「新生のさえずりは音速を越えて光速になる」...等、こういう科学を逸脱した表現に由来します、が、そうした表現はむしろ詩の魅力の一部として見るべきでしょうが。 「どこか、さびしい」ですよね。 この詩に登場する小鳥、さえずり、木々、空といったモチーフが、ある種の「記号性」を帯びており、その匿名性が全体をモノトーンのような雰囲気にしている。 たとえば、さえずりはどんな調子なのか? 天気は? 鳥の種類は? こうした具体性が与えられないことが、読者の想像を広げる余地を生んでいる一方で、その匿名性が静けさや寂しさを感じさせる。 >忘れられない詩を書き残し >忘れられる詩人になりたい この一節から、詩人としての「匿名」に込められた特別な意味があるようです。作者の意図的か無自覚かはともかく、作品に何を隠しているのかを読み取るヒントになるかもしれないと思いました。
2久しぶり。ありがとう。俺の作品を忘れないでね。
1ツイッターの小鳥ですね。懐かしいです。
1こんばんは。 公開された作品は、それぞれの読み手の中で新たに生まれ変わります。三明十種さんが受け取ったイメージ(ここで言うイメージとは、単なる映像のみに限らず、感覚、記憶、感情、象徴性などが複雑に絡み合ったもの)は既に私のものではありませんので、わかりません。
0こんばんは。『詠みひと知らず』も、タイトル候補の一つとして挙がっておりました。『読人不知』という表記も格好良いと思います。
0こんばんは。ふむ、と考えさせられました。記号性についてのご指摘、興味深いです。その点についても、じっくりとお話ししたいと思いますので、後ほど改めて返信させていただきます。
0最後の二行がキマってますね。
1こんばんは。この二行いいでしょ。人間の矛盾を感じませんか? 矛盾を感じさせる言葉が好きなんですよ。他の連はすべてラスト二行の比喩そのものでしかありません。
0おはようございます。私の表現が記号性を帯びる理由について説明しようと思ったのですが、やはりやめることにしました。おまるたろうさんは、私の表現における記号性の原因をすでに理解されているだろうと感じたからです。もちろん、もし説明を求められれば、お答えいたします。と言っても、実際にはもうコメント欄で答えを出してしまっていますね。 >他の連はすべてラスト二行の比喩そのものでしかありません。 この引用部分だけで、記号性とそれに伴う匿名性が生じる原因についての説明になっているだろうと思います。
1小鳥のように自由に詩を紡ぎ出せたら良いですよね。
1こんばんは。本当にそうですね。しかし、たとえそうなったとしても、結局は更に大きな理想が生まれ、その理想に追いつこうと楽しく苦しむことに変わりはないのだろうと思います。やり甲斐はやはり欲しいからです。
1春を待望しているような、そんな印象を受けます。囀りは春の季語ですし、冬の今から見て、春隣と言う季語が強く意識させられました。忘れられる詩人とは何か。忘れられない詩とは何か。葛藤があると言うよりは、何か目論見、たくらみがあると思いました。
1こんばんは。そうですね、囀りは春の季語です。鳥(小鳥)の囀りは、求愛でもあり、縄張り宣言でもあり、詩でもあるのかなと思った次第です。忘れられる詩人、忘れられない詩とは何か――それについては、ご想像にお任せします。目論見、たくらみですか。独特な切り口で、少々驚きました。
0類さん、そうですね。 その理想に追いつこうと楽しく苦しむことが私達のやりがいでもあるというお言葉すごく共感してしまいます。 続ける意味はこれかなと思います♪
1こんにちは♪共感してくださって♪嬉ぴーです♪継続は力なり――ですよね♪
1類さん、まさしくそうですよね。 継続は力なりだと思います。
1そうですね、大切なことです。 秋乃さんはTwitter(X)やってますか。フォローしてくれれば、フォロバします。良かったら、是非。皆様も、誰でも大歓迎です。無理ならスルーしていただいて構いません。 https://x.com/ishh2w0hc6oyxan?s=21&t=YvIPbqk56wwoiyO3WTt-wg HNは、「鴉/類」です。
0類さん、ありがとうございます。 また暇ができましたら、フォローさせていただきます。
1囀りが小鳥の自意識から離れて独立してしまうのですか? 高田渡さんは、自分の歌が自分の名が人々の記憶から消えても愛される歌になるといいと語っていましたが、アーティストの自意識と作品としてのアートの距離感の問題かも知れません。 私は思うのですが自意識のような嫌味ったらしい心にいつも張り付いているものから解放されて、無心になる瞬間。それがアートの理想であり美しきかと。しかしもう一歩思考の歩を進めると、その飛距離が我々を虜にするのではないかとも思うのです。理想は理想で美しきけれど、飛距離を失ってはいけない。なりたい、在りたいという言葉には共感するところあるけれど、どっかでなってはいけないという思いもあるのです。悟るということは、ゼロになるということに近いイメージがある。飛距離としてのゼロならいいけれど、ゼロを終着駅にするのはどうか、と。私は名を残したいし、残せなくても残そうとしたと示しをつけ、去った後惜しまれることを願うことこそ、リアルな人間だと思います。
1二兎を追う者は一兎をも得ず、ですよ。
0あまりに切実な速度は、一瞬の内に消失して、 空を舞う鳥やその羽のように、捉え所のない 瞬間のなかに、舞う 思念は、常に失われてゆく 時間の流れすらも超えていくのでしょう。 あまりに速すぎる速度は、詩の中で いえ、現実の中でさえ、一瞬の速さすらも、 超えてゆけるのかもしれませんね
1おはようございます。……この作品、人気で少し驚いています。素敵なコメントありがとうございます。
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